伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

ドミナント・ストーリー

外在化する会話

 思い返せば、21歳の夏、吃音を治すために行った東京正生学院で吃音は治らず、吃音とともに生きる覚悟を決めてから60年間、豊かな吃音の世界を生きてきました。吃音のことを考えるのに役立つであろうと思われるものは貪欲に学んできたし、自分が体験して、体に染みてきたものを整理し、文章にし、まとめてきました。丁寧に自分に誠実に考え続けてきたことが、実は、心理学や精神医学や臨床心理学では、こう呼ばれていたのだということに気づかされたこともたくさんありました。
 当事者研究、健康生成論、レジリエンス、オープンダイアローグ、そして、ナラティヴ・アプローチ、大切なことは、みんな吃音を通して学んできたといえるでしょう。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2014.10.20 NO.242 より、まず巻頭言を紹介します。

  
外在化する会話
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 人が問題なのではなく、問題が問題なのだ
 人には、その人の人生を生きる能力がある

 ナラティヴ・アプローチのこの基本的な考えは、吃音の問題となじみが深い。と言うよりも、1980年代前半から始まった「外在化」の会話、その後ナラティヴ・アプローチが関心をもたれるずっと以前から、吃音の世界では知られていた。
1950年、ウェンデル・ジョンソンは言語関係図を提案し、吃音は吃音症状の問題だけではないと考え、X軸(吃音症状)、Y軸(聞き手の反応・環境)、Z軸(本人の受け止め方)からなる立方体で吃音の問題の構図を明らかにした。
 1970年、ジョゼフ・G・シーアンは、これをさらに発展させ、吃音の問題を氷山に例え、海面上に浮かんで目の見える部分の吃音症状と言われているものより、海面下に沈んでいる大きな部分こそ、吃音の本当の問題なのだと指摘した。
 ナラティヴ・アプローチが誕生する前から、吃音の領域では、今、ナラティヴ・アプローチで考えられている視点、発想は芽生えていたのだ。それがなぜ、吃音の取り組みの基本として重要視されず、言語病理学の分野で、思想や技法として発展しなかったのか、残念でならない。
 1965年夏、1か月の吃音を治す必死の努力の結果、治らなかった私は、「吃音を治す」を諦め、吃音と共に生き始めた。それから1976年の「吃音者宣言」に至るまでのプロセスは、どもる人のセルフヘルプグループの中で、ナラティヴ・アプローチの実践をしていたことになる。
 これまでの、「どもっていたら何々ができない」「どもりが治らなければ未来は暗い」「どもりは治すべきだ」の社会の支配的な考えである、ドミナント・ストーリーの悲観的な物語を捨て、「どもるからといって、出来ないことは何一つない」の希望の物語を、実際の体験をもとに語り始めた。そして、「どもりと共に豊かに生きる」の、オルタナティヴ・ストーリーを、セラピストの力をまったく借りずに、当事者自身がつくりあげていった。
 この物語は、簡単に変えられるものではなかった。だからこそ、「吃音の悲劇の物語」が長い間支配してきたのだ。自分の人生を大切にする、大勢のどもる人の真剣な語りは、大きな塊となった。これを、文章として残しておかなければ、ドミナント・ストーリーにすぐに逆戻りしてしまう。そこで私は「吃音者宣言」として、これまでの語りの歴史をまとめたのだった。
 「吃音が問題ではなく、マイナスの影響が問題だ」
 「吃音は、どう治すかではなく、どう生きるかだ」
 これは、ナラティヴ・アプローチの、「人が問題なのではなく、問題が問題だ」の発想とまったく同じだといえるだろう。
 「吃音が理解されていない社会の中で、どもる人は学校や職場で悩んでいる。その悩みを解決するためにも、どもりは治すべきだ。完全には治らないまでも、少しでも改善すべきだ。それが現実社会の、どもる人のニーズなのだから」
 45年の歳月をかけて、どもる当事者が練り上げてきた「吃音と共に豊かに生きることができる」のオルタナティヴ・ストーリーが、また、このような、社会の支配的物語にとって代わられそうな状況が日本で、今、起こりつつある。今度の支配的な物語は、手強い。どもる当事者も巻き込んでいるからだ。
 そして、また「吃音否定」につながる実践をしてこなかった、世界に誇る日本のことばの教室の取り組みにも、「医療モデル」からの「治療・改善」の波が押し寄せている。その状況の中で、私たちはまた一つの、思想、技法に出会った。それがナラティヴ・アプローチだ。ことばの教室で、子どもと吃音について何を、どのように話し合えばいいかを、溝上茂樹さんの実践が示してくれた。このナラティヴ・アプローチが、「吃音治療・改善」の流れに歯止めをかけ、「吃音を生きる」のオルタナティヴ・ストーリーを厚みのある豊かなものにしていくだろう。この秋、国重浩一さんから、ナラティヴ・アプローチの豊かな世界を学んだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/05

