伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音親子サマーキャンプ

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン3〜吃音親子サマーキャンプは、事前レッスンから始まる〜

 事前レッスンの報告の前に、うれしい話を2つ紹介しました。吃音親子サマーキャンプは、今年、33回を迎えますが、本当にいろいろなドラマを生み出してきました。小学生として参加していた子が卒業して、またキャンプのスタッフとして戻ってきてくれるなんて、なかなかないことでしょう。僕たちがキャンプで伝えたかったことをしっかりとつかんでくれた子が、今度はスタッフとして、どもる子どもたちに伝えてくれている、そんないい文化、いい伝統が受け継がれているのです。

事前レッスン2 さて、今年の事前レッスン、22人の参加でした。東京、埼玉、千葉、静岡、三重、愛知、兵庫、新潟、大阪など、かなり遠くからの参加もありました。この事前レッスンを担当してくれているのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。渡辺さん自身、吃音とは全く関係ありませんが、大学生の頃から今まで欠かさず、25年このキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなった後、竹内さんのシナリオをもとにした演劇をスタッフが子どもに指導するための事前レッスンの担当をしてくれています。

 今年の演劇の演目は、トラバースの作品の「王様を見たネコ」。10年ぶりの上演です。登場するのは、知識集めに夢中になり、「自分がこの世で一番賢い」と思い込んでいる王さまと、そんな知識はないけれど、ある意味賢い総理大臣や側仕えや妃。彼らは王さまには困っていますが、王様のことは大好きです。そして、王さまに大切なことを思い出させる役割を果たすのが、ネコです。

事前レッスン1 初めはからだを動かし、声を出し、歌を歌い、演劇に入る準備をしました。みんながいろんな役を交代でしていきます。途中でストップしては、小さなグループを作り、似た場面を演じたり、せりふの言い回しを考えたりします。すると、舞台の上で繰り広げられる世界の厚みが広がります。このエクササイズが、サマーキャンプ当日、子どもたちと劇を作っていく上でとても役に立つのです。
 立候補したり、推薦したりして、役が決まっていきました。積極的に出ていく人、遠慮がちな人、それぞれの性格が表れます。衣装や小道具のことも相談しました。いつも、衣装・小道具を担当してくれる人には、これとこれとこれがいる。これはこうして…とアイデアが浮かぶようです。長年続けているので、これは私の出番だと思って、自ら仕事を分担してくれるスタッフたち。ありがたいことです。
事前レッスン3事前レッスン5 二日目の午後、ようやく形になり、通し稽古ができました。録画して、それをみんなで共有し、復習をします。当日までの自主練です。

 「サマーキャンプは、事前レッスンから始まる、そう言われるのがよく分かった。去年、思い切って事前レッスンから参加したら、サマーキャンプがいつもの何十倍も楽しかった」、そう言ったスタッフのことば、うれしかったです。
 吃音親子サマーキャンプは、ここ、事前レッスンから始まります。
事前レッスン6
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/18

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 2 クマが出た!の人との再会

 事前レッスンのスタートにふさわしい、結婚届証人としての署名をしたという、うれしい話を紹介しました。もうひとつ、事前レッスンに入る前に、うれしい話を。

 このキャンプは、どもる大人とことばの教室担当者や言語聴覚士などの臨床家とが協同で行っているものです。どもる大人は、サマーキャンプの卒業生や、大阪吃音教室のリーダーに限定しています。ただどもる人というだけでは参加できません。よく大学生や大学院生が、卒論のために参加したいと連絡をしてきたり、子どもの役に立ちたいと成人の吃音の人からよく連絡がありますが、全てお断りしています。きちっと自分の吃音に向き合い、常に吃音について僕たちの考えを学び続けているに限っています。吃音ワークショップなどへの参加経験があり、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を読んでいる人。また、吃音親子サマーキャンプの基本図書である「親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」の本や「吃音とともに豊かに生きる」のパンフレットを読んでいることが最低の条件です。
 今回も、事前レッスンの少し前に、ひとりのどもる人からメールがありました。その人は、11年前の1月、東京ワークショップに参加した人でした。僕は、その人のことを鮮明に覚えていました。ワークショップでは、いろんな話が出たのですが、「どもってはいけない場」というのがひとつのテーマになりました。近くでクマが出たので、気をつけるように住民に知らせるために、広報車に乗ってマイクでその呼びかけをしないといけないことになったその人は、その場面は、「どもってはいけない場」だと言いました。僕は、「じゃ、あなたがどもって、ククククククマが出たので、注意してくださいと言ったら、住民は本気にしないで、逃げないのですか」と尋ねると「いや、そんなことはないです」と答え、みんなで大笑いしたことを覚えています。「それは、どもってはいけない場ではなく、どもりたくない場でしょう」と、僕は言いました。その彼からのメールでした。あれからずっと、ホームページやブログなどを見て、サマーキャンプにぜひ参加したいと思っていたというメールでした。どもる大人というだけでは参加できないのだと説明しました。なんとか参加したいということなので、最低の条件を話しました。すると、「スタタリング・ナウ」を購読するなどを約束してくれたので、特別に参加をOKしました。
 土曜日の夜遅くまで仕事だった彼は、夜行バスで大阪に来ました。そして、日曜日のレッスンが始まる前に会場に到着しました。あの東京でのワークショップの後、組合の執行副委員長を10年つとめ、今回執行委員長になったとのことでした。あのときのワークショップでの出会いが大きな転機になったと話してくれました。
 演劇の練習にすっと入り、その中で、声を出し、歌い、踊る彼の姿がありました。「一日だけど、参加してよかったです。楽しかった」と彼は、帰り、話してくれました。
 こうして、吃音親子サマーキャンプは、長い歴史を重ねてきました。事前レッスンからして、ドラマの連続です。こんなつながりがあること、本当に幸せなことです。

 昨日、紹介した葵ちゃんのお父さんから、先ほどお礼の電話がありました。「いろいろ心配なこともあったんですが、サマーキャンプでの出会いは大きかったです」と話されました。何か特別なことをしたという自覚はないのですが、僕や僕の仲間の存在が、誰かの支えになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。そして、僕は、同じくらいたくさんの人に支えられてきました。その支えで、今の僕があるのだと、心から思います。ありがたい出会いに感謝です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/16

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 1 〜うれしいサプライズ〜

 先週末の13・14日は、第33回吃音親子サマーキャンプの事前レッスンでした。サマーキャンプの中で、子どもたちと作り上げる劇の練習に、スタッフがまず合宿で取り組みます。それを、キャンプ当日、子どもたちや保護者の前で披露して、3日間で子どもたちと作り上げるのです。事前レッスンに参加したのは、22人。
 千葉、埼玉、東京、新潟、静岡、愛知、三重、兵庫、大阪と、遠い所からの参加もありました。この事前の合宿レッスンを担当してくれるのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。渡辺さんは、大学生の頃から、この吃音親子サマーキャンプにかかわってくれていて、竹内敏晴さんが2009年に亡くなってから後、演劇を担当してくれています。実に15年になります。この事前レッスンに参加したスタッフの中には、子どもとして参加していて、卒業した後、スタッフとして戻ってきてくれた人もいます。長い長い歴史があるのです。
 いつものように、レッスン場所である銀山寺に集まり、レッスンが始まろうというときに、すてきなサプライズを用意していました。レッスンの様子を報告する前に、そのすてきなサプライズについて、紹介します。

葵 結婚証人1 「伊藤さん、ご報告したいことがあるので、電話してもいいですか」と、一本のメールがありました。サマーキャンプに小学校5年生から参加して、2019年に卒業した葵ちゃんからでした。ご報告? 結婚? ちょっと早いか? 何だろう? といろいろ想像しましたが、電話で話すと、「結婚することになった。ついては、その婚姻届けの証人になってもらえないか」ということでした。ご両親が健在なのに、僕でいいのかと思いましたが、本人の強い意志のようでした。翌日、お母さんからも電話があり、よろしくとのことでした。
葵 結婚証人 2 葵ちゃんは、サマーキャンプの長い歴史の中で、印象に残っている参加者のひとりです。とても印象に残っている場面がありますし、葵ちゃんが書いた作文もよく覚えています。それにしても、結婚の証人とは。双方の親が証人になるのが通例だと聞いていましたが、葵ちゃんは、もし、結婚することになったら、絶対、伊藤さんに証人になってもらうと決めていたのだそうです。署名したらいいだけのことなのですが、そのために、京都から大阪に来ると言います。いつにしようかということになって、じゃ、葵ちゃんとの出会いの場である吃音親子サマーキャンプに関連する事前レッスンの場に来てもらったらいいのではないかということになりました。葵ちゃんを知っている人もその場に何人もいます。みんなで、お祝いができると思いました。

葵 結婚証人 3 13日、葵ちゃんは、結婚する彼と一緒に銀山寺にやってきました。聞いていたとおり、優しそうな彼がそばについています。僕たちは、大きな拍手でふたりを迎え入れました。そして、僕は緊張しながら、署名しました。その後、僕は、葵ちゃんとの思い出をふたつ、話しました。

