伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

谷川俊太郎

内的などもり

谷川俊太郎3 昨日に続き、谷川俊太郎さんを特集した「スタタリング・ナウ」最新号の巻頭言を紹介します。医学書院の白石正明さんが、ご自分のFacebookで、この巻頭言について投稿されたということを友人から知らせてもらいました。「スタタリング・ナウ」の一面の写真入りです。谷川さんが、このように、吃音について発言されることは、おそらく僕たちだけに限られたことだと思いますが、それだけにとても貴重なものだと思います。言葉について人生を賭けて考えてこられた谷川さんの率直なメッセージ、大切にしたいです。

 今、ブログ、Twitter、Facebookなどで紹介している月刊紙「スタタリング・ナウ」ですが、4月からの2025年度購読をお願いしている時期です。もし、ご希望の方がおられましたら、郵便局に備え付けの郵便振替用紙をご利用の上、購読費年間5,000円をご送金ください。どもる人やどもる子どもや保護者の体験、ことばの教室などでのどもる子どもへの実践、イベント情報など、吃音に関する情報満載です。主な読者は、ことばの教室担当者や言語聴覚士、どもる子どもの保護者、どもる成人、教育関係者、その他吃音とは直接関係ないけれど、ことばや声、生きることなどに関心のある人などです。

  加入者名  日本吃音臨床研究会
  口座番号  00970-1-314142

 では、最新号「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366 の巻頭言を紹介します。

内的などもり

    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 
 『父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。
 英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
 どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
 でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
 そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
 先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています』

谷川俊太郎2 「内的どもり」と題する谷川俊太郎さんのこの文章は、竹内敏晴さんと谷川俊太郎さんをゲストに開いた、1998年の吃音ショートコースの直後に、参加しての感想のように送られてきたものだ。
 谷川さんは、これまで出会った父親を含めてどもる人に対しては、自分の感性のままに自然に接してこられたのだろうが、どもる人の集団の、それぞれに違うどもる人を前にして、少し身構えるところがあったのかもしれない。それが私たちと出会って、「言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できました」とある。「吃音について」ではなく、「言葉について」とあるところが興味深い。私たちが吃音に拘泥していないことを喜んでくださったのだろう。
 谷川さんの「生きる」の詩をもじって、即興でつくった「どもる」の詩を大阪吃音教室の仲間が身体表現もつかって朗読した時、谷川さんは大笑いして、「これはパロディーではなく、立派な替え歌ですよ」と喜んでくださった。どもる人の集団の中にいるという意識が吹き飛んだのだと思う。
 だから、「竹内敏晴・谷川俊太郎対談」の時、司会者の私がつい話した女性にもてた大学時代のエピソードに、「それは、ほとんど話さず聞き役になっていた伊藤さんを、誠実な人だと錯覚したんですよ、きっと」のツッコミがすぐに飛んできたのだろう。もうこの人たちには何の遠慮もなくつき合えば良いのだと、安心感をもたれたのだと思う。
 その後、何度もお会いする機会があった。その度に話していただいた、愛、人生、詩についての数々の言葉が、私のからだに染みている。
 対談相手の人選に困っていた全国難聴・言語障害教育研究協議会山形大会事務局に、「たとえば、伊藤伸二のような人」と、実質的には、伊藤伸二を指名した形になったこの記念対談の後半部分を紹介する。対談の最後に、600人の参加者と谷川さんと一緒に歌った「鉄腕アトム」の歌は、今も、私への応援歌になっている。改めて、谷川俊太郎さん、本当にありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/02

谷川俊太郎さん、ありがとうございました

 日本吃音臨床研究会は、月刊のニュースレター「スタタリング・ナウ」を発行しています。「スタタリング・ナウ」は、今月号で、NO.366となりました。今、ブログやTwitter、Facebookで紹介しているのは、昔の「スタタリング・ナウ」です。
 少し前のブログ、Twitter、Facebookで、竹内敏晴さんが亡くなられたときに竹内さんの特集をした「スタタリング・ナウ」を紹介しました。そのときに、谷川さんから、竹内さんに送られたメッセージを紹介しました。
 「スタタリング・ナウ」の最新号を、こんな形で紹介することはこれまでにないことなのですが、竹内さんの次に谷川さんを特集した「スタタリング・ナウ」を紹介することはタイミングとしてとてもいいのではないかと思い、今日と明日、紹介することにしました。
 「スタタリング・ナウ」2025.1.21 NO.365 より、巻頭言を紹介します。

