伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

桂文福

私と『スタタリング・ナウ』 2

 『スタタリング・ナウ』100号記念特集に寄せられたメッセージの紹介のつづきです。読み返しながら、こんな思いで読んでくださっていたのだと心に染みました。先日、今月号の『スタタリング・ナウ』を入稿し、できあがりを待っているところです。息長く続けている僕たちへの応援のメッセージになっています。2002年12月21日発行の『スタタリング・ナウ』ですから、20年以上も前に書いていただいたものですが、今、書かれたもののような感じがします。

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
   私と『スタタリング・ナウ』


  吃音は一流の表現
                   秋田光彦 大蓮寺住職、慮典院主幹(大阪府)
 「吃音」という主題ひとつが、こんなに多種多様な活動を導き出すのか、といつも驚かされています。「吃音」が治療や矯正の対象でなく、その人の個性として受け入れていくことから人間と社会のさまざまな対話が生まれてきたからでしょうか。
 本当の豊かさとは、個人が普遍に対しやわらかに開かれていることだと思います。普段は聞き逃してしまいそうな、静かなつぶやきを、丁寧に拾い上げながら、「吃音」から世界に架橋するような、そういう試みの数々は、人間としての共感軸を揺さぶらないではいられません。貴紙のみならず、伊藤さんの仕事から、いろいろなことを教えていただきました。もはや「吃音」は一流の表現であるようです。

【竹内さんのレッスン会場としてだけでなく、様々な、人と人のつながりを大切にする、息をするお寺・應典院との出会いは活動の幅を広げてくれました】


  やったね、100号、おめでとさん!!
               桂文福 (有)文福らくごプロモーション代表(大阪府)
 伊藤会長の文章や「仲間」たちの記事から、いつも勇気をもらっています。おおきにおおきに。
 私は、ライフワークとして「出あい、ふれ愛、わきあいあい」をモットーに、全国市町村で「ふるさと寄席」をやらせていただき、文福一座のおもしろメンバーたちと旅をしています。新幹線や特急の切符をとる時、駅の方が「キンエンシャになさいますか、キツエンシャがいいですか」とお聞きになりました。すかさず一座の者が「師匠はキツオンシャでしょ」「そ、そんなアホな!!トホホー」とこんなシャレを言い合っても別に腹も立たず、かえって愉快です、 私は…。高座にあがれば、それなりに、いやかなり爆笑はとれる自信があるし、お客様を納得させられると思います。どもっていたおかげで、自分に自信をつけようと、中学、高校時代は、相撲、柔道で一応青春の汗も流せました。この世界に入って32年目。何とか個性のある落語家になりたいと、相撲甚句や河内音頭(これやったらなんぼでも、スラスラ〜と言葉が出まんねん!!)を唄い、東西600数十人落語界で、ただひとりの河内音頭取りで「エンカイティナー」の異名をとるユニークな存在になれましたのも、「どもり」のおかげだと思っています。だから、私自身、前出のシャレもOKなんです。しかし、私のポリシーとして、人の体の欠陥や悲しい事件、事故、災害等で笑いをとることは、絶対しません。そんなネタは、「真の笑いは、平等な心から」という私の講演テーマには合いませんからね。
 さて、各地をまわりますと、うれしいふれあいがありますよ。徳島の施設を訪問した時、我々一座が大熱演しても、パチパチと拍手がわきません。客席からガチャガチャ、ギーギー、ドンバタ…「何で拍手ないのかな〜?」全員が体に障害をおもちで、手を合わせてパチパチできないのです。そこで、車椅子を揺すってガチャガチャ、片手で車輪をギーギードンドン。心からの拍手をもらいました。いろんな拍手があっていい。表現の仕方が違うだけ。
 まさに、金子みすずさんの「―みんなちがってみんないい」。今、彼女の大ブーム、映画、ドラマ、舞台、CD等、多くの人々に感動を与えてます。私は、こんなに騒がれる10数年前に、みすずさんのふるさと長門仙崎を訪れ、みすずさんのお墓参りもして、"彼女"に出会ってきましたが、素直にやさしい心で仙崎の町や青海島の風景を、詩にしていて、おしつけがましくも、説教くさくもないので、今も心にしみるんだなあ〜。2003年、生誕100年を迎えますが、東北、秋田でも、そんな心をもった女の子と出会いました。知的障害をもつ彼女は、毎朝、お花畑に水をやるのが日課で、手が汚れたので水道で洗ったら冷たかった。先生が「こちらの蛇口からはお湯が出るよ」。お湯で手を洗ったら温かかった、うれしかった。翌朝、彼女はお花にもお湯をかけた。花はしおれた。先生が怒ろうとしたけれど「待てよ、この子は、自分がうれしいと感じたことをすぐに誰かに伝えたかった。そんなやさしさ、とっくに忘れていたなあ、この子に教えられた」と叱るよりありがとうとお礼を言った。―これからも、こんな心のこもった「出あい」をしたいもんだなあ。

【『にんげんゆうゆう』を文福さんの息子さんが録画しておいてくれたことがきっかけでおつきあいさせていただいています。あったかい、あったかい人です】


  海外からこんにちは
          石田浩一 ワシントン大学研究員(アメリカ・セントルイス在住)
 毎月海外まで「スタタリング・ナウ」送付して下さってありがとうございます。毎号届くたびに自分にとって非常に慣れ親しんだ(?)事柄に、少しばかり安堵するような気分で読ませていただいています。
 私は2年半ほど前から海外に出て生活しているのですが、その間の印象に残る体験のいくつかは、まさしく私がどもるために体験したものでした。非常に美しい(と私が勝手に思っている)体験もあれば、逆になんとも嫌になるような体験もあります。そういう美しいもの嫌なもの両方含めて、それらは私が吃音という性質を持っていなければ体験しようのないものでした。吃音はまぎれもなく私の一部であり、そういった体験の中から感じた自分らしさ、自分の人生というものがあるように思います。
 これからもそんな体験がいろいろできるように、もっともっと自分らしくやっていければと思っているのですが、そんな時「スタタリング・ナウ」を読むと、なにやら非常に気分が楽になります。どこへ行っても私も元気にやっていこうと思います。

【吃音ショートコースで初めてお会いしました。その後、ドイツ、アメリカと遠く離れはしましたが、『スタタリング・ナウ』が海を越えてつないでくれています】


  僕の秘かな夢
                          羽仁進 映像作家(東京都)
 『スタタリング・ナウ』いつも面白く拝読しています。
 「どもりはどもってよいのだ」という吃音者宣言の革命的な響きは、さらにどもりながらのコミュニケーションに進んでいっていることは、御成果に感心します。
 もし、これからやられることの中で、「どもり」の内面、「どもり」の個性というものが明らかにされてはいかないだろうか、というのが僕の秘かな夢です。どもりは身体的原因によらないことが明らかになってくると共に、「どもり」の個性が、特にそのプラス面が明らかになるという夢は叶えられるでしょうか。

【自然にどもっておられるその姿をテレビで見るたびに励まされます。吃音家といえる数少ない格別の存在です。吃音ショートコースで久しぶりにお会いしました】

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/17

吃音をテーマにした新作落語 天満天神繁昌亭で落語会〜ハナサクラクゴ〜 3

ハナサクラクゴパンフレット 昨日のつづきです。
 自分と同じようにどもる、たもつの父親の話を聞いた先生、じゃ、卒業式に出るわ、となるところですが、そうはいきません。やっぱり無理と言い張ります。なぜなら、呼名ができないからだと言います。卒業していく子どもの名前が言えない、これは、僕たちも、どもる教師からよく聞く相談のひとつです。普段の授業も保護者との面談もなんとかなるけれど、卒業式の呼名ができないと悩む人は少なくありません。それに対して、たもつは、こうアドバイスします。
 「僕の親父は、僕の名前を呼ぶときに、いつも、たもつの前にキャッチフレーズをつけてくれたんや。明るく元気なたもつ君とか、呼ぶたびに俺への気持ちを伝えてくれたんやと思う。なんか、それ、うれしかった。親父がどもりでよかったとさえ思うくらいや。これ、先生もやったら」

 場面が変わります。どうやら、卒業式が済んだ後の教室のようです。
 たもつが、みんなに話しています。
「今日は、最高でした。みんな輝いていた。でも、一番輝いていたのは、俺らの担任やった。みんな、先生への手紙、書けましたか?」
 そこへ先生が帰ってきます。そして、クラスのみんなが書いた手紙を、たもつから受け取ります。そして、ひとりの子どもの手紙を声をあげて読み始めました。
 「私は、先生の吃音のことを知りませんでした。初めて聞いたときは嫌だなと思いました。そして、悪口を言ってしまいました。そしたら、先生は悲しい顔をして、学校に来なくなりました。私は、謝ろうと思ったけれど、勇気が出ませんでした。でも、今日、先生は、勇気を出して卒業式に来てくれました。私は、先生が名前の前にキャッチフレーズをつけて呼んでくれて、うれしかった。先生、ありがとう」
 この手紙を読んだ後、先生はこう話します。
 「僕は、自分をダメな人間だと思っていました。どもることが恥ずかしくて、どもりを隠して、逃げて生きてきました。でも、今日、そんな弱い自分から卒業できます。だって、ここに、35通の卒業証書があるからです。みんなからの手紙は、僕の卒業証書です」
 ここで、名前の前につけてもらったキャッチフレーズが紹介されていきます。
 ・まぶしい笑顔の○○
 ・まじめで誠実○○
 ・まあ、なんてサッカー上手な○○
 ・まあ、なんてピアノの上手な○○
 初めの何人かは、工夫がありましたが、後は、みんな、「まあ、なんて…」がついています。
「なんや。まあ、なんて、ばっかりやんか」
「でもな、マのつくことばはそんなに多くないんや」
「マ行やったら、マだけでなく、ミムメモもあるやん。なんでマばっかりで探したん?」
「だって、おまえ、教えてくれたやろ。先生には、独特の間(マ)があるから、その間(マ)を大事にしろって」

 落語好きの人には誰もが知っていますが、落語はオチが大事です。洒落や語呂合わせや機転の利いた言葉で締めくくる「オチ」です。「独特の間」も、桂文福さんが師匠の桂文枝さんからいつも言われていた大事なことばでした。これをオチに持ってきたのかと、大いに納得しました。落語が終わったあと、音楽とともに、学校や教室の風景が映像で流れ、文福さんと師匠の文枝さんの写真も出てくるというおまけ付きでした。
 吃音を否定することなく、配慮を求めるのでもなく、自然に認めて、そのままでいいという力強いメッセージが流れていた今回の新作落語、聞き終わったあと、清々しいものを感じました。
 そして、オープニングのトークのように、出演者全員が再び登場しての振り返りのトークがありました。その場に、桂文福さんが登場しました。すると、まさに主役が文福さんに変わったようでした。文福さんは、気持ちよくどもりながら場を盛り上げていました。落語の世界で、文福さんが吃音を含めていかに愛されているのかがよく分かりました。

終わってから、4人で 繁昌亭から出て、絶対に会うことのない、僕の車のディーラーの担当の人に声をかけられました。「えーっ、なんで?」とびっくりしました。落語作家の石山悦子さんを間接的に知っていて、自分も趣味で落語の台本を書いて応募しているというのです。彼が話しかけてくれたお陰で、再び文福さんや出演者のみなさんに会うことができました。そうでなければそのまま繁昌亭を後にしているところでした。しばらく立ち話をしていたおかげで、文福さん、桂かく枝さん、石山悦子さん楽屋から出てこられ、最後にもう一度、お話することができました。本当に不思議な縁を思います。
 「よかったです。石山悦子さんが作られた話もよかったし、演じたかく枝さんの演じ方もよかったし、もう本当によかったです」
 そう伝えたら、みなさん、喜んでくださいました。ちゃんと吃音のことを台本に書けているか、ちゃんと演じられているか、少し心配だったとのことでした。繁昌亭の前で話が盛り上がり、みんなで写真をとりました。大満足で帰りました。
 落語の主人公が吃音の教師だったので、しばらく吃音と教師、卒業式について以前の文章を紹介していこうと思います。だから、吃音と教師について、話は続きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/16

吃音をテーマにした新作落語 天満天神繁昌亭で落語会〜ハナサクラクゴ〜 2

 さあ、ハナサクラクゴの落語会が始まりました。
ハナサクラクゴ看板 新作落語が3つ披露されるのですが、共通のテーマは、「実は実話のストーリー」。つまり、空想や想像ではなく、実際に起こった話、実話に基づいた落語だということです。
 幕が開くと、舞台上には、6人が並んでいます。オープニングトークで、新作落語を演じる落語家さんとその落語を作った作家さんがペアになって3組が並んでいました。普通の落語会とはひと味違った幕開けです。そして、それぞれ新作の落語の話を少しだけ話しました。1つめは、銭湯「湯処 阿部野橋」の話、2つめは413,000円が入っていた財布を拾った子どもとその家族の話、そして3つめは吃音の話です。
 吃音の話をしてくれるのが、桂かい枝さんで、作家は石山悦子さん。桂文福さんの吃音は、みなさん、ご存じで、文福さんも、2階席から応援しておられました。急に、「今日は、吃音の専門家も来てくださっていて…」とかい枝さんが話し始めました。えっ、と思っていると、誰かから「吃音の専門家? 何、それ」とつっこみが入り、「何って、…専門家やんか」「へえ…」。楽屋でかい枝さんとは、あいさつしているので、日本吃音臨床研究会の僕のことを指しているのです。いきなりに僕のことが出てきてびっくりしました。

出演者名前 演目は、案内チラシには書いてありません。落語のタイトルはあるはずなんでしょうが、僕たちが見落としたのか、結局、最後まで演目を知らないままでした。受付のところに張り出してあったのかもしれませんが。
 話は、こんなふうに始まりました。どうも、誰かが不登校になっているようです。メモをもとにした再現なので、違っているかもしれませんが。また、ここまで書いていいんかいなあと思いますが、吃音の新作落語だということで許してもらいましょう。

 「なんで学校、休んでるの? いじめられてるの? 何が原因なん?」
 相手が問いかけますが、不登校になっている方は、学校に行けない理由をうまく説明できないようです。とうとう、しびれを切らした相手は、こう言います。
 「なんとか言うてくれよ、先生。先生が生徒に心配されてどないするねん」と言います。ここで、不登校になっているのは子どもではなく、先生だったということが分かります。不登校だとつい子どもだと思ってしまいますが、先生とは、意外な展開でした。
 「6年3組を代表してお願いに来てるんや。明日だけ来て。頼むわ。明日は卒業式やろ。先生はオレらの担任やろ。先生に送り出してほしいんや」
 先生は、そのことばに一言返します。
 「無理」
 そして、なぜ、自分が卒業式に出られないのか、説明を始めます。
 「卒業式には出たい。みんなを見届けたいという気持ちはもちろんある。でも、無理。隠してたけど、先生は吃音なんや。どもりともいう。言いたいことがつっかえて出てこないんや」
 「でも、先生、普通にしゃべってるやん」
 「不思議なことに、吃音が出る相手と出ない相手がいる。犬や猫やったらどもらない。うさぎ、にわとり、亀、金魚、みみず、それからたもつ、おまえの名前でもどもらない。教室の中でも子どもたちの前ならどもらない。ところが、職員室ではどもる。緊張してるからどもる。でも、職員室でいじめられてはいない。みんな、理解してくれてるし、フォローしてくれる。先月、授業参観があったやろ。あれは、一番の恐怖なんや。保護者が見にくるやろ。スラスラしゃべれるわけがない。どもりやということが知られてしまったらどうしよう。バレないようにしようと思って、この2年間、参観はずっと体育をしてきた。でも、当然クレームはくるわな。保護者からのクレームは当然で、今回は算数をすることになった。考えて、腹話術を取り入れた」
 「そうか、なんで、腹話術なんやと思ったわ」
 「普通にしゃべって45分間授業をするなんて無理、歌でも歌わないとできへん。おかげでバレなかったけど、でも、怒られた。ふざけてるんですかって。吃音やから、ああするしかなかったんや。ちゃんとした先生に受け持ってほしかったとか、どもりって「わわわわ…」とかなるのは病気やろ、大外れやとか、いろいろ言われた。
 僕は、小さい頃からできそこないと言われてたけど、それをバネにしてがんばって、教師になった。けど、やっぱり外れなんや。もう朝、起きられへん。このままフェードアウトしてしまいたい」
 そんな先生に、たもつが言います。
「甘ったれるな。吃音の何が悪いんや」
「おおおおまえに、わわわわ分かるわけがない」
「分かる! オレの父さんもどもりやから!」

