伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

竹内敏晴

サヨナラソング〜帰ってきた鶴〜

 「夕鶴」の話は、僕たちにとって特別なものです。竹内敏晴さんの演出で、舞台「夕鶴」に何度も出演しました。
 1993年、北海道札幌市で、言友会の全国大会がありました。そのときの講師が竹内敏晴さんで、どもる人の声とことばとからだがテーマでした。竹内さんの講演やワークの前に、僕たちが「夕鶴」を演じました。僕は与ひょうの役だったのですが、与ひょうだけでなく、他の役者のせりふが口をついて出るくらい、練習したので、よく覚えています。
 言語訓練に代わる日本語のレッスンを求めていた僕は、竹内敏晴さんと出会い、楽しくおもしろく、声を出すことの喜び、楽しさを味わいました。竹内さんのレッスンを受けていた人たちによる、東京や名古屋での芝居の上演に何度か参加した僕は、大阪の仲間たちにも、その歓喜の世界を味わってもらいたいと思いました。それが実現したのが、1998年秋、大阪市立総合医療センターのさくらホールでした。その上演の様子を、「吃音の人ら 舞台に挑戦」との大きな見出しで朝日新聞が取り上げてくれました。
 
 鴻上尚史さんとの出会いは、1998年秋、青森で開かれた日本文化デザイン会議で鴻上さんがコーディネートするシンポジウムに参加したことでした。シンポジウムのテーマは「表現とからだと癒やし」で、メインタイトルは「異話感の…」でした。竹内敏晴さんが出演予定だったのですが、どうしても都合がつかなくなり、竹内さんから代わりに出てほしいと依頼があり、ピンチヒッターで出演しました。そのとき、僕たちの吃音ショートコースというワークショップの講師として来ていただけないかとお願いをしました。
 そして、2002年秋、「豊かな表現力のために〜誰もができるレッスン〜」というタイトルの吃音ショートコースが実現しました。お忙しい鴻上さんがよく2泊3日のワークショップに来てくださったものだと、今さらながら思います。おまけに、鴻上さんは、そのときのワークショップでのできごとを、「どもる力」として、その頃、連載されていた「週刊スパ」のコラムなどで数回書いてくださいました。

鴻上3 さて、「夕鶴」と鴻上尚史さん。
 「夕鶴」の最後のシーンは、機を織っているところを決して見てはいけないという約束を破った与ひょうを残して、つうが鶴になって飛んでいってしまいます。
 そのつうが帰ってきたとしたら、また与ひょうと共に生活を始めたとしたら、そんな予告を読み、そしてその芝居が鴻上尚史さんの演出だと知ったら、これはもう観にいくしかありません。
 そんなご縁のある鴻上さん演出のお芝居「サヨナラソング〜帰ってきた鶴〜」は、9月27日、サンケイブリーゼで上演でした。
鴻上2 ホールに入ろうとすると、入り口に立っておられたのが、鴻上さんご本人でした。「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です」とあいさつをすると、「おーっ、お元気ですか」と思い出してくださったようです。「はい、元気です。まだ活動しています」とお話をし、スマホはだめだけれど、デジカメならOKというので、一緒に写真も撮りました。映画のパンフレットを、鴻上さん自身が客席まで販売に来るというサービス精神旺盛な鴻上さん、1998年に出会ったときのままという印象でした。

鴻上4 お芝居の方は、「夕鶴」のラストシーンから始まりました。「つうー」と叫ぶ与ひょうを残して、鶴がよたよたと飛んでいってしまう、あのシーンです。その後、ひとりぼっちになった与ひょうは、抜け殻のようでした。
 以下、鴻上さんによる解説を紹介します。

日本人なら誰もが知っている鶴女房のラストは、切なく、かっこいいものです。
去っていく鶴は圧倒的に美しい。けれど、残されたものは、哀しい。
もし、去った鶴が戻って来たとしたら。
そして、村の中で夫と二人で生活を始め、子供までできたとしたら。
どんな人生になるのだろう。かっこよく去らず、戻ってきたことは果たしてよかったのか。
この物語は、売れない作家である宮瀬陽一が残した遺書のような小説から始まります。
それが、「戻ってきた鶴」の話でした。ただ、出版社は、小説誌に載せることを断り、未完になります。宮瀬の担当編集者だった相馬和彦は、宮瀬の妻であり、宮瀬と違って売れっ子作家である篠川小都に、宮瀬の小説の続きを書いてほしいと迫ります。夫の作品を妻が引き継ぎ、完成させれば、間違いなく話題になるだろうと考えたのです。悩みながらも、小都は、「鶴女房」の世界を書き始めます。そこでは、小都は、鶴女房として登場します。夫はもちろん、亡くなった宮瀬です。

 物語は、現実の小都の世界と、鶴女房の世界を往復しながら展開します。現実の世界では、小都には小学三年生の息子、陽翔がいて、陽翔の家庭教師は、結城慎吾です。陽翔とのコミュニケーションに悩む小都は、結城に相談します。
 「鶴女房」の世界では、二人はさまざまな試練に出会います。夫役に、小関裕太さん。妻役に、臼田あさ美さん。編集者の相馬和彦役に、太田基裕さん、家庭教師の結城慎吾役に、安西慎太郎さんという、じつに魅力的な人達に集まってもらえました。
 どうか、ご期待下さい。テーマは、「生きのびること」。
どんなに状況になっても、どんなにつらくても、どんなに大変でも「生きのびること」です。
                                鴻上尚史


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/30

吃音親子サマーキャンプ 番外編 渡辺貴裕さんのこと

 もうひとり、吃音親子サマーキャンプになくてはならない人を紹介します。
 東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。
渡辺貴裕 13回サマキャン 渡辺さんとの出会いは、僕たちが事務局をしていた竹内敏晴さんの大阪定例レッスンでした。1999年の春、竹内敏晴さんの定例レッスンを大阪市内の應典院で始めることになりました。渡辺さんはその頃まだ京都大学の大学院生でした。定例レッスンが始まってすぐだったと思うのですが、毎月第二土日のレッスンに参加するようになりました。そのとき、僕が「吃音親子サマーキャンプというのをしているんだけど、おもしろいから参加しない?」と声をかけたようです。僕は覚えていないのですが、渡辺さんがそう言うのですから、間違いないでしょう。吃音とは全く縁のなかった渡辺さんが、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加するようになりました。その後、渡辺さんは、大学の先生になり、今は、東京学芸大学教職大学院の准教授です。
 2009年6月の初め、竹内敏晴さんから、がんと診断されたと連絡が入りました。がんの痛みに耐えながら、吃音親子サマーキャンプの最後の芝居となった宮沢賢治の「雪わたり」のシナリオを書きあげ、7月、吃音親子サマーキャンプのための劇の演出・指導の事前レッスンを終え、9月にお亡くなりになりました。私たちの吃音親子サマーキャンプをとても大切にしていてくださったのです。
渡辺さん3 演劇活動は、吃音親子サマーキャンプの大切なプログラムです。僕たちだけではとても続けることはできません。困っていたとき、「竹内さんを引き継いで、僕が芝居を担当しましょうか」と申し出てくれたのが、渡辺さんでした。とてもありがたい申し出でした。 そして、2010年のサマーキャンプから、竹内さんが残してくださった台本をもとに、渡辺さんが構成・演出をしてくれています。スタッフのための合宿による事前のレッスンもしてくれています。渡辺さんは、スタッフが当日子どもたちに指導することを念頭において、その年の芝居につながるエクササイズをたくさん紹介してくれます。事前レッスンでのスタッフは、渡辺さんの魔法にかかったかのように、いつのまにか、渡辺ワールドに入り込み、芝居の中に入っていってしまいます。参加しているスタッフはみんな本当に楽しそうに練習しています。僕は、毎回、その様子を見て、これだけスタッフが楽しんでくれるのだからきっと子どもたちも喜んでくれるだろうと確信します。参加申し込みが少ないときは、スタッフのための吃音親子サマーキャンプもありだなとも思うのです。
渡辺さん2 今年、渡辺さんが竹内さんから引き継いで劇の演出・指導をしてくれるようになってから14回目のサマーキャンプでした。これは、竹内さんが演出・指導してくださった年数と全く同じです。
 また、演劇だけでなく、2日目の午前中の作文教室でも、高校生や中学生の話し合いの場にも、渡辺さんは欠かせない存在です。
 吃音親子サマーキャンプ史上、最初で最後の集合写真を撮ってくれたのも、渡辺さんでした。『親、教師、言語聴覚士がつかえる、吃音ワークブック』(解放出版社)の表紙を飾っている写真です。
 渡辺さんの専門は教育方法学、教師教育学。演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰し、授業や模擬授業の「対話的検討会」の取り組みなど教師教育分野でも活躍されています。あちこちの現場に呼ばれ、講演や演習を精力的に取り組んで、本当にお忙しい日々を送っておられるのですが、吃音親子サマーキャンプの事前の演劇レッスンと本番の3日間は、スケジュールを空けてくれています。
渡辺さん1 このように、吃音親子サマーキャンプにとって、なくてはならない、唯一無二のスタッフのひとりひとりが、それぞれの持ち場で動き、吃音親子サマーキャンプは、34年間継続してきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/10

「対等」であることを学ぶ3日間〜第22回吃音親子サマーキャンプの報告〜

 いつ頃からか、僕たちは、今からの季節を「吃音の夏」と呼ぶようになりました。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、吃音親子サマーキャンプ、千葉や島根などの吃音キャンプ、各地での研修会など、たくさんのイベントが夏、そして夏に続く秋に集中しています。わくわくしながら、この「吃音の夏」を楽しんでいます。
 今年の「吃音の夏」は、6月の島根県の聴言研修会、保育勉強会から始まります。
今日は、2011年の第22回吃音親子サマーキャンプの報告です。報告者の坂本英樹さんは、娘がどもることをきっかけに僕たちとつながりました。ずっと昔から一緒に活動していたかのような関係、うれしくありがたく思っています。(「スタタリング・ナウ」 2011.10.23 NO.206)

「対等」であることを学ぶ3日間〜第22回吃音親子サマーキャンプの報告〜
                     坂本英樹(大阪・私立向陽台高校)
はじめに

 彦根市立荒神山自然の家で22回目となる吃音親子サマーキャンプが8月26日(金)から28日(日)の日程で開催された。どもる子ども42名、その保護者38名、兄弟2名、スタッフ34名の総勢116名が東は千葉、埼玉から、西は福岡、大分、佐賀までの地域から参加した。
 一人ひとりが経験したことの総和以上のものがこのキャンプにはあるだろうが、以下ではどもる子どもの親、スタッフとして初参加の私が見聞した範囲から、感じ、考えたことを報告する。

それは事前レッスンから始まった

 キャンプに先立つこと約1ヶ月、7月23日、24日と一泊二日でスタッフの事前レッスンが大阪市天王寺区の銀山寺で行われた。私にとって大阪スタタリングプロジェクト以外の参加者とは、その時初めて顔を合わせたわけなのだが、「どうなるか?」という不安より、不思議なことにある種の連帯感を感じることができた。「さあ、これから一緒に演劇に取り組みましょう。キャンプを一緒にやっていきましょう」という空気がビンビンと伝わってきて、気分が高揚していくのを感じていた。この感じは参加者の自己紹介によってさらに大きくなった。
 遠くは千葉や神奈川や島根から、みんな手弁当で参加しているのだ。驚くべきことに、「キャンプ自体には都合でどうしても参加できないが、このレッスンだけでも参加したい」という常連のスタッフの人たちがいた。これはスタッフがどもる子どもとその家族のためという考え方ではなく、自分自身のためにも当事者とともにキャンプに参加しているという考え方、意識をもっているからなのだろう。出張旅費の清算や義務的に書き上げられる報告書から自由な、熱い思いと志をもつ人々と時間を共有できる喜びを私は感じていた。
 芝居の題目は「からすのくれたきき耳頭巾」。
 二年前に亡くなられた竹内敏晴さんの脚本、演出の役割は、学生時代から竹内レッスンに参加し、いまやキャンプの常連スタッフとなった渡辺貴裕さんである。
 体を温め、ほぐすレッスンといくつかのエチュードを行って、いよいよ芝居の練習である。台詞と体の動きがなかなか一致しない。私は台詞が覚えられないのは歳のせい、ということにしてもみんな自分の台詞に精一杯で他の演者の台詞を聞いていない、いや台詞の意味自体の把握ができていない。その度に渡辺さんからストップがかかる。「この台詞は誰の言葉に反応したものなのか、そしてどう感じてこの言葉になったのか」と問われて考える。この繰り返し。こうしてようやく私たちは劇世界を把握することができるようになった。
 渡辺さんが繰り返したのは「ひとつひとつの言葉に反応することで次の言葉がでてくる」ということ、きちんと相手と関わるということである。
 演出は声の質にも及ぶ。私が演じる「藤六」が「おーい、小鳥どんよう」と遠くにいる小鳥に呼びかけるシーンがある。私の声は十分大きいはずなのだが、「その声は小鳥に届いていない」との指摘を受けてはっとさせられた。おそらく私の声は対象に向けられていない、声量があるだけで拡散してしまっていたのだ。それること、途中で落ちることなく、言葉を相手に届けることを教えてくれたのだ。教員という職業柄、私にとって人前で話すことは日常なのだが、私の声は生徒に届いているのか、独りよがりの授業になっていないか。生徒との関係を見直さなければならないと思う。
 大阪スタタリングプロジェクトから初参加の香緒里さんも声の演出を受けた一人だ。「からす」役の彼女は難発からスムーズに台詞が出てこない場面があったのだが、演出の過程で太く伸びやかな声が出てきた。まさに「声が生まれる」現場に私たちは立ち会うことができたのだ。
 渡辺さんが丁寧な演出を通して伝えてくれようとしたことは、子どもたちとの劇づくりのあり方であった。これを糧として荒神山へと向かうことができるだろう。私たちはワー、キャー言いながら大笑いで、そして真剣に、相手に言葉を届けること、人と関わることの楽しさ、喜びを表現した。事前レッスンだけでも参加したいというメンバーの気持ちがわかってきた。こうして私はキャンプの精神を学んでいった。
 心地よい疲労感を残して事前レッスンは終了した。何十年ぶりかで「手のひらを太陽に」を歌うこともできた。歌いながら胸に迫るものがあった。「僕はこういう場を共有できる人と出会いたくて教員になったのだったなあ」という気持ちがこみ上げてきたからだ。どもる子の親としてのキャンプから私自身のキャンプになった瞬間だった。
 あとは当日を迎えるわけだが、その前になぜ私がこの場にいるのかについて述べてみたい。

娘がどもり始めた頃

 昨年の秋、当時小学5年生だった私たちの娘の苑珠(えんじゅ)が家での音読の際に、「言葉がつまって読めない。読めるのに読めない」と目をはらしながら訴えてきた。聞くと、学校でも同様で、言葉がつまってすぐに出てこないので、担任の先生から読み直しをさせられているというのだ。確かに、国語の教科書に向き合う娘の口からは「……。…っ」という感じでスムーズに言葉が出てこないではないか。4年生の時には宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を暗唱していたのになぜなのか、私は戸惑うばかりだった。肩があがり、浅い呼吸で息を吸ってばかりいる娘に、「ゆっくりと、リラックスして読んだら」というような典型的なピントはずれのアドバイスをし、過度の緊張か、何らかの神経症を疑うくらい当時の私は「どもり」に関して無知だつた。
 自分のことが大好きだった娘が、涙を流しながら悔しそうに「わかっていて読めないのは、自分がバカだからだ」と言い出してきた時には、連れ合いと二人でさすがに動揺した。アドバイスにならないアドバイス、励ましにならない励ましをしながら、彼女の音読につきあうしかなかった。そうしているとつまる以外にも、言葉の繰り返しや引き延ばしがあることもわかってきた。
 ここで、娘が3,4歳の頃の記憶が甦ってきた。いろいろな言葉を急速に覚え始めた娘は時々、「え、え、えんじゅ」や「えーんじゅ」という言い方をしていたのだ。吃音かもしれないとは思ったものの、一時的な現象としてしか当時は、理解していなかった。何よりもその話し方をとても、チャーミングなものと感じていたし、独特なリズムを可愛いとしか思っていなかった。
 学齢期に入っても、言葉の問題で課題があるとの認識はなかった。たまに感情が高ぶると、話す際に一瞬、間が空くことがあったが、この子は気持ちがいっぱいになると、言葉が追いつかないのだと考え、これまた、可愛いなあと思っていたのだ。
 ここにきて、これだけ鈍い、勘違いの私も彼女の示している状態が吃音であろうと考えた。しかし、私は吃音に関してはまったくの無知である。まずは正確な知識を得ようと思い、日頃からよく見ている「arsvi.com 生存学」というサイト内で「吃音」と検索した。そして、最初にヒットしたのが、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)の内容紹介であった。

