伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

法然

凹んだことがあると強くなれる

 今年最初の大阪吃音教室が、今日、開かれました。そして、今日、僕の著書『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んで、僕に会いたいと連絡をくれた山口在住の人が大阪吃音教室に参加しました。吃音のこと、自分のことを真剣に考えている好青年でした。

 今、大阪吃音教室は、大阪ボランティア協会の研修室を借りて開催していますが、以前は、應典院というお寺で開いていました。
 この應典院は、人が出会うお寺として有名です。應典院の秋田光彦住職が、そこに集まる人々との出会いを綴った『今日は泣いて明日は笑いなさい』(株式会社KADOKAWA)で、大阪吃音教室や伊藤伸二について紹介して下さいました。秋田さんの了解を得て、「スタタリング・ナウ」2014.4.21NO.236 で紹介しました。元気になれるお寺の本です。
 もうひとつ、仏教と関係する文章として、「スタタリング・ナウ」NO.161(2008年1月)の巻頭言を紹介します。

  
凹んだことがあると強くなれる
                  秋田光彦(浄土宗大蓮寺・雁典院住職)

 毎週金曜日の夜、ある個性を帯びた人たちが應典院に集まってきます。世代はいろいろ、男女もまちまちですが、みな同じ吃音者、つまりどもりの人々です。
 その「大阪吃音教室」は、治療のための教室ではありません。むしろ勉強会のような印象が強い。メンバーがテキストを持ち寄って、対人コミュニケーションやケア、セラピーなどについて学びあいます。そのわりにガッツリ知識や情報を得ようというどん欲さもなく、和気あいあいとして、空気はゆるい。たぶん、ここが同じ境遇の人たちどうしが、安心して集える居場所だからでしょう。
 この教室をリードしてきたのは、40年以上自身の吃音と向きあってきた伊藤伸二さんです。日本吃音臨床研究会の会長であり、著作15冊を持つ大学講師でもあるのですが、そういう肩書きとはまったく程遠い、気さくで、闊達なおじさんです。
伊藤さんの前半人生は、まさにどもりとの闘いでした。小学校2年で吃音に気づき、不安と孤独に苛まれ、21歳で上京して、「憧れだった」東京正生学院の寮に1ヶ月入寮。ここは全寮制の吃音矯正所で、伊藤青年は絶対完治すると、一日も休まず訓練に明け暮れます。
「結局治らないのですよ。でも、治る治らんより、ぼくには矯正所にいる同じ吃音者の存在が何よりもありがたく、ずっと心を支えられた」
退寮してから、伊藤さんは吃音者どうしの自主グループをっくります。みなで悩みを語りあったり、支えあったりする。まだセルフヘルプなどという考え方はなかった時代、都会の片隅に、同じ境遇の若者たちが人づてに聞いて加わっていきました。研究会の前身です。
「東京で大学生しながら、キャバレーのボーイのバイトをやっていましてね、客の前でどもってしまって、『ありがとうございます』が言えない。殴られましたよ。なのに、キャバレーのお姉さんもバンドマンも貧乏学生のぼくに、みんなやさしかった」
高度成長期絶頂期の頃、すべては進歩すると国民は刷り込まれていましたが、富める者の陰には必ず貧しい者がいました。貧しくとも、互いに惹かれあい、密かに支えあって生きていたのでしょう。現場があってそこに直に関係しながら存在していることの力強さに、伊藤さんは気づいたのです。吃音とは、どう治すかではなく、どう生きるか、という問題ではないかと。
「で、吃音と闘うことを諦めたんですよ、治すことを断念した」
伊藤さんの、吃音人生の第2章の幕開けでした。21歳の時のことでした。
さらにこの人の人生は華々しいのです。約束された国立大学教授への道を捨てて、カレー専門店のオーナーに転身したり、世界で初めて吃音の国際大会を提唱して成功させたり、「組織に就職したことはない」が、吃音とは片時も離れず、ずっと一緒に生きてきました。髪をかきあげ、鼻をこすり、よく笑う。70歳に近いとは思えない若々しさ。時間があえば、週末の大阪吃音教室に顔を出します。
「ここでは毎回、生きる意味とか人とつながることとか、みんなで真剣に話しあっている、居酒屋でもないのに、そんな話を延々やっているなんて、すごいと思いません?これ全部どもりのおかげなんだ。みんな同じだから安心できる。向きあえる。だから、ここは当事者どうしが共生する場所、『矯正から共生へ』だよね」と笑う。
60歳を過ぎてから仏教書をよく読むようになりました。易行往生を説いた法然上人に惹かれるといいます。
「吃音を完治しようとするのは、難行苦行。ぼくのように諦めよう、受け入れよう、というのは誰でもできるから易行。だから、法然さんに惹かれる。どうしようもない自分をそのままでいいと受け入れたのだから」
弱さをきちんと受け止めて、そこから人生を生き直す。弱さの中に、本当の強さがある。伊藤さんの生き方を見ていると、そう感じます。


  
法然の選択と日本の吃音臨床
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 法然の『選択本願念仏集』などを読み、アメリカで発展してきた言語病理学と、私の主張する「治す努力の否定」との違いを整理した。宗教に門外漢の私が、法然を、強引に都合良く引用するため、間違った解釈もあるだろう。法然上人には畏れ多いことだが、素人に免じてお許しいただきたい。
 法然は、護国鎮守のための旧仏教を否定し、民衆の誰でもが救われる仏教を打ち立てた。法然は、学問、修行、功徳を積むことで救われるという「聖道門」を捨て、「ただ信じて、念仏を称えさえすればいい」とする「浄土門」を選択した。
 煩悩の多い、修行や功徳を積めない乱世に生きる当時の一般大衆には「聖道門」は難行であり、誰でもが救われるに道として、易行(易しい道)でなければならないというのである。煩悩の多い凡夫であると自覚し、その自分でも救われると信じて、念仏を称えよと言う。さらに、修行などは雑業だとして一切せず、正業である念仏だけを勧めた。当然、旧仏教の人たちから激しい反発や批判を受け、島流しなどの迫害も受けている。しかし、法然はひるむことなく、主張し続けた。
 吃音については、薬や手術などの本人の努力とは関係ない根本的な治療法はなく、本人が取り組む言語訓練しかない。私も、「どもりは必ず治る」として、吃音コントロール法を教えられた。
 アメリカでは、吃音コントロールについて、二つの流派が長年対立し、激しく論争をした。「どもらずに流暢に話す派」と「流暢にどもる派」だ。そして、近年統合的なアプローチが提案された。
 1930年代、アメリカのアイオワ大学を中心に吃音臨床研究が集中的に行われた。当時の、ウェンデル・ジョンソンやチャールズ・ヴァン・ライパーは現在でも大きな影響を与えている。
 1974年、私はこの流れをくむ吃音臨床に一つの選択肢を提起した。「流暢に話す」も「流暢にどもる」努力も一切やめようと「吃音を治す努力の否定」を呼びかけた。それから、34年間、私はセルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプなどで、「治すことにこだわらない」吃音とのつきあい方を実践してきた。多くの人が吃音の悩みから解放され、自分らしく生きている結果において、アメリカの言語病理学に決してひけをとらないと思う。
 昨年の第8回クロアチア世界大会、また昨年秋翻訳出版されたギター著『吃音の基礎と臨床』のおかげで、ありがたいことに現在の世界の吃音の臨床について詳しく知り、整理することができた。
 1974年は呼びかけだったが、今回は34年の実績の報告をもとにした、再度の提起だ。アメリカ言語病理学一辺倒の吃音臨床に、他の選択肢があった方がいいと思うからだ。アメリカ言語病理学に対して、東洋思想からの選択肢の提示である。
 ひとつの選択肢であっても、誰もができる易しい方法であり、自分が実際に経験し本当によかったもの、多くの人が実践して役に立ち、臨床家が指導しやすいものでなければならない。選択肢は違いを鮮明にした方が分かりやすい。遠慮せず、正直に提起したい。人によっては過激な主張だと思われるだろうが、読む人が、自分にとって役に立つ方を自ら選択して下さることだろう。
 アメリカの提案する、吃音のコントロールは一部の人にはできても、誰にでもできることではない。どもる人の多くが失敗し、よく似た方法の日本の民間吃音矯正所が衰退した。また、臨床家が簡単に吃音コントロールを教えられないことは、アメリカのセラピストの多くが吃音臨床を苦手としていることでも明らかである。法然の言う「聖道門」だと私は思う。
 「どもる事実を認め、自分や他者を大切に、ただ、日常生活を丁寧に生きる」
 これは難しいように見えて、自分の人生を大切に考える人なら、吃音をコントロールする努力を続けるよりも、はるかに易しい道だ。それは、多くの人の体験を通して私は言い切ることができる。「スタタリング・ナウ」NO.161(2008年1月)より転載

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/09

基本設定の吃音

 新しい年を迎えて1週間、今週の9日(金)から、大阪吃音教室が始まります。そして、その翌日から、仲間のことばの教室の担当者たちとの合宿が、東京であります。
 今年、取り組みたいテーマを話し合い、「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の内容を考えます。毎年のことですが、朝から晩まで、吃音にどっぷりつかる2日間です。そして、合宿の翌日、12日は、毎年恒例、この時期に開催する、東京ワークショップです。吃音三昧の3日間を、楽しみにしています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2014.4.21NO.236 より巻頭言「基本設定の吃音」を紹介します。

  
基本設定の吃音
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 人間は、もともと吃音と共に生きていくことができるように、基本設定されている。その基本設定を自分にとって不都合なものだとして、無理に変えようとすることによって、誤作動が起こり、さまざまな新たな人生の問題が生じるのではないか。もともと備わっている、基本設定を信じることが、いのちとしての吃音を生きることだ。

