伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

自己概念

我の世界と我々の世界 2

 吃音講習会の時の梶田叡一さんのお話を紹介してきました。
 僕が梶田さんを講師として講習会に来ていただきたいと仲間に提案したとき、当時、京都ノートルダム女子大学学長でしたが、忙しい学長職の人に断られるに決まっているという人がほとんどでした。島根県松江市での開催なので、合宿の形式にした40名ほどの参加者の講習会です。僕は、梶田さんの本はたくさん読んでいました。そのことを強みにして、梶田さんの出身が松江市だということを手がかりに、心を込めてお願いの手紙を書きました。すると、「小さな集まりが好きなので行きますよ」と快諾してくださいました。その言葉通り、たくさん話をし、質問に答えて、また話していただくという、とても贅沢な時間を過ごしました。お酒が好きで、夜遅くまで話につき合っていただきました。本棚にあるたくさんの梶田さんの本を眺めては、懐かしく思い出しています。
 我の世界と我々の世界を行ったり来たりしながら自由自在に生きること、僕自身は、かなりそうできているのではないかと思います。21歳からは、自分の納得のいく人生を歩いてきました。
今回で、梶田さんのお話は終わりです。(「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133)

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7
    我の世界と我々の世界
                梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)特別講演


自由自在に生きる
 自由自在に生きるということは、自分のいろんな条件が完備することではありません。事実は変わらないのです。不完全で不満足な条件を、パーフェクトではないものを与えられて、私の命が機能しているわけです。だったら、自分に与えられたものは存分に楽しんだらいいし、ないものねだりをしてもしょうがないと思うのです。ないものねだりが一番いけないです。どこへ行っても私は私のペースで私なりに生きていく。だからといって、世の中のネットワークから自分だけ逃がす必要はない。世の中のネットワークは大事にする。そして、仮の主語として、我の世界は、とっても大事。しかし、世の中のことも、自分自身のことも、どちらも、どこかで、「まあいいか」と思えること。一所懸命になりすぎるのがいけない。できれば死ぬときに、ああ、いい一生だったなあと思って死ねるかどうかです。
意識としての自己 梶田叡一 今、お話したことは、私の本『意識としての自己』(金子書房)の中に書いております。また、見て下さい。
 私はどういう者だとか、私は自信があるとかいう自己概念は、結局自分の意識の中のあるひとつのあり方でしかなくて、事実の問題じゃない。意識の中での、主語述語の組み立て方の問題です。若いときからあまり死ぬことにとらわれたらいけないですが、ときどき、自分が自分だけの固有の命を生きていることを思い出すときには、死ぬんだよなあということを思えばいい。勲章をもらっても意味ないし、私も伊藤さんも本をたくさん書いているけれど死んでしまったら、ほぼナンセンスな話です。どういう所に住んで、家族は何人いたなんて、どうってことないことです。まして、吃音があったかどうかなんて、死ぬということと比べたら別にどうってことない話です。
 ひとつは世の中での価値、我々の世界での価値観があるけれど、これを一度全部ちゃらにしてしまう。もうひとつの我の世界の価値、たとえば私は石川さゆりがいいとか、私の中での価値観ができている。最後はそれもちゃらですよ。一度全部ちゃらにして、物を考えるためにはメメントモリという死ぬということを考えたらいい。自分が死んでしまうのではなく、頭の中での考えた死です。生きている間は死ということにこだわって、とらわれて、つかまえられて、意味づけとして、死という事実があると考えたらいい。私は人生をこう意味づけると考える。そして、くれぐれも言いますが、死ぬことだって、私に責任がある話じゃない。もっと言えば、今、生きていることだって、ほんとは私に責任ないです。そう思ったら楽でしょ。これが自由自在に生きるということです。

位置づけのアイデンティティ
 心理学の本を見ますと、アイデンティティということは、たとえば自分は男だとか女だとか、自分は学校の教師だとか、そういう我々の世界での位置づけのことを言っています。
 年齢も全部我々の世界の符丁です。性別も、役割も、自分は長男だ、何人子どもがいる、親と一緒に住んでるとかが、普通アイデンティティです。それが自己概念なんですが、自己概念の中で一番自分中心的面、たとえば私にとって一番中心的面は、学校の教師であれば、それがアイデンティティになる。これが〈位置づけのアイデンティティ〉です。
 我々の世界のネットワークの中で、世の中から与えられた、いわば符丁、シンボル、サイン。こういうものの中で、私をどう規定していくかです。吃音も、世の中で、そういうカテゴリーを与えられて、そういうものかと思っている。ダウン症だって、引きこもりだって、登校拒否だってそうです。世の中で生きていく上で、全部ちゃらにする必要ない。事実として知っておけばいいが、これにこだわらなくするにはどうしたらいいかがひとつの大問題だと思うんです。事実であっても、それにこだわると、ちょっと窮屈なところがある。上手に世の中からはみださない形で、どうやってそれにこだわらないようにするかです。
 私は親だけれども、自分のアイデンティティを親にすると、窮屈になります。親でもあるけれどなあ、ということです。私は教師だとなると、日本ではなんとなくいい子をしていないといけない感じになる。自分の全存在が位置づけの間にからめとられたら、こんなつまらないことはありません。これが、最初の罠です。

宣言としてのアイデンティティ
 この罠から抜けるためには、〈宣言としてのアイデンティティ〉が必要です。
 「教師でもあるけれど、なんとかでもある」という何かを出していく。便利な宣言としてのアイデンティティとして、私は男だ、女だ、何歳だ、「教師だと言われるけれど、私は人間だ」と言います。「私は人間だ」というのは、位置づけとして相対化するには一番いいでしょう。それでなくて、人には分からないけれども、こういうものだという宣言を自分の中で、もったらいい。教師だとか女性だとか、あるいは親だとかなんとかだという前に、「私はこういうことが私にとって、自分のコアになるんだ」というものです。一番簡単なのは、「人間だ」ということです。
 位置づけのアイデンティティで、他の人がどう自分を呼ぶかを知っておいた方がいい。だけども、それを乗り越えて、がんじがらめにされない。私というものを意識化する。一番自由自在に生きるとしたら、「私はカモである」とか、「空気である」と言ってしまえばいいが、あんまりそれをやると、「熱、あるんじゃない?」と言われてしまう。上手にTPOを見て言わないといけない。人には言わないで、自分でもっていたらいい。「私は水でありたい」とか、「風でありたい」とか。そういう宣言としてのアイデンティティを自分なりに作っていけるかどうかは、とても大事です。宣言としての自己意識、自己概念です。自分が自分とっきあって、自分と対話して、私ってこうなんだから、という土台になるような自己概念です。
宗教教育、宗教的なこだわり宗教ということばを使うと、戦後は、みんな、疎ましく思うようでほとんど勉強することはない。だけど、私はあえて言うけれども、特に障害のある子にかかわるとか、命の問題を考える時、宗教をぜひ勉強してみて下さい。これが、一番関連の深い文化です。
 お釈迦さんだって、なぜ出家したかと言うと、自分が死ぬということ、病気の人がいるということ、などからでしょう。しっかり勉強して、資格をとって、肩書きもできて、大きな家にも住むという右肩上がりの単純化した人生を考えていくと、命の問題は分からない。障害をどう意味づけるかは分からない。人間の一生は、右上がりじゃないと言っているのが宗教です。この宗教でないといけないという宗教心は嫌いです。でも、大きな宗教思想家はいい。
そういう人のものはぜひ皆さん、読んでみて下さい。
 道元や親鶯です。親鷺はぜひ『歎異抄』を、読み返して読み返して下さい。易しい例と易しいことばで、あんなに深いものはないと思います。『歎異抄』を読んでいくと、道元も分かってきます。道元は難しい難しい本ですが、読んでいくと、聖書の中に出てくるイエスのことばが分かるようになります。
 なぜ、幼子の如くならないといけないのか、なぜ野の花を見よというのか、です。いろいろなことで思い煩っているけれど、この花は、誰がどうしたわけでもなく、本人が美しく咲こうとか思ってるわけじゃないのに、こんなに素晴らしい花を咲かせているじゃないか。命の自己展開です。命は自己展開するんです。ユダヤ民族をもった伝説的なソロモン王朝のときの栄耀栄華のときよりも、この花は、はるかに美しいじゃないか、というわけです。
 道元を読み、親鷺を読み、あるいは聖書を読んで下さい。ほかにもすばらしいものがいっぱいあると思いますが、ぜひお読みいただきますと、結局は、この意味づけ、こだわりというのを深く考えていくということが自分の中でできるようになるんじゃないかなと思います。ですから、私は、宗教教育をこれから本当にやらないといけないと主張しているんです。
 何宗の教育でなく、宗教をひとつは文化の問題としてとらえたいのです。教育改革の論議のなかでもずいぶん言いました。そしたら、宗教教育は結構だけれど、宗派でない宗教をだれが教えるのかと言われる。確かに道元や親鷺、イエスなどの宗教的な天才のような思想家のことを、自分でこだわって、勉強して、小学校、中学校、高校で、大学で、宗派的でなく、教えることができる人が日本でどれくらいいるか、と言われました。でも、私はあえて言いますけれど、そういうこだわりを、いろんな意味での、広い意味での教育に関係する人が、宗教的なこだわりを持ってほしいなと思います。

質問 位置づけのアイデンティティは、よく分かりました。宣言としてのアイデンティティみたいなものは持っているような気がするんですが、それを自己中心的なものと勘違いしてしまう危険性はあると思うんです。それを越えて、第3段階の目覚めという本当の本質、本源的なもの、そういうものを持つコツのようなものがあるんでしょうか。
梶田 コツは多分ないだろうけれど、そういうものがあるんだろうなあということを自分の頭の中のどこかで前提にしておけば、自然にそういう方向に近づくと思うんです。
 頓悟と漸悟ということばがあります。頓悟というのはある瞬間に、たとえば石がぱちっという音がしただけで、それに気がついた、悟りを開いた、というものです。まあそれは、そういう人たちに任せておいて、私たちは、漸悟です。漸悟とは、少しずつ少しずつ、ものが見えてくるということです。自分がまず我々の世界に目覚めてからです。世の中というのがあって、自分勝手はいけないよねというのが分かってくる。しかし、自分が生きなきゃしょうがないよね、となる。結局両方をどうやって生かすかという工夫をしないといけない。工夫していくけれど、我々の世界に生きるとか、我の世界に生きるとか、私が生きるみたいな、そこも乗り越えないと、どこかしんどいよねという筋道が見えていれば、私は徐々にそういうふうになっていくと思うんです。
 だから、私は宗教的な神話として、いろんな、ある瞬間に悟ったという、目が見えるようになったという頓悟の話があるけれど、私はそういうことにこだわる必要は全くないと思います。

梶田叡一さんの紹介
 1941年島根県松江市に生まれる。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。大阪大学人間科学部教授、京都大学教授、京都ノートルダム女子大学学長を経て、現在兵庫教育大学学長。
主要図書『自己意識の心理学(第2版)』(東京大学出版会)『生き方の心理学』(有斐閣)『内面性の心理学』(大日本図書)『生き方の人間教育を』(金子書房)など多数。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/18

事実と意味づけ 1


 僕たちは、吃音と向き合い、どもる自分をどう認識するか、自己概念教育がもっとも重要だと考えてきました。
 2004年夏、《どもる子どもの自己概念教育》をテーマに、子どもの自己概念教育、自己意識の研究と実践の先駆者、梶田叡一学長を特別講師として迎え、問題提起をしていただきました。自己概念教育の大切さをずっと提唱し続けてきた梶田叡一さんのお話を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2005.8.24 NO.132)

第4回臨床家のための吃音講習会・島根  2004.8.7
  事実と意味づけ
               梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)・特別記念講演


教育にかかわることになったきっかけ
 私は、京都大学の文学部の心理学科の研究室で、子どもの問題だけでなく、いろんな障害のある子の発達研究を中心に取り組んできました。ほとんど学校に行かず、まじめな学生ではなかったのですが、就職してから、勉強しました。私は30歳の時、心理学で、自己意識と自己概念の問題で、博士号をもらいました。その後、文部省の機関である国立教育研究所の発達研究の部門で、子どもの発達の国際比較研究にかかわりました。英語も勉強も嫌いで二重苦だから行きたくないと抵抗したのですが、業務命令が出て、スウェーデンで開かれたベンジャミン・ブルームが中心の国際会議に6週間行きました。それが私が教育にかかわった最初です。そのときから、私は教育を一から勉強することになりました。
 30歳以降は、心理学と教育学の両方を専門としています。大きな本屋さんには、心理学のコーナーにも教育のコーナーにも私の本がありますが、今日は、その両方が一緒になったような話をします。私はずいぶん前に『子どもの自己概念と教育』(東京大学出版会)という本を出しました。いまだに売れていますが、それを書いていた頃、こだわっていた問題です。

ダウン症の姪
 私には、30歳を過ぎたダウン症の姪がいます。父親が早く亡くなり、親戚のみんなから、心理学をしている私が頼りにされ、その子も私のことを「パパ、パパ」と言い、父親代わりでこの子にかかわりました。この子が育っていく中で、ずいぶん考えさせられたのは、トレーニングは大事だということです。今、統合教育と言われ、通常学級で障害のある子を受け入れることが主流で、これは、ある意味では、悪くないことですが、下手すると、やることがきちんとやれないまま大きくなってしまう可能性があります。私のダウン症の姪は、小学校は普通学級、中学校は養護学級でした。京都は、非常に統合教育の運動の強い所ですが、高校は母親の最後の決断で養護学校の高等部に行きました。これは正解でした。ここで身辺自立がきちんとできるようになり、卒業後、ひとりでバスに乗って京都の町を歩けるようになりました。今も毎日、作業所に通っています。きょうだいの中でも、その子が一番しっかりして、仕事もきちんとやると親戚中の評判です。
 姪を通して、障害のある子にどうかかわるかをずいぶん考えさせられました。一番いけないのは、「かわいそう」ということです。「かわいそう」というのは、よく言えば、共感でしょうが、その子はその子で生きていかなきゃいけない。だから、その子が、自分の力で生きていけるよう親も教師も、場合によっては、心を鬼にして、しなきゃいけないことがあるのです。障害があると、衣服の着脱を手伝ったり、外に行くときもついていったり、いろんなことに手を出したり口を出したりしてしまいますが、それはできるだけやめた方がいい。これは、子育ての問題だと思います。
 私の娘も、幼稚園の先生を長くしていましたが、育児のために仕事をやめました。私は、だめな父親ですが、娘は非常に子育てに厳しいところがある。今、5年生の女の子と3年生の男の子と3歳の男の子がいます。小学校に行く前から、次の日に着るものを枕元に揃え、洗濯物は自分でたたませています。身辺自立には非常にいいなあと見ておりました。子育て一般について言えることですが、何でも自分のことは自分で考え、自分で決定し、自分でする。つまり、人を当てにしないように育てないといけないと思います。ダウン症の姪にかかわり、うちの孫たちを見ていて、そう思います。これをまず前置きとしてお話しておきたかったのです。

どもる甥の話
 私の40歳ほどになる甥が吃音です。小学校のときは、大変でした。いっぱい話したいことがあるのに、話せないのでいらだつ。母親は京都人特有で口が悪い。甥は次男で、きかん気が強い子で、フラストレーションから、乱暴な行動をとる。しかし、私立の中学の終わりくらいに柔道部に入り、めきめき強くなりました。内弁慶で家の中でフラストレートしていた子が、吃音は変わらないのに、フラストレートしなくなりました。柔道部の連中とつるんで、よその学校の生徒とけんかしては警察から呼び出され、周りは心配していましたが、柔道が縁で、「あんたが中に入った方がいいのでは」と言いたいのですが、攻守ところを変えて、刑務所で刑務官になりました。今は刑務所の柔道部を指導している。
 柔道で実績を上げて、刑務官になり、後輩がたくさんでき、指導する立場になって完全に自信がつきました。吃音も前よりは軽くなったが、どもっています。でも、表情は全く変わりました。吃音の話題も出ないし、表現が下手などと一切考えてないようです。今度8月の半ばに、親戚中が集まりますが、たくさんのいとこたちの中で、リーダーの一人で、親戚の中でも大きな顔をするようになりました。

事実の問題
 障害は、事実の問題です。『五体不満足』を書かれた乙武さんという方がいらっしゃいますね。手や足が不自由なのは事実ですが、事実そのものが何か意味をもつわけではない。手や足が不自由で、車椅子にのっていることは、自分にとって個性だと言ってる。手や足が不自由なのは事実だが、基本的には、「これでまあいいか」という意味づけです。問題は、どれだけその事実が重大な問題なのかという意味づけです。「軽い、軽い」と思ったらいいんです。パーフェクトな人間なんていない。人間誰でもどこかに何かがある。問題は、それをどう意味づけるかということです。
 みんないろいろと弱みがあるものです。私も今日は口がすべって、自分の弱みをいくつか言うかもしれません。人間は同じようにはできていません。私は小さいとき、うちの親がお金持ちだったら苦労せずにいろんなことができるのになと思いました。でも、しょうがない、そういう親からしか生まれなかったわけですから。
 昨日の夜、吃音で苦労してきた人のお話を聞いて非常に感銘を受けました。このままどもっていたら、「将来世の中に出た時に何もできない」との思いがあったが、どもりながら実際にいろんな仕事をきちっとやっている人々を見て、安心なさった。どもるのは事実ですが、「私の将来は閉ざされている」、「ものすごく割を食って生きていかなきゃいけない」、「社会的に恥ずかしい」、「人が相手にしてくれない」、これらはみんな、意味づけです。別のことばで言うと、想像です。想像の中で、この事実がどういう色合いに染まるかです。単なる想像ならいいが、こだわってそのことが頭から離れずに、自分の物の考え方や行動の仕方をからめとってしまうと、身動きがとれなくなるんです。

吃音とこだわり
 いろんな障害がありますが、吃音にしぼって考えてみます。どもるという事実はある。しかし、やっかいなのは、それをどう意味づけていくかです。「私は吃音だ。吃音だ」という気持ちでいっぱいになりがちですが、実は、「私は、若い女性である」とか「私は、こういうことができる」とか、いろんな面があるはずです。それなのに、たったひとつの「どもる」ということだけに、どこまでからめとられてしまうか、ということなんです。
 私は今、教育にかかわり、障害児教育から特別支援教育をどうするかという議論を、中教審の初等中等教育部会でしています。同時に、久里浜の国立特殊教育総合研究所やことばの教室ともかかわっています。しかし私は、専門家じゃないから、あえて言いますが、吃音の場合、いろんなトレーニングがあるが、改善はなかなか難しい。むしろ、下手なやり方をすると、トレーニングして、改善されずに、どもってうまく読めないことが続くと、事実の改善を図っているはずが、こだわりを増大させていることになる。ことばの教室の先生がこれだけ一所懸命に改善しようと取り組んでくれるということは、吃音というのはすごく大きな問題なのか、みたいな感じがしてきます。これは、私の感覚で、皆さんが私に同意する必要はないのですが、私はそう思うんです。
 もちろん、できることがあれば、少しずつでも吃音が改善する方策はした方がいいです。事実が改善されるなら、いいことです。スムーズにしゃべれる方が、しゃべれないよりはいいことかもしれないが、それよりもっと大事なのは、意味づけとこだわりだと思うんです。どうやって生きたって、一生は一生です。世の中で拍手されたいとか、収入が多くなりたいとか、せめて3ナンバーの車に乗りたいとか、あれこれ思い出すと、それらを阻害するようないろんな問題を自分は持っているから、重大なものになります。でも、まあ、今の日本では三度三度なんとか食っていけます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/07

能力促進から自己概念へ

能力促進から自己概念へ

 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶイベントのスタートは、7月末、千葉県で開催する、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。今、その準備の真っ最中で、詳細は、もうすぐ、ホームページに掲載されます。その吃音講習会の前身である、「臨床家のための吃音講習会」の第4回は、ちょうど20年前の2004年、島根県松江市で行いました。そのときの講師が当時、兵庫教育大学学長の梶田叡一さんでした。気さくに、僕たちの輪の中に入ってきてくださった梶田さんのお話を特集した「スタタリング・ナウ」2005.8.24 NO.132 を紹介する前に、その号の巻頭言を紹介します。吃音は「どう治すかではなく、どう生きるかだ」の、具体的な取り組みにつながります。

  
能力促進から自己概念へ
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 この夏、言語障害児教育の大きな三つの大会に参加した。全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会宮崎大会、近畿地区難聴言語障害教育研究協議会奈良大会、全国ことばを育む親の会静岡大会だ。
 私はこの三つの大会の吃音分科会のコーディネーターを担当した。提案された実践と、分科会の雰囲気に大きな喜びを感じた。それは、ある研究大会での話が強い印象として残り続いていたからだ。
 数年前、千葉市立院内小学校の実践が、ある研究大会の吃音分科会で発表された。その実践は、子どもたち同士の交流や、通常学級を巻き込んで、子どもが自分の吃音と向き合うすばらしいものだった。6年生のA君が卒業記念として公開録画番組に取り組んだ様子のビデオが流された。私も一度見せてもらったことがあり、多くの人の共感が得られたものと思っていたが、現実はそうではなかった。その分科会に参加した他県のことばの教室の教師から聞いた話では、どもりながら明るく活動するA君の姿に、多くの批判や疑問が出されたと言う。
「吃音症状がひどく、相手に伝わりにくい。伝える手段をもっと身につけさせるべきだ」
「あれだけどもっていたら、6年生としてことばの教室の終了の目安に達していないのではないか」
 このような批判だったらしい。言語障害児教育を担うことばの教室では、吃音症状を改善させなければ意味がないということなのだろう。居合わせたその教師は実践のすばらしさを評価する発言をしたかったが、批判一色の中で発言ができなかったと言う。
 この夏、私が担当した吃音分科会では全く違う雰囲気だった。全難言協宮崎大会の吃音分科会での岡山の片岡一公さんの報告、近畿地区奈良大会の神戸市立稗田小学校の「出会いのひろばの実践」、親の全国大会の吃音分科会の愛知の尾関稲子さんの実践は、いずれも吃音症状にこだわらない、どもる子どもの自己概念に焦点をあてたものだった。参加者の質問や議論は、実践に共感し、学ぼうというものばかりで、実践者に対する批判的なものはなかった。
 この違いは、吃音についての基本的な考え方の違いによるものだといっていい。どもる子どもの支援を、能力発達・促進に置くのか、自己概念に置くかの違いだと言っていいだろう。ことばを換えれば、「どもらなくなった。吃音が軽くなった」という、話すことばの能力発達に視点を置くのか。「どもりながら友だちとよく遊ぶようになった。どもりながらよく発表するようになった。吃音について周りの友達に話すようになった」など、吃音に対する本人の意味づけが変わり、吃音をマイナスのものと強く思わなくなったことに視点を置くのかの違いである。
 吃音への長い長いアプローチの歴史は、どもる状態に対するアプローチだった。アメリカの研究者・臨床家の間で、長い間論争が続けられた「どもらずに流暢に話す」も、「楽に流暢にどもる」も、どもる状態を問題にすることには変わりがない。アメリカの言語病理学はこの位置から一歩も出られないでいる。
 私たちはこのアメリカの言語病理学から多くのものを学びつつも、一歩踏み出し、吃音症状が改善されたかどうかより、本人が吃音をどう受けとめ、どもる自分にどのような自己像や未来像、自己概念をもつかが最も大切なことだ主張してきたのだった。
 この夏の流れがこのまま言語障害児教育に定着するとの楽観的な見方はできないが、少しずつ「治すことにこだわらない実践」が積み重ねられていると思う。数年前、実践が正当に理解されずに寂しい思いをした院内小学校の人たちも、この夏の吃音分科会の雰囲気の中にいたら、意を強くしたに違いない。
 以前よりどもらなくなった、楽にどもれるようになったという視点ではなく、どもりながら何々ができるようになった、どもりながらも表情が明るくなったなど、吃音をどう受けとめるかということの大切さを強調していくためには、自己意識・自己概念教育に対する学習は欠かせない。
 私たちが書物を通して学んだ、日本における自己意識・自己概念教育を提唱し続けてきた梶田叡一さんに直接お話を聞く機会がもてた。私たちへの大きな応援歌として聞かせていただいた。梶田ワールドを共に味わえるのは大きな喜びである。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/06
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