 ひとつは、初めて参加した小学5年生のときの作文に書いていた映画「英国王のスピーチ」の感想のことです。言語聴覚士養成の大学や専門学校で吃音の講義をしていたとき、学生に、その映画を観て感想を書くレポートの提出の課題を常に出していました。すると、全員が、スピーチセラピストの指導でジョージ六世は開戦のスピーチができたと思っていました。
 僕はいつも、「そうではない。吃音はまったく改善していない。つまり、セラピーは成功していないが、私は国王で、国王として、どもっても国民に話さなければならない。どもったらどもったときのことだと覚悟を決めて、あの開戦スピーチに臨んだのだ」と解説してきました。葵ちゃんは、そのことを見事に書いていたのです。『ジョージ六世は、自分は自分やし、どもってもいいやという気持ちがあったから、最後に話せたのだと思いました』と書いていました。

 もうひとつは、2回目の参加の小学6年生のときのことです。主役に立候補して、予想どおりたくさんどもって劇は終わりました。その後で感想を聞いたとき、葵ちゃんはさっと手を挙げて、「役になりきれていなくて悔しかった。ひどくどもる自分が主役になり、他の人がしていたらちゃんとできたのに申し訳ない」と発言し悔し涙を流しました。たくさんどもって嫌だった、悔しかった、つらかったという内容の感想ではなく、役になりきれていなくて悔しかったという発言に、僕は心を揺さぶられ、僕も涙があふれてきました。それは、事前レッスンを担当してくれている渡辺貴裕さんもよく覚えていたことでした。
 そんな思い出のある葵ちゃんが結婚とは、感慨深いものがあります。
 昨日、お礼のメールがあり、彼のことばが紹介されていました。「彼も、伊藤さんと葵の話が聞けて、今の葵があるのは、伊藤さん夫婦やここの場所の存在が大きいからなんやな!って言ってました」と。

 サマーキャンプにまつわるうれしい話を紹介しました。事前レッスンのいいスタートになりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/15

第33回吃音親子サマーキャンプ 荒神山自然の家との打ち合わせ

 第33回吃音親子サマーキャンプの参加申し込みが届き始めました。参加費も、郵便振替で届いています。また、サマーキャンプの中で子どもたちと取り組むお芝居をスタッフが練習する事前レッスンも近づいてきました。そんな中、先日、会場である滋賀県彦根市の荒神山自然の家に行き、打ち合わせをしてきました。毎年、開催の1ヶ月前には、出向いて、職員の方と打ち合わせをすることになっています。
 大阪より涼しいだろうと予想していたのですが、その日、彦根の最高気温は35度、大阪より高かったです。
荒神山背景 自然の家に着くと、所長の西堀さん、所員の堀居さんをはじめ、自然の家のみなさんが温かく迎えてくださいました。1年ぶりの懐かしい再会でした。
 プログラムを説明し、参加者がまだ全然未定だと伝え、食事や備品などの提出書類などについて丁寧に説明を受けました。学校の林間学校と違い、僕たちの吃音親子サマーキャンプは、参加者数がぎりぎりまで分からないのが大きな、悩ましい特徴です。
 ここ荒神山でサマーキャンプを開催するのは、今回で25回目。どの所員の方よりも長く使わせてもらっています。そのことはよく理解してもらっていて、僕たち独自のプログラムを尊重してもらっています。全員が作文を書くための会場を確保してもらったり、ウォークラリーの説明をサマーキャンプ卒業生が、経験を活かして行いますが、そばにいて見守ってくださっています。
 荒神山自然の家は、以前は滋賀県が、そして彦根市が運営母体でしたが、経営難で、それぞれ手を離し、今は民間会社の運営となっています。存続が危ういときもあり、僕たちもなんとか続けてほしいとお願いをしたこともあります。
 荒神山は、吃音親子サマーキャンプにとって象徴的なシンボルです。せめてもう少しこのままでと願っています。
 温暖化の影響を受けて、年々暑くなってきているとのこと、生物の生態系にも変化があるようです。名前は忘れましたが、大きななめくじの姿を見ることがなくなったとのことでした。
 来月8月16日から18日まで、荒神山で繰り広げられるであろうたくさんのドラマを思い描きながら、打ち合わせが終わりました。「吃音さん」と呼んでくださる荒神山自然の家のスタッフの皆さんの温かい見守りの中で、今年もいい時間が過ごせそうです。
 参加申し込みは、書類提出の開催2週間前ぎりぎりの8月2日です。お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/08

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

 昨日の続きです。保護者との話し合いの時間が2日間で6時間もあったとはいえ、本当にたくさんのことを話していることにびっくりします。島根スタタリングフォーラムに参加し、そこで、同じようにどもる子どもや保護者に出会い、お互いに話したり聞いたりして、学んだことの積み重ねが感じられます。今日で最後です。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3

◆今年で4年目です。4年前には吃音は母親のせいだ、と夫にも言われてきました。子どもがどもる姿は、私にとって不都合なことで、私の存在を否定された気がしました。4年前、吃音は母親のせいじゃない、他にもどもる人はいる、人によってそれぞれ違う、などを聞き、娘と共通のテーマができて以来、吃音のこと以外にも親子でよく話すようになりました。子どもは子どもなりに自分のことばで伝えようとするようになりました。父親も吃音だったことを知った子どもは、「私の子どももどもるかもね」と言っています。「そのときは、みんなでフォーラムに行こうね」と言っています。長いスパンで見ることができるようになりました。困ったら、行って、話すことができる場がある、情報をもっているということは心強いです。

伊藤 長い人生のスパンでみると、どもりのおかげで、充実した人生を送ることができたという人はたくさんいます。自分の自由にならない、苦手なものがあると、人は謙虚に誠実に生きていけるような気がします。私は講演や講義では、あまりどもらなくなったのですが、5年前くらいにまたどもるようになりました。正直、どもるようになってよかったと思います。初心に返れました。不都合なこと、苦手なこと、苦戦することがある方が、工夫が生まれていいと思うんです。

◆空手の昇段試験のとき、子どもは「オイ」が出てこないときがありました。空手の先生から、「両親が厳しいから、そうなったんではないですか?」と言われたけれど、すぐ「いいや、違います。あの子はしつけとは関係なくどもるのです」と言い切れた。フォーラムに参加して吃音について勉強した後だったので、言えたと思います。
◆どもるのは、母親のせいだと言われ、姑からは「私は息子(夫)が小さいとき、吃音を治した」と言われました。フォーラムに参加してから、親のせいではないと伝えることができました。母親が怒るからではないかとも言われたけれど、この会に出てからは、そう言われても、大丈夫。平気で言い返したり、説明できるようになりました。
◆吃音に大きな波があります。だから、母親からのストレスかと感じることもあるのですが、そうではないですよね。そうしないと、叱るときも叱れなくなってしまいます。トラブルも、経験して子どもは育つものだと思うのです。

◆子どもに「悩み、ある?」と聞くと、「春先4、5月はごそごそとどもりが出て活発になる。秋にはおさまり、冬眠して、また春に・・」なんておもしろいことを言います。剣道をしていますが、「オリャー」「メン」を言うとき、間があくので、苦労していることはしているようですが。
◆6年生です。高学年になると学校の中でいろいろすることが増えてきます。スターターをしたことが自信になったようです。修学旅行で、ガイドさんのクイズがあって、それに「夢はモデル」と書いて、みんなが「へえー」と言い、友達に受け止めてもらえるのがうれしかったようです。
◆うちの子の将来の夢は、先生です。それは、この会に来て、たくさん話を聞いてもらえたからだそうです。

伊藤 職業については早めに考えるとよいと思います。吃音親子サマーキャンプに小学校4年生で参加した子が、どもってもいいと受け止めたが、中学校、高校と、いろいろ悩みました。揺れ動いたのです。今、大学生になって、声優になる夢をもっています。一度はあきらめた夢をやはり捨てきれず、彼はその夢に向かって今、生きています。

◆子どもは、テレビに出たいという夢をもっています。でも、どもるので、壁にぶち当たりそうだけど、その夢につきあいたいと思っています。1年前と比べて、「あのことば、よくつまるね」と言えるようになりました。下の子が姉をからかうことも出てきました。なので、「姉がタタタ…ということについて話す会に行くんだよ」と言って、つれてきました。
◆6歳の子どもがどもりますが、今は少しおさまっているので、今は気づかせなくてもいいと思い、今回は連れてきませんでした。保護者の皆さんの前向きさにびっくりしました。今度は子どもを連れてきたいと思います。
◆このような機会があってよかったと思います。自分も経験しなかったことを体験できている子どもを思うと、本当に幸せです。妹が兄の真似をして兄のプライドを傷つけられているようです。夜尿が直らず、小児科ではストレスが原因ではないかと言われています。妹が真似をすることで辛くなっていると思います。叱った方がいいですか。

伊藤 あまりきつく叱らない方がいいと思います。「そんなにお兄ちゃんの真似をしていたら、お兄ちゃんと同じような話し方になるから、仲間になれるね」くらいで軽く受け流した方がいい。映画監督の羽仁進さんも妹から真似されたり、からかわれ、嫌だったようですが、「身内の中で、家庭の中でからかわれて却ってよかった」ともおっしゃっています。兄弟関係は大事です。家庭の中で、タブー視されず、オープンに話題にされているということの方が大きな意味があると思いますよ。

◆家では全然しないことも、このフォーラムではしているようです。やっぱり同じような仲間がいるということがいいんでしょうね。
◆自分で自分の言いやすいことばに変えることができるようになってきましたが、できないこともあります。少しずつ向き合ってきていると思っています。3年生の弟は、冬にはよくどもるから、冬は嫌いだけどサンタがくるのでいいと言います。冬を意識しているんだなあと思いました。

伊藤 今までの話し合いで、疑問に思われたこと、もっと話し合いたいことはありませんか。

◆中学校1年生の娘のことです。大変ひどくどもりながら小学校を過ごしました。そして、今年の4月、小学校5校が一緒になる中学校に進学しました。今のところ、どもりはバレずに過ごしているようです。自分の口から、先生にどもりのことを伝えることはできないでいるのですが。

伊藤 今、隠していて、バレずにいていいと思っていたのに、昨日の子ども同士の話し合いの中で、高校生から、「隠していたらだめだよ」と言われショックだったようですね。今までの自分を否定されたように思え、混乱して、今朝はもう帰りたいと言っていたけれど、さきほどグループの中に入って行きましたよ。子どものその混乱はすてきなことです。意味のあることだと思います。母親としては、中学生にもなった子どもには何もできないと思って下さい。自分で考えますよ。

◆変ななぐさめでなく、見守るだけですね。吃音を隠すのをやめようと本人が思うのは、何年後になるか分からないけれど、待ちたいと思います。

伊藤 30年以上も前、岩手県の釜石市での全国巡回吃音相談会に無理矢理連れてこられた高校生が「親に何をして欲しいか?」と尋ねたら、「僕のことは放っておいてほしい」と言いました。 向き合うと、よく言いますが、直接どもりのことを言うかどうかということではないと思います。子どもが吃音にっいて話題にしたときに、語り合う準備が親にあるかどうかです。ここに参加するだけで意味がある。正答やマニュアルはないので、感じたとおり、自分のことばで語って下さい。

◆昨夜中学生がとてもどもりながら手話落語をしましたね。娘は、落語自体を楽しんで笑っていました。私は、その子があんまりどもるので、つい笑うのを止めてしまいました。その後、娘は、私の顔色を見て、笑うようになりました。止めた自分にも、笑う自分にも腹立たしさを感じました。

伊藤 笑いには、さげすみやからかいの笑いではなく、共感や励まし、思わずにっこりとしてしまう笑いがあります。笑いは大切にしていきたいと思っています。子どもが自然に笑うのは、OKでしょう。笑いたければ笑うがいい、ただ相手が傷ついたと感じたら、そのとき本人に伝えたらいいのではないでしょうか。自分の弱点、欠点を笑い飛ばすユーモアの効用についても考えたいですね。

◆私自身は、吃音ではありません。だから、どもる人やどもる子どもの気持ちが本当には分かりません。だから、つい言いたいことも言えなくなります。

伊藤 どもる人はどもる人の気持ちが分かるかと言えば、そうではありません。どもる状態、家庭環境など、ひとりひとり違います。どもる人もひとりひとり違うので、お互いに全て分かり合うことはできないでしょう。想像力を働かせ、つきあい、分かろうとすることが大切だと思うのです。吃音の経験がないということでお母さんがひるむことはありません。分かろうとする想像力だと思います。

◆子どもは、家で見ている限り、どもりのことを気にしている様子はなかったけれど、4年生の話し合いの中で、自分のどもりについて話していたと聞きました。「どもりのことを考えると、ゴミ箱がいっぱいになりそう」という表現をしていたらしいのです。子どもなりにどもりのことを考えているのだということが分かり、うれしい。
◆小学校1年生までに吃音が消えなければ、治らないと言われ、小学校1年生になっても治らなかったので、お互い気が楽になりました。出にくいときも、出やすいときも、そのことを親子で語れるようになりました。悩みがあっても、子どもの力を信じて待てばいいことが分かってきたように思います。「スムーズに言えや」とか「どもるなや」と人に言われても、先生が「まあいいがや。どもってもいいよ」とフォローしてくれました。母親の私には悩みを何も言いませんが、悩みを持ちかけてきたときのために予備知識を得ようと、参加しました。子どもが来たいと言えば一緒に来ます。
◆人に尽くすことで、うれしさを感じてほしい。やさしい手をさしのべる子になって欲しい。

伊藤 やさしさは、一朝一夕に身につくものではありません。弱さは強さという文章を書いた教育相談の臨床心理士の私の友人は、自分のことを弱い人間だといいます。しかし、その弱さが、引きこもりの生徒に出会うとき、役立っているというのです。言語聴覚士の専門学校に講義に行っていますが、多くの学生が、こんなに弱い自分で、悩んでいる患者を支えられるか不安をもちます。そういう人たちに私はいつもこう言います。自分の弱さを自覚していることが大切だと。自信満々の人に、人は助けを求めようとはしません。自分の弱さを自覚しながらも、誠実に向き合ってくれる人を、人は求めているのです。弱さは向き合えば、恥ずかしいことではない。
 親として子どもとどう向き合うか整理します。
/道劼眇祐屬箸靴討和佚という意識、伴走することです。大したことは出来ないが、人間として精一杯関われば何かが変わると信じることです。
∋笋龍譴靴澆蓮¬ね茲見えない、不安、恐怖の予期です。どもりながらいろんな職業に就いている現実を知り、伝えること。

◆私は、この会に朝から参加させたかったのですが、夫は行かなくてもいいとスポーツ少年の集まりを優先させました。夫に何度話しても理解してくれません。夫と自分の考え方の違いで、子どもは、率直に自分の気持ちを言えなくなっていると思います。手話落語のとき、クスクス笑う子に対して、息子はいらだっていたようでした。笑える子と笑えない子の違いはどこにあるのでしょう。我が子は、きっと笑える子はいいなと思っていたのだと思います。
◆私はどもるため、不安、恐怖の連続で、自分が受け入れらなかった。今回、「受け入れておられますね」と言われたのですが、ここでは隠さなくていいのでいろいろしゃべりましたが、吃音をまだ受け入ていないと思います。私にとって、結婚は逃げ場で、必要最低限のことだけしゃべればよかったのです。息子ははずっと働くと言っています。どもりを一生背負い続けるが、越えられる試練だから、与えられたと思うので、親として、寄り添っていってあげたいと思っています。
◆子どもは優しすぎる、もっと強さがほしいと言われ、優しさをマイナスと受け止めていました。優しいのがいいと言われて、これでいいと思いました。子どもが心配事を話してくれたとき、私は的確に答えたいと思っていましたが、一緒に悩み、伴走していく気で接していきたいと思います。(「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/04

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

 昨日のつづきです。読み返してみると、子どもは参加せず、親だけが参加というところもあるようです。僕たちの主催する吃音親子サマーキャンプでも、どうしても子どもが行きたくないと言うので親だけが参加したことがありました。真剣に自分の吃音と向き合っている親の姿は、きっと子どもにも伝わるだろうと思います。親の真剣な話が続きます。

第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 2

◆周りの友だちの親から子どものことで、「そのままでも大丈夫なの?」と言われた。どもってはいけないと追い込まれたような気持ちになった。今は、どもりに関する知識も得て、大丈夫だと思えます。

伊藤 愛媛大学の水町俊郎教授と共著で新しく出る本に、どもる人がどんな職業に就いているかという調査報告をしています。多くの人がいろんな職業に就いてがんばっています。どもる人ばかりが困難を抱えているわけではなく、誰もが何らかの悩みを抱え、苦労しつつも生きています。東京のワークショップで出会った女性の絵本作家は、かなりどもって子どもに絵本を読んであげられないと悩みを言いました。でも、どもるから絵が好きになり、絵本作家になった。とてもすてきな生き方だと思いました。何不自由なく、特徴のない人生を送るのがいいか、苦労しながらも人と違ったすてきな人生を送るのがいいかは本人の選択です。欠点と考えるものがあるからこそ、工夫したり、別の力を身にっけようとする。映画監督の山田洋次さんが「男はつらいよ」で、マドンナ役の木の実ナナさんが「おにいちゃん」の一言が言えずに撮影がストップしたとき、「欠点があるから、努力する。欠点があってよかったじゃないか」と言いました。苦しむこと、悩むことは悪いことではありません。

◆夫の母が、とても心配性で、先回りをして心配している。私は、それに反抗して、できることは何でも自分でさせるようにしています。

◆子どもが大きくなればなるほど、親が直接してしてやれることは少なくなってくる。それは、どうしようもないことだ。陸上の先生が、「努力すれば必ず報われる。けれど、それは、何年先に報われるかは分からないけど」とおっしゃった。どもる子どもには「放っておいてくれ。勝手にしたい」と言われたので、放っている。

◆娘に、友達ができるか心配でした。本読みがあると聞き、それも心配していました。泣いているので、自分で担任に相談させた方がいいのではないかという助言をもらい、娘に言って、そうさせた。本人が担任に直接相談し、何でも言える関係が子どもと担任との間にできてよかったと思う。

◆自分でこうだと考えても、周囲に言われると揺れます。決めておくと、子どもに返すことばがプラスにつながるものになるので、決めることは大事だと思います。もう少し周囲の人に理解してもらいたいと思うが、どうしたらいいか。

伊藤 『どもりと向き合う一問一答』の10冊運動をしています。特別割引をしているので、10冊買って、担任や周囲の人に配ったお母さんがいます。自分のことばで説明するのは難しいので、読んでもらって、理解をしてもらうのです。

◆初めて参加しました。私だけ参加して、子どもは今回参加していません。みなさんのお子さんが元気で生き生きして明るいのにびっくりしています。考え方によるのか、気持ちの持ちようで変われるのでしょうか。紙一重だと思います。想像していたのと違って、とても新鮮な驚きです。

伊藤 どもりは治るはずだと思い、私はどもる自分を否定し、表情も暗く、陰気な雰囲気だった。どもりは簡単には治らない、どもる自分が自分だと認めてから変わりました。受け止め方の違いで、表情も違います。どう受け止めるかがポイントです。

◆私が吃音に悩んでいた時、担任に、「自分がどもることを、みんながどう思っているか、聞いて下さい」と頼んだことがあります。学活の時間、聞いてくれたんですが、そのとき先生は、「何をされたら、嫌なの?」と聞いてくれました。一人で本読みをすると、読めないけれど、誰かと一緒だと大丈夫だと言いました。そのことを友達にも話して理解してもらい、それからは友達と一緒に本読みをするようになりました。隠そうとすると、難しい。息子も同じようで、一緒に本読みをしてと頼んできます。自分の力でサバイバルして欲しい。

伊藤 子どもが苦しみ、考え、工夫している時、吃音を肯定的に考える大人が周りにいることが大切です。肯定的な態度で子どもの自己変化力が働き始め、変わります。親が直接できることはあまりないが、肯定的に考えることはできます。

◆今日は、6年生と3年生の男の子と一緒に参加しました。おととし、長男が書いた作文に驚きました。それまでは、親子でどもりについて話したことはありませんでした。「こんなにたくさんの人がいる。どうしてどもるのか、医者に聞きたい。中学生くらいになったら治ると思う」というような内容の作文だった。次男は、小学校1年生で参加しました。早朝登山の、大声で何かことばを叫ぶというときに、小学校1年生グループは、「どもりは、一生治らないぞー」と叫んだのです。そんなこと、これまでこの子に話したことはありませんのでびっくりしました。このフォーラムでこの子に、どもりは一生治らないという荷物をしょいこませてしまったようで、動揺しました。聞かせていけないことを聞かせてしまったと思ったのです。
 そして、山から下りてから伊藤さんに相談しました。伊藤さんが朝の話し合いにそのことを取り上げて下さり、「子どもを信じなさい」と言って下さいました。そして今があります。親の私が先回りしていたんだと今になって思います。

伊藤 そうでしたね。子どもはいろんな体験や、いろんなことばに出会い、動揺したり、悩んだりしながら変わっていく。一年生が「どもりは一生治らない」と叫んだ意味は深いと思います。私たちの苦悩は、どもりが治ると信じたことでした。

◆今のお話を聞いていて、親子で吃音について前向きに向き合ってこられたんだと感心しました。私はずっと逃げてきました。吃音について悩んでいたので、その頃は他に悩みはないと思っていましたが、今、吃音の悩みがなくなると、今度は、自分の性格など本質的なことで悩み始めました。もしかしたら、どもりで悩んでいたということは、幸せだったのかもしれないと思います。
 伊藤さんのご両親はどのような接し方をされたのですか?

伊藤 中学生のとき、どもりを治そうと発声練習をしていたら、母から「うるさいわね、そんなことしても、治りっこないでしょ」と言われ、母を恨んでいました。そのことを講演の時話したら、「すばらしい。お母さんはそのままで大丈夫だ、と言いたかったのではないか」と感想を言う人がいて、思ってもみなかったことでびっくりしました。
 私は、28歳まで学生でぶらぶらしていました。28歳のとき、大阪教育大学で吃音の勉強をしたいと思い、親父に「学費を出してくれないか」と頼みました。それまではアルバイトで授業料も生活費も自分で稼いでいました。大阪では勉強に集中したかったからです。親父は、「いいよ」と言ってくれました。「そろそろ就職しろ。28歳にもなって何だ」など全く言わなかった両親の我慢強さ、信じて待つ力のすごさを今は感じています。

◆息子は、一人っ子です。友達ができて友達と遊んでいると親としては安心なんですが、ゲームなどを持っているだけで、息子は安心しています。またゲートボールや相撲も好きで、共通の趣味がある友達はいない。おじいちゃんの仲間とゲートボールをしています。自分が決めたようにしている。むだな時間を作らず、自分のいいと思うことをとことんするのが大事だと思うので、これでまあいいかあと思います。

伊藤 これまでの価値観がくずれ、人生を自分の価値観で豊かに生きるのを自分で選択する時代です。人生の意味は何かを考えるとき、どもりであることは有利かなと思います。高度経済成長の時代は、強く、速く、たくましく、が必要でしたが、今は、しなやかさや優しさの時代です。優しいどもる子どもには生きやすい時代だといえます。

◆中学校3年生のとき、電話をしないといけないのに、自分でかけることができず、姉にかけてもらいました。そのとき、くやしくてくやしくて、両親に初めて、私はどもりで悩み、苦しんできたことを話しました。「産まれてこなかった方がよかった」とも言いました。両親は、「元気で産まれてきてくれたことがありがたかったので、そこまで気にしていなかった、気づけなくてごめんね」と言ってくれた。うれしくて、そうだと思いました。産まれてきてくれてありがとうが全てだと思います。自分も、我が子にそう伝えたいと思いました。
 どもりは母親のせいだと言われることがありますが、それをどう思われますか?

伊藤 「吃音は2、3歳から始まる発達性のものだから、子育てをする母の責任だ」と長い間言われました。小さい子どものときに始まることは多いのですが、中学、高校、社会人になってからという人もいます。62歳でどもり始めた人も知っています。母親が原因だとする説は現在は完全に否定されていますが、吃音の原因は未だに分かりません。どんなに理想的な母親に育てられてもどもる子はどもるし、劣悪な環境に育ってもどもらない子はどもらないのです。母親のせいだと考えることはありません。
 ただ子どもがどもっているから、子育てを考え直すチャンスだと思います。1泊2日この集まりに参加し、どもりについて話し合う。普通こんな機会はない。そう思うと、お母さん方は幸せですよ。
 言語聴覚士養成の専門学校で、私たちの滋賀県での吃音親子サマーキャンプのビデオを見せると、必ず「吃音と向き合い、自分を語り合えて、この子どもたちがうらやましい」と感想を言います。
 人は必ず何らかのテーマを与えられて生きています。私たちどもる人間は、吃音をテーマに人生を考えるということです。苦しみや悲しみは、それと向き合わなければ前に進めません。吃音で悩んだことは、音楽やスポーツや他の方面でも花開き、人を豊かにするテーマにもなり得ます。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/03

老舗鰻屋のタレ

 先週6月28日の大阪吃音教室の講座は、「幸せについて考える」でした。吃音を言語障害の問題ととらえ、「治す・改善する」というアプローチからは到底考えられない講座名です。「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」を大切な基本としている大阪吃音教室ならではの講座でした。
 朝から警報級の雨が降っていましたが、開始の午後6時45分ころには小雨になり、その日、しばらく顔を見せなかった人が2人、久しぶりに参加しました。2人とも、初めて吃音教室に参加したときの顔とは全然違います。一人は、結婚して子どもができて、吃音がこわくて避けてきた電話などにも挑戦して、助手的な仕事ではなく、自分ひとりで仕事を担当するようになったと話していました。もう一人は、就職し、積極的に人と関わろうとして、いくつかグループに参加するようになったと言っていました。表情も明るく、どもり方もつらくなさそうです。
 大阪吃音教室での出会いが、彼らを変えたとのことでした。そんな話を聞きながら、僕たちは、人が変わっていく場に立ち会える喜びを感じていました。その日、長く大阪吃音教室に参加している人たちもその場にいましたが、2人の変化を我が事のようにうれしく思っているようでした。新しい人も、古い人も、お互いに、幸せな時間を過ごしました。
 吃音を認め、受け止め、どもりながらも、しなければならないこと、したいことを誠実にしていくことで、吃音に左右されない幸せな人生を歩くことができると、実感させられました。 この日の講座は映像として記録されており、ユーチューブで公開の予定です。

 つい先日、そんなことがあったのですが、今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2006.1.21 NO.137の巻頭言に、僕は同じようなことを書いていました。紹介します。

老舗鰻屋のタレ
                     日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二


 どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトは、名称の変更はあったが、創立して40年になる。ミーティングである大阪吃音教室は、週1回のペースでずっと続いてきた。「吃音を治す、軽くする」路線から、「吃音と向き合い、吃音とともに生きる」路線へ、新たな視点での活動に切り換えてからも30年以上がたつ。
 毎週毎週40年も飽きませんかと尋ねられることがある。どもる状態に焦点を当てた取り組みを続けていたら、おそらく飽きたことだろうが、吃音と向き合い、「どう生きるか」を学び、話し合うことに飽きることはない。常に新鮮なのだ。大阪吃音教室の話し合いが、奥深く、かつ新鮮なことを、私は「老舗鰻屋のタレ」によくたとえる。
 創業100年の老舗鰻屋のタレは、創業時のものに、毎日新しいタレを継ぎ足し継ぎ足し、年を重ね、熟成されてきているという。100年前のものがごく微量でも残っていると思うと楽しい。
 大阪吃音教室も、40年、30年と通い続ける人からまだ半年や1ヶ月の人、今日初めて参加する人など様々だ。その人たちの人生が混じり合い、熟成されていくのがいい。新しいだけでも、古くからいる人だけでもダメで、違った年月を経た、さまざまな人がいることで、ミーティングの場は、ほどよいバランスとなり、独特の味わいを醸し出している。
 同じようなことが、滋賀県で、毎年夏に開き、16年になる吃音親子サマーキャンプの親の話し合い、子どもの話し合いにもみられる。初めて参加する人も少なくないため、最初の時間はその人たちのために使うことが多いが、だんだんと、複数回参加している人も話し合いに加わってくる。その体験に基づく話を聞きながら、新しく参加した人は、今まで気がつかなかった視点やものの見方・考え方に気づいていく。また、複数回の人は初心に返ることができる。これが、初めて参加の人、2度目の人、3度目の人と、いろんな経験をしてきた人が混在していることの素晴らしさだと言えよう。16年間続けてきた老舗の味わいだ。
 昨年5月に開かれた第7回島根スタタリングフォーラムの親の話し合いで、このグループも老舗の味わいが出てきたと思えた。第1回は、私の一方的な講演だった。その後、話し合いや学習会的な要素が加わり、回を重ねてきた。
 当初は、親のこれまでの不安や悩みに耳を傾けることにほとんどの時間が使われ、親の表現を借りれば、「涙、涙の話し合い」だった。
 どもるのは母親のせいだと、児童相談所などで言われた人がいた。どもる子どもを持ち悩んでいること、将来に不安をもっていることを初めて話すことができた親もいた。子どものどもっている姿を「かわいそう」で見ていられないというひとりの親の発言から、参加者全員が「そうだそうだ、かわいそうに思う」と反応したときもあった。「かわいそう」と思われる子どもの方が「かわいそう」ではないかと、時間をかけて話し合った。「どもりは一生治らない!!」と早朝登山で叫んだ小学1年生のことばにショックを受け、「連れてくるんじゃなかった」と私に訴えてきた親がいた。そのことを取り上げて話し合ったこともあった。
 誰にも話すことがなかった思いを存分に出し、お互いに聞く中で、共通の土壌が耕されていく。
 親の話し合いは、3時間の枠が2回あり、合計6時間。7年分をトータルすると42時間。じっくりと吃音と向き合ったことになる。参加回数の違う人たちがおりなす人生が響き合う、吃音についての話し合いは、吃音をテーマに親たちと人生談義をする趣だった。吃音をひとつの切り口にして親も自分の人生を語る時間だったように思う。
 吃音について不安を出し合い、吃音についての知識を得る段階から、自分自身の人生をみつめながら、子どもについて語り合う、しっとりとした深まりのあるものへ。老舗の味わいはこれからも熟成し、まろやかなものとなっていくだろう。
 親の人生とは交わることのない、「吃音を治す、軽くする」路線からは、生まれない世界だ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/01

斉藤道雄さんの『メッセージ』

報道の魂DVD 2005年、斉藤道雄さんから送られてきた原稿を読んで、僕が涙が止まりませんでした。そして今、その原稿を読み返して、また涙が滲んできます。
 僕は、不思議な出会いをたくさん経験してきていますが、斉藤さんとの出会いもまたとても不思議な、奇跡のようなものでした。
 「スタタリング・ナウ」2005.11.22 NO.135 で紹介している、斉藤道雄さんの『メッセージ』を紹介します。

メッセージ
                     TBSテレビ報道局 編集主幹
                     TBSテレビ解説委員      斉藤道雄


 「ぼくは配慮の暴力というのがあると思います」
 小冊子のこのひとことに、僕は引きつけられた。
 配慮の暴力というのは、たとえば「子どもの欠点や弱さというものを指摘したらかわいそうだ」という親の思いこみからからはじまっている。あるいは、「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という「大人の意識」のことだ。そうした意識が、子どもが本来もっているはずの力を、押さえつけているのではないか。
 この問題のとらえ方には、なじみがある。そう思いながら、先を読み進んだ。
 話は、吃音者の生き方をめぐるものだった。
 「治るとはどういうことか。ぼくもはっきりわかりません。…だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい」
 治らないけれども自分らしく生きる、これもまた、なじみのメッセージではないか。
 だれだろうと名前を見ると、伊藤伸二とあった。
 伊藤さんは、大阪の應典院というお寺が出している機関紙「サリュ」の2004年秋号に載ったインタビュー記事(「弱さ」を社会にひらく。セルフヘルプとわたし。)で、吃音について、吃音をめぐる「配慮の暴力」について、そして吃音を治すということ、治るということの意味について語っていた。それを読み終えて僕は思った。ああ、いつかこの人に会ってみたいものだと。会って、話を聞きたい。そしてたしかめてみたい。伊藤さんがいっているのは、僕がかつて受け取ったあのメッセージのことですよねと。「サリュ」の一文は、夜空に打ち上げられた一瞬の花火のようなものだったけれど、僕はたしかにそれを見たし、そこに伊藤さんの存在を感じることができたのですよと。
 いってみれば、そのことを伝えるために、僕は今回の取材に取りかかったのかもしれない。配慮の暴力ということばに出会ってからちょうど1年後、僕は東寝屋川駅にちかいマンションの自宅に伊藤さんを訪ねていた。そこで話を聞き、資料をもらい、この秋からはじまる新番組の企画で、伊藤さんの取材をしたいとお願いしたのだった。
 それがたまたま、年に一度の吃音親子サマーキャンプの時期と重なっていたのである。キャンプには伊藤さんたちの仲間と吃音の子どもたち、それにその親が、全部で140人も集まるという。好機を生かすべく、僕はさっそくカメラマンとともに、キャンプ地である滋賀県の荒神山まで出かけることにしたのだった。2泊3日の短い期間ではあったが、おかげでじつに密度の濃い取材ができたと思う。突然のテレビの闖入で参加者にはずいぶん迷惑をかけたことだろうが、それにもかかわらず快く取材に応じていただいたみなさんには、ここであらためてお礼を申し上げたい。
 もちろん、吃音などという問題にはかかわったことがなく、キャンプにもはじめていくわけだから、取材できることはかぎられていた。しかしそこで子どもたちが真剣に話しあい、劇の練習をするところを見ながら、そしてまたインタビューをくり返しながら、サマーキャンプがどのような場であり、その場をつくりだしているのがどのような人びとなのか、そしてそこでなにが語られ、なにが起きているのかを、多少なりともつかみとることができたと思う。
 ひとことでいうなら、それは長い物語をもつ人びとの集まりだった。
 吃音がもたらす苦労と悩み、そして人間関係のむずかしさや社会との緊張は、他人がなかなかうかがい知ることのできない生きづらさを、吃音者にもたらしている。その生きづらさは、時間を経てこころの奥底に滓(かす)のように沈殿し、重さをもち、それぞれの物語をつくる下地となる。キャンプの参加者はみな、そうした滓や重さや経験をことばにして、あるいは仲間の語ることばに共鳴する形で、自らの物語を紡ぎだしていくかのようであった。
 たとえばスタッフとして参加していた長尾政毅さんは、小学校2年生のころは吃音がひどくて、話がほとんど会話にならなかったという。
 「友だちと話してるときに、やっぱり通じなかった記憶、ものすごいある。これ話したい、だけど一部分も話せずに去っていく、って経験がいっぱいあった」
 どもりをまねされ、からかわれ、「負けじとしながら、だいぶこたえて」いた。ふつうに話せないのが「ほんとにいやでいやで」、でもそれを認めたくないから「逆に強くなろうと突っ張って」いた。それだけではない。吃音を「隠そうっていうことを無意識に」しつづけていたから、表面的にはものすごく明るいいい子を演じていなければならない。そういう無理を重ねながら小中高と進んではみたものの、高校2年のある日、ついに合唱部の顧問の先生にいわれてしまう。「君は、ものすごい自分を出さない、こころを閉ざす子やな」と。
 それはそうかもしれない。しかし、じゃあどうすればいいのか、長尾さんは途方にくれたことだろう。吃音がもたらす厚い壁は、自分で作り出したものかもしれないが、それは作らざるをえなかった防壁であり、そのなかでかろうじて自分を維持できるしくみだった。なぜそうしなければならないのか、どうすればそこから脱け出せるのか、それは周囲ではなく、だれよりも本人が自分に向けなければならない問いかけだったろう。その問いかけに、当時の長尾さんは答えることができなかった。いまそれを語れるようになったということは、果てしない堂々めぐりのあげく、いつしか壁を抜け出していたということだったのではないだろうか。
 ここまでこられたのは、おなじ仲間との出会いが大きかった。そこで長尾さんは目を開かれ、新しい世界に入っていくことができたからだ。いまでは自分が吃音に対してどういう心理状態にあるかを把握し、整理できるようになったというから、克服したとはいえないまでも、吃音との関係を以前にくらべてずいぶんちがったものにしているといえるだろう。しかしそれでもまだ、こころの底に鍵をかけているところがあるんですよと、テレビカメラの前で率直に語ってくれた。
 その長い話は、まだ先へとつづくのである。
 最近、長尾さんはアルバイトで水泳のインストラクターをはじめるようになった。子どもたちに泳ぎ方を教えながら、「名前よぶとき、だいぶ詰まる」ことがあって、危ないときもあったが、「ごまかしまくって」なんとかやってきた。それが最近、仕事が終わったところで先輩にいわれてしまったという。お前、がんばってるな、だけど「これからは、どもらずにやろうな」と。それを「さくっと」告げられた経験を、苦笑いしながら話す胸のうちには、かなわんなあという思いと、どうにかなるさという居直りとが交錯していたことだろう。
 吃音をめぐる長尾さんの物語は、いまなおつづいているのである。いや、吃音者はみな、終わることのない物語を刻みつづけている。それは一人ひとり異なっていて、みなおどろくほどよく似た部分をもっている。
 サマーキャンプでは、そうした物語が無数のさざめきのように、ときに深い沈黙をはさみながら語りあわれていた。そうしたことばと沈黙のはざまで、参加者はみなそれぞれに考えていたことだろう。吃音とはなにか、吃音を生きるとはどういうことか、なぜそれを生きなければいけないのか、それはなぜ自分の課題なのかと。しかしそうした困難な課題に判で押したような答がみつかるはずもない。いやどれほど考えても、そもそも答はないのかもしれない。答がないところでなおかつ考えなければならないとき、人はほんとうに考えているのかもしれない。
 取材者としての僕は、そのまわりをうろうろしているだけだった。ただはっきり感じることができたのは、そこで語り、語られる人びとの集まりのなかに、たしかな場がつくられ、その場をとおしてさまざまなつながりが生みだされているということだった。それはおそらく、絆とよぶことのできるつながりなのだろう。その絆が、吃音をめぐる苦労と悩みから生みだされるものであるなら、そしてまた生きづらさをともにするところから生み出されるものであるなら、僕はそうした絆をすでにそれまでにも目にしていたと思う。それも一度ならず。すでに見たことがある、その場にいたことがあるという、なじみ深さをともなった記憶は、キャンプにいるあいだ、いや最初に伊藤さんのことばに出会ったときから、僕にまとわりついていたものだと思う。
 それはもう20年も前、先天性四肢障害児との出会いにさかのぼる記憶でもある。その後のろう者とよばれる人びととの出会いと、そしてまた精神障害をもつ人びととの出会いにくり返し呼び覚まされた記憶なのだ。その核心にあるのは、自分ではどうすることもできない生きづらさを抱え、苦労し、悩みながらその経験を仲間と分かちあってきた人びとの姿なのである。彼らがみなそれぞれにいうのは、「そのままでいい」ということであり、「治さなくていい」ということであり、「どう治すかではない、どう生きるかなのだ」ということなのである。
 たとえばそれは、北海道浦河町の「べてるの家」とよばれる精神障害者グループの生き方であった。
 彼らとかかわってきた精神科ソーシャルワーカーの向谷地生良さんは、精神病の当事者に、はじめから「そのままでいい」といいつづけてきた。精神病はかんたんに治る病気ではないし、かんたんに治らないものを治せといわれつづけることは、その人の人生をひどく貧しいものにしてしまう。そうではない、病気でもいい、そのままで生きてみようと向谷地さんは提案したのである。そのことばで、どれほど多くの当事者が救われたことだろうか。彼らの多くは、病気は治らなくても生きることの意味を探し求めるようになり、妄想や幻覚は消えないのにむしろそれを楽しもうとさえしている。
 おまけにそこには、川村敏明という奇妙な精神科医がいて、「治さない医者」を標榜し胸を張っている。医者が治そう治そうと必死になったら、患者は服薬と闘病生活を管理されるだけの存在になってしまう。それがほんとうに生きるということだろうか。川村先生はそういいながら、患者を診察室から仲間の輪のなかにもどすのである。もどされた患者は病気の治し方ではなく生き方を考え、お互いに「勝手に治すな、その病気」などと唱和している。
 そこには、「この生きづらさ」をどうすればいいのかと、深く考える人びとがいる。その生きづらさは、それぞれが自ら引き受けるしかないものであり、だれもその生きづらさを代わって生きることはできないという、諦念というよりは覚悟ともよぶべき思いが共有されている。ゆえに浦河では苦労をなくすのではなく、いい苦労をすることが求められ、悩みをなくすのではなく、悩みを深めることが奨励される。みんながぶつかりあい、困難な人間関係を生きながら、しっかり苦労しよう、悩んでみようと声をかけあいながら、すべての場面で笑いとユーモアの精神を忘れない。彼らの生き方そのものが、ひとつのメッセージとなっている。
 そういう人びとを取材していると、さまざまなことが見えてくる。
 そのひとつが、当事者の力というものだ。
 「べてるの家」は、いまや全国ブランドといわれるほど有名になったが、見学者はそれがソーシャルワーカーや精神科医のつくりだしたものと勘ちがいしてしまうことがある。しかし浦河で真に状況を切りひらき、暮らしを築いてきたのは精神障害の当事者たちであった。生きづらさを抱え、苦労と悩みを重ねてきた彼らが仲間をつくり、場をつくり、自らの経験をことばとして物語にしてきたのである。
 まったくおなじことが、吃音親子サマーキャンプについてもいえるだろう。
 伊藤さんをはじめとするスタッフは、もう15年あまりこのキャンプにかかわっているという。そこでどれほどたくさんの子どもや親が救われたことだろう。けれどもしこのキャンプが、吃音の子どもたちを守り、助けることだけを考えていたのであれば、これほど豊かな場をつくりだすことはできなかったはずだ。その豊かさは、使命感に燃えるリーダーがつくりだしたものではなかったのだ。
 キャンプになんどか参加した中学生の宮崎聡美さんや松下詩織さんは、ともに吃音でもいい、治さなくてもいい、あるいは治したくないとまでいっている。中学生でそこまでいえるのはすごいことだし、そういえるまでにはいろいろな苦労や悩みがあったことだろう。そのいい方は、これからも揺れたり変わったりするかもしれない。しかしふたりがこのキャンプで変わったということは、まぎれもない事実なのだ。灰谷健次郎がいうように、変わるということは学んだことの証でもある。子どもたちはキャンプにきて、確実に生きることを学んでいる。そして彼らが、だれに教えられるのでもなく自ら学び、変わっていくということ、そのことが伊藤さんを支え、そしてまたキャンプにきたみんなを支え、動かす力になっている。
 あなたはひとりではない。あなたはそのままでいい。そしてあなたには力があるという、そのことばは、伊藤さんが子どもたちに送るメッセージであるとともに、子どもたちが伊藤さんに送るメッセージでもあるのだと思う。

斉藤道雄
 1947年生まれ、慶應大学卒業、TBS社会部・外信部記者、ワシントン支局長、「ニュース23」プロデューサー、「報道特集」ディレクターを経て、TBSテレビ報道局編集主幹。
著書『原爆神話五十年』中公新書1965年
  『もうひとつの手話』晶文社1999年
  『悩む力 ベてるの家の人々』みすず書房2002年は、講談社ノンフィクション賞受賞

 ―べてるのいのちは話し合いである。ぶつかりあい、みんなで悩み、苦労を重ねながら「ことば」を取り戻した人びとは、「そのままでいい」という彼らのメッセージを届けにきょうも町へ出かけている。―『悩む力』より


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/27

第16回吃音親子サマーキャンプ〜作文と感想〜

 吃音親子サマーキャンプの2日目の朝は、作文教室です。どもる子ども、どもる子どもの保護者、どもる人、ことばの教室担当者や言語聴覚士、参加者全員が机に向かい、作文を書きます。ひとりで、吃音と自分に向き合う静かな時間です。そのときの作文と、終わってから送られてきた感想を紹介します。こうして読み返してみると、みんなはこのように深く悩んでいたのかと、今更ながらに思います。
 僕も、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、小学2年の秋から、21歳の夏まで、あんなに深刻に悩み、思い詰めていたことが、ウソのように思えてしまいます。吃音は、人をそこまで深刻に悩ませるものである一方、どもることを認めてさえしまえば、思いもしなかった明るい未来がみえてくるものなのです。そのことを、なんとか、多くの吃音に今悩む人に伝えたいと日々努力しているのですが、なかなかうまくいかないのが、悔しく、残念でなりません。

《作文教室で書いた作文》
  やっぱサマキャンの力はすごい
                              みほ(高校3年生)
 サマーキャンプに小4で初めて参加してから早くも卒業という時期を迎えてしまいました。今までの自分の吃音を振り返ってみると、いろいろなことがあったなあと思います。小さいときに、友達の家のインターホンを押したときに、自分の名前が言えなくて泣いて家まで帰ったこと。小4で代表委員に立候補し、全校生徒の前で自分の名前がなかなか言えなくて泣いたこと。小学校の音読で最初の音がなかなか出せなくてすぐ終わるような文章を何分もかかってしまい、その場から逃げ出したかったこと。他にもここに書ききれないくらい吃音で嫌だったこと、苦しかったこと、泣いたことはいっぱいありました。そのたびに吃音のことを憎んでたし、「吃音じゃなかったらこんなに苦しい思いはしなかったのに」と、何度も思っていました。でもそのたびに吃音サマーキャンプのことを思い出して、「自分だけじゃない。みんなもがんばってるんだ」と思って、サマーキャンプに早く行きたい気持ちでいつもいっぱいでした。
 サマーキャンプに参加してからも中学くらいまでは、吃音の原因がどうとか、治したいという気持ちが全くなかったわけではなかったけど、今は原因とかどうでもいいし、治したいとは思いません。それでも日常では無意識に言いやすいことばに換えて喋っちゃってるんですけどね。
 それでも吃音に対して前と考えが変わったのは、サマーキャンプのおかげだと思っています。これから吃音で嫌なことは、いっっっっぱいあると思います。人前でも堂々とどもれるのにはまだ勇気がいるし、吃音から逃げることができないけれど、今までどうにかなってきたんだから、これからだって失敗はいっぱいするだろうけど、やっていけると思っています。そう、信じています。

