伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音

第16回吃音親子サマーキャンプ〜卒業した高校生を中心に〜 2

 昨日、卒業生4人のうち2人を紹介したので、今日は残りの2人の卒業証書文やあいさつなどを紹介します。涙、涙の卒業式でした。ぎすぎすした、せちがらいこの時代に、別世界のようでした。不思議な空間といえるでしょう。僕は、この場が好きで、この場にいる人が好きで、そんな人たちの中にいる僕自身のことも好きで、ずっとこのキャンプを続けているのです。
 若いスタッフが育ってきてはいますが、80歳という年齢を考えると、来年も再来年も、と簡単には言えなくなりました。一年一年、今年が最後かもしれないという思いで、サマーキャンプを開催していきます。よかったら、どうぞ、ご参加ください。詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードしてください。

みほさんの卒業証書
 小学校4年生から高校3年生まで、8回、遠くからサマーキャンプに参加しました。
 「私の大好きな友達はいっぱいいる。だけど、その中で一番好きなのは、私と同じどもりの女の子だ。名前はゆきちゃん。私が生きてて初めてとても気が合う友達だった」(小学5年生のときの作文)。
 みほちゃんにとって、ゆきちゃんとの出会いは、大きいものでした。おでことおでこをくっつけるようにして、深夜までよくおしゃべりしてましたね。こんな仲間との出会いは、みほちゃん、あなたを強くしてくれました。代表委員に思わず立候補したこともありましたね。いっぱい泣いて、いっぱい笑って、いっぱい考えていたあなた、そう、あなたはひとりではないのです。
 サマキャン、卒業、おめでとう。

みほさんのあいさつ
 私がサマーキャンプに初めて参加したのは、小学校4年生のときです。キャンプを知ったのは、お母さんが、朝日新聞にキャンプが紹介されてたのを見たからです。最初は、やっぱり今まで自分と同じどもる人と会ったことがなかったから、行くのがすごい嫌で不安でした。友達ができるかなとか、いろんなことを思ってて、最初は行くのをやめようかなと思ったんですけど、もしかしたらなんかあるかもしれないと思って、参加しました。そして、初めて自分と同じどもる人と会って、友達ができて、自分の吃音の話ができて、すごい充実した3日間だったんです。それからずっとキャンプに参加して、参加するたびに新しい発見がありました。やっぱり学校の友達とはしゃべれないこととかいっぱいしゃべれて、参加するたびにいろんなことがあったなと思います。もう卒業なんだなと思うと、なんか涙が出てきて、卒業したくないなという思いでいっぱいです。来年はできたらスタッフとして参加させてもらいたいです。ありがとうございました。

伊藤伸二
 実は、キャンプのスタッフになるには厳しい筆記試験と面接試験があるんです。それに通ったら、来年、ぜひサマキャンのスタッフとして来て下さい。

ゆきさんの卒業証書
 小学4年生から高校3年生まで、連続9回、サマーキャンプに参加しました。
 「私は最初はどもりについてあまり考えていなかったけれど、最後にはやっぱり日本中にもどもる人はたくさんいて、そのひとりとひりがちゃんとがんばっているんだなと思ってじーんときました」(小学4年生のときの作文)
 「中学1年生のころが一番どもりがひどかった気がする。そして、一番苦しんでいたとき、一番密度が濃く生きていたと思う。どもることによって、他の人が気づかないことを考えることができるようになった」(高校3年生の作文)
 毎年の作文に成長を感じていました。どもりをみつめ、自分をみつめ、人とのかかわりをみつめ、深く考え、自分のことばで語ろうとする姿、とてもすてきです。
 サマキャン、卒業おめでとう。

ゆきさんのあいさつ
 卒業式を開いていただいて、どうもありがとうございます。最初、小学4年生で参加したとき、母親が吃音だったから、みんなのように世界中でどもるのは私ひとり、とは思ってはいませんでした。それ以前に、参加したばかりの頃は、あまり吃音に対して深く悩んでなかったんです。でも、毎年すごくおもしろかった。中学生になって、思春期ということもあるかもしれないけれど、吃音が大嫌いになっていきました。ちょっとどもっただけでも嫌で、自分のことがすごい嫌いでした。話せなくなったらいいのになあとか、どもるくらいならそっちの方がいいなあとか、思い詰めたりしていた。中学の頃が一番ひどくて、家族にもあまり相談できなくて、ほんとにサマーキャンプが大事でした。サマキャンがなかったらどうなっていたんだろうと思っています。
 現在は、吃音に対して結構プラスに考えているんだけど、これから人生は長いし、60年くらいはあると思うから、吃音や自分を否定することもあるかもしれません。でも、大事なのは、悩みや欠点を持っていることではなくて、それを克服するとか、一緒に考えてくれる手段とか仲間がいないことの方がすごく大きいと思います。その仲間を持てたことが、サマキャンで一番の財産だと思います。吃音に対してもその他のいろんなことについても、みんなと真剣に語り合えてよかったです。劇も毎年がんばったけど、今年は特に思いを入れてやりました。今年は、女王とおばさんのダブルキャストでお送りしたんですけど、いかがだったでしょうか。
 今、卒業したくないという気持ちです。帰りたくないので、もう1泊したいです。もう1泊するとすると、24時間。睡眠時間8時間、食事とおふろで12時間とって、あと残りは12時間。劇の練習を3時間して、あと3時間話し合いして、とか頭の中で計算してます。ほんとに実行できないのがさみしいです。毎年、3泊4日になってくれ、と思っていました。今年は入試なので、これから勉強をがんばっていこうと思っています。大学もなんですけど、それ以上に厳しい筆記試験と面接に受かって、スタッフになれたら、来年ここに来ます。スタッフの人も、子どもたちも、みんなすごくやさしくて、サマキャンはほんとにいいと思いました。ありがとうございました。

ゆきさんの父のあいさつ
 9年間のうち、私がついてきたのは、記憶が定かじゃないんですけど、5回か6回くらいかなと思います。子どもがどもり出してどうしたらいいか全然分からずに第一回に参加しました。そこで、伊藤伸二さんがどもりは治らない、受け入れなさいと言われました。表面的にはそうなのかなあと思ったんですけど、心の中では治ってほしい、どうしたらいいかというのをずっと思っていました。子どもがサマーキャンプに来て、ほんとに成長していくなあというのは実感しています。
 私自身もいろんなところに欠点のある人間です。からだが固いから、からだほぐしの体操をしたり、子どもの劇の前座のために、大声を出して普段やらないようなことをグループでやったりしました。最初はそれが非常に嫌で、それが嫌でなんか行きたくないなあと思ったりしたんですけど、途中からは少しずつおもしろくなってきました。自分がこういうことで楽しめるようになった、要するに親である私自身が変わってきたなあと思いました。ゆきは、これで最後なんですが、本人はスタッフで是非来たいと言っています。ペーパーテストと面接をがんばってほしいと思います。スタッフのみなさん、本当に長い間、ありがとうございました。

ゆきさんの母のあいさつ
 さきほど子どもの方から紹介がありました、どもりの母親でございます。
 私自身もどもりで、結婚する前の26歳の頃に、東京の正生学院というどもりの矯正所で初めて伊藤伸二さんとお会いしました。私は握手をしてもらっただけなんですけど。伊藤さんは、有名人だったので、その他大勢の中で握手をしてもらったんです。
 私は、どもりであるため、結婚の不安とかいろんな不安をもっていたんです。その後、結婚してどもる人のグループとは離れていたんですが、子どもがどもりになったということで、また、どもる人のグループと自分がつながることになりました。なんか自分は、吃音と永久に離れられないようです。
 子どもが吃音になったということで、また新たに、自分の吃音もみつめるきっかけになりました。子どもと一緒にキャンプに来ることで、自分の吃音もそこで考える時間ができたのです。子どもが吃音になったことを、私はすごく感謝しています。吃音のおかげでこういう場所に来れたし、友達もできました。すごい不思議なことだと思っています。私たちは最初、家族そろってここに何年か来ていました。だんだん他のきょうだいの都合もあって、なかなか家族全員で来ることができなくなったんですけど、今回、ゆきが最後のキャンプとなってしまい、私たち家族はこのキャンプに来れなくなって、これからどうしていったらいいんでしょうか。これから考えていこうと思います。
 ゆきは、もっと長くキャンプをやってほしいとか、勝手なことを言っていました。スタッフの方はお疲れで、もうこれ以上は無理だと思っています。ほんとうに9年間という長い間、子どもを見守って下さって、ありがとうございました。

伊藤伸二 
 卒業生の4人、お疲れ様でした。あいさつがとてもよかったから、推薦入学でスタッフ試験に合格したことを、今、皆様にお伝え致します。
 では最後に、卒業生を送ることば。高校2年生のはるなさんです。

はるなさんのあいさつ
 今、話を聞いていて、すごく泣いてしまいました。一回止まったんですけど、話している途中に泣いたらごめんなさい。
 おととしも、よしのり君とまさき君の卒業式のときに、送辞みたいなことを言わせてもらいました。そのときに、その二人の先輩は、考えること、考えたことを伝えること、自分を表現することの大事さを教えてくれた、ということを話しました。そのこともいっしょにさっき思い出していました。今回、卒業する4人の人たちとは、考えたり自分を表現することをほんとにずっと一緒にやってきたなあと思いました。上の先輩に教えてもらったことを、一緒にやってきました。私が初めて参加したとき、ゆきさんやみほさんはもう何回か参加していて、私は一人で行ったから不安だったけど、最初から分け隔てがなくて、すぐ友だちになってくれました。すごいあったかかったし、みんなで一緒にいろんなことを考えて夜までしゃべってました。いろんな人に迷惑をかけちゃったりもしたんだけど、でも、自分がそれをやっていてすごい楽しかった。2年前、自分で考えることや表現することの大事さに気づけたのは、私がひとりで考えて気づいたことじゃなくて、みんなと一緒に考えて、しゃべって、自分が考えたことを表現することって、ああすごい大事なことだなあと気づかせてもらったんです。ほんとにみんなに成長させてもらい、たくさんの思い出もつくってもらい、大事なことに気づかせてもらったと思います。もしも、ここで今回卒業する4人に会えなかったら、友達同士で大阪に行くなんてことはしなかったと思います。ほんとにいろんな経験ができて、いろんなことに気づかせてくれて、一緒に考えてくれて、一緒に表現し、話してくれて、ありがたいと思っています。長い間、本当にありがとうございました。

伊藤伸二
 僕は、「今日の日はさようなら」という歌が好きなので、今回はそれを歌って、ハミングにのせてちょっとしゃべりたいと思っていたのだけど、時間がなくなりました。僕が16年間、キャンプをやってこれたのは、スタッフとして一緒に取り組むありがたい仲間たちのおかげです。偶然の出会いから、その後何回も来てくれる仲間。大阪だけでなく、遠く関東や九州などから来てくれる仲間。こんな仲間がいるから、キャンプを続けることができています。僕はこの人たちは、何物にも代え難い宝物だと感謝しています。そして、ここで出会う子どもたちや保護者の皆さんにも感謝しています。ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/22

第16回吃音親子サマーキャンプ〜卒業した高校生を中心に〜

 「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134 は、第16回吃音親子サマーキャンプを特集しています。そのとき、卒業した高校生を中心に、僕のことば、卒業式の様子、卒業証書の文、卒業生のあいさつなど、臨場感を大切にしたテープ起こしのまま、紹介します。
 その年の卒業生は、こういちろう君(高1から3回連続の参加)、よしき君(小6から7回連続の参加)、みほさん(小4から8回の参加)、ゆきさん(小4から9回連続の参加)の4人でした。小学生のときから参加している子もいて、幼く、かわいかった頃から見てきた僕たちにとって、まさに我が子の成長を見る思いでした。
 今年のサマーキャンプを前に、19年前の卒業式を懐かしく思い出しています。

伊藤伸二
 今から、卒業式というか、卒キャン式をします。今年は4人の卒業生がいます。卒業証書授与式です。卒業証書を渡した後、本人に挨拶をしてもらいます。

こういちろう君の卒業証書
 高校1年生から3年生まで、サマーキャンプへの参加は3回でした。回数は少ないけれど、中身の濃い3年間でした。高校1年、初めてひとりで参加したときは、不安だったことでしょう。でも、そのときの出会いがきっとあなたを変えるきっかけとなってくれたことと思います。あなたの夢に向かって大きく羽ばたいてくれることを心より祈っています。
 サマキャン、卒業おめでとう。

こういちろう君の挨拶
 毎年ここで泣くんです。高校1年のとき、ひとりで初参加し、知っている人も誰もいなくて、ちゃんとやっていける不安でしたが、たくさんの人が僕に話しかけてきてくれて、仲良くなってすごく楽しかった。2年目も覚えててもらえるか不安で、怖かったんですが、みんな「よく来たね」と言ってくれた。3年目もみんな仲良くしてくれて、ぼくのことを分かってくれる人がこんなにたくさんいて、やさしかった。
 ぼくは吃音にすごく悩んでいたけど、それ以外にもいろんなことに悩んでいて、それもみんなちゃんと話を聞いてくれた。サマーキャンプに来て、自分でも成長したと思うし、変わったと思う。大切ないい人たちがたくさんいて、本当に来てよかったと思います。ありがとうございました。

伊藤伸二
 こういちろう君は、将来に大きな夢をもっています。どもっていると、それが実現するかどうかという不安をもっていました。それを高校生の話し合いの中で出してみんなで話し合いました。その中で、なんとかがんばれるという力をみんなからもらっていました。

よしき君の卒業証書
 小学6年から高校3年まで7回、吃音親子サマーキャンプに参加しました。とてもやさしいあなたは、よく小さい子の面倒を見てくれました。1年ごとにぐんぐん背が伸びて、会うたびに大きくなりました。夜遅くまで階段の踊り場の隅っこでひそひそ声でしゃべっていたことを思い出します。劇ではいつも見る者をびっくりさせてくれました。思春期まっただ中のあなた、これからも悩んだり落ち込んだりすることはあるでしょう。でもきっと、自分自身で自分らしい道をみつけていってくれることを信じています。
 サマキャン、卒業おめでとう。

よしき君のあいさつ
 今回で7回目です。一番最初は、この地球上で自分のようにどもる人は、自分ひとりしかおらへんとずっと思っていたのに、ここでは幼稚園から社会人までどもる人がいて、いっぱい仲間がいることを実感できたことがよかった。中学生になって、もう吃音のことは、治さんでいい、ぐいぐいとやろうと思っていた。
 ところが、最近いろいろあって、今年の夏くらいから、吃音のことは自分の中でも欠点やと思うようになった。欠点やないと思って生きていこうとしたけど、面接のときに、吃音やから落ちるんじゃないと思うようになった。でも、また今回のキャンプで少し考え直すと、吃音もちゃんとした個性で、個性があるほうがいいと思えました。そりゃ、ちゃんとしゃべれた方がいい、どもらなければそれに越したことはないけど、吃音があることによって、これだけ多くの仲間に会えたとことはほんまにうれしいことやし、みんなが同じような悩みを持っていて、いろいろ相談できたことは、うれしかった。だから、卒業したらスタッフとして参加したい。参加してたら、難しいサマキャンスタッフ試験に合格したんだと思って下さい。小学6年から高校3年まで7回、面倒をみて下さった皆さん、ほんまにありがとうございました。

伊藤伸二
 僕は、すてきなことは、悩まなくなることじゃないと思うんです。今回のキャンプで、よしき君と最初に会ったとき、これまでと違う暗い感じがした。今、悩んでいる時期だったんですね。高校生の話し合いの中で、彼は、今までどもりは欠点じゃないと思っていて、ぐいぐいとやっていたけれど、やっぱり自分のどもりは欠点だ、みんなはどう思うかという話を出した。他の高校生からもいろんな意見が出され話し合った。本人が気がついているかどうか分からないが、彼の発言する前の顔と話し合いが終わったときの顔はずいぶん違っていた。成長は順調に一直線にいくわけじゃない。今はどもっていても大丈夫だと思っていても、後でやっぱりどもりは治したいと思ったり、揺れて苦しんでいくと思う。でも、このキャンプに来て自分の考えをもう一度言って、話し合う。キャンプをそういう場にしてもらえたらなあと思っている。僕らは、悩むということは大切なことだと思っています。
 親ができることの唯一のことは、どもる子どもをサマキャンに送り出すことだと思っていますが、よしき君を毎回、一緒に連れてきて、本人以上にサマーキャンプを楽しんでいたおかあさん、どうぞ。

よしき君の母のあいさつ
 7年間、スタッフのみなさん、一緒にキャンプに参加してお友達になったお母さんたち、ありがとうございました。残念なことに今回で最後になってしまいました。結婚して子どもが生まれる前は、夢にも吃音親子サマーキャンプに来ることは予定に入っていませんでした。よしきが3歳くらいでどもったときに、よしきもびっくりしたかも分かりませんけども、私が一番びっくりしました。どうしていいか分からないままに、6年生まで放っておいたら治ると言われて放っておいたんですけど、それはあかんということになって、このサマーキャンプに来ました。もうどうしていいか分からずにへとへとでした。このサマーキャンプの3日間、最初の日は泣きまくりました。いろんな人に「気持ちが分かる」とか「あなたのせいとちゃうねんで」とか「一緒や、一緒や」とか「一緒にがんばろ」と言ってもらえました。そして、7年も来ることができました。
 よしきに感謝しないといけないことがひとつあります。どもり出したときは、すごくびっくりしたけれども、ここに来てちゃんと吃音のことや、吃音だけじゃなくて、それにつながるいろんなことを勉強させてくれるようになっていたんやと思います。そういう巡り合わせで、よしきはうちの子に生まれてきたんだと思います。よしきがもしどもってなかったら、こんなにいい友達に私も会えてませんでした。私は来年からはもういませんけれど、よしきがまたこちらにお世話になるかもしれません。そのときには、みなさん、なんかまだ子どもみたいですけれど、悪いことしてたら、叱ってやって下さい。
 最後に、よしきに。お母さんはどもってないから、よしきの気持ちは分からないかもしれませんけど、応援をすることには変わりがありません。ほかの人がみんな変やと言っても、お母さんとお父さんは、そんなことは絶対に思ってないということを忘れないで下さい。ありがとうございました。


 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/21

楽しさと喜び

サマキャンの写真 ワークブック表紙 10% 吃音親子サマーキャンプは、今年、33回目を迎えます。また来年、という参加者の声に励まされ、回を重ねてきました。たくさんのどもる子どもたち、保護者、きょうだい、ことばの教室担当者、言語聴覚士と出会ってきました。高校3年生となり、サマーキャンプを巣立っていった子どもたちも大勢います。スタッフとして、またサマーキャンプに戻ってきてくれた子もまたたくさんいます。
 今年の参加申し込み第1号は、すでに受け取りました。詳しい案内、参加申し込み書は、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードできるようになっています。
 竹内敏晴さんの定例レッスンの事務局をしていたとき、竹内さんの「からだとことばのレッスン」をぜひ体験してほしいと思う人に、僕はいつも、「竹内さんだって、いつまでもレッスンができるわけではないから、できるだけ早いうちに一度は経験しておくといいよ」と勧めていました。吃音親子サマーキャンプも、いつまで開催できるか分からないから、一度は経験しておくといいよという気持ちです。ホームページには、吃音親子サマーキャンプに関して話している動画もありますし、DVDもあります。DVDについては、お問い合わせください。
 ご一緒できること、楽しみにしています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2005.10.22 NO.134 の巻頭言を紹介します。2005年、第16回のサマーキャンプを特集している号の巻頭言です。

楽しさと喜び
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「日頃どもることで苦戦をしている子どもたちに、楽しさをいっぱい与えるキャンプにしたい」
 「吃音と向き合い、苦しい中にも、何かひとつのことをやりあげ、そこから子どもたちが喜びを見い出すキャンプにしたい」
 吃音親子サマーキャンプを始めた数年ほどは、ある児童療育施設の言語聴覚士のグループと実行委員会を組んでの取り組みだった。この言語聴覚士のグループは、「楽しいキャンプ」を強く主張した。吃音についての話し合いや、厳しい劇の上演に取り組むより、遊びが主体で、表現活動をするにしても、自分たちでシナリオをつくり、楽器を使って楽しい無理のないものにと主張した。
 どもることで苦戦している子どもたちにとって、同じようにどもる子どもと出会うこと、そのことだけでも大いに意義あるものには違いない。
 しかし、吃音に苦しみ、吃音に向き合うことで吃音と共に生きる道筋に立つことができた私たちが取り組むキャンプは、難しいかもしれないが、一歩踏み込んだものにしたかった。楽しいだけのものにはしたくなかった。吃音と向き合い、苦手なことに挑戦し、そこで得られる達成感や充実感によって自信をもち、生きる力や吃音と向き合う力、表現する力が育つきっかけとなるようなものにしたかった。そこに子どもたちは喜びを見い出すだろうと信じていたからだ。
 このように、臨床家とどもる人間である私たちとのキャンプに対する基本姿勢はかなり違い、実行委員会は常に激論が交わされた。第一回のキャンプから、話し合いや、劇の上演は取り組まれていたものの、私たちとしてはかなり譲歩した内容で物足りなさを感じていた。数年後、いろいろな事情が重なり、そのグループと離れ、私たち単独の取り組みになったとき、現在の吃音親子サマーキャンプの原型ができあがった。それから10年以上、プログラムはほとんど変わっていない。
 初日の夜に第1回の90分の話し合い。2日目の午前中の90分は、作文教室でひとり吃音に向き合う。その後2回目の90分の話し合いがある。話し合うグループは年齢別に分かれ、ファシリテーターとして、臨床家とどもる私たちの仲間が入る。数年前、作文の時間に泣き出し、後の話し合いに参加できなかった女子高校生がいた。吃音でいじめられた体験がよみがえり、苦しくなったのだ。その後の話し合いには加わらず、ひとりで2時間ほど散策していた。その後は、劇の練習に加わり、精一杯演じた。「小さな子どもたちが劇に一所懸命取り組んでいる姿に、私もがんばろうと思った。今、とても気持ちが楽になった」と語っていた。
 話し合いも、ひとりで吃音に向き合う作文も、心楽しいものではないだろう。劇にしても、プロの演出家である竹内敏晴さんの脚本・演出で取り組む本格的な劇だ。大人のスタッフが合宿で竹内さんの演出指導を受けて取り組む。話し合いや遊びの時にはどもらなかった子がセリフを読み始めるととたんにひどくどもり、泣き出すこともある。
 このように子どもにとってキャンプは楽しいだけのものではない。しかし、子どもたちはもっと話し合いたい、劇が楽しかったと言う。ほとんどの子どもが最後までやりきる。
 楽しいキャンプも子どもたちにとって素晴らしいものには違いないが、それは与えられたものを受け取っているに過ぎない。私たちのキャンプは、子どもたち本人の努力が伴う。少し困難な課題に取り組み、それをみんなで成し遂げた達成感は、自信となり、次の課題に挑戦する力となる。キャンプで育った子どもたちは、思春期に再び苦しみ悩むという揺れは経験しながらも、「吃音を生きる」という道を確実に歩み始める。
 今年、キャンプを卒業した4人の高校生。どもることを恥ずかしいものと考え、吃音を隠すために話すことを避けて、劣等感を募らせ、みじめで暗かった私の高校生活とは全く違う子どもたちの明るい笑顔に、キャンプに楽しさだけでなく喜びを自分の力で見い出した子どもたちの素晴らしさと、その場を共に経験できた幸せを思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/20

我の世界

 2004年の第4回臨床家のための吃音講習会での梶田叡一さんの話を紹介してきました。話の流れを優先させたので、「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133 の巻頭言の紹介がまだでした。
 吃音に悩んでいるとき、吃音が占める割合が大きくなり、「どもる私」が全面に出てしまいます。もっといろんな私がいるはずなのに、どもっている私だけが大きくクローズアップされるようです。映画監督の羽仁進さんは、「どもる人の奥にある世界を豊かにしよう」とメッセージをくださいました。梶田叡一さんも、内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることを提案してくださいました。
 僕も、まだまだ我の世界を磨くことはできそうです。

  
我の世界
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 吃音は他者との関係の中ではじめて問題となる。どもることで息が苦しくなったり、からだが緊張することはあっても、どもること自体で苦しむことはない。どもった私を他者がどう見ているか、感じているかという他者の視点、評価が気になって悩むのである。
 私たちはどもることを他者から指摘されたり、笑われたりすることで、否応なしに、他人の目を意識せざるを得なかった。社会と向き合う私の前面には常に吃音が立ちはだかった。吃音を通して他者や社会をみつめていたことになる。子どもの頃から、社会に適応するために、我々の世界に生きるために、どもらずに話せるようになりたいと願ってきた。
 社会に適応する力は必要だが、そればかりにからめとられると、肝心の我の世界がおろそかになる。社会と向き合うときのどもる私は、私のごく一部にすぎないのに、吃音に深く悩んでいたときは、その吃音が私の全てを代表しているかのように思っていた。どもる・どもらないとは無関係の自分の豊かな我の世界があるはずだ。話さなくても我の世界を楽しむことはできる。楽器やスポーツやダンス、何かを育てたり作り出す、絵を描く、好きな音楽を聴く、本を読む、映画を観るなどたくさんのことができる。
 学童期、劣等感にからめとられていた私は、エリクソンの言う勤勉性が全くなかった。勉強もせず、友達と楽しく遊ぶこともなく、学校やクラスの役割も引き受けなかった。当時の通信簿には、そうじ当番をよくさぼると記されている。本読みや発表ができなくても、話さなくてもいいクラスの役割はあったはずなのに、私はしなければならないこと、したいことをせず何事に対しても無気力になっていた。
 思春期の私は社会に適応したいと願いながらできなかった。ゆえに私は孤独であった。このことが後になってみると、ある面では私に幸いしたらしい。本当はしたくないのに友達に合わせて時間を浪費することはなかった。周りに合わせようとしていたら、多くの無駄なエネルギーを費やしていたことだろう。
 私は、仲間を必要とせず、社会にも合わせようとせず、ひとりの世界に入っていった。孤独の辛さを紛らわせるために、私は映画と読書にのめり込んだ。中学生から映画館に入り浸った私は、1950年代の洋画全盛時代のほとんどの洋画を観ている。ジェームス・ディーンの「エデンの東」に何度あふれる涙を流したことだろう。世界・日本文学全集と言われる多くを読んで、自分では経験できない世界を味わった。我々の世界に入れず、不本意ながら我の世界の中に入り込んでいったものが、今私が生きる大きな力になっている。
 人間関係をつくりたくて、夜のコンビニエンスストアを俳徊し、たむろして時間をつぶす若い人たちを見て、私は吃音に悩むことによって内的な世界に入ることができた幸せを思う。
 私のように不本意ながらではなく、我々の世界に適応することはしばらくの間は諦めて、奥にある内面の自分としっかりと向き合い、それを豊かにすることだけを考える時期が必要なのではないかと最近考えるようになった。自分の喜びや楽しみのために、能動的に時間を使うのだ。私の場合、我々の世界に未練を残しながらの中途半端なものだった。それであったとしても私にとってよかったと思えるのだから、我々の世界に合わせることをとりあえず一時期断念し、自分に向き合い、自分を豊かに育てるのだ。
 楽しみを豊かに持つことは、自分自身の根っこの中の自信となっていく。その自信があってこそ、どもっていても大丈夫、「私は私だ」と、奥にある豊かな世界を意識しつつ生きることができるのだろう。
 子どもの頃から否応なしに我々の世界を意識せざるを得ないからこそむしろ早く、我々の世界に適応することはとりあえず置いておいて、我の世界を豊かにする。それは、我々の世界に生きるには周りからはマイナスのものと思われているものを持っている人々の特権ではないだろうか。
 国際吃音連盟ではどもる著名人をリストアップして、ホームページに掲載しようとしている。どもるからその人たちは一芸に秀でたり、成功したりしたのではない。どもる、どもらないにかかわらず、自分の奥にある内的な我の世界を大切に生きたからこそ、様々な分野で活動ができたのだ。このリストアップの動きが、「どもってもいい。我の世界を大切に生きよう」という声に結びついていけばいいのだが。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/19

我の世界と我々の世界 2

 吃音講習会の時の梶田叡一さんのお話を紹介してきました。
 僕が梶田さんを講師として講習会に来ていただきたいと仲間に提案したとき、当時、京都ノートルダム女子大学学長でしたが、忙しい学長職の人に断られるに決まっているという人がほとんどでした。島根県松江市での開催なので、合宿の形式にした40名ほどの参加者の講習会です。僕は、梶田さんの本はたくさん読んでいました。そのことを強みにして、梶田さんの出身が松江市だということを手がかりに、心を込めてお願いの手紙を書きました。すると、「小さな集まりが好きなので行きますよ」と快諾してくださいました。その言葉通り、たくさん話をし、質問に答えて、また話していただくという、とても贅沢な時間を過ごしました。お酒が好きで、夜遅くまで話につき合っていただきました。本棚にあるたくさんの梶田さんの本を眺めては、懐かしく思い出しています。
 我の世界と我々の世界を行ったり来たりしながら自由自在に生きること、僕自身は、かなりそうできているのではないかと思います。21歳からは、自分の納得のいく人生を歩いてきました。
今回で、梶田さんのお話は終わりです。(「スタタリング・ナウ」2005.9.18 NO.133)

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7
    我の世界と我々の世界
                梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)特別講演


自由自在に生きる
 自由自在に生きるということは、自分のいろんな条件が完備することではありません。事実は変わらないのです。不完全で不満足な条件を、パーフェクトではないものを与えられて、私の命が機能しているわけです。だったら、自分に与えられたものは存分に楽しんだらいいし、ないものねだりをしてもしょうがないと思うのです。ないものねだりが一番いけないです。どこへ行っても私は私のペースで私なりに生きていく。だからといって、世の中のネットワークから自分だけ逃がす必要はない。世の中のネットワークは大事にする。そして、仮の主語として、我の世界は、とっても大事。しかし、世の中のことも、自分自身のことも、どちらも、どこかで、「まあいいか」と思えること。一所懸命になりすぎるのがいけない。できれば死ぬときに、ああ、いい一生だったなあと思って死ねるかどうかです。
意識としての自己 梶田叡一 今、お話したことは、私の本『意識としての自己』(金子書房)の中に書いております。また、見て下さい。
 私はどういう者だとか、私は自信があるとかいう自己概念は、結局自分の意識の中のあるひとつのあり方でしかなくて、事実の問題じゃない。意識の中での、主語述語の組み立て方の問題です。若いときからあまり死ぬことにとらわれたらいけないですが、ときどき、自分が自分だけの固有の命を生きていることを思い出すときには、死ぬんだよなあということを思えばいい。勲章をもらっても意味ないし、私も伊藤さんも本をたくさん書いているけれど死んでしまったら、ほぼナンセンスな話です。どういう所に住んで、家族は何人いたなんて、どうってことないことです。まして、吃音があったかどうかなんて、死ぬということと比べたら別にどうってことない話です。
 ひとつは世の中での価値、我々の世界での価値観があるけれど、これを一度全部ちゃらにしてしまう。もうひとつの我の世界の価値、たとえば私は石川さゆりがいいとか、私の中での価値観ができている。最後はそれもちゃらですよ。一度全部ちゃらにして、物を考えるためにはメメントモリという死ぬということを考えたらいい。自分が死んでしまうのではなく、頭の中での考えた死です。生きている間は死ということにこだわって、とらわれて、つかまえられて、意味づけとして、死という事実があると考えたらいい。私は人生をこう意味づけると考える。そして、くれぐれも言いますが、死ぬことだって、私に責任がある話じゃない。もっと言えば、今、生きていることだって、ほんとは私に責任ないです。そう思ったら楽でしょ。これが自由自在に生きるということです。

位置づけのアイデンティティ
 心理学の本を見ますと、アイデンティティということは、たとえば自分は男だとか女だとか、自分は学校の教師だとか、そういう我々の世界での位置づけのことを言っています。
 年齢も全部我々の世界の符丁です。性別も、役割も、自分は長男だ、何人子どもがいる、親と一緒に住んでるとかが、普通アイデンティティです。それが自己概念なんですが、自己概念の中で一番自分中心的面、たとえば私にとって一番中心的面は、学校の教師であれば、それがアイデンティティになる。これが〈位置づけのアイデンティティ〉です。
 我々の世界のネットワークの中で、世の中から与えられた、いわば符丁、シンボル、サイン。こういうものの中で、私をどう規定していくかです。吃音も、世の中で、そういうカテゴリーを与えられて、そういうものかと思っている。ダウン症だって、引きこもりだって、登校拒否だってそうです。世の中で生きていく上で、全部ちゃらにする必要ない。事実として知っておけばいいが、これにこだわらなくするにはどうしたらいいかがひとつの大問題だと思うんです。事実であっても、それにこだわると、ちょっと窮屈なところがある。上手に世の中からはみださない形で、どうやってそれにこだわらないようにするかです。
 私は親だけれども、自分のアイデンティティを親にすると、窮屈になります。親でもあるけれどなあ、ということです。私は教師だとなると、日本ではなんとなくいい子をしていないといけない感じになる。自分の全存在が位置づけの間にからめとられたら、こんなつまらないことはありません。これが、最初の罠です。

宣言としてのアイデンティティ
 この罠から抜けるためには、〈宣言としてのアイデンティティ〉が必要です。
 「教師でもあるけれど、なんとかでもある」という何かを出していく。便利な宣言としてのアイデンティティとして、私は男だ、女だ、何歳だ、「教師だと言われるけれど、私は人間だ」と言います。「私は人間だ」というのは、位置づけとして相対化するには一番いいでしょう。それでなくて、人には分からないけれども、こういうものだという宣言を自分の中で、もったらいい。教師だとか女性だとか、あるいは親だとかなんとかだという前に、「私はこういうことが私にとって、自分のコアになるんだ」というものです。一番簡単なのは、「人間だ」ということです。
 位置づけのアイデンティティで、他の人がどう自分を呼ぶかを知っておいた方がいい。だけども、それを乗り越えて、がんじがらめにされない。私というものを意識化する。一番自由自在に生きるとしたら、「私はカモである」とか、「空気である」と言ってしまえばいいが、あんまりそれをやると、「熱、あるんじゃない?」と言われてしまう。上手にTPOを見て言わないといけない。人には言わないで、自分でもっていたらいい。「私は水でありたい」とか、「風でありたい」とか。そういう宣言としてのアイデンティティを自分なりに作っていけるかどうかは、とても大事です。宣言としての自己意識、自己概念です。自分が自分とっきあって、自分と対話して、私ってこうなんだから、という土台になるような自己概念です。
宗教教育、宗教的なこだわり宗教ということばを使うと、戦後は、みんな、疎ましく思うようでほとんど勉強することはない。だけど、私はあえて言うけれども、特に障害のある子にかかわるとか、命の問題を考える時、宗教をぜひ勉強してみて下さい。これが、一番関連の深い文化です。
 お釈迦さんだって、なぜ出家したかと言うと、自分が死ぬということ、病気の人がいるということ、などからでしょう。しっかり勉強して、資格をとって、肩書きもできて、大きな家にも住むという右肩上がりの単純化した人生を考えていくと、命の問題は分からない。障害をどう意味づけるかは分からない。人間の一生は、右上がりじゃないと言っているのが宗教です。この宗教でないといけないという宗教心は嫌いです。でも、大きな宗教思想家はいい。
そういう人のものはぜひ皆さん、読んでみて下さい。
 道元や親鶯です。親鷺はぜひ『歎異抄』を、読み返して読み返して下さい。易しい例と易しいことばで、あんなに深いものはないと思います。『歎異抄』を読んでいくと、道元も分かってきます。道元は難しい難しい本ですが、読んでいくと、聖書の中に出てくるイエスのことばが分かるようになります。
 なぜ、幼子の如くならないといけないのか、なぜ野の花を見よというのか、です。いろいろなことで思い煩っているけれど、この花は、誰がどうしたわけでもなく、本人が美しく咲こうとか思ってるわけじゃないのに、こんなに素晴らしい花を咲かせているじゃないか。命の自己展開です。命は自己展開するんです。ユダヤ民族をもった伝説的なソロモン王朝のときの栄耀栄華のときよりも、この花は、はるかに美しいじゃないか、というわけです。
 道元を読み、親鷺を読み、あるいは聖書を読んで下さい。ほかにもすばらしいものがいっぱいあると思いますが、ぜひお読みいただきますと、結局は、この意味づけ、こだわりというのを深く考えていくということが自分の中でできるようになるんじゃないかなと思います。ですから、私は、宗教教育をこれから本当にやらないといけないと主張しているんです。
 何宗の教育でなく、宗教をひとつは文化の問題としてとらえたいのです。教育改革の論議のなかでもずいぶん言いました。そしたら、宗教教育は結構だけれど、宗派でない宗教をだれが教えるのかと言われる。確かに道元や親鷺、イエスなどの宗教的な天才のような思想家のことを、自分でこだわって、勉強して、小学校、中学校、高校で、大学で、宗派的でなく、教えることができる人が日本でどれくらいいるか、と言われました。でも、私はあえて言いますけれど、そういうこだわりを、いろんな意味での、広い意味での教育に関係する人が、宗教的なこだわりを持ってほしいなと思います。

質問 位置づけのアイデンティティは、よく分かりました。宣言としてのアイデンティティみたいなものは持っているような気がするんですが、それを自己中心的なものと勘違いしてしまう危険性はあると思うんです。それを越えて、第3段階の目覚めという本当の本質、本源的なもの、そういうものを持つコツのようなものがあるんでしょうか。
梶田 コツは多分ないだろうけれど、そういうものがあるんだろうなあということを自分の頭の中のどこかで前提にしておけば、自然にそういう方向に近づくと思うんです。
 頓悟と漸悟ということばがあります。頓悟というのはある瞬間に、たとえば石がぱちっという音がしただけで、それに気がついた、悟りを開いた、というものです。まあそれは、そういう人たちに任せておいて、私たちは、漸悟です。漸悟とは、少しずつ少しずつ、ものが見えてくるということです。自分がまず我々の世界に目覚めてからです。世の中というのがあって、自分勝手はいけないよねというのが分かってくる。しかし、自分が生きなきゃしょうがないよね、となる。結局両方をどうやって生かすかという工夫をしないといけない。工夫していくけれど、我々の世界に生きるとか、我の世界に生きるとか、私が生きるみたいな、そこも乗り越えないと、どこかしんどいよねという筋道が見えていれば、私は徐々にそういうふうになっていくと思うんです。
 だから、私は宗教的な神話として、いろんな、ある瞬間に悟ったという、目が見えるようになったという頓悟の話があるけれど、私はそういうことにこだわる必要は全くないと思います。

梶田叡一さんの紹介
 1941年島根県松江市に生まれる。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。大阪大学人間科学部教授、京都大学教授、京都ノートルダム女子大学学長を経て、現在兵庫教育大学学長。
主要図書『自己意識の心理学(第2版)』(東京大学出版会)『生き方の心理学』(有斐閣)『内面性の心理学』(大日本図書)『生き方の人間教育を』(金子書房)など多数。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/18

我の世界と我々の世界

 島根で、2004年に開催した第4回臨床家のための吃音講習会での梶田叡一さんのお話を紹介してきました。間がずいぶんあいてしまったのですが、続きを紹介します。
 このときの吃音講習会のテーマは、《どもる子どもの自己概念教育》でした。吃音と向き合い、どもる自分をみつめるには、自己概念教育こそが大切だと考えていた僕たちは、長年、子どもの自己概念教育、自己意識の研究と実践を続けてこられた梶田叡一学長を講師としてお迎えしたのでした。
 前夜から来て下さった梶田さんと参加者は、車座になって、夜遅くまで気さくに語り合いました。基調講演としてのお話は、ご自身の体験を交え、分かりやすいものでした。大事なことは、何度も繰り返していただき、印象に残りました。

第4回臨床家のための吃音講習会・島根 2004.8.7

  我の世界と我々の世界
           梶田叡一(現・兵鰍育大学学長)特別講演


第一段階 我々の世界と我の世界に気づく
 ほとんどの場合、どちらの世界のことも考えないところから出発します。自分の欲求、欲望のままに動いていいと思っている人は、いっぱいいます。言いたいから言う、これは無自覚です。それに対して、ある時期、世の中というものがあることに気がつく。好きなことを好きなときに好きなようにしていると、みんなが嫌う、冷たい目で見られる、したがってみんなから相手にされなくなって、人と一緒にできなくなる。これに気づくのが第一段階です。
 世の中が分かってくると、世の中の決まりやしきたりに関心を持って学ぶようになります。これは、我々の世界で生きる力を身につけることです。ただ、このとき気をつけないといけないのは、こればかりが肥大化してくると、落とし穴、罠にはまります。
 世の中のしきたりばかりにうるさい人がいます。京都なんかとてもうるさい。香典にピン札が入っていたら、ピン札を用意して、死ぬのを待っていたのかと言われます。結婚式のお祝いに、折り目が入っているお札が入っていたら、前からピン札をそろえて準備するくらいは当然だと言われます。
 世の中の決まりも大事にしないといけないが、あんまり杓子定規になったら、どうにもならん。それが、罠ですよ。私は、あんまりうるさい人が嫌いです。
 私が京都ノートルダム女子大学の学長として行ったとき、秘書室長さんに「先生は、この学校を代表して、外に出るんですからね」とものの言い方から服装までいろいろと言われました。でも、言われてもすぐ忘れる。我々の世界、世の中をみつけ、目覚め、約束事は大事にしないといけないが、それだけにとらわれ金科玉条のようにしてしまうと、次の段階に行けなくなってしまいます。

我々の世界を大事にすることとゆとりをもつこと
 次の段階は、我々の世界を大事にすることが分かった上で、世の中のしきたりを大事にする。しかし、世の中はそういうものだから、「泣く子と地頭には勝てない」から、とにかく頭を下げなくてはいかんと、本気で思ってはいけない。それはそれ、上手にそういうことにしておく。これが我々の世界を大事に生きるということです。世間のこだわりのある人とも、大事につきあいをしなかったら、生きていけないことがあります。だから、無自覚ではダメですが、肩書きのある人はえらい、と本気で思ったらダメです。
 我々の世界を大事に生きるということは、我々の世界の習わしや習慣を大事にしながら、そこにゆとりがなきゃいけない。ゆとりというか、遊びというか、「まあいいか」ということです。そうして、第二段階につながるのです。

第二段階 自分の発見
 私は他の人と置き換えできない命を生きている。
 ヨーロッパの教育で、メメントモリと言われることですが、死ぬということを忘れないようにしようというのです。何が確実かというと、ここにいる人はみんな死ぬということです。ローマの賢人セネガが、人間は自分だけは死なないようなつもりで生きている、と書いているが、これは幻想です。私という人間は、ずっと生きて、ある日突然パッと消える。そう思えば、自分のせっかくの命を、どう完全燃焼していくかが最大の課題になります。別の考え方をすると、いろんなことがあるけれど、結局、死ぬんだから、「まあいいか」です。でも、私は与えられた命を最後のぎりぎりまで完全燃焼することは自分の課題だと思っています。
 私もある日突然脳溢血や心筋梗塞で死ぬかもしれない。また寝たきりになるかもしれない。そうなって、「まだ死ねない。まだお迎えがこない」と言ったら終わりです。寝たきりになってからが勝負です。目をぎらぎらさせて、「わくわくさせてもらった今日一日が持てた」と思わないといけません。それをやるには修行がいるだろうと思っています。そのためには、たとえば「自分にピンとくる本」などが分かってないといけない。ノーベル文学賞をもらっただけでその人の本がいいなんて、たったひとりの世界になったとき絶対ダメです。音楽でも、べ一トーベンやモーツァルトやバッハもいいが、ほんとに、モーツァルトやワーグナーに自分がわくわくするかは確かめておかないと、ひとりになったときに困る。
 私も小さいときからピアノを弾いていたので、クラシックの世界は詳しいですが、やっぱり自分でピンとくるものは、石川さゆりなんですよ。吉幾三もいい、坂本冬美もいい。世の中のネットワークから解放されてたったひとりになったときに、我の世界がちゃんとできているかどうかが勝負です。自分にピンとくるものがあるかどうか、です。
 私は、壺が好きで、若いときから集め、この年になると、人に見せる壺や焼き物があります。でも今一番好きなのは20年以上も前に買った、名前も忘れてるし、箱もない壺です。自分にピンとくるものは、10年、20年経っても飽きない。たったひとりになったときに、自分の気持ちを和ませてくれるものをみつけて大事にする。そういう中で自分をどうやったらわくわく、どきどきさせることができるか、自分とのおつきあいの仕方をマスターしていかないといけない。自分がしんどいときには自分を支えないといけない。調子にのってるときは、自分を抑えないといけない。そういう中で、私はどうやったら今日一日本当にわくわくしていけるか、です。
これも我の世界なんです。これが第二段階です。
 ただし、これもまた落とし穴がある。これに目覚めると、自分さえよかったら、になる。自分で気が済むかどうかばかりを考え、人の目を顧みなくなる。これも恐い罠なんです。私しかいない、独我論的世界が、私は私の命にしか責任を持てないんだから、私がわくわくドキドキしながら生きりゃいい。他の人なんか知るか。他の人は私がそう生きるための手段、道具だという考えになってしまいがちです。
 これは非常に困ったことだと思うんです。そうではなくて、私の独自固有の世界をみつけ、それを深め大事にして、それを土台にして生きるが、同時に我々の世界に生きている。人と人とのネットワークの中にちゃんと身を置きながら、人のためにもなる、人にも喜んでもらう。あるいは人との手のつなぎ合いが自分にとっても心地いい。自分の世界を土台として大事にする。両方を大事にする、これは修行がいりますので、一生かけて考えていいことだと私は思います。

第三段階 こだわりからの解放
 第三段階は、悟りを開くというか、基本的に言うと、もうこだわるのをやめるということです。道元の話に、鐘の音がゴーンと鳴っていると、一体鳴っているのは何だろうというのがある。鐘が震えているから、その前に誰かがそれをついたから、空気が震えているから、私の耳が聞いてるから、ゴーンなんです。まあ、なんでもいいんです。結局、主語を何に置いたかです。道元は、鐘がゴーンと鳴っている、だけでもない。空気がゴーンという震え方をしているだけでもない。私の耳がゴーンというのを聞いているだけでもない。ゴーンがゴーンしてるというんです。何のこっちゃ、よく分からない。
 全てを包括したものがひとつの現象だと言うんです。これを頭に置いて、みなさん、自分が生きていることを考えて下さい。
 今、梶田がしゃべっている現象は、そうです。私は、次に、何をしゃべろうかなんてほとんど考えてない。中味だって、これまで学んだことや聞いたことや見たことを、今、ことばに紡ぎ出している。でも、どう紡ぎ出すか、声帯をどう動かすか、なんて考えていません。自動的にしている。私の頭がいろんな考えを紡ぎ出し、それをことばに翻訳して、それを声帯の動きで、ということでしょ。梶田がしゃべってると言っても、それは間違いじゃないけれども、それは考えてみると、その間にも私の心臓は動いているし、血液も流れてる。梶田において、梶田というひとつの場所において、何事かが起こっているわけです。つまり、梶田という主人公は、本当はどこにもいないわけです。
 我々の世界で、ひとりひとりが主人公だという約束事をしないと、お互いのネットワークができない。けれども、本当は、我々の世界で考えていくのは、主語の置き方です。我の世界で考えてごらんなさい。私がというのがほとんどなくなり、どこかへすっとんでしまう。

大きな力に任せる
 浄土真宗の親鶯は、法然が「南無阿弥陀仏と言えば救われる」と言ってきたのを、「南無阿弥陀仏と言って救われるかどうか、分からん」と言った。ではなんで、南無阿弥陀仏と言うのか、「阿弥陀様、全部お任せしますよ」と言うのが、南無阿弥陀仏なんです。阿弥陀様という大きな存在に、自分のことを全部お任せしますという気持ちが起こって、そういうことばが自分から出てきて、うれしいから、南無阿弥陀仏だ、という。感謝の念仏なんです。私を離れて、阿弥陀様かなんか知らんけれども、大きな力に任せて、自分だけで生きるということをお休みしようという気持ちになったこと自体がうれしいじゃないの、というんです。「南無阿弥陀仏と言ったら極楽浄土に行きますか」と問われれば、そんなこと知るか、です。ただ、自分の先生である法然が言っているから、やってるだけだと言うんです。これが他力というんですね。これが悟りということです。
 私が生きているんじゃなくて、私において大きな力が生きている。自分で生まれてきたいと思って、生まれてきた人はいない。大きな力の中で生まれてきて、大きな力の中で生きてきて、今がある。そして、大きな力の中で消える。命は、そういうものです。
 私はいろんな機会に、妊娠中絶絶対反対を書いてきました。私が子どもを作るとか、私が子どもを産むか決めるとか、そういう考え方がどれだけ思い上がったものか。命は、自分の命だって自分のものじゃない。自分は与えられた命を、いわば仮の主人公として、どう生きていこうかを考えて生きているのです。私が私をしてるわけです。仮の主人公なんですよ。仮の主語のつけかたなんです。そうすれば、私の判断で、なんてことを言うのがどれだけ思い上がりか。もちろん、いろんな事情があるわけだから、私は個々のことについて各める気持ちは全くない。
でも、よく、女には産む権利があるとか、産まない権利があるとか、いう主張を聞くと、何を言ってるんか、と思うんです。何様のつもりか、と思います。

目覚め
 そこまでいくと、「吃音?そんなもの」ということになるんです。みんなそれぞれいろんな意味で限界をもった形の装置を与えられている。この装置の主人公は、私であるやらないやら分からないけれど、仮の主人公として私がやってるとしても、いろんな障害がある。私はこういう条件で生きていくようにと、この命をもらったということです。
 私は小さいとき、本当にお金持ちの家に生まれたらよかったなと思いました。20歳前後まで思ってました。学校に行かないで、アルバイトばっかりやってて疲れます。夏の暑い日に、アルバイトしなくてすむ家に生まれたら、楽に毎日毎日、古典なんか読んで、えらい人と対話したりして、豊かな自然にふれて。そんな暇なしで今まできました。でも、これが私の与えられた条件です。それぞれ自分に与えられた条件があります。隣の人はこういう条件で生きているといっても、それは隣の人の話で、私は私の条件を与えられています。姪のようにダウン症で生まれたら、それも与えられた条件です。私もすごく頭のいい人と出会うと、あっ、すごいなと思うことがある。でも、そんなこと言ってもしょうがない。あの人はあの人なんですから。私はそうじゃないんです。私が私の責任で生きていくと、そんな思いから解放される、これが第三段階です。(つづく)

第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

 梅雨入り前に猛暑日を記録するなど、異常気象が続いていますが、紫陽花が雨に映える季節を過ぎると、いよいよ「吃音の夏」がスタートします。
 「吃音の夏」のスタートは、7月27・28日、千葉県教育会館での、第11回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。

 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会は、今年で11回目となります。水町俊郎さんや村瀬忍さんたちと一緒に始めた吃音講習会は、水町さんがお亡くなりになって、4回で終わりました。そのときの吃音講習会を、シリーズ1とすると、その8年後にシリーズ2が始まり、それが今年、第11回となります。
 今年は、久しぶりに講師を迎えます。教育方法学、教師教育学が専門の東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんです。ことばの教室の実際の授業を参加者で経験し、その授業を講師の渡辺さんと参加者で振り返ります。従来の授業検討会とは違って、自分自身も授業で行われたことを実際にやってみること、新たな気づきを得ることを目指します。
 吃音講習会のテーマは、『やってみての気づきと対話〜どもる子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること〜』としました。「吃音カルタ」「言語関係図」「吃音チェックリスト」などの実際の授業が体験できます。「学習・どもりカルタ」は持っているけれど、それをどう活用したらいいのか、よく分からないという方には、実践に直結する研修になるでしょう。
 吃音の新しい展望を、ぜひ一緒に探っていきましょう。

  

  日時     2024年7月27・28日(土・日)
  会場     千葉県教育会館
  参加費    6,000円(当日、受付でお支払いください)
  参加申し込み 参加申込書に必要事項をご記入の上、郵送またはメールで
  問い合わせ  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二まで TEL/FAX 072-820-8244


 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の詳細は、日本吃音臨床研究会のホームページでみることができます。《ニュース&トピックス》の中の、詳しい案内と参加申し込み書をクリックしてください。また、トップページを少し下にスクロールしていただくと、【親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会】の青色のマークが出てきますので、そこをクリックしていただくと、これまでの吃音講習会の様子など、見ることができます。
 みなさんのご参加、お待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/16

岡山で、昨年に引き続き、吃音相談会を開催します

岡山 吃音相談会チラシ 2024.6.23 コロナの影響を受け、2020年から中止になっていた岡山での吃音相談会は、昨年、4年ぶりに開催されました。そして、今年も、昨年に引き続き、開催されます。
 岡山言友会の植山文雄さんから、吃音相談会の案内が届きました。
 この岡山での吃音相談会は、毎年、この季節に、岡山言友会主催で行われてきました。岡山言友会の植山文雄さんが中心になって、企画してくれて、僕はずっと講師として行っています。 植山さんが、送ってくれた吃音相談会の案内チラシを紹介します。
 近くにお住まいの方、ぜひ、お出かけください。

日時  2024年6月23日(日) 13時〜16時30分
会場  岡山国際交流センター 7階 多目的ホール
参加費 500円(資料代)
対象 吃音で悩んでいる人、どもる子どもやどもる人の家族、吃音臨床に携わっている人、
   吃音問題に関心のある人など
問い合わせ 植山文雄さん 090−4805−1905 まで

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/12

事実と意味づけ 3

 昨日のつづきです。
我の世界と我々の世界、このことばは、以後、僕たちの大切なキーワードになりました。我の世界と我々の世界、この両方で生きていかないといけないのが人間だ、というお話は共感できます。折り合いをつけながら、楽しく機嫌良く生きていきたいものです。

第4回臨床家のための吃音講習会・島根  2004.8.7
  事実と意味づけ
      梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)・特別記念講演


我々の世界と我の世界
 人間は、両生類です。かえるが水の中と空気の中で生きるのと同じように、人間は全く原理の違うふたつの世界を同時に生きていかなきゃいけない。ひとつは我々の世界、もうひとつは我の世界です。我々の世界は世の中です。我の世界は、独自固有の自分で、このふたつは全く違う世界なんです。
 人間のことを社会的動物だと言いますが、人間は、人と人とのネットワークの中でしか生きていけない。一食の食事でも、何百人もの人がかかわって、私たちの口の中に入ってくる。お互いが相通じ、ひとりひとりが自分でできるささやかなひとつの役割を果たし、他の役割の人がやってくれたものを全部活用させてもらって生きている。そういう、我々の世界でつまはじきにされたらだめです。たとえば、あいさつがきちんとできないとだめです。私は自分のかかわっている機関では、まずあいさつをやります。私の大学では1年生にあいさつをしようといろんな機会に言います。すると、「私は高校を出て大学に入ったつもりだったのに、小学校に来たような感じ。うるさいことばっかり言われて」と言う。私は、「よかったじゃないの。どこの大学に入ってもそこまで指導してもらえない。同じ授業料で得したね」と言う。あいさつの他には、授業中私語や飲み食いをしない、携帯を使わない、などです。服装についても言うが、これはなかなかです。そういう指導をなぜするか。大学を出て、世の中に出てあいさつひとつできなかったらだめだし、この場ではこの服装は許されるけど、この場ではだめだと分かってないといけない。就職活動のときに付け刃でしてもだめなんです。我々の世界に生きることは、なかなか大変です。自分の役割、ある資格をとらなくてはいけないし、服装や物の言い方も覚えなきゃいけない。そういう中で、私は他の人と一緒にやっていくと意識する社会性、集団性を身につけなきゃいけない。私はこれをやりたいからと言ってやったのでは、どうにもなりません。自己中心性を乗り越えないといけない。これが我々の世界に生きるということです。そういう力をつけなきゃいけない。
 世の中は我々の世界ですから、「やあ、結構。いいお話で」と言わなきゃいけない。何かの交渉のときもそうです。役所との交渉なんかも、こちらの方が筋が通っていると思っても議論してはいけない。何を言われても、「ご指導、ありがとうございます」と言った方がいい。結局はスムースに認めてもらったら勝ちで、議論に勝ってもどうにもならない。特に若い人は、それをよっぽど言っておかないと、「どこがおかしいんですか」と議論をしてしまう。それを言っちゃおしまいですよ。我々の世界で生きるための知恵なんです。泣く子と地頭には勝てない。勝とうと思ったら、別の形で勝てばいい。これが我々の世界に生きることです。自分の気が済むことをしてはいけない。これが自己中心性です。これを子どもたちに分からせないといけない。あるいは、障害のある子の場合は、より一層このことを言わなきゃいけない。

我々の世界で生きていくということ
 うちの大学で難聴の学生がノートをとる人を大学の費用でつけてくれといっている。なんとかならないかと相談にこられたら応じますが、最初から権利だなんて思われたら困ります。難聴の子が入ってくるのはいいことですが、基本的な自分の面倒は自分で見るという決意でいてくれないと困ります。お互い人と人との手のつなぎあい、ネットワークの中で生きていくのが、我々の世界です。障害があれば確かに生きていく上でやりにくいところがあるからいろんな形で手をさしのべればいいし、公的にもそういう仕組みがあっていい。けれども、私は障害があるから、人に面倒を見てもらって当然だ、あるいはほかの人よりも私の事情が優先するんだ、となったら間違いです。我々の世界の原理です。私にも生きる権利があると言います。確かに誰だって生きる権利があるから、みんなで私のこと、お世話して下さいと、権利として当人が思い込むと、我々の世界のルールが崩れていくと思うんです。特に障害のある子には、どこかで分からせないといけないと思います。権利として主張していく部分はあるけれど、それを越えて、なんでもかんでも私の事情を最優先させて下さいとなると、私は困るなあと思います。
 今日の参加者は、障害のある子にかかわる教員の方が多いので強調します。障害のある子にはむしろ普通の子よりも厳しく、自分で自分のことをきちっとする、人を頼るな、人をあてにするな、ということを言わないといかんと思います。障害はハンディですが、一番のハンディは事実としてのハンディじゃなく、「私は障害があるから、みんなが面倒を見てくれて当たり前だ」という意味づけです。誰でもいつでも笑顔で面倒を見てくれるわけがない。みんなひとりひとりが自分勝手な存在です。障害のない人はみんな聖人か、というとそうはいきません。人間は、みんな自己中心的な存在です。自分の事情を最優先したいと思っています。満員電車で席が空いたら私が座りたいと思うのが普通の人です。そういう中で、私は最優先させてもらって当たり前、みんなが自分の面倒を見てくれて当たり前という思いを持っていたら、結局は阻害されるでしょ。みんなその子の周りに近づかないです。世の中は、シビアなもんです。
 障害があってもなくても、誰でもどの子も、自制自戒して、自分をうまくコントロールして、世の中に合わせていくことが分かっていないとだめです。自分の事情を最優先していてはだめだということが分かっていないとダメです。
 子どもに障害があっても、自己中心的でないようにしないといけない。私は特別だ、私はみんなから面倒を見てもらって当たり前だという思いを持たせてはいけない。これが我々の世界で生きるということです。みんなお互いがお互いにとってじゃまにならないように、自分でやるべきことは自分でやって、そして自分の役割、自分が与えられた立場や役割は、精一杯果たして、そういう中で、お互いがお互いのネットワークを上手に組んでいくということです。なんで「おはよう」と言わないといけないか分からないがやはりとりあえず「おはよう」です。これが、我々の世界に生きるということです。

かけがえのない自分の命を生きる
 これは、とっても大事ですが、実は、それだけになったら、空虚な人生になる。いろんな役割や立場をきちっとしていくとしても、それをしていくひとりひとりの人間は、かけがえのない自分だけの命を生きていくわけです。ここにいる10人の先生が立場としては同じですが、教師としての個人は全く違う。教師の役割としては取り替えがきくから人事異動がある。でも、ひとりひとりは取り替えがききません。
 みんな、たったひとりで生まれて、ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。縁があって、親子という縁を結んでも短い間です。夫婦が手をとりあって生きていくと思っています。世の中の約束事でやってるだけで、結局は、ひとりひとりが自分に与えられた自分だけの命を自分だけで生きてるんです。私が、今日は暑いと思って、「今日は暑いですね」と言って、みんなは「そうだ、今日は暑い」と、うなずき、通じたような気がするが、暑さの中味はひとりひとり違っていて、全然通じていない。冷たい温かいは、自分で知る、自分で感じるしかない。他人の感じている冷たさを私が代わって感じるわけにはいかない。沖縄の人と北海道の人がここで会って、「島根県も暑いですね」と、島根県の人も交えて三人で盛り上がったとしても、その感じる暑さは、沖縄の人と北海道の人では全然違うんです。普段の当たり前が違うからね。ましてや、悲しい、苦しいなどは、みんな違うんですよ。
 基本的には、我の世界は、私にしか見えてない、感じてない世界が土台にある。土台を前提にして、ことばでおおまかなところを通じ合わせて、破綻のないように手を結んでいる。失恋した人に、「あんたの気持ち、よう分かる」と言っても分かった気になるだけです。自分の個人の事情は、自分にしか分からない。ただ、分かると言ってもらった方がうれしいから、支えになるから、それにすがりつくところはあるけれど、でも、ほんとはそれじゃいけない。私は私がもらった命を引き受けて、その命を私なりに完全燃焼してやっていかなきゃいけないのです。
 ひとりひとりが自分の独自固有の世界を持っていて、結局はその世界の中で生き、死ぬ。自分が見えてるものと、隣の人が見えているものとは違う。今日、梶田が言っていることは、一応みんなの鼓膜まではいっているが、ひとりひとり、どう受け止めるかはまた全然違う。どう意味づけるか、どの部分が記憶に残るかも全部違います。そうやって、毎日毎日を過ごしているわけです。
 客観的ということばを、少なくとも哲学や社会学や心理学では使いません。客観的というのは、みんなが共通にこれはこうだと認めなきゃいけない世界があることです。物理学でも、今、客観性ということが変わりました。どこから観測するか、どう観測するかで、物理的な世界の見え方が違うからです。
 心理学や社会学では客観的と言わないで、間主観性という言い方をよく使います。ひとりひとりの世界しかないけれど、その間にことばによって橋をかけて、お互いが土台として認めてもいいものを、ことばや概念の上で確認する。これが従来、客観的と言われるものです。あるいは自然科学的な方法によると、追試可能性です。こうやったらこうなると、みんなこれを認めないといけないですよね。ことばの上で一致すればいいというだけでなくて、論理や論拠が、みんな、なるほどなというふうになることが、追試可能性です。それだって、結局は主観の中での確認にしか過ぎない。
 みんなが、ということはなく、ひとりひとり、しかない。ひとりひとりが個別に生きて、見ているもの、聞いているもの、持っているもの、ひとりひとり全く違う。ただ、お互い、ことばで伝える技術を人間は編み出したので、それによって、社会的なネットワークが組める。ことばの上で一致したとしても、それの受け止め方やどう具体的な行動に表すかは、みんな違うということです。イメージが違うんです。この、我々の世界と我の世界、両方で生きていかなきゃいけないのが、人間なんです。上手に両方を生きていくようにするのが、教育ということになります。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/09

事実と意味づけ 2

 昨日のつづきです。昨日、紹介した梶田叡一さんの話の中で、前置きとして話しておきたかったと言って話された、下記の内容が印象に残ります。

 「子育て一般について言えることですが、何でも自分のことは自分で考え、自分で決定し、自分でする。つまり、人を当てにしないように育てないといけないと思います」

 最近の吃音を取り巻く風潮の合理的配慮を求める姿勢とは違います。たとえ、配慮されなくても、理解されなくても、自分の力で生き抜いていく子どもに育てたいと僕は思います。そのための、自己概念教育なのです。
 また、今、年に一度大阪吃音教室に来ていただいている禅の老師・櫛谷宗則さんの師匠にあたる内山興正老師が師事していた沢木興道老師のお名前が出てきたことにも不思議なご縁を感じます。
 
第4回臨床家のための吃音講習会・島根  2004.8.7
  事実と意味づけ 2
      梶田叡一(現・兵庫教育大学学長)・特別記念講演

私の経験
 私は、大学4年生から、自活し、大学院の修士課程では、2つの学校で非常勤講師、塾の講師、家庭教師をし、就職した人の3倍くらいの収入がありました。若いときから、自分が食べていくことには非常なこだわりがあります。生活に困ったのは、東京の国立教育研究所で国際比較の若手として仕事をした時の数年くらいで、後は自分の暮らしのことで心配したことはない。どうやっても食べていける。私は、贅沢な食事は嫌いで、ローソンンがあればいい。みなさん、牛肉の輸入が切れてからの外食産業、どこがうまいか、知ってますか? 吉野家もいいけど、私は、あんまり好きじゃない。やっぱり松屋、中卯です。私は女子大学の学長ですから、つき合いの席も少なくない。しかし、おいしいものをつき合いで毎日続けたらほとんど体を壊します。
 私は、恩師も先輩もいません。恩師や先輩が仕事を回してくれる大学の世界では、それでは生き残れません。私は、学部も大学院も、自慢じゃないがほとんど講義には出てないし、卒論も修論も、結局は1年後輩たちが集まって手伝ってくれました。私がこだわった自己意識の問題は、当時、心理学じゃないと言われましたが、私の『自己意識と心理学』(1980年、東京大学出版会)はラッキーなことに、ちゃんとした自己意識の本がなかったから売れました。当時から私は、大学で、自信が背広を着て歩いているとよく言われ、生きていく自信だけはあった。何も根拠のない自信ですが、今でも、私は今すぐ職場をクビになっても、どうやってでも食べていける自信はある。そういうふうに思うと、いろんな細かいことって、「まあいいか」、になる。
 私が博士号をもらったのもそうです。学会の雑誌に投稿するときは指導教官に見てもらうものだそうですが、私はそれを知らず、勝手に自分で書いて出したら、なんとか3回掲載され、内規で博士号の授与の対象となりました。博士論文の諮問のときには、心理学と哲学と社会学の3人の教授がいて、中味が分かる人はいなかった。私もちょっとずるいところがあって、まともに質問に答えていたらぼろが出ますから、「はい、それは本当に大事な問題だと思います。こういう機会をお借りして勉強したいと思います。哲学ではどうなってますでしょうか。社会学ではどうなってますでしょうか」と尋ね、諮問なのに、教授3人で議論して、終わった。これも、今から考えると、自信のもとなんです。どうやっても切り抜けられる。世の中ってその程度のもの、ということです。これが意味づけの問題です。

引きこもった時代
 私は、飲み込みが悪く、大学のどの講義を聞いても全然分からず、1年間ほとんど学校に行かなかった時がありました。私は小さいときから、人の話をじっくり聞いて理解する能力がかなり劣っていました。高校のとき一人の数学の先生から「俺の時間は出てこなくていい」と言われました。一所懸命話しても、ぼけーっとしてる私に腹が立ったのでしょう。私は、自分で教科書を読んでマイペースで勉強すると分かる。ある時期、他の子はみんな分かるのに、なんで俺は分からんのかにこだわったことがあります。特に大学に行ったら何も分かりません。今で言う不登校で、大学の1年間、学校に行かず、引きこもりをしていたら、活字が読めなくなりました。活字は読めない、音楽を聞いても映画を見てもダメ、人ともほとんど話はできない。何をやっても無味乾燥でした。一種、なんか病気になったんでしょうね。汚い下宿にごろごろしていてもしょうがないから、お弁当を作ってもらって、毎日一番安い映画館をはしごしていました。映画もおもしろくないが、時間つぶしにはなる。3本立だと出てくるともう夕方になってる。そういう生活をしながら、ときどき、こんなことしていたら、世の中に出ていけなくなって、今のことばで言えば、ホームレスになるだろうなと思ったことはあります。かなり長いこと思っていました。でも、結局、私はひとりでそこから抜け出しました。ひとりでというか、ひとりの禅宗のお坊さんとの出会いがあったのです。

人との出会い
 乞食興道とも呼ばれていた方で、京都の破れ寺で座禅の会を作られた禅宗のお坊さんです。亡くなられる3、4年前、私を心配した友だちが連れていってくれました。泊まり込みで、朝早くから座禅をして、老師を囲んでお茶を飲むという生活です。一生、家庭も寺も持たず、一生色物の衣を着ず、檀家ももたず、結局弟子も持たずでした。でも、押しかけ弟子がいっぱいおりました。その人が、よく、「座禅をして何になるか?」と私たちに尋ねます。何も言わないで待っていると、こうおっしゃる。
 「座禅をしたら、腹ができるとか、いい学習になるとか言うが、あれは、みんなうそだ。座禅をしても、何にもならない。一生かけてやってきたから、よう分かる。だから、やれ。あんたらは、何かになるということばっかり思って、いろんなことをやっているだろう。これをしたらこうなる、などというもくろみがあるうちは、だめだ。何にもならんことをただ何にもならん形でやる、ということだ。それで食えんようになったらどうするか。簡単だ。餓死すりゃええ。餓死して、たとえば30歳で死んだって、50歳で死んだって、あるいは70歳まで生きたって、別にどうってことないだろう」
 そう言われれば確かにそうです。本を読もうと思って読もうとするからいかん、本を読めないのもまたおもしろい経験だ。映画も、なんちゅうことはない。でも、なんちゅうことがあると思って見るのが間違いだというんです。音楽もそうです。
 私は沢木興道老師の話で、ずいぶんふっきれた面があります。亡くなられた後で聞いたのですが、亡くなられて、その破れ寺に、勝手に、ご縁のある人が来て、その中には、時の首相も財界の大物もいたそうですが、30分でも1時間でも座禅して帰る変わった葬式だったそうです。えらい人だったと、後で知りました。世の中、そのときは、分からなくて、後になってその価値が分かることはいっぱいあります。
 「何かのために、やらなければと思うから、あせりがでる。最後は死ぬ。そうなったら死んだらいい。30年生きようが、50年生きようが、70年生きようが、一生は一生」
 こう言われたらなんとなく反論できなくなりました。私はそれが一番大きな転機になって、非常に強くなったと思います。どうやっても生きていけると思えるようになったのは、この禅僧と出会ったからだろうと思うんです。
 私も、自分のいろんな弱さ、まずさ、いいかげんさをなんとかしなきゃ、社会的にきちっとした位置づけをしてもらえない。これが頭にこびりつき、こだわった時期がありました。その後は、全部、すすすっといきました。大阪大学、京都大学、京都ノートルダム女子大学に行ったときも、私を世話してくれたのは、みんな他の分野の先生です。一所懸命準備して、条件を整えて世の中に乗り出していくのもいいことですが、世の中はそのようにはできてません。穴がいっぱいあるというのが私の実感です。一所懸命になりすぎちゃいけない。全て「まあいいか」とやってると、向こうからいろんなおもしろい話が飛び込んでくる。
 まじめに考えるのもいいが、私はあえて言います。教育関係者は、結局自分で自分をみんながんじがらめにしている。私は、「まあいいか」でいくわけです。「まあいいか」でいっていりゃ、なんとかなる。ただ、その底には、自信がいります。どんなに状況がまずくなっても、なんとかやっていけるという自信さえあればできるんです。私はありがたいことに、根拠のないことですが、自信にだけは恵まれました。

こだわり
 まじめすぎるとこだわりがでてきます。私もこだわりが全くないと言えばウソになりますが、世間的なことではこだわりはほんとになくなりました。子どもたちの進学や就職や結婚などについては心配はいっぱいありました。私は、自分のことはどうやってもやれると思ったが、親というのは全然違いますね。息子本人はどうにかなると思っていても、親は心配で心配で仕方ない。
 私は風采があがらない方でした。ある時期、みんなガールフレンドがいるのに、なんで私にはいないのかと思ったことはあります。風采があがらない、女の子とのつきあいがないのは事実です。私にはガールフレンドがいたためしがない。よくうちの奥さんが、「私が結婚してあげなかったら、あなたは一生結婚できなかったわよ」といばって言います。私は、事実として、もてない。でも、そのうちに、「まあいいか」と思うようになりました。
 事実の問題で一所懸命やりすぎるきまじめさが、私は教育の場面にありすぎるんじゃないかと思います。やはり意味づけをどうするかですが、伊藤さんが論理療法について書いておられる話です。こだわり、感情的な固着、感情的にそのことにこだわってしまう。それからどう抜け出していくかを教育としては考えていかなくてはいけない。事実はどうでもいいと言っているわけじゃない。事実が改善されるようなことがあれば、それはそれでいい。意味づけとこだわりをどうするかについて、もう少し原理的なところから、お話します。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/06/08
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