伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音問題研究国際大会

吃音の問題と展望〜第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演 3 〜

 1986年夏、京都で開いた第1回吃音問題研究国際大会でのヒューゴー・グレゴリー博士の基調講演のつづきです。今日で最後です。
 治療室の中で流暢性が得られたとしても、それを日常生活に生かすことの難しいことを強調しています。それは、どのような治療法でも同じことです。だったら、なぜ日常生活を治療の場にしてしまわないのか。日常生活で、どんどんどもっていくことを奨励しないのか。その方向転換をしないのか、僕には不思議でなりません。いまだに、治療室での治療をアメリカ言語病理学は手放せないのです。
グレゴリーと伸二 国際大会の20年前の1965年夏、僕は民間吃音矯正所、東京正生学院の合宿生活の30日間の合宿生活の3日目、そのことに気づきました。「どもらずに流暢に話す」も「流暢にどもる」も訓練で決して身につくものではないと確信しました。だから「吃音を完全に治す」も「少しでも改善する」も諦めた僕は、東京正生学院の「どもらずに話す」を身につける方法に逆らって、これまでと同じように「どもって、どもって、どもり倒してやろう」と決心しました。睡眠時間以外の全ての時間をどもることに使えるのですから、30日間の東京正生学院での寮生活はありがたいことでした。おまけに仲間がいるのです。毎日が楽しくて楽しくて、お祭り騒ぎのように「どもり倒す」生活を送れました。おかげで、これまの「どもれない身体」から「どもれる身体」に変わりました。あんなに苦しかった、どもりが治らないと僕の将来はない、絶対に治さなければならないと思い詰めていたのがウソのようです。
 家がとても貧しくて、新聞配達店に住み込んで始まった大学生活。新聞配達以外はできないと思い込んでいたのが、30日間の寮生活中に安いアパートを借りて、東京正生学院を退所してからは、ありとあらゆるアルバイトをしました。どんなに苦しくても30日間は我慢しました。そのアルバイト生活の中で、どもっていても、どんな仕事にも就けると確信しました。
 そして、その秋、グレゴリー博士がふれている、セルフヘルプグループ、言友会を創立したのです。その後も僕たちはどんどん進化しています。ところが、アメリカ言語病理学はいつまでも変わらないままです。どうしてなんだろうと、いつも不思議でなりません。
 その後、僕が、グレゴリー博士のように、世界大会で基調講演をするようになるとは、この第1回の世界大会を開いたときには思いもしませんでした。
 自分のことを書いた文章の後ですが、グレゴリー博士の講演の最後の章を紹介します。

吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

4 吃音に取り組むにあたっての諸注意
*易から難へ
 吃音の治療における大きな課題に、キャリオーバーがあります。治療機関で一旦変化させたものを徐々に実生活に移していくことです。治療機関において話し方を変えることはそれほど難しいことではないのですが、それを日常の生活の場に移すというのは、大変難しいことです。このキャリオーバーを果たすのに、重要なことがあります。それはまず、易しい場面から経験し、徐々に難しい場面に移すプロセスを踏むことです。話しやすい場面や状況から徐々に難しい場面へと移っていく計画を立てます。まず易しい場面を設定し、ロールプレイをし、十分に準備してから、現実の場に出ていきます。難しい場合は、初めは治療者と一緒に、またはセルフヘルプグループの仲間と一緒に、最後は独りでも出ていけるようにします。この段階を経ないで、つまり中間のプロセスをとばして一気に難しい状況に臨みますと、おそらく失敗してしまうでしょう。成功の確率が高いようにプランを立てる必要があります。
 このように易から難へと徐々に取り組みますと、これまでできそうにないと思っていたこともやればできるようになってきます。私も以前なら尻込みしていた公けの場で思い切って演説をしてみました。予想どおり、どもりました。しかし、どもりながらもとにかくやり終えることができました。このように自分にとって非常に難しい状況の中で話すことができますと、かつて難しかったことが易しくなってきます。公けの場でどもりながらも演説ができたことによって、相手が2〜3人のときの会話、クラスでの発表などがずいぶんと簡単にできるようになりました。そして、そのうちに大勢の人の前で立って話すこともできるようになったのです。

*最初は集中的に取り組む
 恐怖の感情を伴う、吃音のような問題を扱うのは大変難しいことです。しかし、私たちがそのような問題を持っていても、現実の自分を変えたり、より良く生きたいと思うなら、そのために行動を起こさなくてはなりません。できれば、ことばの専門家の手助けを受けるのが望ましいでしょうが、自分ひとりでもできます。
 恐怖や不安をもった行動を十分変化させるには、最初はかなり集中的な取り組みが必要です。しかし、集中的にプログラムに取り組んだとしても、それで終わりということではありません。そこで放置してしまいますと、あまり効果は期待できません。たとえば専門機関などでの非常に集中度の高い訓練期間があって、その次に集中度が少し下がって、そして最後の頃にはほんの少しという形に移行させていきます。そして、治療期間中に変化させた行動や態度を安定、持続させることが大切です。会話というのは、その人の全人格と切っても切り離せないものです。話し方を変えているときには、私たち自身を変えているのだということができるでしょう。この変化を自分自身に完全に取り組むには非常に長い時間がかかります。あせりは禁物です。

*治療者の選び方
 吃音の治療は、言語だけに限ることはできません。人間に対する取り組みでなくてはなりません。人間の問題、その人の感情など、全体として扱わなければなりません。ですからその人の感情、考え方を十分に理解し、それに対する処置を考えなければなりません。言語面だけに注意を集中しますと、その人への注意や関心がおろそかになってしまいます。吃音に悩む人は、自分に対する人間としての関心、理解を示してくれる人を有難いと思います。しかし、吃音の症状には関心を示しても人間的な関心を持ってくれる人はあまり多くいません。もし、治療者と一緒に吃音と取り組む場合には、治療者には、そういう人間的な関心を持つ人を選ぶ必要があります。
 他の諸外国と比較して、アメリカにはスピーチセラピストが大勢いますので、治療者の選び方も重要な問題になってきます。シカゴ等大都市圏の吃る人のセルフヘルプ・グループでの話し合いで、この点はよく論議されます。そこで、どのような治療者がよいか、話してみましょう。
 吃症状のみに注意や関心を示さない人を選ぶことが大前提で、次には、以下のようなことがポイントとなるでしょう。
・吃音のケースをたくさん扱っている人
・独自のプログラムを開発するだけの意欲がある人
・自己教育の機会に、積極的に、継続的に参加する意欲のある人
 たとえば、このような吃音の国際大会やワークショップなどに参加し、絶えず努力して吃音問題に対する理解を深めようとしているような治療者を選ぶべきです。

