伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音親子サマーキャンプ

第14回吃音ショートコース〜発表の広場〜

 吃音ショートコースという、2泊3日の体験型のワークショップを21年続けました。迎えた講師のジャンルは幅広く、僕たちの学びの場でした。交流分析、論理療法、認知行動療法、アサーション、アドラー心理学、笑いとユーモア、表現など、その分野の第一人者を迎えてのワークショップは、楽しい時間でした。今、その吃音ショートコースは、新・吃音ショートコースと名前を変えて続いています。
 今日は、第14回吃音ショートコースの「発表の広場」というプログラムの報告です。「スタタリング・ナウ」2008.12.23NO.172 より紹介します。

 
 
どもる子ども、どもる人のためのことばのレッスンをテーマに開かれた今年の吃音ショートコース。テーマについては、詳しく年報などで紹介するが、プログラムの中には恒例の「発表の広場」がある。どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもを支援する臨床家、それぞれの発表は毎年とても充実し、新しい発見や感動がある。
 吃音ショートコースの報告は、今年はこの発表の広場の一部を紹介する。紙面の都合で8人の発表の中から、はじめの4人を紹介する。参加者の中で最年少と最年長が続いたのはおもしろかった。
 当日の発表のテープ起こしに少し手を加え、再現しました。文責は、編集部にあります。

  僕が、今考えていること
                        佐々木大輔 浜田市立小学校6年生

 僕が思う本当に暮らしやすい社会は、弱い立場の人たちがのびのびと生きられる社会です。これを自分なりにどもりに例えると、どもる人がのびのびとどもることができる社会だと僕は思います。そのためには、二つやり方があると思います。
 一つ目は、その人なりの考えをもって、他の人の視線を気にしないこと。二つ目は、他の周りの人がその相手の人に対して自分と違う考え方を、その人らしさとして認めてあげることだと思います。
 一つ目の、その人なりの考えをもっというのは、一言で言えば、自分のどもりについて知ることだと思います。そのために、何をすればよいかを、僕の好きな福沢諭吉さんが『学問のすすめ』の「まんが版」の中で、書いていたのを紹介します。
 まず観察、それから推論、この間に読書が入って、知識を増やします。それから、議論をします。他の人と情報交換をし、発表する。
 自分の意見を大勢の前で発表するというのは、かなり自分の考えがはっきりしていないとできないことだと思うので、大事なことだなと思います。
 僕は、このサイクルのできるのが、大阪吃音教室や、ことばの教室だと思います。最初の観察とか推論は、一人でできることだけど、議論や発表は、同じような仲間がいないとできません。そのためにも大阪吃音教室が大事になってくると思います。仲間がいるからこそ、このサイクルが回るのだと思います。
 僕自身、ことばの教室には通っていませんし、大阪吃音教室みたいなのも島根にはありません。そう考えると、いろんな意味でもこのサイクルを実行できる場というのは大事だなあと思います。
 例えば、僕の場合は、吃音親子サマーキャンプや島根スタタリングフォーラムという集まりのときでは、人の目を気にせずにどもれるというか、話せます。そのサマーキャンプで、「あっ、自分、今どもってるなあ」と気づき出したのが、キャンプに参加して、3、4回目くらいのときだったんです。
 サマーキャンプは高校3年生で卒業式があります。でも、3回以上サマキャンに参加しないと卒業生資格はありません。その理由はサマキャンの味というか、体に染みこむのは最低でも3回は必要だということらしいです。偶然なことに、そのことと合わさって、「あっ、僕もサマキャンの味がからだにしみこんだから、分かったのかなあ」と思いました。だから、毎回発見があるサマキャンは、大事だと思います。
 友だちとのつながりも大事だと思います。
 例えば、浜田市の陸上大会があって、そこで島根スタタリングフォーラムで出会った他の学校の友だちがいて、待ち時間、ちょっとどもりながらしゃべってたんです。しゃべりながら、どもり仲間っていいなあと思いました。なぜなら、どもりながらしゃべるという、自分の本当のしゃべり方で相手としゃべれるからです。そのときの様子を、周りから見れば、かなりおもしろかったと思うんです。同じ、つっかえるような者同士がすごい大きな声で笑いながらしゃべってるというのは、周りが見てもちょっと、これ、笑えるかなあと自分なりに思いました。
 僕は、そのときに、やっと自分のことを正しく理解してくれている人と話せるなあ、他の人も多分理解してくれているだろうけど、やっぱり同じような悩みというか、症状ということをもつ人と話せるという、わくわくした気持ちで、その友だちと話していました。
 このサイクルの話に戻りますけれど、このサイクルを使って、自分のどもりについて知れば、もっと自分のどもりの知識も、判断力もついてくると思います。今の世の中、判断力がすごく大事だと思うのです。このネット社会で、世の中にはほんとかウソか分からないようなことがいっぱいあって、ネットで調べ学習をしても区別がつきません。そういう意味で判断力を高めれば、信じるものは信じて、疑わしいものは捨てて、どれを取り入れてどれを捨てるのかという判断を正しくできるので、判断力は大事だと思います。
 二つ目の相手を正しく理解するということも、判断力とからんでいて、今こそ吃音は治らないという、ちゃんと情報があるのだから、ことばの教室の先生やどもる子どもをもつ親の人が、悩んでいる子どもの良き頼れる正しい相談者になれば、もっと子どももよい解決の方に向いていくんじゃないかなあと思います。
 僕自身、お母さんが通級指導教室の先生で、いつも、治らないよとか、いろいろいいアドバイスをしてくれたので、そこまで悩むということはありませんでした。先生や親が「どもりは治るよ」と、アメリカの吃音学者のバリー・ギターみたいな考え方をすると、子どもも親も、どもりは治ると思ってしまいます。だけど、どもりは完全には治らないという現実にぶち当たって、それから、今度はなんで治らないの、なんで、なんでという行き止まりにぶつかると、あり地獄みたいにぐるぐるぐるぐるはまっていってしまうんだなあと僕は思います。
 周りの理解というのは、違いを認めることだと思います。その人の苦手なこと、僕の場合、体育が全くだめなんですけど、その苦手なことがあっても、この人はこのままでいい、みんなと一緒でなくてもいいと思えることがすごく大事になってくると思います。同じそうじの班に、A君という、みんなと一緒に行動することがちょっと難しい男の子がいるんですけど、そのA君は、彼のことを理解してくれる人たちが周りにいると、にこにこと笑顔なんです。だけど、なんかなかなか理解してもらえない人の周りだと、ちょっと眉間にしわがよっているという感じで、やっぱりA君も自分に対する視線や雰囲気を感じるのだなあと見ていて思いました。
 あともうひとり、僕と同じ6年生の友だちから、ちょっとキモイとか言われているB君という友だちもいて、態度も、理解してくれる人と理解してくれない人では、全く違うんですね。理解してくれる人には、明るくて楽しくてやさしい。僕の場合、その彼はチロルチョコが好きだから、あげるよとか言って、修学旅行とかでももらったりとか、バレンタイン、男同士でしたり、すごくおかしいんです。理解してくれる人には、明るく楽しいB君なんだけど、理解してくれない人にはぶつぶつ不平とか不満を言ったり、態度が違います。
 僕は、人間は誰ひとりとして、自分の思い通りになる人は絶対いないと思います。そう思って、弱い立場の人として、僕は接しています。弱い立場の人と話していて、なんでこんなに光るものがあるのに弱い立場にあるんだろうなあということを考えます。僕は、同じクラスとか学年にいる何人とかがグループで集まって、差別したりとか、おかしいと思って、同じ目標に向かってがんばろうというときに、やっぱり差別をするのは、クラスとか学年とかのまとまる雰囲気もガラッと乱すし、集団とかその場の空気も弱い立場の人に対して悪い空気になっていくからです。
 僕は、みんな同じ人間なんだから、差別しても特別意味があるわけでもないし、差別されている人を見ると、かわいそうだなあと思って、ちょっと胸が苦しくなります。一番最悪のパターンは、正しく理解しようとする努力もしないで相手の悪口、陰口を言うパターンだと思います。このパターンだけはやめてほしいです。僕が感心したのは、前に話した陸上大会の友だちで、その友だちがむちゃくちゃどもりながら、友だちの、前田君の名前を、呼んだんですね。そしたら、前田君は、「なに?」と、他の学校の人がいる前で、むちゃくちゃどもって名前を呼ばれたのに、「なに?」と普通に、聞き返していて、このやりとりを見ていて、このどもっている友だちのことを、ちゃんと前田君は理解しているんだなあと、そして周りの人も前田君みたいにその友だちのことを理解してるんだろうなと思いました。
 僕も、自分のどもりについて理解してもらってる人はたくさんいるけど、この友だちは僕よりも激しくどもるので、もっと感心しました。これまでのことをみてきて、相手に対して正しい理解をするというのは、簡単そうに見えて、実は難しいものだというのが分かりました。理解するということから、よいコミュニケーションを作る上で、非常に大事な第一歩だと思います。
☆知るための(知り)のサイクル☆
  推論(リーズニング) ← 観察(オブザベイション)
   ↓       読書 ↑
  議論(ディスカッション) → 発表(スピーチ)

質問 昔から、どもりは治らないという情報を持っていたけれど、治らないと自分が判断した根拠というか実感というか、あったら教えて下さい。
回答 特にはない。どもっているという意識がまだ自分にないとき、周りの大人の人にやさしく接してもらったり、伊藤伸二さんの本をよんだり、お母さんの話から、どれだけがんばっても、軽くはなっても、完全には治らないということを教えてもらったので、じゃあ、努力してもだめなんだと知っていたので、最初からがんばろうとか治すぞという気持ちはありませんでした。


  会社の朝礼16年間をふりかえって
                    徳田和史 大阪スタタリングプロジェクト

 最年少の発表の次には最年長で、あれだけ堂々とやられたらとてもやりにくいのですが。
 私は、吃音ショートコースの第一回、1995年からずっと参加してるんですけど、この発表の広場が非常に楽しみで、いつも前で坐ってじーっと聞いているんです。けれども、今日はスピーカーになって、ちょっとそわそわして、柄にもなく緊張してます。
 私は、大阪吃音教室の金曜例会に参加し始めて20年ですけれど、例会に初めて来られる社会人男性に吃音教室に参加された理由は何ですかと聞いたら、いろいろな理由があるんですけど、「実は職場の朝礼で困ってるんだ」という方がかなり多いんです。私ももちろん同感なんですが、私は同感どころか、会社の朝礼の朝礼担当を16年間やってまして、いろんなことがあったので、今日はそのことを話させてもらおうと思ってるんです。
 普通、週1回とか月1回、輪番でスピーチをしますが、私の場合は朝礼担当者だったので、16年間、毎日なんです。出張とか有給休暇をとったときだけは代わりの人にやってもらいましたが。
 忘れもしない1981年、今から27年くらい前のことです。私はその当時、貸し切りバスの営業所の運行課にいたんですが、人事異動が出まして、本社管理課勤務を命じられ大ショックでした。なぜ大ショックかというと、入社した当時から本社管理課というのは、朝礼とか会社の式典を担当している部署で、ここだけは何があっても行きたくないと思っていたところだったんです。ところが、突然きて、これは宿命、運命だと思って、仕方なく赴任しました。赴任したはいいが、3、4年たって、よりにもよって朝礼担当に任命されました。それからが地獄の朝を毎日迎えることになるんです。
 朝礼というのは大体最初は定例文句から始まるんです。「○月○日○曜日、今日は○○課からの連絡です」日にち、これだけはもうごまかすわけにはいかないし、言い換えするわけにもいきません。最後は「以上です。今日も元気にがんばりましょう」とタイミングを見計らってバッと言って終わりになるわけです。私はア行、力行が苦手なもので、以上ですの「い」や5月15日火曜日なんてことになると、大変です。それとタイミングよく「以上」と言わなければいかんのです。別に「以上です」ということばを使わなくてもいいんですけど、大体歴代の人がそのことばを使ってきているから、それでないといけないのかなあと思って、そうしてたんです。毎日定型文句を言わなくちゃいけない。生身の人間ですから、調子のいいときもあれば、悪いときもある。睡眠不足の日の朝もあれば、風邪をひいて声が出にくい日もある。もうその日、その日によって、自分の声というのは違う。朝目が覚めたら、今日は○月○日○曜日だなあ、言いにくい日だなあとか言いながら、憂鬱な朝を毎日迎えていました。
 その当時、車でずっと通勤してたもんですから、朝通勤の間ずっと憂鬱な気持ちで、今日はうまくいくかなあ、声が出るかなあと思っていました。私の場合、どもりですから、もちろんどもっても構わないんですけど、声が出るかどうかが問題です。朝、初っぱなの、会社の出発点ですから、どもっていては気の毒です。そんなことばかり気にして、朝、車で通勤してたんです。
 毎日こんな恐怖に怯えて、通勤していました。ましてや車を運転していますから、事故を起こしてはいけない、なんとかしなくちゃいけない。この先、このままじゃ自分はつぶれてしまうぞと思って、何か行動に移して、自分を変えたいなと思ってたんです。目を覚まして、今まで休んでいたのどを急に使って、「○月○日○曜日です」と言うよりも、ちょっと準備運動でもして、ならして、本番に臨んだ方が言いやすいだろうし、また皆さんにも自分が言いたいことが伝わるだろうと思いました。そこで、ちょっと声のトレーニングみたいなことをやってから、本番に臨もうかなと思ってました。
 さて、何がいいだろうか。車を運転してますから、本を読んで声を出すわけにもいかないし。そこで思い出したのが、芝居のセリフです。私は、それ以前に、大阪吃音教室の有志と一緒に竹内敏晴先生のレッスンを受けてました。札幌で開かれた全国大会で、「夕鶴」という木下順二さんの劇を発表することになり、特訓がずっと続いていたんです。芝居の特訓ですからセリフを覚えなくちゃいけない。ああ、そうか。あのセリフを車の中で思い出して、毎日大きな声でやってました。多少は準備運動になるだろうなと思ったりして。「与ひょうの奴、近頃は、炉端で寝てばかり…」とやってました。ただ、声を出すトレーニングといっても、やみくもに声だけ出していたってしょうがないから、自分でマニュアルを作りました。
 「喉開けて、母音の流れを感じつつ、ソフトにめりはり、一音一拍」
 このスローガンを作って、これを朝車に乗ったとき、頭にたたきつけて、3回くらい唱えて、それからやるわけです。「あの女房、決して織っとるとこを見ちゃならんちゅうて機やに入るげな。そこで与ひょうの奴、正直にのぞきもせずに朝起きると、立派な布ができあがっとる」というセリフをずっと何回も何回も繰り返して言いました。
 セリフだけじゃなく、般若心経も以前から覚えてましたので、それをやったりして、本番に臨んでました。それをやったからといって、うまくいくわけじゃないですけども、やるだけのことはやって、臨みました。心が安らぐというほどではないですけども、一応自分でやるだけのことはやってみようと思って、ずっとやってました。
 こんなどもる私が朝礼をやってたら、いずれ人事異動が出てどこかに飛ばされるんじゃないかと思ってましたけども、これがまた不思議に飛ばされずに永遠と続いて、結局は16年間やってしまったんです。
 16年間もやって、何か自分に得るものがあったかなあと思って、振り返ってみますと、はっきり言って、16年間自分でもよくやったなと思いますし、おかげでその間のストレスとプレッシャーで、頭の髪の毛が真っ白になりました。今、多少黒いですけど、これは染めてるんです。私、後ろまで全部真っ白なんです。心理的なストレスがあったのかなと思って、自分でよくやったなと思いました。そのほかに感じたことは、自分がどもりや朝礼について悩んでいるほど、聞いている人はそんなに思ってないんだということです。だって、16年間、どもりながらでもさせられてきたというか、やってきたんですから、あかんなと思ったら、途中で代えられたでしょう。一度、朝礼が終わった後、社長から「君、もうちょっと発音の練習したまえ」と、みんなの前で言われたことがあるんです。強行突破してバーッと言ったときなどは、その当時の私の上司が、朝礼が終わった後、首をかしげて、「あかん」とか言うのが、見えるんです。落ち込みました。
 そんなこともいろいろありました。もうひとつ、毎日やってましたけど、予期不安というのは何回やってもとれなかったし、今でも皆さんの前で話すときは緊張しますし、予期不安、緊張というものはとれないものだなということが分かりました。
 それと、あと良かったことは、自分の声にこれだけこだわり続けることができたことです。声というものはいつも同じような声を出しているのかなと思ったけれど、毎日車の中で発声、トレーニングしていると、その日の温度とか湿度とかあるいはからだの調子とか、そういうのによってからだの響きというのが多少違うんです。特に私の場合は、睡眠不足の場合は、胸が上がってきて、呼吸が乱れて声が非常に出にくいし、調子のいいときは、声帯の振動とからだとの共鳴でいい響きが出るんです。そういうのを感じとれるようになった。そういうことで、自分の声の調子や響きなんかも感じとれるようになったのも、やっぱり毎朝やってたからかなあと思って、今はよかったかなあと思っています。
 今は、朝礼担当から外れたんです。というのは、7年前にメール送信システムができて、ひとりひとりパソコンが与えられて、連絡事項も全部メールですることになったんです。僕らは1分間スピーチで肝にして要、5W1H、てにをはチェック、バーンとやると、ばーっといっちゃうし、しゃべらなくてもいいんです。非常に楽で、正確で、自分の悩みだった朝礼がなくなって、清々しい朝を毎日迎えて、通勤してるんです。
 でも、私は朝礼がなくなっても、毎朝車の中でのトレーニングはまだやってます。というのは、高齢化して、ときどき70歳くらいの人のことばを聞いていますと、声がかすれて、よく聞き取れなかったりしていますけど、僕はあんなことにはなりたくないなあと思って、今もやってるんです。昨日も交流会で藤岡さんに「徳田さん、いい声してますね」なんて言われて、うれしかったんですが、やっぱりトレーニングのおかげだったんだなと思ってます。


  サマキャンは変わらない
     〜高校生の参加者として、スタッフとして〜

                   井上詠治 大阪スタタリングプロジェクト

 吃音親子サマーキャンプに子どもとして参加して感じたことと、後はスタッフとして参加して感じたことをお話しようと思います。
 高校2年生のとき、どもりでは就職もできない、生きていけないと将来を悲観し、たまたま雑誌でみつけた横隔膜バンドで、これで治ると、パンフレットを取り寄せて、親に買ってくれと30万円なので、30万で治るのなら安いものだと言って、懇願したことからスタートしました。当然、親からは、そんなものはだめだときっぱり否定されて、その後、児童相談所に行って、京都の福祉センターに行って、そこからサマーキャンプのことを知って参加するようになりました。
 最初は、自分が一番醜いどもり、嫌などもりのことを赤の他人の前でしゃべるのは絶対嫌だと思ってまして、参加したくなかったんですけども、電話や手紙で説得されて、参加するようになりました。私が初めて参加したのが、キャンプが始まって3回目でした。当時は、ふれあいスクールという名前で呼ばれてまして、参加人数は子ども7名ということもあり、今では考えられない規模だったなと思います。
 僕は、どもりを治しにいくという意気込みで参加しまして、話し合いの場に横隔膜バンドのパンフレットをもっていきました。伊藤伸二さんに「これ、どうや」と渡して、「そんなもの、だめだ」と即答されたのがすごく印象に残ってます。
 初めて参加して、ひとつ衝撃的だったのは、大人の人のどもりに出会ったことです。参加したときは高校生で、それまでの10何年間、大人のどもりに出会うことはなかった。スタッフの人がどもっているのを見て、あっ、大人になっても治らないんだと思いました。子ども心に大人になったらみんな治るものかなというふうに思っていたんですが、大人の人が前で一生懸命どもっているのを見て、ああやっぱり治らないものなのかなとがっかりした記憶があります。
 もうひとつ、同世代の仲間との出会いが一番大きかったです。夜、部屋で話をするんですけど、他愛ない話をするんですが、普段はやっぱり言い換えとかどんな仲のいい友だちでも吃音ということをどこかに、頭の片隅に置いてしゃべってたけど、その空間だけは言い換えとかどもることを気にせずにしゃべることができ、すごく居心地がよかったなと思いました。そんなこんなで、それから連続5年間参加しまして、第7回で、僕は卒業となりました。
 それから、就職して、9年間の年月が流れまして、だんだんキャンプの記憶も薄れていったんですが、たまたま大阪吃音教室に参加するようになって、そこで今度はスタッフとして参加してみないかと誘われて、それがきっかけで、今度はスタッフとしてキャンプに参加することになりました。
 参加人数は150名近くということで、僕が参加したころは多いときでも100人もいなかったと思うんですけど、すごくびっくりしました。もうひとつびっくりしたのは、キャンプのメニューが10年前と全然変わっていないこと。出会いの広場をして、話し合いをして、作文を書いて、劇をして、というのが全然変わってなくて、これが伝統みたいなものになっていっているのかなあと思って、ちょっとうれしく思いました。
 子どもたちと接することになるんですけれど、今度は大人として子どもたちに接するわけです。小学生などを見ていると、ものすごく無邪気でやんちゃでうるさいんですけども、ふとその裏側には、かつての僕がそうだったように、キャンプが終わって学校生活に戻ると、また吃音と闘うという表現はちょっとまずいかもしれないですけど、また向き合わなければいけないんだなと思いました。僕も中学校と高校とものすごく苦労したので、今小学生の子がこれから同じような苦労をしていかなきゃいけないのかなと思うと、ちょっと胸が痛い思いがありました。
 劇を指導する立場になりました。僕がやったころは、何も考えずに脳天気に演技していたんですけど、いざ人に教えるというのは、難しかったです。見よう見まねでやってたんですけども、子どもによっては、練習のときに一言も発音できない子どももいました。一生懸命教えて、いざ本番になって、なんとか自分のことばでせりふを言おうとする姿を見て、なんかジーンときました。
 僕が参加者として演技をしていた頃、劇を見ている大人がよく泣くんですね。なんで泣いているのか、全然分からなかったんですけど、大人になって、指導する立場になると、なんとなくその気持ちが分かるような気がしました。
 キャンプでは夜にフリータイムがあって、スタッフと親との交流の場が設けられています。私は母親や父親の中に入っていって、話を聞いたりしてました。僕は何もアドバイスとかもちろんできないんですけども、ひとつそのときに思ったのが、自分の両親はどうだったのかなあということです。僕の親は、知る人ぞ知る、「どもらずにしゃべれ」というのを広告の裏に書いてふすまに貼るような親で、全く無理解な親だったので、ずっと僕は恨んでました。なんでどもりなんかに産んでくれたんだ、とずっと恨んでたんですが、キャンプで親の話を聞くようになって、うちの親も多分悩んでたのかな、うちの親なりに子どもの将来を案じてそういう行動をとってたのかなと、今となってはそういうふうに思えるようになりました。今は、もちろん恨んではいないです。
 親子で参加している子どもたちや親を見ていて、僕はとても幸せなことだなあと思いました。子どもにとって、自分が一番しんどいと思っている吃音に対して、親が理解しようとしているという姿勢を見せるということはものすごく心強いことです。別に何かをしてほしいというわけではないんですけど、そういう姿勢を見せてくれるだけで、子どもは前向きに生きていけるのではないかと思いました。このキャンプが親子で参加するということにこだわる理由というのが少し分かりました。
 最後になりましたが、そんなキャンプも来年で20周年を迎えることになります。僕は子どもとして、スタッフとして、その半分くらい携わることができました。僕がもしキャンプに参加してなかったら、多分この場に立つこともなかっただろうし、どもりを治すことに執着してもっと暗い人生を歩んでいたのではないかと思います。キャンプは、どもる子どもにとっての、その後の人生にものすごく影響を及ぼす大事なイベントだと思っています。そんなキャンプに微力ですけれども、今後もかかわっていけたらと思っています。



  変わっていく子どもたち
                       高木浩明 宇都宮市立雀宮中央小学校

 吃音ショートコースには何回か来ていますが、キャンプは初めての参加でした。行きたいなあとは思っていたのですが、栃木県では夏休みがちょっと短いため、全日程参加できないことと、もうひとつは自分たちもキャンプみたいなことをやっていたので、サマーキャンプでいろんなものをたくさんもらうと、自分たちのしていることに影響を受けるんじゃないかなと思ったこと、この2つで今まで参加できませんでした。自分たちがやろうとしていることと比べて、うらやましいなあと思いながら、なんとなく尻込みしているのも正直ありました。そろそろ行ってもいいかなあと感じ始めたのは、ショートコースに来て、いろんな人と話をして、キャンプの話を聞いたということもあったし、子どもたちとずっと積み重ねをやっていくと、やっぱり変わっていく子どもたちやおうちの人の様子も見ていたので、そろそろ大丈夫かなと思い、参加しました。
 キャンプから帰ってきて、次の日から仕事も始まりました。運動会の練習で忙しく過ごしていたんですが、ふっとメールを見たら、伊藤さんからキャンプの感想を書くようにというメールが来ていました。そういうときに限って、メールを開けるのが遅れ、送られてきた直後だったら、「だめです」と言えるけど、締め切りまであと2日となると、他の人に頼むこともできないんだろうなと思って、なんとか書きました。書き終わったら、今度発表するようにと言われて、「はい」と言って、またここへ来たんです。
 今回、6年生の話し合いの中にいたのですが、6年生の子たちが話し合いの時間の枠の中でも変化していくことに気づきました。
 もうひとつは、話し合いの後の劇の練習のときのことです。前の日の話し合いで、「僕はタイミングをとってるから、あまりどもらないんだ」と言っていた初参加の男の子が、練習を始めたときは、それなりに自分でペースをつかんでしゃべってたんですが、2日目の夜に小さな部屋から体育館みたいなところで通し稽古のようにやったら、ものすごくどもったんです。真っ青な顔をしているので、終わった後、その子と5分か10分くらいしゃべったんです。「明日どうする?」という話をしていて、「でもまあなんとかやります」という話をして、そのときは「どういうふうにやりたいの?」と言ったら、「やっぱりどもらないでやりたい」と言ってたんです。でも、みんなの様子を見ていると、「どもってもいいかなあともちょっとは思うんだけど」と言って揺れている状態だったようです。
 一晩経って、次の日また朝練習したんです。私は直接その様子を見てなかったんですけど、そのときにまたすごくどもったときに、中学生の男の子が「せりふを変える?」と言ったらしいのです。言いにくいことばを違うことばにしたらどうかなというようなことを言ってたみたいなんです。二人のやりとりを聞いていて、どういうふうに言かなと思ったら、「いや、そのままやります」と言いました。
 それを聞いたときに、ああ、一晩、彼はきっといろんなことを考えて、今日を迎えたんだろうなあと思いました。なんか舞台に立つというか、表に立つとき、度胸をつけたなあと思いながら、その様子を見ていました。本番になって、そんなにスラスラ言えたわけでもないけれども、でも、彼は舞台の袖から戻ってきたときに、すごくいい顔をしていました。終わったというのもあるんでしょうけれど、よかったという話をしてました。
 もうひとつは、女の子なんですが、学校に行けないでいる子が、話し合いの中で、ふっとそのことを話し始めたこともありました。
 キャンプから帰ってきて、なんかうらやましいなあと思ったのは、同じことなんです。話し合いをすることだったり、作文を書くことだったり、劇だったり、していることは違っていても、いつも自分のどもるということと向き合っている。それが3日間のキャンプの中で、繰り返されている。さっきの井上さんの話で、キャンプのメニューが全然変わっていないというのは、そういうことだと思うんです。何度も何度も自分のどもりと向き合う場面が繰り返しある。3日間あるから、これだけ変わるんだなあというか、たまっていくんだなあというのをすごく感じました。それが、このキャンプの魅力なんだなあと思いました。
 私たちが学校で、あるいは地区で、キャンプではないけれど、スクールをやろうかというと、必ず、初めて会う子たち向士だから、よく担当者の方でゲームみたいなことをやりましょう、ということが出てくる。なんか、ただ出会っていればいいんじゃないか、というところにいってしまう。怒られるかもしれないけれど、ただ会えればいいんじゃないかというところにいっちゃうんですね。それが、いつも非常にくやしいなあと思っていました。そうじゃないよねということで、私たちは今、話し合いもやってるんです。初めて会う、しかもたかだか2時間くらいしかない、でも話し合いはしようということでやり始めたんです。自分と向き合うこと、他の人が向き合っている様子を見ること、そういうことを繰り返せるというのは、やっぱりすてきな時間なんだなあと感じています。
 19年間続いているということは、大きいなあと思いました。今の自分と先の自分というのは、見えているわけではないのかもしれないけれど、なんか感じているんだろうなという、そんな気がすごくしました。
 今年初めてキャンプに参加したんですが、スタッフの動き方が普通のキャンプと全然違うという話をしたら、そういうふうに感じた人が他にもいたんです。スタッフがスタッフらしくないというか、普通だと仕切る人がいて、その人がリーダーになって、次はこれですよ、次はこれですよと、どんどんやるんだけど、ここのキャンプはそういうことをしなくてもみんなが動いていく。それが全然違う。こんな話をしながら、このキャンプって、たくさんの年齢層の人がいるけれど、積み重ねで何度も何度も来ている人がいるから、なんか自然にそういうものを身につけている子たちがいて、初めて来た子もそれを見ながら動いているんだろうなと思いました。そうすると、学校の宿泊学習をやるみたいに、「早くしなさい。5分前ですよ」なんてことをいちいち言わなくても、自然と動けるんだろうなと思いました。そういうものも含めて、積み重ねてたくさんの人たちが関わり続けているということはすてきなことだなあ、いいことだなあと思いました。
 最近、うちの学校で事件を起こした子がいて、その子と担任の先生が時間を作ってしゃべろうという話をしてたんですね。そしたら、担任の先生が、しゃべる時間は作れるんだけど、何をしゃべっていいか分からないと言ったんです。その子のプライベートなことや育ってきた環境のことなど、たくさんあるけれど、どこまで踏み込んでいいのか分からないという話を聞いたときに、自分だったら、ポーンとぶっかっていっちゃうよなあと思いました。キャンプのときの様子を思い浮かべると、子どもと話し合うのもそうだし、子どもとほかでしゃべっていてもそうですけど、初めて会う子たちなんだけど、向こうからもいっぱい出してくれるし、それをこっちがすぐ投げ返せるような位置にいるんだなあと思いました。そういう経験をスタッフとしてたくさんやっていくことが、自分自身にとっても大切な時間だと感じています。
(「スタタリング・ナウ」2008.12.23 NO.172) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/09

第19回吃音親子サマーキャンプ

 第19回吃音親子サマーキャンプの、特に表現活動にしぼって報告をしました。今日は、そのときに参加した、ことばの教室担当者とどもる子どもの保護者2人の感想を紹介します。
 3日間を丁寧に振り返っての感想は、僕たちにとって何よりの励まし、次の活動へのエネルギーになります。DVDを見るのと、実際に生の体験をするのとは大違いと保護者が言っていましたが、まずどんな内容かなと興味のある人は、DVD「吃音を知る」を見てください。また、日本吃音臨床研究会のホームページに、吃音親子サマーキャンプについてその意義などについて話している動画もあります。
 DVD「吃音を知る」は、送料込みで、1200円。ご希望の方は、日本吃音臨床研究会までご連絡ください。
 では、「スタタリング・ナウ」2008.10.21 NO.170 より紹介します。

  
3日間×19年の輝き
                  高木浩明 宇都宮市立雀宮中央小学校(当時) 

2泊3日の贅沢な時間
 手に入れたばかりの真新しいスニーカー。わくわく気分でそれを履き、玄関から飛び出す。すると、いつもと同じ風景なのに、何か違う街並みのように見えてくる。キャンプの帰り道、そんな子どもの頃の記憶が蘇ってきた。
 ただ一度のキャンプだけれど、たくさんの出会いがあった。子どもたち、お父さん、お母さん、スタッフとして参加した大学生やことばの教室の先生。吃音ショートコースで何度か顔を合わせてきた日本吃音臨床研究会のメンバーの新たな一面も垣間見た。その誰もが、同じ思いを持って、同じ空気を吸っていることの心地よさ。2泊3目の贅沢な時間。

キャンプとの出会い
 どもる子どもたちが出会える場を作ろうと、市内のことばの教室合同で、グループ学習会をスタートした頃、第1回「臨床家のための吃音講習会」の案内が来た。伊藤さんの本や「スタタリング・ナウ」案内号で、吃音親子サマーキャンプの存在を知っていたので、この講習会でもっと分かるかもしれない、出会いの次のステップが見つかるかもしれない、そんな期待を持って岐阜に向かった。
 その後も講習会や吃音ショートコースに参加して、いろいろな場面で、たくさんの人からキャンプの話を聞き、自分も参加したいと思い始めた。ただその頃は、もうちょっと地元の学習会や自分の実践をしっかりさせてから、キャンプに飛び込みたいと、まだちょっと躊躇する気持ちも正直あった。数年前からは、県内のことばの教室に通級しているどもる子どもたちを対象に、話し合い活動をメインにしたグループ学習会を企画するようになり、ますますキャンプへの思いが強くなった。
 参加するなら3日間の全部を味わいたい、そう思うと出張等で日程の都合がつかない状況が続き、ようやく今年、満を持しての参加となった。

変わる姿
 このキャンプの魅力の一つは、一つのテーマに向かった活動が繰り返しあること。話し合い、作文教室、そしてまた話し合い。自分が吃音とどんなふうに向き合っているのか、じっくりじっくり考えることができる。自分自身が変わっていくことを、じわりじわり感じることができる。
 3日間を通して行われる劇の練習、そして発表。子どもたちは、戸惑いや抵抗感もあったけれど、自分の、まわりの友だちの身体や声が変化していくことに、ふと気づく。それがうれしい。そして吃音との、今までと違う向き合い方が、ちょっとずつちょっとずつ伝わってくる。自分の中で、何かが変わり始めた息吹を感じ出す。表情が変わっていく。

6年生の話し合い
 1回目の話し合いは、夕食後に始まった。私が担当したのは、6年生8人のグループ。運動会の係や委員会のことなどが話題になる中、Aさんが話し始めた。「私、5年生の後半から学校を休んでいる」こちらからの問い掛けにゆっくり答える。「学校は嫌いでないし、行きたいと思っている。友だちもたくさんいる」「5年生になって先生が替わって、一日に何回も当てるようになった。どもらないように話していたけれど、だんだんそれが辛くなってきて、学校を休みたくなった」「友だちは、私がどもることを知らないと思う。でも私は、自分がどもるのがイヤ」まわりの子どもたちもじっとその話を聞いている。そして「どもりを隠しても、どもりが治るわけではないから、僕はそうしない」「僕は、タイミングを掴んで話せばどもらないから、そういうふうにしている」「僕は、隠そうと思っても、隠せないから」それぞれ自分の思いをことばにしていく。
 今振り返ると、Aさんが、最初からこの話をしようとは、思っていなかった気がする。初対面の人ばかりの中だけれども、心の中にあるものが、ふっと出てきた。気がつくと話し始めていたという感じではないだろうか。そうできる雰囲気が、このキャンプにあるのなら、もしAさんがそう感じていたのなら、それだけで、キャンプに来た意味があったと信じたい。そして、誰かに話していいこと。自分には伝える力があること。真剣に聞いてくれる人がいること。自分だけでなくみんなどもりと向き合って、いろいろあるけれど生活していること。そんなあれやこれやを知るだけで、一つでもそのことに気づくだけで、何かが変わっていく気がする。Aさんが学校に行ってもいいと思うのは、もう少し先のことだとしても。

楽しさより喜びをつかむキャンプ
 初参加のスタッフのためのキャンプ基礎講座。伊藤伸二さんが語った「このキャンプは楽しさを求めるのではなく、喜びが得られるものにしたい」ということばの重みがよく分かった。
 3日間の中には、涙もあった。辛さと直面する場面もあった。そしてただ話を聞くだけで、そばにいるだけで、どうすることもできずに、もどかしい自分がいた。けれども3日間という時間の中で、そんな瞬間も、いつの間にか違う彩りを帯び始める。苦しかったり悩んだり。でもそれを一緒に感じてくれる人がいる。分かってくれる人がいる。ぱっと解決策が見つかるわけではないけれど、それもこれも、大切な自分の一部。そんな思いが、ふっと湧き上がる。
 キャンプの中で見つけた、昨日からちょっぴり変わった自分は、どこかゴワゴワ、ザワザワしている。それは新品の靴が、まだ足に馴染まず、ちょっと痛く感じるように。履き続けているうちに、堅いキャンパス地も、少しずつ自分の足に馴染んでくる。3日間では、まだピッタリ自分に合うようにはならないけれど、これから1年かけて馴染ませればいいと思う。新しい靴を手に入れた喜びを胸に。
 キャンプ最終日の卒業式。何年もこのキャンプに通い続けた高校生、一人ひとりが語ることばは、しっかり前を見つめている。「いろいろあるかもしれないけれど、大丈夫。やっていけると思う」そのことばの輝きに涙する。フロアーで、じっとその様子を見つめている子どもたち。きっと将来の自分の姿を、そこに映し出しているのだろうか。
 これも19回続いているからできること。きっと来年もまたみんなに会える。新しい自分に会えるという安心感。だから、新しい靴を手に入れるために、また来年もサマキャンに行こう。

9月のことばの教室
 キャンプの興奮が冷めぬ中始まった、9月からのことばの教室。どもる子どもに会うと、自然にキャンプの話になる。熱が入る。じっと聞く子どもたち。どもることを隠したい気持ちのこと、劇のこと、キャンプで出会った子どもたちの話が続く。
 劇の台本を一緒に読みながら、自分が参加したらどんなふうに思うか想像している子もいる。「1年生がこれ読んだの?」「何人の前でやったの?」「やっぱりどもりやすいセリフってあるね。でも違うことばとかにはしないんでしょ?」会ったことはないけれど、自分と同じようにどもる子たちが、たくさんいること。その子たちが、迷いながらも前へ進んでいることを、肌で感じている。「来年は一緒に行こうよ」と呼びかけると、「うーん、まっ、考えとくね」と、ちょっとつれない返事。まあいいか。ゆっくり、じっくりその気になってくれればいいさ。まだ一年ある。

おわりに
 9月末になり、夏休みに実施したどもる子どもたちのグループ学習会の感想が集まってきた。その中に本校の保護者のこんな思いが書かれていた。
 「グループ学習会の話があってから、何回か子どもと話し合いをしました。行くことを渋る子どもと、先生からのぜひにという誘い。正直迷いました。でも結局は、専門家である先生のことばを信じるしかないと思って参加を決めました。…親の私が分からなかった、子どものしんどさ、逃げたい気持ちが、先生には見透かされていたんですね。行くと決めてからは、私も子どもも、ふっと楽な気持ちになりました。…子どもはまた来年も行きたいと言っています。私も、これまでよりもっと明るいことばで、子どもと吃音の話ができそうな気がしています」たった一日の学習会だけど、子どもたちにとっても、保護者にとっても大切な時間になることを、今回だけでなくこれまでにもたくさん感じてきた。ことばの教室担当者として、そうした機会に関われることが、本当にうれしく感じる。だからこそ感じるのかもしれない。
 このサマーキャンプは、本当に羨ましいくらい贅沢な時間なんだと。

  うれしかった衝撃の三日間
                藤沢典子(東京都・高等専門学校5年生の親)
 私にとってサマーキャンプのことを一言で言うならば、「激動の三日間、衝撃の三日間」であった。
 何としても息子をサマキャンに連れていくのだという強い使命感だけで参加し、ただ行きさえすれば、後は何も望むまいと思っていた。行きの新幹線の中では、ずっと仏頂面でだんまり、お昼も食べずにいた息子。それが着いてから少しして、誰かに話しかけられ答えている息子を見て、エッと思った。表情が違う。戸惑っているのは明らかなんだけれど反発は全くしていない。これだけで、私は来てよかったと思った。
 そして、その夜。私はグループでの話し合いで、息子に関する思いの丈をはき出すことができた。こんなに素直に自分の思いを表現できたのは、生まれて初めてと言ってもいいくらい。そして、皆は一生懸命聞いてくれた。何という充実感、何という満足感。
 自分がすっきりと満足しているのを実感し、二日目の作文では、「これは私のためのサマキャンだった」と書いた。
 それから、息子がスタッフ以外の人と話をしている姿や、息子の笑顔を目にしたとき、私はうれしくてうれしくてたまらなかった。
 その夜、事態はまたもや急展開。息子は吃音であるとはっきり分かった。学校では一切発表しない、人前では話せなかった原因がやっと分かった。キャンプに参加するまでも吃音かどうかは半信半疑だった。参加して、多くの人から話を聞き、吃音にもいろんなタイプがあることを知っても100%納得したわけではなかった。
 それが、私、息子とそれぞれ面談していただいた伊藤伸二さんからていねいに説明されて初めて納得した。幸か不幸か、弟も吃音であるため、弟が通うことばの教室に、兄も一年ほど連れていった。だから私にも吃音の知識は多少ある。その中途半端な知識が先入観となり、弟とはどもり方の違う、兄が吃音であることが納得できなかったのだ。それをとっぱらって考えてみれば、ひとつひとつ合点がゆくことばかりだ。ジグソーパズルがピタッとはまった感じ、謎がとけて、目の前が晴れた感じだ。ああ、そうだったのか。
 だからあのとき、ことばの教室で10年近く前、初めてこのキャンプのことを知ったとき、その内容に強く惹かれ、そのときから、当時、吃音とは思いもしなかった息子をこのキャンプに連れてゆきたいと思っていたのだ。
 そして、今回、就職か進学かの崖っぷちに立たされて、やっと連れてくることができた。これまでの息子の苦悩を思うと、なんでなんでもっと早くに気づいてあげられなかったのとは思う。
 だけど、もっと早くにキャンプに参加していればとは思わない。思いたくない。これまでがあって、今スタートに立てたのだから。
 これからだって、不安材料をあげたら、きりがない。だから、考えない。
 今、今これからが大事なのだ。強くそう思う。息子は、戸惑っているようだが、心の内は分からない。が、その夜、遅くまで、部屋の仲間たちに囲まれ、真剣に話を聞いているのを見て、安心した。
 最終日、親の表現活動につづき、子どもたちの劇、皆の一生懸命さに感動し、そして、卒業生の姿、ことばに感動したのは、あの場にいた人たち、または過去に参加した人たちと同じだと思う。そしてこの感動は、生で体験するのとDVDで見るのでは、大きな違いである。
 いろいろなことがあって、たったの三日間とは思えない、一週間くらいいたような気がする。ある人がハードなスケジュールと言っていたけれど、私には全くそんなことはなかった。
終わってみて、少し疲れたけれど、心地よい。将来息子がスタッフとして参加できたらいいなあなんて思ったりもした。伊藤さんはじめスタッフの方々、お世話になりました。ありがとうございました。同室だった方々、同じグループで話を聞いてくれた方々、河瀬駅で最後に声をかけてくれたスタッフ、卒業生にもお礼を言いたい。来年、またよろしくね。


  初めてのサマキャン、温かい場所
                    福山玲子(岐阜県・小学校6年生の親)
 初めて会ったその日から、子どもだけでなく、私たち母も友だちでした。年齢も環境の違いも関係ない。ただ吃音をもつ子の親、それだけで私たちは何のわだかまりもなく話を始めました。サマキャンに通い慣れている母方も新参者を温かく迎え入れてくれました。今ここに来ている人たちは皆同じ思いだということを、知っているからこそなのでしょう。
 このキャンプのことは、去年の秋に知りました。来年は必ず!と今年初めて参加させていただきました。
 現在の悠也は、吃音は相変わらずですが、私の知る限り精神的には落ち着いています。母はもちろんですが、悠也自身も、吃音は治らないだろうことをある程度は理解しての参加でした。
 数年前の私たちには、吃音についての情報があまりに少なすぎました。いくつもの病院、相談所等を尋ね、何冊もの本も読みましたが、何か違っていたり、何も先行きに手がかりを得ることができませんでした。
 ここにはたくさんの子どもたちがいました。低年齢でこのサマキャンにたどりつけた方々が、私たち親子にはうらやましく思えました。現在、ことばの教室には通わせていただいていますが、年下のお友だちが多いため同年で対等に話せる友だちはいません。また、月に1度のかかわりでは、自分の本音を話せるまでの関係になるのも難しいと思いますし、話をするという感じの教室ではないです。
 このキャンプに参加したことで、悠也がどもる自分と向き合い、同じ年齢または兄さんたちと、自分に素直な思いを話すことができたことを願います。弱音を吐いても大丈夫、吃音という同じ悩みで苦しんできた、がんばってきた友だちと、普段には話せないことを話せる、今自分が思っていること、悩んでいること、誰かに聞いてほしいこと、知りたいことを話すのに、これほどまでに限りなくたくさんの選択が与えられた空間で時間を共有できたサマキャンに感謝します。
 ひとりでずっと苦しんできて、やっとたどり着いたここには、自分を分かってくれるたくさんの友だちがいる。それが解決ではないけれど、たったそれだけのことが、悠也をはじめ、この子たちには、どれだけ大きな力になり、勇気になり、宝物になるのだろうと思います。
 当たり前ですが、親は子どもを愛し、子どもの苦しみを理解しようとし、子どもが少しでも楽でいられるようにと願います。でも、私たち親が吃音のある人でない限り、またたとえそうだとしても、今現実に吃音で苦しんでいるこの子たちの心を、すべてわかってあげることなど、そんなことはあり得ないと思います。同じ苦しみ、哀しみ、それを経験してきた方が、ここにスタッフとしていて下さり、また共に過ごす仲間が皆同じなんだということ、それが何よりも大きな支えになるのだと思います。
 母たちの交流の中で、どんな思いでこのキャンプに参加したか、今現在または、今に至るまでどんな思いをしてきたか、たくさんの話をしました。ただ一言で吃音と言ってしまうには、あまりにもたくさんの思いがあふれていました。その気持ちを誰もがわかっているから、私たち親にとっても、ありのままでいられる、そんな空間だったと思います。
たくさんの涙がありました。苦しんでいる我が子に何もしてあげられない、どうしてあげればいいのかわからなく、と自分は無力だと自分を責める涙。参加することさえ嫌がっていた我が子が、出会ったばかりの友と笑顔で過ごす姿を目にしたときの安堵と喜びの涙。一生懸命にまた楽しそうに劇を演じ、来てよかった、楽しかったと言ってくれた子どものことばに、笑顔に涙。自分の接し方に不安がいっぱいで、ひとりでがんばってきて、張りつめていた心が、他の人のことばになぐさめられ、救われた、そんな涙もありました。
 そして、今年こそはとの、ほんの少しの期待、願いが叶わなかったと、つらい涙もありました。
 がんばれとは言えません。そんなことは言わなくても、十分にこの子たちはがんばっています。がんばってできることではないことを私たちはわかっています。この涙は、母の心の願い。そしてまた明日からのスタートに必要な涙でもあるのだと思います。
 来年こそは!と願う。同じ思いをもつ私たち。自分の子どもだけではなく、ここにいる子どもたち、その親たち、ここでは、皆が家族で、きょうだいで、仲間のような気がします。この子たちの成長、がんばり、どんなに小さいことでも、うれしい気持ちになれると思います。
 悠也の話し合いの場の担当の先生が、悠也の発言を、内容は分かりませんが、思いやりのある温かいことばだったと、通級の先生を通して教えて下さいました。苦しんできた分、今辛い思いをしている人にやさしくなれたりする、そんな心をもっていてくれるとしたら、とてもうれしいことです。そしてそれは、普通の子には与えられていない、すばらしい贈り物だと思います。
 現実の生活に戻って半月が過ぎ、日が経つほどに、サマキャンで過ごした時間がどれだけ貴重だったかという気持ちが大きくなっていく気がします。
 きれいごとかもしれません。母としての自覚が足りないのかもしれません。でも今私は、今どこかで苦しんでいる子や親御さんに、何かを伝えたい。何かできることはないだろうかと、そんなことを考えています。
 今のこんな気持ちにたどり着くまでにたくさんの時間がかかりました。私も悠也もたくさん泣きました。これからも、何度となく、そんな壁にぶつかり、悩みもするのだと思います。でも、今流す涙は、5年前とは全く別の涙だと思います。今はもう暗闇の中ではありません。ありがとうございました。また、来年。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/05

第19回吃音親子サマーキャンプ〜表現活動〜

 「スタタリング・ナウ」2008.10.21 NO.170 では、2008年の第19回吃音親子サマーキャンプの報告をしています。この年のサマーキャンプの日程は、8月29・30・31日でした。夏休みの最後の最後でした。こんな日程なのにたくさん参加してくださったこと、覚えています。
 今日は、サマーキャンプのプログラムの中の表現活動にしぼって報告している文章を紹介します。単なる付き添いではない親たちの表現と、子どもたちの演劇活動です。

第19回吃音親子サマーキャンプ
 今年のキャンプの日程は、8月29・30・31日。夏休みの本当の最終に当たる。キャンプが終わった翌日から2学期が始まる学校が多い。こんな日程で果たして参加があるだろうか、少し心配だった。予想どおり、日程的に厳しいので、今年は残念ながら涙をのんで参加を見合わせます、というハガキをもらったりすると、申し訳ないなあという気になってくる。それでも、申し込みは、130名を越えた。
 今回は、表現活動にしぼって紹介しよう。(報告:溝口稚佳子)

親たちの表現活動〜意義〜
 親は、子どもの付き添いではない。キャンプでは親自体がひとりの参加者なのだ。親のプログラムは子どもと同様ハードなものだ。
 親の話し合い、作文、吃音学習会が子どもの活動に平行して行われる。そして、子どもの演劇の代わりとなるものとして、親の表現活動がある。子どもたちの劇の上演前に、親の表現活動を取り入れて10年になる。
 きっかけは、子どものことばや声にとって何かレッスンのようなものはないだろうかという母親の素朴な問いかけからだった。声を出すには、からだが大事だということで、子どもが劇の練習で使っていない集会室を利用して、からだの揺らしをしたり、歌を歌ったりする「からだとことばのレッスン」が始まった。せっかく練習したのだから、子どもたちの前で披露しようと、子どもたちの劇の上演の前座を務めることになったのが始まりである。
 今ではキャンプのひとつの名物となり、重要なプログラムで、大きな相乗効果を生み出している。

◇親たちのがんばりは、子どもたちへの励まし
 どきどきしながら、もうすぐ始まる劇を待っている子どもたちの前で繰り広げられる親の、詩をことばとからだで表現するパフォーマンス。人前で飛んだり跳ねたりする、日頃見慣れていない親の姿に、初めて接する子は、驚き、そしてはっとして大きな拍手をする。お父さんやお母さんもがんばっているのだから、と劇の上演前の緊張した子どもへの大きな励ましになっている。「がんばれ」と言われるのとは違う、実際にからだで示してくれる応援となる。吃音について一緒に取り組んでいるという一体感が、親と子どもに生まれる。
◇子どもたちの劇上演に対する見方の変化
 大勢の前に立ち、ひとりで自分を支える、引き返すことのできない場に立つ、そんな子どもの気持ちがよく分かるという親は少なくない。自分も味わったあのどきどき感を胸いっぱいに感じながら、みんなの前で演じる子どもたちを見ることができるだろう。
◇スタッフに与える大きな影響
 初参加のスタッフにとって、親の表現活動は大きなインパクトを与えるようである。ここまでするのか?というくらいのはじけた親の姿に感動した、勇気をもらったという感想をよく聞く。

 これまで、谷川俊太郎の「生きる」、北原白秋の「祭り」、草野心平の「誕生祭」などの詩を使ってきた。最近は、「荒神山ののはらうた」。工藤直子の「のはらうた」を題材にして構成している。はじめのころは見本を見せて、このようにしたらと提案もしたが、最近は親が話し合い、ふりつけをし、練習をして見事な舞台を作り上げる。
 キャンプ最終日、上演前の90分が練習時間だ。親たちが集会室に集まってくる。初めて参加した親は、一体何が始まるのだろうかと、不安げだ。何度も参加している親でもそれぞれに表情が違う。この表現活動を楽しみにしている親もいるが、嫌だという親もいる。それは子どもも同じだ。劇を楽しみにしている子どもも多いが、これさえなければもっと楽しいのにと思っている子どももいるだろう。苦手なことに挑戦するのは親も子どもも同じなのだ。そう覚悟を決めて練習する親の姿を見て、毎回感動する。
 みんなで声出しのための歌を歌って、表現活動に入るための準備をする。その後は、話し合いの時の4つのグループに分かれ、練習が始まる。相談して、やってみて、また相談して、という繰り返しだ。あちこちで笑い声が起きている。真剣に、まじめに話し合いを続けてきたメンバーによるこの練習のもつ意味は大きい。話し合いで泣き、笑い、しんみりとした親同士の連帯感、仲間意識がさらに深まっていく。

親たちの表現活動〜上演〜
 最終日、午前10時。全員が集まり、さあ開演。こんなナレーションから、それは始まった。

 「今年もここ荒神山少年自然の家に、のはらうたのメンバーがやってきました。荒神山の一日が始まります。朝、おなじみのかまきりりゅうじ君がやってきました」

きまったぜ
かまきりりゅうじ
さっと ひとふり カマを ふったら
あさひ ぐんぐん のぼってくるぜ
ぐいっと もひとつ カマを ふったら
ことり ピーチク うたいだすぜ
きらりと おまけに カマを ふったら
ちょうちょ はたはた おどりだすぜ 
カマの タクトで あさを よぶ
おれは のはらの コンダクター
いえぃ きまったぜ 

 この後、いのししぶんた、こぎつねしゅうじ、あなぐまこうじ、と続く。4つのグループがそれぞれ、子どもたちがびっくりするような、見事な演技を披露する。動きも、声も、ダイナミックで素晴らしい。ユーモアも効いている。
 最後の4番目のグループが終わると、親は手をつなぎ、子どもたちを囲んだ。そして、最後は親全員の温かい大きな声が会場に響き渡り、子どもたちを包み込んだ。

だいちのねがい
だいちさくのすけ
う〜〜〜〜〜〜んと てを ひろげ
し〜〜〜〜〜〜っかり みんなを だきしめる
それが われら だいちの やくめ
それが われら だいちの ねがい

う〜〜〜〜〜〜んと てを ひろげ
し〜〜〜〜〜〜っかり みんなを だきしめる
それが われら 親の やくめ 
それが われら 親の ねがい

 スタッフの一人がこんな感想を寄せている。「子どもにとって普段絶対に見ることのない親の姿。1時間半の練習でよくここまでまとめたものだと感心する。最後に親全員が部屋を取り囲んで一斉に詩を朗読した時は、すごい迫力で感動した」

子どもの表現活動〜劇の稽古と上演〜
 子どもたちによる劇についてもほんの少し触れておく。今年の劇は、トラバース原作、竹内敏晴さんの構成・演出・脚本の『王さまを見たネコ』。
 スタッフの報告を紹介しよう。

 『サマキャンの劇の特徴は、上手に演技することに重点を置くのではなく、それよりもその子どもの声に注目する。本番の出来不出来よりも、練習中にどれだけしっかりと相手に届く声を出すことが出来るかに時間とエネルギーをかける。
 僕たちの劇の練習は、この劇のテーマソングをみんなで歌うことから始めた。でも思っていたとおり、子ども一人一人の声がよく聞こえない。声はその子どもの周囲にとどまり、広がらない。そこで毎年僕のグループの恒例で、楽しく大きな声を出すゲームをした。子どもとスタッフが混じって二手に分かれて肩を組み、一方が「ライオンだー、ライオンだー!」、もう一方が「ゾウだー、ゾウだー!」と交互に大きな声を出す競争をする。最初躊躇していた子どもたちもみんなと一緒だと思いきって大きな声が出せる。きっと、ふだん滅多に出すことのない大きな声だろう。そのうちに大きな声を出す気持ちよさが分かってきて、だんだんと笑顔が増えてくる。メンバーチェンジをしたり子どもたちだけで競争したりと、子どもたちは楽しみながらどんどん大きな声を出していく。
 大きな声を出して心地よく疲れてから、いよいよ台本読みに入った。一回目からみんな意外とうまく読めたが、サマキャンの劇はそれでOKではない。子どもたちを3つのグループに分けて、それぞれに竹内さんのレッスンを受けたスタッフがついて個別練習をした。子どもの中にはどもらない子どももいたが、日本語の特徴である母音が出ていない。どもるどもらないに関わらず、しっかり息を吐く、一音一音母音を押す(一音一拍)、相手に届く声を意識して何度も練習した。今回の劇は場面転換がなく動作も複雑ではないので、いつもより一人一人の声にじっくりと取り組むことが出来た』

