「夕鶴」の話は、僕たちにとって特別なものです。竹内敏晴さんの演出で、舞台「夕鶴」に何度も出演しました。
1993年、北海道札幌市で、言友会の全国大会がありました。そのときの講師が竹内敏晴さんで、どもる人の声とことばとからだがテーマでした。竹内さんの講演やワークの前に、僕たちが「夕鶴」を演じました。僕は与ひょうの役だったのですが、与ひょうだけでなく、他の役者のせりふが口をついて出るくらい、練習したので、よく覚えています。
言語訓練に代わる日本語のレッスンを求めていた僕は、竹内敏晴さんと出会い、楽しくおもしろく、声を出すことの喜び、楽しさを味わいました。竹内さんのレッスンを受けていた人たちによる、東京や名古屋での芝居の上演に何度か参加した僕は、大阪の仲間たちにも、その歓喜の世界を味わってもらいたいと思いました。それが実現したのが、1998年秋、大阪市立総合医療センターのさくらホールでした。その上演の様子を、「吃音の人ら 舞台に挑戦」との大きな見出しで朝日新聞が取り上げてくれました。
鴻上尚史さんとの出会いは、1998年秋、青森で開かれた日本文化デザイン会議で鴻上さんがコーディネートするシンポジウムに参加したことでした。シンポジウムのテーマは「表現とからだと癒やし」で、メインタイトルは「異話感の…」でした。竹内敏晴さんが出演予定だったのですが、どうしても都合がつかなくなり、竹内さんから代わりに出てほしいと依頼があり、ピンチヒッターで出演しました。そのとき、僕たちの吃音ショートコースというワークショップの講師として来ていただけないかとお願いをしました。
そして、2002年秋、「豊かな表現力のために〜誰もができるレッスン〜」というタイトルの吃音ショートコースが実現しました。お忙しい鴻上さんがよく2泊3日のワークショップに来てくださったものだと、今さらながら思います。おまけに、鴻上さんは、そのときのワークショップでのできごとを、「どもる力」として、その頃、連載されていた「週刊スパ」のコラムなどで数回書いてくださいました。
さて、「夕鶴」と鴻上尚史さん。
「夕鶴」の最後のシーンは、機を織っているところを決して見てはいけないという約束を破った与ひょうを残して、つうが鶴になって飛んでいってしまいます。
そのつうが帰ってきたとしたら、また与ひょうと共に生活を始めたとしたら、そんな予告を読み、そしてその芝居が鴻上尚史さんの演出だと知ったら、これはもう観にいくしかありません。
そんなご縁のある鴻上さん演出のお芝居「サヨナラソング〜帰ってきた鶴〜」は、9月27日、サンケイブリーゼで上演でした。
ホールに入ろうとすると、入り口に立っておられたのが、鴻上さんご本人でした。「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です」とあいさつをすると、「おーっ、お元気ですか」と思い出してくださったようです。「はい、元気です。まだ活動しています」とお話をし、スマホはだめだけれど、デジカメならOKというので、一緒に写真も撮りました。映画のパンフレットを、鴻上さん自身が客席まで販売に来るというサービス精神旺盛な鴻上さん、1998年に出会ったときのままという印象でした。
お芝居の方は、「夕鶴」のラストシーンから始まりました。「つうー」と叫ぶ与ひょうを残して、鶴がよたよたと飛んでいってしまう、あのシーンです。その後、ひとりぼっちになった与ひょうは、抜け殻のようでした。
以下、鴻上さんによる解説を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/30
1993年、北海道札幌市で、言友会の全国大会がありました。そのときの講師が竹内敏晴さんで、どもる人の声とことばとからだがテーマでした。竹内さんの講演やワークの前に、僕たちが「夕鶴」を演じました。僕は与ひょうの役だったのですが、与ひょうだけでなく、他の役者のせりふが口をついて出るくらい、練習したので、よく覚えています。
言語訓練に代わる日本語のレッスンを求めていた僕は、竹内敏晴さんと出会い、楽しくおもしろく、声を出すことの喜び、楽しさを味わいました。竹内さんのレッスンを受けていた人たちによる、東京や名古屋での芝居の上演に何度か参加した僕は、大阪の仲間たちにも、その歓喜の世界を味わってもらいたいと思いました。それが実現したのが、1998年秋、大阪市立総合医療センターのさくらホールでした。その上演の様子を、「吃音の人ら 舞台に挑戦」との大きな見出しで朝日新聞が取り上げてくれました。
