伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

平井雷太

報道の魂〜番組に込めたもの、番組を観た人の感想〜

 今日は、6月30日。今年の半分が終わろうとしています。時間が経つのが、怖ろしく早いです。7月には、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、8月には、吃音親子サマーキャンプと続きます。どちらも、参加申し込みが届き始めました。出会いを楽しみに、準備を進めています。

報道の魂DVD さて、斉藤道雄さんと出会うことになったきっかけの文章を紹介しました。最後に、もう一度、「報道の魂」という番組に戻ります。言語障害の分野では少数派の僕ですが、こうして、他の領域、ジャンルでは、深く理解し、応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます。そのことに力を得て、歩き続けてきました。
 「報道の魂」に対する斉藤さんの思い、毎日新聞の記者である荻野祥三さんの文章、そして、番組を観た2人の感想を紹介します。

◇斉藤さんから周りの人たちへのメール
 この秋から、ささやかに新番組をはじめることになりました。初回放送は以下のとおりです。
   番組名「報道の魂」   内容「吃音者」
   10月17日(月曜日)午前1時20分〜50分
   放送エリア 関東地区のみ(関東以外のみなさん、申し訳ありません)
   以下は、番宣コピーです。
 しゃべるという簡単なことが、簡単にはできない。それが、吃音者の悩みだ。しかしほんとうの悩みは、吃音を見る「まなざし」のなかにある。当事者を、時には鎖のように縛りつけているこのまなざしは、「治さなくてもいい」といった瞬間に瓦解する幻影かもしれない。どう治すかではない、どう生きるかだという吃音者、伊藤伸二さんを取材した。
 おそろしく地味な番組です。時間もよくありません。このメールをお送りしているほとんどのみなさんは、こんな時間に起きてはいらっしゃらないとよく知っています。でも、こんな時間だからこそ、まるで解放区(古い!)のように、視聴率を考えずに(!!)ドキュメントを作ることができました。ので、よろしければ録画してご覧ください。伊藤伸二さんという、すてきな吃音者と、その仲間たちに出会えます。斉藤道雄

◇ブロードキャスト 深夜の「報道の魂」=荻野祥三
 「泥つき大根の青臭さを感じさせる番組です!」。新番組の資料にそう書かれている。TBSで16日の深夜(17日午前1時20分)からスタートする「報道の魂」である。「魂」とは、また古風な。
一体どんな中身なのか。

 1回目のテーマは「吃音(きつおん)者」。吃音とは「物を言う際に、声がなめらかに出なかったり、同じ音を繰り返したりする」などと辞書にある。番組は、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんの独白で始まる。「国語の時間が怖くて、学校に行けなくなった……」。ナレーションが「伊藤さんは吃音者、つまり、どもりである」と続ける。
 「どもり」は、通常はテレビでは使わない言葉だ。新聞でも「気をつけたい言葉」とされ「言語障害者、吃音」と言い換える。ただし「差別をなくすための記述など、使わなければならない場合もある」とも「毎日新聞用語集」に書かれている。番組の中では、ある吃音者が「意味は同じなのに、どもりを吃音と言い換えることで、かえって差別されている感じがする」と語っている。
 伊藤さんは大阪を中心に、さまざまな活動をしている。その精神は「どもりを隠さず、自分を肯定して、明るく前向きに生きること」にある。吃音の子供たちを集めたサマーキャンプでは、子供たちが同じ仲間たちと話して、心が解き放たれていく様子がうかがえる。
 登場する全員が「顔出し」。モザイクをかけずに自分を語る。タイトル以外には、音楽も字幕もない。一カットが長く、じっくりと話を聞ける。画面をおおう青やピンクの字幕。けたたましい効果音。そして、長くても15秒ほどで次の人に代わるコメント。そんな「ニュース・情報番組」を見慣れた目には、粗削りな作りに見える。だから「泥つき大根」なのかと納得する。「報道の魂」は月1回の放送。それにしても「今なぜ?」。来週もこの話を続ける。
                  毎日新聞 2005年10月15日 東京夕刊

◇◆◇◆◇番組をみての感想◇◆◇◆◇
  「できないこと」でつながる
                    平井雷太(セルフラーニング研究所代表)
 今は10月17日の午前2時。1時20分からの30分のドキュメンタリー番組『報道の魂・吃音者』を見たところです。伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)から、この番組のことを聞いたのですが、ディレクターは私が「ニュース23」に出演したときと同じ、斎藤道雄さんでした。
 斎藤さんは、精神障害者の作業所「べてるの家」や聴覚障害の報道に取り組まれていた方ですが、應典院(大阪市)というお寺が出している小さな冊子(私も登場したことがある)に掲載されていた伊藤さんへのインタビュー記事を偶然に読まれて、今回のドキュメンタリー番組の製作になったということでした。
 つい最近、伊藤伸二さんが主催する2泊3日の「第11回吃音ショートコース―笑いの人間学―」の合宿に参加してきたばかりなので、出演されていた方は会ったことのある方がほとんどでしたが、圧巻だったのは、そこに登場していた子どもたちでした。
 今年の夏の吃音親子サマーキャンプで、そこに参加していた子どもたちは、テレビカメラに顔をさらしながら、じつに堂々と、自分の吃音体験を赤裸々に語っていたのです。困っていることや悩みがあっても、それを明るく語っているのですから、いままで見たことがない子どもたちの姿に驚きました。そして、以前、観た「べてるの人たち」の映画のなかで、「分裂が誇りだ」と語る人がいましたが、私はべてるの映画を観た次の日から、人前で、自分がそううつ病体験を語るようになっていました。もし、私が子どものときに、今回のこの「吃音者」の映像を観ていたなら、人前でもっと早い時期に私の吃音体験を語るようになったでしょうか?わかりません。とにかく、私が人前で自分の吃音体験を語るようになったのは、50歳すぎて伊藤伸二さんに会ってからですから、自分の問題を語ることで、自分の深いところを見つめ、人は人になっていけるのだとしたら、吃音であることは本当はめぐまれたことなのではないかとさえ思わせるような映像になっていました。
 また、このキャンプは16年続いていて、それに出続けてきた子どもたちのうち、高校3年生の4人が卒業ということで、キャンプの最終日にみんなの前であいさつをしている場面がありましたが、18歳の青年が泣きながら話しているのです。感動が伝わってきましたから、こんな映像が吃音でない子どもたちにさりげなく届いたらいいのにと思いました。それにしても、子どもと大人で、こんなに長期にわたって関係を持ち続けることができるのも、吃音が媒介になっているからなのでしょう。また、このキャンプには参加している大人のなかにも吃音者がたくさんいましたから、吃音者と吃音を治す人という関係がないのも、子どもが自分を語りやすい雰囲気を醸しだしているのだと思いました。
 「できること」でつながる関係よりも、「できないこと」でつながる関係のなかにこそ、「安心」の二文字が潜んでいるような気がします。(月刊「クォンタムリープ」の考現学)