新たな吃音臨床への招待 2

11年という年月を経て始まった吃音講習会のシリーズ2、今年は12回目となり、7月26・27日、千葉県柏市で開催しました。その報告は、日本吃音臨床研究会のブログや伊藤伸二のブログ、Facebookなどでしています。
 今、紹介しているのは、シリーズ2の第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。このときのゲストは、奈良女子大学名誉教授の浜田寿美男さん。講演のタイトル「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」は、僕たちと深く強く共感するものでした。
 浜田さんの講演と、この吃音講習会の顧問である牧野泰美さんが司会をしてくれた浜田さんと僕の対談など、吃音講習会1日目の報告です。(「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218)

新たな吃音臨床への招待 2
    ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

  講演「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」
                   奈良女子大学名誉教授浜田寿美男さん

 発達心理学が専門である浜田さんは講演冒頭、先輩である岡本夏木さんの「なにか迷った時には少数派につきなさい」という言葉を私たちへのエールとして送ってくれた。多数派は流れに乗るだけで済むから思考停止に陥り、ドミナント・ストーリーにはまり込んでしまう。一方、少数派は常に自らの根拠を考え続ける必要があるので、物事を明らかに見ることができるとの意味であろう。
 浜田さんの考える場は、障害をもつといわれる子ども、とりわけ自閉症などの発達障害をもつ子どもたちとの関わりのなかにある。そのなかで形成された浜田さんの「発達観」は動物学者の日高敏隆氏の言い方を援用すると「すべての人間たちの生き方は、赤ちゃんも幼児も、子どももおとなも、なんらかの障害をもつものももたないものも、すべて等価であり、一つのパターンの論理のなかでは、そこに発達のものさしをもちこんで、その上下、遅速を論じることはできるかもしれないが、異なるパターンの論理(生きるかたち)に優劣はつけられない」(2007「障害と子どもたちの生きるかたち」岩波現代文庫)というものである。右肩上がりの発達観が主流のなかでは伊藤さんと同様、浜田さんも少数派といえるだろう。
 長らく勤めた福祉系の学科をもつ花園大学での学生との出会い、交流も浜田さんにとっての考える場であった。30年以上も前のこと、脳性まひの学生が入学してきたが、構音がはっきりしないことから友人の輪の中に入れずにいた。しかしある時、意を決して友人の輪に飛び込んだところ、1、2ヶ月もするとお互いの会話に何の問題もなくなった。学生が言語訓練をしたわけではない。はっきりしない発音のまま、友だちに何とか伝えようと手持ちの力をやり繰りし、友だちもまた聞き取ろうと努力するなかで、お互いの力が発揮された。友だちとの学生生活という場があって伝える力が育まれた。彼らの「人どうしの関係の網の目」が形成されたのである。力は生活のなかで使ってはじめて根を下ろす。しかし、学校的文脈では「力を身につけて将来に備えましょう」の言説が支配的である。浜田さんはそれを「錯覚」と表現する。私たちの社会を覆う大きなドミナント・ストーリーのことである。
 現在、大阪・高槻市在住の50歳を超えた、自閉症の症例の関西第1号と言われた人のエピソードも興味深い。彼が自閉症と判断された当時は小児科医も文献のうえでしか知らない時代だった。彼は地元の普通学校に通い、母親であるUさんは「高槻自閉症児親の会」のリーダーを長く務めた。地域と関わって生きてきた人たちだ。
 そのUさんがある時、浜田さんとの会話で「自閉症は治ってもらったら困る」と語った。自閉症が風邪のように薬を飲んで治るのなら、治ってもらってもいいが、どれだけ多くの親が次々と出てくる新薬開発という曖昧な情報や最新の理論や脳科学に基づいた療法に淡い期待を寄せ、その度に引きずり回されてきたことだろう。Uさんは自閉症は治るという次元のものではないと十分にわかったというのだ。しかし、これ以上の理由が治ったら困るという考え方の背景にはある。
 治るとの思いで子どもをあちこち引き回し、いろいろな療法、訓練に励むことは、いまのこの子のありのままを否定する、この子を差別することに等しいのではないかとUさんは語る。「生き方」というような自分で選べる観念的なものではない、その断念、諦めの中から家族や他者との、他者や環境との双方向的な関係の中から、かろうじてそうでしかありえないものとしての「生きるかたち」が織り成され、私たちはそれを選んでいく。この子のありのままを、変えようのない与えられた条件を引き受けて生きるとはそういうことである。
 自傷、他害行為のあった彼に噛まれた同級生の女の子は、あわてるUさんに「この子が噛むのは言葉みたいなもんだから」と言ったという。その小学校の同級生は彼とともに生きる場の中から、このようなスキルを身につけたのだろう。浜田さんは「発達障害バブル」という表現で、現在の特別支援教育のあり方に危機感を表明している。支援という名の排除や囲い込みが進めば、このような豊かなスキルを、互いに身につける機会を私たちは奪われることになってしまうだろう。
 浜田さんが語ることは伊藤さんが吃音について語る論理と同じものだ。親、教員、言語聴覚士がただ治したいという思いで接する時、それは子どものありのままを否定していることになる。「私は私のままでいい」という自己肯定、つまり吃音肯定から吃音とのつきあいが始まる。

対談「治す文化に対抗する力」浜田寿美男VS伊藤伸二
    司会 国立特別支援教育総合研究所 牧野泰美さん

 司会の牧野さんは特総研では言語障害教育の研究のかたわら教員研修を担当し、各地のことばの教室の教員との出会いを多くもつ人だ。冒頭、牧野さんはどもりが体質のようなものだと考えれば、改善ではなくどう引き受けるかの課題ではないか。しかし、親や教員や言語聴覚士はどもりに対して無力な自分であることが認められない、何かできる自分でありたいとの思いをもち、それが「治す」ということへ駆り立てているのではないかと指摘し、専門性や専門家のあり方が問われていると対談のフレームを提供した。
 浜田さんは私たちの人生に準備の時間はなく、次のステップをにらみながらいまを生きているのではないこと、手段を整えてから話すのではなく、その時の手持ちの力でしか話すことはできない、スキルではなく何を伝えようとするかが問題なのだとの主張を対談でも強調した。それはどもりながらも日常を丁寧に送る中で、いつか自然と「吃音は変化する」、しかし、その結果を目標にしてはならないという伊藤さんの考えと通じる。訓練室・治療室では確かに吃音のコントロールは可能だろう。しかし一歩外に出た日常の世界ではそれは何の効果もない。サバイバルする中で、生きる場の中でしか言葉は育まれない。だから、日常に出て行くことを促すことがことばの教室の教員や言語聴覚士の仕事なのではないか。
 伊藤さんは吃音を生活習慣病に例える。吃音を言い訳に日々の、ひいては人生の課題から逃げたりすれば、その症状は悪化するという。浜田さんも逃げたり、隠したりすることの弊害を指摘し、幼い頃、事故から右手の4本の指を失った女性の話を紹介した。不憫、かわいそうと思った母親は彼女を守るつもりで、世間の目に触れないようにと手編みの手袋をずっと与えたのだが、それはその手のありようを隠すべきもの、否定すべきものとして母親が裁いていた、差別していたことに他ならない。そして彼女自身もそのドミナント・ストーリー、価値観を内面化していった。学生時代、そのありように疑問を持ち、手袋を外した彼女は顔から火が出るような差恥を感じ、世間の目を意識したのだが、それは彼女自身の目であったのだ。この物語から彼女が出ることができたのは、卒業後勤めた通所授産施設で手に関して、遠慮なく質問されたり、触れられたりといういろいろな反応を受け、さらに母となって子どもの手を引いたり、引かれたりという中で、ありのままの自分として生きた日々を過ごしたことによる。
 伊藤さんは吃音をコントロールすることを教えられるということは、吃音に対しての否定的なメッセージになるという。隠し続けることがどれだけ生きづらいことか。専門家は当事者の苦しみに無知であることを自覚すべきだと浜田さんも言う。言語聴覚士や教員はドミナント・ストーリーの代表者としてではなく、いまここにいる子どもを支える専門家として存在して欲しい。そのためにもナラティヴ・アプローチでいう、「無知の姿勢」に立ち続け、子どもの声を丁寧に聞き、子どもの疑問にも正直に丁寧に答えて欲しい。たとえば、治したいというニーズをもつ子どもに対して、展望のない訓練や専門家自身は決してしない方法を示すのではなく、「私は治せない」となら言えるのではないか。そのうえで「楽に声を出す」ことなら一緒に取り組むことがあると提案できるはずだ。専門家として情報を提示したうえで子どもと向きあうこの対等の姿勢からは、きっと子どもとの間に対話が生まれることだろう。
 伊藤さんは吃音を意識させない方がよいというドミナント・ストーリーに対して、吃音の早期自覚教育を提唱する。真実を先送りにすることは専門家としての倫理にもとる。子どもとの最初の出会いを大切にして欲しい。誠実に向き合えば子どもの何かは変わることを信じて私たちは活動をしてきた。浜田さんも親や専門家が先回りして、子どもを現実から遠ざけること、皮膜の中で育てることを批判している。初めての出会いとは思えないほど二人の語りが共振した時間だった。

グループでの話し合い

 対談後の夕食休憩の時間は、TBSテレビ報道局(当時)の斉藤道雄さんが伊藤さんたちやキャンプを取材した「報道の魂」(2005)を視聴した。
 初日最後のプログラムは参加者を6つのグループに分けての話し合いである。初日の講習を受けての率直な感想や疑問や子どもとの関わりの具体について出してもらった。話し合われたそれぞれの内容はこの紙面では割愛するが、このグループでの話し合いがあったからこそ、伊藤さんたちの投げかけたものが参加者の中で大きな渦となって、2日目昼からの実践講座に流れ込んでいくことになろうとは、誰も想像できなかった。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/13
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