 上演が始まると、緊張気味だった子どもたちも、驚くほど堂々とセリフを言い演技する。話し合いでは一言も言葉を発しなかった高等専門学校の学生が、王様役で真ん中で、長いセリフを読んでいる。これには本当に驚いた。話し合いと、劇の稽古と上演の二つのプログラムが有効に機能している。表現することは自分らしく生きること、人間にとって大切な営みであることを改めて思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/03

ひとつのきっかけにすぎないけれど

 新しい年が始まりました。今年も、これまでの「スタタリング・ナウ」を紹介していきます。できるだけ早く最新号に近づきたいと思っているのですが、なかなか追いつきません。今、編集中の最新号は、NO.365で、今日、紹介するのがNO.170です。
 今日は、第19回吃音親子サマーキャンプの報告特集です。どもる子どもの保護者から「親として、何ができますか」とよく質問を受けます。僕は「サマーキャンプに連れてきてくれさえすれば…」と答えます。吃音親子サマーキャンプというあの空間は、きっと何らかのきっかけを与えてくれると信じているからです。
 2025年の吃音親子サマーキャンプは、34回目、日程は8月22・23・24日、場所はいつもの滋賀県彦根市の荒神山自然の家です。
 では、「スタタリング・ナウ」2008.10.21 NO.170 の巻頭言を紹介します。

ひとつのきっかけにすぎないけれど
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「新学期に学校へ行く準備もあるし、行っても何も変わらないだろうから」
 吃音親子サマーキャンプを直前にキャンセルした中学1年生の男子と両親と、キャンプの一ヶ月後に会った。彼はかたくなにキャンプへの参加を拒んだ。説得し切れなかった父親は、直前に子どもの言う理由を書いて、キャンセルのファックスをしてきたのだ。4人で話し合う中で、思春期のどもる子どもへの支援の難しさを改めて思った。
 彼は中学校に入学してまもなく、発表や音読などでどもりたくなくて、学校を休んでいる。本人も学校へは行きたいし、吃音についてもなんとかしなければ、とは思っている。それなのに、吃音親子サマーキャンプには絶対に行きたくないと言う。
 この強い拒絶は、私の経験から想像すると、自分と、吃音と向き合うことへの不安や怖さがあったのだろうと思う。これまで向き合ってこなかった問題に向き合うことは誰もが恐いことだろう。ただ嵐が通り去るのを待つ、吃音に閉じこもっていた方が楽なのだ。私がそうだった。
 21歳の夏、「どもりを必ず治します」と宣伝していた民間吃音矯正所の門を前にしても、私のからだはこわばり動けなかった。言いようのない不安と、恐ろしさと、どもる自分への嫌悪感が広がった。「ボクは自分がどもることを認めたくない」と、だだっ子のように、駅と公園とその矯正所を行ったり来たりしていた。この門をくぐると、自分のどもりを認めることになる。この不思議な感覚を私は今でも鮮明に覚えている。
 彼の言うように、キャンプで「何も変わらない」かもしれない。しかし、「何かが変わる」かもしれないのに、参加する意欲がわかない。同様の経験をした私は、彼に昔の私をだぶらせていた。
 私の開設する電話相談「吃音ホットライン」は親からの相談が大半だ。吃音親子サマーキャンプを紹介することは多いが、タイミングによっては強く薦める。小学校高学年になって、中学に入学して、高校に入学して、学校へ行けなくなったり、吃音が大きな問題になる子どもは少なくない。良い友だちや先生に恵まれたこれまでの生活環境が一変し、自分ひとりで吃音と向き合うことはとても難しいことになってくるのだ。
 今年も親からの電話相談の後、子どもや親の体験文などを添えて、キャンプの案内を送った。その数は多いが、特にこの人には参加して欲しいと思った6名には、電話や手紙などで強く薦めた。
 子どもの強い抵抗にたじろぎ、子どもの意志を尊重しすぎるあまり、参加を断念した親は少なくないだろう。一方で、子どもの気持ちは理解できても、キャンプに行けば子どもは変わると、変わる力を信じて、信念をもってキャンプへの参加を促して、子どもを強引に連れてきた親も少なくない。
 今年も、子ども自身は行きたくないと意思表示をしていた、小学6年生と、高等専門学校生が親の粘り強い誘いによって参加した。事前の電話の感触で、私は恐らくこの二人も参加しないのではないかと予想していた。だから、この親子が参加してくれたことは、私にとって今回のキャンプの大きな喜びのひとつだった。
 行きたくないと言う子どもをキャンプに連れてくるのはとても難しい。「連れてきてくれるだけでいい」という私のことばを信じて、場に連れてきた親に、私は心からの敬意の念をもつ。事実、二人とも当初は浮かぬ顔をしていた。「今、90パーセント帰りたい」と言っていた子も、時間がたつにつれてどんどん変わっていった。
 大きな抵抗を示し、不本意な気持ちで参加した子どもに、特別なプログラムがあるわけではない。
 安心して語れる、聞いてもらえる場に身を置き、他人が語る姿をモデルにして、おずおずと自分を語り始める。苦手な表現活動にみんなで取り組む中で、何かが変わり始める。キャンプはひとつのきっかけにすぎないのだけれど、それは、子どもの変わる力を耕し、育むきっかけとなっている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/02

第18回吃音親子サマーキャンプに参加しての感想〜親特集〜2

 初参加の方の感想を読み、改めて、2泊3日という長時間、全く知らない人たちの中で過ごすことを選択したことの「初参加者の覚悟」というものを感じました。高いハードルを超えて、子どものことを思って参加した保護者のみなさんに敬意を表します。
 昨日の続きです。(「スタタリング・ナウ」 2007.11.20 NO.159)


  
「どもる子いっぱい」 子どもが変わり、親が変わる
                     小学2年生男子の父親(愛知県・初参加)

 原因は何だろう? いつも考える。どうすれば、治るかな? いつ治るかな? 
 出来ることは全てしたい。後で後悔するのはいやだ。ふとした瞬間心に浮かぶことだ。
 ある情報で、小学校に上がるまでが分岐点と聞いた。治る子のほとんどは小学校に上がるまでに治る。そうでなければ治る可能性は低いとのことだ。急がなければ。
 2歳半で弟が生まれて少ししてから、言葉がつまるようになった。親ばかとしては一大事である。愛情が足りないのかなと、家族の旅行を増やしたり、弟を両親に預けて付きっ切りで遊んでみたり、夫婦の活動は息子中心であった。強くなるために空手を習わせたらどうかなども。しかし、症状は"良くなった、治るぞ!と思えば、またひどくなる"と波の様に行ったり来たりである。途中、息子も声を出さずにしゃべるなどの工夫を無意識のうちにし始めた。そんな姿がまた不憫に思え、妻が涙する。普通に話すことがなんでこんなに難しいのだろう?
 そして、小学校の入学を迎えた。タイムリミットを迎えた。でも、うちの子は治ると信じるままだ。
 小学校には、地域のたくさんの保育園、幼稚園の子どもたちが集まってクラスをつくる。今までの保育園では、言葉がつまる事を先生にも理解してもらい、周りの子どもたちにも伝えて普通にすごしていたが、また新たにその作業をしなければいけない。ある時、息子が言葉のことでからかわれて帰ってきたので、妻が母親に理解してもらうためにその子のうちへ出掛けて話をしたことがあった。だが、そこでの反応は期待に反し、その後も疎遠になるような結果に終わってしまった。
 そんなときの対応は何が正解なのか? それぞれの親は自分の子どもは素直で、人に迷惑を掛けるとは思っていないし、信じない。そんな人にはどうすればうまくこちらの気持ちが伝わるのか?
 悩みが尽きない日々が続き一年がすぎた。
 新学期で2年生になった。言葉は相変わらずで変化はない。しかし、一緒に寝ようとする布団の中で究極の質問を涙声でされた。
 「なんでぼくだけことばがつまるの?」
 「注射をうったらなおらない?」
 注射嫌いな息子が聞く。ホントにそんな注射があればと思う。正直、なんて答えていいかわからない。ゆっくり話を聞いてあげることしかできない。大好きな息子を勇気付ける言葉が見つからないのは親としてむなしくなってしまう。
 そんな時、妻がサマーキャンプがあることを教えてくれた。日本吃音臨床研究会というのがあって、メールを送ったら"夜遅くてもいいから電話でもかけて相談してください"とのことで、相談してみると熱心に親身に話をしてくれたとのことだった。そして、この会が主催するキャンプで言葉がつまる子どもたちがたくさん集まるということだ。確かこのキャンプについては、去年聞いたことはあったが都合が合わなく参加できなかった。都合が合わないというより、最初の一歩が踏み出せなかっただけかもしれない。でも、そんなことを言っている場合ではないので今年は家族4人で参加に決めた。この最初の一歩を踏み出せたことが我々家族には大きな収穫に結びついた。
 初日、午後1時に会場に着いた。レクリエーションを受け、手作り感覚いっぱいのゲームをみんなで行う。初参加でも和む雰囲気を作ってくれてありがたい。それにしてもたくさんの家族が参加している。ゲームが終わり部屋割りが発表された。当然、家族一緒の部屋と思っていたら、子どもは子どもと、母親は母親と、父親は父親と…。
 部屋に行くと二段ベッドが6つ程並んでいた。おおっと、久々の合宿だぞ。学生時代以来だぞ。これから2泊3日だぞ。入り口で戸惑いと決意の両方の顔を36歳の多少人見知りの親父はした、と思う。夜になり、グループにわかれ座談会が開かれた。ここも妻と子どもとわかれている。なぜか責任感がわいてきた。自己紹介を終え、それぞれの状況、悩みが話された。歳の近い子どもを持つ親は同じようなことを悩んでいるのだなと思うし、大きな子どもを持つ親の悩みは、これから向き合わなければならないのだろうなと胸に飛び込んでくる。何より、全てが人ごとではなく思える。全員が子どものことを真剣に考えている。
 進行役をつとめてくれるスタッフのひとりは成人で吃音の方だ。生の本人の考え、気持ちを聞くことができる。当人はその時どう感じるのか?どうして欲しいのか。すごく参考になった。変なことであるが、自分の息子には聞きにくいことが聞ける。貴重な意見だ。
 2日目、朝、みんなで作文を書いた。このキャンプや言葉がつまることについて。誰にも見せないという前提なので素直な気持ちが書けることになっている。息子が書き終えたので、「どんなこと書いたの?」と、たずねると「教えない」と、教えてくれない。「じゃあ、題名だけ教えて」と頼むと「どもる子いっぱい」と言って走っていった。
 涙が出そうになった。「なんでぼくだけことばがつまるの?」と泣いた息子が笑っていった。それだけでこのキャンプに感謝だった。
 ちなみに私の書いた題名は「特効薬」。なんとか治すための特効薬はないものかという内容だ。しかし、その考えも2目目の座談会、普般は行っていないという、伊藤さんの吃音の講義で大きく変わることになる。
 2日目の座談会では、気心も知れてきて、話しやすい雰囲気の中、ざっくばらんに(涙ながらにも)悩みが話され、それにスタッフの方や参加者が本音で答える。子どもたちが山登りに行っている間に行われた伊藤さんの講義は、自身が吃音に悩み、研究していった経験なので説得力があり、俗に言う目からウロコが落ちるというものであった。肩の力が抜け、ふうっと楽になった。
 何が変わったか。作文の題名に「特効薬」と書いたように、それまでは治すことにこだわっていた。何とか治してやりたいと。必死だった。でも、実際治るケースは少ない。現にこのキャンプにもたくさんの青年が吃音者スタッフとして手伝ってくれている。だから治すことにこだわっても、悩むばかりだし、子どもとの貴重な楽しい時間が台無しになってしまう。であれば、考えを変えて、治らないことを前提にして出来ることに精一杯取り組む。それで、もしも治ったらラッキーとして、毎日を楽しんだほうがいいじゃんって思えるようになった。これは決して逃げではないし、治ることをあきらめたわけでもない。心の持ちようだ。
 でも、こう思えることで生活はまったくちがうと思うし、ステップを一つ登れた気がする。何よりのきっかけであった。
 3日目は、それまで子どもたちが練習を重ねた劇の上演である。言葉がつまっても最後まで自分のパートをやりきる全員の姿に感動し、力をもらった。子どもたちに負けないよう、自分もやらなければ。
 2泊3日のサマーキャンプ。参加して本当に良かった。我々4人家族の将来にとって大きな収穫のある3日間だった。最後のオープンマイクで話したようにこのキャンプで子どもが変わった。親も変わった。これからが楽しみだ。
 そして最後にもう一つ、世の中が変わって欲しい。吃音は、まだ社会や学校であまり、理解されていないし、情報が少なすぎる。そこが悩みの大きな要因ではないか? 吃音の有名人もテレビなどでは悟られないようにしてるようだ。そこが、変わって"吃音もありだな"って思える社会。そんなことが原因でからかわれることのない社会になってほしい。
 余談だが、たとえば、スマップのキムタクが吃音だったら。キンキキッズが言葉がっまっていたら。世の中のイメージは変わらないかな? だから、サマーキャンプに参加してる子の中からトップスターが出ないかなと密かに心の中で期待している。

追記
 私はこの文章の中でも使わなかったように、これまで"どもる"という言葉が使えなかった。何か重い響きを感じ、差別ことばにも感じられた。だから、子どものことには、間違っても使えなかった。でも、サマキャン(参加2年目以降の人はこう呼んでいた)に参加してからは、大丈夫だ。これも変化かな。


  初めてのサマーキャンプ
                    小学1年生男子の母親(千葉県・初参加)

 最初にことばの教室の先生から、サマーキャンプの事を聞いた時はどんなキャンプなのか参加してみたい気持ちと、でも、知らない方ばかりで仲間に入れるかなと、とまどう気持ちとでずいぶん迷いました。小学1年生の息子に聞いてみると、内容も分からずにキャンプという名前だけで、二つ返事に「行ってみたい」という返答でますます迷ってしまいました。キャンプの日が近づくにつれ、申し込みはしたものの人前で話す事が苦手な私が、話し合いに参加できるかなと気持ちはどんどん後ろ向きになっていきました。けれど、行く前から悩んでいるよりも、行ってみて嫌だったら、来年から行かなければいいんだという風に気楽に考えて行ってみることにしました。
 いよいよ当日、河瀬駅に着くと周りいっぱいの緑とおいしい空気に、とてもすがすがしい気持ちになりました。また、伊藤伸二さんはじめ、スタッフの方々が温かい笑顔で迎えてくれたのが、とても印象的でした。
 息子の方も初めは少し緊張していたようですが、駅で一緒になったお友達とすっかり意気投合し、すぐに雰囲気に馴染めたようでした。
 そして入所のつどいから、いよいよプログラムが始まりました。特に印象に残っているのが、グループでの話し合いでした。自己紹介から始まり、吃音についての体験談などを話し合うものです。
 話し合いでは、子どもが吃音だと気づいた時のことから、これまで相談した機関のこと、またそこで言われたこと。吃音は親の責任であるという世間の風潮に思い悩んだ事。また少しでも吃音が無くなるようにする方法はあるのかという事。反対に吃音とうまくつき合うには親として何ができるか、学校や先生、友だちへの対応の仕方、親自身の気持ちの持ち方など、本当にたくさんの、とても深い内容の話が全国各地から集まった初対面の人から聞く事が出来ました。
 今まで私自身、子どもの吃音については一番の心配事でした。が、一番心配なのに、一番人に言えない事でもありました。けれど、このキャンプでは全員が同じ悩みを持ち、それに真っ直ぐ向き合っている方ばかりです。普段は誰にも聞けないこと、話せないこと、心配なことなど、躊躇することなく、素直に全部出せるというのが、とても楽でした。
 また、グループでの話し合いには、かつてはキャンプの参加者であり、現在はスタッフとして参加している方も、話し合いに参加して下さいました。そこでは、子どもの頃に吃音について思っていた事や悩んでいた事、親にして欲しかった事などをストレートな気持ちで話して下さり、とても貴重な話を聞く事が出来ました。
 今はまだ小学1年生ということもあり、息子が吃音についてどの程度気にしているのか、親にはどうして欲しいのか、本人の口から聞く事はほとんどありません。しかし、これから成長していくにっれ、たぶん思い悩む時がくると思います。そんな時、この話し合いで皆さんから聞いた貴重な話は、本当に私自身の肥やしとなって生きてくる事と思います。
 そして、キャンプに参加するにあたり期待していた事が一つだけありました。それは、息子にどもる人間は自分だけじゃない、他にもたくさんいるんだということを身を持って知ってもらうということです。これまで、家庭ではあまり息子の吃音について、本人と話す事はありませんでした。しかし、それは本人にとっても親にとってもあまり良い事ではありません。きちんと家族で向き合って、本人だけでなく全員が受け止めていく方がいいに決まっています。キャンプをきっかけに、吃音は自分だけではないということと決して恥ずかしがる事ではないんだという事を、息子なりに身を持って分かってくれたら、もっと吃音について、家庭でもオープンに話す事ができ、本人が困っている時も、もっと親として助けてあげる事ができると思います。
 キャンプの帰りに息子に「どうだった? サマーキャンプは?」と聞いてみると、「とても、楽しかったよ。また来年も、何があっても絶対行くからね」という答えが返ってきました。そして、この夏一番楽しかった事も、このサマーキャンプだったそうです。
 具体的には分かりませんが、きっと小学1年生の息子も、このサマーキャンプで何かを掴んで帰ってきたのだと思います。それだけで、本当に参加した甲斐がありました。
 今では、頻繁ではありませんが、吃音について家庭で話題にする事も増えてきました。この先、まだまだ悩んだり、苦しんだりすることもあるかもしれませんが、吃音を通して体験したこのキャンプや出会った温かい人達は、私にとっても、息子にとっても大きな財産となりました。


  吃音を通しての親子関係
                      中学1年生男子の母親(大阪府・初参加)

