伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

村田喜代子

どもり礼讃

 大江健三郎さんの訃報に接し、大江さんとのつながりについて、以前の「スタタリング・ナウ」から紹介しました。
 「スタタリング・ナウ」の紹介に戻ります。今日は、芥川賞作家の村田喜代子さんにゲストとしてきていただいた吃音ショートコースの特集号のニュースレター(「スタタリング・ナウ」2000年6月 NO.70)です。巻頭言は、そのときの村田さんの講演のタイトルからお借りしました。村田さんは、ご自分の吃音とのつきあいから「どもり礼讃」との演題でお話してくださいました。村田さんのお話は、明日以降に紹介します。

村田喜代子 吃音ショートコース写真  
どもり礼讃
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 村田喜代子さんの、「どもり礼讃」とは何と思い切った表現だろう。ひとりの世界で、自分だけがどもりに悩んでいると思い、なんとか治したいと思い詰めている人にとっては、ある意味で我慢ならないことばではないだろうか。
 実際お話を聞くと、どもりに苦労していないわけではなく、どもって立ち往生もする。吃音に深刻に悩んでいる人なら、落ち込みそうなことを、村田さんは、スリリングなこととして楽しんでおられる。窮地に陥ったときの対処が人生を豊かにしているのだと誇らしげだ。
 村田さんの、「どもり礼讃」ということばだけを聞くと、反発する人もいるだろうが、どもって立ち往生している様子、その窮地からの脱出の様子は、大いに共感することだろう。
 どもる人の多くが、村田さんのように考えることができたら、随分と楽になるだろうと思う。なぜこのような村田さんになったのか。
 どのようなどもる人に出会うかが、大きな影響を与えるのだと思う。どもりを嘆き、隠し、不本意な生活を送る人と子どもの頃出会っていれば、今の村田さんはなかったのかも知れない。最初に出会ったというより、うつした叔父が、ひどくどもりながらも、明るく臆せず堂々とどもり倒す叔父だった。親分肌の叔父に弟子入りをしたからだ。その叔父は、どもりをうつしたが、その対処方法も伝授したことになる。
 このような明るくどもり倒すモデルに出会う事なく、どもりの暗いイメージだけをもって生きてきた人が、「どもり礼讃」にまで至ることができるだろうか。
 子どもの頃どもり倒す師匠には出会えなかった私は、その分時間はかかったが、大勢のどもる人と出会った。その人らしく誠実に生きるどもる人に大勢出会い、さらに自分自身の生き方を問い直し、吃音と上手につきあうことができるようになった。ひとりでは難しいかも知れないが、仲間がいれば、人は変わっていく。
 ところで、どもる人間を他者はどう見ているだろうか。人それぞれに大きく違うのだろうが、ひとつのヒントとして、映画や芝居でどもる人がどのようなキャラクターとして設定されているかをみると興味深い。あなたが映画監督とすれば、どもる人間をどう生かすだろうか。
 誠実な人間を描くのに、訥々とどもらせる人がいるし、ひょうきんな人間として描く人もいる。どもる症状を強調して、神経質な人間、滑稽な人間、豪快な明るい人間、暗い人間と、実にさまざまな人間設定として、どもる人間は登場してくる。
 病気や、障害、いわゆるハンディキャップと一般的に言われているものの中に、こんなに幅広くその特徴を強調して人物を描くものは他にはない。どもり全面否定から、どもり礼讃まで、どもる人本人にとっても他者にとっても受け止め方は実に幅が広いということになる。
 24年前の私の著書『吃音者宣言』(たいまつ社)に、当時福岡市教育委員会の指導主事・守部義男さんは、どもる人を自分自身を含めて、まじめで正直で純情だとし、こう書いて下さった。
 「人生において、どもりのような適度な抵抗を持ったために、それを克服する努力がそのまま自分を磨くことになった。もともと素晴らしい人格がもっと磨かれるという意味で、私はどもりであることを喜んでいるのです。どもりを持ちながらありのままにふるまえばいい。私は、どもりと徹底的に仲良くなれた、どもりが私を育ててくれたという実感があります」
 どる人のセルフヘルプグループを作って、35年。私は吃音一色の人生を送ってきた。仕事は時に変わったが、吃音というライフワークだけはしっかりと離さなかった。おかげで、日本全国の大勢のどもる人、さらには国際大会を開いたために、世界中のどもる人々に出会った。恐らく、35年間、吃音にこだわり続けて生きてきた私が、世界で最も数多く、どもる人やどもる子ども、その親と出会ってきた人間のひとりだろう。
 数千人以上のどもる人々との出会いの中では、どもりの苦しみに共感する一方で、どもり礼讃は、すとんと落ちるのだ。どのような人に出会うかが、吃音否定のままか、どもり礼讃まで行き着くかを決定することだろう。(「スタタリング・ナウ」2000年6月 NO.70)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/16

吃音と論理療法

 タクシーを飛ばして、深夜、会場に駆けつけてくださる石隈さんを待っていた夜のこと、よく覚えています。初めて出会うのに、初めてという気が全くしない、そんな出会いでした。このときの吃音ショートコースの様子を、大阪吃音教室の東野さんが報告してくれています。紹介します。

吃音ショートコース〜ドキュメント〜報告
  大阪スタタリングプロジェクト 東野晃之


 1999年10月22日(金)から24日(日)の2泊3日間、日赤滋賀りっとう山荘で開かれた。ゲストには、今年のメインテーマ〔吃音と論理療法〕の講師に筑波大学の石隈利紀さん、特別講演に芥川賞作家、村田喜代子さんを迎えた。遠くは九州、仙台などから、成人のどもる人、どもる子どもの親、ことばの教室の教師、スピーチセラピストなど、総勢約80名が参加。2泊3日を報告する。

10月22日
PART1〔出会いの広場〕19:30〜

 参加者が知り合い、リラックスするための時間。
 大津市のことばの教室の木全さんの進行でジャンケンや自己紹介ゲームをする。歌を歌い、からだを動かし、相手と触れ合う。だんだんに緊張がほぐれ、参加者の表情が和らいでくる。次第に場の雰囲気が楽しくなっていく。

PART2〔論理療法・基礎の基礎〕20:30〜
 ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を例にしたABC理論の説明の後、グループに分かれて各自が考えてきた吃音に関するイラショナル・ビリーフを発表し見つけていく。ひとりが1つの出来事(A)について発表し、その時の経験(その時の気持ち、悩み、固定観念など)を話し合うことを中心にすすめられた。A(出来事)、B(ビリーフ、考え方、固定観念)、C(結果、悩み)に区分していくのは難しい。吃音で悩んできた体験は、このABCが混然一体となっているからだ。

10月23日
PART3〔発表の広場〕9:00〜

◇『どもりを隠すことは自分がなくなること』◇
成人吃音者の体験 
 「どもりを隠すことは、自分を偽ることになる。そして、自分がわからなくなり、人生を失う…自分らしさを消して生き続けることはできませんでした…」穏やかな、説得力のある話だった。

◇『娘との12年間の歩み』◇
看護師 松本さん 〜吃音児の親としてまた自身の吃音体験から〜
 3歳の頃からどもり出し、保育所、小学校の発表会でどもって笑われ、話し方を真似される娘。不憫でどうにかしてやりたいという親の気持ち、小学校3年生の時出会った吃音親子サマーキャンプの体験、親子で出演した「公開レッスンと上演」、今高校受験を迎えた娘との対話、どもりながら看護婦の仕事に就く自分の近況など、娘との12年間の歩みをふりかえって話された。「私も娘に負けないように自分を成長させたい」からは、どもる子とどもる親、共通の悩みを持つ親子の歩みが伝わる。

◇『吃音親子サマーキャンプ報告』◇
 ことばの教室 教諭 松本さん
 今年で10回目を迎えた吃音親子サマーキャンプの、第1回目からふりかえる。劇の発表や子どものどもりについての話し合いなどが、プログラムに入れられる時、スタッフのスピーチセラピストと意見が対立し議論になった話は、このキャンプの源流を見た思いがした。

◇『友だちからはじめよう私にもできること』◇
 ことばの教室 教諭 八重樫さん
 「1時間中、ホワイトボードに電車の線路を書き、私に背を向けて駅名を叫び続けていました」
 このK君との出会い、指導法への模索と悩み、吃音ショートコースでのMさんとの出会いをきっかけにK君との新たな関係が出来ていく。「友だちからはじめよう」という、実践は、K君の様子をビデオで紹介しながら報告された。実際にビデオで見ると、鉄道マニアのK君に親近感が湧き、何か声をかけたい気持ちになった。

