教育と愛国
5月15日、十三の第七芸術劇場で、「教育と愛国」(斉加尚代監督)の映画を観ました。
これは、大阪・毎日放送が2017年に放送した「教育と愛国〜教科書でいま何が起きているのか」に追加取材、再構成した作品で、監督は同放送ディレクターの斉加尚代さん。長年、教育現場を取材してきた人です。2017年度ギャラクシー賞・大賞を受賞したテレビドキュメンタリーが、最新取材を加えて映画化されました。斉加さんは毎日新聞の報道記者を経て、ドキュメンタリー担当ディレクターをされています。
今の時代に、大阪毎日放送というメジャーな会社から、よくこんな映画ができたなと思いました。しかし、やはり、内容も、タイトルも堅く、上演してくれる劇場を探すのに苦労したそうです。でも、たくさんの苦労があるけれども、今、このことを伝えないといけないという使命感に似た思いで作ったのだと、上演後のトークで語っていました。上演後のトークショーに誰も残ってくれず、客席0の中でしゃべることになるかもしれないけど、まっいいかと、覚悟を決めたと言います。
政治主導の教育で一番困るのは子どもです。子どもが右往左往することは絶対避けなければならない、監督の志は尊いと思いました。
監督自ら、堅いと言われたこの「教育と愛国」とのタイトルに、僕は最初、違和感をもちました。
1965年からの東京での大学生活で、銀座へ行くといつも見る異様な光景が思い出されるからです。大日本愛国党総裁の赤尾敏が、日の丸と星条旗をかかげ、大音量の軍艦マーチを流し、毎日、数寄屋橋交差点で反共の街頭演説していました。せっかく銀座に遊びに行ったのに、必ず街頭演説している赤尾敏を見るのがとても嫌でした。
明治生まれの父親が、「天皇の戦争責任」を僕たち子どもに語るほどだったので、「お国のため」と死んでいった人たちのことを思うと「愛国心」ということば自体も嫌いでした。教育によって、報道規制によって、国民が一体となって戦争に進んでいく、教育のもつ恐ろしい力を思うと、「教育と愛国」のタイトルは、当初は違和感をもったものの、このドキュメンタリーを意義を想うと、このタイトルしかなかったのかなあとも思いました。
見終わって、「愛国」という、一見きれいなことばに隠された、ひとりひとりを大切にしない、過去の歴史をなかったことにしてしまう、恐ろしさを感じました。世界的に右傾化が言われていますが、大切なことは、事実を事実として見ること、暗部と言われるものに対しても、です。そこから出発しないといけないのに、僕たちの国の政治家の多くは、目をそらさせようとしています。昔にはあまりなかったような「嫌韓本」が書店に平積みされ、「日本は素晴らしい」と、根拠なく書き続ける人たちの「愛国心」がまかり通っています。どこかの首相が「美しい国、日本」「元気な日本を取り戻そう」と叫べば叫ぶほど、日本はどんどん醜い国になっていきます。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって3ヶ月。
日本では、教科書検定で、従軍慰安婦が慰安婦に、朝鮮半島からの強制連行が動員や徴用に書き換えられました。時の政府の一存で、教科書の用語が書き換えられる、これはまさに、教育への明らかな政治介入です。ロシアとどこが違うというのでしょう。今回のロシアのウクライナ侵攻を、「ロシア人は人間じゃない」と批判する人たちも、日本も同じようなことをし、戦争に進んでいく姿を頼もしく熱烈な声援を送っていたことを忘れたのでしょうか。歴史は忘れてはいけないのです。
教育、表現の自由の制限、情報操作の恐ろしさを、この「教育と愛国」の映画は強く国民に訴えているのだと思います。僕たちのひとりひとりの生き方、考え方、歴史観が問われていると思いました。教育は誰のためにあるのか。歴史とどう向き合うのか。教育と学問の自由を侵してはならないのです。
映画の後、監督の斉加尚代さんと、社会学者の白井聡さん(京都精華大学国際文化学部准教授)とのトークがありました。チケットは、完売でした。映画が終わった後の拍手、そして、大阪人らしく、時々笑いが起こるのも、少し救われた思いがしました。
「新しい教科書を作る会」の教科書の代表執筆者の伊藤隆東京大学名誉教授へのインタビューが流れたとき、僕の席の周りの人やあちこちから「失笑する」声がたくさん聞こえました。僕も思わず笑いながら、ここにいる、周りの人たちは仲間なのだと思わせてくれました。
後で買ったパンフレットに、このブログでもよく紹介する松元ヒロさんが、「芸人としてはめちゃくちゃ笑えました」と書いていました。
周りの人たちと思わず起こった「失笑」の場面を紹介します。
―この教科書が目指すものはなんですか?
