伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

櫛谷宗則

基本設定の吃音

 東京での合宿と東京ワークショップ、その翌日の立川志の輔さんの落語のことを紹介して中断していた「スタタリング・ナウ」2014.5.20 NO.237 の紹介に戻ります。
 「基本設定の吃音」ということばが、今、紹介している「スタタリング・ナウ」の前後によく出てきます。これは、吃音を治そうとすればするほど、悩みの中に落ちていく経験を重ねてきた、多くのどもる人たちの経験をもとに考えたことです。吃音は、治そうとか、改善しようとかせず、そのままどもるままに生きていけるよう、最初から基本設定されているのではないかということです。大阪吃音教室で、そのものずばりのテーマで話し合いをしました。参加した人たちが、自分の経験を語っています。「基本設定の吃音」、まさにそのとおり!と言いたくなるようなエピソードが満載です。「スタタリング・ナウ」2014.5.20 NO.237 で報告している、2014年4月18日の大阪吃音教室の様子を紹介します。

  
基本設定の吃音  大阪吃音教室での話し合い 2014年4月18日
                 報告:大阪スタタリングプロジェクト 藤岡千恵

 「僕たちは吃音とともに生きていけるように基本設定されている」と聞いた時、そのことが自分なりにすんなりとわかる気がしました。また、講座の中でたくさんの人が話したエピソードは「基本設定の吃音」の視点で考えてもピタリとハマる感じがしました。私がこれまで仲間から「自分には"自分を助ける力"があるんだよ」ということをいろんな角度から教えてもらった蓄積が自分の中にもたっぷりとあるからだと思います。崩した基本設定をもう一度信じて生きることで、"自分の命を生きる"力も、しっかりと育まれていく気がしています。

伊藤 僕らは、吃音を治す、改善は考えていません。吃音を治す試みは、100年以上、世界中が失敗してきたことです。「治らない、治せない」ものに、「完全には治らなくても、少しでも軽減する」と考え、努力することはとてもしんどいことです。
 今日、51歳の女性から電話がありました。母親が長女の吃音を治すために、次女の彼女も連れてスピーチクリニックに行った。長女は、どもらなくなったが、次女がどもるようになり、母親からの精神的な虐待に悩んできたというのです。
 その後、彼女は脳梗塞になり、膠原病も発症し、「脳梗塞も、膠原病も、吃音の悩みのストレスからきた」と考え、どもりを治そうとしてきたが、僕の本で、考え方が変わり楽になったそうです。

  法然
伊藤 4月号の、櫛谷宗則さんの、「伊藤さんは、吃音のいのちを生きている。吃音に導かれ、吃音にいろいろなことを学んで吃音とともに生きてきた」との文章を何度も読んでいた時に、もともと、人間は吃音とともに生きていけるように「基本設定」されているのではと思い至りました。僕は浄土宗の開祖、法然上人の「念仏を唱えるだけで救われる」という考え方が好きなのです。「阿弥陀仏があなたを救ってくれるということを信じて『念仏を唱える』と決意した時に、すでにあなたは救われている」という考えです。

  ディビッド・ミッチェル
伊藤 去年6月のオランダのどもる人の世界大会で、世界的に有名な小説家デイビッド・ミッチェルさんがこんな話をしました。
 「どもりを殺してやりたいと、長年、戦ってきたが、戦えば戦うほど自分が壊れていった。絶望して、自分の遺伝子まで壊してしまう、吃音との戦いはやめよう、自分自身でもあるどもりと戦うのはやめよう、内戦はもうやめようと白旗をあげた。「君はいてもいいよ」と言うと、どもりも「あなたもいていいよ」と言ってくれた。こうして和解をしたら幸せになれた」
 僕は今まで、吃音が変化していくのはその人が持っている自己免疫力、自然治癒力だと言ってきました。それは、吃音と気づいたときから、すでに僕たちの体の中に備わっている、コンピューターで言えば初期設定、基本設定として、どもりとともに生きていけるようになっているんじゃないかという考えに結びつきました。

  リウマチ
伊藤 僕は三年前にあるグループで知り合った、リウマチで苦しんできた人から、その痛みがどれだけすごいかの話を聞いて驚きました。その人の場合は、「ガーン」と殴りつけられたような痛みが24時間続き、痛みに耐えることで気が狂いそうになる。それでも人間の体は不思議なもので、その痛みにすら耐えるようになっていく。しかし、強い痛みを伴う人生はつらい。だから「この痛みとともに生きるのは、人間として簡単なことではない」と、医学の分野で、治療法や痛みを和らげる薬が開発される。彼は薬が合ったのか、今はずいぶんと痛みは楽になっています。
 「どもりは何だろう」と考えると、痛みも痒みもない。「からだ」としてのつらさはない。「あなたたちは吃音とともに生きていけるように基本設定してあるんだよ」ということではないかと思いました。僕も、3歳の頃からどもっていたけれど、基本設定のために、小学校2年生までは、悩むこともなく、平気でどもって、元気に生きてきた。
 どもりながら生きることは誰にでもできるということは間違いない事実です。治したいと思う人も実際にどもりながら生きています。今日は、『基本設定の吃音』のエビデンス、証拠を考えてほしいのです。僕の根拠は、小学校2年までは平気で、どもりながら生きてきた。皆さんの中に「私にも、どもりとともに生きていく力が備わっていたんだな」と思えるような経験があれば教えて下さい。

川崎 僕も物心ついた時からどもっていました。幼稚園の時に親に吃音矯正所に連れて行かれ、その時から「どもったらあかん」と思っていました。症状としては軽かったのですが、難発で名前を聞かれたら言えない。「お名前は?」と聞かれても全く言えなくて、すごくつらかった。長い間どもりを否定してきたのが、大阪吃音教室に来て、「どもってもいい」と思えた。僕は、どもれるようになって基本設定にやっと戻ったという感じです。どもらないで言うことはできないが「どもれば言える」ことがわかりました。それがわかるまではしんどかった。悩んでいた時は、人生のほとんどのエネルギーを「どもりを隠すため」に、「どもらないように」に全エネルギーを注いでいた。

