伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

渡辺貴裕

吃音親子サマーキャンプ 番外編 渡辺貴裕さんのこと

 もうひとり、吃音親子サマーキャンプになくてはならない人を紹介します。
 東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。
渡辺貴裕 13回サマキャン 渡辺さんとの出会いは、僕たちが事務局をしていた竹内敏晴さんの大阪定例レッスンでした。1999年の春、竹内敏晴さんの定例レッスンを大阪市内の應典院で始めることになりました。渡辺さんはその頃まだ京都大学の大学院生でした。定例レッスンが始まってすぐだったと思うのですが、毎月第二土日のレッスンに参加するようになりました。そのとき、僕が「吃音親子サマーキャンプというのをしているんだけど、おもしろいから参加しない?」と声をかけたようです。僕は覚えていないのですが、渡辺さんがそう言うのですから、間違いないでしょう。吃音とは全く縁のなかった渡辺さんが、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加するようになりました。その後、渡辺さんは、大学の先生になり、今は、東京学芸大学教職大学院の准教授です。
 2009年6月の初め、竹内敏晴さんから、がんと診断されたと連絡が入りました。がんの痛みに耐えながら、吃音親子サマーキャンプの最後の芝居となった宮沢賢治の「雪わたり」のシナリオを書きあげ、7月、吃音親子サマーキャンプのための劇の演出・指導の事前レッスンを終え、9月にお亡くなりになりました。私たちの吃音親子サマーキャンプをとても大切にしていてくださったのです。
渡辺さん3 演劇活動は、吃音親子サマーキャンプの大切なプログラムです。僕たちだけではとても続けることはできません。困っていたとき、「竹内さんを引き継いで、僕が芝居を担当しましょうか」と申し出てくれたのが、渡辺さんでした。とてもありがたい申し出でした。 そして、2010年のサマーキャンプから、竹内さんが残してくださった台本をもとに、渡辺さんが構成・演出をしてくれています。スタッフのための合宿による事前のレッスンもしてくれています。渡辺さんは、スタッフが当日子どもたちに指導することを念頭において、その年の芝居につながるエクササイズをたくさん紹介してくれます。事前レッスンでのスタッフは、渡辺さんの魔法にかかったかのように、いつのまにか、渡辺ワールドに入り込み、芝居の中に入っていってしまいます。参加しているスタッフはみんな本当に楽しそうに練習しています。僕は、毎回、その様子を見て、これだけスタッフが楽しんでくれるのだからきっと子どもたちも喜んでくれるだろうと確信します。参加申し込みが少ないときは、スタッフのための吃音親子サマーキャンプもありだなとも思うのです。
渡辺さん2 今年、渡辺さんが竹内さんから引き継いで劇の演出・指導をしてくれるようになってから14回目のサマーキャンプでした。これは、竹内さんが演出・指導してくださった年数と全く同じです。
 また、演劇だけでなく、2日目の午前中の作文教室でも、高校生や中学生の話し合いの場にも、渡辺さんは欠かせない存在です。
 吃音親子サマーキャンプ史上、最初で最後の集合写真を撮ってくれたのも、渡辺さんでした。『親、教師、言語聴覚士がつかえる、吃音ワークブック』(解放出版社)の表紙を飾っている写真です。
 渡辺さんの専門は教育方法学、教師教育学。演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰し、授業や模擬授業の「対話的検討会」の取り組みなど教師教育分野でも活躍されています。あちこちの現場に呼ばれ、講演や演習を精力的に取り組んで、本当にお忙しい日々を送っておられるのですが、吃音親子サマーキャンプの事前の演劇レッスンと本番の3日間は、スケジュールを空けてくれています。
渡辺さん1 このように、吃音親子サマーキャンプにとって、なくてはならない、唯一無二のスタッフのひとりひとりが、それぞれの持ち場で動き、吃音親子サマーキャンプは、34年間継続してきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/10

第34回吃音親子サマーキャンプ 演劇のための事前レッスン〜吃音親子サマーキャンプは、演劇の事前レッスンから始まる〜

 演劇のための事前レッスンの報告の前に、うれしい話を紹介します。

 吃音親子サマーキャンプは、今年、34回を迎えますが、本当にいろいろなドラマを生み出してきました。小学生として参加していた子が高校3年生で卒業して、またキャンプのスタッフとして戻ってきてくれる、こんなことは、なかなかないことだろうと思います。僕たちがキャンプで伝えたかったことをしっかりとつかんでくれた子が、今度はスタッフとして、どもる子どもたちに伝えてくれている、そんないい文化、いい伝統が受け継がれているのです。
 そんなサマキャン卒業生で、常連スタッフのひとり、大輝君から、事前レッスンの初日に、メールがありました。

 「事前合宿お疲れ様です。サマーキャンプの参加についてですが、仕事で1・2日目の休みが取れず、キャンプ自体への参加が難しくなりました。猶予をギリギリまで与えていただいていたのにすみません。父親になりたての自分がこんなことを偉そうに言うことではないですが、大変な思いをして僕を育ててくれたこと、サマーキャンプに連れてきてくれたことから人生が好転したこと。娘の顔を見ながら、そんな親の苦労や親への感謝を感じる日々です。尚更、参加したかった。
 そんなことを言いながら、来年度にはふるさとの愛知へ移って、子育てをしていく予定です。
両親が近くにいる分、子育てのことを頼ってしまうかもしれませんが、その分、サマキャンには参加しやすいかもしれません。
 来年度以降は全力でサマキャンに関われるようにしたいと思ってますので、どうかお二人ともお元気でいてください。
 事前合宿のみなさんも、暑い中大変だと思いますが、頑張ってください」

 そして、赤ちゃんを抱っこしている大輝君の写真も添付されていました。事前レッスンに参加しているスタッフの全員が大輝君を知っています。大輝君が小学生だった頃を知っているスタッフも少なくありません。みんな、写真を見ながら、「おーーーーっ。父ちゃんになったんやー」と感慨深いものがいっぱいでした。自分が親になって、サマーキャンプに連れてきてくれた、その頃の親の思いを知る、ということなのでしょう。長いスパンでつきあっていると、こんなうれしいことに遭遇します。こうなると、来年までがんばらないといけないな、元気でいないといけないな、と思います。

事前レッスン5 さて、今年の事前レッスン、23人の参加でした。東京、埼玉、千葉、静岡、三重、愛知、兵庫、新潟、京都、大阪など、かなり遠くからの参加もありました。この事前レッスンを担当してくれているのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。渡辺さんは、吃音とは全く関係ありませんが、大学生の頃から今まで欠かさず、26年間、このキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなった後は、竹内さんのシナリオをもとにした演劇をスタッフが子どもに指導するための事前レッスンの担当をしてくれています。竹内さんが事前レッスンをしていた期間と、渡辺さんに代わって渡辺さんが担当してくれている期間とがほぼ同じになったということでした。これまた長いおつきあいに感謝しています。

事前レッスン7 演劇の事前レッスンの会場は、僕の両親が眠っている浄土宗・銀山寺というお寺の一角にある研修室です。1998年頃から、リーダー研修会やサマーキャンプの事前レッスンなどの会場として、使わせてもらっていたことが記録に残っています。

 今年の演劇の演目は、宮沢賢治の作品の「雪わたり」。10年ぶりの上演です。登場するのは、人間の子どもの四郎とかん子、そして別の世界に住んでいるきつねたちです。この子どもときつねのやりとりが、リズミカルなことばの繰り返しで展開していきます。
 初めはからだを動かし、声を出し、歌を歌い、演劇に入る準備をしました。芝居の中でのある場面につながるモチーフを、いつもいろんな形で提示してくれる渡辺さん。みんな渡辺さんのリードで、宮沢賢治の世界に入り込んでいきました。
事前レッスン1 みんながいろんな役を交代でしていきます。途中でストップしては、小さなグループを作り、似た場面を演じたり、せりふの言い回しを考えたりします。すると、舞台の上で繰り広げられる世界が変わります。このエクササイズが、サマーキャンプ当日、子どもたちと劇を作っていく上でとても役に立つのです。
 全員がそろった頃に自己紹介。このスタッフで、サマーキャンプがいよいよ始まるぞという気分になります。

 立候補したり、推薦したりして、役が決まっていきました。積極的に出ていく人、遠慮がちな人、それぞれの性格が表れます。衣装や小道具のことも相談しました。衣装や小道具を担当してくれる人には、台本を見ながら、いろいろとアイデアが浮かぶようです。「何かほしい物があったら、発注してください」という声もありました。自他共に認める衣装・小道具係がいてくれること、本当にありがたいことです。
事前レッスン8 一日目は夜9時過ぎまで練習をし、その後、実行委員会をしました。二日目は朝9時から練習を始めました。土曜日、どうしても抜けられない用事があって参加できなかった人が、夜行バスでかけつけてくれました。午後、通し稽古をして終了。いつものように井上さんがその様子を録画してくれました。それをみんなで共有し、復習をします。当日までの自主練です。

 「サマーキャンプは、事前レッスンから始まる」、僕たちはよくそう言ってきました。
 そう、吃音親子サマーキャンプは、ここ、演劇の事前レッスンから始まります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/14
事前レッスン2事前レッスン3事前レッスン4事前レッスン9

