昨日に続き、谷川俊太郎さんを特集した「スタタリング・ナウ」最新号の巻頭言を紹介します。医学書院の白石正明さんが、ご自分のFacebookで、この巻頭言について投稿されたということを友人から知らせてもらいました。「スタタリング・ナウ」の一面の写真入りです。谷川さんが、このように、吃音について発言されることは、おそらく僕たちだけに限られたことだと思いますが、それだけにとても貴重なものだと思います。言葉について人生を賭けて考えてこられた谷川さんの率直なメッセージ、大切にしたいです。今、ブログ、Twitter、Facebookなどで紹介している月刊紙「スタタリング・ナウ」ですが、4月からの2025年度購読をお願いしている時期です。もし、ご希望の方がおられましたら、郵便局に備え付けの郵便振替用紙をご利用の上、購読費年間5,000円をご送金ください。どもる人やどもる子どもや保護者の体験、ことばの教室などでのどもる子どもへの実践、イベント情報など、吃音に関する情報満載です。主な読者は、ことばの教室担当者や言語聴覚士、どもる子どもの保護者、どもる成人、教育関係者、その他吃音とは直接関係ないけれど、ことばや声、生きることなどに関心のある人などです。
加入者名 日本吃音臨床研究会
口座番号 00970-1-314142
では、最新号「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366 の巻頭言を紹介します。
内的などもり
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
『父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。
英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています』
「内的どもり」と題する谷川俊太郎さんのこの文章は、竹内敏晴さんと谷川俊太郎さんをゲストに開いた、1998年の吃音ショートコースの直後に、参加しての感想のように送られてきたものだ。
谷川さんは、これまで出会った父親を含めてどもる人に対しては、自分の感性のままに自然に接してこられたのだろうが、どもる人の集団の、それぞれに違うどもる人を前にして、少し身構えるところがあったのかもしれない。それが私たちと出会って、「言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できました」とある。「吃音について」ではなく、「言葉について」とあるところが興味深い。私たちが吃音に拘泥していないことを喜んでくださったのだろう。
谷川さんの「生きる」の詩をもじって、即興でつくった「どもる」の詩を大阪吃音教室の仲間が身体表現もつかって朗読した時、谷川さんは大笑いして、「これはパロディーではなく、立派な替え歌ですよ」と喜んでくださった。どもる人の集団の中にいるという意識が吹き飛んだのだと思う。
だから、「竹内敏晴・谷川俊太郎対談」の時、司会者の私がつい話した女性にもてた大学時代のエピソードに、「それは、ほとんど話さず聞き役になっていた伊藤さんを、誠実な人だと錯覚したんですよ、きっと」のツッコミがすぐに飛んできたのだろう。もうこの人たちには何の遠慮もなくつき合えば良いのだと、安心感をもたれたのだと思う。
その後、何度もお会いする機会があった。その度に話していただいた、愛、人生、詩についての数々の言葉が、私のからだに染みている。
対談相手の人選に困っていた全国難聴・言語障害教育研究協議会山形大会事務局に、「たとえば、伊藤伸二のような人」と、実質的には、伊藤伸二を指名した形になったこの記念対談の後半部分を紹介する。対談の最後に、600人の参加者と谷川さんと一緒に歌った「鉄腕アトム」の歌は、今も、私への応援歌になっている。改めて、谷川俊太郎さん、本当にありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/02
「内的どもり」と題する谷川俊太郎さんのこの文章は、竹内敏晴さんと谷川俊太郎さんをゲストに開いた、1998年の吃音ショートコースの直後に、参加しての感想のように送られてきたものだ。
竹内敏晴は1925年の生まれ、吉本隆明や谷川雁、石牟礼道子たちの同世代者である。
"人に出会う"とは何か?
谷川さんとの出会いは、山形大会の2年前、僕たちの主催する吃音ショートコースというワークショップに、ゲストとして、竹内敏晴さんと谷川さんが来てくださったときでした。竹内さんと谷川さん、おふたりからたくさんのことばをいただきました。記念対談での谷川さんの、奥深いことばを懐かしく思い出していたところ、このブログで、竹内さんの特集をしている号を紹介する偶然が重なりました。「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 より、巻頭言を紹介します。
谷川俊太郎さんが亡くなったということは大きな出来事で、昨日の夕刊、そして今朝の朝刊でも一面のトップに日本を代表する詩人の死を悼む大きな記事が掲載されていました。やさしいことばで、深いことを表現されていたなあと思います。
僕が口火をきったのは、「俊太郎さん、俊太郎という名前は好きですか」でした。当然、谷川さんは予想しなかったその質問に驚かれました。谷川さんの父君である谷川徹三さんは吃音でした。だから、息子の名前をつけるのに、自分の言いやすい名前をつけられたのではないかと思ったからです。そんな話からスタートして、最後は、「鉄腕アトム」の歌を会場にいたみんなで歌いました。「鉄腕アトム」の歌詞の中に、ラララがありますが、あれは、先にメロディがあって、後から谷川さんが歌詞を作っていったそうですが、いいことばがみつからず、ラララになったんだというエピソードも、笑いながら紹介してもらいました。
《表現としてのことば》をテーマにした、谷川さんと竹内さんの3時間の対談、突っ込んだ質問に丁寧にユーモアをもって、谷川さんがご自分の詩と人生を語ってくださった時間、そして最後に谷川さんが自作の詩を2時間、解説しながら朗読された詩のライブなど、吃音ショートコースは、本当に贅沢な時間でした。
谷川さんの詩「生きる」をもじって、僕たちは「どもる」という詩を作りました。谷川さんは、その詩を、『これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですね。「替え歌」というのはものすごくエネルギーがあるもので、我々も子どもの頃、軍歌の替え歌なんかやっていましたけれど。この替え歌は歴史に残るのではないでしょうか。』と言ってくださいました。「生きる」と「どもる」を並べて紹介します。
第二十九回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が、二十七日、山形市民会館で開幕し、詩人の谷川俊太郎さんと日本吃(きつ)音臨床研究会代表の伊藤伸二さんが「内なることば・外なることば」をテーマに記念対談した。二日間の日程で、聞こえと言葉の教育の在り方を探る。
今日、紹介するのは、僕の主催する吃音ショートコースではなく、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談です。対談の相手は、詩人の谷川俊太郎さんでした。谷川さんとは、その2年前に、竹内敏晴さんと共に吃音ショートコースにゲストとしてきていただいており、お話したことはありました。それでも、山形大会では、600人の聴衆の前での公開対談ということで、今から思っても、よく引き受けたものだと思います。「ことばの名人」である谷川さんと、「ことばの迷人」の僕との対談について書いている「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73の巻頭言を紹介します。
『ことばの迷人』とは何か。
谷川俊太郎さんの父君、著名な哲学者の谷川徹三さんも、自分の名前が言えずに悩み、1か月、伊沢修二の楽石社で矯正を受けた。しかしその後は吃音を受け入れ、個性として生きたからこそ、今日の谷川さんの吃音への思いにつながったのではないか。ことばの迷い人にならないために、まず、どもってもいいが基本なのだ。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)