伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

健康生成論

障害を生きる 5 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 心臓病、ヘルペス脳炎、さらに乳がん。次々に試練が襲う、文章で読んでいると悲壮感が漂いますが、河辺さんの話を聞いたときも、笑いながら僕たちに語りかけ、僕たちも笑って聞いていたために、他の人の病気の体験を紹介しているような感じさえして、重苦しさがまったくありませんでした。改めて、文章を読んでみると、やはり壮絶な人生だったのだなあと思いますが、今の自分の状態をちゃんと把握して、今までなんとかしてきたのだから今度もなんとかなるだろうという、アーロン・アントノフスキーが提唱した、健康生成論のSOC(センス・オブ・コヒアランス)の処理可能感も持っている、そんなふうに感じます。
 新しいことに取り組むと、脳が活性化されます。僕も、日々、新しい出会いを楽しみ、対話を続けていきたいと思っています。

病気や障害とどう向き合うか 4
                        河辺美智子(61歳)


映画がリハビリ
 本やテレビよりも、映画が一番リハビリによかったですね。今日も映画を見てきたんです。最初、映画が全然分からなかった。人物が多いとか、ストーリーがころころ変わるものは分からない。映画の題名も主人公の名前も覚えられない。どこの映画館で何という映画を見てきたのと言われても言えない。でも、どう感じたか、毎日日記に書いていました。映画だけでなく、テレビの番組の感想も書いています。映画で勉強したことで、ものすごくリハビリになりました。今でも、映画の題名は覚えられないし、書けない。最初、分からなかったけれど、今は分かるようになってきました。もう今は1回で十分分かるようになってきた。
 洋画は、下の字幕がなかなか読めない、読んですっと考えないといけないでしょ。日本の映画が先に分かるようになりました。
 映画で何が楽しいかというと、右脳が残ってたからでしょうね。映画の景色とか絵とか音楽を見せてくれてる。だから最初、意味が分からなかったときは、音楽、景色、絵、人物を見てました。適当に字幕は読んで音楽を聴いて楽しんでいた。
 私は脳の10分の1しか使ってないと思います。皆さんも10分の9くらい遊んでいるのではないでしょうか。もったいないですね。

高次脳機能障害者の会
 自分がかつて活動していた、大阪セルフヘルプ支援センターに教えてもらって、頭部外傷や、病気による後遺症をもつ若者と家族の会に入りました。その会に入って、自分のこの後遺症が、高次脳機能障害ということも分かってきました。
 私は過去のことの記憶はゼロに近い。どこが壊れて、どこに入っているのか、分からないが、新しい記憶は入ってきます。ところが、高次脳機能障害のほとんどの人は記憶が入りにくい。ヘルペス脳炎の人は5人いるけど、私以外の4人は記憶障害です。20代、30代の人が多いんだけど、結局、離婚になって、両親が世話している。両親が世話できないくらい暴力をふるい出したら、仕方ないから、どこか病院かに入れてもらえる所を探さないといけない。医学は進歩していくけれども、進歩したから、医学の進歩と同時に生き辛くなって生きている人が増えてきたといえるでしょう。
 精神障害者か、身体障害者か、ふたつに分けているが、高次脳機能障害者は理解されにくい。前はヘルペス脳炎や脳内出血なんかも治療できなくて死んでいた。私も、心臓の手術の後でなかったら、ものすごい高熱ですからヘルペス脳炎で死んでいたでしょうね。医学の進歩と共に後遺症からくる障害者が増えるでしょうね。私なんか、子どものころからずっと障害者と言われ、心臓手術を受けてやっと健常者になったが、5年の短い期間だけ、ヘルペス脳炎の後遺症の障害で、障害者です。運命ですかね。自然かな。

新しいものに取り組む
 今は、やっと自分でいろんなことができるようになりましたが、後遺症は残っています。痛みも残っており、嗅覚もゼロに近い。そういう状態は続いているけれど、不思議なものですね、右脳が残っていたため、「ことば」を絵を描いて覚えている内に、絵を描くのが好きになって、今では、絵ばかり描いてるんです。
 それと、ピァノなんて、親にさせられて嫌々仕方なく学生時代にちょっとだけ勉強しただけなのに、前のまま下手なまま能力が残ってました。不思議ですね。自分の名前も書けない人間が、鍵盤をみて、「へ長調やからここからや」と言ったんですって。ここからやと言って、手をちゃんとそこへ持っていったらしい。そういうものは壊されなかった右脳に入れていたんでしょうね。前はそれほどでもなかったのに、本当に音楽が好きになり、コンサートに行ったり、CDを聞いたり、テレビを見ても音楽番組ばかりです。ピアノは、誰も使いませんから、私ひとりで楽しんでます。
 絵を描くということと音楽が好きになったことが、新しい生き方として自分がみつけたと思っています。

今度は乳癌に
 こうして、自分の新しい楽しみをみつけ、ああ、やっとヘルペス脳炎の後遺症とつきあっていけるなあと思っていましたら、今度、乳癌になったんです。
 2年前に、前からどうもおかしいと分かってたんですが、乳癌ならまた手術だ。手術がもう嫌で、入院するのも嫌だったから、行かなかった。ところが、娘たちが「乳癌はすごくたくさんの人がなるのに、ヘルペス脳炎は200人しかならない。そのお母さんはきっと違うと思う。診てもらうだけでも行って、違うと言われたら安心やから」と言われて、行きました。
 医師は、「これは癌と違うと思うけどなあ」と言いいながらも、私を見て、「年やから、検査しましょう」と、検査をしました。すぐ結果が出てきたが、医師は自分から何も言わないから、「乳癌ですか?」と私が聞くと「はい、そうや」で、癌が発見されました。娘も本当にびっくりしていました。
 これからの手術は、患者本人が決めるんですね。
 「あなたの癌には、この手術の方法と、こういうやり方があります。この病院でできるのは、この方法だけです。この方法だったら、ほかの病院を紹介します。もっとほかのやり方の所もあります」
 これは乳癌だけじゃなくて、どの癌でも、治療の仕方が変わってきましたから、ほんとうに本人が決める時代だと思いました。
 私はやっと絵を描くことやピアノを弾く趣味ができたのに、乳房を全部とってしまうと腕がうまくあがらない。温存療法にしたけれど、リンパは結局25本くらいとり、結局手はうんとあげにくくなって、リハビリもしないといけなくなりました。転移の可能性が高いからと、抗ガン剤10クールをすすめられましたが、断りました。ホルモン療法も効果がある場合があると言われたので、その薬だけをもらっています。
 転移した人の8割は3年以内に転移するらしいのですが、私は、それから2年たちました。
(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/12

吃音の夏、前半戦は暑かった

吃音の夏

 7月27日、大阪を出発して、埼玉県に向かいました。埼玉県の大宮市で、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会埼玉大会が行われました。久しぶりの対面での開催です。
 大宮には27日の昼頃に着きました。精神科医の本田秀夫さんの記念講演からスタートしました。本田さんのことは、以前、NHK番組で見て知っていました。本もあります。発達障害の人に対する見方、捉え方に似たものを感じていました。発達障害の人と発達障害ではない人との違いや差について、どこからが障害でどこからが障害でないのか、そんな線を引くことはできない、ちょっとその特性が強く出る人と弱く出る人の違いではないか、そんな表現をされていました。流暢性と非流暢性の違いも同じだと思います。どこからが吃音で、どこからが吃音でないのか、くっきりとした境界線があるわけではありません。一本の線の端が健康で、もう一方の端が死を表すとして、健康要因が強いと健康に近づき、そうでないと死に近づくという健康生成論に通じるものを感じながら、聞いていました。最後に、自立に大切なことは、自己決定力と相談力だということを強調されていて、これもまた僕の主張に共通のものとして印象に残りました。
 28日は、分科会です。千葉市のことばの教室担当者が、吃音の分科会で、実践を発表します。その応援のため、僕は大宮に来ました。実践のタイトルは、「吃音のある子どもが幸せに生きるために ことばの教室でできること」。昨年秋、僕は、その担当者の学校を訪問して、子どもたちと出会っています。子どもたちと対話を重ねてきた実践は、言語訓練ではなく、対話が大切だという僕たちの考えを実践に結びつけてくれたものでした。発表の中に、担当者と子どもとの対話の場面の映像がいくつも流れました。おもちゃで遊びながら、それでも担当者との話をやめようとはしない子ども。大切なことばがたくさんちりばめられていました。吃音と接するときの心の持ち方を発表している子どもの映像もありました。吃音に悩んでいるときは、心が吃音でいっぱいになっている。けれど、その反対に、したいことや熱中することがあってそれに夢中になっているときは吃音が小さくなっていると言います。この子のことは、以前、ブログで紹介しました。再掲します。昨年12月10日のものです。