鴻上尚史さんとの出会いは、1998年秋、青森で開かれた日本文化デザイン会議で鴻上さんがコーディネートするシンポジウムに参加したことでした。シンポジウムのテーマは「表現とからだと癒やし」で、メインタイトルは「異話感の…」でした。竹内敏晴さんが出演予定だったのですが、どうしても都合がつかなくなり、竹内さんから代わりに出てほしいと依頼があり、ピンチヒッターで出演しました。そのとき、僕たちの吃音ショートコースというワークショップの講師として来ていただけないかとお願いをしました。
そして、2002年秋、「豊かな表現力のために〜誰もができるレッスン〜」というタイトルの吃音ショートコースが実現しました。お忙しい鴻上さんがよく2泊3日のワークショップに来てくださったものだと、今さらながら思います。おまけに、鴻上さんは、そのときのワークショップでのできごとを、「どもる力」として、その頃、連載されていた「週刊スパ」のコラムなどで数回書いてくださいました。
さて、「夕鶴」と鴻上尚史さん。「夕鶴」の最後のシーンは、機を織っているところを決して見てはいけないという約束を破った与ひょうを残して、つうが鶴になって飛んでいってしまいます。
そのつうが帰ってきたとしたら、また与ひょうと共に生活を始めたとしたら、そんな予告を読み、そしてその芝居が鴻上尚史さんの演出だと知ったら、これはもう観にいくしかありません。
そんなご縁のある鴻上さん演出のお芝居「サヨナラソング〜帰ってきた鶴〜」は、9月27日、サンケイブリーゼで上演でした。
ホールに入ろうとすると、入り口に立っておられたのが、鴻上さんご本人でした。「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です」とあいさつをすると、「おーっ、お元気ですか」と思い出してくださったようです。「はい、元気です。まだ活動しています」とお話をし、スマホはだめだけれど、デジカメならOKというので、一緒に写真も撮りました。映画のパンフレットを、鴻上さん自身が客席まで販売に来るというサービス精神旺盛な鴻上さん、1998年に出会ったときのままという印象でした。
お芝居の方は、「夕鶴」のラストシーンから始まりました。「つうー」と叫ぶ与ひょうを残して、鶴がよたよたと飛んでいってしまう、あのシーンです。その後、ひとりぼっちになった与ひょうは、抜け殻のようでした。以下、鴻上さんによる解説を紹介します。
日本人なら誰もが知っている鶴女房のラストは、切なく、かっこいいものです。
去っていく鶴は圧倒的に美しい。けれど、残されたものは、哀しい。
もし、去った鶴が戻って来たとしたら。
そして、村の中で夫と二人で生活を始め、子供までできたとしたら。
どんな人生になるのだろう。かっこよく去らず、戻ってきたことは果たしてよかったのか。
この物語は、売れない作家である宮瀬陽一が残した遺書のような小説から始まります。
それが、「戻ってきた鶴」の話でした。ただ、出版社は、小説誌に載せることを断り、未完になります。宮瀬の担当編集者だった相馬和彦は、宮瀬の妻であり、宮瀬と違って売れっ子作家である篠川小都に、宮瀬の小説の続きを書いてほしいと迫ります。夫の作品を妻が引き継ぎ、完成させれば、間違いなく話題になるだろうと考えたのです。悩みながらも、小都は、「鶴女房」の世界を書き始めます。そこでは、小都は、鶴女房として登場します。夫はもちろん、亡くなった宮瀬です。
物語は、現実の小都の世界と、鶴女房の世界を往復しながら展開します。現実の世界では、小都には小学三年生の息子、陽翔がいて、陽翔の家庭教師は、結城慎吾です。陽翔とのコミュニケーションに悩む小都は、結城に相談します。
「鶴女房」の世界では、二人はさまざまな試練に出会います。夫役に、小関裕太さん。妻役に、臼田あさ美さん。編集者の相馬和彦役に、太田基裕さん、家庭教師の結城慎吾役に、安西慎太郎さんという、じつに魅力的な人達に集まってもらえました。
どうか、ご期待下さい。テーマは、「生きのびること」。
どんなに状況になっても、どんなにつらくても、どんなに大変でも「生きのびること」です。
鴻上尚史
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/30
渡辺さんとの出会いは、僕たちが事務局をしていた竹内敏晴さんの大阪定例レッスンでした。1999年の春、竹内敏晴さんの定例レッスンを大阪市内の應典院で始めることになりました。渡辺さんはその頃まだ京都大学の大学院生でした。定例レッスンが始まってすぐだったと思うのですが、毎月第二土日のレッスンに参加するようになりました。そのとき、僕が「吃音親子サマーキャンプというのをしているんだけど、おもしろいから参加しない?」と声をかけたようです。僕は覚えていないのですが、渡辺さんがそう言うのですから、間違いないでしょう。吃音とは全く縁のなかった渡辺さんが、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加するようになりました。その後、渡辺さんは、大学の先生になり、今は、東京学芸大学教職大学院の准教授です。
演劇活動は、吃音親子サマーキャンプの大切なプログラムです。僕たちだけではとても続けることはできません。困っていたとき、「竹内さんを引き継いで、僕が芝居を担当しましょうか」と申し出てくれたのが、渡辺さんでした。とてもありがたい申し出でした。 そして、2010年のサマーキャンプから、竹内さんが残してくださった台本をもとに、渡辺さんが構成・演出をしてくれています。スタッフのための合宿による事前のレッスンもしてくれています。渡辺さんは、スタッフが当日子どもたちに指導することを念頭において、その年の芝居につながるエクササイズをたくさん紹介してくれます。事前レッスンでのスタッフは、渡辺さんの魔法にかかったかのように、いつのまにか、渡辺ワールドに入り込み、芝居の中に入っていってしまいます。参加しているスタッフはみんな本当に楽しそうに練習しています。僕は、毎回、その様子を見て、これだけスタッフが楽しんでくれるのだからきっと子どもたちも喜んでくれるだろうと確信します。参加申し込みが少ないときは、スタッフのための吃音親子サマーキャンプもありだなとも思うのです。
今年、渡辺さんが竹内さんから引き継いで劇の演出・指導をしてくれるようになってから14回目のサマーキャンプでした。これは、竹内さんが演出・指導してくださった年数と全く同じです。
このように、吃音親子サマーキャンプにとって、なくてはならない、唯一無二のスタッフのひとりひとりが、それぞれの持ち場で動き、吃音親子サマーキャンプは、34年間継続してきました。
名古屋と東京で上演された芝居「ほらんばか」で舞台に立ったこと、僕にとって忘れられない思い出です。(「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 より)
夏公演のこの舞台は、晩秋に名古屋でも再上演された。そして、その冬、私のことばは見事に壊れた。金沢市での新任教員研修の講演。120人を前にして、ある文章を読み上げている時、ひどくどもり、その後の話も話しづらかった。人前でこれほどどもったのは、ここ30年で初めてのことだ。その日から私は、人前でも、普段でも同じようにどもるようになった。自分ではまったく気づかなかったが、人前ではどもらないようにとコントロールしていたのだろうか。「情報伝達のことば」と「表現としてのことば」の乖離がなくなったことを私は喜んだ。そのように受け止めた私を、竹内さんも喜んで下さった。
昨日に続き、谷川俊太郎さんを特集した「スタタリング・ナウ」最新号の巻頭言を紹介します。医学書院の白石正明さんが、ご自分のFacebookで、この巻頭言について投稿されたということを友人から知らせてもらいました。「スタタリング・ナウ」の一面の写真入りです。谷川さんが、このように、吃音について発言されることは、おそらく僕たちだけに限られたことだと思いますが、それだけにとても貴重なものだと思います。言葉について人生を賭けて考えてこられた谷川さんの率直なメッセージ、大切にしたいです。
「内的どもり」と題する谷川俊太郎さんのこの文章は、竹内敏晴さんと谷川俊太郎さんをゲストに開いた、1998年の吃音ショートコースの直後に、参加しての感想のように送られてきたものだ。