伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

谷川俊太郎

谷川俊太郎さんの訃報に接して 2

年報表紙 谷川俊太郎と竹内の世界  谷川俊太郎さんが亡くなったということは大きな出来事で、昨日の夕刊、そして今朝の朝刊でも一面のトップに日本を代表する詩人の死を悼む大きな記事が掲載されていました。やさしいことばで、深いことを表現されていたなあと思います。
 あれから、いろいろなことを思い出しました。
 「スタタリング・ナウ」100号記念のメッセージをもらったこと。寝屋川市民会館で、息子の賢作さんと一緒に、詩の朗読と音楽のライブのステージをされて行ったこと。家の近くの星誕堂という小さなホールに谷川さんが来られて、あいさつに行き、音楽と詩を聞く楽しい時間を過ごしたこと。日本吃音臨床研究会の1998年度の年報『谷川俊太郎と竹内敏晴の世界』の制作のため何度か原稿のやりとりをしたこと。その都度、独特のやさしいやわらかい文字のお手紙をいただいたこと。その他、ありがたいおつき合いでした。

 さて、今日は、1998年の吃音ショートコースの2年後、2000年の全国難聴・言語障害教育研究協議会山形大会の記念対談のことです。谷川さんは、「自分から話したいことはない。質問してもらえれば話せると思う」と山形大会の事務局に伝えていて、対談相手の人選に難航していた時に、「伊藤伸二はどうか」と、谷川さんが僕を推薦されたそうです。2年前に吃音ショートコースで出会っているとはいえ、びっくりしました。たくさんのいろんな人と対談をしている谷川さんとの対談、普通なら尻込みしてしまいそうですが、僕は引き受けました。それからが大変で、谷川さんの詩集、散文集などたくさん読みました。読めば読むほど対談が怖くなってきました。そこで、腹をくくりました。小手先のことをしても仕方がない。何も読まなかったことにして、まっさらに伊藤伸二をそのまま出して、話の流れに任せるしかない。対談の最初と最後に話すことだけを決めて、本番に臨みました。
谷川さんとの対談 垂れ幕 僕が口火をきったのは、「俊太郎さん、俊太郎という名前は好きですか」でした。当然、谷川さんは予想しなかったその質問に驚かれました。谷川さんの父君である谷川徹三さんは吃音でした。だから、息子の名前をつけるのに、自分の言いやすい名前をつけられたのではないかと思ったからです。そんな話からスタートして、最後は、「鉄腕アトム」の歌を会場にいたみんなで歌いました。「鉄腕アトム」の歌詞の中に、ラララがありますが、あれは、先にメロディがあって、後から谷川さんが歌詞を作っていったそうですが、いいことばがみつからず、ラララになったんだというエピソードも、笑いながら紹介してもらいました。
 お礼の言葉として大会会長が、「大きな講演会でみんなで歌を歌ったのは初めてでしたが、みんなが一つになれたようでとてもよかったです」と話され、僕も無事に大役を終えてほっとしました。全難言全国大会山形大会での「内なることば 外なることば」と題した記念対談は、僕にとって、思い出深い記念すべき対談でした。
谷川さんとの対談 ふたり
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/19

谷川俊太郎さんの訃報に接して

谷川俊太郎1 今朝、起きてすぐ、谷川俊太郎さんが亡くなったという速報が飛び込んできました。
 谷川さんは92歳、大往生といえるのかもしれないと思いながら、谷川さんのしなやかな姿やことばから、まだまだ僕たちの前にいて、新鮮なことばを紡いでくださるような気がしていました。
 谷川さんとは、たくさんの思い出があります。直接の出会いは、竹内敏晴さんと一緒に講師として来てくださった1998年の第4回吃音ショートコースでした。そのとき、谷川さんは66歳でした。そしてその2年後の2000年、第29回全難言大会山形大会での記念対談で、谷川さんから指名してもらって、聴衆600名の前で、「内なることば、外なることば」の演題で対談したことです。

 今日は、懐かしい写真とともに、吃音ショートコースでの思い出を振り返ってみます。
 1998年初秋、奈良・大和路で、《表現としてのことば》をテーマに、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんをゲストに、第4回吃音ショートコースを開催しました。
谷川俊太郎2 《表現としてのことば》をテーマにした、谷川さんと竹内さんの3時間の対談、突っ込んだ質問に丁寧にユーモアをもって、谷川さんがご自分の詩と人生を語ってくださった時間、そして最後に谷川さんが自作の詩を2時間、解説しながら朗読された詩のライブなど、吃音ショートコースは、本当に贅沢な時間でした。
 吃音ショートコースの帰り、厚かましくも谷川さんにお願いした僕たちへのメッセージが、すぐ送られてきました。《内的などもり》と題された文章を紹介します。谷川さんの父君の谷川徹三さんのことから、その文章は始まっています。

 
内的などもり
 父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
 どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
 でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
 そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
 先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています。


谷川俊太郎3 谷川さんの詩「生きる」をもじって、僕たちは「どもる」という詩を作りました。谷川さんは、その詩を、『これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですね。「替え歌」というのはものすごくエネルギーがあるもので、我々も子どもの頃、軍歌の替え歌なんかやっていましたけれど。この替え歌は歴史に残るのではないでしょうか。』と言ってくださいました。「生きる」と「どもる」を並べて紹介します。

  生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ.
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


  どもる
どもるということ
今 どもるということ
それは
喉が乾くということ
周りの目がまぶしいということ
ふっとイヤな出来事を思い出すということ
まばたきすること
一人で手を振ること

どもるということ
今 どもるということ
それは 自己紹介
それは デートの誘い
それは 羽仁進
それは マリリン・モンロー
それは 谷川徹三
それは 全ての個性的な者に出会うということ
そして 効率優先の現代社会を注意深く拒むこと

どもるということ
今 どもるということ
つまるということ
隠すということ
逃げるということ
不自由ということ

どもるということ
今 どもるということ
今 ハンドルを切り損ねるということ
今 切符を買えず遠くへ行けないということ
今 衆人の注目を浴びるということ
今 とっさに言い訳が出来ないということ
今 いたずら電話と間違えられるということ
今 今が過ぎてゆくこと

どもるということ
今 どもるということ
人は 注目するということ
人は 笑うということ
雰囲気が和むということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

私と『スタタリング・ナウ』4

 昨日の続きです。2002年12月21日発行の『スタタリング・ナウ』100号記念特集に寄せられたメッセージを紹介しています。

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
   私と『スタタリング・ナウ』
  


  99号を読んで
                 喜田清 ボランティアグループユーテ代表(香川県)
 11月2〜4日に開かれた吃音ショートコース報告特集号です。7歳〜70歳を越える方、総勢58名。四国や関東・東北から参加されて、主宰者・伊藤伸二さんの力量の大きさと伊藤さんを支える人脈の豊かさが見事に結集されています。
 どもる私から見て画期的なのは、どもる人だけでなく、各地の小学校や保健所の、ことばの教室の先生から、精神科デイケア・言語聴覚士も参加されています。
 ユーテ10月号で紹介した「臨床家のための吃音講習会」に参加した横須賀市立諏訪小学校・ことばの教室の鈴木先生も、吃音ショートコースに参加しています。それは決して偶然ではありません。主宰者・伊藤伸二さんが、一回の出会いを大切にして、どもる子どもの対応に苦慮している鈴木先生に、励ましの手紙を差し上げたことから、横須賀の鈴木先生も、関西の集会に駆けつけてきました。
 1998年、伊藤伸二さんは青森で鴻上尚史さんと出会い、その出会いを大切にしていた伊藤伸二さんは、この吃音ショートコースに鴻上さんをメイン講師に迎えています。
 このような人と人の出会いを、伊藤伸二さんは「奇跡的」と表現しています。さらに、このような出会いを大切にして、吃音ショートコースに参加されている皆さんが、夜遅くまでお酒を飲みながら、相手に身を委ねる思いで語り合えることを「奇跡のような空間」と、言っています。
 私も吃音症状の強いときは、何の集会に参加しても自分の殻に閉じこもって、出会いを大切にする心情になれなかったです。
 出会いを大切にすることによって、自然に、何の集会でもその場の雰囲気に自分を委ねることができます。
 その証明が、スタタリング・ナウ11月号で紹介されている吃音ショートコースです。
 夜10時を過ぎた歓談のときでも講師・鴻上尚史さんは、隅っこにポツンと一人いる方に声をかけて、歓談の中に入るように配慮しています。美しい光景です。
 どこの吃音者自助団体の発行している会報でも、必ず見られるのが「何年間も吃音治療機関をさまよって何の効果もない」話です。スタタリング・ナウ11月号にも、芸術大学を中退した青年が3年間、吃音治療所へ通って徒労だった報告があります。その費用については何も書かれていませんが、それは決して安いものではありません。胸が痛みます。
 ただし吃音ショートコースでは、精神病院の精神科デイケア・言語聴覚士・ことばの教室の先生も同じ参加者として、吃音者のことばを聞いています。
 ことばの教室の先生も、今まで、どんなに努力しても、児童に効果が現れなくて、先生自身が「ものすごいストレスで身も心も痩せる思い」でした。しかし、この吃音ショートコースに参加されて「皮膚を通して沁みてきた感覚として」吃音が理解できました。
 それからは学校に戻って、力まずにどもる子どもと話ができた報告もありました。
 このように、吃音者と治療する者との対等な交流の積み重ねによって、吃音者の未来は必ず明るく開けます。

【どもる人に呼びかけたグループ『ユーテ』が香川県で知らない人がないほどのボランティアグループに発展。地道にこつこつと活動される姿には、励まされます】


  心の充電
                   嶋村由美 主婦・診療放射線技師(大阪府)
 私は1歳の子どもを持ち、今は読むだけのおつき合いになっていますが、毎月楽しみに読ませて頂いています。私にとっては心の充電になっています。
 近頃はどもりと仲良くなって、そんなに困ることはなくなりましたが、1つ悩んでいることがあります。今はクリニックでレントゲン撮影のアルバイトをしていますが、ほとんど胸部撮影だけで、気楽に働いています。検診が主のクリニックで、職員の方は胃の透視検査をされています。私が以前働いていた病院では胃の検査は医師がやっていたため私は経験していませんでした。
 先日、まだ確定ではないけど人手が足りないときは、私が胃の検査もできるようになったらいいと言われました。やってみたいという気持ちはありますが、マイクに向かって話すのは本当に苦手で、それも短時間で検査を終えるため早く分かりやすく話さないといけないし、それでなくてもまずいバリウムを飲まされてあっち向けこっち向けと指示され辛い検査なのに、検査する側がどもっているとイライラされるのではないか、私が入ると検査の待ち時間が延びるんじゃないかなどと考えてしまいます。
 でも『スタタリング・ナウ』等を読んでどもりの技師がいてもいい、うまくやろうとしないで検査の内容に目を向けようと思いました。流暢でも早口で分かりにくいものより、どもっても感じの良い検査ができればいいなあと思います。
 まだクリニックの方針が決まってないのでどうなるか分かりませんが、もし頼まれたら引き受けるかもしれないです。でも逃げたい気持ちもあるのでまだ迷っています。

【大阪の吃音教室に参加されていた嶋村さん。今は子育てとお仕事でお忙しいようです。心の充電をたっぷりして下さいね】


  急ぎ過ぎる社会に一石
           羽鳥操 野口体操の会主宰 野口三千三授業記録の会代表(東京都)
 「スタタリング」の言葉に初めて出会ったとき、思わず舌を噛みそうになったことを思い出します。でもいい響きの言葉だと思いました。
 ところで、会長の伊藤伸二さんにお目にかかったのは1998年秋のことでした。文化デザインフォーラム青森に、演出家の鴻上尚史さんに御呼ばれしてご一緒させていただいたのがご縁です。それ以来この冊子を通して、伊藤さんの過去・現在・未来を、垣間見させていただくと同時に、吃音で悩む方々の生き方から教えられることが多々あります。
 思い返せば伊藤さんの滑らかなスピーチを隣で伺いながら、吃音の会の代表者ということが信じられませんでした。「僕は、吃音のある人に、テレビやラジオの出演を頼んでいます」という知人のディレクターがおります。かれこれ二十年近くのおつき合いがありますが、彼が制作する番組の登場者は確かに吃音の方が多いのです。言葉を選び、言葉を捜し、言葉を言い換えることをしている人は、物事をしっかり見据える力を日常的に養っているわけで、年を重ねるごとに深い洞察力を磨いているという彼の認識に、番組を通してうなずいています。障害をもっていることによって、見えてくる世界もありますね。話を聞くとき、話をするとき、「待つ」ことによって絆がしっかりと結ばれる可能性があることを、ぜひこの冊子と活動によって、世の中に知らせて下さい。あまりにも急ぎすぎる社会に、一石を投じていただきたい。本当のコミュニケーショシの意味を、伝えて下さい。

