伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音ホットライン

10冊運動のお願い

 今日は、「スタタリング・ナウ」2005.1.22 NO.125 の巻頭言を紹介します。2005年のこの文章の中でも、僕は、時代は変わったと書いていますが、それから19年、またまた時代は変わりました。10冊運動とは、今の時代にはとてもできそうにないことをお願いしていたんだと、僕自身、とても懐かしく読んだ文章を紹介します。
どもりと向き合う 一問一答 表紙 ここで紹介している「知っていますか? どもりと向きあう一問一答」は、2004年に出版しました。多くの版を重ねてたくさんの人に読んでいただきましたが、絶版となりました。何でも、手軽にインターネットで調べられる時代です。ページをめくり、活字を読むことは、あまり流行らないのかもしれません。でも、僕は、本から情報を得ることも大切にしたいです。本を手に取って読んで欲しいとの僕の思いがあふれています。
 先日、ドラマ「舟を編む」を見ました。辞書づくりについて描かれていました。ことばを大切にすること、紙のもつ触感、インクの匂いなど、本づくりに通じるものを感じました。
 「どもりの相談」も「知っていますか? どもりと向きあう一問一答」も絶版ですが、そのほかにも、僕はたくさん本を書いています。ホームページから検索してみてください。興味がもてた本から読んでいただければうれしいです。
 今も、吃音への正しい理解を広げるため、できることを続けていきます。

10冊運動のお願い
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「そちらは吃音ホットラインですか?」
 不安そうな第一声の電話が、私の開設している吃音ホットラインに毎日全国からかかる。成人の相談だけでなく、中学生や高校生、どもる子どもの親、児童相談所などの相談機関からの問い合わせも多い。インターネットが普及していなかった頃は、新聞やテレビで紹介された直後はたくさんの問い合わせがあるが一時的だ。今ほど日常的で頻繁なものではなかった。どもり始めてまだ3日目という母親からの電話などに接すると、ホームページを開設していることの大きな意義を思う。
 その吃音ホットラインに、最近民間吃音矯正所に対する苦情や相談の電話が増えてきた。器具の購入を含めて40万円以上使ったが、全く治らない、インチキではないか、という問い合わせや、高校生の子どもが「どもりは必ず治る」という本を読んで、そこへ行って治したいと強くせがむが、信用できるのか、という親の問い合わせなどである。まるで消費者センターのようである。
 今から40年前の1965年、私がどもる人のセルフヘルプグループの設立に動いた頃は、民間吃音矯正所盛況の時代だった。私が通った東京正生学院には私が在籍していた4か月の間に、300人以上の人が集まっていた。都内にはその他数カ所類似の矯正所があり、大阪や九州にもあった。
 その後の私たちの活動は、ある意味、「どもりは治る」と宣伝する民間吃音矯正所との闘いでもあった。「治らなかった」人々がセルフヘルプグループに大勢集まり、なぜ治らなかったのか、そもそもそんなに簡単に治るものなのか、検討を加えていった。その結果、これまでなら、繰り返し通っていた人々が、二度と「どもりは必ず治る」という甘いことばにだまされなくなった。かっての吃音矯正所は経営が立ちゆかなくなり、多くの矯正所は規模を小さくするか、完全に消滅していった。
どもりの相談 表紙 1978年「どもりの相談」という小冊子は、300円という安さとコンパクトさも手伝って、3万部を完売した。ひとりが10部20部と周りの人に広めていった成果だった。これら地道な活動の中から、どもりは簡単には治るものではないという認識は広がり、セルフヘルプグループの積極的な活動や、長年のことばの教室の実践や、言語聴覚士の法制化によって、吃音は「治すことにこだわらない、吃音とつきあう」方向へと向かうものと希望的に考えていた。
 ところが、インターネットは民間吃音矯正所をを復活させた。インターネットのおかげで、吃音ホットラインで出会う人たちは増えたが、その一方で、矯正所的なるものも復活させてしまった。皮肉なことである。それだけでなく、以前よりはずっと高額で悪質な、サギ商法にも似た「民間吃音矯正所」が現れ、インターネットや宣伝用の自費出版の書物が出版されるようになった。地方の小さな町の図書館に「どもりは必ず治る」とする本が著者から寄贈されていたのには驚いた。宣伝はより巧妙になってきたのだ。
 これらに対抗するには、正しい情報を広げていくしかない。かっての『どもりの相談』が3万人に読まれたように、『知っていますか? どもりと向きあう一問一答』を広げていかなくてはならないと考え、ひとつの運動として、「10冊運動」をお願いしたい。
 昨年は新聞で紹介され、多くの人が「知っていますか? どもりと向きあう一問一答」を読んで下さった。また、全国難聴・言語障害児教育研究協議会や講演会、相談会などで、私たちは積極的に販売した。一冊1050円という定価の安さと手頃な文章量で読みやすさがあったからだが。半年で1200冊が売れた。
 吃音は周りの理解が不可欠である。吃音の当事者だけでなく、周りの人に読んでいただくことが必要になる。ひとりでも二人でも、周りの人に売っていただくか、プレゼントしていただくか、できるだけ多くの人にご紹介いただけないだろうか。10冊とはいかくなても、1冊でも広げていって下さることが、吃音への正しい理解を広げる、私たちでできる取り組みではなかろうか。
 私たちも全力を挙げて取り組みます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/10

悩む力

 最近、僕の開設する吃音ホットラインに、相談の電話が増えました。ホームページを見て、僕にたどり着いてくれたことをうれしく思い、丁寧に話を聞いています。学年が上がるにつれて、発表したり、リーダーをしたりする機会が増えて、どもることが気になってきたという小学生、就活をなんとか終え、今、研修中で、これからうまく仕事をしていけるのだろうかと心配になってきたという若い人、就職を考える時期になり、自分の吃音と向き合いたいと思うようになった大学生など、新学期、新年度を迎え、新しい環境への不安をもつどもる人からの電話です。
 僕も、小学校6年生のときには、中学校生活が始まったら自己紹介があるだろうと心配していたことを、今となっては、なつかしく思い出します。
 吃音の悩みから解放された21歳の夏までは、吃音に限らず、何かに悩むことは、情けないことだと思っていました。いつも明るく元気でいることがいいことだと思っていました。でも、とことん悩むこと、悩みきることが、人間としての力につながるということを吃音を通して教えてもらいました。悩みと正面からぶつからず、逃げて、何かで紛らわせるのではなく、悩みと向き合い、悩み切ると、今度は、悩みの方が、次に何をしていけばいいのか、生きる方向を指し示してくれるのです。「悩む力」、このことばに、僕は勇気をもらいました。
 金鶴泳さんの『凍える口』との再会に際し、書いた巻頭言を紹介します。「スタタリング・ナウ」2004.8.21 NO.120 です。

  
悩む力
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


金鶴泳 シャピロ_0002 金鶴泳に再び出会うことができた。
 最初に『凍える口』を読んだ30年前とは、時代も変わり、私自身も変わったが、金鶴泳は当時のままに私の前に現れた。なっかしい時代と、なつかしい人に出会えたという感じがする。
 今の時代に、これだけ吃音に悩むことができる人がいるだろうか。吃音にこれだけ向き合える人がいるだろうか。かつて同じように吃音に悩んだ戦友に出会えた思いだった。
 吃音に悩んだ私たちのあの時代、40年前には金鶴泳や私だけでなく、吃音に悩む多くの人が、ただ吃音が治ればいいと漠然とした願望をもつだけでなく、本気で吃音を治したくて、実際に治すために必死の努力を続けた。
 私は4か月集中して、呼吸練習や発声練習、上野公園の西郷隆盛の銅像の前や山手線の電車の中での演説、街頭練習など厳しい訓練に取り組んだ。金鶴泳も、日記によると、何年も呼吸練習や発声練習を続けている。
 よりよく生きたいという、森田療法でいう、「生の欲望」があり、それを阻むものとして「吃音」があったがために、治す努力にエネルギーを注ぐことができたのだろう。しかし、その治すための努力を続けることが、かえって吃音へのとらわれを深めたことになったのだが、そうでしか生きられない私たちがあったのだった。青春のほろ苦い一ページだった。
 ニュースレターの交換でしかおつきあいはないのだが、アサーティブ・ジャパンの牛島のり子さんから、「夫が金鶴泳の『凍える口』を出版します」というお便りをいただいた。出版されたら是非『スタタリング・ナウ』で紹介をしたいと返事を出すと、今度は、夫の文弘樹さんから、刊行する本の折り込みの冊子に「金鶴泳の作品に寄せて」の文章を書いて欲しいと依頼を受けた。
 喜んで引き受けたものの、一読者として文学作品を気楽に読むのと、読後感を書くことを前提に、それも本の刊行とともに公開されるという前提で読むのとは、読む気合いが違ってきた。また、30年のその後の私の吃音人生を通して読むことにもなるわけだから、正座をして読む感覚で、金鶴泳に向き合っていた。
 金鶴泳は、これでもか、これでもかとどもることの苦悩をさらけだしていく。あのように吃音に悩んだからこそ、自分を、そして生きることを見つめ、それが文学として結実していったのだろう。
 悩みから逃げて、何かで紛らわせるのではなく、悩みと向き合い、悩み切る。すると、悩みが、次に何をしていけばいいのか、生きる方向を指し示してくれる。金鶴泳には、自分の吃音の苦悩を作品として書き切ることを、長い孤独の生活を生きた私には、人とつながるセルフヘルプグループを設立することを示したように。
 悩みに向き合い、しっかりと悩む中から、悩みが指し示してくれるものはひとりひとり違うだろうが、自分自身を新しい地平に立たせてくれる。
 私はセルフヘルプグループの活動によって、金鶴泳は小説を書くことによって、吃音の悩みから解放された。看護専門学校の校長・鈴木秀男は、精神科医の森山公夫との対談でこう紹介している。

 「金鶴泳という小説家がいるんですが、かれはひどい吃りであったというんですね。ところが、自分の吃りの体験を小説に書いたところ、吃り自体は治らなかったのだけれど、吃りが苦にならなくなったといっているんですね。そうすると、吃ることが苦しいのではなくて、吃ることをいろいろと思い煩うこと、つまり、吃りを病気というふうにとらえるなら、吃ったら困るなとか自分が吃ることをできるだけ他人に隠したいとか、そういう吃りについて思い悩むことが病気なんじゃないか、ということになる。吃る体験を作品として書いたことによって、吃ってもいいじゃないかという気持ちになったというのですね。
 〜後略〜『心と“やまい”』森山公夫 三一書房

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/16

自分らしく生きる 2

 婦人公論(中央公論社)の2001年4月7日号に掲載してもらった記事を紹介します。上村悦子さんが丁寧に僕をインタビューし、吃音について書いてくださいました。そのときの僕の年齢は、56歳。改めて、年を重ねてきたことを思います。

 
「以前は何年も前の幸せを思ってましたけど、今は目の前の幸せは何だろうって思うようになりました。今日は昨日より痛くない、とか。そういうささやかなことを探していくと、リラックスできるんだなあって。昔は限界を知ったら終わりだと思っていた。でも今は、そうじゃないと思える。そこから新しいスタートがあるんだ」

 リウマチという病を得て見えてきた風景について語る女優の叶和貴子さん。作家の荻野アンナさん、バレーダンサーの熊川哲也さんや読者の体験。
 婦人公論(中央公論新社)の2001年4月7日号の特集は、《自分らしく生きるとは?》。
 その特集に、「吃音のままでいいんだ」と上村悦子さんがインタビューをもとに吃音について書いて下さった。今読み返して、随分と長い文章を書いていただいたものだと思う。
 私たちの吃音体験が的確に表現されており、吃音を理解する上で多くの人に読んでいただきたいと、中央公論新社にすぐに転載の許可をお願いした。しかし、2001年の12月までは販売しているからそれまでは控えるようにとの連絡があった。すでにその時期を過ぎたので転載させていただいた。

 吃音のままでいいんだ

 「お名前は?」という質問に対して、自分の名前を何とか言おうとするのだが、言葉がつまって出てこない。本人にはつらい沈黙の時間が続き、それからようやく言えた。
 「イイイイイトウシンジです」
 相手はびっくりし、気まずい空気が流れる。日本吃音臨床研究会代表であり、大阪教育大学非常勤講師(言語障害児教育)の伊藤伸二さん(56歳)の体験談だ。世の中には、さまざまなコンプレックスを持つ人が多いが、コミュニケーションの最も身近な手段である言葉がスムーズに出ない「吃音」、つまり、どもる人の悩みは驚くほど広く、深刻である。周囲に理解されにくいハンディキャップを抱えたとき、自分らしく生きるには、どうすればいいのだろう。

十数年ぶりに腹の底から笑えた日
 「私は自分のどもりが大嫌いでした。でも、多くの仲間と出会い、今は堂々と、どもりでよかったと言えるんです」という伊藤さんが、紆余曲折のすえ、「どもる自分」を肯定的に受け入れられるようになったのは、どもる人のためのセルフヘルプグループを創った35年前。過去の暗くつらい体験をベースに、現在は「吃音と上手につきあおう」と、よりよい人間関係をつくるための吃音教室やことばの相談室など、さまざまな活動を行っている。
 「どもりの苦しさは、だれでも言えるような自分の名前や会社の名前など、相手が答えて当然と期待するようなことが言えないこと。他人を意識しなければ起きない障害だけに、常に人に気をつかい、その苦しさが何倍にもなることです」
 伊藤さんのもとには毎日、相談の手紙、電話、ファックス、メールが数限りなく届く。「吃音は必ず治る」「子どもの吃音は意識させないことが大切」といった間違った情報が氾濫する中で、親は子どもの吃音を見て見ぬふりをし、その結果、子どもも口を閉ざし、自分の吃音を否定し続けて成長する。逆に、親が治すことに熱心になりすぎて、子どもに劣等感を抱かせ、症状を悪化させる場合もある。
 どもる症状は、「タマゴ」を例にとると、
 屮織織織織織泪粥廚蛤能蕕硫擦魴り返す。
◆屮拭璽泪粥廚蛤能蕕硫擦魄き伸ばす。
「・・・・・・タマゴ」と、言おうとする言葉がつまって出ない。
 この、大きく3つに分けられる。
 しかも、サ行、タ行、母音など、発音しにくい音は人によって違い、緊張するとどもる人、逆にリラックスしたときにどもる人、また自分の名前や会社名など、言えて当然と思われる言葉が出ない場合など千差万別。そのうえ、症状が不定期に良くなったり悪くなったりする不思議な波があって、自分のことながら予測がつかないという複雑さ。原因についても、これまで無数の学説が出されたが、まだ不明のままだ。
 伊藤さんがどもり始めたのは、3歳ごろから。それでも明るく積極的な子で、吃音をはっきり意識したのは小学2年の秋である。学芸会で、『浦島太郎』の劇をやることになり、成績の良い子が主役に舞ばれていた当時、勉強に自信があった伊藤少年は自分が主役になるのではと期待した。ところが決まった役は、せりふのない「村人A」。友達に「どもりやから、せりふのない役になったんや」と言われ、言いようのない屈辱感を味わった。
 「それ以来、どもるのは恥ずかしいことと、劣等感を持つ子に変わってしまった。私のどもりの旅は、そこから始まりました」
 授業中にあてられても、最初のひと言が出てこない。ケンカをするたびに浴びせられる「どもりのくせに偉そうに言うな」の罵声。いじめの標的になり、自信を失い、孤立していった。中・高校生になっても、逃げてばかりの生活が続いた。自己紹介がいやだからと好きなクラブを辞め、国語の授業で朗読がある日は校門に立ちすくんだという。
 そんな伊藤さんの夢はひとつ。不幸の原因であるどもりを治すことだった。
 「どもりさえ治れば、本当の人生が始まる」
 2浪の末、東京の大学に合格、三重県から上京することは、大学よりも民間吃音矯正所へ入るのが目的だった。
 「呼吸法に発声練習、戸外での演説…、4ケ月間、懸命に訓練に励んでも、どもりは治りませんでした。でも、そこはどもる人だらけの世界。どもることを気にせず人に思いっきり話を聞いてもらうのがこんなに嬉しいのか、仲間といることがこんなに安らぐのかと思い知らされた。十数年ぶりに、腹の底から笑えたんです」
 伊藤さんは、「せっかく出会えた仲間と今後もどもりについて話し合っていきたい」と、1965年、21歳でセルフヘルプグループを旗揚げした。いくら訓練しても治らない現実をふまえ、「どう治すかよりも、どう生きるかを探っていこう」と、「吃音を治す努力の否定」を提起する。大学を卒業後も会の活動を続けながら、72年には大阪教育大学の言語障害児教育教員養成一年課程に入り、修了後、助手から講師の道へ。その間にも全国各地を回って、吃音巡回相談会を開くなど、自分たちの考えをアピールするとともに、どもっても前向きに生きる人たちと出会い、グループ創立10年の節目に『吃音者宣言』を発表した。
 「どもりを認めなければ、自分らしさを表現するよりも隠すことにとらわれてしまう。どもることを全面的に受け入れ、前向きに暮らしていけば、新しい人や出来事と出会え、自分も、症状も変わっていけるんです」
 その後、伊藤さんは「自分は研究者ではなく当事者の側にいるべき」と考えて大学を辞め、「ことばの相談室」を開設。94年に日本吃音臨床研究会を設立し、現在、吃音と上手につきあうための「大阪吃音教室」や、電話相談「吃音ホットライン」、昨年は146人が参加した「吃音親子サマーキャンプ」の活動のほか、『吃音と上手につき合うための吃音相談室』(芳賀書店)などの本も出版している。各行事のゲストには詩人の谷川俊太郎さん、演出家の竹内敏晴さん、また同じ吃音者として、映画監督の羽仁進さん、芥川賞作家の村田喜代子さん、落語家の桂文福さんら、多くの著名人の協力も得ている。
 「特に子どもの場合、初めてキャンプに参加して、自分以外にたくさんのどもる子どもやどもる人がいることにまず驚く。そして『あなたもどもっていいんだよ』との呼びかけや、どもっても明るく生きている大人の姿に、徐々に心を開いていく。吃音というのはそれだけ閉ざされた世界なんです」 つづく

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/20

NHK番組「にんげんゆうゆう」視聴者の感想

 「にんげんゆうゆう」をご覧いただいた方は大勢いらっしゃいました。番組の最後に、僕の自宅の電話番号である、吃音ホットライン:072-80-8244 が流れたのですが、相談の電話がたくさんかかってきました。1週間で200件はあったでしょうか。その後もしばらく反響は続きました。僕は自宅の住所も、電話番号も、そして顔写真もオープンにしています。その頃と比べて、今は、インターネットの世界は格段に広がり、いろいろな人が吃音に関しても発言しています。きれいに飾られた、見やすい画面に、たくさんの情報が発信されています。それを作った人がどんな人なのか、どんな考え方をもっている人なのか、その発言にどんな背景があるのか、それらを確かめてみる必要があるだろうと僕は思います。安易に、耳に優しい情報に惑わされないよう、気をつけたいものです。
 今日は、「にんげんゆうゆう」をご覧になったひとりのどもる子どもの母親の感想を紹介します。

   
二度のテレビ体験
                           松尾ひろ子

 久しぶりに、中学校3年生になる息子とテレビを囲んだ。この日は、朝から自分がテレビに映るかもしれないと、とてもうれしそうであった。
 5年前、私は、当時小学校4年生になる息子の吃音に悩み、はじめて大阪吃音教室の両親のための相談会に参加した。その時も、『週刊ボランティア』という番組のNHKのカメラが入っていた。その時は、何とか吃音を治してやりたいことしか考えられず、息子の吃音をテレビの電波を通して公表することなどとても考えられなかった。
 今、こうして息子も映り、吃音を取り上げたテレビを二人で見て、吃音の話ができるなんてその時は想像すらできなかったことである。改めて自分自身の変容に驚いている。
 新聞のテレビ欄ではよく目にしていた『にんげんゆうゆう』ではあったが、実際に最後まで見たのは初めてであった。限られた時間の中で見事に『吃音』が語られていた。《吃音って何?》《吃音の人は何が困るの?》《セルフヘルプグループって何をするの?》そんな見る側が抱くであろう疑問に、具体的にわかりやすく説明されていた。また、大阪吃音教室の様子や親子サマーキャンプの紹介、そして吃音ホットラインが画面上に流れたことも、吃音理解に効果的であった。
 吃音でない人も、吃音の人も、また、どもる子どもを持つ親やそれに携わる人々が、それぞれの立場でそれぞれ得るものがあった貴重な番組ではなかったかと思う。
 その中の「話したい内容がある」「生活の質」が大切という点について、思いつくままに自分の子育てを振り返ってみたいと思う。
 まず、日常の生活の中で、子どもがどもってでも話したくなるような聞き手(母親)であっただろうかということである。どうしても、話の内容よりもことばがすらすら出るか、母音が出にくい、などの話し方がとても気になってしまい、子どもにとっては「聞いてもらった」「わかってもらえた」という実感は持てなかっただろうと思う。
 これは私自身の未熟さに起因するものであるが、子どもが今、伝えたい気持ちを話し方も含めて全部を受け止めてやるだけの心の余裕が持てなかったことも実感している。
 子どもが小さい時ほど不安が大きく、『何とか話させないと、話せなくなってしまうのではないか』というような強迫観念にも似た気持ちが働いていたと思う。
 今、思春期に入った息子は成長と共に口数も少なくなってきた。何を考えているのか不安になる時もあるが、話したいことがある時は嬉々として話すことがある。(話すというより、「今の僕の気持ちわかるやろ!なあなあお母さん」という感じである)
 私は、「ふーん」「そうなの」ぐらいの相づちぐらいしか打てないが、その時は手を休めテーブルに座り、その情景を想像しながら聞くように心がけている。息子がうれしい、悲しいといった感情を親にぶつけてくるのも、後僅かであろうと思うが、丁寧につき合っていきたいと思っている。
 どもる子どもの子育て(私は基本的には、特別な子育ては必要ないと思っているが)で配慮がいるとしたら、「いつでもあなたの話は聞けるよ」という心の余裕と、子どもがいくつになっても親として聞き上手になるための工夫や努力であると思う。
 番組が終わり、私は吃音という重いテーマにもかかわらず、さわやかな印象を感じていた。吃音を《贈り物》と言える伊藤さんの生きざまに脱帽しながら。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/22

「にんげんゆうゆう」の番組から

 その日、大阪吃音教室に初めて参加した人の最後の感想が、「吃音でもいいかな」でした。大阪吃音教室の映像を含めた30分番組「にんげんゆうゆう」の中から、僕の発言を少し集めて、番組で伝えたかったことをまとめました。以前は、NHKのホームページに掲載されていたのですが、今は、時間がかなり経過しているため、このページは存在しません。当時、掲載されていたものを紹介します。

 
2000年6月のNHK番組「にんげんゆうゆう」 放送内容の概略

 6月第3週 シリーズ「仲間がいるから乗りきれる」
 言葉に詰まったりどもったりする吃音を持つ人たちのグループ活動を紹介します。


6月22日(木)吃音
ゲスト:伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)
    岡 知史さん(上智大学助教授)
      *社会福祉の立場からセルフヘルプグループを研究

言うべき内容があるのか
 どもる・どもらない以前に、自分には言いたいことがあるのか、言うべき内容があるのかということを問いかけていきたい。つまり、話したいという気持ちを持つような充実した生活をいかに送るか。その中でしゃべりたい内容を育てる。それが大切なんじゃないでしょうか。(伊藤さん)

 3歳の頃から吃音に劣等感を抱いていた伊藤さんは、35年前にセルフヘルプの会を作りました。21歳の時に4ヶ月間、吃音治療機関に通ったことがきっかけでした。
 「吃音は治らなかったけれど、同じ悩みを持つ人たちの中で初めて自分の苦しみを話し、聞いてもらえたことが嬉しかった。どもることを気にしないでしゃべるのがこんなに楽しいのかと。この安らぎや喜びを失いたくないと思ったったんです」(伊藤さん)

 伊藤さんの会の活動の一つに、吃音と上手につき合うための「大阪吃音教室」があります。この日は、吃音で困っていること悩んでいることを、まず作文に書いて発表しました。

 「…いま私は、時々どもってしどろもどろになる弱いところを、出しながらも、強い父親として子どもに関わっています」(会社員44歳)

 そして、作文の発表をきっかけに話し合いが始まります。この日初めて大阪吃音教室に参加した女性は、吃音のイメージが変わったと語りました。

 「吃音に対してはマイナスなイメージが強かったんですが、みなさんとお会いしてお話を聞いて、良いこともあるんだなと。私も吃音ですけれど、吃音でもいいかな、と思えるようになりました」(会社員24歳)

 伊藤さんの会では、子どもを対象にした吃音親子サマーキャンプも開いています。
 「吃音が変化するとしたら、日常生活でどんどんしゃべることしかないんです。日常生活でしゃべろうよ、と背中をポンと押す。そして、しゃべって失敗したら、それをみんなで聞いて支え合い工夫をするのが、セルフヘルプグループの大きな役割だと思います」(伊藤さん)

