昨日の続きです。古い映画なので、今は観ることができないのが残念です。レンタルビデオにあるかもしれません。もし、チャンスがあれば、ご覧ください。僕が言友会を創立した年、1965年から、テレビドラマに「ども安」がありました。砂塚秀夫が主演で、よく覚えています。インターネットで調べると作品が次のように紹介されていました。 
 「幕末の甲州一円に「武居のども安、鬼より怖い。ドドッとどもれば人を斬る」と恐れられた喧嘩っ早くてお人好しの実在の親分「武居のども安」こと中村安五郎や弟分・勝蔵の青年時代を描いた痛快遊侠伝シリーズ」
 「ドドッとどもれば人を斬る」がスタートでした。「どもり」だけでなく、「どもる」すらあまり使わなくなった窮屈な今と違って、おおらかな時代だったのですね。その「ども安」について、喜田さんは『次郎長富士』で紹介しています。
 長いつき合いだった、喜田さんのことについては、今回で終わりです。それにしてもよく、ここまで吃音に関する映画を観て、コメントを記録していたと脱帽です。

『次郎長富士』 1959年 監督:森一生
 やくざ映画に必ず出て来る敵役(かたきやく)が、武井の安五郎です。映画の中では『ども安』と呼ばれています。『ども安』は、清水の次郎長が両手をつき、丁重に頭を下げて挨拶していても、売れない新米セールスマンが来たように、さんざん愚弄します。
 セールスマンなら、どんなに相手から愚弄されても、怒ってはいけないのです。一度でも感情的になろうものなら、もうセールスマン失格です。
 でも清水の次郎長は『ども安』から愚弄されるとサッと立ち上がり、ども安と黒駒の勝藏が楽しんでいる碁盤をひっくり返します。
 それ以後も、無法な横車を押し通す『ども安』は、とうとう次郎長一家に切り殺されてしまいます。
 『ども安』だって、青年時代には『どもり、どもり』と、人々から愚弄されていた筈です。自分が出世して親分になれば、かけ出しの清水の次郎長を頭から愚弄してはいけないのです。


『五番町夕霧楼』 1963年 監督:田坂具隆
 金閣寺・放火事件を『五番町夕霧楼』は『炎上』とは全く違った角度から表現しました。映画全体の半分も進んでから、ようやく吃音修業僧が現れます。
 『炎上』の修業僧が、たった一回、娼婦を買いました。それなのに娼婦に来ている英語の手紙を娼婦に分かるように読んであげただけで帰り、二度と娼婦には会いません。
 『五番町夕霧楼』の吃音修業僧は、たびたび娼婦を買います。彼が少年時代に過ごした海辺の村で、将来を誓った幼馴染みの夕子が、結核の母の医療費を作るために人身売買されて『五番町夕霧楼』の娼婦になったからです。
 太平洋戦争前後の日本の貧困家庭で一人の結核患者が出れば、子どもを売るより他に医療費が作れなかったのです。
 夕子を連れてきた親が「この子を娼婦として京都へ連れていって下さい」と頼みました。貧困、低学歴の泥沼の中に生まれた夕子には娼婦以外に就職の選択は許されないのです。母のために娼婦に売られた夕子は、つらかったけれども、恋人櫟田(くぬぎだ)の住む京都に行ける事は、心の中に秘められた楽しみでした。京都に来てから、時々、櫟田が夕霧楼に来てくれるのも夕子の秘められた楽しみでした。しかし夕子自身も母の結核が感染しました。そのころの日本では結核が死亡率第一位の不治の病でした。
 金閣寺の住職にも、徒弟僧(とていそう)櫟田が娼婦買いをしていると密告する呉服商人があり、処罰された櫟田は娼婦買いが厳禁され、二人は全く会う事が出来なくなりました。
 夕子が娼婦に身を落とした悲しみには耐えられた櫟田も、夕子が不治の病に倒れた悲しみには耐えられなかったのです。生きる望みを失くした櫟田は金閣寺に放火して自殺しました。
 遅かれ早かれ自分も結核で死ぬ身ならば、夕子は一刻も早く櫟田の所へ行きたいです。夕子は幼なかりし日々、二人が一緒に歌を歌った海辺の「さるすべり」の花の下まで帰って来て、櫟田の後を追いました。
 『五番町夕霧楼』の場合、貧困、低学歴、人身売買、結核、不治の病など、個人の努力では解決できない『吃音』以上の重荷を引きずりながら支え合って生きている若い二人に、人生の先輩が、あまりにも無慈悲でした。密告があったとは言え、金閣寺の住職には吃音であっても真面目な徒弟僧に、即刻『不良』との烙印を押さず、せめて一言、櫟田本人の声を聞く配慮が欲しかったです。


『書を捨てよ街に出よう』 1971年 監督:寺山修司
 映画の中で『吃音治します』と言うポスターが登場します。
 言語治療士が吃音を治す病院を新しく開いたのでしようか。
 高松では見た事もないポスターです。繰り返し繰り返し登場した『吃音治します』のポスターが、やたらと目立ちました。


『ねむの木の詩』 1974年 監督:宮城まり子
 子どもの施設での運動会の開会式で、選手宣誓をするのが、吃音の女の子です。どうしても言葉が出ません。大勢の前で女の子はシクシク泣き出します。横に来た先生は、いろいろに励まします。
 先生の励ましで、言葉につまりながら最後まで選手宣誓が言えた女の子に、ようやく笑顔が戻りました。


『柳生一族の陰謀』 1978年 監督:深作欣二
 …こんな馬鹿な事があり得よう筈は御座らぬ。かかる悪夢に惑わされて、うろたえるではない。これは夢だ。夢だ。夢で御座る…
 『柳生一族の陰謀』の大詰めで、中村錦之助演じる柳生(やぎゅう)但馬守(たじまのかみ)が絶叫しながら胸に抱いているのが、たった今、切られたばかりの徳川家光の首です。この家光が吃音でした。
 家光は生まれながらにして将軍の長男です。庶民がどんなに努力しても夢にも望めない最高の地位です。
 放って置いても将軍になれるのが約束されている家光なのに、吃音のため父秀忠に疎外され、父秀忠は溺愛している次男政之を将軍にしようと画策していました。それを察知した家光の側近、柳生但馬守が秀忠も政之も謀殺しました。
 さらに柳生但馬守は、おじけついている家光に意見します。
 『あなたが将軍の器(うつわ)です。将軍になるためには佛でも親でも殺すのです』
 権力者の世界では、こんな無法な倫理が通ります。少なくとも父秀忠が、吃音の家光も、吃音でない政之も同じように可愛がっていたら、好臣(かんしん)・柳生但馬守に将軍一家が乗ぜられる隙もなかったでしょう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/10/31