「ちゃんとした日本人をつくるってことでしょうね」
―ちゃんとしたというのは?
「左翼ではない。むかしからの伝統を引き継いできた日本人・・・・」
―歴史から何を学ぶべきですか?
「学ぶ必要はないんです・・・・あなたの学ぶって」
―たとえば、日本がなぜ戦争に負けたか?
「それは弱かったからでしょう」
これが東京大学で数多くの学者を育ててきた歴史学者の本音です。あまりのレベルのひどさに寒くなりました。このことばを引き出し、公開してもいいと承諾させた、作者の力量を想います。
十三の第七芸術劇場ではかなりの「失笑の声」が聞こえたのですが、他の映画館ではどうだったのでしょう。東大の伊藤隆名誉教授はじめ、愛国教育を推し進めたい人たちの発言に笑ってしまいましたが、笑った瞬間、その後に、静かな恐怖を感じました。黙っていたら、いつの間にか、過去の歴史も、歴史のもつ意味づけも、変わってしまいます。南京虐殺がなかったことになってしまいます。第二次世界大戦の時の沖縄の地上戦での集団自決もなかったことにされてしまいます。怒りがこみ上げてきます。
残念ながら、教科書は検定され、書き換えられています。それでも、自分の力で情報を集め、自分の頭で考える子どもに育って欲しい。それは、どうしたら実現できるでしょうか。僕たち一人一人が心して考え、できるところから実践をしていくしかありません。
とりあえず僕たちにできることは、世間一般にあふれる吃音の情報に惑わされずに、自分の頭で考え行動する子どもたちを育てることだと思います。
学校という場は大きく変化しました。物が言えなくなった教員と、教育委員会のことばを伝えるだけの校長。歴史教育は、権力者が思い描くような歴史にすり替えられ、政府が認めた事実を、歴史として教える場になってしまう学校。小さなできごととして放置しておくと、それはいつの間にか大きな変化になってしまいます。教育現場が活力を失い、教員のやる気を奪っていきます。
1999年、石原慎太郎が東京都知事になってから、教育現場の破壊が始まりました。教員の職員会議は議論するところではなくなり、校長からの政府や教育委員会の上意下達の場になったこと、また、2008年、橋下徹が大阪府知事になってから、大阪の教育は大きく変わってしまいました。大阪には有能な教員は就職しなくなるだろうと思います。
映画にも登場していた中学校教員の平井美津子さんが、客席におられて、発言されました。 「卒業してからも生きてくるのが教育だ。一番難しいのが、自由を護ること。教員は、身近な大人のひとりとして、子どもにとってのロールモデルになりたい。教員ひとりひとりが、どれだけリスクをとって、実践していけるか」
厳しい内容ですが、現場の声として、切実なものがありました。
最後に、トークショーの白井聡さんの話を紹介します。
「この映画が優れているのは、20〜25年という長いスパンで、流れを追っていること。少しずつ確かに進んできた流れを的確にとらえ、しかも、それを重層的にとらえているところだ。映画には、たくさんの人が登場します。教育にこのように介入する、質の悪い政治家を選んだ有権者が一番悪い。主権者教育こそ大事で必要なことだ」
僕たちは、賢い有権者にならないといけない、子どもたちを賢い有権者に育てないといけないと思いました。
また、「教育と愛国」を見ながら、この映画を紹介してくれた私たちの仲間、土井幸美さんのお連れ合いの土井敏邦監督の映画、「私を生きる」を思い出していました。
2010年に制作された映画です。DVDにもなっています。合わせて見ていただきたいものです。
さらにもう一冊。『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』(永尾俊彦 岩波ブックレット1063)もぜひ。冒頭に登場するのが、大阪市長松井一郎宛てに提言をした久保敬・大阪市立木川南小学校校長です。教育の本質から、教育者として子どもをどう育てるかという一番大切な提言でした。真っ当なことをきちんと伝える校長がいることは救いです。この久保校長も、映画のはじめの道徳の授業に登場します。
映画を観てから、日を置いて、ブログを書いています。時間は経ちましたが、静かな恐ろしさとともに、教育は誰のためにあるのか、歴史とどう向き合うのか、僕たちひとりひとりの生き方、考え方、歴史観が問われているという思いを、さらに強くしています。教育と学問の自由を侵してはならないと。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/22

