伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音ショートコース

第14回吃音ショートコース〜発表の広場〜

 吃音ショートコースという、2泊3日の体験型のワークショップを21年続けました。迎えた講師のジャンルは幅広く、僕たちの学びの場でした。交流分析、論理療法、認知行動療法、アサーション、アドラー心理学、笑いとユーモア、表現など、その分野の第一人者を迎えてのワークショップは、楽しい時間でした。今、その吃音ショートコースは、新・吃音ショートコースと名前を変えて続いています。
 今日は、第14回吃音ショートコースの「発表の広場」というプログラムの報告です。「スタタリング・ナウ」2008.12.23NO.172 より紹介します。

 
 
どもる子ども、どもる人のためのことばのレッスンをテーマに開かれた今年の吃音ショートコース。テーマについては、詳しく年報などで紹介するが、プログラムの中には恒例の「発表の広場」がある。どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもを支援する臨床家、それぞれの発表は毎年とても充実し、新しい発見や感動がある。
 吃音ショートコースの報告は、今年はこの発表の広場の一部を紹介する。紙面の都合で8人の発表の中から、はじめの4人を紹介する。参加者の中で最年少と最年長が続いたのはおもしろかった。
 当日の発表のテープ起こしに少し手を加え、再現しました。文責は、編集部にあります。

  僕が、今考えていること
                        佐々木大輔 浜田市立小学校6年生

 僕が思う本当に暮らしやすい社会は、弱い立場の人たちがのびのびと生きられる社会です。これを自分なりにどもりに例えると、どもる人がのびのびとどもることができる社会だと僕は思います。そのためには、二つやり方があると思います。
 一つ目は、その人なりの考えをもって、他の人の視線を気にしないこと。二つ目は、他の周りの人がその相手の人に対して自分と違う考え方を、その人らしさとして認めてあげることだと思います。
 一つ目の、その人なりの考えをもっというのは、一言で言えば、自分のどもりについて知ることだと思います。そのために、何をすればよいかを、僕の好きな福沢諭吉さんが『学問のすすめ』の「まんが版」の中で、書いていたのを紹介します。
 まず観察、それから推論、この間に読書が入って、知識を増やします。それから、議論をします。他の人と情報交換をし、発表する。
 自分の意見を大勢の前で発表するというのは、かなり自分の考えがはっきりしていないとできないことだと思うので、大事なことだなと思います。
 僕は、このサイクルのできるのが、大阪吃音教室や、ことばの教室だと思います。最初の観察とか推論は、一人でできることだけど、議論や発表は、同じような仲間がいないとできません。そのためにも大阪吃音教室が大事になってくると思います。仲間がいるからこそ、このサイクルが回るのだと思います。
 僕自身、ことばの教室には通っていませんし、大阪吃音教室みたいなのも島根にはありません。そう考えると、いろんな意味でもこのサイクルを実行できる場というのは大事だなあと思います。
 例えば、僕の場合は、吃音親子サマーキャンプや島根スタタリングフォーラムという集まりのときでは、人の目を気にせずにどもれるというか、話せます。そのサマーキャンプで、「あっ、自分、今どもってるなあ」と気づき出したのが、キャンプに参加して、3、4回目くらいのときだったんです。
 サマーキャンプは高校3年生で卒業式があります。でも、3回以上サマキャンに参加しないと卒業生資格はありません。その理由はサマキャンの味というか、体に染みこむのは最低でも3回は必要だということらしいです。偶然なことに、そのことと合わさって、「あっ、僕もサマキャンの味がからだにしみこんだから、分かったのかなあ」と思いました。だから、毎回発見があるサマキャンは、大事だと思います。
 友だちとのつながりも大事だと思います。
 例えば、浜田市の陸上大会があって、そこで島根スタタリングフォーラムで出会った他の学校の友だちがいて、待ち時間、ちょっとどもりながらしゃべってたんです。しゃべりながら、どもり仲間っていいなあと思いました。なぜなら、どもりながらしゃべるという、自分の本当のしゃべり方で相手としゃべれるからです。そのときの様子を、周りから見れば、かなりおもしろかったと思うんです。同じ、つっかえるような者同士がすごい大きな声で笑いながらしゃべってるというのは、周りが見てもちょっと、これ、笑えるかなあと自分なりに思いました。
 僕は、そのときに、やっと自分のことを正しく理解してくれている人と話せるなあ、他の人も多分理解してくれているだろうけど、やっぱり同じような悩みというか、症状ということをもつ人と話せるという、わくわくした気持ちで、その友だちと話していました。
 このサイクルの話に戻りますけれど、このサイクルを使って、自分のどもりについて知れば、もっと自分のどもりの知識も、判断力もついてくると思います。今の世の中、判断力がすごく大事だと思うのです。このネット社会で、世の中にはほんとかウソか分からないようなことがいっぱいあって、ネットで調べ学習をしても区別がつきません。そういう意味で判断力を高めれば、信じるものは信じて、疑わしいものは捨てて、どれを取り入れてどれを捨てるのかという判断を正しくできるので、判断力は大事だと思います。
 二つ目の相手を正しく理解するということも、判断力とからんでいて、今こそ吃音は治らないという、ちゃんと情報があるのだから、ことばの教室の先生やどもる子どもをもつ親の人が、悩んでいる子どもの良き頼れる正しい相談者になれば、もっと子どももよい解決の方に向いていくんじゃないかなあと思います。
 僕自身、お母さんが通級指導教室の先生で、いつも、治らないよとか、いろいろいいアドバイスをしてくれたので、そこまで悩むということはありませんでした。先生や親が「どもりは治るよ」と、アメリカの吃音学者のバリー・ギターみたいな考え方をすると、子どもも親も、どもりは治ると思ってしまいます。だけど、どもりは完全には治らないという現実にぶち当たって、それから、今度はなんで治らないの、なんで、なんでという行き止まりにぶつかると、あり地獄みたいにぐるぐるぐるぐるはまっていってしまうんだなあと僕は思います。
 周りの理解というのは、違いを認めることだと思います。その人の苦手なこと、僕の場合、体育が全くだめなんですけど、その苦手なことがあっても、この人はこのままでいい、みんなと一緒でなくてもいいと思えることがすごく大事になってくると思います。同じそうじの班に、A君という、みんなと一緒に行動することがちょっと難しい男の子がいるんですけど、そのA君は、彼のことを理解してくれる人たちが周りにいると、にこにこと笑顔なんです。だけど、なんかなかなか理解してもらえない人の周りだと、ちょっと眉間にしわがよっているという感じで、やっぱりA君も自分に対する視線や雰囲気を感じるのだなあと見ていて思いました。
 あともうひとり、僕と同じ6年生の友だちから、ちょっとキモイとか言われているB君という友だちもいて、態度も、理解してくれる人と理解してくれない人では、全く違うんですね。理解してくれる人には、明るくて楽しくてやさしい。僕の場合、その彼はチロルチョコが好きだから、あげるよとか言って、修学旅行とかでももらったりとか、バレンタイン、男同士でしたり、すごくおかしいんです。理解してくれる人には、明るく楽しいB君なんだけど、理解してくれない人にはぶつぶつ不平とか不満を言ったり、態度が違います。
 僕は、人間は誰ひとりとして、自分の思い通りになる人は絶対いないと思います。そう思って、弱い立場の人として、僕は接しています。弱い立場の人と話していて、なんでこんなに光るものがあるのに弱い立場にあるんだろうなあということを考えます。僕は、同じクラスとか学年にいる何人とかがグループで集まって、差別したりとか、おかしいと思って、同じ目標に向かってがんばろうというときに、やっぱり差別をするのは、クラスとか学年とかのまとまる雰囲気もガラッと乱すし、集団とかその場の空気も弱い立場の人に対して悪い空気になっていくからです。
 僕は、みんな同じ人間なんだから、差別しても特別意味があるわけでもないし、差別されている人を見ると、かわいそうだなあと思って、ちょっと胸が苦しくなります。一番最悪のパターンは、正しく理解しようとする努力もしないで相手の悪口、陰口を言うパターンだと思います。このパターンだけはやめてほしいです。僕が感心したのは、前に話した陸上大会の友だちで、その友だちがむちゃくちゃどもりながら、友だちの、前田君の名前を、呼んだんですね。そしたら、前田君は、「なに?」と、他の学校の人がいる前で、むちゃくちゃどもって名前を呼ばれたのに、「なに?」と普通に、聞き返していて、このやりとりを見ていて、このどもっている友だちのことを、ちゃんと前田君は理解しているんだなあと、そして周りの人も前田君みたいにその友だちのことを理解してるんだろうなと思いました。
 僕も、自分のどもりについて理解してもらってる人はたくさんいるけど、この友だちは僕よりも激しくどもるので、もっと感心しました。これまでのことをみてきて、相手に対して正しい理解をするというのは、簡単そうに見えて、実は難しいものだというのが分かりました。理解するということから、よいコミュニケーションを作る上で、非常に大事な第一歩だと思います。
☆知るための(知り)のサイクル☆
  推論(リーズニング) ← 観察(オブザベイション)
   ↓       読書 ↑
  議論(ディスカッション) → 発表(スピーチ)

質問 昔から、どもりは治らないという情報を持っていたけれど、治らないと自分が判断した根拠というか実感というか、あったら教えて下さい。
回答 特にはない。どもっているという意識がまだ自分にないとき、周りの大人の人にやさしく接してもらったり、伊藤伸二さんの本をよんだり、お母さんの話から、どれだけがんばっても、軽くはなっても、完全には治らないということを教えてもらったので、じゃあ、努力してもだめなんだと知っていたので、最初からがんばろうとか治すぞという気持ちはありませんでした。


  会社の朝礼16年間をふりかえって
                    徳田和史 大阪スタタリングプロジェクト

 最年少の発表の次には最年長で、あれだけ堂々とやられたらとてもやりにくいのですが。
 私は、吃音ショートコースの第一回、1995年からずっと参加してるんですけど、この発表の広場が非常に楽しみで、いつも前で坐ってじーっと聞いているんです。けれども、今日はスピーカーになって、ちょっとそわそわして、柄にもなく緊張してます。
 私は、大阪吃音教室の金曜例会に参加し始めて20年ですけれど、例会に初めて来られる社会人男性に吃音教室に参加された理由は何ですかと聞いたら、いろいろな理由があるんですけど、「実は職場の朝礼で困ってるんだ」という方がかなり多いんです。私ももちろん同感なんですが、私は同感どころか、会社の朝礼の朝礼担当を16年間やってまして、いろんなことがあったので、今日はそのことを話させてもらおうと思ってるんです。
 普通、週1回とか月1回、輪番でスピーチをしますが、私の場合は朝礼担当者だったので、16年間、毎日なんです。出張とか有給休暇をとったときだけは代わりの人にやってもらいましたが。
 忘れもしない1981年、今から27年くらい前のことです。私はその当時、貸し切りバスの営業所の運行課にいたんですが、人事異動が出まして、本社管理課勤務を命じられ大ショックでした。なぜ大ショックかというと、入社した当時から本社管理課というのは、朝礼とか会社の式典を担当している部署で、ここだけは何があっても行きたくないと思っていたところだったんです。ところが、突然きて、これは宿命、運命だと思って、仕方なく赴任しました。赴任したはいいが、3、4年たって、よりにもよって朝礼担当に任命されました。それからが地獄の朝を毎日迎えることになるんです。
 朝礼というのは大体最初は定例文句から始まるんです。「○月○日○曜日、今日は○○課からの連絡です」日にち、これだけはもうごまかすわけにはいかないし、言い換えするわけにもいきません。最後は「以上です。今日も元気にがんばりましょう」とタイミングを見計らってバッと言って終わりになるわけです。私はア行、力行が苦手なもので、以上ですの「い」や5月15日火曜日なんてことになると、大変です。それとタイミングよく「以上」と言わなければいかんのです。別に「以上です」ということばを使わなくてもいいんですけど、大体歴代の人がそのことばを使ってきているから、それでないといけないのかなあと思って、そうしてたんです。毎日定型文句を言わなくちゃいけない。生身の人間ですから、調子のいいときもあれば、悪いときもある。睡眠不足の日の朝もあれば、風邪をひいて声が出にくい日もある。もうその日、その日によって、自分の声というのは違う。朝目が覚めたら、今日は○月○日○曜日だなあ、言いにくい日だなあとか言いながら、憂鬱な朝を毎日迎えていました。
 その当時、車でずっと通勤してたもんですから、朝通勤の間ずっと憂鬱な気持ちで、今日はうまくいくかなあ、声が出るかなあと思っていました。私の場合、どもりですから、もちろんどもっても構わないんですけど、声が出るかどうかが問題です。朝、初っぱなの、会社の出発点ですから、どもっていては気の毒です。そんなことばかり気にして、朝、車で通勤してたんです。
 毎日こんな恐怖に怯えて、通勤していました。ましてや車を運転していますから、事故を起こしてはいけない、なんとかしなくちゃいけない。この先、このままじゃ自分はつぶれてしまうぞと思って、何か行動に移して、自分を変えたいなと思ってたんです。目を覚まして、今まで休んでいたのどを急に使って、「○月○日○曜日です」と言うよりも、ちょっと準備運動でもして、ならして、本番に臨んだ方が言いやすいだろうし、また皆さんにも自分が言いたいことが伝わるだろうと思いました。そこで、ちょっと声のトレーニングみたいなことをやってから、本番に臨もうかなと思ってました。
 さて、何がいいだろうか。車を運転してますから、本を読んで声を出すわけにもいかないし。そこで思い出したのが、芝居のセリフです。私は、それ以前に、大阪吃音教室の有志と一緒に竹内敏晴先生のレッスンを受けてました。札幌で開かれた全国大会で、「夕鶴」という木下順二さんの劇を発表することになり、特訓がずっと続いていたんです。芝居の特訓ですからセリフを覚えなくちゃいけない。ああ、そうか。あのセリフを車の中で思い出して、毎日大きな声でやってました。多少は準備運動になるだろうなと思ったりして。「与ひょうの奴、近頃は、炉端で寝てばかり…」とやってました。ただ、声を出すトレーニングといっても、やみくもに声だけ出していたってしょうがないから、自分でマニュアルを作りました。
 「喉開けて、母音の流れを感じつつ、ソフトにめりはり、一音一拍」
 このスローガンを作って、これを朝車に乗ったとき、頭にたたきつけて、3回くらい唱えて、それからやるわけです。「あの女房、決して織っとるとこを見ちゃならんちゅうて機やに入るげな。そこで与ひょうの奴、正直にのぞきもせずに朝起きると、立派な布ができあがっとる」というセリフをずっと何回も何回も繰り返して言いました。
 セリフだけじゃなく、般若心経も以前から覚えてましたので、それをやったりして、本番に臨んでました。それをやったからといって、うまくいくわけじゃないですけども、やるだけのことはやって、臨みました。心が安らぐというほどではないですけども、一応自分でやるだけのことはやってみようと思って、ずっとやってました。
 こんなどもる私が朝礼をやってたら、いずれ人事異動が出てどこかに飛ばされるんじゃないかと思ってましたけども、これがまた不思議に飛ばされずに永遠と続いて、結局は16年間やってしまったんです。
 16年間もやって、何か自分に得るものがあったかなあと思って、振り返ってみますと、はっきり言って、16年間自分でもよくやったなと思いますし、おかげでその間のストレスとプレッシャーで、頭の髪の毛が真っ白になりました。今、多少黒いですけど、これは染めてるんです。私、後ろまで全部真っ白なんです。心理的なストレスがあったのかなと思って、自分でよくやったなと思いました。そのほかに感じたことは、自分がどもりや朝礼について悩んでいるほど、聞いている人はそんなに思ってないんだということです。だって、16年間、どもりながらでもさせられてきたというか、やってきたんですから、あかんなと思ったら、途中で代えられたでしょう。一度、朝礼が終わった後、社長から「君、もうちょっと発音の練習したまえ」と、みんなの前で言われたことがあるんです。強行突破してバーッと言ったときなどは、その当時の私の上司が、朝礼が終わった後、首をかしげて、「あかん」とか言うのが、見えるんです。落ち込みました。
 そんなこともいろいろありました。もうひとつ、毎日やってましたけど、予期不安というのは何回やってもとれなかったし、今でも皆さんの前で話すときは緊張しますし、予期不安、緊張というものはとれないものだなということが分かりました。
 それと、あと良かったことは、自分の声にこれだけこだわり続けることができたことです。声というものはいつも同じような声を出しているのかなと思ったけれど、毎日車の中で発声、トレーニングしていると、その日の温度とか湿度とかあるいはからだの調子とか、そういうのによってからだの響きというのが多少違うんです。特に私の場合は、睡眠不足の場合は、胸が上がってきて、呼吸が乱れて声が非常に出にくいし、調子のいいときは、声帯の振動とからだとの共鳴でいい響きが出るんです。そういうのを感じとれるようになった。そういうことで、自分の声の調子や響きなんかも感じとれるようになったのも、やっぱり毎朝やってたからかなあと思って、今はよかったかなあと思っています。
 今は、朝礼担当から外れたんです。というのは、7年前にメール送信システムができて、ひとりひとりパソコンが与えられて、連絡事項も全部メールですることになったんです。僕らは1分間スピーチで肝にして要、5W1H、てにをはチェック、バーンとやると、ばーっといっちゃうし、しゃべらなくてもいいんです。非常に楽で、正確で、自分の悩みだった朝礼がなくなって、清々しい朝を毎日迎えて、通勤してるんです。
 でも、私は朝礼がなくなっても、毎朝車の中でのトレーニングはまだやってます。というのは、高齢化して、ときどき70歳くらいの人のことばを聞いていますと、声がかすれて、よく聞き取れなかったりしていますけど、僕はあんなことにはなりたくないなあと思って、今もやってるんです。昨日も交流会で藤岡さんに「徳田さん、いい声してますね」なんて言われて、うれしかったんですが、やっぱりトレーニングのおかげだったんだなと思ってます。


  サマキャンは変わらない
     〜高校生の参加者として、スタッフとして〜

                   井上詠治 大阪スタタリングプロジェクト

 吃音親子サマーキャンプに子どもとして参加して感じたことと、後はスタッフとして参加して感じたことをお話しようと思います。
 高校2年生のとき、どもりでは就職もできない、生きていけないと将来を悲観し、たまたま雑誌でみつけた横隔膜バンドで、これで治ると、パンフレットを取り寄せて、親に買ってくれと30万円なので、30万で治るのなら安いものだと言って、懇願したことからスタートしました。当然、親からは、そんなものはだめだときっぱり否定されて、その後、児童相談所に行って、京都の福祉センターに行って、そこからサマーキャンプのことを知って参加するようになりました。
 最初は、自分が一番醜いどもり、嫌などもりのことを赤の他人の前でしゃべるのは絶対嫌だと思ってまして、参加したくなかったんですけども、電話や手紙で説得されて、参加するようになりました。私が初めて参加したのが、キャンプが始まって3回目でした。当時は、ふれあいスクールという名前で呼ばれてまして、参加人数は子ども7名ということもあり、今では考えられない規模だったなと思います。
 僕は、どもりを治しにいくという意気込みで参加しまして、話し合いの場に横隔膜バンドのパンフレットをもっていきました。伊藤伸二さんに「これ、どうや」と渡して、「そんなもの、だめだ」と即答されたのがすごく印象に残ってます。
 初めて参加して、ひとつ衝撃的だったのは、大人の人のどもりに出会ったことです。参加したときは高校生で、それまでの10何年間、大人のどもりに出会うことはなかった。スタッフの人がどもっているのを見て、あっ、大人になっても治らないんだと思いました。子ども心に大人になったらみんな治るものかなというふうに思っていたんですが、大人の人が前で一生懸命どもっているのを見て、ああやっぱり治らないものなのかなとがっかりした記憶があります。
 もうひとつ、同世代の仲間との出会いが一番大きかったです。夜、部屋で話をするんですけど、他愛ない話をするんですが、普段はやっぱり言い換えとかどんな仲のいい友だちでも吃音ということをどこかに、頭の片隅に置いてしゃべってたけど、その空間だけは言い換えとかどもることを気にせずにしゃべることができ、すごく居心地がよかったなと思いました。そんなこんなで、それから連続5年間参加しまして、第7回で、僕は卒業となりました。
 それから、就職して、9年間の年月が流れまして、だんだんキャンプの記憶も薄れていったんですが、たまたま大阪吃音教室に参加するようになって、そこで今度はスタッフとして参加してみないかと誘われて、それがきっかけで、今度はスタッフとしてキャンプに参加することになりました。
 参加人数は150名近くということで、僕が参加したころは多いときでも100人もいなかったと思うんですけど、すごくびっくりしました。もうひとつびっくりしたのは、キャンプのメニューが10年前と全然変わっていないこと。出会いの広場をして、話し合いをして、作文を書いて、劇をして、というのが全然変わってなくて、これが伝統みたいなものになっていっているのかなあと思って、ちょっとうれしく思いました。
 子どもたちと接することになるんですけれど、今度は大人として子どもたちに接するわけです。小学生などを見ていると、ものすごく無邪気でやんちゃでうるさいんですけども、ふとその裏側には、かつての僕がそうだったように、キャンプが終わって学校生活に戻ると、また吃音と闘うという表現はちょっとまずいかもしれないですけど、また向き合わなければいけないんだなと思いました。僕も中学校と高校とものすごく苦労したので、今小学生の子がこれから同じような苦労をしていかなきゃいけないのかなと思うと、ちょっと胸が痛い思いがありました。
 劇を指導する立場になりました。僕がやったころは、何も考えずに脳天気に演技していたんですけど、いざ人に教えるというのは、難しかったです。見よう見まねでやってたんですけども、子どもによっては、練習のときに一言も発音できない子どももいました。一生懸命教えて、いざ本番になって、なんとか自分のことばでせりふを言おうとする姿を見て、なんかジーンときました。
 僕が参加者として演技をしていた頃、劇を見ている大人がよく泣くんですね。なんで泣いているのか、全然分からなかったんですけど、大人になって、指導する立場になると、なんとなくその気持ちが分かるような気がしました。
 キャンプでは夜にフリータイムがあって、スタッフと親との交流の場が設けられています。私は母親や父親の中に入っていって、話を聞いたりしてました。僕は何もアドバイスとかもちろんできないんですけども、ひとつそのときに思ったのが、自分の両親はどうだったのかなあということです。僕の親は、知る人ぞ知る、「どもらずにしゃべれ」というのを広告の裏に書いてふすまに貼るような親で、全く無理解な親だったので、ずっと僕は恨んでました。なんでどもりなんかに産んでくれたんだ、とずっと恨んでたんですが、キャンプで親の話を聞くようになって、うちの親も多分悩んでたのかな、うちの親なりに子どもの将来を案じてそういう行動をとってたのかなと、今となってはそういうふうに思えるようになりました。今は、もちろん恨んではいないです。
 親子で参加している子どもたちや親を見ていて、僕はとても幸せなことだなあと思いました。子どもにとって、自分が一番しんどいと思っている吃音に対して、親が理解しようとしているという姿勢を見せるということはものすごく心強いことです。別に何かをしてほしいというわけではないんですけど、そういう姿勢を見せてくれるだけで、子どもは前向きに生きていけるのではないかと思いました。このキャンプが親子で参加するということにこだわる理由というのが少し分かりました。
 最後になりましたが、そんなキャンプも来年で20周年を迎えることになります。僕は子どもとして、スタッフとして、その半分くらい携わることができました。僕がもしキャンプに参加してなかったら、多分この場に立つこともなかっただろうし、どもりを治すことに執着してもっと暗い人生を歩んでいたのではないかと思います。キャンプは、どもる子どもにとっての、その後の人生にものすごく影響を及ぼす大事なイベントだと思っています。そんなキャンプに微力ですけれども、今後もかかわっていけたらと思っています。



  変わっていく子どもたち
                       高木浩明 宇都宮市立雀宮中央小学校

 吃音ショートコースには何回か来ていますが、キャンプは初めての参加でした。行きたいなあとは思っていたのですが、栃木県では夏休みがちょっと短いため、全日程参加できないことと、もうひとつは自分たちもキャンプみたいなことをやっていたので、サマーキャンプでいろんなものをたくさんもらうと、自分たちのしていることに影響を受けるんじゃないかなと思ったこと、この2つで今まで参加できませんでした。自分たちがやろうとしていることと比べて、うらやましいなあと思いながら、なんとなく尻込みしているのも正直ありました。そろそろ行ってもいいかなあと感じ始めたのは、ショートコースに来て、いろんな人と話をして、キャンプの話を聞いたということもあったし、子どもたちとずっと積み重ねをやっていくと、やっぱり変わっていく子どもたちやおうちの人の様子も見ていたので、そろそろ大丈夫かなと思い、参加しました。
 キャンプから帰ってきて、次の日から仕事も始まりました。運動会の練習で忙しく過ごしていたんですが、ふっとメールを見たら、伊藤さんからキャンプの感想を書くようにというメールが来ていました。そういうときに限って、メールを開けるのが遅れ、送られてきた直後だったら、「だめです」と言えるけど、締め切りまであと2日となると、他の人に頼むこともできないんだろうなと思って、なんとか書きました。書き終わったら、今度発表するようにと言われて、「はい」と言って、またここへ来たんです。
 今回、6年生の話し合いの中にいたのですが、6年生の子たちが話し合いの時間の枠の中でも変化していくことに気づきました。
 もうひとつは、話し合いの後の劇の練習のときのことです。前の日の話し合いで、「僕はタイミングをとってるから、あまりどもらないんだ」と言っていた初参加の男の子が、練習を始めたときは、それなりに自分でペースをつかんでしゃべってたんですが、2日目の夜に小さな部屋から体育館みたいなところで通し稽古のようにやったら、ものすごくどもったんです。真っ青な顔をしているので、終わった後、その子と5分か10分くらいしゃべったんです。「明日どうする?」という話をしていて、「でもまあなんとかやります」という話をして、そのときは「どういうふうにやりたいの?」と言ったら、「やっぱりどもらないでやりたい」と言ってたんです。でも、みんなの様子を見ていると、「どもってもいいかなあともちょっとは思うんだけど」と言って揺れている状態だったようです。
 一晩経って、次の日また朝練習したんです。私は直接その様子を見てなかったんですけど、そのときにまたすごくどもったときに、中学生の男の子が「せりふを変える?」と言ったらしいのです。言いにくいことばを違うことばにしたらどうかなというようなことを言ってたみたいなんです。二人のやりとりを聞いていて、どういうふうに言かなと思ったら、「いや、そのままやります」と言いました。
 それを聞いたときに、ああ、一晩、彼はきっといろんなことを考えて、今日を迎えたんだろうなあと思いました。なんか舞台に立つというか、表に立つとき、度胸をつけたなあと思いながら、その様子を見ていました。本番になって、そんなにスラスラ言えたわけでもないけれども、でも、彼は舞台の袖から戻ってきたときに、すごくいい顔をしていました。終わったというのもあるんでしょうけれど、よかったという話をしてました。
 もうひとつは、女の子なんですが、学校に行けないでいる子が、話し合いの中で、ふっとそのことを話し始めたこともありました。
 キャンプから帰ってきて、なんかうらやましいなあと思ったのは、同じことなんです。話し合いをすることだったり、作文を書くことだったり、劇だったり、していることは違っていても、いつも自分のどもるということと向き合っている。それが3日間のキャンプの中で、繰り返されている。さっきの井上さんの話で、キャンプのメニューが全然変わっていないというのは、そういうことだと思うんです。何度も何度も自分のどもりと向き合う場面が繰り返しある。3日間あるから、これだけ変わるんだなあというか、たまっていくんだなあというのをすごく感じました。それが、このキャンプの魅力なんだなあと思いました。
 私たちが学校で、あるいは地区で、キャンプではないけれど、スクールをやろうかというと、必ず、初めて会う子たち向士だから、よく担当者の方でゲームみたいなことをやりましょう、ということが出てくる。なんか、ただ出会っていればいいんじゃないか、というところにいってしまう。怒られるかもしれないけれど、ただ会えればいいんじゃないかというところにいっちゃうんですね。それが、いつも非常にくやしいなあと思っていました。そうじゃないよねということで、私たちは今、話し合いもやってるんです。初めて会う、しかもたかだか2時間くらいしかない、でも話し合いはしようということでやり始めたんです。自分と向き合うこと、他の人が向き合っている様子を見ること、そういうことを繰り返せるというのは、やっぱりすてきな時間なんだなあと感じています。
 19年間続いているということは、大きいなあと思いました。今の自分と先の自分というのは、見えているわけではないのかもしれないけれど、なんか感じているんだろうなという、そんな気がすごくしました。
 今年初めてキャンプに参加したんですが、スタッフの動き方が普通のキャンプと全然違うという話をしたら、そういうふうに感じた人が他にもいたんです。スタッフがスタッフらしくないというか、普通だと仕切る人がいて、その人がリーダーになって、次はこれですよ、次はこれですよと、どんどんやるんだけど、ここのキャンプはそういうことをしなくてもみんなが動いていく。それが全然違う。こんな話をしながら、このキャンプって、たくさんの年齢層の人がいるけれど、積み重ねで何度も何度も来ている人がいるから、なんか自然にそういうものを身につけている子たちがいて、初めて来た子もそれを見ながら動いているんだろうなと思いました。そうすると、学校の宿泊学習をやるみたいに、「早くしなさい。5分前ですよ」なんてことをいちいち言わなくても、自然と動けるんだろうなと思いました。そういうものも含めて、積み重ねてたくさんの人たちが関わり続けているということはすてきなことだなあ、いいことだなあと思いました。
 最近、うちの学校で事件を起こした子がいて、その子と担任の先生が時間を作ってしゃべろうという話をしてたんですね。そしたら、担任の先生が、しゃべる時間は作れるんだけど、何をしゃべっていいか分からないと言ったんです。その子のプライベートなことや育ってきた環境のことなど、たくさんあるけれど、どこまで踏み込んでいいのか分からないという話を聞いたときに、自分だったら、ポーンとぶっかっていっちゃうよなあと思いました。キャンプのときの様子を思い浮かべると、子どもと話し合うのもそうだし、子どもとほかでしゃべっていてもそうですけど、初めて会う子たちなんだけど、向こうからもいっぱい出してくれるし、それをこっちがすぐ投げ返せるような位置にいるんだなあと思いました。そういう経験をスタッフとしてたくさんやっていくことが、自分自身にとっても大切な時間だと感じています。
(「スタタリング・ナウ」2008.12.23 NO.172) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/09

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】3 なぜ、ここに? ここだからこそ!

 2003年に開催した第9回吃音ショートコースでの【発表の広場】で発表されたものを紹介してきました。今日で最後です。最後は、巻頭言で紹介した、「どもらない人」である掛谷吉孝さんの発表です。
 掛谷さんは、僕たちが事務局をしていた、竹内敏晴さんの大阪での定例レッスンに、毎月、広島から参加していました。そこで出会い、吃音ショートコースや吃音親子サマーキャンプにも参加するようになりました。竹内さんが亡くなってからは、自然と離れてしまったのですが、先日、久しぶりに連絡をもらいました。
 NHK EテレのハートネットTV「フクチッチ」を見て、連絡してくれたのです。「フクチッチ」のテーマが吃音というので、もしかしたら僕が出るかもしれないと思ってテレビを見たら僕が登場したというのです。イベントには参加できないと思うけれど、「スタタリング・ナウ」を購読したいとのことでした。3時間半以上カメラが回り、取材を受けたが、流れた映像はとても短いもので残念だったなあと思っていたのですが、こんなうれしい、おまけのような、掛谷さんとの再会を作ってくれました。

なぜ、ここに? ここだからこそ!
                   三原高校教諭・掛谷吉孝(広島県)

 緊張しますね、やっぱり。発表の広場で話をしてみないかと2,3週間前ですか、伊藤さんに急に言われて、どうしようかなと思ったんですけど、割と安請け合いをしちゃうタイプなので、引き受けてしまいました。僕は吃音でもないし、臨床家でもないのに、なんでここに来てるのとよく言われるのですが、どっちでもない人がここに来てどんなことを思ってるかを話してくれないかと言われたので、まとまったことは言えないのですが、思っていることを話したいなあと思います。
 もし、お聞きになって、それはちょっと違うかなということがありましたら、後でいろいろ聞かせてもらえたらと思います。足りないことは伊藤さんがつっこみを入れてくれるということなので、それに任せたいと思います。
 なぜここに来るようになったかというのは、5年前に、掛田さんが話をされた竹内敏晴さんのレッスンでたまたま伊藤伸二さんに会ったことがきっかけなんです。僕、最初、伊藤さんが何をしている人か知らなかったんです。2回か3回くらいレッスンに通って話をしたりしているときに、伊藤さんがこんなのがあるのだけどと、この吃音ショートコースのことを教えてくれました。そのときは、《表現としてのことば》というテーマで、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんをゲストに呼ぶということだったので、そこだけ聞いて、行ってみたいなあと思って、「いいですね」と言ったら、伊藤さんが「じゃあ、案内を送るから」と言われて、それから何日かして送ってきてくれたんです。いいなあと思ったんですが、正直、案内を読んだときに、さあ、ほんとに行っていいのかなと思ったんです。
 僕は、吃音でもなくて、吃音の人にかかわっている仕事をしているわけでもない、それで行っていいのかなという迷いがちょっとあったんです。そのときに同封されていた、『スタタリング・ナウ』に、読売新聞に伊藤さんの半生記が載っているのを読んで、伊藤さんがいろいろ紆余曲折というか辿ってきた道を書いてあるのを読んでいて、ますます僕が行っていいのという気持ちがあったんです。あったんだけど、伊藤さんの方から声をかけてもらったということがあったし、これも何かの縁かなということと、参加対象という中に吃音の人、臨床家、コミュニケーションに関心のある人という項目があったので、これは自分をここに当てはめていけばいいだろうと半ばこじつけて来ることにしました。
 吃音ショートコースは研修もおもしろかったんですけど、驚いたことが二つありまして、一つは吃音の人ってこんなにいるのか、ということでした。僕は吃音ということで、思い出したのは、小学校の同級生でどもっていた子がいたんです。その子のこと、だいぶ忘れていたんですが、吃音ショートコースがあるよと聞いて吃音という文字を見たときに、その子のことを久しぶりに思い出しました。
 そういえば、あいつはどうしてるのかなあということを思い出しました。僕が吃音ということで知っている人ってそのくらいだったんですけど、ここに来たら仰山、こんなにいるのかなと、先ず一つ目はそれが驚きでした。
 それともう一つ、昨日もコミュニティアワーがありましたけど、どもる人って、こんなにしゃべるの? みんな悩んでるのとちがうの? と思ったんです。正直、部屋の中にいっぱい人がいて、みんなしゃべってる、それにすごく圧倒されました。そのときは、端の方にちょこんとすわっていただけだったと思うんですけど、何なんだろうということをしばらく思ってたことがあります。
 何回かここに来ていて、思うのは、吃音のことで悩んでいるといっても、話したいこととか思っていることはいっぱいあって、それを受け止めるということが、日常でなかなかないのかなと思います。
 僕は、高校で英語を教えているんですけど、一応そういう意味ではことばが専門ではあるのですが、ここに来て分かったことは、ことばにとって必要なのは、内容が明確であるとか、滑舌がいいとか、そういうことじゃなくて、それを受け止める相手が必要なんだということが僕はすごく大きいということです。だから、いかに筋が通っていようが、それを受け止める人がいなかったら、ことばは成り立たないということですね。僕は、ここに来てすごく身に浸みる思いで分かりました。
 それと、ここでコミュニティアワーもそうですが、話してるのを見ていて思うのは、聞き手と話し手というのが役割が固定していないんですよね。この人が聞き役をする、この人が話すというわけじゃない。この人が話してたら今度は後でこの人が聞き手になってるとかね。それがお互いにできてるというのが、僕はここが場としていい所だなあと思います。それは、ここが持っているひとつの場の力かなあという気もするんですけど、お互いが平場でいるというのは、そういうところがあるからかなあと思っています。
 さっき、ビデオであった吃音親子サマーキャンプには、僕も何回か参加をしているのですが、そこで思ったこともいくつかあって、子どもが話し合う時間があるんですね。多分配慮だと思うのですが、僕が高校の教員だから、高校生とかそれに近い中学生の所へ入れてくれてると思うんですが、そこで去年、話し合いをしているときに、普段これが言いたいけど、ここでつまるから困るってことはないか、みたいな話題になって、そのときに、僕の中ですごく印象的なことがあったんです。
 そういうときは早口で言うという子がいたんですね。早口でも分かってもらえなかったらどうするのと聞いたら、いや3回くらい言ったら大体分かってくれると言うんですね。僕は、その3回言えば分かってくれるというのは、すごいと思ったんです。僕だったら絶対3回は言わないと思うんです。2回言ってだめだったらもういいやと思うんですが、その子は3回言ってでも伝えるということをしっかりやろうとしている、これがすごいなあと思ったんです。それを聞いて思ったのは、それくらい真剣さがいるんじゃないかということです。すらすらとことばが出たら伝わるものだというふうに、多分どもらない人はなんとなく思っているんですけど、そんな甘いものじゃないなあと思います。むしろ、その人がどんな気持ちでこの人を相手に伝えようとしているか、そこがないとことばはやっぱり成り立たないんじゃないかと思います。僕は、そんなにことばに対して真剣になっていなかったんじゃないかなあということを考えさせられました。
 伝えることに真剣だということと、その子は早口ででも3回言うということをやってるわけですけど、その子が身につけたというか、自分なりに試行錯誤をしてこれだと思ったやり方だと思うんですね。それは、人によって多分違うと思うんです。どもり方もその子によっていろいろつまることばとか違うと思うし、そうなると、どうやったらうまく伝わるかということをその子は必死で考えて、自分なりに身につけると思うんです。3回言うというのを聞いて分かったのは、真剣さと、もう一つは、自分なりの伝え方をみつけるものだということですね。なんかうまい方法があって、それをやれば伝わるということじゃなくて、自分がこれなら確かだということをみつけてそのスタイルでやるということだと、これが大事だなということが僕の発見でした。
 何年か前に、論理療法がテーマだったことがありますけど、あのときに、唯一のベストじゃなくて、マイベストをみつけたらいいんだという話がありましたけど、僕はそれとつながるなあと思います。マイスタイルが大事だなあと思います。マイスタイルをみつけるということと真剣であるということが大事なんですが、それをみつけるというのはそう簡単にはいかないんですね。
 昨日、夕方の吃音臨床講座で、僕は成人吃音の方に混ぜてもらってました。そこで自己受容とか他者信頼ということで、話し合いをされたんですが、話し合いでこんなことが出てきたということを聞いていて、受容、受け入れるっていうのは、しようと思ってできるものじゃないと思いました。がんばったら自己受容できますとかいう、そういう話じゃないと思うんです。なぜかというと、自分を受け入れるというのは、ひとりじゃできないと思うんです。何かそれを聞いている人がいて、ふっと何か言ったはずみで自分が、(あっ、自分ってこういうことなのか)とか、(あっ、こんなふうに見てくれてるのか)というのが分かったときに、初めて受け入れるということが出てくるんだろうなあと思います。
 ひとつだけ僕の例で言いますと、僕は自他共に認める男前で、それは半分冗談ですが、自他共に認めるマイペースな人間なんですね。去年、僕が職員室ですわっているときに、生徒がこんなことを言ってたんですね。「なんか先生の周りだけ時間がゆっくり流れてそうな感じ」僕はそう言われたときに、ああ、僕はそういう雰囲気を持ってるのかと、それはマイペースというのとは違うと思うんですね。その表現でしかできない言い方があって、なんか僕は妙に納得しちゃったというか、ああそういう雰囲気なんだけど、それがもしかしたら合う子だっているかもしれないなということを思った。それが逆に人をイライラさせることがあるかもしれませんが。そういうときに初めて受け入れるというか、あっ、自分はこうなんだということが分かることがあると思うんですね。それは、人に出会っている中でしか分からないので、僕はここに来てそういうことが感じられたことが自分にとってはすごくいいことで、だからここに来続けてるのかなあと思っています。
 というところで、何かつっこみを入れて下さい。

伊藤 「やればできるじゃないか、ゴーシュ君」(『セロ弾きのゴーシュ』の楽長のせりふ)。 つっこみを入れてもらわなきゃしゃべれないと言ってたのに。
 僕は誰かれなしに誘うことはしなくて、どもりのにおいがするなあという人を誘うので、もちろん掛谷さんは吃音じゃないけど、なんかどもり的なものというか、そういう雰囲気がある。最近、どもり始めたでしょ。
掛谷 そう。こないだ、伊藤さんにも言ったんですが、最近たまにどもるんです。これが不思議なことに。長年どもっている人からみれば、ひよっこですけれども。僕はどもっているなあと気づいたときに、思ったのは、どもってるときって言いたいことは、ここまでいってるんだけど、ことばが追いついてないという感じがしたんです。もしかしたらこういうのがどもっている人が持っている悩みに近いのかなあと思って、それは自分でも不思議な体験でしたね。まあ、治そうとは思いませんが。
伊藤 僕、どもる人のセルフヘルプグループって何だろうと思ったときに、どもる人だけが集まってはだめだと思うんです。吃音の場合は聞き手がいてこそ成り立つものだから、できれば理想的にはどもる人半分、どもらない人半分がいて、その中で生きるということとか、コミュニケーションを一緒に考え合うのが僕の考える理想的なセルフヘルプグループのミーティングなんです。そういう意味では掛谷さんは、大変ありがたい存在です。

 どもる人本人でもなく、ことばの教室の担当者でもない掛谷さんの存在は、掛谷さんグループという名前がついて、少しずつ広がってきています。(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/25

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】2 吃音と私

 吃音ショートコースには、本当にいろいろな人が参加してくださったなあと改めて思います。
それぞれがいろんなきっかけで僕たちと出会い、直接このようなワークショップに参加してくださいました。体験を聞かせていただく中で、ぐっと距離が縮まります。人との距離を遠ざけた吃音が、今は人との距離を縮めてくれる大切なものになっていることを実感します。ご自分がお書きになった本を送ってくださったことで参加され、発表された田中さんの体験を紹介します。

  
吃音と私
                     永野病院・田中保彦(千葉県)

 ただいま御紹介いただきました田中です。現在、千葉県市原市で60床の小さな病院の雇われ院長をしております。私も自分の名前が言いにくくて、最近はうまくごまかして言ってしまうのですけれども、ひと頃はきちっと言わなくてはいけないというような固定観念にとらわれていまして、それが一層言いにくさを増した時期もありました。今、順番を待つ間も非常にどきどきしていまして、トイレにも行きたくなるし、早く順番が来ないかなあと思って順番を待っていました。随所にどもるところがありますので、いくつどもるか数えてみて下さい。
 今、順番を待つ間にどきどきしているというふうにお話しましたけれど、私がどもり始めたといいますか、それを恐怖に感じ始めたのは中学校の2年生のときです。いわゆる思春期、異性を意識し始めたりする時期だと思いますが、国語の朗読のときに最初の一語目からことばが出なくなったのです。それまでも幾度かどもっていましたが、それを恐怖に感じたことはありませんでした。初めての経験でした。さきほどお話された掛田さんと同じように、話をしていて友だちから発語の際に目を細める癖を指摘され、そのときから意識するようになったのかもしれません。得体の知れない嫌な感じというのは、常々持っていましたけれども、そういう形で自分が進退窮まるというような状況は初めての経験でした。それ以後、おきまりのコースだとは思うのですが、どうやって解決していいか分からずひたすら逃げてしまいました。
 中学3年生の1学期、自己紹介がありますね。さきほど言いましたように、自分の名前が言えない。これはごまかせないですから、もうどうにもならなくなって、自己紹介が始まってから、その途中で、先生に手を挙げて、トイレに行かせてもらいました。そのときのことばは、なぜかすらすらと出たんです。多くの吃音者の方が経験していらっしゃると思いますけれども、とっさのとき、意識しないときは、割とことばが出やすいですね。トイレに行き、自分の番が過ぎたかなと思って、そろそろ戻ろうかなと思っていましたら、手洗いを出たところで、向こうの方から数人の同級生たちがやってくるんです。あわてて、またトイレに隠れました。それからドアを閉めてずっと身を潜めていました。しかし、トイレの中までみんなで入ってきて、心配してドアを全部たたいて回るのです。さらに返事がない所を開けて確認までしている。もうこりゃダメだと思いまして、諦めてじっと身を潜めていました。ドアの上には壁がありませんので、そのままジャンプすれば中が見えるわけです。それで、ジャンプした一人に見つけられてしまいました。決まり悪く自ら外へ出て、体の具合が悪いんだなどと言いわけをして、担任の先生に付き添われて保健室まで行ったというような、そんな惨めな経験があります。
 その後、学校へ行くふりをして、実は学校には行かずに、近くの物置のような所に隠れていて、またこっそり家に戻ってくるというようなことをして学校をさぼりました。母親は、私が小学6年生のときに亡くなっていましたので、親父と兄が仕事にでかければ家の中にはもう誰もいません。そのうちたまたま途中で戻ってきた兄に見つかって、すごく叱責を受けました。それでも学校に行かず、1学期の大部分を不登校で過ごしました。幸運もあって、あるいは先生方の配慮もあって、2学期、3学期とどうにか学校に行くようになりました。3学期には同級生たちが私のがんばりを認めてくれて学級委員に選んでくれたりしましたが、自分の中では何も変わっていないという気持ちが強く、全然自信にはなりませんでした。ですから、高校に行ってから先は本当に逃げまくりの人生でした。どうにもならなければその場で「自分はことばがつかえます」とか、「うまく読めません」などと言って逃げる。一々それを言うのも面倒なので、初対面の人の集まりや、自己紹介をしなければいけない場面はもうなるべく出ないように避けておりました。
 そんなふうに吃音とつきあいながら生活は同時進行していくわけですけれど、それがどんなことで転機を迎えたかというと、別に劇的なことではないのです。結局、吃音を嫌だな嫌だなと思いながら仕方なく、不愉快な気分をずっと抱えて普通に生活をしていて、ごくありふれた日常生活での小さな感動といいますか、そういったものも経験しながら、30歳くらいまで変わり映えのしない生活をしていました。私は21歳で学生結婚しましたが、別に自分がもてたからではなくて、なりゆきで結婚しだらだらと生活をしていました。就職もせずに、自分で塾をやっていました。それが発展していって、学生を雇って、生徒数は全部で5、60人くらいでしょうか、その程度の塾をやっておりました。
 29歳のとき子どもが生まれて、直接のきっかけというと、その辺ではないかと思いますが、やはり、これではダメではないかと思い、大学の医学部を受け直しました。それまでは、1対1で話をしてもそれほど恐怖感はないのですが、電話は怖くて普通にできるようになったのは28歳のときです。子どもができたころまで電話は恐怖でしたね。自分でかけることができないのです。かかってきても、うまく最初の返事ができないこともありました。そうすると、電話の向こうで相手の誘しげな雰囲気が電話口に伝わってきます。それで自分から受話器を置いて逃げる、そんなすごく情けない思いをしました。その後もずっと頭にひっかかっていたのは、おおぜいの人の前で話をすることです。社会に出ると、結婚式などでスピーチをしなければいけない。それなのに自分は社会人としての宿題を果たせられないのではないかという不安がずっとありました。それでも一方では子どもができたし、なんとかがんばらなければいけないという思いで医学部に入りました。医学部に入っても、それまでずっと逃げ続けた学校生活を送ってきましたので、非常に苦痛でした。今度は出席の返事すらまともにできなくなりました。
「ハイ」ということばがなかなか出ないのです。
 13歳の時に朗読で立ち往生してから37年間、今50歳ですが、現在でもさきほどもお話したように、相変わらず強い予期不安を感じます。しかし、いつの間にかそれでもなんとかやるんだという気持ちに今ではなっています。これも、一口では言えませんが、その中には森田療法との出会いがあり、またごく最近ですが、インターネットで伊藤伸二さんの存在を知り、その本を読ませていただいて再確認をしましたが、やはり共通して言えることは、普通に生活をしながら、その中で吃音とつきあっていく。強引にねじ伏せるとか、逃げるとかではなくて、たとえどもっても自然にやれることをやっていく、ということです。
 私自身の性格というのは、あまり明るい性格ではないので、人の中に入って話をしていますと、自分だけが暗くて雰囲気を落としているのではないかという気持ちを抱くことがあります。さきほどの掛田さんのお話を聞いていると、私にはただただまぶしく感じられました。自分の性格ですから、それをもちろん変えるわけにはいかない。また、私は今こういう仕事をしていますけれど、びくびくするとか、どきどきするとか、これは要するに自律神経の問題で、自律神経の中の交感神経が興奮するとどきどきする、これは当たり前なんです。これをいけないことだ、お前は弱いんだというふうに私はずっと思い込んでいたのです。自然な生理現象ですから、自然のままにして、今やらなければいけない、たとえば結婚式のスピーチなら、仕方がない、友人や同僚を祝うためにとにかくどもってもなんとかやる、それに尽きるのではないかと思います。

 ご自分の吃音のことを書かれた本をお送りいただいたことがきっかけで、お誘いしたところ、急な話にもかかわらず、田中さんは遠く千葉県から参加されました。
(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/2

2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】吃音を人生のテーマに

 2003年11月に、第9回吃音ショートコースを行いました。そのときのテーマは、先日から紹介している《建設的な生き方に学ぶ》でした。テーマは、毎年違うのですが、恒例になっているプログラムがあります。それが、発表の広場です。どもる人は自分の体験を、ことばの教室の担当者は、実践報告や研究を、どもる子どもの親は自分のどもる子どものことや子育てをしている自分のことを発表するのですが、毎年、内容が濃くて、心に残る3時間になっています。この年、発表者が9名と多く、全ては紹介できませんが、一部を紹介します。文責は編集部にあります。

吃音を人生のテーマに
       大阪教育大学・特殊教育特別専攻科・掛田力哉(大阪府)
 初めて参加した私がこんな場所で話をさせていただいていいのか迷ったんですけど、せっかくいただいた機会なので、私が考えてきたことやこれまでの歩みを通して、私が吃音をどう考えているのかをみなさんに聞いていただけたらと思います。私、声が小さいので、小さかったら「小さい!」と言って下さい。(「小さい!」という声あり)

1.吃音と出会うとき
 自分がことばが出にくいなあと思ったのは、小学校1年生です。クラスの私の前にすわっていたかわいい女の子から「掛田君、しゃべるとき、目ぱちぱちするね」と言われたんです。多分、言いにくいとき、目をぱちぱちしていたと思うんですが、自分ではそれまでは気にしたことが一回もなかったんです。初めて言われて自分の話し方に意識がいくようになってしまいました。自分が人に見られているということに全ての意識がいく人生がそこから始まってしまいました。
 クラスでは静かな子にはなりましたが、書くことが好きでしたので、「作文が上手だね」と言ってくれる先生のおかげで、なんとか学校生活を、ひっそりと送っていたんです。
 5年生のときの担任の男性教師から、「お前は、なよなよしている。はっきり物も言わないし、ほとんど集団の中に入っていかない。もっと入れ入れ」と言われました。でも、僕は、おなかが痛いと言って休んだり、ぜんそくがあったので、ぜんそくのせいにして、体育のスタンツなんてしませんでした。ぜんそくのふりをするということまでしたのは、自分がどもるということを知られたくなかったからだと思うんです。
 私、自分で言っちゃなんなんですけど、ちょっとその頃、女の子に人気があったようなんです。自分の正体を絶対に見せてはいけない、こういう格好悪い姿を見せたら、みんな、がっかりするんじゃないかと思いました。ほんと、考えすぎなんです。自分に意識がいってますから、考えすぎて、閉じこもっていました。
 ある日、みんなが見ている中で、ことばが出なかったので、先生の目の前で、足をバタバタやったんです。そしたら、「人前で、人の話を聞いてるときに足をバタバタさせる奴があるか」と、ダーンと殴られました。そういうことが2年間くらい続きました。

2.「吃音」なぜそんなに苦しいのか
 どうしてそんなに苦しかったのかと考えると、自分の問題が分からなかったからです。吃音ということばも知らなかったし、どもるということが他の人にもあるということも全く知らなかった。多分、自分は気が小さいから、消極的だから、ことばが出ないんだろうと、その思いだけをずっとひきずっていたんです。だから、誰にも話せないし、自分がダメなんだと思っていました。「おまえはおかしい、おかしい」と言われたから、本当に俺はおかしい人間なんだということをずっと思っていた。ほんとに孤独だったんだと思います。どもることそのものじゃなくて、どもるということを自分でも分からない、誰にも分かってもらえない、伝えられない。とにかく自分ひとりで悩んでいたという孤独が一番辛かったかなあと、今思っています。

