伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

対等性

映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み

英国王のスピーチDVD_0001 映画「英国王のスピーチ」を観た人の感想はさまざまです。そして、ジョージ6世が開戦のスピーチができたのは、言語聴覚士による言語訓練が成功したからだというふうにみる人が少なくありません。僕の見方は、それらとは全く違います。吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた僕の視点を通して、「英国王のスピーチ」を解説してみましょう。
 「スタタリング・ナウ」2012.3.20 NO.211 より、紹介します。


  
映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み
                    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


はじめに―当事者研究―

 映画『英国王のスピーチ』は、吃音の臨床に役立つ、大きな学びと教訓が詰まっています。
 主人公は、ジョージ5世の次男であるヨーク公、後のジョージ6世です。長男は社交性があり、流暢にしゃべり、聡明で国民にも人気があります。弟のヨーク公は、物心ついてから、どもらないでしゃべったことはないと本人が言うほどに、吃音に強い劣等感を持ち、悩んで生きてきました。
 この映画は、ローグというオーストラリア人の言語聴覚士と英国王の吃音治療の記録映画とも言えますが、社交的な長男と、引っ込み思案な次男の葛藤の話でもあります。
 国王は、クリスマスや、国にとって大事な時にスピーチするのが公務です。次男のヨーク公にも話さなければならない局面が出てきます。
 1925年の万国博覧会で、ヨーク公が挨拶で、「…」と、どもって言えません。
 「…」と息が漏れたり、間があったり、しゃべれない。そのスピーチを聞いている国民は、一斉に目をそらし、何が起こったのかと、怪誘な表情で顔を見合わせるところから、映画『英国王のスピーチ』がスタートします。
 この静岡キャンプに来る二週間前に、私たちの吃音ショートコースというワークショップがありました。テーマは「当事者研究」で、北海道の精神障害者のコミュニティ「べてるの家」の創設者で、ソーシャルワーカーの向谷地生良さんが講師として来て下さいました。べてるの家の実践は、精神医療の世界だけでなく、ひとつの社会的現象として様々な分野から注目されています。一人でする当事者研究もありますが、ひとりでは、堂々巡りになったり、ひとりよがりになる危険性があります。仲間や臨床家など、第三者と研究することが、より効果的です。
 小説でも映画でも、読者、観る人の数と同数の感想、受け止め方があります。王室に関心ある人、第二次世界大戦当時の歴史に関心ある人、家族のあり方に関心のある人で、「英国王のスピーチ」はさまざまな研究ができます。映画「英国王のスピーチ」で描かれたジョージ6世を、吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた伊藤伸二という第三者の目を通して「研究」します。

  臨床家における対等性

ヨーク公を愛称「パーティ」と呼ぶ

 まず、セラピストとクライエントの関係です。
 ことばの教室の教師や言語聴覚士とどもる人、どもる子どもとの関係です。セラピーが成功した要因のひとつが、「対等性」です。
 私はこれまで、教育や、対人援助の仕事にかかわる人に、向き合う相手との「対等性」の重要性を言い続けてきました。特に、原因もわからず、治療法もない吃音は、一緒に悩み、試行錯誤を繰り返さざるを得ません。共に取り組むという意味で、対等性が何よりも重要です。
 ジョージ5世の次男、ヨーク公には、これまでにたくさんのセラピストが治療しますが、すべて失敗に終わります。そのために本人はあきらめ、もう吃音治療はしたくないと言います。しかし、妻のエリザベスはあきらめません。夫に内緒でいろいろと探し回り、新聞広告で見た「言語障害専門」という看板のある、ライオネル・ローグの治療室に来ます。
 「あらゆる医者がだめでした。本人は希望を失っています。人前で話す仕事なので、どうしても治したいのです」
 「それなら転職をしたらどうですか」
 「それは無理です。個人的なことは聞かずに治療してほしい、私のところに来てほしい」
 「だめです。私の治療室に通って下さい。治療に大切なのは、信頼と対等な立場です」
 エリザベスが、クライエントがヨーク公だと身分を明かしても、ローグはこれまでの態度を変えることなく、対等性にこだわります。ヨーク公と直接対面した時、ヨーク公が「ドクター」と呼ぶのを遮り、「ライオネル」と呼んでほしいと言い、ヨーク公を「殿下や公爵」ではなく、家族しか呼ばない愛称「パーティ」と呼ぶと宣言します。
 ヨーク公は、「対等だったらここに来ない、家族は誰も吃音を気にもとめない」と抵抗しますが、「私の城では私のルールに従っていただきます」と譲りません。イギリス人のセラピストなら、王室の人間に対等を主張することはありえません。オーストラリア人だからかもしれませんが、それにしても、あの時代としてはすごいことです。二人にとって、この対等な関係がとても大きな意味をもちました。

ナラティヴ・アプローチ

 対等の関係であることは、どんな臨床にも必要だと私は思いますが、それにいち早く気がついたのが、家族療法の分野です。家族療法の世界では近年、ナラティヴ・アプローチが注目を集めています。その中で言われるのが「対等性」です。なぜ対等性が言われるのでしょうか。
 ナラティヴとは、「物語」、「語り」の意味ですが、人はそれぞれ自分の物語を作ります。自分についての物語は、本人が誰よりも知っています。そのことへ敬意をもって、本人に教えてもらう、「無知」の姿勢を貫きます。ここに対等性が出てきます。
 本人が語る物語がネガティヴであれば、その物語に捉われて悩みます。ジョージ6世は、「どもりは劣ったもの、悪いもの、恥ずかしいもの」の物語を繰り返し語ります。その物語には伏線があります。弟はてんかんでした。その弟は世間から隠されて13歳でひっそりと亡くなります。弟の話は王室ではタブーです。その弟に優しかったのが、兄であるヨーク公です。
 彼はそこで、王室は自分の愛する弟を障害があるからといって隠すのだ、という物語に出会います。そして、王になるような人間は、吃音という言語障害をもっていては駄目だとする物語を強化していきます。
 世間一般も、同じように、どもる人間は王にふさわしくないという物語をもっています。自分が語る物語と、世間一般の物語によって、ヨーク公は、どもる人間は国王になるべきではないとの物語をもっています。ヨーク公は次男なので、長男が生きている限り、彼が国王になることはないのですが、吃音の国王は考えられないのです。
 この、自分を不幸にする物語に、新しい物語を、セラピストと一緒に作っていくのがナラティヴ・アプローチです。自分の否定的な物語の上に、肯定的な、自分がよりよく生きていくための物語を作っていく。「英国王のスピーチ」は、吃音治療の物語ではありますが、結果として、このナラティヴ・アプローチになっていたと私は思います。
 ヨーク公は、ヨーロッパ中から治療者を探し、治療を受け続けても結局改善しません。そして、賛否両論のある異端のセラピスト、ライオネル・ローグに出会うのです。
 ローグの献身的な、集中的な治療でも吃音は治りも、改善もしません。にもかかわらず、目標だった第二次世界大戦の国民に向けての開戦スピーチは成功するのです。吃音治療の結果ではなくて、ジョージ6世が自分の物語を変えていくことができた結果です。そのために「対等性」が意味をもちます。人に言えない悩みを話し、それに共感して聞いてくれる友達がいた。吃音に悩む人間にとって、治療者ではなく、友人が必要なのです。
 映画のラストに、ジョージ6世は、ローグを生涯の友として考えていたとあります。吃音が治れば、あるいはある程度改善されれば、それで治療者との関係が切れます。しかし、治らない、治せない吃音の場合は、この対等の友人であることが、何よりも必要だったのです。
 映画のエンディングにテロップが流れます。
 「1944年、ジョージ6世はローグに、騎士団の勲章の中で、君主個人への奉仕によって授与される唯一の、ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授与した。戦時下のスピーチには毎回ローグが立ち会い、ジョージ6世は、侵略に対する抵抗運動のシンボルとなった。ローグとパーティは生涯にわたり、よき友であった」

セラピストも劣等感や弱点のある存在

 ローグがオロオロする場面があります。ヨーク公の時代、国王になる不安を爆発させ、ローグと決裂し、セラピーをやめてしまいます。その後、国王になってやはりローグが必要になり治療の再開を頼みに、妻が留守のはずの自宅に国王夫婦が尋ねた時です。その時、思いがけずにローグの妻が帰ってきます。妻に内緒でセラピーをしていたローグはあわてます。国王が、自分の家にいたら誰もが驚くでしょう。妻とエリザベスが出会ってしまい、話すのをドア越しに聞きながら、国王を紹介するタイミングでオロオロと困っているローグに「君は、随分臆病だな。さあ、行きたまえ」と、ドアを開けます。ジョージ6世はそこで初めて、ローグも、臆病な、気の弱い人間だと、自分に近いものを感じます。
 ローグが自分の弱さを見せたことで、ジョージ6世は、ピーンと背中を張ってドアを開けます。このシーンのコリンファースの演技は見事です。ここで、本当の意味で、対等を感じて信頼できたのだと思います。
 言語聴覚士の専門学校で講義をしていると、伊藤さんは吃音だからそんなことが言えるけれども、吃音の経験もない、経験の浅い人間にそんなことは言えないとよく言われます。人間、誰もが何がしかの挫折体験、喪失体験があります。受験の失敗、失恋、祖母の死などを経験して生きています。そのような誰もがもつ経験を十分に生きれば、吃音の経験のあるなしは関係がないと、学生には言います。弱いからこそ、劣等感があるからこそ、自覚してそれに向き合えば、セラピストとしていい仕事ができるだろうと思います。
 私は、死に直面する心臓病で二十日以上入院しました。そのつらい時に、活発で、はいはいと明るすぎる看護師さんよりも、「大丈夫?」とほほえんで声をかけてくれる優しい看護師さんの方にほっとしました。自分が弱って困っているときに、堂々と笑う豪快なカウンセラーに相談に行く気には私はなりません。
 自分には、大したことはできないけれども、せめてあなたの話だけはしっかり聴いて、一緒に泣くことならできそうかなあというような人のところに私は行きます。入院を三回経験した、弱った人間としては、そう思います。
 私は、福祉系の大学でソーシャルワーク演習を担当しています。そこでの対人援助者の講義や、教員の研修で、私はヘレン・ケラーとサリバンの話をよくします。
 奇跡とも言える教育が成功したのは、ヘレンがサリバン先生を信頼する前に、まずサリバン先生がヘレンを信頼したからです。ヘレンはきっと人間としてことばを獲得し、成長するという信頼があった。また、目も見えない耳も聴こえないで生きてきたヘレンへの尊敬があったと思います。
 ローグも、相手に対する尊敬と、この人はきっと変わる、いい国王になるという信頼があったから、それに応えてジョージ6世もローグを信頼したのです。変わるというのは、いわゆる一般的に思われているような「変わる」ではありません。吃音そのものではなく、彼の思考や行動や感情は変わると、信頼をもっていた。
 どもらずに堂々とスピーチすることが成功ではない。不安をもちながら、おどおどしながら、嫌だ嫌だと思いながら、そしてどもりながら、なんとかスピーチをやり遂げたことが成功です。

弱音を吐けること

 弱音を吐けることは、人間が生きていく上で大事なことだと思います。人に助けを求められる能力も大切です。「助けて」と言えるのは、自分の弱さを認めることでもあります。
 ヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。
 エリザベスが、ピーターパンの絵本を読んでいた時、「ピーターパンのように自由に飛んで行ける奴はいいなあ」と、ヨーク公が言ったあとで、娘二人からおとぎ話をせがまれます。そこで、ペンギンの真似をしますが、娘はさらに求めます。
 「では、ペンギンの話をしよう。魔女に魔法をかけられペンギンになったパパが、二人の姫に会うために、海を渡ってやっと宮殿にたどり着き、姫にキスをしてもらいました。姫にキスをしてもらって、ペンギンは何になりましたか?」
 娘に聞くと、娘たちはうれしそうに、「ハンサムな王子様!」と言います。すると、「アホウドリだよ」と言って、大きな翼を広げて、二人の姫をしっかりと抱きしめます。ペンギンのままでは愛する姫を抱けないが、大きな翼のあるアホウドリなら抱けるからです。
 このペンギンの話を娘に聞かせることで、自分の劣等感、惨めさを客観視して話したのだろうと思います。つい見逃しそうな場面ですが、自分の弱点とか愚かさを、ユーモア、自虐ネタのように使うのは、自分の弱さを認めていたからでしょう。
 また、戴冠式のニュース映像を家族で観ている時に、自分の映像が終わった後、ヒトラーが演説するシーンがでてきます。「この人、何を言っているの?」と聞く娘に、「何を言ってるか分からんが、演説はとてもうまそうだ」と言います。ヒットラーの演説はうまい、自分にはできないスピーチだと認める。これも大事なシーンだと思います。
 1936年12月12日、王位継承の評議会で、すごくどもってしゃべれませんでした。そしてその夜、もう自分は駄目だとエリザベスの胸で子どものように泣きじゃくります。クリスマス放送で不安がいっぱいになります。
 「クリスマスの放送が失敗に終わったら…。戴冠式の儀式…。こんなのは大きな間違いだ。私は王じゃない。海軍士官でしかない。国王なんかじゃない。すまない。情けないよ」
 「何を言うの…あなた…かわいそうに、私の大切な人。実はね、私があなたのプロポーズを二度も断ったのは、あなたを愛していなかったからじゃないの。王族の暮らしをするのが嫌で嫌で、がまんできなかったわ。あちこち訪問したり、公務をこなしたり、自分の生活なんかなくなってしまうから。でも、思ったの。ステキな吃音、幸せになれそうって」
 エリザベスは、どもりながら一所懸命話すヨーク公の姿に誠実さをみたのでしょう。あなたの吃音を聞いて、「Beautiful」と言う。そして、「素敵な吃音のこの人となら、私は幸せになれるかもしれないと思って結婚したのよ」と言う。とても素敵なシーンです。
 こういうふうに、自分の弱さを、妻にも娘にも、アホウドリという表現をしながら、自分なんか大した人間じゃないよと言う。家族に弱音を吐けるのはすごく大事なことです。
 人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。
 どもる子どもに対して、強くなれ、そんなことで逃げちゃだめ、泣いちゃだめ、と言うのではなくて、弱音が吐ける子どもに育ててほしい。困った時には困った、苦しい時には苦しい、助けてほしいと素直に言えるしなやかさが必要です。強くたくましく生きる必要はない。弱音を、家族にもセラピストにも話せたから、ローグとの臨床が成功したのだと思います。もしあの家族の、妻の、娘たちの支えがなかったら辛いです。そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/06