これは、大阪・毎日放送が2017年に放送した「教育と愛国〜教科書でいま何が起きているのか」に追加取材、再構成した作品で、監督は同放送ディレクターの斉加尚代さん。長年、教育現場を取材してきた人です。2017年度ギャラクシー賞・大賞を受賞したテレビドキュメンタリーが、最新取材を加えて映画化されました。斉加さんは毎日新聞の報道記者を経て、ドキュメンタリー担当ディレクターをされています。
今の時代に、大阪毎日放送というメジャーな会社から、よくこんな映画ができたなと思いました。しかし、やはり、内容も、タイトルも堅く、上演してくれる劇場を探すのに苦労したそうです。でも、たくさんの苦労があるけれども、今、このことを伝えないといけないという使命感に似た思いで作ったのだと、上演後のトークで語っていました。上演後のトークショーに誰も残ってくれず、客席0の中でしゃべることになるかもしれないけど、まっいいかと、覚悟を決めたと言います。
政治主導の教育で一番困るのは子どもです。子どもが右往左往することは絶対避けなければならない、監督の志は尊いと思いました。
監督自ら、堅いと言われたこの「教育と愛国」とのタイトルに、僕は最初、違和感をもちました。
1965年からの東京での大学生活で、銀座へ行くといつも見る異様な光景が思い出されるからです。大日本愛国党総裁の赤尾敏が、日の丸と星条旗をかかげ、大音量の軍艦マーチを流し、毎日、数寄屋橋交差点で反共の街頭演説していました。せっかく銀座に遊びに行ったのに、必ず街頭演説している赤尾敏を見るのがとても嫌でした。
明治生まれの父親が、「天皇の戦争責任」を僕たち子どもに語るほどだったので、「お国のため」と死んでいった人たちのことを思うと「愛国心」ということば自体も嫌いでした。教育によって、報道規制によって、国民が一体となって戦争に進んでいく、教育のもつ恐ろしい力を思うと、「教育と愛国」のタイトルは、当初は違和感をもったものの、このドキュメンタリーを意義を想うと、このタイトルしかなかったのかなあとも思いました。
見終わって、「愛国」という、一見きれいなことばに隠された、ひとりひとりを大切にしない、過去の歴史をなかったことにしてしまう、恐ろしさを感じました。世界的に右傾化が言われていますが、大切なことは、事実を事実として見ること、暗部と言われるものに対しても、です。そこから出発しないといけないのに、僕たちの国の政治家の多くは、目をそらさせようとしています。昔にはあまりなかったような「嫌韓本」が書店に平積みされ、「日本は素晴らしい」と、根拠なく書き続ける人たちの「愛国心」がまかり通っています。どこかの首相が「美しい国、日本」「元気な日本を取り戻そう」と叫べば叫ぶほど、日本はどんどん醜い国になっていきます。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって3ヶ月。
日本では、教科書検定で、従軍慰安婦が慰安婦に、朝鮮半島からの強制連行が動員や徴用に書き換えられました。時の政府の一存で、教科書の用語が書き換えられる、これはまさに、教育への明らかな政治介入です。ロシアとどこが違うというのでしょう。今回のロシアのウクライナ侵攻を、「ロシア人は人間じゃない」と批判する人たちも、日本も同じようなことをし、戦争に進んでいく姿を頼もしく熱烈な声援を送っていたことを忘れたのでしょうか。歴史は忘れてはいけないのです。
教育、表現の自由の制限、情報操作の恐ろしさを、この「教育と愛国」の映画は強く国民に訴えているのだと思います。僕たちのひとりひとりの生き方、考え方、歴史観が問われていると思いました。教育は誰のためにあるのか。歴史とどう向き合うのか。教育と学問の自由を侵してはならないのです。
映画の後、監督の斉加尚代さんと、社会学者の白井聡さん(京都精華大学国際文化学部准教授)とのトークがありました。チケットは、完売でした。映画が終わった後の拍手、そして、大阪人らしく、時々笑いが起こるのも、少し救われた思いがしました。
「新しい教科書を作る会」の教科書の代表執筆者の伊藤隆東京大学名誉教授へのインタビューが流れたとき、僕の席の周りの人やあちこちから「失笑する」声がたくさん聞こえました。僕も思わず笑いながら、ここにいる、周りの人たちは仲間なのだと思わせてくれました。
後で買ったパンフレットに、このブログでもよく紹介する松元ヒロさんが、「芸人としてはめちゃくちゃ笑えました」と書いていました。
周りの人たちと思わず起こった「失笑」の場面を紹介します。
―この教科書が目指すものはなんですか?
