伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

斉藤道雄

少数派であることを恐れない

 メディアは死んだ、と語ったのは、確かTBSの「ニュース23」のキャスター筑紫哲也さんだったと記憶しています。今から何年も前のことでした。そのことばどおり、ますます僕たちを取り巻くメディアの劣化がすすんでいます。本来、少数派の擁護の立場に立たなければならない大手メディアは、大きな権力には逆らえず、社会風潮は、少数派に属する人たちにとって、生きづらさを感じるものになっています。日本だけでなく、世界中でその傾向にあるようです。
 吃音の世界も例外ではなく、「治す、治せる」から、治っていない現実に向き合い、一旦は「吃音とともに生きる」に傾きかけたかになりましたが、やはりどもる人を弱い存在とし、支援を受ける対象として生きるの声が大きくなっているように思います。吃音で支援が必要な人はいます。支援によって生きやすくなるのは喜ばしいことです。それでもあえて吃音に限っては、自分の力で生きることをまず一番に考えたいと思うのです。
 そんな僕を支えてくれていたのが、筑紫哲也さんであり、ニュース23の元ディレクターの斉藤道雄さんです。「少数派であることを恐れない」、これを支えに、ブレずに僕の信じる道を歩いていきます。
 「スタタリング・ナウ」2008.11.23 NO.171 の巻頭言「少数派であることを恐れない」
を紹介します。

少数派であることを恐れない
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「変わらないもの。それは、力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかくひとつの方向に流れやすいこの国の中で、少数派であることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由な気風を保つこと」

 筑紫哲也さんは、TBSの《ニュース23》の、今年3月23日、最後となった「変わらないもの」と題したニュース・コラム『多事争論』でこう発言した。この番組が18年間生き残れた一番の理由は、視聴者の信頼感という支えがあったからだと感謝し、次のキャスターに引き継いで、テレビの画面から去った。
 そして、この11月7日、テレビだけでなく、私たちの生きているこの世界から、穏やかな笑顔の映像を残して去った。
 筑紫さんがお亡くなりになったニュースに接し、生前の映像が映し出されたとき、涙があふれてきた。大事な戦友が突然いなくなったような、いいようのない寂しさが胸を突いた。
 どんどん壊れ、おかしくなっていく日本。その日本にあって言論の軸足が全くぶれず、一貫して少数派といわれる人々への優しいまなざしを持ち続け、聴覚障害や精神障害のある人たちのことを紹介した。戦争の愚かさと平和の尊さを語り、ヒロシマ、オキナワにこだわり、平和を脅かす存在には厳しく切り込んだ。
 優しさと、厳しさを併せ持つジャーナリストは、筑紫さん以外にはあまりいないだろう。
 私も常に吃音に限らず、少数派と言われる意見を持ち続けているが、ともすれば大きな流れに押しつぶされそうになるときもある。そんなとき、「これでいいのだ」と支えていて下さっていたような気がする。ひとつの座標軸のような存在だった。
 私は言語聴覚士養成の専門学校で吃音の講義をする時、その前に必ずこう言う。
 「私の、吃音に対する考え方、取り組みは、日本でも世界でもきわめて少数派だ。私に反対し、批判的な意見もできるだけ紹介する。両方を知った上で、最終的にはあなた方が判断して欲しい」
 最初は、これまでの吃音の講義と全く違うことにとまどいながら、最後には、多くの学生が、私の考えが少数派であることが不思議だとさえ言ってくれる。また、それほど少数派なのに、なぜ、こんなにがんばれるのですかとの質問も受ける。
 その時は、『スタタリング・ナウ』を購読して下さる人たちをはじめ、私を信頼し、私もその人たちを信頼する大勢の仲間がいるからだと答える。
 島根の専門学校での講義に合わせて、その前の2日間、島根県のことばの教室の担当者の宿泊研修会が計画された。1日目は講義で、2日目は演習。2日間たっぷりと、吃音について語り合った。島根を離れる夜には、仲間9人と鍋を囲んだ。
 また、専門学校の講義が終わった次の日は、北九州市立障害福祉センターの古くからの友人である二人の言語聴覚士が、相談・講演会を企画してくれた。50名ほどが参加して私の話に耳を傾けてくれた。このような人たちの信頼感の支えによって、私も40年、ぶれることなく、私の主張を語り続けることができ、実践できるのだと思う。
 筑紫さんの番組《ニュース23》の元ディレクターで、今は私立ろう学校の校長である斉藤道雄さんから夏にこんなメールをいただいていた。
 「治すということにこだわるのではなく、『それ』をいかに生きるかを考えようというのは、ぼくがいま関わっている明晴学園も、浦河べてるの家もピタッと共通しているところです。それはまた、べてるの家で大切にしている『他人の価値観に生きない』ということ、当事者が当事者性を取りもどすのとおなじことだと思います。そういう意味では、ぼくは伊藤さんのことを勝手に『同志』だと思っています」
 勝手に戦友と思っていた筑紫さん、さようなら。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/06

報道の魂〜番組に込めたもの、番組を観た人の感想〜

 今日は、6月30日。今年の半分が終わろうとしています。時間が経つのが、怖ろしく早いです。7月には、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、8月には、吃音親子サマーキャンプと続きます。どちらも、参加申し込みが届き始めました。出会いを楽しみに、準備を進めています。

報道の魂DVD さて、斉藤道雄さんと出会うことになったきっかけの文章を紹介しました。最後に、もう一度、「報道の魂」という番組に戻ります。言語障害の分野では少数派の僕ですが、こうして、他の領域、ジャンルでは、深く理解し、応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。そのことに力を得て、歩き続けてきました。
 「報道の魂」に対する斉藤さんの思い、毎日新聞の記者である荻野祥三さんの文章、そして、番組を観た2人の感想を紹介します。

◇斉藤さんから周りの人たちへのメール
 この秋から、ささやかに新番組をはじめることになりました。初回放送は以下のとおりです。
   番組名「報道の魂」   内容「吃音者」
   10月17日(月曜日)午前1時20分〜50分
   放送エリア 関東地区のみ(関東以外のみなさん、申し訳ありません)
   以下は、番宣コピーです。
 しゃべるという簡単なことが、簡単にはできない。それが、吃音者の悩みだ。しかしほんとうの悩みは、吃音を見る「まなざし」のなかにある。当事者を、時には鎖のように縛りつけているこのまなざしは、「治さなくてもいい」といった瞬間に瓦解する幻影かもしれない。どう治すかではない、どう生きるかだという吃音者、伊藤伸二さんを取材した。
 おそろしく地味な番組です。時間もよくありません。このメールをお送りしているほとんどのみなさんは、こんな時間に起きてはいらっしゃらないとよく知っています。でも、こんな時間だからこそ、まるで解放区(古い!)のように、視聴率を考えずに(!!)ドキュメントを作ることができました。ので、よろしければ録画してご覧ください。伊藤伸二さんという、すてきな吃音者と、その仲間たちに出会えます。斉藤道雄

◇ブロードキャスト 深夜の「報道の魂」=荻野祥三
 「泥つき大根の青臭さを感じさせる番組です!」。新番組の資料にそう書かれている。TBSで16日の深夜(17日午前1時20分)からスタートする「報道の魂」である。「魂」とは、また古風な。
一体どんな中身なのか。

 1回目のテーマは「吃音(きつおん)者」。吃音とは「物を言う際に、声がなめらかに出なかったり、同じ音を繰り返したりする」などと辞書にある。番組は、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんの独白で始まる。「国語の時間が怖くて、学校に行けなくなった……」。ナレーションが「伊藤さんは吃音者、つまり、どもりである」と続ける。
 「どもり」は、通常はテレビでは使わない言葉だ。新聞でも「気をつけたい言葉」とされ「言語障害者、吃音」と言い換える。ただし「差別をなくすための記述など、使わなければならない場合もある」とも「毎日新聞用語集」に書かれている。番組の中では、ある吃音者が「意味は同じなのに、どもりを吃音と言い換えることで、かえって差別されている感じがする」と語っている。
 伊藤さんは大阪を中心に、さまざまな活動をしている。その精神は「どもりを隠さず、自分を肯定して、明るく前向きに生きること」にある。吃音の子供たちを集めたサマーキャンプでは、子供たちが同じ仲間たちと話して、心が解き放たれていく様子がうかがえる。
 登場する全員が「顔出し」。モザイクをかけずに自分を語る。タイトル以外には、音楽も字幕もない。一カットが長く、じっくりと話を聞ける。画面をおおう青やピンクの字幕。けたたましい効果音。そして、長くても15秒ほどで次の人に代わるコメント。そんな「ニュース・情報番組」を見慣れた目には、粗削りな作りに見える。だから「泥つき大根」なのかと納得する。「報道の魂」は月1回の放送。それにしても「今なぜ?」。来週もこの話を続ける。
                  毎日新聞 2005年10月15日 東京夕刊

◇◆◇◆◇番組をみての感想◇◆◇◆◇
  「できないこと」でつながる
                    平井雷太(セルフラーニング研究所代表)
 今は10月17日の午前2時。1時20分からの30分のドキュメンタリー番組『報道の魂・吃音者』を見たところです。伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)から、この番組のことを聞いたのですが、ディレクターは私が「ニュース23」に出演したときと同じ、斎藤道雄さんでした。
 斎藤さんは、精神障害者の作業所「べてるの家」や聴覚障害の報道に取り組まれていた方ですが、應典院(大阪市)というお寺が出している小さな冊子(私も登場したことがある)に掲載されていた伊藤さんへのインタビュー記事を偶然に読まれて、今回のドキュメンタリー番組の製作になったということでした。
 つい最近、伊藤伸二さんが主催する2泊3日の「第11回吃音ショートコース―笑いの人間学―」の合宿に参加してきたばかりなので、出演されていた方は会ったことのある方がほとんどでしたが、圧巻だったのは、そこに登場していた子どもたちでした。
 今年の夏の吃音親子サマーキャンプで、そこに参加していた子どもたちは、テレビカメラに顔をさらしながら、じつに堂々と、自分の吃音体験を赤裸々に語っていたのです。困っていることや悩みがあっても、それを明るく語っているのですから、いままで見たことがない子どもたちの姿に驚きました。そして、以前、観た「べてるの人たち」の映画のなかで、「分裂が誇りだ」と語る人がいましたが、私はべてるの映画を観た次の日から、人前で、自分がそううつ病体験を語るようになっていました。もし、私が子どものときに、今回のこの「吃音者」の映像を観ていたなら、人前でもっと早い時期に私の吃音体験を語るようになったでしょうか?わかりません。とにかく、私が人前で自分の吃音体験を語るようになったのは、50歳すぎて伊藤伸二さんに会ってからですから、自分の問題を語ることで、自分の深いところを見つめ、人は人になっていけるのだとしたら、吃音であることは本当はめぐまれたことなのではないかとさえ思わせるような映像になっていました。
 また、このキャンプは16年続いていて、それに出続けてきた子どもたちのうち、高校3年生の4人が卒業ということで、キャンプの最終日にみんなの前であいさつをしている場面がありましたが、18歳の青年が泣きながら話しているのです。感動が伝わってきましたから、こんな映像が吃音でない子どもたちにさりげなく届いたらいいのにと思いました。それにしても、子どもと大人で、こんなに長期にわたって関係を持ち続けることができるのも、吃音が媒介になっているからなのでしょう。また、このキャンプには参加している大人のなかにも吃音者がたくさんいましたから、吃音者と吃音を治す人という関係がないのも、子どもが自分を語りやすい雰囲気を醸しだしているのだと思いました。
 「できること」でつながる関係よりも、「できないこと」でつながる関係のなかにこそ、「安心」の二文字が潜んでいるような気がします。(月刊「クォンタムリープ」の考現学)

  あらためて感じる、映像の力
                     西田逸夫(大阪吃音教室 団体職員)
 「報道の魂」の初回を見た。サマーキャンプの子どもたちの、元気な笑いと暖かい涙を見た。伊藤さんが爽やかな笑顔で、吃音で悩んだ日々の記憶を語るのを見た。これをテレビの前で、多くの吃音者や、吃音の子どもを持つ親たちが見たんだろうな。これからも、口コミでこの番組のことを知った人たちが、録画を探して見るんだろうな。そんな風に思うことで、大きな安堵が僕の胸に広がった。映像の力って凄いと、改めて感じた。
 もうこれまで、長いあいだ僕は、一種のあせりを感じて来た。インターネットで「吃音」とタイプして検索すると、現れる画面には苦しくつらい体験記があふれている。いや別に、つらかった体験を書くのは構わない。むしろお奨めする。けれども、ひたすらつらい、苦しい、分かってほしいと訴えるメッセージを読んでいると、こちらの気持ちが塞がって来る。吃音を、避けるべきもの、隠すべきもの、治すべきもの、克服すべきものと、ひたすら攻撃するメッセージを読んでいると、何だか気持ちがすさんで来る。もっと違う見方があるのに、吃音は単に治療や克服の対象ではないのにと、僕は思い続けて来た。
 数年前に吃音関係図書のホームページを始め、やがて大阪スタタリングプロジェクトのホームページ管理を引き受けた。それでも、吃音治療を目指す声に満ちているインターネットの世界で、「吃音と向き合おう、吃音とつき合おう」と言う伊藤さんはじめ僕たちの声は、まだまだとてもか細いものだ。大阪吃音教室に通って、真剣に話し合ったり底抜けに笑ったりしながら、頭の隅ではこれまで、こんな今の日本の、いや世界の状況が、ずっと気に懸かっていた。何とか多くの人たちに、僕たちのメッセージを届けたい、と思いつつ、力量不足を感じて来た。「報道の魂」の初回は、そんな僕の長年の懸念を、一気に払拭するものだった。
 うわさに聞く斉藤道雄プロデューサーは、凄い映像をこの秋の深夜、関東の人たちに贈った。この番組を見て、僕たちにすぐに近付いて来る人は少数だろう。治そうとせずに向き合うという吃音とのつき合い方に、とまどいや反発を感じる人も多かろう。でも、こういう考え方もある、こういう考えで活動している人たちがいるというメッセージは、そんな人たちも含めた多くの人々に、やがて届いて行くだろう。そんな確信を、僕は持った。
 ところで、「報道の魂」の画面に、僕はある種のなつかしさを感じた。近頃のテレビ番組によくある、見るものの気持ちをあおるようなBGMがない。わざとらしい効果音がない。画面を覆う字幕がない。シンプルでいて、カメラの向こうの人物がストレートにこちらに語りかけて来る、見やすくて訴える力の強い番組になっていた。古いタイプの、でもとても新鮮な味わいのドキュメンタリーだと感じた。良質のものに触れた満足感を、味わえる番組だと思った。
(「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/30

斉藤道雄さんとの出会いのきっかけとなった《「弱さ」を社会にひらく》

 斉藤道雄さんとの、奇跡のような、不思議な出会いとなった、僕の記事を紹介します。
 大阪市内に、應典院(おうてんいん)というお寺があります。「ひとが集まる。いのち、弾ける。呼吸するお寺」が、應典院のキャッチフレーズでした。この應典院は、竹内敏晴さんの大阪定例レッスン会場として、竹内さんが亡くなる直前まで10年以上、そのほか、講演会や相談会など、日本吃音臨床研究会のさまざまな催しの場でした。大阪吃音教室の定例会場でもありました。
 その應典院の秋田光彦主幹が伊藤伸二にインタビューをした記事がTBSの斉藤道雄さんの目に留まり、新番組「報道の魂」につながったのです。
應典院寺町倶楽部のニュースレター「サリュ」のNO.43 2004.10.5発行 から紹介します。

  
「弱さ」を社会にひらく
      セルフヘルプとわたし
                 日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二さん


 少子高齢化社会を迎え、「弱さ」に目を向ける生き方が求められるようになりました。「弱さ」に目を向けるといっても同じ苦しみや境遇を癒しあうだけの、閉じこもった関係であってはなりません。自閉せずに「弱さ」を力にしてつながりあい、受容する社会を創造するには、どうすればよいのでしょう? また「弱さ」はどのように社会に参加することができるのでしょう? 「どもり」という「弱さ」を社会にひらき、同じ悩みを持つ人たちの支えとなる活動を40年間続けてこられた日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんにお話を伺いました。

互いを支えあうセルフヘルプ
 ぼくは子どもの頃から、ずっとどもりで悩み、孤独に生きてきました。それが、大学の時に初めて同じようにどもりに悩んできた人たちと出会い、自分の話を聞いてくれる人が横にいて、そのぬくもりと安らぎを感じる体験をしました。これは何ともいえない喜びでした。一度その感覚を味わうと、また一人ぼっちになるのは耐えられません。
 1965年、私はどもる人のセルフヘルプグループをつくりました。このグループでは同じように吃音に悩んできた人が集まり、支え合うだけではなく、自分の殻に閉じこもらないで、積極的に社会に出て行く活動をしました。当時は「セルフヘルプグループ」という言葉は日本に紹介されていませんでした。患者会や障害者団体はありましたが、その目的は生きる権利を主張したり、できれば「治す、改善」を目指しています。セルフヘルプというのは同じような体験をした者同士が支えあって、自分の人生を生きようということですから、治らないとか治せない、つまり簡単には解決しない問題をもっているというのが前提なのです。

配慮という暴力
 ぼくは、どもりの苦しみを同じように体験した人と出会うことで、ほっとしたり、力がわいてきたりという経験をしてきました。だから、子どもの頃に「ひとりぼっちじゃない」という経験をしてほしいと、16年前に始めたのがどもる子どもたちのための、吃音親子サマーキャンプです。毎年8月に開催して、全国から140名を超える参加があります。
 そこで16年、どもる子の親に接していますが、最初のころは、「うちの子はかわいそう、なんとかして治してあげたい」「どもりを意識させずにそっとしておいたほうがよいと指導された」「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という親がほとんどでした。それは親子を取り囲む社会全体、教師にも強くインプットされていて、子どもの欠点や弱さを指摘したらかわいそうだという、配慮に満ち満ちているからです。ぼくは「配慮の暴力」というのがあると思います。配慮が人を傷つけるということはいっぱいあると思うのです。
 そんな大人のこれまでの意識を変えて欲しいと、本を書いたり、発言したりしてきていますが、なかなか浸透していきません。インターネットの時代で簡単に情報発信ができるために、「どもり治療の秘策」みたいな劣悪な情報が増え、状況は40年前よりさらに悪くなっています。親は治るというメッセージや情報にすがりつきたいわけですから、飛びつきます。
 「どもりが治る」とはどういうことか。ぼくも実際はっきりわかりません。一般的にいうと、空気を吸うように何の躊躇もなく話せるというのが治るということでしょう。また、どもりながらでも、吃音に影響されずに自信を持って生きるというのも治ることだといえるかもしれません。今、ぼくは何も悩んでないし、どんな不自由もないし、どもりで困ることは100パーセントありません。だから、「伊藤さんは、治っているんじゃないか」と言われたらそうだけれども、それを治るといってしまっていいのかどうか。どもりながら「俺は平気だよ」というほうがいい。だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい。治る、治らないの二元論的な世界から違う見方を提示したのが、セルフヘルプの活動といえるのかもしれません。

弱さに向き合うこと
 だから何が何でも治そうということではなくて、どもりという欠点と言われるものや弱さは弱さのままでいいんだときちんと受け止められたら、社会でひとつの力になる。弱さの持っている強さを自覚できたら、弱さのままでも社会に出ていける。弱さはしなやかですから。これまでは「どもってかわいそう」と弱さの中の弱さを押しつけられたりしました。弱かった人間が強くなると周りから叩かれるという矛盾もありました。そうならないために、きちんと自分の問題を見つめることは大切なのです。
 例えば「どもって恥ずかしい」と思ったのは、一体なぜか?と自問してみる。それは周りの人から、どもるあなたは、こんなことはしなくていいよと配慮されたり、弱い立場を押しつけられたりしてきたことと関係があるのかもしれない。烙印(スティグマ)を押されてそこに安住させられてきた。弱さを自分で演じてきたこともあるでしょうね。それを明らかにしていくというのはある意味でつらい仕事だけれども、それに向き合うということをしないといけない。一人では難しいからセルフヘルプグループがあるんです。
 しんどいけれど一緒に向き合おう。それをしないとただ「そうだね、苦しいね、よくわかるよ」という表面だけの共感に終わってしまう。それだと本当の苦しさは超えられない。

失敗から学び、悩むことを恐れない
 今と違って、ぼくらの時代はがんばれば何かできるんじゃないかという希望がありました。今の子は悩んでいる感じはするけれども、悩み方がすごく下手になっている。悩み方のノウハウを教えるというのは変だけど、「お前の悩み方、変じゃないの」ということを言う大人がいてもいいんじゃないですかね。悩むチャンスを大人が奪っている。それも配慮ということなんでしょうね。失敗したらこの子はだめだと、失敗させないように何とかしないと、と言う。そうではなくて、むしろ失敗したほうがいい、悩んだほうがいいわけですよ。悩むことのなかに工夫があり、発見があり、気づきがあったりするのに、悩むことを恐れてしまう。これからの自分とか、なぜ生きているのか、そういう問いを発見するのも、若い人がもっと創造的に悩むことじゃないかと思っています。
 そのために、弱さに向き合うチャンスや場を、もっと大人が提供していかないといけないですね。向き合うということは苦しいけれども喜びもあり、発見もある。吃音親子サマーキャンプが成功しているのは、ぼくらがどもりながらでも楽しく過ごしている、その姿を子どもたちに見せているからです。大人がモデルとなるような生き方をし、人生の喜び、楽しさを提示することです。じかにふれあえて向き合う経験をさせる。そういう場を与えることが大人の役割じゃないかと思います。
         (「サリュ」應典院寺町倶楽部のニュースレターNO.43 2004.10.5発行)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/28

斉藤道雄さんの『メッセージ』

報道の魂DVD 2005年、斉藤道雄さんから送られてきた原稿を読んで、僕が涙が止まりませんでした。そして今、その原稿を読み返して、また涙が滲んできます。
 僕は、不思議な出会いをたくさん経験してきていますが、斉藤さんとの出会いもまたとても不思議な、奇跡のようなものでした。
 「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135 で紹介している、斉藤道雄さんの『メッセージ』を紹介します。

メッセージ
                     TBSテレビ報道局 編集主幹
                     TBSテレビ解説委員      斉藤道雄


 「ぼくは配慮の暴力というのがあると思います」
 小冊子のこのひとことに、僕は引きつけられた。
 配慮の暴力というのは、たとえば「子どもの欠点や弱さというものを指摘したらかわいそうだ」という親の思いこみからからはじまっている。あるいは、「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という「大人の意識」のことだ。そうした意識が、子どもが本来もっているはずの力を、押さえつけているのではないか。
 この問題のとらえ方には、なじみがある。そう思いながら、先を読み進んだ。
 話は、吃音者の生き方をめぐるものだった。
 「治るとはどういうことか。ぼくもはっきりわかりません。…だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい」
 治らないけれども自分らしく生きる、これもまた、なじみのメッセージではないか。
 だれだろうと名前を見ると、伊藤伸二とあった。
 伊藤さんは、大阪の應典院というお寺が出している機関紙「サリュ」の2004年秋号に載ったインタビュー記事(「弱さ」を社会にひらく。セルフヘルプとわたし。)で、吃音について、吃音をめぐる「配慮の暴力」について、そして吃音を治すということ、治るということの意味について語っていた。それを読み終えて僕は思った。ああ、いつかこの人に会ってみたいものだと。会って、話を聞きたい。そしてたしかめてみたい。伊藤さんがいっているのは、僕がかつて受け取ったあのメッセージのことですよねと。「サリュ」の一文は、夜空に打ち上げられた一瞬の花火のようなものだったけれど、僕はたしかにそれを見たし、そこに伊藤さんの存在を感じることができたのですよと。
 いってみれば、そのことを伝えるために、僕は今回の取材に取りかかったのかもしれない。配慮の暴力ということばに出会ってからちょうど1年後、僕は東寝屋川駅にちかいマンションの自宅に伊藤さんを訪ねていた。そこで話を聞き、資料をもらい、この秋からはじまる新番組の企画で、伊藤さんの取材をしたいとお願いしたのだった。
 それがたまたま、年に一度の吃音親子サマーキャンプの時期と重なっていたのである。キャンプには伊藤さんたちの仲間と吃音の子どもたち、それにその親が、全部で140人も集まるという。好機を生かすべく、僕はさっそくカメラマンとともに、キャンプ地である滋賀県の荒神山まで出かけることにしたのだった。2泊3日の短い期間ではあったが、おかげでじつに密度の濃い取材ができたと思う。突然のテレビの闖入で参加者にはずいぶん迷惑をかけたことだろうが、それにもかかわらず快く取材に応じていただいたみなさんには、ここであらためてお礼を申し上げたい。
 もちろん、吃音などという問題にはかかわったことがなく、キャンプにもはじめていくわけだから、取材できることはかぎられていた。しかしそこで子どもたちが真剣に話しあい、劇の練習をするところを見ながら、そしてまたインタビューをくり返しながら、サマーキャンプがどのような場であり、その場をつくりだしているのがどのような人びとなのか、そしてそこでなにが語られ、なにが起きているのかを、多少なりともつかみとることができたと思う。
 ひとことでいうなら、それは長い物語をもつ人びとの集まりだった。
 吃音がもたらす苦労と悩み、そして人間関係のむずかしさや社会との緊張は、他人がなかなかうかがい知ることのできない生きづらさを、吃音者にもたらしている。その生きづらさは、時間を経てこころの奥底に滓(かす)のように沈殿し、重さをもち、それぞれの物語をつくる下地となる。キャンプの参加者はみな、そうした滓や重さや経験をことばにして、あるいは仲間の語ることばに共鳴する形で、自らの物語を紡ぎだしていくかのようであった。
 たとえばスタッフとして参加していた長尾政毅さんは、小学校2年生のころは吃音がひどくて、話がほとんど会話にならなかったという。
 「友だちと話してるときに、やっぱり通じなかった記憶、ものすごいある。これ話したい、だけど一部分も話せずに去っていく、って経験がいっぱいあった」
 どもりをまねされ、からかわれ、「負けじとしながら、だいぶこたえて」いた。ふつうに話せないのが「ほんとにいやでいやで」、でもそれを認めたくないから「逆に強くなろうと突っ張って」いた。それだけではない。吃音を「隠そうっていうことを無意識に」しつづけていたから、表面的にはものすごく明るいいい子を演じていなければならない。そういう無理を重ねながら小中高と進んではみたものの、高校2年のある日、ついに合唱部の顧問の先生にいわれてしまう。「君は、ものすごい自分を出さない、こころを閉ざす子やな」と。
 それはそうかもしれない。しかし、じゃあどうすればいいのか、長尾さんは途方にくれたことだろう。吃音がもたらす厚い壁は、自分で作り出したものかもしれないが、それは作らざるをえなかった防壁であり、そのなかでかろうじて自分を維持できるしくみだった。なぜそうしなければならないのか、どうすればそこから脱け出せるのか、それは周囲ではなく、だれよりも本人が自分に向けなければならない問いかけだったろう。その問いかけに、当時の長尾さんは答えることができなかった。いまそれを語れるようになったということは、果てしない堂々めぐりのあげく、いつしか壁を抜け出していたということだったのではないだろうか。
 ここまでこられたのは、おなじ仲間との出会いが大きかった。そこで長尾さんは目を開かれ、新しい世界に入っていくことができたからだ。いまでは自分が吃音に対してどういう心理状態にあるかを把握し、整理できるようになったというから、克服したとはいえないまでも、吃音との関係を以前にくらべてずいぶんちがったものにしているといえるだろう。しかしそれでもまだ、こころの底に鍵をかけているところがあるんですよと、テレビカメラの前で率直に語ってくれた。
 その長い話は、まだ先へとつづくのである。
 最近、長尾さんはアルバイトで水泳のインストラクターをはじめるようになった。子どもたちに泳ぎ方を教えながら、「名前よぶとき、だいぶ詰まる」ことがあって、危ないときもあったが、「ごまかしまくって」なんとかやってきた。それが最近、仕事が終わったところで先輩にいわれてしまったという。お前、がんばってるな、だけど「これからは、どもらずにやろうな」と。それを「さくっと」告げられた経験を、苦笑いしながら話す胸のうちには、かなわんなあという思いと、どうにかなるさという居直りとが交錯していたことだろう。
 吃音をめぐる長尾さんの物語は、いまなおつづいているのである。いや、吃音者はみな、終わることのない物語を刻みつづけている。それは一人ひとり異なっていて、みなおどろくほどよく似た部分をもっている。
 サマーキャンプでは、そうした物語が無数のさざめきのように、ときに深い沈黙をはさみながら語りあわれていた。そうしたことばと沈黙のはざまで、参加者はみなそれぞれに考えていたことだろう。吃音とはなにか、吃音を生きるとはどういうことか、なぜそれを生きなければいけないのか、それはなぜ自分の課題なのかと。しかしそうした困難な課題に判で押したような答がみつかるはずもない。いやどれほど考えても、そもそも答はないのかもしれない。答がないところでなおかつ考えなければならないとき、人はほんとうに考えているのかもしれない。
 取材者としての僕は、そのまわりをうろうろしているだけだった。ただはっきり感じることができたのは、そこで語り、語られる人びとの集まりのなかに、たしかな場がつくられ、その場をとおしてさまざまなつながりが生みだされているということだった。それはおそらく、絆とよぶことのできるつながりなのだろう。その絆が、吃音をめぐる苦労と悩みから生みだされるものであるなら、そしてまた生きづらさをともにするところから生み出されるものであるなら、僕はそうした絆をすでにそれまでにも目にしていたと思う。それも一度ならず。すでに見たことがある、その場にいたことがあるという、なじみ深さをともなった記憶は、キャンプにいるあいだ、いや最初に伊藤さんのことばに出会ったときから、僕にまとわりついていたものだと思う。
 それはもう20年も前、先天性四肢障害児との出会いにさかのぼる記憶でもある。その後のろう者とよばれる人びととの出会いと、そしてまた精神障害をもつ人びととの出会いにくり返し呼び覚まされた記憶なのだ。その核心にあるのは、自分ではどうすることもできない生きづらさを抱え、苦労し、悩みながらその経験を仲間と分かちあってきた人びとの姿なのである。彼らがみなそれぞれにいうのは、「そのままでいい」ということであり、「治さなくていい」ということであり、「どう治すかではない、どう生きるかなのだ」ということなのである。
 たとえばそれは、北海道浦河町の「べてるの家」とよばれる精神障害者グループの生き方であった。
 彼らとかかわってきた精神科ソーシャルワーカーの向谷地生良さんは、精神病の当事者に、はじめから「そのままでいい」といいつづけてきた。精神病はかんたんに治る病気ではないし、かんたんに治らないものを治せといわれつづけることは、その人の人生をひどく貧しいものにしてしまう。そうではない、病気でもいい、そのままで生きてみようと向谷地さんは提案したのである。そのことばで、どれほど多くの当事者が救われたことだろうか。彼らの多くは、病気は治らなくても生きることの意味を探し求めるようになり、妄想や幻覚は消えないのにむしろそれを楽しもうとさえしている。
 おまけにそこには、川村敏明という奇妙な精神科医がいて、「治さない医者」を標榜し胸を張っている。医者が治そう治そうと必死になったら、患者は服薬と闘病生活を管理されるだけの存在になってしまう。それがほんとうに生きるということだろうか。川村先生はそういいながら、患者を診察室から仲間の輪のなかにもどすのである。もどされた患者は病気の治し方ではなく生き方を考え、お互いに「勝手に治すな、その病気」などと唱和している。
 そこには、「この生きづらさ」をどうすればいいのかと、深く考える人びとがいる。その生きづらさは、それぞれが自ら引き受けるしかないものであり、だれもその生きづらさを代わって生きることはできないという、諦念というよりは覚悟ともよぶべき思いが共有されている。ゆえに浦河では苦労をなくすのではなく、いい苦労をすることが求められ、悩みをなくすのではなく、悩みを深めることが奨励される。みんながぶつかりあい、困難な人間関係を生きながら、しっかり苦労しよう、悩んでみようと声をかけあいながら、すべての場面で笑いとユーモアの精神を忘れない。彼らの生き方そのものが、ひとつのメッセージとなっている。
 そういう人びとを取材していると、さまざまなことが見えてくる。
 そのひとつが、当事者の力というものだ。
 「べてるの家」は、いまや全国ブランドといわれるほど有名になったが、見学者はそれがソーシャルワーカーや精神科医のつくりだしたものと勘ちがいしてしまうことがある。しかし浦河で真に状況を切りひらき、暮らしを築いてきたのは精神障害の当事者たちであった。生きづらさを抱え、苦労と悩みを重ねてきた彼らが仲間をつくり、場をつくり、自らの経験をことばとして物語にしてきたのである。
 まったくおなじことが、吃音親子サマーキャンプについてもいえるだろう。
 伊藤さんをはじめとするスタッフは、もう15年あまりこのキャンプにかかわっているという。そこでどれほどたくさんの子どもや親が救われたことだろう。けれどもしこのキャンプが、吃音の子どもたちを守り、助けることだけを考えていたのであれば、これほど豊かな場をつくりだすことはできなかったはずだ。その豊かさは、使命感に燃えるリーダーがつくりだしたものではなかったのだ。
 キャンプになんどか参加した中学生の宮崎聡美さんや松下詩織さんは、ともに吃音でもいい、治さなくてもいい、あるいは治したくないとまでいっている。中学生でそこまでいえるのはすごいことだし、そういえるまでにはいろいろな苦労や悩みがあったことだろう。そのいい方は、これからも揺れたり変わったりするかもしれない。しかしふたりがこのキャンプで変わったということは、まぎれもない事実なのだ。灰谷健次郎がいうように、変わるということは学んだことの証でもある。子どもたちはキャンプにきて、確実に生きることを学んでいる。そして彼らが、だれに教えられるのでもなく自ら学び、変わっていくということ、そのことが伊藤さんを支え、そしてまたキャンプにきたみんなを支え、動かす力になっている。
 あなたはひとりではない。あなたはそのままでいい。そしてあなたには力があるという、そのことばは、伊藤さんが子どもたちに送るメッセージであるとともに、子どもたちが伊藤さんに送るメッセージでもあるのだと思う。