 そして、たもつは、自慢するように、どもる父親の話を始めます。
 父親の名前は、「のぼる」(桂文福さんの本名です)やけど、ついたあだ名が「どもる」。サ行が言いにくく、食べに行ったところで、「スープ」と言おうとして「ススススス」と言っていたら、酢が出てきたとか、好きな人に告白しようとして「すすすす…」と言ったら、変態と間違われたとか、父親の吃音にまつわる話を聞かせました。そんな父親は、手先が器用だったから、散髪屋になりました。散髪屋のおやっさんがいい人でした。散髪の腕はあがってきたけれど、お客に話しかけることができない父親に、おやっさんが言いました。「お客さんはな、髪の毛を切りに来てるだけと違う。ホッとしにきてるんや。どもってもかまへんから、自分のことばでしゃべってみ。おまえには、独特の間がある。その間を大事にせーよ」と。そして、父親は、少しずつお客とも話すようになり、自分の店をもつことができるようになりました。
 この散髪屋のおやっさんは、桂文福さんの師匠の5代目桂文枝さんのことをイメージしてのことだとは、落語ファンなら誰もがわかることでしょう。桂文福さんを取材してこの新作落語がつくられたことがよく分かるエピソードです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/15

吃音をテーマにした新作落語 天満天神繁昌亭で落語会〜ハナサクラクゴ〜

 旅から帰ると、2本の留守電が入っていました。「○日まで留守にしています」とメッセージを入れているので、留守電へのメッセージはそれほど多くはありません。そのうちの1本が、落語家の桂文福さんからでした。
ハナサクラクゴパンフレット 「ハナサクラクゴ」という落語会が大阪天神橋の天満天神繁昌亭であり、創作落語のひとつが、吃音をテーマにしたものなので、ぜひ、来てください、という内容でした。日にちは、13日の金曜日の夜席でした。金曜日は、大阪吃音教室があります。千葉の吃音親子キャンプがあったり、用事があったりして、ここ2回、吃音教室に参加できていないので、13日は絶対行こうと思っていました。うーん、少し迷いましたが、せっかく文福さんが知らせてくださった落語会、それも、文福さんがモデルではないけれども創作に関わった、吃音をテーマにした一席、落語の作家の方も参加するという落語会、ということで、吃音教室を休み、落語会に参加しました。
繁昌亭全体 当日券を購入するため、早く天満天神繁昌亭に着くと、主催が繁昌亭ではないので、開場時間の午後6時にならないと買えないとのことでした。せっかく早く来たのにと思い、企画会社に電話してみました。そのとき、電話対応してくださった人が、かなりどもっている人でした。どもってはいても、何の問題もなく、席は押さえておくので5時半頃に来てほしいとのことでした。吃音をテーマにした落語を聞こうと思ってきたら、どもる人が電話口に出てきた、何かおもしろいことになりそうな予感がしてきました。
ケルン看板 開場まで時間があるので、天満天神繁昌亭近くの喫茶店で、夕食をとろうと入りました。店の名前は「喫茶ケルン」、見覚えのある文福さんの絵が看板になっています。中に入ると、落語家さんや落語を聞きに来た芸人や著名人の色紙がずらりと並んでいます。写真もたくさん飾られていました。入り口近くの席に座り、人気のカレーを食べていると、ドアの向こうに、見たことのあるような人影が…。文福さんでした。
 今日は、文福さんの出番はないはずなのですが、来られたようです。私たちもびっくりしましたが、文福さんも驚いておられました。案内をしたけれども、日程が金曜日なので、大阪吃音教室があるから無理だろうなと思われていたようでした。「よう、来てくれました」と何度も言われました。一緒に来られた方に、「この人が、日本吃音臨床研究会の会長の伊藤伸二さんです」と紹介してくださいます。紹介された人たちも、多分、なんかよく分からないけれども、「そうですか」と親しげに挨拶してくださいました。不思議な世界に引き込まれているような気がしてきました。そして、開場前に、文福さんに案内されて、繁昌亭の楽屋に連れていってもらいました。初めて楽屋に入りました。きょろきょろしていると、その日の演者である、桂吉弥さん、笑福亭笑利さんと出会い、挨拶をしました。そして、吃音をテーマにした落語をする桂かい枝さんを文福さんが紹介してくれました。「ちょっと心配やったんです。うまくできるかどうか…」と言いながらも、僕たちが来たことをとても喜んでくださいました。そして、その落語の作家である石山悦子さんも紹介してもらえました。石山さんは、文福さんに取材をし、日本吃音臨床研究会のホームページも見て、今回の落語を作ってくださったそうです。
楽屋 文福さんと 落語が始まる前から、不思議な立ち上がりに、ワクワクしてきました。肝心の落語の内容は、また明日。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/14

瘢痕(はんこん)

 應典院・コモンズフェスタでの桂文福さんと僕の対談を紹介してきました。この対談は、「スタタリングナウ」NO.77とNO.78の2号に分けて掲載しました。NO.78の巻頭言が紹介できていなかったので、今日は、2201.2.17 に「瘢痕」とのタイトルで書いた巻頭言を紹介します。

  
瘢痕
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「文福さんは、30年もプロとして喋る仕事をされてきて、話す訓練をいやと言うほどされてきたと思いますが、それでも吃音は治りませんか?」
 桂文福さんに不躾な質問をしてみた。「治りまへんな」文福さんの答えは明快だった。
 昔の人々は、災害などの損害を被りながらも、自然をねじ伏せるのではなく、折り合いをつけ、つきあう知恵を育んできた。ところが現代人は、自然を自分の都合の良いように克服しようと、自然を破壊してきた。様々な環境破壊が、人間を、暮らしをむしばみ始めてやっと、人間はその愚かさに気づき始めた。では、人間のことばやこころについてはどうだろう。
 クローン人間が現実のものになりつつあり、宇宙旅行さえも実現しそうな現代。神経生理学的な研究や、高度な情報技術を駆使すれば、吃音は治るのではないか。多くの人の自然な思いかもしれない。
 まして、吃音は全く喋れないのではなく、時には流暢に喋れる。ある人にとっては、言わば、限りなくいわゆる普通に近い。あと一歩のことだから、なんとかなるのではないか、努力すれば治せるのではないかと考えてしまうのだろう。吃音に悩んだ私たちは、治りたいと思い詰め、治す努力を続けた。そしてますます悩みを深め、吃音を隠し、話すことを避けた。この日常生活に及ぼす影響に気づき、私は30年近くも前に、『吃音を治す努力の否定』を提起した。が、いまだに、インターネット上でも「吃音は治る、治せるのに、治ることを否定するとは何事か」と筋違いな批判をされている。
 自らの生活を一所懸命生き、結果として吃音が治った状態になることはあるだろうが、治そうとばかり考え、そのための努力をした人が治ったというのは私は知らない。治るものなら治るにこしたことはないが、現実に治す方法はない。
 吃音に悩んできた人にとって吃音が治るとは、人が空気を吸うように、自然に話せることだと言っていい。周りの人が吃音と気づかない、つまり98%は話せても、ある特定の音が出にくい2%で悩む人は、この2%が受け入れられずに悩んでいる。
 ことばの発達途上の吃音は、40%ほどは自然消失する。しかし、時間をかけて自分の中に入ってきた吃音が、小学生まで持ち越すと、これはもうその人の一部になり切っている。そのからだの一部になっている吃音が、跡形もなく消えることは恐らくないだろう。
 アメリカの言語病理学者、フレデリック・マレーさんは、それを火山に例えた。噴火が収まったかに見えても、いつ噴火しても不思議はないという。マレーさんも、今は流暢に話して死火山のようだが、大噴火したらお手上げだと笑っておられた。(『スタタリング・ナウ』39号)
 私は、かなりどもっていた21歳の頃と比べ、講義や講演など大勢の前ではほとんどどもらなくなった。
 しかし、ここ2年私は変わった。普段だけでなく、講演や大学などの授業でもかなりどもるようになった。昨年の秋、島根県で『自分を好きになる子に育てるために』の講演の時、《初恋の人》の文章を朗読した。このエッセイには、「自分と他者を遠ざけてきた吃音…」など、たくさんの「他者」が出てくる。「たたた・」となればいいが、ぐっと詰まって「た」が出ない。講演の中程から「他者」を瞬間に「人」に言い換えた。短い文章だが、普段の倍の時間がかかったろう。
 「嫌なことはしない。嫌な人とはつきあわない」
を生活の信条にできる、勝手気ままな生活を送っているので、ストレスがあるわけでも、将来への不安があるわけでもない。人前で話すことが多い私がなぜこのように最近どもるようになったのか、全く見当がつかない。吃音を治したいとはこれっぽっちも思っていないから、これはこれで自分らしくて悪くはないが、吃音の不思議さを思う。
 父もそうだった。吃音を治したいと謡曲を始め、その師範となり謡曲を生業とした。腹式呼吸の達人だった。お弟子さんに教えるときや、人前で話す時は、ほとんどどもらないが、家族の前ではよくどもった。
 吃音が治る、治せるという人は、文福さんや父や私にどんな訓練をしてくれるのか。私たちがどんな努力をすればいいのか。治せるというのなら、その方法を教えて欲しい。教えてもらっても文福さんも父も私もしないだろうけれども。
 癒痕(はんこん・皮膚の腫れ物や傷などが治癒したあとに残るあと―広辞苑)は、消えることはない。 (「スタタリング・ナウ」2201.2.17 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/22

