伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

石隈利紀

私と『スタタリング・ナウ』5

『スタタリング・ナウ』100号記念特集 5 

 100号記念に、たくさんの方からメッセージをいただきました。前号に続いて、読者の皆様から私たちへの応援歌として、うれしくいただきました。こんなにいろんな分野の人が応援してくれていたのだと思うと、気持ちが引き締まります。ありがたいことです。


  
吃音を巡るX軸、Y軸、Z軸について
                     石隈利紀 筑波大学心理学系教授(茨城県)
 大変な思いで1号を開始され、それぞれの号に大会や研修会の案内や様子を盛り込みながら、100号に到着されたのですね。みなさんの熱意と体力のたまものだと思います。そしてひょっとしたら、「今回はこれでとりあえず凌こう」という柔軟なビリーフにも支えられたのではないでしょうか(勝手な推測でスミマセン)。定期的にメッセージを送り続けることは、相手への思いを贈り続けることですね。脱帽です。
 夏の「第2回臨床家のための吃音講習会」では吃音を巡る、X軸、Y軸、Z軸について議論されました。
 X軸は「話し手」の話すという行動に焦点を当て、Y軸は「聞き手」の聞くという行動に焦点を当てます。人の苦戦は、個人と環境の折り合いに影響を受けます。そこでは、聞き手は、話し手が話しやすいように、話し手と環境の折り合いがうまくいくように配慮します。そして、Z軸は話し手の自分の行動(吃音)についての態度です。ここでは、話し手が自分とどう折り合いをつけるかがポイントになります。
 X軸の吃音に対してのアプローチをどうするかについて、論理療法を活用して、Z軸から、X軸をながめてみるとどうでしょうか。

ゝ媛擦鮗す努力を否定する。(脱治療スタイル)
⊂綣蠅墨辰擦襪砲海靴燭海箸呂覆ぁ上手に話せるようベストを尽くす。でも上手に話せないからといって、私がダメ人間というわけではない。(マイベストスタイル)
上手に話せないことは不便だ。でも人生にはたくさんのことがある。吃音であるかどうかは関係なく、私は人生を楽しむ。(人生エンジョイスタイル)

 ´↓には共通して、「私は吃音である」ことを受け入れ、「吃音であることに人生を脅かされない」という柔軟なビリーフがあります。一方、´↓は、X軸に対するアプローチについては少しだけ異なります。
 (脱治療スタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえ、X軸へのアプローチにこだわることを否定しています。
 (マイベストスタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえているかもしれませんが、X軸と適度につき合う姿勢があります。
 (人生エンジョイスタイル)では、X軸を自分の生活の状況と幅広くとらえています。そして吃音を、X軸のたった一つの状況ととらえます。人生には、たくさんのできごとがあるからです。

 (脱治療スタイル)、(マイベストスタイル)、(人生エンジョイスタイル)は、それぞれに意味があります。人生の喜びをみつけ、柔軟に生きている人は、人生エンジョイスタイルを実践していると言えます。マイベストスタイルの人は、「話す」ことに工夫しながら、自分の中にある「私は上手に話すべきだ」というイラショナル・ビリーフに対処しています。このイラショナル・ビリーフがある程度あるときは、「上手に話せないからといって、私はダメ人間ではない」と自分に言い聞かせることは、適切だと思います。
 さて、脱治療スタイルは、どうでしょうか。もし自分が吃音への治療に長年こだわってきたとしたら、あるいは多くの人が吃音への治療にこだわっているとしたら、吃音の治療から自分を解放することが、第一の課題なのではないでしょうか。吃音の治療から脱出することは、吃音の治療に成功しなかったという理由で自分を責めることをやめることです。吃音の治療から自分を解放することで、自分を取り戻すことです。
 伊藤伸二さんは、論理療法にいち早く取り組んでこられました。(「論理療法」と意識する前から論理療法的な援助実践をされてきたようです。『論理療法と吃音』参照)。そして伊藤さんは、マイベストスタイルや人生エンジョイスタイルを多くの仲間に伝え、多くの仲間を支えて来られました。でも同時に脱治療スタイルを強調されるのは、多くの人が吃音の治療にこだわって苦戦している状況を何とかしたいと思っておられるからではないかと、思います。
 「吃音の治療へのこだわりを蹴飛ばすことから、自分の人生が始まる」…伊藤さんは、そう伝えたいのではないでしょうか。『吃音者宣言』には、自分が自分の物語の主人公になるという強い意志を感じます。

【吃音ショートコースでの伊藤との対談は大いに弾みました。どもりを考えるとき、論理療法は本当にぴったりです。楽しいひとときが素敵な本になりました】


  拍手代言
                            竹内敏晴 演出家(愛知県)
 毎号、ことばがひっかかることに、むき出しにあるいはひそかに苦しみ抜いて来た人が、同じ苦しみに悩む人に出会って語りあった時の、安堵、受け入れられた喜びが語られている―これが第一。
 聴覚言語障害だったわたしにとってひとごとでなく感じられると同時に、そういう体験がありえなかった自分を改めて考え直すこともあります。
 第二に、毎号の伊藤伸二さんのいつも熱意の溢れる文章。よくまあ毎回ネタがつきないなと感心するが、訴えたい、あるいは反駁したい事柄が詰まっていて、かれの明るいエネルギーに拍手を送りたい。
 どうか、ことばのひっかかりに悩む人々が、息深く、めげず、自分のことば、自分独自の語り方を見つけ出し身につけられるように、一歩一歩あるかれんことを。

【竹内さんとの出会いは、「吃音症状に対してではなく、声やことばのレッスンは必要だ」とする私たちを、理論的、実践的に支える大きな力となっています】

鴻上尚史手書きのメッセージ                       鴻上尚史 劇作家・演出家(東京)
 吃音ショーコースでは、僕自身、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。
 僕自身“表現するとは何か?”“お前は何のために表現するのか?”と問いかけた2日間でした。この経験は長く僕の中で、僕を支え続けてくれると思います。幸福な時間を過ごさせていただいて、ありがとうございました。

【私たちとは全く違った世界にいる人だと思っていた鴻上さんが英国留学という体験をして下さったおかげてとても身近な存在になりました】


  どもる人に会うとうれしい
                             芹沢俊介 評論家(東京都)
 子どものころどもる人がとても魅力的に映ったものです。身体障害者を身のこなしに独特の癖のある人というように考えた(子どもは放っておけば素直にそう考えます)のと同様、吃音の人を発語の仕方に独特の癖のある人だと考えていました。だから子どもの私は真似しようとしたものです。
 今もどもる人に会うとうれしくなります。大好きだった広沢虎造という浪曲師が次郎長伝のその外伝として武居のども安(安五郎)について「武居のども安鬼より怖い、どどとどもれば人を斬る」と語っていたのをラジオで聞いて育ったせいもあるかも知れません。
 清水次郎長よりもども安の好きな私は、伊藤さんにときどき「ども安」を感じ、にやりとします。

【「吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と、週刊エコノミスト(毎日新聞社)の書評欄で、『新・吃音者宣言』を紹介して下さいました】


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/22

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 4 石隈利紀さんの講演より  

 石隈利紀さんの講演を紹介してきました。とりあえず、今回で、講演の前半が終了です。「スタタリング・ナウ」では、講演の前半を紹介していました。2001年の講演ですが、あらためて読み返すことができてとても勉強になりました。ここ10年ほどで急速に関心が広がった、レジリエンスやポジティブ心理学と共通することが多く、今取り組んでいることの整理に役に立っています。
 後半部分については、また後日紹介できればと考えています。人はひとりひとり違う、このことを改めて思います。そして、子どもも私たちも、幸せになるような支援のあり方を考えていきたいものです。

  
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


子どもの個性を大切に

 子どもの苦戦をサポートする上で、大切にするのが、一人ひとりの子どもの個性と私たち援助する大人の個性です。まず子どもの個性についてお話します。

(1)個性とは美しいデコボコ
 個性と言うと何かカッコよすぎますけれど、他の言葉で言えば「個人差」です。背の高い人もいるし、低い人もいる。スポーツが上手な人も、苦手な人もいる。人と話すのが好きな人も、苦手な人もいる。それぞれ自分のいろんなところを合わせて、その人です。
 他の言い方で言えば、個性は「デコボコ」だと思うのです。一人ひとりが違うということは輝きでもあるし、しんどいことでもあるし、「違うこと」そのことですよね。私は美しきデコボコ、愛すべきデコボコと言っていますけれども、そのデコボコのあたり具合では嫌な思いをすることも、お互いあるわけです。
 「ものをはっきり言えていいね」ってある人のことを誉めると、一緒に仕事をしている人は、「あんなにズケズケ言われてオレは傷ついている」と言います。それぞれの立場によって、デコボコとのつき合い方が違います。
 個性が美しい、すばらしいと言う前に、「みんな違う」という現実を認め、お互いの個性を認めようということです。お互いの違いがうまく生かせて、大切に出来ることをちょっとでもお互いに工夫しましょう。
 子どもの個性を理解するとき、子どもの興味、関心、どんなことが好きか、特技、あるいは身体のこと、性格のこととかが鍵になります。自分が関わる子どもについてそういうのを1つか2つ言えるといいですよね。
 自分のお子さんとか生徒さんは、こういうことに関心を持っていますよと。多分、みなさん言えると思うのですが、それをいつもチェックして、子どもが今何に関心を持っているのか知りたいなあと思います。

