伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

セルフヘルプグループ

ふたりの心の旅路 2

 まさき君に続いて、もうひとり、あやみさんの体験を紹介します。
 宮崎県からの依頼に一番驚いていたのが、あやみさん本人でした。当日の発表原稿の後に、依頼を受け、準備しているときの様子を振り返った文章も載せています。僕の「どもっておいで」のことばに、ホッとして、自分らしく参加できたというあやみさん。今も、常連のスタッフとして、吃音親子サマーキャンプを大切に思ってくれています。

  
私の生きてきた道程
                        あやみ(大阪府)

仮の人生
 両親の話では、私は2歳頃からずっとどもり続けています。今になって、やっと辛い過去が宝物と考えられるようになりました。
 小学校、中学校で、どもることでからかわれ、いじめを受けながら毎日を過ごす中で、「どもる私は他の人と違う。違う私ではいけない」と考えていて、いつも「私はダメな人間で、生きている価値がないんだ」と自分が嫌いで自分を卑下していました。
 どもる私の言うことより、どもらない他の人の言うことが認められるのが当たり前と、本気で思っていました。どもりが治ってからが本当の私の人生だ。今のどもっている私は仮の私であり、仮の人生なら、何をがんばっても無駄だと思い、学校の勉強や人間関係の結び方などしなければならないことからいつも逃げていました。そうして私は、自分に自信が持てなくなりました。

吃音親子サマーキャンプとの出会い
 そんな私にも転機が訪れました。高校に入って間もない頃、母に連れられて、今も通っている大阪スタタリングプロジェクトの「大阪吃音教室」に行きました。そこは、「治らないどもりを治そうとするよりも、どもりと上手につきあっていこう」というスタンスでしたが、当時の私には、その言葉を受け止めることはできませんでした。
 その夏、日本吃音臨床研究会主催の『吃音親子サマーキャンプ』に参加しました。そこには、小学生の子どもから私と同じくらいの年齢の人も参加していて、私には、その人たちの笑顔がものすごく輝いて見えました。同じ吃音で、同じような辛く悲しい経験をしているはずなのに、どうして、そんなに笑って、キャンプを楽しめるのかとすごく不思議でした。キャンプでは話し合いの時間があり、初めて同年代の人の吃音の悩みや苦しみを聞きました。それまでは、周りにどもる人はいませんでした。キャンプで初めて同じ苦しみを分かち合える仲間に出会え、ほっとしました。キャンプに続けて参加する中で、人間不信が少しずつなくなっていきました。サマーキャンプに参加するようになって、大阪吃音教室の「どもりとつきあう」が少しは理解できるようになり、どもりを受け入れようと思えるようになりました。
 それは、「どもりをなんとか治したい」と長い間思っていた私にとって決して楽な道ではありませんでした。私も、サマーキャンプの友達のようにどもりながら、笑って毎日を過ごしたいと強く思っていたので、サマーキャンプの友達と、私との違いは何だろうと真剣に考えました。そして、思いついたのが、彼らはどもりを受け入れているんだ、ということでした。本当のところは今でも分かりませんが、当時はそう思いました。

どもっても言い換えない
 どもりを受け入れるには、どうしたらいいんだろうと考えた末、私が思いついたのは、どもっても言い換えをしないことでした。これまで、言いにくい言葉や表現は、言いやすい言葉や表現に言い換えていました。言い換えをしている自分は、自分の本当の気持ちを言っていないと思っていたので、「言いたいことはどれだけどもろうと、どもりながらでも言おう」と決めました。言い換えをせずに、どもりながらしゃべっている私は、どもりを受け入れていることになるんだと思っていました。
 それから数年後、あることで「私はどもりを受け入れているんだ」と思っていたことが、実は無理やり思い込んでいたということに気づきました。「言い換えしないことが受け入れること」と考えていたことが意味のない、バカな事をしていたんだとかなり落ち込んでいました。

仮の受容
 そんな時、日本吃音臨床研究会発行の機関紙の巻頭言で伊藤伸二さんが『仮の受容』ということについて書いている文章を読みました。この文章を読んでると、強がりでもいいから「どもりを受け入れている」と思うことが、吃音の受容につながるという文章をみつけ、今までの強がりながらどもりを受け入れていると思っていたのは無駄なことではなかったんだと、そしてこれまでは、『仮の受容』をしていたんだと気づき、ホッとしました。
 『仮の受容』を読んでから、言い換えはどれだけしても嫌にはならなくなりました。よくどもる私がどもりとつきあい生活するには、言い換えは必要不可欠なことだと思えるようになりました。どんな時も言い換えずに言うとは決めていても、実際多少は言い換えをしていたのですが、言い換えをせずにどもったら、そこで否応なく話が中断されます。日常会話では内容と同じくらいテンポも大事だと気づいたので、テンポが大事かなと思える場面では言い換えをしています。そして、大事な、その言葉がないと話が進まないとか、どうしても言いたいことは、言い換えをしなければいいと思っています。そんなこんなをしているうちに、「どもってもいいかな」と思えるようになりました。

どもりでよかった
 今は、毎日がとても楽しいです。でも、私がそう思えたのはつい、何年か前のことです。まだまだ悩まなくていいところで悩んだり、本当はしなければならないことを、やらなくていいように自分を納得させる方法が身にっいていて、それが邪魔をすることが多々あります。それでも、「大阪吃音教室」でたくさんの仲間に出会って、助けられています。
 吃音親子サマーキャンプに参加して、「どもりでよかった」と思えたことが私にとっての最高の財産で、幸せです。今では、そのキャンプにスタッフとして参加しています。キャンプで、どもりながら話している私をみて、「どもってもいいんだ」と私自身がかつてどもる大人をみて感じた事を伝えられたらいいなあと思っています。
 私はどもりそのものではないけれど、どもりがあってこその私だと思えるようになれました。このことがどもりを通じて得たものです。《発表原稿》

  宮崎に行って来ました
                          あやみ
 2004年11月5日、宮崎県精神保健福祉センターで行われた【第2回セルフヘルプセミナー】に、大阪スタタリングプロジェクトの会員として、体験を発表してきました。
 私が宮崎まで行くことになったのは、2月7日、大阪ボランティア協会で行われた【第15回セルフヘルプグループ・セミナー】に参加し、午前の部で私が発言したことを、宮崎でセルフヘルプ支援センターを立ち上げた方が聞いていて、4月中旬に体験発表とシンポジウム出席の依頼がきたのです。

 「あやみさんは、どもってるから宮崎に行けるんやで」「宮崎ではどもっておいでや」と言われたことで、胸のつかえがとれました。それまでは、「どもってもいい」という趣旨で活動をしていても、宮崎で思い切りどもったら、自分の言うことが伝わらない。できるだけどもらずにしゃべらないといけないと思っていました。「どもっておいで」はどもらないとしゃべれない私に、至極当たり前のことを思い出させてくれました。その言葉があったから、私はがんばれたんだと今振り返ってみても思います。
 予行演習のつもりの吃音ショートコースでは、ひどくどもって、予定原稿を最後まで読めませんでした。原稿を読んでいる私に、「読んでもいいが、前も向いた方がいい」「原稿は大きい字で印刷したら」など指摘をしてもらいました。
 宮崎でも最後まで読めない時のために、発表の内容を資料として入れてもらうことにしました。
 発表の当日、午前中は基調講演。午後からが親の会、本人の会、きょうだいの会、などの体験発表とパネルディスカッションでした。
 昼の休憩の時に、発表者全員が顔を合わせ順番を決めました。私は早く緊張から逃れようと思い、トップバッターで発表しました。
 初めて、大阪吃音教室や吃音ショートコース以外で発表します。セルフヘルプグループに関心のある人たちとはいえ、吃音を理解する人が前提ではない、大勢の前での発表にものすごく緊張しました。60名程が大きな会場にぽつぽつと分かれて座っていたのが幸いしました。視線を集中して浴びないし、前方を向いてしゃべり、右を向きながら会場の人達の顔を見ながらしゃべったこともあり、どもっても割とすぐに声が出てきて、手を振り回して随伴を使いながらしゃべる余裕も出てきました。
 予定の時間の20分を30分かかりましたが、発表原稿を全て読みきることが出来ました。発表原稿を読み切ったことで安堵と達成感が沸いてきました。この日のために、私は半年がんばったんだという達成感を味わいました。
 体験発表の後のパネルディスカッションでは、体験発表で会場の人が温かく聞いてくれた安心感からか、ほとんどどもらずに話が出来て、私としては、思い切りどもると想像していただけに、どもらなければそれはそれでちょっと残念な思いでした。私自身回答する予定外の質問にも、気がついたら手を挙げて答えていた自分には、正直驚きました。
 この発表の依頼を受けたときは、当日は何を言ってるのか分からないくらいどもる場面を想像していて、怖かったのですが、「どもっておいで」という言葉で、その想像を吹っ切ることが出来、又、そうならないためにも事前に準備をきちんとしたことが実を結んだんだと思います。こんないい経験ができたのも仲間のおかげです。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/09

生きた見本の力

 初期の頃の、吃音親子サマーキャンプで出会った二人の体験を紹介します。出会ったのは、一人は小学生のとき、もう一人は高校生のときで、二人ともすでに結婚し、青年の域を少し超えている人です。長いつきあいを思います。
 吃音に悩み、考え、自分で生きる道を選んでいった子どもたちです。この子どもたちの生きる姿が、次に生きる子どもたちへ受け継がれていくよう、僕は、これからも伝えていきたいと思っています。
 「スタタリング・ナウ」2004.12.18 NO.124 の巻頭言を紹介します。


  
生きた見本の力
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 どもる体験によってだけ、どもる人は悩むのではない。どう生きていけるか、未来像がもてないことが、本当の悩みなのではないか。子どもの頃聞いた歌は数え切れないほどあるのに、宮城まりこが歌っていた「ガード下の靴磨き」の歌が、私の心にいつまでも残り続けていたのは未来が見えない苦しみへの共感だろう。
 「赤い夕陽が、ガードを染めりゃ・・」で始まるその歌の「風の寒さやひもじさは、慣れているから負けないが、ああ、夢のない身がつらいのさ」の歌詞の、夢のない身がつらい少年の気持ちが痛いように私の胸に迫った。涙がいつもにじんだ。
 自分の名前も言えず、音読も発表も人並みにできない僕に、どんな人生が待っているのか。どもりながら大人になって、仕事をしているイメージが全くもてなかった。未来像が描けないと、未来に向かって努力できるものではない。私は、勉強だけでなく、思い切り遊ぶこともせず、クラスの役割も果たさずに、勤勉性のない学童期を生きた。
 吃音親子サマーキャンプは今年で15回目となった。そのキャンプで私たち大人は、どもる子どもたちに、「どもっていたとしても、君たちの未来は閉ざされたものではなく、明るく開かれている」ということを、自分の人生を生きた見本として提示しながら、一所懸命伝えようとしてきたのだろうと思う。だから、吃音を治し、改善するという試みは一切しないで、どもりながらどう生きるかを一緒に考え、その力を子どもたち本人が身につけていって欲しいと願って、活動を続けてきた。
 15年間に私たちが会った、小学生、中学生、高校生は、大変な数にのぼる。その中で、小学4年生のときから10年連続して参加したのがまさき君で、高校1年生から参加し、途中少し抜けたが8年参加しているのがあやみさんだ。
 このふたりが期せずして、この秋の吃音ショートコースの発表の広場で、自分の体験を話すことになった。ふたりの発表を聞きながら、初めて出会った時のことを思い出していた。
 まさき君とは、今年2月、オーストラリアで開かれた第7回吃音者国際大会に一緒に参加した。その期間中に、彼はゆっくり話ができるいい機会だ、話を聞いて欲しいとホテルの私の部屋を訪れてきた。その時初めて、彼が子どもの頃から持っていた声優への夢を聞かされた。どもるからとあきらめようとしたがあきらめ切れず、夢を阻む吃音が憎いと思ったことなど、素直に自分を語った。吃音によって夢が阻まれるのは、長年吃音に取り組んできた私にとってもつらいことだ。
 夢に向かって無謀に突き進むというのではなく、堅実な人生計画を持ちながらも、幼い頃からの夢もあきらめたくないという現実的な姿勢に、安心もした。どもるからと未来を閉ざす必要はない、夢をあきらめないで追求することもひとつの生き方だと思うと、私も率直に私の考え方を彼に話した。届かぬ夢とは言い切れない。現実にどもる人で、落語家、俳優、アナウンサーなど話すことを仕事にしている人は少なくないのだから。
 あやみさんは、宮崎市で話をする予行演習を、吃音ショートコースの発表の広場でした。大阪で開かれたセルフヘルプグループのセミナーで、どもりながら、大阪スタタリングプロジェクトについて話す彼女の姿に共感した宮崎県の実行委員会から、宮崎で行われるセミナーでも話して欲しいと依頼があった。大阪のグループの活動の中では、よく私に叱られている彼女だが、自分の娘が他人から認められたようで面映ゆかった。宮崎市からの正式な依頼があってからの彼女は、真剣に体験発表に向き合った。これまでの吃音との関わりをまとめ、原稿にして何度も私に送ってきた。誠実に取り組む姿勢がうれしかった。
 ふたりに共通することがある。どもってもいいと思えたり、吃音を否定したり、揺れながら成長していっていることだ。揺れ動くとき、常に大人の私たちが寄り添っていた。ふたりとも、自分がしてもらったように、今度は自分が子どもたちの見本になりたいと思っている。うれしいことだ。
 二人の心の旅路につきあっていただきたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/06

交流分析と吃音 2

 大阪吃音教室の2024年度が昨日、新しい会場である大阪ボランティア協会のセミナー室で始まりました。初参加者5名を含む17名の参加がありました。ホームページを見た人や僕の開設している吃音ホットラインに電話をくださった人たちが、吃音という共通項で集まりました。これから1年間、互いの経験を出し合い、吃音と上手につきあうことを探っていきたいと思います。
 昨日のつづきを紹介します。
 同じ程度のどもる状態であっても、深刻に悩む人もいれば、全く悩まない人もいます。吃音をどうとらえ、どう向き合うかによって、大きく影響を受けることもあれば、全く日常生活に支障がないこともあります。吃音と上手につきあうため、交流分析は、大きな強い味方になってくれます。

2001 吃音ショートコース 対談 2
            交流分析と吃音
                       杉田峰康・伊藤伸二


「どもってもいい」と心身医学の発展の歴史

杉田:自由を妨げるのは〈禁止令〉です。禁止令は非常に多くの場合、「べき」が中心にあって、「こうしなければいけない」、「完全でなければならない」、「完全に健康でなければならない」という完全神話が背景にあります。「べき」から自由になる必要があります。時々、べきを全部外す練習なんかもいいと思います。小さい頃から親や先生や、マスコミが言ってきた、一見「べき」にみえるものを外して生きてみたらどうなるか。
 例えば、「節約すべきである」。節約は大事なことですが、あまり「べき」が強くて、電気を消すべきだと考えすぎると、老人がいる家では、家庭の中でつまづいたり、ぶつかったりして怪我をする。お年を召したら、「節約しろ」から少し自由になって、電気ぐらいは自分の人生で怪我しないために、明るくする。定年退職した人で、お金はたくさんあるのに、「節約しよう」とばかり言う人は、「楽しんではいけない」という禁止令に縛られて、うつ病になります。停年後は、自分の人生の重荷を歯を食いしばって生きていく生き方からも自由になることも必要ですね。
 「吃音は悪いもの、劣ったもの」というメッセージを、自分たちの時代で修正して、次の時代に渡さないということは非常に重要だと思います。世代継承をしない。次の子どもに私と同じ苦しみを味合わせない。禁止令から自由になりましょうということ伝えていきたいものです。