應典院・コモンズフェスタ2000 どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 6

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介してきました。2時間15分に及ぶ対談は、今、読み返してみても、文福さんの温かい人柄があふれている、楽しい時間でした。
 参加された方の感想を紹介します。

優しさに包まれ、パワーを吸収した
                              坂上和子

 桂文福さんの公演録を読み、再びあの優しさに包まれたお人柄を思い出しています。本当に親子3人で出席してよかったです。息子は小学5年生ですが、子どもにたくさんのメッセージをいただき、帰ってきてからの1ヵ月は、文福さんのパワーを十分に吸収した様子でした。まずしばらくは「気持ちがむちゃくちゃ楽になった」と言って、毎日「学校で今日は何回発表した」と私に報告していました。機関銃のように勢いよくしゃべる子どもを横目に“おいおい、そんなに早く治るなよ”と寂しいような感情がわいてきたのですが、誰に報告するともなく、しばらく様子を見ることにしました。そして、やはり効果は1カ月足らず、尻すぼみで、またかっこ悪さを自覚しながら日々戦っているようです。定期的に大阪へ通えたらいいだろうなと切実に思いました。でも、昨年、吃音ショートコースに参加できたおかげで、子どもの将来を少し客観的に考えることができるようになり、親としての心構えは準備OKのような気がします。皆さん、お年を召される順に魅力的だと思いました。うちの子は、まだ笑うしかない状態でどもっちゃっていますが、あたたかく見守っていこうと思います。


文福さんから貰った大きな力
                    金森正晃(和歌山県・高野山)

 私は現在、僧侶として和歌山県の高野山に住んでいる。11月6日。待ちに待ったその日は、あの和歌山が生んだスーパースター、桂文福さんに会えるというので朝からウキウキワクワク。一日中落ち着かず、仕事を少し早目に切り上げて大阪へ向かった。
 少し早目に出発したが、5分の遅刻。もう既にお弟子さんの"桂ちゃん好"さんの前座トークがはじまっていた。しかし文福さんの登場はまだ、ギリギリ間に合ったという感じだ。少しすると、派手なピンクの羽織姿で文福さんの登場。
 よ、待ってました!
 前半は文福さんの落語、後半は文福さんと伊藤さんの対談という形であったが、落語も対談も、とにかく文福さんの話はおもしろかった。中でも和歌山弁ネタの話は、和歌山の高野山に住む私にとっては、とても可笑しく久しぶりに腹を抱えて笑った。さすが文福師匠、やっぱり一流の噺家さんである。
 和歌山の人はザ行の音が発音できず、ザ行を含む音はどうしてもダ行になってしまう。ぞう(象)がドウ、ぞうきん(雑巾)がドウキン、れいぞうこ(冷蔵庫)がレイドウコというふうにである。文福さんも故郷を離れ、落語界に入門された頃には、この和歌山弁のせいで随分困ったそうだ。そんなことをおもしろ可笑しく話していただいた。
 実は私自身も高野山に住み始めた頃には、和歌山弁には随分と困った。私の場合、文福さんとは全く反対で、和歌山弁が聞き取れなくて困ったのである。更に、私は島根県出身なので言葉は田舎丸出しの出雲弁、それもどもりながら話すのであるから全く意味不明になってしまう。そんな私も和歌山高野山に住むようになって、はや20年、今ではすっかり和歌山の人間である。高野山が好きで、熊野の森が好きで、有田の海が好きで、和歌山全体が好きだ。そして和歌山の人たちが大好きだ。文福さんはその和歌山が生んだスーパースターなのである。
 伊藤さんとの対談の中で、文福さんは自分の吃音についていろいろと話して下さった。そのお話の中で、文福さんも私たち同様、子どもの頃から吃音に悩み苦しまれていたことを知った。しかし、さすが文福さんである。吃音のことについて話していても、決して重たい暗い雰囲気にはならず、会場から笑いの声が途絶えることのない楽しいものであった。まるで文福さんと伊藤さんの漫才のような対談であった。
 文福さんは不思議なことに高座の上で落語をされている時は全くと言っていいほど、どもらない。私も今まで文福さんがどもる人だなんて知らなかったほどだ。でも、高座を降りて普段の会話になると、よくどもるという。伊藤さんが初めて文福さんから電話をもらった時は、吃音の相談の電話だと勘違いしたぐらい、電話では特にどもるそうである。そんな文福さんが30年近くも落語を続けてこられ、ついには弟子を持ち、“師匠”と呼ばれるようになるには並大抵の努力ではない。文福さんは“努力”の人である。文福さんを常に支えていたものは「落語が誰よりも大好きだ」という一途な思いである。人は誰しも決して諦めずに、自分の心の中に、強い信念を持ち、そして自分自身に絶対的な自信を持ち、目標へと向かってゆくことが大切なのだろう。
 話芸の達人、落語家としての文福さんの成功は、私たち吃音を持つ者に大きな勇気と希望を与えてくれた。私たちは誰しもが文福さんのようになれる。それは決して落語家になれるという意味ではない。あらゆる分野において成功しうる可能性を誰しもが持っているということである。私は今回の吃音を通じての文福さんとの出会いに心から感動した。吃音を受け入れ、吃音と上手につきあっている文福さんは、決して吃音を芸風にしたり、売り物にしたりはしない。それが文福さんの魅力だ。
 私はこの4月、住み慣れた和歌山高野山を去る。兵庫県の湯村温泉の近くに“春来(はるき)”という過疎の村で、今まで住職のいなかった小さな村の小さな寺“萬福寺”に住職として入寺する。これから先、いろいろと大変だと思うが、がんばってみるつもりである。
 “寄席”とは、どんなものでも決して排除せず、全てのものが寄り集まる処であると文福さんは云う。お年寄りも若い方も子どもたちも、そして動物や小鳥までもが寄り集まる処。それが寄席なのである。お寺も同じであると私も思う。私のお寺も、そんなみんなが寄り集まるような寺にしたい。そしてこの寺の名前の如く、萬(よろず)の福を多くの人が持ち帰っていただけるような、お寺にしたい。それが私の夢である。
 今回、文福さんからは、笑いとともに大きな力を貰った。文福さんに心から感謝する。そして、私を20年間、育ててくれた愛する和歌山高野山に心から感謝する。みんな是非、来年から私の寺に遊びに来てほしい。それが私がこれから作る“萬福寄席”なのである。
(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/21

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 5

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介していますが、今回で最終です。2時間15分、本当にしゃべりっぱなしだったのではないでしょうか。このときのイベントには、遠くからどもる子どもたちもたくさん参加していました。最後の子どもたちへのメッセージは、文福さんらしい、温かい、優しい、そして心強いメッセージでした。
 「スタタリング・ナウ」編集のために、テープを何度か聞き直し、そのときにもまた、笑わせてもらいましたが、今回も久しぶりに文福節を堪能しました。
 
