イーハトーブ花の郷

 吃音親子サマーキャンプの感想はまだまだ他にもあるのですが、ちょっと話題を変えてみます。
 サマーキャンプのとき、参加者には伝えたのですが、キャンプが終わった翌日から、長旅に出かけました。ずっと行きたいと思っていた東北への旅です。
 東日本大震災の2年後に、女川町、石巻市に行きました。瓦礫はほぼ片付けられ、更地になっていましたが、まだ大きな船が家の上にのりあげている状態だったり、津波に遭った高校の教室の破壊された様子がむき出しのままでした。カーテンが引き裂かれたまま風に揺れていたのが印象的でした。交番が傾いたままだったりで、大震災と津波の大きかったことが容易に想像できる状態でした。大震災から11年、一度訪れてから9年、どうなっているか、自分の目で確かめてみたいと思っていました。
 今年のサマーキャンプの卒業式は、コロナで中止になった2年分の卒業生も含めて、6人の卒業生に、卒業証書を渡しました。その冒頭、全く予定していなかったのですが、僕は、キャンプの翌日から東北を旅することもあって、宮城県女川町から吃音親子サマーキャンプに3年連続して参加し、2011年3月11日の津波に巻き込まれて亡くなった阿部莉菜さんの話をしました。キャンプ卒業の条件は、3年以上参加することになっていますが、阿部莉菜さんはその条件をクリアしていました。卒業の資格があったのに卒業できなかった莉菜さんの無念さ、卒業証書を渡すことができなかった僕の悔しさを、話しました。彼女が生きていた宮城県女川町にもう一度行きたかったのです。

 サマーキャンプが終わった翌日、名古屋港から仙台港に向けて、フェリーを利用しました。どちらかといえば、フェリーは苦手で、車で陸路を走ることが多いのですが、体を休めるためにフェリーを利用することにしたのです。疲れていたためか、ぐっすり眠れました。
イーハトーブ 4 仙台から車で北上する予定で、道路地図を見ていて、小岩井農場をみつけました。小岩井農場の近くの雫石町に、訪れたいと思っていたペンションがあることを思い出しました。ペンションの名前は、「イーハトーブ花の郷」です。そのペンションのオーナーと知り合ったのは、阿部さんの家族が津波に巻き込まれ、行方が分からず、探していたときでした。そのときの詳細の記憶は薄れているのですが、阿部さんの家族と親しい関係にある方でした。ペンションに来てくださいと言われていて、行ってみたいと思っていたのです。
イーハトーブ 1イーハトーブ 2 あれから、11年も経っています。あのとき、連絡を取ったきりでその後は全く連絡していません。今更連絡しても、覚えていてくださるかどうか、突然連絡しても迷惑だろうと、ずいぶん迷いましたが、だめで元々と思い、残しておいたメールアドレスに、メールを送信してみました。すぐに返事がきました。ペンションは、コロナの関係もあり、泊めることはできないが、阿部さんについてのお話はできるとのことでした。宿泊しているホテルから車で2時間くらいの場所でした。小岩井農場を過ぎて、ペンションが並んでいるところに、「イーハトーブ花の郷」はありました。オーナーの嘉糠くに子さんが迎えてくださいました。
 嘉糠さんがペンションを始められたのは、1991年6月のこと。それまでは、宮城学院にお勤めでした。そこに、阿部莉菜さんのお母さんの容子さんがおられたのです。容子さんの同期の学生が仲がよくて、よく、嘉糠さんのペンションに集まっていたとのことでした。写真も見せていただきました。ペンションは、広くて、緑が美しく、庭が広くて、本当にすてきな所でした。一日中、ぼけーっと坐っていても飽きないだろうと思えるくらい、自然に溶け込んで、まさに、宮沢賢治のいうイーハトーブです。
イーハトーブ 3イーハトーブ 5 容子さんのこと、莉菜さんのこと、嘉糠さんご自身のこと、宮沢賢治のこと、イーハトーブ花の郷を始められたきっかけ、イーハトーブ花の郷で大切にしたいと思っておられたこと、たくさんお話を聞かせていただきました。意外な人の名前も出てきました。竹内敏晴さんと僕たちは長いおつきあいでしたが、その竹内さんから、よく聞いていた名前、林竹二さんの名前です。嘉糠さんの5歳上のお友達のお父さんが林竹二さんだというのです。おもわず、えーっと大きな声をあげてしまいました。林竹二さんは、元宮城教育大学学長で、ソクラテスの問答法を下敷きにした人間形成論を構想し、子どもたちに実際に授業をした記録が残っています。晩年は、足尾鉱山事件の田中正造に関心を寄せ、評伝を書い人です。怖い人だったけれど、一生懸命の人だったとおっしゃってました。不思議なつながりってあるのですね。
 ペンションはもう閉めるとのことで、誰かこのまま譲り受けてくれる人はいないだろうかと相談されましたが、僕たちがもう少し若かったら、30代なら、と考えないこともないですが、78歳の今では無理な話です。でも、ほんとにいい所なので、営業されているときに来ればよかったと、悔しい気持ちでいっぱいでした。
 話はあちこちにとびましたが、楽しい時間でした。
イーハトーブ 6 会いたい人には、とりあえず連絡してみる、というのが今回学んだことでした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/11