(2)子どもの得意な学習スタイルを生かす
 子どもの得意な学習や行動のスタイルは、子どもの苦戦において役に立つ能力であり、自分で自分を助ける資源、『自助資源』です。ちなみに、私達、子どもの苦戦を援助するサポーターは、子どもの援助資源です。子どもが自分の自助資源に気づき、伸ばすことを援助すること、そして援助資源を活用すること、これが援助の鍵を握ります。
 子どもの学習や行動のスタイルを、子どもの個性や自助資源という視点からお話します。一人ひとりの子どもは、勉強の方法の得意・不得意のパターン、つまり学習スタイルをもっています。子どもの学習スタイルは、子どもの個性の大切な一面です。
 第一に、言葉で表現するのが得意な子どもがいます。言葉のやりとりが、自分の表現や学習の重要な方法になります。一方、言葉以外の方法、具体的な物を操作するなど非言語的なやりとりが得意な子どもがいます。この場合は、言葉に頼り過ぎないで、絵や図や具体的なものを使うと、学習が進みます。私達も、ダンスを覚えるとき、ステップごとに、「右腕をあげて」と鍵になる言葉がある方が覚えやすい人と、見様見真似でやる方が楽な人といますよね。
 第二に、耳で聞く方と目で見る方の得意、不得意があります。小学校の5年生になって、急に忘れ物が増えた子どもが学級に何人かいました。4年生までは宿題を先生が全部黒板に書いていて、5年生の担任は書きませんでした。「先生は口で言うから、みんなよく聞いてね」って。それでOKな子どもはいいですが、目で見て確認して実行する学習スタイルの子どもは、宿題が黒板に書かれないことで、忘れることが増えたようです。先生がもう1回黒板に書くようになって、やってくるようになった。
 もう一つの例です。私はカウンセリングでも、「来週までこういうことをして下さいね」と宿題を出すことがあります。例えば、ある高校生は、学校を休んで、夜遅くまで起きていて、朝遅くまで寝ている、いわゆる昼夜逆転の生活が、少しずつ治ってきました。「自分の生活を安定させる」という目標を高校生と二人で立てます。そこで、何時に起きて、朝ごはんは何時に食べて、お昼ごはん何時に食べて、夜何時に寝たか、毎日の簡単な表を作ってもらうことになります。約束を言葉で言うことで実行できる生徒もいるし、約束をカードにすると実行できる生徒もいます。その生徒の場合、カードにその子にやって欲しいことを書いて、持って帰ってもらいました。
 第三に、重要な学習スタイルとして情報を処理するスタイルがあります。情報を一つひとつ順番に処理していく方式を継次処理と言います。そして情報を全体的に処理する方式を同時処理と言います。
 先ほどの小学2年生は「車」という文字を書くとき、「車」という文字全体をじっくりみてから、「田」と書いて、次にその上と下に「十」を書きましたね。この子どもは、同時処理型の学習スタイルです。
 私たち大人は、自分が好きな情報処理の仕方で子どもに教えることが多い。子どもの勉強の方法が先生の教え方と合うとは限りません。子どもの好きなやり方、得意なやり方を理解して、できるだけ合わせるといい。「君は、全体とパーツを見て、理解するのが得意なのだね」と、子ども自身が自分の学習スタイルに気づくよう援助するといい。小学生で、作文を文字で書くのが苦手な子どもには、早めにパソコンとかを教えるといい場合があります。また作文をじっくり書けない子どもに対する援助の仕方としては、作文を口で言ってもらってテープに入れるという方法もあります。作文の宿題で、作文をテープで提出するのも、先生に認めてもらえるといいですね。

(3)子どもの得意な行動の方法や問題解決スタイルを生かす
 子どもの行動の仕方とは、一人の時間の過し方、友達や、先生や大人とのつき合い方、集団とのつき合い方などです。これらは、子どもの個性の大切な一面です。ストレス対処の方法や援助を求める方法など問題解決のスタイルも、百人百様です。
 第一に、友達とのつき合い方です。友達はたくさんいる方がいいと、「世界中の人と仲よくなりなさい」とまで、言われます。これらの言葉は、考えてみたらあまり現実的ではありません。もちろん多くの人と仲良くすることは、いいことだと思います。でも一人ひとりの子どもには、その子どもの友達の作り方がある。20人友達がいる子どもの方が、2人しか友達がいない子どもよりいいという訳ではないですね。その子どもが、自分が今ちょうどいいと感じられる友達のつき合い方をすればいいのです。そういった意味では、直接会う方法の他に、Eメールとか、携帯電話とか、コミュニケーションの道具や方法が増えたことは、いいことかもしれません。その子どもの得意な表現の方法を生かすことが大切です。
 ただ、Eメールや携帯電話は、実際はそれほど仲よしにならなくても、何回か交流していると、とても仲よくなった気持ちになることもあるので、心配です。
 第二に、ストレス対処の方法です。自分一人でボーとしている、友達に電話する、好きな物を食べるなどいろいろです。私達が子どものストレス対処の仕方をよく知って、大事にしてあげるといいですね。そして子ども自身が、「僕はこうすればストレスが減るのだ」と自覚すると得です。子どもがストレスをためて、何かをやって元気になったとき、お母さんやお父さんが見ていて、「それは元気になるのにいい方法だね」って言ってあげると、子どもが気がつきやすいのですよ。ストレスがたまると、何かを蹴飛ばすという方法もあります。蹴飛ばすものが、だんだんお金のかからないものに変わっていけばいい。昔から青春ドラマで、何か嫌なことがあったら、校庭に出て、杉か松かをたたいていました。こういうのは、昔から私たちはやってきたのです。最近の子どもはキレやすいと言うけど、多分、キレ方が下手なのではないかと思うのです。ナイフを持つ前に、何か蹴飛ばせばいいし、他の友達としゃべって、ストレスが減るんだったら、それもいい。ストレスにつき合う方法を見つけるのに苦労している子どもが多いのかもしれません。
 「ストレスをどうやって減らすか、今日はみんなで話し合いましょう」という授業をしたらどうでしょう。まず先生が自分のストレス対処の方法を紹介します。その後、生徒達に自分のストレス対処法を発表してもらいます。「ペットと遊ぶ」「ゲームをする」「バットを振る」などなど。そのとき、どの方法もいい方法だという原則です。自分や他の人を傷つけるものは除いてです。子どもがいろんなストレス対処法があるということに気づき、自分で使える対処法を増やしていくことを目指します。
 自分に合った学習スタイル、行動スタイル、ストレス対処スタイルは、頼りになる自助資源です。子どもの個性は、何かで1番でなきゃいけないとか、これやると負けない、とかいうものではないと私は思います。個性とは、自分らしさのことです。他の人と比べてみた特徴(背が高いなど)よりも、自分という個人の中での特徴(強い学習スタイルや得意なストレス対処法など)の方が、援助につながりやすいと思います。
 私たち援助者が子どもの個性、とくに自助資源を知っていると、その子どもがすごくつらくて自分の力を発揮できなくているとき、援助するきっかけになります。
 学校の先生、親御さん、近所の人など、子どもと一緒にあるいは近くに暮らしている人は、本人の自助資源がよく見えますね。援助の力が一番あるそういう人達がチームになり、そこにカウンセラーも入ると、子どもはたくさん得をすると思います。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/19

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 3 石隈利紀さんの講演より

 子どもの苦戦を支援するために、石隈さんは、〈贈り物〉ということばで、サポートをわかりやすく説明されました。〈贈り物〉は、もらってうれしい、役に立つものです。情報、情緒、評価、道具の4つの贈り物を、相手にどううまく手渡すか、が大切です。
 石隈さんの話の中で、ここには出てきませんが、〈元気グッズ〉というのがありました。自分にとって、元気になるようなグッズです。石隈さんは、確か、そのとき、相談に来ていた学生から、何年後かにもらった感謝の手紙が、〈元気グッズ〉の一つだとおっしゃっていたように記憶しています。〈贈り物〉が、その人にとっての〈元気グッズ〉になったら、こんなにうれしいことはありません。僕は吃音親子サマーキャンプで、子どもたちが、1年間の出来事を話してくれ、それが月刊紙の『スタタリング・ナウ』などで紹介されると、何度も何度も読み返しています。子どもたちの1年の成長が僕に元気をくれます。
 では、昨日のつづきです。

  
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


4種類の贈り物(サポート)