應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


ここまでよう来たな

文福 今日はこういう『どもりを個性に』というテーマやからいろいろ言わせてもらったけれど。結局、誰かがひとりでも痛みを感じたら、笑いにはならん。
 和歌山の芸人の県人会を作ったのも、おととし、カレーの事件がきっかけです。和歌山の園部地区に、テレビのワイドショーが話を広げて、レポーターや記者を送り込んでくる。見てる人は初めは園部地区に住んでいる人がかわいそうやと思ってたけど、だんだんマヒして、連続ドラマみたいになって来る。あるとき、「文福さん、僕、和歌山の出身ですと、和歌山市園部となっている名刺を出したら、あの園部かとえらい話が盛り上がって、商談とかまとまってね」と言った人がいた。「ああ、そうかい」と言って、僕はその名刺をびりっと破った。こんなん和歌山の恥や。
 それで、なんとか芸人として和歌山のイメージアップせないかんという、僕のコメントが新聞に3つか4つ出たんです。それを読んだ和歌山の出身の芸人が「文福さん、一緒にやりましょう」と言ってくれて去年できました。神戸の地震でもコントなんかすると受けるけど、やっぱり当事者はええ気せんからね。誰かのことを押さえ付けて、笑いをとったりするのはもってのほかやと思います。だから、話の中では悲惨な事故や事件は扱わんとこと思ってます。新作落語をつくるときもやめとこと思ってます。そういうポリシーはあるんです。どもりのお陰で、多少人の痛みがあるから、そういう発想をするんやと思うんですけどね。
 僕は緊張したら目がチック症になるんです。シャイとか照れ屋からきたんでしょう。ビートたけしさんもそうやけど、シャイなんです。ぼんちおさむさんもやし、結構います。チック症も心の病気とまではいかんかもしれんけど、まあどもりと通じるものがあるんでしょうね。なんでそうなったんか、今だに原因も分からないし、親のせいにしたことない。この世界に飛び込んで、初めはみんなびっくりしたし、心配もかけたけど、今はもうようやってるやないかと思ってくれてる。僕としては29年間振り返ったら、まあここまでよう来たなと思います。うまい落語家だとか立派な師匠とか、そんな気は全然ないけど、来年30年になるけど、よう30年間もこの世界におったなと思います。

文福 コモンズフェスタ1伊藤 あっという間に2時間15分が、笑いと涙の2時間15分が過ぎてしまいました。ありがとうございました。質問がありましたら。

文福 今回は、もう仕事っていう気は全然ありません、仲間という気で来ています。伊藤さんとはなんべんも電話で喋っているのに、つい会ったら、どもりについて、なんでもあれもこれも喋ってしまわないかんような気がして、ひとり喋り過ぎました。

どもる子どもたちへのメッセージ

会場から 今日は、前の方にどもる子どもさんとか、どもる子どもをもつ親の方が参加されているので、文福さんからその人たちへのメッセージをお願いします。

文福 周りがもっと理解せなあかんでしょうね。僕も授業中に、「この問題、分かる人?」て言われて、一応分かってるから手を挙げる、でも、手を挙げてる子が多いと、どもると自分で分かってるから手をそうっと下げる。先生が「お前、いっこも手をあげへんな。分かってるんか。お前、いっこもよう答えへんな」とよく言われた。ちくしょうと思いました。周りが理解して、ひとりで悩まないで、どもってもええんちゃうかと思えばいい。喋り方でも歩き方でも特徴があって、みんなそれぞれや。みかんはみかん、桃は桃で味が違う。みかんとりんごとどっちがおいしいと言ったって、それ人によって違う。みんなそれぞれ自分の特徴や個性やと思って。足を引きずったのもそういう歩き方やしね。喋るのも僕はそういう喋り方をするんだ。これが私なんだ。確かに本もちゃんと読みたいと思うし、はきはき喋りたいと思うけれども。きれいに読んでも心がこもらんと読んでも何もならんし。つまりながらも一所懸命で説得力があったらそれでええんであってね。
 自分のことばに自信をもって。腹から声を出す。心から喋る。ただ、どもったりすると周りが変に笑うでしょ。相手が笑ってると、笑わしてるわ、受けてるわと勘違いをする連中がいる。うちの一門に頭の毛の薄い子がいて、芸名がこけ枝というんやけど。「私、こけ枝でございまして」と言ったらみんな笑う。ほんまこけしみたいにまるい円満な顔をしている。「師匠、よかったですわ、僕、落語の世界で」と言う。大学や普通の会社へ行ったら慰安会なんかでもこの頭やったら受ける。慰安会で受けても何の得にもならない。
 弟子のちゃん好なんか男前の部類です。逆に男前やということでコンプレックスがあった。鏡の前で顔をこうやって、こうやって、そんなんせんでも自然にやっているうちになってくるんやと言った。その点、こけし君なんかは、何もせんでも、「えー」と言ったらみんな笑ってくれるし、お客さんが和む。プロになってよかった。
 池のめだかさんも、小さいのをギャグにしてるけど、自分が小さいのは構へんねん、プロやからね。百も承知や。そやけど、学校で小さい子に「めだか、ちび豆」とあだ名をつけたりして、また職場ではげの人を笑い者にしても、なんぼ周りで笑っても、その人本人は他人を笑わす気はないからね。僕らは、プロやから笑ってもらってかまへんけど、皆さんの場合は、10人おって9人が笑っても、一人が後でちくしょうと泣いてたとしたら、その小学校の教室はほんま寂しい教室やね。みんなが10人とも笑わんとあかんよね。
 周りの理解も大事やし、本人も仮に笑われたって負けない、「かまへんわ、これは俺の特徴や」と強い気持ちを持ってもらわんとしゃあないね。落ち込んでしゅんとなるより、「僕はどもるけど、その代わり心優しいんだ、ハートをもってるぞ」と言い聞かせてね。心をこめてこれを言うたんだという気持ちを持ってたらいいと思う。今日は、ほんま小学生の君らが来てくれてうれしいね。

伊藤 遠いところは、広島から、福井から、来てくれました。

文福 ほんま、いやー、うれしいね。伊藤さんがこういう会を作ったおかげで、みなさんも何かを学んでいこうというのができてるでしょ。どもりを治す、矯正するところじゃなくて、「どもってもええよ、僕もそうやったんよ、楽しくやってるよ、キャンプにおいで」。そういうのを作ったのがすごいことやし、そこに来れる子どもさんは立派なもんや。どもりをどうしよう、どもりの子を持ってどうしようという親もいるだろうけれど、来てくれて、うれしい。
 今日は僕ばっかり喋ってもたけど、自信をもって、まあ和歌山弁では、おいやんっていうんやけど、こんなおいやんでもどもってたけど、今なんとか人前で喋る仕事をやってますし、自分で探したら自分を生かせる道があると思う。何も喋る仕事が立派とは違うんだよ。どんな仕事でもいいよ。自分を行かせる道を探して下さい。自分を生かせる道で自信を持って、これは俺や、これは私や、これは私の特徴だと。さっきの伯鶴さんみたいに、目が見えないことをハンディやと言わず、個性だ、キャラクターだ、私はそういうキャラクターを持っている人間だと思ってね。えらい長時間、ありがとうございました。

伊藤 ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/20

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 4

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談の紹介のつづきです。読み返してみても、本当にたくさん話してくださったんだなあと思います。河内音頭も歌ってくださいました。
 
應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


どもりを恨んだこと

文福 これもおもろい話やけど、大横綱の北の湖関。あの人は強すぎて人気ないと言われたけど、ハートのあったかい人で、大好きな人です。北の湖関に一回会いたいなあと、北の海関の稽古を見終わって、喫茶店に行ったら北の湖関がいた。その時、ABCの乾アナウンサーが「文福ちゃん、わしな、北の湖関の後援会の人、よう知ってるんや。こんど飲みに行くけど、一緒にけえへんか。好きやろ」「お願いします」で飲む席に行ったんです。
 いきなり「横綱」と声をかけられなくて、一緒に来られていた闘竜関と、「文福さん、まあ一杯飲もう」「俺、相撲好きやねん。闘竜も好きやねん」「なんや、あんた。口がうまいな」「ほんまでっせ、加古川出身で、宝殿中学校出て、本名、田中賢二やろ」「わあ、よう知ってくれてる」「わあ、乾杯」と、闘竜関とは盛り上がってわーと飲んだんです。
 「文福ちゃん、横綱の横へ行こ」という頃には、こちらはもうべろべろです。緊張してるのとべろべろで。僕は横綱と同じ28年生まれやから、28が誇りですと言おうとしたんやけど、「ににににににぱちぱちぱち…」。そしたら横綱が「師匠、もうちょっと落ち着いて」、で話にならなかった。
 情けのうて、情けのうて。何も言えなくて、帰ってから、ほんまに落ち込んだ。
 「今日ほどどもりを恨んだことはない。せっかく北の湖関と出会ったのに、どもって何も喋れんかった」
と嫁さんに話した。次の日、乾アナウンサーに会ったら、「よかった。横綱、大喜びやったで」「なんででっか」「河内音頭やってくれて、音頭で横綱の生い立ちをやって、横綱の奥さんの名前もおりこんでやってくれて」と言うんです。僕、酔うてたから、無意識に河内音頭をやったんですね。北の湖関の生い立ちをざあっとやって、そういえば途中でなんか手拍子でやったのを少しは覚えているけど、べろべろに、酔うてるから、横綱と飲むなんてめったにないことやから、何も覚えてない。横綱が喜んでくれたことを知ったから、朝、駅前でお酒買って稽古場へ行って、「横綱、昨日はどうも」とお礼に行こうと思ったら、また、闘竜関が、「よう来てくれた」と出てきてくれたけど、また僕の方は「あわあわあわあわ…」ですわ。(爆笑)

ここで河内音頭を
文福 コモンズフェスタ3
 『本日、お越しの皆様へ〜日本吃音臨床研究会その名、会長の伊藤さん〜、皆様方の気持ちがひとつに今日は楽しい集会で〜笑う門には福来る 笑う門には文福で〜、皆様方もがんばろう〜 みかんはみかんで、柿は柿〜 メロンはメロン トマトはトマト それぞれに味があるからうれしいんだ〜 みんなの味を大切に 仲良く元気に 歩んでいこう〜』

 こんなんです。いろいろありますが。極度の緊張とかね、小学校、中学校のときもね、これはもう誰のせいとも言えませんしね。伊藤さん、どもりになったのは、誰かのせいだというのはありますか。

伊藤 親父がどもりでしたね。でも、そのせいだとは言えないけれど。分かりませんね。

文福 身内とかご兄弟とかは?

伊藤 四人の子どもがいますが、誰もどもりません。僕だけです。

文福 うちも兄弟どもりませんしね。お袋はばーっと喋るし、親父は、極端なシャイでものあんまり言わん。そのシャイなところが似たのかな。ほんで、ぐわーと思うところがおかんに似たのかな。両方とってますんやけどね。どもるというのは周りになかった。ただ、昔、砂塚秀夫さんの主演で「俺はども安」という番組があった。

伊藤 あれ、僕も嫌でした。「どどっとどもって人を斬る!!」という初めのセリフが。

文福 「ててててまえ、しししし生国・・・俺はども安!チャチャチャーン」
 当時は、テレビであれができたんやね。今は、どもりとかめくらとかちんばとか放送コードにひっかかるから。古典落語の中にはそんなん多いんです。おしとかいうことばもね。そんなんは、僕らはせんとこと思って。何もわざわざそんな話をせんでも他になんぼでもいろんな話があるのにね、あえて、「これは放送ではできへんから、今日の寄席で、そうっとやっとこうやんか」。僕は、そうっとやるという根性が嫌いなんです。ここだけはええというのはちゃうでと。あえてこんなんやらんでもええ。目の不自由な人の話をやって、最後まで聞いたらええ話というのは、あるんです。景清という、戦国時代の武将が自分の目が見えると義経を目の仇にするというので、目をくりぬいて、清水さんに奉納したという逸話があったんです。あるとき目の不自由な職人が清水さんに行って、景清公の目を観音さんから与えてもらって、目があいて、という落語があるんです。最後まで聞いてると、観音様のおかげで目があいて、という目がないとこから目ができて、誠におめでたいお話でした。ハッピーエンドに終わる話なんやけど、途中ではえらい目に合うシーンがないと話にならん。「どめくらが!」とか、そんなシーンがあってこんちくしょうと思う、そんな場面があるばっかりに放送ではできません。でも、全部聞いたらそれなりにええ話なんやけど、落語などには人の欠陥を言うのが多いんです。古典とか文化とか伝統とかいうのを隠れみのにしてはびこってる場合が多い。あえてせんでもええんちゃうかと僕らは思ってる。どもりを扱った小咄も、あるんですよ。

伊藤 あるんですか。

文福 あるんですよ。どもりの道具屋と言うてね。おもしろいですよ。「道具屋、のこぎり見せてくれ」と言うときに、「おおおおい、どどどど道具屋、ののののののこぎり、みみみみみ見せてくれ」「ままままま真似すな」というおもしろいんですけど。受けるけどね、僕自身もやっぱりやるの嫌ですね。

どもってて笑える話

文福 どもってて笑えるのは、文珍さんから聞いた話にこんなんがあります。文珍さんが梅田から阪急に乗った時に、たまたま同級生に会った。その人もどもるらしい。「おい、お前、久しぶり」そしたら、文珍さんは有名になってるし、よけいに「ううう・・」となった。「お前、どこに住んでるねん」と言われても声が出ない。「どこ、住んでるねん。遊びに行くわ。俺、武庫荘、武庫荘。お前、どこや?」「ううううっ…」。車掌がその時、「十三、十三」。「ここや!」。ずっと一駅の間、十三が出えへんかったんやね。そこに助け舟の「十三、十三」。笑えるけど、どもりの僕らにはちょっと悲しいね。
 そうかと思うと、もうひとつの話。阪急で梅田から京都へ行くとき。もう電車のドアがもう閉まるというときに、「たばこ買うて来い。ピースやピース」と言われた人が、ピースのピが出ない。売店で、力んで大きな声で「ピピピピ、ピー」と言うたら、電車が出ていった。それも聞いたとき、作り話やろけれど、笑った。ピピピとどもったのはほんまの話やろけど、後は芸人がつくったんでしょうが、よう出来てるでしょ。
 そんな話はようけあるんですわ。今、みなさん、笑ってるけど、ほんまに笑えない人がいたらあかん。だから、僕らがやっている「真の笑いは平等の心から」というモットーに反するわね。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/19

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 3

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介しています。
 このときの対談は、「スタタリング・ナウ」NO.77とNO.78の2号にわたって掲載されています。文福さんも僕も、吃音についての対談を大いに楽しみ、きっと話も弾んだのでしょう。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78に掲載されている対談後半の話を紹介します。

應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


文福 コモンズフェスタ4伊藤 今こうして僕と話している間、文福さんはようどもりはりますが、子どもの頃のどもりってどんな状態だったんですか。

文福 僕ね、いつからどもったかという意識はあんまりないんです。赤面症というか対人恐怖症というか、あんまり喋れへんかった子ですね。僕は3月31日生まれで、一番早行きで、体も小さかった。生まれた時逆子やったし、健康は健康やったけど、小さかったりして、あかんたれというか、小学校1年まではあかんたれだったですね。人前に行くと、まず顔がガーと赤くなってよう喋らんかった。結局学校嫌やったんでしょうね。運動会も嫌やったし、学芸会も嫌やった。小学校のときの思い出は一個もええのが浮かんできません。不思議やけど。トラウマとまではいかんけど。

伊藤 特にからかわれたり、いじめられたりということはなかったんですか。

相撲が僕を救ってくれた

文福 まあ、いじめられたことはそうなかったんですけど。うちの中学校は相撲部が強くて、1年先輩に相撲部の子が、無理やりからだが小さかったのに、相撲部に引っ張られたんです。僕は小学校のときは走るのも遅いとかソフトボールもよう投げんとか、運動神経ももひとつやし、勉強もできんし。ところが、嫌だったけれど相撲部に入った。相撲そのものは好きで、よくテレビで見てましたから、イメージトレーニングになってたのか、勝つことが出来たんですね。それが自信になった。嫌やったけど、辞めないで、3年間続けて、3年のとき郡の大会で5勝1敗で準優勝しました。それでまた、ものすごい自信がついた。
 主将だと、全校生徒の前で成績発表会がある。普通やったら例えば「野球部ですけど、みなさんご声援ありがとうございました」とか「がんばります」とか言う。ところが僕は、「あのあの、あのあの、4対1とか」それだけ言っただけで後は何も言わんかったです。そやけど、何か自信がついた。その勢いで、高校へ入ったときは、レスリング部と柔道部からひっぱられた。これも嫌やったけども、結局柔道部に入って、辞めないで3年間やって、一応黒帯になった。だから中学校、高校は楽しい思い出がある。高校になったらもう楽しかったです。それでもどもってました。
 例えば柔道をやっていて、先輩と話していて、「先輩、あのあのあの…」と言うと、「おい、誰か通訳してくれ」と言われる。むやみにけんかなんかしませんよ、その先輩を柔道の稽古の時にびゅーんと投げ飛ばす。俺をばかにした奴はきっちり柔道でしめあげる。だんだん身体も大きくなってきたし、相撲にものめりこんでいった。相撲が僕を救ってくれたんですね。
 就職で大阪へ行くときは、落語のことなんか考えてません。その頃、大阪万博の頃ですが、「仁鶴、可朝、三枝」が人気で、和歌山の田舎でも落語の研究会ができたくらいです。ただ大阪へ行きたい。絵が好きだったから。大日本印刷の会社に入って、印刷の仕事をしてました。