ことばの教室訪問 子どもたちとの対話

 千葉市のことばの教室とは関係が深く、秋には千葉で吃音キャンプがあったばかりです。ふたつの学校から依頼を受けて訪問し、どもる子どもたちや保護者から質問を受け、対話をしました。
 まず午前中の山王小学校に入ると、手作りの歓迎の立て看板が目にとまりました。チャイムが鳴り、子どもたちが集まってきます。子ども6人と保護者、担当者、そして僕たちがそろって、授業が始まりました。
山王小訪問 みんなで輪 はじめに、子どもたちが、自分にとっての幸せとは何かについて書いた画用紙を見せながら自己紹介をしてくれました。
 そして、子どもたちから僕への質問コーナーに移りました。
・今年、放送委員をしている。アナウンスするときに、自分がどもることを考えたことはない。もし、伊藤さんが僕と同じ放送委員だったら、どんなことを思いますか。
・大人になってから、どもって困ったことはありますか。
・休みの日は1人で遊ぶことが多いですか。
・どもっていると、つけない仕事があると思いますか。
・私は友だちが110人います。自分から「友だちになろう」と声をかけて友だちを作るけれど、伊藤さんはどうやって友だちを作りますか。
・どうして、世界大会やどもる人のグループを作ったのですか。
・僕は吃音について、将来の不安がありません。「なんでそういう話し方なの?」と聞かれることは今までもあったし、これからもあると思うけれど、慣れていくしかないと思っています。どもりと向き合う心の作り方も分かりました。困ったら、そのとき考えればいいと思っています。こんな僕をどう思いますか。
・どもらなければもっと楽しい生活になるだろうと思う人がいます。なぜ、そう思うのだろうか。どもっていても、楽しい生活はできると私は思います。
・吃音を気にしないレベルを10段階で表したら、伊藤さんは10に見えます。私は10を目指しているけれど、今、レベル7の位置にいます。あと3は気になってしまいます。気になる3をなくし、10になるにはどうしたらいいですか。

 小学生の子どもたちが、こんなことを考えているのかとびっくりします。質問の意味を確かめ、子どもひとりひとりとやりとりをしながら、僕は自分の考えていることを話していきました。個別学習やグループ学習で、しっかり吃音を学び、自分の吃音について考えているからなのだろうと、自分自身の小学生の頃と比べてしまいました。

山王小訪問 心の作り方図解 僕と同じ名前の伊藤君が、「どもりと向きあう心の作り方」という図を見せてくれました。
 前は、僕の全体が吃音だったけれど、今は、僕の中のほんの一部が吃音で、ほかにもいろいろあるのが僕だ、ということだそうです。すごいなと思います。
 もちろん、これからの人生の中で、いろいろなことがあると思います。理不尽なことにも遭遇するかもしれません。でも、そんなときもきっと、小学生のある時期、こんなことを考えていたという実績は消えることはありません。吃音親子サマーキャンプで出会った子どもたちのように、苦しいことやつらいことがあったとしても、なんとかしのいでいってくれるだろうと確信しました。(昨年のブログ)


 そんな子どもたちの様子をいきいきと語り、子どもの声を紹介する発表は、本当にすてきでした。
 分科会が終わって、そのまま吃音講習会の会場である愛知県名古屋市に向かいました。
 埼玉大宮の分科会の会場で声をかけてくださった方がいます。その男性の話は、明日。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/03

人生脚本

 昨日は、4年ぶりに岡山で吃音相談会が開催されました。岡山言友会が主催で、ずっと僕を講師として呼んでくれています。いつもと変わらないメンバーが僕を迎えてくれました。
 どもる成人だけでなく、二組の小学生と保護者、ことばの教室の担当者に対して、今、僕が注目している健康生成論、そして具体的な提案として「首尾一貫感覚(SOC」」の話をしました。
 後で、とても参考になりましたと、小学生の保護者と、成人で夫婦で参加した人が話に来てくれたので、ほっとしました。いつも話し慣れていることではなく、新しいネタを話す時はやはり、伝わったかどうか、気になります。単に情報ではなく、生活にいかすところまで、新しい知識を理解し、活用してもらえるように伝えるのは、簡単ではありません。
 今週の金曜日には、鹿児島県のことばの教室の担当者の県大会があり、その準備にいかすことができるのは、ありがたいことでした。いつものことながら、ぎりぎりまで粘って、岡山の経験をいかし、鹿児島大会の準備の修正をしているところです。
 
