伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音講習会

今年の活動のスタートは、3連休の合宿から

 ここ最近、10年ほど前からか、毎年1月の3連休に、ことばの教室の仲間との合宿と伊藤伸二・東京ワークショップを行うようになっています。
合宿1 今年も、初日の11日(土)の午後1時から合宿が始まりました。家族が体調不良になったという直前のキャンセルもありましたが、千葉、栃木、東京、大阪などから10人が集まりました。
 今回は、今年のテーマである「非認知能力」について、みんなで学ぼうということがメインでした。それは、今年の夏の「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」でのテーマでもあり、その直後に開催される全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会の吃音分科会で発表する仲間のテーマでもあります。
合宿2 初めは、僕の方から、これまで読んできた10冊ほどの非認知能力の本から要点を抜粋してそれをみんなに読んできてもらい、すすめようかと思っていましたが、急遽変更して、何もないところから、みんなで考えることにしました。ひとりひとりに、自分の「非認知能力」をひとつ挙げてもらうことから始めました。みんな、手探りです。非認知能力→認知能力ではない→数値化できるものではない→ポジティブ心理学でいう強みか、そんなことを考えながら、それぞれが自分の「非認知能力」を挙げました。そして、それに、周りの人たちから見たその人の「非認知能力」をつけ加えていきました。たくさんの項目が挙げられました。それらをひとつひとつ付箋に書いていき、模造紙に並べ、ジャンルに分けていき、ひとつの山ごとに小見出しをつけていきました。
合宿4 「非認知能力」に関する本はたくさんあります。僕は、「非認知能力」とタイトルにあるものは全て買って、ひととおり読んできました。本の著者によって、「非認知能力」として挙げられている項目が違います。名前も、個数もさまざまなのです。だから、それらを参考に、僕たちは僕たちが大切と思うものを、吃音とともに豊かに生きるために大切と思うものを、定めていけばいいのではと思います。基本はしっかり学んで、応用していくことにしたのです。模造紙を埋める付箋を見ながら、これらの力が子どもたちにあれば、ことばの教室で育てることができれば、と思いました。
 予定が入っているけれど、なんとか少しでも時間を作って参加してくれた人もいます。電話で参加してくれた人もいます。昼食、夕食休憩以外は、びっしりと話し合いをしました。毎回、よくこんなに吃音について話し合うことがあるなあと感心します。会場は、夜10時まで使えますが、他の研修室はそんなに遅くまで使っていません。警備員の人が外で待つのを気にしながら片付けをして、近くのホテルに戻るという2日間でした。初日は、午後、夜間、2日目は午前、午後、夜間、フルに活動しました。
合宿5 最後に、今年の「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」のおおまかなプログラムを決めて終わりました。一旦決めても、柔軟に変更していくのが、僕たちのいつものことですが、今年の軸となる「非認知能力」について話し合えたことは大きく、これが原点です。そして、ここが、今年のスタートです。
 「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の日程は、2025年7月26・27日、千葉県柏市で開催します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/23

新たな役割

 新たな役割とのタイトルで「スタタリング・ナウ」NO.141の巻頭言を書いたのは、2006年5月だったのかと、少し寂しい思いで読み返しました。この巻頭言の中で、吃音の臨床家の役割として4つの基本姿勢を挙げていますが、先日終わった「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」でも、僕は同じようなことを言っていたなあと、寂しくなったのです。同時に、18年経った今、やはり、種を蒔き続けなければいけないなという思いを強くしました。

新たな役割
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「アメリカには、日本とは比較にならないほど多くのスピーチセラピスト(言語聴覚士)が、大学院などで養成され、数多い臨床実習を経て、臨床家になっていく。しかし、その96%が、吃音の臨床に苦手意識をもっている」
 アメリカの大学院に留学し、現在アメリカでスピーチセラピストとして活躍している川合紀宗さんが、第3回臨床家のための吃音講習会(岐阜)で、アメリカの吃音臨床事情を話して下さった。
 アメリカでは、吃音を治すためには、どもらずに話す技術を身につけなければならないとして、どもらずに話すための治療が長く続いた。それに対して、アイオワ学派の人々は、それは吃音の問題の解決にはならないと、どもってもいいからより楽に、軽くどもることを提唱した。どもらずに話す技術と共に楽にどもる技術も指導方法も提示され、臨床が続けられ、50年ほどが経とうとしている。
 吃音に悩む人の多くは、必ずしも完全にどもらずに話すことだけを求めているのではない。今よりも少しでも楽に軽くどもれるようになればそれでいいという現実的な望みも持っている。
 だから、「楽にどもる」ことの指導をスピーチセラピストから受け、実際にそれができるようになれば、本人もスピーチセラピストもそれなりに満足するはずである。吃音に苦手意識をもつことはないし、吃音の指導は楽しくて得意だと考えるセラピストがいてもいい。しかし、苦手意識を持つセラピストが多いということは、「楽にどもる」指導が難しいということか、それとも臨床家としての姿勢が根本的に違うのか、それとも、どもる人本人や社会の吃音観の違いなのだろうか。
 いずれにしても、そろそろアメリカから卒業し、日本の吃音臨床をつくる時期にきているのではないか、と私はその講習会で呼びかけたのだった。
 アメリカの吃音臨床は、臨床家が自分の「無力さ」を認めたくないことが根底にあるのだと私には思えてならない。私は、「完全に治る」は論外としても、「楽にどもる」ことも、臨床家が指導しきれないとの立場に立つ。私を含め、どもる子どもやどもる人本人が以前より楽にどもるようになっているのは、言語指導を受けたからではなく、「どもっていても大丈夫」と、どもりながら自分らしく豊かに生きようとした中で、自然と変わってきたのだ。その人に内在している自己変化力と言えるものだろう。
 どもる人の自己変化力を信じ、それを耕し、育てることが吃音の臨床家の役割だと思う。その基本姿勢を、ことば足らずで誤解を受けることを覚悟しつつ、項目だけを挙げたい。