斉藤道雄
 1947年生まれ、慶應大学卒業、TBS社会部・外信部記者、ワシントン支局長、「ニュース23」プロデューサー、「報道特集」ディレクターを経て、TBSテレビ報道局編集主幹。
著書『原爆神話五十年』中公新書1965年
  『もうひとつの手話』晶文社1999年
  『悩む力 ベてるの家の人々』みすず書房2002年は、講談社ノンフィクション賞受賞

 ―べてるのいのちは話し合いである。ぶつかりあい、みんなで悩み、苦労を重ねながら「ことば」を取り戻した人びとは、「そのままでいい」という彼らのメッセージを届けにきょうも町へ出かけている。―『悩む力』より


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/27

場の力

 2005年秋、TBSのディレクターである斉藤道雄さんが新しく始められた番組「報道の魂」、その初回に取り上げられたのが「吃音」でした。取材を通してたくさんのことを語った僕は、斉藤さんに、原稿をお願いしました。「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135 の巻頭言は、原稿を寄せてくださった斉藤さんへの僕からの返信の形をとっています。
 今、自分で読み返してみても、温かく、大きな力を得て、胸が高鳴るような喜びを感じているのが伝わってきます。斉藤さんは、今も「スタタリング・ナウ」を読んでいてくださるし、ときおり、自分の知り得た吃音の情報を知らせてくれます。バイデンが大統領選挙を戦っているときの記事を紹介してくださったのも斉藤さんです。
 人と人とのつながりの不思議さを思わずにはいられません。
 タイトルの「場の力」、吃音親子サーキャンプだけでなく、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会にも大阪吃音教室にも、場の力を思います。人が出会い、語り、聞き、つながる、そんな場の力に支えられ、これまで僕は生きてきたのだとしみじみと感じています。

 
場の力
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


斉藤道雄様
 「勝手すぎる書き方かもしれず、ご希望に添えなかったかもしれません」の前置きの後、「メッセージ」と題した力のこもった文章を一気に読みました。読み進み、涙がにじんできました。ここに私たちを深い部分で共感し、理解して下さる人がいる。大きな力強い援軍を得た、そんな気がしました。うれしい原稿ありがとうございました。
 長い時間カメラが回っていました。吃音親子サマーキャンプの2泊3日間、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室、さらに私の自宅や大阪教育大学にまで来て下さいました。かなり大量の取材テープだったことでしょう。私もインタビューでいろんなことを話したように思います。
 取材に来られた日の大阪吃音教室は、今秋の吃音ショートコース、「笑いとユーモアの人間学」の前段階として、自分の吃音からくる失敗やかつては嫌だった体験を笑い話として笑いとばす講座でした。笑いやユーモアについて考える時間であるため、大きな笑い声に満ち満ちていました。斉藤さんに代わって取材に来られた方が、予想をしていた内容、雰囲気とは全く違うと本当に驚いておられました。編集作業が始まった頃、斉藤さんからも「どの部分を切り出しても、伊藤さんたちの笑いや明るさが際だっている。吃音に悩む人にこのまま紹介したら、どのようなことになるか、ちょっと心配もあります。でも、本当のことだし…」といったような内容のメールをいただいていました。苦労をしながらの編集作業だったと推察します。
 「報道の魂」は、私たちの明るさよりもむしろ吃音に悩む人々への思いに満ちていました。どもる人のもつ苦しみと、苦しかったからこその明るさを表現して下さっていたように思います。
 世界の日本の吃音臨床・研究の主張は依然として「吃音の治癒・改善」を目指しています。私たちの考えや実践は少しずつですが理解されるようになり、仲間も増えました。しかし、少数派であることに変わりはなく、時に大きな壁、流れに空しさを感じることもあります。そんな時、いつも私たちを励ましてくださるのは、不思議なことに言語障害の研究や臨床にあたる人々よりも、今回のように、違う領域で活動をされている方々です。
 以前、NHKの海外ドキュメンタリーで「もっと話がしたい、吃音の克服への道のり」という番組がありました。吃音が改善され、幸せになった、だから、「吃音は治る、改善できる」というような内容だったように記憶しています。今回、メディアを通し、あのような切り口で吃音が扱われたのは恐らく世界でも初めてのことではないでしょうか。「どもっていても大丈夫」「吃音に悩むことにも意味がある、悩んだからこそ今がある」という私が伝えたいことのほとんどは、あの番組の中で、私以外のどもる人や子どもたちも語っていました。本当によく切り出して下さったと感謝しています。
 「どもりは差別語か?」の問いかけに対する高校生たちの意見。話し合いをしたこともないテーマに、自分のことばで自分の意見を語る子どもたちに、本当にびっくりしました。私たちが考えている以上に子どもたちは育っていました。子どもたちのすごさに驚き、誇りに思えました。
 斉藤さんが最後に書いて下さったように、あの映像から私が一番勇気づけられました。私が主張し活動してきたことは間違いではなかった。あんなに大勢の子どもや親やどもる人たちが私に、「これまで言ってきた、そのままでいいんだよ」「あなたはひとりじゃない。大勢の仲間がいる」「あなたには、40年も継続してきた力がある」このメッセージを送ってくれたんですね。また、斉藤さんがこれまで取材されてきた、先天性四肢障害の人、ろう者、べてるの家の精神障害者と斉藤さんを通してつながることができました。私の主張は何も奇をてらったものでも、非現実なことでもなく、人がそれぞれに豊かに生きていくためのキーワードなのですね。 これからも、私たちの考えや活動を見守って下さい。ありがとうございました。出会いに感謝します。伊藤伸二

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/26
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