伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音体験

吃音の当事者研究

 「スタタリング・ナウ」2007.12.18 NO.160 の巻頭言を紹介します。どもる当事者としての使命について書いています。
 吃音の悩みは「治る、治せる」と信じ、治ることを夢見て、吃音を否定し、治すために努力を続け、ますます吃音の悩みに深まっていくことと言えます。これは、吃音に悩んだ当事者でなければなかなか理解できないことかもしれません。吃音の治療・改善が、吃音に悩む人の幸せにつながるに違いないと信じて、吃音治療に取り組む善意の臨床家は、それが、吃音を否定し、自分を否定することにつながることに、なかなか気づかないでしょう。治療・改善を目指すことは、このままの私ではいけないのだという自己否定につながるのではないでしょうか。
 読み返してみて、そんな思いを強くしました。

  
吃音の当事者研究
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「どもりを治したいという気持ちから、もう、治らなくてもいいやとか、どもりでよかったなあと思えるようになりました」
 「どもるのが嫌で治したかったけど、今はこれは私の個性だから治さなくてもいいというか、…治らない方がいいです」
 
 TBS放送の番組『報道の魂』と『ニュースバード・ニュースの視点、特集・吃音』のふたつのテレビ番組で、中学1年生の女子生徒二人がさわやかに語る映像が流れた。吃音親子サマーキャンプ中に取材を受けていたものの、放送内容については全く知らなかった私は、このようなインタビューの受け答えに本当に驚いた。
 私の学童期・思春期は「吃音が治る」ことしか考えられなかった。「吃音が治る」ことが、私の人生の出発であり、どもっている間は、ただの準備期間にすぎなかった。その状態が21歳まで続いた。
 「吃音は治療できる。完全には治らなくても、吃音をコントロールすることができる。そのためには、吃音の専門家と共にセラピーに取り組もう」
 この主張は根強く私たちを誘惑する。吃音に悩んだ人で「吃音を治したい」と思わない人はおそらくいないだろう。私も、この二人の女子生徒もかつてはそうだった。
 「どもる人が吃音で困ることと、吃音に悩むこととは違う。この二つを分ける必要がある」
私は言語聴覚士の専門学校でいつも強調する。どもる人が困ることは何かと問えば、かなりの人はそれなりに想像がつき、的はずれな答えはあまり出てこない。しかし、吃音に悩む人の本当の深い悩みについては想像することが難しいようだ。
 もちろん、困ることも、悩むことも、様々な要因によってひとりひとり違うので、吃音の悩みとはこれだと決めつけることはできない。私はこうだと言う他はないのだが、かなり共通している深い悩みは、「吃音は治る、治せるはずだ」と思いこんでいたことだった。ある人は治すために血のにじむような努力を続けた。作家・金鶴泳はそのうちの一人で、何年も吃音治療として吃音コントロールの訓練を続けたと、日記に記している。(「スタタリング・ナウ」NO.120 2004.8.21)
 吃音の悩みは「治る、治せる」と信じ、治ることを夢見て、金鶴泳のように、吃音を否定し、治すために努力を続け、ますます吃音の悩みに深まっていくことだ。これは、吃音に深刻に悩んだ当事者でなければなかなか理解できないことだろう。
 また、吃音を治療・改善してあげることが、吃音に悩む人の幸せにつながるに違いないと信じて、吃音治療に取り組んで下さる善意の臨床家は、その試みが、吃音を否定し、吃音に悩む人を吃音治療の「あり地獄」に向かわせる可能性があることに、なかなか気づかないだろう。
 どもる子どもにとっては、「ことばの教室の先生がこんなに真剣にどもり方を変えようとがんばって下さっている。このままの私ではいけないのだ」という自己否定につながる可能性をはらんでいる。
 私は、自分自身や、多くの人の治すことのこだわりの苦悩から、1974年「吃音を治す努力の否定」を提起し、治すことにこだわらない実践を続けてきた。ここにきて再び盛り返してきた「どもらずに話す」「吃音をコントロールして話す」よう提案する動きに対抗していくのは、当事者の経験を、思いを伝えていくしかない。
 吃音研究者・吃音臨床家は私たち当事者の声に耳を傾けて欲しい。また、吃音に悩む人々に、「吃音治療・吃音コントロール」以外にも道があるのだよと伝えたい。大阪スタタリングプロジェクトの『ことば文学賞』は体験を文章にして残す試みだ。さらに踏み込んで、どのような経験によって「吃音の悩み」から解放され、吃音と共に生きる道筋に立てたのか、一人一人が吃音体験を整理し、それを普遍的なものとして意味づけをしていく試みをしていきたい。これは、吃音に苦しみ悩みながら、一つの方向を見い出し、今自分らしく生きている私たちのすべき大きな使命のひとつだろう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/13

吃音が治らなくても

 今日は、「スタタリング・ナウ」 2007.11.20 NO.159 の巻頭言、『吃音が治らなくても』を紹介します。2007年のこの文章を読み返してみて、つくづく、僕は17年前と何も変わっていないなあと思います。
 今年の1月、NHKのEテレ「フクチッチ」の番組の中で、僕は、「人生の目的は、吃音を治すことではない。自分がいかによりよく生きるか。吃音は、決して人生を左右するほどに大きなものではない。それをきちっと受け止めれば、あなたの人生は豊かに切り開いていくことができるんですよ」と言い切っていますが、それと全く変わらないことを、ここでも書いています。「吃音は治らないもの」との前提に立って、吃音がその人の生活や人生に大きなマイナスの影響を与えないように、「吃音と向き合い、吃音と共に生きるにはどうすればいいか」を、揺らぐことなく、考え続けてきました。

  
吃音が治らなくても
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「吃音は治るものなんですか?」
 「治らないと思いますよ」
 「えっ、・・こんな質問しなければよかった」
 寂しく暗い表情で、間髪を入れずに言ったこのことばに、母親のショックと落胆ぶりが表れていた。同席していたことばの教室の教師、後ろで記録をしていた二人のことばの教室の教師も、母親の正直なリアクションに凍りついたという。
 11月の初め、神奈川県秦野市立西小学校で、神奈川県のある地区の言語障害研究会の研修会があった。午後の講演の前に、午前中は会場校の小学1年生と2年生の二人の子どもの指導につきあったのだ。子どもが帰った後、母親との懇談がもたれた。冒頭のやりとりだけを紹介すると、冷たい、ひどい話し合いのように思われるだろうが、ここから話し合いは大きく展開していく。
 「吃音が治らないと聞いて、ショックのようですが、治ると思っていたのですか。治らないとしたらどうなりますか。かわいそうですか。もし、そう思っておられるのでしたら、そう考える方がかわいそうですよ。どもっていても大丈夫ですよ」
 当初はショックからか緊張がみられたが、私の問いかけによく話をし、またよく私の話を聞き、徐々に二人の母親の表情が和らいでいった。最後には、「どもる子どもの将来に不安がありましたが、安心しました」とまで言って下さった。この短時間の変化には、ことばの教室の教師も驚いていた。数日後、母親から、気持ちが楽になったと書いた感想文がファックスされてきた。
 「吃音は簡単には治るものではない」との情報は親としてはショックだろう。しかし、ある程度の時間をかけて、吃音について正確な情報を伝えると、ほとんどの人は理解して下さる。
 治らなくても吃音からマイナスの影響をあまり受けずに、吃音とつきあうことができることを、具体例をたくさん挙げて説明するからだ。「治らない」というある意味マイナスの情報の5倍以上の「どもっていても大丈夫」の情報を伝えるのだ。
 吃音の研究臨床では相も変わらず、吃音症状が吃音の中核の問題であり、「治すべき、改善すべき」の前提がある。吃音をマイナスのものと見る吃音観があるからだろう。私は、吃音をマイナスのものととらえない。「どもっていても大丈夫」と本音で思っているから「吃音治療、改善」は目指さない。
 「吃音は治らないもの」との前提に立って、吃音がその人の生活や人生に大きなマイナスの影響を与えないように、「吃音と向き合い、吃音と共に生きるにはどうすればいいか」を40年近く考えてきた。そして、様々な活動の中から、私はその考えにますます確信をもつようになった。
 どもる人のセルフヘルプグループ、大阪吃音教室の活動、吃音親子サマーキャンプや、島根県、静岡県、岡山県のことばの教室の教師が企画する吃音キャンプや相談会などで、多くのどもる人、どもる子どもや保護者と出会ってきた。その数はおそらく世界一だろうと私は思っている。
 私は自分自身の吃音の苦悩の体験から、吃音の問題は、吃音そのものにあるのではなく、吃音をマイナスのものと考えることで影響を受ける行動・思考・感情が中核的な問題だと主張してきた。
 私たちが直接関係した人々の多くは、吃音に関する行動・思考・感情が変化し、吃音が人生の大きな問題とはならなくなった。吃音が問題とはならなくなった実績は、他の吃音臨床家の「治癒もしくは改善」の治療実績とは比較にならないくらい私たちが圧倒的に多いと思う。私たちが知らない世界中では、さらに多くのどもる人々は、吃音が問題とならなくなり、吃音と共に生きている。
 この事実があるから、「吃音は治らない」と私は躊躇なく言うことができる。そして、何をしたらいいのかも具体的に提案できる。
 私自身の吃音体験を話すとき、同時に大きく変わったどもる子どもやどもる人々の顔、それを支えた親の顔がたくさん思い浮かぶ。それを支えに、私は今日も「吃音は治らない。治らなかったら、何か問題がありますか?」から問いかけていく。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/08
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