 8月最後の週末、夏休みの総決算として親子共に期待と不安を胸に、初めての吃音親子サマーキャンプに参加しました。それまでに伊藤伸二さんの本、DVDでサマーキャンプの様子は少し分かっていましたが、実際参加してみて肌に感じるものがあり、3日間彦根のキャンプ場で過ごすことへの不安はやわらいでいきました。
 スタッフの方々の劇、親、子どもたちの話し合い、みんなと共に行動して得る笑顔、自分と向き合う作文書き。何もかもが息子と私の今までの葛藤を消し去り、未来を明るい気持ちで過ごせるような気持ちになりました。
 小学校入学まもなくからどもるのがひどくなり、振り返ればそれが私にとっての子育ての不安材料となっていき、息子への態度もよくなかったと思います。息子自身もどもることを意識するようになったのも私のせいではないかと思います。それでも小学校6年間、本当によくがんばったと思うのです。
 そこには担任の先生、そしてクラスメイト。国語の授業の本読み、発表では一部のクラスメイトにからかわれ涙ぐんだこともあったようです。日々の生活の中でも消極的な面をみると「どもりを気にしているのかな?」と思い、叱咤激励の繰り返しの6年間でした。現在中学1年生になり人前で話す機会は少なくてもただ一人で行動できる強さを持つ息子を見ると「がんばっているね」と心の中で思っています。その反面、息子を理解してくれる友だちができればいいなとも思っています。この気持ちはサマーキャンプに参加するまで強くありましたが、今は違います。スタッフの方々、他の親御さん、他の子どもさんと接することにより、これからは前向きに考えていけると思います。
 「あなたはあなたのままでいい」「あなたはひとりではない」「あなたには力がある」を息子に実感してもらいたいと思います。この3つのことばは、親の私にとっても子どもと接する上で常に心に置いておきたいです。
 最後に吃音親子サマーキャンプがこのように続いていることに感謝します。次のサマーキャンプまでの1年間を有意義に過ごして親子関係を良い方向に築いていきたいと思っています。

  大きく一歩前進
                  小学6年生女子の母親(宮城県・初参加)

 大きく一歩前進しました。娘のどもりの現実を知りつつも、知識を得ようともせず娘に不安な思いをさせていました。パソコンで「英語のキャンプ」と検索し、たまたま出てきた"サマキャン"を開いてみたのも、参加できる可能性があったことも、全て運命としか思えないほどでした。
 伊藤さんと電話でお話できたことも今考えるとすごいことであり、これは行かなければいけないと強く思ったことを覚えています。全てのことが参加する方向ですすんでゆきました。
 一日目、子どものことなどそっちのけで自分の居場所を見つけるので大変でした。正直二度と来るもんかと思ったくらい苦しかったです。関西の人は積極的で明るくて、前向きで、自分の性格に嫌気がさしていました。地元でもそうです。自分から仲間に入ることはできず、私にとっても学校は辛い場所です。保護者には、自分で壁をつくって何とかその場をすごせても、一番辛いのは娘の同級生に会うこと。挨拶すら相当の勇気をふりしぼっています。みんなの目がこわい。娘を、私を、どう思っているのだろうと気になっていました。今回のキャンプをきっかけに、クラスのみんなに吃音について伝えなければいけないと思いました。娘はできました。吃音以外は普通の人なので、差別しないでと伝えることができました。娘の申し出で私の口から直接話はしませんでしたが、先生から吃音の説明と中学に行ってからも理解者になってほしいと伝えていただきました。娘はがんばりました。私も前を向いてしっかりと歩かなくてはいけないと思いました。本当に参加して良かった。次ははじめから自分をさらけだし、みなさんと仲良くなれるようにしたいです。阿部さん一家、足並みをそろえて前進します。ありがとうございました。


  私もサバイバルに加わって
                   小学6年生男子の母親(兵庫県・初参加)

 今回のキャンプは、初めての参加で不安だったのですが、幸いなことに、同室で初めての参加者にまんべんなく声かけしたり、話の雰囲気作りをして下さる方がいて、緊張が解きほぐされ、来てよかったと思える3日間でした。もちろん、キャンプの内容も、時間に追われたもののすばらしかったです。さまざまな吃音の親子に出会い、話し合いを重ね、伊藤さんのお話をお聞きし、同室の方と語り合い、涙し…、たくさんのことを学びました、救われました、意識が変わりました。
 実際のところ、私は、キャンプに参加するまでは、息子の吃音を受け入れるということ以前に目をそむけていたように思えます。息子が人前でしゃべる場面では、「もたもたしゃべるなあ」とか「ああ、みっともない…」などと思われていないかしらと、私まで固くなり、もどかしい思いでいっぱいでした。私の心の中に無意識にそんなふうに思ってしまう気持ちがあったのかもしれません。そんな時は、ついつい先回りして、おせっかいな助け船を出して、息子の可能性をつみとってしまっていたように思います。無知だった自分がとても恥ずかしいです。でも、親子共々、キャンプ後は何かが確実に変わり、肩の力を抜いて向き合っています。吃音の調子は一足飛びには生きませんけど、少しは気楽になれたように感じます。
 なんだか不思議なんですが、キャンプで出会った先生、スタッフ、親子の中に初めて出会ったような気がしない方々がたくさんいました。同じ悩みや課題を抱える者どうし、出会うべくして出会ったという感じがしています。吃音フェロモンが漂っていたのかも。これからも大事にしていきたいと思います。
 来年、息子は中学生、思春期真っ只中です。彼をとりまく状況もさまざまに変わることでしょう。吃音もどのように変化していくのか全く想像もつきませんが、キャンプで得たものを糧に、またほぼ全国にいる仲間を心の拠り所に、私もサバイバルに加わっていきます。
 私の、吃音への理解はスタート地点からようやく一歩踏み出したところです。これから徐々に学びつつ深めていけたらと思っています。(「スタタリング・ナウ」 2007.11.20 NO.159)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/10

第18回吃音親子サマーキャンプに参加しての感想〜親特集〜

 昨日、一昨日は、第18回吃音親子サマーキャンプに参加したスタッフの感想を紹介しました。
今日と明日は、保護者の感想です。(「スタタリング・ナウ」2007.11.20 NO.159)

 
日本吃音臨床研究会の電話相談、吃音ホットラインには、ほぼ毎日全国から相談の電話が入る。多い時には3件も4件も。長い時には1時間も話すことがある。どもる子どもを持つ親からの相談が多く、中にはどもり始めて3日目という人からの相談もある。
 なぜどもるようになったのか。治るのか。子育てが悪かったのか。それらに丁寧にお答えする中で、顔は見えないけれど、電話をかけてこられた第一声と比べると明らかに安心され、ほっとされている表情がうかがえる。「治らないよ」とさりげなく言われてショックだったと、後でよく言われるが、電話はそこで終わらない。「でも、大丈夫だよ」と続く。そう確信できるのは、吃音親子サマーキャンプで出会う子どもたちの姿が鮮やかに浮かぶからである。また、将来的には、大阪吃音教室のどもる仲間の顔が浮かぶからである。
 小学生から高校生までのどもる子どもの相談のときには、吃音親子サマーキャンプを勧める。一度ぜひ来てほしいと。初めて電話をして、2泊3日のキャンプに誘われ、「はい、行きます」とはなかなか言えないだろう。本を読んだり、キャンプを撮影しているDVDやビデオを見てからでもいいよ、と言う。
 今年のサマキャン初参加者の中にも、そんな電話の中で、即参加を決めた人、前から知っていながらなかなか一歩が踏み出せずやっと参加したという人など様々である。
 今号の「スタタリング・ナウ」は、サマキャン特集第2弾として、初めて、あるいは2回目という比較的サマキャン歴の浅い参加者にスポットを当ててみた。親たちの率直な思いがあふれている。
 ぜひ、来年も、夏の終わりは、サマキャンで!


  二度目のキャンプを終え
                    小学4年女子の母(兵庫県・2回目の参加)

 私たちにとって、このサマキャンは、人生を変えるほどの運命的なキャンプになりました。
 今年は昨年の初参加キャンプとは、気持ちも全く違い、皆に会える、皆と話ができるうれしさでワクワクしていました。
 どもる娘は2歳からどもり始め、昨年のキャンプに参加するまでの7年間、吃音、どもりということばを全く知らず成長しました。いろいろな所で相談しましたが、下の子が生まれたストレスで優しくしてやれば治ると、どこも同じことを言われました。でも治らない。こんなに優しくしているのに治らない娘にだんだんとイライラしていき、どんどん暗く、苦しくなっていきました。
 そんなとき、吃音ホットラインをインターネットで見つけ、吃音の治し方を教えてもらうために電話をしました。子どもには「その内治るよ」と言い続けてきたので、治っていないことを子どもにどう説明し、子どもと今後どうつきあえば良いのか私はせっぱ詰まっていました。
 「吃音は治らないよ。娘さんに、お母さんはその喋り方をこれまでその内治るって言ったけど、いろいろ勉強したら治らないんだって。間違えたことを言ってごめんねと謝ってあげなさい」
 伊藤さんは言いました。治す方法を聞くために思い切って電話したのに絶望しました。そしてこのサマキャンに誘っていただいたのです。
 初参加のキャンプの初日、笑って楽しそうにしている人が信じられず、死に神みたいな顔をして部屋の隅でボンヤリしていたと思います。そんなとき、同じ部屋の人がどんどん声をかけてくれ、話すたびに泣きまくっていました。
 そしてキャンプを終え、今年のキャンプまでの1年間で吃音を禁句にしていた7年間は一体何だったんだろうと思うほど娘と普通にたくさん吃音の話をし、お互いどんどん楽になっていきました。
 まだまだ悩むこともたくさんあると思いますが、キャンプで力をもらい前向きにがんばっていこうと思います。このキャンプがなかったら私たちは今頃どうなっていたんでしょう?たまにそんなことを考えると恐くなります。


  2年越しの参加が缶コーヒーの味を変えた!?
                      小学2年生男子の母(愛知県・初参加)

 今年初めてサマーキャンプに参加しました。実は、昨年も資料を取り寄せ、申込用紙に息子と私、2人の名前を記入したのに、それを出すことができなかったのです。
 約1年前、1年生の息子が小学校での生活に少しずつ慣れてきた頃のことでした。クラスメイトも登下校グループも、ほとんど小学校に入ってから出会った子どもたち。次第に真似やからかい、女の子たちからは、「なんでそんなしゃべり方になるの?」と聞かれることが多くなっていたらしい。
 夜布団に入ると、シクシクと泣き始め、どもることを真似されたことなど話し出すのです。くやしがったり、怒ってみたり…。
 「言い返したくてもその言葉もつまるから嫌だ!」そして最後に言うのです。「日本の中に一人くらいことばがつまるのを治せる先生がいるでしょ?どんな遠い病院でもいいから連れていって!」と泣くのです。そんな息子の姿に私だって泣きたくなる。でも、必死に涙をこらえ息子へのことばを探す。「悔しかったなあ」「そんな病気や先生がおったらすぐにでも連れて行ってやるのになあ」「でも、そんなあなたが父ちゃんも母ちゃんも大好きだよ!」それくらいしか言えなかった。顔までスッポリ布団をかぶり、泣きながら寝入ってしまう息子を不欄に思った。
 小学校に入学しても吃音が続いている子は自然に治る可能性がかなり低くなることを本で読み、その頃はそのことが私を焦らせていた。治る可能性を信じたかったし、息子にもその希望を持たせてやりたいとまで思っていた。布団に入ったら、楽しい話題で一日を終わらせてやりたかったが、泣く日が目立った。
 そんなとき、インターネットで見つけた"吃音ホットライン"メールを送ると、いつでも連絡してきて下さいと返信下さったので、息子たちを早く寝かせてから電話をかける。泣きながら寝ていく息子のことを話すと、伊藤さんは優しい声でこう言ってくれました。「お母さん、それは辛いよなあ」そして、明るい声で続けられた。「でも、すばらしいことだよ。だって一日の終わりにお母さんに思いっきり弱音を吐いて寝ていけるんだから!」と。いろいろお話した後、「お母さん。息子さんのどもりは治らないから勇気を持って向かい合って下さい」と伊藤さんに言われた。"ドキッ"とした。そしてその時締め切り間近のサマーキャンプについて教えて下さり、ぜひ来て下さいと誘っていただいた。でも、そのとき私はキャンプの説明などほとんど耳に入っていなかったかもしれない。
 「治らないよ」と明るく言われてしまった。数日後資料と申し込み用紙が届き、目を通しまた少し戸惑ってしまう。おやつ、アルコール、携帯電話禁止?コーヒーまで?プログラムにはバーベキューやキャンプファイヤーもないぞ!
 その中で吃音と向かい合わなければいけない。2泊3日である。そこへ、夜な夜な「治してほしい」と泣きながら訴える息子とその息子をどうにかして治してやりたいといつも思っている夫を連れていくのだ。私だって数日前に言われた「治らないよ」でまだ心がザワザワしていた。だから、夫が仕事の都合で参加が難しいと知りホッとした。
 とりあえず息子と二人で参加しようと思った。でも、結局出せなかった。吃音と向かい合うチャンスを見送ってしまったのだ。
 2年生に進級した息子。新学期は私も緊張する。新しいクラスの子どもたちは息子の吃音にどんな反応をするのだろうか。担任はどんな人だろうか。
 吃音について知っているだろうか。2年生の家庭訪問で新卒で笑顔がかわいい新担任が「息子さんはとても元気で少し落ち着きがないので、もう少し落ち着けばことばも治るんじゃないですか」とハキハキと言った。直感した。「私が渡した伊藤さんの本、まったく読んでいないな…」と。
 夜の涙タイムはなくなったものの、息子の吃音は変わらず。いろいろな場面で不便を感じている様子。「オレがバカだからことばがつまるんだ」と自分を責めてみたり、その反面、友人宅へ遊びに行くとき「母ちゃん、オレ作戦考えたんだよ。おじゃましますだと“お”がつまるから、しつれいしますって言うとつまらないんだ。すごいでしょ。オレって天才」と元気に遊びに行った。涙が出た。
 今年こそは息子をキャンプに連れて行ってあげなくてはいけない。日頃息子は「ことばがつまる仲間」を求めていた。親友の名前を出し、「あいつもことばがつまればいいのにな」と笑顔で言う。初めてサマーキャンプについて息子に話した。メインは劇上演だけど、仲間がたくさん来ることにひかれ息子は参加することを決めた。「つまらんかったら来年は行かんからね」と生意気な宣言のおまけつき。夫も苦笑いで2日間の休肝日を宣言した。こうして年越しの初参加となった。次男もなぜか張り切っていた。
 キャンプは、入所のつどい後、廊下の隅でひとつのかばんから、夫と荷物を分ける作業から始まった。別室だとは思っていなかったのです。その横を息子が「じゃあね」と笑顔で走っていった。
 2泊3日、たくさん涙あり、たくさん笑いありのてんこ盛りキャンプでした。私のベスト5。
・たくさんの人と出会い
・伊藤さんの講義
・子どもたちの劇上演
・息子が書いた作文のタイトル『どもる子いっぱい』を知ったとき
・夫の変化
 キャンプからの帰り道、一番最初に迷うことなくコンビニに寄り、夫と缶コーヒーを買って飲んだ。コーヒーってこんなにおいしかったかな。2日間飲めなかったからだけでなく、充実感がそう感じさせてくれてるんだろうなと思っていると、車の後部席から息子が前に乗り出しこう言った。
 「オレ、これからもずっとことばがつまるキャンプに出て、高校生で卒業証書もらうんだ」
 120円の缶コーヒーを極上の味にしてくれた。次男は、保育園で、劇で歌った「巨人の星」や「スーダラ節」を熱唱し、保育士さんを驚かせたらしい。我が家に夏休み恒例のイベントができました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/09

2025年、第34回吃音親子サマーキャンプの日程が決まりました!

第18回吃音親子サマーキャンプをふりかえって 2
2025年、第34回吃音親子サマーキャンプの日程が決まりました!

 
 第18回吃音親子サマーキャンプは、参加者総勢138名。その内訳は、どもる子ども45名、きょうだいたち12名、親44名、スタッフ37名でした。スタッフは、ことばの教室の担当者、病院のスピーチセラピスト、小学校や中学校、養護学校の教師、大学生、成人のどもる人たちで、サマーキャンプの卒業生7名も含まれます。
 芝居は、『チイ姫ちゃんとアントン』、エートリヒ・ケストナー原作を、竹内敏晴さんがサマーキャンプ用に構成・脚本・演出して下さったものです。
 アルコールもおやつもゲームもケイタイも一切なしのサマーキャンプ。自分をみつめ、仲間をみつめるサマーキャンプ。この珍しい空間を、参加者の感想で想像してください。

 来年の第34回吃音親子サマーキャンプの日程と場所が決まりました。
  日程  2025年8月22・23・24日
  場所  滋賀県・彦根市荒神山自然の家

 第18回吃音親子サマーキャンプに参加した、ことばの教室担当者の感想のつづきを紹介します。

  
あのキャンプから2ヶ月過ぎて
               千葉県市原市立有秋東小学校ことばの教室担当者

 あの、心をユサユサと揺さぶられたキャンプからもう2ヶ月も過ぎようとしている。でも、まだつい昨日のことのように、さまざまな場面が浮かび、ジーンとなる。
 滋賀県荒神山での『吃音親子サマーキャンプ』のことは、10年ほど前に知り、いつかは…と思ってはいたが、遠いということもあって、踏ん切れなかった。しかし、昨年から担当していた2年生の男の子が「どもることは、そんなに気にしていない」と言いつつ、ことばの教室に入ると、周囲から見られないように鍵やカーテンを閉める行動が出てきて、「どもる自分は嫌いだ!」と言い始めた。
 サマーキャンプのことを親子に話し、参加を勧めた。忙しいことや遠いことを理由に断られた。熱心に勧めながら、自分はビデオや話で知っているだけで体験していないということ、体験していない者がいくら言っても伝わらないことを感じた。そこで今年こそ!と思ったのである。
 3日間はぎっしりスケジュールいっぱいで初めての者なのに「スタッフ」の一員となり、こんな動きでいいのかとオロオロしながらもその「渦」の中に入っていった。話し合いと劇中心の時間の中に「どもる」ことが当たり前の空気。あ〜、この空気が、どもる自分と向き合い、受け入れていく、肩の力が抜ける空気なんだなあと感じた。
 山の上からの琵琶湖の展望も、このキャンプの象徴のように思った。自分の足で歩き、ちょっと苦しいけど仲間と登り、日本一の湖を眼下にして得られる満足感。
 『チイ姫ちゃんとアントン』の劇。こんなに長く難しいセリフを3日間で…?と思ったが、それも皆で作り上げ、一人一人緊張感と向き合いつつ演じていく姿。それも幼い子から大人までの集団で、力を合わせて。
 こうやってひとつひとつのことを思い出すだけで、ああこの気持ちがまた来年も…と思うんだなあと納得した。
 まさに伊藤一家の一員になってしまうのである。あんなに大勢なのに、あの中に入ったときから「家族の絆」ができるんだなあと思った。この「家族」となる絆は、やはり「吃音」を通して生まれること、そして何より、伊藤さんを初めとするスタッフの、皆を抱きかかえる懐の大きさだと感じている。
 頭に浮かぶ子どもたちの顔の中に、二人の気がかりな女の子がいる。来年また会って「劇の練習をしようね」「今年は舞台に立とうね」と言えたらいいな。