谷川俊太郎さん、ありがとうございました

    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 谷川さん、夢のような三日間のワークショップをありがとうございました。こんなにこき使われるのは初めてだと笑いながら、私たちのプログラムにつきあってくださいました。100人を超える人たちと、谷川さんを囲んで歌った「鉄腕アトム」の軽快な歌声で一気に場が盛り上がりました。
〈竹内敏晴・からだとことばのレッスン〉
 「からだほぐし」では、無遠慮にも谷川さんにまたがったり、マッサージや、おんぶをしてもらって喜んでる女性がいましたね。みんなとても楽しそうでした。「ららららららー」と喉から大きな声を出した後、「かっぱ」「いるか」「スキャットまで」の詩のレッスンへと続きました。
 云いたいことを云うんだ
 どなりたいことをどなるんだ
 ペットもサックスも俺の友だち
 俺の言葉が俺の楽器
 「スキャットまで」の詩のレッスンのとき、「これをどもる人たちのレッスンに使うのはあまりにもできすぎですよ」とことばをはさみながら、リクエストに応じて詩を読んでおられました。
〈谷川俊太郎 詩と人生を語る〉
 中学校と高校で国語を教えている若い二人の教員が、こんな質問をしてもいいのかと思えるほどの質問をしても、すべてうれしそうに答えておられました。教員が、谷川さんの詩が本当に好きで、実際に授業でおもしろく使っていることが、質問のはしばしから感じとれたからでしょう。他の場所では絶対に聞けない話ばかりでした。
〈対談・表現としてのことば〉
 私が司会をしましたが、とても話が弾んで、竹内さんが、こんなに話したのは初めてだと、おっしゃっていました。対談相手が相性のいい谷川さんだったので、からだの中からいろんなことが出てきたのでしょう。休憩なしの3時間があっという間に終わりました。まだ、つづきを聞いていたいという思いをみんながもったようでした。私も弾んで、つい女性にもてたという自慢話をしていました。すかさず、谷川さんから「それは吃音の誤解ですよ」とツッコミを入れられましたが。
〈谷川俊太郎・詩のライブ〉
 なんといっても詩のライブがハイライトでした。その前座として「生きているということ」で始まる「生きる」をもじって、前日に即興で大阪吃音教室の仲間と作った「どもる」の「どもるということ いまどもるということ つまるということ 隠すということ 逃げるということ 不自由ということ…」の詩には、「これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですよ。替え歌というのはものすごくエネルギーがあるもので、これは歴史に残るのでは」と、ほめていただきました。「前座は多い方がいい」との谷川さんのことばに、ことばの教室の教員が谷川さんの詩に曲をつけて歌った後、詩のライブが始まりました。
 参加者は読んで欲しい詩が載っている詩集を用意良くもってきていましたね。終わりの頃の「母を売りに」へのリクエストには、「この方は結構通ですね。渋いリクエストです」と、前置きし、お母さんが認知症になったとき、介護を物理的な問題だけではなく、自分の精神的な問題として考えた時生まれた詩だと解説してくださいました。
 この2年後、谷川さんは、全国難聴言語障害教育研究協議会全国大会で特別講演の依頼を受け、講演はしないが、対談ならと言われました。大会事務局が、いろいろ対談相手を探し回って提案しても、首を振らず、困り果てた事務局が、「では、どんな人がいいですか」と尋ねたところ、「例えば、伊藤伸二のような人」と提案があり、「のような人」が見当つかずに、私に話が回ってきました。
 そして、「内なることば、外なることば」の対談が実現しました。喜んで引き受けたものの、最初は、谷川さんの詩集や散文集を買って、おろかにも準備をしようとしました。でもすぐに、「のような人」が、素手で谷川さんに向き合えばいいのだと考えたら、すっと肩の力が抜けました。
 11月19日の朝日新聞の夕刊、20日の朝刊の一面は、谷川さんが亡くなった記事であふれていました。とても寂しいです。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/01

竹内敏晴さんを偲んで

 「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 に掲載の、竹内敏晴さんを悼む、社会学者の見田宗介さんと谷川俊太郎さん、おふたりのメッセージを紹介します。また、10年間、僕たちが事務局だった大阪の定例レッスンの参加者が集まって、「竹内敏晴さんを偲ぶ会」を行いました。同じ日、東京でも、東京の定例レッスンの参加者による偲ぶ会が開かれていました。


 
祝祭としての生命探求 竹内敏晴氏を悼む
                            見田宗介 社会学者

竹内 見田新聞記事 竹内敏晴は1925年の生まれ、吉本隆明や谷川雁、石牟礼道子たちの同世代者である。
わたしが竹内と初めて会った時、竹内は「ぶどうの会」という、木下順二を中心とする劇団の演出助手をしていた。一人一人の俳優をとても愛して、大切にする演出家という印象だった。
竹内は演出家であり、生涯にわたって演劇の人だった。けれども竹内の名が広く知られているのは、『ことばが劈かれるとき』をはじめ、言語論、身体論、教育論、思想論、近代社会論、などの領野を一気に貫通する、独自の具体的な人間論においてであった。とりわけ教育の世界に竹内の愛読者は多い。〈祝祭としての授業〉という竹内のキー・コンセプトは、多くの教育者たちに新鮮な視界を開いた。
 演出と人間学という竹内の二つの焦点は、どう関わっているのだろうか。小さい集まりの後の雑談みたいな時間に、竹内さんにとって最終、演出のための方法としての人間論なのか、人間論のための方法としての演出なのか、竹内さんの究極にめざすところは何か、と問うてみたことがある。
 「実は」と竹内は分厚い未発表の原稿の束を取り出してきた。表紙には力のこもった太い肉筆で、『演技者は詩人たりうるか』と書かれてあった。
 演技者は詩人たりうるか、という意表をつく表題にわたしが目をみはっていると、「詩人ということは、表現者とか創造者という方が分かりやすいかもしれないけれど」と言って、このような話をぽつりぽつりと語った。
 近代演劇では、俳優のからだは作者の創造と表現のための素材です。「どんな役でもこなせる」ということが、まあ、究極の理想です。けれども俳優自身のからだが、その存在の核の真実の噴出のように動き出すとき、まったく異質の感動が舞台に現出することがある。このある種原的な美学のようなものを、徹底して追求してみたい。いろんなからだたち、ゆがみをもち、ゆがみをはねかえそうとするからだたちが、作者のためでなく、脚本のためでなく、演出のためでもなくて、自分自身の存在の真実を解き放つことをとおして、そこで荘厳されればいい。荘厳とは仏教のことばの展開で、存在するもの(死者と生者)の尊厳と美しさとを、目に見えるような仕方で現出することである。こういう仕方で、俳優たちのからだが舞台の上で、生活者たちの存在が舞台の外で、花咲けばいいじゃないかと。
 竹内敏晴の仕事の独創の核は、この夢を実現する方法論の、おどろくべき現実性、具体性の内にこそあった。「竹内レッスン」の柱となるいくつかの技法、「砂浜」や「出会いのレッスン」、「仮面のレッスン」とその展開形はすべて、近代や前近代の「市民社会」や「共同体」の強いる幾重もの自己拘束、自己隠蔽の無意識の硬皮の層を、ていねいに解除してゆく装置として設定された。
 わたしが竹内と集中して関わったのは一年間だけなのだけれども、この短い時日の間にも、人間が〈真実〉である時にその身体の動きがどのように鮮烈なものでありうるかということの、生涯忘れることのできないシーンのいくつかと立ち会うことがあった。
 神のためでなく、国家のためでなく、経済成長のためでなく、人間の一人一人の有限の生が、他の有限の生たちと呼応することをとおして、現出する豊穣な時の持続を享受するという、人間の歴史の新しく未踏のステージのとば口に立って竹内敏晴は、ただ存在の〈真実〉を解き放つことをとおしてそこに生命の祝祭を現出してしまうという、単純な、けれど困難な、方法論をその生涯をかけて探求し、わたしたちの世界に残した。   2009年9月16日朝日新聞


  声 とどいていますか?
        竹内敏晴さんに

                    谷川俊太郎
あなたが行ってしまった
あなたの声と一緒に
あなたの眼差しと一緒に
あなたの手足と一緒に
あなたは行ってしまった

あなたは今どこにいるのか
あなたがどこにいようとも
今そこにいるあなたに向かって
私たちは呼びかける
声 とどいていますか?

あなたの書いた言葉は残っている
あなたの動く姿の記録も
あなたの叫ぶ声歌う声も
でもあなたは行ってしまった
私たちここに置き去りにして

だが声は生まれる
途絶えずに声は生まれる
ときに堪えきれない鳴咽のように
ときに幼子の笑いのように
あなたが無言で呼びかけるから

あなたは行ってしまった
行ってしまったのに あなたはいる
私たちひとりひとりのからだに
思い出よりも生々しくたくましく
あなたはいる 今ここに


《竹内敏晴さんを偲んで》

 10月18日(日)午後1時、10年間、竹内レッスンの会場だった大阪市天王寺区の應典院に、21名が集まった。ちょうどこの日は、東京・立川で、賢治の学校主催の「竹内敏晴さんを偲ぶ会」が開催されていた。偶然同じ日に、これまで竹内さんにレッスンを受けていた者が東京と大阪に集まったことになる。
 應典院のB研修室に、いっものように床にカーペットを敷き、丸くなって座る。今にも「息を入れて」という竹内さんの声が聞こえてきそうだった。集まった21人ひとりひとりが、竹内さんについて、竹内レッスンについて語ることから始まった。訃報に接したときの驚き、喪失感、存在の大きさ、今後のことなど、何を語ってもいい。次に、亡くなるときに身近にいた者から、竹内さんの最後の様子が話される。大好きだった、♪ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む♪の歌声に囲まれながら幕を下ろした竹内さんの姿が目に浮かぶ。大きな拍手をして火葬に送られたという。
 この應典院の集まりの時、上に紹介した谷川俊太郎さんの詩が配られた。立川での偲ぶ会に参加できない谷川さんが作り、贈られたものだ。
 1998年、私たちの吃音ショートコースの特別ゲストは、谷川さんと竹内さんだった。「こんなにしゃべったのは初めて」と竹内さんご自身が驚かれていた。谷川さんとの対談がなつかしい。

竹内敏晴さんの最新刊『「出会う」ということ』(藤原書店)、10月末発刊予定!!

「出会う」ということ 表紙 "人に出会う"とは何か? 
 社会的な・日常的な・表面的な付き合いよりもっと深いところで、「なま」で「じか」な"あなた"と出会いたい―。自分のからだの中で本当に動いているものを見つめながら、相手の存在を受け止めようとする「出会いのレッスン」の場から。
 "あなた"に出会うためのバイエル。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/23

竹内敏晴さん、ありがとうございました

 日本吃音臨床研究会が毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」の最新号である今月号は、先月号に続いて、昨年秋亡くなられた谷川俊太郎さんを特集しています。2000年、全国難聴・言語障害教育研究協議会協議会山形大会で、谷川さんと僕が記念対談をしたのですが、その対談の収録を、2号連続で紹介しました。
谷川俊太郎1 谷川さんとの出会いは、山形大会の2年前、僕たちの主催する吃音ショートコースというワークショップに、ゲストとして、竹内敏晴さんと谷川さんが来てくださったときでした。竹内さんと谷川さん、おふたりからたくさんのことばをいただきました。記念対談での谷川さんの、奥深いことばを懐かしく思い出していたところ、このブログで、竹内さんの特集をしている号を紹介する偶然が重なりました。「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 より、巻頭言を紹介します。

竹内敏晴さん、ありがとうございました
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 1999年2月11日、竹内敏晴さんの大阪レッスンの旗揚げとなる講演会の日は、強い吹雪と雨が混じる悪天候だった。参加者は少ないだろうとの予想をはるかに超える185名の参加者に、この時代が竹内敏晴を求めているように感じられた。
 時、バブル崩壊後の不況の真っ只中。社会の閉塞感は人々に緊張を強いている。社会に、がんじがらめに絡め取られた、「からだと、こころと、ことば」が悲鳴を上げていた。吉本興業の陳腐な笑いに代表される、考えることを放棄した、明るく脳天気に生きているかに見える人にとって、竹内レッスンは必要がない。また、強気で、経済評論家の勝間和代を目指す人々や、いわゆる勝ち組にとっても、竹内レッスンは必要がない。自分なりの人生を生きたいと願いながら蹟いたり、生きづらさを強く感じている人。そして、その生きづらさがどこから来ているのか、自分でもつかめない人。しかし、真摯に人生を生きたいと願う人々が集まってきた。
 自分を変えたいと思っても、何を変えればいいのか、その糸口がつかめない。ことばによる説明や説得ではなく、自分自身のからだの実感を通して、他者との関係において、自分でそれに気づいていく。竹内レッスンはそんな場だった。
 吹雪の日から10年間、日本吃音臨床研究会が主催する大阪の定例竹内レッスンは、やすらぎと集中の場となり、大勢の人々が集まった。
 人が変わるには、まず自分に気づくことが必要だ。世間に対し、目の前の他者に対してもつ身構え、相手にあわせてしまうからだ。相手と近づくのではなく、相手を拒否する自分のからだとことば。多くの人々のレッスンに立ち会い、人が気づき、変わって行く現場に出会えたのは幸せだった。
 緊張を強いられる場では、人は自分に気づけないし、変われない。緊張せずに、安心していられる安全な場がまず必要だ。竹内レッスンでは、必ず二人組で、互いのからだを揺らし合い、やすらぐことから始める。心地よい、安心できる場には、常に大きな歌声と、大きな笑い声があった。
 一方、他人の目を意識する緊張の場で、自分を支え、からだとことばで表現する場も必要だ。大勢の観衆の前でひとり舞台に立つ芝居は、多くの人にとってたやすい課題ではない。「12人の怒れる男」「ゲド戦記」「銀河鉄道の夜」などをモチーフに、竹内さんが脚本、演出し、レッスンを重ねた数々の舞台で多くの人が輝いていた。それは、緊張ではなく、集中することを身につけた人々の表現だった。それは日常生活に生かされた。
 私が最初に出会った20年以上前の竹内さんは、精神的にも肉体的にも疲れておられるようで、レッスンも辛そうな時があった。だから、「いつ、竹内さんがレッスンできなくなるか分からないから、今の内に出会っておいた方がいいよ」が、冗談で竹内レッスンに周りの人を誘う私の常套句だった。しかし、いつしか、その常套句は使えなくなった。不思議なことに、年をとるにつれてますます元気になっていく。3年先のスケジュールを話題にする竹内さんに、少なくとも90歳までは現役でレッスンを続けて下さるだろうと、信じていた。
 6月初旬、竹内さんから、「膀胱がんが見つかったが、手術を受けず、現役でレッスンを続けたいので、どんな治療があるか選んでいる」と電話があった時も、不死鳥のようによみがえることを期待した。7月の大阪のレッスンは通常通り行ったものの、8月末の東京のオープンレッスンでは、車いすの姿で見守ったと聞く。
 9月7日、数人のレッスン生の歌う、竹内さんの大好きだった、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む…」の歌声と共に、84歳の生涯の幕を下ろした。
 出会いから20年以上。「私も聴覚・言語障害者だ」とおっしゃり、どもる私たちを仲間と考え、常に最優先でレッスンなどの計画に応じて下さった。おかげで、私たちは、たくさんの素晴らしい体験をし、たくさんのことばをいただいた。
 それらを伝えていくのが私たちの役割だ。
 これまで、多くの人に安らぎを与えてこられた竹内さん、今度はご自分がゆっくりとお休み下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/19

谷川俊太郎さんの訃報に接して 2

年報表紙 谷川俊太郎と竹内の世界  谷川俊太郎さんが亡くなったということは大きな出来事で、昨日の夕刊、そして今朝の朝刊でも一面のトップに日本を代表する詩人の死を悼む大きな記事が掲載されていました。やさしいことばで、深いことを表現されていたなあと思います。
 あれから、いろいろなことを思い出しました。
 「スタタリング・ナウ」100号記念のメッセージをもらったこと。寝屋川市民会館で、息子の賢作さんと一緒に、詩の朗読と音楽のライブのステージをされて行ったこと。家の近くの星誕堂という小さなホールに谷川さんが来られて、あいさつに行き、音楽と詩を聞く楽しい時間を過ごしたこと。日本吃音臨床研究会の1998年度の年報『谷川俊太郎と竹内敏晴の世界』の制作のため何度か原稿のやりとりをしたこと。その都度、独特のやさしいやわらかい文字のお手紙をいただいたこと。その他、ありがたいおつき合いでした。

 さて、今日は、1998年の吃音ショートコースの2年後、2000年の全国難聴・言語障害教育研究協議会山形大会の記念対談のことです。谷川さんは、「自分から話したいことはない。質問してもらえれば話せると思う」と山形大会の事務局に伝えていて、対談相手の人選に難航していた時に、「伊藤伸二はどうか」と、谷川さんが僕を推薦されたそうです。2年前に吃音ショートコースで出会っているとはいえ、びっくりしました。たくさんのいろんな人と対談をしている谷川さんとの対談、普通なら尻込みしてしまいそうですが、僕は引き受けました。それからが大変で、谷川さんの詩集、散文集などたくさん読みました。読めば読むほど対談が怖くなってきました。そこで、腹をくくりました。小手先のことをしても仕方がない。何も読まなかったことにして、まっさらに伊藤伸二をそのまま出して、話の流れに任せるしかない。対談の最初と最後に話すことだけを決めて、本番に臨みました。
谷川さんとの対談 垂れ幕 僕が口火をきったのは、「俊太郎さん、俊太郎という名前は好きですか」でした。当然、谷川さんは予想しなかったその質問に驚かれました。谷川さんの父君である谷川徹三さんは吃音でした。だから、息子の名前をつけるのに、自分の言いやすい名前をつけられたのではないかと思ったからです。そんな話からスタートして、最後は、「鉄腕アトム」の歌を会場にいたみんなで歌いました。「鉄腕アトム」の歌詞の中に、ラララがありますが、あれは、先にメロディがあって、後から谷川さんが歌詞を作っていったそうですが、いいことばがみつからず、ラララになったんだというエピソードも、笑いながら紹介してもらいました。
 お礼の言葉として大会会長が、「大きな講演会でみんなで歌を歌ったのは初めてでしたが、みんなが一つになれたようでとてもよかったです」と話され、僕も無事に大役を終えてほっとしました。全難言全国大会山形大会での「内なることば 外なることば」と題した記念対談は、僕にとって、思い出深い記念すべき対談でした。
谷川さんとの対談 ふたり
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/19

谷川俊太郎さんの訃報に接して

谷川俊太郎1 今朝、起きてすぐ、谷川俊太郎さんが亡くなったという速報が飛び込んできました。
 谷川さんは92歳、大往生といえるのかもしれないと思いながら、谷川さんのしなやかな姿やことばから、まだまだ僕たちの前にいて、新鮮なことばを紡いでくださるような気がしていました。
 谷川さんとは、たくさんの思い出があります。直接の出会いは、竹内敏晴さんと一緒に講師として来てくださった1998年の第4回吃音ショートコースでした。そのとき、谷川さんは66歳でした。そしてその2年後の2000年、第29回全難言大会山形大会での記念対談で、谷川さんから指名してもらって、聴衆600名の前で、「内なることば、外なることば」の演題で対談したことです。

 今日は、懐かしい写真とともに、吃音ショートコースでの思い出を振り返ってみます。
 1998年初秋、奈良・大和路で、《表現としてのことば》をテーマに、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんをゲストに、第4回吃音ショートコースを開催しました。
谷川俊太郎2 《表現としてのことば》をテーマにした、谷川さんと竹内さんの3時間の対談、突っ込んだ質問に丁寧にユーモアをもって、谷川さんがご自分の詩と人生を語ってくださった時間、そして最後に谷川さんが自作の詩を2時間、解説しながら朗読された詩のライブなど、吃音ショートコースは、本当に贅沢な時間でした。
 吃音ショートコースの帰り、厚かましくも谷川さんにお願いした僕たちへのメッセージが、すぐ送られてきました。《内的などもり》と題された文章を紹介します。谷川さんの父君の谷川徹三さんのことから、その文章は始まっています。

 
内的などもり
 父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
 どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
 でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
 そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
 先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています。


谷川俊太郎3 谷川さんの詩「生きる」をもじって、僕たちは「どもる」という詩を作りました。谷川さんは、その詩を、『これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですね。「替え歌」というのはものすごくエネルギーがあるもので、我々も子どもの頃、軍歌の替え歌なんかやっていましたけれど。この替え歌は歴史に残るのではないでしょうか。』と言ってくださいました。「生きる」と「どもる」を並べて紹介します。

  生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ.
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


  どもる
どもるということ
今 どもるということ
それは
喉が乾くということ
周りの目がまぶしいということ
ふっとイヤな出来事を思い出すということ
まばたきすること
一人で手を振ること

どもるということ
今 どもるということ
それは 自己紹介
それは デートの誘い
それは 羽仁進
それは マリリン・モンロー
それは 谷川徹三
それは 全ての個性的な者に出会うということ
そして 効率優先の現代社会を注意深く拒むこと

どもるということ
今 どもるということ
つまるということ
隠すということ
逃げるということ
不自由ということ

どもるということ
今 どもるということ
今 ハンドルを切り損ねるということ
今 切符を買えず遠くへ行けないということ
今 衆人の注目を浴びるということ
今 とっさに言い訳が出来ないということ
今 いたずら電話と間違えられるということ
今 今が過ぎてゆくこと

どもるということ
今 どもるということ
人は 注目するということ
人は 笑うということ
雰囲気が和むということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

私と『スタタリング・ナウ』4

 昨日の続きです。2002年12月21日発行の『スタタリング・ナウ』100号記念特集に寄せられたメッセージを紹介しています。

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
   私と『スタタリング・ナウ』
  


  99号を読んで
                 喜田清 ボランティアグループユーテ代表(香川県)
 11月2〜4日に開かれた吃音ショートコース報告特集号です。7歳〜70歳を越える方、総勢58名。四国や関東・東北から参加されて、主宰者・伊藤伸二さんの力量の大きさと伊藤さんを支える人脈の豊かさが見事に結集されています。
 どもる私から見て画期的なのは、どもる人だけでなく、各地の小学校や保健所の、ことばの教室の先生から、精神科デイケア・言語聴覚士も参加されています。
 ユーテ10月号で紹介した「臨床家のための吃音講習会」に参加した横須賀市立諏訪小学校・ことばの教室の鈴木先生も、吃音ショートコースに参加しています。それは決して偶然ではありません。主宰者・伊藤伸二さんが、一回の出会いを大切にして、どもる子どもの対応に苦慮している鈴木先生に、励ましの手紙を差し上げたことから、横須賀の鈴木先生も、関西の集会に駆けつけてきました。
 1998年、伊藤伸二さんは青森で鴻上尚史さんと出会い、その出会いを大切にしていた伊藤伸二さんは、この吃音ショートコースに鴻上さんをメイン講師に迎えています。
 このような人と人の出会いを、伊藤伸二さんは「奇跡的」と表現しています。さらに、このような出会いを大切にして、吃音ショートコースに参加されている皆さんが、夜遅くまでお酒を飲みながら、相手に身を委ねる思いで語り合えることを「奇跡のような空間」と、言っています。
 私も吃音症状の強いときは、何の集会に参加しても自分の殻に閉じこもって、出会いを大切にする心情になれなかったです。
 出会いを大切にすることによって、自然に、何の集会でもその場の雰囲気に自分を委ねることができます。
 その証明が、スタタリング・ナウ11月号で紹介されている吃音ショートコースです。
 夜10時を過ぎた歓談のときでも講師・鴻上尚史さんは、隅っこにポツンと一人いる方に声をかけて、歓談の中に入るように配慮しています。美しい光景です。
 どこの吃音者自助団体の発行している会報でも、必ず見られるのが「何年間も吃音治療機関をさまよって何の効果もない」話です。スタタリング・ナウ11月号にも、芸術大学を中退した青年が3年間、吃音治療所へ通って徒労だった報告があります。その費用については何も書かれていませんが、それは決して安いものではありません。胸が痛みます。
 ただし吃音ショートコースでは、精神病院の精神科デイケア・言語聴覚士・ことばの教室の先生も同じ参加者として、吃音者のことばを聞いています。
 ことばの教室の先生も、今まで、どんなに努力しても、児童に効果が現れなくて、先生自身が「ものすごいストレスで身も心も痩せる思い」でした。しかし、この吃音ショートコースに参加されて「皮膚を通して沁みてきた感覚として」吃音が理解できました。
 それからは学校に戻って、力まずにどもる子どもと話ができた報告もありました。
 このように、吃音者と治療する者との対等な交流の積み重ねによって、吃音者の未来は必ず明るく開けます。

【どもる人に呼びかけたグループ『ユーテ』が香川県で知らない人がないほどのボランティアグループに発展。地道にこつこつと活動される姿には、励まされます】


  心の充電
                   嶋村由美 主婦・診療放射線技師(大阪府)
 私は1歳の子どもを持ち、今は読むだけのおつき合いになっていますが、毎月楽しみに読ませて頂いています。私にとっては心の充電になっています。
 近頃はどもりと仲良くなって、そんなに困ることはなくなりましたが、1つ悩んでいることがあります。今はクリニックでレントゲン撮影のアルバイトをしていますが、ほとんど胸部撮影だけで、気楽に働いています。検診が主のクリニックで、職員の方は胃の透視検査をされています。私が以前働いていた病院では胃の検査は医師がやっていたため私は経験していませんでした。
 先日、まだ確定ではないけど人手が足りないときは、私が胃の検査もできるようになったらいいと言われました。やってみたいという気持ちはありますが、マイクに向かって話すのは本当に苦手で、それも短時間で検査を終えるため早く分かりやすく話さないといけないし、それでなくてもまずいバリウムを飲まされてあっち向けこっち向けと指示され辛い検査なのに、検査する側がどもっているとイライラされるのではないか、私が入ると検査の待ち時間が延びるんじゃないかなどと考えてしまいます。
 でも『スタタリング・ナウ』等を読んでどもりの技師がいてもいい、うまくやろうとしないで検査の内容に目を向けようと思いました。流暢でも早口で分かりにくいものより、どもっても感じの良い検査ができればいいなあと思います。
 まだクリニックの方針が決まってないのでどうなるか分かりませんが、もし頼まれたら引き受けるかもしれないです。でも逃げたい気持ちもあるのでまだ迷っています。

【大阪の吃音教室に参加されていた嶋村さん。今は子育てとお仕事でお忙しいようです。心の充電をたっぷりして下さいね】


  急ぎ過ぎる社会に一石
           羽鳥操 野口体操の会主宰 野口三千三授業記録の会代表(東京都)
 「スタタリング」の言葉に初めて出会ったとき、思わず舌を噛みそうになったことを思い出します。でもいい響きの言葉だと思いました。
 ところで、会長の伊藤伸二さんにお目にかかったのは1998年秋のことでした。文化デザインフォーラム青森に、演出家の鴻上尚史さんに御呼ばれしてご一緒させていただいたのがご縁です。それ以来この冊子を通して、伊藤さんの過去・現在・未来を、垣間見させていただくと同時に、吃音で悩む方々の生き方から教えられることが多々あります。
 思い返せば伊藤さんの滑らかなスピーチを隣で伺いながら、吃音の会の代表者ということが信じられませんでした。「僕は、吃音のある人に、テレビやラジオの出演を頼んでいます」という知人のディレクターがおります。かれこれ二十年近くのおつき合いがありますが、彼が制作する番組の登場者は確かに吃音の方が多いのです。言葉を選び、言葉を捜し、言葉を言い換えることをしている人は、物事をしっかり見据える力を日常的に養っているわけで、年を重ねるごとに深い洞察力を磨いているという彼の認識に、番組を通してうなずいています。障害をもっていることによって、見えてくる世界もありますね。話を聞くとき、話をするとき、「待つ」ことによって絆がしっかりと結ばれる可能性があることを、ぜひこの冊子と活動によって、世の中に知らせて下さい。あまりにも急ぎすぎる社会に、一石を投じていただきたい。本当のコミュニケーショシの意味を、伝えて下さい。

【羽鳥さんの野口体操の教室と著作を通して、野口体操が語り継がれ、実践されていきます。それが少しずつ広がっていくことをうれしく思います】


  日々言葉を扱う仕事の中で
          永田浩三 NHKディレクター(東京都) クローズアップ現代 編集長
 「スタタリング・ナウ」をいつも感銘深く読ませていただいております。
 伊藤伸二さんにお目にかかったのは2年前。NHKの番組で竹内敏晴さんのワークショップを紹介した時でした。その際私の恩師の永渕正昭先生(東北大学で教わりました)の名前が出て、私と伊藤さんに接点が生まれたのです。
 私自身吃音の経験はありませんが、中学時代の後半、自分の言葉に正確でありたいと思いつめるあまり、何も言えなくなってしまったことがあります。どの言葉も自分の気持ちとずれがあるような気がして、言葉を発することができなかったのです。その後高校に進み、リベラルな雰囲気のなかで、身構えないで話せるようになりました。
 今はクローズアップ現代という番組の編集長として、日々言葉を扱う仕事をしていますが、伊藤さんの文章はかっての自分を思い出させてくれます。当時のもんもんとした気持ちがその後の自分にとってプラスであったと、今は思います。
 先日、重松清さんの「きよしこ」という小説を読みました。吃音を抱えながら、心優しくたくましく育つ少年の物語で、伊藤さんを思いました。
 「あなたは1人ではない。あなたはあなたのよさに気づいてほしい。…」というのは、セルフヘルプ・グループについて伊藤さんが書かれた言葉です。これは、われわれ番組にかかわる人間への言葉でもあると思い、若手ディレクターの研修でも使わせていただいています。
 100号本当にお疲れ様でした。どうかこれからもご活躍下さい。

【大阪での定例レッスン会場に、竹内敏晴さんの取材に来られて初めてお会いしました。その出会いが『にんげんゆうゆう』につながったのです】
谷川俊太郎手書きのメッセージ

                           谷川俊太郎 詩人 (東京)
 吃る人たちの存在が、吃らない私にとって、批評にも、励みにもなっています。私たちは言葉とともに、静けさや沈黙をも共有しているからでしょうか。

【吃音ショートコースで、詩の朗読ライブに対談にと、「こんなに使われたのは初めて」と微笑まれたことが忘れられません。その年報は、大きな財産です。】


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/20

ことばの力

 この夏、第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が終わった直後に、千葉県の合同夏季研修会で全体講演をすることになっています。千葉県では、全面的ではないけれど、久しぶりに対面での研修会だとのことです。僕のことばが、参加している人たちに直に伝わる場に呼んでいただけたこと、とてもうれしく思っています。そのときの配布資料の締め切りが昨日で、相変わらず、ぎりぎりまで手直しをしていました。これだけ準備をしたとしても、当日は、そのときに一番話したいと思うことを資料に関係なく話すことになるのだろうと思いつつ、大切なことが漏れないよう、資料で補っていただこうと思い、準備しました。
 目の前にいる人に、今、このことを伝えたいと思う「今、生まれてくることば」を大事にしようと、竹内敏晴さんは言っていました。竹内さんが、事前に準備したパワーポイントを読み上げて話をするなど考えられないことであり、絶対にしなかったと思います。
 目の前のあなたに伝えることばには、それだけの力があると信じているのです。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.1.19 NO.89の巻頭言を紹介します。

    
ことばの力
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもるから言えないのだ。どもりさえ治れば、もっといっぱいしゃべれるのに」
 ずっとそう思っていた。人と触れ合いたくて、友達が欲しくて、どもらないことばを追い求めてきた。それが、ことばは万能だとする、うわついた、ことばへのあこがれと、ことばを使ってこなかった人間の経験のなさからくる認識不足だと気づいたのは、21歳の自分をいっぱい語る経験をしたからだ。
 どもるのが嫌さにずっと話すことを避けてきた私が、どもってもいいと思える相手と心ゆくまで、自分にとって嫌なこと、腹が立ったこと、困ったこと、悔しかったことなどを、いっぱい話す経験をした。この時のうれしさ、ここちよさは今でも忘れない。
 どもるのが嫌さに口をつむぐより、どもりながらでも話した時の心地よさを体験すると、もうどもるのが嫌だからと、話さない世界へは戻れない。そうして、恐る恐るではあっても、話すことを選び始めた頃、どもるから言えないのだと思ってきたが、そうではなかったことに気づいた。どもるどもらないにかかわらず、私に「内なることば」がないことに愕然としたのだ。
 苦しかった過去のことは聞いてくれる人がいたら話せるが、自由な会話で人と向き合ったとき、何を話してこの人と時間を共に過ごせばいいのか、どうあいさつをかわせばいいのか、相手の話にどう反応すればいいのか、分からなかった。吃音に悩み始めた小学2年の秋からの孤独な生活は、必要最低限のことばしか使わない生活を余儀なくし、ことばのない世界にいたのと同じことだったからだろう。
 21歳の、恐る恐ることばの海に泳ぎ始めた頃には想像もできないことだが、私が、現代のことばの名人といっていい、詩人の谷川俊太郎さんと、600人ほどの聴衆を前に、公開の対談をした時、谷川さんの話の中の、「管」にこだわったのは、孤独な生活の中で、私の「管」は、ぼろぼろになり、錆びついていたのではないかとの思いが浮かんだからだ。
 吃音でなかったら人は話せるものだろうか。日常会話は流暢に話す15人の大学生と6日間、話すよりも沈黙の多い時間を共にすると、どもらなくても人は話せないのだということが、誠によく実感できる。
 昨年末に、非常勤で出講している龍谷大学の6日間の集中講義が終わった。社会福祉系の心理学の講座で、「ベーシック・エンカウンター・グループ実習」の講座だ。9時20分から18時40分まで、6日間を15人の学生と、何のテーマもなく一つの輪になって過ごす。昨年より倍以上増えた学生の多さに戸惑いながら、実習はスタートした。話したいと思ったときに話をし、話せと強要されることはない。全員が初めての経験なので、少しはグループについて話はするが、「では、これから始めます」のことばと共に沈黙が始まる。最初の2時間ほど、輪になった16人が何もしゃべらずに沈黙する姿は端から見ていたら、なんと異様な光景だろう。
 たまりかねた人が語り始めるが、誰も反応しない。また沈黙。1日目のレポートに学生の全てが、「これは一体何なのだ、イライラして、とても疲れた」と書いた。2日目もあまり変化はない。多少は話す人が出てくるが、反応がない。
 時々、休憩を挟むその時がおもしろい。学生は先程の沈黙のうさを晴らすようによくしゃべり、生き生きし始め、よく笑う。その姿を見ながら、私はこの、休みの時間が怖く惨めだったなあと、子どもの頃のことをふと思い出した。
 あまり皆話さないので、小さなグループに分けてはどうかとの提案や、テーマを決めて欲しいという要望にのってしまいたい気持ちにもなる。頑なにベーシック・エンカウンター・グループにこだわった。それが、3日目の午後から大きく動いた。「自然に反応している自分に気づきました。安心して話せる雰囲気が出てきました」「普段では絶対話せないことを話して、皆が真剣に聞いてくれてうれしかった」などが、3日目のレポートに書かれていた。4日目には生活に根差した、大きな事柄が話され、全員が何らかのレスポンスをして、前半の秋の4日が終わり、年末の2日の実習が楽しみになったようだった。
 そうして迎えた年末の2日間、「自分を語ることの難しさ、緊張、恥ずかしさを知った。人の話を聞くことの難しさを知った。とても不思議な体験でした」とのレポートの最後に、参加して本当によかったと全員が書いてくれたことで、疲れがとれた思いだった。必修科目でもないのに一人のリタイアもなく、6日間を15人が共にいられた。学生の素晴らしさを思った。
 楽しく雑談することばと、自分を率直に自己開示することばは、全く違う言語なのだと考えていいだろう。この違う言語をどう耕し育てていくか。
 ことばの世界は気が遠くなるほどに深い。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/05

谷川俊太郎さんとの記念対談〜山形新聞の記事〜

 昨日、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会山形大会で、谷川俊太郎さんと僕とが記念対談をしたことを、巻頭言で紹介しました。テーマは、《内なることば・外なることば》で、約600人が参加し、その様子は夕方のテレビ放送でも流れたようです。記念対談のことを、山形新聞が写真入りの記事で紹介しています。「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74に掲載した、その新聞記事を、紹介します。

「言葉は愛情の形」
難聴・言語障害教育研究全国大会山形大会 谷川さん(詩人)対談

谷川さんとの対談 新聞記事 第二十九回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が、二十七日、山形市民会館で開幕し、詩人の谷川俊太郎さんと日本吃(きつ)音臨床研究会代表の伊藤伸二さんが「内なることば・外なることば」をテーマに記念対談した。二日間の日程で、聞こえと言葉の教育の在り方を探る。
 同協議会は、難聴や言語障害を持つ子どもを指導する全国の公立幼稚園、小・中学校の教諭らで組織。県内では二十五の小学校が「ことばの教室」を設置し担当教諭らが加入している。
 全国大会は、毎年、各県で開いており、今年は本県を会場に約六百人が参加した。
 記念対談で、谷川さんは「言葉は人間にとって、生まれた時に母親から受ける愛情の一つの形」と指摘し、「言語障害児に言葉遊びを披露したら、驚くほど反応した。意味のある言葉を交換するだけが言語ではなく、意味がなくても、言葉の肌触りを交換することが大切で、それが人間のコミュニケーション」と話した。伊藤さんは「言語の障害があっても書くことに支障がない場合が多いが、自分で否定してしまうと黙読でも、障害が出る。障害を肯定できるかどうかがポイント」と説明した。
 きょう二十八日は、市霞城公民館などで分科会を開き、言語発達の遅れや吃音、聴覚障害などを指導する基礎知識を学ぶ。(山形新聞 2000.7.28)
(「スタタリング・ナウ」2000.10.10 NO.74)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/27

「ことばの名人」・谷川俊太郎さんとの対談〜第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談〜

 僕は、これまで、吃音ショートコースという2泊3日のワークショップで、いろいろな分野の方と、対談をしてきました。それぞれその分野での第一人者の方でした。
谷川さんとの対談 舞台 今日、紹介するのは、僕の主催する吃音ショートコースではなく、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談です。対談の相手は、詩人の谷川俊太郎さんでした。谷川さんとは、その2年前に、竹内敏晴さんと共に吃音ショートコースにゲストとしてきていただいており、お話したことはありました。それでも、山形大会では、600人の聴衆の前での公開対談ということで、今から思っても、よく引き受けたものだと思います。「ことばの名人」である谷川さんと、「ことばの迷人」の僕との対談について書いている「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73の巻頭言を紹介します。


ことばの迷人
   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「谷川さんは、俊太郎という名前はお好きですか?」この最初の切り口を考えた以外どう展開していくのか、見当がつかないまま対談が始まった。
 第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が山形で開かれ、「内なることば・外なることば」をテーマに、詩人の谷川俊太郎さんと対談をした。大会事務局からこの話をいただいたとき、谷川さんの気さくな人柄を知っているので、気楽に引き受けたものの、日が近づくにつれてだんだんと不安になってきた。
 詩集だけでなく、対談集、散文、ことばについての著作など改めて読み直し、どんな話が展開できるか、準備を始めた。読めば読むほどに自分が谷川さんとの対談相手としては、あまりにも役不足であることが感じられ、安易に引き受けたことを悔いた。しかし、もう後へは引けない。聴覚言語障害児教育に携わる、ことばについて日頃実践している教師、600人ほどの前での公開対談だ。びびらない方がおかしいのだと開き直った。
 谷川さんがことばの名人なら、私はことばの迷人だ。ことばに迷いに迷い生きてきた。ことばの迷い人として向き合えばいいのだ。そう考えたとき、私の中の気負いが消えた。
 大きなホールの600人以上の聴衆をほとんど意識することなく、谷川さんとの対談を楽しめた。
谷川さんとの対談 ふたり 『ことばの迷人』とは何か。
 谷川さんは、私たちに「内的などもり」という洞察に満ちた文章を寄せて下さっている。
 ―自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか―
 このようなことは、カウンセリングの訓練の中のひとつである、自分自身がクライエントになっての面接場面のテープを聞くと、誠によく分かる。普段話しているのとは全く違い、まさにゴツゴツと行ったり来たりしている。内的にも、外的にもひどくどもっている自分にびっくりする。
 どもる人の言葉には滑らかに流暢に話す人にはないリアリティがあると、どもりを肯定的にとらえて下さる人は多い。どもりは個性だと言い切って下さる人もいる。
 どもりを忌み嫌い、人前では絶対にどもりたくない思いばかりが強かった21歳までの私は、人と話す時、いかにどもりがばれないようにということばかりに腐心した。向き合う相手のことなど少しも考えていない。このことばはどもるか、どもらないか。自分の気持ちを探り、自分の中の言葉を探るのではなく、どもらない言葉だけを探っていた。例えば、本当は『悔しい』と言いたかったのに『く』がどもると思うと、とっさに『さみしい』とか『悲しい』などと言ってしまう。言った後で、常に不全感が残った。自分の気持ちや、ことばを大切にせず、どもらない音だけを散らせた。私の、このことばにリアリティが出るはずもない。これを、「ことばの迷人」と言わずになんと表現しようか。まさに、ことばの迷い人が、当時の僕にはぴったりとするのだった。
 どもる人のことばを個性と言うには、大きなポイントがある。それは吃音を受容しているかどうかだ。完全に受け入れているとまではいかなくても、肯定的に考える。少なくとも、吃音を忌み嫌い、強く否定していないことが、決め手だろう。
 「どもってもいい」と、吃音を自分自身が受け入れると、いかにどもっても自分の気持ち、思いを表現しようとする。話すことは苦手でも、文章なら大丈夫だと書くことにも目が向いてくる。どもりを強く否定していた時は、どもりを治そう、少しでも軽くしようとの選択肢しか思い浮かばなかったが、どもりを受け入れたとき、選択肢は人生、趣味などとも関連して、広がっていく。
 吃音の経験があり、その人なりの人生を生きた人は、一時は吃音を否定していたとしても、吃音否定のままでいたわけではない。
谷川さんとの対談 垂れ幕 谷川俊太郎さんの父君、著名な哲学者の谷川徹三さんも、自分の名前が言えずに悩み、1か月、伊沢修二の楽石社で矯正を受けた。しかしその後は吃音を受け入れ、個性として生きたからこそ、今日の谷川さんの吃音への思いにつながったのではないか。ことばの迷い人にならないために、まず、どもってもいいが基本なのだ。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/26
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