伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

対話

対話を通して、生き方をみつける 2

 一昨日のつづきです。

 笑いの多い、和やかな雰囲気で、参加者との対話は進んでいきます。そして、その中には、人が生きる上で大切にしたいことがたくさんつまっています。濃密な時間が過ぎていきました。話の中で、僕は、どもってはいけない場と、どもったら嫌だなと思う場を区別しようと言っています。どもってはいけない場だと思っている場は、実は、自分がどもりたくない場、どもったら嫌だなと思う場ではないでしょうか。「どもっていけない場など何ひとつない」と、僕は確信しています。

 
《伊藤伸二・吃音ワークショップin東京》
   対話を通して、生き方をみつける 2
                  東京都北区北とぴあ  2013.1.13

どもっていけない場など何ひとつない
伊藤 今、言ったことを整理すると、皆さんは、どもってはいけない場があるはずだと思ってしまっている。家族としゃべっているときにはどもっても平気だけど、厳粛な儀式などの場面では人はどもってはいけないと思っている。しかし、それは思い込みで、僕たちが生きていく人生の中で、どもってはいけない場なんて何ひとつない。「英国王のスピーチ」の映画はご覧になりましたか。英国王のジョージ六世が、どもりながら開戦のスピーチをする。これこそ、卒業式で子どもの名前が言えないレベルの話じゃない。世界を支配していた大英帝国の国王の開戦スピーチが成功したのは、どもる覚悟ができたからなんですよ。僕は、大学や専門学校7校で講義をしているけれども、必ず講義が始まる前に、「英国王のスピーチ」を見て、2000字以上のレポートを書いてもらう。そして、90分の授業の2コマを使って、世界の吃音の治療の歴史を解説しながら、なぜジョージ六世が開戦のスピーチに成功したかの話をする。ジョージ六世は、5年間、ライオネル・ローグの訓練を受けるが、全く効果がなかった。スピーチ40分前に、一生懸命声を出そうとしていたけれども、全然だめだったことで分かるでしょう。でも、最後に彼が言ったことば、覚えてますか。
平野 最後のことばですか。
伊藤 これが、あの映画のポイントで、それをキャッチできなかったら、どもる人が、あの映画を観たことにはならない。
平野 心に残ってない。
伊藤 心に残ってないということは、あの「英国王のスピーチ」の大事なところを観てないということです。学生のみんながそうなんです。僕が英国王のスピーチはこういう映画だったんだよと解説すると、えーっ、そうだったんですか。じゃ、もう一度、DVDを借りてみますと言う。一番大事なポイントは、開戦スピーチが始まる8秒前に、ライオネル・ローグに言ったことばです。
 「結果がどうであれ。あなたが私にかかわってくれたことに感謝する」
 そう言って、スピーチに入る。結果がどうであれという、このせりふは、ものすごいせりふです。あの映画の脚本家は、自分自身が吃音で苦しんできた人間だから、吃音について理解して、ローグの孫からセラピー記録を見せてもらって書いた。吃音に悩んだ経験の無い人が脚本を書いたら、あのせりふは入ってこないと思う。
 あのことばは、「どもるときはどもればいいんだ。自分は英国王として話すべきことばがあり、それを語る義務と権利がある。国民はいかに私がどもろうと、国王のスピーチを聞く義務と権利がある」と、考えることができたからです。国王ですらそうなんだから、九州の教師が、(笑い)どもってはいけない場なんてあるわけない。どうですか、ありますか。
松原 そうですね。そう思います。
伊藤 結婚式の仲人でも、大きな式典でも、どもるときはどもればいい。すごくどもってやればいい。それでだめなら、それで困ったら、頼んだ相手が、「ちょっと、あなた、やめて下さい」と言ってくるだろう。式次第とか号令とか、そんなことはどもらない人間にとっては何の苦労もなくできること。そういうことは、苦労もなくできる人に任せればいい。自分は自分の職務をきちんとやればいい。苦手なことはパスすればいい。あえて何でも挑戦する必要はない。ただ、僕は挑戦した方がいいと思うのは、話すことの多い場に身を置くことです。それは、結局は得だからです。僕が、大学の教員になってよかったと思うのは、人前で話す機会が増えたこと。緊張の場に自分を置きながらしゃべっていくのは、どもりとの向き合い方を考える場をもらうことになる。平野さん、組合の副執行委員長という仕事を与えられのは、ラッキー、チャンスだと思ったらいい。引き受けて、どもるときはどもり、どもらないときはどもらないでやって、それで文句があるなら、執行委員を引きずり下ろしてくれればいいわけで、自ら引くことはない。そう、思えませんか。
平野 そこまでの決心が、つかないんですね。

なぜ決心がつかないのかの研究
伊藤 なんで決心がつかないかの研究しましょう。どういう条件があれば、決心ができますか。人生は、小さな選択から、大きな選択まで常に選択に迫られている。皆さん方は、どもりとこれからどう生きていくか選択肢を自らの決断でできる権利を持っている。その権利をどう使うかは、みなさんの自由です。見誤らないように選択をすることです。
 僕は、小学校2年生のときに、ひとつの選択をした。どもりに強い劣等感をもってしまったから、これから僕は学校やクラスの役割は全部逃げよう、音読も、手も挙げるのも、友だちの輪の中に入っていくのもやめようと選択した。自分でした選択だから、21歳のときに、これからは逃げるのはやめ、友だちになりたいと思ったら輪に入ろうと選択をし直した。選択をするとかどうかは、本人の決断で、何も難しいことはないはずです。でも、選択が難しいということは、僕もとても分かるので、その難しさのために、何の条件と何を練習して、どんな訓練をすれば、そういう選択ができるかということを、お昼から考えましょう。

再び、どもってはいけない場「クマが出た」
平野 午前中、どもってはいけない場などひとつもないと、伊藤さんは言われた。でも、私の中では、自治体の職員として、やっぱりどもってはいけない場面があると思っています。今、それで苦しいんだろうなと思う。私は、決まった原稿を読むのが苦手なんです。最近、私の近所でクマが出たので、「クマが出たので、気をつけて下さい」と、市役所の広報車に乗って言わなければならなかった。決まった原稿なので、やっぱりつっかえながら、それでもやった。それが、どもってはいけない場面だと思います。
伊藤 どうしてですか?
平野 街頭宣伝って、でっかい音で、それをどもりながら話すわけですよ。それはちょっとなあ…と思いながら、私は街宣したんです。
伊藤 どもってやったから、みんな、信用せずにクマに注意しなかったとか(笑い)
平野 それはないです。自分の中では嫌だなあと思いながら、街宣したんです。あともうひとつ、まだ私は経験ないんですけど、今、私の担当している仕事は広報課で、その中で、FM放送で1週間に5分間の番組をもってるんです。私は、担当じゃないんですが、同じ課の中でやっている者がいます。その番組は、1対1で、一人が聞き、一人が答えるということを順番にやる。幸い、まだ私の出番はないんです。私の出番になったとき、どうしようかなと思いながら、ずっと去年から今の仕事をやっている。
 もし、「あんた、出なさいよ」ということになって、FM放送の生放送で5分間、まあそれはいいとして、それを録音して、昼休みに庁舎全部に流すんです。考えただけでぞうっとします。決まった原稿をうまく読める訳はないんです。生放送は終わってしまうから、まあいいとして。でも、それを録音して、庁舎全部に流されるということを考えたときに、いやー、恥ずかしいなあと。それに耐えられるかなあと思うと、午前中の話で、どもってはいけない場面なんて、伊藤さんはないと言うけれど、私の中ではあるんだよなあと思ってしまうんですよね。

どもってはいけない場と、どもったら嫌だなと思う場
伊藤 どもってはいけない場面はないと思うんです。でも、区別してもらいたいのだけど、どもるのが、嫌な場面はあるんでしょうね。
平野 そうそう、嫌な場面ですよね。
伊藤 自分が困る場面であって、世間一般が困る場面ではない。それは分ける。全庁舎に、どもって出演した番組を流していいじゃないですか。
平野 いいんですか。
伊藤 僕は、それが県の職員としては、すごい社会的貢献になると思うんです。つまり、あれだけどもりながら、一生懸命な人がいる。
平野 そういう人間もいるんだと・・
伊藤 ああしてどもりながら、一生懸命、「ククククマが出ました。ににに逃げなさい」と広報したりすると、切実感が、(笑い)とは言わないけど、たとえば、老人や障害のある人や、生きることに困難をもっている人が、もしあなたの、どもりながら一所懸命話すFM放送放送を聞いていたら、その人たちがどう思うか。これだけどもりながらも、ちゃんと県のためにやってくれている人がいる。流暢にべらべらしゃべる広報係の人なんて普通のことで、当たり前でしょ。それに対して、人は何も心を動かされません。でも、どもりながら、仕事をしているあなたの誠実さは、僕たちが社会にできる大きな貢献だと思う。学校の教師の松原さんにも特に言いたいことです。子どもたちの中には、いろんなことで苦しかったり、劣等感をもつ子たちがいる。経済的な困難、人間関係の困難を抱えている子どもたちがいる。そんな子どもたちの中で、教師がどもりながら一生懸命精一杯生きている姿を見せることは、流暢にべらべら効率よくしゃべる教師よりは、はるかに教育的な効果としては大きなものがある。先生もがんばってるから、オレもがんばろうと共感する子どももいるかもしれない。
 どもる僕たちの社会貢献は、どもりながら誠実に自分の仕事をきちっとやること。心はざわつくし、決して心地よいことではないかもしれないけれど、心地よくないことをあえてやっていく。ここに人間としての生きようというものがあるのではないだろうか。
 何もしないで生きていければ、それは楽だけれど、それよりはちょっと負荷がかかったり、嫌な思いをしながらでも、そこで自分の仕事やしたいことをするという、これも人間の生き方としてかっこいいでしょう。
平野 かっこいいと感じますけど、やっぱり、庁舎で放送が流れるとき、弁当を食べながらそれを聞いていることを考えると、ざわざわするんです。
伊藤 ざわざわしてもいいけど、それに耐えている自分も立派だと思えるのも、
平野 そこまでいけるかなあ。
伊藤 いけると思いますよ。
平野 そこの折り合いがどうつけられるかですね。
伊藤 それはもうあなたの選択です。
平野 逃げるのも私ですし、向かうのも私だと思うんですけど。今のところ、逃げちゃうかな。その場面が来たら、逃げちゃうかな。
伊藤 逃げようと思ったときに、僕の写真をどこかに置いておくとか、「こら。逃げるな」(笑い)
平野 そうですね。そこですね。
伊藤 おまじないを作って、よし、逃げないでおこうって。

逃げたときに後悔しない
平野 松原さんの剣道の話も、代わってもらうこともできると思うんです。代わってもらったときには自分の中での後ろめたさも多分あると思う。逃げたくない、できればやりたいけど、逃げると、そこでまた傷つく。やったらやったで、うまくいかなかったときには、また落ち込んだりするし。
伊藤 僕は、逃げないでがんばれとは言うけれど、逃げるのも、立派な選択肢だと思う。僕はハンディだと思ってないけれども、吃音をハンディだと思う人は、何をやっても、しなやかに生き延びた方がいい。生き延びることを目的にすると、逃げることも選択肢です。逃げる選択をしたときに、オレはなんで逃げたんだろうという後悔や後ろめたさを感じないようになってほしい。僕も小さな逃げはいっぱいある。言わなければならないことは逃げないけれど、お寿司やさんで、「トトトトトトト」と言ってまでトロを食べなくてもいいかと思って、マグロで済ませる、というような小さな逃げはいっぱいある。
 FM放送で、全庁舎に自分の声が流れることは耐えられないから、悪いけど、代わりにやってくれ、僕は一生涯FM放送には出ないぞと、宣言する選択をしても、いいじゃないですか。
平野 そうですね。自分の中で折り合いがつけば。
伊藤 折り合いがつけば。何も言わないで逃げたのではなくて、自分の弱点だと感じている吃音をちゃんと公表して、説明して逃げれば、実績であり、そういう自分を評価していいと思うよ。
平野 黙って逃げたり、風邪ひいたとの言い訳するのとは全然違いますよね。
伊藤 風邪をひいてとか、お父ちゃんが死んだからとか、そういう逃げ方ではなくて、僕は、どもりで、残念ながらみんなのように強い人間じゃないから、耐えられないので、FM放送はやめさせてくれと言って逃げるのなら、逃げたことを正直に伝えたことは勇気ある行動だし、立派じゃないですか。逃げることに罪悪感を感じたり、引け目を感じないで、堂々と逃げればいい。そして、得意な人に代わってもらったらいい。
平野 堂々と話して、
伊藤 そう、堂々と話して、自分の弱さはちゃんと出して、これ、かっこいいでしょ。
平野 それはいいですね。(笑い)それができていなかったと思います。
伊藤 それができたときに、やっぱり人はお互いに弱さを見せながら、弱いところをカバーしながら生きていくのが社会全体が生きていくということだと思う。この人は正直に自分ができないことを言って逃げているんだ。それもいいなあ。じゃ、僕もできないことがあっても、自分の弱さを出してもいいんだと、他の県の職員が思ってくれたとしたら、その人がすごい辛さを持っている人であったら、あなたの弱さはその人に大きな共感と勇気を与えることになりませんか、ね。
平野 合点です、それは合点です。(笑い)
伊藤 合点ですか。それなら、県の職員ですらそうなんだから、教育の世界にいる人間が自分の弱さを出すということはものすごく大事ですよ。

弱さを出す、弱さを見せる 卒業式
松原 平野さん、もう、全く共感します。(笑い)
伊藤 共感だけしてたら、だめやで。(笑い)
松原 ざわざわ感も分かります。伊藤さんの言うことも分かります。覚悟ですね。自分のことをまだ語れないですね。妻とならできるけど、今は。
伊藤 教師は、自分の弱さ、弱点を含めて、きちっと自分のことばで語り、それを子どもにも話をし、同僚にも話をする。だけど、自分はこう生きるという、そういうものがないと、なんか自分を取り繕っていいところだけを見せる生き方を子どもたちに見せちゃだめですよ。それができないなら、教師をやめて、他の仕事を選ぶのも、僕は勇気ある選択だと思います。でも、本当に教師として生きたいと思うなら、今が正念場でしょう。ほんとは、7年前が正念場だった。あなたから電話で、何週間後の卒業式で生徒の名前が言えない、治したいと相談されたとき、同じような教師の仲間の体験の「スタタリング・ナウ」を送りましょうと言ったら、吃音研究会の封筒だと、妻に自分がどもりであることと、どもりに悩んでいることがバレるのが嫌だと言ったんです。
松原 思い出しました。
伊藤 小学校の教師として生きていくには、今ここで勝負しなかったらどうすると言ったら、しぶしぶ住所を教え、ニュースレターを送ったら、3日後に、電話で、「妻に初めて自分のどもりのことを話しました」と報告があった。このワークショップの初めの自己紹介の時、自分の意志で吃音の話をしようとして、30分も泣いたので、妻に何が起こったのかいぶかしく思われたと話していたけれど、その前がある。忘れたんですか。
松原 いやいや、思い出しました。(笑い)最初に、伊藤さんでした。妻にも言えなかったですものね。
伊藤 電話で、僕、彼女ともしゃべってるんだよ。妻にどもりの話をしたら、妻も分かってくれて、もっと早く言って欲しかったと言ってくれたと話して泣いていた。ここに妻もいるので、電話代わりますと、あなたは言っていたんですよ。
松原 全くそうだ。今、思い出しました。伊藤さんがきっかけということは覚えているんですけど、そのへんのやりとりは忘れてましたね。
伊藤 卒業式無事終わったとの報告を聞いて、彼は立派な教師になっていると思ったら、今だにこんなんだ。だから、覚悟を決めることは簡単で、それを持続することが難しい。だから、もう一度覚悟し直さないとあかんね。あのとき、何と言ったかな、あなたは。教師たるものは、自分の弱さを子どもにきっちりと伝えて、自分を語って生きるということが大切なんだとよく分かりました、と言っておきながら、全然分かってないじゃないですか。
松原 そうでした。卒業式の前に、子どもたちに自分のことをさらけ出して言ったときは、よかったんです。それも時間がかかったんですけど。子どもたちも、いつもは全然聞いていなかったり、ピアス開けてるような子も、私の方をしっかり見て、涙を流して聞いてくれていました。
伊藤 それが教育でしょう。いや、まいったなあ。僕はあなたのことを講演などで、話をしてるのに、こんなに忘れられてるとは、(笑い)いやいや、おもしろい。すばらしい。人間って、いいですね。もう一度、覚悟して下さい。

強くならなくていい、ヘルプを出すことの大切さ
松原 強くならないといけないですね。
伊藤 強くならなくていい。強くなるのではなくて、弱さを弱さとして認められる。弱い人は弱いままでいい。弱い人間が何も強くなる必要なんてない。弱いことの方が、却って強いですよ、結果としては。だって、弱さを知ってるということは、自分の分をわきまえているということ、できないことはできないと言えること。できないことは誰かに助けてもらう。今の世の中に欠けているのは、助けてもらうというヘルプ、ヘルプミーです。それを子どもたちも言えなくなってるし、教師も言えなくなっている。この、「助けて下さい」ということがすごく大事だと思う。お互いが弱さを認めながら、助けながら生きていく、これが人間が生きていくということじゃないですかね。
(いろんな話題が出されました。おもしろいときにはみんなで大笑いし、しんみりするときはしんみりした7時間のワークショップ。参加者のたくさんの声を紹介できないのがとても残念です)  (了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/16

対話を通して、生き方をみつける

 「吃音の秋」のスタートは、ちば吃音親子キャンプでした。僕は、対話の大切さをずっと語り続けています。どもる子どもと接することばの教室の担当者には、子どもとの丁寧な対話を通して、子どもが幸せに生きるためにできることを探ってほしいなと思っています。
 どもる大人とも、対話を大切にしています。毎週金曜日に開いている大阪吃音教室もそうですし、今月開催する新・吃音ショートコースも、そして、毎年1月に開催している東京でのワークショップも、参加者との対話ですすめていきます。
 今日は、2013年1月、東京北区の北とぴあで開催した東京ワークショップの報告を紹介します。これまでの東京ワークショップの中でも、特に印象に残る対話でした。昨年、今年と2年連続して新潟から吃音親子サマーキャンプに参加した人との出会いは、このワークショップでした。(「スタタリング・ナウ」2013.4.23 NO.224)

 
《伊藤伸二・吃音ワークショップin東京》
   対話を通して、生き方をみつける 1
              東京都北区北とぴあ  2013.1.13

 参加者は、遠く熊本県や秋田県から、どもる当事者、ことばの教室の担当者、言語聴覚士が参加しての、総勢16名。濃密な7時間を過ごしました。そのごく一部ですが、紹介します。  参加された16人のやりとりの時間もたくさんあったのですが、紙面の都合上、参加者のうちのお二人に絞って、伊藤伸二との対話の中で紡ぎ出されたことばを拾ってみました。。

1時間かけた自己紹介
 ひとりひとりが参加の動機を話していくと、自己紹介だけで1時間。自分と吃音の関係についてみんなで聞き入り、ワークショップの場の共通基盤ができたような気がした。これから始まる濃密な時間を予感させる幕開けとなった。

治(なお)ると治(おさ)まる
伊藤 吃音は自分の力で治すものではなく、自然に変わるものだ。五木寛之さんの本に、治るではなく、治まるとの文章があった。まさに吃音は、どもることを認めて話していくうちに、治まっていくものだと思いますが、どうですか?
松原 どもりは認めるのは難しい。やっぱり治りたい。なんで他の人と違うのだろうとか考えてしまう。
伊藤 僕も21歳まで認めるなんて考えもしなかった。でも、一旦認めてしまえば、なんで、みんな認められないんだろうと思ってしまう、不思議なものです。たとえば、自転車に苦労してやっと乗れるようになったはずなのに、苦労したことを忘れてしまう。パソコンも、上手な人には何のこともないことが、苦手な僕には、とても難しい。似ている気がする。
 吃音は、言語訓練ではなくて、どもって生きる覚悟をいかにするかで、そのための勉強と練習が必要です。アメリカは吃音はコントロール可能と、言語訓練をしているが、ほんとに大事な、吃音と共に生きるための覚悟、覚悟するための練習はしていない。カナダの大学院を出て、言語聴覚士になり、3年間、働いた池上久美子さんが、カナダでは、吃音とともに生きる発想がないし、誰も教えていないと言っていました。15年間、500万円をかけて一生懸命訓練をした人が、前よりはどもっているけれど、もうあきらめたみたいだと言っていた。

治ることをあきらめるしかない
伊藤 治る確実な方法があるのなら、がんばってもいいが、100年以上原因も分からず、訓練法もない。この事実は認めざるを得ない。世の中には、治せないもの、治らないもの、解明できないものは、山ほどある。その中のひとつが吃音だと考えた方が、どもる当事者としては生きやすい。なぜあきらめられないのか。どうしたらあきらめて、どもる覚悟ができるのか。このことを松原さんとまず、対話することから始めましょう。

なぜ認められないのか
松原 人に迷惑をかけている気持ちがあるから。
伊藤 あなたはそんなにやさしい人ですか。
松原 いい人なんですかね。
伊藤 どもる人間が電話の受付をしていたら、会社に迷惑をかけると言います。僕は具体的に、会社に金銭的にどれくらいの損失を与え、どんな迷惑をかけているのか、と問います。あなたの場合、小学校の教師としての仕事を全うする中で、誰に、どんな迷惑をかけているのか、思いつく範囲で出してみて下さい。皆さんも、教師の仕事は想像ができるでしょうから、子どもや保護者や同僚や地域社会や大きくは国に、どんな迷惑をかけているか、ちょっと出してみて下さい。

どんな迷惑をかけているのか
松原 子どもたちに対しては、スムーズに授業が展開できない。具体的には、「教科書○ページを開きなさい」がうまく出なかったりする。
伊藤 何分くらい迷惑をかけたんですか。
松原 いや、10秒とか、秒の単位です。
伊藤 あなたが言う、スムーズに授業の展開ができないのは、10秒くらいの問題ですか。
松原 ことばに関しては、それだけ。もっと別に、力量がないというのもあるかもしれない。
伊藤 それは、吃音とは全然関係がないことでしょう。教師としての力量と、今、おっしゃいましたね。もし、そうなら、教師としての人格的なこと、教材研究など、本来教師としてしなければならない努力をしなくても、僕に力量がないのは、吃音のせいだと、吃音はいい教師になるための努力をしないことの格好の言い訳になりますか。
松原 言い訳ではないです。
伊藤 僕からすると、言い訳に聞こえます。迷惑をかけている中身として、ことばがスムーズに出ないことと言ってすぐに、力量ですかねと言ったのは、自分自身には力量がある程度欠けているという自覚があるのですか。
松原 うーん。卒業式や入学式など儀式的行事のとき、呼名で迷惑をかけていると思う。厳粛なムードの中で、式が進行するのですが、どもっていると、滞って迷惑をかけるなあと思います。
伊藤 実際、かけたんですか。
松原 そのときには、3秒ほど。(笑い)
伊藤 僕も、通信販売の注文で名前が言えない。どもらない人の3倍はかかる。でも、長くて30秒もかからない。それを迷惑と考えることを考え直した方がいい。迷惑というのは、今大阪で問題の、子どもに体罰を与えたり、いじめを知って隠蔽する教師です。子どもに、保護者に、まじめにやっている同僚に迷惑をかけている。教師として、迷惑をかけるということは一体どういうことなのか。本質から目を反らすのに 吃音は格好の材料となる。後でゆっくり考えて下さい。他には。
松原 電話ですね。
伊藤 どこに電話するの。
松原 かかってきた場合、小学校の学校名が出なかったりすると、相手が聞きにくいと思う。
伊藤 それで、相手は損失を受けたり、迷惑をかけられたりしますか。
松原 いや、ないですね。面と向かって話をしていて私がどもると、相手が顔を下に向けます。きっとどういう対応をしていいのか悩んでいるのかなと思います。多分、私は、相手のことを考えすぎるんですかね。
伊藤 相手の目、ということでしょうか。
松原 相手の目や気持ちがとても気になります。
伊藤 他にはどう。せっかく九州から来たんだから、この際、恥と思うことも出していって。
松原 恥は、いっぱいあるんですけど。学校とは別にでもいいですか。自己紹介の時話した、剣道の話ですが、審判をするとき、「はじめ」の「は」が出ない。決勝戦の審判は3人で、主審が、「はじめ」「やめ」「二本目」「分かれ」の決まったことばを言う。私は「はじめ」が出ない。前までは、「二本目」も出なかったんですが、言いにくいことばは、そのときどきで変わる。決勝戦で、保護者も大勢いる会場で、ことばが出なかったら、ざわざわする。決勝審判を断ったことがあり、逃げたなあと思い、迷惑をかけたかなあと思います。
伊藤 あなたが決勝の審判をやめたことで、試合は流れてしまうんですか。
松原 流れはしませんけど。
伊藤 誰かが代わってくれますか。
松原 1回はトイレに行きたいですと言って、代わってもらったこともある。車の中では言えるのに、なんでですかね、。
伊藤 それが、吃音というもの。車の中では、「二本目」でも「はじめ」でも言える。練習すれば、練習の場ではできるようになる。よくどもっていた人がスピーチセラピストの訓練室ではあまりどもらなくなると、アメリカの言語病理学者は、どもりが何%軽減された、自分のセラピーは成功したと言う。練習の場だと思うとできる。僕は、上野の西郷さんの銅像の前や山手線の電車の中で演説をしましたが、練習だからできる。生活の中の本番でできることが大事です。練習してそれが本番に生きるような訓練法があるのではないかと思うのは、大きな幻想で、間違い。僕らは、発語器官や呼吸器官に問題があるわけではない。一生懸命練習しても何の役にも立たない。でも、あなたの「はじめ」や「やめ」や「分かれ」は、即解決ですよ。