 3歳からどもり始めた私は、自然に備わっていた吃音と共に生きる力で、悩むことなく、元気にどもっていた。それが私のことばだから。それが、小学2年の秋、担任教師に、学芸会でセリフのある役を外されたことで、吃音と自分とを切り離し、不都合なものとして排除しようとした。基本設定を変えようとした。どもりたくないために、話さなければならない場、話したい場から逃げた。すると、私のからだの中のどもりが反乱し始め、吃音と共に生きる力がどんどん失われ、悩みの深い吃音の人生を生きることになってしまった。
 1965年の21歳の夏、吃音に真剣に向き合い始めてからは、吃音について、常に「自分の場合はどうか」と自分に引き寄せて考えてきた。アメリカ言語病理学だけでなく、臨床心理学、社会心理学、精神医学、演劇など、様々な領域から学んだが、それ以上に、今、現実に深く吃音に悩み、身動きがとれなくなっている人、悩みから解放された人たちと当事者研究を続けてきた。自分の頭で考え、実際に行動して得たものだけをもとに、発言し、文章にしてきた。どもりにこだわり続け、どもりに生かされ、どもりに導かれて歩み続けた私は、いつか70歳になっていた。
 昨年6月、オランダでの第10回世界大会で、世界的に著名な小説家、デイヴィッド・ミッチェルさんと長時間対話をした。小説家らしい表現で、私と同じような体験を彼はこう語った。
 「自分自身である吃音と闘えば闘うほど相手が攻撃をしてきた。内戦に敗れて、絶望したとき、もう自分のDNAを傷つけたくない、自分の中のどもりさんに、君の存在を認めるよと言ったとき、どもりさんは、僕も君を認めるよと言ってくれた」
 「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんと思ひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」
 歎異抄の、阿弥陀仏の本願力を信じて、念仏を唱える時、すでに浄土は約束されているとのことばが、ずっと頭から離れなかった。法然・親鸞・道元を通して出会った仏教と、ミッチェルさんのDNAの話と、櫛谷宗則さんが書いて下さった「いのちの吃音」が結びつき、人は吃音と共に生きるようにできているとの思いに至った。
 民族の違いを超えて吃音の発生率は人口の1%と言われる。紀元前のデモステネスの時代から現代まで、人間は悩みながらも吃音と共に生きてきた。どんなに吃音を否定しようとも、吃音と共に生きてきたことは誰も否定できない事実なのだ。言語病理学ができ、吃音が治療の対象となって、吃音の新たな問題が生まれた。本来、DNAに組み込まれている、吃音と共に生きる力を奪ったものは何か。どうすれば本来の力を取り戻すことができるかを考える時期にきている。
 吃音に対する社会の理解のなさを声高に叫び、だから、吃音は治療すべきだと主張する。一見どもる人を思う優しさの表れのようにみえるが、原因が分からず、治療法がない、話しことばの特徴を治せと求めるとは、なんと残酷なことだろう。不都合なものは、闘って挑戦して克服するという、勇ましい西洋思想ではなく、共に生きる東洋思想、とりわけ仏教思想が、吃音と相性がいい。
 「吃音は神様が私たちを選んでプレゼントしてくれたものだと考えたらいいよ」
 吃音親子サマーキャンプの子どものことばが、子どもたちに共感をもって広がっている。吃音への理解が少ない社会であっても、社会は敵ではなく、味方だと考え、自分と他者を大切にして誠実に日常生活を送る。どもる自分を日常生活の中に委ねて、どもりながら生きる中でこそ、吃音の理解は広がり、吃音そのものも変化していく。吃音はそのままを生きるものなのだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/07

法然の選択と日本の吃音臨床 3

 かなり力を入れて書いたと思われる文章の紹介は今日で終わりです。2008年に書いたのですが、今も何も変わっていません。これだけ世の中が変わっているのに、吃音についての僕の向き合い方が変わっていないのは、吃音に関しては医学、科学の進歩をもってしても、何も変わっていないからでしょう。おそらく今後も吃音の原因を含めて、何も解明されないと思います。これからもブレずに、信じる道を歩いていきます。(「スタタリング・ナウ」2008.1.19 NO.161 より)