  あらためて感じる、映像の力
                     西田逸夫(大阪吃音教室 団体職員)
 「報道の魂」の初回を見た。サマーキャンプの子どもたちの、元気な笑いと暖かい涙を見た。伊藤さんが爽やかな笑顔で、吃音で悩んだ日々の記憶を語るのを見た。これをテレビの前で、多くの吃音者や、吃音の子どもを持つ親たちが見たんだろうな。これからも、口コミでこの番組のことを知った人たちが、録画を探して見るんだろうな。そんな風に思うことで、大きな安堵が僕の胸に広がった。映像の力って凄いと、改めて感じた。
 もうこれまで、長いあいだ僕は、一種のあせりを感じて来た。インターネットで「吃音」とタイプして検索すると、現れる画面には苦しくつらい体験記があふれている。いや別に、つらかった体験を書くのは構わない。むしろお奨めする。けれども、ひたすらつらい、苦しい、分かってほしいと訴えるメッセージを読んでいると、こちらの気持ちが塞がって来る。吃音を、避けるべきもの、隠すべきもの、治すべきもの、克服すべきものと、ひたすら攻撃するメッセージを読んでいると、何だか気持ちがすさんで来る。もっと違う見方があるのに、吃音は単に治療や克服の対象ではないのにと、僕は思い続けて来た。
 数年前に吃音関係図書のホームページを始め、やがて大阪スタタリングプロジェクトのホームページ管理を引き受けた。それでも、吃音治療を目指す声に満ちているインターネットの世界で、「吃音と向き合おう、吃音とつき合おう」と言う伊藤さんはじめ僕たちの声は、まだまだとてもか細いものだ。大阪吃音教室に通って、真剣に話し合ったり底抜けに笑ったりしながら、頭の隅ではこれまで、こんな今の日本の、いや世界の状況が、ずっと気に懸かっていた。何とか多くの人たちに、僕たちのメッセージを届けたい、と思いつつ、力量不足を感じて来た。「報道の魂」の初回は、そんな僕の長年の懸念を、一気に払拭するものだった。
 うわさに聞く斉藤道雄プロデューサーは、凄い映像をこの秋の深夜、関東の人たちに贈った。この番組を見て、僕たちにすぐに近付いて来る人は少数だろう。治そうとせずに向き合うという吃音とのつき合い方に、とまどいや反発を感じる人も多かろう。でも、こういう考え方もある、こういう考えで活動している人たちがいるというメッセージは、そんな人たちも含めた多くの人々に、やがて届いて行くだろう。そんな確信を、僕は持った。
 ところで、「報道の魂」の画面に、僕はある種のなつかしさを感じた。近頃のテレビ番組によくある、見るものの気持ちをあおるようなBGMがない。わざとらしい効果音がない。画面を覆う字幕がない。シンプルでいて、カメラの向こうの人物がストレートにこちらに語りかけて来る、見やすくて訴える力の強い番組になっていた。古いタイプの、でもとても新鮮な味わいのドキュメンタリーだと感じた。良質のものに触れた満足感を、味わえる番組だと思った。
(「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/30

気がつくと、先の見えないことばかりやっています。〜仕事とは、『旅』を続けること〜 3

 新鮮な気持ちで、この21年前の話を読みました。聞き手の興味・関心によって、思わぬ自分が引き出されるのだなあと思います。平井雷太さんとの出会いも、とてもありがたいことでした。いろいろと話をして、刺激をたくさん受けました。本当にたくさんの人に出会ってきたなあと、感謝の気持ちでいっぱいです。
 「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 に掲載された文章、今日が最後です。

>気がつくと、先の見えないことばかりやっています。
      〜仕事とは、『旅』を続けること〜
                 伊藤伸二+平井雷太+飯島ツトム(CO-WORKS代表)
                 2003年11月29日セルフラーニング研究所にて

◇チャレンジャーとして、「ひとり・ひとり」が平等な世界
「学び」のプロセスを公開していきましょう!

伊藤 僕は、言語聴覚士養成の専門学校で教えています。大学を卒業してから2年間の研修ですが、多くの人が「私は全然自信がない…。自分をあまり好きになれないし、こんなに弱い人間がスピーチセラピストとして、専門職者として、障害のある人たちと関われるか、すごく不安だ」と言うんです。「だから、いいんじゃない」と、僕は言うんです。つまり、「自分は駄目な人間だ」って自覚していたら、それでいい。上から、治療してやる、教えてやるではなくて、患者さんと、または子どもと一緒に取り組めばいい。病気や障害があるとつい自分が嫌いになったりすることがある、一緒に自分が好きになれたら、一緒に対等の立場で取り組める。そう言うんですけど。

平井 それは、『らくだ』で言えば、教師が、『らくだ』のプリントをやり始めると、いいんですよ。親が『らくだ』のプリントをやり始めるのも…。

伊藤 いいですね。「お父ちゃんお母ちゃんは、やれないじゃないか」って。

平井 そう。全然やれなくなるんですよ、大人の方が。そうすると、子どもがやっていることも理解できる。たとえば、『100マス計算』と『らくだ』と何が違うかというと、『らくだ』の場合には、できる子もできない子も、要するに成績がいい子も成績が悪い子も、やっているところは、全部自分に「ちょうど」の所をやっているから、「できない」という意味で平等なんですよ。

伊藤 なるほど。面白い!

平井 その子にとって、その人にとって、ものすごく大変な事をやるのが、「大変」というレベルで一緒なんです。その人に「ちょうど」の所をやることが、平等なんです。「先に進むことが偉いこと」では、全然ないんです。

伊藤 そうですよね。

平井 ええ。「その子が課題を選んでやる」、「できないところにぶつかる」ということが、すごく大事。だから、できないことを受け入れる『練習』をしている…。

伊藤 『練習』というのがいいですよね。僕は、「できないことはできない」と認めて、受け入れる『練習』というのが、どもりで悩んだことを通してできてきました。練習をしてきたおかげで、他の病気とも上手につきあえるようになりました。「そのままでいい」ということはそうなんだけど、『練習』によって身につけていけることもいっぱいあると思うんです。それで、僕はいろんな『練習』をしてきたな、と思います。

飯島 僕は「常にチャレンジをしている」というのが、とても大事なことなのかな、と思っているのです。平井さんの話と共通したのは、「チャレンジャーとして平等だ」ということですよね。

平井 そうですね。

飯島 日本は、あまりチャレンジャーをティーアップしない文化だと思っていました。伊藤さんが『吃音の世界大会』の第1回目、つまり、非常にそそっかしくも、第1号に手を挙げて始めちゃった。そういう人は、日本では、「そそっかしい、無謀にも何かを始めた人」になるけれども、たぶん世界の基準で言うと、一番初めにそれを開いた人というのは、とっても価値が高いんですよね。

伊藤 そうらしいですね。18年も前のことなのに世界ではいまだに評価してくれます。日本じゃ、全然駄目ですけどね。

飯島 だから、そういうことは、やっぱり世界の見方のほうが、僕は好きなんです。僕も学生時代に1回飛行機を作って飛ばしたのですが、日本の航空局もやはり何にも評価しないし、学生が飛行機を飛ばしたなんて、無かったことにした。だけど、アメリカの『航空機年鑑』には僕らが作った飛行機が載っているんです。さっき言った、日本の社会というのは、そういうところが多分にあると思うので、自分が良いと思うところにどんどん行けばいいな、と思いました。僕は、今、企業の、本当の意味での『リストラ』をやっているのです。実は、僕たちがあるべき社会から企業はみんな引きこもっている、と。自分たちの利益のためにいろいろやっていて、企業は社会に背を向けて引きこもっていたんですね。僕らが、望ましい、本当の意味で社会と共生していくような、というのは、たぶん、僕は『セルフラーニング』の世界だと思うし、みんながティーアップしない世の中であるけれども、そういうことを大切に育てていければいいな、と思います。
 それで、伊藤さんの話も平井さんの話も、むしろ企業の皆さんが引きこもっている訳ですから、どんどんそういう場面でお話いただくと、普遍的な話になるかな、と思いました。人間が誰しも最終的なところで出会うことじゃないですか、「できない」とか、「障害がある」とか、は。だからこそ普遍的な意味を持っているのではないのかな。逆に言うと、今までの体験が全部、人に対して光を投げかけることになっているのかな、と、今日改めて思いました。そして、そこがたぶん、分からないながら始めても、物事がはっきりしていく秘密のひとつなのかなあ、というふうに…。

伊藤 そうですね、僕は『プロセス』というのが一番大事だと思うんです。そういう『プロセス』をやはり僕たちは出していかないといけないと思います。その『プロセス』が面白いですよね。この作業を今までおろそかにしてきたのだろうと思います。悩んだり苦しんだりする『プロセス』の中で、学んだり気づいたりしてきたことがいっぱいあるのに、「解決した」とか「克服した」とか、そこばかりに注目してしまうような…。途中のプロセスで、揺れ動いたり、悩んだりしますね。そんな一直線にいく訳ありません。ある意味では、人が、その『プロセス』を出そうとすることは、傷ついたり嫌な思いをするかも知れないけれども、それはそれで一つの『プロセス』だし、一つの『経験』だと思うので、それを出していけたらいいな、と思いました。