「ちゃんとした日本人をつくるってことでしょうね」
―ちゃんとしたというのは?
「左翼ではない。むかしからの伝統を引き継いできた日本人・・・・」
―歴史から何を学ぶべきですか?
「学ぶ必要はないんです・・・・あなたの学ぶって」
―たとえば、日本がなぜ戦争に負けたか?
「それは弱かったからでしょう」
これが東京大学で数多くの学者を育ててきた歴史学者の本音です。あまりのレベルのひどさに寒くなりました。このことばを引き出し、公開してもいいと承諾させた、作者の力量を想います。
十三の第七芸術劇場ではかなりの「失笑の声」が聞こえたのですが、他の映画館ではどうだったのでしょう。東大の伊藤隆名誉教授はじめ、愛国教育を推し進めたい人たちの発言に笑ってしまいましたが、笑った瞬間、その後に、静かな恐怖を感じました。黙っていたら、いつの間にか、過去の歴史も、歴史のもつ意味づけも、変わってしまいます。南京虐殺がなかったことになってしまいます。第二次世界大戦の時の沖縄の地上戦での集団自決もなかったことにされてしまいます。怒りがこみ上げてきます。
残念ながら、教科書は検定され、書き換えられています。それでも、自分の力で情報を集め、自分の頭で考える子どもに育って欲しい。それは、どうしたら実現できるでしょうか。僕たち一人一人が心して考え、できるところから実践をしていくしかありません。
とりあえず僕たちにできることは、世間一般にあふれる吃音の情報に惑わされずに、自分の頭で考え行動する子どもたちを育てることだと思います。
学校という場は大きく変化しました。物が言えなくなった教員と、教育委員会のことばを伝えるだけの校長。歴史教育は、権力者が思い描くような歴史にすり替えられ、政府が認めた事実を、歴史として教える場になってしまう学校。小さなできごととして放置しておくと、それはいつの間にか大きな変化になってしまいます。教育現場が活力を失い、教員のやる気を奪っていきます。
1999年、石原慎太郎が東京都知事になってから、教育現場の破壊が始まりました。教員の職員会議は議論するところではなくなり、校長からの政府や教育委員会の上意下達の場になったこと、また、2008年、橋下徹が大阪府知事になってから、大阪の教育は大きく変わってしまいました。大阪には有能な教員は就職しなくなるだろうと思います。
映画にも登場していた中学校教員の平井美津子さんが、客席におられて、発言されました。 「卒業してからも生きてくるのが教育だ。一番難しいのが、自由を護ること。教員は、身近な大人のひとりとして、子どもにとってのロールモデルになりたい。教員ひとりひとりが、どれだけリスクをとって、実践していけるか」
厳しい内容ですが、現場の声として、切実なものがありました。
最後に、トークショーの白井聡さんの話を紹介します。
「この映画が優れているのは、20〜25年という長いスパンで、流れを追っていること。少しずつ確かに進んできた流れを的確にとらえ、しかも、それを重層的にとらえているところだ。映画には、たくさんの人が登場します。教育にこのように介入する、質の悪い政治家を選んだ有権者が一番悪い。主権者教育こそ大事で必要なことだ」
僕たちは、賢い有権者にならないといけない、子どもたちを賢い有権者に育てないといけないと思いました。

2010年に制作された映画です。DVDにもなっています。合わせて見ていただきたいものです。

映画を観てから、日を置いて、ブログを書いています。時間は経ちましたが、静かな恐ろしさとともに、教育は誰のためにあるのか、歴史とどう向き合うのか、僕たちひとりひとりの生き方、考え方、歴史観が問われているという思いを、さらに強くしています。教育と学問の自由を侵してはならないと。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/22