伊藤 設定が狂ったのは、今の川崎さんの話では、親が「どもっている益彦ではだめだ」と、吃音矯正所に連れて行ったことで、親から「あなたの基本設定はだめなんだよ」と言われたようなものですね。自分もその考えを取り込んで、吃音を否定し、基本設定が狂ったのですね。
 基本設定が狂うと様々な問題が起こってきます。今話していることは、これまで僕らが話をしてきたことの延長で、新しいことはないのですが、考える視点としてひとつ言えるのは「もともと持っているものをいじるなよ」ということですね。

  西田さんのエピソード
西田 僕は、隠せない状態で、人前でどもること自体は恥ずかしくなかったが、「自分で自分のことばを話していない」ことに悩んでいた。話す瞬間に「今、このことばをどもらずに言えるか」を毎回必ずチェックする。どもると判断した時には常に代わりのことばを代用した。ことばのバックアップリストをあらゆる瞬間に用意することにエネルギーの大半をとられていた。それを続けているうちは「自分は永久に、自分のことばの主人公にはなれない」と思った。自分の表現をコントロールすることがつらかった。ある時「それをやめて、最初に思いついたことばを話そう」としてみたことがあります。すると、「自分はどもりを克服した」と同じくらいの爽快さでした。
 しかし、電話相談の事業での電話がかかってきた時に、そのやり方で会話をした時に、あまりもどもるので、「電話の相手は聞きづらいだろうな」と気づきました。初めて、他者と出会った感覚でした。自分のどもりと対話をし、相手とは対話をしていなかったことに気がついたのです。相手に自分の話したいことを伝えるには言い換えてもいいと思った。相手のために、ことばのチェック機能をフル回転させようと思ったら、不思議なことに言い換えが嫌ではなくなった。曇りガラスの曇りがとれたような感覚を味わい、初めて「人と向き合える状態」になった。
 自分に備わっているものを否定するか、一緒にやっていこうと思うかで、楽さが全然違うと思う。

  言い換えについての話題
村田 西田さんのように強く意識はしていなかったが、中学生の頃には上手になっていました。
藤岡 私も言い換えに、フル回転していたが、チェック機能が働いているとの意識はなかった。
伊藤 自動制御システムが二人とも働いていたわけですね。西田さんのは性能が悪かったのかな(笑)
 デイビッド・ミッチェルさんも、ことばの言い換えに悩み、「犯罪行為だ」とまで言っていました。13歳の年齢なら絶対に使わないような難しいことばを使ったら、子ども同士の会話が成り立たない。彼も結局、言い換えにOKを出すことで、小説家として成長した。西田さんは頭が良くて、ことばの言い換えを考えられたけれど、そこまで頭が良くない僕は逃げの一手しかなかった。無意識のうちに言い換えをしてきていたので意識はなかった。覚えているのは、小学校1、2年の時、八百屋で、「たまご」が言えなくて「鶏卵、下さい」と言って変な顔をされたことくらいで、後はどんなことばを言い換えてサバイバルしてきたのかは全然思い出せない。

  川崎さんの技
伊藤 川崎さんの場合は親からどもることを否定されたことで、どもらない自分を設定しようとした。川崎さんは親の前でどういう技を使ってどもらないようにしていたのですか?
川崎 僕は、しゃべりませんでした。だから困るんです。電話でも言えなくなったら切るとか。会社勤めを始めてからも、電話の相手に「会社の住所教えて下さい」と言われた場合、言えずに気まずくなって切っていました。そんな自分を無力だと思いました。だからそのことを考えないようにしてきました。

  基本設定を阻むもの
伊藤 誰もが吃音とともに生きていけるように基本設定されているものを狂わすものは何なのでしょうか。
佐藤 4年生の頃、母と担任の先生と私で三者懇談をした時、母が先生に私の吃音のことを相談していたのを聞いた時に、自分が吃音ということがわかり「吃音はダメなんだ」と感じました。
伊藤 僕の場合は小学校2年の担任教師が、「どもるお前はだめだ」と烙印を押した。本人が自分で気づいて「俺はだめな人間だ」と思うよりも、周りからのまなざしによって、人は「この基本設定ではだめなんじゃないか」と思うのですかね。

上殿 私は、小学校の時に本読みがうまくできなくて、担任が親に「本読みの練習をさせて下さい」と言ったそうですが、学生時代はそんなに悩んでいなかった。社会人になって同僚から「早く言えるように練習しろ」「社名が言えないのは社会人としておかしい」などと言われ悩み始めた。

藤岡 私は、親、特に父から言い直しをするように言われた。「お、お、お父さん」と言ったら、父に「もう一回、ゆっくりと"おとうさん"と言ってごらん」と言われて、気をつけて「おとうさん」と言ったら「よしよし」と拍手されていました。自分の中で違和感としてどもりの存在が目立ち始めたのは、小学校1年生の時だったと思います。本読みの時に、自分だけがことばにつっかえて、音を繰り返していることに気づいた。周りの友だちからも真似をされ、「私はみんなと違う」と強く意識して、劣等感が強まりました。

伊藤 他者から「お前は人と違う、日本語をしゃべれ」などと指摘され「自分は他の人と違う」と思い始める人と、他者から言われないけれど、自分自身で「他の人と違う」と思い始める人がいるんですね。

井上 僕は親から「どもらずにしゃべれ」と貼り紙をされていました。貼り紙には何ヶ条かあり、そのうちのひとつが「人前でどもってはいけない」でした。だから「どもってしゃべったらいけない」と思っていました。つらかったというより「人前でどもったらあかんねんな」くらいの感じでした。

  どもることが気持ちいい
藤岡 私は去年の大阪吃音教室で、自分が書いた作文をみんなの前で読んだ時に自分が想像していた以上にどもって、あれっと思いながら読んでいたのですが、だんだん気持ちが良くなってきました。私が私の大切なことを書いた文章で、みんなが「うんうん」とうなずきながら聞いてくれている。そういうことをかみしめて味わっているうちに、ふと小学校時代に朗読をしている時の自分が思い浮かび、あの時は人前で朗読することも恐かったな、笑われるし、どもった後の休み時間は、気まずくてずっと机に突っ伏していたなと思い出した。「あの頃の自分はかわいそうだった」と思う反面「ここにいる今の自分は人前でしゃべることの喜びを取り戻している」「どもっている自分が本来の自分だ」という気持ちがこみ上げてきてうれしくなり、気持ちよかったのだと思います。バラバラだった「自分」と「自分」が一致した感覚がありました。私は大阪吃音教室に参加して、長い時間かけて「吃音は自分の一部だ」と思えるようになりましたが、これが本来の自分で、「基本設定を取り戻した」ということかなと思いました。

伊藤 パソコンも、基本設定をちょっといじってしまうとぐちゃぐちゃになってしまう。それと同じようなことが起こってしまうんでしょうね。
 吃音親子サマーキャンプで子どもたちは、「どもっていることが普通というのは、心地いい」と言います。去年のキャンプでも小学6年生の女の子が、すごくどもりながら主役を演じて、感想で、うまくできなくて悔しかったと、涙を流しながら話した。あの涙には「どもりながら自分は最後まで言い切った」という爽快感もあったのかなと思いました。どもるのが僕たちの基本設定のことばだから、そのどもることばを否定することは自分の「からだ」を否定することになり、どこかに異変が起こる。どもる自分を否定することは自分を否定することで、自分を否定することは、自分の将来を否定するということになりかねません。これは大きな損失ですよね。

  どもりは神様からのプレゼント
川崎 僕は大学を出て企業に就職しました。仕事には何の不満もなかったが、朝礼でどもってしまい、それで悩んで会社を休んだ。結局どもりが原因でその会社を辞めてしまったんですが、今思うと、どもってしゃべれば何の問題もなかった。

伊藤 僕も悩み始めてからは、クラスの役割も、勉強も、遊びもしないで生きてきた。あの時「どもってもええんや」と思っていたら何の問題もなく小学校、中学校、高校と学校生活を送れたと思う。高校の文化祭で、みんな夜遅くまで準備をしていたのを、僕も一緒に何かやりたかったと悔しい思いがある。あの時「どもってるのが僕」と認めていたら何の問題もなかった。小学校、中学校、高校の時代に戻りたいと思うのは、どもらない僕としてではなく、今の、吃音の知識があり、つき合い方を知っていて、「どもっても大丈夫」という僕として戻りたい。今、僕たちが活動しているのは、今の子どもたちが僕たちのような失敗をしないでほしい、どもりを否定しないで、「どもりながらも僕は自分のことばをしゃべるんだ」という子どもになってほしいと思うからです。
 子どもは僕たちの想像を超えてすごいことを言います。千葉県の男の子の「どもりは、たくさんの人の中から神様が僕たちを選んでプレゼントしてくれたんだよ」との発言を聞いた京都の女の子が「ああ、そうなんだ」と共感した。彼女の書いた作文を岡山のキャンプで紹介したら、岡山の子が共感した。群馬のキャンプに参加した子にも「ああ、そうなんだ」と、共感が広がった。子どもも、「自分の吃音を否定することは自分の人生を危うくしてしまう」ことを、子どもの生きる力で察知している。だから「神様からのプレゼント」のことばが出て、それに反応するのだ思います。子ども本人が「これは僕の宝物だ」というのはすごい。

  奇跡
伊藤 最近、僕は「奇跡って何だろう」と思います。僕は心臓病、糖尿病、目の病気と病気の宝庫だからですが、歩けて、自分で便所に行けて、音楽を聴けて、景色が見られる。どもるけれどもしゃべれて、精密なコンピューターのような体を持ち、息をしているだけでも奇跡だと思うようになりました。素晴らしいことが起こったり、素晴らしいことができたりすることが奇跡ではなくて、今ここに生きていることが奇跡だと思う。韓国の修学旅行生が乗った客船が転覆して亡くなるなんて誰も思わない。「生きている」こと自体が奇跡なんですよ。僕たちは、奇跡のような、基本設定としての命を持って生きているのだから、不都合だからといって、変えようなどと思わず、このままで生きようと僕らは考えているのです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/21

いのちの吃音

 2004年頃、朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読まれた櫛谷宗則さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼でしたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。毎回、出版されるたびに冊子を送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて僕を励まし続けて下さっています。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、お互いの都合がつかず、お会いすることができませんでした。
 2013年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間座禅会をされると知って、1日参加した。一番前に座っていた私に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。そのとき、私の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれました。
 そのとき、櫛谷さんに何か文章を書いていただけないかとお願いしました。その文章に添えて下さったお手紙にはこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