1 否定から肯定へ
 「どもっていても大丈夫」と吃音を肯定的にとらえる。吃音を治す、改善すべきものと考えない。
2 臨床家として「無力さ」の自覚
 吃音を治したり、軽くどもる指導に対して無力であることを自覚する。しかし、本人の自己変化力を耕し、豊かな声や表現力を育てようとする。
3 人としての共通性と対等性
 誰もが悩む存在であり、誰もがテーマをもっているという、人としての共通性に気づいている。その上で、一緒に、対等の立場でどもることからくる困難に対策を考える伴走者であろうとする。
4 新たな役割を見いだす
 どもる状態を変化させるのが臨床家の役割ではなく、吃音と共に生きるその人のテーマに、臨床家としてかかわることを新たな役割と考える。

 吃音指導は苦手ではなく、楽しいという14人の、吃音と向き合い、吃音を学び、子どもの豊かな表現力を育てる実践集が、2005年度の日本吃音臨床研究会の年刊吃音臨床研究誌『吃音と向き合う、吃る子どもへの支援』として発刊された。
 私たちの活動に深く共感して下さる石隈利紀・筑波大学教授の「一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポートとは〜みんなが資源、みんなで支援〜」と共に1冊にまとめられた。
 同時発行の4冊の年刊吃音臨床研究誌が日本の吃音臨床の幕開けとなることを願っている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/03

第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、無事、終わりました 2

講習会10 2日目は、吃音講習会の顧問である国立特別支援教育総合研究所の牧野泰美さんの基調提案から始まりました。研修会が多いこの夏の時期、牧野さんが、この吃音講習会の日程を必ず空けておくというのはかなり大変なことだと思うのですが、牧野さんがいつも大切にしている「そばにいてくれるだけでいい」を実践するかのように、いつもそばにいてくれています。
 講師の渡辺貴裕さんが、「国立と名のつく人が、あそこまで言っていいの?というくらいの内容の話をされていた」と感心していましたが、僕たちにとっては、いつもと変わらぬ、ぶれない姿勢を示してくださっていたと思います。おもしろく、柔らかい、牧野節でした。

講習会9 渡辺貴裕さんのワークショップは、1日目に5時間、2日目に2時間、計7時間の長丁場でしたが、その長さを感じさせないくらい充実していました。次々に課題が出て、参加者はみな、考え、身体を動かし、感じ、話し合い…を繰り返しました。その場で感じたことを率直に表現し、その場で感じたことをもとに対話を繰り返しました。日頃と違う自分を発見した人もいたようです。
 学習・どもりカルタの読み札の中から1枚選び、それをグループごとに1つのシーンとして演じてみるという試みをしました。せりふはあってもなくても構わないとのことでした。グループごとに舞台で演じた後、観ていたみんなは、どの読み札かを当てるのですが、全てのグループに当てられないよう、でも、できるだけたくさん当てられるようにと、ちょっとした工夫が必要な設定でした。演じる方も、当てる方もみんな集中していました。どもりカルタが、あんなふうに立体的になるのかと、とてもおもしろかったです。
 2日目の牧野さんの基調提案の話を聞いて、その中のことばを拾って、その場面をシーンとして演じるという試みもありました。リアルなシーンになり、おもしろい体験でした。
 午後は僕と渡辺さんとの対談、そして、最後は、みんなで2日間をふりかえるティーチインでした。長いつきあいの渡辺さんですが、今回のように、1対1で話すことは、これまでなかったように思います。長くかかわってもらっている吃音親子サマーキャンプの話、出会ったどもる子の話、治る・治せると治らない・治せないの話、治してあげようとする善意の人とどう対峙していくかの話、マイノリティの人たちとの連携の話など、いろいろな視点から話しました。
講習会7講習会6講習会8 そして、ティーチイン。僕は、最終の時間、みんなで円く輪になって、2日間をふりかえる時間が好きです。いろんな場面が浮かんできます。

 すべてのプログラムが終わり、夕方5時、会場を後にしました。そして、その日、千葉でもう一泊した人たちと興奮状態で深夜まで「省察」していました。どもる子どもってどんな子?という原点に立ち戻る必要性も感じました。幸せで、楽しい時間を過ごして、夕方、大阪に戻りました。
さあ、次は吃音親子サマーキャンプです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/08/01

親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、近づいてきました

 連日、猛暑、酷暑が続いています。
 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶ大きなイベントが近づいてきました。まず、一週間後に迫っているのが、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。
 吃音講習会は、これまで、下記のように、研修、学びを積み重ねてきました。講師の肩書きは、当時のものです。

1回 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み(2012年 千葉)
    講師:浜田寿美男(奈良女子大学名誉教授)
2回 子どもとともに、ことばを紡ぎ出す(2013年 鹿児島)
    講師:高松里(九州大学留学生センター 准教授)
3回 ナラティヴ・アプローチを教育へ(2014年 金沢)
    講師:斉藤清二(富山大学保健管理センター長 教授)
4回 子どものレジリエンスを育てる(2015年 東京)
    講師:石隈利紀(筑波大学副学長・筑波大学附属学校教育局教育長)
5回 子どものレジリエンスを育てる〜ナラティヴからレジリエンスへ(2016年 愛知)
    講師:松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授)
6回 ともに育む哲学的対話 子どものレジリエンスを育てる(2017年 大阪)
    講師:石隈利紀(東京成徳大学教授 筑波大学名誉教授)
7回 どもる子どもとの対話 子どものレジリエンスを育てる(2018年 千葉)
8回 どもる子どもとの対話〜子どものレジリエンスを育てる〜(2019年 三重)
9回 対話っていいね〜対話をすすめる7つの視点〜(2022年 千葉)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長)
10回 どもる子どもが幸せに生きるために〜7つの視点の活用〜(2023年 愛知)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長) 


