伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音

親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、近づいてきました

 連日、猛暑、酷暑が続いています。
 僕たちが「吃音の夏」と呼ぶ大きなイベントが近づいてきました。まず、一週間後に迫っているのが、第11回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。
 吃音講習会は、これまで、下記のように、研修、学びを積み重ねてきました。講師の肩書きは、当時のものです。

1回 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み(2012年 千葉)
    講師:浜田寿美男(奈良女子大学名誉教授)
2回 子どもとともに、ことばを紡ぎ出す(2013年 鹿児島)
    講師:高松里(九州大学留学生センター 准教授)
3回 ナラティヴ・アプローチを教育へ(2014年 金沢)
    講師:斉藤清二(富山大学保健管理センター長 教授)
4回 子どものレジリエンスを育てる(2015年 東京)
    講師:石隈利紀(筑波大学副学長・筑波大学附属学校教育局教育長)
5回 子どものレジリエンスを育てる〜ナラティヴからレジリエンスへ(2016年 愛知)
    講師:松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授)
6回 ともに育む哲学的対話 子どものレジリエンスを育てる(2017年 大阪)
    講師:石隈利紀(東京成徳大学教授 筑波大学名誉教授)
7回 どもる子どもとの対話 子どものレジリエンスを育てる(2018年 千葉)
8回 どもる子どもとの対話〜子どものレジリエンスを育てる〜(2019年 三重)
9回 対話っていいね〜対話をすすめる7つの視点〜(2022年 千葉)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長)
10回 どもる子どもが幸せに生きるために〜7つの視点の活用〜(2023年 愛知)
    健康生成論、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、ポジティブ心理学、オープンダイアローグ、当事者研究、PTG(心的外傷後成長) 


 そして今年、第11回は、やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜をテーマに、教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんを講師に迎えます。渡辺さんは、演劇的手法を用いた学習の可能性を現場の教員と共に探究する「学びの空間研究会」を主宰されています。
 昨年の講習会では、子どもとの対話をすすめる教材として、「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」の3つを紹介し、それらの実践交流の場にしました。
 今年は、それら教材の実践を取り上げ、子どもと一緒に学び合う活動にどうつなげていくか、もう一歩すすんだ実践を参加者みんなで探ります。
 渡辺貴裕ワークショップでは、ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返るようなことも考えています。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。例えば、「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 昨年、参加していなくても大丈夫です。初めてことばの教室担当になった人も、長年経験している人も、基本的なことを丁寧に押さえながら、ゆっくりすすめていきますので、どうぞ、安心して、ご参加ください。
 これまで積み重ねてきたことを踏まえ、新たな視点で、子どもたちとの時間を振り返ります。吃音の新しい展望を、共に探っていく研修会になればと願っています。
 開催日ぎりぎりまで申し込みを受け付けています。
 日本吃音臨床研究会のホームページから、吃音講習会のホームページを検索し、参加申込書をダウンロードして、郵送していただくか、メールに添付して送信してください。
郵送   〒260-0003 千葉市中央区鶴沢町21-1  千葉市立鶴沢小学校 黒田明志
メール  Mail:kituon-kosyukai@live.jp
 吃音講習会のホームページは、これまでの講習会の報告、大会要項に載せた資料などをご覧いただけます。講師からの貴重な提案、ことばの教室の実践報告、どもる子どもや大人の声など、日々の指導の参考になる資料が満載です。
 なお、吃音講習会に関する問い合わせは、日本吃音臨床研究会まで。
           TEL/FAX 072−820−8244
           〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

日本吃音臨床研究会のホームページ https://www.kituonkenkyu.org 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/21

子どもの前でどもること

 どもる状態は変化する、ずうっと僕はそう言ってきましたが、本当にそうだと自分のどもり方を見て思います。第1回のどもる人の世界大会を開催した42歳のころ、僕は人前ではほとんどどもっていませんでした。同時通訳の人が驚いたくらいです。それから38年、どもるようになったり、どもらないようになったり、今またよくどもるようになりました。どもりながら、「吃音は治らない」と話すと、説得力があるようです。
 「スタタリング・ナウ」 2006.3.25 NO.139 の巻頭言は、「子どもの前でどもること」です。ことばの教室担当者は、子どもの前で上手にどもってみせることができなければいけないなんて言われたことがありました。表面的などもり方をまねてみせても、敏感な子どもたちは、見抜くでしょう。僕は今、自然にどもり、子どもたちの前で、どもっている姿ではなく、どもりながら生きている僕自身の生き方を見せています。

 
子どもの前でどもること
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音を隠さず、話す場から逃げないで、どもりながら話していく中で、私はいつからか、普段はよくどもるものの、初対面の人や、講義や講演など、緊張する場面では、あまりどもらなくなった。
 「吃音は治らないものと考えて、吃音と折り合いをつけて、上手につき合っていこう」
 こう講演している私が、あまりどもらないので、「治らないと言っている伊藤さんが、あまりどもらないじゃないか」とよく言われた。どもらないのが何か申し訳ないような気になったこともある。
 ところが、私は数年前からかなりどもるようになった。私は再びどもり始めて本当によかったと思う。どもる子どもの前で、本当にどもることができるからだ。真似でも、わざとらしくでもなく、自然にどもることができる。これは実にありがたいことなのだ。
 アメリカの言語病理学では、《吃音を受容しよう》と言われることがあるが、それは治療プロセスの中でのことで、結局は吃音が軽くなることを目指している。私のように本音で、「どもっていても大丈夫」と言っているわけではない。
 吃音を軽くするための方法として、楽にどもる、流暢にどもるがある。その指導は、臨床家が実際にどもってみせることが不可欠だという。また、吃音と直面させるためだとして、臨床家がどもってそれを子どもに指摘させたり、子どものどもるのをまねたりする。そして、軽いどもり方のモデルを示し、徐々に楽などもり方にしていくのだという。時にはこの方法は効果があるのかも知れないが、臨床家がどもるそれと、自分のどもるのは本質的に違うということを敏感な子どもなら感じとるだろう。吃音親子サマーキャンプなどで、多くの子どもと話し合いを続けてきてそう思う。
 私はこのような方法に対して以前から強い違和感を持っていた。よほどの子どもとの信頼関係や、ユーモア感覚、ことばの豊かな表現力、吃音に否定的でなく、自らが自己肯定の臨床家でなければ使えないだろうと指摘したこともあった。
 ここ数年、私が再びどもり始めてから、東京都の4つの小学校のことばの教室のグループ指導の、子どもたちの輪の中に加わる経験をしてきた。ことばの教室の担当者が「どもる大人」に会わせたいと考えたのだ。
 サマーキャンプとは違って、限られた時間で、初めて出会う子どものグループの中で話すのは勝手が違う。それでも子どもたちから質問を受けたり、質問したりしながら楽しい時間を過ごした。
 先だって、青梅市立河辺小学校から、子どもの描いた絵を表紙にした「伊藤先生へ」という作文集が送られてきた。
 「私はいとう先生に会ってとてもびっくりしました。大人で先生なのにどもっていたからです」
 「ぼくよりひどくどもっているのに、明るくて大学の先生をしていることがすごいと思いました」
 「先生の話を聞いていて「り、し」のつく言葉でどもっていると思いました。ぼくもときどき言葉をくりかえしますが、こまることはありません」
 グループ学習に参加した12名の子どもが、私との出会いで感じたことを、自分のことばで書いている。この冊子は私の元気グッズになっている。
 私は現在本当にどもる。ちょっとオーバーなときもあるが、わざとどもっているわけではない。どもらない臨床家が指導としてどもってみせるのとは本質的に違うといえるだろう。また、私が見せているのは、どもっている姿ではなく、どもりながら生きている私自身の生き方なのだ。
 どもる子どもが「どもる大人」に出会うのは、とてもいいことだが、どもる人なら誰でもいいというわけではない。現在まだ悩みの中にいる人はちょっと危ない。「どもる大人」の体験談で、子どもが元気になるには、これまでの吃音のつらさや苦しみを笑い飛ばせるくらい、心の整理がされていなければならない。
 今回、日野市立日野第二小学校の実践を報告していただいて、子どもたちの声を知り、私は、どもるようになって本当によかったと思った。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/20

第8回ことば文学賞 2

 先週末の13・14日と、吃音親子サマーキャンプの事前レッスンがあり、それに関連して、うれしい話もあり、ことば文学賞の作品紹介がストップしてしまいました。つづきです。「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138より、優秀賞作品を紹介します。

《優秀作品》もう、大丈夫だよ
                    鈴木智恵(神奈川県、36歳、主婦)
 あまりの痛さに声も出ない。天井まで届きそうな、我が家で一番大きなドアに手の指を挟んでしまった。脂汗を流し、その場にうずくまると、父親のことが頭に浮かんだ。
 私がまだ生まれる前のこと、父は岩に手の指先を挟まれ、一本の指の爪が大きく変形してしまったという。「お父さんもこんなに痛い思いをしたのだろうか。今日は元気でいるだろうか…」そんなことを考えていた時、突然、電話の呼び出し音が鳴った。実家の母からだった。
 「お父さん、入院することになったよ」
 父は12年前に、脳内出血で倒れ、リハビリをしながら療養生活を送っていた。大きな病気をして、体が弱くなっていたのか、風邪をこじらせては、時々入院することもあったがいつもすぐに退院していた。今回もきっと大丈夫だろう。思わぬ父の入院騒ぎに、指の痛さのことはもうすっかり忘れてしまっていた。
 父は吃音者だった。と言っても会話に困っている様子もなく、話す声は誰よりも大きかった。消防士として、現場で仕事をしたり、緊急連絡のやりとりをするうちに、鍛えられたのだろうか? 自宅にかかってきた電話を真っ先にとって話す父の声は、家中に響き渡っていた。幼い頃、私は父が吃音者であるとは考えたこともなかった。でもやがて、自分自身の吃音の悩みが深いものなっていくと、父の話し方が、私と同じであることに気づいてしまった。父のどもる姿は、自分を見ているようだった。どもることはいけないこと、劣っていることと思っていた私は、次第に父との会話の場面を避けるようになっていた。その上、「私が吃音になったのは、お父さんのせい」、そう思い込むことで、どもっている自分から何とかして逃れようとしていた。父と吃音について話したことはない。私には、語り合える勇気がなかった。父も同じだっただろう。きっと私が傷ついてしまうことを恐れていたのかもしれない。
 母から毎日のように、父の病状を聞いていた。検査の結果はあまり良くない。ここ数年、父の老いていくスピードが速くなっていったような気がしていた。実家からの電話がだんだんと怖いものになっていった。
 そんなある日、吃音者の人達だけのワークショップが開かれる知らせが届いた。日本吃音臨床研究会が主催する吃音ショートコースで、2回目の開催だという。前回は参加しなかった。どもる姿を見られたくないし、他の人がどもっているのを見るのも嫌だった。自分と同じ吃音の「仲間」を求めていたにもかかわらず、いざとなると、最初の一歩が踏み出せなかった。迷っていた参加だったが、今まで体験したことのない、「どもる人達だけの世界」に身を置くことで、父の入院という現実を忘れられれば…そんな思いで行くことにした。
 当日、ワークショップの会場に恐る恐る入っていくと、そこには暖かい空気が流れ、仲間達が迎えてくれた。どもりながら言葉を交わすと、不安も吹き飛んで、その心地よさに感激して、胸がいっぱいになっていた。ありのままの自分でいられる場所をようやく見つけた瞬間だった。仲間達の語る言葉には力があった。それが、体験であっても、悩みであっても、心の中にスッと入ってくる。今までに体験したことのない、不思議な感覚だった。そして、私の吃音に対する思いを劇的に変えた出来事が起ころうとしていた。ただその時の私は、まだそのことが大きな意味を持っことになろうとは思ってもいなかったのだが。
 その出来事とは、伊藤伸二さんがお話の中で、吃音者であったご自分のお父様がなくなった時、本当に悲しい思いをしたが、お父様が、吃音というプレゼントを自分の中に残してくれたと思うことで、悲しみを癒すことができた。…と語られていたことだった。プレゼントだなんて…。とてもそんなふうに思うことはできない。私の吃音はあくまでも、「お父さんのせい」、治るものなら消えてほしいよ。どもることは自分なりに受け入れていたつもりだったのに、まだ別の思いがあることにも気づかされた。ワークショップの2日間、私の思いは、オセロゲームのようにパタパタと入れ替わっていた。
 仲間達とも別れ、いつもの生活に戻ってからしばらくたったある日、母から電話が入った。
 「お父さん、亡くなったよ・・」
 検査をするたびに悪いところが見つかり、ついには体に負担がかかるからと、検査することさえできなくなっていた。覚悟はしていたが、知らせを聞いて頭の中が真っ白になってしまった。荷物をまとめ、亡くなった父が待つ実家へと急いだ。
 父は和室で静かに眠っていた。入院から3ヶ月、食事がとれなかったので、ずいぶんと細くなっていた。口はしっかりと閉じられ、いい顔をしていた。葬儀屋さんの説明を受けながら、お通夜の準備が進められていった。旅支度のため、父に草履をはかせ、手に杖を持たせようとした時、母が葬儀屋さんに尋ねた。「主人は病気で、右半身が麻痺していたので、杖はいつも左手で持っていました。この杖はどちらの手に持たせたらいいのですか」
 すると葬儀屋さんは、「病気はみんな治って旅立たれていきます」。「じゃあ、お父さんの利き手の右手に持たせてあげようね」とみんなで父の右手に杖を握らせた。私は固く結ばれた父の口元を見つめながら、吃音はどうなるの? 治ってなくなっちゃうの? でもどもりは障害でも、病気でもないと思うし・・。では、父は吃音と一緒に天国へ旅立っていったのだろうか。「ねえ、お父さんはどっちがよかった? 治った方がいいと思っていた? 不自由な体も苦しかった病気からも解放されたけど、吃音の調子は今どんな感じ?」心の中で父に問いかけていた。
 父と娘で語り合うことのなかった「吃音」。3人の子ども達の中で、私だけが父と同じ吃音者であったことを父はどう感じていたのだろうか。ちょっぴり本音を聞いてみたいと思った。もう叶わないことだけど。
 父の葬儀、告別式は大勢の人に参列していただいて、それはにぎやかなものだった。遺影の父は、いつもの笑顔でにこにこと笑っていた。告別式の時、「3人のお子様達は、お父さんに怒られたことがなかったといいます」というエピソードが紹介された。子煩悩で優しい父だった。参列者の中には、「本当に怒られたことがなかったの?」とびりくりしていた人もいた。もちろん本当のことである。
 幼い頃、私は父と過ごすことが多かった。母が仕事で家を空けていたし、交代制勤務だった父は、時間こそ不規則だったが、昼間家にいることが多かったからだ。勤務明けで、疲れていたこともあっただろうが、とにかくよく遊んでくれた。しかし、後になって、私が吃音のことに対して、悩み、嫌悪感を抱くようになると、私がどもるようになったのは、この父と過ごした時間が多かったから、吃音が私にうつってしまったのではないか、と考えたこともあった。キラキラとした楽しくて、素敵な思い出ばかりだったのに。
 最後のお別れの後、ついに父の姿形はなくなってしまった。今までに味わったことのない喪失感である。もう二度と会うことはできない。悲しくて、悲しくて、父のことを思い出さないようにしていても、寂しさは募る一方だった。そんな私の脳裏に、ワークショップのときに聞いた伊藤さんのあの言葉が再びよみがえってきた。「吃音は自分の中に残されたプレゼント」。そうか、その通りなのかもしれない。人一倍寂しがり屋で、心の弱い私。父を亡くしても悲しみにくれることのないよう、神様が父と私に、吃音というものを分け与えてくれたのではないだろうか。
 昔から私は父に良く似ていると言われてきた。そっくりな顔、のんびりとした性格、そして話し方。多感な時期には、そのことが恥ずかしいと思ったこともあった。でも今は違う。私の中に父は確かに生きている。そう実感できることが、心から嬉しい。父の入院によって背中を押され、参加したワークショップ。大勢の吃音者の仲間達との出会い、吃音や父に対する思いを大きく変える出来事にめぐり合えたことは、娘を思う父の想いが、私を貴重な体験へと導いてくれたのだろうか。
 どもりで困ったこともたくさんあった。泣いたこと、悩んだことも数えきれない。もちろん今だって、不便な思いをすることもある。でも、今、「吃音」に感謝している。どもりだったからこそ、いろいろな経験をした。嫌なことの方がはるかに多かったが、そこで考えたこと、感じたことは、私が生きていく上での大きなパワーとなっている。もし吃音でなかったら、人生の中で大切な「何か」に気づくことが出来なかったかもしれない。父への「思い」も少しずつわかりかけてきた、その「何か」の一つだと思う。日々の生活の中、様々なことを感じ、父を思うことができるのは、吃音のおかげである。父からプレゼントされた私の中にある吃音と共に、これからは自分らしく、しっかりと前を向いて歩んでいきたい。
 「お父さん、私、もう大丈夫だよ。どもりで本当に良かったと思っているから。私の中で、ずっと、ずっと一緒にいようね」
 遺影の父がうなずいてくれたような気がした。

◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
 父への思いが大変すなおに綴られている。父の入院、死を経験する中で、自分のどもりと向き合い、どもる人たちのワークショップに参加して自分の視野を広げていった。そして、そこで出会ったことばをかみしめながら前へ向かって歩こうとしている。行動することで、その区切りがついたということになる。人やことばと出会うことの意味の大きさを思う。一人で考えていたのでは堂々巡りになってしまいそうなことも、人との関わりの中で、新しい視点が見えてくる。自分の中で、深く吃音と向き合った作者は、今後、社会に向けて広がっていくだろう予感めいたものを感じさせる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/19

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン3〜吃音親子サマーキャンプは、事前レッスンから始まる〜

 事前レッスンの報告の前に、うれしい話を2つ紹介しました。吃音親子サマーキャンプは、今年、33回を迎えますが、本当にいろいろなドラマを生み出してきました。小学生として参加していた子が卒業して、またキャンプのスタッフとして戻ってきてくれるなんて、なかなかないことでしょう。僕たちがキャンプで伝えたかったことをしっかりとつかんでくれた子が、今度はスタッフとして、どもる子どもたちに伝えてくれている、そんないい文化、いい伝統が受け継がれているのです。

事前レッスン2 さて、今年の事前レッスン、22人の参加でした。東京、埼玉、千葉、静岡、三重、愛知、兵庫、新潟、大阪など、かなり遠くからの参加もありました。この事前レッスンを担当してくれているのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。渡辺さん自身、吃音とは全く関係ありませんが、大学生の頃から今まで欠かさず、25年このキャンプに参加し、竹内敏晴さんが亡くなった後、竹内さんのシナリオをもとにした演劇をスタッフが子どもに指導するための事前レッスンの担当をしてくれています。

 今年の演劇の演目は、トラバースの作品の「王様を見たネコ」。10年ぶりの上演です。登場するのは、知識集めに夢中になり、「自分がこの世で一番賢い」と思い込んでいる王さまと、そんな知識はないけれど、ある意味賢い総理大臣や側仕えや妃。彼らは王さまには困っていますが、王様のことは大好きです。そして、王さまに大切なことを思い出させる役割を果たすのが、ネコです。

事前レッスン1 初めはからだを動かし、声を出し、歌を歌い、演劇に入る準備をしました。みんながいろんな役を交代でしていきます。途中でストップしては、小さなグループを作り、似た場面を演じたり、せりふの言い回しを考えたりします。すると、舞台の上で繰り広げられる世界の厚みが広がります。このエクササイズが、サマーキャンプ当日、子どもたちと劇を作っていく上でとても役に立つのです。
 立候補したり、推薦したりして、役が決まっていきました。積極的に出ていく人、遠慮がちな人、それぞれの性格が表れます。衣装や小道具のことも相談しました。いつも、衣装・小道具を担当してくれる人には、これとこれとこれがいる。これはこうして…とアイデアが浮かぶようです。長年続けているので、これは私の出番だと思って、自ら仕事を分担してくれるスタッフたち。ありがたいことです。
事前レッスン3事前レッスン5 二日目の午後、ようやく形になり、通し稽古ができました。録画して、それをみんなで共有し、復習をします。当日までの自主練です。

 「サマーキャンプは、事前レッスンから始まる、そう言われるのがよく分かった。去年、思い切って事前レッスンから参加したら、サマーキャンプがいつもの何十倍も楽しかった」、そう言ったスタッフのことば、うれしかったです。
 吃音親子サマーキャンプは、ここ、事前レッスンから始まります。
事前レッスン6
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/18

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 2 クマが出た!の人との再会

 事前レッスンのスタートにふさわしい、結婚届証人としての署名をしたという、うれしい話を紹介しました。もうひとつ、事前レッスンに入る前に、うれしい話を。

 このキャンプは、どもる大人とことばの教室担当者や言語聴覚士などの臨床家とが協同で行っているものです。どもる大人は、サマーキャンプの卒業生や、大阪吃音教室のリーダーに限定しています。ただどもる人というだけでは参加できません。よく大学生や大学院生が、卒論のために参加したいと連絡をしてきたり、子どもの役に立ちたいと成人の吃音の人からよく連絡がありますが、全てお断りしています。きちっと自分の吃音に向き合い、常に吃音について僕たちの考えを学び続けているに限っています。吃音ワークショップなどへの参加経験があり、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を読んでいる人。また、吃音親子サマーキャンプの基本図書である「親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」の本や「吃音とともに豊かに生きる」のパンフレットを読んでいることが最低の条件です。
 今回も、事前レッスンの少し前に、ひとりのどもる人からメールがありました。その人は、11年前の1月、東京ワークショップに参加した人でした。僕は、その人のことを鮮明に覚えていました。ワークショップでは、いろんな話が出たのですが、「どもってはいけない場」というのがひとつのテーマになりました。近くでクマが出たので、気をつけるように住民に知らせるために、広報車に乗ってマイクでその呼びかけをしないといけないことになったその人は、その場面は、「どもってはいけない場」だと言いました。僕は、「じゃ、あなたがどもって、ククククククマが出たので、注意してくださいと言ったら、住民は本気にしないで、逃げないのですか」と尋ねると「いや、そんなことはないです」と答え、みんなで大笑いしたことを覚えています。「それは、どもってはいけない場ではなく、どもりたくない場でしょう」と、僕は言いました。その彼からのメールでした。あれからずっと、ホームページやブログなどを見て、サマーキャンプにぜひ参加したいと思っていたというメールでした。どもる大人というだけでは参加できないのだと説明しました。なんとか参加したいということなので、最低の条件を話しました。すると、「スタタリング・ナウ」を購読するなどを約束してくれたので、特別に参加をOKしました。
 土曜日の夜遅くまで仕事だった彼は、夜行バスで大阪に来ました。そして、日曜日のレッスンが始まる前に会場に到着しました。あの東京でのワークショップの後、組合の執行副委員長を10年つとめ、今回執行委員長になったとのことでした。あのときのワークショップでの出会いが大きな転機になったと話してくれました。
 演劇の練習にすっと入り、その中で、声を出し、歌い、踊る彼の姿がありました。「一日だけど、参加してよかったです。楽しかった」と彼は、帰り、話してくれました。
 こうして、吃音親子サマーキャンプは、長い歴史を重ねてきました。事前レッスンからして、ドラマの連続です。こんなつながりがあること、本当に幸せなことです。

 昨日、紹介した葵ちゃんのお父さんから、先ほどお礼の電話がありました。「いろいろ心配なこともあったんですが、サマーキャンプでの出会いは大きかったです」と話されました。何か特別なことをしたという自覚はないのですが、僕や僕の仲間の存在が、誰かの支えになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。そして、僕は、同じくらいたくさんの人に支えられてきました。その支えで、今の僕があるのだと、心から思います。ありがたい出会いに感謝です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/16

第33回吃音親子サマーキャンプ 事前レッスン 1 〜うれしいサプライズ〜

 先週末の13・14日は、第33回吃音親子サマーキャンプの事前レッスンでした。サマーキャンプの中で、子どもたちと作り上げる劇の練習に、スタッフがまず合宿で取り組みます。それを、キャンプ当日、子どもたちや保護者の前で披露して、3日間で子どもたちと作り上げるのです。事前レッスンに参加したのは、22人。
 千葉、埼玉、東京、新潟、静岡、愛知、三重、兵庫、大阪と、遠い所からの参加もありました。この事前の合宿レッスンを担当してくれるのが、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。渡辺さんは、大学生の頃から、この吃音親子サマーキャンプにかかわってくれていて、竹内敏晴さんが2009年に亡くなってから後、演劇を担当してくれています。実に15年になります。この事前レッスンに参加したスタッフの中には、子どもとして参加していて、卒業した後、スタッフとして戻ってきてくれた人もいます。長い長い歴史があるのです。
 いつものように、レッスン場所である銀山寺に集まり、レッスンが始まろうというときに、すてきなサプライズを用意していました。レッスンの様子を報告する前に、そのすてきなサプライズについて、紹介します。

葵 結婚証人1 「伊藤さん、ご報告したいことがあるので、電話してもいいですか」と、一本のメールがありました。サマーキャンプに小学校5年生から参加して、2019年に卒業した葵ちゃんからでした。ご報告? 結婚? ちょっと早いか? 何だろう? といろいろ想像しましたが、電話で話すと、「結婚することになった。ついては、その婚姻届けの証人になってもらえないか」ということでした。ご両親が健在なのに、僕でいいのかと思いましたが、本人の強い意志のようでした。翌日、お母さんからも電話があり、よろしくとのことでした。
葵 結婚証人 2 葵ちゃんは、サマーキャンプの長い歴史の中で、印象に残っている参加者のひとりです。とても印象に残っている場面がありますし、葵ちゃんが書いた作文もよく覚えています。それにしても、結婚の証人とは。双方の親が証人になるのが通例だと聞いていましたが、葵ちゃんは、もし、結婚することになったら、絶対、伊藤さんに証人になってもらうと決めていたのだそうです。署名したらいいだけのことなのですが、そのために、京都から大阪に来ると言います。いつにしようかということになって、じゃ、葵ちゃんとの出会いの場である吃音親子サマーキャンプに関連する事前レッスンの場に来てもらったらいいのではないかということになりました。葵ちゃんを知っている人もその場に何人もいます。みんなで、お祝いができると思いました。

葵 結婚証人 3 13日、葵ちゃんは、結婚する彼と一緒に銀山寺にやってきました。聞いていたとおり、優しそうな彼がそばについています。僕たちは、大きな拍手でふたりを迎え入れました。そして、僕は緊張しながら、署名しました。その後、僕は、葵ちゃんとの思い出をふたつ、話しました。

 ひとつは、初めて参加した小学5年生のときの作文に書いていた映画「英国王のスピーチ」の感想のことです。言語聴覚士養成の大学や専門学校で吃音の講義をしていたとき、学生に、その映画を観て感想を書くレポートの提出の課題を常に出していました。すると、全員が、スピーチセラピストの指導でジョージ六世は開戦のスピーチができたと思っていました。
 僕はいつも、「そうではない。吃音はまったく改善していない。つまり、セラピーは成功していないが、私は国王で、国王として、どもっても国民に話さなければならない。どもったらどもったときのことだと覚悟を決めて、あの開戦スピーチに臨んだのだ」と解説してきました。葵ちゃんは、そのことを見事に書いていたのです。『ジョージ六世は、自分は自分やし、どもってもいいやという気持ちがあったから、最後に話せたのだと思いました』と書いていました。

 もうひとつは、2回目の参加の小学6年生のときのことです。主役に立候補して、予想どおりたくさんどもって劇は終わりました。その後で感想を聞いたとき、葵ちゃんはさっと手を挙げて、「役になりきれていなくて悔しかった。ひどくどもる自分が主役になり、他の人がしていたらちゃんとできたのに申し訳ない」と発言し悔し涙を流しました。たくさんどもって嫌だった、悔しかった、つらかったという内容の感想ではなく、役になりきれていなくて悔しかったという発言に、僕は心を揺さぶられ、僕も涙があふれてきました。それは、事前レッスンを担当してくれている渡辺貴裕さんもよく覚えていたことでした。
 そんな思い出のある葵ちゃんが結婚とは、感慨深いものがあります。
 昨日、お礼のメールがあり、彼のことばが紹介されていました。「彼も、伊藤さんと葵の話が聞けて、今の葵があるのは、伊藤さん夫婦やここの場所の存在が大きいからなんやな!って言ってました」と。

 サマーキャンプにまつわるうれしい話を紹介しました。事前レッスンのいいスタートになりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/15

第8回ことば文学賞

 7月に入って、吃音親子サマーキャンプの会場である荒神山自然の家との打ち合わせ、東京での「ぼくのお日さま」の試写会、「スタタリング・ナウ」7月号の編集と、バラエティに富んだ日々が続き、気がつけば、明日からサマーキャンプの事前レッスンです。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、目前に迫ってきました。
 さきほど、「スタタリング・ナウ」の入稿を済ませ、ちょっとほっとしていますが、明日からの事前レッスンの準備もしなければいけません。
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138 に掲載していることば文学賞の作品を紹介します。
 NPO法人大阪スタタリングプロジェクト主催のことば文学賞もこの年、8回目を迎えました。ことばを通して、吃音について、人間関係について、生きるということについて、書き記していこうというこの試みは、僕たちの活動の大切なひとつになっています。2006年2月17日の大阪吃音教室は、受賞作品の発表の日でした。
 30名ほどの参加者の前で、全作品が読み上げられ、ひとつひとつの作品に感想が述べられ、選考委員からはコメントが出されました。ひとつひとつの作品に、その人の人生が刻み込まれています。11人の人生に一度にふれることのできる、僕にとって、またとない幸せな時間になっています。事情によって、外部に選考をお願いできなかったので、僕が、選考委員を引き受けました。力作ぞろい、それぞれが率直に自らの人生を綴り、興味がつきませんでした。

《最優秀作品》
   隠していた頃
                 堤野瑛一(大阪府、27歳、パートタイマー)
 何かと、隠しごとの多い子どもだった。ボテボテと太っていて、目は腫れぼったく、口はいつも半開きで表情に締まりがなく、髪にはいつも寝癖がついていた。そんな冴えない風貌だった僕は、生来の内気な性格も加わって、学校でお世辞にも一目置かれる存在ではなかったし、周りの人間の僕に対する扱いも、それ相応なものだった。しかし、見た目以上に僕は、人には言えないさまざまなコンプレックスを抱えていた。
 僕は、小学3年生くらいの頃から、チック(トゥレット症候群)の症状が表れて、よく顔をゆがめたり、首をビクビクとふったり、鼻や喉をクンクンとならしていた。チックを人に知られたくなかった僕は、できるかぎり、人の前では症状を我慢していたのだけど、我慢にも限界がある。自分では症状が人の目に触れないように最善を尽くしているつもりでも、やはり気づく子は気づいていたし、何度か友達に指摘もされた。「何でそんなんするん?」と訊かれるたび、「ああ、最近首が痛くて」とか「鼻の調子が悪いねん」と、その場しのぎなことを言い、笑ってごまかしてきた。ある時教室で、症状を我慢しきれなくて、誰も見ていないことを確認し、顔を引きつらせながら首をガクガクと思い切りふり乱した。しかしふり返ると、クラスではアイドル的な存在だったひとりの女の子がじっと見ていて「頭おかしいんちゃう?」と真顔で一言つぶやいた。僕はその子に特別興味をいだいていたわけではなかったのだけど、その言葉は深く突き刺さった。しかし何ごともなかったかのように振るまい、ショックを押し殺し、自分の傷を見ないようにしていた。残念なことに、僕には当時チックの理解者がいなく、親にはチックの事を責められ、担任の先生にも煙たい顔をされたりで、チックの辛さというのは、僕ひとりの中だけに押し込められていた。また、他人に、自分がチック症という名前のついた病気があることをいつ悟られるかとビクビクし、教室のどこかで誰かが「畜生!(ちくしょう)」と言ったり、「ロマン“チック”」とか、チック症に似た言葉を言っているのを聞くたび、ドキっと心拍数があがり、冷や汗が出た。
 抱えていた悩みはチックだけではなかった。当時の僕は、相当な精神的な弱さからくる、慢性的な腹痛に悩まされていた。授業中の張りつめた空気、トイレに行けないプレッシャーから、毎時間、お腹が痛くなった。テストの時間などは最悪だった。そして、休み時間のたび、友達から隠れてこそこそとトイレに行った。もしも大便用個室で用を足しているのを同級生に見つかり、からかわれるのが怖かったため、万全を期してわざわざ別の校舎のトイレまで行っていた。学校での腹痛を防ぐために、毎朝、登校前には、長時間トイレにこもった。今ここで一生分の排泄物を出し切ってしまいたい…! そう願いながら。また、たいていの子どもにとって、遠足といえば楽しいものだけど、僕には恐怖だった。学校にいる時以上に、トイレの自由がきかないから。も…もれるっっ…、一体何度、その窮地に立たされ脂汗をかいてきただろうか。結果的に一度も“おもらし”をせずにすんだのが、奇跡的と思えるくらいだ。
 まだある。僕のヘソは出ベソで、そのことを、小・中学校にいる間中、ずっと隠し通していた。もしも出ベソがばれたら、からかいの対象になることは目に見えていたからだ。身体測定でパンツー枚になる時など、パンツはいつもヘソよりも上まであげて隠していた。太ってお腹が出ているせいで、しょちゅうずれ落ちてくるパンツを、引っ切りなしに上げ直していた。あまり上まであげるものだから、いつもパンツはピチピチしていて、股の部分は吊り上げられ、今思い返すと見るからに不自然だった。水泳の時間なども、いつも意識は出ベソを隠すことに集中していた。
 他にも、男のくせにピアノを習わされていたことや、誰もが持っているゲーム機を持っていなかったこと…人に知られたくないコンプレックスはたくさんあった。見た目もデブで不細工、くわえて運動音痴、これといって人目をひく取り柄もない。たびたび自分のことを遠くから見ながら、チックの症状を見てクスクスと笑っている女子たちに気づいたこともあった。そんな経験もあって、今でもどこかでヒソヒソ声やクスクス笑う声が聞こえると、自分のことを笑っているように思えてしまう。コンプレックスのかたまり…僕は本当にそんなだった。
 しかし僕は、そんな劣等感のさらに奥深くで、人一倍、自尊心も強かったように思う。どれだけ人からからかわれても、笑われても、大人たちがまともに相手にしてくれなくても、決して自分を卑下することはなかった。「くそ、自分はそんな馬鹿にされた人間ではない。自分にはきっと価値がある」そんな思いが強かった。劣等感と自尊心、一見そんな対極に思えることが、僕の中にはたしかに混在していた。いや、劣等感と自尊心は対極なのだろうか? 自尊心が強いから劣等感をもつ、劣等感が強いから自尊心に火がつく、卵が先か鶏が先か…そんなことは分からないけれど、とにかく両方あるから、自分を変えようとする原動力になる。
 中学生になった頃、僕は自分の容貌の悪さをさらに強く意識するようになった。これでは駄目だ、痩せよう…! そう思い立った。朝食は抜き、昼食はおにぎりかパンをひとつだけ、間食は控えて、夕食もそれまでの大食いをやめた。そして、毎晩、体重計に乗った。日に日に体重が落ちるのが楽しくて、食べることよりも、体重が減っていく達成感のほうが、快感だった。中学二年の頃には、ずいぶんとスマートになっていた。並行して、以前は親から与えられた衣服をそのまま着るだけだったが、自分で洋服を選ぶようにもなり、髪もいじるようになった。また、鏡を見るのが大嫌いだったけど、よく鏡を見るようになった。すると、それまでは半分しか開いていなかった力のない目も、自然とくっきり開いてくるし、ゆるんでいた口元も絞まる。
 また幸運なことに、クラスの同級生にたまたま、自分以外にもうひとり、しょっちゅう大便用個室に行く男の子がいた。「緊張すると、すぐお腹痛くなるんよなー。」その子は恥じらう様子もなく、いつも堂々と、チリ紙を持ち個室へと入って行った。自分ひとりではない、仲間がいる! 僕は嬉しくてたまらなかった。それ以来、その子に便乗して、「あー、またお腹痛いわ」とか冗談混じりに言いながら、人目を気にせずトイレに行くようになった。授業中に「先生、お腹痛い、トイレ!」と大声で言い、笑いがとれるようになるほど、吹っ切れた。
 そんなこともあり、自分の見た目にも以前のようなコンプレックスはなくなり、僕は徐々に明るく活発になった。そうなると、自然につき合う友達のタイプも、活発なタイプに変わってきた。もしも、以前の見るからにコンプレックスのかたまりのようだった僕が、隠れてコソコソとトイレに入って行くところを誰かに見られたら、たしかにからかわれただろう。でも、自分に自信がつき、堂々とトイレに入っていけば、誰もからかわない。出ベソを見られたって、誰も馬鹿にはしなかった。小・中学校は、ずっと地元の公立で、昔から知っている者どうしだったけど、中学も卒業し、高校に行けば、誰も僕が昔あんなだったとは、想像もしなかった。チック症のことは、おそらくたびたび、「ん?」と変に思われることもあったのだろうけど、そのことで日頃から馬鹿にされたり、とりたてて何か訊かれることもなかった。
 “変えられることは変えよう、変えられないことは受け入れよう”…太っていることは努力で解決出来た。腹痛や出ベソそのものには、対処できない。だから自分の持ち前だと認めて、隠すのをやめた。気持ちに余裕ができると、結果的に慢性の腹痛は、徐々に軽くなっていった。チックのことも、自分ではそんなに気にならないようになった。もう自分には、これといったコンプレックスは何もない…そう思っていた。
 高校二年になったころ、僕はどもり始めた。それまでは何ともなかったのに。初めは、そのうちなくなるだろうと楽観的だったのだけど、だんだんと慢性化していった。「おかしいな…」そして気がつけば、いつしか、どもりを隠している自分がいた。会話でどもりそうになると、たとえ、話が支離滅裂になってでも、どもらずにすむことを言ってごまかした。自分がどもることを知られたくない…かたくなにそう思って、隠して、隠して、隠し続けた。どもることを受け入れられず、そして、どもることを隠すがゆえに、自由がきかなくなった。まただ、こんなはずではなかったのに…。
 …あれから、もう10年が過ぎた。あまりに、いろんなことがありすぎた。
 僕は、数年前から、大阪の吃音教室に参加している。そこで、豊かに生きるためのヒントとして、“変えられることは変えていこう、変えられないことは受けいれよう”ということを学び、共感した。僕は中学生の頃、それを体験的に知っていたはずなのに、どうしてまたあの時、どもることを隠してしまったのだろう。「先生、お腹痛い、トイレ!」とか言ったのと同じように、「俺、めちゃくちゃどもるわ!」とか言って、みんなを笑わせてやる選択もあっただろうに。でも、当時はそれができなかった。どもることを、受け入れられなかった。
 今は、多くのどもりの仲間に恵まれ、たくさんの人の考えや体験に触れ“どもりながらでも、豊かに生きられる。どもる事実を認めて、どもりと上手につき合おう”と、前を向いて歩いている。どもりの悩みの真っただ中にいた頃は、自分の未来像なんてまったく描けず、ただただ真っ暗闇だったけれど、今は着実に、明るい道を歩んでいる。僕は、どもる人間だ。どもる人間が、どもりを隠そうとしたのでは、何も出来ない。たしかに、どもりは不便なことが多い。でも、どもることが理由で出来ないことなんて、本当は少ないんじゃないだろうか。ずいぶんと遠回りをしてしまったけれど、どもることが原因で一度は不本意にあきらめたことを、これからじっくり、やり直していきたい。どもりと上手につき合いながら。

◇◆◇選考委員コメント◇◆◇
 当時は、話すことさえできないほど嫌だったことでも、年月がたてば、口にすることもできるし、文章に書くこともできる。作者は、書くことを通して、当時の自分に出会っていたのではないだろうか。隠したいコンプレックスが次から次へ、これでもか、これでもかと出てくる。羅列しているかのようにみえて、実はそうではない。一つのテーマにしぼっているので、ひとつひとつのエピソードにつながりがあり、ばらばらではない。読み手をわくわくさせ、次はなんだろう? もっとないの? とさえ思うくらい、読む気を起こさせる。当時は、きっと深刻であったろうことをユーモアを交えて書いている。これは、作者の生きやすさと連動しているようだ。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/12

カンヌ国際映画祭出品「ぼくのお日さま」試写会

 「取材で大変お世話になりました映画ですが、近日マスコミ試写会を行うことになりました。もし、宜しければ、取材がどのように映画へと活きているのか、見届けていただければ大変うれしく思います」
 6月20日、そう書かれた、映画の試写会の案内をいただきました。2022年の夏、吃音親子サマーキャンプに取材のために参加した映画監督からでした。
ぼくのお日さま ポスター その映画は、先日、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でノミネートされた『ぼくのお日さま』で、監督は、奥山大史さんです。

 奥山監督との出会いは、2022年夏。次回作の映画に、どもる少年が登場するので、吃音について、どもる人の生き方について、学びたいとのことで、具体的には、その年の吃音親子サマーキャンプに参加させてもらえないだろうかという依頼でした。2022年は、コロナ明けの3年ぶりのサマーキャンプ。その間、新規の参加者はなく、リピーターだった多くの子どもたちは卒業してしまい、参加者もスタッフも何人集まるか、話し合いはともかく表現活動のプログラムはそれまでと変わらずできるのか、そもそも基本的に密な状態になるキャンプが開催できるのか、状況が全く読めない、不安ばかりが募る中で準備をしていたときでした。
 奥山監督のことは全く知らなかったのですが、その真摯な態度に好感を持ち、快諾しました。サマーキャンプ前日に、コロナ感染者過去最多を記録する中、キャンプは予定どおり開催し、奥山さんは、サマーキャンプの2日目から、話し合いの場面、表現活動の場面などを取材されました。僕たちも、さりげなく紹介しただけだったので、特別扱いはなく、一参加者として、吃音親子サマーキャンプの場になじんでおられた印象をもっています。全体で、表現活動のエクササイズをしているときも、その場におられたので、リーダーは、つい指名してしまい、奥山さんも、流れに乗って一緒にエクササイズに参加されていたと、後で聞きました。
 それから約1年半後、映画のエンディングに、協力者として、伊藤伸二と日本吃音臨床研究会の両方を入れたいと連絡があり、完成間近なのだろうと思っていましたが、まさかカンヌ国際映画祭に出品される映画だったとは思いもしませんでした。
 奥山さんと吃音親子サマーキャンプの出会いが、吃音の少年の描写にどんなふうに反映されるか楽しみにしていたところに、試写会の招待状が届いたのです。。
 
 そして、7月9日、東京渋谷、映画美学校の地下1階での試写会に行ってきました。マスコミ試写会なので、100名弱のマスコミ関係者で、ほぼ満席状態でした。なんか場違いの所に来たのかと思っているうちに、映画が始まりました。

 この映画は、雪の降る街を舞台に、どもるホッケー少年のタクヤと、フィギュアスケートを学ぶ少女サクラ、そして元フィギュアスケート選手でサクラのコーチ荒川の3人の視点で紡がれる物語です。
 ネタばれにならないように気をつけて、いただいた資料をもとに、もう少し詳しい紹介をします。

 
雪が積もる田舎町に暮らす小学6年生のタクヤは、少し吃音がある。タクヤが通う学校の男子は、夏は野球、冬はアイスホッケーの練習に忙しい。
 ある日、苦手なアイスホッケーでケガをしたタクヤは、フィギュアスケートの練習をする少女サクラと出会う。「月の光」に合わせ氷の上を滑るサクラの姿に、心を奪われてしまうタクヤ。
 一方、コーチ荒川のもと、熱心に練習をするサクラは、指導する荒川の目をまっすぐに観ることができない。コーチが元フィギュアスケート男子の選手だったことを友だちづてに知る。
 荒川は、選手の夢を諦め、東京から恋人の住む街に越してきた。サクラの練習を観ていたある日、リンクの端でアイスホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て、何度も転ぶタクヤを見つける。タクヤのサクラへの想いに気づき、恋の応援をしたくなった荒川は、スケート靴を貸してあげ、タクヤの練習につきあうことに。しばらくして荒川の提案で、タクヤとサクラはペアでアイスダンスの練習を始めることになり…。


 雪が降り始め、雪が溶けるまでの一冬の情景は、どの場面も、とてもきれいでした。雪の白さはもちろんですが、光も効果的で、きれいな映像でした。それに合わせて、音楽も静かに流れていました。セリフは多くなく、ハデな演出もなく、全体として、穏やかで静かで落ち着いた映画でした。最後に、監督がぜひ、この歌を使いたいと思ったという、ハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」が流れました。そのエンディングが流れる中、映画にかかわったたくさんの人の名前の中に、「日本吃音臨床研究会」と「伊藤伸二」をみつけました。

奥山監督と 2 映画が終わり、会場を出ようとしたとき、奥山さんに声をかけられ、少しお話することができました。プロデューサーとも話しました。「どうでしたか」と聞かれ、僕は正直に率直にこたえました。わずかな時間でしたが、映画好きの僕にはとても良い時間でした。
 映画の中で、タクヤの吃音は特別なものではありませんでした。音読の時間の映像もあり、指名され、ドキドキしながら、タクヤは、思い切って読み始めます。案の定どもってしまいますが、でもそれ以上の描写はありません。どもる少年が音読をしてどもった、ただそれだけなのです。ことさら悲劇的に扱うでもなく、そんな子もクラスにはいるよね、ということのようです。さらりと扱っているなあという気がしました。それは、僕たちにとって、とてもうれしい演出でした。どもりながら話すタクヤが、日常の中に普通に存在していました。家族での食事の場面では、父親が同じようにどもっていました。とりたてて問題にすることなく、よくある話としてとらえられていると思いました。さらりと描いている、それがよかったと感想を言いました。奥山さんは、ほっとした顔をされたように思いました。
 タクヤの友だちとして登場するコウセイ君のことにも触れました。タクヤがどもっていても、どもっていなくても、何ひとつ変わらない友情を示すコウセイ君。監督は、「これは、サマーキャンプで、ある子が「理解してほしいと思っているわけではない。ただ、放っておいてくれたらいい」と話していたのを聞いて、そういう子どもをタクヤのそばに置きたいと思って、その役をコウセイ君にしてもらった」と話されました。
 2年前の2日間の取材の中で、いろいろなことを見聞きし、学んだことが役に立ったと話されました。取材の依頼の真摯なお話、取材当日の真剣なまなざしを思い出しました。そして、あのとき、サマーキャンプに参加していた子どもたちの姿が、映画の中に、確かに活きていたと思いました。

 映画の中で、池に氷が張った天然のスケートリンクで、タクヤとサクラと荒川コーチの3人が滑るシーンがあります。楽しそうです。弾ける笑顔が本当に素敵でした。
 そんな映画の中で、1カ所だけ、気になるセリフがありました。インパクトのある一言だったので、これを後でどう収めるのだろうかと思って観ていました。映画の中で、その最後を収めることはなく、観客に委ねられました。
 
試写会の翌日、取り急ぎ、お礼のメールを送ると、「ご覧いただけて、すっごくうれしかっです。本当にあの取材が大いに参考になりました。感謝しています」との返信がありました。気さくな奥山監督の「ぼくのお日さま」、9月に全国公開されます。ぜひ、映画館に足をお運びください。「ぼくのお日さま」の公式サイトで、最新の予告編を観ることができます。

    「ぼくのお日さま」の公式サイト https://bokunoohisama.com

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/11

第33回吃音親子サマーキャンプ 荒神山自然の家との打ち合わせ

 第33回吃音親子サマーキャンプの参加申し込みが届き始めました。参加費も、郵便振替で届いています。また、サマーキャンプの中で子どもたちと取り組むお芝居をスタッフが練習する事前レッスンも近づいてきました。そんな中、先日、会場である滋賀県彦根市の荒神山自然の家に行き、打ち合わせをしてきました。毎年、開催の1ヶ月前には、出向いて、職員の方と打ち合わせをすることになっています。
 大阪より涼しいだろうと予想していたのですが、その日、彦根の最高気温は35度、大阪より高かったです。
荒神山背景 自然の家に着くと、所長の西堀さん、所員の堀居さんをはじめ、自然の家のみなさんが温かく迎えてくださいました。1年ぶりの懐かしい再会でした。
 プログラムを説明し、参加者がまだ全然未定だと伝え、食事や備品などの提出書類などについて丁寧に説明を受けました。学校の林間学校と違い、僕たちの吃音親子サマーキャンプは、参加者数がぎりぎりまで分からないのが大きな、悩ましい特徴です。
 ここ荒神山でサマーキャンプを開催するのは、今回で25回目。どの所員の方よりも長く使わせてもらっています。そのことはよく理解してもらっていて、僕たち独自のプログラムを尊重してもらっています。全員が作文を書くための会場を確保してもらったり、ウォークラリーの説明をサマーキャンプ卒業生が、経験を活かして行いますが、そばにいて見守ってくださっています。
 荒神山自然の家は、以前は滋賀県が、そして彦根市が運営母体でしたが、経営難で、それぞれ手を離し、今は民間会社の運営となっています。存続が危ういときもあり、僕たちもなんとか続けてほしいとお願いをしたこともあります。
 荒神山は、吃音親子サマーキャンプにとって象徴的なシンボルです。せめてもう少しこのままでと願っています。
 温暖化の影響を受けて、年々暑くなってきているとのこと、生物の生態系にも変化があるようです。名前は忘れましたが、大きななめくじの姿を見ることがなくなったとのことでした。
 来月8月16日から18日まで、荒神山で繰り広げられるであろうたくさんのドラマを思い描きながら、打ち合わせが終わりました。「吃音さん」と呼んでくださる荒神山自然の家のスタッフの皆さんの温かい見守りの中で、今年もいい時間が過ごせそうです。
 参加申し込みは、書類提出の開催2週間前ぎりぎりの8月2日です。お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/08

文章を綴るということ

 「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138 の巻頭言を紹介しようと読み始めて、ドキッとしました。遅れに遅れた年報の編集をしているとの書き出しに、今と全く同じだと思ったのです。僕は、今、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」の編集と並行して、年報の編集に取り組んでいます。遅れに遅れとまではいかないのですが、少し遅れています。
 毎日、何か、書いています。書くという作業は、僕にとって、欠くことができない日常生活になっているのです。
 では、文章を綴るということのタイトルの、「スタタリング・ナウ」2006.2.25 NO.138の巻頭言を紹介します。

文章を綴るということ
             日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二


 今、遅れに遅れた研究会の年報の編集をしている。今年度の分も含めて、4年分が滞っていた。2002年度の年報は「建設的な生き方」だ。
 文化人類学者・デイビット・レイノルズさんとの対談の中に、内観の話がある。「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つを通して自分の過去を振り返っていくのだ。
 吃音内観という、新しい試みを提案してみた。吃音に悩む人たちの中には、どもることで周りに「迷惑をかけたこと」を必要以上に挙げる人がいる。例えば、会社窓口業務は、どもって応対すると、会社の信用を損い、迷惑をかけているというのだ。
 吃音に悩んでいたとき、周りの人から「してもらったこと」はないのかを振り返り、さらには、どもって私たちが話していくことは、誰かに「して返したこと」ことにならないのか。つまり、社会に役に立つことはないのかと、話を展開していった。「迷惑をかけたこと」はすぐに思い浮かんでも、「して返したこと」はなかなか思い浮かばない。そもそも、そのような発想自体が全くないのだ。しかし、結果としては「して返したこと」になるかもしれないということは出始めた。
 その中の大きなことが、私たちが自分の吃音体験を綴っていくことだとは、多くの人が納得した。だからこそ、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトが、ことば文学賞を制定し、多くの人に参加を呼びかけているのだ。
 今年もll編の大作、力作が集まった。今回は事情によって、初めて選考委員のひとりとなった。作品を気楽な気持ちで楽しく読むのと、選考委員として読むのとでは大きな違いがある。この文学賞に応募した11人だけでなく、読んで下さる大勢の人々のためにも、選考は慎重になる。何度も何度も読み返した。これまでの長い間、選考を続けて下さった高橋徹さん、五孝隆実さんのご苦労に改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
 私たちの周りには、吃音を治すのではなく、どう生きるかを真剣に考え、その道を歩み始めた人は多い。時には「どもりでよかった」とさえ口にする。今の時点のその状態だけを取り出せば、「あれは特別の人たちなのだ。人はそんなに強くなれるものではない」と感想をもたれる人がいるのは、仕方がないことなのだろう。
 今は笑顔でそう語る人たちの、ここまでの道は決して平坦ではない。行きつ戻りつ、悩み、落ち込み、時には人間不信に陥りながらも、やはり、人と直(じか)にふれ合おうとする、人としての営みを通して、やっとの思いで辿り着いた地点なのだ。このことは、ことば文学賞に寄せられた人たちの文章を読めば、分かって下さることだろう。
 人としての苦悩、劣等感、罪悪感など、自分を縛る苦悩をもつのは、どもる人の専売特許ではない。多くの、苦悩をもつ人たちが解放されていく道筋が、私たちにとって大きな道しるべとなったように、私たちの体験も共有できるのではないか。
 私たちが自らの体験を書き続けることは、結果として、誰かに何かを「して返したこと」になる。その、誰かとは、まずは、現在吃音に悩む人たちだろう。「今は苦しくても、ぼちぼちと自分の人生を大切に生きれば、きっと楽になれるよ」と体験を通して応援のメッセージを送っているのだから。さらにそれは吃音理解に結びつき、どもる人をとりまく人間関係にも広がっていく。そして、様々な悩みを持ちながら、自分らしく生きることを模索する多くの人々にも共通の財産になることだろう。
 書くことを仕事にしている人でない限り、自然に書く気持ちがわいてくるものではない。それなりの発表の場があることが動機となる。ことば文学賞がなければ人の目にふれることのなかった文章。その人の人生に触れることの幸せを思う。
 この春には、遅れていた4冊の年報が同時に発行される。その4冊の中にも、私たちならではのメッセージが込められている。
 発行できなかったことへの苦情や批判もなく、私たちを信頼してお待ち下さった皆さんに心から感謝致します。すばらしいものをお届けします。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/07/07
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