平井 『プロセス』に注目せず、結果ばかりに関心を向けたことで、おかしくなったのが、教育ですね。「基礎学力をつけなければ…」と考えると、目先の点数を上げることばかりに一生懸命になってしまう。それを指示・命令でやらせられるわけですから、言われたことはやっても、言ってくれる人がいなくなると、何もしない子どもになるのでしょう。
 そこで、結果ではなく『プロセス』に、つまり、学び方に関心を向けたのが、『教えない教育』です。「指示・命令で子どもを動かさない」と決めただけで、それをしないからこそ、子どもは自発的に学ぶ、というのは、本当に発見でした。(「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/12

気がつくと、先の見えないことばかりやっています。〜仕事とは、『旅』を続けること〜 2

 月刊セルフラーニング『Co:こぉ』の2004年6月号に掲載された、僕と平井雷太さんと飯島ツトムさんとの鼎談というか放談というかを、今、読み直してみて、こんなこと、あったんだというのが正直な感想です。すっかり忘れていました。僕は、同じようなことを話していますが、話す相手が違うと、少しずつ展開が違い、広がっていきますね。ここでは「旅」がひとつのキーワードになっています。
色紙 旅 旅といえば、大学生のとき日本一周をしたことを皮切りに、あちこち旅をしてきました。放浪癖があるのではというくらい、今でも旅が好きです。いつだったか、どこだったか、旅先の無人のお店で「旅」という色紙、誰が書かれたものか分かりませんが、買い求めました。僕の旅好きを物語っているようです。

 昨日のつづきです。「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 に掲載された文章を紹介します。



気がつくと、先の見えないことばかりやっています。
      〜仕事とは、『旅』を続けること〜
                 伊藤伸二+平井雷太+飯島ツトム(CO-WORKS代表)
                 2003年11月29日セルフラーニング研究所にて


◇「理論」を離れ、「リアル」に触れる旅に出る

伊藤 僕の人生の中で考えてきた、「どもりの生き方」というか、「どもってもいい」という生き方が、果たして他の人にも受け入れられるかどうか、北海道から九州まで全国38会場で、相談会・講演会をしました。

平井 どれくらいの期間でですか?

伊藤 3ヶ月くらいです。今日は帯広、明日は札幌…と。旅巡業みたいなものです。

平井 それはいつ頃ですか?

伊藤 大阪教育大学に就職をして、助手の時代です。まだ講師ではないので、講義を持たなくてもいいですから、自由に動けたんです。

平井 何歳の時に?

伊藤 29か30かな。そんな若くても、やはり田舎のほうでは「大阪教育大学の伊藤伸二が来る!」と言ったら、それなりに「おお、大学の先生が来るのか」という事で人が集まってくれます。新聞社やNHKが宣伝をしてくれました。でも、何の計画もなしに、出発するんです。僕の研究室に研究生が一人いて、連絡を取りながら、相談会を組み立てていくんです。「帯広が終わった。じゃ、札幌に電話してくれ!」と。そうすると、札幌の『ことばの教室』の教師たちが会場を設営してくれる。「次は、青森の八戸でやるから、八戸で誰か協力してくれる人はいないか、当たって欲しい」。今考えたら、無謀も無謀ですね。計画なしのゆきあたりばったりなんですから。でも、それが、35都道府県38会場で開くことができたんだから、おもしろいですね。

平井 でも、それも、吃音のおかげですよね。『吃音ネットワーク』じゃないですか?

伊藤 はい。そんな事ができたというのが、今考えてもすごく面白いです。「どもりはどう治すかではなくて、どう生きるかの問題だ」という、私の経験から得た一つの結論の検証の旅ですが、どもりで悩んでいる人だけでなく、どもりながら平気で生きている人とたくさん出会いました。これは、全国を行脚した最大の収穫です。僕は、自分自身がどもりに深刻に悩んできたし、どもりに悩む人の話ばかりを聞いてきたから、「どもりであれば悩むはずだ」と信じて疑わなかったんです。僕は幸いセルフヘルプグループをつくって、いろんな人との出会いの中で、どもっていても平気で生きられるようになってきた。ところが、吃音の勉強もしてなくて、グループに参加もしてなくて、もちろん治療も受けなくても、普通のおっちゃん、おばちゃんが、平気でどもりながら生きてるんですね。じゃあ、僕の主張もまんざら間違いではないなあと思えた訳です。この、どもってはいるけれど悩んでいない人との出会いは、ひょっとしたらコペルニクス的な新しい発見でした。
 これは、僕が、全国を検証して行く『旅』に出たから知ることができたことであって、理論的に頭の中で「どもっていても、平気でいる人がいるではないか」と言うのとは、全然違う。そこで出会った人たちの話を聞いて、「ああ、そうか。人は、こういうふうに変わっていくのか」と、自分の体験と重なったんです。例えば、町役場の助役になった人が、助役になった事で答弁をしなくてはならない。それで、ノイローゼになる。その助役が、ふと気がついて、「そうだ、どもりを隠そうとするから、上手にやろうとするから、ノイローゼになるんだ。自分は、どもりなんだから、どもって答弁してやろう」と思う。そして、答弁の前に「私はどもりで、みんな聞きにくいかも知れないけれども、いつでも質問してくれ」と言い、そこからスタートしたら、嘘みたいにどもりの悩みが消えた。そんな話をいっぱいいっぱい聞いたんです。

平井 やはり、「情報を収集した」というのは、大きいですよね。

伊藤 学者や研究者が、研究室の中で、理論的に、「吃音を受け入れる」とか、「自己受容」とか、そういうことを言うのとは、全然違う。出会った人たちが、自分のどもりとどう出会い、どう乗り越えてきたかという事を3ヶ月にわたって検証して来た訳だから、出会った人の顔が浮かんできます。これは、やっぱり、「情報収集」ですよ。

飯島 逆に言うと、わずか3ヶ月でリアルに触れられる、ということですよね。やろうとすれば。

平井 そう。連日、「何なんだ、これは!」みたいなことが連続する訳です。見えないことが見えてくるんですよね。

飯島 そういうことが、今の学校も含めて、みんなぶつ切りですよね。だから、分からない。リアルに触れる、までいかないですよね。

伊藤 そうだと思います。連続というのは、すごくいいですよね。

飯島 だから、「全部つながっているんだ」ということも分かるんでしょう。僕も若い頃にヨーロッパを旅行したことがあります。そうすると、日本では、アジアとイスラムとヨーロッパは違う、と教えられるじゃないですか。歩いてみると、「基本的には、あまり変わりがない」というふうに、リアルに思う。「国境なんかない」ということもリアルに思うし。集中してやることが一番リアリティーを実感できます。もちろん、フィールドワークも、少しずつ自分の中に…。

平井 たぶん、普段の生活の中からストップアウトすることに意味があるんですよね。「離れる」というか、「居る場所から離れると、居た場所が見えてくる」というのがあるんでしょうね。

伊藤 そうだと思います。大学の研究室にだけ居たのでは、絶対見えてこない。そこを飛び出すことによって、見えてきたのでしょう。

平井 それに、行ってみないと、予定が立たないですよね。

伊藤 そうだと思います。とりあえず、フッとした思いつきで行ってみるという。

平井 「予定がない」というか、「先が見えない」ということですね。それに、『旅』のメリットは、やっぱり困ることなんじゃないんですか?明日どこに行くか決めなきゃならないし…。「決めること」の連続ですよね。

伊藤 そう「一瞬の判断」。でも、先の見えないことばっかり、僕はやっているような気がします。セルフヘルプグループを創ったのも、世界大会を開いたのも、です。

飯島 だから、『旅』になるんですよね。

平井 今もまだその続き…みたいな。

伊藤 その続きみたいなものですよ。だって、『吃音の世界最初の国際大会』にしても、それが本当に開くことができるかなんて誰にも分からないわけですよ。当時は、どこの国にどもる人のセルフヘルプグループがあるのか、という情報さえなかった。だけど動き始めたら、情報は入って来るんですよ、不思議と…。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/11

気がつくと、先の見えないことばかりやっています。〜仕事とは、『旅』を続けること〜

 平井雷太さんとの出会いは、たまたま図書館で手にした詩集の中にあった「やさしさ暴力」の詩でした。その後、平井さんに来ていただき、私たちの集まりで話してもらったり、インタビューゲームの合宿をしていただいたりしました。また、私も平井さんの集まりに行って、話をさせてもらったりして、いろいろな機会にたくさんの話をしたと思います。平井さんと僕には、共通する部分も多いのですが、違う部分もあり、お会いするたびに新しい発見があります。 2003年11月に、セルフラーニング研究所で話したことが、月刊セルフラーニング『Co:こぉ』の2004年6月号に掲載されました。編集委員会の許可を得て、「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 に転載したものを紹介します。

気がつくと、先の見えないことばかりやっています。
      〜仕事とは、『旅』を続けること〜
                 伊藤伸二+平井雷太+飯島ツトム(CO-WORKS代表)
                 2003年11月29日セルフラーニング研究所にて


◇「お金」・親からの自立

伊藤 僕にとって、父親・母親は、随分ありがたい存在でした。中学、高校のころ、僕は、勉強はしないし、警察や学校からは呼び出されるし、本当にどうしようもない人間でした。今で言うところの非行少年でした。ところが、母親も父親も僕に、責めるような、非難するようなことは何も言わなかったんです。
 僕が、やっと就職したのは29歳です。今でこそ『フリーター』とか言われていて、そんな人は多いけれど、大学を卒業したらみんな就職する時代に、大学はふたつの学部に行って、いつまでたっても、まともな仕事に就かずにブラブラしている僕に、親は「お前、ちょっとええ加減にせえよ。大学を卒業して何年になるんだ? ちゃんとした所で働いたらどうか?」と、言わなかったんです。
 僕のことをあきらめて、もうどうしようもないと思って見捨てていたのか、それとも僕を信じ切っていたのか、それは分かりませんが。

平井 すごいですね。信じ切っていたんですね。

伊藤 たぶん、そうでしょうね。僕は、大学に7年間いて、ブラブラしていました。親から援助は一切受けずに、学費も生活費も全て自分がアルバイトで稼いでいました。ある時、勉強したい事ができました。それは『吃音』のことなんです。大学生活をしていた東京から、大阪教育大学へ言語障害児教育を学びに行くことにしました。
 その時に、父親の所へ行って、「僕は今まであまり勉強しなかった。だけど、大阪で勉強したいことができた。これまではアルバイトで生活してきたけれども、大阪に行くからには僕はアルバイトを一切したくない。自分のやりたい勉強を一所懸命やりたいから、親父、お金を出してくれ」と、言ったんです。そうしたら親父が、「情けない」とも何とも言わず、「いいよ」と、生活費を出してくれた。「あいつはあいつなりに、人生を生きるだろう」と、思っていたんでしょうね。だから、本当に放っといてくれた。

平井 すごいですよ! 

伊藤 だから、うちの親父はすごいなあ、すごい親だなと思いました。あれだけ待てるというのは…。27、8まで大学でブラブラしていた人間に、それまで愚痴の一つもこぼさず、今度は「お金を出してほしい」と言ったら、「いいよ」と、ふたつ返事でお金を出す親って一体何なんだろう、と…。

平井 そうですか…。僕の場合は、親にうるさく言われっぱなしですよ。お金は出してくれたけど、条件があってね。
 要するに「学生運動するなら、お金は止める」と。だから、「親の思い通りになるのなら、あなたは私の子どもでいていい」という条件つきなんです。だから、僕は、お金は条件つきでもらうけど、いつ止められるかわからないからアルバイトしたんです。

伊藤 条件つきですか…。なるほど。

◇自分の「苦手」に向き合うのが「仕事」?「働くこと」と生きる実感。

平井 僕は、人に会うのが大嫌いで、話すのも苦手でした。人が居るところで喋るのなんて、冗談じゃなかった。だけど、バイトせざるを得なくなった。

伊藤 そうなんですか。

平井 選んだのは、市場調査です。知らない人に会ってインタビューする仕事ですよ。僕は学生時代に、個別にいろいろな家に行って3,000件位インタビューしました。それは、親からの制約みたいなものがあったから、一番苦手だった『話すこと』をせざるを得ないような状況になったってことで、本当に何が幸いするか分からないです。

伊藤 分からないですねえ。

平井 ええ。だから、『苦手』というのは、時々どうしてもそっちの方に引っ張られていくことがあるから、苦手意識を持つのはそんなに悪くないんじゃないかと。今、思えば、ですけどね…。

伊藤 本当にそう思います。

平井 できないと思ってたことができてしまうんですから…。『欠損』とか、『欠ける』というのは、そういう意味では、ものすごく重要だと思います。

伊藤 そう言えば、僕も、人が怖くて、新しい場に出て行くのが苦手でしたが、おかげで、とてもいい経験ができましたね。
 大学では、受験料も何もかも全部自分で工面したんです。当時、父親とも母親とも喧嘩をして反発していたから、「経済的な援助を受けるなんて、反発している人間としては沽券にかかわる」と、一切援助を受けずに生活しました。1年間浪人をした時は、大阪で新聞配達しながら、入学金から授業料から全部貯めて、それで受験して、大学生活をしました。東京の大学に出て来る時も、住むところがないから、やはり新聞配達店を探して、そこから私の大学生活はスタートしたんです。
 僕は「どもり」のせいもあって人が怖かった。特に新しい環境に出るのが怖かった。それで、せっかく自分で金を稼いで大学生活を送ろうと思っているんだから、新しい場にできるだけ出よう、いろんなアルバイトをしようと思ったんです。そのため、どんなに居心地のいいところでも絶対1ヶ月以上は居ないでおこうと決めたんです。キャバレーにも行った、新宿のスナックでバーテンもした、新幹線の工場で働いたし、商店で販売もした。数えたらきりがないほどのいろんな仕事に就きました。小学2年からずっと、他人に対する信頼、他者信頼をもてなかったから、孤独で、あまりにも強烈に人が苦手だったので、何か自分を変えたいなあと思っていたんでしょうね。昔は『学徒援護会』というのがあって、たくさんの仕事が貼り出されていました。やった事のある仕事はやらない、一度もやってない仕事をやろう。だから、『靴磨き』とか『泥棒』以外、…(笑)ほとんどの職種につきました。何百種とはいかないにしても、百種類位のバイトをしました。そんな中で思ったのは、「どうやってでも人は生きていける」でした。「こういう世界も知っている」、「こういう世界で生きても、まあ何とかやっていける」、そう思いました。ああいうやり方でバイトしていなかったら、新しいことに挑戦することや新しい出会いが億劫になっていたかしれません。「怖いながらでも、やってみよう」という気にはならず、ただ「怖い」だけで終わっていたでしょう。
 学習研究社の百科事典を売るときの経験は、すごく面白かったです。"ピンポン!"って、玄関のインタホンを押しますよね。応答なく留守だったら、ホッとするんですよ。自分で売り込みに行っているのに、「留守で、ああ、良かった」なんて思ってね。「これじゃ売れないな」と思いました。そんなことなど思い出しますが、本当にいろんなものを経験していたんです。
(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/10

私と『スタタリング・ナウ』(7)

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
  私と『スタタリング・ナウ』(7)


 合理的配慮について、その危惧について話すとき、僕はいつも、平井雷太さんの「いじめられっ子のひとりごと」の詩を読みます。吃音に大きな劣等感をもつきっかけとなった小学2年生の学芸会で、セリフのある役を外された体験に関連してです。担任の不当な差別だとしか考えていなかったこの出来事を、教師の配慮だったのかもしれないと考えるようになったきっかけをつくってくれたのが平井さんの詩です。教師の配慮が僕を21歳まで苦しめたというものです。配慮で助かる子どもも多いだろうけれど、僕のような子もいるということを、心に留めていただければと思います。平井雷太さんも、メッセージを寄せてくださっていました。

  
『吃音者宣言』の意味
               平井雷太 セルフラーニング研究所所長(東京)
 伊藤さんとの出会いは、私が書いた「いじめられっ子のひとりごと」という詞です。高校までは私と同じクラスになった場合には、私がどもりであることはバレバレであったのですが、大学に入ってからは教師に指名されることがほとんどないため、私がどもりであることはほとんど知られずに来たのです。バレそうになるところは、無意識のうちに避けていたのですが、5〜6年前にたまたま書いた詞にはじめてどもりのことを書いたら、それが伊藤さんの目に止まったのです。
 そして、伊藤さんに大阪の研究会に呼ばれ、みんなの前でどもりの話をしたのですが、私にとっては初めての体験でした。それ以来、講演のなかで、自分がどもりであることを話すことに抵抗がなくなりました。どもりであることを知られることが恥ずかしいと思っているから、どもらないようにうまくやろうと思うことで失敗した場面が浮かび、ますます緊張し、冷や汗をかいたりしていたのですが、どもる私を否定していた結果なのでしょう。あるべき私像が私のなかにあるから、そうでない私は許せない。だから、どもりであることを隠そうとして、苦しくなっていたのでしょう。どうも、これが、「どもることが恥ずかしい」と思う感情の正体だったように思うのです。ですから、「私はいまでもどもるんです」と人前で言えるようになったというか、どもりであることを人前で言う機会をいただいたことがきっかけになって、どもること自体が恥ずかしいことではないことに気づかされました。これは私にとって、大きな気づきとなりました。
 私は教育の仕事に携わりながら、自分自身苦手なことを避けてきたきらいがあるのですが、苦手だからいい、嫌いだからそれが課題になると思うようになって、古文が苦手で音読なんて決してやったことがなかった私が、いまは紀貫之の古今和歌集序文「仮名序」を毎日音読するようなことをしています。読書百偏とはよく言いますが、実際に100回やるとどうなるか、その実験をした人はそう多くないと思うのですが、そんなことをやってみようかという気になったのも、どこかどもりであることをカミングアウトしたこととつながっているような気がしているのです。どもりであることを自分に認めて受けいれたことで、どもりを私の課題として、どもりを治すことを目的にせず、そのことに向かうことが50を越えてやっとできるようになったのかとそんな心境です。今日もこれから「仮名序」の音読をしますが、34回目となります。
 この文章を書く機会をいただいて、書いているうちにまた見えたことがあります。ここまでを要約すると、次のような内容になるのかと思いました。

 どもりであることを隠そうとしたのは
 どもりである私を私が受けいれていなかった証拠だ。
 どもりである私が許せないから
 どもることを恥ずかしいことだと思ったのだ。
 「吃音者宣言」(伊藤伸二著)の意味がやっとわかった。

【平井さんの「やさしさ暴力」が、私の吃音への苦しいこだわりは、小学校2年の担任教師の配慮だったのではと、「配慮が人を傷つける」に結び付きました】


  連帯感
                       安藤百枝 言語聴覚士(東京都)
 作成される側には生みの苦しみがあるのかもしれませんが、読者としては毎号ワクワクしながら灰色の封筒を開くのです。他の団体からもいくつかのニュースレターを受け取りますが、「スタタリング・ナウ」ほど到着を楽しみにし、受け取るとすぐに読むレターはありません。特に巻頭言は一字一句丁寧に、繰り返し読んでいます。特別、吃音の情報が欲しいわけでもないのに何故? と自問自答しているのですが…。
 巻頭言にはひとつひとつのことばに筆者の「思い」があるからでしょうか。共感し、励まされ、勇気づけられることが多く、すごい吸引力で多くのことばが私の胸に棲みついています。テーマは吃音であっても、根幹に人を愛し、深く理解しようとする情熱と人間味あふれる優しい目線を読者が感じとり、巻頭言を通した読者と筆者、読者どうしの共感や連帯のようなものを感じているのです。(私だけが一方的にかな?)
 記事への提案です。巻頭言に続いてショートコースやキャンプ等いろいろな行事の報告は、全部に参加できない者にとって時系列にそった報告がリアルでとてもありがたいです。これはぜひ続けて下さい。そのほかに、年に一回くらい、紙上討論(?)があるとよいかなと思います。基調講演のような形で討論内容が提示され、それに対する意見を読者から募集、次号か次々号で特集にするという訳です。作成・編集が大変だろうことは想像つきますが、ホンネの意見が出し合えたらいいなーと思うのです。

【どもる子ども(今は青年)の親から、言語臨床家へ。日本吃音臨床研究会の活動を親の立場から提言を続けて下さる。紙上討論、取り組んでみたいと思います】


  理論と実践、そして体験
                      高橋徹 詩人、朝日新聞客員(兵庫県)
 継続は力なり、という。まさしく伊藤伸二さんの『スタタリング・ナウ』がそうである。理論と実践について述べ、協賛者が報告し、会員が体験を披露。どもる人によるわが国初の定期刊行物。そのエネルギーは、まばゆいばかりだ。
 おとなたちにまじって、少年や少女もいる。みんな輪になっていすに座っている。リーダーら世話役が会をすすめていく。まさしく血の通った親愛感にあふれている。こんな集まりを続けている伊藤伸二さんらに、敬意を捧げずにはおられない。どうぞどうぞますますのご発展を。

【私たちは文章を書くことを吃音教室で続けているが、その講師だけでなく、ことば文学賞の選考者として、どもる人の体験をよく理解し、共感して下さっています】


  当事者に学び、周囲の理解を深めよう
                野木孝 全国言語障害児をもつ親の会事務局長(福島県)
 最近ようやく、吃音症状にのみ目を奪われる人が多かった親の会や学校の「ことばの教室」担当者の研究会でも、当事者の思いを理解し、当事者から学ぼうとすることが、盛んになってきました。
 症状を消去することに腐心する保護者や「指導」をしないと気の済まない先生が多かった時期を知っている者としては、昔日の感があります。
 これも長年にわたる貴研究会の活動の活動の成果と、改めて敬意を表します。
 「ことばの教室」に通級している子どものことを考えると、通級するのは週に1〜3回のみで、学校生活の大部分を通常の学級で過ごしますので、通常学級担任をとりまく子どもの集団の理解を深めることが重要と考え、「ボランティア研修会」などを通して、周囲の人々の理解を深めることに努力しているところです。
 今後ますます、このような活動にお力添えやご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

【30年前、全国吃音巡回相談会の福島会場でお世話下さった時は、ことばの教室の先生でした。長年の臨床を経て、今は親の会の事務局長としてご活躍です】

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/25

大阪吃音教室特別講座「鬱と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 平井雷太さんのインタビューを聞いての感想を紹介します。


  
セルフラーニング
                     東野晃之(44歳)団体職員

 平井さんの話のキーワードは、「できる、できないを考えない」「とりあえずやる」だった。例えば、何か課題があるとき、やってみたい、できるようになりたいという気持ちがあるなら、自分が「デキル」「デキナイ」を決めつけずにまずやってみる。やってみる中で何ができて、何ができないかが自覚でき、できないことがどうしてできるようになるのか、できるようになる仕組みを自分で作っていくようになる。やる前から、あれこれと考えるから結局やらなくなる。やらない理由に、やる気が起こらないからとよく言うが、「やる気がない=やらない」ではなく、やりたくない状態になったからこそ、それでもできる状態を体験するチャンスで、ここで「やる気が育つ」。できない状態がなければ、できる状態は訪れない。できない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)のはじまり。つまり、やる気のない状態こそ、やる気が起きていく道、「できない状態を自覚することこそ、できるようになっていく道」であるという。
 自分の体験を振り返ると、電話が苦手でできなかった頃、「今日は気分が乗らない」とか「明日でも構わないか」とか、何かと理由をつけては電話をかけるのを避けていた。就職して営業職に就き電話は避けられなくなって、毎日毎日恐れながらも電話をとり、かけ続けた。うまく対応できず、失敗して落ち込んだりもしたが、そのうち電話への気づきがあったり、話す工夫も少しずつだが、できるようになった。今でもどもることはあるが、以前に比べ随分楽に電話ができるようになった。これを平井さんの話から整理すると、恐れていた電話が仕事上避けられなくなって直面さぜるを得なくなり、数多く電話のやりとりを体験したことでできなかった状態を自覚でき、自分なりの電話対処法が身につけられたのだろう。やろうとしてもなかなか実行できなかったり、続けられなかった経験を思い起こすと、できない状態に対する否定的な考えやできない自分へのさまざまな思い込みがあったようだ。例えば、「誰もができることができないのは、自分が劣っているからだ」「そんな自分だけができない状態には耐えられない」「だからできそうもないこと、耐えられないことはやめてしまおう」…こんな思い込みが自分を消極的にしていたようである。できないことは悪いことではない。あれこれ考えず、やってみてできない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)はじまりである。平井さんの話はさまざまな気づきの余韻を残して終わった。