 「スタタリング・ナウ」2014.4.21NO.236 に掲載の、櫛谷宗則さんの文章を紹介します。

  
いのちの吃音
                            櫛谷宗則

吃音を考える

 吃音で悩むという、何に悩んでいるのだろう。言葉がつっかえる、出てこない、しかしそれはそんなに不都合なことではない。吃音それ自身が問題なのではない。かりに吃音はチャーミングと感じる文化だったら、吃音であることは悩みにならない、うれしいこと。
 人からの評価、人の目が気になっている。カッコ悪いと思われる、笑われる、モテない、面接で不利だなど。振り返ってみると、人は人からよく思われたいと必ず思っているのではないだろうか。自分の行為の基準がたいていそこにある。
 そしてそれは、自分の目を気にしていることだ。なぜかというと、人の目は必ず人の目であって、私の目ではないからだ。私の目がカッコ悪いと思うからこそ、人もそう思っているに違いないと思ってしまう。
 そんなふうに自分を自分で外から傍観者のように眺めて、どう見られているかを気にし、そこで良しとされる世間的な価値だけを良しとして生きているとはどういうことだろう。そこに展開されているのはいつも自分だけが可愛いと思っている私が、他と比較し競争する世界だ。勝った・負けた、得だ・損だ、偉い・偉くない、好きだ・嫌いだと、追ったり逃げたりしているなかに一日が暮れていく。そんな他との関係において外から見られた自分だけが、本当に自分なのだろうか。
 昔、私のいたお寺にアメリカの大きな会社の社長さんがみえたことがある。会社も順調、家庭にも恵まれているのに、何年も前から自分の人生に対して、何んともいえないさびしさ虚しさを感じるというのだ、そして、これは何でしょうと、私の師匠(内山興正老師)に問いかけた。
 「あなたは自分の存在価値を自分以外の他のもの、たとえば地位とかお金持ちとか立派な家庭人とかいう他人の評価のなかにだけ求めていて、本当の自分の実物においてそれを見出していないからではありませんか。つまりいつも他との関係においてだけ生きていて、本当の自分を生きていないからさびしくなるのじゃありませんか」。
 こういわれて、その社長さんは深く思い当たるところがあったようだった。そして「自己が自己の実物を生きることが大切で、それを純粋にやるのが坐禅です」と言う師の言葉にうなずいて帰っていった。
 われわれたとえどんな世間的成功者になろうと、いずれ年老い、お金も地位も家族もみな手放して死んでいかねばならないときが必ず来る。人からよく思われることを価値として人とのカネアイだけの世界で生きてきたら、そんな着物をぜんぶ剥ぎ取られたときの自分は、どう思うだろう。裸の私はたった一人で生まれ、自分のいのちを自ら生き、たった一人裸で死んでいく。私の実物は初めから、人の評価で値段がつけられない地盤を生きていたのではないだろうか。
 人は誰でも自分の人生の当事者、主人公として生きている。それなのに自分の人生をあたかも置き換えがきくもののように錯覚し、都合の悪いことは何かのせいにして生きていることがある。しかしどれだけ他人や社会やあるいは吃音のせいにし、いまの自分から逃れて生きようとしても、自分の人生を生きるのはこの自分しかいない。たとえそれが自分で認めたくない自分の人生だったとしても、他の誰が認め、代わって生きてくれるというのだろう。

私が生きるところにすべてがある

 私は背が低い。でもそれは人と比べればこそ、なるほど低い。比べなければただこのようであるというだけで「低い」ということはない。つまり私が生きるという実際は、七十億人分の一として生きているだけではない。たとえていえば成功率五十パーセントの手術を受けた人が「私は半分生きていますが、半分死んでいます」と言ったらおかしい。当の本人にとってはすべてが生きているか、死んでいるかだ。
 だから世界のなかのちっぽけな街の片隅で、ぽつんと小さな私が生きているのではない。私が生きているところにあらゆるものが感じられる、あらゆるものが生きている。山田さんはいままで、「山田さんの生きている世界」しか生きてこなかったはずだ。加藤さんはここまで、「加藤さんが生きている世界」だけを体験してきている。私にとって、私のいのちがすべてのすべてなのだ。
 いま吃音を授かって生きるなら、それがその当人にとっていのちのすべてだ。それぎりとしてこの身にあるなら、どうして劣っているとか欠けているとかいって比較できるものであるだろう。そこに吃音などない。ただそのような喋り方をする者が当り前に喋っているだけだ。
 道のコンクリートの割れ目から雑草が生え、小さな花をつけていることがある。こんな排気ガスが多くて人にも踏みつけられそうな場所で、かわいそうだなと思うかもしれない。しかしそれは傍観者の言葉だ。当の本人にとっては、その場がいのちのすべてなのだ。すべてだから、いい悪いなどいっている浮ついた隙間はない。ただその場に安らい、精一杯咲いている。その生きる姿は、可憐で美しい。
 それを傍観者のように外から眺め、人と比較するとき吃音が生まれる。伊藤伸二さんも小学二年の学芸会でセリフのある役から外されるまでは、伸び伸び明るくどもっていた。吃音などなかった。吃音を忘れたところで、吃音とともに豊かに生きていた。それが吃音は恥ずかしいものと意識したとたん、そこに吃音が生まれた。

思いはアタマの分泌物

 吃音はある。ひどく意識する私にとって、いよいよ吃音はのっぴきならない大きな存在としてある。しかしそれは縄がないのに自分で自分を縛っている世界なのだ。
 何年か前のNHKの連続ドラマで、戦争で片手を失くした漫画家が、知人の家から帰ろうと外へ出たら雨になるシーンがあった。そこで知人の奥さんが傘を差し出すが「いや、これくらい大丈夫です」といって、乗ってきた自転車で帰っていく。片手だから傘をさしては自転車に乗れない。しかし本人が手のないことをまったく何んとも思っていないので、接する人もそんなことは忘れて接している。
 私の友人もよく言葉がつっかえたり、出なかったりしているが、別に本人は何んとも思っていないので、話していて「この人は吃音者」などと思ったことはない。本人が「自分はどもりだ、恥ずかしい」と思えばこそ、まさに吃音と思うそのことによって、そこに厭うべき吃音世界が生まれ続ける。
 いや、そんなカラクリなど他人にいわれなくとも十分知っている。気にしないでいられたらどんなに楽かと、私自身が一番思っている。しかしどうしても気になるのだ。なかなか切り替えなどできない――と思うかもしれない。
 それはまったくその通りだ。気にしまいと思えば思うほど、気になってしまう。眠ろう眠らなければと思えば思うほど、眠れなくなる。だから聖人ではないわれわれ凡人は、気になってもいいのではないだろうか。気になるままとにかく、そこで話すべきことを誠意を込めて話す。つっかえつっかえでいい、思いはどうあれとにかく、そこで話すべきこと、やるべきことをやる。気になる思いは勝手に気になるまま、日常生活を丁寧に一つ一つ生きるよう心がけ実践する。その実践があれば、思いはいろいろにありながらも、それなりに淡く消えていく。
 「思いはアタマの分泌物」と、師はよく言っておられた。自分の思いはそれまでこんな自分として生きてきたもろもろが、いま出逢っている縁と呼び合ってふっと起こっているだけで、常に流れている。執着してはいけない。吃音がひどく絶望的に思えるときもあるし、そんなでもないなと思うときもある。案外チャーミングな話し方だと思えるときが来るかもしれない。いまの思いだけが正しくて確たるもの、まして私の主人では決してない。どうにもならないとアタマで決め込むから、どうにもならなくなる。
 しかしいのちの事実は、どれだけ気になってどうにもならなくなっていようと、吃音それ自身は人の目などちっとも気にしないで堂々と吃音してる。人の脳ミソのほんのわずかな部分だけが、必死で気にしている。しかし気になるそのままで、すでに片付いている。なぜならすでに吃音は、何んともない顔をして堂々と吃音して、何んともないではないか。
 大切なのは吃音であろうとなかろうと、意識していようといまいと、もっと深い地盤から私は生きているということだ。伊藤さんも学芸会までは、そこから素直に生きていた。だから私を人とのカネアイだけの世界に投げ込むのではなく、自らのいのちの深さに立ち帰って生きる。ただ真っ直ぐ自分自身の生命力から生きる姿勢が大切だと思う。
 その生きる姿勢を伊藤さんは「吃音は生き方である」といわれるのだと思う。吃音を治してから本当の生き方ができるのではなく、吃音こそ光だ。吃音を光として生きていく生き方こそ、あらゆるものを自らのいのちとして出逢い、深めていく生き方ではないのか。その生き方のなかにはもはや吃音であるとか、ないとかは問題ではないだろう。
 生きる吃音はその人のいのちの真っ只中としてある。真っ只中としていま生きつつあるものが、どうして捕まえ規定して比べられるだろう。そのときもうそれはズレている。吃音を真っ直ぐ生きている本人の私が、どうして見る自分と見られる自分に分かれて劣っているなどと、ナマの自分の目を見るようなあり得ないことをいうだろう。「生きる」という、分別以前のたった一つのいのち現場にそんな隙間はない。ナマナマしい吃音のそこに、いま私のいのちが輝いているのではないだろうか。

私は不思議を頂いている

 私のいのちって何だろう。この私のいのちは、私のいのちなのだろうか。
 私は両親から生まれた。しかし両親を選んだり、この世に生まれる権利を買って生まれてきたわけではない。私の思いなど届かない地盤から、無心で生まれてきたのだ。それは私だけでなく、両親もそのまた両親もそうだった。
 そうやって遡ってみると、私には地球上に初めて誕生した生命が、一度も途切れず連綿として受け継がれ生き継がれ、初めて私はいま生きている。何んといういのちの私の遥かさだろう。その思いの届かない地盤で何億年も受け継がれているいのちが、何でいま私が生きているたかが七、八十年の間だけ思い通りになるはずがあるだろうか。
 いまも思い以上の地盤で心臓は動き、血液が流れ、刻々呼吸がなされている。いや俺は思い通りやっていると、思っている。そのいまの思いだって、思いを超えた力によって支えられて初めて成り立っているのだ。
 決して私は私の力で生きているのではない。太古の生命から、いま出逢っている人々、宇宙の隅々に支えられて初めて生きている。
 この不思議を見失うことで、あらゆる問題が起こる。あらゆる出来事が人間の狭い価値観のなかのいい・悪い、得だ・損だ、偉い・偉くないの世界だけになってしまう。吃音は恥ずかしいもの、治さなければいけないと。
 しかしこの不思議に立ち帰ったとき、あらゆるものの意味が変わる。日常のとるに足りない出来事――私がいてあなたがいること、窓辺のカーテンを通して朝日が差し込んでくること、友達と喋り、時に笑い、花が咲き、風が吹く、私がそれを刻々感じている、それがかけがえのない尊いもののように光るのだ。生きるって何だろう。不思議がただにっこり自ら不思議している、そのことなのだろうか。
 不思議は不思議であるが故に、思議で分かったりつかんだりすることはできない。しかしすでにその真っ只中に誰でも彼でも生きていて、そこから落ちこぼれることも、それを追い求めることもできないのだから、安心して不思議を精一杯生きたらいい。人生は出来事のいい・悪いではなく、不思議のいのちを生きる深さにある。

吃音に私が肯定されている

 それをこの身で実際にやるのが坐禅だ。思いで何かつかもうとせず、考えの先っぽを追いかけず、ただ骨組みと筋肉の身構えを頂いて不思議のなかに澄み浄くなる。自己の本当の中味を生きる。その行を坐禅という。
 だから不思議といっても何かあやふやでつかみ処のない、たとえば超常現象とか霊感とかいった、あやしげなものなんかでは決してない。不思議ほど明らかなものはない。不思議ほど現実なものはない。だってそれはいまここ私がこうして生きている、そのことなのだから。不思議は必ず私のいまここにしかなく、いまここの具体的なあらゆるものは、不思議の現われ以外の何ものでもないからだ。
 治らないのに吃音は治すべきものだという。いまここの私を否定して、一体どこに私の人生があるだろう。私の人生はいつだってどこだって、いまここ私なのだ。それ以外生きようがないことだったら、なぜそのことで悩む必要があるだろう。そこから逃げようがないことだったら、苦しいまま真っ直ぐそれを生きる以外どんな道があるだろう。
 人はおのれの人生を生きていく上でさまざまな困難にぶつかる。それをどう受けとめて生きるか。逃げるか―しかし自分の人生から逃げ切れるのか。地獄をつとめあげるか―いやその地獄も自分のいのちではないのか。
 人は出逢った悲しみによって自分の人生をメチャクチャにすることもできるし、その悲しみによって人生をいっそう深く豊かなものにすることもできる。私の人生を生きるのは私以外にない。それを生きて向上するのも堕落するのも、この私にかかっている。たとえどこにあっても、切り拓いていけるのだ。
 伊藤さんの人生は吃音に守られ導かれた人生だったと思う。吃音は伊藤さんのいのちだ。吃音とともに豊かに生きるとは、吃音がすでに豊かなものとしてある。吃音によってどれだけ教えられ学んだことか。吃音は生きることを深く見つめさせ、考えさせてくれる。
 心臓の豊かさが私を生かしている。呼吸の豊かさが私を生かしている。吃音の豊かさのなかに私が生きている。吃音に私が肯定されている。
 だからどもってもいい。嫌だなと思っても、治したいと思ってもかまわない。たとえ思いはどうあっても、その思いのままで片付いている。どれだけ悩もうとその悩みのままで、どもっても何んともない世界をすでに頂いて生きている。その世界へ直入(じきにゅう)するのが坐禅だ。
 私はどもらない。しかし吃音の前に、誰でも同じ人として生きている。人として生きる限り、誰が悲しみや苦しみと無縁で生きていけるだろう。人はみなどこかで深い悲しみを抱いて、しかもなおよく生きようとしているのではないだろうか。その地盤で自分に語りかけるような気持ちで書いている。
 「坐禅とは自分が自分を自分することである」と、澤木興道老師は言われた。それがそれ自身に落ちつくとき、そこに光が生まれる。青色には青い光が、赤色には赤い美しい光が生まれる。私が私に澄んでいくとき、なんともいえない透明な威儀(いいぎ・いのちを生きる態度、振る舞い)が生まれる。吃音が吃音に落ちつくとき、吃音の喜びが生まれるのではないだろうか。
 観世音菩薩は「いま自身を現ずるを以て得度すべき者には、即ち自身を現じて而(しか)も為(ため)に法を説く」という。吃音をもっていのちを輝かす者に、観世音菩薩はまさに吃音の身を現じて法を説き、いのちを輝かせるのだ。
 それは人の思いで「生きている」というものを超えたものが、まさに生きていることだ。そのいのちがいまここ私自身として生きている、この不思議。どこを探し求めてもそれ以上のところはないし、それ以下のところもない。だから安心してそのいのちの現場を大切に、精一杯生きる。いのちがいのちをただ生きる。悲しみがその底にあるなら、生きることはみな祈りになるだろう。

櫛谷宗則(<しやしゅうそく)
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なしこうどう興道」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正老師について19歳で出家得度。安泰寺に10年間安居(あんご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家(耕雲庵・こううんあん)に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷化の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
 伊藤伸二さんとは10年ほど前、朝日新聞に載った伊藤さんの紹介記事が面白かったので、「共に育つ」への原稿をお願いしたのが始まりです。

〈編著書〉
『禅に聞け一澤木興道老師の言葉』『澤木興道生きる力としてのZen』『内山興正老師いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス―内山興正老師の言葉』(以上、大法輪閣)
『コトリと息がきれたら嬉しいな―榎本栄一いのち澄む』(探求社)
『共に育つ』(耕雲庵)など。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/08

櫛谷宗則さんをお迎えして〜5月23日(金)の大阪吃音教室『吃音に宿るひかり』〜

櫛谷宗則2 トリミング済み 5月23日(金)の大阪吃音教室は、外部講師を招いて開催します。年に一度、遠く新潟から来てくださる、禅僧の櫛谷宗則さんです。

 櫛谷さんとのおつきあいは、2001年6月28日の朝日新聞のコラム「小さな新聞」がきっかけでした。読者が作った「小さな新聞」を紹介するというコーナーに、僕たちの「スタタリング・ナウ」が紹介されました。それをご覧になつた櫛谷さんから連絡をいただき、櫛谷さんが編集・発行されている冊子に寄稿し、その後、おつき合いが始まりました。大阪吃音教室には、櫛谷さんが大阪で坐禅会をされる前日の金曜日に、外部講師として来ていただいています。
 昨年、櫛谷さんは、「生きるって何だろう?」とのタイトルでお話をしてくださいました。吃音の課題に大きく踏み込み、「どもる人は吃音を治そうとしないほうがいいのでは」との問い掛けをされました。吃音に限らず、人は誰でも矛盾だと感じる課題、不条理だと思ってしまう課題を抱えて過ごすことで、人生がより深まるのではないか、そのようなお話でした。
 今年のタイトルは、「吃音に宿るひかり」です。人がどもることの意味を掘り下げ、改めてとらえ直すヒントが得られる機会になるのではないかと思います。
 その都度、異なるテーマでの法話は、僕たちが、吃音とつきあうために参考になるように考えてくださっています。関西にも櫛谷さんファンの方がおられ、問い合わせも来ています。吃音のあるなしにかかわらず、人としてどう生きるか、興味深いお話になるでしょう。
 ぜひ、ご都合をつけて、ご参加ください。

小さな新聞 朝日記事日時 2025年5月23日(金)18:45〜20:45
会場 大阪ボランティア協会
※詳細は、大阪スタタリングプロジェクトのホームページに掲載しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/21

大阪吃音教室 特別講座 生きてるって何だろう 講師 櫛谷宗則さん

 櫛谷宗則さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、豊かで、深い時間が過ぎていきます。
 コロナ禍は、櫛谷さんの坐禅会も、大阪吃音教室での講座も中止になっていましたが、一昨年は、座禅会も開催され、大阪吃音教室にも来ていただきました。昨年に続き、今年もまた来ていただけることになりました。新潟にお住まいなので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2024年5月24日(金)午後6時45分〜〜
会場 大阪ボランティア教会
演題 生きてるって何だろう
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。