●吃音ホットライン
  TEL&FAX(072)820-8244


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/20

吃音ホットライン

 この一面記事を書いたのは、2000年。今から23年も前のことですが、状況は変わっていないことに驚きます。変わらないどころか、より悪くなっているのかもしれません。3年に及ぶコロナの影響もあり、人と人とのつながりはますます希薄になりました。マスクの下に、人の表情は隠れてしまい、マスクの顔しか見ないで育った子どもへの影響を考えると恐ろしくなります。
 さて、吃音ホットラインの電話、ホームページからの問い合わせメール、膨大なネット情報の中、たどり着いた方から、届きます。いい出会いになることもあれば、誠実に丁寧に返信したつもりでも、まったくレスポンスがないことが少なくありません。せっかく問い合わせてくれたのに、その後どうしているのだろうと心配です。僕の思いが届かなかったということでしょうか。仕方がないことだなあと思いつつ、それでも、今、僕たちにできることを精一杯していこうと、自分自身が書いた、この巻頭言を読み返して、そう思いました。
 「スタタリング・ナウ」2000年5月 NO.69の巻頭言を紹介します。

  
吃音ホットライン
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「東京からひとりぼっちの若者をなくそう」
 ひとりぼっちでいることの辛さを人一倍経験している都内のサークルのリーダーたちと実行委員会を作り、『第1回東京若者フェスティバル』を開いたのは、私がどもる人の会を作って3年目の頃だった。
 1960年代は、集団就職の青年、思想や政治などを学ぶ意欲をもつ青年、趣味やスポーツなど、自らが求めれば受け入れてくれるサークルが多種多様にあった。若者のサークルがまだ力をもっていた時代だった。
 また、ひとりでふらっと入った"歌声喫茶"で隣の人と肩を組み、『カチューシャの唄』や『学生時代』を歌う時、新しい友となることさえあった。そこには、ひとりの世界に閉じこもり、自らの身体の中に、声を響かせるカラオケとは全く違う横のつながりがあった。ひとりひとりの力は小さくても、仲間が集まれば何か新しい動きが生まれそうな、そんな夢があった時代だった。
 我が国の経済的な成長は、豊かな暮らしと引き換えに様々なものを奪っていったが、そのひとつが人と人とのつながりだろう。
 最近、引きこもりの少年の衝撃的な凶悪な事件が続いた。全体の事件からすれば、割合としてはごくわずかだろうが、連続して起こると引きこもりが事件の要因であるかのように見られるのが怖い。誰も引きこもりたくて引きこもっているのではない。それにはそれなりの様々な要因があり、今はそうでなければ生きられない、というメッセージだと私は思うが、引きこもりの…という短絡的な論評を見るたびに私の身は縮む。
 極めて独断的な推論だが、これら事件を起こした少年は、引きこもりの状況からの脱出を試みたのではないか。それも仲間を求めるそれではなく、自己の存在を否定し、人間として生きることを放棄するという方法で。この覚悟、とまではいかなくても予感はしていたのではないか。犯罪というひとつの後押しを得て、この社会から退場する。ひとつの引退劇だ。ひとり寂しく引退していくのは嫌だから、大勢の人を観客にして、見知らぬ人を巻き添えに引退劇の主役を演じる。あたかも犯人は私だ、と言っているように、遺留品を残したりするのは、その計画の稚拙さだけではないように思えるのだ。
 この少年たちの特異性を指摘するのは容易い。しかし、それだけでは今後の何の役にも立たない。競争に一度負けたら二度と立ち直れない社会。少しの違いを認めようとしない社会。教育に最大の投資をしなければならない時期にきているというのに全く動こうとしない日本の政治。大人がしなければならないことが多いのに、空しさが、絶望感が広がる。
 しかし、かって「ひとりぼっちの若者をなくそう」と私たちが立ち上がったように、その力は小さくても数多く集まれば大きな力となることを信じたい。
 「あなたはひとりではない」
 この、世界に共通するセルフヘルプグループからのメッセージを、今こそ広げなければならない。
 『吃音と上手につきあうための吃音相談室』(芳賀書店)の出版を機に、吃音ホットラインと名づけた電話相談を始めた。何かの記事の連絡先に電話をかけてくるのとでは明らかに違う電話が最近多くなった。「そちらは、吃音ホットラインですか」で始まる電話は、時に1時間ほどかかることもある。初めて他者に吃音のことを話せたという人。電話でしばらく泣いた後、「泣かせていただき、ありがとう」と言った中年の女性。「また、電話していいですか」と、3度、電話をかけてきた高校生。人と人のつながりが薄れていく時代に、せめて吃音に関しては、ひとりぼっちで悩む人につながりたいと始めたのが吃音ホットラインだ。
 これが私にできる唯一のことだから、今日もあなたからの電話を待っています。
(「スタタリング・ナウ」2000年5月 NO.69)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/09
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