「対等」であることを学ぶ3日間〜第22回吃音親子サマーキャンプの報告〜

 いつ頃からか、僕たちは、今からの季節を「吃音の夏」と呼ぶようになりました。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、吃音親子サマーキャンプ、千葉や島根などの吃音キャンプ、各地での研修会など、たくさんのイベントが夏、そして夏に続く秋に集中しています。わくわくしながら、この「吃音の夏」を楽しんでいます。
 今年の「吃音の夏」は、6月の島根県の聴言研修会、保育勉強会から始まります。
今日は、2011年の第22回吃音親子サマーキャンプの報告です。報告者の坂本英樹さんは、娘がどもることをきっかけに僕たちとつながりました。ずっと昔から一緒に活動していたかのような関係、うれしくありがたく思っています。(「スタタリング・ナウ」 2011.10.23 NO.206)

「対等」であることを学ぶ3日間〜第22回吃音親子サマーキャンプの報告〜
                     坂本英樹(大阪・私立向陽台高校)
はじめに

 彦根市立荒神山自然の家で22回目となる吃音親子サマーキャンプが8月26日(金)から28日(日)の日程で開催された。どもる子ども42名、その保護者38名、兄弟2名、スタッフ34名の総勢116名が東は千葉、埼玉から、西は福岡、大分、佐賀までの地域から参加した。
 一人ひとりが経験したことの総和以上のものがこのキャンプにはあるだろうが、以下ではどもる子どもの親、スタッフとして初参加の私が見聞した範囲から、感じ、考えたことを報告する。

それは事前レッスンから始まった

 キャンプに先立つこと約1ヶ月、7月23日、24日と一泊二日でスタッフの事前レッスンが大阪市天王寺区の銀山寺で行われた。私にとって大阪スタタリングプロジェクト以外の参加者とは、その時初めて顔を合わせたわけなのだが、「どうなるか?」という不安より、不思議なことにある種の連帯感を感じることができた。「さあ、これから一緒に演劇に取り組みましょう。キャンプを一緒にやっていきましょう」という空気がビンビンと伝わってきて、気分が高揚していくのを感じていた。この感じは参加者の自己紹介によってさらに大きくなった。
 遠くは千葉や神奈川や島根から、みんな手弁当で参加しているのだ。驚くべきことに、「キャンプ自体には都合でどうしても参加できないが、このレッスンだけでも参加したい」という常連のスタッフの人たちがいた。これはスタッフがどもる子どもとその家族のためという考え方ではなく、自分自身のためにも当事者とともにキャンプに参加しているという考え方、意識をもっているからなのだろう。出張旅費の清算や義務的に書き上げられる報告書から自由な、熱い思いと志をもつ人々と時間を共有できる喜びを私は感じていた。
 芝居の題目は「からすのくれたきき耳頭巾」。
 二年前に亡くなられた竹内敏晴さんの脚本、演出の役割は、学生時代から竹内レッスンに参加し、いまやキャンプの常連スタッフとなった渡辺貴裕さんである。
 体を温め、ほぐすレッスンといくつかのエチュードを行って、いよいよ芝居の練習である。台詞と体の動きがなかなか一致しない。私は台詞が覚えられないのは歳のせい、ということにしてもみんな自分の台詞に精一杯で他の演者の台詞を聞いていない、いや台詞の意味自体の把握ができていない。その度に渡辺さんからストップがかかる。「この台詞は誰の言葉に反応したものなのか、そしてどう感じてこの言葉になったのか」と問われて考える。この繰り返し。こうしてようやく私たちは劇世界を把握することができるようになった。
 渡辺さんが繰り返したのは「ひとつひとつの言葉に反応することで次の言葉がでてくる」ということ、きちんと相手と関わるということである。
 演出は声の質にも及ぶ。私が演じる「藤六」が「おーい、小鳥どんよう」と遠くにいる小鳥に呼びかけるシーンがある。私の声は十分大きいはずなのだが、「その声は小鳥に届いていない」との指摘を受けてはっとさせられた。おそらく私の声は対象に向けられていない、声量があるだけで拡散してしまっていたのだ。それること、途中で落ちることなく、言葉を相手に届けることを教えてくれたのだ。教員という職業柄、私にとって人前で話すことは日常なのだが、私の声は生徒に届いているのか、独りよがりの授業になっていないか。生徒との関係を見直さなければならないと思う。
 大阪スタタリングプロジェクトから初参加の香緒里さんも声の演出を受けた一人だ。「からす」役の彼女は難発からスムーズに台詞が出てこない場面があったのだが、演出の過程で太く伸びやかな声が出てきた。まさに「声が生まれる」現場に私たちは立ち会うことができたのだ。
 渡辺さんが丁寧な演出を通して伝えてくれようとしたことは、子どもたちとの劇づくりのあり方であった。これを糧として荒神山へと向かうことができるだろう。私たちはワー、キャー言いながら大笑いで、そして真剣に、相手に言葉を届けること、人と関わることの楽しさ、喜びを表現した。事前レッスンだけでも参加したいというメンバーの気持ちがわかってきた。こうして私はキャンプの精神を学んでいった。
 心地よい疲労感を残して事前レッスンは終了した。何十年ぶりかで「手のひらを太陽に」を歌うこともできた。歌いながら胸に迫るものがあった。「僕はこういう場を共有できる人と出会いたくて教員になったのだったなあ」という気持ちがこみ上げてきたからだ。どもる子の親としてのキャンプから私自身のキャンプになった瞬間だった。
 あとは当日を迎えるわけだが、その前になぜ私がこの場にいるのかについて述べてみたい。

娘がどもり始めた頃

 昨年の秋、当時小学5年生だった私たちの娘の苑珠(えんじゅ)が家での音読の際に、「言葉がつまって読めない。読めるのに読めない」と目をはらしながら訴えてきた。聞くと、学校でも同様で、言葉がつまってすぐに出てこないので、担任の先生から読み直しをさせられているというのだ。確かに、国語の教科書に向き合う娘の口からは「……。…っ」という感じでスムーズに言葉が出てこないではないか。4年生の時には宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を暗唱していたのになぜなのか、私は戸惑うばかりだった。肩があがり、浅い呼吸で息を吸ってばかりいる娘に、「ゆっくりと、リラックスして読んだら」というような典型的なピントはずれのアドバイスをし、過度の緊張か、何らかの神経症を疑うくらい当時の私は「どもり」に関して無知だつた。
 自分のことが大好きだった娘が、涙を流しながら悔しそうに「わかっていて読めないのは、自分がバカだからだ」と言い出してきた時には、連れ合いと二人でさすがに動揺した。アドバイスにならないアドバイス、励ましにならない励ましをしながら、彼女の音読につきあうしかなかった。そうしているとつまる以外にも、言葉の繰り返しや引き延ばしがあることもわかってきた。
 ここで、娘が3,4歳の頃の記憶が甦ってきた。いろいろな言葉を急速に覚え始めた娘は時々、「え、え、えんじゅ」や「えーんじゅ」という言い方をしていたのだ。吃音かもしれないとは思ったものの、一時的な現象としてしか当時は、理解していなかった。何よりもその話し方をとても、チャーミングなものと感じていたし、独特なリズムを可愛いとしか思っていなかった。
 学齢期に入っても、言葉の問題で課題があるとの認識はなかった。たまに感情が高ぶると、話す際に一瞬、間が空くことがあったが、この子は気持ちがいっぱいになると、言葉が追いつかないのだと考え、これまた、可愛いなあと思っていたのだ。
 ここにきて、これだけ鈍い、勘違いの私も彼女の示している状態が吃音であろうと考えた。しかし、私は吃音に関してはまったくの無知である。まずは正確な知識を得ようと思い、日頃からよく見ている「arsvi.com 生存学」というサイト内で「吃音」と検索した。そして、最初にヒットしたのが、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)の内容紹介であった。

「大阪吃音教室」との出会い

 柔らかい題名と内容紹介にひかれて、さっそく購入して読み始めた。娘がつまると表現する状態が「難発」であり、毎晩訴える不安は「予期不安」、「場面恐怖」、「吃語恐怖」によって説明できること、彼女がなぜ電話に出ることを避けるのかということも了解できた。目からうろこが落ちたと同時に、彼女の「どもり」をわからなかったことに親として申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 何らかの課題をもつ子ども・生徒に寄り添うことが教員としての倫理であると自認していたのに、自分の子どものことが見えていなかったのだ。
 これを契機に伊藤伸二さんの本を手にはいる限り集めた。しかし、何がそこまで私を駆り立てたのか。ひとつは、吃音のもつ豊かな世界に魅せられたからであり、もうひとつは私が関心もつ他の課題、「発達障害」と吃音とが共振するからである。
 たとえば、発達障害に関する研修会などでは、進路選択にあたっては当事者の「自己理解」が重要であることが語られる。そして、自己理解のためには「障害受容」が必要であるともいわれる。自己理解までは納得できる。しかし、「障害受容」という言葉にはある種の暴力性がある。当事者や親にとって、その特性とは生涯向き合っていくものである。うまく向き合える時もあれば、困難な時もあろう。「ゆれ」を伴いつつ、向き合っていくものであるはずだ。受容できる、できないという考え方は乱暴だろう。
 そもそも、「発達障害をもつ本人や保護者の障害受容ができていなくて困る」というような文脈でこの言葉を使う教員は、自分とその生徒との関係性の中で、ある特性が「障害」として現象していることが理解できていないのだ。
 しかし、日本吃音臨床研究会、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室では、吃音と「つき合う」という言葉を使う。「つき合う」ということなら、うまくつき合えている時も、うまくつき合えない時も「つき合う」ということであろう。私にはこの言葉の包含する世界の広さが新鮮だった。そして、本からだけでなく、そのつき合い方の「流儀」、「生の技法」とでも呼べるものに触れたいと考え、勿論、娘のための情報を得るためにでもあるが、昨年末に「大阪吃音教室」に一度、参加した。
 そこは、参加者の率直な自己開示に支えられて新たな視点が提示される、驚きと笑いの絶えない場であった。私はその場のもつ力に魅了され、以来ほぼ毎週参加するようになった。そして、ここが主催するキャンプへの思いが膨らんでいった。