サバイバル「・じめ」でも「・・め」でもいい
伊藤 「はじめ」の「は」が言えないんでしょ。今度から決勝の審判、十分にやれますよ。僕がおまじないをかけましょう。
松原 よろしくお願いします、ぜひ。
伊藤 僕がやってみますよ。「はははは、は、はじめ」となるから、嫌なんでしょ。では、大きな声で、「・じめ」。
松原 それ、「・じめ」でしょう。
伊藤 「はじめ」と聞こえませんか。
松原 はい、聞こえます。(笑い)私も、それ、したことあるんですよ。
伊藤 それでいいじゃない。なんでだめなの。
松原 でも、「・じめ」も難しくなって、「・・め」と言ったことがあります。(爆笑)
伊藤 いいじゃない。それでだめなら、文句があるのなら、文句がある人が審判をやればいい。決勝の審判をする力量の人は、あなた以外にもいるでしょ。
松原 はい、います。
伊藤 できないことはできない、他の人に代わってほしいと正直に言う。僕がすると、「ははははははは、はじめ」となりますが、それでもいいのなら、私はやりますが、いいですかと言う。
松原 それも恥ずかしい。そこの意識の改革というか、伊藤さんみたいな覚悟がまだ無理です。
伊藤 何か訓練で身につけることなら、難行・苦行ですごく難しい。「はははははじめ、でいいなら、僕はやるが、具合が悪いなら、他の人がやってほしい。剣道の指導は、一生懸命やるから、審判は無理です。でも、「・じめ」、「・・め」でいいならやります」と、条件闘争をすればいい。剣道の人たちに吃音のことを話していないんですか。
松原 全く。いや、ひとりだけいます。
伊藤 よく、吃音を他人は理解してくれないと言いますが、これはどもる人の怠慢です。自分が隠しながら、相手は何を理解するんですか。理解のしようがない。「はははじめとなるので、審判は自分はできません」「そうですか。じゃ、審判はいいです」となるのが、理解するということでしょう。
 ポイントが分かってきました。あなたも、どもることはいけない、マイナスの、かっこ悪いもの、恥ずかしいこと、ネガティヴなものと、強く考えすぎている。どもると信用してくれない、ばかにされる、能力が劣っていると見られてしまう、という相手の評価が耐えられないのですね。
 僕たちは、自分がもって生まれた、この顔、このからだ、自分のもっている条件でなんとか折り合いをつけて生きている。僕の家はとても貧乏だったので、「お金があったら、こんなに苦労しなくても済んだのに」とよく思いました。そう思っても、事実は変えようがない。貧乏だったから、大学に行くためには、新聞配達店から大学に通う選択肢しかなかった。僕は、大学の受験料も、東京での大学生活の費用も全部自分で稼ぎました。
 でも、僕が東京に行ったのは、吃音を治すためで、民間矯正所の東京正生学院に行くことだった。だから、新聞配達店を夏休みにやめて、東京正生学院の寮に入り、1ヶ月、一生懸命治すためにがんばった。でも、治らなかった。新聞配達を選んだのは、住み込みで食べさせてもらって働けることと、どもる僕でもできると思ったから。新聞配達店に戻る選択もあったが、どもりは治らなかったのだから、話す仕事でも何でもしようと、3畳一間の家賃の安いアパートを借りて、アルバイト生活をした。
 神田駅のガード下の美人座というキャバレーに勤めたときは、「とととととりのかかかか唐揚げ、こごご五人前」と調理場に言ったら、「忙しいのに、早く言え」となぐられたこともあった。嫌なことはいっぱいあったけど、バイト生活をやめたら、東京での大学生活ができなくなる。そのときに、貧乏でなかったらと思ったこともありました。
 僕は、どもるテーマをもってしまった。じゃ、それとこれからどう折り合いをつけて、生きていくかを考えなくてはいけない。僕は、どもりながら、いろんなアルバイトをしたときに、ひとつの大切なことに気づいた。どもる人間には、話すことの多いセールスはできないと思っていたが、学習研究社の子ども百科事典のセールスやデパートの売り子、キャバレーにも勤めた。その中で、どもっていても、人にそんなに迷惑をかけることはない。中にはなぐったり、嫌なことを言う人もいたが、基本的には人間はどもるからといって、ばかにしたりすることはないということを、実際に経験して分かった。
 経験しないと、〜に違いないとか、こうしたら〜と思われるだろうとか思ってしまう。これ、全部想像です。迷惑をかけているだろう、子どもは変に思っているだろうは想像の世界。どうですか。
松原 私の妻は分かってくれて、どもっていても、全然問題はないと言ってくれる。吃音のことを泣いて話したときには、考えすぎよとも言われた。
 どもっても、それで人格が否定されるわけではない、と。否定されないばかりか、むしろ、私が剣道で指導しているときに、どもると、考えて話をしているんだろうなあと思われる。
伊藤 かしこい人に見られるんだ。(笑い)
松原 ことばひとつひとつが重いと言ってくれたりする。すごくどもったのに、そういうふうに、見てくれる人も、たくさんいるんだなあと思いました。でも、指摘されたり、真似されたりした小学校の頃のことを思い出すと、スイッチオンになる。
伊藤 僕も、どもりのくせに、とからかわれたりしたから、昔はスイッチオンしてました。僕には、いまだにスイッチオンの場面がある。僕は友だちが一人もいなかったから、修学旅行や運動会、遠足が恐かった。誰か一緒に弁当を食べてくれるか不安だった。ひとりで食べていると、周りからあいつはどもりだから友だちがいないのだと思われる。そのスイッチオンはいまだにある。僕は今でも宴会や懇親会が苦手です。生活に支障は無いので、孤独への恐れがずっと残っていても仕方ないと思う。松原さん、みじめな自分の記憶をいつまでもスイッチオンしていたら、損でしょう。
 スイッチは、もう取り外そうよ。今から新しい人生を生き直せばいいじゃないですか。むしろ、どもっていても、あなた誠実ねと言ってくれたり、かしこく見えたりのスイッチオンを信じて、そのスイッチオンを増やしていく。そのためには、やっぱり恥をかいたり、嫌な思いをしたりという経験を突破していかないと、昔のスイッチオンからは抜け出られないじゃないですか。
松原 はい。覚悟を決めようかなと思います。
伊藤 決めるのは簡単。簡単ですよ。禁煙は簡単だとよく言うじゃないですか。
松原 はい、禁煙は、簡単でした。(笑い)
伊藤 禁煙が簡単だという人は、禁煙を覚悟するんだけど、また吸うでしょ。やっぱりだめだと思って、また、禁煙をする。その繰り返しで、何回も禁煙している。だから、覚悟を決めたとしても、微動だにしない覚悟なんてないですよ。一度決心をして、自分はこの道を歩んでいこうと決めることは誰でもができる。でも、それはときに、決心が揺らいだりするのは仕方がない。人間、そんなに強いものじゃない。それも認めていかなきゃ。でも、一度、私はこういう生き方をしようと覚悟を決めてほしい。そして、動き始めたときに、あっ、どもっていても聞いてくれる人はいるなあ、仲間はいるなあという経験をする。そんなスイッチを集めるために、肯定的な物語を集めるためには、やっぱり行動しなきゃいけない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/14

第7回 新・吃音ショートコース 2日目

新・吃音SC 1 10月13日、新・吃音ショートコースの2日目が始まりました。
 都合で、この日から参加する人も2人いました。2日目は、1日目のオープンダイアローグで一人の女性に関わって対話を続けた時間について、彼女本人と、その場に居合わせた人たちが気づいたことや考えたことを丁寧にふりかえることからスタートしました。僕は、この、体験したことをふりかえることをとても大事に考えています。
 僕は、これまで、エンカウンターグループやカウンセリングの場に何度も参加していますが、ある場で悩みを出して話し合いの中で、それなりに問題が解決したように見えていた人が、また別のカウンセリングに参加して、同じような問題を出している場に何度も遭遇しました。何度も自分の同じ悩みを話すことを繰り返しているのです。ストンと落ちていないのだろうと思いました。そんな経験があるので、僕は、昨日の僕と対話した人に、1晩寝て考え、整理したことを話してもらうことにしました。話題提供者は、ゆっくり、じっくり振り返っていました。ひとつひとつ噛みしめるように、自分の思いをことばにしていっているのが分かりました。その場にいた人は、その過程を共に歩んでいるように見えました。
 自分の課題を提供した人は、昨日、自分の問題を出して、みんなで考えるということを体験しました。それがそれで終わってしまったら、これは、ひとつの体験で終わってしまいます。体験したことを振り返ることで、それは経験になるのです。それは、もう一つの自分が、自分を見ることとも言えます。それがメタ認知です。その経験を、ことばとして表現し、学びへと結びつけていってほしいと話しました。体験から経験へ、そして学びへ、です。彼女が自分に誠実に体験を振り返ったことで、僕たちも一緒に時間を共有した意義を感じとることができて、そのセッションを終えました。

新・吃音SC 3 次に、アドラー心理学について知りたいというリクエストがありました。僕は、アドラー心理学の基本前提を伝えました。覚えやすいように、語呂合わせになっています。
「こぜに、もった」です。
「こ」→個人の主体性…人生の主役は自分であること。
「ぜ」→全体論…行動も感情も全部含めて私だということ。
「に」→認知論…誰もが主観的に物事を見ている。
「も」→目的論…人の行動には目的がある。
「った」→対人関係…すべての行動には必ず相手がいる。
 そして、アドラーは、共同体感覚を大切にしているのだと話しました。共同体感覚とは、自己肯定・他者信頼・他者貢献の3つで成り立ち、一つが欠けてもだめで、それぞれに関係があり、ぐるぐると廻っています。このことを僕のセルフヘルプグループの体験を通して説明しました。

 ことばの教室の担当者から、社会人になってから自分の吃音を説明するかどうか、どう説明してきたか、成人のどもる人への質問が出ました。
 どもる子どもたちが、クラスの子に、「なんでそんなしゃべり方なの?」と聞かれてどう答えるか、どう説明するかを考えているからだとのことでした。参加していたどもる大人は、説明していない人がほとんどでした。わざわざ言うことではない、どもって話したらそれで分かるだろうということなのでしょう。もし、聞かれて説明する必要があるならば、どもる自分を認めて、吃音について勉強しているなら言ってもいいだろうという話になりましたが、そういう人なら言わなくてもいいだろうということになりました。
新・吃音SC 2 僕は、人が自分の周りの人に対して、吃音の理解を求めて、吃音を公表することは、大事なこととは思いません。まして広く社会に公表するなど何の問題解決にもならないと思います。自分の身近な人、それを僕は半径3メートル圏内の人と言いますが、その人に対して、必要なときに必要であれば言えばいいだけのことです。また、伝えるときに、小さなぼそぼそとした声では伝わりませんから、大きな声が出せるようにしておくことも大事だと思います。とここまで来て、リクエストのあった、楽しく声を出すレッスンをしました。谷川俊太郎さんの詩をみんなで読んだり、ひとりひとり読んだり、母音を意識してゆったりと息を深くして歌を歌ったりしました。気持ちのいい時間でした。

新・吃音SC 4 そして、午後4時前になり、ひとりひとりのふりかえりの時間になりました。ふりかえりを少し紹介します。
・久しぶりに吃音のことをたっぷりと考える時間になり、楽しかった。
・フィッシュ・ボウルで、話題提供者の話を自分と重ねて話していたのがよかった。
・これまでしたことのないことをいっぱいしたなあと思う。話を聞いてもらって、みんなからいろんな話を出してもらった。これは、口に出さないと起こらないことで、口に出すことが大切だと分かった。新しい考えができそうな予感がする。
・吃音の公表が前提になっているところがある。公表する側、公表される側、その双方のメリットとデメリットを考えていきたい。
・対話の中で考え、ことばが生まれていくことを体験した。
・声を出すのが気持ちよかった。
・障害者手帳を取得するかしないかの話がおもしろかった。どんなことも、メリットとデメリットを考えていきたい。
・参加者のまじめで誠実なかかわりの中で、対話がすすみ、ことばが生まれ出てくる場に立ち会えて、なんともいえない心地よさを味わった。

 何のプランもなく、始まった2日間でした。その時、その場で生まれてきた思いのままに、すすめてきました。人と人とが出会う、この濃密な時間が、僕は大好きなのだと改めて実感しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/24

新・吃音ショートコース 1日目

蒜山 紅葉 縮小 













 またしばらくブログをお休みしました。
 10月19・20日は、第26回島根スタタリングフォーラムでした。僕たちの滋賀での吃音親子サマーキャンプは33回続いていますが、それに次ぐ回数です。ことばの教室の担当者が変わっていく中で、事務局が、上手にバトンを渡してつないでいってくれたのだと思います。島根にはたくさんの思い出があります。
 その前の週、12・13日は、新・吃音ショートコースでした。ショートコース前日の11日は、明石の豊岡短期大学姫路キャンパスで「アンパンマンの秘密」について、知人で幼児教育・絵本の専門家長谷さんの話を聞きました。僕たちは遠くに旅行することが多いのですが、今回は明石へのショートトリップでした。
 その前の週、5・6日は、ちば・吃音親子キャンプでした。
 3週連続のイベント、その合間を縫って、「スタタリング・ナウ」の編集・入稿をするというかなりハードなスケジュールでした。

 今は、島根の帰りで、蒜山高原に滞在しています。明日、大阪に帰るので、つかの間の休憩です。木々が色づき始めています。あいにくの雨なのですが、雄大な自然の中に身を委ねるだけで、幸せな気持ちになります。ということで、疲れていると思いますが、元気にしています。千葉のキャンプと、アンパンマンについては報告したので、今日は、新・吃音ショートコースの一日目を紹介します。
蒜山 全景 縮小


 新・吃音ショートコースは、今年で7回目でした。テーマを、「吃音哲学〜吃音の豊かな世界への招待〜」とし、最初からプログラムを組まず、参加者が集まり、そこで何をしたいか、何について考えたいかをまず相談することからスタートします。参加者が自ら決めることを大切にしたワークショップです。
 今回、集まったのは、急な体調不良によるキャンセルを除いて、17名。島根、千葉、滋賀、三重、奈良、兵庫、大阪からの参加でした。自己紹介から始まりました。申込書に、何をしたいのか、要望を書いてもらっていますが、このときに、自分は何をしたいと思って参加したのかを話してもらいました。

 まず、会社で、対話とは何かの研修を受けたが、果たして、たとえば、上司と部下の間で、対話は成り立つのだろうか。研修の講師は、上司はその立場を脇に置いておいてと言うが、難しいし、部下は部下で、グチや不満を並べるだけになってしまう。上司としての、また部下としての心構えとして、何があるだろうか。また、どもる人にとってなぜ対話が必要なのだろうか、という話が出ました。

 対話と会話の違いについて話した後、フランスの「小さな哲学者たち」のドキュメンタリー映画を紹介しました。幼稚園に通う子どもたちが、愛について、死について、友情について、など、大人でも難しいと思われるテーマで話し合いをしています。その場には必ず幼稚園の先生がファシリテーターとして入っています。子どもたちは、この哲学の時間を楽しみにしています。
 では、どんな場だったら、自由に話せるだろうか、と参加者に問いかけました。
・自分が傷つけられない、批判されない場
・安心できる場
・信頼でき、自分を認めてくれる場
・安心でき、安全な場
・平等に時間が与えられる場
・存在してもいいという雰囲気がある場
・年齢、利害関係など関係なく、対等な立場である場
・出た話はその場限りということが守られる場
・評価されない場
・責められない場
・必ず誰かが応答してくれる場
・他人のことばを紹介するのではなく、自分の人生を賭けて発言する場

 どれも、そうだなあと思います。こういう場でないと、人は話すことはできません。こう考えてくると、最初に出てきた、職場で上司と部下の間で対話は成立するかというと、日本では、かなり難しいと僕は思います。上司の立場の人が、上司という役割を脇に置くことができれば、可能かもしれませんが、日本の場合、難しいでしょう。
 すると、対話は無理、考えるということができなくなってしまいます。では、どうするか。
 対話は、何のためにするのでしょう。他者との対話を通して、自分が自由になるためです。身につけてしまったものから解放されるためには、自己内対話では無理です。独り言だと固着してしまいます。対話は、お互いが生きやすくなるため、自由になるため、ストレス対処のためにも大切です。会社でどう対話を成立させるか、他の部門の人どうしなら成立するかもしれません。利害関係のない上司と部下なら、成立するでしょう。そして、上司同士が、対話の難しさなどについて共有していくことで、対話の大切さとともに、そのときの心構えも共有できるではないでしょうか。

 以上、まとめた形で紹介しましたが、ひとつの結論は出すことが目的ではない対話が、参加者がそれぞれ意見を言い合い、聞き合いして、対話を繰り返しながら、続いていきました。

 参加者からのオープンダイアローグのフィッシュ・ボウルを経験したいとの要望を受けて、できるかどうかわからないままに、参加者のひとりが今、抱えている問題を取り上げることにしました。フィッシュ・ボウルに完全な形があるわけではないでしょうが、今回はかなり変形です。真ん中の小さな円には4脚の椅子を置きます。そこに、問題提供者と僕が座り、固定席としました。そしてもうひとり、参加したい人が座り、もうひとつの椅子が空いています。外の大きな円には、そのほかの人が座り、中の話を聞きます。話したくなったら、真ん中の小さな円の空いている椅子に座ります。それまでそこにいた一人が抜け、常に椅子はひとつ空いている状態にしておきます。
 個人的な大きなテーマなので、長い時間、話しました。決して急がず、ぽつりぽつりと出てくることばを大切にしながら、どうしてそう思うんだろうと問いかけていきました。本人が、自分の問題の核心に近づいていくのがおぼろげに見えてきます。いろんな意見が、混声合唱のように、本人の頭の中に響いていたことでしょう。そして、僕は、最後に、「これで終わっていいですか。何か最後に言っておきたいことはありますか」と尋ねました。「ありません」と言った本人の顔は、なんかすっきりと見えました。最後に、この対話を聞いていた参加者全員が、レスポンスをしました。このレスポンスがとても大事です。応答性です。ひとりひとりが、自分のことと重ね合わせて聞いていたことが分かるレスポンスでした。本人は、最後に、「うれしい。昔と比べて、こんな会に参加して、こんな場に出るなんて、自分でも信じられない。変わってきたんだなと思った。みんなの経験を聞いて、自分に対していろいろ言ってもらえるのがうれしかった」と言いました。

 ここで夕食の時間となりました。夕食後は、発表の広場でした。「若者言葉の「大丈夫です」は、大丈夫か」と「医療機関での言語聴覚士による吃音へのアプローチ」を聞きました。また、参加者の尺八演奏に合わせて、みんなで歌を歌いました。ゆったりとした気分になりました。最後、いつもなら、ことば文学賞の発表なのですが、今回は該当作品なしということで、締め切り延長としました。
 最後に、資料として配付した、毎日新聞の東京版を読んで、感想を言い合いました。

 濃い時間が過ぎていきました。午後10時まで、警備担当の人から「時間です。退出してください」と言われるまで、目一杯時間を使いました。血の通ったことばのやりとりの時間は、僕にとって何よりの贅沢な時間でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/22

「吃音の夏」第二弾 第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想  吃音親子サマーキャンプを前に

 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想

 明日からは、いよいよ第32回吃音親子サマーキャンプです。今年のキャンプは、初参加者が多く、フレッシュなキャンプになりそうです。きっと、今頃、不安と期待が入り交じった複雑な思いで、準備されていることでしょう。鹿児島県から初めて参加する親子は、今日は京都に前泊すると聞いています。私たちスタッフも、初めて参加される方、遠くから参加される方の思いを想像しながら、明日の出会いを楽しみに、最後の準備をしています。
 キャンプが始まってしまうと、ブログの更新はできないと思いますので、しばらくお休みします。サマーキャンプの前日の今日は、これまで報告してきた第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の感想を紹介します。
 初めは、講習会の主催者である、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の事務局長の渡邉さんの報告、そしてその後に参加者ふたりの感想を紹介します。


横断幕 吃音講習会は、全国難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会で発表した安田さんの提案でスタートしたので、子どもと安田さんが対話しているビデオを観て、やはり吃音について「対話」するっていいなと思ました。伊藤伸二さんの基調提案では、安田さんが健康生成論をことばの教室の実践にいかしている提案を解説しながら「対話」の大切さを丁寧に話してくれました。どもることを否定しないが、言語訓練も大切だとする、一貫性のないかかわりが危険であることを参加したことばの教室の担当者や言語聴覚士の方々にわかってもらえたと感じます。
osp 公開講座 大阪のみ 大阪吃音教室のみなさんが、普段の例会の様子を再現してくれました。内容は、吃音チェックリストでセルフチェックを話し合うことでした。〈自分のことを語る、相手の語りを聞く〉を私たちはみることができました。どもることだけでなく、私たちが子どもを全体的にみることや相手の話を聞いて、真剣に考え、知りたいと質問していくことが「対話」になっていると思いました。語っている人が語りたくなるような雰囲気がとても伝わってきました。私も大阪吃音教室に一度は参加してみたいと思っていますが、ここで一コマですが再現してもらって、うれしかったです。そのあともグループの話し合いや休憩時間などで、どもる人の考えや思いを聞くことができて本当によかったです。
 講習会以外では、このようにどもる人本人と一緒に研修をする経験がないので、とてもよかったと参加者が感想に書いていました。これからも、大阪吃音教室のみなさんに参加してもらいたいなと思っています。

牧野さん 次の日は、牧野さんの基調提案からスタートしました。一日目の様子をふまえて、やわらかい雰囲気で話してくれました。私は最近、今回のテーマである「幸せ」について考えるようになりましたが、牧野さんはずっと前から「ハピネス!」と発信していました。幸せをベースに「どもる子どもの生きるかたちを支えるために」について話してくれました。子どものありのままを受け止め、暮らしの中での子どもの思いを知ることが大事ではないか、どもることだけが課題だと大人が勝手に考えてしまわないように大人のかかわりについて、たくさんのことを話してくれました。子どもの幸せという意味で将来を一緒に考えていくことが大事であると実感しました。
渡邉 その後、実際に教材を工夫してつくり実践をしている四人のことばの教室の担当者が、「言語関係図」「吃音かるた」「吃音チェックリスト」など、ことばの教室で子どもと取り組んでいることを紹介しました。「言語関係図」や「吃音かるた」など、同じテーマでも違う教材を制作し、それぞれの工夫がある実践を紹介できたと思います。参加者が自分が取り組むときにどう活用しようかと思って実践してくれたらいいなと思いました。
ティーチイン 2日間もあると思った吃音講習会もあっという間にふりかえりの時間になりました。みんなで輪になって一言ずつ話しました。2日間で印象的だったことや考えたことなど、参加者のことばでふりかえることができました。多かったことは、安田さんが実際に子どもと対話をしている様子がビデオで見れたこと、大阪吃音教室の実際の対話をみることができたことでした。実際のことが伝わってよかったなと思いますし、それをどんな意味があるのかを伊藤さんや牧野さんの話でよりわかり、参加者が意見を交換できた、いい講習会だったと思いました。
 来年は千葉市で行います。来年もたくさんの方々が集まっていい時間を過ごせる講習会にしたいなと思っています。以上、報告でした。


 
 
安田さんのことばの教室の実践発表はもちろん、教材の紹介の中で皆さんが紹介されていた事例の一つ一つに、一人の人間として子どもを信頼し、子どもと対等な立場で共に取り組むということが徹底されており、温かい思いが満ちていた2日間でした。子ども達のことを思うと、自分のことのように嬉しいです。
 ことばの教室の担当者が、それぞれの実践での、子どものエピソードを紹介しているときの、皆さんの柔らかい笑顔が印象的でした。
 安田さんの担当しているB君のように、「軽い気持ち」「重い気持ち」などと自分の気持ちを表現できる子どもにとって、「重い気持ち」を語ることができる場があり、それを語れる大人がいるということは、どれほど大きなことだろうと思います。たくさんの子ども達に、安田さんのような人に出会ってほしいと願います。
 僕は、教育の場で子どもと関わる立場ではありませんが、吃音に取り組み始めた頃から、どもる子ども達のことにすごく関心があります。様々な場面で、子どもが一生懸命に生きている姿にふれると、力をもらうし、自分のことのように嬉しく、幸せな気持ちになります。反対に、合理的配慮が濫用され、どもる子どもが生きていく力を、削ごう、削ごうとしている現状にふれると、涙が出るほど悲しいです。「どもる子どもが幸せに生きるために」という思いの輪が、もっと大きく広がり、根付いて欲しいと切に願っています。
 妻によると、僕は今朝、寝言で吃音がどうのこうのと言いながら大笑いをしていたそうです。仲間も大勢できました。我がことながら、名古屋での二日間が、よっぽど楽しかったのだろうと思います。
 次は、いよいよキャンプです。よろしくお願いします。



 
「人は人を図らずも傷つけてしまうものだ」「傷つけるかもしれないとの不安は、人との関係の中では一生ついてまわる」という言葉を聞き、「人を傷つけてしまってはいけない」「不安は取り除かなくてはいけない」という思考になっていましたが、このようなことを前提に人と関わることを知れたことで少し楽になりました。人を傷つけてしまうかもしれないことを極端に恐れてしまっていたことに気づき、「納得する/させる」と同じように傷つくかどうかは相手次第であり、伝えるべき情報は、極度にこだわらず伝えていきたいと思いました。
 「どもる」を「つっかかる」や「ひっかかる」と言い換えることについて、伊藤さんの話を聞き、小学生の頃、自分で「どもる」という言葉を使うのが嫌で、吃音のことを相手に「ひっかかる」と表現していたら、相手から「私もひっかかるよ」と言われて「どもる」ことが伝わらず、「みんなのひっかかるじゃなくて、毎日の会話でどもることなのに」と悲しんでいたことを思い出していました。他の人から「どもり」「どもる」と言われるのは嫌でしたが、表現を曖昧にしてしまうと、語れる言葉がなくなってしまう危険性もあり、「自分を語れる言葉」として残すべきものの見極めが大切だと感じました。
 今回の吃音講習会では、特に、「対話」について深めていけたらと思いながら参加していましたが、「対話」以外のこと(自分自身の生き方、どもる人として、仕事のこと)でも学びがとても多かったです。対話に関して、相手に質問する力だけでなく、話を聴く力をさらに身につけることで、相手がどう向き合ってくれるか変わっていくのではないかと思いました。
 4年ぶりに参加し、自分自身の吃音をとりまく課題や思いを改めて見つめ直すきっかけになりました。来年の講習会でも、自分の思い、行動の振り返りをしたいと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/17

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

吃音の夏」第二弾 
 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜大阪吃音教室の公開講座を終えて


 参加者が丸く円になり、講習会のふりかえりをした後、短時間だったのですが、感想を記入していただきました。そこに書かれていたことは、また機会があれば、ぜひ紹介したいのですが、今日は、それとは別に、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトのメーリングリストで交わされた、講習会1日目の午後、吃音チェックリストを使っての、大阪吃音教室の公開講座をめぐるやりとりを少し紹介します。

osp 公開講座 大阪のみ 吃音講習会に参加のみなさん、お疲れ様でした。
 吃音チェックリスト公開講座を担当いただいた嶺本さん、ありがとうございました。
 実際に活用する様子を見て参考になったと、最終日ふりかえりで参加者から感想がありました。吃音チェックリストは、吃音に関するとらわれ度や回避度の数値が下がったもの、数値に変化がないものも含めて、互いの吃音について語り合う、対話のツールでした。
 話し合いの中で普通に、なぜそうなのか? どういう気持ち? など、知りたいと思ったことを相手に質問しますが、どもる子どもを傷つける恐れがあるので、「大阪の人のようなつっこみはできない」ということばの教室の担当者がいました。予想外の反応でしたが、相手の気持ちを配慮し、あまり慎重になりすぎると対話になりません。短い期間で異動することばの教室担当者のとまどいや悩みを知ったようでした。
 吃音チェックリスト、言語関係図、吃音氷山説などは、大阪吃音教室でやっていますが、ことばの教室でも教材として実践され、事例研究が進みます。講習会ではそれらの事例研究が報告され、教材としての意味づけを知り、参考になりました。
伸二 伊藤さんが基調講演で話された健康生成論の首尾一貫感覚の〈わかる、できる、意味がある〉感覚は、幸せに生きるためになくてはならないものですが、私たちがこれまで教材としてきた論理療法、交流分析、アサーションなどで学び、自分への気づきを得てきたのは首尾一貫感覚で意味づけることができます。ことばの流暢性を求めなくても吃音の悩みから解放され、幸せに生きることができる裏づけをもらったようでした。
 内容の濃い、盛りだくさんの吃音講習会でした。大阪のメンバーが参加し、いろいろな体験を話す意味合いを改めて思いました。(東野)     
 
 参加されたみなさん、講習会でのチェックリストの例会実演、いい時間でしたね。吃音チェックリストの数値は、ともすれば数字の低さをよしと考えがちになるのですが、やりとりの過程でそうではないことが示されていく様子は、吃音講習会の参加者にとって圧巻の展開だったと思います。
 吃音チェックリストは健康生成論の首尾一貫感覚における「わかる」に焦点化したものでしょうが、「できる」、「意味がある」ところにまで私たちの話し合いは進んでいましたのでなおさらです。
 プログラム最後の振り返りでは、公開講座に参加していた大阪吃音教室の人たちの話に「つっこむ力」が話題になりました。興味・関心ゆえのつっこむ力、応答する姿勢は伊藤さんや顧問の牧野さんが語ったこととも通じて、ことばの教室の教員の夏休み明けの子どもたちに向き合っていきたいという振り返りのことばに結実したと感じました。
 嶺本さん、普段の大阪吃音教室と違って、それなりに緊張感がともなう担当だったと思いますが、それこそ嶺本さんにとっての適度なバランスのとれた負荷、経験だったのではないでしょうか。いい時間をともにさせてもらいました。ありがとうございます。(坂本)

 「大阪で普通にしていることが、参加者にとっては、とても新鮮で、衝撃的だったようですね。大阪人だから? いえいえ、相手を信頼しているからできることだと思います」と、伊藤さんたちが書いていましたが、名古屋での吃音講習会での反応で、私が一番驚いたのがその点です。
 普段子どもを相手にしている先生や言語聴覚士が、吃音のことを子どもに質問したり、子どもの発言にツッコんだりするのに、何をためらうんだと思いました。まあ、参加者のそういう反応を通じて、「これからは子どもたちとの対話を心掛けよう」と思う、そんな先生たちが増えていきそうな実感が持てた講習会でした。
 今後とも、大阪から参加しやすいときは、講習会に参加しようと思っています。(西田)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/15

新・吃音ショートコース、終わりました

新・ 6月24・25日、寝屋川市立市民会館で、第6回 新・吃音ショートコースを開催しました。24日(土)は、午後1時から夜10時まで、25日(日)は、午前9時から午後5時までという、普通では考えられないような長丁場の研修会でした。初めて参加した人がよく、「プログラムには夜10時までと書いてあって、本当かなと思っていたけど、本当だった」と言います。僕たちにとっては、ある意味、これが普通なのですが。

 1日目、自己紹介の後、今回、この場でどんなことをしたいか、リクエストを聞いて、2日間のおおまかなプログラムを立てました。

新・吃音ショートコース 伸二と奥田 高校生の生活支援の仕事をしている人から、「カウンセラーではない支援ものという立場で話すが、話にきた相手にとって、話した時間、内容がこれでよかったのかと、終わってからよく思う。対話は対等性が大事だと聞くが、なかなか難しい。どんなことを大切にすればいいか」という話題が出ました。とても大切なテーマで、対話について考えている僕にとっても、ぜひ、考えたいことでした。彼女とじっくり「対話の難しさ、対話をするときの心構え」などについて、対話をしました。彼女の実体験から出てくることばに耳を傾け、僕も、これまでの経験や今考えていることなど、真剣に話しました。周りの参加者も、そんなふたりをしっかり支えてくれました。一人の人間として、他者にどうかかわるか、その奥深さを改めて思った時間でした。
 「対話について」の対話は、教師や対人援助にかかわる人だけでなく、職場、家庭での人間的な対話について、深まっていきました。今回の吃音ショートコースの中での、「ハイライト」だったと、僕は思いました。真面目で、誠実であるが故の対話の難しさが、参加者の一人一人に響いたと思います。

新・吃音ショートコース 伸二アップ 次は、今、心理学だけでなく、企業や自治体などでも注目されているウェルビーイングについて考えました。それぞれが思う「幸せ」について話し合いました。人間にとって大切な三間(空間、時間、仲間)アドラー心理学の共同体感覚、ポジティヴ心理学から、PERMA(パーマ)の5つの概念、リフの6つの要素、それらの中のキーワードから、自分にとって何が大事と思うか、ひとりずつ発言していきました。似ていたり、違っていたり、でも結局は似ていたり…「幸せ」からの切り口は、多くのことが考えられるいいテーマでした。

新・吃音ショートコース西田 新・吃音ショートコース深堀新・吃音ショートコース小島新・吃音ショートコース尺八発表の広場では、中井久夫の著書「治療文化論」から発見したことを、吃音とからめて考察したことの発表をはじめ、東京からの参加者が自分の転職にまつわる体験や、三重県からの参加した元ことばの教室担当者がこれまでの自分を振り返って話をしました。元ことばの教室担当者は、東日本大震災の後、復興支援の一貫として、尺八の演奏をして、福島を訪れているそうです。彼女の尺八に合わせて、みんなで「花は咲く」の歌を歌いました。どれも、その人らしい内容で、参加者は引き込まれました。

新・吃音ショートコース東野と藤本新・吃音ショートコース東野と吉本 発表の広場の後半は、ことば文学賞の発表です。今年は11編集まりました。そこから3編選んで、読み上げました。聞いていたみなさんから感想をもらい、その後で、最優秀作品と優秀作品を発表しました。どれも、しっかり書いてくださっていて、内容も深く、ことばの選び方、表現の仕方なども洗練されていました。最優秀と優秀の2人は、幸い、新・吃音ショートコースに参加されていたので、感想も聞くことができました。
 今年から、佳作(審査員特別賞)を2編選ぶことになっていましたが、時間がなくなってしまい、入賞者3人の作品だけを読み上げました。佳作(審査員特別賞)の2作品を選びながら、その2編を読むことができませんでした。タイトルだけを紹介したら、2編とも、作者が参加していたことが分かりました。それなら、なんとか時間をやりくりして、発表したらよかったなと残念に思いました。ことば文学賞の選考にあたり、作者名は伏せられているので、僕にはだれの作品なのか分かりません。そのためにこのような残念なことも起こるわけです。
 今年26回目だった「ことば文学賞」、ここまで続けるという強い意志を持ち続けた大阪スタタリングプロジェクトの会長をはじめ、担当の人に感謝です。
 ぎりぎり午後10時、会場を出ました。

新・吃音ショートコース渡邉 2日目は、発表の広場の続きで、千葉のことばの教室担当者がどもる子どもとの「幸せ」についての取り組みを発表しました。その子どもたちから、どもる大人に聞いてきてほしいと要望がありました。「どもりが治ることが幸せとは思わないが、その理由を説明するのが難しいので、どもる大人はどう考えるのかを知りたい」とのことでした。普段、しっかり考えている子どもたちなので、大人顔負けの深い話をしています。

新・吃音ショートコース伸二後ろ姿 その後は、音読を免除してほしいと願い出る保護者について、担任教師から相談があった話、合理的配慮の功罪、日本語のレッスン、どもりそうなときの対処法、エリクソンのライフサイクル論など、リクエストされたことは全部取り上げ、終わることができました。

新・吃音ショートコース日本語のレッスン 日本語のレッスンでは、発音・発声の基本の確認と、歌を「一音一拍」を意識し、「母音」を押して、ゆったりと歌いました。そして用意してきた、歌舞伎の演目、「白浪五人男」の口上を全員が一人で演じました。「問われて名乗るもおこがましいが、…」おなかから声を出し、気持ちのいい時間でした。特に、コロナ禍で大きな声を出すことがなかったので、より気持ちがよかったのかもしれません。

 参加者の感想は、また次回、紹介しますが、それぞれに満足して帰っていただけたようで、ほっとしています。大阪吃音教室とはまたひと味違った時間を過ごすことができました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/27

第9回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 2日目報告

 ドキドキしながら始まった3年ぶりの吃音講習会ですが、あっという間に1日目が終わってしまいました。無茶振りに近い僕たちからの提案を、参加者のみなさんが柔軟に受け止めて下さり、対応して下さったおかげです。芝居でも、観客の反応の良さが、役者はもちろん芝居そのものを見違えるほど育てると言います。僕たちと参加者が一体になって、講習会の場を作り上げている、そんな感じがしました。
講習会 牧野 さて、2日目。まず、この吃音講習会の顧問である、国立特別支援教育総合研究所の上席総括研究員であり、研究企画部長である牧野泰美さんの「対話とは何か」の基調提案から始まりました。牧野さんの存在は、僕たちにとってとても大きいです。安心感を与えてくれます。牧野さんは、全国各地のことばの教室とつながりをもち、あちこち動いておられますが、この講習会は、そんな研修会と違ってゆったりと参加できる、国立特別支援教育総合研究所という名前が教育委員会などで役に立つかもしれないと、みんなを笑わせながら、話し始めました。自分の緘黙の体験をベースに、子どもとの関係性について、対話の良さについて、話していただきました。

講習会 有馬インタビュー その後、成人のどもる人へのインタビューです。このコーナーは、これまで2回していて、今回が3回目です。ことばの教室担当者で、どもる子どもにかかわっているけれど、大人のどもる人に会ったことがないという人は少なくありません。今回の講習会でずっと流れているテーマは「どんな子どもに育ってほしいか」ですが、目の前で自分を語ってくれるひとりのどもる人として登場してくれました。今回は、中学生のときに僕たちと出会い、吃音親子サマーキャンプに参加したこともあり、今、大阪吃音教室で一緒に活動している女性です。地方公務員という、3年ごとに部署が変わり、仕事内容も人間関係も新しく作り上げていかなくてはいけない職場で、悩みながら、嫌な思いもしながら、それでも人とのつながりを大切にして、真摯に仕事に向き合っている人です。
 明るく、誠実で、その人柄は、すぐに参加者にも伝わり、彼女の話を真剣に聞いて下さいました。こんな大人になってくれたらいいなあというモデルを、目の前で見てもらったことになるでしょう。最後に、ひとりひとりの感想を聞いて、午前中は終わりました。

講習会 相埜 午後、昨日残した7つの視点のうちの2つを、オープンダイアローグの形で行いました。 その後は、これまでの対話と違い、教材を使ってする対話も紹介しました。吃音チェックリスト、言語関係図、吃音キャラクター、どもりカルタを使って、子どもたちと対話をする、それらをきっかけに対話をすすめるというものです。チェックリストは、もともと大人のどもる人のために作ったものなので、今回は、今から5年前に、大阪吃音教室と出会い、これまで3回、吃音チェックリストをしてその数値の変化に驚き、それがなぜなのか考察した人の発表でした。具体的な人生のできごと、エピソードとともに語られる話を聞きながら、参加者も、子どもたちにどう使えばいいのか、イメージしていただけたことと思います。
 時間がなくなって、言語関係図、吃音キャラクター、どもりカルタは、詳しく紹介することができませんでした。これまでの講習会で何度か紹介しているので、僕たちにとってはもういいかなと思っていたのですが、教材の周りに人が集まり、どう使うのかと質問していました。教材を使っての対話の具体的な話が必要だなと思いました。
 最後は、大きな円を作って座り、ふりかえりです。最初に書いた「どんな子どもに育ってほしいか」を再度、考えて発表しました。最初のものはそのままで、追加したという人、もう少し深いものにしたという人、みなさんいろいろでした。
 講習会全体のふりかえりは、アンケートに書いていただきました。びっしりと書いて下さった方もたくさんおられました。
 みんなに手伝っていただいて、後片付けをして、会場を出たのが午後5時。
 あっという間の2日間でした。開催できるかどうか、開催していいのかどうか、いろいろ迷いましたが、今は、開催できてよかったという思いでいっぱいです。僕たちが大切にしてきた、直の出会い、対面での語り合い、全体をオープンダイアローグの形で通したこと、それに参加者が対応して下さったこと、すべてがすばらしい時間を作ってくれました。 フル回転していた僕の頭は、なかなかその余韻からさめませんが、その疲れは心地よいものでした。ああ、やっぱりこんな時間はいいなあ、開催を待っていて下さった人たちといい時間を過ごすことができたなあ、と心から思います。ありがとうございました。
 ぜひ、来年も。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/07

講習会 相埜発表全体講習会 ティーチイン1

第9回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会1日目報告

 タイムリーな話題をと思い、長岡花火で寄り道をしました。吃音講習会の報告に戻ります。

 前日に千葉入りした僕たちは、実行委員のメンバーと落ち合い、最終の打ち合わせをしました。キャンセルは5人、参加者は34人と確定したので、少ない人数を活かした講習会にできないだろうかと思い、ふと思いついたことをみんなの前に出してみました。
 「これまでしたことがないから、失敗するかもしれないけれど…」と前置きをして。
 それは、2日間の講習会全体を、オープンダイアローグのようにして、対話の世界にどっぷりつかってみようという試みでした。
 講習会に流れるテーマとして、僕たちが考えていたのは、「どんな子どもに育ってほしいか」でした。その子ども像を明確にして、そのためにどんなことをしていったらいいのか、考えたいと思ったのです。まず参加者に、今、自分が思う「どんな子どもに育ってほしいか」を書いてもらいました。
 そして、オープニングの出口さんの実践発表に入りました。出口さんは、「どのような環境に置かれても自分らしく過ごせるように、しなやかな考えをもってほしい」という明確な子ども像を持って、子どもたちと対話をしていきました。これまでのような、僕の基調提案から始まるという形ではなく、ことばの教室の実践発表から始めたということは、参加者にとって、とっつきやすいものだったようです。穏やかな口調で、子どもとの対話を本当に楽しく語る発表に、みんな引き込まれていきました。また、子どもと対話をしている映像も流れました。子どもも出口さんも、楽しそうです。
 その後、この発表について、質問を受けたり、感想を述べたりするの一般的な形ですが、それを変えてみました。

フィッシュボウル1 出口と フィッシュボウル(金魚鉢)というワークの形ですすめました。
 フイッシュボウルは、多人数で考えや気持ちをシェアするときに使われるワークです。

1 大きな椅子の輪に全員が座り、その内側に 5脚の椅子で小さな輪を作る。
2 提案者と伊藤に加えて、希望者二人が、内側の小さな輪の椅子に座る。もう一脚は空いた席にしておく。
3 内側の輪の中、まず四人が対話し、外側の輪の人はそれにじっと耳を傾ける。
4 外で話を聞いていて、話したくなった人は内側の空いている席に座る。この席は自由席で、出入りするタイミングは自由で、発言してしばらくしたら退席して、空いた席に外側の人が入る。

フィッシュボウル 大きい輪2 実践発表を聞いて、何を感じ、考えたかを、今年、ことばの教室の担当になったばかりの人と、数年経験している人と、僕とが対話をします。そこには、発表した出口さんもいてくれます。質問したり、感想を言ったりしながら対話を続けます。それを周りの人が聞いていて、話したくなったら、空いている席に座り、対話に加わるという形にしました。
 多人数の中だと話せないことも、小さな輪だと話しやすく感じることがあります。ここでは内側の「話す人」と、外側の「聞く人」を分けています。外側の輪にいる人は、内側の小さな輪での対話に耳を傾けながら、自分の中にどんな思いや感覚が生じるかに注意を向け、自身の中に響く声が生まれてきたら内側の輪に入って全体でシェアします。内側の人と外側の人が入れ替わりながら、多くの人の声がシェアされました。

 はじめに、内側に座る人を募集しました。誰が出るかに時間がかかっていたら、緊張が高まります。勇気ある初参加の二人がさっと出てきてくれたことが、この試みを成功に導いてくれたようです。この真ん中にいる人たちは自由に、出口さんに聞きたいこと、自分が考えたこと、などを話していきます。真ん中に出ることは緊張を伴うようですが、みなさん、ドキドキしながらも、次々と入れ替わって参加して下さいました。いきいきと場が動いている感じがしました。僕も、みんなの発言に触発されて、いろんなことを考え、たくさん話しました。「対話っていいね」という講習会のテーマが、目の前で展開されているのを見たようです。

この形式を2日間通して、行いました。話題が変わるたびに、最初、真ん中に坐るメンバーが変わります。参加者が少ないから、ほぼ全員が真ん中に座ることになりそうでした。
 
 実践発表の後、午後は、同じ形で、対話をすすめるにあたって大切にしたい7つの視点について、話題提供者と僕と、また2人を募集し、4人が対話し、1つを空席にして輪の外から加わって真ん中で対話をするというスタイルで進めました。だんだんとみんなもこのスタイルに慣れてきたようです。
 たっぷりあると思っていた時間がなくなり、7つのうち、2つは、翌日に持ち越しました。ゆっくり丁寧に進めたいと思っていたので、何の問題もありません。
 午後7時、公式プログラムが終了しました。夕食も食べずに、こんな時間まで研修をするなんて、考えられないかもしれませんが、楽しい時間でした。
 初めての試みなので、失敗するかも、と思いましたが、それは危惧に終わりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/05

第9回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

 コロナのために2年中止になっていた「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」を、今週末の7月30・31日、千葉県教育会館で開催します。
 開催を決めた5月とはコロナの感染状況が大きく違ってきていますが、政府・自治体が行動制限しないというので、最大限の感染対策をとって、対面での研修会を開きます。感染急拡大のため、また濃厚接触者になったからと、せっかく申し込んで下さったのにキャンセルされた方もおられますが、新しい申し込みもあります。
 直前になりましたが、会場は、ゆったりとかなり広いので、余裕があります。
 どもる子どもの保護者、ことばの教室担当者や言語聴覚士の方、当日参加も受け付けますので、ご参加下さい。

 今回のテーマは、「対話っていいね」〜対話をすすめる7つの視点〜
   健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、
   オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長) です。

 どもる子どもの幸せを考え、私たちは、言語訓練ではなく、吃音の本質・特徴を踏まえた、生きる力を子どもが自身でみつけていくための同行者でありたいと考えています。そのために、これまで学んできた、《健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長)》という7つの視点で、子どもたちとの対話を振り返ります。
 対話は、教育に限らず、今、多くの場で、その重要性が言われています。対話をしたいと思うが、どもる子どもに吃音の話をしていいのだろうか、傷つけるのではないだろうかと、躊躇しているという話も聞きます。ためらわず、一歩、対話の世界に入っていただくために、今回、「対話っていいね!」というテーマを設定しました。担当者が、対話は必要で、対話っておもしろい、対話って楽しいと思っていただくことが一番です。具体的な対話事例を提供し、参加者のみんなで考える時間にしたいです。
 今まで、皆さんが日々実際に実践されてきた「子どもとの対話」の意味づけをし、それに少し、この視点で話し合えるのではという提案もできたらと思います。また、どもりカルタや吃音チェックリストなど教材を使った対話のすすめ方なども紹介します。
 吃音の新しい取り組みの展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 
日時 2022年7月30・31日
    30日(土)9時40分〜20時(受付は9時20分〜)
    31日(日)9時20分〜16時30分
会場 千葉県教育会館
参加費 6000円(当日、受付でお支払い下さい)


 僕たちは、明日、千葉に向かいます。久しぶりの吃音講習会開催に、今からわくわくして準備をしています。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページをご覧下さい。
 参加申し込みをして下さった皆さん、どうぞお気をつけて会場にお越し下さい。
 いい時間を共に過ごしましょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/28
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