昨日、僕の巻頭言を紹介しましたが、このときの「スタタリング・ナウ」では、1999年秋の吃音ショートコースを特集しています。テーマは、吃音と論理療法でした。石隈利紀さんの講義、演習、僕との対談、そのどれもが楽しく、充実していました。
今日、紹介するのは、吃音ショートコースが終わってから、講師である石隈さんが寄せてくださった文章です。石隈さんの興奮が伝わってくるような文章です。再度読んでまたうれしくなりました。論理療法とは出会うべくして出会ったのですが、石隈さんとも出会うべくして出会ったのだと、僕は思っています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/13
今日、紹介するのは、吃音ショートコースが終わってから、講師である石隈さんが寄せてくださった文章です。石隈さんの興奮が伝わってくるような文章です。再度読んでまたうれしくなりました。論理療法とは出会うべくして出会ったのですが、石隈さんとも出会うべくして出会ったのだと、僕は思っています。
吃音ショートコース〜吃音と論理療法〜
やわらかく考える人生の達人たちへ
筑波大学 石隈利紀
1999年、10月23日(土)、24日(日)の吃音ショートコースは、私にとって生涯忘れぬ出来事になった。10月22日(金)、午後8時45分に東京は飯田橋近く会場で、研修会の講師の仕事を終え、私は東京駅に向かって急いだ。研修は、終了後の移動のために、すでにスニーカー(というより運動靴)に履き替えていた。研修会が終わるが早いか、私は会場を飛び出した。私は足が速い。喘息もちの私は「ゼンソク力」で走れるからである。京都まで行ける最終の新幹線のぞみ69号に飛び乗った時、安心感で久々に大きな“ホッ”をついて、ビールを飲んだ。吃音ショートコースの会場に今日中に到着するためには、「この新幹線にのるべき」であったのだ(これは条件付きの、ラショナルビリーフである)。
京都駅に着くと、タクシーに乗って高速を通って栗東まで行く。タクシーの運転手さんに、事務局の溝口稚佳子さんから送ってもらった地図を見せた。運転手さんは、地図を見ながら不安げである。私もちゃんと会場に着くのだろうかと不安になった。車は高速を走るので、車に乗ると私は後部座席のシートベルトを探した。そしてシートベルトをやっとみっけた。しかしシートベルトを装着する相手(止め口?)がない!この時とれる行動の選択肢はなにか。「運転手さんに頼んで助手席に乗せてもらう」、「ベルトを体につけその先を自分の手で持つ」「運転手さんのプロの腕前を信じて、シートベルトをあきらめる」など。自己主張の弱い私は、一番目の選択肢を実行できず、二番目の選択肢を実行した。シートベルトを自分の手で車にのったのは生まれて初めてであった。私は高速を怖さとつき合いながら「走った」。
目的地に近づくと、さすがに少し安心した。車は山の中をひたすら走るだけで、運転手さんには自信があるように思えなかった。目的地の会場に着いて、暗い中に伊藤伸二さんと溝口さんの顔が見えて安心した。寒い中、外で私を待って下さったお二人に、(心の中で感謝の手を合わせて)実際はあまりの疲れで、十分お礼も言わず部屋まで案内してもらった。参加者の多くの方が、まだ起きて、話し合っておられたのが印象的であった。
いよいよ研修会。午前部の発表と会場の雰囲気がとても、あたたかく、そして真剣であった。午後、いよいよ、私の出番である。「私は論理療法の話を立派に伝えるべきである」、「私は、吃音の人が傷つかないよう、いやな気持ちにならないよう、会話をすべきである」、などというイラショナルビリーフで不安と緊張が高まった。
午後の研修会の初めの儀式で、伊藤さんが、私の恩師である山本昭二郎先生(神戸松蔭女子学院大学教授)との関係を話された。伊藤さんが大阪市中央児童相談所でことばの発達の遅れた子どもの指導をしていた時、プレイルームから外に出ること、子どもを2泊3日のキャンプに連れて行くのを許可したのが、当時児童相談所判定係長であった山本先生であったというのである。私は心が暖かくなるのを感じた。伊藤さんと私はそれぞれ別の人生を歩んでいる。距離のある人と人が今日出会うのだと思っていた。しかし、山本先生という共有の友人にとって私たちの間の距離はすでに近いものであったことを、伊藤さんのお話で、実感した。すると、会場の皆さんの前に出る私は少し楽になった。結果的に、私は「少しでもお役に立つ研修会でありたい」というラショナルビリーフをもつことができ緊張は適度になった。
1日目の研修会は、皆さんの食い入るような視線と演習への参加で大変盛り上がった。論理療法についてのお話をし、演習を進める私はとても充実していた。会場の多くのみなさんが、私の話に頷いて下さった。笑って下さった。質問もでた。論理療法の研修が、みなさんに伝わるのは、皆さんの人生と論理療法(柔らかい考え方)が近いからだということことに気づいた。みなさんは、吃音の自分とつきあう中で、柔らかい考え方をしようと日々の人生の中で工夫されていることが、伝わってきた。
そして、感動の時が来た。
「私は人前でうまく話せないから・…」
の後を埋める選択肢を探す場合である。論理療法の研修会の講師を何度も経験している私は、数個の選択肢が出ることを予測していた。しかし、「しゃべりたいことがあっても、話すことを敬遠してしまおう」、「代わりに誰かにスピーチをお願いしよう」、「友達に相談しよう」と、選択肢がすぐに出てくる。さらに続いて出る。「ていねいな話し方をしている」「表情でカバーしよう」、「文章力をつけよう」。そのうちにさらにマイクが会場を回り始めた。「聞き上手になった」、「同じような苦しみをもっている人を理解できる」「うまくないなりに自分らしく語ろう」、「先生の弟子になろう」(ありがとう!)、「うまく話ができませんとことわってから話を始める」、「自分の意見が言えない」「あらかじめ決めてから話そう」「今からでも言語教室に行こう」「私はテープレコーダーで取ろう」などなどである。一つずつ選択肢が増えていった。一つひとつの選択肢の幹に、一人ひとりの人生がある。私はとても感動した。そして自分でもびっくりしたが、泪が出てきた。
私は泪もろいほうである。ビックコミックを読んだり、はぐれ刑事純情派を見て泪を流したりする時がある。しかし、カウンセリングの場面で泪を流すことは、まれである。研修会の講師をして泪が出たことは一度もなかった。それは「相手の役に立つ専門家でありたい」というビリーフがとても強いからである。しかし、今回は心が自然に動き、胸がつまった。そして泪が出ていた。それは、私の人生が皆さんの真摯な人生にふれた瞬間であった。いろいろな場面で、選択肢を探しながら、自分とつき合い自分の人生を生きていく。みなさんは、それを真剣に、逞しく、柔らかくやっていらっしゃる。凄い。私はかなわない。私もそうなりたい。みなさんに出会えてよかった。私は心からそう思った。人生の苦しい場面で、いくつかの選択肢を持ち、自分なりに生きることは簡単ではないが、工夫できることである。それを確認した。
2日目の伊藤伸二さんとの対談『吃音と論理療法』はひたすら楽しかった。のり過ぎて伊藤さんや皆さんに失礼があったのではないかと後で心配になった。柔らかい考え方、そして(できる範囲で)自分を語る勇気は、人生を楽しくする。人生を共有する相手がいれば、人生は何倍も楽しくなる。2人の時間を充実させてくれたのは、伊藤さんと私の対談のせいばかりではない。会場の皆さんが一緒に"対談"を楽しみ、会場の皆さんが自分を語って下さったからである。対談をする二人には論理的療法を少しでも伝えたいという緊張があり、それに応じる皆さんの熱心な質問があったからである。柔らかく、楽しく、しかしちょっぴり厳しい、幸せな午前の時が流れた。
私が担当する研修日程を終えて帰路に着くことになり、午後のプログラムの特別講演、芥川賞作家村田喜代子さんの『吃音礼讃』を聞かずに帰るのが心残りであった。村田さんとご挨拶だけできたが、村田さんは、第一印象で逞しく、柔らかで、優しい人のように思えた。私も村田さんの本を読んでみたいと思った。
不安。興奮。感動。緊張。喜び。私の心が、とても忙しく動いた2泊3日であった。生涯忘れない3日間になった。
次の週、伊藤さんと溝口さんからの暖かいお手紙と皆さんからのアンケートが届いた。私はそれを何度も読んで、勇気と知恵をいただいた。3日間の出来事を私の心の箱にきちんと入れて、ときどき「元気グッズ」として出してみたい。
ありがとう。お元気で。またどこかで、お会いできますように。(「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/13