吃音は自然に変わっていくもの

 吃音は、本来自然に変わっていくものだと私は考えている。どもり始めるのもある日突然に起こる。そして、ひどくどもったり、治ったかのような「波」を繰り返す。この波は、何かのきっかけがある時もあるが、多くは自然の変化である。吃音は意図的にコントロールするものではなく、自然な変化に委ねるものだと、私は確信するようになった。医学が自然治癒力や免疫力に注目するように。
 「吃音を治す努力の否定」から34年。私は吃音を治したり、ライパーの言うどもり方を学ぶという吃音コントロールの努力は一切しない吃音の取り組みを続けてきた。成人のどもる人のセルフヘルプグループの活動だけでなく、どもる子どもの指導にあたることばの教室の担当者や言語聴覚士など吃音臨床の専門家に対しても、そのように提言をしてきた。小学生から高校生を対象に「吃音親子サマーキャンプ」で18年間、どもる子どもとかかわってきた。どもる人のセルフヘルプグループでも、吃音親子サマーキャンプでも、「吃音を治し、改善する」アプローチを一切していないにもかかわらず多くの子どもや成人に大きな変化が見られた。
 吃音の悩みから解放されただけでなく、吃音そのものにも変化が現れてきた。これらの実践の中で、吃音は「治す、改善する」を目指して取り組むものではなく、自然に変化していくものだとの確信を強くもつようになった。それは私自身の吃音の変化に素直につきあってもいえることだった。
 学童期の吃音。思春期の吃音。吃音を治そうと必死になった21歳頃の吃音。治すことを諦めた頃の吃音。大阪教育大学の教員として学生に講義や大勢の前で講演をしたときの吃音。それらはどんどん変化していった。43歳の時、第一回吃音問題研究国際大会を開催した頃、私は人前で緊張して話をするときにはほとんどどもらなくなっていた。
 しかし、55歳の時、石川県教育センターで、新人教員研修の講義で、「初恋の人」の文章を読んだとき、自分でも驚くほどどもった。どもっていても、どもることが嫌ではない、動揺することもなく、不思議な、おもしろい体験だった。この日を境に、私は再び得意だったはずの緊張する人前でもどもるようになった。この現実に向き合い、私は「吃音は変化する」ものだと確信したのだった。

バリー・ギター著「吃音の基礎と臨床」(学苑社)

 詳しくは原著をお読みいただくとして、私の臨床との違いを明らかにするために、流暢性促進のスキルについてのみ引用する。「臨床家は、常にどもる子どもの流暢な発話を増加させるための努力をしなければならない」と、学童期・思春期の子どもの吃音緩和法と流暢性形成法が紹介されている。
 ■筆者の臨床アプローチは、吃音に対する否定的な感情を軽減させるために吃音を探究することから始め、その後、弾力的な発話速度、軟起声、構音器官の軽い接触、固有受容感覚といった、流暢性スキルを促進させつつ、一方で吃音を上手に扱うためのスキルを教えるものである。また年少の子どもには、自分の吃音についてオープンに話し合うことで、吃音に対する恐れや回避を軽減させる練習をし、その一方で、流暢性阻害要因への過敏性を減少させたり、いじめやからかいにうまく対処したりするスキルも学習させる。(P.367)

流暢性促進スキル
・弾力的な発話速度(Flexible Rate)
 単語の発話速度、中でも第一音節発話速度を下げる。発話速度を下げると言語企図や発話運動の遂行に、より多くの時間をかけることができるため、吃音を効果的に軽減できる。どもると予期する音節の発話速度のみを下げるため「弾力的な発話速度」と呼ぶ。臨床家が手本を示した後、子どもにその単語を「弾力的な発話速度」で発音させ、目標に近づいたらその発音を強化し、すべての音を練習させる。
・軟起声(Easy Onsets)
 楽に柔らかく声を出す。まず声帯をゆっくりと振動させて声を出すと、どもることなく滑らかに発声を続けられる。軟起声の教え方は、まず臨床家が様々な音を使いながら目標となる行動やスキルの手本を提示して子どもに軟起声のまねをさせる。
・構音器官の軽い接触(Light Contacts)
構音器官の強い接触は吃音を引き起こす。ある音韻でどもりそうだと予期したとき、その音韻を含む単語を言う前に、あらかじめ自分の構音器官を所定の位置に調節したり、どもったときのことをイメージしながら練習したりする。構音器官を軽く接触させて子音を発音する。構音器官の力を抜き、呼気あるいは声の流れを途切れさせずに子音を発声する手本を子どもに示す。
・固有受容感覚(Proprioception)
 口唇、顎、舌の筋肉の筋紡錘に存在する機械受容器から送られる感覚フィードバックは、発話時の筋肉の動きを調整する重要な役割を果たす。固有受容感覚からのフィードバックに留意させる。
 構音器官からの感覚情報に意識的に注意を向けることを促進させると考えられる。子どもが固有受容感覚のスキルを正確に使えることが確認できたら、弾力的な発話速度や軟起声、構音器官の軽い接触のスキルと組み合わせる。このスキルの組み合わせを「スーパーフルーエンシー」と呼ぶ。
 吃音を流暢な発話に置き換えるスキルを身につけた子どもは発話に対する自信を得、吃音の予期を流暢な発話の予期に変えるようにもなるだろう。このような子どもは吃音を予期したとしても、もはや構音器官を所定の位置に固定したり、吃音を生じさせる要因になる予期不安によって過度に緊張したりすることはなくなっているだろう。