  あれも自分、これも自分
                         徳田和史(54歳)会社員

 特別講座のテーマ、「うつと吃音から見えてきたもの」に惹かれた。私は吃音に加えて最近、自己診断ではあるがうつ症状の気配を感じていたからである。
 平井さんは、大学卒業後は吃音であるが故に就職を嫌い、駆け落ちしてヨーロッパに渡った。帰国後陶芸の道に入ったが、26歳以降躁うつを繰り返し、この間、危ないことも数回あったらしい。平井さんの体験談で私にとって印象深かったのは、うつの状態の中でも一つの決まり事を毎日行い、その継続の中で自分を幅広くとらえることができれば、自分を楽にすることができるということであった。
 人間の心的状態には波があり、波の最上部と最下部の振幅がある程度拡がれば躁になったりうつになったりするのだと思うが、波の最上部を躁とし最下部をうつとしたとき、人間どうしても波の中心線から上を通常の自分と思い、下部を異質の自分と思うらしい。そのようにとらえると波の最下部(うつ)に陥ったとき、異質の自分から脱したくなるのであるが、平井さんは、中心線を軸に最上部も自分、最下部も自分であると認識すれば、つまり波の振幅の全てが自分であると思えば楽になると。
 又、平井さんは自分の体験から、うつは治らない、うつのままを受け入れる、その結果落ち込めば、落ち込むのも一つの能力だと考えればいいとも言う。
 平井さんは、波の最上部も自分、最下部も自分であると認識する手段として、一つのことを毎日継続することだと言う。平井さん自身は、うつ症状だった当時、息子さんと一緒に走ることを日課とし淡々とこなしたそうだ。うつのときも走り、躁のときも走る。この毎日走ることが波長の中心線となり、高い波も低い波も客観的に見ることができると言うのである。
 吃音にも波がある。調子のいいときもあれば調子の悪いときもある。そういえば私も吃音ですごく悩んでいた頃、調子のいいときの自分が本来の自分の姿であり、調子の悪いときは仮の姿だと自分を二分していた。人間というもの、思考・感情がある限り、高揚するときもあれば落ち込むときもある。問題は、この幅広い領域の自分を受け入れる要因となる中心線を自分にどう設定するかである。平井さんは、走ることでもいいし書くことでもいい、何かを決めることがキーポイントだと言っていた。又、継続している中で、やる気がなくなったときが勝負であり、そのときにやることの意味を求めずにそのまま続けることが大切なのだと。なるほどと思った。やる気のある調子のいいときの自分だけを見ていては半分の自分しか見ていないことになる。やる気のないときの自分も見ておく必要がある。
 自分の中に中心線を設定し、調子のいいときの自分も認め調子の悪いときの自分も認める。大袈裟に言えば、正義の自分も認め不義の自分も認める。自分というものを都合がいい面ばかりでなく都合が悪い面でもとらえ、これも自分なのだと幅広い自分を認識できればずいぶん楽になれる。今回の講座は私にこのことを教えてくれた。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84) この号は、今回で終了です。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/25

大阪吃音教室特別講座 「鬱と吃音から見えてきたもの」 3 

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 3

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 昨日のつづきです。平井雷太さんへのインタビューは、今回で最後です。いろんなことを正直に語ってくださいました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと、平井さんは定義づけました。僕もそうありたいです。インタビューの後、平井さんが実践しておられた考現学に平井さんが書かれた文章があるので、それもあわせて紹介します。

◇うつと、つきあう
伊藤 それで、うつになったのは何か原因があるんですか。

平井 ヤマギシ会という共同体があって、半年だけ入ってた。26才のときにそこの特別講習研鑽会(特講)というのを受けた。その特講を受けてなかったら、長男も生まれてないでしょ、たぶん。それまで子どもなんて欲しいと思ってなかったから。それを受けて、世の中まんざらでもないと思っちゃって、感動した。で、ヤマギシを出たあと、そううつ病が始まったんです。ヤマギシを出たあとは、お先まっくら。やることないし。

伊藤 ヤマギシにいる間はよかったんですね、それなりに。

平井 よかったのは最初の3ケ月くらいですか。後はそこを出ることしか考えてなかった。(実際に)やってみると、おかしいとこや変なことが見えてきちゃう。やる人はやってるから、一概にはヤマギシは問題だとは言えませんが、僕には合わなかった。ヤマギシを出たのが8月末で、子どもが産まれたのが9月25日です。無一文で、子どもが産まれたときは夢も希望も何もないし、一番逆らっていた実家に居候(いそうろう)していたし、最悪だったです。

伊藤 どうして子どもを育てていけるだろうかと。

平井 というか、どうすんのよ、この子、みたいな。子どもが産まれて捨てたくなっちゃう親の気分がよくわかりますよ。僕にとっては、よく死ななかったな、と思うぐらい、一番ひどかったときです。それから、財団法人「S」へ行った。ずーっとうつで、やる気も何にもなかった。ただ惰性で仕事やってた。

伊藤 どんな状態なんですか。

平井 ほんとに、生きるしかばねみたい。だけど、働いてる所が、裏口入学やってるとんでもないところだった。相手に問題があったり、待遇がひどかったりと、問題があると元気になるんですね。どうにかしなくちゃいけないなあと思う。「S」は半年でやめたが、いる間に労働規約を作った。だから、僕にとってうつでいられるときは、本当に波風のないとき。そのあと、塾を始めるんですが、ヤマギシを出たあとっていうのは、躁(そう)とうつが交互に来てる。春・夏は躁で元気、秋風が吹くころになると、落ち込んで起きれなくなって、人と会うのもいやで困っちゃう。10以上はそんな波が続いたですね。でもあとで考えると、うつは良かったです。

伊藤 どういうふうに?

平井 一番ひどいときに精神科に行って、僕がどういうふうに苦しいと延々としゃべって、むこうは「ふーん」「へー」「それで」みたいな感じでカルテに書くわけです。つっけんどんで、こんな医者と二度と会いたくないと思った。「じゃ、薬出しとくから」と袋いっぱい薬をくれた。これを飲んだらまたあの医者に会わなきゃいけないと思って、薬を捨てた。それで「いいや、うつ病のままで」と、治すのをあきらあた。どうしてかというとね。躁が来れば起きれる。うつだから起きれないと思ってたわけ。「あきらめる」って、うつのままで起きるってことです。僕が、うつであることを起きれない理由にしてる。「〜だから、何かができない」は自分で決めてる。それを、そのままでやる。それでも自分だけでは、できっこないなと思ったから、息子と約束した。「お父さんと一緒に、あしたから、朝走ろうか?」と。息子が「うん」と言うもんで、息子との約束だけは守ろうと思った。どんなひどい状態でも、息子と走ることだけはしようと思った。息子がいたおかげがありますよ、かなり。
 子どもがプリントをやっていると、すぐ壁にぶっかってやりたくなくなる。やる気なんてなくてもいい。どうやったらやる気が起こるとかという話ではなくて、やる気のないままやればよいだけの話です。やる気で飯食ったりふろに入ったりしない。やる気と、やることは別だって分けて考える考え方はうっのときにできたんです。やる気がなくなった、そこからが勝負なんです。二度寝はしない、6時半に起きるって決める。それまでに目が覚めても布団に入っている。目が覚めたとき6時半だったら起きる。理屈抜きなんです。これが考えずに行動する練習です。
 うつのときは、何でもいいからやることです。ジグソーパズルでも、簡単にはできないプラモデルの大きいのを買ってきて延々とやり続けるとか。