 そして今年、第11回は、やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜をテーマに、教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんを講師に迎えます。渡辺さんは、演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰されています。
 昨年の講習会では、子どもとの対話をすすめる教材として、「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」の3つを紹介し、それらの実践交流の場にしました。
 今年は、それら教材の実践を取り上げ、子どもと一緒に学び合う活動にどうつなげていくか、もう一歩すすんだ実践を参加者みんなで探ります。
 渡辺貴裕ワークショップでは、ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返るようなことも考えています。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。例えば、「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 昨年、参加していなくても大丈夫です。初めてことばの教室担当になった人も、長年経験している人も、基本的なことを丁寧に押さえながら、ゆっくりすすめていきますので、どうぞ、安心して、ご参加ください。
 これまで積み重ねてきたことを踏まえ、新たな視点で、子どもたちとの時間を振り返ります。吃音の新しい展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 開催日ぎりぎりまで申し込みを受け付けています。
 日本吃音臨床研究会のホームページから、吃音講習会のホームページを検索し、参加申込書をダウンロードして、郵送していただくか、メールに添付して送信してください。
郵送   〒260-0003 千葉市中央区鶴沢町21-1  千葉市立鶴沢小学校 黒田明志
メール  Mail:kituon-kosyukai@live.jp
 吃音講習会のホームページは、これまでの講習会の報告、大会要項に載せた資料などをご覧いただけます。講師からの貴重な提案、ことばの教室の実践報告、どもる子どもや大人の声など、日々の指導の参考になる資料が満載です。
 なお、吃音講習会に関する問い合わせは、日本吃音臨床研究会まで。
           TEL/FAX 072−820−8244
           〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

日本吃音臨床研究会のホームページ https://www.kituonkenkyu.org 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/21

我の世界

 2004年の第4回臨床家のための吃音講習会での梶田叡一さんの話を紹介してきました。話の流れを優先させたので、「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133 の巻頭言の紹介がまだでした。
 吃音に悩んでいるとき、吃音が占める割合が大きくなり、「どもる私」が全面に出てしまいます。もっといろんな私がいるはずなのに、どもっている私だけが大きくクローズアップされるようです。映画監督の羽仁進さんは、「どもる人の奥にある世界を豊かにしよう」とメッセージをくださいました。梶田叡一さんも、内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることを提案してくださいました。
 僕も、まだまだ我の世界を磨くことはできそうです。

  
我の世界
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音は他者との関係の中ではじめて問題となる。どもることで息が苦しくなったり、からだが緊張することはあっても、どもること自体で苦しむことはない。どもった私を他者がどう見ているか、感じているかという他者の視点、評価が気になって悩むのである。
 私たちはどもることを他者から指摘されたり、笑われたりすることで、否応なしに、他人の目を意識せざるを得なかった。社会と向き合う私の前面には常に吃音が立ちはだかった。吃音を通して他者や社会をみつめていたことになる。子どもの頃から、社会に適応するために、我々の世界に生きるために、どもらずに話せるようになりたいと願ってきた。
 社会に適応する力は必要だが、そればかりにからめとられると、肝心の我の世界がおろそかになる。社会と向き合うときのどもる私は、私のごく一部にすぎないのに、吃音に深く悩んでいたときは、その吃音が私の全てを代表しているかのように思っていた。どもる・どもらないとは無関係の自分の豊かな我の世界があるはずだ。話さなくても我の世界を楽しむことはできる。楽器やスポーツやダンス、何かを育てたり作り出す、絵を描く、好きな音楽を聴く、本を読む、映画を観るなどたくさんのことができる。
 学童期、劣等感にからめとられていた私は、エリクソンの言う勤勉性が全くなかった。勉強もせず、友達と楽しく遊ぶこともなく、学校やクラスの役割も引き受けなかった。当時の通信簿には、そうじ当番をよくさぼると記されている。本読みや発表ができなくても、話さなくてもいいクラスの役割はあったはずなのに、私はしなければならないこと、したいことをせず何事に対しても無気力になっていた。
 思春期の私は社会に適応したいと願いながらできなかった。ゆえに私は孤独であった。このことが後になってみると、ある面では私に幸いしたらしい。本当はしたくないのに友達に合わせて時間を浪費することはなかった。周りに合わせようとしていたら、多くの無駄なエネルギーを費やしていたことだろう。
 私は、仲間を必要とせず、社会にも合わせようとせず、ひとりの世界に入っていった。孤独の辛さを紛らわせるために、私は映画と読書にのめり込んだ。中学生から映画館に入り浸った私は、1950年代の洋画全盛時代のほとんどの洋画を観ている。ジェームス・ディーンの「エデンの東」に何度あふれる涙を流したことだろう。世界・日本文学全集と言われる多くを読んで、自分では経験できない世界を味わった。我々の世界に入れず、不本意ながら我の世界の中に入り込んでいったものが、今私が生きる大きな力になっている。
 人間関係をつくりたくて、夜のコンビニエンスストアを俳徊し、たむろして時間をつぶす若い人たちを見て、私は吃音に悩むことによって内的な世界に入ることができた幸せを思う。
 私のように不本意ながらではなく、我々の世界に適応することはしばらくの間は諦めて、奥にある内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることだけを考える時期が必要なのではないかと最近考えるようになった。自分の喜びや楽しみのために、能動的に時間を使うのだ。私の場合、我々の世界に未練を残しながらの中途半端なものだった。それであったとしても私にとってよかったと思えるのだから、我々の世界に合わせることをとりあえず一時期断念し、自分に向き合い、自分を豊かに育てるのだ。
 楽しみを豊かに持つことは、自分自身の根っこの中の自信となっていく。その自信があってこそ、どもっていても大丈夫、「私は私だ」と、奥にある豊かな世界を意識しつつ生きることができるのだろう。
 子どもの頃から否応なしに我々の世界を意識せざるを得ないからこそむしろ早く、我々の世界に適応することはとりあえず置いておいて、我の世界を豊かにする。それは、我々の世界に生きるには周りからはマイナスのものと思われているものを持っている人々の特権ではないだろうか。
 国際吃音連盟ではどもる著名人をリストアップして、ホームページに掲載しようとしている。どもるからその人たちは一芸に秀でたり、成功したりしたのではない。どもる、どもらないにかかわらず、自分の奥にある内的な我の世界を大切に生きたからこそ、様々な分野で活動ができたのだ。このリストアップの動きが、「どもってもいい。我の世界を大切に生きよう」という声に結びついていけばいいのだが。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/19