3.転機
 中学校に入って、さすがに私も変わろうと思いました。入学してすぐに林間学校があって、女装コンテストがあったんですよ。私、なよなよしているとか、女っぽいとか言われてたものですから、女装したら大人気だったんです。かわいいとすごく言われて、男の子からも「手をつなぐの、恥ずかしいぐらいだ」と言われて、それで私はパッーと開けたんです。別に私にそういう趣味があるということではなくて。初めて、自分のマイナスだったところが人に喜んでもらえた。それで一歩を踏み出せたかなと、今にして思います。そのときは分からなかったけど、あれが大きな転機だったと思います。
 また、部活動で陸上を始めたんです。陸上競技は、集団スポーツじゃないですから、自分とだけ闘っていたらいいんです。自分ががんばればいいので、一所懸命がんばっていたら、足が速くなっちゃったんです。そしたら、キャプテンになっちゃったんです。キャプテンになると、自分のことだけを考えてはいられない、チームをどうするかとか、すごい責任を負わされたんです。人のことを一所懸命考えてるときって、どもらなかったんですね。自分に意識がいってるときは、すごくどもるんですけど。いつのまにか自分が吃音であるとか、ことばが出にくいという悩みを忘れるぐらいの生活が始まっていた。人のために一所懸命やったことが、私にとっては、結果的として吃音が治ったというか、軽くなったんです。
 結果的だったんですけども、人のことを考えるということを初めて経験させてもらったキャプテンでした。さらに、みんなからキャプテンやってるし、がんばってるからと、注目されてしまって、弁論大会の代表になってしまったんですよ。それも大変だったんです。私、ことばがぼそぼそしてますよね。ぼそぼそしてるし、はっきりとしゃべらないから、読むときでも、語尾が小さくなる。そしたら、担当の先生が「掛田君は、話し方が田村正和みたいだね」と言ってくれて、これがうれしかった。それを、声が小さいとか、語尾が小さいからもっと大きくしなさいと言うのは簡単だと思うんです。ところが、その話し方を味のあるものというふうに見てくれる、その先生の感性というのが、人を変えていくんだなあと思います。ダメなものだというよりもまずその味を認めるというか、あの感性のおかげで私はちょっと変われたのかなあと思っています。
 高校生になりまして、高校でまた吃音がひどくなったんです。すごく困って悩んでるときに、教科書に載っていた竹内敏晴さんの文章にすごく引きつけられて、こんなふうにことばやからだや心について考えたことがあったかなあと思いました。
 アヨ・ゴッという話を、竹内敏晴さんが書いているんですけど、ご存知の方、いらっしゃいますか。竹内敏晴さんは、耳が聞こえなかったので、「おはようございます」というのを聞いて、でもそれは「アヨ・ゴッ」にしか聞こえない。「アヨ・ゴッ、アヨ・ゴッ」というのが自分にとっては朝のあいさつだったんだけど、大人からはそれを「おはようございますだよ」と教えられて、一所懸命「おはようございます」と言ったら、それを周りの大人は「覚えた、覚えた」とすごく喜ぶ。ところがそのときに、自分の全身をつかって人にかかわっていた喜びも全部消えていて、「おはようございます」というのは、自分にとってはことばではなかったということを書いていた。
 そこで、私はもうガーンときて、それまでことばのことで悩んだけれども、ことばを話すというのは、そんなに単純なことじゃないんじゃないかと思った。ほんとにことばって難しいんだなあ、奇跡みたいなことだなあと思いました。私はそこまで、悩んだくせにことばのことをそんなに大事に考えてきたかなあと思った。もっともっと自分のことば、からだのことを厳しく見ないとあかんなあと思った。悩んだ人間だからこそ、もしかしたら私自身が何かことばやコミュニケーションについて伝えていけることがあるかもしれないなと思ったのが、この竹内敏晴さんの『こどものからだとことば』という本なんです。そういうきっかけで、私は学校で悩んだので、学校の先生になりたいと決心しました。
 そのまま、先生になるために北海道の教育大学に入りました。そこで、初めて恋人ができたんですよ。好きな人には自分の吃音のことを言えなかったんです。やっぱり言えなかった。言ったら甘えなんじゃないかと思った。ことばの問題があるということで、彼女に負担を負わせるのは嫌だったし、電話でも、一所懸命普通に話すふりをして、一所懸命話をしていました。
 あるときから、週末ごとに彼女の実家に行って、その両親ときょうだいと一緒にご飯を食べるという生活が始まったんです。これが地獄でね、彼女にとったら、うちに来て、うちのお父さん、お母さんに見せたいわという気持ちだったかもしれないけれど、地獄だったんです。とにかくなんかしゃべらなきゃしゃべらなきゃと思うけど出ないし、食べてるんだけど、味も分からない。気がついたら、一種類のおかずだけを食べてたんです。何種類かおかずがあるのに、一種類だけをずっと食べてた。そしたら、そこのお母さんから「ばっかり食い」というあだ名前をつけられて、それからは今度はあえて「ばっかり食い」をして、笑わせたりしていた。それがすごく情けなかった。そうなると、愛のことばをささやくということがない。
 ところが、その彼女からはすごく学んだことがあった。とにかく私は人目を気にしてずっと生きてきたので、それは彼女も多分感じてたんですね。この人は人目ばっかり意識して、人と自分を比べて暮らしているなということに気づいてたと思う。
 「お前のことなんかね、誰も見てないんだよ」
って、そういう表現しかできない人だったんですけど、そう言われて、単純なんですけど、そうか、俺のことなんて誰も見てないのかと、人目なんて気にしなくていいんだと思うと、すごく楽になりました。結局、その人とはけんか別れをしたんですけど。そういう、いろんな人との出会いが自分を変えてくれました。
 もうひとつの出会いは、留学生たちがすごく仲良くしてくれたことです。留学生は日本語が下手くそだし、私も日本語が下手くそだから、お互い下手くそな日本語どうしでしゃべっていると、すごく楽なんですね。留学生たちは私の話を一所懸命聞いてくれました。私のことばを日本語の代表として聞いてくれるのは申し訳ないなあと思いながらも、それがすごく楽しかった。「掛田さんと話すのは楽しい」「掛田さんには話しやすい」と留学生たちが言ってくれた。他の日本人と話すときと違って、話を聞いてくれるから話しやすいと言ってもらえたのが、またうれしかった。ああ、そうか、私は話しやすいんだ、ことばで悩んだからこそなのかなあと思った。

4.吃音と共に生きる
 みなさん、聞いてて分かったと思うんですけど、私、最近ほとんどどもらないですね。こういう場に立つ、特に人前で話すのは楽なんです。1対1で楽しい会話をしているのが一番どもっちゃうんですけど、それもだんだんどもらなくなってきた。自分があんなに吃音に苦しんだときのことを、あの悲しさも遠い記憶になってきた。ところが、そうなってくると、最近よく思うのは、困ってた頃のように、私は一所懸命人とかかわってるかなあということなんです。一所懸命どもりながら人とかかわっていた頃の方が、もしかしたらもっと自分らしい自分であったのかもしれません。今、吃音というのは、私にとっては私の全てではないんです。私にはいろんなやりたいことがたくさんあるし、夢はたくさんあります。でも、やっぱり私を作り上げてきたのは吃音のおかげですし、こうやって生きてきて、今、みなさんと会えるのも全部吃音のおかげです。吃音がなかったら、ことばや教育のことを考えなかっただろうなと思うと、私の根幹にあるのは吃音だなと思います。今回初めてそれを皆さんに言えることをうれしく思っています。
 吃音の人たち、今回皆さんに会っても、ほんとに思うんだけど、当たり前のことなんて何もないですね。ことばが話せて当たり前とか、そんなことってひとつもなくて、多分吃音の人ってそういうことを分かってるんだろうと思います。たとえば、暗い顔をしている人がいたら、よく「暗い顔、するなよ」とか言う人がいます。ところが、暗い顔をするにはきっと何か理由があるのですよね。やっぱりそういう人のことを思いやれる気持ちが吃音の人にはあるんじゃないかなって思います。
 「お前、もっと大きい声で話せよ」とか「お前、もっと明るい顔をしろよ」とか、ずけずけと人の中に土足で入ってくるような人は、吃音の人にはいないのではないかなあと思います。
 私はこれからも、教師になりたいという夢を追っていきたいと思うし、その中心に吃音を置き、吃音をテーマにして仕事も自分の人生も作っていきたいと思っています。吃音をテーマに生きていきたいなあと思っています。

 掛田力哉さんは、伊藤伸二の本を読み、集中講義を受けたいと大阪教育大学・特殊教育特別専攻科に入学。同級生である、内地留学の現職教員から参加費のカンパを受けての参加です。
(「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/23

どもらない人

 長年、年に一度、テーマを決めて、その道の第一人者をゲストに招き、吃音ショートコースと名づけたワークショップを開催していました。「吃音」という名前がついているのに、吃音とは全く関係がない講師陣で、どもらない人も多く参加する不思議なワークショップでした。吃音とは関係ないものの、生きることやコミュニケーションについて真剣に考えたい人たちが参加していました。
 今、日本吃音臨床研究会の発行する毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を、どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもとかかわる仕事をしている人のほかに、吃音とは何の縁もない人が購読してくださっています。吃音を言語障害ととらえてしまうと、治療の対象にしかなりませんが、どう治すかではなくどう生きるかだととらえると、人にとって、普遍的なテーマになり得ます。吃音のもつ大きな力を思います。
 「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113 の巻頭言は、そのままズバリの「どもらない人」です。紹介します。

どもらない人
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 いろんな人の人生や実践に触れ、これまで考えてきたことやしてきたことを振り返ったり、点検したりする時間。自分自身の思索が深まったり、広がったり、確信がもてるきっかけとなる。吃音ショートコースの3時間の実践発表の時間は、私にとってとても大切な時間だ。
 今年の発表は例年に比べて9件と多く、ひとりあたりの時間がかなり短めにならざるを得なかったが、それぞれの発表者が、その制限の中で、自分の人生や吃音指導の取り組みを語って下さった。人と人との出会いの不思議さと、その出会いが意味のあるものになっていくうれしさを実感する。
 私は、どもる人のセルフヘルプグループのミーティングにひとつの理想を抱いていた。それは現在も変わらずに持ち続けていることで、どもる人と、どもらない人が半々参加するようなミーティングだ。だから吃音ショートコースも、吃音とは直接は関係のない人が、私たちの活動に関心や興味を持って下されば、できるだけ幅広く参加して欲しいと願ってきた。
 だから、どもる人が多かった第1回の吃音ショートコースから、回を重ねるにつれてどもる人以外の参加が増えてきたのはうれしいことだった。その時のテーマで割合は変わるが、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのお二人がゲストの時には、どもらない人の方が圧倒的に多いといううれしいことが起こった。どもる人が中心のグループに、ことばの教室の担当者や親などの吃音関係者だけでなく、吃音にこれまで全く縁がなかった人が参加するには、そのテーマが魅力的なものでなくてはならない。
 どもる人たちが、吃音が治ることや改善を中心的なテーマとしていたのでは、このようなことは起こらない。30年以上も前から提唱している「吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかにつきる」という私の主張に多くの人が共感して下さっていることの証でもある。
 吃音とは縁もゆかりもなかった高校の教師掛谷吉孝さんは、吃音ショートコースだけでなく、吃音親子サマーキャンプの常連で、私たちの活動になくてはならない存在になっている。
 その、夏の吃音親子サマーキャンプには、掛谷さんだけでなく、吃音とこれまで全く縁のなかった人たちがスタッフとして参加して下さる。一ヶ月後、参加できる関西地方の人が集まって、打ち上げ会を開いたが、16人の参加者の中の半数が吃音とは何の接点もない人だったことに、参加者はびっくりしたのだった。
 その時もキャンプをふりかえる中で、どもる経験のない人たちが、どもる子どもたちのことを、自分の子どもやきょうだいのことのように、こんなことがあった、こんな顔をしていたなどと、報告し合い、豊かな楽しい時間を共有することができた。吃音の臨床家でも、どもる人本人でもないこれらの人々が、私たちの活動をおもしろがり、楽しんで、仲間として一緒に取り組んで下さる。ここに吃音のもつ魅力があるように思う。
 大阪吃音教室にも吃音ではない人が参加する。先だっても、ある会合で知り合った、対人関係が苦手で、大学を卒業しても就職できないと思っていた大学生が参加した。その日のテーマはインタビューゲームで、多くの参加者の体験が話された。どもる人たちが、悩みや恐れを持ちながら仕事を続け、また就職活動をしようとしている姿に接し、その学生は自分が恥ずかしくなったと言う。翌日から就職活動を始め、無事、就職試験に合格したものの、やはり働けるかどうか、不安で一杯になる。しかし、また参加した吃音教室で、どもる人たちの「どもりが治らなくても〜する」という姿勢に接して、せっかく合格した会社を断ろうと思っていたのが、自分のできることからしようと思い直したと言う。この四月からなんとか働けるかもしれないと、入社までの計画を話していた。
 その学生の話では、私たちのミーティングへの参加が大きな後押しになったという。私たちのどもりながら生きる姿が、どもらない人にも何らかの影響を与えたことになり、その話を聞いてうれしかった。まじめに人生を、人間関係を考える仲間、それはどもるどもらないを超えたところにある。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/22

建設的な生き方 3

 2003年、文化人類学者のデイヴィッド・K・レイノルズさんをお迎えして行った吃音ショートコースの中でのお話を紹介してきました。紹介しているのは、ワークショップ全体の話の中のごく一部分です。話は変わりますが、と前置きして次々と話が展開していくのがとてもおもしろかったと記憶しています。少し長くなりますが、ひとつの塊なので一気に紹介します。
 今日はその最後です。
 
建設的な生き方 3
デイヴィッド・K・レイノルズ(文化人類学者)

人間成長の階段―悟りへの道

 話が変わりますが、悟りの階段について話します。メンタルヘルスへの階段でもいいし、実際的な人間になるための階段でもいいです。私が提案したいのは、いつもハッピーな人じゃない。いつも不安のない人って変ですよ。たとえば、もしこの部屋で火事かなんかあったとしたら、ハッピーな人は変でしょ。「おもしろいな、火事だな、みんな死ぬ、ハハハ」なんて。だから、ときどき不安を感じる人は当然と思うんですよ。実際的です。だから、いつもハッピーとかいつも快適とか、そういうものは望まない方がいい。非現実的です。私が育てたいのは、実際的な人間です。

第一段階 汚い部屋にいても気づかない
 この人は、一番低い段階です。この人は悩んでます。自分の部屋がとても汚いのに、そのことに気がつかない。どうしてこの人が一番低い段階かというと、悩んでいるからじゃない。悟った人でもみんなときどき悩んでいます。悩んでいない人間はいない。私の知り合いには、偉い禅の老師、カトリックの神父さん、政治家や俳優がいますが、みんなときどき悩んでます。
 だけど、この人は、汚れ放しの自分の汚い部屋に気がつかない。事実は見てないからです。周りに気がつかないくらい悩んでいる。そして自分の悩みばっかり見ているんです。ある吃音に悩んでいる人は、自分の悩みばっかり言ってるでしょう。だから、いろいろなおもしろい事実があるのに、それを見ようともしません。気がつかない。現実を知ろうとしないのです。
 今、ちょっと実験しましょう。みなさん、目をつぶって下さい。
 この部屋にはテレビがあります。目をつぶったままそこを指さして下さい。隣に座っている人の洋服の色、分かりますか。観察しましたか。洋服の色、形、どんな柄か気がつきましたか。この部屋にはカーテンがありますが、どこにあるか覚えていますか。指さして下さい。
 はい、目を開けて見て下さい。
 (みんな、目を開けて周りを見る。「おー」の声)
 周りの人たちの洋服の色とか、おもしろいでしょ。だけど、悩んでいる人だったら、自分の心の問題しか見てないですね。後の事実、見てない。自分の心の悩みも事実ですよ。だけど、狭い事実ですね。もっともっといろいろおもしろいこと、あるんですよ。自分の悩みの問題ばっかり考えると、気がつかない。そして、不思議なことは、外の方に向かうと、自分の悩みはある程度は忘れる。森田先生のことばに「努力すなわち幸福」があります。努力して後で幸福になるということじゃなくて、努力していることが幸福だということですね。ある人は一所懸命将来のために、何か努力する。それは、まあ役に立つかもしれないけれど、何か失っている。
 道元禅師も同じことを言っています。座禅は将来の悟りのためにするのではなく、座禅そのものが悟りであると。
 一所懸命何か努力すると、座禅とか周りの環境を観察するとか、私が何を言ってるかを考えるとかをするときは、一時的に自分の悩みは消える。こっちの方に意識が向かうとあっちの方を忘れる。気がつかないから、できるだけ外の方をいろいろ観察すると、心の悩みなどは一時的に消える。

 宿題を差し上げます。今日、お暇なときは、ぜひ外で散歩して下さい。散歩しながら、赤いボールを探して下さい。淋しいボールです。捨てられたとか、忘れられたとか、どこかにあるんですよ。みつけたら誰にも言わないで下さい。次に、小さい雪だるまを探して下さい。一所懸命探しながら、自分の集中は外の方に向かう。そうすると、吃音の悩みも一時的に消えるんですよ。普段、私たちは散歩するときは、自分の心の中にあることばかり考えるでしょう。全然気がつかない。だからわざと外の方に注意を向けるのです。最初の段階としてはまあ十分です。

第二段階 現実に気づいてさらに悩む
 次の段階は、この人も悩んでいますが、部屋が汚いことには気がついて、そのことでさらに悩む。「こんな汚い部屋に暮らすなんて」「こんなひどい人と結婚してしまって」「こんな会社に入ってしまった」。ちゃんと現実を見ていますが、そのためにさらに悩むのです。だけど、その方がまだいいんですよ。ある程度は、外も見てる。段階としては一段目よりはいいですよ。こういう人がほとんどです。悩みは多く、部屋の掃除はしない。この人はただ座って文句言う。
 文句を言うのは、二つの理由でいけない。ひとつは、周りの人たちに悪い。自分の悩みを繰り返し繰り返し言うのを周りの人たちは聞きたくないですよ。周りの人だけでなく、文句言いながら自分の集中は、自分の不満な所に向かってますます悩むから自分にも悪いですよ。
 ある理論によりますと、文句言うと、解決するはずです。こんなの、信じなくていいですよ。みなさん、自分自身の経験で分かると思うんです。ある人は、小さい悩みがあるときに、文句を言い続けると、怒りや悩みは大きくなるんですよ。私の友だちは小さな文句があると、別に怒ってないんだけど、言いながらますます怒ってしまう。
 感情について三つの対処があります。現代の考え方では、〈感情を表現する〉ことはいいと言います。しかし、どんな感情でもそうすると、いろいろな反社会的な感情が湧いてくる。怒りをあまり表現しすぎると、人を殴りたくなり、実際殴ってしまうかもしれない。もう一つは〈感情を抑える〉ことです。怒りの感情を抑えることは、感情は事実だから、できないことだし、いけない。
 私の提案は、自分の〈感情を認める〉ことです。感情はそのままに、とにかく自分の決めた必要な行動をする。みんな毎日そういうことをしてるんですよ。例えば、私は納豆が好きじゃない。食べたくないけれど、出されたものは食べないと悪いと思うから、食べる。「納豆、好き」とか、「納豆が嫌」だとかは言わない。心の中の「納豆嫌いよ」という感情は認めるんです。だけど、納豆を食べることはできる。そして、自分の気持ちはごまかさない。「今日は納豆、好き」だとか言わないし、思わない。そう感じる必要ない。ただ、事実を認めるんです。感情は事実として認め、そして自分のなすべきことはする。みんな、毎日そうしてるんですよ。 とにかく、この人は部屋が汚いことに気がつきますが、部屋を掃除しない。第一段階の人は、部屋が汚いということにも気がつかないから、部屋を掃除することに気がつかない。だから、この2人は、感情中心ですね。行動してないですね。

第三段階 気をそらす人
 この人はおもしろい人ですよ。この人も悩んでいて、自分の部屋が汚いことに気づいて掃除をします。だけど、この人にどうして部屋の掃除してるかと聞きますと、「レイノルズ先生から建設的な生き方の話を聞いて、部屋の掃除をして気をそらすと、自分の悩みを一時的に忘れられるでしょ」と、悩みをなくすために掃除をしているのです。これまでの3人とも感情中心で、気分本意ですね。自分の感情が一番大事なんです。この人の部屋の掃除の理由は掃除をすることで感情をコントロールすることですが、コントロールできないことをするのですから、勝つことはできません。
 ときどきハッピーになっても、ときどき負けちゃうんですよ。好きじゃない感情が湧いてくるから、すごく悩む。一時的に悩みをなくすことを目的にした掃除ですから、気分本意になります。

第四段階 自分の力で生きる
 次の段階は、悩んでます。部屋が汚いことに気づいて掃除をします。部屋が汚いからというのが掃除をする理由です。感情と別に関係ない。汚い部屋を掃除するのは当たり前ですよ。自分の感情を忘れるために掃除をしているのではないですね。これまでの人とはずいぶんと違いますね。
 「私は悩んでいてもいなくても、ちゃんとなすべき事はしている」といいます。森田療法を学んでいる人の中にも少なくないでしょう。
 自分ひとりでちゃんと部屋の掃除ができてるので自力的な人です。自分の力だけでちゃんと自分の部屋を掃除してると、ちょっといばっています。どんな感情があってもなすべきことはちゃんと自分でひとりでできる。でも、ちょっと何かが足りない。

第五段階 別の事実を見た行動
 次の段階は、この人は、悩んでます。部屋が汚いことに気がついて掃除する。どうして部屋、掃除するかというのを聞きますと、部屋は汚いから掃除すると言いますが、もう少し聞きますと、こう言います。
 「部屋の掃除の仕方を母から教えられた。知らない人が掃除機を作ってくれたおかげで掃除をすることができる。掃除機を使うには電力が必要だが、その電力をつくる人たちのおかげで私は部屋を掃除できる。部屋の掃除ができるのはいろいろな人のおかげなのだ」
 と、自分の努力も必要ですけれど、周りの人たちのおかげで掃除ができるという事実を認識しています。私は感謝について何も話していませんよ。この人は事実を認めているだけです。この人の方が実際的です。多くの人のおかげだと気づいています。おかげさまでいろいろできる。生かされていることを実感している人はそう多くはありません。感謝でいっぱいの人がすごく悩んでいるという人を日本でもアメリカでも見たことがありません。だけど自分の意志で感謝の気持ちを作ることはできませんが、事実を認めることはできますね。

第六段階 無我夢中
 次の段階です。この人、悩んでます。部屋は汚いことに気がつき、掃除をする。どうして部屋を掃除するかというと、部屋は汚いから。
 多分、こういうことを言うかもしれない。「現実の部屋は汚くなったので、ただその現実に添っているだけです。ただ今、部屋の掃除中です」
 第四段階の人はひとりでやってると思い込んでる。自分の力だけで部屋の掃除をしてると思うんですよ。第五段階の人は、いろいろな人たちのおかげで部屋掃除することができると思ってる。この第六段階の人は、自分のことが消えてしまっている状態ですね。無我夢中と似ています。
 こういう経験、あるでしょう。あなたが小説を読んでて、2時間の間に、あなたは主人公になっているかもしれません。そして、2時間たって、ハッと目が覚めたように現実の自分に戻る。その2時間の間には、ある意味で自分は消えています。ただ「空」の状態で、自分を失い、なりきる。ことばで表現するのは難しいのですが、自分が消える、なりきるときに問題も消えるのです。

人生は昇ったり降りたり

 心の成長段階には、感情中心から、目的中心、事実中心までの段階まであります。大体こんな感じですね。もし、あなたが第一段階からスタートして、努力して努力しさえすれば、第六段階まで行けると思ったら、あなたは周りを観察してない証拠です。みんな、昇って降りて昇って降りてしています。ときどき、この辺、ときどき、この辺ですよ。世界で有名な禅仏教の老師が、第六の段階の経験もある人だと思うんですが、アルコール中毒になって、ロスアンゼルスのアルコール・リハビリ・プログラムに入っていました。ときどき、第一や第二段階にいたんです。
 悟りの経験がある人でも動きます。人間みんなそういうものです。だから、あなたの理想は高くて、ずっと第六段階で暮らしたいかもしれないけれど、人間はみんな不完全です。この段階でずっと生きるのは、不可能です。あきらめて下さい。

感情には責任はないが、行動には責任がある

 私が強調したいのは、怒りとか絶望は自然な現象だから、どんな感情が湧いてきても悪い人間にならないということ。感情はコントロールできないから、自分の感情に対して責任ない。だけど、自分の行動に対しては、責任は必ずある。建設的な生き方は感情に対して、すごくやさしいですが、行動に対してはすごく厳しいですよ。
 どんな行動にもモラルが、責任があるんです。たとえば、嘘、不倫、とかだけじゃなくて、あなたの座り方に対して、モラルの意味があるんです。書き方とか、歯の磨き方とかにも。たとえば、朝起きて、パジャマを脱いで、パジャマを脱いだままにする、それはパジャマさんに悪い。パジャマさんって、変な言い方だけど、パジャマのおかげで、この人は快適に寝ることができたので、パジャマさんを脱ぐと、やっぱりたたむ方がいい。
 日本人は靴を脱ぐと、ちゃんとそろえるでしょ。いいことですよ。私は最初の頃、これはただ日本人の習慣だと思ったんです。だけど、それだけじゃないですね。靴に対するお返しになるんですよ。ある人は、靴にご迷惑をかけるんですね。靴を履くと、後ろのところを踏みつぶす人がいます。靴に悪いですよ。
 怒ってるときは、犬を殴る、それはいけない。怒ってるということは感情だから仕方ない。いいか悪いか全然関係ない。ただ、殴ることは、行動ですから、責任がある。そういう区別は、すごく大事と思うんですよ。感情は直す必要がないと思うんです。だけど、日本人は、一所懸命自分の心を直そうとする。自分の行動を直す必要はあるかもしれないが、怒ってるときは怒ってる。悲しいときは悲しい。これは、自然なことと思うんです。
(話はまだまだ続きますが、一つの話のまとまりを紹介しました。「スタタリング・ナウ」2003.12.20 NO.112)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/21

他者信頼と内観

 経験してきたことが、後から学んだこととつながり、結びつくということがよくあります。ああ、あのときのあれは、これだったのかと、うれしくなります。
 吃音で深く悩んできた僕にとっては、それはあまりにも多く、吃音の奥行きの深さをいつも感じています。内観法、森田療法、アドラー心理学、ピタッピタッと当てはまるようにつながっていくのがおもしろく、愉快でもありました。「スタタリング・ナウ」2003.12.20 NO.112 の「他者信頼と内観」の巻頭言を紹介します。

他者信頼と内観
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音ショートコースで、社会人類学者のデイヴィッド・K・レイノルズ博士から「建設的な生き方」について学ぶことが決まったとき、大阪吃音教室では事前学習として、これに関連する講座をもつことになった。私が担当したのが内観法だった。「建設的な生き方」のベースになっている森田療法はよく分かるが、「内観」と「吃音と上手につきあう」がどう結びつくのかとの質問を周りからよく受けた。
 内観法は、次の三つについて母親との関係をまず最初に、子ども時代から順を追って具体的な事実を調べていくというものだ。
  ・していただいたこと
  ・して返したこと
  ・迷惑をかけたこと
 内観法そのものについてはこれまで何度か内観法の専門家に来ていただいて、大阪吃音教室では学び、私も内観研究所で体験をしている。しかし、「吃音とつきあう」こととどう関係するのかと正面から問われると、明確に答えることができなかった。そこで、もう一度「内観」についてじっくりと考えてみることにした。いつものことながら、自らの体験を通して考え始めると、私は、あの時、内観を知らなかったけれど、内観をしていたのだと思いついたことがある。よく話もし、書いている経験だが、内観という観点からはこれまで考えたことはなかった。
 「うるさいわね。そんなことをしてもどもりは治りっこないでしょ」
 中学2年の夏、私は、『吃音は必ずなおる』(文芸社)という本を読み、大声で発声練習をしていた時に母親から怒鳴られた。私は涙をぼろぼろこぼしながら、「自分で治そうとしている僕に、何でお母さんがそんなことを言うんや」と母親にくってかかり、最初の家出をした。
 ひとりも理解ある教師に出会えずに教師への信頼感を完全になくしていた私は、その時から、家族に対する信頼もなくし、母親へ冷めた思いを持ちながら、最後の家出をしたのが20歳のときだった。
 反発し、反抗している家にこれ以上いたくない。お世話にもなりたくないと、自分の力で、大学に行くことを決心し、私は三重県の津市の田舎から大阪に出てきた。新聞配達店に住み込み、新聞配達をしながら、大学の受験勉強をするためだ。
 大阪での生活は本当に孤独だった。知らない大都会で初めて一人で生活するという、気が遠くなるような孤独の中で、私は母親をよく思い出した。すると、不思議なことに、「うるさいわね」と言った母親よりも、子どものころに私を胸に抱き、『動物園のらくださん』という童謡をよく歌ってくれ、大好きな弁当をよく作ってくれた母親ばかりが思い出された。内観法で言う「していただいたこと」ばかりが思い浮かんだ。母親から、「うるさい」とは言われたけれど、本当は私は母親に愛されていたのだという実感が湧いてきたのだった。
 私はひとりぼっちで、誰からも愛されず、理解もされていないと思い込んでいたのが、少なくとも母親は私の味方だという思いが、強く湧き上がってきた。私は知らず知らずのうちに、内観をしていたことになるのだろう。
 母親への信頼は、その後の初恋の人との出会いや、同じように吃音に悩む人との出会いを通して、他者信頼へと広がっていった。そして、それが、セルフヘルプグループ設立へと結びついていった。
 どもる人が他者への信頼をなくし、聞き手はどもっている私を受け入れてくれないと思ってしまえば、どもる人は話せなくなってしまう。どもってもいいと自ら思えるには、聞き手への信頼がなければならない。他者への信頼を、私は内観をすることによって取り戻すことができたのではないだろうか。
 アドラー心理学は、共同体感覚の育成を目標としている。そして、その目標を実現するためには、自己肯定と他者信頼と他者貢献の三つの体験、実感が必要だという。
 この三つが揃って初めて、自分らしく生きるという道筋に立つことができるということだろう。
 「内観」と「吃音とつき合う」ことを考えていて、私の好きなアドラー心理学のキーワードの共同体感覚と結びついたのはうれしいことだった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/18

鴻上尚史さんとの出会い

 さまざまなジャンルの第一人者をお呼びして、ワークショップ形式の2泊3日の合宿で学んできた吃音ショートコース。たくさんの方がゲストとして来てくださいました。そして、その多くの人が、吃音ショートコースの場を、温かくて居心地のいい場所だった、いい聞き手がいてくれて話しやすかった、などと言ってくださいました。
 今日、紹介する劇作家・演出家の鴻上尚史さんもそのおひとりで、僕たちのワークショップをしていて、幸福だなあと感じられたそうです。そして、幸福な時間として、『ドン・キホーテのピアス』の8巻、『ドン・キホーテは眠らない』のあとがきの全てを使って、私たちとの出会いを書いて下さいました。「週刊スパ」のエッセーで、吃音ショートコースに参加して感じたことを4週連続で書いても、まだ足りないと書いて下さったものです。ここまで深い所まで、考えていて下さったのかと、読みながら、とてもうれしかったです。これまで吃音と無縁だった人々が関心を持って下さるきっかけとなることでしょう。
 『ドン・キホーテのピアス』の8巻、『ドン・キホーテは眠らない』のあとがきを紹介します。
 

  
あとがきにかえて
                              鴻上尚史


 ワークショップをやっていて、ふと、幸福だなあと思う瞬間があります。
 2002年の秋、ぼくは、日本吃音臨床研究会という団体が主催する合宿に、ワークショップをするために招かれました。
 「吃音」とは、平たい言葉でいうと、「どもり」ということです。代表の伊藤伸二さんは、「吃音ではなく、どもりと言って欲しい」と、軽くどもりながらおっしゃいます。「吃音」という言い方だけしかなくなったら、自分たちどもりの存在が否定されてしまうような気がするとおっしゃるのです。
 「ドン・キホーテ」シリーズでも、一度、伊藤さんのことは書きました。(「ドン・キホーテのキッス」参照)
 合宿の参加者は、ほとんどの人が、どもりの人でした。伊藤さんは、「どもりに悩むのではなく、どもりである自分を受け入れて、そして、表現を楽しもう」という狙いで、ぼくのワークショップを希望されたのです。
 ぼくはいろんなところでワークショップをしています。もちろん、時間がなくて、ほとんどの依頼は断るしかないのですが、それでも、なるべくいろんな人と出会おうとしています。未知な人と出会うことは、なにか、面白いことが待っているんじゃないかと思えるからです。
 が、どもる人のワークショップは初めてでした。
 そもそも、どもりは、隠された障害になりがちです。どもる人は、笑われ、傷つくことを恐れて、なかなか、人前で喋らなくなるのです。
 そして、そうなると、どもらない人は、どもる瞬間に出会うことが少なくなり、たまに出会うと、ただそれだけで、反射的に笑ったりしてしまうのです。
 そして、悪循環が始まります。どもる人は、笑われたから、ますます人前に出なくなり、どもらない人は、ますますどもる瞬間に出会わなくなる。
 自分の今までのワークショップを思い出しても、激しくどもってレッスンが進まなくなった、という経験はありませんでした。どもる人は、予期不安という「どもったらどうしよう。今は大丈夫でも、いつどもるかもしれない」という不安に捕らわれて、なかなかそういう場に参加しないんだと、伊藤さんは教えてくれました。
 一体、どんなワークショップになるんだろうと思いながら、「ま、なんとかなるだろう」と思うのも、いつもの僕のことで、合宿会場の滋賀県草津の会場に向かいました。
 琵琶湖近く、JRの草津駅に降り、タクシーに乗り込み、「お客さん、遠くからですか?」と運転手さんに話しかけられ、「あの、草津って、温泉があるんですか?」と素朴に聞けば、「あんさん、それは、群馬県でしょうが。ここは、滋賀県で温泉なんかあらしまへんで」と軽く突き放され、「そうでしたか」と答えれば「それでもね、1年に二人ぐらい、群馬の草津と勘違いした人が来ますわ。旅館の名前言ってね。そりゃ、あんた、遠すぎますわって答えます」と運転手さんは、楽しそうに答えました。
 会場に着いてみれば、参加者は60人ほど。7割近くがどもる人で、残りが教師・教育関係者の方でした。
 さて、ぼちぼち始めますか、と体をほぐしながら、様子をうかがいました。
 中年の男女は楽しそうな顔をしていますが、二十代の男女は、みるからに緊張しています。
 自分がなるべく発言しないようにしようと、身構えている雰囲気が伝わってきます。
 伊藤さんは、事前に、「年齢を重ねてくれば、だんだん自分の吃音とつきあい、受け入れられるようになりますが、思春期の男女は、それはもう、苦悩します。恥ずかしくて、こういう合宿に出るだけでも、大変な勇気が必要なんです」と教えてくれました。
 さて、じゃあ、軽くゲームから始めますか、と呼びかけてから、慎重に、特定の言葉がキーワードにならないようにゲームを進行し始めました。
 特定の言葉、たとえば「ストップ」が、ゲームのキーワードの場合、スがどもる人は、なかなか、気軽に参加できなくなるわけです。その場合、「とまれ」「待て」「フリーズ」「ちょっと!」などの言い換えの可能性を、さりげなく提示してゲームを始めました。
もっとも、これは、それが正解というわけではなく、僕が勝手に思ったことです。みんな、だんだん楽しそうになってきたので、「椅子取りゲーム」をすることにしました。
 円形に椅子に座って、一人が真ん中で何かを言って、該当する人が立ち上がって、別な椅子に移動するという、みんなが知っている「椅子取りゲーム」です。
 僕がやる「椅子取りゲーム」は、真ん中で言う時に、「自分に該当することだけ言う」というルールがあります。つまり、「朝、朝食を食べなかった人」と言えるのは、実際に「朝、朝食を食べなかった人」だけで、「盲腸の手術をしたことがある人」と真ん中で言えるのは、実際に「盲腸の手術をしたことがある人」だけということです。楽しくゲームをしながら、自己紹介と仲間作りも兼ねてしまおうというルールです。
 だって、「ラーメンがものすごく好きな人」と言って何人かが立ち上がったら、それを言った人も立ち上がった人も「ラーメン大好き」ということになりますから、後々、「おいしいお店を知ってる?」と会話が始まる可能性があるのです。
 僕は、「これなら、言葉を選べるから、どもる人も楽しめるんじゃないか?」と思って始めたのです。が、最初の人から、いきなり、どもり始めました。
「き、き、き、き、き、きのうのよ、よ、よ夜、お酒をの、の、の、の、」
 僕は、一瞬、しまったと思いました。
 ワークショップにおける最初のゲームの意味は、雰囲気作りです。「表現」のレッスンの前に、楽しく、リラックスした環境を作ることが最初のゲームの役割です。これが成功したら、ワークショップの5割は成功したと言っても過言ではないのです。
 が、最初で、いきなり、どもる状況を与えてしまった、さてどうしようと、僕は思いました。
 が、顔を真っ赤にして、どもっているその若者に対して、椅子に座った人たちから、すぐに「どうした!」とか、「分かんないぞ!」とか「なんだって!」とかの声が飛んだのです。
 言葉にすると、責めているようですが、そうではなく、それは、例えば、結婚パーティで、感謝の言葉を言おうとして、緊張してとっちらかってしまった新郎に対して、悪友達が、笑いながら「なんだって!」「どうした!」と突っ込む匂いと同じものでした。突っ込みの言葉が跳ぶたびに、軽い笑いが起こり、どもっている人は、苦笑いしながら、言葉を続けました。
 「の、の、の、飲んだ人!」
 と叫んで、どもった人は楽しそうに椅子に向かって走っていきました。苦笑いは、決して卑屈な笑いではありませんでした。どもる自分に対して、しょうがないなあという突っ込みの笑いでした。
 次に真ん中に立った若い女性は、いきなり、「ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、どもりの人!」と叫びました。そして、いっせいに、うわっとみんな、腰を上げました。
 僕は、圧倒されていました。
 真ん中に立つ人は、軽くどもったり、顔を真っ赤にしてどもったり、体全体をくねらせてどもったりしながら、次々といろんなことを言いました。
 それは、あったかい「椅子取りゲーム」でした。
 真ん中で言葉をだすことを楽しみ、楽しんでいる人を楽しみ、その言葉の内容を楽しみ、出した言葉に敏感に反応する、かつて経験したことのない、「椅子取りゲーム」でした。みんなが、真ん中でどもりながら話している人の言葉に集中しているのが分かりました。真ん中でどもっている人は、言葉を出すことを楽しんでいるのが分かりました。
 こんなあったかい「椅子取りゲーム」を僕は初めて経験しました。体に幸福な気持ちが漂ってくるのが分かりました。このまま、この幸福な時間を大切にしたいと感じました。
 が、僕は、ワークショップ・リーダーで、「表現」とはどういうことかを伝えにきたと思って、「椅子取りゲーム」を終わらせました。幸福な時間は終わり、好奇心に満ちた時間が始まりました。
 後から、伊藤さんにお聞きした所、ふだん、どもっている若い男女が、こんなふうに大きな声で、堂々とどもって叫ぶのは、めったにないことだとおっしゃいました。
 みんなどもっているから、自分もどもれると思ったのでしょうと、伊藤さんはおっしゃいました。仲間がいる、自分と同じことで苦悩している仲間がいる、そして、大きな声でどもってもいいから話せる、それが、「椅子取りゲーム」の幸福感の正体のようでした。
 「表現」のレッスンをしながらも、僕は、幸福な時間の余韻に浸っていました。そして、幸福な現場に立ち会えたことを、本当に幸せに思ったのです。(「スタタリング・ナウ」 2003.4.19 NO.104)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/12

鴻上尚史さんとの濃密な時間 3

 今日は大晦日。2023年の最後の日です。改めて、早かったなあと思います。年々、時が経つのが早く感じられるのは、年齢を重ねてきた証拠でしょうか。残された時間が限られたものであることを自覚しながら、誠実に丁寧に日々を過ごしていきたいと思っています。
 このブログ、Twitter、Facebookなどを通じて、今年も発信を続けてきました。読んでくださった方、本当にありがとうございました。読んでくださる人を意識しながら、今後も書いていきます。新しく始まる2024年も、よろしくお願いします。
 今年最後は、鴻上尚史さんをゲストに迎えた吃音ショートコースの報告のしめくくりです。参加者の感想を紹介します。

吃音ショートコースをふりかえる
 最後のプログラム、みんなで語ろうティーチインが始まった。参加者全員がまるく輪を作ってすわる。ひとりひとりの顔がよく見える。この吃音ショートコースに参加しての体験をひとりひとりが語っていく。ひとりが語り終わったら、次の人を、「〜の時大笑いしていた○○さん」などと、名前の前に自分らしい紹介のための形容詞や副詞をつけて指名する。その形容が、今回の吃音ショートコースをふりかえることにもつながった。ああ、そんなことあったよなあ、そうそう、こんなこともしたよなあ、と場面が鮮やかによみがえってくる。あのとき言ったことばを覚えてくれていた。あのときしたことを見てくれていた。そんなひとりひとりのつながりが見えた時間ともなった。
 帰途につくマイクロバスに手を振りながら見送る。疲れてはいるけれど、満ち足りた思いである。また、来年!!

 吃音ショートコースに初めて参加されたお二人の感想をご紹介します。

  心が太って、元気になりました
         神奈川県・横須賀市立諏訪小学校ことばの教室 鈴木尚美
 吃音ショートコースの3日間は、自分でも驚くほど明るく笑顔に満ちたものでした。
 この吃音ショートコースに私が参加し、心が満たされ、ここにこのように感想を書くなどということは、その一月前まで思ってもみないことでした。
 8月に大阪で行われた『臨床家のための吃音講習会』に参加したのは、ことばの教室の担当者として、吃音の子どもたちの指導について、いろいろ迷っていたからです。講習会で講師の方々の講演や成人のどもる人の生の声を伺い、私の中の“吃音観”とでもいうものが変わっていきました。それは、戸惑いを覚えるほどの大きなものでした。けれど、それだけなら、多分、私は吃音ショートコースに参加はしていなかったと思います。
 8月のその時期、私はものすごいストレスの中で、身も心もやせ細っていました。それを処理できないままに参加したのでしたが、「Z軸へのアプローチ」の伊藤伸二さんの講義を聴いているうちに、吃音ではなく、人生とでもいう深い部分で私に響いてくる温かなものを感じました。そこで出会った伊藤さんのことばのひとつひとつは、傷ついた私を、“自分らしく生きればいいんだよ”と、温かく包んでくれるものでした。ストレスの具体的な話はしないままに、私は講義の直後に伊藤さんに話しかけていました。その時本にサインして下さった、“あなたはあなたのままでいい。あなたはひとりではない。あなたには力がある”のことばに涙がこぼれました。
 その後、伊藤さんにお手紙を書く形で、それまで目をそむけていた事柄と向き合い、自分をみつめて考え、整理することができ、ストレスから一歩踏み出すことができました。そして、そのお返事で、吃音ショートコースに誘っていただきました。“ぜひ、参加されませんか。いい人たちが集まりますよ”の一言に参加を決めた私でした。そして、翌日には、申し込みをし、新幹線の切符を取りました。
 栗東駅で、マイクロバスに乗り込んだときには、まだ緊張していた私でしたが、日赤りっとう山荘の玄関で、スタッフの方が笑顔で迎えて下さいました。その明るく温かな空気に触れたとたん、一気に緊張がほぐれて、自然に私も笑顔になりました。
 「出会いの広場」のゲームや、鴻上さんのレッスンをする中で、参加されている全員の方とことばを交わし、一緒に体を動かし、触れ合って、笑い合いました。私は、“人と人が知り合い、仲良くなるって、こういうことだなあ”と思い、“人間て、何て温かくて柔らかい存在なのだろう”と感じました。
 こんなに多くの吃音の方たちと一緒に過ごしたのは、初めてだったので、少々戸惑いもありましたが、一緒にいるうちに、自然に話しかけ、どもったのを聞いている私でした。この3日間で、吃音について、頭の知識だけでなく、皮膚を通してしみてきた感覚として理脾することができてきたように感じています。
 最終日の鴻上さんと伊藤さんの対談のとき、吃音の方からの質問に、鴻上さんが、「んー、…どうするかなあ…」と言いつつ、経験の中から、いくつもいくつも例を挙げて答えるのを見て、鴻上さんの世界の豊かさを感じ、私も、あんなふうにたくさんの選択肢をもてる人間になりたいと思いました。そして、ことばの教室に通級して来る子どもたちに、明るく、「こういうのも、どう?」(大阪弁なら“どや?”と言うのをコミュニティアワーのとき習いました)と声がかけられる先生でありたいと思いました。
 吃音ショートコースに参加した後、私のところに通級してくる吃音の子(小学5年生)と、力まずに吃音の話をすることができました。
 「○○君のように、ことばを繰り返したり、つまったりする話し方を、どもりとか吃音と言います」
 「吃音の人は、どこの国でも人口の1%いて、日本では人口が約1億人なので、約100万人います」
 このような情報を伝えました。これは、その子が知りたいと思っていたことだったようで、いつもなら絵を描いても、「先生にあげる」と持ち帰らないのに、それを書いた紙を丁寧にたたんでポケットに入れ、帰りがけにお母さんに見せていました。うれしい光景でした。
 吃音ショートコースに参加していなければ、吃音について子どもと話し合う必要性は感じても、躊躇してしまい、話をすることができなかったと思います。それが力まずにできたのは、私のためにも、通級してくる子どもたちのためにも、参加してよかったです。
 温かく優しい方々に囲まれ、ゆったりと学ぶことができた3日間で、私は心が太って、元気になりました。
 そして今、来年も参加したいなあと思っています。

  割り切れなさと共に生きる
               東京都・湘南病院精神科デイケア勤務 松平隆史
 「松平さんってどもりなんですよね〜」
 「そうだよ!!」
 吃音ショートコースから帰ってきた翌日、職場でこんなやりとりがあった。私は病院の精神科ディケアという部署で働いているが、ある若い男性患者さんから言われて私は勢いよく明るい大きな声でそう答えた。
 吃音ショートコースに参加してその勢いが余韻として残っていたこともあるが、以前の私だったらおそらく違った反応をしていたと思う。バツが悪そうにお茶を濁していたか、ちょっと卑屈に笑ってごまかしていたか…。患者さんのほうも少しビックリした様子だったが、何も考えずに思わずそういう言葉が口から出た私の方も意外だった。
 今回、私は初めて吃音ショートコースに参加した。吃音に関するグループに参加するのも全くの初めての経験だつた。それ自体も私にとっては一つの大きな変化だと思う。昨年、伊藤伸二さんの『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の本を読み、自分のこれまでの経験や思いなどをふり返って、心の中でモヤモヤしていたものがだいぶハッキリした感じがした。また、吃音に関して正面から向き合うことを避けてきた自分がいることを再認識した。「どもっていては半人前」「他の普通の人のようになめらかに話すことのできない自分」ということを意識して劣等感を持っていたし、自分の思いをうまく他人に伝えられないもどかしさや周りの人から取り残される感じを抱いていた。何とか少しでもどもらないようにと、吃音とは「闘う」ような気持ちだったし、そういう姿勢だった。
 今回ショートコースに参加して、その明るさ、さっぱりした雰囲気が私にはとても心地よかった。また、多くの人と出会えて話が聞けたことも大きな収穫だった。本当に世の中にはいろんな人がいで、いろんな生き方があるのだと思った。私のこれまでの狭い視野では、まさか吃音の人で言語聴覚士をやっている人がいるとは思いもよらなかった。
 吃音はたしかに日々の生活の中で「不便さ」を感じることも多いが、吃音もその人の持ち味の一部であってすべてではない、表現はその人によっていろいろ違いがあっても良いのだと思えるようになってきた。人としての幅を広げ、懐を深くしてゆくこと、土壌を豊かにしてゆくことが大切なことなのだと思う。結局は、「自分は自分なりにどう生きていくのか、どのように生きていきたいのか」であり、それは吃音があってもなくてもすべての人にとって共通するテーマに行き着くのだと思う。
 以前の自分は吃音ということで縮こまる傾向があったし、今も常にその葛藤の中にいると言っても過言ではない。でも、それで縮こまってばかりではせっかくの人生もったいないし、あまり何事もない人生よりも、失敗や後悔を重ねながらもいろんな経験のある人生のほうが良いのだと、今回の吃音ショートコースに参加してその思いがより強くなってきた。
 ショートコースの2日目、伊藤さんお二人(伸二さんと照良さん)の会話のやり取りで“吃音のかけあい”(失礼!?)を見ていて、何かベテランの名人の漫才を見ているような気がした。円熟味のある、その人にしかできないかけがえのない芸とでも言うか…また、鴻上さんのお話も魅力的だった。ユーモアを忘れずに、良い意味で自分を突き放して自分のことをとらえるというのはなるほどな、と思った。
 そして、吃音を受け容れること=受容について、そんなにあっさりカンタンに受け容れられたらウソじゃないか、とも思うことがある。それは精神障害や他の障害についても言えることなのかもしれないが、それぞれの人のペースや道のりがあり、ある程度時間を費やして、いろんな経験や思いをしながらじっくりと受け容れていくものなのではないだろうか。そういった意味で、私はまだ割り切れていない。吃音ショートコースが終わって、今また日々の生活を送っているが、吃音に関してはやっぱり一筋縄には行かない。どもっている自分が恥ずかしいとも思うし、「どもりじゃなかったらなあ〜」なんて思いも正直言ってある。でも一方で、何でもかんでもどもりのせいにしていては自分自身が前に進んで行かないとも思う。
 そういった割り切れなさを抱えつつも、吃音と付き合いながら日々生きていきたい。その、イメージとしては“自分の中にいる居候”、いや“同じ寮仲間”というか“親友”“悪友”みたいな感じで自分の吃音と付き合っていければ最高なのでは、とも思う。泣いたり笑ったり、時にはケンカしたり、文句や愚痴も言い合いながら。でも、私の場合はそうなるまでにはまだまだ時間がかかりそうかなあ……若いし!?(笑)

【おまけ】精神障害の分野の本ですが、「べてるの家の『非』援助論」(浦河べてるの家、医学書院、2002年、2000円)という本はオススメです。“諦めが肝心”“昇る生き方から降りる生き方へ”“そのまんまがいいみたい”“弱さを絆に”“「超えるべき苦労」と「克服してはならない苦労」とをきちんと見極めて区別する”などなど、面白いテーマがいろいろ書かれています。よろしければご一読を。吃音に関して考える際にも、何かヒントとなるかも??
 (「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/31

新・吃音ショートコースに参加しての感想

新・ 新・吃音ショートコースの最終のセッションは、ふりかえりでした。ひとりひとりが、この2日間で考えたこと、思ったこと、感じたこと、発見したことなどを発表しました。僕は、この時間が好きです。印象に残る場面はひとりひとり違います。同じことばを聞いても、その捉え方は異なります。その人の背景、その日の体調、いろいろなものが合わさって、感想になります。どれもが貴重で大切なことばになっていました。
 発表が終わってから、短い時間でしたが、感想を書いていただきました。書くことでまた違った新・吃音ショートコースが浮かび上がってきたようです。紹介します。

○久しぶりに吃音のことを深く考える機会でよかった。日本語のレッスンでは、以前、大阪吃音教室の日曜例会で1日かけてやった「竹内さんのレッスン」を思い出した。そのときも、言葉と体はつながっている?というようなことをいろいろ勉強したが、その後の日常生活であまり活かしきれてなかったと思う。やはり、勉強して実践してみたいことは、常に日頃から意識をしてやっていかないとダメだと感じた。今回、勉強した日本語のレッスンの中の、「一息で全部言う」「一音一拍」と、どもりそうになったときの対策として、「電話線を通して相手に届ける」「電話の向こうの空いてをイメージする」「相手に聞き返されたらチャンスと思い、ゆっくり話す」の話は、早速意識しながら実践していこうと思う。

○大阪吃音教室とは違い、全国、遠い所から参加される人がいる。この場で何かを確かめるかのように参加している人、自分の人生の何かと重ね、関連づけて話をする人、そんな姿に、私はインスパイアされる。いい刺激をもらって、また日常へと還っていこうと思うし、またこういう場に参加しようと思うのだ。

○在宅ワークになり、大阪吃音教室に参加できる機会がほとんどなくなったので、久しぶりに2日間、吃音についてゆっくり考えることができて有意義でした。幸せについて考えた中で、私は自己受容ができていることが幸せと感じました。今までどもりで悩むことばかりでしたが、大阪吃音教室に出会えて、自分自身を受け入れられるようになってよかったです。

○自分の人生の振り返りを発表させていただき、ありがとうございました。吃音を治すのでなく、吃音の子どもたちと共に生きようとする言語聴覚士が、ひとりでも増えるよう、みんなでがんばっていけるといいかなと思います。考え方を変えないといけないときは、勇気をもって、ふんばって、みんなで手を取り合って、変えなければいけないと思います。

○内容の濃いあっという間の2日間でした。要項にある「吃音哲学」というテーマがピンとこず、心理学的な難しい話をされるのだろうか、果たしてついていけるものだろうかと心配でしたが、杞憂に終わり、思い出に残る2日間となりました。日々、不登校のお母さん方と話し合ってきた、子どもの自己受容、自己肯定、その子を支えるお母さん方の自己受容、他者貢献とも相通ずるテーマでした。内容も、ぎりぎりの子どもたちを支援する人と伊藤さんの深い対談、情景の浮かぶことば文学賞の素晴らしい作品たち、ハピネスではない深い幸せのウェルビーイング、コロナ禍に入って以来の歌を歌ったり、台詞を言い回す体験、日々の困りごとへの対処法、他人は変わらないけれど、自分たちの物事へのとらえ方は変えるとができるという話、大阪吃音教室で受けたライフサイクル論など、こんなに時間が経つのが早く、惜しいと思ったことはありませんでした。

○今回の新・吃音ショートコースは、世界のこと、自分のこと、自分の身の周りで起こっていることを、ちゃんとことばで表現しよう、違うことばの持つ異なる意味、ニュアンスをちゃんと区別しようという内容のイベントでした。思い出せば、私が自分でものを考え始めた1970年代後半は、世界中で「ことばが世界を分節化する機能を疑おう」「ことばを使って考えるのをやめ、丸ごと世界を認識し直そう」という思想が提唱され、広まった時代でした。その後、時代が大きく移り変わり、ことばを大事にしない人があまりに増えて、社会の要路を独占する時代がきてしまい、今再び、一つひとつのことばを大切にするところから世界をやり直すしかないところに舞い戻っているのだと思います。

○2日目だけの参加でしたが、ことばの教室の実践報告や日本語のレッスンの体験、合理的配慮についての話など、たくさんの吃音の世界に触れることができ、楽しかったです。合理的配慮については、以前にも「ほどよいストレスは子どもの成長にとって大事」と聞いたことがありましたが、今、関わっている子どものことを考えながら聞くと、より腑に落ちました。ショートコースを皮切りに始まる吃音のイベント、これからどんな出会いがあるかとても楽しみにしています。

○今回が初めての参加でした。途中からしか参加できなかったため、一番惹かれたタイトル「幸せについて」のお話が聞けなかったことがとても心残りです。少年院の子どもたちの話を聞き、人はどのような形であれ、自分の嫌なことや好きなこと、その全てを通して成長していけるのだと思いました。ライフサイクル論はやり直しのきくものだということばを聞き、どんな紆余曲折を経ても良いんだと、安心する気持ちを感じたのと同時に、とても優しい学問だなあと思いました。

○自己決定権の尊重と幸せの話が2日間の中で一番印象的でした。祖父のケアのことや今、職場で関係している子どもたちのとのかかわりを思い出しながら話を聞いていました。何が目の前の人にとっての幸せなのかをこれからも考え続けながら、人とかかわっていきたいです。自由であることが幸せであるということを、子どもたちに伝えていきたいと思いました。

○印象に残ったのは、1日目の対談後の話し合いで、生徒は、話の内容よりも、その場や時間を覚えているとの意見が出たことでした。また、私も、吃音の相談を受けることがあり、後からもっとこう言えばよかった、ああ言えばよかったと反省することや、1回相談に来てその後来なくなると、対応が悪かったかなあと思っていたのですが、反省しなくていい、1回来てそれで落ち着いたんじゃないかというのを聞いてほっとしました。2日目のウェルビーイング、幸せについては、初めてじっくり考える機会でした。自己決定できる幸せを初めて考えました。どちらかと言えば、他者信頼、他者貢献の方を思っていましたが、フランクルの「最悪の場でも、心の自由は奪えない」を思い出し、自分で選べることの大切さを思いました。

○みんなのいろいろな話を聞いて考えることができた。幸せについては、吃音をもったまま生きることの意味を考えることになった。今後、例会のテーマとして活用できると思った。日常を離れ、じっくり自分をふりかえる時間はとても心地よく、いい時間を過ごすことができた。

○発表の広場での発表は、2回目でした。今回はとてもリラックスした気持ちで、浮かんだことはばを伝えていこうと、ポイントとなることだけ考えて話しました。子どもたちのことを伝えたいということだけが頭にありました。みなさんからもらったことばを整理して、子どもたちに伝えようと思います。幸せについて、みんなそれぞれの一番を聞くのがおもしろかったです。どれも大事だけど、今の私にとっての幸せを感じるものなのでしょう。ときどき、幸せチェックをしてみようと思います。ことば、日本語のレッスンも久しぶりに声を出したという感じで、気持ちがよかったです。体も声も、カチカチ、ガチガチなのが分かりました。気持ちよかったし、楽しかったです。

○対話の難しさについての対話は、去年の吃音親子サマーキャンプでの経験を改めてより深く考えるヒントをもらえたと思う。最近、吃音と自由ということを考えている。自由だということは、自己決定ができるということだと、つながった。幸せということを集中して考えることができ、良い時間だった。日本語のレッスンで大きい声を出そうとしたときに指摘された、体の力みは、普段自分では気がついていなかった。台詞を読む楽しさを感じたし、発表の広場で発表もでき、満足している。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/28
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