【羽鳥さんの野口体操の教室と著作を通して、野口体操が語り継がれ、実践されていきます。それが少しずつ広がっていくことをうれしく思います】


  日々言葉を扱う仕事の中で
          永田浩三 NHKディレクター(東京都) クローズアップ現代 編集長
 「スタタリング・ナウ」をいつも感銘深く読ませていただいております。
 伊藤伸二さんにお目にかかったのは2年前。NHKの番組で竹内敏晴さんのワークショップを紹介した時でした。その際私の恩師の永渕正昭先生(東北大学で教わりました)の名前が出て、私と伊藤さんに接点が生まれたのです。
 私自身吃音の経験はありませんが、中学時代の後半、自分の言葉に正確でありたいと思いつめるあまり、何も言えなくなってしまったことがあります。どの言葉も自分の気持ちとずれがあるような気がして、言葉を発することができなかったのです。その後高校に進み、リベラルな雰囲気のなかで、身構えないで話せるようになりました。
 今はクローズアップ現代という番組の編集長として、日々言葉を扱う仕事をしていますが、伊藤さんの文章はかっての自分を思い出させてくれます。当時のもんもんとした気持ちがその後の自分にとってプラスであったと、今は思います。
 先日、重松清さんの「きよしこ」という小説を読みました。吃音を抱えながら、心優しくたくましく育つ少年の物語で、伊藤さんを思いました。
 「あなたは1人ではない。あなたはあなたのよさに気づいてほしい。…」というのは、セルフヘルプ・グループについて伊藤さんが書かれた言葉です。これは、われわれ番組にかかわる人間への言葉でもあると思い、若手ディレクターの研修でも使わせていただいています。
 100号本当にお疲れ様でした。どうかこれからもご活躍下さい。

【大阪での定例レッスン会場に、竹内敏晴さんの取材に来られて初めてお会いしました。その出会いが『にんげんゆうゆう』につながったのです】
谷川俊太郎手書きのメッセージ

                           谷川俊太郎 詩人 (東京)
 吃る人たちの存在が、吃らない私にとって、批評にも、励みにもなっています。私たちは言葉とともに、静けさや沈黙をも共有しているからでしょうか。

【吃音ショートコースで、詩の朗読ライブに対談にと、「こんなに使われたのは初めて」と微笑まれたことが忘れられません。その年報は、大きな財産です。】


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/20

ことばの力

 この夏、第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が終わった直後に、千葉県の合同夏季研修会で全体講演をすることになっています。千葉県では、全面的ではないけれど、久しぶりに対面での研修会だとのことです。僕のことばが、参加している人たちに直に伝わる場に呼んでいただけたこと、とてもうれしく思っています。そのときの配布資料の締め切りが昨日で、相変わらず、ぎりぎりまで手直しをしていました。これだけ準備をしたとしても、当日は、そのときに一番話したいと思うことを資料に関係なく話すことになるのだろうと思いつつ、大切なことが漏れないよう、資料で補っていただこうと思い、準備しました。
 目の前にいる人に、今、このことを伝えたいと思う「今、生まれてくることば」を大事にしようと、竹内敏晴さんは言っていました。竹内さんが、事前に準備したパワーポイントを読み上げて話をするなど考えられないことであり、絶対にしなかったと思います。
 目の前のあなたに伝えることばには、それだけの力があると信じているのです。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.1.19 NO.89の巻頭言を紹介します。

    
ことばの力
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもるから言えないのだ。どもりさえ治れば、もっといっぱいしゃべれるのに」
 ずっとそう思っていた。人と触れ合いたくて、友達が欲しくて、どもらないことばを追い求めてきた。それが、ことばは万能だとする、うわついた、ことばへのあこがれと、ことばを使ってこなかった人間の経験のなさからくる認識不足だと気づいたのは、21歳の自分をいっぱい語る経験をしたからだ。
 どもるのが嫌さにずっと話すことを避けてきた私が、どもってもいいと思える相手と心ゆくまで、自分にとって嫌なこと、腹が立ったこと、困ったこと、悔しかったことなどを、いっぱい話す経験をした。この時のうれしさ、ここちよさは今でも忘れない。
 どもるのが嫌さに口をつむぐより、どもりながらでも話した時の心地よさを体験すると、もうどもるのが嫌だからと、話さない世界へは戻れない。そうして、恐る恐るではあっても、話すことを選び始めた頃、どもるから言えないのだと思ってきたが、そうではなかったことに気づいた。どもるどもらないにかかわらず、私に「内なることば」がないことに愕然としたのだ。
 苦しかった過去のことは聞いてくれる人がいたら話せるが、自由な会話で人と向き合ったとき、何を話してこの人と時間を共に過ごせばいいのか、どうあいさつをかわせばいいのか、相手の話にどう反応すればいいのか、分からなかった。吃音に悩み始めた小学2年の秋からの孤独な生活は、必要最低限のことばしか使わない生活を余儀なくし、ことばのない世界にいたのと同じことだったからだろう。
 21歳の、恐る恐ることばの海に泳ぎ始めた頃には想像もできないことだが、私が、現代のことばの名人といっていい、詩人の谷川俊太郎さんと、600人ほどの聴衆を前に、公開の対談をした時、谷川さんの話の中の、「管」にこだわったのは、孤独な生活の中で、私の「管」は、ぼろぼろになり、錆びついていたのではないかとの思いが浮かんだからだ。
 吃音でなかったら人は話せるものだろうか。日常会話は流暢に話す15人の大学生と6日間、話すよりも沈黙の多い時間を共にすると、どもらなくても人は話せないのだということが、誠によく実感できる。
 昨年末に、非常勤で出講している龍谷大学の6日間の集中講義が終わった。社会福祉系の心理学の講座で、「ベーシック・エンカウンター・グループ実習」の講座だ。9時20分から18時40分まで、6日間を15人の学生と、何のテーマもなく一つの輪になって過ごす。昨年より倍以上増えた学生の多さに戸惑いながら、実習はスタートした。話したいと思ったときに話をし、話せと強要されることはない。全員が初めての経験なので、少しはグループについて話はするが、「では、これから始めます」のことばと共に沈黙が始まる。最初の2時間ほど、輪になった16人が何もしゃべらずに沈黙する姿は端から見ていたら、なんと異様な光景だろう。
 たまりかねた人が語り始めるが、誰も反応しない。また沈黙。1日目のレポートに学生の全てが、「これは一体何なのだ、イライラして、とても疲れた」と書いた。2日目もあまり変化はない。多少は話す人が出てくるが、反応がない。
 時々、休憩を挟むその時がおもしろい。学生は先程の沈黙のうさを晴らすようによくしゃべり、生き生きし始め、よく笑う。その姿を見ながら、私はこの、休みの時間が怖く惨めだったなあと、子どもの頃のことをふと思い出した。
 あまり皆話さないので、小さなグループに分けてはどうかとの提案や、テーマを決めて欲しいという要望にのってしまいたい気持ちにもなる。頑なにベーシック・エンカウンター・グループにこだわった。それが、3日目の午後から大きく動いた。「自然に反応している自分に気づきました。安心して話せる雰囲気が出てきました」「普段では絶対話せないことを話して、皆が真剣に聞いてくれてうれしかった」などが、3日目のレポートに書かれていた。4日目には生活に根差した、大きな事柄が話され、全員が何らかのレスポンスをして、前半の秋の4日が終わり、年末の2日の実習が楽しみになったようだった。
 そうして迎えた年末の2日間、「自分を語ることの難しさ、緊張、恥ずかしさを知った。人の話を聞くことの難しさを知った。とても不思議な体験でした」とのレポートの最後に、参加して本当によかったと全員が書いてくれたことで、疲れがとれた思いだった。必修科目でもないのに一人のリタイアもなく、6日間を15人が共にいられた。学生の素晴らしさを思った。
 楽しく雑談することばと、自分を率直に自己開示することばは、全く違う言語なのだと考えていいだろう。この違う言語をどう耕し育てていくか。
 ことばの世界は気が遠くなるほどに深い。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/05

谷川俊太郎さんとの記念対談〜山形新聞の記事〜

 昨日、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会山形大会で、谷川俊太郎さんと僕とが記念対談をしたことを、巻頭言で紹介しました。テーマは、《内なることば・外なることば》で、約600人が参加し、その様子は夕方のテレビ放送でも流れたようです。記念対談のことを、山形新聞が写真入りの記事で紹介しています。「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74に掲載した、その新聞記事を、紹介します。

「言葉は愛情の形」
難聴・言語障害教育研究全国大会山形大会 谷川さん(詩人)対談

谷川さんとの対談 新聞記事 第二十九回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が、二十七日、山形市民会館で開幕し、詩人の谷川俊太郎さんと日本吃(きつ)音臨床研究会代表の伊藤伸二さんが「内なることば・外なることば」をテーマに記念対談した。二日間の日程で、聞こえと言葉の教育の在り方を探る。
 同協議会は、難聴や言語障害を持つ子どもを指導する全国の公立幼稚園、小・中学校の教諭らで組織。県内では二十五の小学校が「ことばの教室」を設置し担当教諭らが加入している。
 全国大会は、毎年、各県で開いており、今年は本県を会場に約六百人が参加した。
 記念対談で、谷川さんは「言葉は人間にとって、生まれた時に母親から受ける愛情の一つの形」と指摘し、「言語障害児に言葉遊びを披露したら、驚くほど反応した。意味のある言葉を交換するだけが言語ではなく、意味がなくても、言葉の肌触りを交換することが大切で、それが人間のコミュニケーション」と話した。伊藤さんは「言語の障害があっても書くことに支障がない場合が多いが、自分で否定してしまうと黙読でも、障害が出る。障害を肯定できるかどうかがポイント」と説明した。
 きょう二十八日は、市霞城公民館などで分科会を開き、言語発達の遅れや吃音、聴覚障害などを指導する基礎知識を学ぶ。(山形新聞 2000.7.28)
(「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/27

「ことばの名人」・谷川俊太郎さんとの対談〜第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談〜

 僕は、これまで、吃音ショートコースという2泊3日のワークショップで、いろいろな分野の方と、対談をしてきました。それぞれその分野での第一人者の方でした。
谷川さんとの対談 舞台 今日、紹介するのは、僕の主催する吃音ショートコースではなく、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談です。対談の相手は、詩人の谷川俊太郎さんでした。谷川さんとは、その2年前に、竹内敏晴さんと共に吃音ショートコースにゲストとしてきていただいており、お話したことはありました。それでも、山形大会では、600人の聴衆の前での公開対談ということで、今から思っても、よく引き受けたものだと思います。「ことばの名人」である谷川さんと、「ことばの迷人」の僕との対談について書いている「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73の巻頭言を紹介します。