PART4・5〔吃音と論理療法〕13:00〜
講師 筑波大学 石隈利紀さん
〜どんなことがあっても決して自分をみじめにしないために〜

 論理療法というイメージから講師の先生にはどこか理屈っぽく、固いイメージを想像していたが、実際の石隈利紀さんは、物腰がやさしく、ユーモアに富んだ楽しい人であった。昼から夜までの長時間、講座に集中できたのは、話の巧みさもさることながらこのキャラクターの感じの良さにも助けられたのではと思われた。
 講座は、前半を論理療法とは何かについて、その背景やABCDE理論などを説明され、後半は実践編として、イラショナルビリーフを軽くするプロセス、イラショナルビリーフを修正するなどをグループ実習などを入れながら講義された。
 論理療法は、1つの出来事に対して1つの選択ではなく、選択肢を広げる習慣をつけることをすすめる。よって選択肢療法とも言える。
 ひとつの実習の例を挙げよう。
A.私は人前で上手く話せないので
B.ダメな人間だ
Aに続くBの選択肢をみんなで探した。
 石隈さんは、この例題は学校の教師向けの論理療法の講義のときにもよく使う例だそうだ。もちろん、この例は私たちにぴったりだった。マイクがどんどん回り、「発表の中味で勝負しよう」「他の伝え方を考えよう」「聞き上手になろう」「うまく話せませんと断ってから話をしよう」などで、ホワイトボードがいっぱいになっていく。
 また、「こんなに続けて遅刻するようなやつは、将来ろくな人間にならない」は人間を評価する表現である。評価の焦点は、遅刻という「行動」であり、「人間」ではない。人間は誰も評価はできない。誰もが生きる意味をもっている。だから、「あなたは続けて遅刻した。遅刻が多いのはよくない」「遅刻をすると大事な話が聞けなくて損だ」などと表現を修正。
 夜は、コミュニティアワーという参加者の交流のための時間だった。1日目も2日目も、あちこちでいくつかのグループが出来ていた。時間を忘れてしまうくらい話は弾んだ。石隈さんは、長時間の講座が終わったばかりでさぞかしお疲れであったろうに、参加者の質問や感想に熱心に耳を傾けておられた。
 明日の特別講演の講師村田喜代子さんはこの日夜遅く到着されたがすぐ、参加者の中へ気さくに加わって下さり、いつの間にか吃音談義の中心となって話されていた。話は尽きず、その後村田さんのお部屋で夜遅くまでお酒を飲みながら文学の話などで盛り上がったようだ。

10月24日
PART6〔対談:吃音と論理療法〕石隈利紀さん・伊藤伸二さん 9:00〜

 爆笑に次ぐ爆笑。楽しい、おもしろい対談だった。息の合ったふたりはまるで漫談を楽しんでいるようだった。吃音者の人生や、これまでのセルフヘルプグループの活動を論理療法から整理する、深まりのある対談となった。アメリカでの論理療法の話や創始者アルバートエリスの素顔、論理療法は案外アメリカより日本の方が積極的に吃音に活用されているなどが話題となった。

PART7特別講演「吃音礼讃」13:00〜
講師(芥川賞作家)村田喜代子さん
 講演では、両親や影響を受けたどもりの叔父のこと、幼少時からの生い立ちなどについて吃音体験に触れながら話された。
 どもりについては、「不便で不自由には思うが、みじめに感じ、悩んだ経験はない」。電話や講演などでどもってことばが出ないことがあるが、「傾向と対策を用意している」。「どもるのは、相手が悪い」という話には、さすがに感心させられた。
 吃音礼讃にも書かれていたが、「もっとどもろうよ、出来たらどもりがキャラクーになるようなどもり方をしよう。どもる人間は貴重な存在なんだからね」などの話もあって、楽しく、愉快な講演だった。「どんなことがあっても決して自分をみじめにしないために」この論理療法学習のタイトルは、村田喜代子さんの講演に使ってもおかしくはなかった。石隈さんの講座が理論編なら、村田さんの講演は、まさに体験的実践編と呼んでもいい内容だった。村田さんは、「どもりであれば〜みじめに落ち込んでも当然である」という選択はしない。後には、〜不便で不自由である。〜傾向と対策を考える。〜聞く人に負担をかけないようなどもり方をする。〜どもらない人より中身が濃い。〜ことばに重層さがある。など、決して自分をみじめにしない選択をされる。自分を幸福にするのも、みじめに不幸に感じるのも、自分の選択次第であることが、お話からよく分かった。
 1999年の吃音ショートコース「吃音と論理療法」は、まさに絶妙のゲスト構成であった。(「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/14

