伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音臨床

新たな吃音臨床への招待 3 ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

 昨日のつづきです。2012年8月に行った第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の2日目の報告です。この日、昼食後の実践講座が圧巻でした。この吃音講習会の名前が「親、教師、言語聴覚士のための…」となっているのにふさわしい時間でした。参加するだけでもハードルが高いであろう臨床家のための講習会で、初めて参加して、突然、僕と公開の対話をしませんかと言われて、簡単には登壇できるものではありません。それを押して、登壇してくれた3人の保護者に敬意と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 保護者は、これまで聞いていた、あるいは信じていた、吃音に関する話とはまったく違う話を1日目に聞き、そうだったのか…と思いつつ、やはり治るものなら治してやりたいという親心が消えない、その正直な気持ちをすなおに、みんなの前で語ってくださいました。公開相談会となった、大勢の参加者の前でのやりとりを通して、保護者に変化が現れるのを、参加者が温かくそっと見守りました。そうして、会場の参加者が、登壇者を、そして、この時間を支えてくれました。
 すべてのプログラムが終わって、最後のティーチイン。通り一遍の感想とは全く違うひとりひとりの語りに、心を打たれた時間になりました。

新たな吃音臨床への招待 3
    ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
   坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

2日目シンポジウム(ミステリー・ツアー)

 前日のグループの話し合いの報告と、質問の時間。初日の伊藤さんの話を初めて聞いて、自分がそれまで依拠していた訓練や考え方との根本的な相違に混乱する、言語聴覚士からの戸惑いの声が紹介されたが、伊藤さんは吃音をコントロールするための言語訓練と吃音を認めることの両立は可能かの質問に、議論を繰り返した結果、両立はしないこと、世界のどもる人のほとんどはどもりながら手持ちの力で生きているという否定できない事実の中で、どもることに不本意なまま生きるのと、どもる覚悟を決め納得しながら生きるのとでは全然違うのではないかとコメントした。
 シンポジウムのメンバーはことばの教室の教員として奥村寿英さん、渡邉美穂さん、高木浩明さん、溝上茂樹さん、現在は通級指導教室担当の佐藤雅次さん、言語聴覚士として野原信さん、どもる子どもの親として私、坂本英樹、当事者としてNPO法人大阪スタタリングプロジェクト会長の東野晃之さんである。この企画は当初、それぞれが実践発表してから論議する予定だった。それを急遽変更し、シンポジスト個々の実践、提案の詳しい内容は事前資料に譲り、それを前提に吃音の臨床にとっての「語りの実践(ナラティヴ・プラクティス)」のもつ意味を伊藤さんを道案内役として語り合う、どこへたどり着くか分からない、ミステリー・ツアー、大喜利となった。
 ナラティヴ・アプローチはまず、問題と人を分け、問題そのものを外在化、目に見える形にして考察するところから始まる。東野さんは吃音に悩んでいた頃はその問題をどう整理したらいいのか、自分の中の否定的な思いをどう語ればいいのかがわからず、セルプヘルプグループに参加しても当初は話ができなかったと述懐し、問題を明らかにする、取り出すためには自分を分析する、語るための小道具が必要なのではないかと示唆した。
 ことばの教室の教員もその小道具を自らの実践の入り口に置いている。奥村さんは子どもに吃音について知っていること、わからないことを紙に書いてもらう学習活動を始め、高木さんの実践は積み木で言語関係図をつくることや吃音氷山を描くことを通じて、子どもが形、大きさ、重さを感じることができるだけでなく、それらが変化することまでの洞察を含んだものだ。渡邉さんは「どもりカルタ」が子どもが心身を働かせながらの自分の気持ちの確認になること、さらには自分自身のどもりカルタをつくることで表現する力、伝える力を身につけることができるとして、カルタを友だちに見せて自分のことを語る子どもの姿を紹介。人と人とを結びつけるどもりカルタの可能性を提示した。溝上さんの絵を書いている子どもといろいろ語るという話は、要項表紙のどもりキャラクター「もっちい」の絵に私たちの目を釘付けにした。どれも外在化の好例だ。
 ここで、会場の当事者からまだ語られていない物語を聞くという「聞く」は、AAなどのアノニマス(匿名性)のセルプヘルプグループの原則である「言いっ放し、聞きっ放し」の「聞く」とどう異なるのかとの質問が寄せられた。語りは語りと出会い、対話となることを要請する。教員、言語聴覚士も自己を語らなければ子どもとの対話は成立しない。伊藤さんはナラティヴ・アプローチでは相手に対する「好奇心に支えられた対等な語り合い」から、新たな物語が紡ぎだされるという意味で、「共著者」という考え方を紹介した。傾聴という受容的な聞き方との相違は明らかだろう。
 野原さんからは言語聴覚士として結果を性急に求めてしまう自分がいるとの話があったが、語りが熟成されるのを待つのも、ひとつのスキルである。聞き方を学ぶ、質問の仕方を修養することが語りを豊穣にするための要件なのである。これからその課題に取り組もうとして、伊藤さんは「ナラティヴ元年」を宣言する。
 当事者の発言がこのシンポジウムを構成した。当事者こそがその問題の専門家なのである。

実践講座「親の公開相談会を通して、親との関わりについて考える」
3名の保護者と伊藤・高木・渡邊さん

 昼休憩の時間は、第11回(2000年)の吃音親子サマーキャンプの記録を上映した。竹内敏晴さんが子どもたちにレッスンをしている映像は貴重なものだ。映像の中のかつての自分と対面した何人かの人に当時の思いを振り返ってもらった。
 公開相談会は、親として子どもとの関わりをどう考えるのか。教員、言語聴覚士にとっては保護者の思いをじっくり聞く経験になること、また保護者と対話をする伊藤さんの姿を話し方、聞き方のひとつの事例として参考になればとの思いからの企画である。前日のグループの話し合いで、「やはり子どもの吃音を治したい」との思いを持ち続けるお母さん、初めて参加したお母さん、吃音親子サマーキャンプ経験のあるお母さんの3人に、当日公開相談会にしてもいいかと提案し、それを受けて下さった3人にまず感謝したい。
 自己紹介を兼ねての子どもの話から始まった。小学1年の男の子をもつAさんはそのうちに治るだろうと思っていたのだが、学校医に「吃音はほっておいてはいけない」と促され、療育センターの言語聴覚士を訪ね、そこですべての生活場面で「わーたーしーはー」とゆっくり話すという統合的アプローチを指導された。しかし、毎日の生活の中でその話し方が維持できるはずもなく、治らないのはそのせいかとも考えてしまうという。この講習会では初めて聞く話ばかりで驚きと戸惑いの連続だったが、肩肘張って治そう、治そうと思わなくてもよいのかと少し楽になった。しかし、夫の吃音が小学4年の時に治ったので、その父親の子どもだから、治ることへの期待を捨てきれないと揺れ動いている気持ちを率直に話してくれた。
 Aさんは子どもにゆっくりと話しかけ、嫌がらなければ訓練もしたいとの考えがあることに、伊藤さんは子どもとのゆったりとした時間をもつことは大切だが、親の治るかもという期待は子どもを傷つけることになる、吃音に対する親の否定的な思いがちょっとした表情となり、子どもに罪悪感をもたせ、親の前で話すことを避けるようにさせてしまうのではないかと応じ、高木さんは幼い子どもでさえ親の思いは敏感に感じ取るものだと述べた。当事者で教員でもある佐々木和子さんもどもるのがつらいのではなく、治るという思いで見つめられること、治らないのはかわいそう、劣っていると思われることがつらかったという。治るはず、かわいそうというまなざしで傷つくのだと体験を語った。
 また、Aさんは「治らない」と言うことに子どもが傷つかないか心配だと話した時、たとえ傷ついたとしても、そこから手持ちの力で立ち直るのは成長のプロセスとして必要なことだろう。担うべき課題は子ども自身が担わなければならないのだろうと、まさに、ナラティヴ・アプローチ的な対話が展開していった。
 Bさんが語ってくれたのは吃音をサバイバルする話である。Bさんの家族は小学5年の男の子の吃音に関わるエピソードを笑い飛ばす日常を送っているという。ナラティヴ・アプローチではユーモアのセンスを大事にする。ユーモアはその状況を違った角度から見ることで生まれる高度なサバイバル・スキルであり、ドミナント・ストーリーの外に出ることを可能にするものだ。彼はスポーツに親しむ少年として成長しているが、母親としてはこれからの受験、就職、結婚までのことを思うと心配は尽きないから、今回参加したという。
 この話を受けて、Cさんがマイクを握った。二人のどもる子ども、中学3年の男子と小学4年の女の子のお母さんであるCさんは吃音親子サマーキャンプにも継続して参加し、吃音を通して子育てを見つめてきた保護者である。Cさんはどもり自体に対する否定的な意識はなかったが、からかいなどの二次的な問題は気になることとして考えてきた。Bさんと同様、得意なスポーツをもってほしいとの願いから彼に剣道を勧め、習わせたのだが、それは学校以外のつながりが彼の支えになることもあるとの思いからだ。中学に入ると親が提供した選択肢からではなく自分の好奇心、価値観からやりたいことを見つけてきた彼は音楽部に入り、居場所を拡げている。確実に自分をつくっている彼のことを輝きが出てきたと感じている。
 小学4年の女の子は兄の場合とは違う課題があるかもしれないが、時が来たら心配し、悩んでいこうと、そう考えられるようになったところに親としての成長を感じるとCさんは語る。
 親の成長ということに関して、渡邉さんは自分が人生を楽しむこと、その姿を見せることが子どもが人生を切り開いていく力につながる、何事かを為していく子どもの姿を信じようと親としての思いを語り、伊藤さんは障害や何らかの課題をもつ子どもの親として大切なことは何かと問いに、親自身が自分の人生を楽しむこと、子どものためにといって自分の人生を諦めないことだと答えた。社会の圧力、世間の目というドミナント・ストーリーを内面化し、子どもの犠牲になるとやがては我が子を恨むことになるかも知れない。それは子どもにとっても不幸なことだ。親の人生が拡がれば子どもの世界も拡がっていくのである。
 3人の子どもの年齢も、タイプも違う保護者の率直な生の声が対話を繰り返していく中で変化していく様子を聞けた、貴重な時間だった。

ティーチイン「2日間をふりかえって」

 2日間、私たちは実によく語り、よく笑った。最後は輪になっての全員の感想の交換である。通常、研修会などの感想は、「勉強させていただきました」という形だけのものになるのだが、次々と語られたのは「楽しかった」、「この場にいることが心地よかった」の言葉だった。その中に、これまで誰にも言えなかったことを、今語らなければと決断した勇気ある自己開示があった。参加者全員でつくりあげたこの場を信頼してくれたからだろう。どもりというテーマがいろいろなところで生き難さを抱えている人とも出会えるものだということを教えてもらうことができた。感想の交換が、交感、交歓へと変化していく時間はこの場がナラティヴ的な空間であることの証明で、それは得がたい体験だった。(「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/14

新たな吃音臨床への招待 2

11年という年月を経て始まった吃音講習会のシリーズ2、今年は12回目となり、7月26・27日、千葉県柏市で開催しました。その報告は、日本吃音臨床研究会のブログや伊藤伸二のブログ、Facebookなどでしています。
 今、紹介しているのは、シリーズ2の第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。このときのゲストは、奈良女子大学名誉教授の浜田寿美男さん。講演のタイトル「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」は、僕たちと深く強く共感するものでした。
 浜田さんの講演と、この吃音講習会の顧問である牧野泰美さんが司会をしてくれた浜田さんと僕の対談など、吃音講習会1日目の報告です。(「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218)

新たな吃音臨床への招待 2
    ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

  講演「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」
                   奈良女子大学名誉教授浜田寿美男さん

 発達心理学が専門である浜田さんは講演冒頭、先輩である岡本夏木さんの「なにか迷った時には少数派につきなさい」という言葉を私たちへのエールとして送ってくれた。多数派は流れに乗るだけで済むから思考停止に陥り、ドミナント・ストーリーにはまり込んでしまう。一方、少数派は常に自らの根拠を考え続ける必要があるので、物事を明らかに見ることができるとの意味であろう。
 浜田さんの考える場は、障害をもつといわれる子ども、とりわけ自閉症などの発達障害をもつ子どもたちとの関わりのなかにある。そのなかで形成された浜田さんの「発達観」は動物学者の日高敏隆氏の言い方を援用すると「すべての人間たちの生き方は、赤ちゃんも幼児も、子どももおとなも、なんらかの障害をもつものももたないものも、すべて等価であり、一つのパターンの論理のなかでは、そこに発達のものさしをもちこんで、その上下、遅速を論じることはできるかもしれないが、異なるパターンの論理(生きるかたち)に優劣はつけられない」(2007「障害と子どもたちの生きるかたち」岩波現代文庫)というものである。右肩上がりの発達観が主流のなかでは伊藤さんと同様、浜田さんも少数派といえるだろう。
 長らく勤めた福祉系の学科をもつ花園大学での学生との出会い、交流も浜田さんにとっての考える場であった。30年以上も前のこと、脳性まひの学生が入学してきたが、構音がはっきりしないことから友人の輪の中に入れずにいた。しかしある時、意を決して友人の輪に飛び込んだところ、1、2ヶ月もするとお互いの会話に何の問題もなくなった。学生が言語訓練をしたわけではない。はっきりしない発音のまま、友だちに何とか伝えようと手持ちの力をやり繰りし、友だちもまた聞き取ろうと努力するなかで、お互いの力が発揮された。友だちとの学生生活という場があって伝える力が育まれた。彼らの「人どうしの関係の網の目」が形成されたのである。力は生活のなかで使ってはじめて根を下ろす。しかし、学校的文脈では「力を身につけて将来に備えましょう」の言説が支配的である。浜田さんはそれを「錯覚」と表現する。私たちの社会を覆う大きなドミナント・ストーリーのことである。
 現在、大阪・高槻市在住の50歳を超えた、自閉症の症例の関西第1号と言われた人のエピソードも興味深い。彼が自閉症と判断された当時は小児科医も文献のうえでしか知らない時代だった。彼は地元の普通学校に通い、母親であるUさんは「高槻自閉症児親の会」のリーダーを長く務めた。地域と関わって生きてきた人たちだ。
 そのUさんがある時、浜田さんとの会話で「自閉症は治ってもらったら困る」と語った。自閉症が風邪のように薬を飲んで治るのなら、治ってもらってもいいが、どれだけ多くの親が次々と出てくる新薬開発という曖昧な情報や最新の理論や脳科学に基づいた療法に淡い期待を寄せ、その度に引きずり回されてきたことだろう。Uさんは自閉症は治るという次元のものではないと十分にわかったというのだ。しかし、これ以上の理由が治ったら困るという考え方の背景にはある。
 治るとの思いで子どもをあちこち引き回し、いろいろな療法、訓練に励むことは、いまのこの子のありのままを否定する、この子を差別することに等しいのではないかとUさんは語る。「生き方」というような自分で選べる観念的なものではない、その断念、諦めの中から家族や他者との、他者や環境との双方向的な関係の中から、かろうじてそうでしかありえないものとしての「生きるかたち」が織り成され、私たちはそれを選んでいく。この子のありのままを、変えようのない与えられた条件を引き受けて生きるとはそういうことである。
 自傷、他害行為のあった彼に噛まれた同級生の女の子は、あわてるUさんに「この子が噛むのは言葉みたいなもんだから」と言ったという。その小学校の同級生は彼とともに生きる場の中から、このようなスキルを身につけたのだろう。浜田さんは「発達障害バブル」という表現で、現在の特別支援教育のあり方に危機感を表明している。支援という名の排除や囲い込みが進めば、このような豊かなスキルを、互いに身につける機会を私たちは奪われることになってしまうだろう。
 浜田さんが語ることは伊藤さんが吃音について語る論理と同じものだ。親、教員、言語聴覚士がただ治したいという思いで接する時、それは子どものありのままを否定していることになる。「私は私のままでいい」という自己肯定、つまり吃音肯定から吃音とのつきあいが始まる。

対談「治す文化に対抗する力」浜田寿美男VS伊藤伸二
    司会 国立特別支援教育総合研究所 牧野泰美さん

 司会の牧野さんは特総研では言語障害教育の研究のかたわら教員研修を担当し、各地のことばの教室の教員との出会いを多くもつ人だ。冒頭、牧野さんはどもりが体質のようなものだと考えれば、改善ではなくどう引き受けるかの課題ではないか。しかし、親や教員や言語聴覚士はどもりに対して無力な自分であることが認められない、何かできる自分でありたいとの思いをもち、それが「治す」ということへ駆り立てているのではないかと指摘し、専門性や専門家のあり方が問われていると対談のフレームを提供した。
 浜田さんは私たちの人生に準備の時間はなく、次のステップをにらみながらいまを生きているのではないこと、手段を整えてから話すのではなく、その時の手持ちの力でしか話すことはできない、スキルではなく何を伝えようとするかが問題なのだとの主張を対談でも強調した。それはどもりながらも日常を丁寧に送る中で、いつか自然と「吃音は変化する」、しかし、その結果を目標にしてはならないという伊藤さんの考えと通じる。訓練室・治療室では確かに吃音のコントロールは可能だろう。しかし一歩外に出た日常の世界ではそれは何の効果もない。サバイバルする中で、生きる場の中でしか言葉は育まれない。だから、日常に出て行くことを促すことがことばの教室の教員や言語聴覚士の仕事なのではないか。
 伊藤さんは吃音を生活習慣病に例える。吃音を言い訳に日々の、ひいては人生の課題から逃げたりすれば、その症状は悪化するという。浜田さんも逃げたり、隠したりすることの弊害を指摘し、幼い頃、事故から右手の4本の指を失った女性の話を紹介した。不憫、かわいそうと思った母親は彼女を守るつもりで、世間の目に触れないようにと手編みの手袋をずっと与えたのだが、それはその手のありようを隠すべきもの、否定すべきものとして母親が裁いていた、差別していたことに他ならない。そして彼女自身もそのドミナント・ストーリー、価値観を内面化していった。学生時代、そのありように疑問を持ち、手袋を外した彼女は顔から火が出るような差恥を感じ、世間の目を意識したのだが、それは彼女自身の目であったのだ。この物語から彼女が出ることができたのは、卒業後勤めた通所授産施設で手に関して、遠慮なく質問されたり、触れられたりといういろいろな反応を受け、さらに母となって子どもの手を引いたり、引かれたりという中で、ありのままの自分として生きた日々を過ごしたことによる。
 伊藤さんは吃音をコントロールすることを教えられるということは、吃音に対しての否定的なメッセージになるという。隠し続けることがどれだけ生きづらいことか。専門家は当事者の苦しみに無知であることを自覚すべきだと浜田さんも言う。言語聴覚士や教員はドミナント・ストーリーの代表者としてではなく、いまここにいる子どもを支える専門家として存在して欲しい。そのためにもナラティヴ・アプローチでいう、「無知の姿勢」に立ち続け、子どもの声を丁寧に聞き、子どもの疑問にも正直に丁寧に答えて欲しい。たとえば、治したいというニーズをもつ子どもに対して、展望のない訓練や専門家自身は決してしない方法を示すのではなく、「私は治せない」となら言えるのではないか。そのうえで「楽に声を出す」ことなら一緒に取り組むことがあると提案できるはずだ。専門家として情報を提示したうえで子どもと向きあうこの対等の姿勢からは、きっと子どもとの間に対話が生まれることだろう。
 伊藤さんは吃音を意識させない方がよいというドミナント・ストーリーに対して、吃音の早期自覚教育を提唱する。真実を先送りにすることは専門家としての倫理にもとる。子どもとの最初の出会いを大切にして欲しい。誠実に向き合えば子どもの何かは変わることを信じて私たちは活動をしてきた。浜田さんも親や専門家が先回りして、子どもを現実から遠ざけること、皮膜の中で育てることを批判している。初めての出会いとは思えないほど二人の語りが共振した時間だった。

グループでの話し合い

 対談後の夕食休憩の時間は、TBSテレビ報道局(当時)の斉藤道雄さんが伊藤さんたちやキャンプを取材した「報道の魂」(2005)を視聴した。
 初日最後のプログラムは参加者を6つのグループに分けての話し合いである。初日の講習を受けての率直な感想や疑問や子どもとの関わりの具体について出してもらった。話し合われたそれぞれの内容はこの紙面では割愛するが、このグループでの話し合いがあったからこそ、伊藤さんたちの投げかけたものが参加者の中で大きな渦となって、2日目昼からの実践講座に流れ込んでいくことになろうとは、誰も想像できなかった。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/13

新たな吃音臨床への招待

 吃音講習会という名の研修会は、2001年の夏、岐阜大学で開催されました。故水町俊郎・愛媛大学教授と、廣島忍・岐阜大学教授と僕の3人が始めたものです。
 2001年8月1日、この日、岐阜は国内の最高気温を記録しました。おまけに岐阜大学のエアコンが故障し、会場はサウナ状態。その中で繰り広げられた熱心な討議。まさに、暑い、熱い研修会でした。そのシリーズは、大阪、岐阜、島根と4回続き、水町さんがお亡くなりになって途切れてしまいました。
 それから11年後、吃音講習会が復活しました。吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会が主催するシリーズ2の幕開けでした。
 今日は、その講習会の報告を紹介します。シリーズ1は、臨床家のための吃音講習会でしたが、シリーズ2は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会とました。その名にふさわしい、それぞれの立場の人が対等に議論する濃い時間となりました。
 「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218 より、会の熱気をそのままに持ちながらの臨場感あふれる報告をお届けします。

  
新たな吃音臨床への招待
  ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
   坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

 吃音講習会は、北は青森から南は沖縄まで、事務局スタッフの予想を超える101名、ことばの教室の担当者58名、言語聴覚士20名、保護者6名、当事者10名、その他7名の申し込みがあった。盛りだくさんの講習会の報告は、私が講習会から受け取ったものの再構築だが、それが参加者各人の感じたこと、考えたことと共振し、新たな「語り」を生み出すための一助となれば幸いである。

なぜ、親、教師、言語聴覚士なのか

 言語関係図の提唱者、W・ジョンソンは「吃音問題には、それを構成するメンバーがいる」と、当事者の話し手、その言葉を聞く他者のもつ意識、本人の考え方も重要だと指摘した。今回、「親、教師、言語聴覚士のための」と題したのは、子どもの問題を構成するメンバーと、どもる子どもと向き合うとはどういうことかを一緒に考えたいとの思いからだ。また、この講習会の前身、2001年の「第1回臨床家のための吃音講習会」からの10年間で「吃音を生きることを大切にしたアプローチが少しずつ拡がる一方で、依然として吃音の改善が本人や保護者のニーズだと提案され、むしろ近年こうした流れが強まっている」との危機意識、問題意識を私たちが共有していたからでもある。
 本講習会を貫くキーワードはナラティヴ・アプローチである。ナラティヴ(Narrative=語り、物語)とは近年、人文・社会科学から医療、福祉の領域で注目されている。この考え方を導入することで、大阪吃音教室やことばの教室の実践をひとつの相の下に眺めることも可能となるだろう。この報告全体を通してこの考え方を明示したい。

基調提案「ナラティヴ・アプローチ的吃音臨床の提案」 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さん

 21歳で民間の吃音矯正所・東京正生学院で言語訓練をした伊藤さんは、吃音が治らなかったが、人生の転機となる経験をした。ひとりで吃音に悩んでいた頃の伊藤さんの言葉は受け取り手のないモノローグ(独白)であったのだが、同じような悩み、体験をもつ人たちとの出会いの中で、ひとつの語りが次の語りを促しそれがさらに新たな語りを生み出していくというある意味祝祭的な場の中で、一緒に笑い泣き、共感してくれる他者の存在を発見した。自らの言葉が孤独なモノローグから他者とのダイアローグ(対話)へと変化することで悩みから解放されていくことを経験した。
 自分を語ること、他者の語りを聞くこと、その共振の中で新たな自己語りが、自分を語る物語が更新されていくというナラティヴ・アプローチの基本的な考え方を、ナラティヴという概念がこの世に提唱される以前に伊藤さんは、東京正生学院の日々の中で掴んだのだ。この経験が伊藤さんにどもりを治すことを諦めさせ、どもる人のセルプヘルプグループを設立させる力となり、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の実践に至る、その後の伊藤さんの必然の半生をもたらしたと言えるだろう。
 「語り」は今年で23回目を迎えた吃音親子サマーキャンプの性格を一言で表現する言葉でもある。参加する子どもの多くは話し合いを楽しみにしている。二泊三日の中で90分の話し合いが2回と90分の作文教室がある。作文も文字を記すという表出行為、原稿用紙という形で見つめなおすことができるという意味で外在化を伴う自己内対話と考えれば、語りに位置づけることができるだろう。特に初参加の子どもの多くにとっては自分以外のどもる子どもと出会うのも話すのも初めてという驚きの体験の中での話し合いである。
 伊藤さんが紹介したのは宮城県女川町の阿部莉菜さんのエピソード。キャンプ初参加の小学校6年当時、彼女は同級生からの激しいからかいから不登校になったのだが、話し合いを通して彼女の表情は変化したという。この変化を促したのは彼女の話に最上の聞き方で向き合った仲間の存在である。「つらいね、うん、わかる」というような共感的な聞き方だったら、彼女のつらさはその瞬間は解消されたかも知れないが、逆につらいという感情が強化されてしまっただろう。しかし、彼女の話を聞く仲間はロ々にいろいろな角度からの質問や自分の意見、対処の仕方を重ねて、阿部さんの語りを豊かにしていく。彼らの聞き方は阿部さんの中に眠る、まだ言語化されていない経験や考えを開いていった。その過程で阿部さんはどもりをからかわれてつらいという自分に染み付いた物語、それは自分を縛っているドミナント・ストーリーの外に出るきっかけを掴むことができたのだろう。吃音の悩みやそれへの対処の仕方もいろいろ、からかいやいじめへのアプローチの仕方もいろいろある。そういえばどもりながらでもやり通した発表があったというような記憶も甦ったに違いない。ドミナント・ストーリーでは捉えきれない豊かな経験をナラティヴ・アプローチではユニークな結果というが、彼女はその経験を語り合う中で発見し、新たな自己語りを紡ぎ出し、オルタナティヴ・ストーリーを語っていくきっかけを得た。彼女がキャンプを通して「もう、どもりを治したいとは思わない」という地平に立て、阿部さんは2学期から登校を始めた。
 キャンプでの話し合いや劇の練習を通して子どもたちは吃音の日常、苦労をサバイバルする選択肢を得ていく。どもりから逃げるのではなくサバイバルすること、そのための生の技法を学ぶためのキャンプ、べてるの家流にいうなら「苦労をとり戻す」ためのキャンプなのである。伊藤さんはどもる子どもは弱い存在ではない、子どもには自分自身を支える力があると言う。阿部さんのエピソードがそれを証明している。
 その後、阿部さんは2回キャンプに参加し、昨春高校進学を迎えるはずだったが、2011年3月11日の東日本大震災による大津波で、新しい制服に袖を通すことなく、お母さんと一緒に帰らぬ人となった。
 私の知る限り伊藤さんは昨年と今年のキャンプの始まりとこの基調提案で阿部さんの話を紹介している。死者を悼むとはそのひとり一人の固有の生と死の物語を語っていくことだ。津波にさらわれた人たちはその固有の死を生き残った人たちに伝えることができなかった、また生き残ったものもそれを知るすべがないために語ることができない。だとしたら、せめてその生を語ることが死を悼むことなのだと思う。
 伊藤さんが話した中から、もうひとり伊藤由貴さんのエピソードを紹介したい。小学校4年から高校までキャンプに参加した彼女の吃音は目立たないものだったが、大学2年から一転してよくどもるようになった。しかし彼女は接客のアルバイトをし、キャンプにもスタッフとして参加した。激しくどもる姿はかつての彼女を知るものにとっては驚きだったが、彼女自身はその事態を落ち着いて受け止めていたという。それは彼女が長いキヤンプ歴の中でシャワーのようにいろいろな語りを聞き、バラエティに富んだ職に就いているどもるスタッフと接してきた中で吃音を自分の人生にどう意味づけるのかの自己概念が形成され、どもりとともに生きる覚悟ができていたから、「吃音は変化する」という事実を楽観をもって受け止めることができていたからである。私たちはこれこそ、吃音肯定の臨床のエビデンス(根拠)だと考える。
 吃音が薬を2、3錠飲めば治るようなものだったら吃音を否定し、治す、改善するという発想もありえるだろうが、楽石社から100年、言語訓練、コントロール以上のものはないといっていい。しかし、たとえどれほどコントロールできたとしても明日もコントロールできるという保障はない。コントロールすればするほど、「次は大丈夫か?どもったらどうしよう」という予期不安は充進していく。コントロールすることで悩みは大きくなる可能性もあるのだ。「この世の中にどもっていけない場面などどこにもない」と伊藤さんは喝破する。吃音をもっている人の誰もが悩んでいるわけではない。どもりながら豊かに人生を生きている人はいっぱいいる。吃音を言い訳や理由にして人生の課題から「逃げる」ことこそが悩みを深くする、それは治そうとすることの副作用なのである。
 ナラティヴ・アプローチの観点からいうと、吃音と吃音からくる影響は別問題として考察する必要がある。吃音臨床の本質は言語関係図のZ軸、吃音氷山の海面下の部分へのアプローチなのだ。大阪吃音教室の取り組みの比重もここにある。しかしそれは私たちが言葉や声の問題に無関心であることを意味しない。竹内敏晴さんから学んだ日本語の発声の基本や声を出す楽しさは伝えたいと考えるが、それは言語訓練とはおよそ別のものだ。
 吃音を治すことを諦めたところから伊藤さんの人生は新しい展開を迎えた。諦めるとは明らかに見るということだ。では、専門家といわれる言語聴覚士や教員は100年以上の吃音臨床の何を明らかに見ているのだろうか。そして、どもる子どもに何を伝えるべきなのか。選択権、決定権は子どもにあると伊藤さんは言う。情報を独占することは相手を支配することにつながる。問われているのは専門家としての姿勢であり、倫理なのである。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/12

世界に誇っていい日本の吃音臨床

 今日は、「スタタリング・ナウ」2012.2.20 NO.210 の巻頭言を紹介します。
 タイトルだけを見ると、なんか大きなことを言っているようですが、妄想ではなく、僕は本当に心から、そう思っています。アメリカ言語病理学がいつまでも吃音の、いわゆる症状にこだわっているのと違い、さまざまな分野から学び、子どもとの対話をすすめている僕たちの周りのことばの教室の実践は、世界に誇っていい臨床だと確信しています。

  
世界に誇っていい日本の吃音臨床
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 日本の、また世界の吃音研究・臨床は、いつまで、どもることばを「吃音症状」として治療する立場をとり続けるのだろうか。
 1970年頃、ジョゼフ・G・シーアンは、吃音を氷山に例えて、吃音の問題の本質をとらえた。
 「みんなに見えている吃音症状は、吃音の問題のごく一部で、本当の問題は水面下に隠れている。吃音を否定的にとらえることで起こる、ネガティヴな感情と、話すことを回避する行動だ」
 それから40年以上、シーアンの提案を受けてアメリカ言語病理学は臨床を進化させてきたのだろうか。何ひとつ変わらないどころか、後退しているように私には思える。シーアンの提案は、アメリカでは軽視され、日本の私たちが評価し、積極的に紹介して臨床に生かしている。
 昨年12月、アメリカの言語病理学者、ネブラスカ大学のヒーリー教授の「CALMSモデルによる評価・臨床」の講演を聞いた。最新と言われるこのモデルは、従来の焼き直しに過ぎなかった。
  Cognitive(認知領域)、Affective(心情領域)
  Linguistic(言語力領域)、Motor(発話技能領域)
  Socia1(社会的領域)
 多面的に吃音を評価をするものの、5つの領域を同じレベルに置き、シーアンが「吃音症状」よりも大きな問題だとした、吃音の問題の本質をとらえた視点はなくなった。そして、結局の臨床は、吃音症状の軽減でしかなかった。
 昨秋、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会(全難言協)全国大会が北海道で行われた。私も、大分、島根、宮崎、大阪、東京、山口の全国大会で吃音分科会のコーディネーターをさせていただいた経験がある。今回は、吃音分科会で発表する渡邉美穂さんの応援として参加した。
 9年前、この全難言協北海道大会で発表し、つらい体験をしたことをずいぶん聞いていたからだ。そして、私も、北海道で同じような経験をしているから、彼女の発表を見守りたかった。
 1999年、北海道大学での日本特殊教育学会で、私は「吃音親子サマーキャンプの10年」を発表した。サマーキャンプは、「どもっても大丈夫」を前提に、吃音の治療・改善を目的とせず、吃音とつきあうことで、親や子どもがどう変わっていったかを発表したのだが、吃音分科会のふたりの座長の大学教授から厳しく批判された。
 「吃音は治るのに、どもったままで大丈夫だとする発想は危険思想で、吃音の研究や臨床を遅らせることになる」との批判だった。「それでは、あなたたちは治せるのですか」の私の質問に、さらに批判は強まった。「吃音を治す、治した」について、このような公の場で議論するはいい機会だと、反論をしようとしたが、残りの時間は充分あったにもかかわらず、一方的に批判されただけで、議論は打ち切られた。
 そのような経験があったために、さまざまな思いを抱いて、参加したのだった。そして、胸をどきどきさせながら、吃音分科会の会場にいた。
 「どもりカルタ」「言語関係図」「吃音氷山」など、実際に使った教材を元にし、子どもの様子や子どもの発言を中心に据えた実践発表は、自信に満ちて、説得力があった。「私はあなたとは違う」と、吃音の治療改善を目指している人の発言があったが、次々と出される他の質問や感想は、好意的なものばかりだった。渡邉さんの実践の意義が確実に伝わっていると、うれしかった。
 薬づけの精神医療でなく、「治せない、治さない」と自ら名乗る精神科医が、「薬」に変えて「仲間」を処方する「べてるの家」の実践が、精神医療現場で注目を集めるようになった。これは、「当事者研究」などの具体的な方法論をもったからだろう。
 「吃音をオープンに話す」が、吃音症状について話すしかできないアメリカ言語病理学に比べ、吃音の問題の本質に向き合い、話し合う方法論を持ち始めている日本のことばの教室の吃音臨床は、世界に誇れるものではないかと、私は強く感じた。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/28

法然の選択と日本の吃音臨床 2

 今日、紹介するアメリカの言語病理学を推進してきた著名な吃音研究者、チャールズ・ヴァン・ライパーとジョセフ・G・シーアン、フレデリック・P・マレーですが、それぞれに交流がありました。
ドイツ世界大会 ヴァン・ライパーとシーアンからは、 「吃音を治す努力の否定」についてどう思うかと尋ね、お返事をもらっています。シーアンのお連れ合い、ヴィヴィアン・シーアンは、京都で開催した、第1回吃音問題研究国際大会にも参加しました。シーアンの考え方が、僕に一番近かったと思います。マレーとは、1989年、ドイツで開催された第2回世界大会で会って話しました。掲載の写真は、ドイツでの第2回世界大会の様子と、マレーと話しているときのものです。
 昨日のつづきを紹介します。
ドイツ世界大会 壇上から下りて
アメリカの言語病理学

 1930年代、アイオワ大学を中心に吃音の学際的な吃音臨床研究がなされた。現在の言語病理学はその流れにあるといえるだろう。ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー、ジョゼフ・G・シーアンがその中心だった。
 私は、ライパー、シーアンとは手紙を通して交流があり、私の「吃音を治す努力の否定」の主張に共感し、メッセージを寄せてくれたことがある。
 1991年4月、自らの死期の近いことを悟ったライパーが、アメリカのグループNSPの機関紙『Letting Go』に最後のメッセージを寄せた。

 「私はこのほど心臓障害のため、主治医から、残された時間で身辺整理をするようすすめられ、その仕事を片づけました。しかし、やり残していることがひとつあります。私は、長年親しんできたこのニュースレター『Letting Go』ならそれを片づけるのに一役買ってくれるだろうと思っています。私は死ぬ前に、どうしても85年の人生で吃音について私が学んだことを、多くの吃音者たちに伝えておきたいのです。
私は、これまでに何千人という吃音者たちに接し、たくさんの研究に携わり、吃音の本を出版したり、多くの記事を書きました。重要なのは、私自身がこの間ずっと吃音を持っているという点であり、また私自身、リズムコントロールにリラックス効果にスロースピーチに呼吸法、精神分析や催眠術にいたるまで、ほとんどすべての吃音治療を経験してきたのです。しかし、どれもその成果を見ることなく、一時的に流暢さを取り戻したかと思うと、すぐに逆戻りするだけでした。それでも今では、どもることがあっても、ほとんど気づかれないほど流暢に話せるようになっています。
 私の人生が、とても幸福で成功に満ちたものになったのは、ある基本的な考え方との出会いのお陰でした。それを是非皆さんに紹介しておきたかったのです」
 (セラピーのきっかけとなった老人と出会いの話)

私の提起に対するライパーからの手紙
 「治す努力の否定」の問題提起をされたあなた方の手紙を実に楽しく読ませていただきました。その考えに賛成するかとの問いに、私は、はっきりと「イエス」とお答えします。
 成人になってもひどくどもっている吃音者は、世界中のどんな方法を使ってもほとんど治ることがないと私は確信しています。遠い昔からある、このどもりの問題を、私は、長年研究してきました。
 自分のどもりはもちろんのこと、何千人もの吃音者を診てきました。報道機関を通してさまざまな治療方法が公表されるたびに、そのうちのひとつくらいは本物があるだろうと期待して、その検討もしてきました。しかし、それらはいつも子どもだましであったり、フォローアップでのチェックが不正確であったりしたのです。このような情勢の中から、私たち吃音者は、おそらく一生どもって過ごさなくてはならないだろうという事実を認める必要が生じてきました。ぜんそくや心臓病を患っている人が、その治療が難しいという事実を受け入れているのと同様に、私たちもその事実を受け入れようではありませんか。そして、私たちがその事実を受け入れると同時に、どもりを忌むべき不幸なものとしてではなく、ひとつの考えねばならない問題として理解し受け入れてくれる人を増やすために、吃音者自身が社会啓蒙することが必要なのです。
 しかし、吃音者はいつの日かなめらかに話せるようになるという望みをすべて捨ててしまわなくてはならないと言っているわけではありません。コミュケーションに全く支障を起こさず、気楽にスムーズにどもることができるのです。そのためにはまず今後もどもり続けるであろうという事実を受け入れることです。そして、不必要に力んだりせずに、うまくどもるにはどうしたらよいかを習得することです。おおっぴらにどもってみる勇気があるならば、どんな吃音者でもできることです」

ライパーの「流暢性」の呪縛
 ライパーに親しみと尊敬の深い思いを持ちながら、私は、ライパーが後に続く人々に大きな呪縛を残したのではないかと指摘しなくてはならない。「吃音は治らない」として受け入れることを重視しながらも、「流暢性」にこだわったことだ。
 ライパーのこの主張は、自身の吃音の長い苦闘の歴史があるからだろう。ライパーはアイオワ大学で「随意吃」の提唱者ブリンゲルソンから指導を受けて、楽にどもるようになった。その経験が、彼の臨床に大きく影響を与えた。有名な吃音方程式は吃音の問題の把握に役に立つ一方で、後に続く人々に大きな縛りを与えたと私は考える。
 それが「流暢性」だ。方程式の分子に吃音を悪化させる要因をおき、分母に吃音を軽減させる要因として、「士気」と「流暢性」をおいた。
 ライパーと私の決定的な違いは、ここにある。私は分母には、「流暢性」に変えて「どもってでもできた経験」をおく。
 ライパーは「随意吃」を学んだことで、吃音の苦しみから解放されたが、私は、吃音矯正所で「随意吃」を教えられながら、使わずに、吃音セラピーを諦めた。その後は、一切の吃音コントロールはやめて、ただ「どもる事実を認め、どもりながら日常生活を丁寧に大切に生きた」。そして、治そうとしていたときは変わらなかった私の吃音は、どんどん変化していった。これは当時の私が経済的に貧しかったことが幸いしている。東京での生活を親に一切頼ることができず、生活費から学費まで学生生活の全てを稼ぐために、私はアルバイトをした。どんなにどもっても苦しくても、アルバイトをやめるわけにはいかなかった。吃音コントロールは全く役に立たず、怒鳴られ、恥ずかしさや不安や恐怖を感じながら、私は話していった。一方、当時創立したセルフヘルプグループの活動にも夢中になっていた。グループのために、私はどんな所へも出かけ、どんどん話していった。必死に生きる日常生活が、結果として言語訓練になったのだろう。吃音をコントロールしようとしていた時には、全く変化のなかった私の吃音は、「治すことにこだわらずに」生きる中で変わっていった。
 「随意吃」などのセラピーのおかげで吃音が変化したライパーと、日常生活を必死に生きることで吃音が自然に変化した私。「吃音を受け入れよう」では共通しながら、ライパーは「楽にどもる」ことを指導できると考えた。これは、弟子ギターのスーパーフルーエンシーに引き継がれている。
 果たして、どもる子どもやどもる人に「楽にどもる」ことは指導できるのだろうか。「楽にどもる」ベースには、ライパーが指導を受けたヴリンゲルソンの「随意吃」がある。ギターが「随意吃」を重視していることに、勉強不足の私は正直驚いた。「随意吃」が多くのどもる人に拒否され、受け入れられなかったから、ジョンソンやライパーの「楽にどもる」が出てきたのだと私は考えていたからだ。

ジョゼフ・G・シーアンの考え

 私は、「治す努力の否定」の考え方をたいへん興味深く、うれしく拝見しました。あなた方が、吃音問題に関して、ひとつの方向を打ち出されたこと、またそこに到達するまでに費されたあなた方の努力に、私は敬意を表します。
 興味深いお手紙をいただいたお礼の意味もこめて、1970年出版の私の著書『Stuttering:Research and Therapy』を別便で送りました。お読みになって、感想を聞かせていただけると大変うれしいです。
 吃音の問題をオペラント条件づけによって研究している人々や、吃音は簡単に治ると宣伝する人々を含め、多くの吃音臨床家に対してあなた方が抱くのと同じ疑惑を私も感じています。
 しかし私は、吃音の問題について悲観的ではありません。確かに吃音は、治らないかもしれません。一生吃音のままで過ごさなければいけないかもしれません。しかし吃音であるが故に、自分を卑下して生きていかなければいけない必要は少しもないのです。吃音が治らないからといって自分のすべてを諦めることはないのです。楽などもり方で明るく生きる吃音者になることは、どの吃音者にもできることなのです。
 そのためには、どもる自分を素直に受け入れることが大切です。そして、話したい語や話さなければいけない場面を避けないで生きていきましょう。吃音者が、自分の問題に正面から立ち向かい、どもりながらも話し続けていくとき、どもりの問題解決に明るい展望が開けるのです。それはこれまでの私たちの研究が立派に証明してくれています。がんばりましょう。(1977年)

随意吃の危険性

 「ゆっくりどもらずに話す」は、それができなければ、本人がやめればいいが、「随意吃」はかなり危険を伴う。副作用があるからだ。私も実際にしばらく練習をしてみたが、ますますどもるようになり、恐くなって途中でやめてしまった。随意吃の本来の目的は、吃音の恐怖や不安に向き合うことだが、「わざとどもらなくても」、普段のどもる状態を隠さず、あまり逃げずに話すという、ただ自分がどもる事実を認めればいいことで、「随意吃」をわざわざ練習することはない。
 言語病理学第一人者、ウェンデル・ジョンソンでさえ失敗している。アメリカの言語病理学者、フレデリック・P・マレーは自著の中で、言語治療を受けたいという人にこうアドバイスしている。

ドイツ世界大会 マレーとドイツ世界大会  マレーと立ち話 「どんな吃音治療法でも、その全てがある吃音者にある程度の成功をおさめている。1900年の初め頃、アメリカで隆盛をきわめた悪評の高い営利的な吃音矯正所でさえも、一部の人には役立ってきた。チュレーン大学のジョン・フレッチャー博士は、「あまりにも多種多様な治療法で吃音がよくなるのは実に困ったことだ。もしそうでなければ、原因について、もう少し分かるだろうに」と言う。
 吃音の治療について腹立たしいことの一つは、ある人には効く治療法が、必ずしも別の人にはうまく合わないという点である。
 最も有名な例はこうだ。1930年代の初め、チャールズ・ヴァン・ライパーは、アイオワ大学でアルバイトでトラビス博士の運転手だった時、吃音があまりひどくて、ガソリンスタンドでも、ガソリンの注文に苦労した。ライパーは、しばしばブリンゲルソン博士の指導を受けながら、治療に数ヵ月間費やした。博士は、ヴァンライパーの不随意的なことばの詰まりに対する制御力をつけさせるため、随意的な吃音の練習をさせた。そうしているうちに顕著な改善が認められた。一年で彼は教職につけるまで上手に話すことを習得していた。
 当時、ジョンソン博士もアイオワ大学にいた。彼は、この時までに吃音をかなり改善させてはいたが、それでもなお深刻な問題だった。彼はチャールズ・ヴァン・ライパーの吃音が消えて行くのを見てたいへん感激し、同じような治療プログラムを立てて自分もやってみた。ところが、彼の吃音がたちまち非常に悪化したため、話すことをまったく中止するよう指示され、一週間釣旅行をして、その間沈黙を守るようにと言われてしまった。
 ある治療法が一人の人に効いても、別の人に効果がないのはなぜかという問いに対して、容易に答えることはできない。『吃音の克服』(田口恒夫他訳新書館)(P.234)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/16

私はひとりではない

 吃音の研究・臨床において多数派になろうとも思わないし、多数派がいいとも思わないけれども、何年経っても、この状況は変わらないのだろうなあと、しみじみ思います。
 それでも、膝をつきあわせ、しっかりと対話していくと、分かってくれる人は確実に増えてきたと実感します。「スタタリング・ナウ」2003.9.21 NO.109 の巻頭言は、「私はひとりではない」でした。今夏、11回を迎える親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の前身である、臨床家のための吃音講習会の3回目を岐阜で開催したときの手応えが、巻頭言のこのタイトルに表れています。私はひとりではない、確かに、たくさんの人が僕の考えを支持し、それに沿った行動をとり、実践を続けてくださっています。今回、この巻頭言を紹介するにあたり、もう一度、「私はひとりではない」をかみしめています。

私はひとりではない
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 岐阜の臨床家のための吃音講習会は心底うれしかった。「あなたはひとりではない」と多くの人に言ってもらえたような気がした。長い間、ひとり旅を続けてきたような気がするからだ。
 成人吃音については、共に活動をする、大阪と神戸のセルフヘルプグループの多くの仲間がいる。成人吃音の取り組みでは、あまり孤独感を感じたことはないが、どもる子どもの臨床については常に孤独感を感じていた。今から30年ほど前、大阪教育大学・言語障害児教育課程の教員をしていた頃には、虚しさにも似た孤独感を感じていた。
 私が担当していた、現職の教員が内地留学で一年間言語障害児教育を学び、修了後ことばの教室の担当者になるための特殊教育特別専攻科では、吃音ショートコースと名付けた集中講義をしていた。学生とともに調査研究を積み重ね、吃音研究者や第一線で活躍することばの教室の教師が多く参加する、4泊5日の贅沢な合宿だ。山奥ですることが多かった。合宿を終えて山を下りるとき、いつも寂しさを感じていた。
 あれほど、時間をかけて事前の準備を続け、長い時間合宿で吃音について取り組んでも、様々な考え方や意見が飛び交うが、心底、どもる子ども達の本当の支援に役立つ取り組みをしようという人々と出会えなかったという失望感だったような気がする。私の思いが伝わらなかったという思いが常に残った。事実、私たちと吃音についてあれだけ語り合って、現場でことばの教室の担当者として仕事をしている大阪教育大学の内地留学の先輩を対象にアンケートを取ったとき、失望感を持ったのは現実だったのだと知った。
 吃音は吃音の症状をどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ。だから、どもる子どもの充実した豊かな日常生活への支援がことばの教室の役割だと、言い続けてきた。しかし、それは分かるのだけれど、「どもりを治したい」と切実に願う子どもや親を前にすると、「どもってもいい」なんてとても言えないということらしい。「がんばって、治そう」と言ってしまい、実際に呼吸練習や音読練習を主にしているということばの教室が少なくなかった。
 「治す努力の否定」を提起したときは、現場から強い批判を受けた。現在でも、「どもってもいい」が前提の吃音親子サマーキャンプは問題だと、日本特殊教育学会という公の場でも座長をしていた吃音研究者から批判を受けた。そのような経験を長年続けてきたので、いつしか私は、吃音について自分の思いを語るとき、私の主張は少数派の意見ですがと前置きをするようになっていた。いじけていたのだろうか。
 ところが最近、言語聴覚士の専門学校で講義をしても、「少数派となぜ言うのか分からない。多数にならなければならないと思う」というような感想を言われることが多くなった。教員研修で話をしても共感して下さる人が増えたような感じがする。そう思い始めていた頃だったので、岐阜での講習会では、「そうだ、私は一人ではない」と思えたのだ。
 第3回になる、臨床家を対象とした講習会。岐阜、大阪、岐阜と続いたが、100名を超える臨床家が参加して下さることだけでもありがたいことだ。今回特に、現場からの発言が多かったが、そのひとつひとっが、これまでの吃音症状にとらわれた臨床ではない、どもる子どもの日頃の日常生活をみつめた取り組みだ。私が言いたかったことを、実践を通して多くの人が語って下さった。
 そして、アメリカの吃音臨床の現状が話されたとき、「私たちは多くのことをアメリカの言語病理学から学んできたが、そろそろ独り立ちして、日本の吃音の臨床をまとめる時期にきている」と思った。ことばの教室の担当者と一緒に、吃音の評価方法を新たにつくり、ことばの教室の実践集をまとめるスタートが切れると思えたのだった。
 この夏、岡山県と静岡県のことばの教室の担当者が、各教室の枠を超えて県単位で吃音キャンプに取り組んだ。手弁当で実行委員委を作り、どもる子どもを支援することばの教室の担当者の熱い思いが伝わってくる。その輪の中に私も入れてもらえたことがとてもうれしい。
 そう、私はひとりではない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/08
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