「出会いの広場」という装置

 キャンプ初日、「開会のつどい」では主催者挨拶に続いて、参加者紹介が行われた。ひとかたまりになっている家族、離れて座っている家族がいる。複数回参加の子どもは顔見知り同士で座っている。参加者間のいろいろなつながりを見ることができる。初参加の親の中には、自分の子どもがこの場で、友だちを得ることができるのだろうかと不安をもつ人もいるだろう。しかも、ここからは家族単位ではなく、親は親として、子どもは子どもとしての活動に参加していくのである。「出会いの広場」は今年度のキャンプ参加者としてのアイデンティティと連帯感の形成を目的としている。スタッフを含め、初参加者と複数回参加者とがともに、ここから新たな関係性をつくっていくのである。
 担当は桑田省吾さん。桑田さんが登場するだけで何か、楽しいことが始まる予感がする。会場のあちこちで、「吃音ワークブックの表紙にのってるおっちゃんや!」という歓声があがっていたに違いない。ゲームは会場を走り回りながら、参加者同士でコンタクトをとる形のものが多く、ごく自然に「こんにちは、よろしく」と挨拶を交わしている気がした。みんな真剣に遊んでいる。親も子どももゲームに夢中だ。ジェスチャーゲームは大盛り上がり、この勢いがあれば芝居も心配いらないかも!?ウクレレ登場など桑田さんの引き出しの豊かさに感心しつつ、少し息が上がってきた頃には心も体もすっかりリラックス、お互いずっと前からの知り合いのようである。ゲームの最後は、「どもりカルタ」。カードを選び、声に出し、「わかる、わかる。私もそう」という思いを引き出したところで、次の活動へと移っていくのである。
 ここで形成される連帯感はキャンプ全体を支えるものである。これがあるから、初参加の親も親としてはいくらでも心配事や気になることはあるであろうが、安心して子どもをこれからの活動にゆだねることができるのだし、自らは親の学習に励むこともできるのだと思う。
この連帯感を証明する例として、食堂の利用状況があげられる。通常、このキャンプのように席が決められていない場合には、席はなかなか埋まらずに、気まずい空気の中で時間が過ぎて行くものなのだが、食堂にやってきた人たちは空いている席を見つけては次々と埋めていったのだ。実に気持ちのよい行動だと思う。本質的なことが共有できていれば、人は自主的に動けるものなのだ。

吃音についての話し合い

 さて、これからはキャンプの3つの柱に従って報告をしていく。「話し合い」は親も子どもも90分が2回、間に「作文教室」を挟む形で行われた。
 親グループは4つに分けられ、そこに、ファシリテーターとしてスタッフであるどもる大人や「ことばの教室」の教員も入る形で行われた。悩みを抱えてキャンプにやってきた親にとってはその悩みを受けて止めてくれる人と出会えただけでも大きなことだろう。複数回参加者からの反応や共感は孤立感から解放してくれるし、そこに親として目指すべきモデルを見出すこともできる経験だ。一方、複数回参加の親にとって、その姿はかつての自分の姿であり、なんとかここまでやってきた自分を確認できる経験である。みんな驚くほど、同じような体験をしてきたことを知り、しかし、それへの対応は実に様々であることも知る。いろいろなやり方、考え方があることを知り、価値観を広げていくこができる。
 親にしてみれば、「ことばの教室」の教員がいることは自分の子どもの教員との関係を考えるための、よい参考となるだろうが、むしろ「ことばの教室」の教員にとってこそ、こうした親の思いを聞くことは、自らの日頃の子どもや親との関わりを振り返る契機となり、今後の関わり方の糧となるに違いない。しかし、親にとって一番ありがたいのは当事者である、どもる大人の存在だ。ともすれば、親というものはどもったままでこれから大丈夫なのか、進学は?就職は?というように不安を先取りしがちになるものだが、どもるスタッフの存在は、どもりながらでも何とかちゃんとやっていけること、自分自身の人生を時には一人で、時には仲間の力を得ながら切り開いてきたことを雄弁に語っている。それだけでなく、どもる大人は参加者に自分の体験、悩んだこと、考えたことを語ることを通して「他者貢献」している存在でもあるのだ。当事者の姿に励まされて、親はわが子の成長していく力を信じていこうと思えるのだ。
なかには成長したわが子がスタッフとしてキャンプに参加する姿を想像する親もいるだろう。生きたモデルとしてのどもる大人の存在意義は大きい。
 いずれのグループの話し合いも充実したものだったろう。それは、子どもの劇に先立つ親グループによる表現活動・パフォーマンスの爆発ぶりによく表れている。話し合いの充実度と表現活動の完成度は比例するものだろう。
 子どもの話し合いのグループは年代別の構成になっている。私は川崎益彦さん、西尾加奈子さんとともに中学3年生のグループを担当した。饒舌ではない、でも言いたいこと、話したいことはもっている。自分の中で言葉を選びながら、考えることと話すスピードとが同調するかのように、とっとつと紡ぎ出されてくる言葉。前の人の発言が次の人の発言を引き出し、繰り返されていく静かだが深い応答。いろいろな考え方、感じ方の交換を通して、自分自身の考え方や価値観が広がっていく経験。高校生になって入るつもりのクラブでの自己紹介に対する予期不安への対処法や言葉がつまったときの工夫、目の悪さにはマイナスの印象はもたれにくいのに、吃音がもたれるのはなぜなのか。いくつかのテーマが重なるようにして話し合いは続いていった。目の前にいる相手の発言を受け止めて応答していくその誠実な姿勢に、話し合いはその過程において、自己変容を伴うものだということを教えてもらったように思う。
 他グループの話し合いの内容は夜のスタッフ会議で報告される。高校生グループでは恋愛についての悩み、不安が話題となり、来年結婚するスタッフの香緒里さんの体験が共有されたという。彼の親の前でどもりながら挨拶をする香緒里さんをまるごと認めている彼の話を、高校生はどのような気持ちで聞いたのだろうか。また、あるグループではどもりを理由にいじめてくるクラスメートと朝起きたら、その立場が逆転していたらどうするかという思考実験をしてみたところ、百万倍で仕返すという冗談もあったが、「他のことを理由としていじめることはあっても、どもりを理由にしては絶対にいじめない」という意見が出たという。自分の痛みを他者のそれへと想像できる感性の豊かさをもつ子どもがこのキャンプには多くいるのだろう。どのグループも「話し合い」が成立し、吃音と自己について語るべき言葉があったということは、たとえつらい体験であったとしてもそれを見つめる力を、どの子どもももっているということなのだ。その力を認めること、子どもという他者を私たち大人がまず信頼することが必要なのだろう。それはやがては子ども自身の自己肯定につながっていくはずだ。
 2日目の朝には、「作文教室」がある。話すことが好きという子どももいれば、書くほうが自分の気持ちを表現できるという子どももいるだろう。話し合うということが他者の視点を取り入れる行為であるのに対して、「書く」ということは鉛筆と紙との摩擦を通して、自分の経験を刻み込み、形作っていく行為である。書くことは、自分の経験の意味を構成していくことなのだ。そこにはある種の浄化作用もあるだろう。「作文を書いて、すっきりした」という感想がそれを物語っている。
 初日に十分に話せなかった子どもも書くということで考えが整理され、話し合いにも積極的に参加できるようになる。書くと話すがリンクすることでより深い洞察にいたる。2日目の話し合いの深さは作文教室によって保障されている。
 聞いてくれる仲間の存在が話すことを保障するように、作文に取り組んでいる仲間がいるから、書くことが苦手な子どもも作文に取り組むことができる。子どもたちはひとつのハードルを乗り越えたのだ。仲間に支えられて、話す・書くという方法で吃音とつき合うというサバイバルの仕方、「生の技法」の実践を経験したといえるだろう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/29

レッスンを通して学んだもの

 2009年9月、竹内敏晴さんが亡くなりました。吃音親子サマーキャンプの大切な柱のひとつ、表現活動としての演劇は、竹内さんの全面的な協力で成り立っていました。その後を継いでくれたのが、現在、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。吃音とは全く関係のない渡辺さんは、学生の頃から現在までずっと、吃音親子サマーキャンプのスタッフとしてかかわってくれています。その渡辺さんの、『演劇と教育』〜追悼竹内敏晴さんを悼む に書かれた文章を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 より)

レッスンを通して学んだもの
  『演劇と教育』〜追悼竹内敏晴さんを悼む 竹内さんと『演劇と教育』〜2010 NO.621
                      渡辺貴裕 岐阜経済大学(当時) 


 昨年6月にレッスンを受けたのが最後になってしまった。まだまだレッスンを受けられると勝手に思い込んでいた自分の甘さが悔やまれてならない。
 私が竹内さんに初めて出会ったのは、1999年2月、大阪での定例レッスンの旗揚げとなる講演会においてだった。それから私はレッスンに通い出した。定例レッスン、「仮面」「クラウン」「砂浜の出会い」の合宿レッスン……。
 それらのレッスンの場で、私は、今までに味わったことがない感覚を経験することになった。例えば「話しかけのレッスン」。「こっちへ来て」と自分に向かって言われていても、声が自分のところにやってこない。周りで見ていると声の軌跡がよく見える。自分が呼びかけてみてもやはり声は届かない。誰がやってもうまくいかないんじゃないかと思っていたら、竹内さんに「こっちへ来て」と呼びかけられ、思わず身体が動いてしまう……。人に話しかけたり話しかけられたりなんて毎日していることである。しかし、そこにこうした次元の出来事が存在するなど思いもよらなかった。不思議な感覚だった。
 竹内さんとの出会いがなければ、私は今のような、演劇的活勤や国語教育を研究テーマにする教育方法学研究者にもなっていない。レッスンに足繁く通っていた当時、私はまだ研究の方向性が定まらない教育学研究科の大学院生だった。レッスンを自分の研究に活かすつもりもなかった。ただレッスンが楽しいから通っていた。研究はそれとは別に、戦前の児童文化論の歴史研究をしていた。
 大学院の4年目の中頃から、私は教育現場とのかかわりを持ち出した。研究室で共同研究を行っていた小学校の国語の授業に週に何度も通うようになり、また、他の学校の授業も見に行くようになった。そのなかで私は、「もったいない」ということをたびたび感じた。先生も子どもたちも、「国語の授業ではこうしなければならない」という縛りを暗黙の内に抱えている。読点で一拍、句点で二拍の間を空けてみんなで声を揃えて読むのが良い音読、「話型」を守って発言させれば良い話し合い……。もっと自由にできるのに、そうすればもっと子どもたちも先生も楽しめてかつ充実した学びになるだろうに。そうしたもどかしさは、竹内さんのレッスンを通して耕した身体があったからこそ感じるものであった。そして、そこで掻き立てられた問題意識がその後の私の研究者としての歩みを方向付けることになった。
 竹内さんから学んだことはあまりに大きく、今の私にはそれをまとめられそうにない。また、私は教育学や教育実践について学んでいくなかで、竹内さんが教育分野に及ぼした影響の大きさも知ることになるが、その全体像を描き出すだけの力も今の私にはない。
 ただ、一つ感じることがある。それは、レッスンや著作他を通してこれだけ大きな影響を多くの人に与えていながら、おそらく竹内さん自身には、何かを教えてやろうという意図はまるでなかっただろうということだ。ヒトが人間としてどんな可能性をもっているのか。またその可能性をどうやって(竹内さんの言葉を借りれば)「劈いて(ひらいて)」いくことができるのか。それをレッスンという場を用いて追求していかれた。レッスンのはじめに竹内さんは、先日のどこそこのレッスンでこういう出来事があってこういうことまで見えてきた、今日はさらにその先に進んでみたい、といったことをよくおっしゃっていた。レッスンの中身も変化していった。私たちは、竹内さんのそうした追求に同行させてもらい、それぞれで何かをつかんでいったということなのだろう。
 そんな竹内さんから最後に一度だけ直接的な「誘い」を受けた。昨年6月に行われた、吃音親子サマーキャンプの事前合宿でのレッスン。竹内さんは私に、膀胱がんが見っかったこと、手術は受けずに最後までレッスンを続けるつもりであることを明かされ、おっしゃった。「僕から学んでおきたいことがあったら今のうちに学んでおいてください」。まだ一見元気そうに見える竹内さんからの言葉に、私は戸惑うしかなかった。3か月経たないうちに計報を聞くことになるとは思ってもみなかった。もっと学んでおきたかったと願ってももう手遅れになってしまった。竹内さんの言葉に応えることができなかったお詫びとして、また、それまでに学んできたことの恩返しとして、私もまた自分なりの追求を続けていきたいと思っている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/13

どもる子どもたちによる劇づくり〜第17回吃音親子サマーキャンプより〜

 「スタタリング・ナウ」2007.1.20 NO.149 に、今は、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんが『演劇と教育』に書かれた文章を転載しています。《どもる子どもたちによる劇づくり》とのタイトルで、吃音親子サマーキャンプで大切にしている演劇での子どもたちの様子が詳しく書かれています。

どもる子どもたちによる劇づくり〜第17回吃音親子サマーキャンプより〜                             渡辺貴裕 岐阜経済大学講師(教育方法学)

 「ぼぼぼぼぼくにも見せろよ!」
 「そおおおおれから?」
 演じている子どもが、次から次に、どもる。時には言葉が出ず、しばらくの時間が過ぎることもある。しかし、それを笑う観客はいない。子どもも大人も、じっと次の言葉を待っている。
 2006年夏、8月25日から27日にかけて、滋賀県立荒神山少年自然の家にて、第17回吃音親子サマーキャンプが開かれた。参加したのは、どもる子どもとその親、そしてスタッフをつとめる成人吃音者・ことばの教室の教師・大学生ら計143名。劇づくりは、キャンプの活動の柱の一つ。冒頭に掲げたのは、最終日における劇の上演中の一コマである。
 どもる子どもたちが一箇所に集まり、三日間という限られた期間のなかで劇をつくって上演する。こうした取り組みは、国内はおろか、世界的にも類を見ないものである。6年前、私は演出家竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」を介してこのキヤンプに出会った。以来毎年スタッフとして参加している。
 以下では、このキャンプの劇づくりの活動について報告しよう。このキャンプは、吃音という「障害」との付き合い方において興味深いだけでなく、演劇教育全般に対しても、ある問題を提起してくれている。まず、キャンプの概要から紹介していこう。

吃音親子サマーキャンプとは

 「どもっているのは私だけではないということが分かった」
 「みんなどもっていたから話しやすかった」
 「高校生もどもっていたね。ぼくもどもってもいいの?」…。
 キャンプに参加した子どもたちから出される声である。
 キャンプを主催する日本吃音臨床研究会では、吃音を「治す」という考え方をとらない。そうではなく、「吃音と上手につきあう」という考え方をとる。とりわけ、子どもの頃に吃音へのマイナスイメージを定着させてしまわないことを重視している。
 幼児のときには自分の吃音を気にしていなかった子どもでも、学校に入って、自己紹介や本読みのときにつっかえて同級生に笑われたり、しゃべり方を真似されたり、「『あいうえお』って言ってみて」などとからかわれたりして、吃音について悩み始める子どもは多い。また、親や教師に自分のしゃべり方について尋ねても話をはぐらかされ、吃音をタブー視するようになったり、あるいは、「吃音は本人の努力で治る」という俗説を聞いて、一向に治らない自分を責めるようになる子どももいる。多くの場合、子どもは、どもるのは世界で自分だけだと思い込み、一人で悩んでいる。
 キャンプは、そんな子どもたちにとって、仲間と出会い、どもることを恐れずに人と話し、どもりについての経験や考えを交流して、どもる自分を見つめなおす場となる。
 16年前に計50名程度の参加で始まったこのキャンプは、近年では計140名前後を数えるまでになった。
 参加する子どもの学年は小学校から高校まで。吃音の程度はさまざまである。大阪を中心とした近畿圏からの参加が多いが、千葉、島根、山口、九州など遠方からの参加もある。親子での参加が原則であり、親向けにも話し合いや学習会などのプログラムが組まれている。続けて参加している親子が多く、今年は3分の2が2回目以上の参加であった。
 子どもにとってキャンプの活動の柱は四つ。グループに分かれてどもりをテーマに行う「話し合い」、自分のどもりと向き合う「作文教室」、荒神山を登る「野外活動」、そして最後に、「劇の練習」および「上演」である。
 キャンプでは、第1回から劇づくりの活動がプログラムに組まれていた。なぜ、どもる子どもたちのキャンプで劇づくりなのか。
 キャンプの発起人である伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)は、その理由として、自身が小学2年生だったときのエピソードをあげる。秋の学芸会の劇で、伊藤さんは、担任の先生の「配慮」により一方的に、一人でセリフを言う役を外された。これは、伊藤さんにとって、吃音に劣等感を感じ、無口で消極的な子どもになっていくきっかけとなった出来事だったという。
 しかし、伊藤さんのこの"怨念"のみによって劇づくりの活動が17回も続けられてきたわけではないだろう。毎年、子どもたちが、この劇づくりで何かを経験し、得ているのである。キャンプにとって劇づくりの活動を不可欠なものにしているこの「何か」とはいったい何なのだろうか。

サマーキャンプでの劇づくり

 上演する劇は、通して演じた場合に40分程度になるもの。例年脚本を竹内敏晴さんが書き下ろしてくださっている。
 劇は、4〜5つの場面に分けられている。子どもたちは同数のグループに分かれ、グループごとに一つの場面を演じる。上演といっても、「学習室」という広めのカーペット敷きの部屋で行うもの。舞台や幕もなければ照明装置もない。音響も、鈴やたいこを鳴らす程度である。また、本番でも台本を持ったまま演じてかまわない。
 とはいえ、劇の練習時間は、2時間が3回。新たに出会う異年齢の仲間と劇づくりを行うには、あまりにも限られた時間である。
 これを助けているのが、一日目の夜に行われる、スタッフによる劇の上演である。竹内敏晴さんから一泊二日の「事前レッスン」を受けたスタッフが、子どもたちが最終日に上演する劇を、一度演じてみせるのである。演劇には素人同然のスタッフによる上演であり、その完成度は決して高くない。しかし、子どもたちは、一度劇を目にすることで、おおまかなストーリーを頭に入れておくことができる。さらに、大人がどもりながら行う上演を見ることで、「自分たちにもできそうだ」という励みも得ているのかもしれない。
 各グループの劇の練習は、事前レッスンを受けたスタッフが中心となってリードする。同じレッスンを受けているので、子どもに教える際の考え方はある程度共通しているであろうが、特に統一された指導手順があるわけではない。各グループのスタッフがそれぞれのやり方で練習に取り組む。私が属していたBグループの活動を中心に、キャンプでの劇づくりの様子を見ていくことにしよう。

「コニマーラのロバ」

 今年上演した劇は、「コニマーラのロバ」(原作エリナー・ファージョン、脚本竹内敏晴)である。
 ダニーという7歳の男の子が、父親が聞かせてくれた、フィニガンという架空の白いロバの話を信じ込む。ダニーは学校でフィニガンの自慢をするが、他の子どもたちからは嘘つきだと馬鹿にされ、さらにフィニガンがいるはずがないことをいじめっ子によって突きつけられてしまう。ショックを受けたダニーは病気になって寝込む。ダニーの父親と同郷のデイリ先生が、田舎に帰っているとき、懇意になった船乗りの助けを借りて白いロバの写真を撮り、ダニーに送る。受け取ったダニーは徐々に回復して登校し、みなに写真を見せ、いじめっ子の鼻を明かす。このようなあらすじである。
 Bグループが担当するのは、5つに分かれた場面の2つめ。ダニーが父親からロバの話を初めて聞き、ロバに入れ込んでいく部分。ダニーと家族とのやりとりが続く展開である。
 この場面の担当に決まったとき、私は正直なところ、「やりにくいな」と思った。登場人物がダニー、父親、母親、ナレーターの4名しかいないうえに大きな動きがない。ダニーと級友たちが言い争う場面であれば、集団のぶつかりあいやはやし言葉のやりとりで、劇の楽しさを子どもたちに経験させやすいだろうに。さてどうしたものか。
 グループの子どもは12名、スタッフは7名(うち、事前レッスン参加者が私を含めて3名)。練習場所は、12畳強の広さの畳敷きの部屋である。練習は、このグループのなかではスタッフ経験年数が長かった私が中心になってリードした。
 私は、演劇の考え方の多くを、竹内敏晴さんに学んでいる。また、子どもへの実際の指導に関しては、元小学校教師の福田三津夫さんに学んでいる。このキャンプでは、どもる子どもたちを相手にする。しかし、私は、特に吃音を意識した特別な指導方法をとっているわけではない。

1回目の練習(2日目・13時から15時)

 仮の配役を決めるまでに30分近くかかった。12名の子どもを割りふるため、場面を3つに区切り、区切りごとに役を交代するようにしている(さらに、一つめの区切りのダニーと父親はダブルキャストである)。子どもたちに配役の希望を尋ねると、ほとんどの子どもが母親役とナレーター役に集中した。どちらもセリフが少ない役。セリフをたくさん言うのが嫌なのだ。年長の子どもに、「どうしてもイヤだったら後でまた替わったらいいから」と言って、別の役にまわってもらう。
 まず体を動かしてみんなの緊張をほぐしたい。椅子無しフルーツバスケットのような「ヤドカリゲーム」、二人組で移動する鬼ごっこ「ガッチャン」をする。予想以上にみんな乗る。本気で走りまわり、笑いが起きてくる。
 続いて、円形に座ったままでの読み合わせ。意識してほしいこととして一つだけ、「セリフを言うときに、誰に向かって言ってるかに気をつけて、その人に向けて言ってね」と伝えておく。
 まだ誰がどの役なのかも分かっていない段階だ。

まさひろ(ダニー) 「父ちゃん、コニマーラにゃ、何がある?」
渡辺 「ん?父ちゃんってどの人?」

 一つずつ確認しながら進めていく。
 読み合わせを終えて一つ心配したことがあった。2つめの区切りのダニー役のりんたろう(小3)がかなりどもる。文頭で難発(音が出てこない)になる。セリフは9か所。ちょっとしんどいのではないか。役の交代を考えるか。
 休憩時問、役を替わりたい人は申し出るようにと伝えるが、誰も言ってこない。これでいくしかない。
 休憩後はさっそく立ち稽古。今度は、「台本を見ながらでいいから、セリフを言うときには顔を上げよう」と指示する。
 一つめの区切りの母親役のさき。小学2年。伸発(音をひきのばす)の吃音になる。時々声がかすれ、聞きとりにくい。
 さきの最初のセリフは、ほら話をやめない父に対する「おまえさん!いいかげんにしなさいよ…」というもの。しかし、低学年のさきには台本が難しいのか、自分の番がきても気付かない。ダブルキャストで待機中のゆういち(高1)が繰り返し助ける。
 話の流れもあまり分かっていない様子。父の話がうそであること、母はそれに怒っていることを確認する。
 「さきちゃん、さっき話し合いのとき、ゆきちゃんに、『筆箱いじってたらあかん』って注意してたやろ。それと同じ。」
 「おまえさん!」の時に父を手でたたいてみたら?という案が出る。さきは「どこたたいたらいい?」と尋ねる。私は「さきちゃんの好きなところ」と答える。さきはちょっと首をかしげていたが、自分が座っていた座布団をたたきながら「おまえさん!」。案とは違うが、雰囲気が出ていてみな納得。
 この立ち稽古は、おおまかな動きを確認していくだけで終わった。言葉のやりとりをきちんと行っていくのはまだ先だ。次の練習時間は、夕食の後。

2回目の練習(2日目・19時から21時)

 冒頭、スタッフの長尾政毅くん(キャンプの「卒業生」である)がドレミファゲームというのをやってくれる。2チームに分かれて、相手チームに指示された「ドレミのうた」の1フレーズを歌い合う。メロディーがめちゃくちゃになったチームが負け。「ミはみかんのミ〜」などの間違いも飛びだして盛りあがる。歌や、他人と一緒のときのほうがしゃべりやすいという吃音の子どもは多い。よい声出しになった。
 練習は、3つの区切りごとに子どもとスタッフが分かれて行うことにした。1時間後に再び集まることにする。
 みんな戻ってきたら、一度通してみる。そして、子どもたちに、「見ていてよかったところ、なおしたほうがよいところ」を出し合ってもらう。
 感想の出し合いでは、キャンプへの参加が共に7回以上になる中2のなつみと中1のたいきがみなを引っぱってくれた。「相手のほうを見れるようになってきた」「ふたりの会話がなんか平行って感じ。……ちゃんと受け止められてない」。鋭い指摘に、スタッフは感嘆し、他の子どもたちも触発されて感想を出すようになる。やはり、同じ仲間から出てきた意見の方が子どもに響くのだろう。練習の雰囲気がよくなる。自分たちで劇を作っていこうとするムードが出てくる。
 出てきた感想をもとに、立ち稽古を繰り返していく。
 まさとの変化が面白かった。
 まさとは、おとなしい感じの中学1年生。吃音は、時折連発(音を繰り返す)になる程度で、きつくはない。しかし、恥ずかしさが出てくる年頃か、劇に乗り気でなさそう。一つめの区切り、ダニーにほら話を聞かせる父の役である。からだがうつむき加減になり、セリフも棒読み。

まさと(父) 「コニマーラにゃな、北地方で一番青々とした丘があってな、一番真っ黒な石炭がとれてな、……」
渡辺 「ん?これってほんまのこと?」
まさと 「違う」
渡辺 「なんか今のやったら、『新潟では米がたくさんとれて…』みたいに解説してるふうに聞こえるで」

 周囲が笑う。こんなやりとりを繰り返す。

まさひろ(ダニー) 「ロバだって?」
まさと(父) 「うん、ナシの花のように真っ白なのがな」
渡辺 「ん?ちょっと待って。ロバってほんとは何色?」
まさと 「茶色」(※本当は灰色である)
渡辺 「そやんな。白いのなんておるわけないよな。父ちゃんはウソをつくのが楽しくて仕方ないんやな。今また新しいウソを思いついたんやから、その喜びがなきゃ!」

 理解力があるのだろう。言葉で「分かった」と答えるわけではないし、派手に演じてみせるわけでもないが、少しずつ、着実に声が変わっていく。案外心の中では楽しんでいるのかもしれない。「いいね!」とほめると、はにかんで笑う。
 時間いっぱいまで練習が続いた。「できたら明日までに台本を読み返しといでね」。そう伝えるが、子どもたちは部屋に戻ったら学年が近い友達とのおしゃべりがあるだろう。多くを期待はできない。

3回目の練習(3日目・8時半から10時半)

 上演前の最後の練習。途中、本番で使う学習室に移動しての「リハーサル」(一グループあたり20分)がある。
 まずはウォーミングアップ。手首をプラプラ振ったり、体を上下にバウンドさせたりするのを真似してもらいながら、体をほぐす。さらに、体をバウンドさせた状態から「ヤッ」「ワッ」などと掛け声をかけてポーズをとるのを、後についてやってもらう。それから、声出し。のどを開けるために、あくびの真似をしてもらう。渡辺「ふわーあ」、子どもたち「ふわーあ」。……あまりうまくいかない。次に、窓の外に見える荒神山に向かって、「父ちゃーん」と呼びかける。渡辺「父ちゃーん」、子どもたち「父ちゃーん」。「それじゃあ父ちゃん聞こえないで、もう一度!」「父ちゃん山の頂上まで行った。昨日登ったところ。そこまで声を届けて!」。そうやってけしかけると、グッグッと声が出るようになっていく。
 リハーサルまで時間がないので、区切りごとにグループに分かれてそれぞれでおさらい。学習室に移動して、リハーサル。時間が限られているのであわただしい。部屋に戻って感想を出し合い、それをもとにもう一度最初から稽古。
 時々言葉が出てこなくなるのが気がかりだったりんたろう。2つめの区切りの、ロバの話をもっと聞きたくて、仕事に戻る父についていくダニーを演じている。しかし、どもって間が空くことを恐れるのか、次のセリフ次のセリフへと急いでしまう。