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2001.12.15 NO.88 は、交流分析の人生脚本について書いています。「どもってはいけない」との思い込みから解放されることで、新しい人生が始まります。交流分析を学ぶ中で、その思い込みの背景に気づきました。個人の人生脚本、社会の文化脚本を書き換えていく、その歩みは今も続いています、健康生成論、首尾一貫感覚というキーワードとともに。

  
人生脚本
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「《どもることが普通》の世界にいられるのはうれしいことです。これは本当にうれしいことです」
 「僕は、《どもってはいけない》と思い込み、鎖が全身にまきついたような状態になっていた。しかし、吃音サマーキャンプでは、その鎖がとけ、どもってもいいという解放感がうまれ安心してどもれた。この経験は生涯忘れない」
 今年の夏、吃音親子サマーキャンプに参加した中学1年生の谷中陽菜さんと、高校1年の安田善詞君のことばだ。数年前には、「高校生のにいちゃんもどもってはったなあ、僕もどもっていいの?」と、母親に問いかけた小学3年生がいた。
 どもる子どもたちや、吃音に悩んだ私たちは、なぜこうも「どもってはいけない」と思い、どもる自分を責めてきたのだろう。
 これを説き明かすには、交流分析の提唱者、エリック・バーンの、人生脚本の理論が役に立つ。それは子どもの頃に親から与えられた禁止令による幼児決断だというのだ。人生脚本とはこうだ。
 「人は、親およびそれに代わる人から影響を受け、自分では気づかないうちに、自分で脚本をつくり、その脚本にしたがって、あたかもドラマを演じるように人生を生きている」
 どもる子ども自身が、自分で「どもることは悪いことだ」と思い始めることは、ほとんどないだろう。親や親に代わる人の「治って欲しい」との願いや、教師を含めた社会一般の、「どもらない方がいい」という価値観が、「どもってはいけない」という禁止令になっていき、その子どもの人生脚本をつくっていく。
 親が子どものどもっている姿を見てかわいそうだと思うことは自然な感情だといっていい。治してあげたいと思うのも親心だろう。しかし、この子はかわいそうな子だ、どもりをなんとか治してあげたいと思うことは、「どもってはダメだ、どもっていては楽しい人生は送れないのだよ」という人生脚本を子どもに手渡したことになる。そして、子どもは、その脚本どおりに自分自身をかわいそうな存在だと思い、どもっている自分は自分ではない、どもりが治ってからの自分が本来の自分だと強く思ってしまう。そこから、吃音に悩む人生がスタートするのだといっていい。
 さらに社会一般の「どもっていては有意義な人生は送れない」「どもりを治しなさい、どもっていてはいけない」という禁止令は、最近でも出版される、『吃音は必ず治る』や『吃音の克服と改善』などの書籍や情報を通してその強化因子として強く働く。
 吃音に悩む人を悩ませるのは、親やそれに代わるもの、社会一般の「どもってはいけない」の禁止令を含んだ個人の人生脚本、また、人間の歴史の中で営々と続いてきた、「吃音の悲劇」をテーマにした吃音についての文化脚本だといえる。
 この秋の吃音ショートコースのテーマは、交流分析で、幼児決断、再決断について学んだ。
 「どもりは悪いもの、劣ったもの、治さなければならないもの」という社会通念への決別は、25年前に、私が《吃音者宣言》を起草して以来、提唱し続け、実践も重ねて来た。そして、今、新たに、交流分析を通して再度、この問題提起を整理する作業を始めたい。人生脚本や文化脚本を書き換えること、それは、この人生脚本に気づいた私たちの責務でもある。後に続く人々に、この人生脚本を手渡してはならない。
 吃音ショートコースの最終日、みんなで語ろうティーチインの、ゆったりとした温かい雰囲気の中で、参加したひとりひとりが、自分の人生を振り返り、それぞれの自分に与える許可証を確認した。
 「どもってもいい」という「許可証」の考え方が、滋賀県のりっとう山荘で出会った仲間たちだけでなく、日本吃音臨床研究会の多くの仲間たちへ、そしてそれを個人の人生脚本だけでなく、社会の脚本というべき吃音の文化脚本を書き換えていく力につなげていきたい。
 そう、「あなたはどもってもいい」 (「スタタリング・ナウ」2001.12.15 NO.88)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/12
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード