伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

セルフヘルプ

障害を生きる 3 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 昨日のつづきです。心臓手術が縁でセルフヘルプグループとのつながりができた河辺さんは、次に、ヘルペス脳炎になり、言語訓練を受けることになります。
 僕も大阪教育大学の研究生の時代に、失語症のセラピーをした経験があるので、ここでの体験は、とても共感できるものでした。僕がセラピーをしたのは、大阪の有名な大会社の元社長でした。二十代の終わり頃だった若造の私は、これまで大きな会社を長年経営してきた元社長の人間としての尊厳を傷つけないことを最優先に考えました。だから、河辺さんが受けた、絵カードは絶対使わないと決めました。その当時使っていた絵カードは、本当にお粗末なものだったのです。その元社長の秘書部長から様々なことを聞いて、その人に合わせた教材を作りました。その人が謡曲を趣味にしていたことは幸いで、僕の父親が謡曲・能楽の師匠だったこともあり、僕も子どもの頃から謡曲をしていたために謡曲は教材になりました。また、僕の吃音のこともよく話しました。吃音の話にはとても共感をもって聞いてくださいました。短期間でしたが、人生の大先輩のセラピーを経験できたことは僕にとって大きなことでした。
 河辺さんの今回の体験で、失語症のセラピーのことを久しぶりに思い出しました。
 
  
病気や障害とどう向き合うか 2
                     河辺美智子(61歳)


風邪と思ったのがヘルペス脳炎だった
 そんなある日突然、風邪をひいたみたいで、頭が痛い。風邪の薬を近所の医者にもらったが、風邪をひいた時の頭痛にないものすごい痛みが襲います。あまりの痛みに、近所のお医者さんは休みだからと、夜中でも診てくれる、休日救急病院ヘタクシーで行ったんです。そしたら、点滴をされて、風邪の薬を出された。
 その病院から戻ってきたと同時に、もう言動がおかしくなりました。言っていること、することが周りと全然違う。私は全然記憶にないのですが、チョコレートを銀紙のまま口の中に入れるとか、食べてはならないものを口の中に入れたり、変なことばを言ったり。これは特別な病気ではないかと、救急車で大きなS病院に連れていかれました。その時、家族が相当しっかりと私の様子を言わなかったら、やっぱり熱が出てるから変なことを言うのだと、風邪の治療だけで、ヘルペス脳炎の治療まではしてくれなかったと思うんです。
 いろんな科に回されて、神経内科に回ったときに、そんなに家族が言われるんだったら、ヘルペス脳炎ということで治療しましょうということになりました。
 精密に調べていたら2日間はかかり、手遅れになるからと、とにかくヘルペス脳炎ということにして、薬による点滴で治療しましょうとなりました。小さい病院だったら別の病院に移される。ヘルペス脳炎は医者は知識としては全員教えられるが、実際の患者にあったことがない人がほとんどです。薬を投与しなかったら、どんどん広がっていって、2週間で確実に死にます。病院に行っても、担当医が知らなかったら、薬を使わないから、死んでしまう。ひとりで訳の分からないことを言って、高熱を出して死んだという人がいたら、ヘルペス脳炎かもしれないです。

高次脳機能障害と言語訓練
 ヘルペス脳炎になる人は、日本では1年間で200人くらいですが、たいてい高次脳機能障害になる。
 入院している間は、言語療法は受けなければならない。絵カードを見せられて、「はい、これ何ですか?」と言わされる。下手な、線だけの絵の飛行機、その横に同じ大きさでさつまいもがある。滝も縦の線で書いてある。なんでしなければならないのか、言語療法士に怒っていたらしい。そういうことが自分にはできないことがほぼ分かり出したときに、言語治療を断りました。言語療法士は、言語治療を受けてもらわないと困るとものすごく怒るんです。担当医にも言語治療を断ったら、言語療法士が対応を変えてきました。
 絵カードを使っての指導がそんなに嫌なら別のことをしましょうと、「あなたのしゃべりたいことだけここでしゃべって下さい。話を聞くだけにしておきます」と言う。「カードを言わせるような指導はしないですね」と念を押しました。何かしゃべって下さいと言われても、何をしゃべっていいか分からない。セルフヘルプグループの話なんかをしたらしい。私はひとりで一方的にしゃべることはできるようになりましたが、相手との会話はできなかった。残り時間が少なくなってくると、「あと2分だけですから、我慢してやって下さい。これをしないと言語指導になりませんので」と、絵カードを見せられましたが、私はそれは断りました。
 さつまいもとか大根とかを覚えるのだったら、本物を見てやった方がいい。入院していた病院の窓から飛行機が見えるのに、なんで紙に書いた飛行機を飛行機と言わなければならないのか。広告でもカラーになってるのに、言語療法士は、誰も見たくもないようなあんな紙切れで、勉強させていた。新聞に折り込みの、スーパーの広告のくだものや野菜の方がよっぽどいい。

言語療法士のこと
 言語療法士は、指導を受ける患者には、全く同じものを使います。この人にはこの方法でという仕方をしない。全ての人に、絵カードで訓練をしていました。言語指導のああいうようなやり方はおかしいのではないかと思いました。カードを見せられても、「ひこうき」、「さつまいも」と言えなかった。言語療法士の指導はだめだったと思うけど、それがあったおかげで、日常使っているものがこんなに何も言えないのかに気がついたことはよかった。ひとりでおふろに入ったときに、石鹸をどう使うか分からなかった。これは大変なことになったと思いました。自分ひとりで勉強し、言語指導の最後の方では、「飛行機とさつまいもが同じ大きさなんていけませんね」ということも言っていた。「窓を開けたら飛行機が見えるし、さつまいもなんて食事のときに覚えた方がいいですよ」とも言った。言語療法士はびっくりしていましたが。
 こんなことがありました。
 ひとりでは言語治療室へ行けなかったから、必ず家族が後ろで黙って座っています。私は高校時代にアメリカに行っていたし、アメリカの高校生を預かることもしていたので、下手だけど、英会話は少しできました。絵のカードを見せられたとき、「りんご」とは出ずに、どういうわけか「アップル」とは言った。そしたら、言語療法士は、後ろの私の娘を指さして、「この人、英語できるの?」と、不思議そうに言ったらしい。ひどいでしょう。私が「アップル」と言ったら「わー、よかった。英語は残ってたんですね」というのだったら、本当に人間と人間の関係ですよ。
 だんだん人の言っていることが理解できるようになってきてから、娘がいつでもあのときは、おもしろかったなあと、その話をしていました。。娘の話を聞くたびに、なんと無神経な、人を大事にしなかった言語療法士だということを、今、思うんです。その人が、直感的に嫌いだったんですね。
 ヘルペス脳炎になったとき、高熱が下がっても、顔は赤ちゃんの顔です。顔って不思議です。何歳でも、老人でも赤ちゃんの顔になる。赤ちゃん顔の患者が、「アップル」と言ったことが生意気だと思ったんでしょうかね。娘たちが、「お母さんが、その言語療法士のことを嫌っていて当然や。赤ちゃんになっていたから、あれは動物的な直感や」と言うんです。(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/10

“弱さ”は“強さ”

 石川県の教育センターとのつながりが深く、石川県の新任教員の一日研修、いのちの電話の担当者の研修など、吃音とは関係ない分野の研修会に講師としてよく呼んでいただいたことは、このブログでも何度か書いていますが、それは、今回、紹介する徳田健一さんとの出会が出発でした。
 九州大学の村山正治さんが主催する、大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループに、当時、相談課長だった関丕(せき・ひろ)さんと徳田さんが参加していました。4泊5日のグループの終わりにふたりが僕のところへ来て、「私が課長の時に必ず伊藤さんを講師として呼ぶから来てね」と言ってくれました。そのことばどおり、講師として呼んでいただき、次の課長の徳田さん、その次の課長の浦田肇さんと、三代にわたって、歴代の相談課長が僕をいろんな研修会の講師として呼んでくださいました。金沢のカウンセリングや教員研修などで、一年で数回、金沢に行ったこともありました。本当にありがたいつきあいでした。
 「にんげんゆうゆう」を見た感想をお願いしたのだと思うのですが、思いがけず、長文の、そして今でも僕の心に残る文章を送ってくださいました。
 “弱さ”は“強さ”、このタイトルは、絶妙で、吃音を認めて生きることで生まれてくる奥深さを言い表していると思います。また、「“強さ”も人を救うが、“弱さ”もまた人を救うし、“弱さ”しか人を救えない場合もある」とのことばも、僕の心にずしんと残ります。
 23年を経た今、再度、「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72に掲載された、徳田さんの文章を味わいたいと思います。


  
“弱さ”は“強さ”
               石川県教育センター次長 教育相談課課長  徳田健一


出会い
 伊藤さんとの出会いは9年前の、人間関係研究会の大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループだった。スッと自己開示ができ、自己実現のために積極的な生き方をされている姿勢が印象的だった。そこで、その次の年からずっと、石川県の教員の初任者研修や教育相談の研修会の講師をお願いしてきた。再会するたびに、吃音の話は聞いていたが、毎週金曜日のセルフヘルプグループのミーティングはテレビで初めて知った。メンバーにとって、あのコミュニティはエネルギーの補給基地なのだと思った。

私の吃音
 私は、小学校4年生ぐらいからどもるようになり、思春期にはかなり辛い気持ちをひきずっていた。
 最も思い出したくない体験は、教師になって3年目の卒業式。担任がクラスの卒業生の名前を読みあげるという習わしの中で、鈴木君から竹内君へ移るときに「タ」を発声できなかった。卒業式は最も緊張度の高い儀式で、私にとっても生徒にとっても「失敗は許されない」という感じだ。卒業証書を受け取るために呼ばれた生徒が、壇の前で列をつくるのだが、鈴木君の後で列がとぎれてしまった。「いつ読みあげられるのか」と不安そうな竹内君や他の生徒たち。それに保護者や来客も私の方を見る。こちらは汗だくになって発声しようにも、タ行が出てこない。そこで、何度も一番の「相川」に戻り、はずみをつけてようやく「タケウチ…」と読みあげたが、「もう3年生はコリゴリ」という気持ちだった。
 伊藤さんの「トロ」同様、私も「テッカ巻」は、今でも食べ損なう。今は回転鮨のお店もあり、運よくトロやテッカの回ってくる可能性は高いが…。

吃音は個性
 吃音で困った体験をもつ私は、教育相談の仕事を永く続けているが、心理的な側面から吃音に悩む子どもと出会う。自分自身が相談に乗ったり、時には言語治療教室を紹介したこともあった。しかし、あの番組を見て、治療機関では治りにくいことが初めて理解できた。伊藤さんの「日常生活の中に出よう」ということばがとても新鮮に響いた。
 そのことで思い出すのは映画監督の羽仁進さんだ。随分前になるが、かなりどもりながら2時間ほど講演されたことがあった。内容がすばらしく、一生懸命伝えようとされている誠実さも加わって吃音のことは気にならず、むしろ大きな感銘を受けたことを今でも憶えている。
 また、教師仲間でもひどくどもる人はいたが、やはりその教師の人柄のせいか、少しも生徒は気にせず、静かに授業を受けていた。
 伊藤さんの吃音も人を魅了してやまない個性だと感じてしまう。もし、突然タテ板に水の如く話し出したら、私の心の中の伊藤さんは伊藤さんでなくなってしまうだろう。それほど吃音は個性の問題として受け止めている自分に気がつく。

大阪吃音教室
 吃音を媒介にして一生懸命自分の人生を生きようとしているあの大阪吃音教室の人たちを見ていると、いつまでも心に感動が残り、いいかげんに生きている自分が恥ずかしくなった。「どうしても話したいと思うような、内容のある生活を送っているかどうかが問題なのです」としめくくられた伊藤さんのことばを回想すると、よけいそう思ってしまう。これは吃音の問題を抱えた人たちだけのテーマではない。人生をいきいきと生きているかどうかが私たちに問われている問題なのだ。
 もうひとつ共感できたのは「うまく話そうと思う気持ちがコミュニケーションの楽しさを奪ってしまう」と話された一人の女性のことばだ。「こうあらねばならない」「こうすべきだ」という枠組みは、その人から個性を奪い、人生を無味乾燥にしてしまう。この考え方はどの世界においても言えそうだから、どもることを自分の個性として受け容れ、それを生かしきるまでには、相当な活動の期間が必要なのかもしれない。しかし、そのような課題意識を人前に出せること自体、もうその人は吃音と対峙しているのだと思う。自分の気持ちを表現することは、自分のマイナスをプラスに変えることだと思った。

吃音に悩む生徒
 最近、久しぶりに吃音に悩む生徒と出会った。吃音を教師や仲間に知られたくないことから授業が苦痛になり、学校から遠ざかってしまう。教育センターの面接に来所したときもついに吃音の問題を私にも言えず、沈黙で耐え抜いた。しかし、私にとって吃音の問題よりも、彼は自分を抑制することが多く、自分を生きていないことの方が気になった。私は「同じ悩みを共有できる場に彼を誘いたい」と思い、吃音親子サマー一キャンプへの参加をすすめた。最初渋っていたのをなんとか参加させたものの、彼にとってそのキャンプは不安で、いたたまれなかったと見え、途中で帰ってしまった。
 ところが、そのことでキャンプに参加していた高校生の一人が彼のことを心配し、手紙や電話でコミュニケーションをとってくれた。そして、彼の住む神戸に遊びに誘ってくれた。その出会いの中で、彼の社会化が促進され、内的世界も広がって、生きる自信を得たのであった。
 この吃音親子サマーキャンプも、あの大阪吃音教室と同じように悩みを共有しあい、生きるエネルギーとなる安心感を提供しているのだと思う。

弱さが人を救う
 最後に私はこんなふうに思う。「弱さも人生に価値をそえる」と―。伊藤さんのことばで言えば、「吃音と上手につきあう知恵が身につく」ことだ。「充実した生活を目指せば人はどもってもしっかり聴いてくれる」という知見もそのひとつだろう。これは「弱さ」が「強さ」に転じる姿だ。もっともそのことに気づくのはずっと後になるかもしれないが…。
 少年期にすっかり生きる自信を失い、いつも聞かされっ放しだった私が、人生の後半になって人の話を上手に傾聴できるようになったのも、先の弱さが生かされたからだと思っている。
 「強さ」も人を救うが、「弱さ」もまた人を救うし、「弱さ」しか人を救えない場合もある。自分の置かれた状況は変わらないけれど、仲間の支えさえあれば、その辛さをひきずってでも生きることができる。「仲間がいるから乗りきれる」を見て、そんなふうに思えた。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/25
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