  今も私を支え、後押ししてくれるキャンプのエネルギー
             岐阜県各務原市立鵜沼第一小学校ことばの教室担当者

 多くの親さんが「先生がなかなか吃音のことを分かってくれない」と訴えておられました。私はまだまだ入り口ですが、吃音について知れば知るほど、「子どもたちのために私たち教師はもっと学ばなければならない」と強く思うようになりました。しかし、残念ながらこの一ヶ月間で、特別支援に何年間も携わっている教師達ですら吃音については無理解であることを,知らされました。
 キャンプ翌日の27日、私の勤務する市内で第一回通級指導教室担当者7名の連絡会が開かれました。その中で私は、昨日まで一緒に過ごし語り合ったみんなのことを思い浮かべながら、吃音について訴えようとしましたがなかなかうまく話せません。一人の「だから何が言いたいのですか」のきつい一言で口ごもってしまい、やっとの思いで「みんなで勉強する必要があると思う」と結びました。
 そういう私も、昨年1学期に岐阜大学で廣罵忍先生から吃音について学び、やっと2学期から初めて私の教室で吃音の子を受け入れ始めたばかりで、現在は6名が通級しています。
 そのうちの2年生の子の場合、母親からの話があるまで担任も特別支援担当者も気づきませんでした。真面目な口数の少ない子と見ていたのです。担任はすぐに家庭訪問をし、今まで気付かないでいたことを謝ったそうです。
 別の5年生の子は、チック症状が強く出て何年間も吃音について苦しんでいたにも拘わらず、校内で適切な対応ができず、今年1学期にはとうとう不登校傾向になってしまいました。担任から相談を受け、吃音について私なりに訴えました。その後専門機関に相談したり母親と話し合ったりした結果、2学期は元気に登校しています。
 先日、6年生のある子の学校を訪れた時、学校の見解で「吃音はあるが本人が前向きに生活しているし公的な場でも活躍しているから問題ない」となっていた子がいます。通級はしていませんが昨年度も話題に出されなかったのを私が配慮をお願いして帰りました。確かにまわりにとっては「問題なし」かもしれませんが本当に本人の気持ちを考えたならその一言ではすまないはずです。母親は吃音について触れられないでいるとのこと。
 キャンプで卒業生の皆さんが「中学校が一番つらかった」とか「ありのままの自分を語れる友を持てたから生きられた」と話されたことを思い出し、「心を開いて話せる人を持っているか。来年は中学校に進級するが、よく見守り配慮をしてほしいと申し送らなければならないのではないか」ともう少し深く理解してもらうよう訴えて来ました。
 その後、担任の先生とじっくり話してみると、集団の中で排除されそうな場面があっても良く見守り、自己肯定感が持てるような励ましをしておられることが分かりました。
 この3人の先生のように、子どもの心に寄り添おうと努力している先生はたくさんいます。だからこそ、先生方と吃音について学ぶことができたなら、もっと的確な指導ができ、きっと子どもたちはもっと幸せになれるのに、と思うのです。しかし、現実の壁は厚いです。
 来年1月末には教職員組合の障害児教育部の東海地区大会が岐阜で開かれます。私はその内容についての意見を求められた時、前述の会議の一件でかなり落ち込んでいてためらいましたがサマーキャンプで会った方々の思いに後押しされながら勇気を出してまた同じ事を訴えました。そこでも特別支援担当教師からの否定的な反応もありましたが、司会者の先生が「自分も今まで知らなかったがとても大切なことだと思う。具体的にどうしたいのか」と真剣に受け止めてくれ、私は「伊藤伸二さんを招くなどして欲しい」と訴えました。
 さて、先日私の教室にやってきた2年の男の子の連絡ノートに、担任から「最近、声が小さく元気がなくなってきた」と書かれていました。彼が話すうちにどうしても聞き取れない部分があり聞き返しました。彼は、一瞬悲しそうな表情を見せましたが、すぐに「Dog!」と英語で言い換えて、にこっと笑いました。なるほど、さっきの言葉は「いぬ」だったのか。キャンプでみんなが言っていた"自力で切り開いていく"とはこういうことなのか。だとしたら、彼が前のように大きな声でのびのびと自分の思いを十分伝え切るための言葉を増やしていくことなら私にもできるんだ、と考えたらうれしくなり、「そうそうそれでいいんだよ!」と思わず大きな声を出した私です。
 キャンプで会ったみんなは、今も元気で、伝えたいことを伝え切っているだろうか、とその時もまたみんなのことを思い出していました。
 参加者全員の前向きの大きなエネルギーの詰まった演劇の構成練習の竹内敏晴さんの事前レッスンとサマーキャンプの合計で五日間は、私も前向きでいられるように、こうして今も確かな力で支えてくれています。

  吃音親子サマーキャンプの出逢い
              広島市立五日市東小学校ことばの教室担当者

 私は、今年の4月からことば・きこえの教室を担当している。ここで、初めて『吃音』ということばの意味を知った。今までにも、私は吃音の子ども・吃音の大人の方に出会ったことがあった。しかし、その人たちに出会うたびに正直、「どうして、この人はうまく話せないのかな? 緊張しているのかな?」と思っていた。
 私は、ことばの意味をもっと理解したいという気持ちと、吃音の子どもたちに対して、どのように支援すればよいのか知りたいと思った。そこで、吃音の意味を知る手がかりとして私は、このキャンプのDVDを先輩から貸してもらった。
 DVDを見て、吃音の方々が抱えている悩みや吃音と向き合う姿をみて、私は今まで吃音に対して何も知らなかった自分が恥ずかしくなると同時に、今まで私が出会った吃音の方々に対して思っていたことが、申し訳なく思った。その思いを大切にしたいと思い、実際にこのキャンプへ参加させていただいた。
 今回キャンプに参加して、私が強く感じたことは、キャンプ3日目には、参加者ひとりひとりが自分らしく輝いていることである。吃音の子ども、吃音の子どもの傍らにいる両親、そして様々な立場であるスタッフ…すべての人たちひとりひとりが自分の輝きを、キャンプを通して得ているのではないだろうか。その背景には、キャンプで大切にされている『あなたはあなたのままでいい。あなたは一人ではない。あなたには力がある』このことばが柱となりキャンプが構成されているからだと思う。
 私は、子どもたちの話し合いでは、小1・2年グループに入ったが、私が想像していた以上に、子どもたちは自分の吃音を感じ、周りの友だちへも自分の吃音を発信しようとしていた。吃音をもつひとりひとりの子どもたち、そして大人が、こんなにも自分としっかりと向き合っている姿を目の当たりにした。
 キャンプの閉会式の時に紹介された作文の中で、ある保護者が子どもに向けて送ったことばに心を打たれた。
 「あなたに吃音があるのは、大人になるための肥料だよ」と。
 確かに大人になるにつれて、人は皆それぞれに、自分に向き合い、コンプレックスも見えてきて、悩み、そして乗り越える。多分吃音の子どもたちは、早く自分に向き合う日が来るのだろうと思う。
 自分と向き合うことは、ことばで言うほど簡単ではないし、苦しいこともある。それでも、向き合うことで、目には見えない心の成長があると私は思っている。
 私は、このキャンプを終えて振り返ったとき、全ての子どもたちに、キャンプでの子どもたちのように、自分と向き合える勇気を持ってほしいと思った。
 私は、教育現場を通して、キャンプの柱である言葉を子どもたちに伝えていきたい。『あなたはあなたのままでいい。あなたは一人ではない。あなたには力がある』と。
 最後に、このような大切な思いに気づかせて下さったキャンプで出逢ったすべての方々へ感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとうございました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/07

第18回吃音親子サマーキャンプをふりかえって

 「スタタリング・ナウ」2007.10.21 NO.158 では、第18回吃音親子サマーキャンプの報告を、参加した人たちのふりかえりでしています。紹介します。自分が担当している子どもの指導に役立てたいと、全国各地から、たくさんのことばの教室の担当者が参加します。当初の「担当する子どものために」から、結局は自分のためになったとほとんどの人が口をそろえます。その担当者の声を紹介します。『スタタリング・ナウ』は定期購読者のためのものなので、全て実名で掲載されていますが、今回はインターネットでの紹介なので、実名を伏せ、小学校名だけにとどめました。

 
夏の終わりは、サマキャンで!
 合い言葉になりそうなほど、続けて参加している私たちにとっては、なくてはならないイベントとなった吃音親子サマーキャンプ。今年で18回を迎えた。参加している子どものほとんどが生まれる前から、このサマキャンは存在していたことになる。
 当初は、1泊2日で、参加者も少なかった。何年かして2泊3日になった。参加者が70名を超えたとき、それまでの2倍になったと驚いたが、今はそのまた2倍の140名を超えている。プログラムは、話し合い、劇の練習と上演、作文、野外活動、親の学習会など、15年ほどほとんど変わっていない。スケジュールはぎっしりつまっている。でも、いらないものはないし、大切なものはちゃんと入っている。
 また、参加者のバランスが絶妙だ。初めての人と複数回参加している人が交じり合い、なんともいえないいい空間を演出している。これはスタッフにも言えることだ。初めて参加するスタッフも、何回か参加しているスタッフも、毎回参加している人も、それぞれの役割がある。初めはどう動いたらいいかととまどうこともあるようだが、すぐにその人らしく自然に溶け込んで下さっている。
 2日目の午前中、みんなが作文を書いている時間に、初めてスタッフとして参加して下さった方を対象とした「サマーキャンプ基礎講座」を設定している。サマーキャンプを先入観なしに肌で感じていただいた後、疑問や質問を出していただき、私たちがサマーキャンプで大切にしてきたことを解説する。それらを踏まえてまた、サマキャンの中に入っていってもらう。
 スタッフも、交通費を払い、参加費も払って参加する。何度も参加しているスタッフは、初めは担当しているどもる子どもの指導に生かしたいと思って参加するが、そのうち自分のために参加するようになると言う。自分が楽しく、元気になるから参加するのだそうだ。本当にありがたいことだと思う。
 今年のサマーキャンプ報告は、そんなスタッフ、今年初めて参加したスタッフに焦点を当ててみた。次号では、初めて、あるいは2回目参加の比較的サマキャン歴の浅い親子にスポットを当てて特集を組む予定である。新鮮な感覚を紹介できたらと願っている。

  自分が自分らしくあれて、そんな自分でいいんだ
                広島市立五日市東小学校ことばの教室担当者

 吃音のある子どもを初めて担当した昨年。ことばの教室の担当者として、どのようなことを大切に考えて子どもたちと向き合ったらよいのか、どもる子どもを持つ親をどのようにサポートしたらよいのか…と模索し、悩みながら指導を行っていました。ある日、もっと吃音のことについて学びたいとインターネットを見ていたときに、日本吃音臨床研究会のホームページに出会いました。引きこまれるように読み進めていく中で、吃音についてますます勉強したいと思うようになり、日本吃音臨床研究会が発行する臨床研究雑誌やDVDを購入したりする中で、吃音親子サマーキャンプのことを知りました。
 それぞれの年齢で自分の吃音について向き合い、自分のことばでどもりについて語ることのできる場であるサマーキャンプに大変感銘を受けました。
 そして、今年になり、同じくDVDを見た同僚に、「一緒にサマーキャンプに行ってみませんか」と声をかけてもらいました。「ぜひ!」とは答えたものの、伝統あるキャンプに、経験の浅い私たちを受け入れてもらえるのだろうか…不安な気持ちで問い合わせてみたところ、大変温かく受け入れていただき、このような機会を与えられた喜びに胸を高鳴らせて、当日を迎えました。
 キャンプに初めて参加してみて、私自身語りつくせないほどの思いがありますが、一言で言うなら、「自分が自分らしくあれて、そんな自分でいいんだ」ということを、体験を通して感じることができる場であったということです。
 各年代で行う話し合いでは、私は小学校6年生のグループに参加させてもらいました。スタッフの方々が、「なんかこの場で話してみたいことはあるかあ?」と子どもたちの思いを受けとめ、「そうか〜、それはいやだよなあ。そんなとき、じゃあ、どうしたらええ? みんなで作戦を立てようや」、というスタンスで子どもたちの気持ちに寄り添っておられる姿が大変印象的でした。受け入れてもらえるという安心感のある土壌の中で、子どもたちは、現在悩んでいることや将来への不安など、この場でだからこそ出せることを率直に話し合っていました。子どもたち自身、答えは自分の中に持っていながらも、話をしていくうちに、そのことに自分で気づいていっているように思えました。そして、話し合いが終わった後、それが実りあるものであったことは、話し終えた後の子どもたちの晴れ晴れとした表情が語っていました。
 どもることを通して、自分自身と向かい合い、自分の心を豊かに成長させている…。私自身、子どもたちのそのような姿に学ばせてもらい、未熟ではありながらも「明日からまたがんばっていこう!!」という勇気と活力を与えてもらった3日間でした。初めての参加で、足を引っぱることも多くあったかと思いますが、皆さんに大変温かく受け入れていただきまして、大変ありがとうございました。

  吃音をもつことの強さ
                    広島市立牛田小学校ことばの教室担当者

 吃音親子サマーキャンプに参加してみたい、初めてそう思ったのは5年前でした。
 私は、手相に「あなたは食べ物に対し質を求めるよりも量を求める傾向にあります。」と出るほどの欲張り?です。体型から判断しませんでしたかと確認したくらいですが、確かにこの5年間で、私は、サマーキャンプに対して「知りたい欲」が膨らんでいました。
 参加の原動力となったのは、ことばの教室に通う小学校3年生の男の子の「こんなん(どもってしまう子)他にもおるん?」ということばでした。「待ってましたー」とばかりに答えようとしてふと考えました。自信をもって答えられるほど私は何も知らないじゃないか。やっぱり動きださなくちゃ、潜入調査だ。そして動き出しました。
 今まで貯めていた資料を一気に見直しました。サマーキャンプについて具体的なイメージが広がります。するとむくむく次なる欲が…。2泊3日のこのキャンプ、わが子にも体験してほしいこと感じてほしいことが満載じゃない!
 ある時、小学4年生の息子について担任の先生が、「この子頭は悪くないのに怠け者ですね。本人にも言っているんですよ」とおっしゃいました。なるほど、彼は確かに動き出すまでに、悠久の時がかかります。でも、本当に怠け者なのか? 彼は、「怠けて」手に入れた時間に喜びを感じるより、実行して出た結果に喜びを感じるように見えるのに。それからは、苦手さ、自信のなさ、恥ずかしさ、いろいろな気持ちがめぐる時々に、彼は「どうせ、俺はわからん」と言い、「だって俺怠け者だもん」とまとめます。そうなると前に進むのに倍以上のエネルギーがいることは、本人も母親の私にも実感できます。
 とっかかりが怠け者風でも構わない。実際に取り組むこと、問題と向き合うこと、そして、表現することで得られるすっきり感を息子とともに経験したい。仕事にかまけて子どもたちには迷惑ばかりかけているけど、やっとこの仕事が役に立つ。そう思ったら実行です。
 「スタッフとして何でも仕事をやります。どうか子連れで参加させてください」
 実際、このキャンプのスタッフの方々は、まるでそれぞれ合衆国の州知事がカリスマ性と実行能力のある大統領のもとに集まり機能しているようにバランスが取れ、すばやい動きでキャンプを動かしています。恥かしながら私は、後について歩くのがやっとの働き具合でしたが、私の子どもたちは私の思惑以上に楽しみいろいろなことを感じたようです。2日目に、「吃音って何?」と息子は聞きました。そしていろいろ話しながらキャンプを過ごしました。夏休みの課題の「夏休み新聞」に彼は、サマーキャンプのことを書くと決めました。「劇のせりふを言う時、たくさんの友達が言いにくそうだったのに、諦めないで頑張っててすごいなあと思いました」と書きました。そして、すぐに全部消しました。
 「どもっていても言えたことがすごいと思うのは自分の方が上のような見方だからやっぱりやめる」。そして、「恥ずかしくてもみんなでやってすごく楽しかった。自分は人前で話をするのも、役になって舞台に出るのも恥ずかしくてできなかったけど、ナレーターをして声を出せて気持ち良かった」と言いました。「それはすてきな発見ですてきな気持ちだから、そのまま書いたらいいね」と話しましたが、結局、「新しい友達ができて本当に良かったです」という一文に落ち着きました。
 彼の夏休み新聞は、文章としては味気ないものとなりましたが、彼の表したことばの深さを私は大切にしていきたいと思います。子どもの年齢が増すにつれ、自分と向き合い悩む時を親として共有することは難しいのかもしれません。しかし、このキャンプは、共有の場が土台となっています。その安心感が、子どもたちには生き生きと自己表現する上での支えであり、親としては少し距離を置きながらも共に歩んでいると実感できる場として存在できるのではないか。そんなことを感じながら、今回子連れでの参加を認めてくださったスタッフの皆様に心から感謝しました。
 欲深い私が5年前から持ち続けていた最大の目的は、「なぜ、伊藤伸二さんの講義の後、学生たちは泣き、私は、ファミレスで学生と人生相談会を開かねばならなかったのか」という謎の解明でした。当時、私は、名古屋にある言語聴覚士の養成校で教員をしていました。夏の一番暑い時期に毎年伊藤さんは吃音の集中講義をしてくださいます。シラバスはもちろんありますが、実際にどんな授業が繰り広げられていたのか新入りの私には知る由もありません。ただ、何時間かの講義の後、必ず泣きながら出てくる学生がいて、伊藤さんが颯爽と帰った後の私の仕事が、悩み相談だったことだけは事実です。
 在職していた養成校は大学卒業後の2年課程です。短期間に莫大な量の知識を蓄え、同時にいろいろな作業を進めていくことを求められる厳しい時間です。年齢も個性も背景も本当に色とりどりなメンバーたちは、それぞれに大きなゆさぶりをかけられます。ゆさぶりは知識や技術量だけに向けられません。「どうしてあなたはそう考えたのか、そう考える根拠をしっかりとあらわすこと」を求められます。
 涙した学生には二派ありました。一つは、「君は君のままでいいじゃないか。そんなふうに言ってもらえることは今までなかった。本当に気持ちが軽くなってがんばれそうな気がする」という明るい涙の頑張る宣言派。もう一つは、「私は、何をどう考えていけばいいのか何もかも分らなくなった」と悩みの底なし沼に足を突っ込んでしまう底なし沼派。「言語聴覚士としてやっていけるのか、自分はこのままでいいのか、自分はどうしたいのか…」。自己を見つめようとした時に一番大切な「自分」という存在が見つからない。まるで、ドーナツの真ん中に空いている穴のように心の中心にぽっかり穴が空いている。「自己が見つからない」こんなに不安なことはないだろうと私は感じました。
 なぜ、伊藤さんの授業で学生が泣くのか。謎を解くカギはキャンプにあったように思います。 キャンプの参加者は小学生の時から吃音と真正面に向き合う時を持っています。家族も吃音を持つわが子を通して実は自分自身を見つめる作業を繰り返し行っているようでした。無意識の時からでも強く意識しだしてからでも「吃音」に向かい合う。成長とともに長い時をかけて自分を見つめ、感じたことをことばにしてあらわしていく。向かい合うものがある。向かい合ってみる。その作業に没頭できる時間がありそれを共有する仲間がいる。「吃音を持っていることで生まれる強さだ」私はそう感じました。そして、うらやましくさえ思えました。
 「究極に向き合い続けるものがある」ことの強さを私は自分の母親に感じたことがあります。母は癌でした。脊髄に転移し徐々に動けなくなり、私が仕事を辞めて親元に帰ってすぐに余命数カ月を宣言されました。しかし、母は毎日とても意欲的でした。リハビリや情熱を注いでいる「歌」のステップアップを目指して日々努力をします。ドクターは、「お母さんは自分の置かれている状況を本当に分かってないのでは? まだ治るとでも思っているの?」と言います。余りにもはつらつとして意欲的なため、そろそろ薬を処方して意識レベルを下げ強い痛みをやわらげる時期なのに、予定通りのケアができない。ドクターのボヤキにまあまあ焦らずに行きましょうと答えた程です。
 私は、母が最大限やりたいことをできるよう環境を整えて前向きな母に付き合うことを心に決め、確実に死期が近づいている母が、もし、死を怖いと口に出した時にはしっかりと寄り添わなくちゃなどと現状を受容して、先々の準備もしながら過ごす付添い人のプロにでもなったつもりでいました。入院中、病院が母親の誕生日会を開いてくれることになりました。何か生きがいにつながることをと考えた病院スタッフが、誕生日会で歌を披露しないかと提案してくださいました。しかし、逆効果。母は怒り出しました。「何で自分のお祝いに自分が歌を贈らなくてはいけないの?」私はひやひやしました。しかし、大変心のこもった誕生日会でしたので、よほど嬉しかったのか、母は、「お礼に一曲歌います。」といって歌い始めました。その曲は、「千の風になって」でした。当時はあのCDも発売されてない時でしたので、スタッフの方も私も初めて聞く歌とその内容に衝撃を受けました。
 「私のお墓の前で泣かないでください…」母の前でそれまで泣いた事など一度もなかったのに、その歌を聞いて私は涙が溢れて止まらなくなってしまいました。悲しいというよりも、「あー、やられた。完敗だ。母にはかなわない」という思いだったと思います。自分の方が病状を知り支えていたつもりだったのに、私がとらわれていたことなど母はすっかり踏まえた上で「生きる」意欲を捨てなかったのです。
 発症から10年もの間、母は自分の生と死を見つめていました。再発の時、人生の新しい可能性を見つけた時、家族のことを考えた時、母は必ず、生と死を見つめ立ち止まったのでしょう。そして次のステップに進む。癌であることは、母の人生に転機をもたらしたけれど、母が母であることを変えるものではなく、逆に向き合い進みだすきっかけとなってくれたものなのかもしれない。私がかなわないと思った強さがそこにありました。
 キャンプでも同じような感覚を持ちました。何かの岐路でいつも自己を見つめなおさなければいけない、見つめざるを得ない。等身大の自分を知ること客観的に表すことでつかむ実感は確実に自己の強さにつながるのではないでしょうか。「吃音を持つことの強さ」私はそう感じました。
 ドーナツの穴に気づいた学生たちは、その後いろいろな道を進みました。自己を見つめようとした泣いたあの時は、必ず力になっているだろう改めてそう思います。
 「吃音」を知る以上にいろいろなことを感じられたこのキャンプに参加でき、私の欲は一段落です。しかし、それで終わることはありません。次なる欲(目的)が湧いてきます。でもこれは、私のせいではなく手相がそうさせるのでしょう。
 多くのことを考える機会を下さったキャンプに、そして、伊藤さんはじめスタッフの方々、キャンプの参加者の方々、そして一緒に参加してくれたわが子に感謝します。ありがとうございました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/06

映画「ぼくのお日さま」、いよいよ9月13日から、全国で公開

ぼくのお日さま 絵はがき 奥山大史監督の「ぼくのお日さま」が、いよいよ全国で公開されます。
 カンヌ国際映画祭に出品!というニュースが流れたときも、受賞発表のときも、ドキドキしました。そして、全国公開の9月13日を、心の中でカウントダウンしながら待ちました。

 「ぼくのお日さま」のことは、これまで何度かブログでお知らせしています。奥山監督との出会いは、2022年の吃音親子サマーキャンプに奥山監督が取材のため参加されたときでした。そのときは、まさかカンヌ国際映画祭に出品されるような監督だとは全く知らず、依頼のお電話が誠実で感じがよかったので、「どうぞどうぞ」と取材を受けました。コロナで2年中止となり、その年も開催できるかどうか心配していた年でした。形を変えてでも開催しようと決断したものの、開催前日に感染者過去最多を記録したときでした。一参加者として、自然にその場に溶け込んでいたという印象でした。
 あれから2年と少し、一昨日いただいたメールにも「いよいよですね。本当にここまで、お力添え、ありがとうございました。今、トロントです」とありました。トロント? と思ったのですが、第49回トロント国際映画祭に出品されたようです。
 吃音親子サマーキャンプのあの雰囲気を、監督がしっかりと受け取り、それを映画に活かしてくださったこと、本当にうれしく思います。

 奥山監督と主演の池松壮亮さんとのインタビュー記事をみつけました。朝日デジタルの《キネマの誘惑》というインタビュー記事です。
 そこに、僕たちの吃音親子サマーキャンプのことを監督が語っています。紹介します。

奥山:吃音を取り入れたきっかけは、ハンバートハンバートさんの曲『ぼくのお日さま』に出会ったからです。この曲に惹(ひ)かれて繰り返し聴き入るうちに、主人公のキャラクターがみるみると、この曲の歌詞に登場する「ぼく」に吸い寄せられていきました。とはいえ、吃音は気軽に取り入れて良いものではないので、まず吃音の親子向けのワークショップに参加させてもらって、そこでいろいろな子たちの話に耳を傾けました。その中で、小学4年生の子が「同じクラスの子たちに、吃音について理解して欲しいとか、学んで欲しいとか別に思わない。ただ、放っておいて欲しい」といっていたんです。そんな素直な思いを聞きながら、タクヤにも、全てを肯定して寄り添いながらも、絶対に吃音については触れない親友を隣に置いてあげたら、自分にも吃音が描けるかもしれない、とふと思いました。同性パートナーに関しても、吃音と同様に取材を重ね、資料となりそうな作品やドキュメンタリーを見た上で考えました。どちらも迷いがなかったわけではなく、どのフェーズでも常に試行錯誤でした。


 7月9日、東京での試写会に招待されたので、僕は、全国公開より一足先に映画を観ました。そのときのことをブログに書いているので、再掲します。映画を観た人と語り合いたいと思います。では、7月11日のブログから。

 
カンヌ国際映画祭出品「ぼくのお日さま」試写会 

 「取材で大変お世話になりました映画ですが、近日マスコミ試写会を行うことになりました。もし、宜しければ、取材がどのように映画へと活きているのか、見届けていただければ大変うれしく思います」
 6月20日、そう書かれた、映画の試写会の案内をいただきました。2022年の夏、吃音親子サマーキャンプに取材のために参加した映画監督からでした。
 その映画は、先日、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でノミネートされた『ぼくのお日さま』で、監督は、奥山大史さんです。

 奥山監督との出会いは、2022年夏。次回作の映画に、どもる少年が登場するので、吃音について、どもる人の生き方について、学びたいとのことで、具体的には、その年の吃音親子サマーキャンプに参加させてもらえないだろうかという依頼でした。2022年は、コロナ明けの3年ぶりのサマーキャンプ。その間、新規の参加者はなく、リピーターだった多くの子どもたちは卒業してしまい、参加者もスタッフも何人集まるか、話し合いはともかく表現活動のプログラムはそれまでと変わらずできるのか、そもそも基本的に密な状態になるキャンプが開催できるのか、状況が全く読めない、不安ばかりが募る中で準備をしていたときでした。
 奥山監督のことは全く知らなかったのですが、その真摯な態度に好感を持ち、快諾しました。サマーキャンプ前日に、コロナ感染者過去最多を記録する中、キャンプは予定どおり開催し、奥山さんは、サマーキャンプの2日目から、話し合いの場面、表現活動の場面などを取材されました。僕たちも、さりげなく紹介しただけだったので、特別扱いはなく、一参加者として、吃音親子サマーキャンプの場になじんでおられた印象をもっています。全体で、表現活動のエクササイズをしているときも、その場におられたので、リーダーは、つい指名してしまい、奥山さんも、流れに乗って一緒にエクササイズに参加されていたと、後で聞きました。
 それから約1年半後、映画のエンディングに、協力者として、伊藤伸二と日本吃音臨床研究会の両方を入れたいと連絡があり、完成間近なのだろうと思っていましたが、まさかカンヌ国際映画祭に出品される映画だったとは思いもしませんでした。
 奥山さんと吃音親子サマーキャンプの出会いが、吃音の少年の描写にどんなふうに反映されるか楽しみにしていたところに、試写会の招待状が届いたのです。。
 
ぼくのお日さま ポスター そして、7月9日、東京渋谷、映画美学校の地下1階での試写会に行ってきました。マスコミ試写会なので、100名弱のマスコミ関係者で、ほぼ満席状態でした。なんか場違いの所に来たのかと思っているうちに、映画が始まりました。

 この映画は、雪の降る街を舞台に、どもるホッケー少年のタクヤと、フィギュアスケートを学ぶ少女サクラ、そして元フィギュアスケート選手でサクラのコーチ荒川の3人の視点で紡がれる物語です。
 ネタばれにならないように気をつけて、いただいた資料をもとに、もう少し詳しい紹介をします。

 雪が積もる田舎町に暮らす小学6年生のタクヤは、少し吃音がある。タクヤが通う学校の男子は、夏は野球、冬はアイスホッケーの練習に忙しい。
 ある日、苦手なアイスホッケーでケガをしたタクヤは、フィギュアスケートの練習をする少女サクラと出会う。「月の光」に合わせ氷の上を滑るサクラの姿に、心を奪われてしまうタクヤ。
 一方、コーチ荒川のもと、熱心に練習をするサクラは、指導する荒川の目をまっすぐに観ることができない。コーチが元フィギュアスケート男子の選手だったことを友だちづてに知る。
 荒川は、選手の夢を諦め、東京から恋人の住む街に越してきた。サクラの練習を観ていたある日、リンクの端でアイスホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て、何度も転ぶタクヤを見つける。タクヤのサクラへの想いに気づき、恋の応援をしたくなった荒川は、スケート靴を貸してあげ、タクヤの練習につきあうことに。しばらくして荒川の提案で、タクヤとサクラはペアでアイスダンスの練習を始めることになり…。

 雪が降り始め、雪が溶けるまでの一冬の情景は、どの場面も、とてもきれいでした。雪の白さはもちろんですが、光も効果的で、きれいな映像でした。それに合わせて、音楽も静かに流れていました。セリフは多くなく、ハデな演出もなく、全体として、穏やかで静かで落ち着いた映画でした。最後に、監督がぜひ、この歌を使いたいと思ったという、ハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」が流れました。そのエンディングが流れる中、映画にかかわったたくさんの人の名前の中に、「日本吃音臨床研究会」と「伊藤伸二」をみつけました。

 映画が終わり、会場を出ようとしたとき、奥山さんに声をかけられ、少しお話することができました。プロデューサーとも話しました。「どうでしたか」と聞かれ、僕は正直に率直にこたえました。わずかな時間でしたが、映画好きの僕にはとても良い時間でした。
 映画の中で、タクヤの吃音は特別なものではありませんでした。音読の時間の映像もあり、指名され、ドキドキしながら、タクヤは、思い切って読み始めます。案の定どもってしまいますが、でもそれ以上の描写はありません。どもる少年が音読をしてどもった、ただそれだけなのです。ことさら悲劇的に扱うでもなく、そんな子もクラスにはいるよね、ということのようです。さらりと扱っているなあという気がしました。それは、僕たちにとって、とてもうれしい演出でした。どもりながら話すタクヤが、日常の中に普通に存在していました。家族での食事の場面では、父親が同じようにどもっていました。とりたてて問題にすることなく、よくある話としてとらえられていると思いました。さらりと描いている、それがよかったと感想を言いました。奥山さんは、ほっとした顔をされたように思いました。
 タクヤの友だちとして登場するコウセイ君のことにも触れました。タクヤがどもっていても、どもっていなくても、何ひとつ変わらない友情を示すコウセイ君。監督は、「これは、サマーキャンプで、ある子が「理解してほしいと思っているわけではない。ただ、放っておいてくれたらいい」と話していたのを聞いて、そういう子どもをタクヤのそばに置きたいと思って、その役をコウセイ君にしてもらった」と話されました。
 2年前の2日間の取材の中で、いろいろなことを見聞きし、学んだことが役に立ったと話されました。取材の依頼の真摯なお話、取材当日の真剣なまなざしを思い出しました。そして、あのとき、サマーキャンプに参加していた子どもたちの姿が、映画の中に、確かに活きていたと思いました。

 映画の中で、池に氷が張った天然のスケートリンクで、タクヤとサクラと荒川コーチの3人が滑るシーンがあります。楽しそうです。弾ける笑顔が本当に素敵でした。
 そんな映画の中で、1カ所だけ、気になるセリフがありました。インパクトのある一言だったので、これを後でどう収めるのだろうかと思って観ていました。映画の中で、その最後を収めることはなく、観客に委ねられました。
 
試写会の翌日、取り急ぎ、お礼のメールを送ると、「ご覧いただけて、すっごくうれしかっです。本当にあの取材が大いに参考になりました。感謝しています」との返信がありました。気さくな奥山監督の「ぼくのお日さま」、9月に全国公開されます。ぜひ、映画館に足をお運びください。「ぼくのお日さま」の公式サイトで、最新の予告編を観ることができます。

    「ぼくのお日さま」の公式サイト https://bokunoohisama.com


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/14

どもる子どもたちによる劇づくり〜第17回吃音親子サマーキャンプより〜

 「スタタリング・ナウ」2007.1.20 NO.149 に、今は、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんが『演劇と教育』に書かれた文章を転載しています。《どもる子どもたちによる劇づくり》とのタイトルで、吃音親子サマーキャンプで大切にしている演劇での子どもたちの様子が詳しく書かれています。

どもる子どもたちによる劇づくり〜第17回吃音親子サマーキャンプより〜                             渡辺貴裕 岐阜経済大学講師(教育方法学)

 「ぼぼぼぼぼくにも見せろよ!」
 「そおおおおれから?」
 演じている子どもが、次から次に、どもる。時には言葉が出ず、しばらくの時間が過ぎることもある。しかし、それを笑う観客はいない。子どもも大人も、じっと次の言葉を待っている。
 2006年夏、8月25日から27日にかけて、滋賀県立荒神山少年自然の家にて、第17回吃音親子サマーキャンプが開かれた。参加したのは、どもる子どもとその親、そしてスタッフをつとめる成人吃音者・ことばの教室の教師・大学生ら計143名。劇づくりは、キャンプの活動の柱の一つ。冒頭に掲げたのは、最終日における劇の上演中の一コマである。
 どもる子どもたちが一箇所に集まり、三日間という限られた期間のなかで劇をつくって上演する。こうした取り組みは、国内はおろか、世界的にも類を見ないものである。6年前、私は演出家竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」を介してこのキヤンプに出会った。以来毎年スタッフとして参加している。
 以下では、このキャンプの劇づくりの活動について報告しよう。このキャンプは、吃音という「障害」との付き合い方において興味深いだけでなく、演劇教育全般に対しても、ある問題を提起してくれている。まず、キャンプの概要から紹介していこう。

吃音親子サマーキャンプとは

 「どもっているのは私だけではないということが分かった」
 「みんなどもっていたから話しやすかった」
 「高校生もどもっていたね。ぼくもどもってもいいの?」…。
 キャンプに参加した子どもたちから出される声である。
 キャンプを主催する日本吃音臨床研究会では、吃音を「治す」という考え方をとらない。そうではなく、「吃音と上手につきあう」という考え方をとる。とりわけ、子どもの頃に吃音へのマイナスイメージを定着させてしまわないことを重視している。
 幼児のときには自分の吃音を気にしていなかった子どもでも、学校に入って、自己紹介や本読みのときにつっかえて同級生に笑われたり、しゃべり方を真似されたり、「『あいうえお』って言ってみて」などとからかわれたりして、吃音について悩み始める子どもは多い。また、親や教師に自分のしゃべり方について尋ねても話をはぐらかされ、吃音をタブー視するようになったり、あるいは、「吃音は本人の努力で治る」という俗説を聞いて、一向に治らない自分を責めるようになる子どももいる。多くの場合、子どもは、どもるのは世界で自分だけだと思い込み、一人で悩んでいる。
 キャンプは、そんな子どもたちにとって、仲間と出会い、どもることを恐れずに人と話し、どもりについての経験や考えを交流して、どもる自分を見つめなおす場となる。
 16年前に計50名程度の参加で始まったこのキャンプは、近年では計140名前後を数えるまでになった。
 参加する子どもの学年は小学校から高校まで。吃音の程度はさまざまである。大阪を中心とした近畿圏からの参加が多いが、千葉、島根、山口、九州など遠方からの参加もある。親子での参加が原則であり、親向けにも話し合いや学習会などのプログラムが組まれている。続けて参加している親子が多く、今年は3分の2が2回目以上の参加であった。
 子どもにとってキャンプの活動の柱は四つ。グループに分かれてどもりをテーマに行う「話し合い」、自分のどもりと向き合う「作文教室」、荒神山を登る「野外活動」、そして最後に、「劇の練習」および「上演」である。
 キャンプでは、第1回から劇づくりの活動がプログラムに組まれていた。なぜ、どもる子どもたちのキャンプで劇づくりなのか。
 キャンプの発起人である伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)は、その理由として、自身が小学2年生だったときのエピソードをあげる。秋の学芸会の劇で、伊藤さんは、担任の先生の「配慮」により一方的に、一人でセリフを言う役を外された。これは、伊藤さんにとって、吃音に劣等感を感じ、無口で消極的な子どもになっていくきっかけとなった出来事だったという。
 しかし、伊藤さんのこの"怨念"のみによって劇づくりの活動が17回も続けられてきたわけではないだろう。毎年、子どもたちが、この劇づくりで何かを経験し、得ているのである。キャンプにとって劇づくりの活動を不可欠なものにしているこの「何か」とはいったい何なのだろうか。

サマーキャンプでの劇づくり

 上演する劇は、通して演じた場合に40分程度になるもの。例年脚本を竹内敏晴さんが書き下ろしてくださっている。
 劇は、4〜5つの場面に分けられている。子どもたちは同数のグループに分かれ、グループごとに一つの場面を演じる。上演といっても、「学習室」という広めのカーペット敷きの部屋で行うもの。舞台や幕もなければ照明装置もない。音響も、鈴やたいこを鳴らす程度である。また、本番でも台本を持ったまま演じてかまわない。
 とはいえ、劇の練習時間は、2時間が3回。新たに出会う異年齢の仲間と劇づくりを行うには、あまりにも限られた時間である。
 これを助けているのが、一日目の夜に行われる、スタッフによる劇の上演である。竹内敏晴さんから一泊二日の「事前レッスン」を受けたスタッフが、子どもたちが最終日に上演する劇を、一度演じてみせるのである。演劇には素人同然のスタッフによる上演であり、その完成度は決して高くない。しかし、子どもたちは、一度劇を目にすることで、おおまかなストーリーを頭に入れておくことができる。さらに、大人がどもりながら行う上演を見ることで、「自分たちにもできそうだ」という励みも得ているのかもしれない。
 各グループの劇の練習は、事前レッスンを受けたスタッフが中心となってリードする。同じレッスンを受けているので、子どもに教える際の考え方はある程度共通しているであろうが、特に統一された指導手順があるわけではない。各グループのスタッフがそれぞれのやり方で練習に取り組む。私が属していたBグループの活動を中心に、キャンプでの劇づくりの様子を見ていくことにしよう。

「コニマーラのロバ」

 今年上演した劇は、「コニマーラのロバ」(原作エリナー・ファージョン、脚本竹内敏晴)である。
 ダニーという7歳の男の子が、父親が聞かせてくれた、フィニガンという架空の白いロバの話を信じ込む。ダニーは学校でフィニガンの自慢をするが、他の子どもたちからは嘘つきだと馬鹿にされ、さらにフィニガンがいるはずがないことをいじめっ子によって突きつけられてしまう。ショックを受けたダニーは病気になって寝込む。ダニーの父親と同郷のデイリ先生が、田舎に帰っているとき、懇意になった船乗りの助けを借りて白いロバの写真を撮り、ダニーに送る。受け取ったダニーは徐々に回復して登校し、みなに写真を見せ、いじめっ子の鼻を明かす。このようなあらすじである。
 Bグループが担当するのは、5つに分かれた場面の2つめ。ダニーが父親からロバの話を初めて聞き、ロバに入れ込んでいく部分。ダニーと家族とのやりとりが続く展開である。
 この場面の担当に決まったとき、私は正直なところ、「やりにくいな」と思った。登場人物がダニー、父親、母親、ナレーターの4名しかいないうえに大きな動きがない。ダニーと級友たちが言い争う場面であれば、集団のぶつかりあいやはやし言葉のやりとりで、劇の楽しさを子どもたちに経験させやすいだろうに。さてどうしたものか。
 グループの子どもは12名、スタッフは7名(うち、事前レッスン参加者が私を含めて3名)。練習場所は、12畳強の広さの畳敷きの部屋である。練習は、このグループのなかではスタッフ経験年数が長かった私が中心になってリードした。
 私は、演劇の考え方の多くを、竹内敏晴さんに学んでいる。また、子どもへの実際の指導に関しては、元小学校教師の福田三津夫さんに学んでいる。このキャンプでは、どもる子どもたちを相手にする。しかし、私は、特に吃音を意識した特別な指導方法をとっているわけではない。

1回目の練習(2日目・13時から15時)

 仮の配役を決めるまでに30分近くかかった。12名の子どもを割りふるため、場面を3つに区切り、区切りごとに役を交代するようにしている(さらに、一つめの区切りのダニーと父親はダブルキャストである)。子どもたちに配役の希望を尋ねると、ほとんどの子どもが母親役とナレーター役に集中した。どちらもセリフが少ない役。セリフをたくさん言うのが嫌なのだ。年長の子どもに、「どうしてもイヤだったら後でまた替わったらいいから」と言って、別の役にまわってもらう。
 まず体を動かしてみんなの緊張をほぐしたい。椅子無しフルーツバスケットのような「ヤドカリゲーム」、二人組で移動する鬼ごっこ「ガッチャン」をする。予想以上にみんな乗る。本気で走りまわり、笑いが起きてくる。
 続いて、円形に座ったままでの読み合わせ。意識してほしいこととして一つだけ、「セリフを言うときに、誰に向かって言ってるかに気をつけて、その人に向けて言ってね」と伝えておく。
 まだ誰がどの役なのかも分かっていない段階だ。

まさひろ(ダニー) 「父ちゃん、コニマーラにゃ、何がある?」
渡辺 「ん?父ちゃんってどの人?」

 一つずつ確認しながら進めていく。
 読み合わせを終えて一つ心配したことがあった。2つめの区切りのダニー役のりんたろう(小3)がかなりどもる。文頭で難発(音が出てこない)になる。セリフは9か所。ちょっとしんどいのではないか。役の交代を考えるか。
 休憩時問、役を替わりたい人は申し出るようにと伝えるが、誰も言ってこない。これでいくしかない。
 休憩後はさっそく立ち稽古。今度は、「台本を見ながらでいいから、セリフを言うときには顔を上げよう」と指示する。
 一つめの区切りの母親役のさき。小学2年。伸発(音をひきのばす)の吃音になる。時々声がかすれ、聞きとりにくい。
 さきの最初のセリフは、ほら話をやめない父に対する「おまえさん!いいかげんにしなさいよ…」というもの。しかし、低学年のさきには台本が難しいのか、自分の番がきても気付かない。ダブルキャストで待機中のゆういち(高1)が繰り返し助ける。
 話の流れもあまり分かっていない様子。父の話がうそであること、母はそれに怒っていることを確認する。
 「さきちゃん、さっき話し合いのとき、ゆきちゃんに、『筆箱いじってたらあかん』って注意してたやろ。それと同じ。」
 「おまえさん!」の時に父を手でたたいてみたら?という案が出る。さきは「どこたたいたらいい?」と尋ねる。私は「さきちゃんの好きなところ」と答える。さきはちょっと首をかしげていたが、自分が座っていた座布団をたたきながら「おまえさん!」。案とは違うが、雰囲気が出ていてみな納得。
 この立ち稽古は、おおまかな動きを確認していくだけで終わった。言葉のやりとりをきちんと行っていくのはまだ先だ。次の練習時間は、夕食の後。

2回目の練習(2日目・19時から21時)

 冒頭、スタッフの長尾政毅くん(キャンプの「卒業生」である)がドレミファゲームというのをやってくれる。2チームに分かれて、相手チームに指示された「ドレミのうた」の1フレーズを歌い合う。メロディーがめちゃくちゃになったチームが負け。「ミはみかんのミ〜」などの間違いも飛びだして盛りあがる。歌や、他人と一緒のときのほうがしゃべりやすいという吃音の子どもは多い。よい声出しになった。
 練習は、3つの区切りごとに子どもとスタッフが分かれて行うことにした。1時間後に再び集まることにする。
 みんな戻ってきたら、一度通してみる。そして、子どもたちに、「見ていてよかったところ、なおしたほうがよいところ」を出し合ってもらう。
 感想の出し合いでは、キャンプへの参加が共に7回以上になる中2のなつみと中1のたいきがみなを引っぱってくれた。「相手のほうを見れるようになってきた」「ふたりの会話がなんか平行って感じ。……ちゃんと受け止められてない」。鋭い指摘に、スタッフは感嘆し、他の子どもたちも触発されて感想を出すようになる。やはり、同じ仲間から出てきた意見の方が子どもに響くのだろう。練習の雰囲気がよくなる。自分たちで劇を作っていこうとするムードが出てくる。
 出てきた感想をもとに、立ち稽古を繰り返していく。
 まさとの変化が面白かった。
 まさとは、おとなしい感じの中学1年生。吃音は、時折連発(音を繰り返す)になる程度で、きつくはない。しかし、恥ずかしさが出てくる年頃か、劇に乗り気でなさそう。一つめの区切り、ダニーにほら話を聞かせる父の役である。からだがうつむき加減になり、セリフも棒読み。

まさと(父) 「コニマーラにゃな、北地方で一番青々とした丘があってな、一番真っ黒な石炭がとれてな、……」
渡辺 「ん?これってほんまのこと?」
まさと 「違う」
渡辺 「なんか今のやったら、『新潟では米がたくさんとれて…』みたいに解説してるふうに聞こえるで」

 周囲が笑う。こんなやりとりを繰り返す。

まさひろ(ダニー) 「ロバだって?」
まさと(父) 「うん、ナシの花のように真っ白なのがな」
渡辺 「ん?ちょっと待って。ロバってほんとは何色?」
まさと 「茶色」(※本当は灰色である)
渡辺 「そやんな。白いのなんておるわけないよな。父ちゃんはウソをつくのが楽しくて仕方ないんやな。今また新しいウソを思いついたんやから、その喜びがなきゃ!」

 理解力があるのだろう。言葉で「分かった」と答えるわけではないし、派手に演じてみせるわけでもないが、少しずつ、着実に声が変わっていく。案外心の中では楽しんでいるのかもしれない。「いいね!」とほめると、はにかんで笑う。
 時間いっぱいまで練習が続いた。「できたら明日までに台本を読み返しといでね」。そう伝えるが、子どもたちは部屋に戻ったら学年が近い友達とのおしゃべりがあるだろう。多くを期待はできない。

3回目の練習(3日目・8時半から10時半)

 上演前の最後の練習。途中、本番で使う学習室に移動しての「リハーサル」(一グループあたり20分)がある。
 まずはウォーミングアップ。手首をプラプラ振ったり、体を上下にバウンドさせたりするのを真似してもらいながら、体をほぐす。さらに、体をバウンドさせた状態から「ヤッ」「ワッ」などと掛け声をかけてポーズをとるのを、後についてやってもらう。それから、声出し。のどを開けるために、あくびの真似をしてもらう。渡辺「ふわーあ」、子どもたち「ふわーあ」。……あまりうまくいかない。次に、窓の外に見える荒神山に向かって、「父ちゃーん」と呼びかける。渡辺「父ちゃーん」、子どもたち「父ちゃーん」。「それじゃあ父ちゃん聞こえないで、もう一度!」「父ちゃん山の頂上まで行った。昨日登ったところ。そこまで声を届けて!」。そうやってけしかけると、グッグッと声が出るようになっていく。
 リハーサルまで時間がないので、区切りごとにグループに分かれてそれぞれでおさらい。学習室に移動して、リハーサル。時間が限られているのであわただしい。部屋に戻って感想を出し合い、それをもとにもう一度最初から稽古。
 時々言葉が出てこなくなるのが気がかりだったりんたろう。2つめの区切りの、ロバの話をもっと聞きたくて、仕事に戻る父についていくダニーを演じている。しかし、どもって間が空くことを恐れるのか、次のセリフ次のセリフへと急いでしまう。

りんたろう(ダニー) 「………お、おれ、それに乗れる?」
たいき(父) 「乗れねえでどうする。」
りんたろう(ダニー) 「か………けるの、早い?」

 父のセリフの時にはもう目が台本に向いている。しかし、考えてみれば、ここはいくら間が空いてもよいのだ。ダニーの頭のなかがロバについての想像でいっぱいになって、父にもっと話を聞きたくなる。関心の焦点がロバに向いてさえいれば、間の長さはまったく問題にならない。
 私自身これに気付いていなかった。直接りんたろうに説明しようかと思ったが、やめた。「いくらどもってもいい」と言うよりも、やりとりを体験してもらうほうが得策だろう。ひとまず、「ダニーは父ちゃんの答えを知りたいんだから、もっと聞いてね。台本は後で見たらいいから」と伝える。ダニーと父とのやりとりのなかで、電車通りの手前で父と別れたダニーが、通りを渡っていく父に「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所がある。舞台上ではダニーと父の距離はほんの数メートルしか離れていない。

渡辺 「これ、舞台ではこんだけしか離れてないけど、ほんまにそうなん?」
りんたろうは首を横に振る。
渡辺 「じゃあ、あのへん(窓の外の茂みを指さす)に父ちゃんがいると思って呼びかけてみよう」
りんたろう(ダニー) 「と、とうちゃーん、……とうちゃーん」
父役のたいきに、今ので振り返れそうか尋ねる。
たいきは首をかしげる。もう一度挑戦。
りんたろう(ダニー) 「と………とうちゃーん、……とうちゃーん」

 驚いた。すごい迫力だ。練習を重ねるうちに、たいきのほうが押され気味になる。私は、りんたろうにはこの役は厳しいのではないかと思っていたことを恥じた。自分のほうこそこの場面の勘所を理解していなかった。
 一部分を取りあげて濃密な稽古を繰り返していると、出番がない小2のさきとかえでの集中が途切れてきた。他人の稽古を見ずにふたりで遊びだしてしまう。
 仕方がないので、全体での練習はここで打ち切り。残りの30分ほどは、「自主稽古」してもらうことにした。いつも間違える箇所の練習をしたり、どうやったらロバに入れ込むダニーになれるか友達と相談したり、ブリッジしたまま歩いて(!)遊んだり、寝転がって休んだり、いろいろだ。あとは本番を迎えるのみ。

上演本番(3日目・10時半から12時)

 子どもたちによる劇の上演に先立って、親による出し物が行われる。数グループに分かれた親が、集団で動きながら、全身を使って、詩を表現する。今年は、工藤直子の『のはらうた』シリーズより。普段見ない親の姿に子どもたちが沸く。最初のほうは親にもまだ恥じらいがあるようだ。しかし、子どもたちも劇の練習をがんばっているという意識と、他のグループのウケる様子が、親たちをふっきれさせるのだろう。出番待ちの親から、「これ、思いっきりやったほうがええみたいやで」というつぶやきが聞こえてきた。
 そして「コニマーラのロバ」の上演。まずはAグループからだ。
 毎年感じることだが、本当に観客があたたかい。子どもたちはもちろん、親も、自分の子どもであるか否かにかかわらず、演じている子どものちょっとしたやりとりや仕草に笑う。
 Aグループの場面が終わる。いよいよBグループの出番。
 まさひろ(ダニー)とまさと(父)のやりとりから始まる。父に「(コニマーラには)ロバがいる」と聞かされたときのダニーの「ロバだって?」の驚きようがいい。ふたりのやりとりが続いた後、無関心そうにちょんと座っていたさき(母)の「おまえさん!いいかげんにしなさいよ」というセリフが入る。観客は意表を突かれて、笑みがこぼれる。
 りんたろう(ダニー)とたいき(父)のシーンへ。りんたろうが「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所。2回目の「父ちゃーん」の出だしで詰まり、声が出てこない。りんたろうの体がこわばって震える。数秒の静寂が流れる。
 「……、……、と、父ちゃーん」
 出た!それを受けとめたたいきが振り返る。ゾッとするほどのリアリティーだ。集中を切らさず待っていたのが、さすがだ。劇の全体から見れば、ここは地味な部分である。しかし、私にとっては、とても印象的な瞬間だった。
 Bグループの上演は、なつみが、実在しないロバに夢中になってしまったダニーを見事に演じきって、幕となった。部屋は大きな拍手で包まれた。

キャンプを通して見る演劇教育の意義

 今年の上演も、各グループの子どもたちがそれぞれの魅力を存分に発揮していた。最初はセリフが多い役を嫌がったりしていた子どもたちである。それが短い間に、全員ではないにせよ、演じることを楽しむようになる(Bグループでセリフの多い役へ移ってもらった数名も、上演後尋ねると、「(この役で)よかった」と言っていたらしい)。なかには、福岡までの帰りの新幹線でずっと台本を読んでいたという子どもや、家に帰ってからも友達と台本で遊んでほとんどのセリフを覚えてしまったという子どももいる。そこまでいかなくても、劇をするのが嫌ではなくなる子どもが大半である。
 それでは、彼らにとって、劇づくりの活動の魅力は何なのだろうか。劇づくりの活動は、どもる子どもたちにいったい何をもたらしているのだろうか。
 それは一つには、自分にも人前でしゃべる力があるんだという自信である。かつて小学4年生の女の子が作文にこう書いた。
 「いやなことでは、本読みのときです。本当は、じょうずに読めるのに、どもって読めません。…ふしぎなことに、一人で本読みなどしていると、どもりません。どもるときとどもらないときがあって、自分がちゃんとしたいときにどもり、そこがすこしいやでたまりません。」
 言い換えができない言葉をしゃべらなければならない場面に苦手意識を持っている吃音の子どもは多い。単にどもるだけでなく、そうした場面を避けるべく、授業中発言しなくなったり、あるいは、「どもったらどうしよう」と意識することによってかえって、より苦しいどもり方をするようになっていったりする。そうした子どもにとって、セリフがある役を人前で演じきって観客や仲間に認められることは、「どもるからといって何もできなくなるわけではない」ことを実感し、「できない自分」という意識を変えるきっかけとなり得る。しかし、劇づくりの活動がもたらすものはこれだけにはとどまらない。
 どもる子どもは、しばしば、特に年齢が上がると、話している相手よりも自分のしゃべり方に、つまり、自分がどもらずしゃべることができているかにもっぱら意識を向けてしまう。話している相手に、「なんでそんなしゃべり方なん?」「それ治らへんの?」と繰り返し言われてきた経験がそうさせるのだろう。また、吃音は、自分がしゃべりさえしなければ、隠すことができてしまう「障害」である。そのため、吃音に対して否定的な捉え方をもっている子どもは、時に、しゃべることを避け、人とかかわることを避けるようにもなっていく。
 こうした子どもたちにとって、劇づくりの活動は、相手の言葉をしっかりと受けとめ、自分も相手に確かに働きかけることを試み、その喜びを経験する場となり得る。キャンプの劇では、どもっても笑われないし、せかされないし、「見栄えのよさ」も求められない。ただ純粋に、劇の世界のなかで、人とまっすぐにかかわることを追求することができるのである。
 このことは、演劇教育の本質を考えるうえでも、示唆に富む。
 残念なことに、今でも、演劇といえば教師によって決められた話し方や動作を「上手に」(多くの場合、それはオーバーで不自然な演技であるのだが)行うものであるという考えが、教師の間にも子どもの間にも根強く存在する。そうした「決められた話し方や動作」の基準から見れば、どもる子どもは多くの場合、「上手に」はできない。
 しかし、キャンプの劇づくりの活動が示しているように、どもる子どもにも劇を楽しむことができるし、観客の心を打つ劇をつくりあげることもできる。この事実は、演劇教育の本質が、単一の外形的な尺度に基づいた上手さの達成にあるのではなく、人とまっすぐにかかわるという行為の経験そのものにあることを示している。
 考えてみれば、どもらない子ども(および大人)の場合であっても、演劇活動のなかで、相手の言葉を受けとめ、相手に働きかけることが必ずしもできているわけではない。ただ、外形的な上手さの追求が比較的容易にできてしまうため、それに気付かずにいるだけなのだ。このキャンプの劇づくりでは、そうしたごまかしが通用しない。ただひたむきに、人にからだと言葉で働きかけること、他人からの働きかけを受けとめることを追求する。それは決してラクな作業ではないが、それこそが、からだの芯からの喜びと上演時の強烈な魅力とを生みだすことになるのである。
 演劇教育は、うまく話せる子どもをもっと見栄えよく話せるようにするためのものではない。このことに、吃音親子サマーキャンプの取り組みはあらためて気付かせてくれる。

※キャンプ参加についての問い合わせは、日本吃音臨床研究会事務局まで。
電話 072-820-8244
日本演劇教育連盟と晩成書房の許可を得て、転載します。
(日本演劇教育連盟編『演劇と教育』晩成書房、第590号、2006年12月、36-45頁)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/09
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード