伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

言語関係図

私の聞き手の研究 2

 2002年8月に開催した第2回臨床家のための吃音講習会での水町俊郎さんのお話の紹介を続けます。一昨日紹介した、〈はじめに〉のところで、水町さんの背景が分かります。
 僕は、学会や研修会など、いろいろな実践発表を見聞きしますが、書いた本人がどういう人なのか、どんなことを考え、何を大切にして生きてきたのか、人柄というか背景というか、それらを知った上で、その実践を読ませてもらうのが好きです。講演もそうです。だから僕も、どんな人間なのか、まず自己紹介をして、話を始めるようにしています。
 水町さんの話の本題に入ります。ウェンデル・ジョンソンの背景である、一般意味論、言語関係図から始まります。言語関係図がわかりやすく説明されています。

  
私の聞き手の研究 2
                  水町俊郎(愛媛大学教授)

一般意味論

 ウェンデル・ジョンソンの背景の、キーワードは一般意味論です。『国語教育カウンセリングと一般意味論』(明治図書)の中に、一般意味論の定義として二つの事例が紹介されています。
 ある若い娘さんはインテリアデザイナーと結婚したいが、「インテリアデザイナーみたいなニヤけた職業のやつと結婚することは許せない」と両親が強く反対して許さない。そのことをその若い娘さんはこういうふうに言っている。
 「デザイナーと聞いただけで何か浮ついた職業のように思う。それじゃ彼が可愛そうです。早く両親に死なれ苦労して学校を出た人で、本当に真面目なんです。父たちはどうして会ったこともない彼をダメな人間と決めこむことができるのでしょう。一度でいいから彼に会ってくれればと思う」
 子どものことで相談にきた母親がカウンセラーに、「うちの太郎はとてもわがままで困ります。親の言うことなどてんで聞きません」と言う。そして、カウンセラーが何を聞いても答えの最後には必ず「うちの子はわがままだから」と付け加える。
  うちの子=太郎=わがまま
  デザイナー=浮ついた職業
 このように、周囲が決めつける固定観念、あるいはレッテル貼りが、両者に共通しています。また、レッテルを貼る心理経過も共通している。「どちらも事実を十分に見極めようとせず、確認しないで、言葉に反応してレッテルを貼っている」ということです。
 論理療法で問題にするようなことを言っています。言葉に反応して、レッテルを貼る。そのレッテルはその人がたまたま見たり聞いたり経験したりした幾つかの例を過度に一般化して得られた産物です。このようにレッテル貼りをするということは、それにある言葉を与えるということです。
 1回レッテル貼ってそれに言葉を与えると、その言葉が一人歩きをして、その後の人間の行動に影響を与えます。言葉はそういう力を持っているのです。そういうことを背景にしながら、一般意味論を次のように定義づけています。
 「一般意味論は人々がいかに言葉を用いるか、また、その言葉がそれを使用する人々にいかに影響を及ぼすかについての科学である」
 一般意味論とは論理療法の基本的な考え方と全く同じなんです。一般意味論の基本的な背景を、私なりに整理をいたしました。

吃音の問題の箱

 ウェンデル・ジョンソンは、吃音の問題の箱について次のように言います。
 吃音症状であるX軸に関しては、流暢にしゃべるように、です。どもらないようにしゃべりなさいではなく、どもってもいいから、以前よりも楽にどもればいいと言います。流暢に、どもらないで話すことだけで、人間は生きているんじゃないと言っています。アイオワ学派の人たちがそうですが、怖れや困惑を持たず、吃音を回避しないで、異常な行動は最小限にしてどもれるようになりなさいと言っています。二次的な、心理的な問題までいかないことの方がもっと大切なんだと言います。
 Y軸に関しては、子どもに限定した表現の仕方がなされていますが、大人に対しても同じことです。周囲がどうあるべきか。子どもにとって心配、緊張、非難のない意味論的環境を整えるよう求めています。意味論的環墳とは、個人を取り巻く、つまり周囲の社会が持っている態度、信念、制御、価値観あるいは既成概念などのことを言います。「どもることはいけないことだ、どもることは恥ずかしいことだ、すらすらしゃべるべきだ」という意味論的環境の中で子どもが育つと、子どもがそれを内面化してしまって、どもることに対して罪悪感を持ったり、しゃべることを避けようとしたりする。そこが諸悪の根元だという考え方です。
 そうならないようにするために、ポイントを3つ挙げています。
〇劼匹發価値ある一人の人間として取り扱われる。
 どもりだからどうこうじゃない。いろんな個性を持っているいろんな人がいるけれども、一人一人それぞれ意味があるんだということです。子どもを価値ある一人の人間として、かけがえのない存在として取り扱ってほしいということです。
∋劼匹發どんな話し方をしてもそのまま受け入れる。
 どもるからだめじゃなくて、どもろうが、どもろまいが、話の内容が分かればそれでいい。どもることを否定しないことだ。どもる子どもがどんな話し方をしても、まずそれを受け入れるような状況を作るようにしてほしいのです。
わざとどもる「随意吃」。
 随意的にわざとどもることを適切に指導すれば、非常に効果があると書いてあります。今までの意味論的環境は、どもることはいけないことでどんな変な話し方をしてでもいいからどもらないようにしましょうでした。それをがらっと反対のことを求めて、どもってもいいんだよ。どんどんどもりながらしゃべりなさいという。わざとどもるというのは、一朝一夕にはできないだろうが、どもってもいいんだよ、ということになると、どもることを避ける傾向が、結果として弱まることになる。したがって、結果として、どもることが少なくなるだろうという予測が、背景になる考え方としてはあるわけです。
 成人吃音の場合は、周囲の意味論的環境、周囲の在り方が、吃音に対して理解のあるような状況になってほしいという希望は継続してあっていいのですが、もう一つそれに加えて、吃音者自身が、やはり自己変革の努力をする必要があると言っています。つまり、環境が変わってくれるのを待つのではなく、成人吃音者の場合は自らが意味論的環墳を変えていく努力をすべきであるというのです。人が、吃音者である自分に対してどういう目で見ているのか、どもることに対してどういうことを言ったのか、どういう対応を実際にしたのか。現実を見極め、それと自分がどう向き合うかが大切だということです。他人が下す評価が、吃音者自身の生活に影響する度合いは、人によって大きく違います。受け入れるこちらの態度に大きく左右されます。それこそ、人はいろいろですから、周囲はいろんな反応をします。そして、その相手の態度をどう受け取るかによって、その人が受ける影響も違ってきます。ある状況をどう受け取るか、受け取り方の世界が非常に重要だと、論理療法では言いますよね。同じことを、ここでも言っているのです。
 周囲の、吃音者と吃音を否定するような意味論的環境の中で、吃音は起こったのでしょうが、大人になった以上は、過去のことばかり考えないで、自分自身が吃音を持ちながら、どう生きるかを考えないといけません。そのためには、周囲の状況をどう受け止めるか、どう受け取るか、です。受け取り方自体には、今度は自分の責任が出てくると、ウェンデル・ジョンソンは言っています。(「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/29

仮面としてのことば

 オーストラリアのパースで開かれた、第7回吃音の世界大会での様子を報告している、「スタタリング・ナウ」2004.4.24 NO.116 の巻頭言を紹介します。
 ここで、僕は、基調講演と論理療法のワークショップをしています。後で、基調講演の概要を紹介します。
 オーストラリアでは、幼児期から吃音の治療が徹底していますが、実際は治ってはいません。言語訓練が成功し、吃音がコントロールできた人であっても吃音に悩んでいるといいます。吃音をコントロールすることは、社会生活の中で、吃音を隠す、仮面としてのことばを身につけたにすぎないと、僕は思います。

仮面としてのことば
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「吃音の自然治癒率は20パーセントで、放っておいて治るものではない。幼児期に治療が必要で、治せる。だから臨床家が必要なのだ」
 第7回吃音世界大会のウェルカムパーティーの会場で、オーストラリアの大学院で言語病理学を学ぶ学生数人と話し合った時、学生は口を揃えて強調していた。子どもがどもって話し始めたら、それを止めさせ、「ゆっくりと、こう言うのよ」と、セラピストがゆっくり話すモデルを示して子どもに言い直しをさせる。どもらない話し方を幼児期に身につけさせるというのだ。
 日本では、自然治癒が80パーセントで、幼児吃音はちょっとした指導でほとんどが治ると言う人がいると言うと、「それはひどい、自然治癒は、20パーセントだと学んだ」と言うのだった。
 自然治癒がそれほど多くはないとは一致したものの、幼児期に治療すれば治るとの主張には同意できなかった。どもる度にいちいち指摘されたら、子どもが、「どもることは悪いことだ」と吃音をマイナスに意識し、話すのが嫌になり、その方が問題ではないかと反論し、私は「治すではなく、つき合うことを考える」と言うと、私のような主張はこれまで一度も耳にしたことがなかったのか、興味は示したが、「それはあなたの考えで、私たちは言語治療を学んできた」と言う。吃音は治せると言い切る自信に、不思議な感覚をもった。
 では実際に、専門家から指導された親が子どもにどう接しているのか知りたくて、どもる子どもの親をパーティー会場で捜した。幸い自分自身が吃音で、子どもがどもるという人をみつけて話すことができた。
 やはり、子どもがどもったら、話すのを止めさせ、もう一度言い直しをさせるのだと言う。親はそのやり方を信じている。それで今はどもらなくなったのかと問えば、それはそうではないということだった。治療が強調されるオーストラリアでは、幼児期に専門的な治療が受けられるに十分な臨床家がいて、治せるのだから、成人のどもる人はいないことになるはずだが、大勢がセルフヘルプグループに集まり、今回の世界大会を開催している。これはどう理解すればいいのか。
 私たちの論理療法のワークショップに参加した人たちにウェンデル・ジョンソンの言語関係図をひとりひとり書いてもらった。グループで話し合ってもらったが、偶然一つのグループの7人が全員オーストラリア人だった。初めて知った言語関係図を見せ合って驚いていた。全員が同じ形をしていたからだ。吃音症状のX軸と聞き手のY軸が短く、Z軸がとても長い筆箱のようだった。その一人に、「Y軸がこんなに短かったら、Z軸も短くなるのだけれどね」と問いかけると、「どもらないようにしているから、周りは気づいていないと思う」と言った。
 子どもの頃からどもらないようにと指導されたためか、かなりコントロールする吃音を自分では軽いと思い、気づかれていないからY軸も短いらしい。しかし、本人は吃音にとても悩んでいるから、Z軸を長いものに書いたのだ。
 このグループとは違う一人のオーストラリアの女性も同じ形だ。この女性は、夫が医師で、夫のためにもどもりたくないらしい。周りの人に吃音だとは気づかれていない程度だけれど、自分自身は吃音に深く悩んでいる。
 オーストラリアで中心的に活動する友人は、社会生活の中では、できるだけどもらないようにかなり無理をして吃音をコントロールしている。家に帰ったら、ぐったり疲れていて、仮面を脱ぐのだと言う。吃音についての苦悩は深い。
 世界大会で見聞きした限り、オーストラリアでは、幼児期から吃音の治療が徹底している。そして、吃音がコントロールできた人であっても吃音に悩んでいる。吃音をコントロールすることは、社会生活の中で、吃音を隠す、仮面としてのことばを身につけたにすぎないことになる。
 私たち日本の参加者は仮面をつけないために、見た目にはよくどもっていたが、このような吃音の悩みはない。オーストラリアでは、仮面をつけさせることが治療なのか。
 私は仮面としてのことばは身につけたくない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/30

