伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

卒業式

第17回吃音親子サマーキャンプ〜今年の卒業式〜

 「スタタリング・ナウ」2006.10.21 NO.146 では、第17回吃音親子サマーキャンプの特集を組みました。この年も、卒業式があり、その卒業式にスポットを当てて紹介します。小学生の時から参加している子どもたちが高校3年生になり、卒業していく、思春期のこの子どもたちの姿は、頼もしく、心強く、そしてまぶしいです。
 サマーキャンプ最終日、最後のプログラムのラストを飾った卒業式の様子をライブ感覚でお届けします。

伊藤伸二 去年の4人に引き続き、今年も3名の卒業生がいます。実はこんなに卒業生を毎回毎回送り出せるとは、我が吃音学校では思っていなかったのですが、すごい優秀校になったような感じがします。じゃ、3名の卒業生、どうぞ。卒業証書を読み上げます。

 卒業証書 ゆうこさん
 小学校4年生から高校3年生まで途中抜けることもあったけれど、7回、山口県から参加しました。初めのころは、どもってはいたけれど、それほど深刻には考えていなかった。そういうあなたが話し合いの中で、真剣に考える仲間に出会って、少しずつどもりのことや自分のことを考え、語り、人の話を聞くようになりました。そして、自分を支えてくれた友だちの存在の大きさに思い至りましたね。陸上を続けてきて、得たものも大きかったことでしょう。これからも自分の決めた道をひたむきに走り続けてくれることを願っています。
 サマキャン、卒業おめでとう。

ゆうこ このサマーキャンプに初めて参加したのは、小学校4年生のときで、そのときは、今、卒業証書にあったように、吃音のことを全然深刻に考えていなかったし、こんなにいっぱい参加するとは思っていませんでした。でも、参加してみて、友だちがいっぱいできて、ほんとに楽しくて、吃音のことをすごく深く話せる友だちがいて、すごくうれしかったです。このサマーキャンプに参加できて、うれしかったです。このキャンプを支えてくれたスタッフの皆さんに感謝しています。来年はスタッフとして参加したいので、よろしくお願いします。

ゆき(友人として) 私が小学5年生のとき、ゆうこちゃんが初めてキャンプに参加しました。最初は、ドッチボールの投げるボールがすごく強くて痛かったり、ということを覚えています。プログラムの中の話し合いもだけれど、夜みんなで抜け出して話し合いの続きをしたりして、あっ、それはずっと前の話ですけど(爆笑)、いろんなことを話しました。今年は受験だけれど、それを乗り越えて、参加してくれました。来年、もっと素敵な女性になって、またサマーキャンプで一緒にスタッフとしてがんばっていきましょう。

 卒業証書 まいさん
 小学4年生から高校3年生まで、途中1回だけ抜けたけれど、8回、大阪から参加しました。初めて劇をしたときは、からたがこちこちになって、せりふを言い終わった後、泣き出してしまいました。でも、2年目は、小さな子の手をつなぎ、その子を気遣いながら劇をしていました。そして、少しずつせりふの多い役にと、1年1年挑戦し、成長していっている姿を見て、とてもうれしかったです。控えめな中に芯の強さを見たようです。
 勇気がなかったことをどもりのせいにして逃げていたのではと気づいたあなた。大きな一歩を踏み出しましたね。いつまでも私たちは応援しています。
 ずっとそばで見守り続け、同じく8回参加したお母さんへも、心をこめて、サマキャン卒業おめでとう。

まい ありがとうございました。私は、キャンプに来るまで自分だけがどもっていると思っていたけど、キャンプに来て、たくさんの人がどもっているということが分かりました。はじめ、友だちができるか心配だったけれど、ゆうこちゃんと仲良くなることができて、そして、三人の先輩とも仲良くなれて、うれしかったです。このキャンプでいろいろなことが学べたし、8回参加できてよかったです。来年もスタッフとして来たいので、よろしくお願いします。

伊藤伸二 子ども以上にはしゃいで、喜んで、8回連続して参加したお母さん、どうぞ。

まいの母 この日が来るのが嫌で嫌で、子どもはスタッフとして参加できるけれど、親の私は来年からどうしようかと、まだあまり想像がつきません。小学校4年生のときに初めて参加した時の劇の上演で、娘のまいはせりふが言えなくて、終わった後も泣き出してしまいました。私は、母親ですけど、胸がいっぱいになって、そばに行くことができなかったんです。そんなときに、スタッフがずっとうちの娘をひざに抱えて、何も言わず抱いてくれてたことがすごく心に深く残っています。スタッフの方たちの思いやりや温かさがうれしかったです。私は、このキャンプに参加するまで、自分のことを責めていました。このキャンプに参加して、先輩のお母さんの話を聞いて、あっ、そうじゃなかったんやな、と楽にさせてもらいました。そして、翌年からは人が変わったようになんだかとてもはしゃいでました。でも、これでも、私は私なりに一応悩んできたんです。多分、来年から、私に会えなくて、さびしい思いをするスタッフの方々もたくさんおられると思います。もしかしたら、そこの窓にはりついて見ているかもしれませんので、そのときは声をかけていただけたらうれしいです。本当に8年間、たくさんの思い出の宝物をいただいてすごく感謝しています。ありがとうございました。

 卒業証書 はるなさん
 小学校6年生から高校3年生まで連続7回、千葉県からサマーキャンプに参加しました。「私はこのキャンプで、先輩から考える力と自分を表現する力を教えてもらいました」3年前のサマキャン卒業式のとき、あなたが言った送辞のことばです。このことばこそ、17回続けてきたキャンプで、私たちが大切にしてきたことです。どう生きるかを考え、自分のことばで自分の思いを語り、そんな力を身につけてきたあなたのキャンプでの言動は目を見張るものがありました。あなたが名づけてくれたサマキャンは、キャンプに参加するみんなの合い言葉になりました。
 サマキャン、卒業おめでとう。

はるな 今年で7回目で、卒業になっちゃったんですけど、小学校6年生のときに、初めて来ました。来る前はあんまり乗り気じゃなかったんですけど、一回来たらもう毎年行くのが普通になっていて、受験の年でも参加しました。キャンプに参加して、吃音のことを一生懸命考えるうちに、吃音のことだけじゃなくて、ほかに自分が普通に暮らしていてつらいことがあっても、そのことについて自分なりに考えられるようにもなったと思います。吃音の部分でもすごいプラスになるものをもらって、吃音からもらったプラスになるものが、吃音以外のところでも生きてるなというのを最近すごく実感しています。やっぱりキャンプに来てよかったなあと思いました。キャンプに来ている友だちも、無条件で、信じられます。みんな同じようなつらい思いをしてきているので、話し合いの場になって、少しずつしゃべっていくと、全て口に出して言わなくてもなんとなく分かる気がします。このキャンプに来ている人は、どもっている人もそうでない人も、無条件に信じることができて、すごい落ち着ける場です。
 最後に、小学4年生くらいからずっとしつこく私を誘い続けて、小学6年生のときにこのキャンプに連れてきてくれたことばの教室の先生の高瀬先生と渡邉先生に感謝しています。ありがとうございました。

伊藤伸二 このキャンプは、吃音親子サマーキャンプと名づけてるとおり、子どもだけの参加はできません。中学生で、ひとりだけの参加というのはお断りをしていますし、もちろん、小学生がひとり参加するということはできません。だから、どうしても母親代わりが必要になってきます。その母親代わりとして見守ったお二人、どうぞ。高瀬さんと渡邉さんは、千葉県のことばの教室からずっと参加してきています。

高瀬 三人、卒業おめでとうございます。私も1年目はやっぱり心臓が破裂するんじゃないかくらいのどきどき感が三日間あって、すごく気持ちも体力も疲れたんだけど、新幹線の中でも興奮状態で、千葉に帰った1週間も興奮状態でした。うまくことばで言い表せないものを心の中にもらって帰りました。そういう得たものを、はるなちゃんにも感じてもらいたいなという思いがあって、しつこく誘いました。知らない世界に来るというのは、大きな勇気がいると思うんですけれども、どうしてもここに誘いたいなと思って、お母さんに母親代わりをするから連れていくので、行かせてくれますかと聞いて、送り出してくれました。でも、母親代わりはしなかったと思います。初めて来た年から、一切私のところには来ないで、部屋に入ったとたん出てこないで、仲良くなった、今でも大切な友だちのみんなと一日目からうれしそうに過ごしていたのをよく覚えています。それが一緒に心のつながりを深くしながら、こんなに大きくなりました。精神年齢は、はるかに私よりはるなちゃんの方が上だと思います。語る力もあるし、考える力もあるし、しっかりしてますけれども、ほんとはもろいところもあって、そう見えないけれども本人の中ではすごくくずれそうな時もきっとあったと思います。そういう姿を近くでずっと見てきました。小学校を卒業した後も、つき合わせてもらえて、私につき合ってくれて、私も一緒に感じて、考えて、一緒に7年間を過ごせたのが宝物です。私の心の中もすごく変化したと思うので、とてもありがたい7年間です。来年は、先生でもないし、母でもないし、対等にスタッフという仲間として、一緒にこの先やっていけたらなあと思っています。それが夢です。なので、来年、また来ましょう。

渡邉 毎年、サマーキャンプ3日目は、ぼろぼろに泣きます。今日もお母さんたちのパフォーマンスで、今千葉の私の教室に通ってきているお母さんたちが一生懸命表現しているので涙を流し、子どもたちの劇を見て涙を流していました。そして、最後にこれなので、さっきからずっとぼろぼろ泣いているので、カメラをお持ちの方は、撮らないで下さい(笑い)というくらいの感じです。はるなちゃんは、同じことばの教室で、グループ活動で一緒に活動することが多くて、小さいときから見てきました。おかっぱで、いつもヘアバンドをして、ほんとにかわいい女の子でした。すごく芯が強くて、自分の思っている主張をしっかり相手に伝えることのできる小学生でした。今も、それは続いています。人にも厳しく、自分にも厳しいはるなちゃんだったと思うんですけど、今では、人とのかかわりとか、人のことを思いやったり、人の気持ちを聞いたりすることを、このキャンプに来てしている姿を見て、ああ、なんかスタッフかなあと思うくらい、ほんとに高校生、中学生とは思えないような行動をしていたなあと思いました。
 はるなちゃんみたいになってほしいなと思って、今、通ってることばの教室の子たちにも、「こういう子がいてね…」「こういうことをするといいよ」「こういうお姉さんもいたんだよ」と紹介することがあるんです。いつもいつも理想のお姉さんでいてほしいなあと思っています。小さいときからかわいくて、大好きなはるなちゃんなんです。キャンプがこれで最後だということは、来年一緒にスタッフとして働けるのかな、動けるのかなと思うと、さみしいようなうれしいような、なんか複雑な気持ちです。さっき、お昼ごはんを食べながら、とうとうもう終わりなのかなと思って、私たちの方がドキドキして、後ろの方でこそこそぐちぐち泣いていたんですけれど。来年は一緒にスタッフとして、私もがんばりますので、やさしくして下さい。今まで楽しいかかわりをさせてもらって、よかったなあと思います。卒業、おめでとう。

高瀬 はるなちゃんのほんとのお母さんから手紙を預かってきました。代わりに読みます。

はるなの母 はるな、サマーキャンプ、ご卒業、おめでとうございます。小さいときからおしゃべりが好きで、はっきりものを言う子でしたから、お友だちと衝突することもあり、関係のない吃音を持ち出され、傷つくこともありました。ひとりで我慢したこともあったでしょうが、私に話してくれた時は、脳みそふりしぼってことばを探し、励ましたつもりでしたが、どれだけはるなの支えになれたかは分かりません。でも嫌なことをひとつ乗り越えるたび、少しずつ心が強くなりました。それは、吃音に関係ないことも含めてです。前にも言いましたが、生きていく中で無駄なことってないですね。吃音をもっていることですばらしい人たちに出会いました。はるなの人生に関わってくれました。全く知らない他人だったのに、はるなを支えてくれています。サマーキャンプでは預けっぱなしで、大変申し訳なく思っていますが、毎年キャンプから帰ってくると、もう来年行くことを考えているはるなを見るたびに、実りある充実した3日間だったのが分かります。ことばの先生方もたくさん分かって下さり、心から感謝します。また、子どもたちの話に一心に耳を傾け、みつめ、支えて下さる伊藤伸二さんをはじめスタッフの方々に心から感謝申し上げます。はるなは、私たち夫婦だけではなく、皆様に育てていただいた娘だと思っています。最後にはるなへ、これからもはるならしくがんばって下さい。はるならしくって難しいかもしれないけれど、自分を信じていいということです。その中でいろいろなことを学んで下さい。傲らず(おごらず)、倦まず(うまず)、怠らず。

伊藤伸二 卒業式が無事に終わりました。17年間キャンプを続けてきて、ほんとによかったと思います。今年、特にそう思いました。まさか、4年生のときから参加した子がスタッフになって、スタッフミーティングで発言している姿というのは想像もできなかったことでした。これから毎年毎年、新しいスタッフが増えてくると、スタッフに試験を科して制限をしなければならないときが来るかもしれない、それくらいスタッフが増えていく、それは大変有り難いなあと思います。
 このキャンプを一緒に支えてくれている僕の仲間であるスタッフの方たち、立って下さい。
(スタッフ全員立つ)
 これだけの人たちが交通費を払い、参加費を払い、こちらがお願いしますと言ってないのに勝手に(笑い)参加して下さいました。そんなスタッフに支えられて、17年間もやってきました。この人たちに感謝しています。この人たちがいるからこそ、僕たちは続けられています。またこれからも続いていけるような気がします。20回までは吃音親子サマーキャンプがんばります。20回の吃音親子サマーキャンプにはお揃いのTシャツなんかを作ったり、記念イベントをしようと思います。これから連続して20回まで参加をぜひしていただければと思います。
 さあ、最後です。皆さん、立って下さい。そして、横の人と肩を組んで下さい。肩が組めなかったら、手をつないでもらってもいいです。皆さん、知っていると思うけれども、「今日の日はさようなら」という歌を歌いましょう。

  いつまでも絶えることなく 友だちでいよう
  明日の日を夢みて 希望の道を
    空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる
    今日の日をさようなら また会う日まで
  信じ合う喜びを 大切にしよう
  今日の日はさようなら また会う日まで
(ハミングの中で)
伊藤伸二 ちょうど今から21年前に、僕は京都で第一回の吃音国際大会を開きました。世界11力国40名の海外代表が集まり、400人が参加した国際大会の最後のフィナーレで、この「今日の日はさようなら」を歌い、目をつむって、横の人の肩の温かさを感じながらハミングしたのを今思い出しています。そのとき、僕は「これまで僕はどもりが嫌で大嫌いだった。だけど、どもりで悩んできたから世界中の人たちと出会えた。そして、これからも世界の人と出会っていく。そう思うと、ほんとにどもりでよかった」と、あいさつをしました。多分、このキャンプに参加している人たちもどもりでなかったら出会えなかった人たちでしょう。子どもたちにとって、こんなにたくさんの親以外の大人の人たちが一所懸命に考えてくれる場と出会うということはおそらくないだろうと思います。そういう点で、ある意味、現代の中での奇跡に近い空間だと、僕は思っています。この場を、これからまた少しずつ続けていきたいなと思います。
 じゃ、また、来年、会いましょう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/03

卒業式を控えた2人の教師の体験 2

 昨日につづき、もうひとり、小学校の教師の体験を紹介します。子どもたちとの対等な関係から生まれた信頼関係と、「弱さは強さ」を感じさせてくれる体験です。

  
卒業式と私と子ども達
                         森田宏明(小学校教諭)

 5年生を担任すれば、6年生に持ち上がりとなる。6年生を担任すれば必然的に「卒業式」を3月に迎えることになる。卒業式では卒業証書授与のときに子どもの名前を呼ばなければならない。このことは分かり切ったことではあったが、目の前の行事に力を注ぐことで、考えることを先延ばしにしてきた。しかし、お別れ会など3学期の主な行事も終わっていくにつれ、いよいよ卒業式のことを心配せざるを得なくなってきた。

 今まで卒業式を私は2回経験した。2回とも私は一人で悩み、一人で緊張していた。2回ともことばが多少つまる場面はあったが、立ち往生することはなかった。どうにか切り抜けることはできたわけだが、何かすっきりしない気持ちになっていた。それは「どもりをオープンにするという壁」を越えることができなかったからだと思う。私は式の前も後も、誰にも話すことはなかった。話したいという気持ちはあった。でもどうしても話すことができなかった。式が終わっても自分のどもりは消えたわけではないのだ。
 迫ってくる3回目の卒業式、今までのことがよみがえってきた。「できるものなら逃げたい、誰かに代わってもらいたい」しかし「それはできない相談だ。ではどうすればいい?大勢の前では恥はかきたくない。ことばが出なくなったら、どう思われるだろう?」「つまったらそれはその時のことだ。もっと居直ったらどうだ?」いろんな考えが心の中をかけめぐる。子ども達の顔も浮かんできた。
 「私の周りには信頼できる子ども達や親や先生がたくさんいる。やっぱり話してみよう。それから先のことは考えよう」私は最終的にこう考えた。親にも話した。何人かの先生にも話した。「だいじょうぶですよ」とか「ちょっとぐらいつまってもいいではないか」とか言ってもらえて少しほっとした。でも肝心の子ども達はどう思うだろうか。

 3月9日、金曜日。〈私の誕生日だった)卒業式の10日前だった。日頃信頼している女子(男子を信頼していないわけではないが)数人を呼んで自分が心配していることを聞いてもらった。子どもに話したのはこれが初めてだった。子ども達は真剣に聞いてくれた。そして、翌日の第2土曜日、私が体育館で名前を呼ぶ練習をするのでつきあってくれないかと頼むと、快く引き受けてくれた。
 土曜日の朝10時30分、体育館に子ども達がやってきてくれた。ほかの子も来てくれていて、全部で7人だ。さっそく練習を始めた。一人が校長役になってほかの子は私が名前を呼ぶたびに返事をして卒業証書(この時は画用紙)をもらいに歩いた。「2組、佐籐康介、赤松宏之、…」日頃出会っている子ども達でもやはり緊張する。
 「中嶋…(あや)」一度止まってしまうと冷静になれず、のどのあたりがこわばってしまう。「中嶋…(あや)」あということばが出てこない。「なかじまあや」と一気にしゃべることによって切り抜けた。しかし、この後も何度かつまってしまう。「井野…」「西垣…」「田中…」終わった後子ども達と話し合った。
 私「これが言いにくいねん」
 子ども「こんなふうにしゃべったら」
 もう一度練習した。仕事をしに来ていたY先生も体育館をのぞいてくれた。ことばが出てこない時もあったが、練習して少し慣れることができた。そして自分のことをオープンに話すことができること、信頼できる子ども達と出会えたことがうれしかった。
 3月14日、いよいよ卒業証書授与の練習が入ってきた。この日は6年生だけの練習だ。自分の番がやってきた。緊張しながら名前を声に出していく。時折子ども達の方を見る。うまくいくとにっこりした笑顔をこちらに送ってくれた。応援してくれる子ども達がいることが心強かった。名前を言うこともうまくできた。子ども達も喜んでくれた。
 3月15日、5年生と一緒に練習する日だ。5年の先生も一緒だ。昨日はうまくできたが、この日は土曜日にした時のようにつまることが多かった。
 「中嶋…」あの音を出そうとするが、口に力が入りこわばったままだ。6年生の方から笑い声が聞こえてきた。5年生の方からは聞こえてこなかった。情けなかった。顔もあげることができなかった。この後も何度かつまった。いつもはつまったことのない所でもつまった。見かねて1組のK先生がとなりに立って一緒に声を出してくれた。
 式の練習が終わってから、笑った子がいたことに腹を立てたK先生が6年生の子ども達に注意してくれた。何とかしようと手伝ってくれたこと、私のつらい気持ちを代弁してくれたこと。それはうれしかったが、その時同時に私が子どもの頃何度も味わった悔しい思い出もよみがえってきた。思わず涙が出てきた。
 教室に帰ってからこの時感じたことを子ども達に話した。そして卒業式の前日の日曜日に練習するので都合のいい人は来てほしいと伝えた。
 3月16日、最後の卒業式の練習だ。昨日はあんなにっまったのに、この日はましだった。少し場慣れしたのかなと思う。でも本番はどうだろうか?不安は消えない。
 この日は子ども達が劇を見せてくれた。この劇のために時間もかかり、もめごとも多かったが、なんとかできたようだった。劇はとてもおもしろく楽しかった。これも6の2の思い出のひとつになるだろう。
 3月18日、日曜日。あしたは卒業式だ。体育館は本番用にすべてセッティングされている。一人でマイクに向かって呼んでみる。一人だとほとんどつまることはない。不思議なものだ。10時半になり、子ども達がやってきた。一人少ないがこの前と同じメンバーだ。男子も2人来てくれたが、あまりまじめでないので途中で帰ってもらった。
 練習しているうちに、私はある方法を考えついた。それはマイクで話す前に小さい声で名前をつぶやくことだ。「まさおかともみ、まさおかともみ、…まさおかともみ」というふうに。これは緊張感をほぐすのに効果的だった。そしてこの方法でやってみると、スムーズに声を出すことができた。
 「先生、うまくできていたね〜」
 「実はな、こういうわざを考えついてん」
 「ヘェー、よかったね。じゃあしたがんばってねー」
 「うん、がんばるわ」
 子ども達はその後教室に遊びに行った。卒業式で歌う歌を歌いながら。ほんとに子ども達は明るい。いよいよ明日だ。本番ではどうなることか。でも子ども達の励ましに応えるためにも、明日はがんばろうと思った。
 今まで共に過ごしてきた子ども達に色紙をおくろうと思い立ち、夕方から書き始めた。終わったときは11時を過ぎていた。いつも私はこんな調子だ。
 3月19日、月曜日。いよいよ卒業式の日がやってきた。きのう思いついたわざで少し気は楽だったが、大勢の人の前ではやはり緊張しないわけにはいかない。
 朝9時、教室に上がった。明るい33人の顔がそこにあった。風邪で3日間休んでいたO君も来ていた。「久しぶりやな。今日はだいじょうぶか?」と声をかける。怒ったことも多かったが、今日で彼らと最後かと思うと少し寂しい。いろんなことがあった。いろんなことをしてきた。しかし、思い出に浸っているときではない。「今日は本番だからみんながんばってくれ、先生もがんばるから」こういうことも話したと思うが、よく覚えていない。
 あっと言う間に廊下に並ぶ時間がきた。「体育館に出発するで。背の順に並びや」話し声が聞こえる。「本当に最後までしゃべっとんなあ。時間がないねんで」と言いながら出発しようとしたとき、Iさんたちがみんなに呼びかけて作ってくれた色紙とそれから手紙をくれた。「先生、この手紙は卒業式が始まる前に必ず読んでね」とのこと。子ども達を式場の手前まで連れていき、係の先生にお願いして、わずかな時間だったがその場を離れ、色紙と手紙に目を通した。色紙には33人の一言が添えられていた。うれしかった。そして手紙だ。急いで封筒の中から手紙を取り出す。5人の女子が一言ずつ書いていた。

◇今まで練習してきた分きっとうまくいくはず! 自信をもってがんばって! 応援してます。by井野
◇先生なら必ずできる! だからがんばってみんなの名前を呼んでたも! ガッンッバッ! 田中
◇練習どおりにやれば必ずできる! みんな応援してま〜す! ガンバッテ! 入口
◇私もがんばるから先生もがんばって! 先生ならできるっ! 岸本
◇今まで練習の成果を出し切って! 私たちは心の中から応援しているよ! 先生ならぜったいできる! 白石

 封筒の中に入っていたお守りは5人で作りました。中には願いがいっぱい入っています。お守りを持って卒業式に出て下さい。井野、田中、岸本、白石、入口

 確かにお守りも入っていた。ほんとうにうれしかった。心強かった。「がんばるぞ!」急いでポケットに手紙とお守りを入れて、体育館に入った。
 10時。教頭先生が話し始め、卒業式が始まった。あっと言う間に証書授与の時間がきた。1組が終わり、私の番がきた。昨日考えたやり方で名前を呼んでいく。保護者の方を見る。私の方にずっとビデオを向けている人がいる。「やめてほしいな〜」と思いながら呼んでいく。緊張しながらも今まで失敗したところもリズムよく呼べた。子ども達の方を見ると、あの子達がにっこりしてくれている。一番心配な「田中加世子」だ。言えるだろうか?「たなかかよこ、たなかかよこ、…たなかかよこ!」「卒業生、以上66名」と最後に言って席に戻った。うまくいった。K先生とも握手した。この後は子ども達ががんばってくれた。式が終わり、体育館の外であの子達とまた笑顔で話すことができた。保護者の方も何人か「先生、よかったですね」と声をかけてくれた。
 卒業式が終わり、私もひとつのことを卒業できた気持ちだった。3月9日、子ども達に悩みを打ち明けてからずっと彼女たちは支えてくれた。それに勇気づけられて、子ども達にいつも「がんばれ」と言っている自分もまた逃げないでふんばることができた。この子達のことは一生忘れないだろう。あの手紙とお守りは私の宝物にしたい。(「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/03

卒業式を控えた2人の教師の体験

 どもっていたら話すことの多い仕事はできないと思われがちですが、実際は、話すことの多い仕事に就いているどもる人は少なくありません。学校の教師という、話すことが商売のような仕事にも、僕たちの仲間は就いています。普段の授業や職員会議や授業参観、保護者会などは、なんとかこなしているけれども、教師として不安が一番大きくなるのは、卒業式だと言います。厳粛な雰囲気な中で卒業する子どもたちの名前を読み上げる、子どもの名前が出てこなかったらどうしよう、卒業式が台無しになってしまうのではないか、そんな不安を抱えるどもる教師は少なくありません。
 先日、『スタタリング・ナウ』NO.79(2001・3・17)の一面記事『どもる権利』の中で、卒業式を控えた2人の教師から電話があったという話を取り上げました。今回は、いろんな思いの中で卒業式を迎え、そして無事卒業式を終えた、2人の生の声を紹介します。

ああ、卒業式 〜不安、恐れ、そして新たなスタート〜
                          平田由貴(中学校教諭)

 3年の担任を持つことになった時、まず心をよぎるのは、卒業式の名前の読み上げ。約1年後のことを、そして、わずか数分のことをずしっと重く、恐れ、心配し続けているのである。どもりらない教師からすると、きっと信じられないようなことだろう。
 これまでの何回かの名前の読み上げで、どもることも、難発状態で名前が出てこないで立ち往生したという経験は幸いにしてない。しかし、これまでないからといって今回も大丈夫だという保証はどこにもない。むしろ何かの拍子に、いったん経験してしまうと、意識過剰になり、かなりの確率で繰り返すというのがこれまでのパターンである。現に、私は教師になってから自己紹介するとき、平田のヒがスムーズに出てこなくなった。教師同士の集まりで、保護者の前で、結構、自分の名前が言えず10秒程のことだろうが、口をぱくぱくさせて、皆の不思議そうな視線をあびたことも何度もある。卒業式のシーンと静まり返った場内で、生徒・保護者・来賓・同僚達みんなの前で、同じような事が起こったらと考えると、それは私にとっては何物にも変えがたいような大きな恐怖である。
 不安が最高潮に達したのは、卒業式を一週間後に控えた頃だった。宵の口にすっと寝付いたものの、1、2時間程で覚めてしまう。その後、卒業式のことが繰り返し繰り返し脳裏に浮かんできて眠れなくなる。寝床の中で、神経が高ぶっていく。眠りたいけど眠れない。そんな時が、だいぶ続いた後、起き上がり、昨年8月の「スタタリング・ナウ」を探した。石川県教育センターの徳田健一先生が寄稿された文章を読むためである。
 最も思い出したくない、教師になって3年目の卒業式。「タケウチ」のタが出てこず、苦心してようやく読み上げたという体験を綴った文面である。これまで、卒業式でそんな体験をした教師がいるというのは聞いたことがあった。どうしても名前が出てこず、教頭が代わって読み上げていたことが自分の学生時代にあったといっていた人もいた。しかし、文章で読むというのは初めてだったので、随分印象深かった。そして、それを読んだ後の、本で読んだ論理療法で、頭で起こるかどうかわからないような予期不安に脅かされて消耗していくのはイラショナルビリーフ(非論理的)だとわかっていても、来年3月の卒業式のことを考えると怖くてたまらない。そして、徳田先生のようなことが、もし自分の身に起こったらと思うと耐えられない。
 そんな徳田先生の卒業式の体験を、もう一度、真夜中に読み返した。声が出なくなった場面が克明に記されている文面を2,3度読んだ。読み返しながら、ふと、この後、どうだったのかと、それを知りたいと思った。その夜は、朝まで眠ることができなかった。
 翌日、仕事を終え帰宅し夕飯にしようとしたが、食欲がない。昨夜はほとんど眠れず疲れているので、今夜は早く寝ようと思うのだが、明日からの卒業式の練習のことを考えると胸のあたりが重い。
 今回の卒業式の名前の読み上げはこれまでとパターンが違っていた。これまでは、出席番号順に生徒名をいっきに読み上げ、最後に代表生徒が壇上に卒業証書を取りに行くパターンだった。私は自分のペースで読め、読み上げに直面している時間も短かった。しかし、今回は生徒一人一人が壇上に上がり校長から証書を受け取る。前の生徒が証書を受け取り終わるタイミングを見て、次の生徒の名前を読み上げねばならない。この間に、自分の呼吸が乱れて、ア行やワ行など言いにくい音がスムーズに出てこないのではないかという心配があった。これが、私を大きな不安に陥れていた要因である。
 まず、練習の段階でどもってしまったら、生徒たちは騒ぐだろうか?練習でぶざまな姿をさらした後、私はどんな顔をして、終学活をすればいいのだろうか?考えているとますます気はめいる。たまらなくなって、自分の気持ちの弱さに半分腹を立てながらも、伊藤さんに電話をしていた。今の自分の不安を、誰かに訴えずにはいられなかった。このままの状態で、明日という日を迎えたくなかった。
 いつも忙しい伊藤さんを、つまらないことで煩わしては悪いなあという気持ちもあったが、こんな場面では、伊藤さんが最も頼りになる人だった。
 ひとしきり、その時の不安を聞いてもらって、私の心は少し落ち着いたと思う。同僚や友人には、残念ながら吃音の悩みはまだ打ち明けることができず、話を聞いてもらえる人はいない。自分自身が乗り越えねばならない辛さだが、温かく包み込むように不安な思いを受け止めてもらって、宙をさまよっていた魂がようやくどこかに着地できたような感じだった。そして、石川県の教育センターの徳田先生と話してみたいことを相談した。とても信頼できるいい方だからということで、電話番号を教えてもらった。
 夜分にまったく面識のない人のもとへ、しかも本人が最も思い出したくないことと記されていることを尋ねることに多少のためらいを感じはしたが、あつかましくも伊藤さんの電話を切ってすぐ、徳田先生にかけた。
 初めて話をする人にもかかわらず、私の不安な思いを受け止めていただき、また、ご自身のことも、率直に話して下さった。あの卒業式の後、同僚も生徒もみんな気を使ってくれたのか、誰からもそのことについて触れられることはなかったと。そして、不安でいっぱいだというあなたの言葉は素直で、前に向かっていこうとする明るいものがあると言って下さった。この一言で、随分吹っ切れたような気がする。怖いけど、前を向いていこう。たとえどもったとしても、これからのためにもしっかり目を開いて自分をみよう、と。
 翌日の第1回目の練習。寒の戻りで、体育館の中はとても寒かった。さまざまな諸注意の後、実際の練習に入っていく。私が心がけていたのは、何であれ自分ができることを精一杯すること。昨夜、伊藤さんと徳田先生からいただいた温かい気持ちを、自分も忘れず持ちつづけること。