落語界に入る

文福 ところが、その当時、大阪へ来たら、落語がブームやから、生で見に行った。生で見に行ったらやっぱりお客さんの若い層の熱気、今ではそうでもないけれど、いっぺん聞いたらまた聞きたいなあと、極端な話、5、6分落語を聞いたら、楽屋に行って、「師匠、弟子にして下さい」と言いに行く人がいたくらいです。僕もそのムードにのせられて、入ってしまった。ところが後でしまったと思ったんですが、同期の連中、鶴瓶君、仁福君、二代目の森乃福郎君らは、みんな落語研究会でそれなりにやってきた人ばかりなんです。学生の頃からのばりばりです。みんなは、俺はプロで力を試すんだとか、俺はおもろいから芸人になるんだと。僕の場合は、どもりでも、人前で喋れるようになるかな、小文枝師匠の所に行ったら喋れるようになるかな、ですもんね。売れたいとかテレビに出たいとか、有名になりたいとか、全然あらへん。人前に出て、喋れるようになれればいいという、まあ喋り方教室みたいなもんやね。

伊藤 柔道で自信がついたけれど、その自信はどもりにはそれほど大きな影響はなかったんですか?

文福 なかったですね。でも、どもっても人前に出ていくという自信はありました。大日本印刷を辞めるときに、みんな心配してくれた。
 「のぼる、お前絶対無理ちゃうか。お前、どもるやんか」
 今でもつきあいさせてもらってるけど。ほんまに心配したみたいやね。だから、誰にも相談せずに落語の世界に入った。何年かたって、「オオあいつちゃうか」と知って驚いていました。親は知ってたけど、親戚には言わなかった。

伊藤 ただ人前で喋れるようになればいい。仕事にならなくてもよかったんですか。お金を稼ぐという。

文福 まあ、なった以上はね、人前で喋って落語家になって、笑ってもらいたい。でも、お金を稼ぐとまでは思わなかったですが、落語家になってからですね、なったからには、なんとかしてがんばっていかないかんなあとは思いました。3年間、師匠のとこで修行して、桂文福として、だんだん師匠のもとを離れて、年もとり、結婚もして子も生まれ生活がかかってくる。なんとかがんばらあかん。その時に、宴会に行ったりすると、宴会の席で、河内音頭なんか好きやったから、音頭なんか歌うと、ことばはなんぼでもぱーと出る。河内音頭をやったのはどもりを隠すためというか、宴席で場をもたすために、手拍子や節なんかやったりするとなんぼでも声が出る。結局どもりやったから、河内音頭をやるという、特徴のある落語家になれたんでしょうね。相撲甚句もやりますしね。
 普通に喋れたら、恐らく平凡な、そつのない落語をしとるでしょうね。自分がどもりやったおかげで、変わっとんなあ、ユニークやなあと言われるようになった。そういう点ではどもりでよかったと今では思います。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78) つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/18

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 2

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介しています。今日は、そのつづきです。

應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


どもりと河内音頭

文福 そやけど、やっぱりどもりのお陰というのは、河内音頭です。人のやらんことをやり出したのは、やらなしゃあなかったんです。どもりの僕が、落語家でなんとか生きていくためには何でもやらなと思っていたから。
 気の合った仲間と飲みに行くの大好きやし、カラオケも大好きですが、気の張る席は今でもしんどいですね。仕事が終わり、主催者が「師匠、一席設けてます」「そうでっか」好きやから、大体地方へ行ったら交流会とかしますしね、地元の人と懇親会して飲んだりします。舞台終わって交流会に行っても僕だけ舞台の延長で、気を張ってる。何も裏表のある人間やないけども、舞台の延長の気でおろうと思ったら楽なんです。ところが、人間って、おもろいもんで、飲んだらその気持ちもマヒしてきます。二次会、三次会になって「文福はん、なんでこんな落語の世界に入ったんですか」と聞かれると、「うううう、わわわ・・・」とすごくどもってしまう。こうなると、気を張り続けていたらよかったと、ものすごくしんどくなって、落ち込んでしまう。
 酒を飲んで、酔うて足とられるとか、酒に溺れるとかは僕はまあない。酒には強いので、そんなに正体を崩すことはないんやけど、僕は口にくる。飲んだらてきめんにひどくどもるんです。
文福 コモンズフェスタ1 昨日も、舞洲で、大阪でねんりんピック2000大阪、まず一部で素人の方の名人芸の司会を僕がして、その後、大阪名物の河内音頭を僕がやる。司会やって音頭をやるという両方できる落語家がいない。大阪の市の大きな仕事、3つ4つのプロダクションが競合したんですが、こんなタレントでやりましょうとプレゼンテーションして、落札するんですが、僕、4つくらい重なったんです。それくらい僕を買ってくれるのはうれしくて、ギャラがなんぼかは関係なくて、先に声をかけてくれたところから受けた。僕もそれなりにプレッシャーかかってましたわね。こんだけいろいろなとこからみんな競合してて、その中で選ばれた舞台やから、結構自分でも盛り上がったんです。うれしかったから、終わってから文福一座のメンバー5人でだいぶん飲んだんです。家へ帰ったら、ほんまにどもって、どもって、子どもも嫁さんも「お父さん、何言うてるか分からん、酔うてるのか、どもってるのか、何言うてるのか分からん」。結局酔うたらほんまに意識はしっかりしてても、口がついていきませんね。ほんまに。

伊藤 高座とか、緊張してるときは、まあまあ喋れるけど、地が出たりするとどもるという。僕の場合もそうなんですよ。大勢の人の前で喋ったり、この前の、NHKテレビの『にんげんゆうゆう』の収録のときもほとんどどもらないんだけれど、仲良くなったり気が楽になってくると、とたんにすごくどもり始める。

文福 分かってくれてるグループやったら楽しいでしょ。僕は吉本興業を辞めたでしょ。平成元年の秋ですが、嫁はんや、ファンの人も、当時は心配してくれましたね。でもね、大きなとこやったら、○日に新大阪に○時に集合といったら、なんぼええ人でも気を使ってしまう。その人と2時間一緒に新幹線に乗っていくとなると、なんかそこからちゃんと喋らなあかんとなると辛い。3日間同じ旅館に泊まらなあかんとなると、なんかしんどい。でも、今は吉本興業を辞めて、自分が座長をやってるから、特に遠い地方に行くとなったら、まず一杯飲んでて楽しいメンバー、気の合うメンバーを自分で選べるでしょ。だから、気は楽なんです。だから、その連中と車で6時間7時間走ったってその間、楽や。「あわわあわわ・・・」とやっても、みんな分かってくれてるから。
 伊藤さんからもろた、今度のイベントのチラシをみんなに見せたったら、みんな爆笑やったですよ。「どもりを個性に? わーっっ」って。今までやったら僕の講演の演題は、「真の笑いは平等な心から」とか、「私と落語と大相撲」、「人生落語修行」、そういうタイトルやった。なのに今回は、「どもりを個性に! 〜桂文福ユニークな落語家人生を語る」でしょ。みんな笑うた笑うた。ついにやったね。
 カミングアウト、カミングアウトですよ。「俺はどもりですから。みんな見に来てよ」、そんなのは今までなかったですからね。そんなのは今回初めてですね。まあ、一種のカミングアウトですよ。いい機会を与えてもろたと思います。