《サマーキャンプ感想》
  吃音が生みだす「出会い」〜第16回吃音親子サマーキャンプに参加して〜
                         原田大介(広島大学大学院生)
 滋賀県でおこなわれた「第16回吃音親子サマーキャンプ」に参加した。はじめての参加だった。
 キャンプの名前の中にもある「吃音」。このことばの意味を完全に理解している人は、今回のキャンプの参加者だけでなく、地球上のすべての人の中にも存在しないのかもしれない。私もまた、吃音を理解することができない人間のひとりである。キャンプを終えた今も、それが何なのかが、さっぱりわからない。吃音とは、何だろう?
 私の生年月日は、1977年5月24日である。母が残してくれた「母子健康手帳」には、5歳の欄にある「発音が正確にできますか?」の項目に「いいえ」とチェックされている。6歳の欄には、「保健所の人に相談する」と記されてある。
 私自身、6歳のときには吃音であることを自覚していた。吃音をコンプレックスに感じ始めたのは、小学校2年生のときである。
 現在の私は28歳。計算してみると、私は吃音に、約20年間以上苦しめられてきたことになる。私にとって吃音とは、「嫌い」で「憎いもの」でしかない対象である。忘れるはずのない自分の名前が言えない瞬間は、身がちぎれるほど悲しくて、苦しい。実際、日常生活のなかでは、電話を使うなどの事務的な作業も多く求められる。
 多くの人があたりまえにできること。それが、あたりまえにできない存在であるということ。その事実を突きつけられる瞬間は、ただただ、みじめな気分になる。自分がちっぽけな存在であることを自覚する。吃音であることの「痛み」を笑って受けながすことができるほど、私は、強くはなれない。
 最初の問いにもどりたい。吃音とは何か。あえて定義すれば、吃音とは、「その存在すら忘れていたいのに、ことばを口にしたとたんに、「私」であることを突きつけてくるもの」である。吃音に対する私の否定的な気持ちは、今でも変わらない。
 しかし、少しずつ、ほんの少しずつだけれど、目には見えない静かな変化が、私のなかで起こりはじめている。その感情の変化にとまどい、揺れ動いている私がいる。
 「第16回吃音親子サマーキャンプ」に参加した数は、140名にのぼる。私はたくさんの人と話し、笑い、泣き、考えを深めることができた。すべての人と直接に話すことはできなくても、「時間を共有する」という大切な時間を私は過ごすことができた。
 吃音に関係する多くの人が気づいていることでもあるが、吃音について考えることは、吃音だけの問題に限定しない。吃音は、一人ひとりが抱えている「痛み」を投影している。ここで言う「痛み」とは、「生きづらさ」や「生き苦しさ」と言い換えてもよいだろう。それは、「隠しておきたいもの」であり、できることならば、「思い起こしたくないもの」である。避け続けていたい「私」の「痛み」と向き合うことの大切さを学ぶこと。そして、少しでも前にすすむための可能性を探ること。このキャンプは、吃音を通して、「痛み」について学ぶところでもあったのである。
 「人」の「痛み」について敏感な人は、「私」の「痛み」にも敏感な人である。「私」の「痛み」ときちんと向き合った人でなければ、「人」の「痛み」と向き合うことなどできるはずもない。吃音である人も吃音でない人も、キャンプにかかわり続けている人の多くは、そのことを直感的に見抜いている。
 おそらく、私が吃音でなかったら、キャンプに参加したメンバーと出会うことは一生なかっただろう。また、「私」という存在のありかたについて、ここまで考えることもなかっただろう。「吃音」という存在が、「人」とのつながりを生み出す「場」を提供しているだけでなく、「私」について考える場も提供しているのである。
 嫌いで、憎くて、その存在すら忘れていたいものが(私の場合、吃音)、人の「出会い」を生み出すことがある。そして、「私」という存在について考える機会を生み出すことがある。
 世の中には、こんな不思議な現象があるようだ。逆に考えれば、嫌いで、憎くて、その存在すら忘れていたいものにしか生み出すことができない「出会い」も(つまり、吃音という特別な条件でしか生み出すことができなかった「出会い」も)、この世の中にはあるということだ。キャンプに参加したメンバーとの出会いは、まさに、そんな奇跡を感じさせる「出会い」だったように思う。
 私のなかには、「意味のないもの」や「無駄なもの」など、ひとつもない。それが、どんなに世間で言われるところの「欠点」であるとしても、人とのつながりを生みだし、「私」について考えるものになりうる。繰り返すが、吃音に対する私の否定的な気持ちに変わりはない。きれいごとだけではすまされない現実が、そこにあるからである。
 けれど、このキャンプに参加したことで、少しずつ、吃音に対する私のとらえかたが変わりつつある。そして、少しだけ、私という存在を、あるがままに受けとめようとしている私がいるのである。
 このキャンプに参加できたことを、私は心から感謝したいと思う。

《サマーキャンプ感想》
  心から認め、応援したい
                   秋原圭子(小学3年生の母親)
 キャンプに参加して肩の荷が降りたような、気が楽にもてるようになりました。本人には、この吃音が治らないかもしれないということは前から伝えてありました。私もそれを受け入れていこうと思っていましたが、やはり気になるものです。完全に治らなくても、ましにはなるのでは、という気持ちは残っていました。でも、このキャンプで親との語り合いの中で、自分よりもはるかに深い悩みや、高学年の子を持つ方の体験話、また親本人もどもる人の経験や気持ちの持ち方、考え方などを聞かせてもらい、体から余計な力が抜けていったように感じました。自分の子も、どもりがあってもなんとかやっていくだろうと思えるようになりました。
 「あなたはあなたのままでいい。あなたには力がある」ということばを素直に受け入れることができました。親の学習会では、子どもを信じ、悩んでも大丈夫と思うこと、子どもは悩みの中からいろんな力をつけていくものなので、先回りして解決してはいけないと聞きました。また、私は子どもがどもることがハンディだと思い、自信を持たせるために何かをやらせたいと思っていましたが、親から何かをさせるのはよくないことで、本人から進んでするまで待つ方がよいと聞きました。子どもを信じて待つということは、忍耐のいることだと思いますが、子どもが吃音とちゃんと向き合い、本当の自信を持つことができるように、私も努力をしたいと思います。本人もきっとがんばっているのだと思います。朝の健康観察のときの「はい、元気です」がどもって言いにくいと言っている子ども。それでも朝、元気に「行ってきます」と言って出かけていきます。私から見れば些細なことでも、本人にとっては重大事項なのでしょう。心から認め、応援してあげたいと思っています。
 本人もキャンプはとても楽しかったと言っています。同じ学年のどもる子どもたちとの話し合いで、どんなふうに感じたのか知りたいところですが、本人は何も言ってくれません。でも、キャンプ後は、自分からどもることを話題にしたり、友達から言われて嫌だったときのことを聞かせてくれました。初めて聞きました。少し明るくなったように感じます。
 これから先、人生の節目節目で、困難なことに出くわすことになると思うけれど、勇気をもって強い心で乗り越えていってくれることを願っています。私もそのときどきに力になれるように勉強し続けていきたいと思います。(「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/24

第16回吃音親子サマーキャンプ〜卒業した高校生を中心に〜 2

 昨日、卒業生4人のうち2人を紹介したので、今日は残りの2人の卒業証書文やあいさつなどを紹介します。涙、涙の卒業式でした。ぎすぎすした、せちがらいこの時代に、別世界のようでした。不思議な空間といえるでしょう。僕は、この場が好きで、この場にいる人が好きで、そんな人たちの中にいる僕自身のことも好きで、ずっとこのキャンプを続けているのです。
 若いスタッフが育ってきてはいますが、80歳という年齢を考えると、来年も再来年も、と簡単には言えなくなりました。一年一年、今年が最後かもしれないという思いで、サマーキャンプを開催していきます。よかったら、どうぞ、ご参加ください。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードしてください。

みほさんの卒業証書
 小学校4年生から高校3年生まで、8回、遠くからサマーキャンプに参加しました。
 「私の大好きな友達はいっぱいいる。だけど、その中で一番好きなのは、私と同じどもりの女の子だ。名前はゆきちゃん。私が生きてて初めてとても気が合う友達だった」(小学5年生のときの作文)。
 みほちゃんにとって、ゆきちゃんとの出会いは、大きいものでした。おでことおでこをくっつけるようにして、深夜までよくおしゃべりしてましたね。こんな仲間との出会いは、みほちゃん、あなたを強くしてくれました。代表委員に思わず立候補したこともありましたね。いっぱい泣いて、いっぱい笑って、いっぱい考えていたあなた、そう、あなたはひとりではないのです。
 サマキャン、卒業、おめでとう。