 子どもの苦戦を具体的にどうサポートしていくか。4種類の贈り物を紹介します。

(1)情報という贈り物
 苦戦している子どもにとって、情報はとても心強い贈り物です。カウンセリングでは、情報を提供することを情報的サポートと呼びます。例えば、高等学校を途中で辞めた男子が、私の大学の教育相談室に来ました。カウンセリングを担当した私は、その子の気持ちの整理を手伝いながら、大検(大学受験資格検定試験)について話しました。その子は大検を受けて合格し、大学をめざしています。この子にとっては、大検の情報は将来への希望をつなぐものになりました。また不登校ぎみの中学生は、ペットが大好きで、世話をよくしていました。担任の先生から、ペットの美容師(トリマー)になる学校について聞き、その学校を見学してから、生活が落ち着き、勉強にも取り組むようになりました。
 私達が子どもをサポートするときに、その子どもに必要な、その子にとって得になる情報をタイムリーに提供することが大切です。今は情報がたくさんあふれていますが、苦戦している子どもが何かを決めるときに役立つ情報がタイムリーにあるとは限らないですね。そういう意味で、お父さんにしろお母さんにしろ、学校の先生にしろ、スクールカウンセラーにしろ、子どもにとって得な情報はないかなというアンテナを張っておくといいですね。今日の講演会も、お友達からの情報で来られた方もいらっしゃると思います。

(2)情緒という贈り物
 苦戦している子どもにとって、「頑張っているね」とか「大丈夫だよ」という情緒的な声かけは、とても嬉しいものです。情緒的な声かけをすることを、情緒的サポートと呼びます。
 「大丈夫だよ」とか「頑張ってね」という声かけは知っていると思います。なるべくレパートリーを増やした方がいいと思います。特に「頑張ってね」は、言われて嬉しいときと、ムカつくときとありませんか? カウンセリングの業界では、落ち込んでいる人に励ましてはいけないというのが決まりです。
 落ち込んでいる人は多くの場合、基本的に真面目なのです。頑張り屋さんです。一生懸命やってうまくいかないから、こうすれば良かったのにと自分を責めているから、落ちこんでいる。ですから、「頑張ってね」って言ったら、失礼です。もう頑張ってるんですから。「頑張ってね」の言葉以外でどの言葉だとその人は元気になるのか、というのを探してみるといいですね。

(3)評価という贈り物
 「評価」という言葉は、随分嫌われ者になっています。でもその人が元気になる評価の贈り方があります。その人の行動についてフィードバックすることを、評価的サポートと言います。とくに上手になってきていること、一生懸命にやっていることについてのフィードバックは、効果的です。
 私の知人で、挨拶が苦手な子どもが、少し練習して最近、私と会って「おはようございます」と元気に挨拶してくれます。それで、私は、「君のおはようございますは、とっても気持ちがいいね」と、フィードバックします。評価を贈っているのです。
 フィードバックすることを、恐れてはいけないということです。確かにどのようなフィードバックが相手を元気にするかはむずかしい。その人が喜ぶように、工夫は必要です。でも私達何か評価っていうのを恐れすぎて、適切なフィードバックを減らしてしまうと、子どもにとっても損ですね。
 私がずっとカウンセリングを担当している、人間関係が苦手で、苦戦している30代の男性のことです。お医者さんの薬をもらいながら、とてもいい仕事をしています。その人との面接の何回目かに、「ごめんなさい、今日都合でいけません」と、約束の5分前に電話がかかってきました。私は、きちんと連絡してくれたことが嬉しくて、「ああ、どうもありがとう。連絡をくれなかったら心配するところだったよ」って言いました。その後、都合で来られないとき、連絡してくれるようになりました。その人にとって、遅れるときに必ず連絡するという、大げさに言えば社会で生きていく上で大切な能力に対する、私のフィードバックという贈り物は有効だったのです。
 その人が元気になる、気持ちが良くなるだけではない。その人の出来ることが1個増えるために、私達は「それをしてくれて、ありがとう」とタイムリーにフィードバックできるといいなと思います。

(4)道具という贈り物
 相手が道具として便利に使えるもの・・例えばお金、時間です。苦戦している相手に、お金や時間などを提供する現実的な援助を、道具的サポートと言います。
 これに関しては、私には苦い経験があります。私の次男は今小学校3年生です。9年前、夏の暑いとき、妻のお腹が大きくて、次男は11月に産まれたのです。私は次男の誕生にとても感動しました。
 夏、暑いときにお腹に赤ちゃんがいる妊婦さんは、布団の上げ下げが大変です。私はカウンセリングやっていますから、口はうまいわけですよ。情緒的なサポートは「いつもありがとう。ほんとにありがとう!」とか、「大変だね」とか十分なのです。そうすると、妻から言われました。「口はいいから、手を使って!」つまり情緒的なサポートはもういいから道具的なサポートをちょうだいと!。その後布団の上げ下げ、食器のかたづけはやりました。
 子どもの環境を子どもにとって良い方向で調整するのも、道具的サポートです。環境は人が生きていくうえで、重要な道具と言えますから。
 例えば、学級のタロウ君とサトシ君が大げんかをしたのを担任の先生が見ていました。先にしかけたタロウ君が「あー、まずかったな!」と言い、サトシ君と仲直りしたいようです。サトシ君も仲直りをしてもいいと思っているのではないかと、先生はサトシ君の様子から考えました。そこで、「今日、先生ね、明日の研究授業の準備でコピーたくさんしなきゃいけないから、手伝ってくれない」と、タロウ君とサトシ君に別々に言いました。2人は先生の手伝いで出くわすわけです。2人は何も喋らず、むっとしてコピーの手伝いをします。終わったあと、「先生、2人にアイスクリームでもおごろう」と帰りにアイスクリームを買って、3人で食べました。タロウ君とサトシ君に話す機会ができ、そこでタロウ君が、「昨日はゴメン」と言う。これは、仲直りの設定をしたというわけですね。
 このようにドラマのようにうまくいくかどうか、分かりません。でも先生にしろ親御さんにしろ、大人は、学校や家族の人間関係、雰囲気など、子どもが育つ環境に対して大きな影響力をもっています。環境がその子どもにとって、少しでも生きやすくなるようにという、道具的サポートは重要です。道具的なサポートは、みなさん何気なくやってらっしゃるんだと思います。
 情報、情緒、評価、道具の4つの贈り物がうまく重なり合って、その子どもが元気になったり、できることがちょっと増えるといいなと思います。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/18

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 2 石隈利紀さんの講演より

やわらかに生きる表紙 石隈さんと初めてお会いしたのは、1999年秋の吃音ショートコースでした。東京での仕事を終え、新幹線に飛び乗り、会場である滋賀県のりっとう山荘に来てくださいました。2泊3日の吃音ショートコースは、真剣な中に笑いのあふれる石隈さんの講義、演習が続き、最終日に、石隈さんと僕の対談がありました。この対談は、本当に楽しくおもしろく、すてきな時間でした。石隈さんが、僕たちのフィールドで話を展開して下さったのが印象的でした。
 この対談を含めて、吃音ショートコースでの石隈さんによる、論理療法のワークショップの記録は、金子書房『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』に収録されています。論理療法について、一番わかりやすい本になっていると思います。論理療法で学んだABC理論は、あのときから現在まで、日常生活で起こる不安や、いらだち、怒りなどのマイナスの感情への対処にとても役に立っています。
 では、昨日のつづきです。

   
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


子どもの危機
 もう一つは、子どもの危機です。子どもも大人も、大変な問題で心の状態が揺さぶられるような危険な状況においこまれることがあります。人は自分の力や周りの助けを借りて解決しようとします。それでも、その問題から逃げることも、解決することもできないとき、「危機」になるのです。危機状況では、日頃できることができなくなります。危機は、この文字が示すように、成長のチャンスでもあります。まず危機状況でのサポートについてお話して、それから子どもが出会う危機的な状況をいくつかご紹介します。