我の世界と我々の世界 2

 吃音講習会の時の梶田叡一さんのお話を紹介してきました。
 僕が梶田さんを講師として講習会に来ていただきたいと仲間に提案したとき、当時、京都ノートルダム女子大学学長でしたが、忙しい学長職の人に断られるに決まっているという人がほとんどでした。島根県松江市での開催なので、合宿の形式にした40名ほどの参加者の講習会です。僕は、梶田さんの本はたくさん読んでいました。そのことを強みにして、梶田さんの出身が松江市だということを手がかりに、心を込めてお願いの手紙を書きました。すると、「小さな集まりが好きなので行きますよ」と快諾してくださいました。その言葉通り、たくさん話をし、質問に答えて、また話していただくという、とても贅沢な時間を過ごしました。お酒が好きで、夜遅くまで話につき合っていただきました。本棚にあるたくさんの梶田さんの本を眺めては、懐かしく思い出しています。
 我の世界と我々の世界を行ったり来たりしながら自由自在に生きること、僕自身は、かなりそうできているのではないかと思います。21歳からは、自分の納得のいく人生を歩いてきました。
今回で、梶田さんのお話は終わりです。(「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133)

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7
    我の世界と我々の世界
                梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)特別講演


自由自在に生きる
 自由自在に生きるということは、自分のいろんな条件が完備することではありません。事実は変わらないのです。不完全で不満足な条件を、パーフェクトではないものを与えられて、私の命が機能しているわけです。だったら、自分に与えられたものは存分に楽しんだらいいし、ないものねだりをしてもしょうがないと思うのです。ないものねだりが一番いけないです。どこへ行っても私は私のペースで私なりに生きていく。だからといって、世の中のネットワークから自分だけ逃がす必要はない。世の中のネットワークは大事にする。そして、仮の主語として、我の世界は、とっても大事。しかし、世の中のことも、自分自身のことも、どちらも、どこかで、「まあいいか」と思えること。一所懸命になりすぎるのがいけない。できれば死ぬときに、ああ、いい一生だったなあと思って死ねるかどうかです。
意識としての自己 梶田叡一 今、お話したことは、私の本『意識としての自己』(金子書房)の中に書いております。また、見て下さい。
 私はどういう者だとか、私は自信があるとかいう自己概念は、結局自分の意識の中のあるひとつのあり方でしかなくて、事実の問題じゃない。意識の中での、主語述語の組み立て方の問題です。若いときからあまり死ぬことにとらわれたらいけないですが、ときどき、自分が自分だけの固有の命を生きていることを思い出すときには、死ぬんだよなあということを思えばいい。勲章をもらっても意味ないし、私も伊藤さんも本をたくさん書いているけれど死んでしまったら、ほぼナンセンスな話です。どういう所に住んで、家族は何人いたなんて、どうってことないことです。まして、吃音があったかどうかなんて、死ぬということと比べたら別にどうってことない話です。
 ひとつは世の中での価値、我々の世界での価値観があるけれど、これを一度全部ちゃらにしてしまう。もうひとつの我の世界の価値、たとえば私は石川さゆりがいいとか、私の中での価値観ができている。最後はそれもちゃらですよ。一度全部ちゃらにして、物を考えるためにはメメントモリという死ぬということを考えたらいい。自分が死んでしまうのではなく、頭の中での考えた死です。生きている間は死ということにこだわって、とらわれて、つかまえられて、意味づけとして、死という事実があると考えたらいい。私は人生をこう意味づけると考える。そして、くれぐれも言いますが、死ぬことだって、私に責任がある話じゃない。もっと言えば、今、生きていることだって、ほんとは私に責任ないです。そう思ったら楽でしょ。これが自由自在に生きるということです。

位置づけのアイデンティティ
 心理学の本を見ますと、アイデンティティということは、たとえば自分は男だとか女だとか、自分は学校の教師だとか、そういう我々の世界での位置づけのことを言っています。
 年齢も全部我々の世界の符丁です。性別も、役割も、自分は長男だ、何人子どもがいる、親と一緒に住んでるとかが、普通アイデンティティです。それが自己概念なんですが、自己概念の中で一番自分中心的面、たとえば私にとって一番中心的面は、学校の教師であれば、それがアイデンティティになる。これが〈位置づけのアイデンティティ〉です。
 我々の世界のネットワークの中で、世の中から与えられた、いわば符丁、シンボル、サイン。こういうものの中で、私をどう規定していくかです。吃音も、世の中で、そういうカテゴリーを与えられて、そういうものかと思っている。ダウン症だって、引きこもりだって、登校拒否だってそうです。世の中で生きていく上で、全部ちゃらにする必要ない。事実として知っておけばいいが、これにこだわらなくするにはどうしたらいいかがひとつの大問題だと思うんです。事実であっても、それにこだわると、ちょっと窮屈なところがある。上手に世の中からはみださない形で、どうやってそれにこだわらないようにするかです。
 私は親だけれども、自分のアイデンティティを親にすると、窮屈になります。親でもあるけれどなあ、ということです。私は教師だとなると、日本ではなんとなくいい子をしていないといけない感じになる。自分の全存在が位置づけの間にからめとられたら、こんなつまらないことはありません。これが、最初の罠です。