5 セルフヘルプグループ
 私は、この講演の初めに、学童にとっても成人にとっても、「自分の吃音は自分が責任を持って取り組む」という自助努力が、最終的に最も重要なことだと述べました。つまり、私の知識、また経験をもとにしてあなたにアドバイスすることはできます。しかし、治療の本当に大変なところはあなたの手の中にあります。あなたの肩にかかっているのです。さらに大切なことは、治療機関での治療が終わってから、それを実生活に移していくための活動が必要だということです。
 セルフヘルプグループは、この活動、つまり吃音者が治療機関から現実の日常生活の様々な場面に移していくことに対して援助し、さらに自分が自分自身の吃音問題解決への取り組みに責任を持つということを絶えず指摘していくものでなければなりません。私自身も、このようなセルフヘルプグループに所属していたことがあります。私は、セルフヘルプグループは、このように専門家のもとでの治療という形態から自分自身が自分の治療者になるという移行を実現するのに大きな助けになると思います。
 私は、現状では、セルフヘルプグループに、専門家が助言者として一緒に参加する方がよいと思っています。吃音に悩む人が抱えている問題を明らかにし、それに対処していくためには専門家の力が必要だと思うからです。しかし、セルフヘルプグループがどんどん増え、自分たちで問題を解決していく力をつけていけば、専門家の役割は減らしていくことができるでしょう。(「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 より)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/16

吃音の問題と展望〜第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演 2 〜

グレゴリーと伸二 1986年夏、京都で開いた第1回の吃音問題研究国際大会でのヒューゴー・グレゴリー博士の基調講演のつづきです。抑制法と表出法、そしてその統合の流れが紹介されます。吃音の治療の歴史がまとまって分かる、貴重な講演です。ただ、吃音の流暢性には関心がなく、治す努力も、改善の努力もしていない僕たちとは、随分違いますが。
 舞台の上で、独特のイントネーションをつけて訓練の実際を見せてくださったグレゴリーさんのことを思い出します。

吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

3 吃音治療の実際
*はじめに
 私は、1979年に「吃音治療をめぐる論争」という本の中で、吃音治療の歴史と論争を紹介しました。
・吃音を治してから流暢に話すか
・どもりながらも流暢に話すか
 この2つのどちらをとるべきか、長い間、論争が続いてきました。
 前者は、いかに吃音を抑えるかを目的にしています。どもることを抑え、それによって流暢な話し方を確立し、吃音を治療するという方法です。いわゆる抑制法といわれているものです。後者は、どもることを奨励し、どもってもどんどん話すようにし、どもった状態を客観的にとらえ、どもり方を徐々に変えていく方法で、抑制法と対比し、表出法ともいわれるものです。

*抑制法
 どもることを抑え、流暢に話すアプローチは、1920年〜1930年代によく使われました。例えば、私が実際に吃音矯正機関で体験したのは、次のようなものです。
 腕を動かしながら話す方法ですが、腕を8の字に振りながら「私の名前は、ヒューゴー・グレゴリーです。私はアメリカのイリノイ州に住んでいます」と話す練習をします。それから徐々に腕の動かし方を小さくしていき、最終的にはポケットに手を入れて8の字をかきます。
 しかし、矯正所でこの方法でどもらずに話せても、治療を受けて家に帰りますと効力が失われます。ポケットの中で8の字をかく手がつっかかってしまうということが起こるのです。
 もうひとつは、シラブル(音声)を伸ばすものです。「アーイ、アーム、グーレーゴーリー…」
というように、音をゆっくりと伸ばします。
 これらは注意転換法と呼ばれ、腕を振ったり、極端にゆっくり話したり、エーとかアノーとかの音を挿入したりすることによって、どもるかもしれないという不安や恐れから注意をそらせ、緊張をとき、吃音を抑制するという方法です。

*表出法
 伝統的な抑制法に対し、ブリンゲルソン、ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー等、アイオワ学派の人々は、「この方法は、吃音者に"つえ"を与えるにすぎない。つまり、その場しのぎでしかない。また、急速に吃音が治っていくということは、突然の再発の前兆である」と批判しました。「どもってはいけない。不自然な話し方でも、またどんなことをしても、とにかくどもるのだけはやめなさい」というこの方法は、吃音の中心問題であるべき「どもることへの恐れや回避行動」を減らすどころか、強化することになると主張しました。
 彼らは、「どんどんしゃべってどもりなさい。しかし、はた目に見て異常だと思えるどもり方をできるだけ少なくして」と、どもってでも話すことをすすめました。彼らは、『どもることへの恐れ』を吃音問題の中心だと考えていましたので、どもることを隠すことより、吃音をオープンにすることによって、その恐れを減らそうとしたのです。さらに吃音から注意をそらすというのではなく、むしろ吃音への注意を喚起して、どうしてどもるのかを自分で観察し、それを徐々に改善し、変えていくことをすすめました。
 吃音があったとしても、どもりながらでも、話した方がよい、しかし、もう少し楽に話せる方法はないかということを考えたのです。どもりながら話していく中で、吃音への恐れを小さくしていくと、結果的に流暢に話せるようになるというのです。
 具体的に言いますと、こういうふうに「(つまって)ジャパン」となってしまうのを、自分のしている行動を分析し、少し発語の仕方を変えます。「ジャジャ、ジャ、ジャパン」と言ってみます。さらにこれをもっとゆっくり気楽に「ジャー、ジャー、ジャー、ジャパン」というふうにするのです。そのように話していますと、次第にどもることへの恐れが小さくなり、だんだんと吃音をいい方に変化させられるという安心感が出てきます。

*抑制法と表出法の結合
 伝統的な「どもることをすぐやめろ」という抑制法の厳しいやり方に対する反動として、いわゆる表出法が出てきたわけですが、パーキンス、ライアン等は、伝統的な抑制法とは少し違う方法をとっています。
 例えば、スピーチ・ジェスチャーという身振りを交えたもの、DAFなどを使う方法です。これによって直接、流暢さを産み出そうということです。
 ところが、このような方法でも最初は、流暢になったとしても、それはなかなか持続しません。流暢に話せるようになることは、それだけだったら決して難しくありません。長期にわたって持続させること、これが大変難しいのです。ですから、直接、流暢さを産み出そうとする方法は、練習を常に継続して行わなければならないことになります。
 そこで「どもりながらもどんどん話す」というアプローチが出てきたわけですが、それがあまり強調されますと、吃音ばかりが目立ってしまいます。正常なスピーチの特徴的なものが十分に引き出せなくなってしまいます。
 ですから私は、2つのアプローチ、つまり流暢にどもるという方法とどもらずに話すという方法の良いところを取り入れ、結合する方法がよいと思っています。

*逆説を受け入れる
 2つの方法を結合していくと、逆説が生まれてきます。それは、知っていなければならない逆説です。「どもりながらどんどん話していく」というアプローチには吃音を受け入れることが前提となっており、これは大変に重要なことですが、これと流暢さを獲得するということは、逆説的な関係にあります。要するに矛盾します。吃音を受け入れ、認めているのに、流暢さが欲しいといっているようで、自分の中で矛盾を起こしているような気がしてきます。認めているのになぜ流暢になりたいのか、ということになってしまうからです。
 しかし、これはどもる人自身が、この2つのアプローチを十分に理解し、また矛盾があるということも自覚し、認めなければなりません。

*私の方法
 この20年間、私たちはいろいろな治療法を検討し、開発してきました。2っを結合したやり方といっていいでしょう。
 最初から流暢な話し方を教えるのではなく、どもっている状態を観察し、徐々に軽くして、それを変化させていくことをします。
 どもっている状態を実際に実演するとき、緊張した声門の破裂とか、突飛なプロソディなど吃音のいろいろな特徴を検出し、緊張をとき、そして繰り返しを少なくし、伸ばす部分を少なくしていくことを目指します。最初にゆっくり、楽に話すことを身につけ、単語と単語をつなぎ合わせて、一つの節にするようにします。さらに節と節の間に十分な休止(ポーズ)をとります。この話し方の習得によってだんだんとスムーズな話し方になっていくわけです。

*訓練の実際
1)話し方の特徴の検出
 どもる人とセラピストが一緒に、どもる人が話したテープを聞きます。何度も再生して聞き、どもり方にどんな特徴があるか、検出していきます。
・最初のシラブルが繰り返される
・発語の直前に急な呼吸がある
・ことばの最初に、緊張からくる反復がある
・母音にブロックがある
 どもっている状態の特徴のリストをあげます。
2)吃音に対する態度
 吃音に対して客観的な態度を持つことは、非常に難しく、勇気を必要とします。しかし、これは、吃音の治療にとって不可欠のことです。
 どもる人は今までの人生で、ずっとある条件づけを受けています。どもって電話してはいけないと思い込んでいます。どもる場面やどもる語をいつも気にしています。しかし、こういうことが条件反射的に起きていることには、多くの人は気づいていません。ですから吃音という問題を机の上に出し合って共通の問題にしようじゃないか、お互い客観的な研究材料として取り扱おうじゃないかということを促すわけです。
 もちろん、これまで隠し、避けてきた吃音をオープンにしているわけですから、勇気がいります。徐々にオープンにしていくことが必要です。最初テープレコーダーを使って、互いのどもる声を聞き、共有していくのです。
3)逆式練習
 吃音治療法のひとつに、逆式練習法があります。意図的にどもらせて吃音を軽くしていく方法です。自分がどもったときの状態を観察し、それを模倣していくのです。
 まず、どもる人にとって言いにくい、どもりやすいことばを選び、自分で真似をします。自分が計らずもどもってしまうことばを今度は意図的にどもるのです。どもっている事実は同じでも、本質的には大きな違いがあります。
 どもるときの口の回りの緊張感、感情も含めて真似することによって、どもるときにとっている自分の行動を理解するのです。
4)緊張を50%ほぐす
 吃音者がどもるときに、どのように緊張しているかを、実際に自分がどもっているように意図的にどもることによって観察します。そしてその緊張をときほぐすことを学ぶのです。
5)ERASM
 イージー・リラックスト・アプローチを略して、ERASMといいます。私が取り入れている方法です。これまでお話してきたことをまとめの意味で再度繰り返して、ERASMを説明しましょう。
1.自分の吃音がどういう特徴を持っているか、テープを聞いて握む
2.自分のどもっているそのままの状態を真似てどもる
3.意図的にどもる練習をする
4.どもっているときの緊張状態を知り、それをときほぐすことを学ぶ
5.ことばの出だしをゆっくりとリラックスさせて発音する
 ここで大切なのは、逆式練習でどもったときの緊張状態と、ERASMを使ったリラックスさせた発音を比べ、その違いを自分のものにすることです。吃音は緊張し、発語の流れがバラバラになったときに起こるのです。どもらずに話せるようにすることは難しいので、より流暢に話すためには何らかの話し方の技術が与えられる必要があります。そのためには、どもったときに生じる不随意な発作の状態を研究し、どもったときに可能な限り、自発的にそれを模倣してみるのです。
 例をあげましょう。単語がいくつか組み合わされたもの、たとえば「バターつきパン」を「ブレッド・アンド・バター」とは言いません。最初に、ERASMを使い、「ブレッドウンバター」と言い、あとは自然の抑揚で続けます。スピーチ全体をリラックスさせるのです。
 ここで重要なのは、ERASMに取り組む態度です。中程度、重度の人が、逆式練習をし、ERASMを使って練習をした後、「これは自分ではないみたいだ」と思えることがあります。実際、話し方を変えると別の人のスピーチのように聞こえます。そこで、この変化を受け入れることが必要になってきます。そのためにビデオは有効な器材です。変化していくプロセスをビデオにとり、それをどもる人に見せます。「自分ではないみたいだ」と言っていた人が、自分の変化を受け入れてきます。変化した自分を不自然だと思うのではなく、受け入れるということは、吃音の受容と同様大切なことなのです。
6)時間のプレッシャーに耐える
 コミュニケーションには、時間のプレッシャーはつきものです。吃音者にはそれに加えて、一旦話がとぎれるともう一度話し始めることができないのではないかという不安と恐れがあります。そのために途中で止めないで急いで話してしまうという傾向があります。
 そこで、時間のプレッシャーや、不安や恐れに対抗することを考えなければなりません。それには、相手に即座に反応しないで反応を少し遅らせることをするのです。心の中で「いち、にい」と数えてから相手に反応すると、時間のプレッシャーが弱められます。沈黙の時間を経験することに抵抗がなくなります。私は「グレゴリーさんは、ずいぶんゆっくりとした話し方をしますね」とよく言われます。私はゆっくりと話しながら、速く話さなければならないというプレッシャーを自らにかけない努力をしているわけです。同時に相手が話しているときには十分に時間を与え、相手にプレッシャーをかけないようにしています。自分も待ち、相手にも待たせるということです。
7)非流暢性の大切さ
 次に大切なのは、自らすすんで非流暢性を取り入れることです。このことはすすんでどもるとか、逆式練習のようにどもるのとは違います。ことばが改善されてきますと、非流暢に過敏になり、流暢になりすぎてしまうことがあります。吃音でない人にも、非流暢さはあります。立板に水のように流暢に話す人はごくまれで、多くの人は「あのー」とか「えー」とかの間投詞は入れるものです。それをときどき使うのです。そうすると非流暢性に対する過敏性をやわらげることができます。
 どもることもあれば、意図的に非流暢に話すこともできるようになれば、本当にどもったとき、あまりそのことに敏感にならずにすみます。
 私は、今こうして皆さんの前に立って話していますが、話す前、つまり壇上に立ったときは恐怖を感じ、本当にあがっていました。
 吃音の思い出は、今でも私にこびりついています。そこで考え、非流暢な話し方を話し初めにしてみたわけです。わざとどもってみると、吃音をあまり意識しないで話すことができます。15年前に分かったことですが、セラピーが終わった後、しなければならないことは、ときにはわざとどもることを生活の中で使っていくことの必要性をとくことです。その他、話し方の速度を変えたり、声の抑揚や声の大きさを変えることも身につけます。これらの話し方の技術をより良く、幅広く改善していくことによって、より良い話し手になることができます。つまり、柔軟性を身につけるのです。これによって話すことにますます自信がついてきます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/15

吃音の問題と展望〜第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演〜

グレゴリーひとり 1986年夏、京都で開いた第1回の吃音問題研究国際大会で、基調講演をして下さったヒューゴー・グレゴリー博士と、どもる子どもの指導についてワークショップをして下さったイギリスのレナ・ラスティンさんが、2004年秋から冬にかけて相次いで亡くなられました。
 グレゴリー博士は1985年から2001年までノースウェスタン大学で教えるとともに多くの吃音ワークショップを行い、吃音治療に関する指導的な役割を果たし、レナ・ラスティンさんは、吃音治療のパイオニアであり、1993年、ロンドンに、どもる子どものためのマイケル・パリンセンター設立のために情熱を注がれました。
 1986年8月の京都での国際大会の、グレゴリーさんの基調講演を紹介します。アメリカの吃音事情を知ることができます。(「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 より)


吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

1 はじめに
 私のどもる人間としての経験、35年間、どもる人や子どもとかかわってきた言語病理学者としての経験からお話をします。
 まず、学童の子どもにとっても、成人にとっても「自分の吃音は自分が責任を持って取り組む」という自助努力が、最終的に最も重要だということを強調したいと思います。そのことを理解させることが、臨床家としての務めでもあります。私自身が私自身の吃音問題にどのように取り組み、そこで何を学んだか、そして私が実際に実践している方法のお話を致しましょう。

2 私の体験
*初めての治療経験
 私は15才のとき、初めて吃音の治療を受けました。アンカーサスにある私の家から2400キロメートル離れたところに、その吃音矯正所はありました。その施設で母音を長く引き伸ばしたり、子音を軽く発音しながら話すことを教わりました。この練習によって、私は安心感を得、以前と比べ、随分楽に話せるようになりました。これこそ、私を長い間苦しめてきた吃音から解放してくれる方法だと思いました。また熱心に教えられたとおり練習すれば、吃音の治療は短い間、長くても1年や2年で終わるだろうとさえ思いました。
 しかし、家に帰って2、3ケ月もたたないうちに、私はまたどもり始めました。次の年、またその矯正所に行き、もっと楽に話す訓練を受けました。
 当時、私は自分の吃音を「抑制」することばかりに熱中し、どもりたくない一心で努力しました。ところが、話し方にばかり意識を集中することがかえって大きなマイナスの作用を及ぼすことに、その当時の私は気づきませんでした。自分がなめらかに話せるか、そうでないか、ばかりに敏感になり、ずっと吃音を隠し続けました。そして、吃音を隠そうと思えば思うほど、どもることへの恐怖心が増していきました。そうすると、少しでもどもるとパニックに陥ることが往々にしてありました。それでも、どうすればこの恐怖から逃れることができるか、さっぱり分かりませんでした。
 このままいくと泥沼に落ち込んでしまうと思った私は、自分の吃音に対するこれまでの態度を振り返ってみました。その中で、これまで話すことにのみ集中しすぎて、吃音に対する態度に関するセラピーをおろそかにしていたことに気づき始めました。どもっているときには、いかに自分自身に対する評価が厳しく、まるで大変なことをしでかした失敗者であるかのように自分をみなしていることが分かってきました。

*ウエンデル・ジョンソンから学んだこと
 後に、大学に進んでから知ったウェンデル・ジョンソンの考え方が、私にとって大いに役立ちました。ジョンソンは、「どもる人間か、それともどもらない人間か、で自分を二分評価すべきではない」と言っていました。ジョンソンのおかげで私は、「話すときに、ときどきどもるひとりの人間」として自分を考えることができるようになりました。さらに、吃音そのものや吃音に対する態度などは、ある程度の時間をかけて変化していくもので、今、その変化の中に自分はいるのだと考えるようになりました。
 その過程は、次のような段階をたどって変化していきました。
 どもったときに自分が何をしているか考えてみる→話し方を変えてみる→変えてみてどうだったか、再び考える→その上でさらに話し方を変えてみる
 もし治療を受けている人であれば、治療者と一緒になって考え、このプロセスの中に入っていけばいいのです。こういうプロセスをたどって徐々に行動を変えていくのです。もちろん、それは吃音に対する態度の変化も含みます。

*自分が考えるほどは他人は気にしていない
 これらの変化のプロセスの中で、私はこれまでの人生で、吃音による影響をあまりにも意識しすぎてきたのではないか、あるいは他人が私の吃音をどうみるかということを意識しすぎてきたのではないかと考えるようになりました。他人は、自分が考えているほどには、私がどもることを気にしていないことも分かってきました。人は、吃音に限らず、人生において、何かを意識する、気にする、という敏感な点が必ずあるはずです。そして誰しもがその敏感な点に集中する傾向があるようです。その態度そのものを点検し、より正しい態度がとれるよう、自己開発のプログラムを立てる必要があります。
 私の親戚にベスというおばさんがいますが、彼女はとても神経質です。私は彼女の前に出ると吃音がひどくなりました。反対にジョーというおじさんは物静かな人で、彼の前では比較的スムーズに話ができました。誰でもジョーおじさんのようであればいいなあと思いましたが、それは無理なことです。そういう人ばかり捜して歩くわけにはいきません。そこで私は、自分自身を変えることを考えました。つまり、相手が気楽になれるように、自分がなればいいのです。私たちが自分自身の吃音に敏感にならなければ、周りの人たちはもっと気楽になり、さらにそれがどもる人も気楽にさせ、どもることも少なくなります。このように、悪循環とは反対の方向に自分をもっていくことが必要だということが分かってきました。

*意図的にどもることを知る
 私が自分の吃音に取り組み始めた頃、どもることへの恐怖をどう処理すればよいか分かりませんでした。大学に進んで、ヴァン・ライパーの著書で、意図的にどもることを知りました。そこで、わざと目立ったどもり方をしたり、いろいろなどもり方を試みました。どもっているという事実は変わらなくても、どもるパターンは変えられることを学びました。「ここーこれ、あーれ、すすする」といった、半ば遊びのようにわざとどもって話をしました。このように意図的にどもることによって、私のどもることへの恐怖は徐々にやわらいでいきました。大学1年生のときに、自己紹介ができるよう、この意図的な吃音を使って取り組みました。
 吃音に悩む人であれば誰しもがそうであるように、私も自己紹介が大の苦手でした。自己紹介のある場に出ていくのは恐怖そのものでした。その場から逃げることもたびたびありました。大学1年の頃、どもる人のセルフヘルプグループに入っており、毎月曜日に夕食会がありました。そのときは必ず自己紹介をすることになっています。私はいつも「ヒューゴー…」となり、ヒューゴーの後がどうしても出てきませんでした。そして、ヴァン・ライパーの意図的な吃音を知り、それをやってみようという気になりました。ある日の夕食会の席で、「ヒューゴー、グレ、グレ、グレゴリー」とわざとどもってみました。その後、そのようなどもり方をしようと決意したおかげで予期不安や恐怖心がなくなりました。1年ぐらいたったでしょうか。自己紹介をするとき不安や恐怖がなくなり、自己紹介をすることを決して避けなくなりました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/14

矛盾を受け入れる

 どもってもいいと吃音を認めているのなら、つまり吃音を受け入れているのなら、なぜどもり方を変えようとするのか、単純に考えれば矛盾が出てきます。そのことを矛盾と認識した上で、その矛盾を受け入れようと提案したのが、1986年、京都で開催した第1回吃音問題研究国際大会で基調講演をしたヒューゴー・グレゴリー博士でした。
 矛盾ということばをあえて出した考えは、新鮮で興味深いものでした。僕たちも、どもることは決して悪いものでも劣ったものでも、まして恥ずかしいものでもないと主張していますが、どもっている自分を受け入れながら、もしどもり方を変えたいなら変えてもいいのではないか、とは考えています。でも、それは、アメリカ言語病理学のいう「楽にどもる」とは全く違うものですが、その違いをことばで説明することの難しさを感じています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2005.2.20 NO.126 の巻頭言を紹介します。グレゴリー博士が亡くなられたと知り、懐かしいお顔や姿を思い浮かべながら書いたものです。

  
矛盾を受け入れる
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「ドドドドーン、ドドドドーン」
 吃音だけの共通項で京都に集まったどもる人、吃音研究者、臨床家。ウェルカムパーティが最高潮に達したとき、演奏された和太鼓が参加者にも開放された。一番に太鼓に向かっていったのがアメリカの吃音研究者、ヒューゴー・グレゴリー博士とイギリスの吃音臨床家、レナ・ラスティンさんだった。ふたりは、ドンドンドドドンというどもる音にも似た連打を愉しんでいた。さよならパーティのときもハッピを着て盆踊りを楽しんでいたふたりの姿がとても強い印象として残り続けている。
 1986年夏、京都で私が大会会長となって世界で初めて開かれた国際大会。吃音にかかわる多くの人々は、おそらくこのときが来ることを夢みていたことだろう。この実現を大いに喜び、からだごと表現していたふたりだった。
 ヒューゴー・グレゴリー博士とレナ・ラスティンさんのおふたりが、昨年続いてお亡くなりになった。ひとつの時代が終わったような寂しさを覚える。
 グレゴリー博士は大会の基調講演者として、レナ・ラスティンさんはどもる子どもの指導についてのワークショップを担当し、さまざまな場面で積極的に発言していた。
 私たちが開いた第1回吃音問題研究国際大会の意図した「研究者、臨床家、どもる人たちが、互いの体験や実践・研究を尊重して耳を傾け、共に歩む」という姿勢にとても共感して下さっていた。
 第2回大会をドイツのケルン市で開いたときも、グレゴリー博士は参加し、日本から参加した私たちにいつも親しく話しかけ、ドイツの大会と比べて、いかに京都の大会がすばらしかったか、どもる人たちや吃音関係者に意義深いものであったかということを話されていた。だから、その後、第3回サンフランシスコ大会へと引き継がれるにつれ、吃音研究者、臨床家が対等の立場で協力し合うという傾向が薄れていくのをとても残念がっておられた。実際、ドイツの大会では、シンポジウムの公開の場で、臨床家とどもる人のセルフヘルプグループとの厳しい対立が見られた。サンフランシスコ大会では、吃音研究者や臨床家がほとんど関われなかったことを強く嘆いておられた。第1回の京都大会をひとつの理想的なあり方として、グレゴリー博士はもっておられたのだろう。
 それでも、京都大会の経験が生かされ、吃音研究者・臨床家はIFA(国際吃音学会)を、どもる人々はISA(国際吃音連盟)を設立し、このふたつの世界的な組織は協力関係を保っている。これはグレゴリー博士の願いであった。
 京都の講演の中で、特に印象に残ったのは、「矛盾」についてだ。流暢に話す、つまりどもらずに話すという流れと、流暢にどもるという論争の中で、その統合を強く訴えていた人だった。吃音そのものを認めた上で、どもり方を変えよう、これは、チャールズ・ヴァン・ライパーがずっと主張していたことだが、グレゴリー博士も同じ立場だった。しかし、そうすると、どもってもいいと吃音を認めているのなら、つまり吃音を受け入れているのなら、なぜどもり方を変えるのか、という矛盾が当然出てくる。そのことを指摘した上で、グレゴリー博士は、その矛盾を受け入れようと提案する。それは、矛盾を認めたことが新鮮で興味深いものだった。
 私たちは、どもることは悪いものでも劣ったものでも、まして恥ずかしいものでもないと主張している。そして、吃音を治す、改善するための努力はしない。しかし、どもっている自分を受け入れながら、もしどもり方を変えたい人がいるのなら、変えてもいいのではないかとも考えている。それは、グレゴリー博士の言う、流暢にどもるという限定された狭いものではなく、どもっている沈黙の状態も生かした、どもり方を磨くというものだ。
 この、吃音を認め、そしてそのどもり方に磨きをかけていくという発想は、矛盾したものにはならないと私は考えている。が、グレゴリー博士の、矛盾を矛盾として認め、それを受け入れるという発想もこれまでと違う素敵な発想だと思う。
 第一回吃音問題研究国際大会から19年たった。
 あの大会でひときは輝いていた、お二人に感謝し、冥福を祈ります。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/13

私の聞き手の研究 3

 水町俊郎さんのお話のつづきです。
 どもる症状ではなく、どもる人やどもる子どもに焦点を当てた研究です。日本吃音臨床研究会や大阪吃音教室、日本放送出版協会発行の『人間とコミュニケーション』や第1回吃音問題研究国際大会など、僕たちの取り組みを紹介してくださっています。

  
私の聞き手の研究 3
                   水町俊郎(愛媛大学教授)


私の聞き手の研究

 それでは聞き手の研究の概要について話します。
 私は心理学的な観点からの研究をしていましたので、吃音者のパーソナリティについて関心がありました。吃音者のパーソナリティに関する今までの研究を、自分なりにずっと過去にさかのぼって文献を調べました。調べるとたくさんの研究がありました。吃音者に対していろんなパーソナリティテストや観察をした結果、吃音者に非吃音者とは違った独特なパーソナリティがあるという事実はないというのが結論なんです。
 吃音のパーソナリティに関する研究で、どもる人とどもらない人に差はないが、違った観点からの研究、つまり、周囲の人は一体どもる人をどういう人間だととらえているかという周囲の人のイメージの研究に関しては、おもしろい結果が出ました。吃音者は、周囲の人によっては違ったとらえ方をされていることが多かったんです。どもらない人より暗いとか、社会性に乏しいとか、神経過敏であると見られているとか、私はそれに非常に関心を持ちました。
 吃音者に直接調査したりテストしたりすると、非吃音者とは変わらない結果が出ているのにも関わらず、周囲の人は吃音者をなんか独特な存在として見ている側面がある。私はそれに非常に興味を持ち、日本でもやってみようと思ったんです。アメリカを中心にした、聞き手に関する研究は、シルバーマンという人が作成したと思うんですが、25項目の質問だけなんです。それぞれに関して、例えば、劣等感のある、真面目か、などを5段階にわけて、どもる人はどのあたりか、と聞いていく。私は聞き手の態度を調べるには、そんな少ない項目では、把握できるはずがないと思いました。それで事前調査もして、質問項目を80項目に作り直しました。項目を増やすと、今までにはとらえることができなかった聞き手の吃音者に対する態度が把握できるかもしれないと考えたのです。
 その結果、どもる子どもはどもらない子どもに比べて、「緊張しやすい」、「おどおどしている」、「消極的である」、「自信がない」など、ネガティブな特性を持っているようにみられている面は確かにあるけれども、それだけではありませんでした。もう一方に、「責任感がある」、「根気強い」、「礼儀正しい」、「誠実である」、「親切である」など、ポジティブに評価されている面も、少なからず、あることが明らかになりました。アメリカの研究では、マイナスの側面からしか周囲は見ていないという結果だったのに、私がやり直してみると、そういう面もないことはないが、逆にどもる子どもたちの方が、高く評価され、好ましいものを持っていると見られているという側面もあるという事実が明らかになったのです。
 今度は、どもる人に対する周囲の今までもっているイメージ、見方が、吃音者がどもっているところを実際見たり聞いたりすることによって、変化するのかしないのかを調べました。
 まず吃音に対してどういうイメージを持っているかを調査をします。そして、次にビデオで小学校5年の男の子が、非常にどもりながら文章を3分15秒かかって読んでいる場面をずっと見せます。どもっている場面を、映像で見せたり、聞かせたりして、今度は、その直後にまた、先程の調査をして、ビデオを見る前と見る後で、変わったのか、変わらないのか、変わっているとしたら、どういうふうに何が変わっているか、どの項目が変わっていたのか、それからどういう方向へ変わったのかを調べました。
 そうすると、ビデオを見て、視覚・聴覚的な情報が入ってきたときの方が変化がたくさん出ました。変容の方向については、どもる子どもに対する見方が、物事へのとりかかりが遅いというように、ネガティブな方向へと変化していく項目もありましたが、実はそういうネガティブな方向へよりも、ポジティブな方向に変わった項目が多かったのです。例えば、「最後まであきらめない」、「情緒が安定している」という方向に評価が移っていきました。引っ込み思案ではないというように、ポジティブの方向へ変化した項目の方が多かったのです。
 私の、聞き手の態度に関する研究では、アメリカあたりの研究とは基本的に違って、ネガティブだけに見られてるんじゃなくて、ポジティブの面から見られてるものもある。実験条件を入れて、どもってる場面を見ることで、むしろ理解が深まるという方向へと変わることもある。これらの事実を明らかにしたということになると思います。
 このように、吃音は周囲からもちろん笑われたり、馬鹿にされたりこともある。しかし、人さまざまだから、いろんな人がいる。いろんなことを言ったりしたりする人がいる。どもっている時に、確かに目をそらしたり、何か変な態度をとる人もいる。それらは全てどもった自分に対するネガティブな反応に違いないと、どもる人の多くは思うかもしれない。けれども、実は聞き手の側に立つと、目をそらす態度も人によって違う。たとえば、相手がどもっているとき、どういう態度をしたら、あの人を傷つけないで済むだろうかなどと、気をもんで下を向いたり、目をそらしたりすることもあるし、相手に対する誠意や配慮であったりすることもある訳です。それをすべて、聞き手の反応を自分がどもりであるということに対するネガティブな反応だととってしまう。吃音者自身が、そういう色メガネで周囲をみるということもあるんじゃないかという指摘は、実は、吃音者自身の中からもちゃんと洞察して出てるんです。
 1975年の出版の本で、伊藤伸二さんが、内須川洸先生、大橋佳子さんと出された『人間とコミュニケーション』(NHK放送出版協会)があります。その中に、自ら吃音者であったマーガレット・レイニーという女性のスピーチセラピストのことが書いてあります。彼女が吃音の講演をし終わって資料を片付けていたら、一人の青年がこつこつとやって来て、「先生、ちょっと」と何かいろいろ質問をし始めた。自分の周囲は自分が吃音であるということで馬鹿にしている。さげすまれてることばっかりだということを切々と言う。その時のことをレイニーは、次のように書いています。
 「彼にとって肝心なことは、自分が自分自身を、吃音者である自分自身をどう思っているか、と自問自答することでしょう。それをしないで、相手がどう思うだろうかと考えるのは、まさに馬の前の荷車です。馬に荷車をつけて動かそうとしても馬が動かない。よく見ると、馬の前に荷車をつけていたから、馬は先に行かないんだ。自分がそれをしているのに、気づいていない、つまり肝心なことを見落としていることに気づかずあせっているのでしょう。恐らく、自分自身に最もひどい批評を下しているのは、彼自身だったのでしょう。長い間、他人から受ける批評より、もっと厳しく自分を批評してきたのです」
 それから当時のノースウェスタン大学の教授であった、ヒューゴー・グレゴリーさん。京都で開かれた第1回吃音問題研究国際大会に参加され、基調講演をされた白髪の方ですが、あの人も自分の吃音経験からほぼ同じようなことを言っておられるんです。それをちょっと読んでみます。
 「私はこれまでの人生で吃音による影響をあまりにも意識しすぎてきたのではないか、あるいは他人が私の吃音をどう見ているかということを意識しすぎてきたのではないかと考えるようになりました。他人は自分が考えているほどには、私がどもっていることも気にしていないこともわかってきました」
 先程も、ウェンデル・ジョンソンが、大人になると周囲の理解を求めるだけじゃなくて、自分が、周囲のあり方をどうとらえるかという自分自身のとらえ方も、自分で追及していかなければいけませんよということを言ってるといいましたけれども、そのことと絡み合わせてみると、非常に理解しやすいんじゃないかと思います。
 そのことと関連して、大阪スタタリングプロジェクトの西田逸夫さんが、川柳でそのことを非常に見事に表現しているんです。『どもること 聞き手 大して気にもせず』。これは非常に名句です。周囲に理解をしてほしい、そのための努力は一方でずっと継続してやらなければいけないことは事実ですが、いろんな人がいるということ考えると、自分自身のとらえ方そのものを追求していくことも欠かせません。これはウェンデル・ジョンソンが言ってることでもあり、日本吃音臨床研究会が論理療法を取り上げているのも、そういう意味合いがあるんだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/30

世界大会の夢

 1986年の夏、京都で開催した第1回吃音問題研究国際大会。今から38年前のことですが、会場の京都国際会館のホールも、参加した海外のどもる人たちの顔も、閉会式のとき流れた「今日の日はさようなら」の音楽も、鮮やかに思い出すことができます。
 21歳まであれほど悩み、憎んでいた吃音が、世界の人とつながる大切なものになってくれるとは思いもしませんでした。吃音のおかげで広がった世界は、楽しく豊かな世界でした。
 大谷翔平さんの通訳として、長年彼を支えてきた水原一平さんのことが連日報道されています。英語を苦手とする日本人が海外で活躍するには優秀で相性のいい通訳者が必要です。英語がまったくできない僕が海外で活躍できたのも、いい通訳者がいたからです。今でも、その人に僕はとても感謝しています。世界大会の夢を実現させてくれた人でした。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2004.3.21 NO.115 の巻頭言を紹介します。1986年の8年前、1978年の初夢の話から始まります。

  
世界大会の夢
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 ―A君、私は今、10階の大ホールのコントロール室にいます。今、まさに私たちの念願だった、どもる人の世界大会が開かれようとしています。
 司会者がどもりどもり、しかも非常に晴れやかにあいさっを始めました。でも、残念ながら同時通訳の人は、ユーモアあふれるそのどもりを再現できずにいるようです。かつて、嘆き、嫌ったどもりがその人にとってかけがえのないものとして尊重されています。世界各国のどもる人がその国の様々な障害を乗り越えて次々と「吃音者宣言」をし、その成果が今、各国の代表によって発表されています。
 一国の大統領がいます。教師や医師もいます。コックさん、トラックの運転手さんがいます。この大会期間中、様々な分野の人々がどもりだけでなく自分たちの職業に関しての交流も進めています。…
 A君、私の初夢はここで終わってしまいました。でも、いつかこの夢が夢でなくなる日がきっと来ることを信じてペンを置きます。
              1978年1月 初春

 ニュースレターの「吃談室」のコラムにこの文を書いたのは、夢の一歩が実現した、1986年の第一回吃音者国際大会の8年前のことだった。
国際大会会場写真 京都大会。海外から参加した人たちが、「夢の世界にいるようだ」と口々に言った。大会のフィナーレ、京都国際会館の大会議場に400の人の輪が幾重にも重なった。キャンプファイアーで歌う「今日の日はさようなら」を、肩を組み、隣の人の温かさを感じながら歌った。最後に目を閉じてのハミングに変えてもらった。そのハミングに合わせて、私は大会会長として、最後の挨拶をする。
 「私は、どもりに深く悩み、どもりが大嫌いでした。でも今、こうして世界の仲間達と出会い、語り、笑い、泣いた。このような体験をさせてくれたのは、どもりに悩んだおかげです。私は今、どもりが大好きになりました」
 これまでの、どもりに苦しんできた出来事が走馬燈のように浮かび、涙があふれた。そしてその涙は、しばらくして喜びの涙に変わっていった。私だけが泣いていたのではなかった。世界大会の記録のビデオを見ると、ほとんどの人が泣いていた。
 久しぶりに参加した、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会は、参加国が格段に増え、文字通りの世界大会に成長していた。そのウェルカムパーティーの会場に大きな男が飛び込んできた。「シンジ!」と叫ぶ声に、私も瞬時に「マイク・マコービック!」と叫んでいた。抱き合い、18年の年月が一瞬に縮まった。彼は、京都での大会の、きつつきのロゴの入った大きな黄色のネームプレートを首からぶら下げていた。
 今回の大会開催のグループの会長で、この大会を開催したのが、これも京都大会に参加したジョン・ステグルスだった。さらに、大会初日、当時のドイツの会長だったディータ・スタインとも喜びの再会をした。彼も最後に泣いたと言っていた。
 英語ができないと評判のアジアの日本人が、なぜ、第一回の国際大会が開催でき、その後も、国際吃音連盟の創立に貢献ができたのか。一人の女性との運命的な出会いがあったからだ。
 20年前、私は当時大いにもめながらも蛮勇で強引に世界大会開催を決めた。しかし、どこの国にグループがあるかも知らないし、世界各国機関や大学への手紙など、何をするにしても英文の文書がいる。大会中の同時通訳は予定していたものの、準備段階の活動にこれだけ英語が必要なのかと、途方に暮れていた頃、親友の吉田昇平の7回忌の法事が京都であった。私と同じ「どもりの虫」で、吃音に命を賭けていたライバルだった。法事の時間に遅れてひとりで行ったことが幸いし、進士和恵さんと出会うきっかけとなったのだった。若くして病で亡くなった彼が、親友の私の窮地を救った。
 Kazue Shinjiと、Shinji Ito。海外ではよく夫婦と間違えられる。20年間、国際的な活動に対する進士さんのサポートがなかったら、私の夢は夢のままで終わっていたことだろう。改めて感謝する。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/29

書くことの楽しみ

 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2004.2.21 NO.114 の巻頭言のタイトルは、「書くことの楽しみ」です。書き出しに、毎日毎日文章を書いている、とありますが、20年経った今でも、それはほぼ変わりません。メモ程度のものも含めると今も毎日何か書いています。ノートや紙に書いていたこともあったと思いますが、今はほぼパソコン相手です。
 2004年の春、オーストラリアのパースで開かれる第7回世界大会に出発する前日に書いていたらしい巻頭言です。国際大会のことも、第6回ことば文学賞のことも、懐かしく思い出しました。

  
書くことの楽しみ
          日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 毎日毎日文章を書いている。完成させた文章だけではなく、メモ程度のものも含めれば、おそらく書かない日はないだろう。それも、吃音に関わることがほとんどで、自分の本質に関わるテーマだから、時に重く苦しい。
 文章を書きながら、怒りや悲しみがわき上がってくることがある。そして、書きながらそれが徐々に収まっていくプロセスはうれしいが、収まった後にまた新たな怒りや悲しみがわいてくる。書くことは自分を生きることであり、今の自分の歩みに立ち会うことでもある。まだ私は、文章を書くことの中に、軽やかな楽しみを見い出せない。それは、私にとっての吃音は、大きな大きなテーマであり続けるからだろう。
 かつて私は、吃音に深く悩み、吃音を治そうと闘いを挑み、他者を自分をひどく傷つけて生きてきた。その苦しみの中から、吃音は闘うべき相手ではなく、和解し、手をつなぎ、共に人生を生きるまたとない伴侶だと思うようになった。
 その吃音を、敵視し、ねじ伏せ、自分の管理下に置くことをすすめる臨床家は少なくない。吃音に取り組む当事者はどうか。明日から出かけるオーストラリアのパースで開かれる、吃音国際大会は、1986年、私が大会会長として第1回の大会を開いて7回目になる。ここまで続き、これからも続いていくことは大変にうれしいことなのだが、国際大会のプログラムを見て、少し不満をもった。私たちの海外への発信が不十分なこともあるのだが、セルフヘルプグループにつながる人たちの意識も、吃音はあくまで闘う相手なのだ。
 第1回で私は大会宣言の中に、「吃音研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いの研究、実践、体験に耳を傾けながら議論をし、解決の方向を見い出そう」と対等な立場に立って、「吃音に取り組もう」という文言を入れた。しかし、世界の動きは、まだ専門家主導で動いているとしか思えないようなプログラムになっていた。吃音の悩みからの解き放ちは、吃音の治療改善にしかないと考えているからなのだろうか。これまで以上に世界への発信の必要性を感じたのだった。
 今回で6回になる、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの「ことば文学賞」。今回は、15編と応募も多く、作品の内容の傾向が変わってきたと感じた。
 「ことば文学賞」の入賞選考は、朝日新聞の学芸部の文学担当として、長年作家の文学作品に触れ、ご自身も書き続けて来られた高橋徹さんにお任せしている。毎回私たちの作品を丁寧に読み、大阪吃音教室の「文章教室」で講評して下さる。
 どもる人の苦しみ、悩みから解放されていく喜びを常に共感をもって読み取って下さる。私たちが信頼している選者であり、長い間私たちの書くことを支えて下さってきた師匠でもある。安心して、選考は全てお任せしている。これまでは、吃音の悩みや苦しみと真っ正面から向き合い、そこから新たな生き方を探るような作品が選ばれることが多かった。ところが、今回の入賞作3編は、これまでの選考基準とは趣が違うように私には感じられた。文章を書く楽しさや喜びがある作品だ。
 どもる私たちが、長年「書くこと」をとても大切にして、取り組んできたのには、次のような意味合いがある。

*自分のために書く
 日記に自分の苦悩を書くことから始まって、私は、読み手を意識して書くことで、自分を見つめ直すことができた。
*後に続く人のためになれば、と考えて書く
 吃音にとらわれた苦しみから解放されていくプロセスを書くことは、後輩に自分のしてきた過ちを繰り返して欲しくないための発信となると思った。
*書くこと自体が喜びであり楽しみとして書く

 この三つを繰り返しながら、書いていくのだろうが、私は、自分を見つめるためと、後に続く人への発信の意味で書くことが多い。高橋さんは「ことば文学賞」の選考を通して、書くこと自体を楽しむ書き方もすばらしいのだよと、私に言って下さっているような気がする。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/26
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