最後の質問になりました。自分の吃音をどう理解してもらうかについては、自分なりに整理しておく必要があります。人は、人のことはなかなか理解できないものだという前提に立って、たとえ理解してもらえない環境であったとしても、自分自身を自分できちんと支えていく覚悟をもつことが大切だと思います。また、どもらずに話すことは難しいですが、相手に届く声で、相手に届くことばを発することはできます。その訓練は、日本語のレッスンとして、普段の生活の中に取り入れることはできます。
どう理解してもらいたいか整理しておくことと、日本語のレッスン
《第7問》
奥田 実際、会社に入ってからのことですけれど、自分の吃音をどう理解してもらうかということについての質問です。ことばで伝えられたらいいと思うけれど、相手が理解することはなかなか難しい。同僚にどう伝えたらいいか、上司にどう伝えたらいいか、何かポイントになることについて、教えて下さい。
伊藤 まず、その人がどう理解してほしいのか、整理しておくことが、大切だと思います。
どもっているとき、待っていてほしいのか、大目に見てほしいということか、代わってくれということか。こういう条件があれば、仕事がしやすいから、条件を作ってほしいということか。それらをきちんと整理しておくことです。どもる事以外の仕事に自信があれば、上司や同僚に対して、「〜はできないけれど、〜はできる」と、きちんと説明することはできるし、していくことは必要なことでしょう。
ただ、それより先に、大事なのは、人は他人を理解しにくいものだと考えておくことです。特に吃音のことは、理解されにくいと思います。人が人を理解するのは難しいことだということは、前提として持っていた方がいいと思います。
僕の友人で、関節リウマチの人がいます。24時間の激痛があると話してくれましたが、その痛みの生活を理解するのは難しいです。痛みが少しましになったときに眠るのだと聞きましたが、大変だろうなとは思っても、彼の本当の痛みが理解できるかといったら、できないと思います。最近よく、吃音のことを理解してくれないと言う人がいますが、じゃ、その人自身がどれだけ他の人のことを理解しているかといったら、できていないでしょう。 他の人のことは理解していないのに、自分のことは理解してほしいというのは、虫が良すぎます。だから、自分のことを理解してくれないことへの愚痴、批判はしないことです。でも、一応、話してみることはいいことだと思います。協力してくれる人はいるかもしれない。いたなら、そういう人を少しずつ増やしていくことはできるかもしれません。

また、どもるから思っていることの半分も言えないということを聞くけれども、自分の思っていることを伝えるには訓練が必要です。その訓練は、どもらずに言う、つまり治すための訓練ではありません。相手にちゃんと伝える訓練です。それはできます。
相手に伝えるためには、相手の人と向き合っていく体かどうかが大切です。人を拒んでいては、人とつながることはできません。他者に対して開いていく、まるごとの体で人に向き合うことができるようにしていくことです。
分かりやすく話すためには、要約力、文章力をつけることも大切です。
また、相手に届く声を育てるための日本語のレッスンはできます。僕たちは、竹内敏晴さんから、教わりました。息を吐くこと、息の流れを大切にすること、一音一拍で母音を押していくことです。母音を押していくことで、結果としてゆっくり話すことになります。 何をどう伝えるかということと、相手にしっかりと届く声を意識して話すこと。つまり、相手に対して、自分に対して誠実に話していくことです。
日本語のレッスンについては、また話したいですね。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/05
どう理解してもらいたいか整理しておくことと、日本語のレッスン
《第7問》
奥田 実際、会社に入ってからのことですけれど、自分の吃音をどう理解してもらうかということについての質問です。ことばで伝えられたらいいと思うけれど、相手が理解することはなかなか難しい。同僚にどう伝えたらいいか、上司にどう伝えたらいいか、何かポイントになることについて、教えて下さい。
伊藤 まず、その人がどう理解してほしいのか、整理しておくことが、大切だと思います。
どもっているとき、待っていてほしいのか、大目に見てほしいということか、代わってくれということか。こういう条件があれば、仕事がしやすいから、条件を作ってほしいということか。それらをきちんと整理しておくことです。どもる事以外の仕事に自信があれば、上司や同僚に対して、「〜はできないけれど、〜はできる」と、きちんと説明することはできるし、していくことは必要なことでしょう。
ただ、それより先に、大事なのは、人は他人を理解しにくいものだと考えておくことです。特に吃音のことは、理解されにくいと思います。人が人を理解するのは難しいことだということは、前提として持っていた方がいいと思います。
僕の友人で、関節リウマチの人がいます。24時間の激痛があると話してくれましたが、その痛みの生活を理解するのは難しいです。痛みが少しましになったときに眠るのだと聞きましたが、大変だろうなとは思っても、彼の本当の痛みが理解できるかといったら、できないと思います。最近よく、吃音のことを理解してくれないと言う人がいますが、じゃ、その人自身がどれだけ他の人のことを理解しているかといったら、できていないでしょう。 他の人のことは理解していないのに、自分のことは理解してほしいというのは、虫が良すぎます。だから、自分のことを理解してくれないことへの愚痴、批判はしないことです。でも、一応、話してみることはいいことだと思います。協力してくれる人はいるかもしれない。いたなら、そういう人を少しずつ増やしていくことはできるかもしれません。


相手に伝えるためには、相手の人と向き合っていく体かどうかが大切です。人を拒んでいては、人とつながることはできません。他者に対して開いていく、まるごとの体で人に向き合うことができるようにしていくことです。
分かりやすく話すためには、要約力、文章力をつけることも大切です。
また、相手に届く声を育てるための日本語のレッスンはできます。僕たちは、竹内敏晴さんから、教わりました。息を吐くこと、息の流れを大切にすること、一音一拍で母音を押していくことです。母音を押していくことで、結果としてゆっくり話すことになります。 何をどう伝えるかということと、相手にしっかりと届く声を意識して話すこと。つまり、相手に対して、自分に対して誠実に話していくことです。
日本語のレッスンについては、また話したいですね。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/05