伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

コミュニケーション

【鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談 2】「生きる」うえでのコミュニケーションとは?

 昨日の続きです。どもる僕たちは、すらすらと流れ出る効率のいいことばを求めてきました。そして、それができない自分を劣った人間だと思ってきました。でも、情報伝達のことばと、今、生まれる表現のことばがあることを知っただけでも、ずいぶん楽になりました。鯨岡さんと竹内さんの対談は、〈生きる〉、〈ことば〉、〈コミュニケーション〉をめぐり、深まり、広がっていきました。竹内さんのヘレンケラーとサリバンの話は、映画も舞台も観ていますので、とてもよく分かります。竹内さんの話に、エリクソンのライフサイクル論を重ねて、僕は何度か講演や講義で話しましたが、よくわかると言ってもらえました。
 対談の続きは、2000年度の日本吃音臨床研究会年報に掲載しましたが、売り切れになっています。また、どこかで紹介したいとは考えています。

「生きる」うえでのコミュニケーションとは? 2
                     京都大学大学院教授 鯨岡峻
                     演出家       竹内敏晴


暮らしの中でのことば

鯨岡 ブーバーの話はとてもいいお話で、ありがとうございました。私たちは今、いろんな場面で、コミュニケーションについて語っています。特に、学校では、「先生と子どもの間でもっとコミュニケーションを」と言うし、家庭の中でも、「夫婦の間で、もっとコミュニケーションを」、「親子の間で、もっとコミュニケーションを」と言う。その場合、ことばによる会話が前提としてあるようです。確かに、そこではことばが必要なのかも分かりませんが、本当に、そこで求められてるのはことばなんでしょうか。私たちはコミュニケーションというと、すぐにことばというところにいってしまって、ことばのキャッチボールをたくさんすればするほどコミュニケーションが深まっていくと考えてしまうところがあります。けれども、本当にそうなんだろうかなと思うわけです。
 ことばは情報を運ぶ道具、あるいはカッチリした意味を運ぶ上ではすごく便利な道具です。それがなければ決して正確な情報は伝わりません。会社の仕事の上で正確な情報を交換しなければならない時には、もちろんことばが大事になるだろうと思います。けれども、普段、暮らしてる時、つまり日々、親しい間柄のなかで共に生きていこうとする時に、そんなにカッチリした意味を運び合わないと生きていけないのでしょうか。たぶん、違うと思うんですね。場面によって、気持ちと言ったり、情動と言ったり、情緒と言ったりしますが、ともかく感性的なものが動いていくところで、何かがつながったという感じが得られるかどうかが身近な間柄では大事です。
 ことばにできないところで何か伝わってくる。分かり合えるものがある。それがたぶん、親しい間柄において「生きる」ことの喜びなのではないかなと思います。「今日、学校で何があった」とか、「仕事でこういうことがあったんだよ」といろいろ語り合う中で、お互いの理解が深まるのでしょうが、そういうことがなくても、「ただいま」、「おかえりなさい」という簡単なことばであっても、そこに、その二人が今幸せに生きている、どこかでお互いを思い合って生きていることが通じ合えれば、もうそれで十分じゃないか。「ただいま」、「おかえりなさい」がなくても、手をつなぎ合えば分かり合えるのかもしれません。私たちはもっと、ハートが動く水準で、つながりたいな、分かり合いたいなと思っているところがあるんじゃないでしようか。
 今、「コミュニケーション」が大事だと言うと、ことばが遅れ加減の子どもの場合には、コミュニケーションのために「ちゃんとことばを習得しなければいけません」とか、「もっと的確に自分を表現できなければいけません」などと、何かしら、ことばの指導にもっていこうとします。しかし、そう考えなくても、私たちはもっと気持ちの上で、向き合えたり、相手のことを思いやれたりできるはずです。さっきの竹内さんの楕円の焦点の話でいえば、お互いが気を配りあえば、その二人はいつのまにか楕円の焦点になって、そこに楕円が自然に出来上がる。その楕円に包まれていれば、私たちはなにかしら安心し、ホッとした気分になる。そういうところが、実はコミュニケーションで一番求められている部分ではないでしょうか。
 二人のあいだをことばでつなごうとすると、むしろ二人はどんどん疎遠になっていってしまうことがしばしばあります。特に西欧の文化には、ことばにできない世界はない、全てことばにできるんだという、〈言分け(ことわけ)主義〉が色濃くあって、西欧的理性はことばに絶大な信頼を置きます。これに対して私たち日本人は、ことばは基本的に〈言の葉(ことのは)〉です。二人の間だけで通用するような言外の意味(通じ合えるもの)を大事にして、ことばは〈言の葉〉だという感覚があると思うんです。それなのに私たちは、いまや、コミュニケーションのために、ことば、ことばと「ことば」に頼ろうとします。もちろん、ことばは大事なものだし、それがなければ困るのですが。
 ところで、ことばによって表現しようとすると、どうしても「私は」という主語がきます。そういう形で自分を境界づけると、今度は相手も自然に境界づけてしまう。幼児の言語発達を考えていますと、ことばは本来、子どもの感性が動いていく中に引っかかってきたものだという思いが強くあります。ところがことばというとそれはカッチリした意味を運ぶ道具だと考えられ、そうなると、それはとても理性的なものになっていく。そして、その理性的なものになったことばをキャッチボールして意味を伝え合うことがコミュニケーションだと考えられるようになってしまいました。
 障害児教育での言語指導やコミュニケーション指導の問題を考えて見ますと、そこらへんにボタンの掛け違いが起こっているところがあるんじゃないかでしょうか。そして、ことばの習得に困難のある子どもたちに対して、ことば、ことばと周りが言い過ぎるために、子どもたちが生きにくくなっているようなところがあるんじゃないかなと思います。
 いま、「コミュニケーション」という今日の主題のためにすこしことばの問題に踏み込んで見たのですが、そういう、ことば観、言語観みたいなものについて、竹内さんからまた少し教えていただきたいのですが。

ヘレン・ケラーとサリバン

竹内 そこまで言っていいのかわかりませんが、ヨーロッパでは、言語をしかも、理性的言語を重視しますね。大雑把に言うと、理性が非常に重要で、論理のことばで語れることが人間性の根本であるといっている感じがする。これはギリシヤ以来の思考の歴史によるのでしょう。そうすると、どうもこれは違うんじゃないかなと思うことがあるんです。昨年ドイツからある教育学者が来て、日本でいくつか啓蒙的な話をして、その話をまとめた冊子を読みますと、ヘレン・ケラーのことが書いてあった。正確には憶えてないけれど、こんなことだったようです。
 「彼女は目が見えず、耳が聞こえないのでことばが獲得できず話せなかった。だからまるで、野獣のように、自分の欲しいままに暴れていた。ところが、アン・サリバンに出会い、サリバンの努力で、ポンプから流れる水の冷たさを手に感じてるうちに、これがウォーターという名前のものかと、はじめてことばというものに気がついた。ことばを知った後は、アン・サリバンの抱擁を受け入れ、キスを受け入れて、様々の感情が動くようになって、人間として成長していった。だから、ことばはとても大事なのです」と。
 私は、ヘレン・ケラーに関しては、何遍も芝居にして、その度に、勉強してきたので、これは明らかに間違いだと言い切れます。事実過程から言って違う。この学者は言語を知った時から彼女は人間性を持ったという、非常に単純な割り切り方をしてる。芝居の「奇跡の人」は非常に有名で、映画になったのが戦後すぐですが、同じ誤りの上に立っている。その原文を随分早く手に入れた人がいて、わたしの友達が演出しないかって言ってきた。読んでみたのですが、わたしが耳が聞こえるようになって、7・8年目ぐらいで、自分の体験からいって、どうしても話に納得できないところがあって、その時は断りました。それから、20年もたってから、神戸の湊川高校(定時制)へ、林竹二先生と一緒に授業に入り、芝居を持っていくことになった。障害のある人、在日朝鮮人やいろんな人がいたので、わたしはこの芝居をやってみようと思った。しかし、書き直さなければならない。おしまいのところで、やっぱり同じ問題にぶつかりました。
 事実のプロセスを言いますと、サリバンは、ヘレンが勝手気ままに動いてるのに対して、一所懸命これをコントロールしようとする。彼女の言い方では、ヘレンはまず服従することを知らなければいけない。それを教えようと一所懸命やればやるほど喧嘩になってしまう。それで、ヘレンと自分と二人だけ小屋に入って、過ごすことをする。ヘレンはサリバンの匂いをかぎつけると、途端に、窓によじ登って逃げようとするくらい寄せつけなかったのが、小屋で生活した何日目かに初めて、サリバンに抱かれて、キスを受け入れるようになる。その時に、サリバンは「奇跡が起こりました」って、喜んだ手紙を書いています。2週間の間に、スプーンでご飯を食べること、ナプキンをつけること、刺繍をすることなんかを教える。彼女がだんだんおとなしくなっていくのを窓の外から見ていた親御さんが喜んで、2週間の約束だからと、「まだ、早い」とサリバンが言うのを家へ連れて帰って、お祝いの晩餐をする。と、ヘレンはいきなりナプキンをむしり取って、スプーンを下に叩きつけて、手づかみで食べ始めて、サリバンの皿にまで手を突っ込む。つまり、サリバンが来た時と全く同じところへ戻るわけです。
 それまでは犬の調教みたいな強制的なやり方をしてきた。犬だったら、小屋にいた時のように教えたことが続くだろうが、ヘレンは見事な戦略を持っていた。小屋ではしょうがないからサリバンの言う通りにするが、自分の自由が認められる時になったら、全部、叩き返した。これは見事なことだと思うんです。
 戯曲では、喧嘩になって、水差しから水がこぼれる。サリバンは、水をもう一ぺん水差しに入れさせようとポンプのところへ連れて行く。そしてもみ合って、その水差しを持たせたまま、水を汲んだ時に、水に手が当たって、「ウォーター」を思い出す。これは、大変、劇的で、華々しくて、芝居としては具合がいいんですが、わたしが一番引っかかったのはこのシーンです。
 「この先公、殺してやりたい」みたいにもみ合って、暴れているのに、なんで、水差しをポンプのところへ黙って持って行くものか。水差しなんか叩きつけて、ぶつかって、取っ組み合いの喧嘩になるのが当たり前なんでね。「そんなばかなハナシがあるか」、が、一番最初の私の反発だったんです。それで、実際のサリバンの友達にあてた手紙を読んでみると、そういうことにはなってない。