伊藤 息子さんと一緒に走るってことは自分で決めた。何かを決めるというのは大事なんですね。

平井 決めるというのは、キーワードです。だから、子どもたちは僕と教室で毎日やることを決める。あらかじめ決めてると、できなくなる。うまくいかなくなる。だから、親には勉強しろと言うなと口止めをします。子どもに全部任せてみると、すぐできなくなる。頑張る子は頑張っちゃうけど、頑張って疲れれば頑張れなくなる。だから、決めたことを淡々とやるんです。毎月の通信を100ケ月出したとき、大人になる定義が浮かびました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと。
 今、毎日書くと自分で決めて、自分で続けていく。ふと浮かんだことを、人に見せることを前提に毎日書く。これが今している「考現学」です。

 平井雷太さんが全国のたくさんの仲間とネットワークを作っていらっしゃる表現の場が考現学です。平井さん自身が、大阪吃音教室で話して下さった後に書かれた考現学をご紹介しましょう。

  どもりで「やさしさ暴力」を発見する
〜「やる・やらない」はやる気と関係ないんです〜

                           平井雷太

 伊藤伸二さんのお誘いで、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の特別講座で、「鬱と吃音から見えてきたもの」をテーマに話してきました。
 普段、参加者が25名前後のところ、長野、広島、長崎、東京からも参加があって、参加者は40名を越えていました。吃音ではない人も結構参加されていて、2次会、3次会で話していると、どの人が吃音であるかは説明を受けないとよく分かりません。
 伊藤さんがまず私を紹介してくれたのですが、伊藤さんが私を知ったきっかけは、「いじめられっ子のひとりごと」という詞ということでした。
 2001年度「大阪吃音教室へのお誘い」のチラシを見ると、そこには「楽しいインタビューゲーム」と2回もあり、ビックリしました。しかし、それよりも驚いたのは、毎週金曜日の同じ時間にビッシリと学習予定が網羅されていたことです。話すのが苦手ということが、人を自発的、能動的な学習者にしていく。その典型を見た思いがしました。
 また、伊藤さんは会で私を紹介するときに、「いじめられっ子のひとりごと」の詞を紹介してから、ご自分の話をされました。小学校2年生のときに学芸会で当然主役は自分がすると思っていたところ、台詞のない役になってしまい、そのときの屈辱がバネになって、どもりがラィフワークになったということでした。そして、伊藤さんから「教師が私に主役をさせなかったことを、教師が不当な扱いをしたと思っていたが、平井さんの詞を読んで、もしかすると、あれはどもったらかわいそうという教師の配慮だったのかもしれない。私はよくいじめられたが、平井さんは優しくされた。それが屈辱だったと言っていますが、平井さんは母性本能をくすぐられる子どもだったんしょうね?」と聞かれました。どもりでいじめられたことよりも、どもりで情けをかけられての屈辱感のほうしか覚えていない。なぜなのでしょう?伊藤さんと私のこの違いはどこから来ているのだろうかと不思議に思って、考現学を書きはじめたばかりだったのですが、即座にその場で伊藤さんに電話をかけて聞いてみました。
 「伊藤さんは、『教師が私に主役をさせなかったことで、教師が不当な扱いをした。ないがしろにしたと思った』と言っていましたけど、どうしてそう思ったんですか?」すると、「僕は小2のそのときまで、明るく元気で活発で、勉強もできたから、浦島太郎の劇で、当然、浦島か亀の役だと思っていましたから」と伊藤さん。「えっ!そうだったら、伊藤さんはそれまで自分がどもりであることを自覚していなかったんですか?!」と驚いて聞き返すと、伊藤さんは「全然、自覚していなかった。主役になれなかったことで、どもりのくせにと言われ、いじめられるようになった」と話されたのです。
 それを聞いて、私がいじめられなかったのは、おとなしくて、内気で、消極的で、いじめるにも値しない存在だったから、情けをかけられ、配慮されてきたのかと、思わず納得してしまいました。でも、そのおかげで、「やさしさ暴力」の存在を発見してしまったのですから、何が幸いするかわかりません。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/23

大阪吃音教室特別講座「鬱と吃音から見えてきたもの」2

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 2
            講師   平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
            聞き手  伊藤伸二

 優しさ暴力ということばは、インパクトがありました。僕はそれまで、小学2年生のときの学芸会でセリフのある役を外された経験を、担任教師からの不当な差別だと考えていました。担任教師本人に確かめたわけではないので、本当のところはわかりませんが、どもったらかわいそうだとの、優しい配慮だったといえるかもしれない。そう思えたのは、平井さんの詩がきっかけです。どちらにしても、僕は大きく傷ついたのですが。優しさの暴力について、平井さんに尋ねていきました。

◇優しさの暴力
伊藤 僕の個人的な興味でお聞きします。まず、「優しさの心の傷」を「配慮」とし、人の配慮が人を傷つけることがあると、とらえていいですか?
 僕は今まで全然気づかずにきたけれど、平井さんの優しさの傷という詩を読んで、「ああ、配慮が人を傷つけるんだ」と、鮮明に浮かび上がってきました。小学2年の学芸会で、どもるためにせりふのある役を与えられなかったことが、僕がどもりに悩んで、現在もどもりにこだわっている原因なんですけど、そのときは教師が「不当な扱い」をしたと、ずっと思ってた。ところが、この詩に出会って、「教師は、せりふの少ない役を与えて自信をなくすのを防ごうと、配慮をしたのかもしれない」と考えることもできる。そうすると、僕はその配慮によってものすごく傷ついて悩んできたことになる。そんなことと何か通じますか。

平井 今、僕が教育をやることになったのは恐らく、先生方や親が子どもたちにやっていることは全部配慮だと思ったからです。良かれと思って、だれも傷つけようと思ってやる人はいないのに、相手のことを考えることで全部傷ついていくわけです。「教えない」と言っているのも、教えることも「配慮」ですから。子どもの将来のために良かれと思って宿題も出すし、体罰もする。大義名分があって、正義の名のもとに全部暴力が行われている、というふうに考えてます。どもりで、ものすごいいやなこととして印象に残っているのは、配慮です。優しくしてくれたことばかりなんです。どもりでいじめられたことでは、あんまり傷ついてないんです。「このやろう」「ぶっ殺してやろうか」と思ったぐらいだから。

伊藤 実際にいじめられたこともあるんですか。

平井 ある。バカにされても、「ふざけるな」と思えばいい。要するにバカにするやつは、自分より低い人間、品格がないだけの話で、そんなことは別にどうってことない。だけど、僕の親友、僕の好きな女の子、身近な人がいろいろ気を使って、「代わりにキップ買ってあげようか」、「電話をかけてあげようか」と、言われるのがいやだった。
 だから、逆に一番僕が良かったと思っている美術の教師は、5分とか10分とか沈黙がずーと続いても、僕に当て続けた。その教師だけが僕を人間扱いしたと思ってる。そういうふうに思ってるから、気を使う、人として見てない、見下してるのかどうなのか、に非常に敏感だった。その美術の教師だけは、授業が始まったら僕に当てる。それは「どもりに立ち向かえ」みたいにしてたんでしょう。あれはかなり良かったですね。最初は嫌だったけど、僕がこれだけの時間独占できるんだと。(笑い)

伊藤 独占してたと思えたんですか。

平井 だってその時間、「みんな、ざまーみろ」ってことじゃない。僕が一人で全員の注目を浴びるわけだし、言うことないですよね。そのために授業がすごい遅れても当て続けるんだもんね。そういうのって、堂々とどもれる。

伊藤 嫌だというわけではないんですか。

平井 最初嫌でもね、やってるうちに快感になってくるね。わかってるのに当てるわけですね。

伊藤 オレの責任じゃないわけだ、当てるのは。

平井 当てた人の責任なんだから、うまくやる必要もないわけ。だから、だんだん開き直ってきますね。「この教師はなんだ」と最初は思ったけど、そのうちおもしろくなってきた。そのとき、どれくらいどもってどうだったか、あんまり記憶にないんだけど、とにかく行ったら毎時間当てられることだけは覚えてる。だけど、初めて人間扱いされたと思った。いじめてるんじゃないですね、ぜったいにこれは。

伊藤 そういう信頼があったわけですね。

平井 いや、いじめてるんかな、ちがうと思うけどな(笑い)。皆の時間を犠牲にしてまで、教師がわざわざそんなことしないよね。

伊藤 そのころは、それくらいどもってたんですか。

平井 今でもどもりますよ。たとえばさっき、「平野」から来たって言ったでしょ。「駒川中野」と言うとどもりそうだから、「平野」と言ったの。(笑い)

伊藤 それは僕たちと一緒だ。今でもそういうふうにどもるときってあるんですか。

平井 いくらでもある。すしやに行って、「……」今もどもって出ない。ア行がだめなんです。「……」

伊藤 「あじ」がいまおいしいですけど。

平井 今「あなご」と言おうとしてた(笑い)。好きなんだけど、困るんだよね、これが。どもりなんて、治んないですよー。

伊藤 これだけ、方々でいっばい講座を開いて、講演をしたり、いろんなことをやっててもですか。

平井 だから、考えなかったら、あんまりどもってるようには見えないですよね。何か決まったことを言わなきゃいけないと、すごいどもる。とにかく頭をあんまり使わない練習を、日々やってる。

伊藤 僕はどもったときに、そんな優しさを受けた記憶がないんですね。平井さんはぽっちゃりして母性本能をくすぐるような子だったんですか。僕はどうなんだろうな。優しくされた記憶が全くない。

平井 優しさの暴力を一番感じたのは18のとき。僕は長崎県で生まれ、3つで東京に養子に来た。自分の本当の親を知ったのが18のとき。それも親からじゃなくて、2階に下宿していた学生から聞いた。そのとき、そのことを僕の周りの者は全員知ってた。だれも言わなかった。ずっとテニスばかりやってて、高校3年になってひまになって、今の親が本当の親じゃないかもしれない、と、ちょっとだけ思って、それで冗談半分に、下宿の学生に「オレの親はどう考えても本当の親じゃないみたいなんだけど」と言ったら、「えー、知らないの、お前」って言われた。学校の教師、近所の子、八百屋まで、僕の周り中全部知ってる。これが僕にとっては優しさ暴力ですね。みんな僕のことを考えて言わないんだから。
 そのときに、思いやりとは何か、と思った。僕は人間として扱われてないと思った。それがいろいろ考え始めるきっかけですね。だから、それはそれで考えるきっかけになって良かったですね。それまでは本当にテニス馬鹿で、テニスしか、してない。どもってても、そのことはただの悩みで、伊藤さんみたいにこうやってどもる人の会を作るエネルギーはない。

伊藤 平井さんにとって、子どものときから思春期にかけて、どもりはどんな影響を自分に与えたと思いますか。

平井 さっき言った美術の教師に出会ったのが中学3年のとき。それまでは、学校は恥をかかされる場所だった。赤面対人恐怖で、道歩いてたって電信柱に「赤面」「対人恐怖」「どもり」って見るだけで、どきっとしてたもんね。

伊藤 ああ、あれ嫌でしたね。

平井 小学校の通信簿は「内気である」、「言われたことしかしない。自発性がない」。そりゃそうです。授業中手を挙げたことないから、ほとんど。指されりゃ、それなりに答えてたけど。何か言おうかな、と思っただけで言えなくなる状態を想像するでしょ。それでどんどんしゃべらなくなった。通信簿にそういうふうに書かれ続けてきた。今思えば、ものすごい役に立っていますね、書かれたことが。
 通信簿にぼろくそ書くのは、いい子になってもらいたい、という教師の配慮でしょ。いじめようと思って指摘しているのではないでしょ。だけどよく考えると、6年間指導し続けても何も変わらないってことでしょ(笑い)。指摘する側が馬鹿だよね。だから、指摘ということにはほとんど意味がない、ということを学ぶためには、あの6年間は意味があったなと、過ぎてから思う。そのときは本当に僕は内向的で、内弁慶だから、家の中では悪態ついてすごかったけど。外へ出るとおとなしくて、本当にいい子で。一人っ子でね、弱々しくて。そりゃ、助けたくなるじゃないですか。だから、自分は内気だ、みたいに人格形成されてるって思い込んじゃうよね、自分で。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/22

大阪吃音教室特別講座

 大阪吃音教室は、前期と後期にわかれ、あらかじめスケジュールが決まっています。もちろん、参加者によって臨機応変に対応しています。各講座の担当は、大阪吃音教室の仲間が、自分も勉強しつつ、当日も参加者と共に作り上げています。
 その中で、特別講座と呼ばれるものが年間いくつか設定されています。昨日、紹介した、5月26日の櫛谷宗則さんの「吃音によって倒れた者は吃音によって起きる」もその中のひとつです。
 「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84で紹介している平井雷太さんも、特別講座の講師として来ていただきました。「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」とのタイトルのインタビュー記事を紹介します。平井さんは、僕が、小学2年のときの学芸会での体験を意味づけてくれた人です。

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」
     講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
     聞き手 伊藤伸二


平井雷太さん紹介
 1949年、長埼県生まれ。早稲田大学政経学科卒業。ノルウェー農業体験、公文数学教育センター、スイス・サマースクールなどの教育現場を体験する。1980年、セルフラーニングシステムを実現可能にする「らくだ教材」の製作に着手。1990年より「押しつけない、命令しない、強制しない」関係を伝える講座としてニュースクール講座を実施。平井さんは、子どもの頃どもり、いじめられっ子だった。また思春期以降はうつに悩んだ。『見えない学校、教えない教育』(日本評論社)など著書多数。

  いじめられっ子のひとりごと
もし私がいじめられっ子でなかったら、
くやしさ、くちおしさ、無念さを
学ぶことはしなかった
いじめっ子たちをしかとすることが
最大の抵抗であることを
学ぶこともなかった
しかし
もっと私を傷つけたのは
やさしい子どもたちだった
私がどもると
私のそばで一生懸命助けてくれた子ども
私のかわりに本を読んであげようかと
出席の代弁をしてあげようかと
この屈辱にくらべれば
肉体的な苦痛などどうということはなかった
いじめの傷はいえても
やさしさの傷がいえることはなかった

伊藤 この詩をあるきっかけで読んで、平井さんに会いたいと思っていました。その数カ月後、大阪府立図書館で平井さんのエッセイの本を見つけ、とても共感する部分があり、改めて会いたいなあと思っているとチャンスは巡ってくるものですね。その後、何度か会う機会があり、「僕たちのセルフヘルプグループのミーティングに来てもらえませんか」と先だってお話したら、「いいよ」と言って下さって、今日の講座が実現しました。大阪吃音教室でする「インタビューゲーム」を考えた人でもあります。

◇考えない、がテーマ
平井 平井雷太です。今、週3回は東京にいて「スクールらくだ」で、下は4才、上は5、60才の生徒の対応をしています。私の長男が25才で、彼が4才のときから教材を作っており、21年ぐらいこの仕事をやってます。延べで2700人くらいの生徒と対応しています。10年ほど前に、僕の教材をフリースクールの教材として、ある出版社が全国展開しようと思ったら、1年目に70教室できて2年目に全部つぶれた。教材があればだれでも指導できるのかと思ったら、全然そうはいかなくて、「教えない教育」とは何か、自分で自分のやってることがわからないから、始めた講座が学師養成講座です。「教師」ではなくて「学師」。教師に教わるんじゃなくて、学ぶ人をどうやって育てられるか。それを10年以上して、その中でインタビューゲームが生まれた。去年はその講座を200回くらいしました。
 僕は、どもりのことと関係するんですが、ほとんど悩みの元は考えることだと思ってる。31のときから就職しないと決めて、なりゆきにまかせて、自分のやることは自分で決めない。「頭を使わない」「考えない」が、とても重要なキーワードなんです。
 考えずにしゃべりますから、何をしゃべるかわかりませんが、よろしく。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/21
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