「大阪吃音教室」との出会い

 柔らかい題名と内容紹介にひかれて、さっそく購入して読み始めた。娘がつまると表現する状態が「難発」であり、毎晩訴える不安は「予期不安」、「場面恐怖」、「吃語恐怖」によって説明できること、彼女がなぜ電話に出ることを避けるのかということも了解できた。目からうろこが落ちたと同時に、彼女の「どもり」をわからなかったことに親として申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 何らかの課題をもつ子ども・生徒に寄り添うことが教員としての倫理であると自認していたのに、自分の子どものことが見えていなかったのだ。
 これを契機に伊藤伸二さんの本を手にはいる限り集めた。しかし、何がそこまで私を駆り立てたのか。ひとつは、吃音のもつ豊かな世界に魅せられたからであり、もうひとつは私が関心もつ他の課題、「発達障害」と吃音とが共振するからである。
 たとえば、発達障害に関する研修会などでは、進路選択にあたっては当事者の「自己理解」が重要であることが語られる。そして、自己理解のためには「障害受容」が必要であるともいわれる。自己理解までは納得できる。しかし、「障害受容」という言葉にはある種の暴力性がある。当事者や親にとって、その特性とは生涯向き合っていくものである。うまく向き合える時もあれば、困難な時もあろう。「ゆれ」を伴いつつ、向き合っていくものであるはずだ。受容できる、できないという考え方は乱暴だろう。
 そもそも、「発達障害をもつ本人や保護者の障害受容ができていなくて困る」というような文脈でこの言葉を使う教員は、自分とその生徒との関係性の中で、ある特性が「障害」として現象していることが理解できていないのだ。
 しかし、日本吃音臨床研究会、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室では、吃音と「つき合う」という言葉を使う。「つき合う」ということなら、うまくつき合えている時も、うまくつき合えない時も「つき合う」ということであろう。私にはこの言葉の包含する世界の広さが新鮮だった。そして、本からだけでなく、そのつき合い方の「流儀」、「生の技法」とでも呼べるものに触れたいと考え、勿論、娘のための情報を得るためにでもあるが、昨年末に「大阪吃音教室」に一度、参加した。
 そこは、参加者の率直な自己開示に支えられて新たな視点が提示される、驚きと笑いの絶えない場であった。私はその場のもつ力に魅了され、以来ほぼ毎週参加するようになった。そして、ここが主催するキャンプへの思いが膨らんでいった。

「出会いの広場」という装置

 キャンプ初日、「開会のつどい」では主催者挨拶に続いて、参加者紹介が行われた。ひとかたまりになっている家族、離れて座っている家族がいる。複数回参加の子どもは顔見知り同士で座っている。参加者間のいろいろなつながりを見ることができる。初参加の親の中には、自分の子どもがこの場で、友だちを得ることができるのだろうかと不安をもつ人もいるだろう。しかも、ここからは家族単位ではなく、親は親として、子どもは子どもとしての活動に参加していくのである。「出会いの広場」は今年度のキャンプ参加者としてのアイデンティティと連帯感の形成を目的としている。スタッフを含め、初参加者と複数回参加者とがともに、ここから新たな関係性をつくっていくのである。
 担当は桑田省吾さん。桑田さんが登場するだけで何か、楽しいことが始まる予感がする。会場のあちこちで、「吃音ワークブックの表紙にのってるおっちゃんや!」という歓声があがっていたに違いない。ゲームは会場を走り回りながら、参加者同士でコンタクトをとる形のものが多く、ごく自然に「こんにちは、よろしく」と挨拶を交わしている気がした。みんな真剣に遊んでいる。親も子どももゲームに夢中だ。ジェスチャーゲームは大盛り上がり、この勢いがあれば芝居も心配いらないかも!?ウクレレ登場など桑田さんの引き出しの豊かさに感心しつつ、少し息が上がってきた頃には心も体もすっかりリラックス、お互いずっと前からの知り合いのようである。ゲームの最後は、「どもりカルタ」。カードを選び、声に出し、「わかる、わかる。私もそう」という思いを引き出したところで、次の活動へと移っていくのである。
 ここで形成される連帯感はキャンプ全体を支えるものである。これがあるから、初参加の親も親としてはいくらでも心配事や気になることはあるであろうが、安心して子どもをこれからの活動にゆだねることができるのだし、自らは親の学習に励むこともできるのだと思う。
この連帯感を証明する例として、食堂の利用状況があげられる。通常、このキャンプのように席が決められていない場合には、席はなかなか埋まらずに、気まずい空気の中で時間が過ぎて行くものなのだが、食堂にやってきた人たちは空いている席を見つけては次々と埋めていったのだ。実に気持ちのよい行動だと思う。本質的なことが共有できていれば、人は自主的に動けるものなのだ。

吃音についての話し合い

 さて、これからはキャンプの3つの柱に従って報告をしていく。「話し合い」は親も子どもも90分が2回、間に「作文教室」を挟む形で行われた。
 親グループは4つに分けられ、そこに、ファシリテーターとしてスタッフであるどもる大人や「ことばの教室」の教員も入る形で行われた。悩みを抱えてキャンプにやってきた親にとってはその悩みを受けて止めてくれる人と出会えただけでも大きなことだろう。複数回参加者からの反応や共感は孤立感から解放してくれるし、そこに親として目指すべきモデルを見出すこともできる経験だ。一方、複数回参加の親にとって、その姿はかつての自分の姿であり、なんとかここまでやってきた自分を確認できる経験である。みんな驚くほど、同じような体験をしてきたことを知り、しかし、それへの対応は実に様々であることも知る。いろいろなやり方、考え方があることを知り、価値観を広げていくこができる。
 親にしてみれば、「ことばの教室」の教員がいることは自分の子どもの教員との関係を考えるための、よい参考となるだろうが、むしろ「ことばの教室」の教員にとってこそ、こうした親の思いを聞くことは、自らの日頃の子どもや親との関わりを振り返る契機となり、今後の関わり方の糧となるに違いない。しかし、親にとって一番ありがたいのは当事者である、どもる大人の存在だ。ともすれば、親というものはどもったままでこれから大丈夫なのか、進学は?就職は?というように不安を先取りしがちになるものだが、どもるスタッフの存在は、どもりながらでも何とかちゃんとやっていけること、自分自身の人生を時には一人で、時には仲間の力を得ながら切り開いてきたことを雄弁に語っている。それだけでなく、どもる大人は参加者に自分の体験、悩んだこと、考えたことを語ることを通して「他者貢献」している存在でもあるのだ。当事者の姿に励まされて、親はわが子の成長していく力を信じていこうと思えるのだ。
なかには成長したわが子がスタッフとしてキャンプに参加する姿を想像する親もいるだろう。生きたモデルとしてのどもる大人の存在意義は大きい。
 いずれのグループの話し合いも充実したものだったろう。それは、子どもの劇に先立つ親グループによる表現活動・パフォーマンスの爆発ぶりによく表れている。話し合いの充実度と表現活動の完成度は比例するものだろう。
 子どもの話し合いのグループは年代別の構成になっている。私は川崎益彦さん、西尾加奈子さんとともに中学3年生のグループを担当した。饒舌ではない、でも言いたいこと、話したいことはもっている。自分の中で言葉を選びながら、考えることと話すスピードとが同調するかのように、とっとつと紡ぎ出されてくる言葉。前の人の発言が次の人の発言を引き出し、繰り返されていく静かだが深い応答。いろいろな考え方、感じ方の交換を通して、自分自身の考え方や価値観が広がっていく経験。高校生になって入るつもりのクラブでの自己紹介に対する予期不安への対処法や言葉がつまったときの工夫、目の悪さにはマイナスの印象はもたれにくいのに、吃音がもたれるのはなぜなのか。いくつかのテーマが重なるようにして話し合いは続いていった。目の前にいる相手の発言を受け止めて応答していくその誠実な姿勢に、話し合いはその過程において、自己変容を伴うものだということを教えてもらったように思う。
 他グループの話し合いの内容は夜のスタッフ会議で報告される。高校生グループでは恋愛についての悩み、不安が話題となり、来年結婚するスタッフの香緒里さんの体験が共有されたという。彼の親の前でどもりながら挨拶をする香緒里さんをまるごと認めている彼の話を、高校生はどのような気持ちで聞いたのだろうか。また、あるグループではどもりを理由にいじめてくるクラスメートと朝起きたら、その立場が逆転していたらどうするかという思考実験をしてみたところ、百万倍で仕返すという冗談もあったが、「他のことを理由としていじめることはあっても、どもりを理由にしては絶対にいじめない」という意見が出たという。自分の痛みを他者のそれへと想像できる感性の豊かさをもつ子どもがこのキャンプには多くいるのだろう。どのグループも「話し合い」が成立し、吃音と自己について語るべき言葉があったということは、たとえつらい体験であったとしてもそれを見つめる力を、どの子どもももっているということなのだ。その力を認めること、子どもという他者を私たち大人がまず信頼することが必要なのだろう。それはやがては子ども自身の自己肯定につながっていくはずだ。
 2日目の朝には、「作文教室」がある。話すことが好きという子どももいれば、書くほうが自分の気持ちを表現できるという子どももいるだろう。話し合うということが他者の視点を取り入れる行為であるのに対して、「書く」ということは鉛筆と紙との摩擦を通して、自分の経験を刻み込み、形作っていく行為である。書くことは、自分の経験の意味を構成していくことなのだ。そこにはある種の浄化作用もあるだろう。「作文を書いて、すっきりした」という感想がそれを物語っている。
 初日に十分に話せなかった子どもも書くということで考えが整理され、話し合いにも積極的に参加できるようになる。書くと話すがリンクすることでより深い洞察にいたる。2日目の話し合いの深さは作文教室によって保障されている。
 聞いてくれる仲間の存在が話すことを保障するように、作文に取り組んでいる仲間がいるから、書くことが苦手な子どもも作文に取り組むことができる。子どもたちはひとつのハードルを乗り越えたのだ。仲間に支えられて、話す・書くという方法で吃音とつき合うというサバイバルの仕方、「生の技法」の実践を経験したといえるだろう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/29