論理療法と吃音〜出会うべくして出会った論理療法

 論理療法との出会いは、かなり以前に遡ります。初めは、國分康孝さんの本でした。これほど真剣に読んだ本はなかったと思えるほど、メモをとりながら読みました。そして、國分さんから紹介された、筑波大学の石隈利紀さんが講師として来てくださった吃音ショートコースで花咲いた感じがします。石隈さんとの対談は、本当に楽しくおもしろく、僕はこれまでたくさんの人と対談をしていますが、あんなに弾んだ対談は後にも先にもありません。石隈さんとは、その後もお付き合いは続き、「論理療法上級編」のワークショップ、「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」には、2度も講師として来ていただいています。
 研修会や相談会で出される質問や相談内容に答えるとき、僕は、よく「できるだけたくさんの選択肢を持とう」と言います。それも、奇想天外のものも含めて。論理療法を、選択肢療法と名づけたのが石隈さんです。僕の原点ともいえる考え方なのです。
 「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64の巻頭言を紹介します。

  
選択肢療法
          日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 アルバート・エリスの論理療法に初めて出会ったのは、『論理療法』(國分康孝他訳、川島書店、1981年)を読んだときであった。私と同じように考える人がいるのだと、こう説明すればいいのかと、味方ができたようで、とてもうれしかったのを覚えている。
 1975年、私は「吃音はどう治すべきかではなく、どう生きるかの問題だ」として、「どもりを治す努力の否定」という問題提起をもって全国吃音巡回相談と吃音に悩む人の生活実態の調査の旅に出た。35都道府県38会場での相談会と大勢のどもる人への聞き取り調査の旅の中で、論理療法に通じる考え方が養われたのだと思われる。
 「吃音であれば多くの人が悩んでいるはずだ」
 この思い込みが、推測であり、事実ではなかったことが分かったことは、この旅の最大の収穫だった。吃音の状態の軽い重いが、悩みの浅さ深さには直接結びつかないことを大勢の人の声として聞いたことも、私の目を大きく開かせてくれた。
 吃音の特徴として『波』現象がある。ひどくどもるときとあまりどもらない時があるのだ。相談会と平行して行った吃音の悩みの調査の中で、吃音が重いときが必ずしも悩みが深いときではなく、吃音が自分でひどいと思っていても、友達に恵まれ、何かに熱中していたときは吃音にあまり悩まなかったこと。反対に、周りの人がほとんど気づかない状態の時でも、楽しくないことや不安が続いていた時は吃音の悩みが深かったということを多くの人が語った。
 全国吃音巡回相談会の中で、私の中に論理療法的なものが育っていたために、書物で論理療法と出会ったときに仲間と出会えたと直感したのだろう。私がそのように考え実践してきたことが、果たして論理療法と本当に通じる、つながるものなのか、検討したいと思っていた。だから吃音ショートコースの最終日の石隈利紀さんとの『吃音と論理療法』の対談は願ってもない機会だった。
 この対談をどう展開するか。講義と演習の中からもっと知りたいことを参加者に代わって石隈さんに質問していく形にするか。初歩的な疑問から尋ねていくか。いくつかの切り口は考えられたが、決められないままに対談の時間がきてしまった。朝食をとりながら、これまで私の生きてきたこと、実践を石隈利紀さんに論理療法で実証していただこう、ふとそう思って、何の準備も打ち合わせもなく、対談が始まったのだった。
 参加者はもちろん、対談の当の本人たちも全く予想もしていなかったような話し合いが進んでいく。楽しく弾み、次から次へと話題が飛んでいき、整理されていく。笑い声が常に起こった。私は数多くの対談を経験しているが、こんなに楽しく弾み、正直に自分を出せ、自分自身が楽しんだ対談はこれまでに経験がない。
 対談をしていて当の本人がこんなに笑ったのは初めてだ。どもりの事でこんなに笑えるとは。とにかくおもしろかった。何人もの参加者がそう言って下さった。楽しい笑いの中でも論理療法の神髄のようなものは石隈利紀さんが引き出し、整理して下さり、あっという間に2時間がすぎた。時間が許すならこのままずっと話していたいと思った。
 これまで忌み嫌ってきたどもりについての対談が、参加者の聞き手にとっておもしろく、楽しいとは、笑いが常に起こるとは、論理療法が私たちのグループに根づいてきたことの証しかもしれない。
 私は、どもりは治すべきだという主張に、上手につき合うことを提起した。そして、どもる人にこの主張を押しつけるのでなく、こっちの道もあるのだよとひとつの選択肢を増やしたにすぎないと自覚し、それを書いたり言ったりしてきた。選択肢は、私の大切なキーワードだった。
 石隈さんは、論理療法は選択肢療法でもあると言われた。これでますます論理療法は身近になり、親しめるものとなった。
 さらに、もうひとりの講師の芥川賞作家の村田喜代子さんが、講演で「どもるのはどもらせる相手が悪い」という、これまでどもる人が考えもしなかった視点で吃音にっいて話して下さった。愉快だった。吃音ショートコースは楽しく、深まり、たくさんの出会いをもたらせて終わった。(「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/12

村田喜代子さんと吃音

 1999年秋、筑波大学の石隈利紀さんを講師に「論理療法と吃音」のテーマで吃音ショートコースを開催しました。これは、後に金子書房から「やわらかに生きる 論理療法と吃音」として出版しました。その吃音ショートコースの最終日に来てくださったのが、特別ゲストの芥川賞作家・村田喜代子さんでした。
 村田さんは、新聞のコラム記事に、「吃音礼讃」と題したエッセイ風の文章を書いておられました。まさに、論理療法の実践ともいえる内容でした。残念ながら、そのコラムがいつのものなのか、日付の記載がありません。冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の紹介を続けてきましたが、その「スタタリング・ナウ」NO.59の最終ページに紹介している新聞記事なので、1999年秋の少し前のものだと思われます。
 村田さんは、僕たちの吃音ショートコースで、ご自分の吃音にまつわる体験を話してくださいました。タ行が苦手な村田さん、「私の辞書に、タ行のことばはない」とか、「編集者が田中さんだったとき、旅先では友だちにまず電話して、その友だちを呼び出し、友だちに編集者に電話してもらっていた。だから、友だちは大切にした」などの話が印象に残っています。「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59に掲載されていたそのコラムを紹介します。
 村田さんの吃音ショートコースでのお話は、金子書房の「やわらかに生きる 論理療法と吃音」に掲載しています。

   
吃音礼讃
             村田喜代子(作家


スタナウ57〜62 新聞記事_0005 村田喜代子吃音礼賛 家の子供に聞くと、いま学校で吃音の子供は少ないらしい。昔は町にも学校にも結構いた。私もその一人で、身内にもいる。時代はスマート、早口文化で、テレビ・ラジオのアナウンサーから一般人まで、速い口調でしゃべる。社会の進展と共に、天然痘の終息宣言のように、吃音も長い歴史の幕を閉じるのか。
 と思っていると、見知らぬ吃音の女性から電話がかかってきた。どうやって治したのか、相談の電話である。吃音は外見上は言葉がつかえて出にくい状態だが、原因は発声時の呼吸の乱れにある。気分を落ち着けるといいのだが、そこのところが、なにか生理的と言うか、本能的と言うか、手に負えない感じである。だから私もまだ、吃音が治ってはいない。「早くから周囲の人に、吃音宣言をしていると、不思議に吃らないですよ」とアドバイス。
 羞恥心を捨てる。何が恥ずかしいのか。興奮した時はどもる。盛大にどもったあとなど、かくも情熱的にしゃべったことに、一種人間的な感動を覚える。「ナナハンで走ったような気分もします」と言うと、相手も笑い出した。
 どもる者とどもらない者。二つの系流をふとたどってみたくなる。「原始時代に火山が爆発して、その時にアッーと驚いてウ、ウ、ウワアッと叫んだ人間と、叫ばなかった人間がいたんじゃないですか。その叫んだほうの原始人の子孫かもしれない」
 だが噴火のショックもはるか昔になり、しだいに(叫んだ人の)血も薄れる。それでこんなにいまは吃音が減った。電話のむこうの女性も、ほとんどことばはつっかえない。軽い、もっとどもろうよと心の声がする。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/25
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