伊藤:どもる人のセルフヘルプグループの活動の中から、真実に目覚めた人間にとって、そういう役割が大事だと思っています。吃音の取り組みの大きな流れは、どもりで悩んでいる人と出会うとやっぱりかわいそうで、治さなきゃならない、と揺れている。そして、「治すべきだ」となる。その中で、僕らの姿勢が、あまりにもかたくなだと言われても、少なくとも日本吃音臨床研究会だけでも、きちっと歯止めをかけたい。油断をすると、やっぱり「治すべき」という方向にいきます。臨床家として、セルフヘルプグループの世話役にとっても、治したいという人に「辛いよね、やっぱり治した方がいいよね」は楽だからつい言ってしまう。治したいという人に、「どもってもいい」はある意味でエネルギーのいることなんです。

杉田:これはある意味で、心身医学の発展の歴史でも同じだったといえましょう。

伊藤:あー、そうなんですか。

杉田:内科の領域に心理学を入れるなんて、と従来の医学の抵抗がありました。私の恩師の池見酉次郎先生は、内科の領域に心理学を入れて、心身一如の立場から人間を全体的に見て、病気を心と体の両面から追究しようとされました。心療内科が出来た当時、暫くの間、心療内科は科学的でないなど厳しい批判も受けましたが、今日では、心身症は常識になって、21世紀は心身症という言葉すらなくなるであろうといわれます。何故かというと、全ての病気が心と体が互いに関係するので、身体、心理、社会環境、さらには生態学を含めて、全人間的なアプローチをしなければならないからです。いろんな意味で医学教育と医療制度にもチャレンジし、今はだいたいどこに行ってもストレスがもとに病気がおこることが認識されてきています。心身症医を標榜されて開業なさる先生方も増えております。しかし、ときどきマイナスの面も起こります。なんでもかんでも、心から起こると言って、一種の新興宗教みたいに患者さんを集めて治療することは、いうまでもなく誤りです。心療内科の歴史は長い主体性確立の歴史でした。
 不登校も同じようなところがあります。親の育て方が悪いと母親を悪者にする。父親も非難されることも時々ありますけれども、そもそも不登校の本当の原因はわからないんです。10人10色ですね。それを悪者探しで、何々がいけないと決めつけていた。そして、「学校へ行け」と登校刺激を与えるが、ある子どもは行けても、大部分の子どもは行けない。このように従来の教育の方法ではよけい行けなくなるからと、文科省も登校刺激を与えないようにと指導しています。学校へ行けと言わないで親子の関係を改善すると、結果はずっといい。今、学校にようやくスクールカウンセラーが入り始めて、全体的にものを見て、人間関係を良くして、生徒の立場から気持ちを理解しようとするといい結果が出始めました。
 お母さんは「あんたが学校へ行っても行けなくても大事な人間よ」と、休んでる間に、一緒にご飯食べたり、遊んだりする。子どもが休んでるときに、「単語くらい覚えなさい、教科書くらい開けなさい」などと、学校の延長の様なことを続けないで、思い切って心のふれあいを回復する。私は可愛がられて大事な人間だ、人間として産まれてきて良かった、愛されてるんだと、お母さんお父さんとのふれあいで感じ取ると、多くの子どもがモゾモゾと動き出すんです。親の期待する学校に行くか行かないかは関係なく、どこへ出しても、この子は生きていけると信頼する。学校へ行きたければ20歳になってからでも、もう一回高校行ったっていいんですものね。そういう生き方を選べるようにしっかりした心を育てるように指導していくのは、皆さんの考え方と似ているんではないかと思います。
 おそらく、今までの吃音を治す方法では、症状が一時良くなっても、根本的な自分の人生観や考え方が手つかずでは、劣等感や自己否定感情が残ります。思い切って、根本的な問題である人間関係や、親子の心のふれあいを回復することが大切ですね。

伊藤:そうですね、不登校や拒食症状を吃音に置き換えれば、十分考えられると思います。交流分析や心身症の治療に関わってこられたご経験から、吃音について何かご質問いただけますか。

「治したい」から、「そのままでいい」へ

杉田:吃音の人の何人かは、治すことを中心とした民間吃音矯正所に出入りされていました。しかし、今日では、そうしたクリニックも、だんだんに全人間的な立場に変わってきているようです。しかし、今だに、やはり、リラックスしてみんなの前で話させるとか、言語の修正が中心で、ありのまま生きるところまでは行ってないと思うんですね。私が一番伺いたいのは伊藤さんがどういういきさつで今の到達点にお立ちになったかですね。

伊藤:私たちも最初は、治したいにばかり縛られてたんです。どもっている自分は仮の人生で、どもりが治ってからが本来の自分なんだと。治りたいと思い詰めて一生懸命治す訓練をしました。私はどもりが治ると宣伝する吃音矯正所で4ヶ月一生懸命治すために頑張ったんですが、治らなかった。私だけでなく、同じ時期に治療を受けた300人ほどの全員が治らなかったという事実に向きあうと、これまでの、「どもりは治る」という情報は何だったんだと、疑問がわきました。ひょっとしたら、どもりは治らないのではないかと思うようになりました。治らないものに対して、治そうとしている。そして、治さなければならないというメッセージをずっと子どもの頃から与えられ続けてきた。この「治る、治せる」という呪縛から抜ける必要があったのですが、簡単なことではなかったですね。

完全主義

杉田:交流分析から言えば、間違いなく〈禁止令〉ですね。呪いですね。完全でなければいけないとか、治っていない事実があるのに、事実でないものを一生懸命追いかけて、「完全たれ、完全でないのはダメ人間」と追いつめる。

伊藤:そうですね。どもる人が自分の言語生活の中で、どれだけどもっているのかを計ってみると、もちろん症状の重い人も色々様々ですが、多くの人は、例えば、10%くらいしかどもってないことが分かる。それを「話すからには完全でなければならない」と考えると、90パーセントのどもらない部分を見ないで、10パーセントが許せなくなる。完全主義がすごく強い。紀元前560年ごろに、どもりを治して、大雄弁家になったデモステネスに憧れて、吃音の専門用語で、デモステネス・コンプレックスというのがあるくらいです。完全主義、完全癖と言っていいのでしょうか。それがどもりの大きな問題なんです。

杉田:心身症の中にも、性格的には自我不確実感を持った〈完全主義〉の人が多いんです。それを一応、言葉では強迫性格、強迫傾向と言っていいと思います。たとえば、ものごとをとことん調べないと気がすまない、汚れたら徹底的にきれいにしないと気がすまないとか、極端になりますと、一日中、お掃除をしてる。石鹸を一日に2個くらい洗い流して手を洗わないと気がすまない。これらのこだわり、とらわれの完全主義の背後にあるのは不安ですね。不安恐怖です。そこでの不安恐怖に対する防衛がなされますが、防衛がうまくいきますと、補償というかたちになります。デモスネスの話がありましたけども、とにかく完全にしゃべろうとして、頑張って成功した例ですね。例えば、田中角栄さんは小学校しか出なかったが、ものすごい努力をして、総理大臣になった。ある意味で、成功した例ですよ。でも、その頑張れ、頑張れというのは結局、不安と恐怖ですよね。1%か2%の人が大成功者にあこがれるのでしょうけども、元々は完全主義の自分に対する恐怖と不安に対するが中核にあります。病的になって、「完全にしゃべらなきゃいけない」というと、強迫ノイローゼの一種ですよね。それに失敗すると、自分を責める。ダメ人間、というような、どこかで共通した因子があるんじゃないでしょうかね。
 日本人にはこういう傾向は多いそうですね。物事や体の状態にこだわって、とらわれる森田神経質といわれる性格特性ですね。私の恩師の池見先生はこのタイプだったんです。私が最初にアメリカから帰ってお会いしたとき、私にとって印象的なのは、「杉田さん、私は対人恐怖なんです」と言われたことでした。その時、先生が、慶応大学で講演をするのを聞いたのですが、大変、立派な講演でした。「先生、今日の講演は本当に感銘深く受け止めました」と申しましたところ、「杉田さん、私は対人恐怖で、若い頃から、森田正馬先生のところに通って、ありのままの生き方を受け入れたんです。私が心療内科を作ったのは、私の弱点を克服して、他の人びとに同じようにこういう形で、ありのままで生きる生き方を示したいからです」と話されました。

伊藤:この前、お亡くなりになりましたけども、晩年は対人恐怖は無くなったんですか。

杉田:いいえ、依然ありましたよ。でも、先生はそのことをお認めになって、対人恐怖だけれども、あるがままで生きる。生の欲望が強いから、それだけこだわるんです。そのエネルギーがちょっとゆがむとこだわれるという形になるとよく言われました。池見先生ご本人も不眠症で、過敏性腸症候群で、下痢や便秘で長い間、苦労なされました。でも、下痢をしても体重は減らないんだと発見された。医者として、便通にこだわる自分も含めて色々調べてたら、ストレスを与えると腸が痙攣して下痢になりやすいと分かった。緊張やこだわりが関係するので、森田先生に学んだ、あるがままの生き方を、不眠症、過敏性腸症候群、対人恐怖にもあてはめていかれたわけです。

伊藤:僕らが困るのは、田中角栄やデモステネスなどの一部の成功者なんです。それを例にだしながら、自分も治ったという人が、「私はどもりを治した、あなたも治るはずだ」と圧力をかける。僕らが「どもりは治らない」と言うと、「治った人がいるじゃないか」という。治った人がいるかもしれないが、ごく一部の成功者を挙げて、「治った人もいるじゃないか」と言われても困るんです。僕は、「宝くじだって当たる人はいる、ほとんどが当たらないだろう」と宝くじを例に出します。

杉田:認知の大きな歪みの一例ではないでしょうか。「結論の飛躍」ですね。体育系の人が生活指導で、「朝起きて運動して、腕立て伏せ50回して頑張って県大会に出た。俺に出来ることは君らに出来ないはずない。俺も学校行きたくなかったけど、耐えてやったんだ。この忍耐が君らに出来ないはずはない」などと、例外を全部一般化するのはおかしいのです。「学校に行けなかったら、思い切って汗かいて運動場の一つも走ってこい」こうした教育はその人には役に立っても、体の弱い人に無理なのです。運動場を走らせたら、倒れてしまう。結論の飛躍です。例外は例外と認めず、例外を全部、「俺の通りにやればいいのだ」というのは一種の強要、強制で、それは認知の歪みから来ると思います。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/14

私の長所はどもりです

 「就職の面接をどもらずに乗り越えたい、なんとかならないか」
 就職面接を控えた人からの電話相談を受けることがあります。就職面接は、人生の中で大きなことなので、なんとかどもらずにやり過ごしたいという気持ちは分からないわけではありません。でも、面接だけどもらずに通過したとしても、それからの長い仕事生活の中で、どもらないで生活できるはずもありません。そんな電話相談に、僕は、面接では自分のことを知ってもらうのが一番なのだから、どもっている自分を見てもらうことが大事なのではないかと返します。そうですねと言う人もいるけれど、納得できずに電話を切る人もいます。
 今日、紹介する「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 では、もう一歩踏み込んで、履歴書の長所欄に「私の長所はどもりです」と書いてはどうかと提案しています。それは、僕の個人的な意見だけではなく、どもる人たちとのワークショップで実際に出会った二人の女性の体験を聞いて、考えたことでした。
 自分の吃音のことを「特別感がある」と表現した小学5年生もいました。
 また、日本吃音臨床研究会のホームページの動画のコーナーで、吃音と就職について、様々な質問に答えています。よかったら、のぞいてください。
 「スタタリング・ナウ」2004.6.19 NO.118 の巻頭言「私の長所はどもりです」を紹介します。

  
私の長所はどもりです
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「私はどもります」と履歴書に書いた方がいいか、書かない方がいいか、今年高校を卒業した安野君が大阪吃音教室でどもりながらみんなに尋ねた。「君くらいどもっていたら、わざわざ書かなくても面接者はすぐに分かるよ」という外野の冷やかしもあったが、これまでひどくどもっていたときに無視されたり、誤解されたりした経験から、履歴書に書きたい気持ちはよく分かるので、「長所の欄があって、そこに書くのなら賛成だなあ」と冗談ではなく、私は本気で答えていた。
 どもりに悩み、真剣に自分について考える。ひとつのことにしっかりと悩み、考えてきたことは、その人にとって実績だ。また、悩みの中からわき上がってくる、サバイバルとしての工夫や努力は、その後の人生に大きな長所になりうると思うからだ。
 先日、東京スタタリングネットワークが企画した一泊二日のワークショップに行ってきた。その中でも、ひとりの女性から就職活動の中で履歴書にどもりのことを書くかどうかの話が出された。そのことをきっかけに、吃音のプラスの面について話し合ったが、二人の女性の話がおもしろかった。
 ひとりは、どもりは絶対に面接で有利だと言った。面接のときには、流暢にしゃべる人よりも、面接者は彼女のどもりながら、必死に話す真剣さに引き込まれてしまうのだと言う。それが一度や二度の経験ではないとの話に、私はうれしくなった。
 もうひとりの女性は、販売の仕事にどもりは有利だと言った。そして、やはり面接試験でかなりどもっていても、「あなたの笑顔がとても素敵ですね」と言われて、ほとんどの面接試験で合格するのだと言う。彼女は子どもの頃、消極的で、問いかけられても、いつもにこにこしているしかなかった。その、子どもの頃にはやむなくだったかもしれない笑顔がその人のからだに沁みていき、素敵な笑顔が財産となった。どもるからつい話を聞くことの方が多くなり、お客の好みに誠実に向き合う。一度来た人の好みをよく覚えており、驚かれ、喜ばれると言う。吃音に悩んできたからこそ、人に優しく、そして思いやりが人一倍ある人になったのだろう。
 ワークショップの翌日、東京・八王子市の第六小学校で、どもる子どもと保護者と、ことばの教室の担当者との懇談会に呼ばれていた。子どもとの話し合いの時間に、「どもりでよかったことは何ですか」と質問を受けた。子どもとの話し合いなので、「世界のどもる人と友だちとなったことかな」と答えたが、親との懇談会では早速前日に会った女性の話をしていた。
 高度経済成長期の時代には強さやたくましさが必要とされたかもしれない。しかし、バブルが弾け、マイナス成長になった今は、弱さはマイナスではない。優しさ、思いやりの時代がきたのだとと思う。老人介護や障害福祉関係の職場は、以前よりは格段に広がっている。また、教育の世界でも子どもを威圧する強い教師の時代は去った。
 私が吃音親子サマーキャンプなどで出会うたくさんのどもる子どもたちは、ときにいじめられ、からかわれ、他人と違うことによって悩む。その悩みの中から、子どもたちはやさしく、思いやりのある子どもに育っている。この子どもたちが、福祉関係の仕事、販売、接客等のサービスなどの仕事につくと、いい仕事をするだろうなあと思う。
 小学校2年のとき吃音に悩み始めてから私は何事に対しても消極的だった。何かに挑戦するという薪(まき)が手つかずのまま残っていたのだろうか。どもりが治ることをあきらめた後の私は挑戦者になっていた。1965年、日本で初めてセルフヘルプグループを作る。1986年、世界で初めて国際大会を開く。1975年、全国吃音巡回相談会で35都道府県に出掛けるという今では考えられないことに挑戦できたのも、吃音に深く悩んだできたからだろう。
 吃音はプラスの面があると言い切った二人の素敵な女性も私も、最初から吃音をプラスと思ったわけではない。吃音は治らないとあきらめ、どもる事実を認めたとき、これまでマイナスだったことが一気にプラスに変わっていく。オセロゲームの黒いコマが一瞬のうちに白に裏返っていくように。
 私の長所はどもりですと言う人が増えれは、どもる人や子どもは随分生きやすくなることだろう


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/09

第7回吃音の世界大会 基調講演〜吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動38年間と新たな方向について〜

 2003年に開かれた、第7回吃音の世界大会で、僕は、基調講演をしました。
 演題は、「吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動の38年間と新たな方向について」でした。吃音を治療の対象としてみる発表が多い中、おそらく僕の講演は異色のものだったでしょう。でも終わってから、たくさんの拍手をもらい、それなりの手応えも感じました。治したい、治るに越したことはない、でも、治らない現実を前につきあっていくしかないのだろうなと思っている人たちがたくさんいるということだろうと思いました。基調講演として発表したものを、紙面の都合で一部要約したものを紹介します。

基調講演
  〜吃音とつきあうセルフヘルプグループ活動の38年間と新たな方向について〜
            伊藤伸二 日本吃音臨床研究会(日本)

吃音は変化するもの
 私の、吃音に悩み苦しんだ21歳までの人生と、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを設立して活動し始めてからの38年の人生は、大きく違います。38年間の活動の中で出会った数千人の人たち、14年間続けている吃音親子サマーキャンプに参加した多くの子どもたちも、私同様に大きく変わりました。
 「吃音は自然に変化し、どもる人の吃音に対する考え方や態度も変化する」と、私は確信するようになりました。吃音の変化は、専門家の治療を受けるか受けないかではなく、その人に内在する「変わる力」によって起こるのでしょう。現実に多くの人が、専門家の力を借りず、様々な要因によって変化してきました。
 そもそも、吃音は変化するのが大きな特徴です。幼児期には自然治癒がありますし、どもったりどもらなかったり、大きく変動します。学童期の子どもも、充実した楽しい学校生活で変化していきます。成人にも波があり、どもる場面とそうでない場面があります。また、私が直接出会った大勢のどもる人の中には、あまり変化のない人もいますが、以前よりはどもらなくなった人にも多く出会います。それらの人は、治療や言語訓練は一切しておらず、したい仕事に就いた、楽しい豊かな人間関係があった、話さなければならない立場になったという人たちです。

私の吃音人生
 私は、小学2年生の秋の学習発表会の劇で担任教師から、セリフのある役をはずされたことで、吃音を「悪いこと、劣ったこと、恥ずかしいこと」とマイナスに意識したことから悩み始めました。21歳のとき、民間吃音矯正所で4か月治療を受けましたが、私を含め、一緒に受けた300人全員が治りませんでした。しかし、私にとって良かったのは、「吃音は治る」という幻想を捨てられたことと、どもる人に出会えたことでした。
 私は1965年、出会った仲間とどもる人のセルフヘルプグループを設立しました。その後、どもる事実を認め、吃音を隠さず、話すことから逃げなくなると、できないと思っていたことが思い込みであり、どもっていてもできることがわかりました。相変わらずどもっているのに、吃音に対する嫌悪感や罪悪感がなくなり、吃音にはあまり悩まなくなりました。
 これだけでも大きな変化ですが、吃音そのものも変化し始めました。「どもっていては教師になれるはずがない」と思っていたのが、セルフヘルプグループの活動で自信を得た私は、言語障害児の教育にあたる、公立小学校の教員を養成する国立大学の教員になりました。大学では、どもりながら講義をしたり、大勢の前で講演しました。どもりながらも積極的に人とかかわる生活のためか、治そうとしていた時は全く変化がなかったのが、治らないもののどもり方が変わりました。
 このようにどもることが問題ではなくなった私や大勢の仲間の経験から、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ」と確信するようになりました。この考え方を検証するために、私は北海道から九州、35都道府県、38会場で吃音相談会を開きながら、悩みの実態調査をしました。短期に集中して400人ほどの人と出会えたことで、革命的とも言える大きな発見をしました。
 どもる人全てが悩んでいる訳ではなかったのです。グループも知らず、治療も受けず、どもりながら明るく健康的に生きている大勢の人々と出会ったのです。自分が深く悩んだ経験と、多くの人の悩みを聞いてきたことから、「吃音は深く人を悩ませるものだ」と思っていました。その固定観念が破られました。
 私たちは、周りから与えられたり、自分自身が貼ってしまう「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」という烙印(らくいん)、スティグマによって悩んでいたのだということも、悩みの調査の中で明らかになりました。

吃音親子サマーキャンプ
 子どもの頃に吃音をマイナスに意識しないことが大切だと、私は小学生から高校生までを対象にした、吃音親子サマーキャンプを開催し、今年で15年目になります。最近は150名近くが参加する大きなものになりました。吃音について話し合い、どもりながら劇を上演する取り組みの中で、子どもたちはどんどん変わっていきました。私たちがどもりながらキャンプを楽しく運営する姿に接し、「どもってもいいのだ」と子どもたちは肯定的に吃音をとらえるようになったのでしょう。どもっても学校の中で朗読し、発表をし、意見を言うようになりました。「日常生活を丁寧に、大切に生きる」ことで吃音の症状そのものも変化していきました。この日常生活に出るのを阻むのが、「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」というスティグマです。このスティグマをはがすことで、吃音とつきあう道が開けるのです。「吃音を治したい」は、吃音に苦しむ人の自然な思いなのですが、私たちは次の事実に向き合う必要があります。
 ーN鼎鮗けるか受けないかにかかわらず、治っていない人が多い事実
 原因も分からず、有効な治療法がないという事実
 5媛擦貿困鵑世蝓⊃誉犬鳳洞舛鮗けるには大きな個人差があるという事実
 この3つの事実に向き合うと、吃音を治すのではなく、吃音と上手につきあうことを目指すことが、現実的な吃音への対処だと気づきます。そして、私たちは、どもりながら、豊かな人生を送ることができることを社会に知らせていく必要があるのです。最近、私は、またよくどもるようになりましたが、悩むことはもうありません。一度身についた吃音への考え方、態度は、吃音症状が変化しても変わることはありませんでした。


日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2024/03/31

どもらない人

 長年、年に一度、テーマを決めて、その道の第一人者をゲストに招き、吃音ショートコースと名づけたワークショップを開催していました。「吃音」という名前がついているのに、吃音とは全く関係がない講師陣で、どもらない人も多く参加する不思議なワークショップでした。吃音とは関係ないものの、生きることやコミュニケーションについて真剣に考えたい人たちが参加していました。
 今、日本吃音臨床研究会の発行する毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」を、どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもとかかわる仕事をしている人のほかに、吃音とは何の縁もない人が購読してくださっています。吃音を言語障害ととらえてしまうと、治療の対象にしかなりませんが、どう治すかではなくどう生きるかだととらえると、人にとって、普遍的なテーマになり得ます。吃音のもつ大きな力を思います。
 「スタタリング・ナウ」2004.1.24 NO.113 の巻頭言は、そのままズバリの「どもらない人」です。紹介します。

どもらない人
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 いろんな人の人生や実践に触れ、これまで考えてきたことやしてきたことを振り返ったり、点検したりする時間。自分自身の思索が深まったり、広がったり、確信がもてるきっかけとなる。吃音ショートコースの3時間の実践発表の時間は、私にとってとても大切な時間だ。
 今年の発表は例年に比べて9件と多く、ひとりあたりの時間がかなり短めにならざるを得なかったが、それぞれの発表者が、その制限の中で、自分の人生や吃音指導の取り組みを語って下さった。人と人との出会いの不思議さと、その出会いが意味のあるものになっていくうれしさを実感する。
 私は、どもる人のセルフヘルプグループのミーティングにひとつの理想を抱いていた。それは現在も変わらずに持ち続けていることで、どもる人と、どもらない人が半々参加するようなミーティングだ。だから吃音ショートコースも、吃音とは直接は関係のない人が、私たちの活動に関心や興味を持って下されば、できるだけ幅広く参加して欲しいと願ってきた。
 だから、どもる人が多かった第1回の吃音ショートコースから、回を重ねるにつれてどもる人以外の参加が増えてきたのはうれしいことだった。その時のテーマで割合は変わるが、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのお二人がゲストの時には、どもらない人の方が圧倒的に多いといううれしいことが起こった。どもる人が中心のグループに、ことばの教室の担当者や親などの吃音関係者だけでなく、吃音にこれまで全く縁がなかった人が参加するには、そのテーマが魅力的なものでなくてはならない。
 どもる人たちが、吃音が治ることや改善を中心的なテーマとしていたのでは、このようなことは起こらない。30年以上も前から提唱している「吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかにつきる」という私の主張に多くの人が共感して下さっていることの証でもある。
 吃音とは縁もゆかりもなかった高校の教師掛谷吉孝さんは、吃音ショートコースだけでなく、吃音親子サマーキャンプの常連で、私たちの活動になくてはならない存在になっている。
 その、夏の吃音親子サマーキャンプには、掛谷さんだけでなく、吃音とこれまで全く縁のなかった人たちがスタッフとして参加して下さる。一ヶ月後、参加できる関西地方の人が集まって、打ち上げ会を開いたが、16人の参加者の中の半数が吃音とは何の接点もない人だったことに、参加者はびっくりしたのだった。
 その時もキャンプをふりかえる中で、どもる経験のない人たちが、どもる子どもたちのことを、自分の子どもやきょうだいのことのように、こんなことがあった、こんな顔をしていたなどと、報告し合い、豊かな楽しい時間を共有することができた。吃音の臨床家でも、どもる人本人でもないこれらの人々が、私たちの活動をおもしろがり、楽しんで、仲間として一緒に取り組んで下さる。ここに吃音のもつ魅力があるように思う。
 大阪吃音教室にも吃音ではない人が参加する。先だっても、ある会合で知り合った、対人関係が苦手で、大学を卒業しても就職できないと思っていた大学生が参加した。その日のテーマはインタビューゲームで、多くの参加者の体験が話された。どもる人たちが、悩みや恐れを持ちながら仕事を続け、また就職活動をしようとしている姿に接し、その学生は自分が恥ずかしくなったと言う。翌日から就職活動を始め、無事、就職試験に合格したものの、やはり働けるかどうか、不安で一杯になる。しかし、また参加した吃音教室で、どもる人たちの「どもりが治らなくても〜する」という姿勢に接して、せっかく合格した会社を断ろうと思っていたのが、自分のできることからしようと思い直したと言う。この四月からなんとか働けるかもしれないと、入社までの計画を話していた。
 その学生の話では、私たちのミーティングへの参加が大きな後押しになったという。私たちのどもりながら生きる姿が、どもらない人にも何らかの影響を与えたことになり、その話を聞いてうれしかった。まじめに人生を、人間関係を考える仲間、それはどもるどもらないを超えたところにある。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/22

吃音を治したい

 「この吃音さえなければ」「どうしても吃音を治したい」、21歳の夏までの僕も、こう思っていました。吃音があるから友だちもいないし、勉強もできない、これさえなければ、僕の人生はうまくいくと思い込んでいたのです。ずばり、このタイトルで書いている巻頭言があります。
 「スタタリング・ナウ」2003.8.21 NO.108 を紹介します。
 21歳までの僕を支えていたのは、「絶対に吃音を治したい」という強い思いでした。治らないと分かったとき、じゃ、別の生き方を選ぼうと方向転換ができたのも、とことん悩みきったからだろうと思います。今、悩みの真っ只中にいる人たちの「治したい」という気持ちは痛いほど分かります。その上で、僕は、こっちの道もあるんだよと言いたいのです。

吃音を治したい
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「そんなに孤独で苦しんだ伊藤さんを、その頃支えていたものは何だったんですか?」
 吃音ショートコースの対談の質疑の時間に、参加者から質問を受けたことがある。瞬間的に「母親に愛されていたからかなあ」と答えたが、これは違うとすぐ思った。対談が終わった後で、「さきほどの質問にもう一度答えたい。その時の支えは、どもりのままで死んでたまるかという思いだったのでははないか」と答え直した。それほどに吃音を治したかったのだとその時改めて思った。
 「吃音を治したい」の思いは、吃音に深く悩んだ経験のある人なら、切ないほどに分かるだろう。小学5年生の頃だったか、吃音矯正所の「どもりは必ず治る」との雑誌の宣伝が、みじめで苦しかった頃の私の支えだった。いつか、東京に行ってこの矯正所へ行けばどもりは治ると思っていた。
 中学2年の夏、『どもりは20日間で必ず全治する』という本を手にしたとき、これで治ると思った。しかし、その本の通りに、一所懸命取り組んだが、私の吃音は全く変化がなかった。しかし、最後の砦として、東京の吃音矯正所、「東京正生学院」があった。東京の大学へ、というよりも、その吃音矯正所のある東京へ行きたかったが当たっているだろう。
 大学1年の夏休み、憧れの矯正所、「東京正生学院」の前に立ちながら私は一歩を踏み出せない。「僕はこんな所に来る人間じゃない」「ここに入ると、どもりを認めることになる」様々な思いが頭を巡り、1時間ほど、その矯正所の前をぐるぐる回っていた。
 一歩踏み入れたその吃音矯正所は私にとっては天国だった。これまで誰にも話せなかったどもりについて、初めて話せ、みんなは私も同じだよとよく聞いてくれた。これは何物にも代え難い喜びだった。あれほど孤独で、話さなかった私が、こんなにおしゃべりだとは知らなかった。寄宿舎に入った私は、眠るのが惜しいかのように、話し、人の話に耳を傾けた。午前中は呼吸・発声練習、人前でのスピーチや輪になっての話し合い、昼からは西郷さんの銅像の前での演説や山手線の車中での演説、片っ端から人に道を尋ねる街頭練習。仲間と一緒にするから何をしてもおもしろかった。
 今から40年ほど前の吃音矯正所には、今のセルフヘルプグループのような趣があった。わいわいがやがやの楽しい語らいは、「どもりは必ず治る」と宣伝しながら治せないその吃音矯正所を非難したり、抗議したりする気が起こらないほどに、楽しいものだった。矯正所に行って良かったかと問われたら、私は文句なく良かったと言う。しかし、それはどもりが軽くなったり治ったからではない。同じように悩んできた人と出会えたからだ。
 1965年、その矯正所で知り合った人たちと私は、どもる人のセルフヘルプグループ、言友会をつくることになる。
 ことばの教室もなく、言語聴覚士もいなくて、セルフヘルプグループもない、相談機関が全くなかったころの民間矯正所にはそれなりの存在意義があった。その意義とは、他の物価と比べて不当に高いものではなかったので、あまり費用をかけずに、「どもりが治らない」ことを実感できること。どもる人と出会えること。この2点は吃音の問題の取り組みにとって実に大きなことなのだ。
 吃音は原因が未だに解明されず、有効な治療法も確立されていないにもかかわらず、インターネット上では相変わらず、「どもりは治る・治せる」が幅をきかせている。吃音に関する書籍も、専門書以外は、「どもりは必ず治る」がほとんどだ。お金を出しさえすれば、どんなものでも、出版する出版社があり、本に書かれているからと信用する人はいる。出版費用など、10人もその吃音矯正所の治療にくれば元がとれてしまう。
 民間吃音矯正所は、その歴史的役割を終え、退場しなければならない時期にきているのだが、吃音を治したい人がなくならない限り、生き続けるのだろうか。全ての病気に民間療法があるように。
 やはり当事者の私たちが主張し続けなければと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/03/02

大阪吃音教室の運営会議が終わりました

大阪運営会議4 2月24・25日は、大阪吃音教室の年に一度の運営会議でした。2023年度を振り返り、2024年度を展望する大切な会議です。今年も、それぞれ忙しい中、時間を工面して、15名が集まりました。24日(土)の午前中に、大阪吃音教室のニュースレター「新生」を印刷し、発送しました。そして、午後2時、運営会議が始まりました。会長の東野晃之さんが準備してくれた議題は、次のとおりです。

1.2023年度のふりかえり…一人ひとりが2023年度をふりかえりました。大阪吃音教室で担当した講座のこと、参加した中で印象に残っている講座のことなど、共通するものもたくさんありました。それだけでなく、プライベートなことについても話しました。子育て真っ最中の人もいれば、働き盛りもいれば、定年して時間的な余裕のある人もいて、なかなかおもしろいふりかえりでした。気がつけば、2時に始まったのに、すでに4時半を過ぎていました。

大阪運営会議12.2024年度の事業計画…世話人や講座の年間スケジュールについて話し合いました。日程や講座内容を決め、担当は、自分の希望で空欄を埋めていきました。別の講座にチャレンジしてみたい、もう一度深めてみたい、それぞれの思いが出されます。大阪吃音教室の例会当日の世話人も、機関紙の編集担当も、決まりました。

3.日本吃音臨床研究会の事業について…新・吃音ショートコース、吃音親子サマーキャンプ、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会など、決まっている日程を知らせ、一緒に活動していきたいと願っていることを伝えました。

大阪運営会議2大阪運営会議3 ふりかえりも、年間のスケジュールも、誰かが話すと、その話を受けて誰かが話し、と話題が広がっていきます。長いつきあいをしている間柄ですが、まだまだ知らないこともあり、新しい発見もあります。年齢、仕事、考え方など、さまざまな背景をもつ者が集まって、わいわいがやがやと話をするという、不思議なおもしろい関係だなと思います。僕は、こういうセルフヘルプグループ活動を長く続けてきました。ひとりひとりが対等な立場で話をするというこの活動が、僕には合っているし、好きなのだと改めて思いました。

 24日(土)は、午後2時から夕食をはさんで夜の9時まで、25日(日)は、午前10時から正午12時まで、2日間にわたっての会議で、大阪吃音教室の2024年度の活動のおおまかなことが決まりました。日本吃音臨床研究会とともに、活動していけること、うれしく、ありがたいことだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/25

『スタタリング・ナウ』100号雑感

 毎月、月の初めの1週間は、「スタタリング・ナウ」の編集に追われます。巻頭言は、毎号、その号の記事にできるだけ合わせて書くようにしています。伝えたいことは同じですが、導入をどうするか、どんなエピソードをもってくるか、字数の制限のある中、苦労しながら、入稿ぎりぎりまで粘っています。最終的には声に出して読み上げ、よし、これでいこう!と入稿しているのです。読者はきっと気づくことはないだろうなあと思うような細かいところにこだわって編集しています。
 今日は、2002年12月21日発行の「スタタリング・ナウ」NO.100号の巻頭言を紹介します。
 1994年、不安な旅立ちから、ようやく100号に達したことに安堵し、感慨深い思いで編集したことを思い出します。多くの方に支えられていることを実感できたときでもありました。
今、2024年の1月号の編集中です。今月号は、NO.352。100号から20年以上経ちました。長く続けてきたなあと思います。では、「スタタリング・ナウ」 2002.12.21 NO.100 の巻頭言、〈100号雑感〉を紹介します。

   
100号雑感
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 100号まできた。1994年、私を支えて下さった大阪、神戸の信頼するどもる仲間と、吃音研究者、臨床家のみなさんと一緒に、これまでの言友会の縁を断ち切って、日本吃音臨床研究会を設立した。
 それは、愚かな私自身への反省の中で、後悔と懺悔との入り交じった複雑な思いに満ちた、私の厳しい、寂しい、苦渋の選択でもあった。
 1965年、11人の仲間と設立し、30年近くにわたって、どもる人のセルフヘルプグループ言友会活動の先頭に立ち続けた私が、それと決別し、違う道を選択した時、これまでとは全く違う活動を展開したかった。だから、日本吃音臨床研究会という、固い印象を与えるが、活動をそのままに志向する名称とした。したがって、日本吃音臨床研究会は、セルフヘルプの思想は色濃いが、純粋な意味でのセルフヘルプグループではない。セルフヘルプグループとしての活動は、共に活動する、大阪スタタリングプロジェクトと、神戸スタタリングプロジェクトが担ってくれている。
 このような、セルフヘルプグループとは一線を画した活動が果たして続いていくものなのか、どう動いていくのか、不安に満ちた旅立ちでもあった。
 その不安と予想をはるかに越えて、活動は展開していった。前のグループから引き続いて購読者になって下さったのは80名。それが、研究会になったことと、年報を加えたことで、日本吃音臨床研究会の会員になって下さる人が飛躍的に増え、『スタタリング・ナウ』は現在500名を越える読者を得た。大阪、神戸のどもる人のセルフヘルプグループに所属する人たちを加えると、700名の人たちが『スタタリング・ナウ』を読んで下さっていることになる。
 吃音親子サマーキャンプも、50人ほどの参加で続けていたのが、100名を越えるようになり、ここ3年は150名近くが全国から参加する。数の多さを誇る気持ちはないが、寂しい、孤独の旅立ちだっただけに、多くの人々と共に吃音について考え、行動できることが、とてもありがたくうれしい。
 この広がりは、吃音研究者やことばの教室などの臨床家の多くの方々が、私たちの活動に共感し、『スタタリング・ナウ』や『吃音親子サマーキャンプ』を周りの人々に紹介して下さったからだ。新聞、雑誌、テレビ、ラジオで私たちの活動が紹介され、さらには3冊の吃音の本が出版された。これらマスメディアが取り上げて下さったことも大きかった。
 また、どもる子どもやどもる人本人や親が、吃音と上手につきあうことの意義を理解し、行動し、どんどん変わっていった。私たちの主張は間違っていないという確信がもて、吃音と向き合う考えも行動も、深まっていった。それは吃音ショートコースのテーマに現れ、さらにそれが年報という果実になり、私たちの大きな財産となった。
 100号記念のメッセージも多くの人が寄せて下さった。多くの人との出会いや、支えがなければ、ここまで活動は続かなかった。これまで出会ってきた多くの人々に心から感謝致します。

 「吃音を治す」「吃音克服」「吃音とつきあう」と、私の吃音との向き合い方だけでなく、表現の仕方も大きく変化していった。吃音克服には力でねじ伏せる感じに違和感をもち始め、早くから使わなくなった。吃音は個性だと今はまだ言い切ることもできず、最近は吃音受容にも抵抗を感じるようになった。初めに個性や受容があるわけではなく、そう考え、そう言えるのは、あくまでその人の生きた結果のことなのだと思い始めたのだ。
 このようにことばに敏感になってくるのはいいことなのだろうか?周りの人に誤解を与えるだけではないのかという恐れはある。しかし、変わっていく私自身は嫌いではない。あのとき、こう言っていたではないかと言われたら、スミマセンと言う他はない。ことばは変わっても本質はあまり変わっていない。躊躇なく言えるのは、「吃音と自分を否定しないこと」「どもる事実を認めること」である。
 吃音を否定することで、どもることを隠し、話すことをできるだけ避けてきた。自分を否定した人生がどれほど危うく、辛いことか。失うものがどれほど多いか。自らの人生で身に染み、また同じような体験をもつ人とたくさん出会ってきたからだ。
 吃音の原因は未だに解明されず、治療法も開発されていない現在、吃音を否定せず、吃音をマイナスのものとだけ考えずに、そこに意味を見い出そうと考える人たちがいてもいいだろうと思う。(「スタタリング・ナウ」 2002.12.21 NO.100)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/05

自分らしく生きる 2

 婦人公論(中央公論社)の2001年4月7日号に掲載してもらった記事を紹介します。上村悦子さんが丁寧に僕をインタビューし、吃音について書いてくださいました。そのときの僕の年齢は、56歳。改めて、年を重ねてきたことを思います。

 
「以前は何年も前の幸せを思ってましたけど、今は目の前の幸せは何だろうって思うようになりました。今日は昨日より痛くない、とか。そういうささやかなことを探していくと、リラックスできるんだなあって。昔は限界を知ったら終わりだと思っていた。でも今は、そうじゃないと思える。そこから新しいスタートがあるんだ」

 リウマチという病を得て見えてきた風景について語る女優の叶和貴子さん。作家の荻野アンナさん、バレーダンサーの熊川哲也さんや読者の体験。
 婦人公論(中央公論新社)の2001年4月7日号の特集は、《自分らしく生きるとは?》。
 その特集に、「吃音のままでいいんだ」と上村悦子さんがインタビューをもとに吃音について書いて下さった。今読み返して、随分と長い文章を書いていただいたものだと思う。
 私たちの吃音体験が的確に表現されており、吃音を理解する上で多くの人に読んでいただきたいと、中央公論新社にすぐに転載の許可をお願いした。しかし、2001年の12月までは販売しているからそれまでは控えるようにとの連絡があった。すでにその時期を過ぎたので転載させていただいた。

 吃音のままでいいんだ

 「お名前は?」という質問に対して、自分の名前を何とか言おうとするのだが、言葉がつまって出てこない。本人にはつらい沈黙の時間が続き、それからようやく言えた。
 「イイイイイトウシンジです」
 相手はびっくりし、気まずい空気が流れる。日本吃音臨床研究会代表であり、大阪教育大学非常勤講師(言語障害児教育)の伊藤伸二さん(56歳)の体験談だ。世の中には、さまざまなコンプレックスを持つ人が多いが、コミュニケーションの最も身近な手段である言葉がスムーズに出ない「吃音」、つまり、どもる人の悩みは驚くほど広く、深刻である。周囲に理解されにくいハンディキャップを抱えたとき、自分らしく生きるには、どうすればいいのだろう。

十数年ぶりに腹の底から笑えた日
 「私は自分のどもりが大嫌いでした。でも、多くの仲間と出会い、今は堂々と、どもりでよかったと言えるんです」という伊藤さんが、紆余曲折のすえ、「どもる自分」を肯定的に受け入れられるようになったのは、どもる人のためのセルフヘルプグループを創った35年前。過去の暗くつらい体験をベースに、現在は「吃音と上手につきあおう」と、よりよい人間関係をつくるための吃音教室やことばの相談室など、さまざまな活動を行っている。
 「どもりの苦しさは、だれでも言えるような自分の名前や会社の名前など、相手が答えて当然と期待するようなことが言えないこと。他人を意識しなければ起きない障害だけに、常に人に気をつかい、その苦しさが何倍にもなることです」
 伊藤さんのもとには毎日、相談の手紙、電話、ファックス、メールが数限りなく届く。「吃音は必ず治る」「子どもの吃音は意識させないことが大切」といった間違った情報が氾濫する中で、親は子どもの吃音を見て見ぬふりをし、その結果、子どもも口を閉ざし、自分の吃音を否定し続けて成長する。逆に、親が治すことに熱心になりすぎて、子どもに劣等感を抱かせ、症状を悪化させる場合もある。
 どもる症状は、「タマゴ」を例にとると、
 屮織織織織織泪粥廚蛤能蕕硫擦魴り返す。
◆屮拭璽泪粥廚蛤能蕕硫擦魄き伸ばす。
「・・・・・・タマゴ」と、言おうとする言葉がつまって出ない。
 この、大きく3つに分けられる。
 しかも、サ行、タ行、母音など、発音しにくい音は人によって違い、緊張するとどもる人、逆にリラックスしたときにどもる人、また自分の名前や会社名など、言えて当然と思われる言葉が出ない場合など千差万別。そのうえ、症状が不定期に良くなったり悪くなったりする不思議な波があって、自分のことながら予測がつかないという複雑さ。原因についても、これまで無数の学説が出されたが、まだ不明のままだ。
 伊藤さんがどもり始めたのは、3歳ごろから。それでも明るく積極的な子で、吃音をはっきり意識したのは小学2年の秋である。学芸会で、『浦島太郎』の劇をやることになり、成績の良い子が主役に舞ばれていた当時、勉強に自信があった伊藤少年は自分が主役になるのではと期待した。ところが決まった役は、せりふのない「村人A」。友達に「どもりやから、せりふのない役になったんや」と言われ、言いようのない屈辱感を味わった。
 「それ以来、どもるのは恥ずかしいことと、劣等感を持つ子に変わってしまった。私のどもりの旅は、そこから始まりました」
 授業中にあてられても、最初のひと言が出てこない。ケンカをするたびに浴びせられる「どもりのくせに偉そうに言うな」の罵声。いじめの標的になり、自信を失い、孤立していった。中・高校生になっても、逃げてばかりの生活が続いた。自己紹介がいやだからと好きなクラブを辞め、国語の授業で朗読がある日は校門に立ちすくんだという。
 そんな伊藤さんの夢はひとつ。不幸の原因であるどもりを治すことだった。
 「どもりさえ治れば、本当の人生が始まる」
 2浪の末、東京の大学に合格、三重県から上京することは、大学よりも民間吃音矯正所へ入るのが目的だった。
 「呼吸法に発声練習、戸外での演説…、4ケ月間、懸命に訓練に励んでも、どもりは治りませんでした。でも、そこはどもる人だらけの世界。どもることを気にせず人に思いっきり話を聞いてもらうのがこんなに嬉しいのか、仲間といることがこんなに安らぐのかと思い知らされた。十数年ぶりに、腹の底から笑えたんです」
 伊藤さんは、「せっかく出会えた仲間と今後もどもりについて話し合っていきたい」と、1965年、21歳でセルフヘルプグループを旗揚げした。いくら訓練しても治らない現実をふまえ、「どう治すかよりも、どう生きるかを探っていこう」と、「吃音を治す努力の否定」を提起する。大学を卒業後も会の活動を続けながら、72年には大阪教育大学の言語障害児教育教員養成一年課程に入り、修了後、助手から講師の道へ。その間にも全国各地を回って、吃音巡回相談会を開くなど、自分たちの考えをアピールするとともに、どもっても前向きに生きる人たちと出会い、グループ創立10年の節目に『吃音者宣言』を発表した。
 「どもりを認めなければ、自分らしさを表現するよりも隠すことにとらわれてしまう。どもることを全面的に受け入れ、前向きに暮らしていけば、新しい人や出来事と出会え、自分も、症状も変わっていけるんです」
 その後、伊藤さんは「自分は研究者ではなく当事者の側にいるべき」と考えて大学を辞め、「ことばの相談室」を開設。94年に日本吃音臨床研究会を設立し、現在、吃音と上手につきあうための「大阪吃音教室」や、電話相談「吃音ホットライン」、昨年は146人が参加した「吃音親子サマーキャンプ」の活動のほか、『吃音と上手につき合うための吃音相談室』(芳賀書店)などの本も出版している。各行事のゲストには詩人の谷川俊太郎さん、演出家の竹内敏晴さん、また同じ吃音者として、映画監督の羽仁進さん、芥川賞作家の村田喜代子さん、落語家の桂文福さんら、多くの著名人の協力も得ている。
 「特に子どもの場合、初めてキャンプに参加して、自分以外にたくさんのどもる子どもやどもる人がいることにまず驚く。そして『あなたもどもっていいんだよ』との呼びかけや、どもっても明るく生きている大人の姿に、徐々に心を開いていく。吃音というのはそれだけ閉ざされた世界なんです」 つづく

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/20
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