りんたろう(ダニー) 「………お、おれ、それに乗れる?」
たいき(父) 「乗れねえでどうする。」
りんたろう(ダニー) 「か………けるの、早い?」

 父のセリフの時にはもう目が台本に向いている。しかし、考えてみれば、ここはいくら間が空いてもよいのだ。ダニーの頭のなかがロバについての想像でいっぱいになって、父にもっと話を聞きたくなる。関心の焦点がロバに向いてさえいれば、間の長さはまったく問題にならない。
 私自身これに気付いていなかった。直接りんたろうに説明しようかと思ったが、やめた。「いくらどもってもいい」と言うよりも、やりとりを体験してもらうほうが得策だろう。ひとまず、「ダニーは父ちゃんの答えを知りたいんだから、もっと聞いてね。台本は後で見たらいいから」と伝える。ダニーと父とのやりとりのなかで、電車通りの手前で父と別れたダニーが、通りを渡っていく父に「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所がある。舞台上ではダニーと父の距離はほんの数メートルしか離れていない。

渡辺 「これ、舞台ではこんだけしか離れてないけど、ほんまにそうなん?」
りんたろうは首を横に振る。
渡辺 「じゃあ、あのへん(窓の外の茂みを指さす)に父ちゃんがいると思って呼びかけてみよう」
りんたろう(ダニー) 「と、とうちゃーん、……とうちゃーん」
父役のたいきに、今ので振り返れそうか尋ねる。
たいきは首をかしげる。もう一度挑戦。
りんたろう(ダニー) 「と………とうちゃーん、……とうちゃーん」

 驚いた。すごい迫力だ。練習を重ねるうちに、たいきのほうが押され気味になる。私は、りんたろうにはこの役は厳しいのではないかと思っていたことを恥じた。自分のほうこそこの場面の勘所を理解していなかった。
 一部分を取りあげて濃密な稽古を繰り返していると、出番がない小2のさきとかえでの集中が途切れてきた。他人の稽古を見ずにふたりで遊びだしてしまう。
 仕方がないので、全体での練習はここで打ち切り。残りの30分ほどは、「自主稽古」してもらうことにした。いつも間違える箇所の練習をしたり、どうやったらロバに入れ込むダニーになれるか友達と相談したり、ブリッジしたまま歩いて(!)遊んだり、寝転がって休んだり、いろいろだ。あとは本番を迎えるのみ。

上演本番(3日目・10時半から12時)

 子どもたちによる劇の上演に先立って、親による出し物が行われる。数グループに分かれた親が、集団で動きながら、全身を使って、詩を表現する。今年は、工藤直子の『のはらうた』シリーズより。普段見ない親の姿に子どもたちが沸く。最初のほうは親にもまだ恥じらいがあるようだ。しかし、子どもたちも劇の練習をがんばっているという意識と、他のグループのウケる様子が、親たちをふっきれさせるのだろう。出番待ちの親から、「これ、思いっきりやったほうがええみたいやで」というつぶやきが聞こえてきた。
 そして「コニマーラのロバ」の上演。まずはAグループからだ。
 毎年感じることだが、本当に観客があたたかい。子どもたちはもちろん、親も、自分の子どもであるか否かにかかわらず、演じている子どものちょっとしたやりとりや仕草に笑う。
 Aグループの場面が終わる。いよいよBグループの出番。
 まさひろ(ダニー)とまさと(父)のやりとりから始まる。父に「(コニマーラには)ロバがいる」と聞かされたときのダニーの「ロバだって?」の驚きようがいい。ふたりのやりとりが続いた後、無関心そうにちょんと座っていたさき(母)の「おまえさん!いいかげんにしなさいよ」というセリフが入る。観客は意表を突かれて、笑みがこぼれる。
 りんたろう(ダニー)とたいき(父)のシーンへ。りんたろうが「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所。2回目の「父ちゃーん」の出だしで詰まり、声が出てこない。りんたろうの体がこわばって震える。数秒の静寂が流れる。
 「……、……、と、父ちゃーん」
 出た!それを受けとめたたいきが振り返る。ゾッとするほどのリアリティーだ。集中を切らさず待っていたのが、さすがだ。劇の全体から見れば、ここは地味な部分である。しかし、私にとっては、とても印象的な瞬間だった。
 Bグループの上演は、なつみが、実在しないロバに夢中になってしまったダニーを見事に演じきって、幕となった。部屋は大きな拍手で包まれた。

キャンプを通して見る演劇教育の意義

 今年の上演も、各グループの子どもたちがそれぞれの魅力を存分に発揮していた。最初はセリフが多い役を嫌がったりしていた子どもたちである。それが短い間に、全員ではないにせよ、演じることを楽しむようになる(Bグループでセリフの多い役へ移ってもらった数名も、上演後尋ねると、「(この役で)よかった」と言っていたらしい)。なかには、福岡までの帰りの新幹線でずっと台本を読んでいたという子どもや、家に帰ってからも友達と台本で遊んでほとんどのセリフを覚えてしまったという子どももいる。そこまでいかなくても、劇をするのが嫌ではなくなる子どもが大半である。
 それでは、彼らにとって、劇づくりの活動の魅力は何なのだろうか。劇づくりの活動は、どもる子どもたちにいったい何をもたらしているのだろうか。
 それは一つには、自分にも人前でしゃべる力があるんだという自信である。かつて小学4年生の女の子が作文にこう書いた。
 「いやなことでは、本読みのときです。本当は、じょうずに読めるのに、どもって読めません。…ふしぎなことに、一人で本読みなどしていると、どもりません。どもるときとどもらないときがあって、自分がちゃんとしたいときにどもり、そこがすこしいやでたまりません。」
 言い換えができない言葉をしゃべらなければならない場面に苦手意識を持っている吃音の子どもは多い。単にどもるだけでなく、そうした場面を避けるべく、授業中発言しなくなったり、あるいは、「どもったらどうしよう」と意識することによってかえって、より苦しいどもり方をするようになっていったりする。そうした子どもにとって、セリフがある役を人前で演じきって観客や仲間に認められることは、「どもるからといって何もできなくなるわけではない」ことを実感し、「できない自分」という意識を変えるきっかけとなり得る。しかし、劇づくりの活動がもたらすものはこれだけにはとどまらない。
 どもる子どもは、しばしば、特に年齢が上がると、話している相手よりも自分のしゃべり方に、つまり、自分がどもらずしゃべることができているかにもっぱら意識を向けてしまう。話している相手に、「なんでそんなしゃべり方なん?」「それ治らへんの?」と繰り返し言われてきた経験がそうさせるのだろう。また、吃音は、自分がしゃべりさえしなければ、隠すことができてしまう「障害」である。そのため、吃音に対して否定的な捉え方をもっている子どもは、時に、しゃべることを避け、人とかかわることを避けるようにもなっていく。
 こうした子どもたちにとって、劇づくりの活動は、相手の言葉をしっかりと受けとめ、自分も相手に確かに働きかけることを試み、その喜びを経験する場となり得る。キャンプの劇では、どもっても笑われないし、せかされないし、「見栄えのよさ」も求められない。ただ純粋に、劇の世界のなかで、人とまっすぐにかかわることを追求することができるのである。
 このことは、演劇教育の本質を考えるうえでも、示唆に富む。
 残念なことに、今でも、演劇といえば教師によって決められた話し方や動作を「上手に」(多くの場合、それはオーバーで不自然な演技であるのだが)行うものであるという考えが、教師の間にも子どもの間にも根強く存在する。そうした「決められた話し方や動作」の基準から見れば、どもる子どもは多くの場合、「上手に」はできない。
 しかし、キャンプの劇づくりの活動が示しているように、どもる子どもにも劇を楽しむことができるし、観客の心を打つ劇をつくりあげることもできる。この事実は、演劇教育の本質が、単一の外形的な尺度に基づいた上手さの達成にあるのではなく、人とまっすぐにかかわるという行為の経験そのものにあることを示している。
 考えてみれば、どもらない子ども(および大人)の場合であっても、演劇活動のなかで、相手の言葉を受けとめ、相手に働きかけることが必ずしもできているわけではない。ただ、外形的な上手さの追求が比較的容易にできてしまうため、それに気付かずにいるだけなのだ。このキャンプの劇づくりでは、そうしたごまかしが通用しない。ただひたむきに、人にからだと言葉で働きかけること、他人からの働きかけを受けとめることを追求する。それは決してラクな作業ではないが、それこそが、からだの芯からの喜びと上演時の強烈な魅力とを生みだすことになるのである。
 演劇教育は、うまく話せる子どもをもっと見栄えよく話せるようにするためのものではない。このことに、吃音親子サマーキャンプの取り組みはあらためて気付かせてくれる。

※キャンプ参加についての問い合わせは、日本吃音臨床研究会事務局まで。
電話 072-820-8244
日本演劇教育連盟と晩成書房の許可を得て、転載します。
(日本演劇教育連盟編『演劇と教育』晩成書房、第590号、2006年12月、36-45頁)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/09

吃音親子サマーキャンプの劇の意味

 第33回吃音親子サマーキャンプが終わって約3週間、ようやくほんの少し、朝晩はしのぎやすくなってきたように思います。今、キャンプの感想がぽつぽつと返ってきています。改めて、夏の大きなイベントだったなあと思います。
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」2007.1.20 NO.149 より紹介します。巻頭言のタイトルは、「キャンプでの劇の意味」です。サマーキャンプの大きな柱である演劇に絞って、その意義を整理しています。