(1)危機状況でのサポート
 2001年、大阪教育大学附属池田小学校で事件が起こったとき、まず私が思ったのは、この事件に出会った子どもたち、親御さんと、先生の心の状況です。このような事件に遭遇した人々は、悲しみや辛さが消えないで、なかなか思うようにいかないのではないかと思われます。つまり、多くの人が危機的な状況にあると言えます。こういう危機的な状況で必要なことは、心のバランスを取り戻すことです。そのためには一般論ですが、次のことが必要です。
〆、何が起こっているかということを理解する。
∈、自分の中で起きている悲しみや怒りを、安心できる場所で表現する。
 低学年の子どもの場合には、どういう感情か分からないが何か苦しい場合に、「友達がけがをしたから悲しいんだね。恐いんだね」と言うように、こちらが感情に名前をつけてあげることも効果的です。何か辛いことが起こった直後に、こういうことが起こったのだよと説明して、気持ちを表現するのをサポートすることです。心のバランスを取り戻すサポートです。
 「カウンセリング」と「危機状況でのサポート」の違いについて話します。
 カウンセリングというと、子どもや大人が問題状況の中で、自分の役割の固い鎧や狭い考えで身動きできないとき、その固い状況が少し揺れながら成長していくのを援助するということですね。中学校を出た後、「どうしようか」といろいろ迷います。心が揺れます。いいことですね。子どもは、自分の将来について揺れながら成長するのです。
 一方、事件に出くわしたり、大切な人と別れたりという危機状況にいるときには、すでに心が大きく揺れています。ですから、大きな揺れを小さくするのが「危機状況サポート」の方向になります。揺れをとりあえず、小さくして元のバランスを取り戻すのを援助するということが大事です。すごく不安定な状況になった場合には、とりあえず、誰か、親御さんとか、先生とか、親しい人が側にいてあげて、揺れが小さくなるようにサポートするというのが、大事なのです。
 1つ覚えておきたいのは、悲しい、怒っているなどの感情表現の仕方は、一人ひとり違うということです。なかなか今、悲しいというのが言えなくて後で表現する子どももいます。
 こういう事件があって思うのは、子どもたちや先生方や親御さんが、心のバランスを取り戻して、元の学校生活に戻るのを邪魔してはいけないということです。残念ながら日本の学校では、こういう危機が起こった後の対処に慣れていません。なぜ危機が起きたのかの議論が、事件の直後から盛んになります。その議論はちょっと待ってほしい。その前に、やることがある。子どもや先生やご家族の大きな心の揺れを少しでも小さくする方が、まず大事なのです。子どもたちの心の安定感がどうやったら早く戻るのか大切だと思います。
 なぜこういうことを強調するかと言いますと、日本では、マスコミの多くの方は、心のバランスを取り戻すことの意義についてよくご存じないのではないかと思います。同時に、私たちカウンセリングや学校教育関係者が、十分お伝えできていないあと思っています。危機状況の子どもにマイクを向けるのは、論外です。
 それでは、子どもが出会う危機について説明します。

(2)子どもが出会う危機的な状況
/甘外傷(トラウマ)になるできごと
 予期しにくい、また対処できにくい、そして気持ちが圧倒されるようなできごとは、危機状況の引き金になりやすいと言われています。子どもにとって心的外傷になるできごとには、家族の病気や死、親の失業、両親の離婚、虐待、ひどいいじめ、そして自然災害などがあります。阪神淡路大震災では、自分の生命の危機と同時に、家族や友達の死や大けが、自分が生き延びたことへの罪悪感、友達との別れなどが重なり、多くの子どもにとって大変な危機状況になりました。

発達課題に伴う危機
 子どもは発達していく過程で、いろいろな課題に取り組みます。その発達課題の取り組みがうまくいかず、危機になることがあります。例えば思春期において身体の変化を受け入れるという課題は、結構重い課題です。私の子どもの頃は、思春期は中学2、3年生でした。ニキビができ出したり、女の子の初潮があったり、男の子に精通があったり、身体が急に大きくなる。これが中学2、3年生に起きていたというのは、ラッキーです。それまでにある程度、勉強のこととか、友達のことが安定してから思春期が来ていたのです。
 今の子どもたちは、思春期が小学5年生ころ、早い子は4年生で、身体が大人になり始めます。まだ勉強の方も友達の方も心の発達の方も、たくさんの課題が進行中のときに、思春期がドーンと来てしまうのです。思春期で身体が大きくなったり、性的関心が強くなったり、どちらに向いていいか分からない。かなり、しんどい思春期を過ごしている子どもが多いようです。思春期における身体の変化を受け入れることがとても大変で、人と会うのが辛くなったりなど、苦しい思いをしている子どもがいます。
 多くの子どもは、発達課題やそれに伴う苦戦を、自分の力とか、周りのサポートで乗り越えていきます。しかし、子どもが成長の節目で、気持ちが急に不安定になり危機的な状況になったら、誰か側についていて、その子どもの揺れが小さくなるようにしっかりと支えてあげる必要があります。

3惺酸験茲箜惷箸篌験の失敗に伴う危機
 学業や受験の失敗に伴う危機で難しいのは、本人にとってはすごく大変な失敗だけれども、周りからは、そんなに大きな失敗に見えないときもあることです。例えば、小学4年生まで100点ばっかりとっていた子どもが、5年生になって急に70点、80点になってがっかりしている。でも他から見るとクラスの平均点よりだいぶ上で、ぜいたくだと思われる。あるいは、頑張っているから大丈夫だと思われる。ところが、その子にとっては70点、80点はすごくショックで、危機になるかもしれないのです。
 勉強や受験の失敗は「周りから客観的に見て」ではなくて、「その子どもにとってどれだけ痛手か」です。勉強や仕事で失敗があったときに、すごく大きな傷、とくに自尊心の傷になりかけているときには、周りが理解してサポートするというのが大事です。
 また人生のステップの「移行」が、危機の一つのポイントになります。小学校、中学校の入学、学校の卒業、就職。人生の次のステップに進む「移行」のときは、誰にとっても大きな困難が伴います。このとき、周りがサポートすることが大事です。
 「移行」の大変さは、大人にとってもそうです。課長に昇進し、はつらつとしているはずなのに、元気がないのは、新しい役割に「移行」することが大変なので、自分の力が出せずに、情緒的に不安定になっているのかもしれません。つまり「移行」のときの困難も、子どもや大人の危機になる可能性があります。

ぞ祿押ι袖い鉾爾Υ躓
 自分に何らかの障害、病気があることを理解して自分とつき合うのは、エネルギーがいることです。特に障害や病気について告知、障害や病気の進行は、危機状況になる可能性があります。そういうときのショックをどうサポートするかは、大きい課題です。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/17

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 1 石隈利紀さんの講演より

 「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20 では、日本吃音臨床研究会、朝日新聞厚生文化事業団、大阪青少年活動財団との共催で行った教育講演会を報告しています。講師は、石隈利紀さん。演題は、「一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート〜みんなが資源、みんなで支援〜」でした。
 石隈さんとのお付き合いも長くなりました。最初、吃音ショートコースのゲストとしてきてくださったのが、1999年、滋賀県のりっとう山荘でした。夜遅く到着される石隈さんを、外に出て待っていたことが懐かしいです。
 その後、今回紹介する教育講演会、最初のシリーズの吃音講習会、今も続いている親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会でも、講師としてきていただきました。腰の低い、フレンドリーな姿勢は、今も、最初の出会いの頃と全く変わりません。

  
子どもの苦戦を支援する
            筑波大学心理学系教授 石隈利紀


 2001年6月30日、朝日新聞厚生文化事業団、大阪青少年活動財団などとの共催で、筑波大学心理学系教授・石隈利紀さんをお迎えして、《教育講演会》一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート〜みんなが資源、みんなで支援〜を開催しました。3時間の講演の前半部分を紹介します。

子どもと環境との折り合い
 不登校の子どもが増えています。いろいろなタイプの苦戦をしている子どもがたくさんいます。子どもはどんなふうに苦戦しているか考えるときに、今の子どもは弱くなったとか親が悪いとか、いろいろな説明があります。それぞれに納得しても、納得しきれないですね。子どもの苦戦についていくつかの整理の仕方があると思いますが、今日は「折り合い」と「危機」という2つのとらえ方で子どもの苦戦のお話をします。
 例えば、昔、不登校のカウンセリングに関する研究で、こういう性格の子どもが学校を休みやすいというのがあったのですが、それでは不登校についてよく分かりません。子どもが学校に来なくなるのはいろいろな要因がありますから、簡単ではありません。
 子どもの不登校で言えることは、子どもと学級・学校との「折り合い」がうまくいっていないということです。これが不登校を理解する出発点です。
 子どもの環境に合わせる力が弱い。環境の方が、その子どもに合わせる柔軟性がない。その両方かもしれない。いろいろな場合があると思います。最初から、家族が悪いから不登校になったと決めるのは、よくない。その子どもと学級や学校との折り合いについて理解しながら、学校や家族が「その子どもと学校や学級との折り合いがうまくいくためには、どうしたらいいか」を考えるのです。
 折り合いがついているかは、3点でチェックします。

1.その場所にいて楽しい。
2.知り合い、友達など人間関係がある程度ある。
3.そこで課題に取り組んでいる、何か自分で意味を見い出せることをしている。例えば、勉強をしたり、友達を増やしたりして、1歩でも成長している。

 子どもが学校との折り合いがある程度いいというのは、その子がある程度学校生活を楽しんで、人間関係がある程度あって、成長しているということです。
 不登校の要因は複雑ですが、不登校になることだけを説明すれば、けがをする、歩いていてこけることだと思います。こけたら痛いですから、暫く休んだ方がいい、キズを治した方がいいです。こけたのは、その子どもがひょっとしたら歩く力が不十分だったからか、あるいはその子どもが歩いた道が穴ぼこだらけだったからか、道が堅すぎたからか、は分かりませんけれども、休むようになったことは、心のけがと言えます。
 だったら、けがは治した方がいいし、けがしたときは無理しない方がいい。でも、けががだんだん治ってきたら、学校に戻るもよし、学校以外のところでもいい。どうやったら自分が歩いて行けるか、どういうふうに歩いて行きたいのかを、自分のペースの中で考えていくといいですね。
 また、歩き始めるのはとっても不安ですし、恐いです。恐くて当たり前です。そのときに、誰かがそばにいて、いっしょに歩いてくれるといいなと思います。
 その子どもの力だけじゃなくて、子どもと学校のどの辺の折り合いが悪かったかをまず理解すると、その子どもや学級をサポートしていくヒントになります。

