伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

喜田清

私と『スタタリング・ナウ』4

 昨日の続きです。2002年12月21日発行の『スタタリング・ナウ』100号記念特集に寄せられたメッセージを紹介しています。

『スタタリング・ナウ』100号記念特集
   私と『スタタリング・ナウ』
  


  99号を読んで
                 喜田清 ボランティアグループユーテ代表(香川県)
 11月2〜4日に開かれた吃音ショートコース報告特集号です。7歳〜70歳を越える方、総勢58名。四国や関東・東北から参加されて、主宰者・伊藤伸二さんの力量の大きさと伊藤さんを支える人脈の豊かさが見事に結集されています。
 どもる私から見て画期的なのは、どもる人だけでなく、各地の小学校や保健所の、ことばの教室の先生から、精神科デイケア・言語聴覚士も参加されています。
 ユーテ10月号で紹介した「臨床家のための吃音講習会」に参加した横須賀市立諏訪小学校・ことばの教室の鈴木先生も、吃音ショートコースに参加しています。それは決して偶然ではありません。主宰者・伊藤伸二さんが、一回の出会いを大切にして、どもる子どもの対応に苦慮している鈴木先生に、励ましの手紙を差し上げたことから、横須賀の鈴木先生も、関西の集会に駆けつけてきました。
 1998年、伊藤伸二さんは青森で鴻上尚史さんと出会い、その出会いを大切にしていた伊藤伸二さんは、この吃音ショートコースに鴻上さんをメイン講師に迎えています。
 このような人と人の出会いを、伊藤伸二さんは「奇跡的」と表現しています。さらに、このような出会いを大切にして、吃音ショートコースに参加されている皆さんが、夜遅くまでお酒を飲みながら、相手に身を委ねる思いで語り合えることを「奇跡のような空間」と、言っています。
 私も吃音症状の強いときは、何の集会に参加しても自分の殻に閉じこもって、出会いを大切にする心情になれなかったです。
 出会いを大切にすることによって、自然に、何の集会でもその場の雰囲気に自分を委ねることができます。
 その証明が、スタタリング・ナウ11月号で紹介されている吃音ショートコースです。
 夜10時を過ぎた歓談のときでも講師・鴻上尚史さんは、隅っこにポツンと一人いる方に声をかけて、歓談の中に入るように配慮しています。美しい光景です。
 どこの吃音者自助団体の発行している会報でも、必ず見られるのが「何年間も吃音治療機関をさまよって何の効果もない」話です。スタタリング・ナウ11月号にも、芸術大学を中退した青年が3年間、吃音治療所へ通って徒労だった報告があります。その費用については何も書かれていませんが、それは決して安いものではありません。胸が痛みます。
 ただし吃音ショートコースでは、精神病院の精神科デイケア・言語聴覚士・ことばの教室の先生も同じ参加者として、吃音者のことばを聞いています。
 ことばの教室の先生も、今まで、どんなに努力しても、児童に効果が現れなくて、先生自身が「ものすごいストレスで身も心も痩せる思い」でした。しかし、この吃音ショートコースに参加されて「皮膚を通して沁みてきた感覚として」吃音が理解できました。
 それからは学校に戻って、力まずにどもる子どもと話ができた報告もありました。
 このように、吃音者と治療する者との対等な交流の積み重ねによって、吃音者の未来は必ず明るく開けます。

【どもる人に呼びかけたグループ『ユーテ』が香川県で知らない人がないほどのボランティアグループに発展。地道にこつこつと活動される姿には、励まされます】


  心の充電
                   嶋村由美 主婦・診療放射線技師(大阪府)
 私は1歳の子どもを持ち、今は読むだけのおつき合いになっていますが、毎月楽しみに読ませて頂いています。私にとっては心の充電になっています。
 近頃はどもりと仲良くなって、そんなに困ることはなくなりましたが、1つ悩んでいることがあります。今はクリニックでレントゲン撮影のアルバイトをしていますが、ほとんど胸部撮影だけで、気楽に働いています。検診が主のクリニックで、職員の方は胃の透視検査をされています。私が以前働いていた病院では胃の検査は医師がやっていたため私は経験していませんでした。
 先日、まだ確定ではないけど人手が足りないときは、私が胃の検査もできるようになったらいいと言われました。やってみたいという気持ちはありますが、マイクに向かって話すのは本当に苦手で、それも短時間で検査を終えるため早く分かりやすく話さないといけないし、それでなくてもまずいバリウムを飲まされてあっち向けこっち向けと指示され辛い検査なのに、検査する側がどもっているとイライラされるのではないか、私が入ると検査の待ち時間が延びるんじゃないかなどと考えてしまいます。
 でも『スタタリング・ナウ』等を読んでどもりの技師がいてもいい、うまくやろうとしないで検査の内容に目を向けようと思いました。流暢でも早口で分かりにくいものより、どもっても感じの良い検査ができればいいなあと思います。
 まだクリニックの方針が決まってないのでどうなるか分かりませんが、もし頼まれたら引き受けるかもしれないです。でも逃げたい気持ちもあるのでまだ迷っています。

【大阪の吃音教室に参加されていた嶋村さん。今は子育てとお仕事でお忙しいようです。心の充電をたっぷりして下さいね】


  急ぎ過ぎる社会に一石
           羽鳥操 野口体操の会主宰 野口三千三授業記録の会代表(東京都)
 「スタタリング」の言葉に初めて出会ったとき、思わず舌を噛みそうになったことを思い出します。でもいい響きの言葉だと思いました。
 ところで、会長の伊藤伸二さんにお目にかかったのは1998年秋のことでした。文化デザインフォーラム青森に、演出家の鴻上尚史さんに御呼ばれしてご一緒させていただいたのがご縁です。それ以来この冊子を通して、伊藤さんの過去・現在・未来を、垣間見させていただくと同時に、吃音で悩む方々の生き方から教えられることが多々あります。
 思い返せば伊藤さんの滑らかなスピーチを隣で伺いながら、吃音の会の代表者ということが信じられませんでした。「僕は、吃音のある人に、テレビやラジオの出演を頼んでいます」という知人のディレクターがおります。かれこれ二十年近くのおつき合いがありますが、彼が制作する番組の登場者は確かに吃音の方が多いのです。言葉を選び、言葉を捜し、言葉を言い換えることをしている人は、物事をしっかり見据える力を日常的に養っているわけで、年を重ねるごとに深い洞察力を磨いているという彼の認識に、番組を通してうなずいています。障害をもっていることによって、見えてくる世界もありますね。話を聞くとき、話をするとき、「待つ」ことによって絆がしっかりと結ばれる可能性があることを、ぜひこの冊子と活動によって、世の中に知らせて下さい。あまりにも急ぎすぎる社会に、一石を投じていただきたい。本当のコミュニケーショシの意味を、伝えて下さい。

【羽鳥さんの野口体操の教室と著作を通して、野口体操が語り継がれ、実践されていきます。それが少しずつ広がっていくことをうれしく思います】


  日々言葉を扱う仕事の中で
          永田浩三 NHKディレクター(東京都) クローズアップ現代 編集長
 「スタタリング・ナウ」をいつも感銘深く読ませていただいております。
 伊藤伸二さんにお目にかかったのは2年前。NHKの番組で竹内敏晴さんのワークショップを紹介した時でした。その際私の恩師の永渕正昭先生(東北大学で教わりました)の名前が出て、私と伊藤さんに接点が生まれたのです。
 私自身吃音の経験はありませんが、中学時代の後半、自分の言葉に正確でありたいと思いつめるあまり、何も言えなくなってしまったことがあります。どの言葉も自分の気持ちとずれがあるような気がして、言葉を発することができなかったのです。その後高校に進み、リベラルな雰囲気のなかで、身構えないで話せるようになりました。
 今はクローズアップ現代という番組の編集長として、日々言葉を扱う仕事をしていますが、伊藤さんの文章はかっての自分を思い出させてくれます。当時のもんもんとした気持ちがその後の自分にとってプラスであったと、今は思います。
 先日、重松清さんの「きよしこ」という小説を読みました。吃音を抱えながら、心優しくたくましく育つ少年の物語で、伊藤さんを思いました。
 「あなたは1人ではない。あなたはあなたのよさに気づいてほしい。…」というのは、セルフヘルプ・グループについて伊藤さんが書かれた言葉です。これは、われわれ番組にかかわる人間への言葉でもあると思い、若手ディレクターの研修でも使わせていただいています。
 100号本当にお疲れ様でした。どうかこれからもご活躍下さい。

【大阪での定例レッスン会場に、竹内敏晴さんの取材に来られて初めてお会いしました。その出会いが『にんげんゆうゆう』につながったのです】
谷川俊太郎手書きのメッセージ

                           谷川俊太郎 詩人 (東京)
 吃る人たちの存在が、吃らない私にとって、批評にも、励みにもなっています。私たちは言葉とともに、静けさや沈黙をも共有しているからでしょうか。

【吃音ショートコースで、詩の朗読ライブに対談にと、「こんなに使われたのは初めて」と微笑まれたことが忘れられません。その年報は、大きな財産です。】


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/20

ユーテ・サークルの喜田清さんの講演

 今、島根県に来ています。3年ぶりに対面で、島根スタタリングフォーラムが開催されました。今年で24回目を迎えるフォーラムは、僕が行く、各地で開催されるどもる子どものキャンプの中で、滋賀県での吃音親子サマーキャンプに次ぐ老舗のキャンプです。
 そこでの話は、また紹介しますが、今日は、ユーテ・サークルの喜田清さんの続きです。
 喜田さんが、高松空襲を記録する会に参加していて講演することになったことを書かれています。
 『たとえ、どもってどもってどもりまくったとしても、亡くなった人の思いの千分の一でも、現代の若者たちに伝えることができるならば、私は、この「恥」に堪えよう』
 喜田さんの、この伝えたいという強い思いが、どもることへの不安や恥ずかしさを超えているということでしょう。

  
初めての講演
                 喜田清(高松市・ユーテサークル)〈1988年記〉

 「オイ! オイ! キタア!」
 私がまだ鉄工労働者であった頃、モーターがいくつも喰っている工場では、人は私の耳に噛みつかんばかりに近寄って、大声で話しかける。耳の不自由な私に対する配慮であろうか、「喜田」ではなく、「キタア」であり、特に「ア」は大音声にしてくれる。
 「お前! コーエンするんか!」
 「や、や、や、やる!」
 「どもりのお前が!」
 「や、や、やる!」
 「どもりのお前が、どんなコーエンするん。そこで、やってみい」
 そう言われても、一生懸命に鉄のサビを落としている工場の真ん中でコーエンの真似などできるものではない。愚弄されていることは明らかである。けれども反論しようにも、言葉に詰まって、私の口からは一語も洩れない。まわりから何と言われても、私は黙って鉄のサビを落とし続けた。
 もう20年も前の話である。
 私の住む高松市内の、あっちこっちに、「反戦集会 喜田清 講演 高松空襲を語る」と書かれたポスターが貼られてあるのを見た同僚が、私をからかうのである。
 無理もない。私は、朝、「おはよう」という挨拶ができないから、「オハ」を省略して、「ヨウ」だけで、朝の挨拶としていた。
 一人では持ち上げられない重たい鉄材を持ち上げるため、同僚の原君を呼ぼうにも、「ハ」が、私の口から出てくれない。そんな時、私はいつもハンマーで「カーン」と鉄を叩くと同時に、「ハ」の音を口から押し出そうとする。でも、一回の「カーン」では「ハ」が出ない。二回、三回、四回とカーン、カーンを繰り返し、うまく口から「ハ」が出た時にすかさず「ラ」の音を出す。そして、「くん」す、す、すまんが、この、テ、テ、テツいっしょに持ってくれ…と、自分の言いたいことを言う。
 そのうち、私がハンマーで「カーン」「カーン」と鉄を叩き出せば、それだけで、私は一語も言わなくても、同僚たちは、私が持ち上げるべき、重量のある鉄材を持ち上げてくれるようになる。
 そんな私でも、鉄工所の仕事が終われば、毎日、ノートと鉛筆と、そして補聴器を持って高松の街を歩き、太平洋戦争最末期、アメリカ空軍の高松空襲で死亡した人たちの遺族に逢って話を聞く。
 耳の不自由な私は、場合によっては、相手の口もとに補聴器をウンと近づけて話を聞く。話を聞く片っ端からノートに要約筆記のペンを走らせる。…それを家に帰って、第三者が読んでも分かるように、改めて文章を組み立てていく。
 そんなことを飽きもせずに繰り返していると、私に講演依頼があった。
 「私は絶対に講演はしません!」
 どんなに私が辞退しても、相手は承知しない。ポスターは街に貼られる。一体どうなるのだろう。私は一日一日、日が過ぎるのが怖くて、夜も眠れない。
 無論、私は夕方など裏山に登って、一人で一時間、二時間、講演の練習はした。
 本当に吃音とは不思議なもの。たった一人で語れば、何のことはない。全くどもらない。とうとう、その日がきてしまった。
 それは高松空襲の日。7月4日の午後7時、市内の公園であった。2〜3000人の聴衆を前に、司会者が私のことを紹介し始めたら、もう私の胸は爆発するように鼓動が激しくなる。
 「では、喜田さん、どうぞ…」
 私は、もし、壇上で立ち往生すれば、一語も言わないで土下座だけして壇を降りるつもりであった。
 ただ、もし、私に一語でも語ることが許されるならば、それは私の言葉であっても、私の言葉ではない。どんな秀才であっても、あの空襲で亡くなった人は一語も語れないのである。その人の思いを、私が代わりに語るのである。
 たとえ、どもってどもってどもりまくったとしても、亡くなった人の思いの千分の一でも、現代の若者たちに伝えることができるならば、私は、この「恥」に堪えよう。
 そう思って、私は何とか与えられた1時間は壇上に立って語った。
 15歳で死んだ少女の話。
 4歳で死んだ男の子の話。
 1歳で死んだ嬰児の話…。
 私が話し終えれば、ものすごい拍手が壇を降りる私を迎えてくれた。
 翌日の私は、相変わらず、鉄のサビ落としとカーン、カーンの繰り返しだった。
 以後、私の戦争体験者の聞き書きは20年に及ぶ。鉄工所は倒産して、今は本のセールスで、いろいろな所に行く。
 私の場合、戦争体験者の聞き書きを続けて来たことが吃音の症状を軽くしてくれたと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/10/29
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