竹内敏晴さんに壊された私のことば

 昨日は、『演劇と教育』〜竹内敏晴さんを悼む〜の特集に掲載された、渡辺貴裕さんの文章を紹介しました。今日は、藤原書店『環』〜竹内敏晴さんと私〜に掲載された、「竹内敏晴さんに壊された私のことば」と題する僕の文章です。
 僕たちは、竹内さんの大阪定例レッスンの事務局を10年続けました。10年間、8月を除いて毎月、竹内さんに会い、話を聞きました。そのほか、吃音ショートコースのゲストとして来ていただいたり、吃音親子サマーキャンプの芝居の事前レッスンでもお世話になりました。たくさんのことを学びました。
ほらんばか1 名古屋と東京で上演された芝居「ほらんばか」で舞台に立ったこと、僕にとって忘れられない思い出です。(「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 より)

  
竹内敏晴さんに壊された私のことば
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
    藤原書店『環』〜竹内敏晴さんと私〜vo1.43/2010.Autumn


 私は、竹内敏晴さんに、意図的に「ことばを壊された」、おそらく唯一の人間ではないかと思う。壊されたとは、世間一般の価値観からすればのことで、私にとってはありがたいことだった。あまりどもらなくなっていた私は、竹内さんの芝居の稽古の結果、再びどもるようになった。
 私は21歳まで、吃音に深く悩み、民間吃音矯正所で必死に治療に励んだが治らず、治すことを諦めた。どもりながら日常生活を続ける中で、親しい人とでは相変わらずどもるものの、大学の講義や講演など、人前で話すときは、ほとんどどもらなくなっていた。
 吃音を治すではなく、どもる人が、もう少し楽に声が出ないかを探っていたころ、竹内さんに出会った。20年以上も前のことだ。どもる人とレッスンを受け、声を出す楽しさ、喜びを味わった。楽しくて、私はその後、毎月レッスンを続けた。毎週大阪から名古屋の大学の講義に通うなどの熱意に、竹内さんは、私を芝居の主役にと考えて下さった。私の吃音の悩みの始まりが、小学2年生の学芸会で「セリフのある役」から外されたことによることをご存知だったからだ。大学の講義が始まる前の1時間を稽古に当てて下さった。その時のことを、私の『新・吃音者宣言』(芳賀書店)の紹介文にこう書いて下さった。
 「伊藤さんは、台本を熱のこもった声で朗々と読み上げた。ほとんどどもらない。まっすぐにすらすらことばは進む。この日のわたしの手帳には『ほとんど絶望的になる』とある。つきあって数年かなりレッスンをし、ことばに対する考えは共通しているつもりでいたのだが、からだにはなにも滲みていなかったということだろうか。『説得、セツメイ的口調の明確さを、一音一拍の呼気による表現のための声に変えていくことができるか』・・(中略)劇の上演はすさまじい迫力だった。東京の劇団にいる青年が、幕が下りた後訪ねてきて、これほど感動した芝居はなかった、と息を弾ませて言った」
 芝居は、東北地方の青年が、新しい農業を根付かせようと格闘し、狂気のはてに恋人を殺してしまう、秋浜悟史作『ほらんばか』だ。情念の世界を演じるこの芝居は、「吃音を治す」に、「治すではなく、どう生きるかだ」と闘う運動家として、「説得、セツメイ的な口調」が身にっいている私には、無理だと考えたそうだ。しかし、私の劇へのこだわりを知っているだけにさせてもやりたい。竹内さんは迷いに迷う。
 奇妙な声で人気があったある女優が、このままでは芸域が広がらない、声を変えたいと竹内さんのレッスンを受けに来た。しばらくレッスンをしたが、このままレッスンを続けると、人気の声が壊れるかもしれない。話し合い、本人の意志でレッスンを中止した。竹内さんにはこのような経験があるから、私に稽古をすることを躊躇したのだそうだ。伊藤なら、壊れたとしても、自分なりに受け止め、対処するだろうと信頼し、覚悟を決めて、竹内さんは、私を主役にし、激しい稽古を付けて下さった。
ほらんばか2 夏公演のこの舞台は、晩秋に名古屋でも再上演された。そして、その冬、私のことばは見事に壊れた。金沢市での新任教員研修の講演。120人を前にして、ある文章を読み上げている時、ひどくどもり、その後の話も話しづらかった。人前でこれほどどもったのは、ここ30年で初めてのことだ。その日から私は、人前でも、普段でも同じようにどもるようになった。自分ではまったく気づかなかったが、人前ではどもらないようにとコントロールしていたのだろうか。「情報伝達のことば」と「表現としてのことば」の乖離がなくなったことを私は喜んだ。そのように受け止めた私を、竹内さんも喜んで下さった。
 その後、日本吃音臨床研究会主催で、竹内敏晴さんの「大阪定例レッスン」が始まり、丸10年が過ぎた。そして、11年目の6月にがんが発見されながらも、私たちの吃音親子サマーキャンプで行う劇の台本を書き下ろし、合宿で演出指導をして下さった。7月には、定例レッスンをいつものようにこなして、9月にお亡くなりになった。
 「私は聴覚言語障害者だ」と、吃音について強い関心をもち、どもる私たちを仲間としていつも大切にして下さった。毎月の大阪のレッスンの時、宿舎に戻る前に立ち寄る、ハーブティーの店で1時間ほど、生きること、ことばについて、プライベートなことまで包み隠さずいろいろと話して下さった。このひとときは、私にとって至福の時間だった。
 学んだことを、『親や教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック―吃音を生きぬく力が育つ―』(解放出版社)の中に、多くのページをさいて残せたことがうれしい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/14

レッスンを通して学んだもの

 2009年9月、竹内敏晴さんが亡くなりました。吃音親子サマーキャンプの大切な柱のひとつ、表現活動としての演劇は、竹内さんの全面的な協力で成り立っていました。その後を継いでくれたのが、現在、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。吃音とは全く関係のない渡辺さんは、学生の頃から現在までずっと、吃音親子サマーキャンプのスタッフとしてかかわってくれています。その渡辺さんの、『演劇と教育』〜追悼竹内敏晴さんを悼む に書かれた文章を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 より)

レッスンを通して学んだもの
  『演劇と教育』〜追悼竹内敏晴さんを悼む 竹内さんと『演劇と教育』〜2010 NO.621
                      渡辺貴裕 岐阜経済大学(当時) 


 昨年6月にレッスンを受けたのが最後になってしまった。まだまだレッスンを受けられると勝手に思い込んでいた自分の甘さが悔やまれてならない。
 私が竹内さんに初めて出会ったのは、1999年2月、大阪での定例レッスンの旗揚げとなる講演会においてだった。それから私はレッスンに通い出した。定例レッスン、「仮面」「クラウン」「砂浜の出会い」の合宿レッスン……。
 それらのレッスンの場で、私は、今までに味わったことがない感覚を経験することになった。例えば「話しかけのレッスン」。「こっちへ来て」と自分に向かって言われていても、声が自分のところにやってこない。周りで見ていると声の軌跡がよく見える。自分が呼びかけてみてもやはり声は届かない。誰がやってもうまくいかないんじゃないかと思っていたら、竹内さんに「こっちへ来て」と呼びかけられ、思わず身体が動いてしまう……。人に話しかけたり話しかけられたりなんて毎日していることである。しかし、そこにこうした次元の出来事が存在するなど思いもよらなかった。不思議な感覚だった。
 竹内さんとの出会いがなければ、私は今のような、演劇的活勤や国語教育を研究テーマにする教育方法学研究者にもなっていない。レッスンに足繁く通っていた当時、私はまだ研究の方向性が定まらない教育学研究科の大学院生だった。レッスンを自分の研究に活かすつもりもなかった。ただレッスンが楽しいから通っていた。研究はそれとは別に、戦前の児童文化論の歴史研究をしていた。
 大学院の4年目の中頃から、私は教育現場とのかかわりを持ち出した。研究室で共同研究を行っていた小学校の国語の授業に週に何度も通うようになり、また、他の学校の授業も見に行くようになった。そのなかで私は、「もったいない」ということをたびたび感じた。先生も子どもたちも、「国語の授業ではこうしなければならない」という縛りを暗黙の内に抱えている。読点で一拍、句点で二拍の間を空けてみんなで声を揃えて読むのが良い音読、「話型」を守って発言させれば良い話し合い……。もっと自由にできるのに、そうすればもっと子どもたちも先生も楽しめてかつ充実した学びになるだろうに。そうしたもどかしさは、竹内さんのレッスンを通して耕した身体があったからこそ感じるものであった。そして、そこで掻き立てられた問題意識がその後の私の研究者としての歩みを方向付けることになった。
 竹内さんから学んだことはあまりに大きく、今の私にはそれをまとめられそうにない。また、私は教育学や教育実践について学んでいくなかで、竹内さんが教育分野に及ぼした影響の大きさも知ることになるが、その全体像を描き出すだけの力も今の私にはない。
 ただ、一つ感じることがある。それは、レッスンや著作他を通してこれだけ大きな影響を多くの人に与えていながら、おそらく竹内さん自身には、何かを教えてやろうという意図はまるでなかっただろうということだ。ヒトが人間としてどんな可能性をもっているのか。またその可能性をどうやって(竹内さんの言葉を借りれば)「劈いて(ひらいて)」いくことができるのか。それをレッスンという場を用いて追求していかれた。レッスンのはじめに竹内さんは、先日のどこそこのレッスンでこういう出来事があってこういうことまで見えてきた、今日はさらにその先に進んでみたい、といったことをよくおっしゃっていた。レッスンの中身も変化していった。私たちは、竹内さんのそうした追求に同行させてもらい、それぞれで何かをつかんでいったということなのだろう。
 そんな竹内さんから最後に一度だけ直接的な「誘い」を受けた。昨年6月に行われた、吃音親子サマーキャンプの事前合宿でのレッスン。竹内さんは私に、膀胱がんが見っかったこと、手術は受けずに最後までレッスンを続けるつもりであることを明かされ、おっしゃった。「僕から学んでおきたいことがあったら今のうちに学んでおいてください」。まだ一見元気そうに見える竹内さんからの言葉に、私は戸惑うしかなかった。3か月経たないうちに計報を聞くことになるとは思ってもみなかった。もっと学んでおきたかったと願ってももう手遅れになってしまった。竹内さんの言葉に応えることができなかったお詫びとして、また、それまでに学んできたことの恩返しとして、私もまた自分なりの追求を続けていきたいと思っている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/13

吃音親子サマーキャンプの仕組み

 昨日に続いて、第21回吃音親子サマーキャンプの特集です。20回という節目を越え、吃音親子サマーキャンプの仕組みについて、先月号は、話し合いのもつ意味を、そして今月号は、演劇のもつ意味をまとめています。
 まず、「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 の巻頭言から紹介します。

  
吃音親子サマーキャンプの仕組み
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 21年続いている、2泊3日の吃音親子サマーキャンプのプログラムは実にシンプルだ。
 当初、ある地方自治体の言語聴覚士と実行委員会を作って取り組んでいたが、意見は、このように常に対立した。
◇吃音に悩んでいる子どもに、話し合いや劇など、プレッシャーになることをさせず、仲間と出会い、楽しい経験をさせる「楽しいキャンプ」
◇仲間と出会い、課題に仲間と挑戦し、達成した「喜びを自らつかみ取るキャンプ」
 数年後、日本吃音臨床研究会単独で開催するようになって確立したプログラムは、そのまま現在も変わっていない。遊び、楽しみの要素は、2時間ほどの野外活動があるだけだ。
 初めて参加した人は、遊びの要素のなさと、そのあまりのハードさに驚くが、キャンプが進む中で、そのハードさに慣れ、実はこれが楽しいキャンプなのだと気づいてくれる。おそらく、世界でもこのような吃音キャンプは類を見ないだろう。
 キャンプの3つの柱は次のとおりだ。
 1.吃音に向き合う、話し合いと作文教室
2.劇の稽古と上演
3.親の学習会
90分の話し合いは、初めて参加したことばの教室の担当者や言語聴覚士が、子ども達がここまで集中して話し合いができるのかと驚くほど深い。そして、滋賀のキャンプに参加する子どもが特別な存在ではないのだから私たちにもできると、話し合いやグループ活動をその後の臨床に取り入れるようになる。キャンプで大切にしていることが、全国に広がるのはうれしいことだ。島根県、静岡県、岡山県、群馬県へとキャンプは広がっている。
しかし、演劇活動は、私たちも、竹内敏晴さんとの出会いと、竹内さんの全面的な協力、指導がなければできなかったことで、どこででもできることではないだろう。
「劇の稽古」がどのように展開されているのかを私は詳しくは知らない。その時間帯は、保護者の学習会があるので、立ち会えないからだ。各グループの取り組みは、スタッフ会議で知る程度だ。
今回のグループごとの報告で、各グループが何を大切にして、どう取り組んでいるのかが分かり、興味深かった。竹内敏晴さんのレッスンを何度も受け、吃音だけでなく、ことばや表現について、幾度となく話し合ってきた仲間だから、共通することが多いのは当然だが、その時、その時の参加するメンバーにあわせて、独自の取り組みが変わっていっておもしろい。
キャンプは、子どもたちにとっては、劇と話し合いが両輪で、どちらを欠いても、私たちの吃音親子サマーキャンプにならないことが、今回の報告でもよく分かる。
かつて学校教育の中には、勉強には自信がないが、運動会では活躍するなど、バランスがとれるところがあった。正義のガキ大将も機能していた。しかし今は、自信を失わせないようにとの教育的配慮で、自分が何ができて何ができないかが鮮明にならない。キャンプでは、話し合いでは話せなかった子が、演劇の稽古でイキイキと友だちと関わったり、反対に話し合いや遊びの場ではイキイキしていた子が、演劇では苦戦したりしている。
それぞれが、得意なことと、苦手なことの両方に向き合っている。そして、それぞれの子どもが自分の特徴を活かせる場があり、居場所がある。
話し合いで気になった子どものことは、スタッフ会議で共通のものとなり、演劇の稽古にバトンタッチされる。その連携がうまくいき、変わっていく子どもを私は何人も見ている。話し合いも、演劇も、自分と向き合わざるを得ない、ある意味厳しいプログラムだ。どちらか一方では、子どもの力を見誤ってしまう。子どもの力を信じ、それぞれの子どもに関わり、吃音親子サマーキャンプの、全体としての装置としての「場」を大切に考えるスタッフと、今後もキャンプを続けたい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/11

内的などもり

谷川俊太郎3 昨日に続き、谷川俊太郎さんを特集した「スタタリング・ナウ」最新号の巻頭言を紹介します。医学書院の白石正明さんが、ご自分のFacebookで、この巻頭言について投稿されたということを友人から知らせてもらいました。「スタタリング・ナウ」の一面の写真入りです。谷川さんが、このように、吃音について発言されることは、おそらく僕たちだけに限られたことだと思いますが、それだけにとても貴重なものだと思います。言葉について人生を賭けて考えてこられた谷川さんの率直なメッセージ、大切にしたいです。

 今、ブログ、Twitter、Facebookなどで紹介している月刊紙「スタタリング・ナウ」ですが、4月からの2025年度購読をお願いしている時期です。もし、ご希望の方がおられましたら、郵便局に備え付けの郵便振替用紙をご利用の上、購読費年間5,000円をご送金ください。どもる人やどもる子どもや保護者の体験、ことばの教室などでのどもる子どもへの実践、イベント情報など、吃音に関する情報満載です。主な読者は、ことばの教室担当者や言語聴覚士、どもる子どもの保護者、どもる成人、教育関係者、その他吃音とは直接関係ないけれど、ことばや声、生きることなどに関心のある人などです。

  加入者名  日本吃音臨床研究会
  口座番号  00970-1-314142

 では、最新号「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366 の巻頭言を紹介します。

内的などもり

    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 
 『父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。
 英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
 どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
 でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
 そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
 先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています』

谷川俊太郎2 「内的どもり」と題する谷川俊太郎さんのこの文章は、竹内敏晴さんと谷川俊太郎さんをゲストに開いた、1998年の吃音ショートコースの直後に、参加しての感想のように送られてきたものだ。
 谷川さんは、これまで出会った父親を含めてどもる人に対しては、自分の感性のままに自然に接してこられたのだろうが、どもる人の集団の、それぞれに違うどもる人を前にして、少し身構えるところがあったのかもしれない。それが私たちと出会って、「言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できました」とある。「吃音について」ではなく、「言葉について」とあるところが興味深い。私たちが吃音に拘泥していないことを喜んでくださったのだろう。
 谷川さんの「生きる」の詩をもじって、即興でつくった「どもる」の詩を大阪吃音教室の仲間が身体表現もつかって朗読した時、谷川さんは大笑いして、「これはパロディーではなく、立派な替え歌ですよ」と喜んでくださった。どもる人の集団の中にいるという意識が吹き飛んだのだと思う。
 だから、「竹内敏晴・谷川俊太郎対談」の時、司会者の私がつい話した女性にもてた大学時代のエピソードに、「それは、ほとんど話さず聞き役になっていた伊藤さんを、誠実な人だと錯覚したんですよ、きっと」のツッコミがすぐに飛んできたのだろう。もうこの人たちには何の遠慮もなくつき合えば良いのだと、安心感をもたれたのだと思う。
 その後、何度もお会いする機会があった。その度に話していただいた、愛、人生、詩についての数々の言葉が、私のからだに染みている。
 対談相手の人選に困っていた全国難聴・言語障害教育研究協議会山形大会事務局に、「たとえば、伊藤伸二のような人」と、実質的には、伊藤伸二を指名した形になったこの記念対談の後半部分を紹介する。対談の最後に、600人の参加者と谷川さんと一緒に歌った「鉄腕アトム」の歌は、今も、私への応援歌になっている。改めて、谷川俊太郎さん、本当にありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2025.2.21 NO.366)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/02

谷川俊太郎さん、ありがとうございました

 日本吃音臨床研究会は、月刊のニュースレター「スタタリング・ナウ」を発行しています。「スタタリング・ナウ」は、今月号で、NO.366となりました。今、ブログやTwitter、Facebookで紹介しているのは、昔の「スタタリング・ナウ」です。
 少し前のブログ、Twitter、Facebookで、竹内敏晴さんが亡くなられたときに竹内さんの特集をした「スタタリング・ナウ」を紹介しました。そのときに、谷川さんから、竹内さんに送られたメッセージを紹介しました。
 「スタタリング・ナウ」の最新号を、こんな形で紹介することはこれまでにないことなのですが、竹内さんの次に谷川さんを特集した「スタタリング・ナウ」を紹介することはタイミングとしてとてもいいのではないかと思い、今日と明日、紹介することにしました。
 「スタタリング・ナウ」2025.1.21 NO.365 より、巻頭言を紹介します。

谷川俊太郎さん、ありがとうございました

    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 谷川さん、夢のような三日間のワークショップをありがとうございました。こんなにこき使われるのは初めてだと笑いながら、私たちのプログラムにつきあってくださいました。100人を超える人たちと、谷川さんを囲んで歌った「鉄腕アトム」の軽快な歌声で一気に場が盛り上がりました。
〈竹内敏晴・からだとことばのレッスン〉
 「からだほぐし」では、無遠慮にも谷川さんにまたがったり、マッサージや、おんぶをしてもらって喜んでる女性がいましたね。みんなとても楽しそうでした。「ららららららー」と喉から大きな声を出した後、「かっぱ」「いるか」「スキャットまで」の詩のレッスンへと続きました。
 云いたいことを云うんだ
 どなりたいことをどなるんだ
 ペットもサックスも俺の友だち
 俺の言葉が俺の楽器
 「スキャットまで」の詩のレッスンのとき、「これをどもる人たちのレッスンに使うのはあまりにもできすぎですよ」とことばをはさみながら、リクエストに応じて詩を読んでおられました。
〈谷川俊太郎 詩と人生を語る〉
 中学校と高校で国語を教えている若い二人の教員が、こんな質問をしてもいいのかと思えるほどの質問をしても、すべてうれしそうに答えておられました。教員が、谷川さんの詩が本当に好きで、実際に授業でおもしろく使っていることが、質問のはしばしから感じとれたからでしょう。他の場所では絶対に聞けない話ばかりでした。
〈対談・表現としてのことば〉
 私が司会をしましたが、とても話が弾んで、竹内さんが、こんなに話したのは初めてだと、おっしゃっていました。対談相手が相性のいい谷川さんだったので、からだの中からいろんなことが出てきたのでしょう。休憩なしの3時間があっという間に終わりました。まだ、つづきを聞いていたいという思いをみんながもったようでした。私も弾んで、つい女性にもてたという自慢話をしていました。すかさず、谷川さんから「それは吃音の誤解ですよ」とツッコミを入れられましたが。
〈谷川俊太郎・詩のライブ〉
 なんといっても詩のライブがハイライトでした。その前座として「生きているということ」で始まる「生きる」をもじって、前日に即興で大阪吃音教室の仲間と作った「どもる」の「どもるということ いまどもるということ つまるということ 隠すということ 逃げるということ 不自由ということ…」の詩には、「これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですよ。替え歌というのはものすごくエネルギーがあるもので、これは歴史に残るのでは」と、ほめていただきました。「前座は多い方がいい」との谷川さんのことばに、ことばの教室の教員が谷川さんの詩に曲をつけて歌った後、詩のライブが始まりました。
 参加者は読んで欲しい詩が載っている詩集を用意良くもってきていましたね。終わりの頃の「母を売りに」へのリクエストには、「この方は結構通ですね。渋いリクエストです」と、前置きし、お母さんが認知症になったとき、介護を物理的な問題だけではなく、自分の精神的な問題として考えた時生まれた詩だと解説してくださいました。
 この2年後、谷川さんは、全国難聴言語障害教育研究協議会全国大会で特別講演の依頼を受け、講演はしないが、対談ならと言われました。大会事務局が、いろいろ対談相手を探し回って提案しても、首を振らず、困り果てた事務局が、「では、どんな人がいいですか」と尋ねたところ、「例えば、伊藤伸二のような人」と提案があり、「のような人」が見当つかずに、私に話が回ってきました。
 そして、「内なることば、外なることば」の対談が実現しました。喜んで引き受けたものの、最初は、谷川さんの詩集や散文集を買って、おろかにも準備をしようとしました。でもすぐに、「のような人」が、素手で谷川さんに向き合えばいいのだと考えたら、すっと肩の力が抜けました。
 11月19日の朝日新聞の夕刊、20日の朝刊の一面は、谷川さんが亡くなった記事であふれていました。とても寂しいです。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/01

第20回吃音親子サマーキャンプ〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜

 2009年8月28・29・30日(金・土・日)、滋賀県彦根市の荒神山自然の家で、第20回吃音親子サマーキャンプが行われました。このときの参加者は、どもる子ども42人、どもる子どもの保護者44人、きょうだい13人、ことばの教室の担当者やスピーチセラピストなどの臨床家が17人、通常学級や支援学級の担任、学生などが12人、どもる成人が12人、合計140人でした。
 初参加者が多く、本を読んで、インターネットで検索して、吃音ホットラインに電話をして、ことばの教室の担当者に紹介されて、など参加経路もさまざまでした。8月の最終週なので、学校によっては、すでに2学期が始まっているところもあるようでした。新型インフルエンザの影響のキャンセルも含めると、160人近い申し込みがあり、問い合わせも入れると170人を超えていたと、記録にあります。
「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 での報告を紹介します。

  
第20回吃音親子サマーキャンプ
    〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜
                            報告 溝口稚佳子


キャンプは、事前レッスンから始まった

 キャンプの大きな柱のひとつはお芝居。
 演出家の竹内敏晴さんの脚本・演出・構成という贅沢なお芝居をずっと続けている。これまでの脚本を集めたら、かなりの数になり、脚本集として1冊の本ができそうである。
 芝居は、竹内さんが、スタッフに、事前合宿で、演出し、指導をする。スタッフがそれを憶えておき、キャンプの初日に、子どもたちの前で演じる。子どもたちは、それを見て、この役がおもしろい、あの役をしてみたいなと思う。
 今年のキャンプの芝居のための事前レッスンは、6月20・21日、大阪で行われた。
 6月初め、膀胱がんが発見された竹内さんは、体調が悪い中、脚本を作って下さった。脚本が届いたのは、合宿の2日前だった。今年の芝居は、宮沢賢治の「雪わたり」だ。事前レッスンには、全国から23人が集まった。夜だけ顔を見せてくれた人もいる。もしかしたら、今年が、竹内さんの事前レッスンを受けることができる最後かもしれない、そんな思いが私にはあった。
 「雪わたり」は楽しかった。キックキックトントン、キックキックトントンと、竹内さんの魔法にかかったかのように、スタッフのひとりひとりがこぎつねになって弾んでいる。竹内さんが、うれしそうに柔らかい笑顔でみつめていた。これまでずっとこのサマーキャンプを大切に考えて下さっていた竹内さん。これが最後のレッスンかもしれないとの思いはさらに広がり、これまでのたくさんの劇が思い出される。子どもたちにも、声を出すことの楽しさ、からだが弾むことの喜び、そして、仲問と共にひとつの芝居を作り上げていくおもしろさを味わってほしいと思った。

そしてキャンプが始まった

 20回という節目のキャンプ。長年、キャンプにかかわっているスタッフにとっては、いつもとは違う思い入れがあったが、キャンプはいつものようにスタートした。
 開会のつどい。集会室に集まった参加者を紹介する。名前を呼んでその場で立ってもらうが、家族がそれぞれ別の場所で立ち上がるのがおもしろい。複数回参加している人なら、知り合いがいて、1年ぶりに会えた友だちと同じ場所に座って、一緒に来た家族と離れるということもあるかもしれないが、初めての参加者の中にも、子どもは子ども同士で、親は親同士で座っている家族がいる。名前を呼びながら、いつもこの現象を不思議だなあと思う。全体がもう最初からファミリーになっているのだ。
 続いて、出会いの広場。参加者がリラックスし、これから始まるキャンプに向けてのウォーミングアップになるようなプログラムである。今回は、千葉の渡邉美穂さんと高瀬景子さんが担当して下さった。20回キャンプにふさわしい○×クイズ、4つの窓、グループつくり(誕生月ごとに、集まったり、生まれた日が同じ人や同じ名前の人が集まるなど)と続く。最後に、同じ部屋に宿泊する者が集まって、その部屋の名前をみんなで言うというエクササイズがあった。ちょっとした連帯感と大きな声を出せたらいいと考えていた担当者の期待をはるかに超えるパフォーマンスが次々と繰り広げられた。動きはダイナミックで、おもしろい。初参加者が多いのに、これだけ表現できるとは、キャンプのもつ不思議な力なのかもしれない。

キャンプ20回目を振り返る

 20回目に思う。なぜここまで続いてきたのだろうか。なぜ続けることができたのだろうか。仕事ではないし、義務感でもない。この空間が好きだから、ここに集う人たちが好きだから、ここに流れる雰囲気が好きだから、ここに来るとなんか元気になるから、長くスタッフとして参加し続けている人たちはよくそう言う。
 たとえば、渡辺貴裕さん。最初の出会いは、竹内敏晴さんの大阪でのレッスンだった。まだ学生だった渡辺さんは、教育学を学んでいた。いろいろなキャンプにいくつか参加している、演劇にも関心をもつ人だった。伊藤の「キャンプ、おもしろいで。だまされたと思って参加してみて」のことばにのって参加して、もう10回参加してくれている常連のスタッフだ。吃音とはまったく関係がない。大学の教員になってからもこのキャンプを大切に思ってスケジュールに入れてくれている。子どもたちと作り上げる芝居に欠かせない。芝居作りの裏舞台を、子どもたちの生の声を拾いながら解説してくれた一文は、「演劇と教育」にも載り、「スタタリング・ナウ」(2007.1.20NO.149)でも紹介した。子どもたちに注がれる目は鋭く、やさしい。

 たとえば、長尾政毅さん。キャンプの卒業生でもある。同じようにどもる友だちに会いたい、そしていろんなことを話してみたい。純粋な気持ちで参加した小学4年生。自分ひとりではなかった、みんな同じように困り、悩み、そして工夫しながら真剣に生きていた。自分のことを自分のことばで話すことの大切さを知り、他者の体験に耳を傾けることを良き先輩から学び、高校3年生でキャンプを卒業した。毎年の作文教室で、彼の書く作文は変化をしていく。受け入れて、どもっていても平気だと思っていたが、思春期に入り、できるなら治したいと思い、また、いやこのままで大丈夫と思う。この変化を私たちは当然のこととして受け止め、それでも彼の基本となるものは揺るぎないと、信じて待っていた。社会人になった彼は、仕事が忙しい中、深夜になってでもキャンプにかけつけてくれる。

 たとえば、大阪スタタリングプロジェクトのメンバー。自分たちが小学生の頃にこんなキャンプがあったらなあ。こうして親子で、または家族でキャンプに来る子どもたちがなんかうらやましい。成人のどもる人からよくこんな感想を聞く。親にも誰にもどもりのことを相談できずに子ども時代を過ごした人は少なくない。そんな人たちにとって、親子で参加することになっているこのサマキャンは、うらやましいような、あこがれの存在なのだ。
 自分の体験を語って、何かお説教じみたことを言いたいのではない。自分が子ども時代に戻って、考えてみることができる。言語化してこなかった自分の気持ちを追体験してみることができる。わざとではなく、自然にどもりながら話したり、聞いたりする。それは、今、どもって悩みのまっただ中にいる子どもたちに、そうして生きることができることを伝える一番いい方法なのだ。
 子どもたちと一緒に芝居を作り、山に登り、カレーを食べ、スポーツをする。子どもの頃にできなかったことを、つまり、学童期のやり直しをしているのかもしれない。
 親の話を聞く経験も貴重だ。自分の親に聞くことができなかった親の気持ち。こんなふうに思っていてくれたのか、と再発見することもできる。改めて親への感謝の気持ちもわいてくる。

サマキャン再発見

 改めてサマーキャンプの魅力を考える。おそらくキャンプ史上初めてだと思うが、伊藤が参加者に向かって、キャンプの特徴と効果として話したことばを拾ってみる。

〈楽しさを与えるキャンプではなく、子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〉

 一般的に、キャンプというと、子どもたちに楽しみをいっぱい与えようと考える。このキャンプも、第1回から4回くらいまでは、子どもたちは普段ストレスを抱えて生きているのだから、楽しいキャンプをしようと主張するスタッフがいた。楽しいだけのキャンプなら、ほかにもあるし、僕たちがするからには、ちょっと困難なことに向き合い、何かに挑戦し、自分でもできたんだという思いをつかみとるようなキャンプにしたい。発想が違うため、実行委員会はいつもけんか腰で議論が白熱した。5回目から、発想が違う人たちと分かれて、自分たちの思い通りのキャンプをし始めた。今、その頃とスケジュールは全く変わっていない。話し合いをし、芝居をする。子どもたちも辛いと思う。友だちとしゃべっているときは、元気がいいのに、劇のシナリオを見たら言いにくい音があって、そこでどもって、しゅんとなってしまう。でも、そこから一歩踏み出さないといけない。ハードなキャンプであるにもかかわらず、子どもたちは、楽しかったと言い、また来ると言ってくれた。やはり、楽しさは与えられるものではなくて、じわじわと実感できるものではないだろうか。

〈ひとりひとりが主役〉

 与える側、与えられる側がいない。世話をする側とされる側の明確な区別がない。参加者は皆それぞれ自分が楽しんでいる。つまり、全員が主役で参加している。誰ひとり傍観者がいないキャンプだ。

〈リピーターが多く、新しく参加する人とのバランスがいい〉

 10年連続という人もいるくらいで、リピーターが多い。しかし、リピーターばかりでは馴れ合いになってしまう。リピーターと新しい人のバランスがとってもいい。親のグループも、子どものグループも、先輩がいて、自分たちが味わってきたことを後の人につないでいく。初参加の人とリピーターの人のバランスがとてもいいことがこのキャンプの特徴だと思う。

〈サバイバルを学び、考え方や価値観を変えていくきっかけになる〉

 話し合いでは、困ったときにどうするか、など具体的な話をする。キャンプに参加している間は楽しくても、終わって家に帰って、日常生活に出ていくと、困難な場面は待ち受けている。それに自分で向き合って、サバイバルしていく力を身につけてほしい。僕はこうした、私はこうしたと、みんながアイデアを出し合いながら、生きる力、生き延びる力、サバイバルしていく力を身につけてほしい。ひとりで考えているとどうしても堂々巡りになる。話し合いの中で、自分とは違う体験、自分とは違う考え方や価値観に出会う。そうか、そんなふうに考える人がいるのか、と考え方を知ることができる。今までなんとかしてどもりを治したい治したいと思って、どもりさえ治れば自分の人生はバラ色だと思っていた人が、どもったままでもいいんやという考え方の人に出会う。そんな考え方の人に出会って、今まで治そう治そうとばかり思って、治さなければ自分の人生はないとまで思い詰めてきだけれど、自分の考えてきたことはいったい何だったんだろうと思う。どもっていては絶対だめだと考えていたけれど、どもりながらこんなことをしている人もいると知ることで価値観を変えるきっかけになる。いろんな考え方の人に出会って、自分の考え方を少し幅広くする。変えてみる。価値観を変えていくきっかけになる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/26

吃音親子サマーキャンプ20年

 2025年の今年、吃音親子サマーキャンプは、34回目を迎えます。日程と会場は決まっていますが、夏のことなので、まだ本格的な準備に入っているわけではありません。でも、メールでの問い合わせは、少ないですが、来ています。
サマキャン20回 写真 さて、今日は、吃音親子サマーキャンプ20年を特集している、「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 を紹介します。このとき、集合写真を撮りました。サマーキャンプ史上、最初で最後の集合写真、奇跡の一枚です。その写真は、『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)の表紙を飾っています。本の表紙に写真を使う時も、ホームページで書籍の案内を掲載する時も、一人一人に紹介してもいいかどうかを尋ねました。全員が了解してくれたおかげで、今回も、奇跡の一枚の写真を紹介することができました。
 吃音親子サマーキャンプの第1回は、1990年でした。まさか20回も続くとは…と、当時思ったことを思い出します。それが今年は34回。すごいことだなと、自分でも感心してしまいます。まずは、巻頭言からです。

  
吃音親子サマーキャンプ20年
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


1990年の夏はとても暑かった。
 冷房のない民宿の暑さと、初めてのどもる子どもとのキャンプの熱気は、私の記憶の中で決して色あせることはない。あの場、あの空気、スタッフの熱い思い、琵琶湖の静かな湖面とともに。
 1965年、民間吃音矯正所・東京正生学院で、初めて同じようにどもる人とたくさん出会えたとき、「吃音に悩んでいるのは私だけではなかった」という、いいようのない安心感が広がった。そして、せき止められていたダムの水が、一気に川に流れ出すように、どもることの苦しみ、悲しみ、怒りなど、これまで押さえ込んでいた吃音への思いを話した。そして、それを「僕も同じだったよ」とうなずき、一所懸命聞いてくれる仲間と出会えた。
 あのときのうれしさ、喜びは、からだにしみていて、今でも、決して忘れることはない。
 「僕も、生きていていいんだ」
 こう心底思えるほどに、それまでの私は、どもりに傷つき、どもりに振り回され、孤独な、苦悩の学童期・思春期を送っていたのだった。
 1965年秋、私は11名の仲間とどもる人のセルフヘルプグループを作った。様々な活動を共にするたくさんのいい仲間と出会った。いろんな活動を力の限り続けた。そして、いつの間にか「どもりでよかった」とさえ思うようになった。
 セルフヘルプグループでたくさんのことを学び経験し、今は幸せだが、私の失われた学童期・思春期はもう戻ってこない。それがとても悔しい。今、どもっている子どもには、私のような、悔しい学童期・思春期を送ってほしくない。私が経験した安心感や喜びを子どもたちにも味わってほしい。そして、どもりながら、楽しい豊かな人生が送れることを知って欲しい。これがスタートだった。
 なぜ、20年も吃音親子サマーキャンプは続いたのだろう。仕事として、またその延長としてしているわけではない。誰かに命じられて、また、責任感で続けているのでもない。いつキャンプをやめても誰からも責められることはない。やめることができるから続いているのだともいえる。
 あの場が、あの場に流れている空気が、その場をつくりだしている人の輪が好きなのだ。
 あの場、あのときの笑顔、笑い声が好きなのだ。
 話し合いの中で苦しかったことを思い出し、ぽろぽろと涙を流す、うれしくて泣いてしまう、その涙をしっかりと受け止める静かさが好きなのだ。
 そのような場が好きだという人たちが集まってくることがうれしい。
 今年もスタッフが集まってくれるだろうか、あの人は来てくれるだろうか。私は毎年不安になる。そして、その人たちの参加申し込みが届くようになって、さあ、今年もやれるとほっとする。
 今年も40名ほどがスタッフとして集まって下さった。不思議に思う。遠くから交通費を使って、家族を説得し、さまざまな事情を乗り越えてスタッフとして参加して下さる人たち。そうだ、この人たちがいてくれたから、20年間続けることができたのだ。
 キャンプの終わりには、いつもスタッフに立ってもらう。子どもと親を囲むように立つ人たちに、本当にありがたいと思う。人間は一人では何もできない。ひとりひとりの力は小さくても、いい仲間が集まれば、大きな力になる。そして、こんなにいい空間を、知らず知らずのうちに、自分たちでも気づかないうちに作り出している。
 この仲間たちに感謝するとともに、今回は、特別の感慨深い思いがあった。私たちの心意気を感じとって、キャンプのために毎年脚本をつくり、演出指導をして下さった竹内敏晴さんの劇を上演する最後のキャンプになったからだ。
 6月初めにがんが発見されながら、脚本を完成させ、7月に劇のためのレッスンをして下さった。そして9月の初めに竹内さんは亡くなった。キャンプでは、竹内敏晴さんに感謝の気持ちを込めて、大きな拍手をしたのだった。竹内さんの役割を渡辺貴裕さんが継いで下さるのもうれしい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025//02/25
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