吃音の悩み最前線

 私は今、吃音に悩む人の最前線にいる。私の開設している吃音ホッラインには毎日2〜3件の相談が寄せられる。手紙や、インターネットからのメールでの相談も少なくない。多くの人は、いい加減なちょっと参考までにという相談ではない。
 子どもがどもり始めてまだ10日も経っていない場合や、そのうち治ると信じて、「その内に治るよ」と言ってきたが、小学3年生になっても治らず「この話し方が嫌だから治して欲しい」という子にどう向き合えばいいかなど、どもる子どもの親からの相談が多いが、どもる人からの相談も少なくない。
 卒業する生徒の名前が言えないと悩む卒業式を控えた教師や、職場の電話が恐くなって辞職しようと思っているという事務職の女性。苦手な音のある名前を言えるようになりたい、電話の恐怖から解放されたい。「できれば吃音を治したい、どもらないようになりたい」という相談だ。
 そのような相談に毎日向き合う私に何ができるだろう。まずは、本人が知りたい吃音についての情報の事実を伝え、個別の相談への対処を具体的に一緒に考える。卒業式で子どもの名前が言えない、電話の応対に困るなどの場合は、「どもらずに話す方法」を求めている。私が経験した吃音治療法は熟知している。また、アメリカの提案する治療法も知っている。しかし、2週間後に控えた卒業式のために、「どもると思うことばをゆっくりと話しなさい」「軟起声といいますが、やわらかく、軽く言い始めなさい」「声を出すとき発語器官を軽く接触させて」「自分が声を出すときの感覚に注意を払って」などという、スーパーフルーエンシーと言われるものを、相手に伝えてどんな意味があるだろうか。かつて私が民間矯正所で教えられたのとほとんど変わらない吃音コントロール方法を教えても、ほとんど役に立たないだろう。私たちがさんざん試みて失敗してきた方法でもあるからだ。
 それよりも、「卒業式というせっかくのチャンスだ、自然に任せてどもるときはどもるに任せ、どうしても言えないときのために、生徒や同僚の教師や校長と作戦を立てればどうですか。いつまでも、隠し、逃げていられませんよ」と言うしかない。
 中には、吃音をコントロールできる人はいるだろうが、私を含め、ほとんどの人たちが失敗してきた吃音コントロールの方法を教えることは、私にはできないのだ。ただ、その不安や辛さに耳を傾け、「どもっても仕方がない。あなたはどもるんだから」とごく当たり前のことを言い、「やってみれば」と背中を押すしかない。
 吃音緩和・流暢性形成の方法には100年ほどの歴史がある。その方法を知っていても、上手く使えないのが現実なのだ。その方法がいいと信じて努力し、吃音をコントロールできる人はそれでいいのだろうが、私自身ができなかったことを人に勧めることは私にはできないのだ。

「吃音を治す努力の否定」の理論的根拠

三つの事実
 1 確実に治る、改善できる治療法はない。
 2 治っていない人は多い。
 3 吃音の悩み、受ける影響には個人差がある。

 日本はアメリカと違って信頼できる、大学で臨床する吃音臨床家はきわめて少ない。ほとんどの日本のどもる人はアメリカ言語病理学の恩恵を受けていない。では、アメリカ人に比べて日本のどもる人が吃音に悩み、困難な状態にあるかと言えば、必ずしもそうではないだろう。日米比較はできないものの、世界大会などで世界のどもる人々と出会う限り差がない。ということは、言語病理学をもとにした吃音セラピーを受けなくても、日本のどもる人たちは、自分なりの対処法をみつけ、悩んだ時期はあったものの、自分なりの豊かな人生を送っているということになる。
 私が「治す努力の否定」を提起した時、後押しとなったことがある。

 1 私とセルフヘルプグループの仲間の変容
 私自身が不安や恐れをもちながらも、日常生活を大切に生きる中で、どんどん変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、自分なりの人生を送るようになった。私だけでなく、セルフヘルプグループに集まった人の多くがそうだった。
 2 一人の青年の実践
 私が大阪教育大学の言語障害研究室に勤務していた時代、いわゆる重度な吃音で、舌を出す随伴症状のあった消極的な一人のどもる青年の吃音に、6か月取り組んだ。治す努力を一切しないで、「ただ、日常生活を丁寧に生きる」ことだけをこころがけ、彼の話すことから逃げる行動に焦点をあてて取り組んだ。その結果職場での生活態度が変わった。
 目指したわけではないが、しばらくして、舌が出なくなり、吃音も軽くなった。この経験から、私の考えは、誰にでも通用するものだと確信した。
 3 全国巡回吃音相談会
 全国35都道府県38会場で相談会を開いて、3か月集中的に多くのどもる人に出会った。その時、吃音に悩む人だけでなく、どもりながら豊かに自分らしく生きている人とたくさん出会った。自分の経験からも、どもっていれば吃音に困り、悩んでいるはずだと思っていた先入観が崩された。
 ほとんど吃音が目立たないのに、非常に悩んでいる人。かなりどもっているのに、平気で生きている人。吃音の苦労や悩みは、吃音の症状とは正比例しないことも実態調査で知った。吃音のコントロールができなくても、自分の人生を生きることはできる。いつまでも、流暢に話すこと、どもらず吃音をコントロールすることにこだわるより、吃音と共に生きる覚悟を決めた方がいい。そして、「治す努力の否定」を提案したのだった。
 その後、34年間の取り組みの中でも、吃音のコントロールをしなくても多くの人がどもっていても、日常生活に支障なく生活ができるようになっていった。そして、自然に吃音そのものも変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、話すことから逃げなくなり、充実して生きる人に、吃音のコントロールは必要がないだろう。

終わりに〜日本のことばの教室の実践のすばらしさ〜

 法然の「聖道門・難行」と「浄土門・易業」にあやかって、吃音コントロールがいかに難しいものであるかを明らかにしたかったために、日本のことばの教室の素晴らしい実践について触れなかった。近年、日本のことばの教室は、「吃音の治療・改善」の難しさに目を向け、治すことにこだわらない実践をしている所も少なくない。
 治すことよりもどもる子どもの自己肯定に注目する研究も出てきた。私の知る限り、子どもの吃音の学習や、表現力を高める実践など、日本の実践はすばらしいと私は考えている。
 アメリカの方法が紹介されることで、やはりことばの教室では、スーパーフルーエンシーの指導ができなければダメな臨床家だと思わないで欲しい。せっかくのいい実践から吃音コントロールに向かわないで欲しいと願うばかりだ。
 長年の吃音研究を誠実に続けてこられた、水町俊郎愛媛大学教授との共著で、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)を出版した。吃音コントロールとは違う実践をまとめた実践集もあわせてお読みいただきたい。

・『吃音と向き合う、吃る子どもへの支援〜ことばの教室の実践集』(日本吃音臨床研究会発行)
(了)


※この冊子は完売となりましたが、日本吃音臨床研究会のホームページに全文掲載しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/17

法然の選択と日本の吃音臨床 1

 昨日の巻頭言につづき、「法然の選択と日本の吃音臨床」について書き綴った文章を紹介します。かなり力を入れて欠いていることが分かります。

  
法然の選択と日本の吃音臨床 1

        日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


はじめに

 1974年、私は、吃音に悩む多くの人が「吃音を治す」ことにこだわり、治す努力に精神的、時間的、金銭的な多大のエネルギーを使っても成果がないどころか、ますます、吃音の悩みが深まった大いなる内省から「治す努力の否定」を提起した。
 それから34年、昨年5月参加した第8回世界大会や、アメリカの言語病理学者バリー・ギターの翻訳書の出版(長澤泰子監訳・学苑社)で、アメリカを中心とした世界の最新の研究臨床が明らかになった。世界の吃音の臨床は70年ほどほとんど変わっていないことに驚き、改めて「吃音を治す努力の否定」を提起しなければならないと考えた。
 吃音の臨床の大きな流れは「吃音の治療・改善」にあることは、翻訳書やクロアチア大会でも明らかである。だから、こっちの道もあるのだよと、選択肢を提起したい。「吃音の治療・改善」一色よりも、選択肢が広がる意味は小さくないだろう。
 浄土宗の開祖・法然(1133〜1212)は「選択念仏本願集」で旧仏教を「聖道門」として否定し、「浄土門」の日本の仏教を打ち立てた。
 この区別に則して、アメリカ言語病理学を整理し、日本の、私たちの、吃音への取り組みの選択肢として、再度「治す努力の否定」を提案したい。

法然の「聖道門」と「浄土門」の区別

 仏教の目的〈仏になる〉道は、一つではなく様々な手段があるという主張に対して、次の自覚に立って、法然は専ら念仏を称えることを主張する。

・日本は仏教の本国から遠いという自覚。
・修行を実践してゆく上で自分は無力だとの自覚。

 〈仏になる〉とは、人間存在の不安や苦悩から根本的に解放されることだが、法然以前の仏教は、宗派を問わず、そのために、様々な努力目標を掲げていた。在家の人間には、寺院や仏像を造る、写経、僧への布施などを求め、人を殺すな、嘘をつくな、生きものの命を奪うなと教えた。これらは大多数の庶民にはできないことばかりだった。
 出家者でも、よほどの精神的集中力と肉体に恵まれていなければ修行は難しく、〈仏になる〉ことは容易ではなかった。そのことを法然は、修行の不足ではなく、人間が本来持つ「煩悩」があるからだと言う。人間にとって「煩悩」の除去は不可能で、「煩悩」の存在を認めた上でいかにすれば〈成仏〉が可能なのかを考えた。
 法然は徹底して自らも「凡夫」と認識し、「煩悩」に縛られている愚か者でも救われる仏教として、「信じて、ただ念仏を称えよ」と教えた。
 源氏と平家が争う乱世の時代。法然の主張は、修行の難しさや、戒律を守れずに仏教と縁がないと考えていた人々に歓迎されたが、旧仏教からは、激しい反発を受ける。
 法然の、一切の人間が救われる救済原理の根拠が「聖道門・浄土門」の区別である。旧仏教を「聖道門」と一括した上で、それを全否定した。釈尊が歩んだように、瞑想を繰り返し、心身をコントロールして深い智恵を獲得することで〈仏〉になる「聖道門」は、いかにすぐれた尊い教えであっても、釈尊の死から年月が経ちすぎ、感化力は衰えている。また、教えは難しく、いかなる修行によっても悟りを得ることは難しい。誰でもが信じさえすれば実行できる易しい行である「念仏を称える」「浄土門」が新しい仏教だと宣言した。

 私は、「吃音の治療・改善」を目指す、吃音コントロールはきわめて難しいものだと体験的に考えている。日本の100年の吃音治療の歴史の中で、ほとんどの人が難しく実現できなかった方法でもある。アメリカの言語病理学と、技法の名称や表現に違いはあるが、1903年の伊沢修二等の方法と大きな差はない。100年たった現代でも吃音コントロールの方法は変わらない。長い年月の実践の結果、成果が上がらなかった吃音治療法を、私は法然の言う「聖道門」「難行」だと言いたいのだ。

吃音治療・吃音コントロールの難しさ

私の経験
 私は小学2年生の秋から吃音に悩み、辛い学童期・思春期を生きた。その時、私を支えていたのは「いつか必ず治る」という思いだった。どもっている限り私の明るい未来はない。吃音が治ることだけを夢見た。どもっている間は「仮の人生」で吃音が治ってから私の人生が始まると思っていた。
 21歳の夏休み、東京正生学院という吃音矯正所で、1か月は寮で生活し、一日中訓練に明け暮れた。その後3か月通院して、治す努力を続けた。

「流暢に話す派」と「流暢に吃る派」
 私はこれまで、民間吃音矯正所を批判してきた。しかし、現在の世界の吃音治療の現状をみると、日本の吃音矯正所があながち大きな間違いをしたわけではないと気づいた。「必ず治る」と宣伝し過ぎたこと、呼吸練習の重視は問題だとしても、実際の吃音コントロール法は、今、オーストラリアやアメリカなどの大学で行われている「流暢性の緩和・形成」の治療法と大差がないのである。
 「まず態度、口を開いて息吸って、母音をつけて軽く言うこと」
 浜本正之の中央吃音学院で毎回唱和させられた。これは、後で紹介するギターの「吃音緩和法と流暢性形成法」と原理的にはほぼ同じなのには驚く。
 日本の吃音矯正といわれるものは、1903年、東京小石川の伊沢修二(東京芸術大学の前身、東京音楽学校校長)の楽石社に始まる。伊沢の「ハヘホ」練習から始まる発声訓練は、後の吃音矯正所の原型となる。梅田薫、野中肖人、浜本正之、望月庄一郎、田澤嘉聲等の著作を読み返すと、お互いが批判し合っているものの、基本となる「ゆっくり話す」「軽く発音する」などは共通している。
 1965年、私が最初に受けた吃音セラピーが、東京正生学院だったことを、今、とても幸いだったと思う。ここでは、アメリカで論争になっていた、「流暢に話す派」と「流暢にどもる派」がすでに対立する構図になっていたからだ。
 東京正生学院の創立者、梅田薫・医学博士は、今、オーストラリアの大学で現に行われている、ゆっくりと吃音をコントロールして話す「わーたーしーはー」を徹底して教えた。一方、早稲田大学で心理学を学び、アメリカの言語病理学に精通するご子息の梅田英彦副院長は、アイオワ学派の「どもっても、どんどん話そう」という考え方を紹介し、「随意吃」を教えた。私たちは、ドイツ法・抑制法、アメリカ法・表出法と呼んでいた。
 院長は熱心に吃音コントロールを教えたが、多くの人々は矯正所の中ではできても、日常生活で応用していくことはできなかった。また、一時的に効果があっても数ヶ月で再発していた。若い副院長の「どもっても、どんどん話そう」という考え方に私たちは惹かれていった。意図的にどもる、わざとどもるという「随意吃」は実行できなかったが、どもってでも話していく態度は養われたと思う。
 東京正生学院で、全く違う二つの考え方に出会い、それらを4か月、300人ほどと真剣に取り組み、議論した経験をとてもありがたいことだと思う。どちらか一方しか教えられなかったら、私は、「吃音が治らない」ことに諦めがつかなかったかもしれない。アメリカで論争になっている両方を同時に体験できたおかげで、私はその両方とも違う「治す努力の否定」をその後提起できたのだと思う。
 そこでの「ゆっくりと、軽く発音する」も「随意吃」の「楽にどもる」もほとんど役に立たず、300人のどもる人たちは、教えられても実践ができなかった。一時治ったかにみえた吃音が何ヶ月後あるいは数年後、再び現れた。この「再発」という現象も、アメリカでも日本でも状況は変わらない。
 日本では、「必ず治る」と教えられたために、「治る、治す」ことへの憧れは強いものになり、治らない場合、自分の「努力不足」を責め、治すことにとらわれる道へと落ちていったのだった。
 私に残されたのは、「吃音が治らず、改善もされなかった」現実と、多くのどもる人に出会えたこと、そして吃音についての考え方として「恐れがあっても、不安があっても、どもってどんどん話していこう」という、アイオワ学派の教えだった。
 その後創立したどもる人のセルフヘルプグループでは、そのうち吃音をコントロールすることはしなくなった。どもっても話していく態度が根づいたのはアメリカの言語病理学の大きな遺産だろう。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/15

法然の選択と日本の吃音臨床

 畏れ多いと思いながら、法然上人に登場していただき、アメリカ言語病理学と僕の主張する吃音へのアプローチを、「聖同門・難行」と「浄土門・易行」として、書いた巻頭言を紹介します。この巻頭言は、明日から紹介することになる文章のプロローグにあたるもので、力を尽くし、心を尽くして書いたものだということが分かります。毎回毎号、せいいっぱい書いていますが、この号は特別で、「吃音を治す努力の否定」を出したとき以上の、僕自身の覚悟が表れています。「スタタリング・ナウ」2008.1.19 NO.161 より紹介します。

  
法然の選択と日本の吃音臨床
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 法然の『選択本願念仏集』などを読み、アメリカで発展してきた言語病理学と、私の主張する「治す努力の否定」との違いを整理した。宗教に門外漢の私が、法然を、強引に都合良く引用するため、間違った解釈もあるだろう。法然上人には畏れ多いことだが、素人に免じてお許しいただきたい。
 法然は、護国鎮守のための旧仏教を否定し、民衆の誰でもが救われる仏教を打ち立てた。法然は、学問、修行、功徳を積むことで救われるという「聖道門」を捨て、「ただ信じて、念仏を称えさえすればいい」とする「浄土門」を選択した。
 煩悩の多い、修行や功徳を積めない乱世に生きる当時の一般大衆には「聖道門」は難行であり、誰でもが救われるに道として、易行(易しい道)でなければならないというのである。煩悩の多い凡夫であると自覚し、その自分でも救われると信じて、念仏を称えよと言う。さらに、修行などは雑業だとして一切せず、正業である念仏だけを勧めた。当然、旧仏教の人たちから激しい反発や批判を受け、島流しなどの迫害も受けている。しかし、法然はひるむことなく、主張し続けた。

 吃音については、薬や手術などの本人の努力とは関係ない根本的な治療法はなく、本人が取り組む言語訓練しかない。私も、「どもりは必ず治る」として、吃音コントロール法を教えられた。
 アメリカでは、吃音コントロールについて、二つの流派が長年対立し、激しく論争をした。「どもらずに流暢に話す派」と「流暢にどもる派」だ。そして、近年統合的なアプローチが提案された。
 1930年代、アメリカのアイオワ大学を中心に吃音臨床研究が集中的に行われた。当時の、ウェンデル・ジョンソンやチャールズ・ヴァン・ライパ一は現在でも大きな影響を与えている。
 1974年、私はこの流れをくむ吃音臨床に一つの選択肢を提起した。「流暢に話す」も「流暢にどもる」努力も一切やめようと「吃音を治す努力の否定」を提案した。それから、34年間、私はセルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプなどで、「治すことにこだわらない」吃音とのつきあい方を実践してきた。多くの人が吃音の悩みから解放され、自分らしく生きている結果において、アメリカの言語病理学に決してひけをとらないと思う。
 昨年の第8回クロアチア世界大会、また昨年秋翻訳出版されたギター著『吃音の基礎と臨床』(学苑社)のおかげで、ありがたいことに現在の世界の吃音の臨床について詳しく知り、整理することができた。
 1974年は呼びかけだったが、今回は34年の実績の報告をもとにした、再度の提起だ。アメリカ言語病理学一辺倒の日本の吃音臨床に、他の選択肢があった方がいいと思うからだ。アメリカ言語病理学に対して、東洋思想からの選択肢の提示である。
 ひとつの選択肢であっても、誰もができる易しい方法であり、自分が実際に経験し本当によかったもの、多くの人が実践して役に立ち、臨床家が指導しやすいものでなければならない。選択肢は違いを鮮明にした方が分かりやすい。遠慮せず、正直に提起したい。人によっては過激な主張だと思われるだろうが、読む人が、自分にとって役に立つ方を自ら選択して下さることだろう。
 アメリカの提案する、吃音のコントロールは一部の人にはできても、誰にでもできることではない。どもる人の多くが失敗し、よく似た方法の日本の民間吃音矯正所が衰退した。また、臨床家が簡単に教えられないことはアメリカのセラピストの多くが吃音臨床を苦手としていることでも明らかである。法然の言う「聖道門」だと私は思う。
 「どもる事実を認め、自分や他者を大切に、ただ、日常生活を丁寧に生きる」
 これは難しいように見えて、自分の人生を大切に考える人なら、吃音をコントロールする努力を続けるよりも、はるかに易しい道だ。それは、多くの人の体験を通して私は言い切ることができる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/14
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