吃音臨床家は同行者

 今年も残り少なくなりました。時間の経つのが早く、あっという間に1年が過ぎたような気がします。今年も、吃音親子サマーキャンプや親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、各地のキャンプや研修会などで、たくさんの人と出会いました。どもる子どもや保護者だけでなく、ことばの教室の担当者、言語聴覚士にも会いました。直接会い、話をして、今日、紹介する巻頭言のことばどおり「吃音臨床家は同行者」だという思いを強くしました。僕は、オープンダイアローグが大切にする「対等性」について、ずうっと考えてきました。
「スタタリング・ナウ」2008.7.22 NO.167 の巻頭言を紹介します。

  
吃音臨床家は同行者
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 ・対等性を常に自覚すること
 ・否定から肯定へと向かうもの
 ・社会適応のための治すではなく、その人の生きる意味と結びつくもの

 言語聴覚士養成の専門学校や大学のソーシャルワーク演習などの講義で、対人援助の専門職を目指す人たちに、専門職者とは何かについて、私が常に強調してきたのがこの三つだ。
 援助を必要とする人にとって、専門職者は構造的に、役割として指導する立場にある。役割としては確かにそうなのだから、人間としては対等であることを常に強く自覚しないと、指導しなければならないと、ともすれば上から見てしまう。
 吃音の臨床家にとっては、ことのほかこの三つを考えることは重要だと私は思う。
 専門学校の学生は、「言語聴覚士として、専門家として、専門的知識と技術で吃音を治療し改善してあげたい」と意気込んで私の講義を受ける。学生は、最初は私の講義と、これまでの他の講義との違いにとまどうが、吃音が原因も未解明で、治療法がないと知って、少しずつ、私の考え方に共感してくれるようになる。
 専門職者として何ができるか、講義の中で、一緒に考え、話し合う中で、専門家としての立つ自分の位置をそれぞれが考えていく。それでもやはり、「治してあげたい、軽くしてあげたい」と食い下がる学生に、私はいつもこう答えている。
 「世界一の吃音臨床家と言われ、たくさんの弟子の研究者や臨床家を育てた、プロ中のプロと言われている、チャールズ・ヴァン・ライパー博士でも治せなかった吃音だ。あなた達に治せないのは当たり前なのだから、治せないと自分を責める必要はない」
 吃音は薬や手術などの誰にでも効果的で確実な治療法がない。また、最新の言語訓練と紹介された、「コントロールされた流暢さ」の形成法にしても、「ゆっくり、軽く言う」という、100年以上も前から取り組まれてきて、多くの人に役に立たなかったものなのだ。
 もうそろそろ、吃音臨床家は、吃音について専門家として「無力宣言」をした方がいいのではないか。吃音については無力だが、その人が「どう生きるか」については、決して無力ではない。
 「たいしたことはできないけれど、その人に誠実にかかわれば、何かが変わる」と、私は人間の変わる力を信じて、どもる子どもや、どもる人に向き合ってきた。吃音そのものは治らなくても、軽くならなくても、その人の行動、吃音についての考え方、どもることから生まれる様々な否定的な感情は、変化していく。すると、吃音にはあまり変化がなくても、吃音と共に生きていくことができる。
 そして、自覚的に吃音と共に生きることによって、自己変化力が働き、直接吃音にアプローチしないにもかかわらず、吃音そのものも、多くの場合変化していく。この変化のプロセスに同行するのが、専門家の役割なのだ。
 吃音臨床家の対等性とは、その人を尊重するという意味合いだけではない。自分にはたいしたことはできないという「無力宣言」が背景にある。
 だから、どもる当事者と相談しながら、一緒に悩み、一緒に考え、迷いながら取り組んでいくものだ。共に学び合うもので、臨床家の一方通行の指導ではない。
 今号の、ふたりのことばの教室の、どもる子どもとのつきあいの報告は、私が大切にしていることと、共通することが多くて興味深い。
 佐々木和子さんとは、彼女が大阪教育大学に入学してからのつきあいだ。これほどどもる女の子がなぜ、教員養成大学に入学したのか不思議だった。彼女自身も教員になれるとは、微塵も思っていなかったようだ。言語訓練は一切しない彼女が、教員生活の中で、どんどん変わっていった。その彼女がどもる翔君とのつきあいを正直に語っている。
 尾谷さんも、自分の耳の障害とMさんとのことを語って下さった。ここに吃音の同行者がいる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/18