ことばの迷人
   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「谷川さんは、俊太郎という名前はお好きですか?」この最初の切り口を考えた以外どう展開していくのか、見当がつかないまま対談が始まった。
 第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が山形で開かれ、「内なることば・外なることば」をテーマに、詩人の谷川俊太郎さんと対談をした。大会事務局からこの話をいただいたとき、谷川さんの気さくな人柄を知っているので、気楽に引き受けたものの、日が近づくにつれてだんだんと不安になってきた。
 詩集だけでなく、対談集、散文、ことばについての著作など改めて読み直し、どんな話が展開できるか、準備を始めた。読めば読むほどに自分が谷川さんとの対談相手としては、あまりにも役不足であることが感じられ、安易に引き受けたことを悔いた。しかし、もう後へは引けない。聴覚言語障害児教育に携わる、ことばについて日頃実践している教師、600人ほどの前での公開対談だ。びびらない方がおかしいのだと開き直った。
 谷川さんがことばの名人なら、私はことばの迷人だ。ことばに迷いに迷い生きてきた。ことばの迷い人として向き合えばいいのだ。そう考えたとき、私の中の気負いが消えた。
 大きなホールの600人以上の聴衆をほとんど意識することなく、谷川さんとの対談を楽しめた。
谷川さんとの対談 ふたり 『ことばの迷人』とは何か。
 谷川さんは、私たちに「内的などもり」という洞察に満ちた文章を寄せて下さっている。
 ―自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか―
 このようなことは、カウンセリングの訓練の中のひとつである、自分自身がクライエントになっての面接場面のテープを聞くと、誠によく分かる。普段話しているのとは全く違い、まさにゴツゴツと行ったり来たりしている。内的にも、外的にもひどくどもっている自分にびっくりする。
 どもる人の言葉には滑らかに流暢に話す人にはないリアリティがあると、どもりを肯定的にとらえて下さる人は多い。どもりは個性だと言い切って下さる人もいる。
 どもりを忌み嫌い、人前では絶対にどもりたくない思いばかりが強かった21歳までの私は、人と話す時、いかにどもりがばれないようにということばかりに腐心した。向き合う相手のことなど少しも考えていない。このことばはどもるか、どもらないか。自分の気持ちを探り、自分の中の言葉を探るのではなく、どもらない言葉だけを探っていた。例えば、本当は『悔しい』と言いたかったのに『く』がどもると思うと、とっさに『さみしい』とか『悲しい』などと言ってしまう。言った後で、常に不全感が残った。自分の気持ちや、ことばを大切にせず、どもらない音だけを散らせた。私の、このことばにリアリティが出るはずもない。これを、「ことばの迷人」と言わずになんと表現しようか。まさに、ことばの迷い人が、当時の僕にはぴったりとするのだった。
 どもる人のことばを個性と言うには、大きなポイントがある。それは吃音を受容しているかどうかだ。完全に受け入れているとまではいかなくても、肯定的に考える。少なくとも、吃音を忌み嫌い、強く否定していないことが、決め手だろう。
 「どもってもいい」と、吃音を自分自身が受け入れると、いかにどもっても自分の気持ち、思いを表現しようとする。話すことは苦手でも、文章なら大丈夫だと書くことにも目が向いてくる。どもりを強く否定していた時は、どもりを治そう、少しでも軽くしようとの選択肢しか思い浮かばなかったが、どもりを受け入れたとき、選択肢は人生、趣味などとも関連して、広がっていく。
 吃音の経験があり、その人なりの人生を生きた人は、一時は吃音を否定していたとしても、吃音否定のままでいたわけではない。
谷川さんとの対談 垂れ幕 谷川俊太郎さんの父君、著名な哲学者の谷川徹三さんも、自分の名前が言えずに悩み、1か月、伊沢修二の楽石社で矯正を受けた。しかしその後は吃音を受け入れ、個性として生きたからこそ、今日の谷川さんの吃音への思いにつながったのではないか。ことばの迷い人にならないために、まず、どもってもいいが基本なのだ。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/26

対談―表現としてのことば― 4

 「ことばの人」の谷川俊太郎さんと、「からだの人」の竹内敏晴さんの対談のさわりを紹介してきましたが、その最後です。
 僕はこの時の司会以外に、谷川さんと対談をしています。2000年、山形市で開かれた全国難聴・言語障害教育研究協議会での記念対談でした。谷川さんは、ひとりで話を展開していくのは好まない、誰かが尋ねてくれれば、それについて思ったり考えたりしたことを話すことはできるけれど、とおっしゃったそうです。何人かの候補を事務局は挙げたのですが、対談相手に、谷川さんは僕を指名したと、大会の関係者から聞かされました。1998年のこの吃音ショートコースでの出会いの2年後のことでした。そのときの対談はとても楽しく、谷川さんもおもしろかったと言ってくださいました。その対談はまた紹介します。
 質問されるといろいろと喋ることがあると、話は展開していきます。僕も、質問を受けて、話すのが大好きです。それまで全く考えていなかったことが生まれてきて、自分でもびっくりすることがあります。谷川さんと、竹内さんの対談の続きです。

ことばが出てくるということ

谷川 自分でも疑問ですよね。(笑い)
 普段から考えてることを、喋ってることもありますね。対談などで質問されれば、その質問に関しては、自分はこう考えてるんだから、それを全部喋る。でも、普段考えてることじゃないことが、何か一種の条件反射みたいに、瞬間的にことばになって出てきて、出てきたあとで「あっ、そうだ、俺はこう考えていたんだ」って思うことがあるんですよ。

竹内 思うことがある、というよりも年中そうじゃないですか? 僕から見ていると、そういう気がするけれども。
 そんなことはないんですか?

谷川 年中っていうのはちょっとオーバーだけれども、僕一人で何か頭の中でずうっと考えていくことに、すごく限度があるような気がするんです。むしろ人と喋っている、キャッチボールしているときの方が、自分の考えが発展していく。それは別に音声言語で喋ってなくても、書かれたものを読むんでもいいんです。書かれたものを読むことは、自分には考えるきっかけとしてありがたいということがありますね。

竹内 僕は、話し合ってる間に発展することはたまにはありますが、僕に、谷川さんのおっしゃることに近いことが起こるのは、レッスンをしてるときなんです。からだが動いているときに飛び出してくることばは、あとで思い出しても自分で、「そうか! そう言えばいいんだ」と嬉しくなることがある。しかし、意識がないってほどじゃないんですが、あとで「あのときあんなこと言われて、おもしろかった」と言われても、全然覚えがないこともある。
 だから言語として、それによって先へ思考がうまく発展したというふうになるかどうかは、はなはだあやしいんだけれども、からだが動いているときには、からだの動きがことばになるということがある。会話でなるというのはものすごく難しい。

谷川 それはでも、会話で何か刺激を受けて自分に新しい考えが出てくるってことは、そんなにあとで書き残すとか、はっきり覚えていて何か発展したとか、そんなシステマティックなものではなくて、その場で自分で思ってもいないことを相手のおかげで言えたみたいなことであるに過ぎないんですけどね。

竹内 そのときには、そのことばっていうのは、さっきのことばが信用できないとおっしゃったことから言えば、本当か嘘かみたいなことで言うと、どのへんになるんですか?

谷川 現実にそういうふうに会話してるときに出てくることばは、ほとんど本当だろうと思ってます。少なくとも、それが本当か嘘かをはっきり検証するような場面ではないところの話ですね。つまり、今こうして話しているときは、公的な人間関係ですね。だから、そこでは、非常に矛盾した感情は、ほとんど持たないで済んでいる。もっと突き詰めていくと、例えば竹内さんに関して、僕が何か愛と共に憎しみを持ってるということがあるかも知れない。(笑い)ですけども、普通こうやって話している場合には、一種ニュートラルな感情で話していると思うんです。少なくとも僕の場合には。だけど、例えばもっと身内と僕が話すとなると、もう絶対にそういう感情には最初からないわけだから、そこに混沌とした矛盾に満ちた感情みたいなもののやりとりになる。そうしたら、全然話は違ってくる。

竹内 話に割り込んで悪いんだけど、混沌とした、谷川さんの言う感情のやりとりでも、ちゃんとことばになるわけでしょ? (笑い)

谷川 そこがすごい問題なんですよ。

竹内 僕はそういう場合、全然ことばにならなくなっちゃうから、甚だ具合が悪い。

谷川 僕は少なくとも、ものすごくことばにしようと努力する方で、しかもそれが、僕の経験からいうと2年後にやっとことばになったとか、そういうことはあるんですよ。でもそれだと、夫婦げんかに間に合わないんですよね。(笑い)

竹内 なるほどねえ。いや、そういう気持ちはよくわかる。僕は夫婦げんかじゃなくても、年中そういうことをやっているからね。僕は2年後かどうかは、分からないけど。
「スタタリング・ナウ」(NO.54 1999.2.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/23

対談―表現としてのことば― 2

 昨日の続きです。谷川さんと竹内さんの対談、なんとも贅沢な時間でした。この対談が行われた吃音ショートコースの参加者は、どもる人よりどもらない人の方が多かったことも思い出されます。吃音という入り口から入ると、普遍的な広い世界が広がっていたということだろうと思います。

極度に制限された中での表現

谷川 今一つ、思い出したことがあるんです。情報伝達でも、自分の感情の表現でも、あるいは必要なことの伝達でもいいんだけれど、それが極度に制限された形があって、僕の身近にそういう人が二人います。
 一人は僕のいとこで、バイクの事故で完全に首から下が不随です。意識はあり、頭は正常に働いている。彼がどうやって情報伝達するかというと、気管切開してるのでほとんど声はうまく出ないけれど、非常に身近にずっと付き添っている人にはどうにか判別できる声がある。それと、もう一つはワープロです。
 普通のワープロと違って常に五十音がディスプレイに映ってて、カーソルみたいなのが「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」と常に動いている。寝てる頭上にディスプレイがあって、細い針金みたいなのが出てて、それに舌でタッチするとことばが確定する。「か」なら「か」のところにきたときに、ペロッとなめる。つぎに「く」のところでぺろっ「て」でぺろっ、「い」でぺろっと確定させて初めて「かくてい」というひらがなが出てきて、それを漢字変換する。だから、「こんにちは、よく来てくれましたね」と彼が表現するだけでも、5、6分待ってなきゃいけない。そういうコミュニケーションの仕方です。
 もう一人は進行性の筋萎縮症の人で、その方は僕のいとこよりももっと体の自由が利かなくなっていて、彼の場合は瞬き(まばたき)で確定する。全然身動きできないんですが彼はすごい元気な人です。身動きできない人に元気といえば変な言い方なんだけど、生きる意欲満々な人なんです。彼の生きる意欲に周りの人がすごく励まされている。それで、お祭り騒ぎみたいな感じでボランティアが来ている。
 彼が病室でピアノのコンサートと詩の朗読会を開きたいと言うんで僕は初めてその人のところに行きました。キーボードでピアノの演奏があって、僕が詩の朗読をしました。彼は王様のごとく、豪華な電動ベッドに身動きもせずに横たわっている。主人公は何にも言わないのに、そのそばでボランティアがキャーキャー言っておすしを作ったりなんかして、楽しんでいる。何かこれでいいのかな、という感じなんですね。それでも彼は、そういうことをちゃんと受け入れる知的能力、環境的能力のある人だから、とても喜んでいる。そのあとで感想なんかをEメールで書く。「Eメール1ページ分どれくらいかかるんだろうね」と聞くと、「まあ、3週間ですね」と周りの人が言う。だから、すごい努力なんですよ。そういう形ででも、とにかくコミュニケーションしているし、していこうという意欲があるということに、こっちは励まされてしまう。
 また、普段自分がペラペラペラペラ喋っていることが、どんなに運がいいのかってことを、痛感させられちゃうんですね。
 そういう極限の形が、僕の頭の中にあって、一方で例えばテレビの喋りにしても新聞の文章にしても、本当に一種決まり文句の羅列みたいな文章とか話し方ってありますね。だから、吃音の人たちが抱えているもどかしさや不安やあせりというものは、ある程度僕の頭では理解できているつもりなんです。
 現実的な場面での交信速度の速さが、現代の特徴のような気がします。たぶん昔は、こんなにみんな早口で、しかもパッパッとお互いに受け答えしないでも済んでいたんじゃないか。昨日NHKの大河ドラマを見てたんだけど、あれでも全然ゆっくりさが違いますよね。まず部屋に入ってきて、きちんと座ってお辞儀をして、「恐れながら」から始まるわけでしょう。現代はそうはしませんよね。パッと座ったらすぐ用件に入っちゃう。
 交信速度が速くなきゃいけないというのは、たぶん今の社会の成り立ちの上で必要なんでしょうね。つまり、大量に情報を処理しなきゃいけないことになってるから。お金をおろすあの銀行の機械なんか、コンピューターだからすごく速いはずなのに、それでも僕なんか時々イライラしたりするんですよ。もう一瞬の間も許さないみたいな。もしかすると、そういうのに、友達と会ったりするときの話なんかも影響されてるんじゃないかと思って怖くなることがあるんです。
 ゆったりとした場であれば、どもっていたってコミュニケーションは可能なはずなんだけど、せかせかした場だからついあせっちゃう、ということがあるのでしょうね。だから、昔の社会と今の社会では、吃音の置かれている状況は変わっていて、それが吃音の人達にすごく影響してるんじゃないかなということは考えられます。
 僕は、さっきの伊藤君のエピソードで分かるように、何の因果か、ことばがわりとすらすら喋れる人に育ってしまったので、ことばができない恨み、つらみというのがたぶんないんです。そのかわり、ことばが信用できないという疑いがずうっとあるんです。それは、詩を書き始めた頃からありますね。何かすれちがってんなあという感じがするんです。
 20代の初め頃、戦後いいアメリカ映画が入ってきた時期、「吃音宣言」の武満徹さんと僕はその頃わりと親しくつき合っていて、二人とも共通して西部劇が好きなんです。二人は似てるところがあって、彼もすごく音楽が好きで音楽を作りながら、「音楽なんてくだらない」ってすぐ言う人なんです。「俺はもうあと5年たったら、作曲家を止めて佃煮屋になる」なんて。(笑い)なぜ佃煮屋なんだか分からないんだけど。ずうっと、佃煮屋、佃煮屋って言う。彼の音楽が世界的に有名になってから、僕が「佃煮屋、どうしたの?」(笑い)って聞くと、困ったような顔してましたけど。
 僕もなんか詩っていうものが信用しきれないし、ことばそのものが信用できないという感じがずうっとあったもんだから、二人で自分達の仕事を、「こんなこと男子一生の仕事じゃねえ!」みたいな雰囲気だったんです。
 そこから非常に単純に西部劇のヒーローに飛ぶのが疑問なんだけど、とにかく二人とも早撃ちにあこがれていました。当時は今みたいにモデルガンがないから、子どもが遊ぶ、先端にコルク栓があってポンとコルクが飛ぶのを買ってきて、二人で棚の上に紙の人形かなんか並べて、ポンッポンとやってたんです。
 それは要するに、言語活動と無言のアクションとを対比させて、無言で行動する方がかっこいいと。ことばとか音楽で表現するのは、なんかかっこいいもんじゃない、と思ってたんだと思いますね。さすがに、僕は今そういうふうに単純には考えてはないけれども。
 自分が詩を書くのと実生活で人間関係の中で生きていくのとどっちが自分にとって大切かというと、詩を書くことよりも実生活の人間関係の方が何か大切だし、実生活はむしろ複雑怪奇で、詩はそういう自分の送っている現実の生活に追いついてないんじゃないか、みたいな気持ちは今でもありますね。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/20

対談―表現としてのことば―

 1998年9月12〜14日、奈良県・桜井市で吃音ショートコースが開かれました。テーマは、《表現としてのことば》でした。特別ゲストは、詩人の谷川俊太郎さんと、演出家の竹内敏晴さんのお二人。最終日の午前中、僕が進行をし、対談が行われました。〈ことばの人〉と言われる谷川さんと〈からだの人〉と言われる竹内さんの話は尽きることなく深いものになりました。そのほんのさわりを紹介します。3時間の完全採録は、1998年度の年報『表現としてのことば』に掲載しましたが、現在は、絶版となっています。


対談  谷川俊太郎・竹内敏晴
司会  伊藤伸二

 
はじめに

伊藤 この対談を何故企画したのか、出始めだけを少し話させていただいて、後は谷川さんと竹内さんにお任せします。
 3年前でしたか、名古屋で行われた「すすむ&すすむフォーラム」で、谷川俊太郎さんのお話の中で出てきた、谷川さんが小学4年の時に、ケンカした相手の名前は「伊藤君」ではなかったでしょうか? その伊藤君とけんかをして、「運動場へ出ろ! 体で勝負だ!」と言われたときに、谷川さんは「体でやるんじゃなくて、ことばで自分は勝負するんだ」と。今、再び谷川対伊藤の対決を・・
谷川 そうきましたか、よく覚えておられますね。でも、そうは言いませんでしたけどね。要するに、けんかの仕方を知らないから、運動場へ出て取っ組み合いなんかは嫌だから、「俺はここを動かない」と言って椅子から立ち上がらなかったわけ。伊藤君も公平で、むりやり僕をひきずり出すということをしなかったんです。
伊藤 そうでしたか。僕は谷川さんのお話を、「ことばで勝負だ!」と受け取ったものですから、僕たちとはずいぶん違うと思いました。僕は、ことばではケンカができなかった。けんかになり、いくら僕が正しくて、また体力的に勝っていても、「何や伊藤! どもりのくせに!」と言われたら、それでけんかは一瞬にして終わります。体もそんなに大きくはなかったけれど、まあ体なら、自分の体を張ってでもけんかをするんですが、言い合いになると全く太刀打ちできない。また「どもりのくせに」という、一番の弱点をつかれると戦意を喪失してしまう。そういう経験をしてきたので、「ああ、僕とずいぶん違うな」と思ったんです。
 僕は喋れなかったために、けんかができなかった。ことばでは勝負できなかった。どもることばを嫌悪し、ことばに恨みを持ち続けた人間です。僕と似たような体験を、どもりに悩んだ人がしているとしたら、今この会場にはそのような人が半分近くいます。
 谷川さんは、いろんなところでお話になってこられたでしょうが、今回は吃音ショートコースに来ていただいていますので、ことばに障害のある人たちの表現ということを少し視野に入れながら、表現としてのことばについて、お話いただければと思います。
 竹内さんは、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」を説明されて、どもる人はもっと「表現としてのことば」を大事にした方がいいのではないかと提言して下さっています。そのような提言を受けて、私たちが自らの表現について点検していきますと、私たちはこれまでの長い間、うまく現代社会に適応したいという思いにかられて、駆り立てられるように、「情報伝達のことば」を獲得しようとしてきたように思います。まず、「表現としてのことば」と、「伝達としてのことば」の区別さえ考えなかった。全てことばが話せないとしてひとまとめにして処理をしてきたように思います。流暢に喋りたいとばかり考え、その結果、「表現としてのことば」をおろそかにしてきたように思います。そして、そのことにも気づかなかったのでした。
 今、「表現としてのことば」を育てたいと、話しことばだけでなく、自分の思いや気持ちを例えば詩のような形にして書く、散文にして書くなどで、表現を大切にして来ています。『ことば文学賞』を制定したのもその現れなのです。
 その一方で、「情報伝達のことば」を何とかうまくこなしたい、という思いがなかなか捨て切れないのも事実です。やはりどもりに悩む多くの人が日常の生活で困っているのは、勤めている自分の会社や自分の名前が言えない。業務上の報告や伝達などがうまくできないなどの情報伝達のことばについてです。周りが、なんなく情報の交換をスピーディーにしている中で、自分の名前が言えない、電話ができないなどの辛さは、経験者以外には、なかなか理解されにくいのではないでしょうか。やはり、てきぱきと情報交換しなければならないときに、ことばが出ないのは悩みの種なのです。
 そこで、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」とをどう折り合いをつけながら、僕らがどうことばに向き合っていけばいいのか。探っていきたいと考え、おふたりに吃音ショートコースに来ていただきました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/19

今年最後の大阪吃音教室

 12月も早半ばを過ぎ、今年も残り少なくなりました。大阪吃音教室も、先週の金曜日、今年最後の講座「1分間スピーチ」を終えました。吃音でよかったこと、来年の抱負、など参加者ひとりひとりが前に出て、スピーチをしました。
 翌日の土曜日は、大阪吃音教室のニュースレター「新生」の印刷・発送の日でした。「新生」は、吃音教室の報告、どもる人の体験、レク活動の報告、ことばや声などに関するエッセイなど、12ページ仕立ての月刊ニュースレターです。コロナ禍の3年間、2回お休みしましたが、後は欠かさず発行し続けて、会員同士をつなぐ大切なものになっています。
 そして、いつもなら、その発送の日は、忘年会でした。夕方6時から始まって10時頃まで続くロングランの僕たちの忘年会、今年も残念ながら行うことができませんでした。ひとりひとりが1年間を振り返ってスピーチをし、それに周りが、合いの手を入れたり、ヤジをとばしたり、なんともいえない温かい忘年会なのです。
 来年こそ、みんなで集まってわいわいとにぎやかな時間を過ごしたいものです。

 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」(NO.54 1999.2.20)の巻頭言を紹介します。
 谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのことばが、今も心に残っています。目の前に広がることばの海へ出ていくことを勇気づけてくれます。

  
表現としてのことば
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 幼稚園でわが子が大勢に囲まれて、なぐられたり、けられたりしている。何が起こっているのか分からないままに様子を見ていたら、「早よ言え、早よ言え」と子どもたちが言い、わが子は半泣き、歯をくいしばっている。飛んできた先生が子どもたちから事情を聞いた。子ども同士がぶつかって、一方が「ごめんなさい」と言ったが、S君はどもるために言えない。ごめんなさいを言わない子は悪い子だと寄ってたかって「早よ言え」「謝れ!」となぐられていたのだと分かった。
 この幼稚園では、悪いと思ったらお互いに「ごめんなさい」と謝ろうと指導し始めた頃で、子どもたちはそれを忠実に守っていたのだった。
 S君はその日、寝る前にも何かぶつぶつ言う。
 「お母さん言えた!『すみません。ごめんなさい。これでもいい?』〈ご〉は言えないけれど、〈すみません〉をつけたら言える」
 S君は涙を流しながらこう言ったと言う。
 また、ゲームをしている時に、何か話し始めると「分かった、お前もう喋るな」と言われる。
 大阪吃音教室で、幼稚園年長組の母親のこの話を聞いて胸が痛んだ。小学校2年生の秋から、私にもこのようなことが起こったが、S君はまだ幼稚園児だ。こんなに小さな頃からこのような体験を積み重ねなければならないとは。
 言いたいことが頭に思い浮かんでも、表現しようとすると、ことばそのものが出てこない。忘れるはずのない自分の名前さえ、いざというときに言えないことがある。この空しさ、苦しみは、恐らく体験しなければ理解しにくいことだろう。
 「誰でもあせったりあわてると、どもりますよ」と人は言う。「言いたいことを全ての人が言えているわけではない」とも。しかし、名前を尋ねられて自分の名前が言えないということがあるだろうか。ごめんなさいと言いたくても言えないことがあるだろうか。どもる人のそれとは本質的に違う。
 子どもの頃からこのような辛い体験を積み重ねると、私たちは、あることを言いたいと思うと同時に、どもることへの恐れのために話したくないという気持ちも起こる。
 私は、どもりを恨み、治ることだけを夢見、どうせ表現できないのだからと、感じたり、気づいたり、考えたりすることをしなくなった。書くことで表現することすらも放棄してしまった。
 ところが、ことばの葛藤に悩んだ人たちの中には、それゆえにことばへの感覚がより研ぎ澄まされて、書くという表現方法を得て、小説家や詩人の道を歩んだ人がいる。また、この葛藤をひとつのバネにして、話すということに活路を見い出した人もいる。落語、講談、演劇の世界に身を投じたり、アナンウサー、弁護士など、より話すことを求められる仕事に就く人たちだ。
 このように活躍している人だけでなく、私たちの周りには、どもっていてもごく自然に自分を表現している人々はたくさんいる。どもるということが表現にとって、一時的にはハンディになったとしても、《ことばの海》に出ていけば、十分に泳ぎ切ることはできると頭では理解できる。
 しかし、かつての私のように、S君はことばの海があまりにも広くて大きく果てしないために、立ちすくみ、おびえてしまうことだろう。
 S君を含めどもりに悩む人々が、この《ことばの海》に出て行くには、まずどもりを仮にでも受け入れ、どもりながらも、これまであきらめ、避け、逃げてきたことばの海の中に、勇気を出して飛び込むことしかない。それを励まし支えるのは、共に飛び込もうとするセルフヘルプグループの仲間たちや、吃音親子サマーキャンプの同じような体験をしている子どもたちだ。そして、ことばの海の世界の魅力を語る人たちだろう。
 谷川俊太郎さんは、私たちに、「書くことにおいては何のハンディもないではないか。書くことを大事にしよう」とすすめている。
 竹内敏晴さんは、聴覚障害児者としての体験から、「今生まれ出ることば、表現としてのことばを大事にしよう」と提言する。
 おふたりの対談を中心にしてまとめられた、《谷川俊太郎・竹内敏晴の世界》と題した日本吃音臨床研究会の年報(2001年発行)は、ことばの海へ飛び込むことの勧めに他ならない。
 ことばの感性がどんどん失われて行く現代社会の言語生活。この中で、つらい葛藤を生きた私たちは、悩んだからこそ、ことばを大切にし、豊かな言語生活を送りたい。私たちの目の前には、広くて大きなことばの海が待っている。

  
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/18
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