伊藤 そうですか、それはうれしいです。それだけ人前で喋り、話芸ということでやってこられても、やっぱりどもりというのは消えないですか。治らないですか。

文福 まあ、僕ね、伊藤さんの本を読ませてもらって、テレビも見せてもらって、おっしゃってましたね。初め、どもりは治らないと言ったとき、そのときものすごく反発あったでしょ。僕も駅で「どもりは必ず治る、赤面症、対人恐怖症」の看板を見ると、どきっとするわね。僕はそんな看板嫌いですが、一番何が嫌いかって、薬の《ドモホルンリンクル》あれは嫌やね。「あんなん、誰が買うか!」。再春館製薬、あれ、腹立つ。なんであんな名前つけるねん、「ドモホルンリンクル」。(大爆笑)
 本を読んだとき、どもりが治らないということがすぐ理解できた。結局、どもりは治らんでも、うまいこと、つき合おうてたらいいんです。確かにどもりでうつ病になってる人とかいろいろカウンセラーのとこへ行ってる人もいるやろうけど、どもりはほんまに、どもりの矯正所で「ア・イ・ウ・エ・オ」と練習したりして、その場所では「こんにちは」「どうもありがとう」と言えても、「じゃ先生ありがとうございました」。「田中君、よくどもらずに喋れてよかったねえ。またがんばってね」。「はい、明日もがんばります」と外に出た途端、「ちょっとすんません。駅にはどういったらいいんですか?」と尋ねられたら、途端に「あわあわあわ・・・」となるでしょ。そういうもんでしょ。だから、どもりは治らんというのは、本当にそうでしょね。どもりは治らへんやないかい、和歌山弁も結局なまってもええんです。なまりは国の手形やしてよなー、おいやん(紀州弁)。

全盲の噺家

文福 話、変わりますが、この應典院の本堂ホールの舞台は2回目なんです。「笑福亭伯鶴の会」で出してもろたんです。全盲の噺家です。落語は、目をつぶって聞いている方が状況が浮かんできたり、想像が広がったりして、結構便利な芸なんです。例えば、「わー、ここは生魂の境内か? こんな祭りやってるのか、あっ、タコ焼きやがあるな、おっ向こうに風船売ってるな」、と広がる。ところが、実際芝居で舞台でしようと思ったら、その全部そろえるわけにいかんし、セリフで言うことしか観客は分からへん。やっぱり視覚に訴えるのは限界がある。落語はどないにでもなる。
 伯鶴君は目が見えないけれど自分の世界から絵ができています。えらいんです。松鶴師匠も太っ腹やね。大抵は、目の不自由な者は落語なんか無理無理と断ろうとしたんやけど、松鶴師匠も足が不自由で、落語家になった人やから引き受けたんでしょうね。
 「俺は、ほんまは歌舞伎や芝居が好きやったが、足が悪いから芝居は無理や。そやから、俺は落語家になったんや。だから、何かあったからといって諦めるということに対してひっかかっていたんや。お前は目が悪いからといって諦めるのはあまりにもかわいそうや、弟子にしたろ」
 全盲の落語家は珍しいから入門当時結構テレビでも取り上げられた。そのとき、松鶴師匠はえらいと思いました。
 「おい、伯鶴、お前、目が見えないからといって、これを利用したらあかんぞ。お前はたまたま今テレビに出てるけど、たまたま目が見えないから取り上げられただけであって、お前の力と違うで。こんなんが落語の修行風景やなんて、ただ、お前がたまたま目の見えない子やから取り上げてるけど、それを利用して売れてるなんて思ったら承知せえへんぞ」
 とぽーんと言われた。だから、伯鶴もよう分かってて、彼は目が見えないなんて思えへんくらい、普通なんです。例えば、「伯鶴師匠は目が不自由ですね」「不自由ちがいます、不便なだけですわ」「ハンディ違います。これは個性ですわ」とかね。彼は、ホノルルマラソンも走りに行くし、「昨日見た映画、よかった」と映画見に行くし、山にも登る。ライトハウスにも行って、ボランティアの人に対面朗読してもらう。伯鶴さんは新聞読むためにだけやったら嫌やと。対面朗読してくれた女の子に、ちょっと一緒にお茶行けへんかって誘う。そんなのが彼は自然なんです。
 落語が終わって一杯飲んだ時です。遅くなってタクシーで帰らなあかんことになって、「兄さん、ちょっとうちへ先に回ってから後で兄さんとこへ」と一緒に乗った。車が動き出したとたんに、運転手さんに、そこ行ったら富士銀行、左に行ったら居酒屋があってと指示する。彼はその飲み屋から自分の家までの道を全部覚えてるわけですね。5分走ったらどこへ行くとかね。ところが、運転手さんがそれを真剣に聞いてなかったんで、途中で分からんようになった。ほんで僕が怒って、「ちゃんと道を言っているのにどう思ってるねん」と。運転手さんもその時初めて目の見えない人やったんやと気づいて、「すんませんでした」と言って。もういっぺん現場へ戻らないと、帰れない。
 彼は目が不自由やから、確かに使いにくいですわな。本人は、「ふるさと寄席」連れて行ってやーと言うんですけど、「伯鶴さんって目の不自由な人でがんばってますねん」と前もって言うて、講演やってもらうことはあっても、普通の席で、急に、黒いサングラスかけて出ていくと、ちょっとお客さんには違和感がある。ちょっと気を使って使いにくいことがある。だから、大きな劇場からお声がかからないことがある。ところが、松鶴師匠が亡くなって13回忌・追善興業のとき、一門が日替わりで出演し、伯鶴さんもとうとうやっと浪花座に出ました。
 「伯鶴師匠、やっと大きな舞台に出た」と見に行った知り合いの人がびっくりした。大きなところやから、まずチャカチャンチャンと鳴って出ていって舞台にちゃんと座れるかが心配です。ところが、チャカチャンチャンと鳴って、袖から出て来て、ぴたっと台の上に乗って、落語を一席やってすっと降りてきた。彼は、ちゃんと幕が開く前になんべんも歩いて、歩数を数えてやってたんですね。
 これくらいの角度で回って足を挙げてと、それをみんなが見てる前でやると、いかにもあいつはがんばってるなあと思われるのが嫌で、人が見てないときやから、うんと早い時間に楽屋入りしてきて、そういう努力している。ところが、こんなことがたまにある。前、ある映画館で、伯鶴君と一緒に仕事をしたんです。準備ができたからと喫茶店でお茶を飲んだ。後から聞いたら悪気はないんやけど、他のメンバーが舞台が始まる段になって、「ちょっと、これ低いんちゃうか。お客さん、見にくいで。ちょっと上げよか」と2段ほど上げた。それをスタッフが彼に言うのを忘れたんやね。そしたら、伯鶴さんの出番です。チャカチャンチャン、出たら台の高さが違うから難儀した。ざぶとんを敷く子が、さーっと出てきて、伯鶴さんの手を引いて座らせた。あの時、彼は絶対悔しかったと思う。若い子に手を引いてもらってそんなのをやってもらいたくないのにと悔しかったけど、そういう失敗談がたまにあります。
 彼は、ほんとに目が見えないのは、自分の個性やと言うてる。僕、伯鶴君のそう言うたとき、逆に励まされますね。どもりくらいなんやと思うときある。ただ、障害の大きい小さいに関係なく、そういうふうに頑張っている人がいるからいい。
 車椅子の友達もようけおりますけどね。仕事に行ったら、手話の人がいます。要約筆記の人も。要約筆記って大変やね。しゃべったことをばーっと書いて。僕が講演したとき大変だった。「あわわわわわっ・・・」てなるからね。却ってその人を意識して合わそうとすると、間が狂うしね。
 ある講演に行ったとき、教育委員会の世話人さんが、「今日は手話通訳させてもらうんです」。「ああ、お願いしますわ」。手話ってなんべんもやってるから大体分かってますやんか。ところが、その方が手話通訳の人にこんなことを言う。「君ら、今日は大変やで。今日の師匠、早口やから、手話やるのん大変やで」。もう、ぶちっーですわ。
 「私は舞台はね、ちゃんと喋れまんのやあ!!」先方としては、冗談かなんか知らんけどね。そんなん言われたらええ気しませんわな。楽屋で雑談してるときに、どもってへんでも、早口やと思ったんやろね。「始まったら、ちゃんと喋れまんのや!!」。半分けんかを売ってるみたいやけど。そんなん、ようありますよ。 (「スタタリング・ナウ」2001.1.20 NO.77)つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/17
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