「吃音の夏」のしめくくり 第32回吃音親子サマーキャンプ 一日目

荒神山 丘 吃音親子サマーキャンプが終わって早10日経ちました。
 会場である荒神山自然の家やその食堂への支払い送金や礼状、チャーターバスの支払い、参加者やスタッフへの礼状、劇の小道具の片付けや、朝のスポーツや遊び道具の片付けなど、準備と同様に、いろいろ思い出しながら、そして来年のことをイメージしながら、後片付けをしています。ぼちぼちと届くサマーキャンプの感想を読んで、10日前のさまざまなできごとを思い出しています。劇のせりふが口をついて出てきたり、あのときあの場面での発言などが鮮やかに思い出されたり、キャンプの余韻を楽しんでいます。

入所のつどい 8月18日(金)、キャンプの初日、2台の車に荷物を積み込み、荒神山に向けて出発しました。普段、僕は車の運転をするのですが、キャンプのときはどうしても睡眠不足になるため、車の運転を控え、大阪のメンバーに車を出してもらっています。高速を走っている頃、先発隊が電車で最寄り駅の河瀬駅に向かっています。自然の家に着くと、打ち合わせをはじめ、キャンプの資料集や劇の台本、スタッフの進行表の製本、シーツの配布、麦茶の用意など、参加者が到着するまでにしなければならないことがたくさんあります。打ち合わせは、僕たちがしますが、その他諸々の準備のため、先発隊が早く来てくれるようになり、本当に助かっています。
 チャーターバスは、自然の家への狭い道には入れず、こどもセンターに着きます。そこから自然の家まで歩きます。雨が降ったらいやだなあといつも思うのですが、僕の記憶する限り、雨が降ったことはなく、バス組が集会室に到着です。リピーターは、すでに河瀬駅で懐かしい再会をしているようです。今回は、初めての参加が多いので、少し緊張している様子も見られました。

開会のつどい開会のつどい 伸二up開会のつどい みんな 入所のつどいが終わり、36名(残念ながら直前に病気などで3人がキャンセル)のスタッフの打ち合わせをします。この日、初めて顔を合わせるスタッフも多く、自己紹介の後、少なくとも初日の分だけの打ち合わせをします。この間、待っていてもらって、全員が集合するのが開会のつどいです。
 僕は、ここで、2つの話をしました。これから始まる2泊3日のキャンプで心がけたいことを話しました。ひとつは、オープンダイアローグが大切にしている3つのことです。対等性、応答性、そして不確実性への耐性です。

 対等性…先生という呼び方はせず、子どもも大人もスタッフも、みんな対等に、みんなでつくりあげていくキャンプだということです。ボランティアとか、支援者という概念は僕たちにはないのです。遠く鹿児島や関東地方から交通費を使って、参加費もまったく同じの全員が参加者という立場を32年間貫いてきました。普段「先生」と言われているたくさんの人たちが参加していますが、「先生」と言わないことがひとつのルールになっています。
 対等だから、世話をしない、教えない、指示しないが私たちのルールです。