櫛谷宗則4 伸二と2人で 櫛谷さんとの出会いは、2004年頃だったと記憶しています。朝日新聞のコラム「小さな新聞」に、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読まれた櫛谷宗則さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。仏教関係の冊子への執筆依頼に驚きましたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたく、書かせていただき、それから、おつき合いが始まりました。
 櫛谷さん編集の冊子「共に育つ」が出版されるたびに送っていただいていますし、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。そして、折に触れ、温かさが伝わってくる文字で、感想を書いて私を励まし続けてくださっています。

 櫛谷さんからいただいたことばはたくさんありますが、中でも、次のことばは、心に響き、いつまでも残り続けています。
 
 「治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/18

大阪吃音教室 日曜例会「吃音を考える会」〜桂花團治さんを迎えて〜

 大阪吃音教室の特別講座が続きます。
 今日は、新潟五泉市の禅の老師、櫛谷宗則さんをお迎えし、「吃音によって倒れた者は吃音によって起きる」とのタイトルでお話をお聞きします。
 毎回、そうですが、櫛谷さんのお話の演題は、それだけで深い意味を感じます。吃音のもつ本質的なところを理解していただいているからこそ生まれた演題だと思っています。

大阪吃音教室 特別講座_0001 さらに、日曜日、5月28日、落語家の桂花團治さんをお迎えします。どもる人は、話すことが少ない仕事を選ぶのではないかと思われがちですが、意外と話すことの多い職業を選ぶ人も少なくありません。長いお付き合いになる落語家の桂文福さんもそのお一人です。
 今回の桂花團治さんは、小学校時代、夜尿、吃音、赤面で悩んだそうです。その後、出会った落語の世界が人生の転機となり、現在に至っておられます。甲高い声に対するコンプレックスから、大蔵流狂言を学び、舞台でも活躍されています。発声、姿勢、呼吸法の研究がライフワークとなり、自身の経験から導き出したコミュニケーション論を、教育機関でお話されています。
 日曜日の特別例会、ご参加ください。
        日時 5月28日(日)13時30分〜17時
        会場 アネックスパル法円坂 3階8号室

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/26

【再掲】大阪吃音教室 特別講座 講師:櫛谷宗則さん 〜吃音によって倒れた者は吃音によって起きる〜

 僕たちは、毎週金曜日、午後6時30分から、アネックスパル法円坂で、大阪吃音教室を開いています。次回の26日は、外部講師を招いての特別講座です。
 新潟県五泉市にお住まいの櫛谷宗則さんをお迎えします。禅と吃音と、何の関係もないようですが、どう生きるか、何を大切に生きるか、のお話に、毎回、吃音を生きる僕たちとの深いつながりを感じます。今回の演題は「吃音によって倒れた者は吃音によって生きる」です。静かな深い時間を、みなさんで味わいましょう。
 案内を再掲します。

 2004年頃だったでしょうか、朝日新聞のコラム「小さな新聞」に、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読まれた櫛谷宗則さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。仏教関係の冊子への執筆依頼に驚きましたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。
 そして、お付き合いが始まり、毎回、「共に育つ」の冊子が出版されるたびに送っていただいています。僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。折に触れ、温かさが伝わってくる文字で、感想を書いて私を励まし続けてくださっています。
大阪吃音教室 特別講座_0002 2015年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間坐禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた僕に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけてくださいました。そして、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれたのです。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いしたのですが、その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

 櫛谷さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、深い時間が過ぎていきます。
 2年間、コロナの影響を受け、櫛谷さんの坐禅会も、大阪吃音教室での講座も中止になっていましたが、昨年は、座禅会も開催され、大阪吃音教室にも来ていただきました。今年もまた来ていただけることになりました。新潟にお住まいなので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2023年5月26日(金)午後6時半〜
会場 アネックスパル法円坂
演題 吃音によって倒れた者は吃音によって起きる
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/20

大阪吃音教室 特別講座 吃音によって倒れた者は吃音によって起きる 講師 櫛谷宗則さん

《大阪吃音教室 特別講座》
 吃音によって倒れた者は吃音によって起きる 講師 櫛谷宗則さん

 2004年頃だったでしょうか、朝日新聞のコラム「小さな新聞」に、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読まれた櫛谷宗則さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。仏教関係の冊子への執筆依頼に驚きましたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。
 そして、お付き合いが始まり、毎回、「共に育つ」の冊子が出版されるたびに送っていただいています。僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。折に触れ、温かさが伝わってくる文字で、感想を書いて私を励まし続けてくださっています。
 2015年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間坐禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた僕に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけてくださいました。そして、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれたのです。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いしたのですが、その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

 櫛谷さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、深い時間が過ぎていきます。
 2年間、コロナの影響を受け、櫛谷さんの坐禅会も、大阪吃音教室での講座も中止になっていましたが、昨年は、座禅会も開催され、大阪吃音教室にも来ていただきました。今年もまた来ていただけることになりました。新潟にお住まいなので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2023年5月26日(金)午後6時半〜
会場 アネックスパル法円坂
演題 吃音によって倒れた者は吃音によって起きる
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/11

何を大切に生きるか? 2年ぶりに、櫛谷宗則さんのお話をお聞きしました

何を大切に生きるか?

 昨日の大阪吃音教室の講座は、新潟県から櫛谷宗則さんをお迎えしました。
 演題は、「何を大切に生きるか?」です。これは、2年前、お話いただく予定だったものと同じです。
 会場のアネックスパル法円坂へは、櫛谷さんはホテルから歩いて来られました。櫛谷さんにとって、アネックスパル法円坂は初めての会場です。前、来ていただいたのは、應典院でした。ここにも、コロナの影響を感じます。「方向音痴で…」とおっしゃっていましたが、ちょっと遅れそうになったと思われたようで、アネックスパル法円坂の前の歩道橋を軽やかに駆けて来られました。作務衣姿の櫛谷さん、いつものように静かで穏やかな表情でした。
 初めてお会いしたのは、2015年。櫛谷さんの坐禅会で、僕をみつけ、「伊藤さんですね」と言われたときの、鋭いけれど、全てを包み込むような温かさを、僕は覚えています。それ以後、折に触れいただくお手紙のことばに励まされ続けています。