  
キャンプの劇の意味
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 私の吃音への苦しいこだわりは、小学校2年生の秋の学芸会『浦島太郎』で、セリフのある役をはずされたことから始まる。「伊藤はどもるからセリフのある役はできないんだ」と友だちから言われ、吃音に強い劣等感をもった。稽古が始まって、学芸会当日までの間に、私はそれまでの明るく元気な子どもから無気力で暗い消極的な子どもへと変わってしまった。吃音に対するマイナスの意識を持ったまま、学童期・思春期を生きた。
 吃音親子サマーキャンプを始めた時、「吃音についての話し合い」と「表現活動としての演劇」は、どうしても入れたかった。私の『浦島太郎』体験が影響しているが、演劇の取り組みは《吃音と向き合い》《吃音とつき合う》上で大きな意味をもつ。
 今回、吃音とは縁もゆかりもなかった渡辺貴裕さんが『演劇と教育』で私たちの吃音親子サマーキャンプの取り組みを紹介して下さった。直接の当事者ではなく、ある意味部外者の渡辺さんが、どんな思いで私たちのキャンプにかかわって下さっていたか、表現活動に取り組んで下さっていたかがよく分かった。それが、多くの人に読まれることは大変ありがたいことだ。
 吃音親子サマーキャンプの意義について、私はこれまでたくさん書いてきたが、「演劇活動」にしぼって今一渡整理しておきたい。

《吃音と向き合う》
 キャンプの大きな柱のひとつである「吃音について話し合う」ことだけが、《吃音と向き合う》ことではない。演劇に取り組むことは、自分がどもる存在であるという事実と向き合うことに他ならない。会話でよくどもる、朗読でよくどもるなど、どもる場面やどもる状態は子どもによってずいぶん違う。
 友達と楽しく遊び、話し合いでも積極的に発言する子が、シナリオ通りに読んで演じていく劇の稽古になるとひどくどもる場合がある。遊びや話し合いではあんなに元気だった子どもが、どもっている状態を周りの子どもに知られ、一時元気がなくなることがある。3日間の劇に取り組む中で、これまでと違った形でどもる事実に向き合う。
《声を耕し、ことばを育てる》
 吃音そのものを治したり、改善することを私たちは目指さないが、声、ことばについては、真剣に向き合い、耕そうとしている。どもっても、その場にふさわしい大きさの声を、表現豊かな声を、耕したい。目を伏せて、うつむき加減に話す子どもに、目の前の人に向かって話しかけようと励ます。演劇は、人と人とが向き合い、響き合うための、格好の教材だと思う。しかも、竹内敏晴さん脚本の劇は、演じていてとても楽しい。
《困難な場面に向き合う》
 ナレーター役を名乗り出た子どもが、最初のことばが出ない。何度も何度も挑戦するが出てこない。周りからの激励やアドバイスにその子どもは怒り出した。そして投げ出した。その子どもに関わり、特訓をしたことがある。「次の日…」の「つ」が言えない。「つ」を言おうとするな、母音をしゃべれと提案し、「ういおい…」。しばらく練習をして、彼はグループに戻っていった。上演での彼のナレーターは見事だった。あまりどもらずにできたことに意味があるのではない。自分が苦手とすること、困難なことに挑戦し、工夫する。サバイバルしていく力を身につけて欲しいのだ。
《自分で自分を支える》
 練習の時はそれなりにできていた子どもでも、140名もの人の前で演じるとなると緊張する。自分以外にも舞台には人が立っているとはいえ、セリフを言うときは、観客の目は一斉にその子どもに注がれる。逃げ出したくなる自分をひとりで支えなければならない。キャンプの場だけでなく、日常生活の中の困難な場でも自分で自分を支えなければならない。どもりながらも演じきるところに何か新しい「力」が生まれるのだ。17年間の中で、最終の上演から逃げ出した子どもはいない。
 まだまだこの他にもあるだろうと思う。今後スタッフや子どもたちと「キャンプの演劇」の意味について語り、確認していこうと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/07

「これはどもっている人の特権だと私は思う」〜第33回吃音親子サマーキャンプに参加して〜

 第33回吃音親子サマーキャンプの3日間を、ダイジェスト版で報告してきました。
 今日は、大学院生時代からこのキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなってからは、演劇の担当として、スタッフ向けの事前レッスンからかかわっていてくれる渡辺貴裕・東京学芸大学教職大学院准教授のnoteから、渡辺さんの許可を得て、紹介します。


「これはどもっている人の特権だと私は思う」 〜第33回吃音親子サマーキャンプに参加して
note 丘 aa

渡辺 貴裕|教育方法学者
2024年8月19日 15:40


 8月16日(金)から18日(日)の3日間、彦根市の荒神山自然の家で開かれた吃音親子サマーキャンプに参加してきた。
「吃音と上手につきあう」ことを掲げる日本吃音臨床研究会(代表:伊藤伸二)による、今年で第33回となる催しだ。

渡辺 伸二挨拶
キャンプを主催する、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さん





 参加者は、どもる子どもと親を中心に、さらに、どもる大人、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる子どものきょうだいなども加わる。計90名近く。
 誰かが何かを「してあげる」場ではなく、一緒に、どもることについて話し合い、作文を書き、劇の練習をして上演し…の3日間だ。

 私は、まだ自分が大学院生だった頃から連続で、もう20数回参加している。ネットがつながらず生活上の制約も多い自然の家での3日間は、(普段快適環境ぐらしに甘えている私には)疲れるもの。けれどもそれでも私がここに来続けるのは、ここに来ると、子どもってすごいな、子を思う親の気持ちもすごいな、てんでばらばらな人たちが吃音というその一点でつながって普段とは違う関係性をもてるこの場ってすごいなと、毎回鮮烈に感じられるからだ。

 どもる子どもたちが、いくらどもろうが気にせずおしゃべりや人前での表現ができる。からかわれたり真似されたりの苦労や将来への不安を共有して一緒に考えることができる。この場の貴重さ。
(なお、どもる程度は人さまざまで、言い換えでかなり回避してしまう子から、随伴運動や難発の程度が強くいったんつまるとなかなか声が出てこなくなる子までいろいろ。そして、どもる程度と悩みの度合いが必ずしも一致するわけではないのも、吃音というものに関して大事なところ。)

 中学生のどもる子をもつ、あるお母さんが話していた。

 今回、ちょうど学区のお祭りが重なっちゃって。学校の友達がみんな行くということで、あの子も楽しみにしてたはずなんですけど、迷わず「こっち(=キャンプ)」って言って。

 この場が子どもたちからいかに大事に思われているかを感じる。

 去年、さんざん途中で「帰る」「帰る」と言っていた(実際リュックサック背負って抜け出そうとしていた)小学生の男の子。
 今回、兄も一緒に参加していた(「どもる子のきょうだい」として)。弟から話を聞いて、「自分も参加して劇やりたい!」と思ったらしい。

 あの弟から何を聞けば「自分も参加したい!」になるねんと私は心の中でツッコんだが、弟、なんだかんだで去年楽しかったらしく、今年は自ら進んで参加したらしい。去年の劇「森は生きている」の「おばさん」役のセリフ「役立たず! 死んじまえ」をいたく気に入ったそうだ。今回は、「帰る」の一言もなく、初日から目一杯楽しんでいた(兄も)。

 人は変わる。

 コロナ禍での2020&21年の休止により、リピート参加の断絶がかなり出てしまったが、再開後からのリピーター組が新たなつながりを生み出している。

 小学校高学年の子たち、初回の話し合いにてスタッフが「吃音について話し合いたいんだけれど、どんなことを話したい?」と尋ねたときに、
「もう部屋でも話し合いしました」
と言ってきて驚いた。初日の夕食後の話し合いで、それまで自由になる時間なんてそれほどないのに!

 吃音とじっくり向き合うということが文化として定着している。


荒神山山頂

プログラムの一つ、荒神山ウォークラリーにて、山頂から琵琶湖を望む




 私にとっては、キャンプは、普段とは違う角度から、学校のこと、教師のことを考える機会でもある。

 ある小学生の男の子が憤っていた。

 自分の吃音のこと、担任の先生に言ってあったのに、音読テストのときに、「もっと練習してきてください」と言われた。先生は、真剣に取ってないから忘れてるんじゃないか。

それに対して別の男の子はこう話す(なお、さっきの子もこっちの子も、どもる程度という点では、かなりはっきりと「どもるな」と分かる子だ)。

 自分は吃音のことで先生(学級担任)から何も言われたことない。けれども多分それは、その先生は自分(この男の子)が考えすぎないようにと考えて、何も言ってこないんじゃないか。自分としても、先生にはそこまで深く考えてもらわないでいい。

 普段私自身なかなか知る機会のない、子どもたちのこうした思いとたくましさ。
なお、この後者の子、先生はだいたい1年で変わっていくからよいけれど、家族(きょうだい)には自分の吃音のことを理解しておいてほしい、とも話していた。


荒神山自然の家
自然の家



 私は、何年か前から、作文の時間に、子どもたちが書いてきたのをその場で読んでやりとりする(時にはもう少し書き足してもらう)役割を務めているが、彼らが自分の吃音と向き合いながら生きている様子、それを綴る言葉に、何度も何度も圧倒される。

 一つだけ紹介しておく。
 「言えない時はメモをとって相手に見せることで自分が伝えたいことを伝えるようにしている」という、高校生の女の子。

 その子がこう書く。

 ただ、自分の言葉で相手に伝えたいと思ったことはどもってでも、自分自身の言葉で伝えるようにしている。
 伝えることができ、相手に理解されたときの喜びは、どもりながら言わないとわからないものだなと思った。
 これはどもっている人の特権だと私は思う。

 どもってでも伝えたときの喜び。それを「どもっている人の特権」と言える感覚。

 彼らには本当にかなわない。
 それを思い知るために、私は毎年参加している。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/27

第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、無事、終わりました 2

講習会10 2日目は、吃音講習会の顧問である国立特別支援教育総合研究所の牧野泰美さんの基調提案から始まりました。研修会が多いこの夏の時期、牧野さんが、この吃音講習会の日程を必ず空けておくというのはかなり大変なことだと思うのですが、牧野さんがいつも大切にしている「そばにいてくれるだけでいい」を実践するかのように、いつもそばにいてくれています。
 講師の渡辺貴裕さんが、「国立と名のつく人が、あそこまで言っていいの?というくらいの内容の話をされていた」と感心していましたが、僕たちにとっては、いつもと変わらぬ、ぶれない姿勢を示してくださっていたと思います。おもしろく、柔らかい、牧野節でした。

講習会9 渡辺貴裕さんのワークショップは、1日目に5時間、2日目に2時間、計7時間の長丁場でしたが、その長さを感じさせないくらい充実していました。次々に課題が出て、参加者はみな、考え、身体を動かし、感じ、話し合い…を繰り返しました。その場で感じたことを率直に表現し、その場で感じたことをもとに対話を繰り返しました。日頃と違う自分を発見した人もいたようです。
 学習・どもりカルタの読み札の中から1枚選び、それをグループごとに1つのシーンとして演じてみるという試みをしました。せりふはあってもなくても構わないとのことでした。グループごとに舞台で演じた後、観ていたみんなは、どの読み札かを当てるのですが、全てのグループに当てられないよう、でも、できるだけたくさん当てられるようにと、ちょっとした工夫が必要な設定でした。演じる方も、当てる方もみんな集中していました。どもりカルタが、あんなふうに立体的になるのかと、とてもおもしろかったです。
 2日目の牧野さんの基調提案の話を聞いて、その中のことばを拾って、その場面をシーンとして演じるという試みもありました。リアルなシーンになり、おもしろい体験でした。
 午後は僕と渡辺さんとの対談、そして、最後は、みんなで2日間をふりかえるティーチインでした。長いつきあいの渡辺さんですが、今回のように、1対1で話すことは、これまでなかったように思います。長くかかわってもらっている吃音親子サマーキャンプの話、出会ったどもる子の話、治る・治せると治らない・治せないの話、治してあげようとする善意の人とどう対峙していくかの話、マイノリティの人たちとの連携の話など、いろいろな視点から話しました。
講習会7講習会6講習会8 そして、ティーチイン。僕は、最終の時間、みんなで円く輪になって、2日間をふりかえる時間が好きです。いろんな場面が浮かんできます。

 すべてのプログラムが終わり、夕方5時、会場を後にしました。そして、その日、千葉でもう一泊した人たちと興奮状態で深夜まで「省察」していました。どもる子どもってどんな子?という原点に立ち戻る必要性も感じました。幸せで、楽しい時間を過ごして、夕方、大阪に戻りました。
さあ、次は吃音親子サマーキャンプです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/01

第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、無事、終わりました

講習会3横断幕 7月27・28日の2日間、千葉県教育会館で、久しぶりに講師を迎えて、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会を開催しました。
 今回の講習会の講師は、長いおつきあいのある東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんでした。また、今回のテーマは、「やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜」でした。
 始まる2日前には、多くて40人かなという状況だったのですが、終盤、参加者がぐんと増えて、50名になり、印刷した資料集が足りないかもと心配しましたが、当日キャンセルがあって、結局は48名でした。沖縄、鹿児島、新潟、山形など、遠いところからの参加もありました。
講習会4渡辺さん 講師の渡辺貴裕さんとのおつき合いは、25年ほど前に遡ります。大阪での竹内敏晴さんのからだとことばのレッスンに、レッスン生として参加していた、当時大学院生の渡辺さんに、吃音親子サマーキャンプに参加しませんかとお誘いし、渡辺さんが参加したことから始まりました。竹内さんが2009年にお亡くなりになってからは、竹内さんの代わりに、サマーキャンプの大事なプログラムである演劇の担当として、スタッフへの演劇指導の事前レッスンからお世話になっています。今年も、講習会のつい2週間前、吃音親子サマーキャンプの事前レッスンでお世話になったばかりでした。

 1日目、最初のプログラムは、僕の基調提案でした。どもる子どもとの対話ができない、難しいという声を聞くので、なぜできないのだろうか、なぜ難しいのだろうかということをテーマに話を展開していく予定にしていました。その答えは、昨年6月、鹿児島県大会で話したことの中にあると思うのですが、それは今回の資料集の中に入れていたので、同じような話をすることもないかと思い、急に予定を変更しました。
 そもそも、「どもる子どもってどんな子?」という問いかけから始めようと思いました。吃音とは? どもることとは? という話はよく出てきますし、本にもそのようなことばを章立てしているものを見かけることはあります。しかし、どもる子どもとは?という問いかけはあまり見たことがありません。
講習会1講習会2 そこで、実際に、2人組になり、どもる子どもと担当者になって、対話をすることで、参加者のもつ、どもる子どもの像が明確になるのではないかと思いました。
 参加者のみなさんは、最初からそんなワークをすることになるとは想像されていなかったでしょうから、きっと戸惑われたことと思います。
 どうしても、今、自分が担当している子どもの姿から、どもる子どもを想像してしまいがちですが、実際にはいろんな子どもがいます。今、とても明るく元気でも、将来ライフステージが変わると、どんな悩みをもつか分かりません。担当者の思い込みで、子ども像を決めてしまわないで、当の本人に聞いていくという姿勢を大切にしてほしいと思いました。そのための対話なのです。戸惑いの中で始まった講習会でしたが、最初の頃は、不安げだった参加者も、だんだんと表情がやわらかくなり、その場の自分の気持ちを素直に表して、楽しんでいたように見えました。
 午後の渡辺貴裕さんのワークショップになると、渡辺さんの魔法にかかったかのように、ワーク、ふりかえり、グループで場面やシーンをつくり、ふりかえり、考え、動き、みんなでシェアし、など、頭と身体を目一杯動かした研修会になりました。 次々と出される課題設定が刺激的で、新鮮な研修会になりました。
講習会5伸二とみんな まさか本当に、夜の8時45分まで研修をするとは思っていなかったという初参加者もいましたが、プログラムに書いてあったとおり、きっちり8時45分までして、1日目を終えました。ハードな一日が終わり、心地よい疲れの中に、満足感もたっぷりでした。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2024/07/31

親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、近づいてきました

 連日、猛暑、酷暑が続いています。
 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶ大きなイベントが近づいてきました。まず、一週間後に迫っているのが、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。
 吃音講習会は、これまで、下記のように、研修、学びを積み重ねてきました。講師の肩書きは、当時のものです。

1回 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み(2012年 千葉)
    講師:浜田寿美男(奈良女子大学名誉教授)
2回 子どもとともに、ことばを紡ぎ出す(2013年 鹿児島)
    講師:高松里(九州大学留学生センター 准教授)
3回 ナラティヴ・アプローチを教育へ(2014年 金沢)
    講師:斉藤清二(富山大学保健管理センター長 教授)
4回 子どものレジリエンスを育てる(2015年 東京)
    講師:石隈利紀(筑波大学副学長・筑波大学附属学校教育局教育長)
5回 子どものレジリエンスを育てる〜ナラティヴからレジリエンスへ(2016年 愛知)
    講師:松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授)
6回 ともに育む哲学的対話 子どものレジリエンスを育てる(2017年 大阪)
    講師:石隈利紀(東京成徳大学教授 筑波大学名誉教授)
7回 どもる子どもとの対話 子どものレジリエンスを育てる(2018年 千葉)
8回 どもる子どもとの対話〜子どものレジリエンスを育てる〜(2019年 三重)
9回 対話っていいね〜対話をすすめる7つの視点〜(2022年 千葉)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長)
10回 どもる子どもが幸せに生きるために〜7つの視点の活用〜(2023年 愛知)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長) 


 そして今年、第11回は、やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜をテーマに、教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんを講師に迎えます。渡辺さんは、演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰されています。
 昨年の講習会では、子どもとの対話をすすめる教材として、「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」の3つを紹介し、それらの実践交流の場にしました。
 今年は、それら教材の実践を取り上げ、子どもと一緒に学び合う活動にどうつなげていくか、もう一歩すすんだ実践を参加者みんなで探ります。
 渡辺貴裕ワークショップでは、ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返るようなことも考えています。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。例えば、「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 昨年、参加していなくても大丈夫です。初めてことばの教室担当になった人も、長年経験している人も、基本的なことを丁寧に押さえながら、ゆっくりすすめていきますので、どうぞ、安心して、ご参加ください。
 これまで積み重ねてきたことを踏まえ、新たな視点で、子どもたちとの時間を振り返ります。吃音の新しい展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 開催日ぎりぎりまで申し込みを受け付けています。
 日本吃音臨床研究会のホームページから、吃音講習会のホームページを検索し、参加申込書をダウンロードして、郵送していただくか、メールに添付して送信してください。
郵送   〒260-0003 千葉市中央区鶴沢町21-1  千葉市立鶴沢小学校 黒田明志
メール  Mail:kituon-kosyukai@live.jp
 吃音講習会のホームページは、これまでの講習会の報告、大会要項に載せた資料などをご覧いただけます。講師からの貴重な提案、ことばの教室の実践報告、どもる子どもや大人の声など、日々の指導の参考になる資料が満載です。
 なお、吃音講習会に関する問い合わせは、日本吃音臨床研究会まで。
           TEL/FAX 072−820−8244
           〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

日本吃音臨床研究会のホームページ https://www.kituonkenkyu.org 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/21
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