伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

英国王のスピーチ

映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み 2

 昨日の続きです。
 今、読み返してみても、映画「英国王のスピーチ」を題材にして、いくつかの視点を提示して、自分の体験を折り込み、話しています。僕にとって、それは、「語るべきことばと、語りたいことば」だったのだと思います。

  
映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み 2
                  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


  吃音の問題とは

 ローグが治療を引き受けるとき、「本人にやる気があれば治せる」と言います。吃音治療の要望に言語訓練はしましたが、これまでの経験から効果があるとは思ってなかっただろうと思います。治療の初期には80日以上連続して集中的に訓練を続けますが、まったく効果がありません。
 全く改善しないままに、最後の開戦スピーチの録音室に向かいます。スピーチ5分前まで、歌ったり、踊ったり、悪態を叫んだりして、必死で声を出す練習をしますが、うまくいかない。不安を抱きながら、スピーチをしますが、自分でも満足できる成功を収めます。なぜ成功したのか。ここに吃音の臨床の大きなヒントがあるのです。
 はじめのシーンで出てきた、口にビー玉を含んで話す治療は、紀元前300年代ギリシャのデモステネスが実際に訓練した方法で史実です。海岸の荒波に向かって大声を出す練習などで吃音を克服し、大雄弁家になったと言われています。彼は吃音を治すために過酷な訓練を続け、成功したと言われていますが、訓練の結果ではないと私は考えています。
 デモステネスも、ギリシアの国を守る責任感と、政治家として弁論をしなければならない役割と立場があった。それらがデモステネスのことばを変えたのであって、訓練がことばを変えたのではない。
 私も、21歳までかなりどもっていましたが、治すことを諦めて、どもりながら生きていこうと覚悟を決めて、日常生活に出ていきました。仕送りの全くない東京の大学生活を送るためのアルバイト、自分が創立したどもる人のセルフヘルプグループの発展のために必死に活動しました。その後、大阪教育大学の教員になり、人前で自分の考えを伝えなければならない立場に立ちました。
 グループの責任者として、大学の教員として、「語るべきことばと、語りたいことば」を話していく中で、私のことばは変わりました。
 デモステネスも、ジョージ6世も、私も、人前で話せるようになったのは、吃音治療の結果ではなく、自然に変わったのです。ローグが治せると言ったのは、吃音症状そのものではなくて、吃音不安、吃音恐怖だったのです。
 心の問題だと捉え、不安や恐怖ヘアプローチしたのです。
 ジョージ6世の話すことへの不安と恐怖は、映画全編に出ています。不安が頂点に達したのが、国王にならなければならないかもしれないと感じ始めた時です。

吃音への不安が頂点に達した時

 兄が、愛人と一緒にいる山荘に、弟夫婦を招待した時に、ヨーク公は、王としての仕事をしない兄に苦情を言います。その時兄は、「お前はスピーチの練習をしているそうだが、王位を奪おうと思っているのか」と、彼のどもる真似をします。とても仲のいい兄弟だったから、今まではあまりなかったことだろうと思いますが、その時に、怒りが込み上げても、兄に何も反論もできず、本当に悔しい思いをします。悔しい思いを、ローグのところに行ってぶちまけます。ローグが誘って散歩をするシーンです。
 「長男の国王が、離婚歴のある人間と結婚するつもりらしい。王室では、離婚経験者とは結婚できない」と話した時に、ローグが、「あなたが王になったらいい、立派な王になれる」と言います。すると、現実には兄が王の座にいるのに、王を侮辱するのかと怒ります。これは、兄が侮辱されたことへの怒りというよりも、国王になることへの不安が頂点に達したのだと思います。
 兄が本当にシンプソン夫人と結婚したら、王ではいられなくなる。となると、絶対になりたくなかった王に自分がならなくてはならない。国王になるとスピーチをしなければならない。不安が頂点に達する。ローグがいなければ本当は困るにもかかわらず、不安が恐怖になり、思わず「お前とのセラピーはおしまいだ」と決裂します。
 このシーンが、大きなポイントになっています。
 吃音そのものではなく、彼の不安と恐怖にこそアプローチをしなければならないと考えたローグのセラピーに対する考え方は、的を得て、とても素晴らしいと思います。
 異端の、卓越したスピーチセラピストであるローグは、1920年代にすでに、スピーチセラピーは大した効果はないことを知っていた。セラピーすべきは、吃音への不安と恐怖から、全てに自信をなくしている、心の問題だと見抜いたのです。

  吃音治療の歴史

ローグの時代の吃音治療

 1920年から1930年代当時の治療技法が発達していなかったからうまくいかなかったと皆さんは考えるかもしれませんが、映画に出てくる技法は、ビー玉を口に入れること以外は、全部現在でも使われているものばかりです。
 これまでたくさんの治療を受けながら、少しも改善しないために、ヨーク公本人は吃音治療をあきらめていますが、妻のエリザベスはあきらめません。探し回ってローグに行き着きます。彼女の強い希望で、仕方なく、ローグの治療室を訪れますが、「パーティ」と対等に呼ばれることに抵抗感もあり、気乗りはしません。「誰にも私の吃音は治せない」と言うヨーク公に、今でも使う、マスキングノイズを使います。
 「私はあなたが、全然どもらずにしゃべれることを証明してみせる」と1シリングの賭けをします。シェイクスピアの有名な「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の台詞を読ませますが、どもって読めません。そこで、ヘッドフォンをつけさせ読んでみなさいと言う。ヘッドホンから大音量の音楽が流れる中で読ませてレコードに録音します。
 「無駄だ、絶望的だ。この方法は私には向いていない」と去ろうとするとき、「録音は無料です。記念にお持ち下さい」とレコードを渡される。
 父親のクリスマス放送に立ち会ったとき、「お前も練習してみろ」と原稿を渡され、読んでみた。どもって全然読めずに落ち込んだ。そして、ひとりで、部屋で音楽を聴いていたとき、ふと、あのレコードのことを思い出し、聴いてみました。すると、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とどもらずに読んでいます。自分の耳には、音楽が聞こえているから、しゃべってる声は全然聴こえません。これがマスキングノイズです。びっくりして、ひょっとすると役に立っかもしれないと思い直して、ローグのもとを再び訪れ、治療が始まります。
 ローグは、治療として、音楽をヘッドフォンで聴かせる、腹式呼吸、からだや顎や舌などの筋肉をゆるめる、大声で発声する、ゆっくり間をとって話す、歌って話すなどを試みますが、驚くことに、それらは現在とまったく変わっていません。その後新たな治療法は何一つ生まれていないのです。しかし、ローグは、あの当時は異端であっても、現代にも十分通用する、吃音臨床に対する哲学をもっていました。
 ローグは、吃音の問題はことばにあるのではなく、心の治療こそが必要だと言います。あの当時も、いろいろな治療法をするセラピストがいたでしょうが、何の役にも立たないと、ローグ自身はわかっていたのでしょう。だから他のセラピストとは違う異端のセラピストだとの評価がされていたのです。これは、当時としてすごいことです。

アイオワ学派の治療

 1930年代に、吃音に悩んで、吃音を研究したいと考えた人たちが、アイオワ大学に集結しました。チャールズ・ヴァン・ライパー、ウェンデル・ジョンソンらです。
 彼らは、従来の「わーたーしーはー」という不自然であってもどもらない話し方を身につける、吃音をコントロールするセラピーは、どもることへの不安や恐れをかえって大きくすると批判しました。吃音の問題は、吃音症状だけにあるのではないとの考え方です。
 ウェンデル・ジョンソンは言語関係図で、ライパーは吃音方程式を作り、吃音は症状だけの問題ではないと強調しました。
 この二人よりも明確に言ったのが、アメリカの著名な言語病理学者、ジョゼフ・G・シーアンです。吃音は、随伴症状を含めて周りから見えていて、本人も意識しているのは、氷山のごく一部で水面上の小さな部分だ。本当の吃音の問題は、水面下に大きく隠れている。それは吃音を避けたり、どもると惨めになったり、不安になったり、恐怖に思ったり、そういう感情の問題だとする、吃音氷山説を主張しました。
 1970年、シーアンは、この考え方を、アメリカ言語財団の冊子「To The Stutterer」で発表しました。その冊子を、内須川洸筑波大学名誉教授と一緒に翻訳して出版したのが、『人間とコミュニケーション―吃音者のために』(日本放送出版協会)です。
 私が自分の体験を通してずっと考えてきたことなので、うれしくて、シーアンに手紙を書きました。とても共感し合え、新しい著書も送っていただきました。シーアンよりも丁寧に整理すると、行動、思考、感情はこうなります。
 行動は、吃音を隠し、話すことから逃げ、いろいろな場面で消極的になっていくことです。
 ジョージ6世は、吃音を隠し、話すことから逃げて、すごく非社交的な生活をしました。王室は社交の世界で、社交が大事な公務であるのに、彼はすごく引っ込み思案で、王室としては困った存在でした。エリザベスと結婚することで、社交の場は広がったようですが、人前に出るのをとても嫌っていました。ヨーク公は、どもりを隠し、話すことから逃げ、できたら話さないでおきたかったのです。だから国王なんかになりたくないと逃げ続けました。これが行動です。
 思考は、「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」。「どもっている人間が王などになるべきではない」。「どもってするスピーチは失敗だ」などという考え方です。「どもってスピーチすると、国民はこんな情けない国王を持って、不幸せだと思うに違いない」という考え方です。
 感情は、どもることへの不安、スピーチすることへの不安、恐怖です。どもった後の恥ずかしい、みっともないと思う気持ち。どもることで相手に迷惑をかけたと思うなどの罪悪感です。
シーアンは、これこそが吃音の問題なのだと主張しました。それなのに、アメリカ言語病理学は、1970年のシーアンのこの提案を吃音にどう生かすか、全く考えずに放置してきた。やっと最近、吃音評価と臨床のために「CALMSモデル」という多次元モデルが、何か新しいことのように出されました。
 けれど、それよりもはるか前にシーアンが言った方が、吃音の本質をついて、シンプルで臨床に使いやすいモデルを提案していたのです。シーアンは、水面下に隠れた大きな部分が、吃音の問題だと言ったわけですが、1920年代のローグがすでに考え、実際にやっていたのです。
 ローグの孫が、ローグの日記やセラピーの記録を、脚本家のサイドラーに提供したことで、吃音治療の真実が語られることになりました。サイドラーは、アカデミー賞の脚本賞をもらいましたが、思春期までかなり吃音に悩んでいました。また、子どもの頃に、ジョージ6世のスピーチを実際に聴いています。自身の体験と照らして、セラピー記録をもとに、当時の吃音治療を詳細に調査して脚本を書いていますので、「英国王のスピーチ」に出てくる吃音の治療場面は、正確で間違いないだろうと思います。
 そう考えると、この映画が誕生したのはいろいろな要素がからみあった奇跡のような気がします。

吃音治療に関するローグの基本的な考え

 ローグの吃音治療の考え方が明らかになるシーンがあります。戴冠式の準備の時です。
 医者や言語聴覚士の免許もなくて、吃音や臨床の研修の経験もないことが、王室の調査機関で分かり、宮殿でローグはヨーク公から責められます。大司教から、セラピストを変えるように言われるからです。一向に治療効果がないことへのいらだちもあって、資格のない人間が、どうして吃音治療をしているのか、お前は詐欺師だと、ローグを責めます。その時に彼が反論したことが、彼の臨床を物語っています。
 「言語障害専門」と看板を掲げるローグのもとに、様々な言語障害に悩む人が相談に来ます。ベトナム戦争のあと、帰還戦士が戦争後遺症から、自殺をしたり、さまざまな精神障害に悩まされます。心的外傷後ストレス障害やトラウマのことばが一般に知られるようになりましたが、それより前の第一次世界大戦で、人を殺し、友人が知人が死んでいくのを目の当たりに見た兵士たちが、戦争が終わった後、しゃべれなくなります。そのような兵士のセラピーの体験を語ります。
 「私は医者ではないが、芝居はそれなりにやった。パブで詩を読み、学校で話し方も教えた。戦争になり、前線から戻る兵士の中に、戦争神経症でしゃべれない人間がいた。誰かが私に言った。「彼らを治してやれ」と。運動や療法も必要だが、心の治療こそが大切だ。彼らの叫びに誰も耳を傾けない。私の役目は、彼らに自信をもたせ、"友が聞いている"と力づけることだ。あなたの場合と似ているだろう」
 「見事な弁明だが、詐欺師だ」
 「戦争で多くの経験を私は積んだ。成功は山ほどある。経験はたくさんしている。ドクターと自分で言ったことはない。詐欺師だというなら、私を監禁しろ」
 このやりとりで、ジョージ6世は、ローグが自分の話をよく聞き、真剣に向き合ってくれたことを思い出します。資格がなくても自分にとってはローグが必要だ。大司教の推薦するセラピストを、「これは私個人の問題だ」と断固拒否し、改めてローグをセラピストとして選びます。本当の信頼関係が確立した瞬間です。再びセラピーが始まります。(つづく)

 次回は、次の項目で話が続きます。
人は何によって変わるか
ナラティヴ・アプローチの実際
兄と弟の劣等感の葛藤
ジョージ6世のスピーチの成功要因


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/07

映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み

英国王のスピーチDVD_0001 映画「英国王のスピーチ」を観た人の感想はさまざまです。そして、ジョージ6世が開戦のスピーチができたのは、言語聴覚士による言語訓練が成功したからだというふうにみる人が少なくありません。僕の見方は、それらとは全く違います。吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた僕の視点を通して、「英国王のスピーチ」を解説してみましょう。
 「スタタリング・ナウ」2012.3.20 NO.211 より、紹介します。


  
映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み
                    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


はじめに―当事者研究―

 映画『英国王のスピーチ』は、吃音の臨床に役立つ、大きな学びと教訓が詰まっています。
 主人公は、ジョージ5世の次男であるヨーク公、後のジョージ6世です。長男は社交性があり、流暢にしゃべり、聡明で国民にも人気があります。弟のヨーク公は、物心ついてから、どもらないでしゃべったことはないと本人が言うほどに、吃音に強い劣等感を持ち、悩んで生きてきました。
 この映画は、ローグというオーストラリア人の言語聴覚士と英国王の吃音治療の記録映画とも言えますが、社交的な長男と、引っ込み思案な次男の葛藤の話でもあります。
 国王は、クリスマスや、国にとって大事な時にスピーチするのが公務です。次男のヨーク公にも話さなければならない局面が出てきます。
 1925年の万国博覧会で、ヨーク公が挨拶で、「…」と、どもって言えません。
 「…」と息が漏れたり、間があったり、しゃべれない。そのスピーチを聞いている国民は、一斉に目をそらし、何が起こったのかと、怪誘な表情で顔を見合わせるところから、映画『英国王のスピーチ』がスタートします。
 この静岡キャンプに来る二週間前に、私たちの吃音ショートコースというワークショップがありました。テーマは「当事者研究」で、北海道の精神障害者のコミュニティ「べてるの家」の創設者で、ソーシャルワーカーの向谷地生良さんが講師として来て下さいました。べてるの家の実践は、精神医療の世界だけでなく、ひとつの社会的現象として様々な分野から注目されています。一人でする当事者研究もありますが、ひとりでは、堂々巡りになったり、ひとりよがりになる危険性があります。仲間や臨床家など、第三者と研究することが、より効果的です。
 小説でも映画でも、読者、観る人の数と同数の感想、受け止め方があります。王室に関心ある人、第二次世界大戦当時の歴史に関心ある人、家族のあり方に関心のある人で、「英国王のスピーチ」はさまざまな研究ができます。映画「英国王のスピーチ」で描かれたジョージ6世を、吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた伊藤伸二という第三者の目を通して「研究」します。

  臨床家における対等性

ヨーク公を愛称「パーティ」と呼ぶ

 まず、セラピストとクライエントの関係です。
 ことばの教室の教師や言語聴覚士とどもる人、どもる子どもとの関係です。セラピーが成功した要因のひとつが、「対等性」です。
 私はこれまで、教育や、対人援助の仕事にかかわる人に、向き合う相手との「対等性」の重要性を言い続けてきました。特に、原因もわからず、治療法もない吃音は、一緒に悩み、試行錯誤を繰り返さざるを得ません。共に取り組むという意味で、対等性が何よりも重要です。
 ジョージ5世の次男、ヨーク公には、これまでにたくさんのセラピストが治療しますが、すべて失敗に終わります。そのために本人はあきらめ、もう吃音治療はしたくないと言います。しかし、妻のエリザベスはあきらめません。夫に内緒でいろいろと探し回り、新聞広告で見た「言語障害専門」という看板のある、ライオネル・ローグの治療室に来ます。
 「あらゆる医者がだめでした。本人は希望を失っています。人前で話す仕事なので、どうしても治したいのです」
 「それなら転職をしたらどうですか」
 「それは無理です。個人的なことは聞かずに治療してほしい、私のところに来てほしい」
 「だめです。私の治療室に通って下さい。治療に大切なのは、信頼と対等な立場です」
 エリザベスが、クライエントがヨーク公だと身分を明かしても、ローグはこれまでの態度を変えることなく、対等性にこだわります。ヨーク公と直接対面した時、ヨーク公が「ドクター」と呼ぶのを遮り、「ライオネル」と呼んでほしいと言い、ヨーク公を「殿下や公爵」ではなく、家族しか呼ばない愛称「パーティ」と呼ぶと宣言します。
 ヨーク公は、「対等だったらここに来ない、家族は誰も吃音を気にもとめない」と抵抗しますが、「私の城では私のルールに従っていただきます」と譲りません。イギリス人のセラピストなら、王室の人間に対等を主張することはありえません。オーストラリア人だからかもしれませんが、それにしても、あの時代としてはすごいことです。二人にとって、この対等な関係がとても大きな意味をもちました。

ナラティヴ・アプローチ

 対等の関係であることは、どんな臨床にも必要だと私は思いますが、それにいち早く気がついたのが、家族療法の分野です。家族療法の世界では近年、ナラティヴ・アプローチが注目を集めています。その中で言われるのが「対等性」です。なぜ対等性が言われるのでしょうか。
 ナラティヴとは、「物語」、「語り」の意味ですが、人はそれぞれ自分の物語を作ります。自分についての物語は、本人が誰よりも知っています。そのことへ敬意をもって、本人に教えてもらう、「無知」の姿勢を貫きます。ここに対等性が出てきます。
 本人が語る物語がネガティヴであれば、その物語に捉われて悩みます。ジョージ6世は、「どもりは劣ったもの、悪いもの、恥ずかしいもの」の物語を繰り返し語ります。その物語には伏線があります。弟はてんかんでした。その弟は世間から隠されて13歳でひっそりと亡くなります。弟の話は王室ではタブーです。その弟に優しかったのが、兄であるヨーク公です。
 彼はそこで、王室は自分の愛する弟を障害があるからといって隠すのだ、という物語に出会います。そして、王になるような人間は、吃音という言語障害をもっていては駄目だとする物語を強化していきます。
 世間一般も、同じように、どもる人間は王にふさわしくないという物語をもっています。自分が語る物語と、世間一般の物語によって、ヨーク公は、どもる人間は国王になるべきではないとの物語をもっています。ヨーク公は次男なので、長男が生きている限り、彼が国王になることはないのですが、吃音の国王は考えられないのです。
 この、自分を不幸にする物語に、新しい物語を、セラピストと一緒に作っていくのがナラティヴ・アプローチです。自分の否定的な物語の上に、肯定的な、自分がよりよく生きていくための物語を作っていく。「英国王のスピーチ」は、吃音治療の物語ではありますが、結果として、このナラティヴ・アプローチになっていたと私は思います。
 ヨーク公は、ヨーロッパ中から治療者を探し、治療を受け続けても結局改善しません。そして、賛否両論のある異端のセラピスト、ライオネル・ローグに出会うのです。
 ローグの献身的な、集中的な治療でも吃音は治りも、改善もしません。にもかかわらず、目標だった第二次世界大戦の国民に向けての開戦スピーチは成功するのです。吃音治療の結果ではなくて、ジョージ6世が自分の物語を変えていくことができた結果です。そのために「対等性」が意味をもちます。人に言えない悩みを話し、それに共感して聞いてくれる友達がいた。吃音に悩む人間にとって、治療者ではなく、友人が必要なのです。
 映画のラストに、ジョージ6世は、ローグを生涯の友として考えていたとあります。吃音が治れば、あるいはある程度改善されれば、それで治療者との関係が切れます。しかし、治らない、治せない吃音の場合は、この対等の友人であることが、何よりも必要だったのです。
 映画のエンディングにテロップが流れます。
 「1944年、ジョージ6世はローグに、騎士団の勲章の中で、君主個人への奉仕によって授与される唯一の、ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授与した。戦時下のスピーチには毎回ローグが立ち会い、ジョージ6世は、侵略に対する抵抗運動のシンボルとなった。ローグとパーティは生涯にわたり、よき友であった」

セラピストも劣等感や弱点のある存在

 ローグがオロオロする場面があります。ヨーク公の時代、国王になる不安を爆発させ、ローグと決裂し、セラピーをやめてしまいます。その後、国王になってやはりローグが必要になり治療の再開を頼みに、妻が留守のはずの自宅に国王夫婦が尋ねた時です。その時、思いがけずにローグの妻が帰ってきます。妻に内緒でセラピーをしていたローグはあわてます。国王が、自分の家にいたら誰もが驚くでしょう。妻とエリザベスが出会ってしまい、話すのをドア越しに聞きながら、国王を紹介するタイミングでオロオロと困っているローグに「君は、随分臆病だな。さあ、行きたまえ」と、ドアを開けます。ジョージ6世はそこで初めて、ローグも、臆病な、気の弱い人間だと、自分に近いものを感じます。
 ローグが自分の弱さを見せたことで、ジョージ6世は、ピーンと背中を張ってドアを開けます。このシーンのコリンファースの演技は見事です。ここで、本当の意味で、対等を感じて信頼できたのだと思います。
 言語聴覚士の専門学校で講義をしていると、伊藤さんは吃音だからそんなことが言えるけれども、吃音の経験もない、経験の浅い人間にそんなことは言えないとよく言われます。人間、誰もが何がしかの挫折体験、喪失体験があります。受験の失敗、失恋、祖母の死などを経験して生きています。そのような誰もがもつ経験を十分に生きれば、吃音の経験のあるなしは関係がないと、学生には言います。弱いからこそ、劣等感があるからこそ、自覚してそれに向き合えば、セラピストとしていい仕事ができるだろうと思います。
 私は、死に直面する心臓病で二十日以上入院しました。そのつらい時に、活発で、はいはいと明るすぎる看護師さんよりも、「大丈夫?」とほほえんで声をかけてくれる優しい看護師さんの方にほっとしました。自分が弱って困っているときに、堂々と笑う豪快なカウンセラーに相談に行く気には私はなりません。
 自分には、大したことはできないけれども、せめてあなたの話だけはしっかり聴いて、一緒に泣くことならできそうかなあというような人のところに私は行きます。入院を三回経験した、弱った人間としては、そう思います。
 私は、福祉系の大学でソーシャルワーク演習を担当しています。そこでの対人援助者の講義や、教員の研修で、私はヘレン・ケラーとサリバンの話をよくします。
 奇跡とも言える教育が成功したのは、ヘレンがサリバン先生を信頼する前に、まずサリバン先生がヘレンを信頼したからです。ヘレンはきっと人間としてことばを獲得し、成長するという信頼があった。また、目も見えない耳も聴こえないで生きてきたヘレンへの尊敬があったと思います。
 ローグも、相手に対する尊敬と、この人はきっと変わる、いい国王になるという信頼があったから、それに応えてジョージ6世もローグを信頼したのです。変わるというのは、いわゆる一般的に思われているような「変わる」ではありません。吃音そのものではなく、彼の思考や行動や感情は変わると、信頼をもっていた。
 どもらずに堂々とスピーチすることが成功ではない。不安をもちながら、おどおどしながら、嫌だ嫌だと思いながら、そしてどもりながら、なんとかスピーチをやり遂げたことが成功です。

弱音を吐けること

 弱音を吐けることは、人間が生きていく上で大事なことだと思います。人に助けを求められる能力も大切です。「助けて」と言えるのは、自分の弱さを認めることでもあります。
 ヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。
 エリザベスが、ピーターパンの絵本を読んでいた時、「ピーターパンのように自由に飛んで行ける奴はいいなあ」と、ヨーク公が言ったあとで、娘二人からおとぎ話をせがまれます。そこで、ペンギンの真似をしますが、娘はさらに求めます。
 「では、ペンギンの話をしよう。魔女に魔法をかけられペンギンになったパパが、二人の姫に会うために、海を渡ってやっと宮殿にたどり着き、姫にキスをしてもらいました。姫にキスをしてもらって、ペンギンは何になりましたか?」
 娘に聞くと、娘たちはうれしそうに、「ハンサムな王子様!」と言います。すると、「アホウドリだよ」と言って、大きな翼を広げて、二人の姫をしっかりと抱きしめます。ペンギンのままでは愛する姫を抱けないが、大きな翼のあるアホウドリなら抱けるからです。
 このペンギンの話を娘に聞かせることで、自分の劣等感、惨めさを客観視して話したのだろうと思います。つい見逃しそうな場面ですが、自分の弱点とか愚かさを、ユーモア、自虐ネタのように使うのは、自分の弱さを認めていたからでしょう。
 また、戴冠式のニュース映像を家族で観ている時に、自分の映像が終わった後、ヒトラーが演説するシーンがでてきます。「この人、何を言っているの?」と聞く娘に、「何を言ってるか分からんが、演説はとてもうまそうだ」と言います。ヒットラーの演説はうまい、自分にはできないスピーチだと認める。これも大事なシーンだと思います。
 1936年12月12日、王位継承の評議会で、すごくどもってしゃべれませんでした。そしてその夜、もう自分は駄目だとエリザベスの胸で子どものように泣きじゃくります。クリスマス放送で不安がいっぱいになります。
 「クリスマスの放送が失敗に終わったら…。戴冠式の儀式…。こんなのは大きな間違いだ。私は王じゃない。海軍士官でしかない。国王なんかじゃない。すまない。情けないよ」
 「何を言うの…あなた…かわいそうに、私の大切な人。実はね、私があなたのプロポーズを二度も断ったのは、あなたを愛していなかったからじゃないの。王族の暮らしをするのが嫌で嫌で、がまんできなかったわ。あちこち訪問したり、公務をこなしたり、自分の生活なんかなくなってしまうから。でも、思ったの。ステキな吃音、幸せになれそうって」
 エリザベスは、どもりながら一所懸命話すヨーク公の姿に誠実さをみたのでしょう。あなたの吃音を聞いて、「Beautiful」と言う。そして、「素敵な吃音のこの人となら、私は幸せになれるかもしれないと思って結婚したのよ」と言う。とても素敵なシーンです。
 こういうふうに、自分の弱さを、妻にも娘にも、アホウドリという表現をしながら、自分なんか大した人間じゃないよと言う。家族に弱音を吐けるのはすごく大事なことです。
 人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。
 どもる子どもに対して、強くなれ、そんなことで逃げちゃだめ、泣いちゃだめ、と言うのではなくて、弱音が吐ける子どもに育ててほしい。困った時には困った、苦しい時には苦しい、助けてほしいと素直に言えるしなやかさが必要です。強くたくましく生きる必要はない。弱音を、家族にもセラピストにも話せたから、ローグとの臨床が成功したのだと思います。もしあの家族の、妻の、娘たちの支えがなかったら辛いです。そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/06

映画のもつ力

 小学2年生の秋から21歳まで、吃音を否定し、自分を否定していた僕を唯一救ってくれたのは、読書と映画でした。このことは、あちこちで書いたり話したりしています。その映画のもつ力について、「スタタリング・ナウ」2012.3.20 NO.211 の巻頭言で書いています。
 アカデミー賞を受賞した「英国王のスピーチ」は、心に残る映画になりました。第10回静岡親子わくわくキャンプのときに話したことをもとに特集したものです。

  
映画のもつ力
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 2011年10月22日、23日、第10回静岡県親子わくわくキャンプが行われた。
 10年前、静岡でも、どもる子どもと親のためのキャンプを開きたいから、協力してほしいと依頼を受けたときは、まさか、10年も続くとは思ってもいなかった。広い静岡県のあちこちから、ことばの教室の教師を中心にスタッフが集まる。仕事の延長の義務感でなく、どもる子どものためのキャンプをしたいからと集まってくる人たちだ。継続していくことに、頭が下がる。
 キャンプは午後から始まるが、午前中に、ことばの教室の教師、言語聴覚士などのスタッフの学習会を開くことが定例化している。キャンプ中、私は保護者への講演や懇談会が担当で、保護者と話す機会はあるが、スタッフである教師や言語聴覚士と話す機会がない。そこで、ことばの教室の教師、こども病院などの言語聴覚士のスタッフに吃音を正しく理解し、臨床の具体的方法も知ってもらいたいと思い、午前9時からの研修をお願いした。今年は40名ほどのスタッフが参加した。この講演会だけ聞いて下さる人もいる。
 昨年はことばのレッスンに絞り、からだをほぐし、日本語の発音発声の基本を説明し、童謡、唱歌を歌うなど、竹内敏晴さんから長年学んできたことを一緒に体験した。
 今年は映画「英国王のスピーチ」に学んで、吃音をどう理解し、吃音臨床や生き方にどう生かすかがテーマだった。「英国王のスピーチ」には、吃音臨床で大切なことがたくさん含まれていると、スタッフのひとりに話していたからだ。
 準備のために久しぶりにDVDを観て、改めて脚本家サイドラーの、吃音の当事者ならではの視点に敬服した。たくさんの資料を読み、調査した努力の跡がよくわかる。
 最初、英国王のスピーチだけをテーマに、2時間以上も、吃音の臨床に結びつけて話せるだろうか、無理かもしれないと思っていたのだが、話し始めると、どんどん広がっていき、時間が足りないくらいだった。話は、ジョージ6世の吃音当事者研究になった。
英国王のスピーチDVD_0001 当事者研究の基礎になる、ナラティヴ・アプローチの視点で話すと、あのジョージ6世の体験が読み解ける。認知行動療法をからめて話すと、今後の吃音臨床のあるべき姿が浮かびあがってきた。吃音臨床の記録映画だといえるくらいだ。
 ライオネル・ローグのジョージ6世への吃音セラピーは、もちろん、本人にはそのつもりはないが、いわゆる言語治療がほとんど役に立たなかった結果として、ナラティヴ・アプローチ、認知行動療法になっている。今回話をする中で、私の中で、確信がもてたのはおもしろかった。
 準備したのは、もう一度DVDを観て、気になった場面のセリフを少し書き留めることだけだった。話がどう展開していくか、予想がまったくつかない。すばらしい映画の力に身を委ねようと思った。事前にお願いしておいたので、ほとんどの人が、映画館かレンタルのビデオで観てくれている。だから、感想を聞いたり、質問したりしながら話をすすめていった。まさに、参加者みんなで事例研究をしているようで楽しかった。
 私は自分の講演や講義で、今日は良かったと満足できずに、あれを言い残した、これも言えなかったなどと反省することが多い。しかし、今回は話していて、気持ちよく、質疑応答のように話をすすめたせいか反応もよく、講演の後の感想もありがたいものだった。映画「英国王のスピーチ」がそうさせてくれたのだろう。
 仲間のテープ起こしでは、参加者の発言も多かったが、紙面の都合でカットした。映画「英国王のスピーチ」はレンタルショップでも好評だという。まだ観ていない人は是非観て欲しい。一度観た人も、この講演記録を読んで、こんな視点もあるのかと興味がもてたら、もう一度観ていただきたい。映画好きの私には、吃音に悩んだ思春期に私を救ってくれた、ジェームス・ディーンの「エデンの東」と同じくらい、大切な映画となった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/05

ナラティヴ・アプローチとことば文学賞

ナラティヴとは、物語、語りという意味で、ナラティヴ・アプローチとは、クライアント(相談者)とカウンセラーが対話する中で、直面している問題に対する自分の新しい理解ができ、その意味づけによって新しい可能性を探るカウンセリング技法です。
 相談者が、自分を語ることばをもち、自分の資質や能力を再発見し、自分の内に問題に対処する力を見い出すことを援助します。自分が自分の人生の主人公となるのを助けるのです。
 アカデミー賞を受賞した映画「英国王のスピーチ」は、ジョージ6世とライオネル・ローグによる、ナラティヴ・アプローチで読み解くことができる映画だと、僕は思っています。
 大阪吃音教室のことば文学賞も、ナラティブ・アプローチで読み解くことができる体験の宝庫です。今日は、「スタタリング・ナウ」2011.12.20 NO.208 より、ナラティヴ・アプローチとことば文学賞と題する巻頭言を紹介します。

  
ナラティヴ・アプローチとことば文学賞
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 映画「英国王のスピーチ」の話をすることが多くなった。あの映画からさまざまなことが見えてきたからだ。講演や専門学校の吃音の講義の中で、かなりの時間を使って、話をする。そのきっかけになったのが、10月に行われた第10回静岡県親子わくわくキャンプだった。静岡のキャンプは午後1時から受け付け開始なのだが、ことばの教室の教師や言語聴覚士などのキャンプスタッフに、午前中から集まってもらい、2時間30分ほど、吃音の講義をする。昨年度は、どもる子どもの言語指導の理論と実際をテーマに「からだとことばのレッスン」をしたが、今年はスタッフの要望で「英国王のスピーチ」について話した。
 当初、「英国王のスピーチ」だけで、そんなに長く話せるのかと思ったが、話し始めてみると、時間が足りないくらいだった。それほど、あの映画は、吃音について、さまざまな示唆を与えてくれる。
 映画は、ライオネルという、オーストラリア人のスピーチセラピストの、英国王ジョージ6世へのスピーチセラピーの物語だととらえるのが一般的だろう。しかし、映画の冒頭から、第二次世界大戦開戦のスピーチが成功する物語は、今、家族療法や臨床心理などの領域で、新しい動きとなっている、ナラティヴ・セラピーそのものだ。
 ナラティヴとは、物語、語りの意味で、ナラティヴ・アプローチとは、クライアントとカウンセラーの対話で、直面している問題に対する自分の新しい理解ができ、その意味づけによって新しい可能性を探るカウンセリング技法だ。クライアントが自分を語ることばをもち、自分の資質や能力を再発見し、自分の内に問題に対処する力を見い出し、自分の人生の主人公となるのを援助する。
 ナラティヴ・アプローチは、その人が直面している問題は個人だけの問題だと考えず、社会的、文化的な要因が大きいと考える。
 ―「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた―
 私が『吃音者宣言』の文言に書いた、社会通念が、ナラティヴ・アプローチで言う、ディスコート(言説)にあたる。
 ジョージ6世は、「流暢に話せない国王なんて考えられない」といったような社会通念と、「どもりの国王をもった国民は不幸だ」と自分自身に物語ることによって吃音に深く悩む。この物語を「どもっていても、自分には語るべきことばがあり、誠実で、責任感があれば、国王として立派に役割を果たすことができる」との物語を変えていったがために、開戦スピーチが成功したのだ。
 吃音は長い歴史の中で、ネガティヴな物語ばかりが語られてきた。アメリカ言語病理学は、治療のプロセスの中で、「吃音を受け入れよう」と言う一方で、吃音をエンストやブレーキの効かないポンコツ車に例えている。
 100年以上の吃音臨床の歴史がありながら、アメリカの最新と言われる統合的アプローチであっても、「そっと、ゆっくり、やわらかく」話す練習しかない。その現実に向き合えば、吃音を個人的なものに帰すのではなく、社会通念などの影響でネガティヴなものと自らに語る物語を、私たちは、新たに紡ぎ直していかねばならない。
 『吃音者宣言』は、私の個人の悩みの歴史と、たくさんの吃音に悩んだ人々の体験をもとに、共通のものとしてまとめた。ひとりひとりの物語を、自分のために、さらには後に続く人々のために物語っていこうとする「ことば文学賞」は、私たちの大切な取り組みであり、誇りでもある。
 今年は14作品の応募があった。その作品のひとつひとつに、その人の悩みの歴史と、そこから新しい物語を語り始めるきっかけを私たちは知ることができる。吃音ショートコースの場で、5作品が読み上げられたとき、幸せで温かい空気が会場を包みこんでいた。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/03

「英国王のスピーチ」の感想特集 2

 昨日の続き、「英国王のスピーチ」の感想特集です。「スタタリング・ナウ」2011.6.22 NO.202 より紹介します。今日で最後です。

  
キーワードは「友達」
                   川崎益彦(大阪スタタリングプロジェクト)
 映画の冒頭、博覧会閉会式の場面。主人公のヨーク公が階段を上がっていく。階段を登りきったところにはマイクロフォンがあり、その向こうには大勢の観客がいる。まるで死刑台の階段を上がっていくようだ。そのような状況で、ヨーク公は話し始めた。最初はなんとか声が出たが、すぐに詰まって一言も言えなくなった。なんとかことばを絞り出しても、また詰まって言えない。どもってことばにならない声が、会場に何度も繰り返しこだまする。どれほど辛かっただろう。
 映画を見て30年前の僕自身の体験を思い出した。会社の朝礼で大勢の前に立った時のことだ。何とか話し出したが、標語の最初のことばが言えなかった。無理に声を出そうとしても一言も出ず、声にならない。結局標語を一言も読まず、すごすご引き下がった辛い経験だ。「どもって声が出なかったのではなく、どもりたくなかったから言わなかったのでは?」と言われればそれまでだが、とにかく何かを言おうとしても、全然声が出なかったのは事実だ。今でも名前のように言い換えのできないことばを人前で言うのは苦手だ。しかし自由に話すのなら、大勢の前でも平気である。それが、映画のこの場面を見て、久しぶりに人前で話すことがとても怖くなった。
 父のジョージ6世がどもるヨーク公にマイクの前で話す練習をさせる場面があった。ヨーク公は父に従って懸命に話そうとするが、どもりが簡単に話せるわけがない。一所懸命に言おうとマイクの前で悪戦苦闘している時、ジョージ5世は「ヨーロッパの半分はヒトラーが、残り半分はスターリンが抑えるだろう」と息子に警告するが、どもりに苦しむヨーク公にとっては、そんなこと知ったことではないだろう。ヨーロッパの将来も一大事だが、自分のどもりの方がもっと問題だ。
 "I have a Voice!" 映画の中で僕の一番好きな場面である。ジョージ5世が死に、兄が王位を継いだが「王冠を賭けた恋」の末、王位を弟のヨーク公に譲る。そしてヨーク公は不本意だが王位に就き、ジョージ6世になる。その戴冠式の練習の場面で、ヨーク公専属のスピーチセラピストであるライオネルが王の椅子に勝手に座った時、言い争いになった。ジョージ6世が「自分の言うことを聞け」と怒鳴る。ライオネルは「なぜ聞かなければならない?王になりたくない者のことばを聞くのに、どうして自分の時間を無駄にしないといけないんだ」と言い返す。その時ジョージ6世が先ほどのことばを言った"course,I Have A Voice!"の字幕は「王たる声がある」と訳されているが、予告編では「伝えるべきことがある」と訳されていた。僕は後者の訳の方がいいと思う)。それに対して堂々と王の椅子に座っているライオネルは敬意を籠めて次のように答えた。"Yes,You Do!"(そのとおりです)。
 若いころからジョージ6世は癇癪持ちで、自分がイライラするとそのイライラを周囲にぶちまけてきた。王家という家柄に生まれ、堅苦しく自由が利かない環境で育ったのだろうが、反面わがままだったのだろう。それで彼は自分の思い通りにならないと、あからさまに自分個人の怒りを露わにしていた。映画でも周囲を怒鳴るところが何か所もあったが、戴冠式の練習場面での怒りは、個人としての怒りを超えていた。人前でまともに話すことさえできず、自分勝手な兄のせいでしかたなくなった王。ライオネルは見事に、王位に向き合うことを避けてきたジョージ6世の心の治療をした。あのライオネルに怒鳴ったことをきっかけに、ジョージ6世は本物の王になったのだろう。
 最後の戦争スピーチの場面を、僕はまるで手術室に入っていくかのように感じた。でもジョージ6世の覚悟は決まっていた。マイクの向こう側にはライオネルがいて、「私に話しかけて」と言う。ジョージ6世が話し始めるのと同時に、BGMでベートーヴェン交響曲第7番第2楽章が静かに聞こえてきた。始まりはまるで葬送行進曲である。ライオネルはまるでオーケストラの指揮者のように、身振り手振りでジョージ6世を助ける。途中から曲がだんだんと明るく力強くなっていくにつれ、ライオネルは動かずにじっと聞いていた。ジョージ6世はライオネルの助けを借りず、一人でしっかりと国民に語りかけていた。
 映画を見終わって考えてみた。ライオネルは一体何を教えたのだろう、何を治療したのだろう。顎を柔らかくしたり、腹筋を強くしたり、息を長くしたり、否定的なことばや卑狼なことばを話させて抵抗を取り除いたり、飛んだり跳ねたり転がったり揺れたりといった話す工夫やテクニックをいろいろ教えていた。確かにそれはことばが出てこない時のサバイバルに少しは役立ったようだ。しかし、僕はライオネルがそれでどもりの問題が解決するわけではないことを知っていたのではないかと思う。ライオネルは最初から、たとえ相手が王の息子であっても「対等」という立場を強調していた。最初は不本意だったジョージ6世も、途中からだんだんとライオネルのことを「友達」と感じていく。これは、ライオネルが専門家だから出来たのではない。そして、戦争スピーチが終わった時、ジョージ6世はライオネルをはっきり「友達」と呼んだ。そう、どもる人にとって、大切なのは、専門家・どもる人にかかわらず、自分の状況や苦悩をよく理解してくれた上で、時には厳しいことばで応援してくれる友達、仲間が最も大切なのだ。
 僕にとってのライオネルは、まさに大阪吃音教室である。そこには自分の辛さ、苦しさを理解してくれる友達がいる。どもりながらでも日常の生活を誠実に暮らしている仲間がいる。僕だったら恐ろしくてとても出来ないと思う場面でも、逃げずに立ち向かっている仲間がいる。現在の僕は、そのような大勢のライオネルに囲まれている。
 ここで、映画を見て僕が少々心配に感じたことがある。僕にとっては、必死にどもりをコントロールしながらでも王としての責務を果たしたジョージ6世に喝采を送りたいが、どもらない人や、どもりを何とか治したいと思っている人がこの映画を見たら、違った見方をするのではないだろうか。
 例えば、ライオネルのような良いスピーチセラピストについて努力すればどもりは治る、あるいは、どもりを治すためにはいいセラピストにつかないとだめだ、という見方だ。また、相変わらずどもっている人は努力不足だ、と言う人もいるかもしれない。
 この映画は昨年末から国際吃音連盟(ISA、International Stuttering Association)で大きな話題になり、未だに世界中の国々でこの映画について議論されている。ISAの目標、ゴールは"A World that understands Stuttering(吃音を理解する世界)"。
この映画は、世界中で吃音やどもる人についての理解を深める上で、とても役に立っている。


  吃音への深い理解
                西田逸夫(大阪スタタリングプロジェクト59歳)
 映画を観にゆく前日、YouTubeで、ジョージ6世による第2次世界大戦の開戦スピーチを聞いた。ゆっくりとした口調。ところどころに入る独特の間が、スピーチに威厳を与えている。初めて聴くはずなのに、どこかで聴いたような感じがする。
 しばらく聴いていて気づいた。我々の世代なら何度も聞かされた、昭和天皇の玉音放送、第2次世界大戦の「終戦の詔書」(しょうしょ)朗読に、通じるところがあるのだ。流暢ではない。力が溢れているわけではない。けれども人に耳を傾けさせ、訴えかける力を持っている、そんなスピーチ。声と話しぶりに親しみさえ感じて、翌日観る映画への期待が高まった。
 映画は、スピーチの場面で始まる。主人公のヨーク公(後のジョージ6世)が、父王の名代として、大観衆を前にしてのマイク放送に臨む。大きなスタジアムの放送ブース。プロのアナウンサーが、入念に準備し、それでも話す直前には緊張する様子が描かれる。一方、ヨーク公は、スタジアムの通路を抜けて、大観衆の待つ場に姿を晒し、大きなマイクの前に立つ。ほとんど何の準備もなしに、それどころか大きな不安を抱えたままで。身につまされる場面だ。画面を正視したくない気持ちで、それでも眼は、画面に吸い寄せられる。この場面で私は、すっかり映画の物語の中に「入り込んで」しまった。最後の場面に、我に返るまで。時にはヨーク公の側に、時には言語療法家のライオネル・ローグの側に身を置きながら、映画の物語の世界に浸っていた。
 物語はやがて、開戦スピーチの場面に移る。時間の許す限り練習して、スピーチ専用に設けられた防音室に入る。目の前にはマイクと、信頼できる間柄になったライオネルだけがいる。時間が来て、スピーチの朗読を始めると、ライオネルが身振り手振りいっぱいに、コーチしてくれる。読みづらい個所を次々と乗り越えるうち、自分のペースのようなものがつかめ、スピーチに専念できるようになって来る。ライオネルも身振りをやめ、じっと耳を傾けている。
 私はふと、このスピーチは聴いたことがある、と感じた。声は紛れもなく、主演のコリン・ファースの声なのだが、ゆっくりとした口調も、区切りごとの間も、時折のためらうような息づかいも、前日に聴いた英国王ジョージ6世の開戦スピーチにそっくりだと気づいた。もちろん何度も何度も入念に、このスピーチの練習をしただろう。でも、映画の中のスピーチは、表面的に言葉や口調を真似するレベルを遙かに超え、スピーチするジョージ6世の思いの熱さ、揺れる心境を、見事に再現している、少なくとも再現しようとしていると、私に伝わって来た。
 映画が終わってエンドロールを眺める私に、印象深い場面が次々によみがえって来た。思い出すどの場面でも、コリン・ファースが、どもりに悩む人に起こることを懸命に描き出していた。言葉づかいや口調はもちろん、表情も、しぐさも。
 映画冒頭のスピーチでの、言葉が詰まって出て来ない焦り。初めてライオネルに出会った時、激高して思わず出る言葉は滑らかなのに、ちゃんと何かを伝えようとすると言葉が出て来なくなるもどかしさ。兄に抗議の熱弁を奮っていて、吃音を指摘されると途端に黙るしかなくなる悔しさ。
 映画の最後のスピーチでも、ためらっているかのように聞こえるけれどもそれは、その言葉を口にするのをためらっているのではなく、どのタイミングで声を出すか、今この瞬間に出すのか、ほんの一瞬後に出すのかとためらっている、その微妙な差。スピーチを無事こなして安堵しつつも、これからもスピーチする機会があると思い出した時に、ほんの少し頭をよぎる不安。それらが、見事に再現されている。そして思った。吃音への深い理解なしに、出来ない演技だと。
 考えれば、主演俳優が理解しているだけで、このような映画が実現するはずはない。脚本家も、監督も、映画に携わる主要な人々が吃音を深く理解してくれてこそ、この映画が出来たのだ。そのことに気付き、心を揺さぶられた。
 私のような年配者はほかに見あたらず、ホールのカウンターでこの映画のパンフレットを購入したのは、私一人だった。吃音の物語を観に来た人は少ないように見えた。アカデミー賞受賞作だから、デートの話題作りに観に来た、そんな人が大半だと思えた。でも、吃音のことをこの日、この人たちに少しでも知って貰えたことも確かだった。この映画を観た人たちが、自分の障害や弱さと、人に隠すのではなく、克服するのでもないしかたで、つきあえるようになって欲しいと思った。
 2度目に映画を観た時は、1度目よりは年齢層が上の、映画を観なれた様子の人たちが多かった。
 2個所、前回観た時に、原語ではどんな言葉を使っているのか気になっていたところでは、耳を澄ませた。1個所は、ジョージ6世の王妃(現女王エリザベスのお母さん)が言った「素敵な吃音」というフレーズ。これは、"You stammer beautifully"だった。婚約前のヨーク公のことを思い出して、そう表現している。どもる仲間を、どんなに勇気づける言葉だろう。2個所目は、戦争開始スピーチが終わった後の、ライオネルとジョージ6世のやり取りだ。スピーチを無事終えて安堵した表情を見せるジョージ6世に、ライオネルがこう言う。「"W"で少しどもりましたね」「僕だということが分かるようにしておかないと」
 これは、この時に実際にこの2人の間で交わされた会話らしい。多分、ジョージ6世は、気が緩んでこの言葉を思わず口にしたのだろう。そんな、思わず漏らした言葉に、本心が現れることはよくある。ジョージ6世があんなに治したいと望んでいた吃音が、ここでは自分自身を特徴付けるものになっている。すでに治す対象ではなく、克服の対象でもなく、隠すどころか「今ラジオで話したのは確かに私だ」と、自分の存在を明かすものになっている。
 吃音は、相変わらず厄介なものに違いないが、この時にはもうジョージ6世にとって、自分の一部になってしまっている。館内では、開戦スピーチの場面、ジョージ6世が言葉に詰まりそうになって「ファック、ファック、」と声には出さず繰り返す個所で笑い声がおこるなど、私の周囲の観衆も、描かれた物語を楽しんでいる風だった。映画が終わって、劇場の明かりが灯る。拍手こそなかったが、映画を堪能したというような空気が漂っている。出口に近づいて行くと、若い女性が席に深々と腰を下ろしたまま、連れにつぶやいているのが聞こえた。「私、めっちゃ感動した。この映画」
 吃音のことが、どれだけ伝わったかは分からない。それでも、どもりの問題に直面する人の姿が、他人の気持ちを動かす場に立ち会えた事は嬉しい。他人からはささいなことと思われるかも知れないような、自分の弱点に立ち向かう人の姿が。
 誰かがこの映画を評して「小さな物語」だと言ったそうだ。「小さな物語」、ある意味でそう言えることは認めよう。そんな物語が大きな賞を獲得したのは、繊細で微妙な局面を描いたこの作品が、多くの人の共感を呼ぶことが出来たからだろう。今はやっと、そんな時代になった。そのことを素直に喜びたい。