 思いのほか練習に時間がかかり、初日の読み上げは、後半のクラスはカットされそうになり、心の中でラッキーと叫んだが、最初の5人ずつだけ読み上げることになった。寒さと緊張で体は硬くなっていたが、5人の名前はスムーズに出た。途中で余裕が生じ、「名前を呼ばれたときの返事が小さい」と、いつものペースで、一喝。その日が終わったときは、疲労困慰していたが、随分、気持ちは軽くなっていた。
 次の日は、式次第にのっとり通し練習をした。壇上に上がって証書の受け取り方がまずい子は、ストップしてやり直しをしたりしたので、私の6組の番になった時は、生徒たちもだれていて、館内はだいぶ騒がしかった。そのせいか、緊張感もなく、どの名前も滞りなく落ち着いて読み上げることができた。もう大丈夫という安堵の感があった。
 さっぱりした気持ちで連休を過ごすことができ、そして、予行の日を迎えた。この日は本番と同じように、校長、教頭が立会い、効果音も流して進められた。前の練習時とは明らかに違う空気が流れていた。マイクの前に立っときから足は震え、読み上げのための名簿を持った手も震えている。案の定、二人目の「エガシラ」というところで、ちょっとひっかかった。慌てて、周りの反応を確かめたが皆気にとめている様子はない。最後まで、ドキドキしながら読んだ。終わりがけ、もう一人ほど、声が出にくい思いをした。この日は、朝から安心しきっていて、読み上げ直前に急に緊張が襲ってきた。やはり、気を抜くとだめなのか。どもりは、いつ突如として現れるかわからない。結局、その夜もあれこれ頭に浮かんできて眠れなかった。
 当日の朝は、あわただしく過ぎ去った。チャパツのままの子の頭に黒染めスプレーをふったり、ルーズソックスを履き替えさせたり。入場するとき「いくぞ!」と、クラスの生徒たちに声をかけたのでみんなびっくりしていた。普段の私にはない表現が思わず口から出た。自分自身に対する掛け声で気持ちを奮い立たせようとしたのかもしれない。
 開式後、順番を待っているときは、目を閉じ、心と呼吸を落ち着けることに専念した。昨日のように震えがきたら、思い切り足をつねるつもりだった。5組が終わり、マイクの前に立ったとき、緊張はしていても上がることはなかった。ドキドキすることも、体が震えることもなかった。「6組」と、力強く宣言し、一音一拍を心で念じながら、ゆったりと読み上げていった。最後まで、呼吸は乱れることなく、壇上の下で待つ生徒をしっかり見つめながら声を発することができた。さすがに、自分の席に着いたときは、すべての肩の荷が下りたような気がした。来年で定年という先輩の教師が、「自分のクラスの読み上げがすむと急に寒さを感じるようになった」と、後で言ったのを聞いて、何回経験していても、どもりでなくても、誰でも、緊張する場面なんだなあと実感した。
 式後、3年生の教師仲間と酌み交わした打ち上げのビールの味は格別だった。親睦会の係が、なぜ打ち上げの予約もしてないのかとみんなから責められたが、「ごめんなさい、気が効かず!」と、笑ってあやまっておいた。気がついてないことはなかったが、とてもそんな気分になれなかった私の気持ちはみんな知らないと思うが。
 今回のことで、次の卒業式のときはもう少し違った気分で取り組むことができそうに思えた。また、逃げずに3年生の担任を受けて本当に良かったと思う。1年間、いろいろあったけど、これまでになく生徒と通じ合えたような気がする。39人の子どもたちの、一人一人が持っていた悩みや苦しみを、一緒に共有できたのではと思う。私にとっては、教師として一皮むけた年でもあった。
 中学生以降は、授業中ほとんど発言もした事のない私が、あえて教師になってしまったのである。何とか仕事に就き、自立したかった私は、両親の猛反対と真っ向から対立して教職に就いた。この仕事にあこがれていたわけでも、子どもが好きだったわけでもない。文学部日本文学専攻の私に、他の就職先などなかったのである。さすがに、覚悟していたとはいえ、吃音のことなんかで悩む以上にしんどいことは多かった。人と交わることが苦手な人間は、教師として致命的な適正の欠如かもしれない。でも、コミュニケーション能力に欠けるというのは、何をしていようと大変不幸なことである。教師になったおかげで、長い時間はかかったが、対人関係面では、改善の機会をたくさん持つことができた。この仕事に就かなかったら、限られた周囲の人としか話せない、自分の考えを口に出すこともできない、自分の殻に閉じこもったまま一生を終えていたかもしれない。
 様々な格闘の中で私は、学生の頃からは考えられないほど、進化したと思うし、自分の人生も苦労しながらも切り開いてこられたと思う。そして、現在も、進化中であるし、これから挑戦していきたいこともまだまだいっぱいある。
 どもるからといってあきらめず、また、あまり予期不安に悩むことなく、その頃は名前も知らなかった論理療法を自然に実践して、教師になって良かったと、今はつくづくと思う。吃音は、確かに仕事をしていく上で一つのハンディである。しかし、ハンディがあるからこそ工夫もするし、考える機会も与えられる。吃音は、私を人間として成長させてくれたかけがえのないものかもしれない。まだ、親しい人にさえ、吃音の苦しみは打ち明けられずにいる私だが。(「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/02
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