伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

高橋徹

第6回ことば文学賞〜書き続けてほしい〜

 「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 に掲載している受賞作品をもうひとつ紹介します。目でさっと読むだけではなく、声に出して読んでみると、この作品の面白さが見えてきます。
 作品の紹介の後に、選者の高橋さんのコメントも紹介します。長年、僕たちの「ことば文学賞」に関わり、文章を書くことの楽しさ、喜びを伝え続けてくださいました。
 阪神淡路大震災の時、お見舞いに行くと、家が壊れ、たくさんの書籍が散乱し、「本棚の書籍に殺されそうだった」と避難所になっている体育館でお話くださったことを、今、懐かしく思い出しました。ありがたいおつきあいでした。
 「長く書き続けてほしい」のことばを僕はしっかりと受け止め、毎日、書き続けています。

《優秀賞作品》
   吃音に捧げるあいうえお
                  掛田力哉(大学生・27才)

  あいさつ
ありがとうさえ
言えないわが身の
うらめしさ
笑顔をせめて
思いに代えて

  吃音に捧げるかきくけこ
カケタコケタ(仮名)は
吃音です。
苦しんだけれど
けっこう最近
これに夢中!

  詩歌もよう
さみしさのつれづれに
詩をしたためています あなたに
すぎゆく思い出 かなしいでしょ
   だから書きたいのよ わかるでしょう
責め続けた思いを 詩につめて
   私の中の あなたにおくる
そんなあなたとの日々が
   季節の中でうもれてしまわないように

  ため息
他愛もない言葉が何よりも欲しい
ちょっとした冗談がうらやましい
積もる話を何時間でもしてみたい
定型詩には
とても収まらぬあれこれが言いたい

  寝床の夢
悩んだのはやっぱり恋、恋、恋!
逃げて帰ったふとんの中で、
   ペラペラ話す妄想にふける
塗り替えたい記憶の数々
寝言でなら言えるかしら?
残された現実と相変わらずの片思い

  変だなあ?
「話し方がすき」
「一言ひとことが面白い」
「雰囲気がある」
「弁論大会代表になってください」
本当に私が言われたことなのですよ、
   変でしよう??

  むかしむかし・・
真面目な少年がおりました。
ミジメなのが本当の所でした。
無口で一言も話さないものですから
目立たないはずでしたが、
   叱られてばかりなので目立っていました。
物語は大した変わりも無いままに、
   そのままずうっと続いてゆくようでした。

  止めたくない
やめないで、
勇気を出して書いてこれたのは
読んでくれる仲間ができたから。

  ロック21世紀
ランドセルしょって
   もう一度やり直したくはないけれど
リレーゾーン 吃音のバトンを受け取って!
ルート21 コトバの新しい道を走り続けて!
レボリューション
   きっと何かが変えられるはずさ!
Rock'n'roll ドッドッドモリの熱い魂で!

  吃音に捧げる和音(わをん)
われいまこそ どもりそなたに
ゐやまうしたし
ゑんずることなく
をしみたまへん
  (現代語訳)
わたしは今こそ 吃音あなたに
お礼申し上げたいのです
恨むことはもうありません
ずっと大切にさせて頂きたいと
   そう思っているのでございます。

〈高橋さんのコメント〉
 うかつにも、最初は「目読」してしまい、すべてが五十音の仕掛けに気がつかなかった。
 口ずさんで、そして…。作者の言葉に対する感性に脱帽。


作品を読んで
                  高橋徹


 15点の作品を読ませて頂いた。
 その感想を記す前に選者自身のことを書かせて頂くことをお許し頂きたい。
 実は、昨年の夏に体調を崩し入院加療を続けている。夏風邪、急性の脱水症状などで救急車騒動であった。秋口に入りようやく落ち着いてきたのだが、自分が自分でなくなっていることに気付いた。「読み書き」が変わっているのだ。
 思い感じた詩の一節を口ずさむのだが、周囲には捻っているとしか聞こえていないようだ。あとで手を入れようと思っていた殴り書きが自分でさえも読めない。頭の中では、確かに読んでいる、創っている、書いているのだが思うように表現できない。これが「老い」というものかと愕然とした。

 ええいと息子の手を借りることにした。(お預かりした原稿を)自身で読んだあと、音読してもらう。広辞苑もひかせる。書き出すのはもう少し大変だ。自分しかわからないメモを拾い拾い読み上げ、彼しかわからぬ乱筆で文章に。ワープロ打ちしてもらい、それを目で読み、また音読させ、さらに注文をつけて清書へ。

 こんな過程を経て皆さんの作品を読んで一番驚いたのは言葉への敏感さである。教室などでよく話すことに「とにかく声に出して読んでごらん」がある。リズム、係り言葉、過剰や言い足り無さ…その殆どが、声に出して読むとわかってくるものなのだ。
 この点において、どの作品もとても心配りが出来ている。あるいはしようとしている。細部においては「こうしたら…」と思う箇所もあったが、常日頃、発する言葉に気を遣っているのだなあと改めて思わせてくれた。

 さて、音読によって表現の調子をわかってきたら、次は、もっとギュッと刈り込むことを考えたい。ひとつの作品のテーマは基本的にひとつの筈。なのに、どんどん枝葉が繁ってしまっている。直感的な言い方だが、どの作品もあと2割から3割は短くなると感じた。そうすればもっとテーマが鮮明に浮かび上がってくる。
 文章を書くと自分が見えてくる。書き続けて欲しい。(「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/28

第6回ことば文学賞

 ことばについて、吃音について、そして自分について、しっかり向き合い、綴ることで何か見えてくるものがあるだろう、また後に続くどもる人たちに大切にしているものを伝えたい、そんな思いで始まったことば文学賞。たくさんの人の人生にふれることができる絶好の機会となっています。
 第6回目は15編が集まり、元朝日新聞記者、カルチャーセンターなどで文章教室を開いておられる高橋徹さんに講評と選考をお願いしました。体調が悪い中、息子の順さんにもお手伝いいただいて、一編一編丁寧に読んでいただきました。
 「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 から、受賞発表の日の大阪吃音教室の様子と、作品を紹介します。

ことば文学賞発表の日〜大阪吃音教室〜
 ことば文学賞発表の1月16日、大阪吃音教室は、35名の参加があり、熱気に包まれていました。参加している作者がそれぞれ自作を読みました。
 聞いていた参加者がふと思い浮かんだことや感想を話します。作者に質問したり、自分の体験を思い出して話し始めることもありました。
 作者も作品への思い入れを語ります。その後で、高橋さんのコメントを紹介しました。参加者の感想とぴったりだったり、なるほどそんなふうに表現できるのかあと、納得したり…。
 このとき、まだどの作品が受賞したのか、参加者は知りません。作品朗読の後、いいなあ、気に入ったなあと思う作品を、参加者全員による挙手で選んでみました。そして、いよいよ高橋さんによる審査の発表を行いました。温かい拍手の中、記念の楯と副賞の図書券が手渡されます。喜びいっぱいの受賞者の横顔が輝いた瞬間でした。
 2時間の吃音教室があっという間に終わったような気がしました。
 悩んでいた頃は、あれほどまでに嫌いだったどもりについて綴った文章が、こんなに心地よく耳に入り、やさしく温かい気持ちにさせてくれるなんて、参加した人の多くが、そんな不思議な空間を味わっていたことだろうと思います。
 受賞作を紹介しましょう。

  仮面
           堤野瑛一(大阪スタタリングプロジェクト・会社員・25歳)

 つい最近になって、やっと実感出来る様になってきた事である。僕は確実に、昔の僕ではない。僕はようやく、仮面をはずす事が出来たのだ。
 昔、僕は人前でどもる事を恐れ、人前で自分がどもる事がバレる事を恐れ、ずっと無口な人間を演じていた。必要最低限の事以外、何も言葉を口にしなかった。でも僕の中にはいつも不完全燃焼な気持ちが残り、大きなストレスを抱えていた。
 「本当は違うんだ、僕には喋りたい事がもっと沢山あるんだ。意見だって自論だって興味だって、もっと口にしたい事が山ほどあるんだ!」
 僕はいつも、心の中でそう叫んでいた。
 でも今は違う。今では訊きたい事を人に訊き、喋りたい事を何でも喋り、以前の様な不快なストレスは殆どない。決して吃音が治ったわけではない。人前でどもりながら喋っている。思い切りどもっている。
 昔の僕は、注文を言う事が出来なかったので、一人で喫茶店に入れなかった。コンビニで煙草を買う事が出来ず、いつもわざわざ自動販売機を探し買っていた。店にいって、分からない事があっても店員に聞くことが出来なかった。仲間との会話で、どもる事が嫌なばかりに、知っている事や分かっている事を、知らない、分からない振りをして何も喋らなかった。でも今は、この全部が出来る様になった。
 そう、僕はどもりを隠さなくなった。どもる自分を認める事が出来る様になったのだ。今になって考えてみると、それは当然の事の様にも思う。目の見えない人間が見える振りを出来ない様に、耳の不自由な人間が聞こえる振りを出来ない様に、片足のない人間が松葉杖を使わずに歩く事が出来ない様に…、又、どもる僕がどもりでない振りなど出来る筈がないのである。
 …どうしてこんな事に今まで気がつかなかったのだろう。認められなかったのだろう…。結局僕は昔、背伸びをしていただけなのである。自分を実際より大きく見せようとして無理をしていただけなのである。健常者という名の仮面をつけていたのである。だけど今になって、ようやく等身大の自分を人前にさらけ出す事が出来るようになった。仮面をとる事が出来た。
 自分を実際より大きく見せる、格好良く見せる、こんなしんどい事はない。人間は所詮、等身大でしか生きられないものである。確かにどもりは格好悪い。しかしそれが自分なのだ。実際の姿なのだ。
 しかし何も僕は、自分一人の力だけで今の自分になれたわけではない。僕の周りには、ちゃんとモデルがあったのだ。どもる事を受け入れ、人前で堂々と等身大でどもりながら喋る人間が、僕の周囲にいる。そう、見本があれば、人間というのは生きやすいものである。自分が理想とするものが、実際にモデルとしてあれば、非常にその理想の姿に近付き易いものである。そういったモデルの方々のお陰で、僕はその人達を具体的な理想とする事が出来、そして一歩一歩近付く事が出来たのである。そのモデル達に、僕は感謝したい。
 …今でも、この時はどもりたくないなとか、今どもってしまって恥ずかしいなと思う瞬間はしばしばある。しかし、もう僕は仮面を付ける事は望まない。仮面を付けると、視界が狭いし、息苦しいのである。これから僕は、素顔をさらして生きていく。そう、仮面なんてない方が、顔が涼しいし、生身の空気を肌で感じる事が出来るから…。

〈高橋さんのコメント〉
 段落ごとの入り方がうまい。「つい最近」「昔、ぼくは」「でも今は」「そう、」「…どうしてこんなことに」…。惹かれるように次の段落へと進む。多重人格、仮面夫婦などが現代社会の問題となっているが、「仮面をつけると、視界が狭いし息苦しい」に仮面の負の本質を言い当てている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/27

第5回ことば文学賞 3

 第5回ことば文学賞のときの選者、高橋徹さんは、最優秀賞1点、優秀賞2点のほかに、選外佳作として2点、選んでいました。僕も、ここ最近、ことば文学賞の選考に携わっていますが、3点だけに絞るのが難しく、審査員特別賞と名づけて、選ぶことが多いです。
 今日は、その選外佳作の2点を紹介します。

《選外佳作》
   
                        峰平佳直(会社員44歳)


 「ええかっこしようと思ったら、うまく喋れんなあ」
 父は、4、5人の前で照れたようにつぶやきました。5年前、75歳になった父は、民謡を習っていましたが、合同の発表会で父は代表でスピーチをすることになってしまいました。75歳とはいえ、自分のどもりについて、嫌悪感を強く持っている父の心の中は、充分想像ができました。父はどもるけれど、大事なところではどもれません。どもるくらいなら無口を選び、馬鹿と思われる方を選びます。父にとって、人前でどもることは、死ぬほど恐ろしいことのようです。スピーチは、父が望んだとおり、老人ボケで独り言をブツブツ言っているように聞こえ、中身のない、元気のないものでしたが、決してどもってはいませんでした。
 「どもってうまくスピーチができなかったのではない」
 「いいカッコしようと思ったから、緊張して喋れなかったのだ」
 俺は決してどもりではないから、仲間はずれにしないでください、と訴えているように見えた。これからどもっても大丈夫と、考え直すことは、無理のようです。
 父の話し方は、一人称で、独り言のようにブツブツと話します。どもらないようにいつも自分の言葉に注意を向けているためだと思います。誰でもどもって話しづらい時は、その瞬間、自分の方にだけスポットライトを当てます。しかし、言葉が出ると、相手の方に注意を戻して、2人称で話します。それができて楽しい会話になります。私は父の一人称で会話を覚えたので、雑談をすることが苦手になりました。周りから見れば、父のように1人でブツブツ言っているように見えるかもしれません。
 父は人の話を積極的に聞くことはありませんでした。子どもの話に耳を傾けて、真剣に聞いてあげることをしませんでした。ただ迷っているだけの少年に、自分の考えをブツブツと話すだけです。父も子どもの頃に、どもる父の話を真剣に聞いてもらった経験がないんだと思います。私が自分を好きになれない理由の一つに、自分が父に良く似ているところがあるからです。私が父に対してよい思い出が少ないことが影響していると思います。
 最後に、好きでない父の名誉のために、一言書いて終わります。父は、西成の小さな鉄工所で一生懸命に働き、私たち家族を養ってくれました。私はそのお金で買ったお米を食べて大きくなり、高校までの教育を受けることができました。

《選外佳作》
  ことばのキライナな夢見るカタツムリ
                             西村芳和(教員50歳)


 ぼくは カタツムリ
 ことばの キライな
 夢見る カタツムリ
 きのうも きょうも そして
 たぶん あしたも
 じっとしたまま
 夢見るカタツムリ
 
 ぼくは 自分がキライなぶんだけ
 世界が スキだ

 まっすぐに伸びる飛行機雲
 大きな木の風になびくいっぱいの葉っぱ
 黒くやわらかい土の上でのビー玉
 スーパースター長嶋茂雄のとくにスローイング
 強くてやさしいジャイアント馬場
 ララミー牧場の弟
 星飛雄馬のあき子姉さん

 ぼくは カタツムリ
 ことばの キライな
 夢見る カタツムリ
 ぼくは、応答のないのがキライなぶんだけ
 少しの応答でも 大スキだ

 キャッチボール ピンポン
 バレーボール バスケットボール
 メンコ ドロジュン
 ドンドン ポン

 ぼくは カタツムリ
 ことばの キライな
 夢見る カタツムリ
 ぼくは 話すのがキライなぶんだけ
 じつは 話すのがスキだ
 ぼくは ことばをキラッたぶんだけ
 ことばを 宝物にしていこう

 ぼくは カタツムリ
 ことばの キライな
 夢見る カタツムリ
 ゆっくり 歩こう
 ゆっくり 見よう
 ゆっくり 感じよう
 ゆっくり 考えよう
 ゆっくり 話そう
 そして ゆっくり
 夢見ていよう         (「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/17

第5回ことば文学賞

 今の「スタタリング・ナウ」の編集と、この頃の編集とはずいぶん違っているようです。このNO.104を見ると、言語聴覚士養成の専門学校での受講生たちとのやりとりから感じたことを巻頭言に書き、鴻上尚史さんのご著書に書かれた吃音ショートコースの感想を紹介し、そして、ことば文学賞の作品を紹介しています。どういう編集方針だったのだろうかと思ってしまいます。現在、354号まできていますが、巻頭言と次のページからの文章とはできる限り関連づけて書いているので、以前の「スタタリング・ナウ」を読み返してみると、自分でも不思議な気がします。
 今日は、「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104に掲載の、第5回ことば文学賞の作品の中から最優秀賞の作品を紹介します。
 ことばについて、吃音について、コミュニケーションについて、自分の思いを綴ってみようと、大阪スタタリングプロジェクトの主催で始まったことば文学賞の5回目です。選者は、毎年お願いしている元朝日新聞記者で、朝日新聞を定年退職後は、カルチャーセンターなどで文章教室の講師をしておられる高橋徹さんでした。もうお亡くなりになっていますが、どもる人に寄り添った温かいコメントを書いておられました。読み返してみると、高橋さんの顔と声が浮かんできます。そのコメントも合わせて紹介します。

《最優秀賞作品》

  酒屋のおっちゃんと私
                          神谷勝(飲食業37歳)


 「まっ、まっ、まっ、まいど! どっ、どっ、どっ、どうでっか!」
 私の家の隣から、元気で大きな声が聞こえてくる。いつも激しくどもっている。この人は私の親戚で酒屋を営んでいる。私はこの声を聞くのが実に嫌だった。「いつもどもって、かっこ悪いのに大きな声でしゃべるな、どもりだったら静かにしておけ」と思っていた。
 私がどもるようになったのは、このおっちゃんも関係している。小学校2年生ぐらいの時に近所にどもりの同じ年の男の子がいた。私はふざけて、男の子の前でどもりの真似をして笑いをとっていた。そのうち、他の男の子に、「どもりの真似をしていたらうつるぞ! お前の親戚のおっちゃんもどもりやろ!」と言われた。
 「えっ、うそ、どもりがうっったらどうしよう」
 この瞬間に私の中で急激にどもりに対する恐怖が膨れ上がった。私にとってどもりとは、酒屋のおっちゃんの激しくどもるかっこ悪さや、真似をして笑いをとるという何一ついいものがなく、軽蔑すべきものだった。しかし気持ちと裏腹に、徐々にどもり始めていた。「どうしよう・・だんだんうつってきた」。そしてそのうち、完全にことばを自分でコントロールできなくなってしまった。
 小・中・高校と不思議なくらいクラスに、私ともう1人どもるクラスメートがいた。しかしどもるようになってからも、どもりとは、私にとって軽蔑すべきものだったので、同じクラスメートに声をかけるどころか、近づくこともしなかった。同じ仲間と思われたくなかったし、どもり同士何か喋っていると思われたくなかった。国語の本読みなどで当てられ、どもりながら読んだ時も、ふざけながら読み、まるで知ってどもっているように見せた時もあった。他の友だちに「知って、どもっているやろ」と言われた。そこまでしても認めたくなかった。しかし、どもりのクラスメートの心を踏みにじったような気持ちがした。心が痛かった。余計に彼に声がかけられなかった。
 就職してからも、何とかどもりを隠せたのでずっと隠していた。早く治したかった。仕事が忙しく、吃音矯正所などに行く時間がなく、ずっともやもやした気持ちで毎日過ごしていた。今年に入り、時間ができ、大阪吃音教室に行ってみた。もちろん、ちょっとでも治ればと、あとは何も求めていなかった。しかし、参加してみて人生観が変わってしまった。全く考え方が逆転してしまったのだ。あれだけ避けていたどもりの仲間。あれだけ嫌だったどもりを認めること。ずっと30年間思ってきたことが、ここに来てわずかの時間でこんなに考え方が変わるなんて。私は今までいいこと、いやなことなどは、プラス100、マイナス100と、かけ離れているものだと思っていた。しかし、今は硬貨の裏表をコロッとひっくり返すように考え方が変わってしまった。これほどどもりの仲間の中で話し、一緒に行動することがこんなに楽しいこととは夢にも思わなかった。これからもどもりに対する自分の考え方が、いろいろ変わっていくと思う。でも、今思う一瞬一瞬の気持ちを大切にしたいと思う。
 この大阪吃音教室からのどもりとしてのスタートは、私にとってもう少し早ければよかったと思うが、人生はいくらでもスタートをやり直せるので、新しくできた仲間と一緒にもう一度スタートをしたいと思う。あと、もちろん酒屋のおっちゃんに対する考え方も変わった。おっちゃんのように、大きな声でどもっても自分のことばを伝える、実にシンプルなこと、これが正解だったのだ。
 「どっ、どっ、どや! げっ、げっ、元気か!」
 今日も隣から元気で大きな声が響いてくる。おっちゃんの笑顔も目に浮かぶ。今は、この声が実に心地よい。

〈高橋徹さんのコメント〉
 文章が伸び伸びとしていて、読者に吃音の苦悩をわかりやすく明解に伝えている。このような作者の苦悩を書く文章は、つい重たくなってしまうが、この作品は淡々と読ませる。この作品のように、文章は内省力で自己の心の動きに細かな光を当てて書くことが大切である。文章の初めの数行と終わりの数行が、何らかの関係を持つように書くことで読者に強い印象を与える。今までの文学賞作品の中で、近所の親戚の人(おっちゃん)と自分を題材に書いた作品はなく、題材の面白さも光った。(「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/13

私と『スタタリング・ナウ』(7)

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
  私と『スタタリング・ナウ』(7)


 合理的配慮について、その危惧について話すとき、僕はいつも、平井雷太さんの「いじめられっ子のひとりごと」の詩を読みます。吃音に大きな劣等感をもつきっかけとなった小学2年生の学芸会で、セリフのある役を外された体験に関連してです。担任の不当な差別だとしか考えていなかったこの出来事を、教師の配慮だったのかもしれないと考えるようになったきっかけをつくってくれたのが平井さんの詩です。教師の配慮が僕を21歳まで苦しめたというものです。配慮で助かる子どもも多いだろうけれど、僕のような子もいるということを、心に留めていただければと思います。平井雷太さんも、メッセージを寄せてくださっていました。

  
『吃音者宣言』の意味
               平井雷太 セルフラーニング研究所所長(東京)
 伊藤さんとの出会いは、私が書いた「いじめられっ子のひとりごと」という詞です。高校までは私と同じクラスになった場合には、私がどもりであることはバレバレであったのですが、大学に入ってからは教師に指名されることがほとんどないため、私がどもりであることはほとんど知られずに来たのです。バレそうになるところは、無意識のうちに避けていたのですが、5〜6年前にたまたま書いた詞にはじめてどもりのことを書いたら、それが伊藤さんの目に止まったのです。
 そして、伊藤さんに大阪の研究会に呼ばれ、みんなの前でどもりの話をしたのですが、私にとっては初めての体験でした。それ以来、講演のなかで、自分がどもりであることを話すことに抵抗がなくなりました。どもりであることを知られることが恥ずかしいと思っているから、どもらないようにうまくやろうと思うことで失敗した場面が浮かび、ますます緊張し、冷や汗をかいたりしていたのですが、どもる私を否定していた結果なのでしょう。あるべき私像が私のなかにあるから、そうでない私は許せない。だから、どもりであることを隠そうとして、苦しくなっていたのでしょう。どうも、これが、「どもることが恥ずかしい」と思う感情の正体だったように思うのです。ですから、「私はいまでもどもるんです」と人前で言えるようになったというか、どもりであることを人前で言う機会をいただいたことがきっかけになって、どもること自体が恥ずかしいことではないことに気づかされました。これは私にとって、大きな気づきとなりました。
 私は教育の仕事に携わりながら、自分自身苦手なことを避けてきたきらいがあるのですが、苦手だからいい、嫌いだからそれが課題になると思うようになって、古文が苦手で音読なんて決してやったことがなかった私が、いまは紀貫之の古今和歌集序文「仮名序」を毎日音読するようなことをしています。読書百偏とはよく言いますが、実際に100回やるとどうなるか、その実験をした人はそう多くないと思うのですが、そんなことをやってみようかという気になったのも、どこかどもりであることをカミングアウトしたこととつながっているような気がしているのです。どもりであることを自分に認めて受けいれたことで、どもりを私の課題として、どもりを治すことを目的にせず、そのことに向かうことが50を越えてやっとできるようになったのかとそんな心境です。今日もこれから「仮名序」の音読をしますが、34回目となります。
 この文章を書く機会をいただいて、書いているうちにまた見えたことがあります。ここまでを要約すると、次のような内容になるのかと思いました。

 どもりであることを隠そうとしたのは
 どもりである私を私が受けいれていなかった証拠だ。
 どもりである私が許せないから
 どもることを恥ずかしいことだと思ったのだ。
 「吃音者宣言」(伊藤伸二著)の意味がやっとわかった。

【平井さんの「やさしさ暴力」が、私の吃音への苦しいこだわりは、小学校2年の担任教師の配慮だったのではと、「配慮が人を傷つける」に結び付きました】


  連帯感
                       安藤百枝 言語聴覚士(東京都)
 作成される側には生みの苦しみがあるのかもしれませんが、読者としては毎号ワクワクしながら灰色の封筒を開くのです。他の団体からもいくつかのニュースレターを受け取りますが、「スタタリング・ナウ」ほど到着を楽しみにし、受け取るとすぐに読むレターはありません。特に巻頭言は一字一句丁寧に、繰り返し読んでいます。特別、吃音の情報が欲しいわけでもないのに何故? と自問自答しているのですが…。
 巻頭言にはひとつひとつのことばに筆者の「思い」があるからでしょうか。共感し、励まされ、勇気づけられることが多く、すごい吸引力で多くのことばが私の胸に棲みついています。テーマは吃音であっても、根幹に人を愛し、深く理解しようとする情熱と人間味あふれる優しい目線を読者が感じとり、巻頭言を通した読者と筆者、読者どうしの共感や連帯のようなものを感じているのです。(私だけが一方的にかな?)
 記事への提案です。巻頭言に続いてショートコースやキャンプ等いろいろな行事の報告は、全部に参加できない者にとって時系列にそった報告がリアルでとてもありがたいです。これはぜひ続けて下さい。そのほかに、年に一回くらい、紙上討論(?)があるとよいかなと思います。基調講演のような形で討論内容が提示され、それに対する意見を読者から募集、次号か次々号で特集にするという訳です。作成・編集が大変だろうことは想像つきますが、ホンネの意見が出し合えたらいいなーと思うのです。

【どもる子ども(今は青年)の親から、言語臨床家へ。日本吃音臨床研究会の活動を親の立場から提言を続けて下さる。紙上討論、取り組んでみたいと思います】


  理論と実践、そして体験
                      高橋徹 詩人、朝日新聞客員(兵庫県)
 継続は力なり、という。まさしく伊藤伸二さんの『スタタリング・ナウ』がそうである。理論と実践について述べ、協賛者が報告し、会員が体験を披露。どもる人によるわが国初の定期刊行物。そのエネルギーは、まばゆいばかりだ。
 おとなたちにまじって、少年や少女もいる。みんな輪になっていすに座っている。リーダーら世話役が会をすすめていく。まさしく血の通った親愛感にあふれている。こんな集まりを続けている伊藤伸二さんらに、敬意を捧げずにはおられない。どうぞどうぞますますのご発展を。

【私たちは文章を書くことを吃音教室で続けているが、その講師だけでなく、ことば文学賞の選考者として、どもる人の体験をよく理解し、共感して下さっています】


  当事者に学び、周囲の理解を深めよう
                野木孝 全国言語障害児をもつ親の会事務局長(福島県)
 最近ようやく、吃音症状にのみ目を奪われる人が多かった親の会や学校の「ことばの教室」担当者の研究会でも、当事者の思いを理解し、当事者から学ぼうとすることが、盛んになってきました。
 症状を消去することに腐心する保護者や「指導」をしないと気の済まない先生が多かった時期を知っている者としては、昔日の感があります。
 これも長年にわたる貴研究会の活動の活動の成果と、改めて敬意を表します。
 「ことばの教室」に通級している子どものことを考えると、通級するのは週に1〜3回のみで、学校生活の大部分を通常の学級で過ごしますので、通常学級担任をとりまく子どもの集団の理解を深めることが重要と考え、「ボランティア研修会」などを通して、周囲の人々の理解を深めることに努力しているところです。
 今後ますます、このような活動にお力添えやご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

【30年前、全国吃音巡回相談会の福島会場でお世話下さった時は、ことばの教室の先生でした。長年の臨床を経て、今は親の会の事務局長としてご活躍です】

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/25

吃音親子サマーキャンプに寄せて〜「どもり・親子の旅」感想から

 「吃音の夏」と僕たちが呼ぶ、夏の大きなイベントを今年は3年ぶりに開催しています。
7月末には、千葉で「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」を開催しました。次は、1週間後に迫った吃音親子サマーキャンプです。会場への連絡、保険加入手続き、参加者への最終案内と、準備を進めています。
 昨日は、「スタタリング・ナウ」1998.7.18 NO.47の巻頭言を紹介しました。巻頭言の後には、大阪吃音教室のことば文学賞の選考を長くして下さっていた高橋徹さんが、吃音親子体験文集を読んで感想を寄せて下さったものを掲載しています。高橋さんは、朝日新聞の記者で、カルチャーセンターで文章講座の講師を務めるなど、書くことを大切にしてこられました。

サマキャンの旗 親子旅の表紙
どもり・親子の旅〜吃音親子体験文集〜 感想特集

その"旅"に光あふれて
                詩人・高橋徹


 わが子がどもりだと、知った時の親の衝撃の大きさは想像を絶する。
 それまで目に入らなかった〈どもりは治る〉といった広告を頼り、すがる思いで子どもとともに吃音矯正所に通う。
 が、効果はない。一時、軽くなったと思えた症状は、いつか再びひどくなっている。
 大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプに参加する人々の多くは、たいていこのような回り道のあげくであろうか。
 そしてそれらの場で、どもりは「治らないということを受け入れること」、子どもに「早い時期に、吃音を自覚させること」を知らされる。
 『どもり・親子の旅』の松尾さんの報告は、その驚きを鮮やかに伝えている。
 「やはり治してやれないのかという絶望感と、今まで私がしてきたこと(吃音を意識させないようにしてきたこと)と全く正反対の考えに、大変ショックを受けました。
 これは1995年6月、初めてどもる子どもの両親教室に参加した時のことだそうだ。そしてこの報告には、また次のようにもあった。
 「今、ようやく長かった原因探しや治療探しの旅から解放された気がします(後略)」
 原因探し・治療探しの旅という言葉も重い。子どもと共に病院を回り、吃音治療所を転々とした焦りと涙がにじんでいる。
 詳細なこの報告には、もちろん当の子どもさんも描かれている。
 「おまえの話し方、おかしいなあ」と級友から言われて、子どもは自分は普通ではないと知るのだが、後に子どもは母に次のように言った。「ぼくのような話し方は、どもりとか吃音だということをきちんと教えてほしかった」
 『どもり・親子の旅』には、どもりの子に対するいじめも報告されている。「に」や「く」をどもる子にわざと「肉」と言わせたり、どもるまねをして見せたり、「日本語知らんの?」とからかったり、帽子を取り上げて「くやしかったら、ちゃんと喋って見ろ。そしたら返してやる」。また「あいうえお」を言わせたり…。
 それらの多くの報告の現場を想像すると、胸が凍りついてくる。教室や廊下か校庭か下校の途中か。どもる子は仲間に囲まれている。ひとりかふたり、強い子がいて声をあげると、全員がどもる子を指さしてはやしたてる。
 高校にもいじめがあることを不覚にも、私は初めて知った。しかも、先頭に立つのは教師だという。その高校生の報告―。
 ―1年の担任のことば「オレはこのクラスに、めっちゃ嫌いな奴がおるわ…。誰とは言わんけどなあ。なんでオレのクラスにこんな奴おるねん!」
 この生徒は小さな時からどもり故に、先生からやっつけられていたらしい。
 ―小学生の時、「早く言い! 私は待てへんで」。「中学1年の担任は暴力教師。生徒も合わせて集団嫌がらせ。文化祭のせりふをどもったと、そのせりふの最初のことばをとってあだなに」。
 さて、吃音親子サマーキャンプ。どの子もどの親も参加してよかった、と報告している。『どもり・親子の旅』を知らない読者のために、整理して紹介する必要があるだろう。
 吃音親子サマーキャンプは施設の整ったキャンプ地で、3日間にわたって開かれる。どもる子ども同士、親同士、また親子同士の話し合い、触れ合い。同行したリーダー・世話役ももちろんそれらに加わる。そしてさまざまなレクリエーション、劇のけいこと発表、詩や作文も書くなどまことに充実した3日間だ。
 「2年のころ、よくみんなにからかわれたり、まねをされて、泣いて帰ったことがあります。でも3年の時、親子サマーキャンプに行って、どもってもべつにいいんだということが分かりました。それから、たまに発表ができるようになりました。どもることがあっても気にせず、読んだり言ったりしています。まだみんなから、からかわれているけど「それがどうしたんや」
と言い返しています。」(小学4年生)
 3・4年が集まって話し合う時間、「発表の時に、ことばがつまるのがはずかしいです」と言うと、「ぼくもいっしょや」と言ってくれました。(小学3年生)
 仲間との交流によって、開眼していくようすがよく分かる。どもりは自分だけではないと確認することも、自信への道なのであろう。

 どもりは治らないものらしい、とこの私も大阪吃音教室の人々との触れ合いによって、ようやく分かってきた。たまさか、大阪吃音教室の夜の例会に出席することがある。
 皆さんの顔は明るく、表情や態度にやさしさがにじみ出ている。何よりもびっくりするのは、どもる人などいないかに見えることだ。
 が、やはりつまったりする。初めて、なるほど吃音教室の会合だと納得する。
 余談だが、私の新聞社の先輩は、ひどいどもりだった。常に初めの音が出ない。機関銃のように音が発射される。が、ことばにはならない。
 顔は紅潮し、汗がにじむ。呼吸を整えて後、ようやく「きみにたのみがある。れいのひとにあって、しゅざいしてほしい」
 と用件が伝わる。そうかと思得と、実にすらすらと会話をかわす時もあるのだ。
 仕事の話だとつまり、のんきな話だとつまらない―ともいえないようだった。その逆とも。くつろいで酒などのみ合っている時もひどくつまったり、つまらなかったり。
 どもりは全く得体のしれぬやつだ。
 この先輩とは随分親しく付き合った。家も近くだった。が、どもりについては、ついに質問したことはなかった。
 大阪吃音教室、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さん初め、会員の人々を知って、私の視野は広くなった。今回の『どもり・親子の旅―吃音親子体験文集』を贈られて更に。
 この文集を読めば、あの先輩はどのように反応するだろうか、とふと思った。が、それを知ることはできない。彼は先年、亡くなってしまったから。
 文集に出てくる子どものことばのうち「ぼく、どもってもええんか」
が深く印象に残る。どもりを治してやろう、と必死の親。どもりは恥ずかしいものである、との考えを叩き込まれる子ども。
 このことばには、その呪縛からの脱出第一歩がひそんでいると思われるからだ。
 伊藤さんの次のことばも、私の魂に刻みこまれてしまった。
 <症状に注目し、吃音を治してあげたい、軽くしてあげたいと取り組むことは、その子の吃音を、ひいてはその子自身を否定することになるのです〉
 伊藤さんらスタッフの精進をこの上とも祈りたい。(1998.7.18)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/12
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