 応答性…誰かの発言に対して必ず応答することの大切さを話しました。ちょっとした小さな声を聞き逃さず、丁寧に応答していく。話し合いを中心にしたプログラムを組む僕たちは、普段の行動のときにも対話を重視します。

 不確実性への耐性…僕たちは、「〜すべき、〜せねばならない」を、論理療法から学んだ「非論理的思考」として、もたないように心がけています。吃音親子サマーキャンプの3日間のプログラムはありますが、パスもありです。最初からそれを言うことはしませんが、劇をしたくない、山登りはできないという場合も、一応はすすめますが、最終的には本人の決定にまかせます。吃音親子サマーキャンプの目的は何かとよく聞かれることがありますが、目的やゴールはありません。ただ、ずっと続いているプログラムがあるだけで、キャンプで参加者がどのような経験をするかは、本人次第なのです。もちろん、話し合いもゴールはありません。この、どこへ行くか分からない、不確実なものに耐えていく、こうしなければならないというゴールはないこのキャンプをみんなで楽しんでいこうということです。僕たちは不安の中で始まり、最後には「今年もいいキャンプだった」と胸をなで下ろすのです。
 もうひとつは、トーベ・ヤンソンのムーミンの話からヒントを得た「三間」です。
 空間・時間・仲間、この3つの「間」を大切にしようという話です。このことばは、キャンプの間中、ずうっと、ホワイトボードに書いておきました。

出会いの広場2 プログラムのスタートは、出会いの広場です。集会室に全員が集まり、声を出したり、ゲームをしたり、歌を歌ったり、グループに分かれてふりつけをしたり、固かった表情が柔らかく、穏やかになっていくのが見えました。

話し合い1話し合い2 夕食の後は、第1回目の話し合いです。保護者は3グループに、子どもたちは小学校低学年と高学年、中・高校生は混合で2グループに、それぞれ分かれて、吃音について話し合いました。これまでなら、どのグループにも、リピーターがいて、その子たちが、話し合いをひっぱっていってくれていました。話したいことをいっぱい持って参加しているので、話がいつの間にか広がっていきます。初参加の子どもたちは、その輪の中にいて、自然と、他者の語りを聞くことになります。そして、いつの間にか、自分も語り出すという流れができていたのです。初参加者と二回目の参加者の多い今年はどうかなと心配でしたが、スタッフにリピーターが多いこともあって、また協力的な子どもたちが多かったこともあって、いつものような話し合いの場になっていきました。聞いてもらえるという安心感のある場で、子どもたちは、自分の本音を話していたのだろうと思います。対等性と応答性が保証されている中で、共に、不確実性への耐性を発揮していたのだろうと思います。
話し合い3話し合い4話し合い5話し合い6 僕が参加していたのは、小学校5、6年生グループでした。

 夜の8時、全員が学習室に集合します。事前レッスンに参加したスタッフによる劇が始まります。荒神山劇場のオープニングです。この日のために、小道具を作り、郵送してくれたスタッフもいます。今回どうしても参加できないから、せめて小道具作りで参加したいと申し出てくれました。車にたくさんの小道具、材料を運んで、その場で必要なものをつくってくれたスタッフもいます。7月に2日間の合宿で稽古をした、スタッフとしては本番の劇の上演です。いいお客さんのおかげで、多少せりふをとばしたり、間違ったりもしましたが、それもご愛敬で、今年の劇「森は生きている」を演じました。真剣にみつめてくれている子どもたちや保護者のおかげで、みんな役者になったつもりで演じることができました。一番心配そうに見ていたのが、演出を担当してくれている渡辺貴裕さんでした。出演者はみな、楽しんでいました。その様子はしっかりと観客の子どもたちや保護者に伝わったことと思います。
台本配布のとき こうして初日のプログラムが全て終了しました。上々の滑り出しです。自然の家に到着したときの、固かった顔が、緩んでいます。
 夜10時からスタッフの打ち合わせを行いました。それぞれのプログラムの中で気づいたことを率直に出し合います。気になった子どもの話が出ると、関連する話題が続きます。こんなことをしていたよ、こんなことを言っていたよと、自分が見聞きしたその子の話が出てきます。子どもを一面的にとらえてしまうことを防ぐことができます。それらを共有することで、子どもの見方が広がるのだと思います。翌日の打ち合わせをして、スタッフ会議は終わりです。参加者同様、初参加のスタッフの固かった表情もすっかり和らいでいました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/31
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード