伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

鴻上尚史

響き合うことば

 2003年2月15日、不登校、引きこもりの子どもの保護者、学校関係者、適応指導教室の担当者、相談機関など、様々な場で子どもの支援に当たっている人を対象にした研修会が石川県教育センターで開かれました。その時の僕の講演記録を、石川県教育センターの相談課が冊子としてまとめてくださいました。「スタタリング・ナウ」2005.6.18 NO.130 で、講演記録の三分の一ほどを掲載しています。タイトルは、「響き合うことば」でした。部分的な紹介なので、タイトルと合致しないように思われるかもしれませんが、この後、自己表現へと話は続いたようです。機会があれば、続きを紹介したいと思います。

《講演録》 響きあうことば
             伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長
 
今、ここでのことば
 こんにちは。私は人前で話を随分してきていますので、本来ならだんだん上手になっていくものでしょうが、私の場合は、最近だんだんと話せなくなってきています。以前ですと、起承転結をつけて、順を追って話さなければならないと思い込んでいたせいか、話したことが、そのまま文章になってしまうぐらい、まとまった話ができた時代がありました。それが最近できないんです。しなくなったというのが正確かもしれません。そして、以前は大勢の前で話すときはほとんどどもらなかったのが、最近はよくどもるようになりました。自分では、まあいいことだなあと思っています。
 読んでいる方もおられるでしょうが、『ことばが劈(ひら)かれるとき』という本を書かれた〈からだとことばのレッスン〉の竹内敏晴さんの演出で主役の舞台に立ったときから、私は変わってきたように思います。『ほらんばか』という芝居で、東北の山村に新しい農業を導入しようとして、周りの妨害で、発狂し、恋人を狂気の中で殺してしまう主人公の青年を演じました。稽古の始まる前の私を、竹内さんはこう表現しておられます。
 「伊藤さんは、台本を広げて、熱のこもった声で朗々とせりふを読み上げた。ほとんどどもらない。まっすぐにことばが進む。しかし、聞いていた私はだんだん気持ちが落ち込んできて、ほとんど絶望的になった。つきあって数年。かなりレッスンをして、ことばに対する考えは共通しているつもりでいたが、からだには何も滲みていなかったことだろうか。説得セツメイ的口調の明確さによる、言い急ぎを、一音一拍の呼気による表現のための声に変えていくことができるか」(『新・吃音者宣言』(芳賀書店)304ページ)
 こうして、竹内さんに徹底的にしごかれました。その時の稽古と本舞台を通して、何かパカッと自分が弾けたような気がしました。明確に、説得力のある情報を伝えることを習慣としてきた私のことばが、表現としてのことばに脱皮したとも言えると思います。
 準備してきたことよりも、今ここでの気持ちや、皆さんの反応を受けながら、生まれてくることばを大事にするようになると、これまでのようなまとまった話ができなくなったのです。これは、今回の話のテーマにもなるのだろうと思いますが。
 先だって、サードステージという有名な劇団の劇作家で演出家の鴻上尚史(こうかみしょうじ)さんに、私たちのワークショップに来ていただいて、大変興味深い体験をしました。
 竹内敏晴さんや鴻上尚史さんから学んだことや、私自身が自分の人生の中で考えてきたことを、今浮かんで来るままに、表現についてお話したいと思います。だから、ちょっと取り留めもなく、あっちこっちに脱線しながらの話になるかもしれませんが、よろしくお願いします。

吃音に悩んだ日々
 まず、私がどういう人間かが背景にないと、話がなかなか伝わりにくいかなと思いますので、ちょっと自分のことを話します。
 私はどもりながらも明るくて元気な子どもだったのですが、小学校2年の学芸会で、セリフのある役を外されてから、吃音に強い劣等感をもち、悩み始めました。それまでなかった、からかいやいじめが始まり、友達も一人減り二人減り、気がついたら友達が一人もいなくなってしまいました。
 アイデンティティーの概念で知られる、心理学者のエリクソンは、学童期を学ぶ時期だとして、劣等感に勝る勤勉性があれば、何事かに一所懸命いそしめば、学童期の課題を達成し、有能感をもって、次の思春期の自己同一性の形成へと向かうと言いました。勉強もがんばるけれど、友達と一緒に何か一所懸命やる喜びや楽しさを感じる時期ですが、私は劣等感の固まりで、楽しかった記憶が全くありません。その頃、授業中に当てられて、ひどくどもっている時も辛かったのですが、それ以上に、他の人たちが楽しく遊んでいるときにいつもポツンといる休み時間や遠足や運動会が大嫌いで、辛かった。これは、人間関係がつくれないことがいかに辛かったかということでしょう。
 自己紹介で自分の名前が言えない不安と恐怖は大きなものでした。小学校5年生の時から、中学校の自己紹介で、どもってどもって、惨めな姿をさらけだしているを想像して、嫌な気分になっていました。中学生になりたくないと思っていました。
 中学生になって、私は両親、兄弟とも関係が悪くなり、家庭には居場所がなくなりました。学校生活はいつも針のムシロで、早く卒業したいと思っていました。当時、暴走族もシンナーもなかったのが、幸いでした。今なら完全に非行少年になっているだろうと思います。親から預かった記念切手を売っては、中学生が保護者同伴でしか映画館に行けない時代に、映画館に入り浸りました。当時の洋画、ジェームス・ディーン、ゲイリー・クーパー、バート・ランカスターなど、ほとんどの映画を見ています。補導されたり、警察に捕まったりしながらも、映画館だけが唯一の居場所で、映画だけが私の唯一の救いでした。
 一番辛かったのは高校時代です。当時は不登校ということばはなかったですが、これ以上学校を休むと卒業できないところまで、私は学校を休みました。国語の朗読の順番が私の目の前で終わると、次は確実に私から始まります。それが、分かっている日は、校門から中に入れない。ひとり映画をみたり、ぶらぶらしていました。
 21歳まで本当に孤独に生きました。人とふれ合いたいと強く願いながら、いつもひとりぼっちでした。友達と会っても、「おはよう」が言えず、「おっおっ・・」となっているうちに通り過ぎてしまう。自分の名前も言えないために、新しい場面や話す場面から逃げる。そのとき一番思ったのが、人間が分かり合えるのは、ことばが全てだということです。だからあの当時、「足がなくても、目が見えなくても、病気になって病院に入院しても、確かに辛い状況かもしれないけれども、しゃべれたら、あいさつもできるし、会話ができる。体が不自由でもいいから自由に話せることばがほしい」と、本気で思っていました。人と人とが結びつくために、自由に話せることばが欲しいと、祈りにも似たことばへの欲求がありました。

どもりは治らなかったが
 21歳の時に、どもりを治したくて、吃音の治療機関に行きました。朝から晩まで発声練習や呼吸練習に明け暮れ、上野の西郷さんの銅像の前や、山手線の電車の中で、昼下がりに、「皆さん。大きな声を張り上げまして失礼ですが、しばらく私の吃音克服のためにご協力下さい」と、演説の練習をしました。今から思うと、よくあんなことをやれたなあと思います。それだけ治したいと必死の思いだったのです。4カ月一所懸命やったけれども、どもりは治らなかった。これから自分はどうしたらいいのか。どもったままで生きるしかないと思ったときに,どもりは恥ずかしいとか隠そうとか思っていたら、私は一生しゃべらない人間になってしまう。人間関係を結べない人間になってしまう。それじゃ損だって思った。ようやく、どもっている自分を認め、向き合うようになりました。
 21歳までの私は、「どもりは悪いもの、劣ったもの」と考え、どもる自分を否定して、どもりが治ってから話そう、人間関係を作ろうと思っていました。自分が大嫌いでした。その頃は、どもるから話せないと思っていたけれど、そうではなくて、自分自身が話さなかったのだ。これは、今から思うと、大変な気づきだと思うのです。何々のせいでできなかったのではなくて、どもるのが嫌さに、自分の選択で話さなかっただけの話です。
 孤独の話、辛かった時代の話をすると、そんなにしんどかったのに、生きてこれたのはなぜかと、あるワークショップで質問を受けました。今まで考えたことがなかったので、「子どもの頃母親に愛されたからかな」と言った後で、ちょっと違うなあと、話が終わってから訂正しました。笑い話みたいですが、当時、入浴剤にムトウハップというのがあって、万病が治ると書いてあった。これを飲んだらどもりが治るかもしれないと、すごい量飲んで、救急車で運ばれたことがあります。今から思えば、死にたかったのかもしれません。
 「どもりのまま死んでどうする。どもりが治らないと死ねない」だったと、あの頃を振り返ると思います。学童期・思春期にしたいことを何一つしないで、人生の喜びも楽しみも感動も経験しないで21歳まで生きてきた人間が、このまま死んでたまるかと思ったんだと思うんです。
 21歳の夏からの私の人生は、苦しいこともあったのですが、どもる人の国際大会を世界で初めて開いたり、何冊も本を出版したり、すばらしい人とたくさん出会えたり、自分のしたいことをしてきた人生だったと思います。来年は60歳になりますが、いい人生だったなあと思うし、だからあのとき死ななくてよかったなあと思うのです。
 21歳までの私と今の私とは全く別人のような感じがします。あのひねくれた、無気力で消極的だった少年がよくここまで生きてきたなというのが実感なのです。中学校のときの同窓会が、一昨年あったんですが、皆にびっくりされました。伊藤は変わったなあって言われました。
 『人間は変わるものだ、変わる存在だ』と私は信じています。
 私は、成長するっていうことばは、あまり好きじゃないので、〈変わる〉と言います。人間が変わるのは、医療の世界で言われる、自然治癒力と同じようなものだと考えています。自分自身に備わっている変わる力が、誰かと出会い、ある出来事と出会い、それが響きあって、自ずと自分の中から力が湧いて、力が出て変わっていく。人間には、そういうものが備わっているのだと思います。

あなたはあなたのままでいい
 私が〈変わる〉出発地点に立てた話をします。
 『新・吃音者宣言』という本の中に、「初恋の人」という文章を書いています。私はそれまで人間が信じられなかった。親も教師も友達も信じられなかった。学童期、思春期と本当に孤独で生きて来た人間が、初めて他者を信頼できて、「ああ、人間って温かいなあ、信頼ができるな」と思ったのは、初恋の人との出会いでした。とってもすてきな女性で、その彼女と出会ったことが、私の一生を変えたと言ってもいい。だから私は彼女に今でも感謝しているんです。その彼女とは、偶然のきっかけで、36年ぶりに島根県の松江市で再会することができました。そのとき、「伊藤さんは、21歳のときにすごくどもりながら、一所懸命しゃべっている姿を見て、私もすごく力を得た」と言われました。私はすごくどもっていた時代を忘れていますが、彼女とは、36年間全く会っていないですから、私の21歳の頃を鮮明に覚えていたわけです。気持ちの持ち方、考え方も、もちろん変わったけれども、私のどもりの症状そのものも変わったと言えるようです。
 彼女とは吃音の矯正所で出会いました。9時から授業が始まるので、話ができるのはその前です。夏ですから、朝早く起きて、二人で学校の前の鶴巻公園で、毎朝、朝ご飯も食べないで授業が始まる前までしゃべってました。そこで初めて、今まで誰にも話せなかった、こんな嫌なことがあった、こんな嫌な先生やクラスの人がいた、家でも母親からこんなことを言われた、そのとき私はどんな気持ちだったかをいっぱい話をしました。彼女は、一所懸命聴いてくれました。人に話を聴いてもらうことが、こんなにありがたい、うれしい、ほっとすることか。どもる自分が大嫌いだったのが、どもっていることを含めて彼女は私を好きになってくれた。愛されていると実感できたときに、人間不信という硬い氷のような固まりが、すっと彼女の手のひらの中で溶けていくような実感がありました。人間は信じられると思えたのですね。
 吃音矯正所は全国にあって、どもる人がたくさん出会っているのに、どもる人の会は全く作られていない。私が初めて、セルフヘルプグループを作ることができたのは、彼女とのありがたい出会いと、それまでがあまりにも孤独で、人とふれ合いたいとの思いが、人一倍強かったからだと思います。
 彼女との出会いの中で得た、なんとも言えない安らぎ、ありがたさ、喜び、安心感。また、ひとりで吃音に悩んでいたと思っていたのが、同じように悩んできた、たくさんのどもる人との出会いは、とてもありがたいことでした。この喜びを知ってしまった私は、吃音矯正所を離れるとまた、21歳までの気の遠くなるような孤独な世界に戻ってしまう。これまでは、孤独でも生きてきたけれど、そうじゃない世界を知ってしまった以上はもうその世界に戻るのは嫌だと思ったわけですね。私の苦しみを分かってくれる同じような体験をした人達といっしょに手を繋ぎたい。それで、セルフヘルプグループを作ったのです。その原動力となったのは、その初恋の人との出会いでした。

基本的信頼感
 私は、エリクソンのライフサイクル論が好きなのですが、エリクソンが言うには、人間は心理的・社会的には、階段を上がるように発達していく。人生を8つの節目に分けて、その時期その時期に達成する課題があり、その課題をクリアしたときに次の段階にいくのだと言いました。最初の課題である基本的信頼感が、基本的不信感よりも勝ったときに、その時期の課題が達成される。私は親から愛され、基本的信頼感から、自律性、自発性へと進みましたが、学童期につまずいたわけです。
 学童期の課題は、劣等感に勝る勤勉性です。私は、勉強も遊びも何かの役割もしないで、逃げ廻り、全く勤勉性が達成されずに、劣等感ばかりが大きくなりました。だから次の段階、思春期の自己同一性の形成にはいかなかったのです。自分が何者か、これからどう生きていくのかがつかめなかったのです。その私が、初恋の人と出会って、自分を取り戻してもう一度階段を上がり始めることができたのは、私には乳幼児期の基本的信頼感が、クリアーできていたからだと思うのです。
 母親との関係が悪くなったのは中学1年生のときからです。私がどもりを治すために、一所懸命発声練習をしていたときに、母親に「うるさい! そんなことしてもどもりは治るわけないでしょ」って言われた。母親に対して、「何で僕がどもりを治そうと思っているのに、母親がそんなこと言うんだ」と泣きわめいていました。それから、母親に対する反発が生まれて、家出を何度も繰り返しました。母親への反発は、父親へ、兄弟への反発になっていった。その母親に対する強い不信感が後で取り戻せたのは、子どもの頃、母親から愛されたという実感があったからです。辛かった学童期を生きられたのも、人間不信に陥った私が、もう一度人間を信じるきっかけを作ってくれたのも、初恋の人との出会いを生かすことができたのも、母親への基本的信頼感だと思います。
 初恋の人と、10日間の出会いの最初の5日間、私は、ことばでいっぱい自分のことを話しました。そして、彼女が聞いてくれた。ところが、6日目あたりからはあまり話さなくなった。話さなくても通じ合える。話すことに疲れたり、話し尽くしたわけではないけれども、お互いが分かり合える世界になったのでしょう。公園で手をつないで、彼女の温かさを肌で感じながら、ベンチに座っているだけで十分だった。ことばだけの世界でなくても人間は、響き合い、通じ合える。これまで僕は、ことばだと思っていたけれども、黙っていても、お互いが愛し愛され、信頼できれば十分伝わるし、長い時間も過ごすことができるのだということが、この時に彼女との経験で分かりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/03

鴻上尚史さんとの出会い

 さまざまなジャンルの第一人者をお呼びして、ワークショップ形式の2泊3日の合宿で学んできた吃音ショートコース。たくさんの方がゲストとして来てくださいました。そして、その多くの人が、吃音ショートコースの場を、温かくて居心地のいい場所だった、いい聞き手がいてくれて話しやすかった、などと言ってくださいました。
 今日、紹介する劇作家・演出家の鴻上尚史さんもそのおひとりで、僕たちのワークショップをしていて、幸福だなあと感じられたそうです。そして、幸福な時間として、『ドン・キホーテのピアス』の8巻、『ドン・キホーテは眠らない』のあとがきの全てを使って、私たちとの出会いを書いて下さいました。「週刊スパ」のエッセーで、吃音ショートコースに参加して感じたことを4週連続で書いても、まだ足りないと書いて下さったものです。ここまで深い所まで、考えていて下さったのかと、読みながら、とてもうれしかったです。これまで吃音と無縁だった人々が関心を持って下さるきっかけとなることでしょう。
 『ドン・キホーテのピアス』の8巻、『ドン・キホーテは眠らない』のあとがきを紹介します。
 

  
あとがきにかえて
                              鴻上尚史


 ワークショップをやっていて、ふと、幸福だなあと思う瞬間があります。
 2002年の秋、ぼくは、日本吃音臨床研究会という団体が主催する合宿に、ワークショップをするために招かれました。
 「吃音」とは、平たい言葉でいうと、「どもり」ということです。代表の伊藤伸二さんは、「吃音ではなく、どもりと言って欲しい」と、軽くどもりながらおっしゃいます。「吃音」という言い方だけしかなくなったら、自分たちどもりの存在が否定されてしまうような気がするとおっしゃるのです。
 「ドン・キホーテ」シリーズでも、一度、伊藤さんのことは書きました。(「ドン・キホーテのキッス」参照)
 合宿の参加者は、ほとんどの人が、どもりの人でした。伊藤さんは、「どもりに悩むのではなく、どもりである自分を受け入れて、そして、表現を楽しもう」という狙いで、ぼくのワークショップを希望されたのです。
 ぼくはいろんなところでワークショップをしています。もちろん、時間がなくて、ほとんどの依頼は断るしかないのですが、それでも、なるべくいろんな人と出会おうとしています。未知な人と出会うことは、なにか、面白いことが待っているんじゃないかと思えるからです。
 が、どもる人のワークショップは初めてでした。
 そもそも、どもりは、隠された障害になりがちです。どもる人は、笑われ、傷つくことを恐れて、なかなか、人前で喋らなくなるのです。
 そして、そうなると、どもらない人は、どもる瞬間に出会うことが少なくなり、たまに出会うと、ただそれだけで、反射的に笑ったりしてしまうのです。
 そして、悪循環が始まります。どもる人は、笑われたから、ますます人前に出なくなり、どもらない人は、ますますどもる瞬間に出会わなくなる。
 自分の今までのワークショップを思い出しても、激しくどもってレッスンが進まなくなった、という経験はありませんでした。どもる人は、予期不安という「どもったらどうしよう。今は大丈夫でも、いつどもるかもしれない」という不安に捕らわれて、なかなかそういう場に参加しないんだと、伊藤さんは教えてくれました。
 一体、どんなワークショップになるんだろうと思いながら、「ま、なんとかなるだろう」と思うのも、いつもの僕のことで、合宿会場の滋賀県草津の会場に向かいました。
 琵琶湖近く、JRの草津駅に降り、タクシーに乗り込み、「お客さん、遠くからですか?」と運転手さんに話しかけられ、「あの、草津って、温泉があるんですか?」と素朴に聞けば、「あんさん、それは、群馬県でしょうが。ここは、滋賀県で温泉なんかあらしまへんで」と軽く突き放され、「そうでしたか」と答えれば「それでもね、1年に二人ぐらい、群馬の草津と勘違いした人が来ますわ。旅館の名前言ってね。そりゃ、あんた、遠すぎますわって答えます」と運転手さんは、楽しそうに答えました。
 会場に着いてみれば、参加者は60人ほど。7割近くがどもる人で、残りが教師・教育関係者の方でした。
 さて、ぼちぼち始めますか、と体をほぐしながら、様子をうかがいました。
 中年の男女は楽しそうな顔をしていますが、二十代の男女は、みるからに緊張しています。
 自分がなるべく発言しないようにしようと、身構えている雰囲気が伝わってきます。
 伊藤さんは、事前に、「年齢を重ねてくれば、だんだん自分の吃音とつきあい、受け入れられるようになりますが、思春期の男女は、それはもう、苦悩します。恥ずかしくて、こういう合宿に出るだけでも、大変な勇気が必要なんです」と教えてくれました。
 さて、じゃあ、軽くゲームから始めますか、と呼びかけてから、慎重に、特定の言葉がキーワードにならないようにゲームを進行し始めました。
 特定の言葉、たとえば「ストップ」が、ゲームのキーワードの場合、スがどもる人は、なかなか、気軽に参加できなくなるわけです。その場合、「とまれ」「待て」「フリーズ」「ちょっと!」などの言い換えの可能性を、さりげなく提示してゲームを始めました。
もっとも、これは、それが正解というわけではなく、僕が勝手に思ったことです。みんな、だんだん楽しそうになってきたので、「椅子取りゲーム」をすることにしました。
 円形に椅子に座って、一人が真ん中で何かを言って、該当する人が立ち上がって、別な椅子に移動するという、みんなが知っている「椅子取りゲーム」です。
 僕がやる「椅子取りゲーム」は、真ん中で言う時に、「自分に該当することだけ言う」というルールがあります。つまり、「朝、朝食を食べなかった人」と言えるのは、実際に「朝、朝食を食べなかった人」だけで、「盲腸の手術をしたことがある人」と真ん中で言えるのは、実際に「盲腸の手術をしたことがある人」だけということです。楽しくゲームをしながら、自己紹介と仲間作りも兼ねてしまおうというルールです。
 だって、「ラーメンがものすごく好きな人」と言って何人かが立ち上がったら、それを言った人も立ち上がった人も「ラーメン大好き」ということになりますから、後々、「おいしいお店を知ってる?」と会話が始まる可能性があるのです。
 僕は、「これなら、言葉を選べるから、どもる人も楽しめるんじゃないか?」と思って始めたのです。が、最初の人から、いきなり、どもり始めました。
「き、き、き、き、き、きのうのよ、よ、よ夜、お酒をの、の、の、の、」
 僕は、一瞬、しまったと思いました。
 ワークショップにおける最初のゲームの意味は、雰囲気作りです。「表現」のレッスンの前に、楽しく、リラックスした環境を作ることが最初のゲームの役割です。これが成功したら、ワークショップの5割は成功したと言っても過言ではないのです。
 が、最初で、いきなり、どもる状況を与えてしまった、さてどうしようと、僕は思いました。
 が、顔を真っ赤にして、どもっているその若者に対して、椅子に座った人たちから、すぐに「どうした!」とか、「分かんないぞ!」とか「なんだって!」とかの声が飛んだのです。
 言葉にすると、責めているようですが、そうではなく、それは、例えば、結婚パーティで、感謝の言葉を言おうとして、緊張してとっちらかってしまった新郎に対して、悪友達が、笑いながら「なんだって!」「どうした!」と突っ込む匂いと同じものでした。突っ込みの言葉が跳ぶたびに、軽い笑いが起こり、どもっている人は、苦笑いしながら、言葉を続けました。
 「の、の、の、飲んだ人!」
 と叫んで、どもった人は楽しそうに椅子に向かって走っていきました。苦笑いは、決して卑屈な笑いではありませんでした。どもる自分に対して、しょうがないなあという突っ込みの笑いでした。
 次に真ん中に立った若い女性は、いきなり、「ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、どもりの人!」と叫びました。そして、いっせいに、うわっとみんな、腰を上げました。
 僕は、圧倒されていました。
 真ん中に立つ人は、軽くどもったり、顔を真っ赤にしてどもったり、体全体をくねらせてどもったりしながら、次々といろんなことを言いました。
 それは、あったかい「椅子取りゲーム」でした。
 真ん中で言葉をだすことを楽しみ、楽しんでいる人を楽しみ、その言葉の内容を楽しみ、出した言葉に敏感に反応する、かつて経験したことのない、「椅子取りゲーム」でした。みんなが、真ん中でどもりながら話している人の言葉に集中しているのが分かりました。真ん中でどもっている人は、言葉を出すことを楽しんでいるのが分かりました。
 こんなあったかい「椅子取りゲーム」を僕は初めて経験しました。体に幸福な気持ちが漂ってくるのが分かりました。このまま、この幸福な時間を大切にしたいと感じました。
 が、僕は、ワークショップ・リーダーで、「表現」とはどういうことかを伝えにきたと思って、「椅子取りゲーム」を終わらせました。幸福な時間は終わり、好奇心に満ちた時間が始まりました。
 後から、伊藤さんにお聞きした所、ふだん、どもっている若い男女が、こんなふうに大きな声で、堂々とどもって叫ぶのは、めったにないことだとおっしゃいました。
 みんなどもっているから、自分もどもれると思ったのでしょうと、伊藤さんはおっしゃいました。仲間がいる、自分と同じことで苦悩している仲間がいる、そして、大きな声でどもってもいいから話せる、それが、「椅子取りゲーム」の幸福感の正体のようでした。
 「表現」のレッスンをしながらも、僕は、幸福な時間の余韻に浸っていました。そして、幸福な現場に立ち会えたことを、本当に幸せに思ったのです。(「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/12

私と『スタタリング・ナウ』5

『スタタリング・ナウ』100号記念特集 5 

 100号記念に、たくさんの方からメッセージをいただきました。前号に続いて、読者の皆様から私たちへの応援歌として、うれしくいただきました。こんなにいろんな分野の人が応援してくれていたのだと思うと、気持ちが引き締まります。ありがたいことです。


  
吃音を巡るX軸、Y軸、Z軸について
                     石隈利紀 筑波大学心理学系教授(茨城県)
 大変な思いで1号を開始され、それぞれの号に大会や研修会の案内や様子を盛り込みながら、100号に到着されたのですね。みなさんの熱意と体力のたまものだと思います。そしてひょっとしたら、「今回はこれでとりあえず凌こう」という柔軟なビリーフにも支えられたのではないでしょうか(勝手な推測でスミマセン)。定期的にメッセージを送り続けることは、相手への思いを贈り続けることですね。脱帽です。
 夏の「第2回臨床家のための吃音講習会」では吃音を巡る、X軸、Y軸、Z軸について議論されました。
 X軸は「話し手」の話すという行動に焦点を当て、Y軸は「聞き手」の聞くという行動に焦点を当てます。人の苦戦は、個人と環境の折り合いに影響を受けます。そこでは、聞き手は、話し手が話しやすいように、話し手と環境の折り合いがうまくいくように配慮します。そして、Z軸は話し手の自分の行動(吃音)についての態度です。ここでは、話し手が自分とどう折り合いをつけるかがポイントになります。
 X軸の吃音に対してのアプローチをどうするかについて、論理療法を活用して、Z軸から、X軸をながめてみるとどうでしょうか。

ゝ媛擦鮗す努力を否定する。(脱治療スタイル)
⊂綣蠅墨辰擦襪砲海靴燭海箸呂覆ぁ上手に話せるようベストを尽くす。でも上手に話せないからといって、私がダメ人間というわけではない。(マイベストスタイル)
上手に話せないことは不便だ。でも人生にはたくさんのことがある。吃音であるかどうかは関係なく、私は人生を楽しむ。(人生エンジョイスタイル)

 ´↓には共通して、「私は吃音である」ことを受け入れ、「吃音であることに人生を脅かされない」という柔軟なビリーフがあります。一方、´↓は、X軸に対するアプローチについては少しだけ異なります。
 (脱治療スタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえ、X軸へのアプローチにこだわることを否定しています。
 (マイベストスタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえているかもしれませんが、X軸と適度につき合う姿勢があります。
 (人生エンジョイスタイル)では、X軸を自分の生活の状況と幅広くとらえています。そして吃音を、X軸のたった一つの状況ととらえます。人生には、たくさんのできごとがあるからです。

 (脱治療スタイル)、(マイベストスタイル)、(人生エンジョイスタイル)は、それぞれに意味があります。人生の喜びをみつけ、柔軟に生きている人は、人生エンジョイスタイルを実践していると言えます。マイベストスタイルの人は、「話す」ことに工夫しながら、自分の中にある「私は上手に話すべきだ」というイラショナル・ビリーフに対処しています。このイラショナル・ビリーフがある程度あるときは、「上手に話せないからといって、私はダメ人間ではない」と自分に言い聞かせることは、適切だと思います。
 さて、脱治療スタイルは、どうでしょうか。もし自分が吃音への治療に長年こだわってきたとしたら、あるいは多くの人が吃音への治療にこだわっているとしたら、吃音の治療から自分を解放することが、第一の課題なのではないでしょうか。吃音の治療から脱出することは、吃音の治療に成功しなかったという理由で自分を責めることをやめることです。吃音の治療から自分を解放することで、自分を取り戻すことです。
 伊藤伸二さんは、論理療法にいち早く取り組んでこられました。(「論理療法」と意識する前から論理療法的な援助実践をされてきたようです。『論理療法と吃音』参照)。そして伊藤さんは、マイベストスタイルや人生エンジョイスタイルを多くの仲間に伝え、多くの仲間を支えて来られました。でも同時に脱治療スタイルを強調されるのは、多くの人が吃音の治療にこだわって苦戦している状況を何とかしたいと思っておられるからではないかと、思います。
 「吃音の治療へのこだわりを蹴飛ばすことから、自分の人生が始まる」…伊藤さんは、そう伝えたいのではないでしょうか。『吃音者宣言』には、自分が自分の物語の主人公になるという強い意志を感じます。

【吃音ショートコースでの伊藤との対談は大いに弾みました。どもりを考えるとき、論理療法は本当にぴったりです。楽しいひとときが素敵な本になりました】


  拍手代言
                            竹内敏晴 演出家(愛知県)
 毎号、ことばがひっかかることに、むき出しにあるいはひそかに苦しみ抜いて来た人が、同じ苦しみに悩む人に出会って語りあった時の、安堵、受け入れられた喜びが語られている―これが第一。
 聴覚言語障害だったわたしにとってひとごとでなく感じられると同時に、そういう体験がありえなかった自分を改めて考え直すこともあります。
 第二に、毎号の伊藤伸二さんのいつも熱意の溢れる文章。よくまあ毎回ネタがつきないなと感心するが、訴えたい、あるいは反駁したい事柄が詰まっていて、かれの明るいエネルギーに拍手を送りたい。
 どうか、ことばのひっかかりに悩む人々が、息深く、めげず、自分のことば、自分独自の語り方を見つけ出し身につけられるように、一歩一歩あるかれんことを。

【竹内さんとの出会いは、「吃音症状に対してではなく、声やことばのレッスンは必要だ」とする私たちを、理論的、実践的に支える大きな力となっています】

鴻上尚史手書きのメッセージ                       鴻上尚史 劇作家・演出家(東京)
 吃音ショーコースでは、僕自身、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。
 僕自身“表現するとは何か?”“お前は何のために表現するのか?”と問いかけた2日間でした。この経験は長く僕の中で、僕を支え続けてくれると思います。幸福な時間を過ごさせていただいて、ありがとうございました。

【私たちとは全く違った世界にいる人だと思っていた鴻上さんが英国留学という体験をして下さったおかげてとても身近な存在になりました】


  どもる人に会うとうれしい
                             芹沢俊介 評論家(東京都)
 子どものころどもる人がとても魅力的に映ったものです。身体障害者を身のこなしに独特の癖のある人というように考えた(子どもは放っておけば素直にそう考えます)のと同様、吃音の人を発語の仕方に独特の癖のある人だと考えていました。だから子どもの私は真似しようとしたものです。
 今もどもる人に会うとうれしくなります。大好きだった広沢虎造という浪曲師が次郎長伝のその外伝として武居のども安(安五郎)について「武居のども安鬼より怖い、どどとどもれば人を斬る」と語っていたのをラジオで聞いて育ったせいもあるかも知れません。
 清水次郎長よりもども安の好きな私は、伊藤さんにときどき「ども安」を感じ、にやりとします。

【「吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と、週刊エコノミスト(毎日新聞社)の書評欄で、『新・吃音者宣言』を紹介して下さいました】


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/22

鴻上尚史さんとの濃密な時間 3

 今日は大晦日。2023年の最後の日です。改めて、早かったなあと思います。年々、時が経つのが早く感じられるのは、年齢を重ねてきた証拠でしょうか。残された時間が限られたものであることを自覚しながら、誠実に丁寧に日々を過ごしていきたいと思っています。
 このブログ、Twitter、Facebookなどを通じて、今年も発信を続けてきました。読んでくださった方、本当にありがとうございました。読んでくださる人を意識しながら、今後も書いていきます。新しく始まる2024年も、よろしくお願いします。
 今年最後は、鴻上尚史さんをゲストに迎えた吃音ショートコースの報告のしめくくりです。参加者の感想を紹介します。

吃音ショートコースをふりかえる
 最後のプログラム、みんなで語ろうティーチインが始まった。参加者全員がまるく輪を作ってすわる。ひとりひとりの顔がよく見える。この吃音ショートコースに参加しての体験をひとりひとりが語っていく。ひとりが語り終わったら、次の人を、「〜の時大笑いしていた○○さん」などと、名前の前に自分らしい紹介のための形容詞や副詞をつけて指名する。その形容が、今回の吃音ショートコースをふりかえることにもつながった。ああ、そんなことあったよなあ、そうそう、こんなこともしたよなあ、と場面が鮮やかによみがえってくる。あのとき言ったことばを覚えてくれていた。あのときしたことを見てくれていた。そんなひとりひとりのつながりが見えた時間ともなった。
 帰途につくマイクロバスに手を振りながら見送る。疲れてはいるけれど、満ち足りた思いである。また、来年!!

 吃音ショートコースに初めて参加されたお二人の感想をご紹介します。

  心が太って、元気になりました
         神奈川県・横須賀市立諏訪小学校ことばの教室 鈴木尚美
 吃音ショートコースの3日間は、自分でも驚くほど明るく笑顔に満ちたものでした。
 この吃音ショートコースに私が参加し、心が満たされ、ここにこのように感想を書くなどということは、その一月前まで思ってもみないことでした。
 8月に大阪で行われた『臨床家のための吃音講習会』に参加したのは、ことばの教室の担当者として、吃音の子どもたちの指導について、いろいろ迷っていたからです。講習会で講師の方々の講演や成人のどもる人の生の声を伺い、私の中の“吃音観”とでもいうものが変わっていきました。それは、戸惑いを覚えるほどの大きなものでした。けれど、それだけなら、多分、私は吃音ショートコースに参加はしていなかったと思います。
 8月のその時期、私はものすごいストレスの中で、身も心もやせ細っていました。それを処理できないままに参加したのでしたが、「Z軸へのアプローチ」の伊藤伸二さんの講義を聴いているうちに、吃音ではなく、人生とでもいう深い部分で私に響いてくる温かなものを感じました。そこで出会った伊藤さんのことばのひとつひとつは、傷ついた私を、“自分らしく生きればいいんだよ”と、温かく包んでくれるものでした。ストレスの具体的な話はしないままに、私は講義の直後に伊藤さんに話しかけていました。その時本にサインして下さった、“あなたはあなたのままでいい。あなたはひとりではない。あなたには力がある”のことばに涙がこぼれました。
 その後、伊藤さんにお手紙を書く形で、それまで目をそむけていた事柄と向き合い、自分をみつめて考え、整理することができ、ストレスから一歩踏み出すことができました。そして、そのお返事で、吃音ショートコースに誘っていただきました。“ぜひ、参加されませんか。いい人たちが集まりますよ”の一言に参加を決めた私でした。そして、翌日には、申し込みをし、新幹線の切符を取りました。
 栗東駅で、マイクロバスに乗り込んだときには、まだ緊張していた私でしたが、日赤りっとう山荘の玄関で、スタッフの方が笑顔で迎えて下さいました。その明るく温かな空気に触れたとたん、一気に緊張がほぐれて、自然に私も笑顔になりました。
 「出会いの広場」のゲームや、鴻上さんのレッスンをする中で、参加されている全員の方とことばを交わし、一緒に体を動かし、触れ合って、笑い合いました。私は、“人と人が知り合い、仲良くなるって、こういうことだなあ”と思い、“人間て、何て温かくて柔らかい存在なのだろう”と感じました。
 こんなに多くの吃音の方たちと一緒に過ごしたのは、初めてだったので、少々戸惑いもありましたが、一緒にいるうちに、自然に話しかけ、どもったのを聞いている私でした。この3日間で、吃音について、頭の知識だけでなく、皮膚を通してしみてきた感覚として理脾することができてきたように感じています。
 最終日の鴻上さんと伊藤さんの対談のとき、吃音の方からの質問に、鴻上さんが、「んー、…どうするかなあ…」と言いつつ、経験の中から、いくつもいくつも例を挙げて答えるのを見て、鴻上さんの世界の豊かさを感じ、私も、あんなふうにたくさんの選択肢をもてる人間になりたいと思いました。そして、ことばの教室に通級して来る子どもたちに、明るく、「こういうのも、どう?」(大阪弁なら“どや?”と言うのをコミュニティアワーのとき習いました)と声がかけられる先生でありたいと思いました。
 吃音ショートコースに参加した後、私のところに通級してくる吃音の子(小学5年生)と、力まずに吃音の話をすることができました。
 「○○君のように、ことばを繰り返したり、つまったりする話し方を、どもりとか吃音と言います」
 「吃音の人は、どこの国でも人口の1%いて、日本では人口が約1億人なので、約100万人います」
 このような情報を伝えました。これは、その子が知りたいと思っていたことだったようで、いつもなら絵を描いても、「先生にあげる」と持ち帰らないのに、それを書いた紙を丁寧にたたんでポケットに入れ、帰りがけにお母さんに見せていました。うれしい光景でした。
 吃音ショートコースに参加していなければ、吃音について子どもと話し合う必要性は感じても、躊躇してしまい、話をすることができなかったと思います。それが力まずにできたのは、私のためにも、通級してくる子どもたちのためにも、参加してよかったです。
 温かく優しい方々に囲まれ、ゆったりと学ぶことができた3日間で、私は心が太って、元気になりました。
 そして今、来年も参加したいなあと思っています。

  割り切れなさと共に生きる
               東京都・湘南病院精神科デイケア勤務 松平隆史
 「松平さんってどもりなんですよね〜」
 「そうだよ!!」
 吃音ショートコースから帰ってきた翌日、職場でこんなやりとりがあった。私は病院の精神科ディケアという部署で働いているが、ある若い男性患者さんから言われて私は勢いよく明るい大きな声でそう答えた。
 吃音ショートコースに参加してその勢いが余韻として残っていたこともあるが、以前の私だったらおそらく違った反応をしていたと思う。バツが悪そうにお茶を濁していたか、ちょっと卑屈に笑ってごまかしていたか…。患者さんのほうも少しビックリした様子だったが、何も考えずに思わずそういう言葉が口から出た私の方も意外だった。
 今回、私は初めて吃音ショートコースに参加した。吃音に関するグループに参加するのも全くの初めての経験だつた。それ自体も私にとっては一つの大きな変化だと思う。昨年、伊藤伸二さんの『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の本を読み、自分のこれまでの経験や思いなどをふり返って、心の中でモヤモヤしていたものがだいぶハッキリした感じがした。また、吃音に関して正面から向き合うことを避けてきた自分がいることを再認識した。「どもっていては半人前」「他の普通の人のようになめらかに話すことのできない自分」ということを意識して劣等感を持っていたし、自分の思いをうまく他人に伝えられないもどかしさや周りの人から取り残される感じを抱いていた。何とか少しでもどもらないようにと、吃音とは「闘う」ような気持ちだったし、そういう姿勢だった。
 今回ショートコースに参加して、その明るさ、さっぱりした雰囲気が私にはとても心地よかった。また、多くの人と出会えて話が聞けたことも大きな収穫だった。本当に世の中にはいろんな人がいで、いろんな生き方があるのだと思った。私のこれまでの狭い視野では、まさか吃音の人で言語聴覚士をやっている人がいるとは思いもよらなかった。
 吃音はたしかに日々の生活の中で「不便さ」を感じることも多いが、吃音もその人の持ち味の一部であってすべてではない、表現はその人によっていろいろ違いがあっても良いのだと思えるようになってきた。人としての幅を広げ、懐を深くしてゆくこと、土壌を豊かにしてゆくことが大切なことなのだと思う。結局は、「自分は自分なりにどう生きていくのか、どのように生きていきたいのか」であり、それは吃音があってもなくてもすべての人にとって共通するテーマに行き着くのだと思う。
 以前の自分は吃音ということで縮こまる傾向があったし、今も常にその葛藤の中にいると言っても過言ではない。でも、それで縮こまってばかりではせっかくの人生もったいないし、あまり何事もない人生よりも、失敗や後悔を重ねながらもいろんな経験のある人生のほうが良いのだと、今回の吃音ショートコースに参加してその思いがより強くなってきた。
 ショートコースの2日目、伊藤さんお二人(伸二さんと照良さん)の会話のやり取りで“吃音のかけあい”(失礼!?)を見ていて、何かベテランの名人の漫才を見ているような気がした。円熟味のある、その人にしかできないかけがえのない芸とでも言うか…また、鴻上さんのお話も魅力的だった。ユーモアを忘れずに、良い意味で自分を突き放して自分のことをとらえるというのはなるほどな、と思った。
 そして、吃音を受け容れること=受容について、そんなにあっさりカンタンに受け容れられたらウソじゃないか、とも思うことがある。それは精神障害や他の障害についても言えることなのかもしれないが、それぞれの人のペースや道のりがあり、ある程度時間を費やして、いろんな経験や思いをしながらじっくりと受け容れていくものなのではないだろうか。そういった意味で、私はまだ割り切れていない。吃音ショートコースが終わって、今また日々の生活を送っているが、吃音に関してはやっぱり一筋縄には行かない。どもっている自分が恥ずかしいとも思うし、「どもりじゃなかったらなあ〜」なんて思いも正直言ってある。でも一方で、何でもかんでもどもりのせいにしていては自分自身が前に進んで行かないとも思う。
 そういった割り切れなさを抱えつつも、吃音と付き合いながら日々生きていきたい。その、イメージとしては“自分の中にいる居候”、いや“同じ寮仲間”というか“親友”“悪友”みたいな感じで自分の吃音と付き合っていければ最高なのでは、とも思う。泣いたり笑ったり、時にはケンカしたり、文句や愚痴も言い合いながら。でも、私の場合はそうなるまでにはまだまだ時間がかかりそうかなあ……若いし!?(笑)

【おまけ】精神障害の分野の本ですが、「べてるの家の『非』援助論」(浦河べてるの家、医学書院、2002年、2000円)という本はオススメです。“諦めが肝心”“昇る生き方から降りる生き方へ”“そのまんまがいいみたい”“弱さを絆に”“「超えるべき苦労」と「克服してはならない苦労」とをきちんと見極めて区別する”などなど、面白いテーマがいろいろ書かれています。よろしければご一読を。吃音に関して考える際にも、何かヒントとなるかも??
 (「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/31

鴻上尚史さんとの濃密な時間 2

 これまで吃音ショートコースのゲストとして来ていただいた講師は幅広く、ジャンルも多岐にわたりますが、どの方にもひとりひとり印象に残るエピソードがあります。鴻上さんのサンドイッチの話はおもしろく、20年以上経った今でも、サンドイッチを食べるたびに「このサンドイッチはうまいねえ」と、鴻上さんのことば、言い回しが口をついて出ます。こんな些細なこと、誰も覚えていないだろうなと思いつつ、僕はひとりであのときのことを思い出しているのです。

鴻上さん、登場
 さあ、今年のショートコースのメインが始まる。まずは伊藤が1998年の青森での日本デザイン会議での鴻上さんとの出会いを語り、講師紹介に代えた。
 人なつっこい顔の鴻上さんの登場である。鴻上さんは、“こえ”と“からだ”で“表現”にたどりつけたらいいかな、と話し始められた。表現をその人のレベルで楽しんでもらえたらいいとおっしゃった。
 「やりますか。まずからだを動かしてみましょう」との呼びかけに、椅子を部屋の隅に寄せて真ん中が広くなった。ゆっくり自分のからだと対話をしながらのストレッチから始まった。魔法をかけられたように、その後は、鴻上さんのリードで参加者が笑いの中で、声を出し、からだを使い、どんどん動いていく。
 たくさんしたワークの中からいくつか紹介しよう。

◇みんなが椅子に座る。空いている椅子がひとつある。鬼がひとりいて、その空いたいすに鬼は座りたいと思っている。椅子に座っているみんなは、鬼に座らせないように空いた椅子に移動していく。鬼はひざの間にハンカチをはさんで移動する。
◇みんな椅子に座る。鬼がひとりいて、その鬼は、例えば「吃音ショートコースに参加するため、新幹線に乗って来た人」など、自分のことを言って、そのことばに合う人が、移動しているときに空いた椅子に座る。遅れて椅子に座れなかった人が次の鬼になる。フルーツバスケットと呼ばれているゲームだが、自分に関することしか言ってはいけないというところがとても新鮮で、おもしろかった。
◇ウィンク殺人事件。りっとう山荘がどか雪にまみれて外に出られなくなる。救助は来ない。この中に殺人者が複数いるらしい。殺人者はウィンクをして殺す。みんなは三々五々歩いて、ウィンクされたら、心の中で10数えながら歩いた後で、なるべく大袈裟に「ワー!!、ギャー!!」と叫んで死ぬ。すぐに叫んだらこの人が殺人者だと分かってしまうからだ。歩く人は、ただ殺されるのはくやしいので、複数いる殺人者を探す。すれ違いざまに小さい声で「あんたでしょ」と言う。もしそうだったら、殺人者は正直に「ばれてしまいました」と言って死ぬ。殺人者でない人を間違って「殺人者でしょ」と言った人は、とても失礼なことを言ったので、10数えて「ワー!!、ギャー!!」と叫んで、自殺する。殺人者は全員を殺すことが目的。みんなは殺人者をみつけることが命を守ることにつながる。まれに殺人者同士がウィンクをすることがあるので、そのときは先にウィンクした方が勝ち。「殺人者なのに殺されました」と言って死ぬ。
 鴻上さんが殺人者を決めた後は、一切喋ってはいけない。このりっとう山荘に響くのは、殺されたときの叫び声だけ。歩き初めてすぐ、誰かの「ギャー」という叫び声がする。えっ、誰?わあ、何?という声があちこちで聞かれた。死体の山ができ、歩いている人が少なくなっていく。おもしろい、おもしろい。

鴻上さんも輪の中に
 午後10時からのコミュニティアワーには、鴻上さんも入って下さって、昨晩にも増して盛り上がっていた。鴻上さんが、用意していたお菓子を足りないところに配って歩いたり、部屋の隅っこにぽつんといる人に声をかけ、話の輪の中に入れるように心くばりして下さっている。さりげないその行動がなんとも言えず温かい。若者たちとの恋愛談義は白熱していた。講師がこうして参加者の中に入って夜遅くまで付き合って下さるところに、吃音ショートコースのアットホームな良さがあると私は思っている。「夜は強いけど、朝は…」とおっしゃっていた鴻上さん。大丈夫かなあと思いながら、気の弱い私は、なかなかお開きの声がかけられなかった。意を決して、声をかけたのは、午前2時前だった。

英語との格闘はどもりに似て
 翌日、もう最終日である。散歩に出掛けた人もいるようだが、全体的にとても静か。みんな起きてるのかなと思うほどだった。
 午前は、鴻上さんと伊藤の対談。爆笑につぐ爆笑。楽しい話の中に、吃音に悩む人たちへの優しい共感と、応援が込められていた。どもる人が何とかヒントをつかみたいとする質問のひとつひとつにも、丁寧に答えて下さる鴻上さんの誠実さがあふれている時間だった。すらすらとではなく、考え考えしながら、役に立ちそうな例をいくつも出して下さる。その話し方がとても心地いい。今、まとめるためにテープを聞いてみると、伊藤伸二のどもりが移っていくのか、鴻上さんもどもっていると思われるところが何カ所もあるのが楽しい。
 対談は、2002年度の年報で紹介する予定である。時間がなく、鴻上さんの校閲をうけないままに、整理はされていないままだが、予告編だと許していただいて、ひとつだけ紹介しよう。

 『伊藤さんと最初にお会いしたのが、イギリスから帰った後だったというのは、すごくよかったと思うんです。イギリス留学体験は、『ロンドンデイズ』という本を書いて、小学館から出しているので、もしよかったら買って読んで下さい。昨日は、夜遅くまで、いろんな人のどもりの話を聞いて、どもりのいろいろ事象とか、自分の名前を言えなくて、笑いが起きたとかいうのは、英語を喋れない僕が、英語圏で経験してきたこととよく似ていると思いました。
 アメリカ人もイギリス人も英語をしゃべる国の人は、世界中の人間が英語をしゃべっているので、しゃべれて当然だと思う。あちらの旅番組で世界中を旅するレポーターたちは、現地の人に英語で何のためらいもなく話しかけ、通じないと、「何だよ」という顔をする。「世界言語である英語を、お前、しゃべれないのかい」という顔で。その確信に満ちた優越意識っていうのは何だろうと思う。
 そういう前提がある英語世界で学ぶということは、僕はどもらないけれど、どもる人が自己紹介で起きてきたのと同じようなことが起こるわけですね。
 自己紹介をすることで笑いが起きる。自己紹介が終わった後ですごくみじめな気持ちになって、今後集団の中に入れるのかどうかに悩むというようなことを僕は全く経験をしたことがないまま、イギリスに行った。
 欧米の人たちは、ことばが稚拙だと脳も稚拙だと思う。だから、多分、どもってうまく言えないということは、知能や人格も一段低くみられてしまうこともあるのでしょう。
 僕なんかも、授業でぱっと当てられたときに、どう言えばいいのか、もちろん分かっているんだけど、英語でそれをどう表現していいのかがよく分からない。そうすると、困る。発音にしても、日本人ですから、LとRの違いとか、BとVの違いで苦労する。ある時、「日本語は、全部のことばに母音がついているんですよ」と言おうとした。母音は、バウエルという、Vなんですけど、Bの方は内臓(腸)という意味がある。そうすると、「日本語には全部内臓がついている」ということになる。当然、笑いが起こる。なんで笑われているか、言った本人には分からない。宿舎に帰って辞書をひいて、ああなるほど、Vは母音だけど、Bは内臓なんだなと、後で分かる。
 最初の話に戻りますが、僕は、生きていく中のルールとして、暗黒面にフォーカスを当てないんだということを常に思っています。暗黒面の力はとにかく強大なので、そっちにフォーカスを当て始めると、ほんとにその世界の住人になってしまうからです。笑われるんだけども、何か言わなきゃいけないという、闘いをずっと1年繰り広げてきて、結局、ネイティブの英語のスピーカーじゃない分、ずっと違和感は残る。どんなに流暢になりかけたといっても、なりかけてもなかったですけど、違和感が残る。そのことばに裏切られたり、ことばにつきあったりしながら、でもそれしか手段がないわけだからどうしても言語とつきあっていかなきゃいけない。いろんなテクニックを駆使しながら生き延び、闘ってイギリスから帰ってきた。
 その後だったので、青森での日本デザイン会議のシンポジウムの時の、伊藤さんの話がすごくよく分かったわけです。イギリスに行く前にお会いしてたら、「ああなるほど、多分そういうことがあるんですね」、という他人事の世界で終わってたと思うんです。
 例えばね、みんながサンドイッチをもって、昼食で、庭に集まったりするときは、もう気持ちは戦場なわけですよ。昼休みなんだけど、僕にとっては一番闘いの時間。だって、授業中は黙ってれば、待ってればいいわけですから、それこそ、分かっててもうまく英語で言えないときは、「I don't know」とかさ、「I have no idea」とか言っときゃ済むわけだけど、昼休みとかはやっぱりサンドイッチを買うときから、格闘が始まるわけです。「くそっ、ここで、ここでひとりで隅っこで食うのもくやしいな」と思う。しかし、コーヒーとサンドイッチをもって、中庭に行くと、そこには英語の速射砲の機関銃の嵐が待っている。
 「どうしよう」。自分で体調とか整えて、トイレの中で、例えば、「オレは疲れているけど、君はどう?」とか、想定問答をつくって、「よし!」と思って行く。休みでみんなは、にこにこしているのに、僕ひとりがこんないきり立った目付きで行くとやっぱり、そこでもうおかしいわけだから、「気持ちは、はいはい、もっと楽に、楽に」とか自分に言い聞かせながら、せりふをコントロールしながら、座るわけです。
 その昼休みの格闘の中から編み出したのは、とにかく初期のうちに、一回声を出すことで参加しておけばいい、と。後半は、だんだん話は複雑になって、何言っているのか分からなくなるわけですから、そこはもうにこにこしておくしかない。ずうっとにこにこしていると、本当に一言も口をきかない奴になるので、最初のうちが勝負です。最初の会話の3分、「みんな集まったねえ」。「いい天気だねえ」。「今日のサンドイッチはうまいねえ」と、一言でいい。一言でも発しておくと、周りには、一応あいつはこの輪で楽しんでいるんじゃないのという印象を与える。
 とにかく、最初にいく。なにかで出遅れてしまって、もう輪が始まってしまって、3分くらいたったとしたら、しょうがないから、今日はもうあきらめて、目立たない所で一人で食おう、と。次の日は、早めに中庭で待ってよう』

 このサンドイッチの話は、どもる人が自己紹介をして、笑われたときのことと似ているなあと思う。授業中は黙っていればいいけれど、休み時間や、あるいは遠足や運動会などみんなが楽しんでいるとき、どうその場を過ごせばいいのか悩んだのを思い出した人も多かっただろう。
 その他、鴻上さんのロンドンでの留学体験は、ことばという共通の悩みをもつ者の体験としてうなずきながら、笑いながら、聞くことができた。(「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/30

鴻上尚史さんとの濃密な時間

 2002年秋、滋賀県のりっとう山荘で、吃音ショートコースを開催しました。ゲストは鴻上尚史さん、テーマは「演劇に学ぶ自己表現力」でした。テレビで見る鴻上さんがすぐ近くにいるという空間の中で、楽しいエクササイズに取り組み、表現について真剣に考えた3日間でした。詳細な報告を紹介します。僕との対談は、年報に収録しましたが、残念ながら、その年報の在庫はありません。

2002年 吃音ショートコース 2002.11.2〜4
      〜演劇に学ぶ自己表現力〜
                       溝口稚佳子


 今年の吃音ショートコースは、劇団サードステージを主宰する劇作家・演出家で、コラムニストでもある、鴻上尚史さんをゲストにお迎えし、自分の魅力を演出するちょっとしたヒントを体験するワークショップを行いました。
 参加者は、総勢58名。四国や関東地方からもたくさん参加して下さいました。一番遠くからの参加者は、秋田県からでした。下は6歳、上は70歳を越える参加者が思い思いに自己表現について考えた、楽しく充実した3日間でした。鴻上旋風が吹いた3日間をふりかえってみます。

さあ始まるぞ!

 りっとう山荘は、秋の真っ只中にあった。一気に冷え込みが厳しくなって、山々は紅葉が鮮やかだった。この会場で開く吃音ショートコースは今回で4回目。今年もまた職員の阪口さんに気持ちのいい出迎えをしていただいた。
 毎日、仕事でぎりぎりの生活をしているため、会場に着いてからいつものように、資料集の製本を始める。この作業をしながら、これから始まる吃音ショートコースへの心の準備ができていく。初めての参加者の顔を想像しながらの作業は毎回のことながら、わくわくどきどきさせてくれる楽しいひとときである。
 温かく迎えようと、受付にすわったとたんに、マイクロバスが到着。1年ぶりのなつかしい顔に思わず顔がほころぶ。少し緊張した様子の初参加者のひとりひとりと、ひとことふたこと声を交わして、いよいよ今年も吃音ショートコースは始まった。
 出会いの広場。今回は、3回目の参加の愛知県のことばの教室の木本純さんが昨年から担当を申し出ていてくれた。木本さんは、初めて参加したときに、翌年の発表の広場で発表することを予告し、実際に発表した昨年には、今年の出会いの広場担当を申し出てくれたのだった。参加者の心をときほぐしながら、リードしていく、ごきぶりジャンケンは大いに盛り上がった。
サイコロトークでは、「家族にも言えないここだけの話」にサイコロをふった人は、こんなこと話していいのかなあと思うような自己開示をすでにし合っている。初参加者の多い今回、特にこの出会いの広場のもつ意味は大きい。声を、からだを使い、マイクロバスから降りてきたときの緊張した顔とは全然違ういい顔に皆がなっていた。

由緒正しきどもり
 夕食をはさんで、どもる人のための吃音臨床講座と、臨床家のための吃音臨床講座が同時に開かれた。
 どもる人のための吃音臨床講座は、大阪スタタリングプロジェクト会長の東野晃之さんが担当。大阪吃音教室の開講式でよくする自己紹介ゲームから始まった。
 「親戚にどもる人がいるか」という問いに、400年前から吃音の家系が続いているという、吃音の由緒正しき人がいてみんなびっくりした。
 四国から今回初参加の丹佳子さんで、その地方の民話『丹民部(たんみんぶ)さん』として残っている。勇将丹民部守がくんずほぐれつ上になり下になり鎧兜をつけて闘っているとき、家来が到着する。「殿は上なりや、下なりや」と聞いたが、丹民部守はどもって言えない。組み伏せられていた敵は「下じゃ下じゃ」と言い、家来は上にいた丹民部を槍で刺し殺してしまった。その丹民部守を祀る神社が、どもりの神様として知られ、足を病む人もお祈りする、『丹民部さん』となっている。
 その他、苦手な音や苦手な場面、他者に自分の吃音のことを話したことがあるかどうか、などさまざまな質問に場所を移動して答えていく中で、しだいに打ち解けあっていく。後半は、今回のテーマである自己表現に焦点を当て、どもりながらも、表現力を育てるため何をしているか、何ができるかなど、小グループに分かれて話し合いをもった。
 臨床家のための吃音臨床講座は、日頃のどもる子どもの臨床で困っていることなど、各地のことばの教室の実践や事情が話され、今後どう子どもと向き合っていくか、休憩するのも惜しいくらい充実した話し合いが、10時まで続いていた。吃音症状にとらわれない、子どもが吃音と向き合う取り組みをしている仲間が、実際にいることは心強いことのようだ。

おしゃべりなどもる人たち
 午後10時からのコミュニティアワー。会場となった106号室にぞくぞく人が集まってくる。積み重ねられたスリッパの山は、ちょっと気味悪いくらいだ。これだけしゃべることがあるのだろうかと思うくらい、みんなよくしゃべる。どもる人は無口、なんて思っていたら大間違いである。いつのまにか、12時をとっくに回っている。いつも心を鬼にして「さあ、そろそろ寝ましょうか」と声をかける。そういえば、今年の吃音親子サマーキャンプでも、中学生以上の子どもたちは、夜遅くまでしゃべっていた。階段の踊り場で、ろうかのすみっこで、ほかの人のじゃまにならないよう気をつけてひそひそと話し続けていたことを思い出す。話しても話しても吃音についての話題はつきない。大人も子どもも一緒だなあと思う。心の奥底まで話すことのできる出会いをうれしく思う。
 私は、ちょっとしたハプニングで宿直職員の大矢さんと真夜中の散歩をした。ぎりぎりに車で帰った人を送っていったのだ。懐中電灯を持っていくのを忘れて、真っ暗な中を歩いて宿舎まで帰ってきた。星空はきれいだった。こんなにたくさんの星を見たのは久しぶりのことだった。

やっぱり発表の広場は素敵な時間
 11月3日、午前の部は、発表の広場から始まった。トップバッターは野村貴子さん。今夏、行われた臨床家のための吃音講習会のときの実践発表が好評だったので、吃音ショートコースでもと、お願いした。大阪吃音教室に来るまでのこと、吃音教室初参加の日がちょうどNHK『にんげんゆうゆう』の収録の日で、最後にその日、「どもってもいいかなと思えた」と発言した人である。あのテレビに出ていた人と覚えている人もいて、ちょっとした有名人だ。毎週金曜日の吃音教室だけでなく、吃音親子キャンプや吃音ショートコースに参加し、「どもってもいい」をシャワーのように浴びて、今、楽に楽しく生きて、来年結婚をする。それらの体験を話して下さった。
 次は、堤野瑛一さん。初参加の堤野さんはどもり始めたのが、高校2年生。芸大受験のためピアノに没頭し、入学希望の大学を、自己紹介などでつまづいて中退する。その辛い経験を淡々と話して下さった。タイトルが「新しい道を歩き始めて」とあるように、今、大阪吃音教室に毎週欠かさず参加し、新しい、自分の生きる道を確かに歩き始められたようだ。
 次は、大ベテランの伊藤照良さんに、伊藤伸二がインタビュー。小さいころのこと、吃音を否定的にとらえていた両親との関係、仕事のこと、結婚のこと、どもる人のグループの活動のことなど、ふたりの掛け合いがおもしろくて会場は笑いに包まれた。なんといっても、両伊藤の楽しそうに、派手にどもる、どもりの応酬はどもり合戦のようで楽しい。どもっているのも悪くないよということを実践していてくれるようだった。
 サマーキャンプの報告は、キャンプ初参加の神戸のことばの教室・桑田省吾さん。『スタタリング・ナウ』先月号で報告して下さった活字とはまた違う、桑田省吾さん個人を全面に出した率直な報告だった。
 最後に、伊藤伸二が夏の講習会の報告をかねて、そのときの大きなテーマである『ジョンソンの言語関係図』について話した。Z軸へのアプローチについて、Z軸へのアプローチは、日常生活を大切に生きることだけを心掛けることで、誰でもができる易しい道だと、親鸞の歎異抄をもとに話した。
 これらの、真剣に吃音と向き合う時間は、午後から始まる特別講師、鴻上尚史さんの『演劇に学ぶ自己表現力』への確かなプロローグとなった。

 発表の広場の終わり頃に、鴻上さんが会場に到着された。ふらりと近所に立ち寄られたという感じで会場に入ってこられた。昼食をとりながら、簡単に打ち合わせをした。とにかく「お任せします」である。(「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 223/12/29

同じような体験

 今日は、12月28日。今年も残りわずかとなりました。大阪吃音教室の仲間との忘年会を終え、来年1月の初仕事である、岩手県の県大会での講演の準備をしています。
 「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99 の巻頭言「同じような体験」を紹介します。
劇作家の鴻上尚史さんを講師に迎えて開催した2002年の吃音ショートコースの直後に書いたものです。その余韻にあふれたものになっているなあと思います。

  
同じような体験
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 楽しい、奥深い、別世界にいるような空間だった。
 参加者のひとり、ことばの教室の教師が、「このような世界が今の日本にあることが奇跡に近い」と書いた。
 吃音ショートコースの最後のセッションの体験の分かち合いの時間が温かい。紅葉が窓一杯にひろがっていたのに、もう寒くなった外気と、参加者の熱気で窓がどんどんくもっていく。 どもる人も、どもる子どもの臨床に携わる人も、またそのどちらでもない、ひょんなことから知り合った吃音に全く関係のない、この私が参加してもいいのかと迷いながらも参加した6人も、きっちりと一つの輪の中にいる。この深まりは、一番最初に発言した初参加の若い女性のことばが、最後まで余韻として残っていたこともあるのではないか。
 自分のしたい仕事を学ぶために入った専門学校なのに、どもる苦しさから、将来をあきらめて中途退学してしまった。こう語った後、「もう一度自分のしたいことに挑戦します」と、皆の前で決意表明をした。そしてふりかえりカードにこう書いていた。
 「最後に『あきらめない宣言』をしてしまった自分に正直驚きを隠せないでいます。とんでもないことを口にしてしまった・・と。でもまあなんとかなるか」
 2日目の体験発表では、同じような体験をしている青年が発表した。音楽をしたくて、必死の努力でせっかく入った芸術大学を、どもることの辛さから、中退し、吃音を治さなければ人生はないと思い詰めた。その時、大阪吃音教室を言語聴覚士から紹介され2度参加したが、趣旨が違い行く気にはなれない。必ず治すのだと3年間治療機関をあちこちさまよった。結局は治らずに、大阪吃音教室で、新たな一歩を踏み出した。この青年の体験と触れたのだろうか。もうどもる達人としかいいようのない、はでにどもりながら、言語聴覚士としてとてもいい仕事をしている人が自らの人生を語ったことが、彼女の後押しになったのだろうか。
 真剣に吃音と向き合う時間と、鴻上尚史さんのワークショップで楽しく走り回り、相手に身を委ねる心地よさ、夜遅くまで酒を飲みながらでも全ての話がどもり一色になる喜びや楽しさのなんともいえないバランスが、「奇跡のような空間」なのだろう。
 人が人と出会う。これも奇跡としかいいようがない。1998年、青森で開かれた日本デザイン会議での鴻上尚史さんとの出会いも、その時期が奇跡的だった。
 「もっと前に伊藤さんと出会っていたら、『なるほど、どもる人はそのようなことで苦しんでいて、大変なんですね』と、第三者的な理解に終わっていただろう。ところが、1998年は、イギリスの留学から帰った直後で、英語が話せて当たり前の世界で、話せない人間がいかにサバイバルしていくか体験した後なので、自分のこととしてよく分かった」
 最終日の鴻上さんと私の対談は、同じような体験をした者だからこそ、共感し、大笑いし、なるほどと納得できる。どもる私たちへのヒントがたくさんあった。
 セルフヘルプグループの意義が論文・書物などで説明されるとき、「同じ体験、共通の体験をしてきた者だから分かり合える」とよく説明がなされる。私もこれまではあまり意識することなく使ってきた。しかし、最近は、この「同じ体験」「共通の体験」に違和感をもつようになった。セルフヘルプグループについての私の文章では、意識して使わなくなった。今回、鴻上さんと対談してなぜそのように感じるようになったかがよく分かった。英語圏で経験した鴻上さんの体験と、どもる私たちが日常的に経験することは、同じ体験でも、共通の体験でもない。しかし、同じような、よく似た体験とは言えるだろう。厳密に言えば少し違っていても、根っこの部分で、実によく似た体験だ。どもる人から、「同じ、共通の体験をしてきましたね」と言われても、「そうかなあ。違うけどなあ」と思うことがあり、同じ経験といわれても共感できないこともある。
 吃音ショートコースに集まった人たちは、「同じ、共通の体験」をしている人たちではない。どもることと全く接点のない6人の人とも共感し、温かいものが流れ合うのは、「同じようなもの」が経験としてベースにあるからではないか。吃音は理解されにくいとよく言われる。どもる人とは両極端といえる位置の演劇の世界で生きている鴻上さんとでも、こんなに違和感なく、鴻上さんの体験にうなずき、学ぶことができるのだ。私たちが、恨み、悩みなど暗黒面だけを強調して語る時、聞く人は、「大変ですね」で済んでしまう。しかし、暗黒面があっても、そこにフォーカスしないで、体験した事実を率直に語り合うとき、(あっ、この体験なら私も味わったことがあるぞ)と全く違う体験が、同じような体験として浮かび上がってくるのではないか。
 異なる体験を語り合い、相手の立場に立って想像力を働かせる。その異なるもののすりあわせで、共感し、学び合っていける。このようなことを大勢で経験できたこと、これを奇跡というのかもしれない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/28

表現とからだと癒やし (3) 自分のリズムで話す

 第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)でのダイジェスト版の紹介は、今回でおしまいです。主催者が出版した冊子からの転載です。
 「どもり」ということばを死語にしたくないということ、どうでもいい会話が難しいということ、自分のリズムで話すのが一番だということ、など、大切なことがちりばめられている時間でした。このようなシンポジウムに参加する機会があったこと、とてもありがたいことでした。竹内敏晴さんのおかげです。

表現とからだと癒し (3)
     コーディネイター 鴻上尚史
     第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)

どうでもいい会話は難しい

伊藤 この間、映画の『金閣寺』(注)を見たんです。市川雷蔵演じる主人公がどもりなんですけど、音声がプツンプツンと切られてるんですよ。どもりという言葉が頻繁に出てきてたんでしょうね。

鴻上 でも、『彼は吃音だ』とか、言い換えるのもおかしいですよね。

伊藤 おかしいですよ。そんなのは、僕たちは納得できませんね。

鴻上 それは使い道によって差別語にもなるし、それを伝えるためのちゃんとした言葉にもなるということですか。

伊藤 使っている人が、どもりは劣ったものだというイメージがあるから、差別的に使っているという印象を与えるだけで、「ど・も・り」という三つの文字は何も言っていないわけですね。僕は昔、どもりが嫌だったんです。ヤモリでもイモリでも、「も、り」と付く言葉は全部嫌だった。でも、人生を生き直すためには、どもりという言葉そのものが平気になっていくプロセスがすごく大事だと思うんですね。今はこの言葉は全く平気になりましたけど、そこからでないと生きられないというところがあるので、どもりという言葉を死語にしたくないんです。

鴻上 僕がイギリスにいて一番辛かったのは、休み時間の英語だったんですよ。つまり、休み時間は、どうでもいいことをしゃべってるんですね。しゃべる動機がない言葉はすごく難しいんです。自分は普段、どうでもいい話をキャッチボールしてるだけなんだというのが、すごくよくわかった。それは、伊藤さんの機関誌で言うと「サロン的な言葉」ですよね。

伊藤 どうしてもこれを伝えたいという言葉があると、どもってでも言うんだけど、実は、サロン的な、どうでもいいような会話で、人間関係というのは成り立っているんですよね。

羽鳥 どうでもいいことをキャッチボールしている間に、その人のことが言葉の端々でわかってくるんですね。

鴻上 そうなんです。どうでもいい言葉なんだけど、すごく大事なんですよ。
 ちょっと時間がありますので、何か聞きたいことがあったら質問してください。

会場 羽鳥さんはどういった音楽を聴かれるんですか。体操をしている時に聞く音楽とか、身体の中に流れている音楽ということについてうかがいたいんですが。

羽鳥 体操をしている時は鏡と音楽はいらないんです。外側の自分の動きや形を見るのではなくて、それは自分の身体の中で探しますから鏡はいらないですね。音楽は、他人がつくったりリズム感に合わせていかなければいけない。でも、野口体操は自分のリズムでやりますから、音楽もいらないんです。言葉も動きもリズムも、自分の身体の中に探しましょうということなんですね。皆さん、自分の身体の感覚や言葉を持っています。そうしたら、ほぐれるって何だろう、柔らかいって何だろうって、自分の言葉に置き換えていったらどうでしょうか。

鴻上 他人のリズムを必要としなくなるというのは、すごく衝撃的な話ですね。今、ほとんどの人は、何か他人の規範がないと安心できませんからね。

羽鳥 だから、どんなにどもってもいいんです。伊藤さんは伊藤さんのリズムで話してるわけですから、待ってあげればいい。大事なのはその人が身体の中に持っている感覚で、それがどれだけ自由であるか、豊かであるかということではないでしょうか。

鴻上 それでは、それを結論ということにして、終わりたいと思います。皆さんが何か得るものがございましたら、よかったなと思います。私は得るものがたくさんありました。

 (注)『炎上』(えんじょう) 1958年8月公開。三島由紀夫の長編小説『金閣寺』をもとに市川崑監督が映画化した。主演は市川雷蔵。
 
  第21回日本文化デザイン会議'98青森ダイジェスト(主催者の許可を得て「スタタリング・ナウ」に転載)

出演者
伊藤伸二 日本吃音臨床研究会会長。大阪教育大学非常勤講師。伊藤伸二ことばの相談室室長。【主な著書】『改訂 吃音研究ハンドブック』『吃音とコミュニケーション』『吃音者宣言』など。【主な活動】月刊紙「スタタリング・ナウ」、年報での吃音情報の提供、国際吃音連盟の運営他

上野可奈子 俳優。【主な舞台出演】'95年第三舞台トライアルプレイvol.2「パレード旅団」 '96年第三舞台「リレイヤー掘廖'97年サードステージ・ワークショップ公演「コーマ・エンジェル」【主なCF出演】'98年キリン一番搾り、'98年資生堂「サクセスフルメーリングリストエイジング」など

鴻上尚史 劇団「第三舞台」主宰者。脚本家。演出家。'94年岸田戯曲賞。【主な作品】戯曲集「朝日のように夕日をつれて」「天使は瞳を閉じて」「トランス」「パレード旅団」、エッセイ集「鴻上夕日堂の逆上」「映画に走れ!」映画「ジュリエット・ゲーム」「青空に一番近い場所」脚本・監督など。

羽鳥操 「野口三千三授業記録の会」代表。野口体操講師。'75年野口三千三氏と出会う。野口体操・野口自然科学に傾倒し、師事。'88年「野口三千三授業記録の会」を発足、授業の記録を企画・構成・制作。【著書】『野口体操・感覚こそ力』【ビデオ】『野口三千三授業記録』他多数。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/22

表現とからだと癒やし (2) からだと言葉の結びつき

 自己紹介の後、鴻上さんのコーディネーターで、話がすすんでいきます。からだと言葉の結びつき、からだをほぐすことと気持ちをほぐすこと、ちょうどいい力の入れ方と抜き方など、興味ある話題が続いていきます。
 最後の方で、鴻上さんが僕に「伊藤さんは明後日、舞台に立つんですね」と声をかけて下さっています。秋浜悟史作の「ほらんばか」という竹内敏晴さん演出の舞台の主役をすることになっていたのでした。話は身体について進んでいますが、僕は、身体としての言葉が壊れるという経験をしています。人前で講義や講演などでの「説明、説得的な言葉」では僕は、その頃、ほとんどどもらなくなっていました。しかし、竹内さんは、それでは演劇、人間の情念を演じる言葉としてはダメだと、厳しく稽古を付けてくれました。この稽古の中で、それまで、人前ではほとんどどもらなくなっていたのが、人前でもどもるようになった、おもしろい経験をしています。その芝居が、このシンポジウムのすぐ後のことだったんですね。とても、懐かしい思い出のひとつです。

表現とからだと癒し (2)
     コーディネイター 鴻上尚史
     第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)

自分が言いたいことを一所懸命に言う

鴻上 伊藤さんは、なおす努力の否定ということをおっしゃっていたことがありますね。その根底には、的確に話せて、早いテンポでこの現代社会の流れにのることが、どもる人の最終目的だと言われてきたということがあるわけですね。

伊藤 世間で言われている"普通"とか"効率"ばかりを追いかけていくと、身体も壊れていくし、気持ちも沈んでいくんです。どもりは簡単になおると言われることもありますが、小学校1年頃まで持ち越した人のどもりが完全に消えるということは、おそらくないんです。なおらないものをなおそうとしてあがくことは、その人の生き方を非常に苦しいものにしていきます。それで、効率のいい話し言葉を目指すことは捨てて、自分の気持ちを、どもりながらでも言うという方向へ視点を変えていくことのほうが、生き方として楽だと。そのへんから、なおす努力の否定ということを言い始めたわけです。

鴻上 伊藤さんに持ってきていただいた日本吃音臨床研究会の機関誌の中に、『情けない』と言いたかったんだけど、その言葉がすごく言いにくいので、『悲しい』と言葉を変えて言ったと。でも本当は、自分は『情けない』と言いたかったんだという文章があったんですが、僕はそれを読みながら、自分は本当はこう言いたかったんだけど、それを言わなかったとか、言えなかったということってあるなと思ったんです。もっと言えば、本当にこれは自分が言いたかった言葉だろうかというのは、常に思っていることだと思うんです。これは、どもる、どもらないに関係なく、非常に普遍的な問題なんじゃないかという気がします。

身体をほぐすことで気持ちもほぐす

鴻上 羽鳥さんに野口体操のビデオをもってきていただいたので、それを拝見しましょう。
《野口体操 ビデオ上映》

羽鳥 これは野口三千三先生が82歳の時の映像で、亡くなる半年前に撮ったものです。先生の言葉の一つひとつは、本当に82年間、身体の中でずっと育まれてきたものなんです。妥協のない先生で、動きの説明にしても、ズバッとすごいことをおっしゃるんですよ。こんなことを言って、傷つけちゃうんじゃないかと思うようなことを言われます。でも、相手を肯定して、その中から言葉が出てくるわけで、身体の底から出てきた言葉というものは本物ですからね。言葉というのは頭で考えて話してるのかもしれませんが、もしかするとおなかの底から、あるいは指先や足の先から、考えてることが言葉になって出たのかもしれない。鴻上さんは戯曲を書かれる時に、身体の中に言葉を探しませんか?

鴻上 やっぱり躰から出る言葉を探しますね。羽鳥さんは野口体操を始められて、どういうところで身体と言葉の結びつきを感じられたんでしょうか。

羽鳥 身体の動きが言葉であるし、言葉は身体の動きだということなんですけど、今は心という言葉も身体という言葉も使わなくなってしまいましたね。心でも身体でも、どっちでもいいというようなことになってきたんです。ビデオの最後に『自然直伝』と出ましたが、それは、自分の嫌なところも汚いところも、情けないところも悲しいところも、それでいいんだよって、先生が言ってくださってるのかなと思います。だから、野口体操に来て、形の上では全然柔らかく見えなくてもいいんですよ。自分がその時に、どれだけほぐれてるかということのほうが大事。形じゃないんですね。

伊藤 これでいいんだという気持ちになると、確かに身体は楽になるんでしょうけど、でも結局は、ほぐれてるようで、ほぐれてないんですね。身体がほぐれると気持ちも楽になる、つまり、気持ちよりも身体が先というほうが本物のような気がします。確かに吃音を受け入れることで楽になる部分はいっぱいあります。でも、それだけでちょっと足りない。その時に身体を楽にすると、もう少し前に進めるんですね。

鴻上 意識の持ちようでリラックスしようということだけだと、やっぱり限界があるということですね。上野さんは10年ダンスをやって、今はだいぶリラックスしてるんですか。

上野 すごく緊張している時に、緊張を解こう解こうと思うと、絶対解けないんですよ。例えば、台詞のことを集中して考えて、緊張を忘れることが大事で、緊張を解こうとかリラックスしようと思うことのほうが邪魔なような気がします。野口体操を始めて、大事なのは力を抜くことかなと思いました。

ちょうどいい力の入れ方、抜き方

羽鳥 ちょっと鴻上さんと一緒に、野口体操のぶら下がりをやってみますね。私がぶら下がりますので、鴻上さんは私の腰を持って、左右に優しく揺すってください。どうして優しくやるかと言うと、力を入れてしまうと、感覚が鈍くなるんです。鴻上さんの手で、私の中身を感じとってほしい。ぐっと押されると、身体が抵抗して、緊張してしまいます。それではほぐれるわけがない。日常生活の中でも、余分に力を入れすぎて暮らしてると、感覚が鈍くなるんです。余分な力を抜いて、感覚で動きをとらえるようにしてほしいですね。《ぶら下がり実演》

鴻上 僕がイギリスに留学していた時、今のぶら下がりによく似たレッスンをイギリス人の先生がやっていたんです。そのビデオがありますので見てください。《ビデオ上映》

鴻上 ムーブメント・ティーチャーといつて、身体の動きの先生が三人、ギルドホール演劇学校にいたんです。このレッスンでは、胸を開いてあくびをして、膝の力を抜いて、肩の力を抜いて、頭を落として、お尻の穴が天井に向くようにしています。

羽鳥 ぶら下げていく方向が野口体操と違っていて、末端、つまり頭から動いていますね。野口体操の場合は土台から崩すんです。下から順々に崩していったほうが楽に崩すことができるんですよ。身体のいろいろなところをたるませて、たるみ曲線をつくるんですね。くるぶしから膝の関節、膝、骨盤、それから胴体、首という具合に、自分の体の関節が持っている方向にまかせながらたるませていく。そうすると自然にたるんで、頭は最後になるんです。そして、お尻の穴が真上を向く。たるむというのは、力を抜いて、動きが自由になることなんです。

鴻上 そういえば伊藤さんは、明後日、お芝居の舞台に立たれるんですよね。本番近いんですから、ちょっとこわばってる体を楽にしていってください。

羽鳥 でも、ほぐしすぎちゃってもだめなんですよ。ちょうどいいたるみ方、ちょうどいい緊張というのが大切なんです。ちょうどよく力が抜けた時に、ちょうどいい力の入れ方がわかるんです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/21

表現とからだと癒やし―登壇者の自己紹介から

 昨日、紹介した巻頭言に、竹村真一さんの議長提案を紹介しました。
 「多様性」や「複雑系」の問題は、社会の豊かさの根源であり、そして、単なる"違和感"を越えた創造的な、"異話感"をはらんでいることこそ「健全さ」のべースであるというところに僕は、惹かれました。
 多様性や一人ひとりの個性が生み出す豊饒な「異話感」に眼を向けなおし、差異や違和感をポジティブな資源としてひきうけていこうという感性と意志がこめられているという、馴染みのある大切にしたい共通の土台があったからこそ、知り合いの全くいない青森の地で、僕は居心地の悪い思いをせず、話すことができたのだと思います。
 ここで知り合った羽鳥さんとはその後、長いお付き合いが始まりましたし、鴻上さんには、僕たちの2泊3日の吃音ワークショップの「演劇と表現」の講師として来ていただくことにつながりました。不思議なありがたい出会いでした。

表現とからだと癒し
     コーディネイター 鴻上尚史
     第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)

生きることを楽にする身体

鴻上 僕はずっと第三舞台と言う劇団で演劇をやっておりまして、平行してワークショップも始めております。1997年の夏から一年間は、イギリスのギルドホール演劇学校に留学しておりました。興行としての成功も演劇の側面ではありますが、同時に、俳優を目指す人に限らず人間は身体と言葉を持っていますので、今日は生きることと自分の身体と言葉というものについてお話ができたらいいなと思っております。ではまず羽鳥さんから順番に自己紹介をしていただきます。

羽鳥 私は以前、ピアノを専門にやっていたんですが、緊張型の人間でしたから、舞台で思うように弾けないんですね。そこでピアノの先生に勧められて、23年前に、野口体操を始められた野口三千三先生のところに行きました。先生の動きは今まで見たこともない、いわゆる体操という概念に入らないようなものでした。それで家に帰って練習するんですが、何でもそうですけど、自分一人で練習する時間を持たなければ、できるようにはならないんです。もちろんみんなと一緒にやることにも意味があって、いい動きの方のそばにいると、その方の気によって自分も動けるようになっていくんですね。でも先生は、たった一人で自分の身体と仲良くする時間を持ちましょうとおっしゃっていたんです。私は非常に体操が不得意だったのですが、野口体操を続けることによって、だんだん生きるのが楽になってきました。目的や効果はあまり言いたくないんですが、身体が柔らかくなってきたから、ということでしょうか。

伊藤 僕はどもりという、「言語障害者」として生きてきたんですが、25歳くらいまでは、話ができないために、どもりを隠し、逃げ、人と触れ合えずに閉じこもってきました。どもりだから悩むのではなくて、どもりをどう受け止めるかで悩むわけで、どもりを非常に否定的にとらえて、劣ったものだという観念を持って生きていると、喋れなくなるんですね。
 現在は比較的喋れるようになりましたが、今でも特定の音が言えません。例えば、たちつてとの"と"。鮨のネタの「とろ」が言えないことがあります。だから、どうでもいいような言葉の時には言い換えたりしますが、これだけは言いたいと言うことに対しては逃げないようにしています。
 僕がどうして喋れるようになってきたかと言うと、同じどもりで悩む人と出会って、その辛さをいっぱい話したことです。今まで人から拒否され、蔑みと笑いの対象であった僕の言葉を、みんな全身で受け止めて聞いてくれたんですね。その体験は、僕が生きる上での大きな出発点となりました。どもりをマイナスに考えていることが自分の辛さなんだと気付いた時に、どもりを引き受けて生きようという覚悟のようなものができて、ずいぶんと楽になりましたね。
 そして外に出ていくと、どもっていても聞いてくれる人がいるし、共感できる人がいる。そういう人たちの聞いてくださる姿勢に支えられて、恥をかき、辛い思いをしながらも、どんどん喋っていくと、どもりの症状そのものはあまり変わらなくても、ずいぶんと生きやすくなりました。それで僕たちは、どもりを隠したり逃げたりするのではなく、どもりを持ったままの生き方を、自らにも社会にも宣言しようということで、『吃音者宣言』という宣言を出したんです。
 そして10年ほど前に、『からだとことばのレッスン』を全国的に展開しておられる竹内敏晴さんと出会いました。自分では声もずいぶん大きくなってきているので、人に届いていると思っていたのですが、レッスンを受けてみると、相手に届く声には、まだ先があるんだということを感じました。声では相手に呼びかけてはいても、やはり人が恐くて、身体はそれを拒否していたんですね。人への恐れが、未だに私の体の中にはあるんだということに気付かされて、今もレッスンを受けております。

上野 私は鴻上さんの劇団で舞台に立たせていただいております。高校生の時からモダンダンスを始めて、10年近くダンスをやっています。私も小さい頃は、質問の答えがわかっていても手を挙げられないような、気の小さい子供でした。それが小学生の高学年の頃に、水泳でリレーの選手に選ばれたんですね。体育は得意だったので、そちらで活躍したことがきっかけになって性格も変わってきて、あまり恥ずかしくなく喋ったりできるようになったんじゃないかと思っています。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/20
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