宣言としてのアイデンティティ
 この罠から抜けるためには、〈宣言としてのアイデンティティ〉が必要です。
 「教師でもあるけれど、なんとかでもある」という何かを出していく。便利な宣言としてのアイデンティティとして、私は男だ、女だ、何歳だ、「教師だと言われるけれど、私は人間だ」と言います。「私は人間だ」というのは、位置づけとして相対化するには一番いいでしょう。それでなくて、人には分からないけれども、こういうものだという宣言を自分の中で、もったらいい。教師だとか女性だとか、あるいは親だとかなんとかだという前に、「私はこういうことが私にとって、自分のコアになるんだ」というものです。一番簡単なのは、「人間だ」ということです。
 位置づけのアイデンティティで、他の人がどう自分を呼ぶかを知っておいた方がいい。だけども、それを乗り越えて、がんじがらめにされない。私というものを意識化する。一番自由自在に生きるとしたら、「私はカモである」とか、「空気である」と言ってしまえばいいが、あんまりそれをやると、「熱、あるんじゃない?」と言われてしまう。上手にTPOを見て言わないといけない。人には言わないで、自分でもっていたらいい。「私は水でありたい」とか、「風でありたい」とか。そういう宣言としてのアイデンティティを自分なりに作っていけるかどうかは、とても大事です。宣言としての自己意識、自己概念です。自分が自分とっきあって、自分と対話して、私ってこうなんだから、という土台になるような自己概念です。
宗教教育、宗教的なこだわり宗教ということばを使うと、戦後は、みんな、疎ましく思うようでほとんど勉強することはない。だけど、私はあえて言うけれども、特に障害のある子にかかわるとか、命の問題を考える時、宗教をぜひ勉強してみて下さい。これが、一番関連の深い文化です。
 お釈迦さんだって、なぜ出家したかと言うと、自分が死ぬということ、病気の人がいるということ、などからでしょう。しっかり勉強して、資格をとって、肩書きもできて、大きな家にも住むという右肩上がりの単純化した人生を考えていくと、命の問題は分からない。障害をどう意味づけるかは分からない。人間の一生は、右上がりじゃないと言っているのが宗教です。この宗教でないといけないという宗教心は嫌いです。でも、大きな宗教思想家はいい。
そういう人のものはぜひ皆さん、読んでみて下さい。
 道元や親鶯です。親鷺はぜひ『歎異抄』を、読み返して読み返して下さい。易しい例と易しいことばで、あんなに深いものはないと思います。『歎異抄』を読んでいくと、道元も分かってきます。道元は難しい難しい本ですが、読んでいくと、聖書の中に出てくるイエスのことばが分かるようになります。
 なぜ、幼子の如くならないといけないのか、なぜ野の花を見よというのか、です。いろいろなことで思い煩っているけれど、この花は、誰がどうしたわけでもなく、本人が美しく咲こうとか思ってるわけじゃないのに、こんなに素晴らしい花を咲かせているじゃないか。命の自己展開です。命は自己展開するんです。ユダヤ民族をもった伝説的なソロモン王朝のときの栄耀栄華のときよりも、この花は、はるかに美しいじゃないか、というわけです。
 道元を読み、親鷺を読み、あるいは聖書を読んで下さい。ほかにもすばらしいものがいっぱいあると思いますが、ぜひお読みいただきますと、結局は、この意味づけ、こだわりというのを深く考えていくということが自分の中でできるようになるんじゃないかなと思います。ですから、私は、宗教教育をこれから本当にやらないといけないと主張しているんです。
 何宗の教育でなく、宗教をひとつは文化の問題としてとらえたいのです。教育改革の論議のなかでもずいぶん言いました。そしたら、宗教教育は結構だけれど、宗派でない宗教をだれが教えるのかと言われる。確かに道元や親鷺、イエスなどの宗教的な天才のような思想家のことを、自分でこだわって、勉強して、小学校、中学校、高校で、大学で、宗派的でなく、教えることができる人が日本でどれくらいいるか、と言われました。でも、私はあえて言いますけれど、そういうこだわりを、いろんな意味での、広い意味での教育に関係する人が、宗教的なこだわりを持ってほしいなと思います。

質問 位置づけのアイデンティティは、よく分かりました。宣言としてのアイデンティティみたいなものは持っているような気がするんですが、それを自己中心的なものと勘違いしてしまう危険性はあると思うんです。それを越えて、第3段階の目覚めという本当の本質、本源的なもの、そういうものを持つコツのようなものがあるんでしょうか。
梶田 コツは多分ないだろうけれど、そういうものがあるんだろうなあということを自分の頭の中のどこかで前提にしておけば、自然にそういう方向に近づくと思うんです。
 頓悟と漸悟ということばがあります。頓悟というのはある瞬間に、たとえば石がぱちっという音がしただけで、それに気がついた、悟りを開いた、というものです。まあそれは、そういう人たちに任せておいて、私たちは、漸悟です。漸悟とは、少しずつ少しずつ、ものが見えてくるということです。自分がまず我々の世界に目覚めてからです。世の中というのがあって、自分勝手はいけないよねというのが分かってくる。しかし、自分が生きなきゃしょうがないよね、となる。結局両方をどうやって生かすかという工夫をしないといけない。工夫していくけれど、我々の世界に生きるとか、我の世界に生きるとか、私が生きるみたいな、そこも乗り越えないと、どこかしんどいよねという筋道が見えていれば、私は徐々にそういうふうになっていくと思うんです。
 だから、私は宗教的な神話として、いろんな、ある瞬間に悟ったという、目が見えるようになったという頓悟の話があるけれど、私はそういうことにこだわる必要は全くないと思います。

梶田叡一さんの紹介
 1941年島根県松江市に生まれる。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。大阪大学人間科学部教授、京都大学教授、京都ノートルダム女子大学学長を経て、現在兵庫教育大学学長。
主要図書『自己意識の心理学(第2版)』(東京大学出版会)『生き方の心理学』(有斐閣)『内面性の心理学』(大日本図書)『生き方の人間教育を』(金子書房)など多数。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/18

我の世界と我々の世界

 島根で、2004年に開催した第4回臨床家のための吃音講習会での梶田叡一さんのお話を紹介してきました。間がずいぶんあいてしまったのですが、続きを紹介します。
 このときの吃音講習会のテーマは、《どもる子どもの自己概念教育》でした。吃音と向き合い、どもる自分をみつめるには、自己概念教育こそが大切だと考えていた僕たちは、長年、子どもの自己概念教育、自己意識の研究と実践を続けてこられた梶田叡一学長を講師としてお迎えしたのでした。
 前夜から来て下さった梶田さんと参加者は、車座になって、夜遅くまで気さくに語り合いました。基調講演としてのお話は、ご自身の体験を交え、分かりやすいものでした。大事なことは、何度も繰り返していただき、印象に残りました。

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7

  我の世界と我々の世界
           梶田叡一(現・兵鰍育大学学長)特別講演


第一段階 我々の世界と我の世界に気づく
 ほとんどの場合、どちらの世界のことも考えないところから出発します。自分の欲求、欲望のままに動いていいと思っている人は、いっぱいいます。言いたいから言う、これは無自覚です。それに対して、ある時期、世の中というものがあることに気がつく。好きなことを好きなときに好きなようにしていると、みんなが嫌う、冷たい目で見られる、したがってみんなから相手にされなくなって、人と一緒にできなくなる。これに気づくのが第一段階です。
 世の中が分かってくると、世の中の決まりやしきたりに関心を持って学ぶようになります。これは、我々の世界で生きる力を身につけることです。ただ、このとき気をつけないといけないのは、こればかりが肥大化してくると、落とし穴、罠にはまります。
 世の中のしきたりばかりにうるさい人がいます。京都なんかとてもうるさい。香典にピン札が入っていたら、ピン札を用意して、死ぬのを待っていたのかと言われます。結婚式のお祝いに、折り目が入っているお札が入っていたら、前からピン札をそろえて準備するくらいは当然だと言われます。
 世の中の決まりも大事にしないといけないが、あんまり杓子定規になったら、どうにもならん。それが、罠ですよ。私は、あんまりうるさい人が嫌いです。
 私が京都ノートルダム女子大学の学長として行ったとき、秘書室長さんに「先生は、この学校を代表して、外に出るんですからね」とものの言い方から服装までいろいろと言われました。でも、言われてもすぐ忘れる。我々の世界、世の中をみつけ、目覚め、約束事は大事にしないといけないが、それだけにとらわれ金科玉条のようにしてしまうと、次の段階に行けなくなってしまいます。

我々の世界を大事にすることとゆとりをもつこと
 次の段階は、我々の世界を大事にすることが分かった上で、世の中のしきたりを大事にする。しかし、世の中はそういうものだから、「泣く子と地頭には勝てない」から、とにかく頭を下げなくてはいかんと、本気で思ってはいけない。それはそれ、上手にそういうことにしておく。これが我々の世界を大事に生きるということです。世間のこだわりのある人とも、大事につきあいをしなかったら、生きていけないことがあります。だから、無自覚ではダメですが、肩書きのある人はえらい、と本気で思ったらダメです。
 我々の世界を大事に生きるということは、我々の世界の習わしや習慣を大事にしながら、そこにゆとりがなきゃいけない。ゆとりというか、遊びというか、「まあいいか」ということです。そうして、第二段階につながるのです。

第二段階 自分の発見
 私は他の人と置き換えできない命を生きている。
 ヨーロッパの教育で、メメントモリと言われることですが、死ぬということを忘れないようにしようというのです。何が確実かというと、ここにいる人はみんな死ぬということです。ローマの賢人セネガが、人間は自分だけは死なないようなつもりで生きている、と書いているが、これは幻想です。私という人間は、ずっと生きて、ある日突然パッと消える。そう思えば、自分のせっかくの命を、どう完全燃焼していくかが最大の課題になります。別の考え方をすると、いろんなことがあるけれど、結局、死ぬんだから、「まあいいか」です。でも、私は与えられた命を最後のぎりぎりまで完全燃焼することは自分の課題だと思っています。
 私もある日突然脳溢血や心筋梗塞で死ぬかもしれない。また寝たきりになるかもしれない。そうなって、「まだ死ねない。まだお迎えがこない」と言ったら終わりです。寝たきりになってからが勝負です。目をぎらぎらさせて、「わくわくさせてもらった今日一日が持てた」と思わないといけません。それをやるには修行がいるだろうと思っています。そのためには、たとえば「自分にピンとくる本」などが分かってないといけない。ノーベル文学賞をもらっただけでその人の本がいいなんて、たったひとりの世界になったとき絶対ダメです。音楽でも、べ一トーベンやモーツァルトやバッハもいいが、ほんとに、モーツァルトやワーグナーに自分がわくわくするかは確かめておかないと、ひとりになったときに困る。
 私も小さいときからピアノを弾いていたので、クラシックの世界は詳しいですが、やっぱり自分でピンとくるものは、石川さゆりなんですよ。吉幾三もいい、坂本冬美もいい。世の中のネットワークから解放されてたったひとりになったときに、我の世界がちゃんとできているかどうかが勝負です。自分にピンとくるものがあるかどうか、です。
 私は、壺が好きで、若いときから集め、この年になると、人に見せる壺や焼き物があります。でも今一番好きなのは20年以上も前に買った、名前も忘れてるし、箱もない壺です。自分にピンとくるものは、10年、20年経っても飽きない。たったひとりになったときに、自分の気持ちを和ませてくれるものをみつけて大事にする。そういう中で自分をどうやったらわくわく、どきどきさせることができるか、自分とのおつきあいの仕方をマスターしていかないといけない。自分がしんどいときには自分を支えないといけない。調子にのってるときは、自分を抑えないといけない。そういう中で、私はどうやったら今日一日本当にわくわくしていけるか、です。
これも我の世界なんです。これが第二段階です。
 ただし、これもまた落とし穴がある。これに目覚めると、自分さえよかったら、になる。自分で気が済むかどうかばかりを考え、人の目を顧みなくなる。これも恐い罠なんです。私しかいない、独我論的世界が、私は私の命にしか責任を持てないんだから、私がわくわくドキドキしながら生きりゃいい。他の人なんか知るか。他の人は私がそう生きるための手段、道具だという考えになってしまいがちです。
 これは非常に困ったことだと思うんです。そうではなくて、私の独自固有の世界をみつけ、それを深め大事にして、それを土台にして生きるが、同時に我々の世界に生きている。人と人とのネットワークの中にちゃんと身を置きながら、人のためにもなる、人にも喜んでもらう。あるいは人との手のつなぎ合いが自分にとっても心地いい。自分の世界を土台として大事にする。両方を大事にする、これは修行がいりますので、一生かけて考えていいことだと私は思います。

第三段階 こだわりからの解放
 第三段階は、悟りを開くというか、基本的に言うと、もうこだわるのをやめるということです。道元の話に、鐘の音がゴーンと鳴っていると、一体鳴っているのは何だろうというのがある。鐘が震えているから、その前に誰かがそれをついたから、空気が震えているから、私の耳が聞いてるから、ゴーンなんです。まあ、なんでもいいんです。結局、主語を何に置いたかです。道元は、鐘がゴーンと鳴っている、だけでもない。空気がゴーンという震え方をしているだけでもない。私の耳がゴーンというのを聞いているだけでもない。ゴーンがゴーンしてるというんです。何のこっちゃ、よく分からない。
 全てを包括したものがひとつの現象だと言うんです。これを頭に置いて、みなさん、自分が生きていることを考えて下さい。
 今、梶田がしゃべっている現象は、そうです。私は、次に、何をしゃべろうかなんてほとんど考えてない。中味だって、これまで学んだことや聞いたことや見たことを、今、ことばに紡ぎ出している。でも、どう紡ぎ出すか、声帯をどう動かすか、なんて考えていません。自動的にしている。私の頭がいろんな考えを紡ぎ出し、それをことばに翻訳して、それを声帯の動きで、ということでしょ。梶田がしゃべってると言っても、それは間違いじゃないけれども、それは考えてみると、その間にも私の心臓は動いているし、血液も流れてる。梶田において、梶田というひとつの場所において、何事かが起こっているわけです。つまり、梶田という主人公は、本当はどこにもいないわけです。
 我々の世界で、ひとりひとりが主人公だという約束事をしないと、お互いのネットワークができない。けれども、本当は、我々の世界で考えていくのは、主語の置き方です。我の世界で考えてごらんなさい。私がというのがほとんどなくなり、どこかへすっとんでしまう。

大きな力に任せる
 浄土真宗の親鶯は、法然が「南無阿弥陀仏と言えば救われる」と言ってきたのを、「南無阿弥陀仏と言って救われるかどうか、分からん」と言った。ではなんで、南無阿弥陀仏と言うのか、「阿弥陀様、全部お任せしますよ」と言うのが、南無阿弥陀仏なんです。阿弥陀様という大きな存在に、自分のことを全部お任せしますという気持ちが起こって、そういうことばが自分から出てきて、うれしいから、南無阿弥陀仏だ、という。感謝の念仏なんです。私を離れて、阿弥陀様かなんか知らんけれども、大きな力に任せて、自分だけで生きるということをお休みしようという気持ちになったこと自体がうれしいじゃないの、というんです。「南無阿弥陀仏と言ったら極楽浄土に行きますか」と問われれば、そんなこと知るか、です。ただ、自分の先生である法然が言っているから、やってるだけだと言うんです。これが他力というんですね。これが悟りということです。
 私が生きているんじゃなくて、私において大きな力が生きている。自分で生まれてきたいと思って、生まれてきた人はいない。大きな力の中で生まれてきて、大きな力の中で生きてきて、今がある。そして、大きな力の中で消える。命は、そういうものです。
 私はいろんな機会に、妊娠中絶絶対反対を書いてきました。私が子どもを作るとか、私が子どもを産むか決めるとか、そういう考え方がどれだけ思い上がったものか。命は、自分の命だって自分のものじゃない。自分は与えられた命を、いわば仮の主人公として、どう生きていこうかを考えて生きているのです。私が私をしてるわけです。仮の主人公なんですよ。仮の主語のつけかたなんです。そうすれば、私の判断で、なんてことを言うのがどれだけ思い上がりか。もちろん、いろんな事情があるわけだから、私は個々のことについて各める気持ちは全くない。
でも、よく、女には産む権利があるとか、産まない権利があるとか、いう主張を聞くと、何を言ってるんか、と思うんです。何様のつもりか、と思います。

目覚め
 そこまでいくと、「吃音?そんなもの」ということになるんです。みんなそれぞれいろんな意味で限界をもった形の装置を与えられている。この装置の主人公は、私であるやらないやら分からないけれど、仮の主人公として私がやってるとしても、いろんな障害がある。私はこういう条件で生きていくようにと、この命をもらったということです。
 私は小さいとき、本当にお金持ちの家に生まれたらよかったなと思いました。20歳前後まで思ってました。学校に行かないで、アルバイトばっかりやってて疲れます。夏の暑い日に、アルバイトしなくてすむ家に生まれたら、楽に毎日毎日、古典なんか読んで、えらい人と対話したりして、豊かな自然にふれて。そんな暇なしで今まできました。でも、これが私の与えられた条件です。それぞれ自分に与えられた条件があります。隣の人はこういう条件で生きているといっても、それは隣の人の話で、私は私の条件を与えられています。姪のようにダウン症で生まれたら、それも与えられた条件です。私もすごく頭のいい人と出会うと、あっ、すごいなと思うことがある。でも、そんなこと言ってもしょうがない。あの人はあの人なんですから。私はそうじゃないんです。私が私の責任で生きていくと、そんな思いから解放される、これが第三段階です。(つづく)

第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

 梅雨入り前に猛暑日を記録するなど、異常気象が続いていますが、紫陽花が雨に映える季節を過ぎると、いよいよ「吃音の夏」がスタートします。
 「吃音の夏」のスタートは、7月27・28日、千葉県教育会館での、第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。

 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会は、今年で11回目となります。水町俊郎さんや村瀬忍さんたちと一緒に始めた吃音講習会は、水町さんがお亡くなりになって、4回で終わりました。そのときの吃音講習会を、シリーズ1とすると、その8年後にシリーズ2が始まり、それが今年、第11回となります。
 今年は、久しぶりに講師を迎えます。教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返ります。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。
 吃音講習会のテーマは、『やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜』としました。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 吃音の新しい展望を、ぜひ一緒に探っていきましょう。

  

  日時     2024年7月27・28日(土・日)
  会場     千葉県教育会館
  参加費    6,000円(当日、受付でお支払いください)
  参加申し込み 参加申込書に必要事項をご記入の上、郵送またはメールで
  問い合わせ  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二まで TEL/FAX 072-820-8244


 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページでみることができます。《ニュース&トピックス》の中の、詳しい案内と参加申し込み書をクリックしてください。また、トップページを少し下にスクロールしていただくと、【親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会】の青色のマークが出てきますので、そこをクリックしていただくと、これまでの吃音講習会の様子など、見ることができます。
 みなさんのご参加、お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/16

私の聞き手の研究

 昨日は、水町俊郎・愛媛大学教授がお亡くなりになったことの巻頭言を紹介しました。
 水町さんは、今夏、第11回を迎える「親、教師、臨床家のための吃音講習会」の前身である「臨床家のための吃音講習会」の常任講師として、共に取り組んでくださいました。水町さんがお亡くなりになったことで、「臨床家のための吃音講習会」は第4回で閉じましたが、8年後に「親、教師、臨床家のための吃音講習会」としてよみがえったのです。
 今日は、2002年の第2回臨床家のための吃音講習会で、水町さんにお話いただいたことを少し紹介します。

治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方 表紙 3 水町俊郎・愛媛大学教授は、吃音のメカニズムではなく、常にどもる子ども、どもる人に関心を持ち続けた吃音研究者でした。どもる時の脳の状態はどうなっているのか、聴覚システムはどうかなどにはほとんど関心を示されませんでした。それが分かったとしても、どもる子どもやどもる人がどうすることもできないし、どもる人をとりまく人々が、どう対応すればいいかヒントを得ることはできません。
 水町さんは、どもる人や、どもる人の周りの態度に関心をもち、研究を続けられました。どもる人を対象にした研究は、当然どもる私たちを抜きにはあり得ません。私たちへの研究調査の依頼が、私たちとのつき合いの始まりです。吃音研究に貢献でき、それが私たちにも役に立つ、喜んで私たちはそれに応じました。これまでは、たとえば質問紙による調査であれば、既に印刷されたものが配られ、それに応えるというものが全てでした。しかし、水町さんは愛媛から何度も大阪に足を運び、調査研究の趣旨を丁寧に説明し、調査項目についても、原案を皆さんで検討してほしいというところから出発しました。水町さんを中心とした勉強会のような形に、私たちの仲間と加わったのでした。
 そのような姿勢で続けてこられた研究が、どもる人に貢献しないはずがありません。多くの示唆を与えて頂きました。その研究の成果を踏まえて出版されたのが、『吃音を治すことにこだわらない、吃音との付き合い方』(ナカニシヤ出版)です。水町さんはご自分が担当する章はきっちりとお書きになって、入院されたのに、私たちが書き上げていないために、生前に出版することができませんでした。とても悔いが残ります。水町さんの吃音にかかわる全ての人々への、30年以上吃音の研究を続けてこられた吃音研究者としてのメッセージが伝わってきます。 その本の一部を紹介することはできませんので、2002年8月、第2回臨床家のための吃音講習会でのお話を紹介します。
 水町俊郎さんのお顔を思い描きながら、お読みいただければ幸いです。(「スタタリング・ナウ」2004.10.21 NO.122)

 
私の聞き手の研究
                       水町俊郎(愛媛大学教授)


はじめに

 アメリカの多くの言語病理学者は、自らが吃音者であるといわれています。日本でも翻訳されている、フレデリック・マレーの『吃音の克服』や論文によると、特に吃音研究の中心的な存在は、トラビスとヴリンゲルソン以外はほとんど吃音者であったと書いてあります。私は吃音だから吃音研究を始めたのではありません。もうちょっとハンサムで頭がよければ、性格がもっと明るければ、など悩みはたくさんありますが、吃音に関する悩みを私は持ったことはありません。
 私は大学は福岡学芸大学で、大学院は広島大学です。福岡学芸大学の当時の恩師が、「しいのみ学園」を作った昇地三郎先生です。現在、96歳。中国に講演旅行され、僕以上に元気な方で、40年以上も前、「障害児教育の今後は、肢体不自由か言語障害だ。君は言語障害をやらんかね」と言われました。その時から、言語障害をテーマにしようと漠然とした思いを持っていました。そういう時に、九州大学の心療内科で、当時日本に紹介されたばかりの行動療法を基に、吃音をチームアプローチしているところから、心理学の立場で入ることを誘われ、吃音にかかわり始めたました。はずみでやり始めたことで、何かの深い思いがあってではありませんが、30年以上続けてきました。
 今回の講座は、〈ウェンデル・ジョンソンの言語関係図を考える〉ですが、私に与えられているのは、Y軸、つまり聞き手に関することです。まずはじめに、ウェンデル・ジョンソンの言語関係図にポイントをおいた話から始めます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/27

2024年度がスタートします〜第7回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会(第一次案内)

 今日から4月。新年度、2024年度が始まりました。学校も、新学期に向けて準備が進んでいることでしょう。新しいクラスでの新しい出会いに対する不安と、必ずどもって言えなかった自己紹介を考えて不安だった僕は、この3月から4月にかけての早春は、嫌いな季節でした。長い間、そんな思いを抱えてこの季節を迎えていましたが、いつの頃からか、新しいことが始まるこの季節が好きになっていきました。
 今まで諦めていたことにもう一度挑戦してみようかなと思えたり、新しい出会いにわくわくしたり、スタート、リスタートが切れるこの季節のこと、今では大好きです。
 さて、日本吃音臨床研究会も、2024年度のスタートです。日本吃音臨床研究会の3つの大きなイベントは下記のとおりです。

第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
  7月27・28日 千葉県 千葉県教育会館
第33回吃音親子サマーキャンプ
8月16・17・18日 滋賀県・彦根市の荒神山自然の家
第7回新・吃音ショートコース
  10月12・13日 大阪府寝屋川市


第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
 やってみての気づきと対話 
   〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜


顧問 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所
             上席総括研究員/研究企画部長 牧野泰美
主催 吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会

 昨年は子どもとの対話をすすめる教材として、「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」の3つを紹介し、それらの実践交流の場にしました。
 今年は、それら教材の実践を取り上げ、子どもと一緒に学び合う活動にどうつなげていくか、もう一歩すすんだ実践を参加者みんなで探ります。そのために、久しぶりに講師を迎えます。
 教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。渡辺さんは、演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰されています。
 渡辺貴裕ワークショップでは、ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返ります。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。例えば、「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 昨年、参加していなくても大丈夫です。初めてことばの教室担当になった人も、長年経験している人も、基本的なことを丁寧に押さえながら、ゆっくりすすめていきます。どうぞ、安心して、ご参加ください。
 吃音の新しい展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 皆さんの参加を心よりお待ちしています。
         (大会実行委員長 千葉市立松ヶ丘小学校ことばの教室 渡邉美穂)
   
日時 2024年7月27日(土)9:20〜20:00
      7月28日(日)9:20〜16:30
会場 千葉県教育会館 千葉県千葉市中央区中央4丁目13−10
    最寄り駅 JR「千葉」駅から徒歩20分、京成「京成千葉中央」駅から徒歩12分
参加費 6,000円(当日、受付でお支払いください)
講師 渡辺貴裕(東京学芸大学教職大学院准教授)
※詳しいプログラムや申し込み先・申し込み方法等については、6月上旬、日本吃音臨床研究会のホームページ等で案内します。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/01
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