勉強の仕方や行動の仕方
(1)勉強の仕方
 小学2年生の男の子が「車」という漢字を書いたときのことです。まず「車」という字をじっと見ました。そして「日」を横に2つ書いて「田」を書きました。さらに、「車」をじっと見て、「あっ。十が2つある」と、「田」の上に1つ、下に1つ「十」を加えました。
 この子は、ものごとを部分と全体で理解すること、いろいろなことを同時に見て、同時的に処理するというやり方が得意です。でも、書き順は全然だめです。
 小学校で漢字を教えるときは、「書き順で、1つずつやる」のがやりやすい子どもと、「とにかく形を真似してごらん」と言う方がやりやすい子どもがいることは知っておきたいことです。
 「その子どもが頑張って勉強するか、しないか」ではなくて、「その子どもがやりやすい、得意な勉強の仕方は何だろう?」・・これこそが、私たち大人が考えなければならない問いですね。
 勉強しんどそうだから、今ちょっと休んだ方がいいよは大事なことですが、これで全部ではないのです。その子どもが少し元気が出てきたら、どういう勉強のやり方がこの子にはいいのかな、この子あんまり漢字好きそうじゃないけど、時々楽しそうにしている、なぜだろう、と考えるのです。
 私たちは「今日はやる気があったのだ」と思ってしまいますけど、やる気だけで考えると、子どもの姿を見逃しますね。逆に、子どもができたとき、「やればできるじゃない。日頃さぼっているのでは?」と余計恐いことを言いかねません。
 子どもが勉強で苦しんでいるときには、その子の勉強の仕方とこちらの教え方との折り合いが悪いのかもしれないことを頭の中に入れておくといいと思います。

(2)行動の仕方
 その子どもの得意なやり方、スタイルは、勉強に関する学習スタイルだけでなく、行動の仕方とか友達の作り方にもあります。
 ある小学5年生は、勉強も良くできるし読書が好きで、小学4年生までは学級ですごく誉められていました。でも5年生になるとなかなか誉めてもらえない。その子はおとなしくて外で運動したり、友達をたくさん作るのは得意ではない。だけど、5年生の学級担任は、「友達は多い方がいいからたくさん作りましょう。休み時間は本なんか読まないで外で遊びましょう」というタイプの先生です。その子どもは大苦戦です!よく子どもと担任の先生の相性と言いますが、子どもと担任の先生と折り合いがつきにくいときとつきやすいときとがありますよね。そういうところで子どもの折り合い行動のスタイルを見ていけます。その結果、子どもへのサポートが上手になるといいなと思います。
 学校との折り合いがつかない場合は、その子どもがひ弱だということではなくて、その子どもの得意なやり方と学校のものごとの進め方がどこか合わないのではないか。折り合えるところが工夫によって増えないか、と考えるのです。子どもと学校が折り合えるよう工夫をしましょう、そう言いたいのです。
 子ども達のサポートにおいて、方向性からいくと、子どもが環境に折り合う力を伸ばすという方向と、環境が様々な子どもと折り合う柔軟性を伸ばすという方向があります。双方向での援助が必要です。
 今、学校や地域に問われていることは、いろんな子どもが暮らしやすいように、いかにして柔軟性を高めるかです。学校は、何でもできる一流の場所になるのではなく、いろいろな子どもが楽しみながら成長できるような柔軟な場所になるといいなと思います。それが、子どもと環境との折り合いということです。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/16

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング 3 〜石隈利紀さんの教育講演会〜

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング 3

 石隈さんのお話は、今日で最後です。石隈さんが大切にされていることは、チームで支えるということです。普通の生活の中で、そこで暮らす普通の人がお互いに支え合うことができればと思います。僕も、セルフヘルプグループ型の人間です。仲間とともに何か作り上げていくことが好きです。わいわいがやがや話しているうちに元気になるし、アイデアも浮かんできます。では、石隈さんの「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング、最終を紹介します。

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング
                筑波大学心理学系教授 石隈利紀

《教育講演会》一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート
〜みんなが資源、みんなで支援〜

寅さんと浜ちゃんが違うところ
 寅さんは旅の人で、フーテンですから社長でも先生でもありません。ですから人は、自分の重い鎧をはずして寅さんと自由に話ができます。寅さんは、カウンセリング的にいろいろ相談にのっています。
 一方、浜ちゃんの場合は、同じ会社の人であったり、部下であったり、鎧が薄いけど残っています。
 私たちの日常生活の中で親子、担任の先生と生徒では、鎧をはずすのはお互い怖くてできませんし、めったに簡単にはずさない方がいい場合もあります。カウンセラーは相手がなるべく鎧をはずせるよう接しますが、そういうカウンセラーの援助は時々使えばいい。そんなにしょっちゅうは鎧をはずせないのが現実です。鎧をはずさなくても、日常生活の中で、お互いをよく見て、声をかけあって、楽しくやることで元気になれることが、浜ちゃんから学べます。お互いの鎧を大切にしたら、鎧は軽くなるのかもしれません。お互いに鎧で勝負しないで、鎧について話がしやすくなるのでしょう。その結果、鎧の中にある地の人間を見せることができるかもしれません。
 もちろん寅さんのような人は大切なんですけど、これから子どもをサポートしていく地域とかコミュニティでサポートしていくときに、日常の生活の場面でサポートしてくれる人が増えるといいなあと思います。地域でお店をやっていらっしゃる方とか、コンビニの店長とか、いろんなところで若者に接する人が、子どもや若者を支えてくれてるんですけどね。そんなに深い自己理解が起こるんじゃなくて、ちょっと元気になってまた明日まで生きていけるというか、そういう元気を取り戻すということが大事かなと思います。浜ちゃんのメッセージ、「みんなが違うからおもしろい。みんなが違うからいい」というのは、イコール楽しいとは限りません。結構しんどいです。いろんな価値観の人がいるから。でも、おもしろいです。

チームで支える
 例えばある不登校の中学生を、学校の担任の先生と、カウンセラーと保護者と地域の公民館の方と、話し合いながらサポートするというのは、お互いが大事にしていることが違うから結構めんどうくさいし、連絡も大変です。でも、おもしろいし、結果的に子どもが得をする量が10から11になればいいなあと思うんです。そういう意味でも、チーム援助というのは大切にしていきたい。
 寅さんは援助資源を、なりふりかまわずその場しのぎで使っていきます。葛飾柴又にとらやというだんごやさんがあって、隣に印刷屋がありますよね、たこ社長という人がいて。それからとらやにはおじちゃん、おばちゃん、妹夫婦がいる。これら援助資源をなりふりかまわず活用します。
 浜ちゃんは釣り仲間を日頃からネットワークで作っておく、釣りの同好会。ネットワーク型なんです。だから、みなさん、寅さんに近い人も、浜ちゃんに近い人もいると思うんですが、あるいは両方合わせた人もいると思うんですが、子どもにとって得なことで自分が今の自分でやりやすいタイプをうまく交ぜていけばいいのかなと思います。

 最後に、私のつたない詩を紹介します。

 みんなが資源 みんなで支援
             いしくまとしのり

みんなが資源 みんなで支援
みんなが共に生きる里
仲間と一緒で暖かい

  誰かが資源 誰かを支援
  共に支えて生きる里
  みんな違って面白い

自分が資源 自分を支援
自分育てて生きる里
みんな自分になっていく     了  (「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/16

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング 2 〜石隈利紀さんの教育講演会〜

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング 2

 昨日のつづきです。多くの人が知っている「寅さん」と「浜ちゃん」をキーワードにして、カウンセリングについて語るという石隈さんならではの教育講演会は、易しいことばで展開していきました。僕はマンガは読まないのですが、偶然「浜ちゃん」は時々本屋で立ち読みしてよく知っていました。映画は一作しか観ていません。
 また、「寅さん」は公開時から全作品を観ているのですが、最近、もう一度、全作品を、第一作から連続して観ました。SNSの時代とは違って、人と人とが生身でぶつかり合い、傷つきながらも、互いを思いやる。今の時代だからこそ、もう一度「寅さん」のような人に出会いたいと思います。 「寅さん」と「浜ちゃん」で、石隈ワールド全開です。

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング
                筑波大学心理学系教授 石隈利紀

《教育講演会》一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート
〜みんなが資源、みんなで支援〜


非日常の場での関わり
 寅さんは旅人ですから、相談する人は、寅さんの学級の生徒でもないし、部下でもない。生活を一緒にしてない人ですから利害関係がない。非日常的な場面ですから寅さんのところに来た人は話しやすい。ふるさとに帰って昔の友達に会うとか、旅行に行って土地の人と話をするとか、しょっちゅうはできないけれど、日頃の自分の鎧をはずして、自分の人生を振り返り、自分を取り戻す。寅さんは自分の人生を見直すという手伝いをしてくれます。

強さへの劣等感と反骨精神
 寅さんのエネルギーや優しさがどこから来ているかというと、やっぱり劣等感とか反骨精神だと思います。寅さんは学校にもろくに行っていないし、フーテンですから仕事にちゃんと就いていないし、劣等感がすごく強い。こんな場面がありました。
寅さんが久しぶりに帰ってきた時に、甥の運動会がある。僕が行くって言うと、甥から恥ずかしいから来てくれるなと言われてしまう。「おまえのおじさんはフーテンで落ちこぼれだ」って言われているからです。それを聞いて寅さんはとてもつらい思いをするわけです。
 寅さんの中には劣等感とか反骨精神があって、それが寂しさとか悲しさとか、弱い人への優しさとして熟しています。ただ、寅さんのえらい所は、強い人、立派な人の中にある弱さや悲しさにも優しいところです。失踪したエリートサラリーマンを援助する話も、強い人の中にある弱さ、悲しさに対する優しさの現れです。
 寅さんは、「出世しようがしまいが人間みな同じ」という人生観をもっています。今だとバブルがはじけた後だからなるほどと思う人が多いでしょうが、寅さんはバブル絶頂期にもこのメッセージを出し続けてきました。出世だけが、大切なことじゃないという、強がる時代への批判がありました。弱さを癒し、希望を捨てない、優しさで支える。寅さん映画が盆と正月に上映されたのは、ふるさとで過ごす盆と正月に、自分を取り戻すという意味があったのでしょう。

浜ちゃん:100人に対して一つの顔で接する
 浜ちゃんの映画『釣りバカ日誌』の魅力は、私がアメリカへ行く前には分かりませんでした。浜ちゃんは、鈴木建設という建設会社の営業3課の平社員で、釣りがとっても好きで上手です。鈴木さんという社長さんと仲良しで、その社長さんは浜ちゃんの釣りのお弟子さんなんです。
 私は10年近く、アメリカで暮らし、多くの民族の方々、いろいろな宗教の方々と出会った後で、日本に帰って来て、浜ちゃん映画を見ると、以前と違う感じをもちました。私たちは、価値観が近い人とか似た境遇の人とか仲良くなりやすい。浜ちゃんはいろいろな人と仲良くできて、ひとりひとりを大切にします。日本人はそういうこと、自分と異なる人と仲良くなるのがうまくないですね。だから浜ちゃんはすごいと感じたわけです。私がアメリカで暮らして学んだものは、これが正しいというのではなくて、それぞれの文化にそれぞれの流儀がある、その流儀はその人にとって大事なものだということです。
 アメリカに行って、しばらくしての、大学の修了式。終わると、同世代の女性のクラスメートが、わあと寄ってきて、「トシ」って抱きすくめ、背中をポンポンとたたかれて、びっくりしました。ハッグっていうんですね。日本流には抱きつくみたいな感じ。これはお互いの祝福の証で、別に私を愛しているわけではないことが分かって、あっ、これがアメリカ流なんだと思いました。
 中学生と会っていても、流儀が違うのがよく分かります。私の流儀はあるし、その中学生の流儀もある。それをお互いに尊重するまでいかなくても、どこかで分かり合えればいいなあというのが浜ちゃんだと思うのです。
 寅さんが「100人に対して100の顔をもつ」としたら、浜ちゃんは「100人に対して1つの顔で」接している。私は私でしかないが、あなたはあなたなんだから、そのあなたのことをちょっぴりでも理解したいし、お友達になれるとうれしいなあという、そういうところが浜ちゃんです。 浜ちゃんが主にやっている3つのサポートのやり方があります。

ヽ擇靴い海箸魘気┐
 浜ちゃんは、存在で人を元気にする人です。そして人生を楽しむ達人です。昼休みにデパートの屋上で、安いコーヒーをすごくおいしいって飲む。どんな楽しみ方でも、楽しめるっていうのは素晴らしいことです。また浜ちゃんは、自分だけが楽しむのではなくて、「釣りって楽しいから一緒にやろうよ」と楽しさの渦に人を巻き込んでしまう。
 子どもと深刻な部分でつき合い、サポートをしている時に、苦戦している子どもに、私が今日楽しかったとか、こんな楽しいことがあるとはなかなか言いにくい。私は、ある程度子どもと仲良くなったら、自分の楽しいことを言います。「先生、なんか元気そうだね」「僕は昨日友だちとカラオケに行って、歌がうまいと言われ、今日はうれしい。カラオケは大好きなんだけど、2ヵ月くらい行ってなかったんだ」「よかったね、先生。どんな歌、歌ったの?」「いや、谷村新司の・・」「そんな歌手知らないよ」
 楽しいことは楽しいと言っていいじゃないですか。大人になるとみんなしんどそうにして、真面目そうにしている。真面目は大事だけれど、大人になると酒は飲めるし、パチンコ行けるし、小遣い使える。大人になったらなんかいいことがあるというのを昔は我々が言わなくても、子どもは感じていたんですけど、最近の子どもは感じる機会が少ないのではないでしょうか。
 私たちがそんなに毎日ただ楽しく生きているわけではないし、つらいことも苦戦もたくさん背負ってます。でもなんか楽しいことがある。「今日は大阪にお仕事に行って、親しい親友の伊藤伸二さんと会うんだ」と私は子どもに言います。伊藤さんのことは私の妻は知ってますが、子どもは知らないけれども、なんか仕事で行くのに好きな友だちに会えるっていいなあと思う。中学生の子どもなんて結構現実的で、「大阪に仕事に行って新幹線代は誰が払うの?」とか言う。「ちゃんと仕事するところの人が払うよ」と答えます。すると「仕事で友だちに会えるのは、超ラッキーじゃん」となります。私たちは子どもに楽しいことを言ってもいいということを、浜ちゃんから学べることです。

△い蹐鵑蔑場の人と友だちになる
 浜ちゃんがすごいのは、自分の生き方をもっていて、全く価値観の違う鈴木社長と仲良しというところです。私たち、カウンセラーになろうとかサポーターになろうとか思う必要はないんで、苦戦している人がいたらできる範囲で友だちになるというのは、すごく大事なことです。友だちが作れなくて苦しんでいる子、特に同世代とは友だちになりにくい子どもが増えています。この子は年上とは話せるけど同世代とは話せない、苦しい課題をもっている、そんな真剣に考えなくても、大人でも、誰か接する人が少しでも増えればそれはハッピーですから、子どもであれ、大人であれ、友だちになれるといい。
 私たちは他の文化や、ライフスタイルが違う人と仲良くするのが苦手なところがあります。私もアメリカで結構気を使いました。文化も習慣も違いますから、日本では玄関に入ると靴を脱ぐということも、珍しいから、説明しなければなりません。気も使うし面倒くさい。でも説明して分かってもらえて仲良くなると楽しく充実感がわいてきます。同じ文化の中で生きているというのはすごく気楽ですが、楽して手を抜いているような危機感が私にはあります。浜ちゃんから学ぶことは、いろいろな文化の人、年代の人が仲良くするのは、ちょっぴりしんどいし気も使うが、大切なことだし、楽しいことだよということです。

自分の生き方を見せる
 浜ちゃんのエネルギー源は、自然な人間愛です。妻と子どもと過ごすことを大切にし、友人と過ごすことも大切にしています。人間愛の表現に対しても浜ちゃんはストレートです。妻のみち子さんと一緒に過ごしたい時には、「今日は会社に行きたくない」とか言ってしまいます。
 こういう場面がありました。釣りが終わった後、浜ちゃんと鈴木社長が、浜ちゃんの家でお酒を飲んでいます。鈴木社長はもうそろそろ社長を辞めたいと思っているが、なかなかいい後継者がいない。浜ちゃんだったら人望が厚いし、なってもらったらいいなあと、ふと酔った加減で思ってしまいました。
 「浜ちゃん、出世して社長になる気はない?」
 「僕は今のままでいい。社長になりたくない」
 出世したくないと言う人間がいるなんて鈴木社長は不思議でしようがないから何故か尋ねます。
 「考えてもごらんよ。お魚だって、ヒラメも、鯛も、ブリも、いろんな魚がいるからいいんじゃない」と浜ちゃんは答えます。
 社長が帰った後、妻のみち子さんに、
 「僕が社長になったらうれしい?」
 「社長さんになったら帰りが遅くなるでしょ。そんなのいやだわ」
 みちこさんは、社長になりたくないことに賛成してくれます。私は感動しました。みちこさんが浜ちゃんに賛成してくれたことにではありません。浜ちゃんが自分の強烈な価値観を自分だけのものにしないで、「僕はこうい価値観だけれどもいい?」と、一緒に生きている人に伝える努力をしていることにです。この自分の価値観を説明する努力は、エネルギーがいりますが、大事なことです。(「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83) つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/15