櫛谷宗則2 お話は、合掌することから始まりました。
 「皆さん、今日のお話の演題は、何を大切に生きるか?ですが、さて、皆さんは、何を大切にして生きておられますか」
 櫛谷さんは、こんな問いかけをされました。参加者が、そうだなあ、何だろうと考えていると、櫛谷さんは、こう続けられました。

 「健康が一番大事だという人、お金が一番大事だという人、家族が一番大事だという人もいる。仕事が一番大事だという人もいる。あるいは、皆さんの中だったら、吃音でもそれを受け容れて、元気にやれるのが一番大事だと思っている人もおられると思います。

 ところで、私のような高齢者になると、周りを見ると、みんな寂しいと言う。自分がそれまで培ってきた友達がだんだんどっちも病気持ちになるものだから、会う機会が減って、やがて亡くなってしまう。親族にしてもそう。自分と昔の話ができる人がいなくなっちゃう。やっぱり寂しい。それが進めば、連れ合いも亡くなってしまう。そんなふうに、高齢者になると、寂しいという人が結構います。でも、今、言ったような、お金、健康、彼女や彼氏がいる人だったら、彼女や彼氏が一番大事という幸せな人もいると思う。そういうのはみんな、自分の思い込みで生きているんじゃないのかなと思う。きちんと考えて生きていない。なんでそんなことをいうかというと、だって、我々、日々、こうやって生きていますよね。毎日毎日、生きているけれども、じゃ、あなた、その生きる意味って知ってますか? 知らないですよね。いや、その日、やることは知ってますよ。仕事はこうすればいい、ああすればいいというのはよく知っている。そういうのは知っているけれども、そういうふうにして生きる自分の人生全体の意味というのは、知らない。ただ、毎日毎日目の前のことに追われている。とにかく食べないといけない、家族を養わなわないといけないと思うわけです。とにかく食べるためには仕事をしなきゃだめ。お金をもらないとだめ。そうして、一生懸命、みんな生きている。そうやってお金をもらうために、どれだけ苦労するか、です。さんざん嫌な思いをして、下げたくない頭を下げて、からだを壊してまで生きるために働いて、そんなにさんざん苦労してあげく、なんでそうやって苦労するのか知らないですよ。なんでそこまで苦労して生きて、それが一体どういうことなのか、みんな知らない。健康が大事とよく言うけれど、私に言わせれば、あなたは健康を得て、それでどう生きようというのと聞きたいところです。健康が大事といっても、みんな、どうせいずれ年をとって、病気になって死ぬのは、決まり切っている。結局老いて死んでいくだけです。人生全体、私の生きる人生そのもの、なぜ私は生きるのか、生きるってどういうことなのか、どう生きるのが真実の生き方なのか、それをちゃんと見通して生きないとだめだと思うんです」

櫛谷宗則4 伸二と2人で こんな導入でした。詳しいお話の内容は、もう少し時間をかけて紹介したいと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/28

【再掲】大阪吃音教室 特別講座 「何を大切に生きるか?」 講師:櫛谷宗則さん

【再掲】大阪吃音教室 特別講座
何を大切に生きるか? 講師 櫛谷宗則さん

櫛谷宗則 坐禅会案内 先日5月7日、紹介した櫛谷宗則さんが講師の、大阪吃音教室特別講座「何を大切に生きるか?」の案内を再掲します。
 櫛谷さんに来ていただくのは、2年ぶりです。2004年頃に初めてお会いしてから、いつも櫛谷さんのことばに励まされています。今回、久しぶりにお話が聞けること、とても楽しみです。深く静かな時間を、ぜひご一緒しましょう。お待ちしています。


 櫛谷宗則さんとの出会いは、2004年頃だったでしょうか。朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。
 それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼でしたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。そして、お付き合いが始まり、毎回、「共に育つ」の冊子が出版されるたびに送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて私を励まし続けて下さっていました。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、お互い都合がつかず、お会いすることができなかったという残念なこともありました。
 2015年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間坐禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた僕に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。そして、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれたのです。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いしたのですが、その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

 櫛谷さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、深い時間が過ぎていきます。昨年、一昨年と、コロナで大阪吃音教室も休講となり、櫛谷さんの坐禅会も中止になっていました。今年、坐禅会は、定員を減らして開催されます。大阪吃音教室にも来ていただけることになりました。新潟のお寺なので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2022年5月27日午後6時半〜
会場 アネックスパル法円坂
演題 何を大切に生きるか?
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/24

大阪吃音教室 特別講座 何を大切に生きるか? 講師:櫛谷宗則さん

大阪吃音教室 特別講座「何を大切に生きるか?」

 櫛谷宗則さんとの出会いは、2004年頃だったでしょうか。朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。
 それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼でしたが、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。そして、お付き合いが始まり、毎回、「共に育つ」の冊子が出版されるたびに送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて私を励まし続けて下さっていました。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、お互い都合がつかず、お会いすることができなかったという残念なこともありました。
 2015年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間坐禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた僕に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。そして、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれたのです。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いしたのですが、その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。

 「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」

櫛谷宗則 坐禅会案内 櫛谷さんを、大阪吃音教室の講師にお迎えして、お話をお聞きすることは、2016年から始まりました。毎回、静かで、深い時間が過ぎていきます。昨年、一昨年と、コロナで大阪吃音教室も休講となり、櫛谷さんの坐禅会も中止になっていました。今年、坐禅会は、定員を減らして開催されます。大阪吃音教室にも来ていただけることになりました。新潟のお寺なので、大阪に来られるのはそう多くはありません。吃音について理解の深い禅の老師のお話は、きっと参加者の心に響きます。ご参加お待ちします。

日時 2022年5月27日午後6時半〜
会場 アネックスパル法円坂
演題 何を大切に生きるか?
講師 櫛谷宗則
〈プロフィール〉昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁のある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪・福岡等で坐禅会を続けている。
編著 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)等。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/07
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