みほさんのあいさつ
 私がサマーキャンプに初めて参加したのは、小学校4年生のときです。キャンプを知ったのは、お母さんが、朝日新聞にキャンプが紹介されてたのを見たからです。最初は、やっぱり今まで自分と同じどもる人と会ったことがなかったから、行くのがすごい嫌で不安でした。友達ができるかなとか、いろんなことを思ってて、最初は行くのをやめようかなと思ったんですけど、もしかしたらなんかあるかもしれないと思って、参加しました。そして、初めて自分と同じどもる人と会って、友達ができて、自分の吃音の話ができて、すごい充実した3日間だったんです。それからずっとキャンプに参加して、参加するたびに新しい発見がありました。やっぱり学校の友達とはしゃべれないこととかいっぱいしゃべれて、参加するたびにいろんなことがあったなと思います。もう卒業なんだなと思うと、なんか涙が出てきて、卒業したくないなという思いでいっぱいです。来年はできたらスタッフとして参加させてもらいたいです。ありがとうございました。

伊藤伸二
 実は、キャンプのスタッフになるには厳しい筆記試験と面接試験があるんです。それに通ったら、来年、ぜひサマキャンのスタッフとして来て下さい。

ゆきさんの卒業証書
 小学4年生から高校3年生まで、連続9回、サマーキャンプに参加しました。
 「私は最初はどもりについてあまり考えていなかったけれど、最後にはやっぱり日本中にもどもる人はたくさんいて、そのひとりとひりがちゃんとがんばっているんだなと思ってじーんときました」(小学4年生のときの作文)
 「中学1年生のころが一番どもりがひどかった気がする。そして、一番苦しんでいたとき、一番密度が濃く生きていたと思う。どもることによって、他の人が気づかないことを考えることができるようになった」(高校3年生の作文)
 毎年の作文に成長を感じていました。どもりをみつめ、自分をみつめ、人とのかかわりをみつめ、深く考え、自分のことばで語ろうとする姿、とてもすてきです。
 サマキャン、卒業おめでとう。

ゆきさんのあいさつ
 卒業式を開いていただいて、どうもありがとうございます。最初、小学4年生で参加したとき、母親が吃音だったから、みんなのように世界中でどもるのは私ひとり、とは思ってはいませんでした。それ以前に、参加したばかりの頃は、あまり吃音に対して深く悩んでなかったんです。でも、毎年すごくおもしろかった。中学生になって、思春期ということもあるかもしれないけれど、吃音が大嫌いになっていきました。ちょっとどもっただけでも嫌で、自分のことがすごい嫌いでした。話せなくなったらいいのになあとか、どもるくらいならそっちの方がいいなあとか、思い詰めたりしていた。中学の頃が一番ひどくて、家族にもあまり相談できなくて、ほんとにサマーキャンプが大事でした。サマキャンがなかったらどうなっていたんだろうと思っています。
 現在は、吃音に対して結構プラスに考えているんだけど、これから人生は長いし、60年くらいはあると思うから、吃音や自分を否定することもあるかもしれません。でも、大事なのは、悩みや欠点を持っていることではなくて、それを克服するとか、一緒に考えてくれる手段とか仲間がいないことの方がすごく大きいと思います。その仲間を持てたことが、サマキャンで一番の財産だと思います。吃音に対してもその他のいろんなことについても、みんなと真剣に語り合えてよかったです。劇も毎年がんばったけど、今年は特に思いを入れてやりました。今年は、女王とおばさんのダブルキャストでお送りしたんですけど、いかがだったでしょうか。
 今、卒業したくないという気持ちです。帰りたくないので、もう1泊したいです。もう1泊するとすると、24時間。睡眠時間8時間、食事とおふろで12時間とって、あと残りは12時間。劇の練習を3時間して、あと3時間話し合いして、とか頭の中で計算してます。ほんとに実行できないのがさみしいです。毎年、3泊4日になってくれ、と思っていました。今年は入試なので、これから勉強をがんばっていこうと思っています。大学もなんですけど、それ以上に厳しい筆記試験と面接に受かって、スタッフになれたら、来年ここに来ます。スタッフの人も、子どもたちも、みんなすごくやさしくて、サマキャンはほんとにいいと思いました。ありがとうございました。

ゆきさんの父のあいさつ
 9年間のうち、私がついてきたのは、記憶が定かじゃないんですけど、5回か6回くらいかなと思います。子どもがどもり出してどうしたらいいか全然分からずに第一回に参加しました。そこで、伊藤伸二さんがどもりは治らない、受け入れなさいと言われました。表面的にはそうなのかなあと思ったんですけど、心の中では治ってほしい、どうしたらいいかというのをずっと思っていました。子どもがサマーキャンプに来て、ほんとに成長していくなあというのは実感しています。
 私自身もいろんなところに欠点のある人間です。からだが固いから、からだほぐしの体操をしたり、子どもの劇の前座のために、大声を出して普段やらないようなことをグループでやったりしました。最初はそれが非常に嫌で、それが嫌でなんか行きたくないなあと思ったりしたんですけど、途中からは少しずつおもしろくなってきました。自分がこういうことで楽しめるようになった、要するに親である私自身が変わってきたなあと思いました。ゆきは、これで最後なんですが、本人はスタッフで是非来たいと言っています。ペーパーテストと面接をがんばってほしいと思います。スタッフのみなさん、本当に長い間、ありがとうございました。

ゆきさんの母のあいさつ
 さきほど子どもの方から紹介がありました、どもりの母親でございます。
 私自身もどもりで、結婚する前の26歳の頃に、東京の正生学院というどもりの矯正所で初めて伊藤伸二さんとお会いしました。私は握手をしてもらっただけなんですけど。伊藤さんは、有名人だったので、その他大勢の中で握手をしてもらったんです。
 私は、どもりであるため、結婚の不安とかいろんな不安をもっていたんです。その後、結婚してどもる人のグループとは離れていたんですが、子どもがどもりになったということで、また、どもる人のグループと自分がつながることになりました。なんか自分は、吃音と永久に離れられないようです。
 子どもが吃音になったということで、また新たに、自分の吃音もみつめるきっかけになりました。子どもと一緒にキャンプに来ることで、自分の吃音もそこで考える時間ができたのです。子どもが吃音になったことを、私はすごく感謝しています。吃音のおかげでこういう場所に来れたし、友達もできました。すごい不思議なことだと思っています。私たちは最初、家族そろってここに何年か来ていました。だんだん他のきょうだいの都合もあって、なかなか家族全員で来ることができなくなったんですけど、今回、ゆきが最後のキャンプとなってしまい、私たち家族はこのキャンプに来れなくなって、これからどうしていったらいいんでしょうか。これから考えていこうと思います。
 ゆきは、もっと長くキャンプをやってほしいとか、勝手なことを言っていました。スタッフの方はお疲れで、もうこれ以上は無理だと思っています。ほんとうに9年間という長い間、子どもを見守って下さって、ありがとうございました。

伊藤伸二 
 卒業生の4人、お疲れ様でした。あいさつがとてもよかったから、推薦入学でスタッフ試験に合格したことを、今、皆様にお伝え致します。
 では最後に、卒業生を送ることば。高校2年生のはるなさんです。

はるなさんのあいさつ
 今、話を聞いていて、すごく泣いてしまいました。一回止まったんですけど、話している途中に泣いたらごめんなさい。
 おととしも、よしのり君とまさき君の卒業式のときに、送辞みたいなことを言わせてもらいました。そのときに、その二人の先輩は、考えること、考えたことを伝えること、自分を表現することの大事さを教えてくれた、ということを話しました。そのこともいっしょにさっき思い出していました。今回、卒業する4人の人たちとは、考えたり自分を表現することをほんとにずっと一緒にやってきたなあと思いました。上の先輩に教えてもらったことを、一緒にやってきました。私が初めて参加したとき、ゆきさんやみほさんはもう何回か参加していて、私は一人で行ったから不安だったけど、最初から分け隔てがなくて、すぐ友だちになってくれました。すごいあったかかったし、みんなで一緒にいろんなことを考えて夜までしゃべってました。いろんな人に迷惑をかけちゃったりもしたんだけど、でも、自分がそれをやっていてすごい楽しかった。2年前、自分で考えることや表現することの大事さに気づけたのは、私がひとりで考えて気づいたことじゃなくて、みんなと一緒に考えて、しゃべって、自分が考えたことを表現することって、ああすごい大事なことだなあと気づかせてもらったんです。ほんとにみんなに成長させてもらい、たくさんの思い出もつくってもらい、大事なことに気づかせてもらったと思います。もしも、ここで今回卒業する4人に会えなかったら、友達同士で大阪に行くなんてことはしなかったと思います。ほんとにいろんな経験ができて、いろんなことに気づかせてくれて、一緒に考えてくれて、一緒に表現し、話してくれて、ありがたいと思っています。長い間、本当にありがとうございました。

伊藤伸二
 僕は、「今日の日はさようなら」という歌が好きなので、今回はそれを歌って、ハミングにのせてちょっとしゃべりたいと思っていたのだけど、時間がなくなりました。僕が16年間、キャンプをやってこれたのは、スタッフとして一緒に取り組むありがたい仲間たちのおかげです。偶然の出会いから、その後何回も来てくれる仲間。大阪だけでなく、遠く関東や九州などから来てくれる仲間。こんな仲間がいるから、キャンプを続けることができています。僕はこの人たちは、何物にも代え難い宝物だと感謝しています。そして、ここで出会う子どもたちや保護者の皆さんにも感謝しています。ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/22
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