当事者と援助者の関係への一考察〜「英国王のスピーチ」によせて〜
                           坂本英樹(向陽台高校教員)
 ライオネルはセラピストとして自信に満ち、王族にとっては無礼な、ごく自然な、親しみやすさで、ヨーク公の前に現れる。「治療」という言葉が適切かどうかは別に、「治療」の前提として「対等」と「信頼」の関係を二人の間に求める。
 ライオネルのセラピストとしてのあり方、哲学は、第一次世界大戦で生じた「戦争神経症」によって言葉を失った兵士たちに対する治療経験から学んだものである。この症状はベトナム戦争を経て現在では、PTSD=心的外傷後ストレス障害として理解され、阪神・淡路大震災を契機として広く知られるようになったものである。
 ライオネルが出会ったのは、戦場における言語を絶した体験からストレスのあまり言葉を失い、その体験を身近な人々にさえ理解されずに、抑鬱的になり心と言葉を閉ざしてしまった兵士である。
 災害から生還した人々をサバイバーと呼ぶが、彼らは災害体験以前と以後とでは、自分の人間性が変わってしまったと感じ、何事もなかったかのように日常生活を送る人々と自分とがもはや同じ世界に属しているとは思えなくなってしまう。この絶対の孤立感と人間不信、時、所を選ばずにまるで今現在の出来事であるかのように鮮明に甦ってくる災害時の恐怖に満ちた記憶とそれによる心への傷やさまざまな身体症状に悩まされる。それは第一次世界大戦のみならず、「ホロコースト」、「ヒロシマ」、「ナガサキ」等々の報告、証言からも明らかなことである。
 サバイバーとの治療的関係を構築するなかで、ライオネルは彼らにはその体験を語る権利があること、自分にはその言葉を否定することなく誠実に受け止める用意があること、何よりも彼らの苦しみに寄り添う存在であることを伝えたであろう。
 私はあなたの友人としてあなたの話が聴きたい、声が聞きたいのだ、あなたは安心して私にその体験を語っていいのだと。おそらくこのような関係のなかから、ライオネルは「対等」、「信頼」、「誠実」というような、セラピーの方法というよりもあり方を学んだのではないかと想像する。
 しかし、ライオネルのヨーク公との関わりは自らの哲学に忠実なものであっただろうか。どもりと向き合うためには自分自身と向き合わなければならないとして、ライオネルはヨーク公自身に対するパーソナルな問いを重ねていく。その過程でヨーク公の幼いころの満たされなかった思いや、英国社会の精神的リーダーというイメージを人々に抱かせる厳格な父王と自由闊達で陽気な兄に対してもつコンプレックスが明らかにされるのだが、実はライオネルも自らの人生に悩みや課題を抱える人であったのだ。
 オーストラリアから宗主国に渡って来た彼は、シェイクスピア俳優として舞台に立つことをあきらめきれずに、セラピストをなりわいとしての日々を過ごしている。「リチャード3世」を演じることのできなかった彼のもとに未来の王候補がやってきた。セラピストとしての仕事を誠実にこなしつつも、ライオネルの心にふと暗い欲望がわいてしまう。自らの願望をクライエントであるヨーク公に重ね、「王になれ」とけしかけてしまうのだ。
 ここに援助者の役割を担う人、一般に○○士や○○師と呼ばれる人々が陥りやすい罠がある。ヨーク公との関係がいったんは破綻した理由を、彼は自分の影におびえている、自らの役割を引き受ける勇気に欠けているとこぼすライオネルに、賢明な妻は「それはその人が願っているのではなく、あなたが願っていることなのでは?」と諭す。
 ライオネルはこの言葉に促されて内省する。そして、ヨーク公を自らの満たされなかった願望の道具としようとしていたこと、ある種の支配欲をもって接していたことに気づく。彼は「投影」とでもよべる心の働きをもっていたのだ。その人自身の道を歩めるように援助するセラピストとしてのあり方を踏み越えてしまっていたのである。
 ライオネルが悟ったのは、「対等性や当事者性のない専門性は、苦戦する人をさらに傷つけることになりかねない」だ。(『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』解放出版社pl36)。
 ヨーク公を傷つけ、そのことに傷ついた自分を発見した。この洞察が王族であるがゆえにある意味でより傷つきやすい側面をもつヨーク公への人間的共感を深いものにし、「対等」と「信頼」の治療関係をも深化させたのであろう。
 この映画はヨーク公が吃音とどう向き合うかという物語であると同時に、ライオネルのセラピストとしての成熟の物語でもある。また、そうした二人を支える妻の、そして夫婦の物語なのである。身分の違う二組の夫婦がライオネルの居間で出会う和解と友情のシーンが、それを象徴している。
 物語冒頭の演説に比べ、開戦スピーチでのジョージの息は深いものだった。伝えるべき言葉と、自らの声をもったがゆえである。ライオネルのセラピーの柱もこの点にあった。大阪吃音教室も同様であろう。「w」の発音を自分だとわかってもらえるためにわざとどもったとユーモアを発揮するジョージ。そのどもりとの付き合い方、サバイバルの仕方にはたくましささえ感じられる。これも大阪吃音教室の柱であろう。
 演説後、人々の歓呼に応えるためにバルコニーに立つジョージ6世の、「あなたは勇敢な人だ」、「自分の道を生きている」とライオネルに言わしめた責任感に満ちた顔、激動の時代を耐えることを覚悟した成熟した大人の顔が、そのことを証明している。
 昨年の秋からどもりを自覚し、悩み始めた小学6年の娘をもつ私は、親という当事者であり、援助者、支援者の役割をももつ。これから子どもから大人になりつつある彼女の課題にどのように本人とともに向き合っていくのか。彼女自身と私たち家族が紡ぐ物語は始まったばかりである。
 私がどもらない人間でありながら、どもる当事者のセルフヘルプグループの例会である、大阪吃音教室に通い続けることは、その支えとなるだけでなく、私自身のあり方を問うことにもなるだろう。私も彼らのように成熟していきたいと思う。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/12

「英国王のスピーチ」感想特集

 「スタタリング・ナウ」では珍しく、連続して特集を続けました。それだけ映画「英国王のスピーチ」が僕たちに示してくれたインパクトは強く大きかったのだと思います。今日も、「英国王のスピーチ」の感想を紹介します。今日と明日の2回に分けて、紹介します。

  
「ドモダチ」に出会いたい
                               桂文福 落語家

 『スタタリング・ナウ』ご愛読の皆さん、ご無沙汰しております。落語家の桂文福でございます。
 私事ですが、落語家笑売をはじめて40年目に入りました。
 「小さい頃からひょうきんでおもしろい子」「クラスの人気者」「落研でうまいと言われるから、プロで力を試そう」「将来の落語界を背負ってやるぞ」そんなことはどれも私に当てはまりません。私はれっきとした吃音者でしたので…。
 今では、吃音の人を「ドモラー」とか吃音仲間を「ドモダチ」と呼んだらどうかと思えるほど、堂々と「私は吃音者」と言えます、胸をはって(別に胸はらんでもええけど…)。そう思えるようになったのは、伊藤伸二会長出演のNHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」(2000.6.22)のおかげです。
 先に書きました落語家の入門動機も、師匠小文枝(後の五代目文枝)の落語を聞いて「この人に教えてもろたら、人前でちゃんとしゃべれるようになるかな〜」という、最低ラインのものでした。もちろん、落語は聞くのは大好きでしたけど。師匠は、私がいくらどもってもそれを責めるのではなく、「お前には、独特の間(ま)があるんや。そこがおもしろいんや」と大きな心で導いてくれました。ところが、困ったのは、なんばや京都の花月の出番をもらった時でした。我々の世界は、特に上下関係が厳しく、自分の出の前には必ず先輩、師匠方の楽屋にご挨拶に行き、「お先に、勉強させていただきます」と言わねばなりませんが、相手によって、すっと言える時と、ちょっと威圧感のある人や人気者の人が相手だと「お、お、お、お先に、べ、べんきょう…」となりました。すると、相手の人は笑いながらわざと「ご、ご、ごくろうさん」私もわざと「ど、ど、どうも、よ、よろしく、トホホー」お互いワァーッと笑って、部屋を出た私は「チクショー」と心でつぶやき、そんな時ほど、どもらずにきっちり高座をつとめました。出囃子にのって出るときからテンションをあげ、いつものフレーズで流れにのると、すっーとしゃべれて無事に一席終われるのですが、途中でアドリブ等を入れると必ずどもりますね。でも、相撲甚句や河内音頭など、歌えばいくらでも言いたいことが発表できます。師匠も、落語家でもそういう芸を取り入れてもええと許して下さったおかげで、自他共に認めるユニークな噺家になれたと今は吃音に感謝しておりますが、「にんげんゆうゆう」のNHKテレビと出会うまでは、自分からは、吃音のことは楽屋内以外話題にもしませんでした。
 ところが、テレビで伊藤伸二会長の話や「日本吃音臨床研究会」の活躍を知り、すぐに伊藤さんにFAXをしたのです。それがご縁で、12年ほど前に、伊藤さんのお世話で落語会にお呼びいただきました。その時の伊藤さんがつけたタイトルが「桂文福の泣き笑い落語人生。どもりでよかった!!」ガビ〜ン。そのチラシが送られて来た時、うちの嫁はんも息子も爆笑しました。仲間の芸人や私の弟子たちとも大笑いでした。まさにカミングアウトでした。それからは、正々堂々と「吃音者」として生きていけるようになりました。
 そして、先日、見ました、「英国王のスピーチ」。リニューアルしたJR大阪駅の大阪ステーションシネマの、お客さん方を見て「この人たちもどもるのかな〜」「ご家族にどもる子どもがいるのかな〜」「普通の映画ファンかな〜」等と考えながら見ました。
 コリンファースさんの吃音ぶりは見事でした。そして、心からのスピーチ、伊藤会長がおっしゃる「スラスラとしゃべっても中身のない心が通わない話より、どもってもいい、一言一言胸をうつ話し方がいい」まさにそのとおりでした。吃音を呪う、自分に腹が立つ、くやしい、悲しい、そんな感情も、見事に伝わりました。そして、ライオネルさんやご家族、まわりの支える方々の大切さも胸をうちました。脚本のデヴィッド・サイドラーさんご自身が吃音者ということで、全世界の吃音者が希望を持ち、心から拍手を送れる作品にしあがったと思います。
 一世一代のスピーチの後、ライオネル氏が「やっぱりWが苦手ですね」と言えば、ジョージ6世が「僕だという印を残しておかないとね」このセリフは、まさに落語のオチ(サゲ)そのものでした。最後の字幕スーパーが消えるまで涙が止まりませんでした。そして、改めて多くの「ドモラー」「ドモダチ」に出会いたいと強く思いました。


  吃音研究者が観た「英国王のスピーチ」
    ―映画に見る吃音の肯定的理解―

        ジュディ・カスター ミネソタ大学教授(言語聴覚リハビリテーション)

 どもる人たちや言語療法の専門家にとって、この映画は他の人たちとは違った風に見えるだろう。
 映画は1930年から1940年代を描いていて、そこに出てくる吃音の考え方はかなり古い。映画に登場する専門家達は、今ではまったく信用されないテクニックを使っている。ビー玉を口いっぱい詰め込んだり、喉をリラックスさせるために喫煙も勧めている。国王が肺がんで亡くなったのはそのせいかも知れない。その当時他にも、成人吃音は「治る」と考えられていたり、子どもに左利きを直すよう強いたり、厳しいしつけをするとどもりになる、などと信じられていた。
 ライオネル・ローグは、言語療法ではなく、発声や弁論術の専門家であった。映画では、流暢性を高めるために、一時的にしか効果が得られないようなマスキング、歌唱、大声で話す、悪態語を叫ぶなどの方法が用いられている。それらをライオネルが実際に使っていたかどうかは定かではないが、それらの中には今でも使われているものがある。ともあれ多くの点で、彼は優れた「セラピスト」であったと言える。
 ライオネルは、セラピーにおいては、クライエントの動機が重要であるとの認識に立ち、国王の「心の準備」が整うまで辛抱強く待っていた。そして、サポート、強化、励ましに加えて、クライエントとセラピストの間の平等な関係を築こうとした。彼は、吃音は単に身体的・口腔運動機能の問題だけではないと明言しているが、先ずはそれらの症状に取り組むことを初期目標とした。
 ライオネルは、マスキングや歌など以外にも様々なテクニックを駆使している。妻エリザベスをセラピーに参加させ、今日のセラピーでも使われている脱感作法や、国王が「心地よくいられる安全地帯」を拡大できるように励ましたり、筋肉弛緩法や腹式呼吸法、引き伸ばし法などを取り入れている。その他にも、間を置くこと、ジャンピング、構音器官を軽く接触させてわずかに音を引き伸ばして言葉を出すとか、出にくい音から始めて、軽く息を吐くこと、そして、話す速度を調整しながら「声を前に出す」ことに集中するといったテクニックや発声の仕組みを教えている。
 この映画を観ると、「吃音を直ちに治す方法はない」ことや、クライエントとセラピストの「関係性」の方がクライエントに教えるテクニックよりも大事であることがよくわかる。国王の吃音は「治る」ことはなかったが、どもりながらも伝えたいことを伝える力をつけることは出来たのである。
 世紀の開戦スピーチを終えた国王は自信に満ちていた。ライオネルが「Wがまだどもっていましたね」と言うと、「でないと私だとわからないからね」と国王はユーモアで応える。国王を演じたコリン・ファースは、インタビューで、「ライオネルの日記の中にこの言葉を見つけたとき、これは是非とも台詞に入れなければと思った」と語っている。
(訳:進士和恵 原文:Kuster,J.M,At Long Last,A Positive Portrayal of Stuttering.The ASHA Leader.February15,2011)


  英国王にあるもの、ないもの。
                  ソレア心理カウンセリングセンター
                  所長 高間しのぶ(臨床心理士)

 爽やかな映画でした。
 吃音の治療には平等な関係にある人間がそばで支えることが必要で、その人間によって承認されることが治療につながる、ということが描かれていたと思います。
 子どもの頃から父や兄によって感情を抑えつけられてきた主人公。それによって真の自分が出せないことが彼を吃音にした。そんな暗喩があったようです。そこへ友達のように現れた治療者。平等な関係を作ることによって、彼の真の自分(抑えつけられた自分)を開放しようとします。ヒワイな言葉も口走らせ、彼の怒りをどんどんと出していった。たまっていた感情を外へ出すことで彼は自由というものを身体で学んでいきます。感情に正直であることとは、どういうことかを学んでいきます。抑えつけるものに対して、真の自分を出そうとします。確かに治療者は、さまざまな治療法を試みています。しかし何か特別な練習が必要なのではなく、自分の感情(映画の場合は怒りや哀しみ)を出すことが、活き活きと自分を生きる道につながるのだということを教えてくれました。
 物足りなく感じたのはラストのスピーチ。もっとどもっても良いのにと思いました。あんなにスラスラ読めるはずがない。いや、彼はスラスラ読む必要はない。映画の中では治療者に「今回はWのみどもった」と言われますが、W以外にもどもればよかった。もっとどもる演説の中に彼の人生がにじみ出ればよかったのに、と思いました。どもりの人は練習ではどもらない。しかし本番でどもる。そして本番でどもることが悪いことのように思ってしまう。だから彼には本番でもっとどもって、そのどもる演説がとてもすばらしいものだった、というストーリーであればよかったのにと思いました。
 私は今、この映画で描かれなかったことに、一番の関心があります。
 この映画では、どもる怒り、どもる哀しみが十分に描かれていました。そこには胸を打たれました。私もかつては、どもる自分に怒り、冷ややかな周囲の視線に怒っていました。そのような怒りはこの映画に丁寧に描かれていました。しかし、この映画では、どもる喜びが描かれていませんでした。
 どもる喜びと言うと、違和感を感じる人もいらっしゃるでしょう。でも感情の表現として、どもる怒り→どもる哀しみ、と来たら、次は「どもる喜び」が来るはずです。どもる喜びへの道のりは人それぞれですし、遠い道のりかもしれません。しかし、哀しみの次には喜びが必ずやってくることを知っておくべきです。
 最後のスピーチでもっと彼がどもったとしたらどうでしょうか。どもるということは一生懸命話すということです。どもるの人がどもらずに話しているときは、自分の体験を振り返ってみると、何故か真剣味が足りないような気がします。決して不真面目ではないのですが、どもらない自分に酔っぱらってしまうせいか、なんだか適当なことを話しているように感じます。軽い話になってしまう。どもるということは、そこに真剣勝負の雰囲気が漂うのです。なぜだか話す内容も重厚になるのです。
 私はカウンセラーなのですが、カウンセリングという仕事にはどもる喜びがあります。つまり、ここぞという時にどもる。意図的でなく、自然とどもってしまう。こういうとき、どもることは非常に有効に働きます。ときどき冗談で、わざとどもるんです、と話しますが、実際は違って、ほんとにどもるんです。意図せずにどもる。それも本当に必要なことを言うとき、そのときどもる。不思議ですね。スピリチュアル的なものが作用しているとしか思えないのですが、大事な話のときに必ずどもるのです。そしてどもることで、私の気持ちが相手へまっすぐに伝わるのです。この瞬間、私は吃音で良かったと実感します。どもらない人だと伝わらないもの、それが私がどもりであるために相手へ伝わるのです。どもらないカウンセラーが手に入れられないものを頂いている感じです。これがどもる喜びです。
 私がもしどもらなくなったら…。そのときはカウンセラーという仕事を止めなければならないと思っていますが、私がどもらなくなることは想像できないので、当分は仕事も安泰でしょうか(笑)。
 吃音を克服することはどもらなくなることではありません。どもることが喜びにつながるようになること、これが吃音克服の到達点の一つのように思います。この、どもる喜びが英国王には描かれていませんでした。ということは、吃音を主人公とした映画はもっともっと素晴らしい映画が生まれる可能性が残っているということです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/11

真面目、誠実、責任感

 「英国王のスピーチ」特集の第3弾です。この映画、ジョージ6世のことを一言で表すと、「真面目、誠実、責任感」になります。真面目で誠実で、責任感が強い故に、吃音に強い劣等感をもち、苦悩します。でも、真面目、誠実、責任感が強いことを武器に、どもっている自分を認め、吃音とともに豊かに生きることができると、僕は思っています。奥の深い映画ですね。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2011.6.22 NO.202 より、まず巻頭言から紹介します。

  
真面目、誠実、責任感
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「人前でスピーチができないような人間が、国王になんかなるべきではない。私には無理だ」
 宮廷で開かれた王位継承評議会の挨拶でひどくどもったジョージ6世は、その夜、妻、エリザベスの胸の中でこのように言って号泣する。
 このシーンは、予告編の中で、アカデミー賞授賞式で、たびたび出てくる。吃音に悩む人にとって他人事ではない。
 地位、名誉、権力、財力すべての面において世界一、と言えるほどに恵まれ、愛し愛される家族がいても、吃音であることの強い劣等感に苦悩するジョージ6世。彼が真面目で誠実で、人一倍責任感が強いがゆえの悩みの深さでもある。吃音の悩みを増幅させるこれらの資質が、ひとたび正に働き始めると、今度は吃音に向き合い、吃音を生きる大きな力へと転じる。この展開の軌跡が、映画では、丁寧に描かれている。
 「英国王のスピーチに学ぶ吃音とのつきあい方」については、後日詳しく書く予定だが、劣等感について今回は少し触れておきたい。
 英国王ジョージ5世の長男と次男、お互いに劣等感をもつ兄と弟の劣等感のせめぎ合いが、この映画のひとつのテーマでもある。
 「王冠を捨てた世紀の愛」と、華々しいスポットライトを浴びた兄の元国王は、実は、王としての資質について、弟の方がはるかに勝っていると考え、弟に対して強い劣等感をもっていた。弟がもつ吃音についての劣等感ばかりが注目され、兄弟間の互いの劣等感のせめぎ合いについては、映画の感想や論評では全く見当たらない。
 脚本家・サイドラーは、そのことを深く理解し、だからこそ、観客がつい見落としてしまうようなさりげなさで、しかし、しっかりと描いている。
 兄は弟と比べて、真面目さ、誠実さ、責任感の欠如という点で強い劣等感を持っていた。第二次世界大戦前の大変な世界情勢の中で、大英帝国の国王としての責任を全うする自信が彼は全く持てなかった。
 脚本家・サイドラーは、脚本制作の過程の中で、兄弟についての膨大な資料を読み、関係者から丁寧に聞き取りなどを行う。その歴史的な事実の中から、サイドラー自身がどもる人であるがゆえの身びいきかもしれないが、「愛のため」という世間受けするような、格好いいものではなく、王の資質についての劣等コンプレックスから、「許されぬ愛」という口実をみつけて、兄は国王になるという人生の課題から逃げたことを見抜いたのだ。
 しかし、それを声高に表現することなく、控えめに人に気づかれない程度で映画の中に織り込んだのは、サイドラーの優しさなのだろう。自身が吃音に悩み、劣等感をもち、吃音を口実に人生の課題から逃げるという劣等コンプレックスに陥った経験があるからこその、兄の劣等感についての洞察だったのだろうと私は推察し、納得をする。
 人前でスピーチすることは、あるいは訓練すれば可能かもしれない。しかし、真面目さ、誠実さ、責任感の強さは、子どもの頃からの長い歴史の中で育まれてきたものであり、一朝一夕に身につくものではない。国王になったからといって、訓練で身につくものでないことを兄は一番知っていた。
 「私は吃音の弟に完全に負けた」と、兄にさりげなく語らせているように私には思えてならない。
 脚本家・サイドラーは、愛に溺れ、自らの人生の課題から逃げていく兄を批判することなく、これまでの史実通り、愛に生きる人間的な兄を表現しつつも、弟よりも弱い人間として兄の劣等感、苦悩を浮き彫りにしている。
 弟が、妻の胸の中で号泣したように、兄は、愛人の胸の中で「不誠実な責任感のない人間は国王になるべきではない。私には無理だ」と泣き崩れたのではないか。その場面はもちろんないが。
 「吃音に苦悩する中から育まれた、誠実さ、真面目さ、責任感こそが、どもる、どもらない、スピーチができる、できないよりも、国王として、人として生きる、もっとも大切なことだ」。
サイドラーはそう言いたかったのだと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/10

特集 英国王のスピーチ〜脚本家と主演男優〜 2

 昨日の続きです。今日は、映画「英国王のスピーチ」でジョージ6世を演じた主演男優のコリン・ファースと、イギリス吃音協会の会長であるノバート・リックフェルトの対談を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2011.5.23 NO.201 より)
 映画の話というより、吃音の話がいっぱいで、普通のインタビューとは異なり、一味違った対談になっています。

特集 英国王のスピーチ
〜脚本家と主演男優〜 2

  コリン・ファース、吃音について語る
                      イギリス吃音協会会長
                      ノバート・リックフェルト


 「英国王のスピーチ」は、イギリスでは1月に一般公開されました。ジョージ6世を演じたコリン・ファースが、イギリス吃音協会会長のノバート・リックフェルトと、この映画について語っています。

ノバート・リックフェルト(以下NL):あの映画で、実に見事にどもりが表現されているのに感動しました。ブロックで声が出なくなる、私がまさにそうなのです。映画でブロックの場面になると自分のことのように緊張して正直とても疲れました。あんなに完壁にどもれるなんて驚きです。

コリン・ファース(以下CF):それはよく言われます。現実にどもりと格闘している人達がいるわけですから、出来る限り正確に演じなければいけないと思っていました。そしてたくさんの人が吃音のことで悩んでいるのを知って驚きました。「私もどもります」とか、「昔、どもっていました」とか、「兄弟がどもります」とか、「従兄が」とか…。

NL:イギリスだけでも75万人程います。でも見た目にも聞いても分かりません。あなたが私と道ですれ違っても、私がどもりだとは分かりません。私と話したとしても、おそらく気づかないでしょう。ですが、人と話すとき、私は目をそらします。目が合うと緊張してしまうのです。電話ではどもらないのですが、でも出来るだけ電話は使わないようにしています。それは体に染みついた行動パターンで、どもる人の思考回路です。

CF:不思議ですね。そのあたりのことはよく分からないので、ぜひ教えてください。ご存知の通り、この映画の脚本を書いたデービッド・サイドラーはどもる人ですが、普段はほとんどどもりません。でも吃音の話をし出すと、どもり始めます。そして奇妙な事に、私も吃音のことを話すと、ブロックやことばが出にくくなるということがあります。

NL:話し始めるときにことばにつまるというのは、どもらない人でも普通にあることですが、それとは違う非流暢性があります。精神分析が広まる前は、器質的に問題があるということで、舌を切る手術が行われたこともありました。しかしジョージ6世の時代はフロイトの考え方が主流だったので、親の育て方に原因があると思われていました。現在は、脳のスキャンによって、3、4歳のときに脳に何かが起こってどもり始めるということが分かっています。私は今このように流暢に話していますが、おそらく私の脳は今、どもらない人と同じように機能しているのだと思います。いったんどもり出すと、脳の別の部分が突然活性化するのです。このように、器質的な原因が根底にあることが分かっていて、神経系統の問題が発話を不安定にさせているのです。そのバランスはいとも簡単に崩れてしまいます。

CF:ということは、それを解明すれば吃音は克服できるということでしょうか?

NL:現時点では、この所見から出来ることは何もありません。だけども、不安症や神経症が原因でどもるのではないということは出来ます。「治すために何とかしなければ」といった単純なことではないのです。

CF:だとすると、あなたはローグがひそかに行っていた精神分析は間違っていたと思いますか?

NL:いいえ、それで私自身助けられましたから。ローグは気づいていなかったように思うのですが、吃音というのは、動かすことのできない事実なのです。成人のどもる人にとっては、吃音は体の一部になってしまっています。感情が発話のプロセスを不安定にしているのですが、それに対処することは可能です。

CF:それであなたはどもって声が出ないときでも、恐怖をあまり感じないのですね。

NL:そこがあの映画の素晴らしいところです。国王は吃音に向き合うことで、少しずつ楽になっていくのがとてもよくわかります。吃音が大きなストレスになると、脳はそれに対処できず、吃音モードに入ってしまいます。吃音のことをあまり気にせずにリラックスできれば、それがクッションとなり、余裕が生まれます。

CF:そうすれば対処できるということですか。

NL:その通りです。これこそがあの映画の私たちへの的確なメッセージです。

CF:それを聞いてほっとしました。というのも、英国王室がこの映画を見てどう思うかという質問をずっと受けていたので、実は不安に思っていたのです。今も親族がいらっしゃるので気を使います。それにローグの家族がどう思われるかも心配でした。ローグのお孫さんが昨晩プレミア試写会に来られていましたが、制作権のことも含めまったく問題はありませんでした。それよりも、これまで吃音を取り上げた映画のほとんどが、あざけりの対象やコメディーとしてしか吃音を扱っていなくて、正面からこの問題に取り組んでいないことはよくわかっていましたので、実際にどもる人達がこの映画をどう受け止めるかということが最大の気掛かりでした。

NL:真似るってことですね。

CF:その通りです。世間では真似をしてはならない苦しみや障害が数多くあります。吃音は俳優が真似てもいいようなものなのかどうか。

NL:今もそうなのですが、我々はそれと闘っています。吃音は重大な問題です。うつ的になったり、いじめられたり、いろいろなことがあります。

CF:私は滑稽だと思ったことなど一度もありません。そう考える私が真面目で徳が高いからとかそういうことではないのです。私がどもる人を演じたのはこれで三度目です。懸命に演じていると、体得するものが必ずあります。体の一部がその人物になり切るのです。その人が実際にしていることを出来るだけ演技っぼくならないように演じるのですが、必死に努力すると身体にも影響が現れます。この映画では、まるで二つの人生を生きているようでした。どもることを体で覚えながら、同時にどもらないよう必死に努力している人を演じなければならなかったのです。

NL:それはどもる人が毎日経験していることです。

CF:そうなんでしょうね、この状態で生きるなんて想像もできません。それと奇妙なことに、左手が動かなくなりました。きっとすごく緊張していたのでしょう。特に長いセリフの場面では、何かを封じ込めて、神経をすり減らしていたに違いありません。その麻痺のような状態は3、4日続きました。身体が闘っていたのです。
 その頃、記者発表やら、もう一つの映画のプロモーションやら、移動も多くありました。ブロックはなかったのですが、確かに何か話すことに違和感があって、流暢に話せなくなりました。デレク・ヤコービという俳優は、重度の吃音者を演じて有名になったのですが、「どもる人を演じていると、影響されて本当にどもってしまうことがある。でも仕事が終われば消えるから心配しなくていいよ」と話してくれました。

NL:あの映画では、見事に吃音が描かれているので、いろいろな人に映画のことを話すのですが、未だに鳥肌が立ちます。「クラッカー」という映画のように、狂気じみたサイコパスをドラマチックに描くために吃音を取り上げたりしている映画が多いのですが、「ごく普通にあること」として描いているのはこの映画が初めてです。
 確かに吃音は困った問題があったりするのですが、ちょっと変だとか、精神的に不安定だということではないのです。

CF:普段の生活が公的だという人は、それほどありません。パトリック・キャンベルという俳優は、みんなから愛され、話し上手で、どもる人達のモデルとして勇気づけていたと思います。彼は本当にどもっていたのですね?

NL:そうだと思います。

CFパバトリックはウイットに富んでいて、「何とかの〜」などという烙印も押されていなかったようです。国王のジョージ6世が子どもの時に体験したことは、物覚えが悪いとか、スムーズに話せないためにウイットに欠けると周りに思われたりしていたのだと思います。私は彼について書かれた本を読みましたが、王室の一員を演じるというのは大変なことです。しかも国王クラスの人となると、一緒に行動するわけにいきませんからね。
 もし私が医者を演じるなら、病棟を医者と一緒に歩いたり出来ますが、国王や女王に一緒にうろうろする時間を割いてもらうことはあり得ないわけです。なので、間接的に情報を得なければなりません。兄のエドワード8世(デビッド)に関する伝記は数多くあります。魅力的でロマンチックな人物として描かれています。それに対して弟のジョージ6世は、内気で、退屈で、頭の鈍い弟と特徴づけられています。彼の書いたものや手紙を読むと、自分を馬鹿にしたり、皮肉っぽいところなどが見られ、映画にもたくさん出て来ます。
 ローグが「Wがまだどもっていましたね」と言ったのに対して、ジョージ6世が「でないと私だとわからないからね」と応える二人のやり取りは、ローグの日記から見つけました。是非とも、台詞に入れなければと思ったのです。日記を読んでいて、彼は吃音のせいで劣っているように誤解されていたのではないかと思いました。

NL:吃音は能力を見えなくします。どもっていると知性が無いように思われてしまうことがあります。吃音というフィルターを通して人は見てしまうのです。

CF:20代の頃ですが、声が出にくくなったことがありました。声帯に傷があったようで、手術が必要でした。吃音ではなかったのですが、人と話をしていてもきちんと相手に聞こえなかったのです。ヴォイス・セラピストが「この症状を甘く見たらダメですよ」と言っていました。
 人は、目が見えないとか耳が聞こえないといったことは正しく理解しますが、きちんと話せることが当然と思われている中で、話せないということが、いかに心理的なダメージを与えるかが理解されていないように思います。私は話すのが好きですし、このように二人で話すのであれば問題はなかったのですが、三人以上人がいたり、音楽が鳴っていたら、私の声は届きませんでした。思うように会話に割って入ることも出来ず、言いたいことも表現できずにいました。私は完全にアイデンティティを失っていました。ですからどもる人の気持ちもわかるような気がします。

NL:オーストラリアで、就学前のどもる子どもを対象にある研究が行われました。子どもはみんなリュックを背負わされていて、どもる子どものリュックにはマイクが入っていました。休み時間にその子が他の子どもと交わすやりとりがすべて録画されました。例えばその子がどもった時に、他の子どもがほんの一瞬、目をそらしたとか、先生でさえ目をそらしたといったような、子どもがコミュニケーションを通してネガティブな反応を受けた回数を記録するのです。まさに、「君はうまく話せないね」「君はうまく話せないね」としずくが落ち続けるようにインプットされるのです。そして絶え間なく積み上げられていくのです。どうして国王があのように恐怖心で固まっていたのかよくわかります。

CF:子どもの左利きを直すのに手をたたいたりしますね。たたかれると人とコミュニケーションが取れなくなってしまうこともあるようですが。

NL:確かに。ただ、それがどもる原因ではないと研究者は言っています。

CF:それが主な原因だとは思いません。結果として起こる問題ですよね。

NL:脳に負荷がかかったということですね。

CF:国王の癇癪持ちはそういうわけだったのですね。本当にひどかったですね。それとあの長い沈黙ですが、永遠に続くかのように感じられたでしょうね。自分ではどうにも沈黙から抜け出られないのですから。

NL:その通りです。まるで脳に稲妻が走ったような感じです。後になってどうして抜け出られないのかと思うのですが、どうにも出来ません。映画を観ていて、その気持ちがとてもよく伝わってきました。

CF:そう、その沈黙の恐怖。俳優としての自分に置き換えて想像していました。とてもリアルで、地獄のような沈黙は本当によくわかりました。
 私が面白いと思ったいくつかの場面を詳しく見てみたのですが、あの言語訓練など、どれだけ大変かよくわかります。デービッド・サイドラーは、まるで水中でおぼれて窒息するような感じだと話していました。国王のスピーチの中で最悪の「間」がありましたね。これはセラピーを受けた後によく起こるようですが、国王はその「間」に直面して落ち込みます。ここが大事なところです。彼の真似がうまく出来たということよりも、感じ取ることが出来たということの方が大事でした。注意して見てみると、まず落胆している様子がわかります。そしてそれほど悪くないのではと期待するのですが、やがてそうではないとわかります。そして、沈黙を解いて、目を閉じて、気持ちを落ち着けなければと思うのです。そして、もう一度やってみるのですが、やはりうまくいきません。そしてその時に、これは永遠に沈黙が続くのだと思ってしまうのです。だけど、やがて、どもる人がみんなそうであるように、国王も長い沈黙から抜け出ます。彼が前に向かって行くのを見て、本当に勇敢だと思いました。本当の英雄です。

NL:映画ではそのことはとても強く伝わってきました。与えられた課題があったとして、私はやり遂げられないかもしれませんが、やるつもりです。私の義務です。

CF:国王自身が自分の勇敢さに気づいていないというのも感動的です。ローグが「バーティ、(国王をこの愛称で呼んでいた)、あなたは素晴らしい忍耐力をお持ちです。あなたほど勇敢な人はいませんよ」と言ったとき、バーティは自分を勇敢だなどと夢にも思っていなかったでしょう。彼にとってそれまでの経験は恐怖でしかなく、ましてや彼の発することばすべてに価値があるなどと夢にも思わなかったでしょう。

NL:後にチャーチルが国王の告別式で、「勇気ある人」とひと言添えて花輪を献げました。意を得たことばです。

CF:本当にそうです。国王の吃音が治っていなかったのは事実ですが。

NL:それは私たちにとってとても重要な点です。

CF:監督のトム・フーパーは、そのことに強くこだわりました。そうでなければ、ウソです。国民はバーティのスピーチを聞いて徐々に彼に好意を寄せるようになったのです。当時、魅惑の皇子デビッドだけでなく、偉大な雄弁家チャーチルや、メディアやラジオを使って大衆を洗脳したヒトラーやムッソリーニが肩を並べていた時代です。
 そこに、一言も話せない男が登場するのです。爆撃にあった人、防空壕に避難している人、病気に苦しんでいる人、悲嘆に暮れている人など、様々な苦境にある人たちにとって、仕事といえば単にラジオの前で演説するだけで、ベルベットのふかふかとしたソファに腰掛け、銀の食器に囲まれている人というのは、彼らにとってどういう意味があるでしょう。しかし、その国王が、とてつもない恐怖に立ち向かいながら、国民に語りかけているのです。人々は寛容と連帯を訴える国王の声を確かに聞いたのです。

NL:確かに聞いていました。私が話を聞いた人たちも言っていました。国王が懸命にことばを振り絞って演説しているのを聞いたことは、とても大きな意味があったと。

CF:そうです。国王は人々の苦しみと共にいたのです。これはまさに象徴的な出来事です。そしてこのこと自体、吃音とは関係がないのです。これは、仕事への強い野望を持ち続け、大量虐殺を引き起こすことになったヒトラーとは対極に位置し、仕事への野望を持たなかった国王の真実なのです。
 ところで、インタビューの応えになっていたでしようか。

NL:実にたくさんのお話を聞かせていただきました。

CF:とても楽しかったです。ありきたりのインタビューではなかったので嬉しいです。お互いに関わりのある内容ですから、このように深く分かりあうことが出来て、どれほど安堵したかことばにならないぐらいです。本当に嬉しいです。
 さっきもお話ししたように、かつて吃音を演じた時は、どもる真似以外の何ものでもありませんでした。まったく問題の本質に触れていませんでした。「雨の三日間」という今回と同じようなテーマを扱った演劇に出演したのですが、とても面白く、二部に分かれていて、三人がそれぞれの親について話すのです。私の役には妹がいました。滅多にしゃべらない自分の父親、まさに沈黙の人についてそれぞれが話します。そして、30年さかのぼってそれぞれの親を演じるのです。そこで初めて父親がどもっていたことに気づくのです。子どもの時はわからなかったのです。そしてもう一人の父親は、第1次世界大戦の退役軍人で、吃音は治らなかったけれども、精神的に癒されるというものでした。
「英国王のスピーチ」は、吃音のために持てる能力がいかに倭小化されるかを表した初めての映画だと思います。

NL:同感です。(了)
   (訳:進士和恵・川崎益彦 原文:イギリス吃音協会ホームページより)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/08

特集 英国王のスピーチ〜脚本家と主演男優

 吃音がこれまでになく大きく取り上げられた映画「英国王のスピーチ」。脚本家と主演男優のインタビュー記事を紹介します。特に、脚本家のデービッド・サイドラーは、自身もどもる人で、その自分の経験が、映画の中で生きています。「スタタリング・ナウ」2011.5.23 NO.201 より紹介します。まず初めに、脚本家へのインタビューです。

特集 英国王のスピーチ
〜脚本家と主演男優〜 1

 日本では、2011年2月26日に公開されてから、ロングランの上映を続けている、アカデミー賞の主要部門を独占した映画「英国王のスピーチ」。
 今回は、脚本家であり、吃音のデービッド・サイドラーと、主演男優のコリン・ファースのインタビューを紹介します。とても興味深い内容になっています。
 吃音が世界的な広がりをみせて、これほどまでに大きく取り上げられ、人々の話題にのぼったことは、かつてなかったことでした。「国際吃音年」とも言えそうです。映画を観ての感想をたくさんの方々が送って下さいました。様々な思いでこの映画を観られたことが、感想文から読み取れます。
 日本吃音臨床研究会としても、もう少し特集を組んでみたいと思っています。

  「英国王のスピーチ」誕生の秘話
            脚本家、デービッド・サイドラー


インタビュアー(I):オスカー候補発表の前夜です。「英国王のスピーチ」の脚本家、デービッド・サイドラーさんにお聞きします。「英国王のスピーチ」はとても興味深いストーリーです。多くの人がこのエピソードを知っていたにもかかわらず、これまでほとんど語られてこなかった話をなぜ、映画化しようと思われたのですか? その裏話を聞かせて下さい。

サイドラー(S):まず、この脚本を書くに至った背景には、私が3歳から16歳頃までひどくどもっていたことがあります。幼い私にとってジョージ6世はヒーローでした。両親は私にこう言いました。
「王様の演説を聞いてごらん。おまえよりもずっとひどかったんだよ。今でもどもっているけれど、こうやって自由主義の国々を結集するために開戦のスピーチをしているんだ。立派な演説だ」。
幼い私にも、彼が国王として演説していることは分かりました。敵味方関係なく、世界中の人が彼の一言一句に耳を傾けていたのです。とても勇気ある行為です。たくさんの希望をもらいました。

I:脚本を書くにあたり、数々の資料に目を通された中でなにか驚くような発見はありましたか?映画では、国王との友情が描かれていますが、特に王室の周辺の人たちが見聞きしたことで、驚くようなこととかありましたか?

S:難しい質問ですね。なぜなら、ジョージ6世の吃音のことはあまり知られていなかったからです。秘密にされていました。もちろんイギリスの大衆は国王の吃音について知っていました。しかし誰もそのことを話さなかったし書かなかった。
王室ができるだけ隠そうとしたのも当然のことです。当時は、アメリカ大統領がポリオでやせ細った足を覆い、人前に見せることなどなかった時代です。弱点と見られていたからです。吃音は「言語障害」と呼ばれていて、「障害者」とみなされました。英国王が障害者というわけにはいきません。ですからできるだけ隠されていたのです。

I:ローグとジョージ6世のやりとりについては、残っている記録を脚本に書き起こすというだけでなく、国王との友情については、あなたが一部分創作されたそうですが、それはどのようなきっかけでしたか?

S:密室での二人の会話は記録に残っていませんし、証人もいませんから少ない情報をもとに想像を働かせました。私はローグがフロイトを読んでいたと証明できませんが、彼の治療法がカウンセリングであったことは確信しています。実際、その裏付けを意外な人物から得ることができました。
私には、かつての私のようにどもっていた叔父がいます。私はこの脚本の執筆中、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッドにある叔父のアパートの一室を仕事部屋として借りていました。叔父も脚本に興味を持って読んでいたので、映画についてすっかり詳しくなっていました。撮影が始まる少し前、叔父がいろいろと思い出したのか、これまで話さなかったことを話し始めました。
「あの男、オーストラリア人で、名前はローグだったよな。わしは子どものころに何年も彼のところに通っていたことがある。親父がジョージ6世のスピーチセラピストのところに行かせようとしてな。でもまったくの無駄だったよ。ナンセンスもいいとこだ。あの男はオーストラリアのまやかし者だったんだ。何の専門的な知識も持たず、自分の両親や子どもの頃の話ばかりして、わしにも同じことを話させただけだ」。
そういうわけで、ローグのセラピーはカウンセリングだということは分かっていました。治療法のことも分かったし、クライエントであるジョージ6世がどんな人物であったかについては、膨大な数の本に書かれていて読み切れないぐらいです。そういうわけで、事実を基にした推測、ということになります。

I:コリン・ファースの演技は見事でした。彼が演じたジョージ6世の知られざる苦悩や憂いはあなたが思い描いた通りのものでしたか? あなたが伝えようとしたことを演じていましたか?

S:まさにその通りです。私はとてもラッキーでした。ジョージ6世をコリンが演じることに決まったとき、こう思いました。「コリンは素晴らしい俳優だが、ジョージ6世にはちっとも似ていない」。
 でもリハーサルが始まるとすぐに気持ちが変わりました。「これはすばらしい」。コリンは完全に役をものにしました。彼は自らジョージ6世を創り上げたのです。似ている似ていないはもはや関係ありません。コリンはジョージ6世そのものでした。彼の名演技に値する賞を期待しています。

I:既に話題の的ですね。ジョージ6世の妃を演じた、ヘレナ・ボナム・カーター。私には物語における彼女の役どころがよく見えなかったのですが、いつも国王のそばにいて支えていましたね。

S:極めて重要な役どころです。物語の中心であるジョージ6世とローグに比べると明らかに画面に映る時間は短いのですが、彼女の存在には大きな意味があります。ジョージ6世はイギリスとヨーロッパのありとあらゆるスピーチセラピストに診てもらったのですが、すべて失敗に終わりました。
彼は打ちひしがれ、「もうおしまいだ。一生どもりながら生きていかねばならない」と言います。
妃は気丈な女性で、夫をとても愛していました。彼が沈黙を破らなければならない時がいつか来ると思っていたようです。そしてついにローグにたどり着いたのです。治療セッションは大抵、国王とローグの二人きりでしたが、彼女が入ることもよくありました。特に呼吸法だとか横隔膜を鍛えるトレーニングなど技術的なセッションの場合は、彼女も入って一緒にやっていました。
その後、国王がスピーチをする際にも、ローグや時には首相のウィンストン・チャーチルとも密に連携を取りながら夫を助けました。チャーチルはジョージ6世のほとんどのスピーチ原稿を書いたのですが、妃がその原稿に目を通して「このことばを変えて下さい。夫はこの言い回しが苦手なんです」などと指示しました。
彼女はつねにジョージ6世のそばにいました。著名な歴史家は彼女のことを「溶接されたマシュマロのようだ」と評しています(笑)。

I:言語聴覚士、ライオネル・ローグを演じた、ジェフリー・ラッシュの演技はどうでしたか?

S:ローグがオーストラリア人であったことは非常に重要です。イギリス人には出来ないことでしょうね。イギリス人にとって、王様との間の壁を取り払うことなど考えられないと思います。その点オーストラリア人は、アメリカ人に気質が似ているところがあります。称号や形式にさほどこだわりません。あのような忌憚のないアプローチが必要だったわけです。
 ジェフリー自身のことを言いますと、私がこの脚本を書き始めたとき、真っ先に頭に浮かんだのが彼でした。執筆をしている間、私のイメージの中でローグを演じているのはいつもジェフリーでした。ですから私にとっては夢のキャストですね。
 彼は私が知る限り、最も努力を惜しまない俳優です。他のオーストラリア人に似て、パーティー好きなんです。ですが実に勤勉で、とても聡明です。
 ジェフリーとコリンの結束はとても強く、ふたりはチームとなり、スタジオの隅で何かと頭をひねったり、議論したり、リハーサルの度に手直しをしたり、互いを磨き合っていました。
 そして彼らは信じられないほどに寛容なのです。通常、スターはクローズアップを撮り終えるとトレーラーや楽屋に戻ります。そして下っ端の役者が演じるシーンに後ろ姿で登場する際は、代役が演じるのです。でもこの二人は違います。そんなシーンでも自ら出演し、ただ台詞を言うだけでなく全力で演じるのです。
 実はメアリー王女を演じているのは私の娘なんです。娘はメアリー王女によく似ているのです。台詞はなかったのですが、ジョージ5世が亡くなるシーンなどに登場しています。クローズアップの撮影で、ふと顔を上げると娘はびっくりしました。娘が演技しやすいようにとコリンがカメラの後ろで相手をしてくれていたからです。実に気配りのできる人です。

I:ジェフリーの演技について、これは是非見てほしいという場面はありますか?

S:ハイライトは戴冠式の前夜、ウェストミンスター大聖堂でのシーンです。
 カンタベリーの大司教が、ローグが医者ではないことを暴露した後にローグとジョージ6世が激しいやり取りをするところです。もちろんローグは自分が医者だと言ったことはありません。みんながそう思い込んでいただけです。しかし彼が医者ではなく、資格もなく、臨床の訓練も受けていないことが暴露されるのです。
 ローグは、西オーストラリア出身でシェークスピア狂の売れない役者でした。それをふまえた上でのジェフリーの演技が圧巻です。自分自身を完壁に弁護し、聖エドワードの椅子、王が冠を授かる玉座に座るシーンです。ジェフリーはローグのキャラクターを見事にとらえていると思います。

I:多くの人にとって英国王室は、庶民とはかけ離れた閉ざされた世界です。脚本を書くにあたり、王室とのやりとりはあったのでしょうか?

S:私がこの脚本を書こうと真剣に考え始めたのが1980年です。いろいろな文献にライオネル・ローグという名前がちょくちょく登場してきます。ちょうどレーダーに映る機影のようなものです。でもそれが何なのかはわかりませんでした。ただ何らかのストーリーがあるのだろうと。
 そこで、電話帳で見つけたロンドンの興信所に調査を依頼しました。探偵は、ローグの息子バレンタイン・ローグを探し当ててきました。映画を観た方は分かると思いますが、いつも本に鼻を突っ込んでいたあの少年です。
 彼は、ロンドンの、富裕層御用達の開業医が集まっていることで有名なハーレー通りで開業する高名な脳外科医でした。私が連絡をとったときは、すでに高齢で、現役を退いていました。私が手紙を書くと、彼はこう答えました。
 「あなたがロンドンに来てくれればお話ししますよ。父が国王の治療について記録したノートをすべて保管しています」。
 私はこれでいけるぞと思いました。ところが続きがありました。「ただ、皇太后(ジョージ6世の妻)の許可がなければ協力することはできません」。
 そこで私は皇太后に手紙を書きました。すると皇太后がおられるクラレンスハウスの朱印が押されたクリーム色の立派な手紙が届きました。
 「サイドラー殿、私が生きているうちはどうかおやめくださいませ。これらの思い出は今でも私にとってはあまりにつらいものなのです」。
 皇太后は、望まなかった王位継承が夫の死を早めたと感じており、非常に心を痛めていたのです。その時皇太后はすでに高齢でしたから、待つとしても、長くても3年だろうと思ったのですが、なんと25年後(笑)です。
 102歳の誕生日を迎える前に彼女はこの世を去りました。ですから、その手紙が王室との初めてのコンタクトでした。
 ところで、今の女王がこの映画を観たかどうか、それは分かりません。ずっと分からないでしょう。彼女はコマーシャルにでも出て「今年の王室映画はこれに決まりですね」などと言うタイプの人ではありませんから。
 ただ、この映画がバッキンガム宮殿で上映されたということは確かです。トム・フーパー監督がそこにいましたから間違いありません。侍従や秘書官、家庭教師など王室に仕える人たちのために上映されました。
 聞いたところによると、評判は上々だったそうです。私はそこにはいなかったのですが、チャールズ皇太子の秘書官は、「大した作品だ」と言ったそうです。かなり好評だったのではないでしょうか。その証拠に、私は、ロンドンのイースト・エンドにある中世の城塞で、処刑場として使われていたロンドン塔に幽閉されていませんからね(笑)。(つづく)

                   訳:進士和恵・宮地大始
                   原文:Derek Sante

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/5/07

チーム・国際部

 それにしても、僕は、これまでいろいろなところで本当に大勢の人に助けられてきたなあと思います。言友会創立のときは東京にいましたが、創立に加わった人も含めたくさんの仲間がいました。大阪教育大学に行きたいという後輩につられて大阪に来たときも、大阪教育大学の研究室には、大勢のどもる人が集まりました。英語ができない僕の周りには、翻訳・通訳をしてくれる人が現れました。そのきっかけが、言友会が全国に広がっていく時期に一緒に活動した親友のお葬式だったというのも、感慨深いものがあります。
 今日は、「英国王のスピーチ」の特集の第2弾です。「スタタリング・ナウ」2011.5.23 NO.201 より、巻頭言を紹介します。

  
チーム・国際部
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 今、アルゼンチンのブエノスアイレスで、第9回国際吃音連盟の世界大会が開かれている。5月17日から始まり、21日までの日程だ。
 開会式では、私のメッセージが配布され、国際連盟の会長であるマイケル・シュガーマンによって読まれる手はずになっている。
 東日本大震災の直後、私たちの安否を尋ねるメールが世界各国から届いた。吃音親子サマーキャンプに参加していた女子中学生と母親が亡くなったこと、大きな悲しみを持ちつつ、日本人が力を合わせて復興の道を歩み始めていることを伝えたかった。また、第1回世界大会を開催した人間として、第9回世界大会に期待することを書いた。
 1986年、京都で第1回吃音問題研究国際大会を、私が大会会長として開催した時は、インターネットはなく、ファックスさえ一般的には普及していなかった時代だ。今から考えればよく世界大会ができたものだと思う。なぜできたのだろうか。
 どもることで恥ずかしさや数限りない失敗を重ねてきた私には、強い味方がある。それは、常に最悪の事態を考えるクセがついていることと、失敗を恐れないということだ。吃音でたくさん嫌な経験をし、様々な失敗を繰り返したことがからだに滲みている。どんな失敗をしたとしても、命をとられることはない。大失敗したとしても、たいしたことではない。むしろ困難なことに挑戦したという自負と自信が残るだろうと考えていた。
 失敗を恐れないことは、吃音の悩みの中から得た私の力だと思う。
 しかし、いかに蛮勇をもって挑戦したとしても、私たちの能力には限界がある。第1回だから、まず、海外のどの国にどのようなグループがあって活動しているかを調べ、連絡を取り合わなければならなかった。それが私たちの第一の関門だった。それなしには何もスタートできない。
 若くして亡くなった、京都の傑出したリーダーであり、親友だった故吉田昌平さんとの不思議な縁で、進士和恵さんと出会った。現在、日本吃音臨床研究会の国際部長として国際的な様々な活動の中心にいて下さっている。この進士さんとの出会いから世界大会が実質的にスタートしたといっていいだろう。私の書いた多くの手紙や文書が翻訳された。第1回世界大会は大勢の人々を巻き込み、2000万円もの資金を集め、11か国、400人が参加する、文字通り世界で初めての世界大会となり、大成功を収めた。その後も続いていく道筋をつけたことが何よりもうれしい。
 大会は、ドイツ、アメリカ、スウェーデン、南アフリカ、ベルギー、オーストラリア、クロアチア、そして今回がアルゼンチンと続いている。
 何度も参加した世界大会での基調講演やワークショップだけでなく、国際吃音連盟の機関誌「ワンボイス」の編集、「世界吃音デー」での発表など、様々な国際的な活動ができるのは、日本吃音臨床研究会が誇る国際部があるからだ。
 今回、「英国王のスピーチ」が世界的な話題になり、たくさんのメールや情報が世界中にあふれた。アカデミー賞の主要部門の受賞によって、吃音が初めて晴れやかな舞台で誇らしげに語られた。長い吃音の歴史の中で、考えられもしなかったことが実際に起こったのは、英国王の吃音を、奇をてらうことなく、正攻法で伝えようとした映画制作スタッフの熱意と誠実さがあったからだ。
 制作秘話が、脚本賞を受賞したサイドラーによって語られ、吃音の国王を演じることの難しさと喜びを主演男優賞のコリンファースが語っている。吃音について考える貴重な資料と言えるだろう。
 公開されている音声を宮地大始さんがテープ起こしをし、英文編集者のアメリカ人ゲーリ・ブルームさんが確認する。それが翻訳され読みやすい日本語になっていく。このような大変な英訳、和訳の作業が、進士さんを中心としたチームとして常に取り組まれている。チーム・国際部の努力によって今回の興味深い内容の特集が組めた。チームの努力に感謝したい。まだロングランが続いている劇場がある。是非、映画を観ていただきたい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/06
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