吃音の理解

 吃音の理解。今、吃音についてメディアが語るとき、このことばが一番使われているような気がします。僕が、新聞やテレビに出ていたときは、「吃音と共に豊かに生きる」がテーマになっていました。ウェンデル・ジョンソンの言語関係図の3方向からのアプローチを考えたとき、X軸(吃音の状態)へのアプローチは難しく、吃音治療法が話題になることは少なくなりました。残ったのが、Y軸(聞き手の反応・環境)、Z軸(本人の受け止め方)です。僕たちは、Z軸(本人の受け止め方)こそが、自分の力だけで取り組めるもの、吃音を僕たち自身の生き方の問題として取り組んできました。ところが最近は、周りの環境の問題だとして、吃音を理解してほしいという大きな流れができてしまいました。吃音の問題は、周りの「吃音理解」の問題だということなのでしょうが、どう理解してほしいのかの検討が抜けているように僕には思えます。
 声高に理解を叫ぶのではなく、目の前の人に、自分のことばで、自分の吃音を話していく大切さを思います。「スタタリング・ナウ」NO.103(2003.3.21)の巻頭言を紹介します。大阪市の人権映画「ラストからはじまる」の映画つくりに関わったときのこと、なつかしく思い出しました。

  
吃音の理解
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音で悩んできた私たちは、吃音をどのように理解してほしいのだろうか?」
 この冬、大阪市住吉区で開かれた4週連続の市民講座、「吃音と上手につきあうための講座」で、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を説明し、XYZ軸それぞれのアプローチについて、参加者と検討していったとき、Y軸の聞き手の態度のところで議論になった。
 一般的に、理解がないと言う場合、どもる人の悩みや苦しみを知ってほしい場合が多いようだ。そこで、「つらさを分かってもらってそれでいいのか。どうしてほしいのか」と話し合いは続いた。
 15名ほどが参加した市民講座で、ひとりの母親が、「どもっていると、子どもがとてもかわいそうで、なんとか治してやりたい」と涙ぐんだ。その姿を見ていた成人のどもる人が、「治してあげないとかわいそうだ、とあまり言われると、治らずに40歳を過ぎた私は、あのお母さんからすれば哀れな存在なのですね」と、帰りの道すがら、複雑な思いを語った。どもる人本人や、親の「治したい・治してあげたい」との自然な思いが、現実にどもっている人をおとしめていることになるとは思いもよらないことだろう。
 「吃音は苦しくて、大変なものなんだ」と強調することは、「治さなければ」に通じる。吃音のマイナス面だけを知ることが、どもる人にとってしてほしい理解になるのだろうか。
 大阪市は、「さまざまな人権問題を考え、解決の道筋を探る」をテーマに、演劇ストーリーを募集して、劇として上演したり、映画化してテレビ放映をしている。10回目となる、2002年度の入賞作品は、どもる少年が主人公の「ベストショット」で、その原作の映画化がすすめられていた。
 昨年の秋、どもる少年をどう描けばいいか相談に乗ってもらえないかと、桂文福さんの紹介で、映画制作のスタッフから依頼があった。
 私は、2000年、ベネチア映画祭で新人賞を獲得した、緒方明監督の映画『独立少年合唱団』をすぐに思い出した。映画そのものはおもしろかったが、吃音という視点からだけ見ると、大きな不満があった。実際に緒方監督との対談で直接その不満をぶつけたとき、吃音について深く知れば、映画が吃音に負けてしまうから、吃音について調査をしなかったと言われた。映画の試写とシネマトークに参加したどもる子どもの母親が、吃音についての基本的な部分での無知からくる描写に、強い怒りをぶつけていた。
 当事者の思いと、制作者の思いの違いは仕方がないと、母親をなだめる側にまわったのだが、釈然としない思いは私にも残っていた。表現者としては、ある事柄を描くとき、ある程度の学習と、当事者への想像力や共感、謙虚さは常に意識してもらいたいと思ったのだった。
 そのような経験をしているので、私の吃音に関する書籍を読み、大阪吃音教室にも参加してどもる人の生の声を聞いて理解しようとする制作スタッフの姿勢がとてもありがたかった。シナリオの原案の状態から、スタッフのように意見を求めて下さり、少年が国語の朗読の時間にどもる重要なシーンの、中学校でのロケ現場にも立ち会わせてもらった。
 できあがった「ラストからはじまる」の完成試写会で、吃音指導をした私を紹介して下さった。
 最初の段階から、映画作りに少し加われたことは、とてもありがたいことだった。吃音が、「つらくてかわいそうなもの」としてではなく、だからといって軽いものではなく、等身大に吃音が描かれ、さわやかな、くさみのない、人権映画として完成した。
 それが、田中監督が書いて下さったように、「吃音はおもしろいですよ」と言った私との出会いが、多少なりとも関係しているとすれば、こんなうれしいことはない。
 吃音の悩みや苦しみは、21歳まで孤独で本当に深刻に悩んできた私には、いくらでも言うことができる。しかし、かわいそうで、みじめなものとして、どうしても治さなければならないものだと吃音を理解することが、どもる子どもや親にとっての生きやすい社会につながるだろうか。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/04

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

吃音の夏」第二弾 
 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜大阪吃音教室の公開講座を終えて


 参加者が丸く円になり、講習会のふりかえりをした後、短時間だったのですが、感想を記入していただきました。そこに書かれていたことは、また機会があれば、ぜひ紹介したいのですが、今日は、それとは別に、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトのメーリングリストで交わされた、講習会1日目の午後、吃音チェックリストを使っての、大阪吃音教室の公開講座をめぐるやりとりを少し紹介します。

osp 公開講座 大阪のみ 吃音講習会に参加のみなさん、お疲れ様でした。
 吃音チェックリスト公開講座を担当いただいた嶺本さん、ありがとうございました。
 実際に活用する様子を見て参考になったと、最終日ふりかえりで参加者から感想がありました。吃音チェックリストは、吃音に関するとらわれ度や回避度の数値が下がったもの、数値に変化がないものも含めて、互いの吃音について語り合う、対話のツールでした。
 話し合いの中で普通に、なぜそうなのか? どういう気持ち? など、知りたいと思ったことを相手に質問しますが、どもる子どもを傷つける恐れがあるので、「大阪の人のようなつっこみはできない」ということばの教室の担当者がいました。予想外の反応でしたが、相手の気持ちを配慮し、あまり慎重になりすぎると対話になりません。短い期間で異動することばの教室担当者のとまどいや悩みを知ったようでした。
 吃音チェックリスト、言語関係図、吃音氷山説などは、大阪吃音教室でやっていますが、ことばの教室でも教材として実践され、事例研究が進みます。講習会ではそれらの事例研究が報告され、教材としての意味づけを知り、参考になりました。
伸二 伊藤さんが基調講演で話された健康生成論の首尾一貫感覚の〈わかる、できる、意味がある〉感覚は、幸せに生きるためになくてはならないものですが、私たちがこれまで教材としてきた論理療法、交流分析、アサーションなどで学び、自分への気づきを得てきたのは首尾一貫感覚で意味づけることができます。ことばの流暢性を求めなくても吃音の悩みから解放され、幸せに生きることができる裏づけをもらったようでした。
 内容の濃い、盛りだくさんの吃音講習会でした。大阪のメンバーが参加し、いろいろな体験を話す意味合いを改めて思いました。(東野)     
 
 参加されたみなさん、講習会でのチェックリストの例会実演、いい時間でしたね。吃音チェックリストの数値は、ともすれば数字の低さをよしと考えがちになるのですが、やりとりの過程でそうではないことが示されていく様子は、吃音講習会の参加者にとって圧巻の展開だったと思います。
 吃音チェックリストは健康生成論の首尾一貫感覚における「わかる」に焦点化したものでしょうが、「できる」、「意味がある」ところにまで私たちの話し合いは進んでいましたのでなおさらです。
 プログラム最後の振り返りでは、公開講座に参加していた大阪吃音教室の人たちの話に「つっこむ力」が話題になりました。興味・関心ゆえのつっこむ力、応答する姿勢は伊藤さんや顧問の牧野さんが語ったこととも通じて、ことばの教室の教員の夏休み明けの子どもたちに向き合っていきたいという振り返りのことばに結実したと感じました。
 嶺本さん、普段の大阪吃音教室と違って、それなりに緊張感がともなう担当だったと思いますが、それこそ嶺本さんにとっての適度なバランスのとれた負荷、経験だったのではないでしょうか。いい時間をともにさせてもらいました。ありがとうございます。(坂本)

 「大阪で普通にしていることが、参加者にとっては、とても新鮮で、衝撃的だったようですね。大阪人だから? いえいえ、相手を信頼しているからできることだと思います」と、伊藤さんたちが書いていましたが、名古屋での吃音講習会での反応で、私が一番驚いたのがその点です。
 普段子どもを相手にしている先生や言語聴覚士が、吃音のことを子どもに質問したり、子どもの発言にツッコんだりするのに、何をためらうんだと思いました。まあ、参加者のそういう反応を通じて、「これからは子どもたちとの対話を心掛けよう」と思う、そんな先生たちが増えていきそうな実感が持てた講習会でした。
 今後とも、大阪から参加しやすいときは、講習会に参加しようと思っています。(西田)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/15

「吃音の夏」第二弾 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 2日目

牧野さん牧野さんup 2日目は、国立特別支援教育総合研究所の牧野泰美さんの基調提案から始まりました。
 タイトルは、『子どもの「生きるかたち」を支えるために』です。牧野さんは、僕たちのこの会の顧問として、第一回講習会から、ずっと、この場にいてくださいます。牧野さんの大好きなことば「そばにいてくれるだけでいい」のことばどおりの存在です。今回、牧野さんファンの参加者も多く、牧野さんの話すことにうなずきながら、聞いていた姿が印象的でした。参加者のそれぞれに響くことば、フレーズがあったようです。子どものありのままを受け止め、暮らしの中での子どもの思いを知ることが大事ではないかと、牧野さんらしいソフトな語り口で伝えてくださいました。大人が勝手に考えてしまわないよう、常に子どもが中心にいることの大切さを強調していました。
渡邉溝上奥村黒田高木 その後は、子どもと対話をすすめるためのツールとしての教材の紹介です。吃音カルタ、言語関係図、吃音チェックリストの3つに分け、僕たちの仲間のことばの教室の担当者が次々と登壇し、自分の実践を紹介していきました。うれしそうに、楽しそうに、そのときの子どもの様子を伝えながら、紹介していく様子は、聞いていて気持ちがいいものでした。
 毎週、ことばの教室にやってくるどもる子どもとどう過ごそうかと悩んでいる、吃音のことを話してみようと思うが傷つけないだろうか、「困ったことはない?」と聞いても「別に」と答える子どもとどう対話をしていったらいいのだろうか、どもりカルタを買ったはいいけれど、どう使ったらいいのか分からない、そんな思いを持っておられた参加者にとって、具体的な実践がどんどん紹介されていく時間は、私にもできそうと思ってもらえた時間だったのではないかと思います。昨年、この時間が短すぎたので、今年はたくさん時間をとりました。それでも、もっと長くてもよかったようでした。僕たちにとっても、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
ティーチイン 最後は、参加者全員が丸く円になり、講習会のふりかえりをしました。2日間を通して、自分が感じたこと、考えたことを話していきます。僕は、この時間が好きです。充実した2日間が、みんなのふりかえりの中でよみがえります。片付けを全員でして、会場を出たのが、午後4時半でした。会場内の喫茶室で打ち上げをして解散しました。その後、僕たちは、難聴・言語の教員の研修の千葉県大会のために、千葉へ向かいました。なんと慌ただしいスケジュールでしょう。東京に向かう新幹線に乗る前、夕食に、名古屋名物のきしめんを食べました。JRに貢献しているなあと思いつつ、東京へ、そして千葉へ向かいました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/14

論理療法と吃音

 大阪吃音教室の講座の定番になっているのは、論理療法、交流分析、アサーション、認知行動療法、アドラー心理学、内観法、森田療法など、たくさんありますが、その中でも、今回紹介する論理療法は、本当に吃音との相性がいいです。吃音のためにあるのではないかと思うくらいです。
 吃音ショートコースで、直接、講義を受けたのは、1999年の筑波大学の石隈利紀さんからですが、論理療法的な考え方とは、ずいぶん前に出会っています。
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」は、1999年3月20日発行のNO.55です。まず、その巻頭言から紹介します。

  
論理療法と吃音
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 論理療法は吃音のためのものかと思えるほど、吃音と相性がいい。どもる人が論理療法によって、自分を縛っている非論理思考に気づき、それを修正できれば、どもる人の悩みはかなり軽減される。生き方が楽になる。
 吃音治療の有効な方法が確立していない現在、論理療法の活用が、どもる子ども、どもる人にとって最も現実的で有効なアプローチになり得るのである。
 アルバート・エリスは論理療法を心理療法のひとつの流派として1950年頃から提唱し始めたが、言語病理学の分野で、1930年代に吃音研究の第一人者として世界的な規模で活躍したウェンデル・ジョンソンの「吃音診断起因説」「言語関係図」に論理療法の源流をみることができる。
 私たちは、言語関係図を、現代に通用する吃音へのアプローチの基本構想として重要視してきた。しかし、一般には言語関係図が十分に臨床に生かされているとは言いがたい。論理療法と結びつくことで、より注目されることを期待したい。
 ウェンデル・ジョンソンは、X軸(話しことばの特徴)、Y軸(聞き手の反応)、Z軸(話し手の反応)という3つの要素の重症度、強さを各軸の長さで表し、できあがった立方体の容積の大きさや形が、その人の吃音問題の大きさや質を表すとした。吃音の問題は、吃音症状だけにあるのではなく、聞き手と、本人が吃音についてどう考え、聞き手の反応をどう受け止めるかも大きな要素であると考えた意義は大きい。いわゆる吃音症状がたとえ重度であっても、周りがいい聞き手であり、吃音者本人が自分の吃音を受け入れていれば、吃音の問題は小さいとした。
 この言語関係図は、自身が吃音者であり、一般意味論の立場をとるジョンソンならではのものであり、論理療法に通じるものである。ジョンソンは、X軸を短縮するために、流暢にどもることを、Y軸に関しては、母親がよりよい聞き手になることを臨床の場で提唱した。ところが、Z軸については《吃音の態度テスト》を提案したが、取り組みについてはあまり言及していない。私たちは、X軸、Y軸よりも、Z軸重視の立場をとり、Z軸へのアプローチとして、アサーティブ・トレーニングや論理療法、交流分析などを取り入れた。その中で、中心的に据えたのが論理療法である。
 吃音の原因は未だに解明されず、有効な治療方法は確立されていない。幼児期の吃音の50%近くが自然に吃音症状が消失することがあっても、小学校まで持ち越した吃音が治ることは難しい。X軸への取り組みは難しく、Y軸については、一般社会の吃音についての理解のためには重要なアプローチだが、他者を変えるには限界がある。
 Z軸へのアプローチが、最も現実的で、最も効果のあるものである。日本吃音臨床研究会では、吃音は治すべきものとしてでなく、治るに越したことはない程度に考え、《吃音を治す》から《吃音とつきあう》へ転換した。上手につきあうために、論理療法が役立つのである。
 私は、他の吃音者と出会うまで、自分ひとりが吃音に悩んでいると思っていた。またどもりは必ず治るはずだと信じてきた。そして、吃音が治らなければ、自分らしくよりよく生きられないと考え、治ってからの人生を夢見た。
 ひとりで吃音に悩む人々の話を聞くと、私と同様の思い込みの世界で悩んできている。多くの吃音者が論理療法でいう、イラショナルビリーフをもってしまうのは、吃音について誤った情報が横行し、吃音者の判断を、思考を歪めているからである。私がどもる人のセルフヘルプグループを作る33年前までは、「吃音は必ず治る」との情報しかなかった。そして、治療者から「吃音を治さなければ、有意義な人生は送れない」とまで言われた。その結果、どもりは悪いもの、劣ったものと思い込んでしまったのである。現在でも、この状況にそれほど大きな変化はなく、吃音者がイラショナルビリーフをもちやすい環境は残っている。
 私たちは大勢の吃音者と出会い、これまで常識と思い込まされてきたことがいかに事実に基づいていないかを知った。どもっても悩まず、人生にマイナスの影響を受けない人の存在も知った。そして、自分を生きやすくするためには、イラショナルビリーフを粉砕しなければならないことに気づいたのである。この秋、論理療法を学ぶ。(「スタタリング・ナウ」)NO.55 1999.3.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/24
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