「寅さん」と「浜ちゃん」から学カウンセリング〜石隈利紀さんの教育講演会〜

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング       

 「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83には、『論理療法と吃音』の出版を記念して、石隈利紀さんを講師に、教育講演会を開催したことを掲載しています。國分康孝さんから紹介いただいた石隈さんとは、本当に長い間、深い温かいつながりが続いています。本論の前のお話を紹介します。

「寅さん」と「浜ちゃん」から学ぶカウンセリング
                筑波大学心理学系教授 石隈利紀


《教育講演会》一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート
〜みんなが資源、みんなで支援〜


 『論理療法と吃音』を6月30日には完成させ、発刊を記念して大阪に来て下さいませんか。この電話から教育講演会と出版記念の論理療法上級編の学習会。おまけとして学習会参加者との出版記念の会食会が6月30日から7月1日にかけて開かれました。『スタタリング・ナウ』の84号の上級編という案内に尻込みされた方もおられたのではないでしょうか。初心者ですが、と参加された勇気ある方も、ゆっくりと進められる学習会によく理解ができたのではないでしょうか。遠く長野、山形、東京、広島からも参加し、充実した2日間を過ごしました。
 講演会は当初、日本吃音臨床研究会だけの主催でしたが、幅広く参加して欲しいと、朝日厚生文化事業団、大阪青少年活動財団など、4つの団体と共催しました。その結果、幅広い参加が得られ、180定員の会場は、ぎっしりと人で埋まりました。当初、講演の3時間は聴衆にとって長いのではないかという危惧もありましたが、熱を帯びた3時間はあっと言う間に終わりました。詳しくは日本吃音臨床研究会の皆様にはなんらかの形で報告しますが、2001年6月30日の講演の本論の前のお話も充実して興味深いものでした。その分だけでもと、先行紹介します。石隈利紀ワールドをお楽しみ下さい。
 石隈さんの校閲は受けましたが、編集の文責は編集部にあります。


カウンセリングと援助
 私たちは日頃友達に相談したり、親は子どもの援助をしたり、教師は生徒のサポートをします。援助というのはカウンセラーだけの仕事ではなくて、お互いが助け合うというところからスタートしています。ところが、現代生活において、お互い様で助け合うことが少なくなって、地域社会や人間関係の寂しさの中で、カウンセラーを職業とするような人も生まれてきたようです。カウンセラーや教師という職業は、援助する側になってしまうことが多いのですが、私はしょっちゅうドジをして援助されます。援助したり、援助されたりがないと、援助することの大切さやありがたさが、なかなか分かりません。

4種類のヘルパー
 援助する人を、大きく4種類に分けてみました。
\賁臈ヘルパー
 カウンセラー、精神科医など援助が主な仕事の人。
∧9臈ヘルパー
 教師など、援助が仕事の重要な一側面である人。
L魍篥ヘルパー
 親など自分の役割の一部に、援助が入っている人。
ぅ椒薀鵐謄アヘルパー
 援助するのが仕事でもなければ、家族の役割でもない。でも「ほっとけないから」援助する人。ボランティアということばには、「自発的に」という意味があります。

 教師の援助は、カウンセラーとは、持ち味が違います。たとえば、土砂降りの雨の中で、びしょぬれになって元気がなくなった人が雨宿りして、暖かくしたり、話をしたり、どの辺に行ったら雨がひどくないかというのを一緒に考えたりすることが、カウンセラーの仕事に近いです。
 一方、学校の教師は、土砂降りの雨の中で、生徒と一緒に歩いているので、傘を貸すこともできれば、水たまりが少ない所を一緒に歩くこともできます。時には背負うこともできます。この辺は親とも似てます。生活の中で親は、援助だけではなく、躾や、子どもが何か失敗した時にはその責任を負い、援助だけというなまやさしいものではないと思います。

寅さん:100人に対して100の顔をもつ
 私は大の映画好きでして、特に『男はつらいよ』の大ファンです。その寅さんと、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんが、私のカウンセリングや学校で生徒にかかわるときのお手本となりました。
 寅さんの映画が始まったのは、多分1970年前後だったと思います。私も映画を見てジーンときたり、笑ったり、泣いたり、つらくなったり、複雑な気持ちになりましたが、何故かほっとしました。
 私の出身は山口県です。とてもまじめでしっかりした妹がいて、学校を卒業すると地元に就職して、親元の近くにおります。一方お兄ちゃんである私は、大学に行っても、2年浪人したから自分に自信がもてなくてフラフラしている。30歳を過ぎるとアメリカに行ってしまい、10年近くも帰って来ない。なんか寅さんと妹のさくらさんとの関係に近いところがあって、身につまされるものがありました。
 当時は、映画を見てほっとするだけでしたが、カウンセリングの仕事をするようになって、寅さんって「ただ者じゃない」と思うようになりました。
 山田洋次監督が、渥美清さんは、「100人に対して100の顔を持っている」と話されました。寅さんも、相手の顔に合わせて自分の顔を作れる。相手に合わせて相手の世界に入っちゃう人です。自分の好きになったマドンナがお寺の娘だったら、寅さんは急に住職さんになったりする。法事に行って、堅い住職さんよりも受けたというシーンがありました。自分の好きになった人が考古学の若い先生のときには、急に勉強を始めたり、その気になりやすい。
 そんなに簡単には人のことは分かりませんが、できるだけその人の気持ちになって、その人をサポートする。自分の価値観で勝負しないで、その人の価値観、大切にしているものを分かりたいと思って接する。寅さんはとてもカウンセラー的です。相手をほっとけなくなるのが、人間への関心であり、援助することで表される人間愛で、ボランティアヘルパーです。この癒す力は強いのです。
 寅さんが主にやっていることは次の3つです。

/佑力辰鬚茲聞きます
 寅さんは、たくさん喋っているようで、人の話も結構聞いています。忙しそうにしている人には人は話しにくいのですが、寅さんはひまですから、相手も話しやすい。困った人が誰かのところへ話をしに行ったときに、「私はあなたのために時間を作りますよ」「あなたと一緒に過ごしますよ」というメッセージは大変大きな力になります。すごく大事だと思います。子どもが困って、「お母さん」とか「先生」と言ってきた時に、少しでもいいから、その子のために時間を作ることが大事です。

△覆蠅佞蠅まわず人の味方になります
 仕事のない人には仕事を探してあげる。だまされてお金を取られた人には、お金を取り戻す援助をします。自分にはお金も地位もないから、お金や地位のある人を使っています。なりふりかまわず味方になるというところが寅さんの実にすごいところです。

自分の考えを相手に話します
 「勉強した方がいいよ」「親は大事にしなよ」寅さんは、自分のことを棚に上げて言います。これは大事だと思います。今、価値観がたくさんあって、子どもは自由なんだから、何も言っちゃいけないと大人はびくびくして、何を言っていいのか分からなくなっているようです。でも、「私はこう思う。でも、あなたがどうするかは、あなたが決めればいい」と、伝えたいですね。
 子どもたちや若者と話をしていると、中立の立場もアドバイスもいいが、大人が自分のことを話すとうれしいって言います。私も、高校生や中学生と話をする時、異性の話題が出ると、私はタレントで言えばこういう人が好きだと、自分のことを話すと、結構みんな喜んで聞いてくれます。
 自分のこと、自分の人生について話すこと、また自分の意見を言うことで、相手はこちらを身近に感じてくれることを寅さんから学べます。(「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83)
つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/14

論理療法と吃音―出会いとその後の歩み

自分とうまくつき合う発想と実践

 今、大阪吃音教室の講座の定番となっている論理療法。吃音の問題を考えるときの、一番の基本とも言える論理療法に出会ったのは、1981年のことでした。もう50年以上も前のことです。
 筑波大学教授の國分康孝さんの本で学び、國分さんから紹介してもらった石隈利紀さんに、吃音ショートコースと名づけたワークショップに来ていただいて学びました。論理療法は、本当に吃音と相性がいいと、國分康孝さんの『論理療法の理論と実際』(誠信書房)の本の中の実践編のひとつとして、「論理療法と吃音」を執筆させていただきました。國分さんも、石隈さんも、論理療法が吃音に役立つことを喜んでくれました。「自分とうまくつき合う発想と実践」とのタイトルで書いた、「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83の巻頭言を紹介します。
芳賀書店 論理療法と吃音 表紙 なお、ここで紹介している『論理療法と吃音 自分とうまくつき合う発想と実践』(芳賀書店)は、現在、金子書房から『やわらかに生きる 論理療法と吃音に学ぶ』として出版されています。

自分とうまくつき合う発想と実践
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 カバーはすでにはがされ、手垢で少し黒ずみ、赤エンピツの書き込みがぎっしりの1冊の本がある。『論理療法』(アルバート・エリス著、國分康孝他訳、川島書店)だ。
 1981年、出版されてすぐに書店でみつけ、いつものことながらあまり考えずにその本を買っていた。私の本の買い方はいつもそうだ。新聞の広告だけで大量に本を注文する。手にとって確認して買った本はごくわずかだ。買えば、本棚に積んでおけば、必要な時、その本が「読んでよ!」と呼びかけてくる。そう信じて本を買い込む、つんどく主義だ。
 『論理療法』もそのような本のひとつだった。
 本を買ってしばらくして、時間的に余裕のあった日だったのだろうか、本が私を呼んでいた。手にとって読み始めて、何のことか分からないまま読み進むうちに、うれしくなった。そのまま最後まで読んでいた。もちろん吃音の本ではないが、私が吃音の苦しみの中から考えてきたことが、理論的に整理されているように思えた。本はすぐに、赤鉛筆で真っ赤になった。読んだものを自分なりにカードに写してまとめた。赤鉛筆での囲みや線引きの多いこと、改めてカードへ書き写したこと。たくさんある私の蔵書の中で、この本は極めて珍しい本となった。この本との出会いは、その後何かが起こることも予感させていた。
やわらかに生きる表紙 1986年、第1回吃音問題研究国際大会京都大会。基調講演やシンポジウムで、「吃音は、どう治すのではなく、どう生きるかだ」という私の主張は受け入れられていったが、それを具体的にどう取り組めばいいのかと、世界各国の代表から質問を受けた。考え方だけを提示しただけではだめで、具体的なプログラムを提示する必要があるというのだ。
 それまで、大阪のセルフヘルプグループの例会参加に積極的ではなかった私は、具体的なプログラムを作るために、翌年の大阪吃音教室の全ての講座を担当させてもらった。週に一度の教室は1年間で、45日になる。その全てを担当した私は、毎回資料を作り、講義をし、話し合いを深めていった。どもる人のセルフヘルプグループのミーティングというよりも、生涯学習のカルチャーセンターのような趣だった。これまでにないものを作り出すには、セルフヘルプグループの本来の姿ではないが、最初の1年間は、私一人が担当するのも止むを得ないと思った。参加者は飛躍的に増え、皆真剣だった。その大阪吃音教室で、最も力を入れたのが、論理療法だった。吃音の悩みを論理療法で整理し、どもる人に提案すれば、私の主張がより理解してもらえるかもしれない。どもる人のセルフヘルプグループに本格的に論理療法を導入したのだった。こうして、現在の大阪吃音教室の原型ができあがった。
 その後も、論理療法の実践を積み重ねたが、この辺で整理をしておきたかった。1999年の吃音ショートコースのテーマを『吃音と論理療法』とし、論理療法の専門家である石隈利紀・筑波大学教授から学び直そうとした。吃音ショートコースは、石隈利紀さんの熱意あるお話と、参加者の活発な発言で、論理療法と吃音との関係が深められた。
 その年の年報「吃音と論理療法」の作成には、20名の人がテープ起こしを分担し、それを私が編集することになった。時間のかかる大変な作業だったが、その作業の中で、吃音経験のある芳賀書店の芳賀英明社長が、本として出版して下さることになり、一段と気合が入った。『人間とコミュニケーション―吃音者のために』(日本放送出版協会) 以来、26年ぶりに私の本の編集をして下さった、日本放送出版協会(NHK出版)の編集部長だった、入部皓次郎さんの丁寧なお仕事。粘り強く、いいものにしたいと、妥協をしない石隈利紀さん。三人がぶつかり合う共同作業は厳しかったが、楽しかった。苦しくなると、「いい本になったね」と何度も言い合い、自らを励ました。そうしてできあがった『論理療法と吃音 自分とうまくつき合う発想と実践』は、おかげで、とても読みやすくいい本になったと思う。
 手垢にまみれた本『論理療法』が、今度は吃音を主題にした一冊のまっさらな本へと生まれ変わった。
「論理療法は吃音に役立つかもしれないが、それを活用した吃音の方々から、今度は私たちが生き方を学ぶのです」
 石隈利紀さんが、本のタイトルにといくつか提案して下さった中に、『吃音から学ぶ論理療法』があった。(「スタタリング・ナウ」2001.7.21 NO.83)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/13

吃音と論理療法 4

 昨日のつづきです。石隈さんとの対談の紹介は、今日で最後です。このときの吃音ショートコースの詳細は、金子書房から『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』として出版しました。大阪吃音教室での話し合いや、奈良さんの「仲人」の体験など、論理療法を生かした体験が満載です。
やわらかに生きる表紙 思い出してみても、石隈さんとの出会いは、僕にとって本当にありがたい出会いでした。
 その後、レジリエンス、ポジティブ心理学、ナラティヴ・アプローチ、健康生成論、オープンダイアローグなどたくさんの「吃音とうまく生きる」ために学んできたことはたくさんあるのですが、吃音に一番役立つのが論理療法です。その論理療法を石隈さんから学べたことはうれしいことでした。
 もうひとつ、僕は「先生」と呼ばれるのが好きではありません。いや、むしろ嫌いです。医者、教師以外の人に、特に政治家に「先生」と呼ぶのには嫌悪感さえ覚えます。一時期、僕は、大学の教員だったし、大学や専門学校の非常勤講師はずっとしてきたので、「先生」と呼ばれても仕方がないのかもしれませんが、それでも、「さん」と呼んでほしいのです。吃音親子サマーキャンプでは「先生」は厳禁です。参加者もスタッフも、みんな「さん」づけで呼び合おうと、キャンプのはじめにみんなに言います。
 石隈さんとは、最初の出会いのときから「石隈さん」でした。僕が何の抵抗もなく「石隈さん」と最初から言えたのは石隈さんのお人柄でしょう。僕は全ての場面で「対等性」が大事だと言い続けています。
 そろそろ日本も「先生」と互いを呼び合うことはやめたいものです。
 余談がはいりましたが、石隈さんとの対談の最後です。ごく一部なので興味を持たれたら、是非、金子書房の『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』をお読みください。
 では対談のつづきです。


石隈 今の電話の方はなんかそんな意味があって、ただそれが一人ではしんどいからね。誰かが後押しする。それが論理療法家ですよ。

伊藤 ああ、そうですか。そういうふうに、ぽんと後押しすることですね。僕らどもる人たちのセルフヘルプグループでも、またことばの教室の教師でもスピーチセラピストでも、できることと言えば、どもりを治すことじゃなくて、ちょっと背中をポンと押してあげることしかなんじゃないかと、僕はいつも言っているんです。

石隈 そう思います。いろいろな問題で困っていることがあって、優秀なお医者さんがいて、お医者さんにがんばってもらって、いろいろなことが治るようになることはありがたいですけど、それはもちろん私も否定しません。同時に、その病気をもっている患者であるとか、つきあう立場で言えば、治してもらうことばかりに依存しないで、それは置いておいて、うまく活用して、どうつき合ったらいいかなというのは、自分のできることです。
 学校心理学という分野の話ですが、学校で子どもを援助していて似てることがあります。学校は、教育機関で、お医者さんじゃないが、精神疾患であるとか、発達障害の知的な遅れのある子どもが来る。ところが、それは治せないんです。一時、ご存じのように、障害児教育でも、とにかく訓練して、治すんだということを一生懸命やってきたことがありました。それは大事なんだけど、そればっかりやってると、ほかの生活の面とか、その子らしいいいところが伸びず、時間がもったいない。だから、学校の中で、また我々の仲間うちで治すことはできないが、どうやったらうまくつきあえるか、どうやったら自分らしく生きられるかを、お互いに支えることはできる。これは大きいと思います。
 私は頭で言っているんじゃなくて、私自身がいくつかのつきあっているものがあるんです。私は小さい頃から喘息なんです。つきあいは長いです。私がちっちゃい頃、母は大変だったと思います。夜中に起きてぜいぜい泣くので、親としては辛かったと思います。いろいろ病院にも行きました。喘息のいいところは、薬である程度押さえることはできる。だけど、治ったわけじゃない。別に、それは不幸でもないし、ちょっと不便なだけです。お酒を飲みすぎると出ますが、たまたま私はお酒が強くないからいいんですけど、朝と晩にお薬を2錠ずつ飲んで、朝と晩にスプレーを自分でやって、発作が出たときにはこっそりこれをやる。最近、喉の薬が、まだ売れてなかった歌手(失礼!)が宣伝してヒットしたのがある。喉の薬のおかげで、私がスプレーしても最近は、喘息の薬だとばれないんです。
 これは私がつきあってることです。不便だけど、これで困っていることはない。これを治そうと思ったら、合宿に行ったり、いろいろ治す場所に行ったり、確かにいろいろあります。でも、今の不便さが3だとして、それを0にするために頑張るよりは、他にやりたいことがいっぱいあるので、3とつきあっていくというのです。私はすごく似ているなと思っています。
 だから、伊藤さんの吃音とつきあうというのは、私なりに分かりますし、やっぱりせっかく1回きりの人生だから、いろんなことはあるけれど、つきあうとこはつきあって、たくさん楽しもうと思っています。だから、共感します。
 伊藤さんの最初の21歳の素敵な女性と、23歳の図書館の青年との面接の話は、論理療法からみると、ストンと落ちますね。論理療法って、別にしゃちほこらなくても、選択肢を示すとか、後押しするとか、いろいろ思い切ってとにかく1回試してみるとか、そういうところがあるんですね。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/22
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