 ナプキンもスプーンもたたき返して、とっくみあいが始まったとき、親父さんが止めに入って、「小屋ではあなたに全権を預けたが、家では自分の全権に従え。従わなければこの家から出ていって欲しい」、と言ったみたいですね。サリバンはほとんど目が見えなくて、貧窮院で育って、弟もそこで死んで、身寄りがない。ここを出たら、たぶん生きることができない。随分、屈辱を感じただろうとわたしは思いますけれども、そこから先は、書いてない。手紙にはその晩、ヘレンは私の部屋に来ませんでしたと書いてあるだけです。
 次の日の朝、食事に降りていくと、ヘレンがもう座っていて、しかも、ナプキンをつけてる。ところが、そのナプキンのつけ方が問題で、習ったようにはつけてない。「自分で工夫して、胸に止めていました」とサリバンは書いている。かの女だけが気がついていたわけです。ジーッと座っている。家族はなんにも気がつかないが、サリバンはそれを見て、何も言わないで、自分の席へ座って食事する。食事が終わって、サリバンが立ち上がって自分の部屋に戻ろうとすると、ヘレンがやってきて彼女の手をさする。サリバンは非常にびっくりしたって、手紙に書いています。
 つまり、ヘレンがナプキンをして座っているのは、あなたが私に伝えたかったことはこういうことでしょうってことのサインですよね。しかも、サリバンが教えた通りの仕方ではなくて、その意味を伝えてる。これは、こういうわたしを受け入れますか?という問いかけですね。それに対して、サリバンが何にも言わないってことは「それでいいのよ」っていうサインを返してることです。何もしないことの中に、二人で、ある意味ではものすごい勝負をしている。周りで見てる人達はたくさんいたけれども、そんなことはなんにも分からない。
 その日から、ヘレンはサリバンに心を開いて、一緒に寝て、朝から晩まで、一緒にご飯も食べ、出かけて、花に触ったり、鳥の巣に手を突っ込んだり、指文字を習ったりする。それが、一週間続いて、ある日、水を汲もうとして、「ウォーター」が起こるわけです。
 ことばが分かったから、人間性が戻るんではなくて、はるか前から、人間性が動き、交流が行われている。言語という形はとってないけれども、思考が明確にあって、ずるいといっていいくらいの駆け引きがある。そういうことがあるから、「ウォーター」がいっぺん見つかった時に、他の名前が次から次と意味を持ってくる。理性的言語が先にあるという考え方はいろんなところで、私たちを縛ってると思うんです。さっき、おっしゃった通りで、それを越えていくことがいる。ただ、だからと言って、感情的な言語だけでいいかというわけにはいかない。
 私は戦争中に、少年時代を過ごしましたから、非理性的な言語がいかにひどいか、そういうものに縛られた自分が、戦後になってから、ある思考の論理を自分のものにするために、どれぐらい時間がかかったか。というよりもそういうことがどういうことなのかが分かるまでに時間がかかった。そういう経験がありますので、理性的な言語と感情的な言語がどういうふうに統合されていったらいいかを非常に考えた。ただし、近頃、見てると、吃音の場合も同じですが、論理的なことばをいかに早く、意味伝達を早くするかに、私たちは追いかけられてる。そのために、非常に苦しんでる。コミュニケーションと言うけれども、実は情報のやりとりだけであって、鯨岡さんがおっしゃるようなコミュニケーション、人と人とのコミュニケーションとは遥かに遠いところへ追い込まれつつあるなあというようなことをしきりに思うんです。
                   (「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/20

【鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談】「生きる」うえでのコミュニケーションとは?

 應典院で開かれたコモンズフェスタ2001、僕は、その中で、鯨岡峻さんと竹内敏晴さんの対談を企画しました。
 鯨岡さんとの出会いは、前年の全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会でした。鯨岡さんは記念講演をされ、僕は吃音分科会のコーディネーターでした。鯨岡峻さんは、発達心理学から幼児や障害児のコミュニケーションを考えてこられました。また、竹内敏晴さんは、ご自身が聴覚言語障害のあった時代や、からだとことばのレッスンを通して多くの人と出会い、コミュニケーションについて考えてこられました。この、人一倍コミュニケーションについて考えてこられたお二人に対談していただきたいと企画し、それが実現しました。
 2001年11月7日、應典院本堂ホールでの対談の一部を紹介します。

「生きる」うえでのコミュニケーションとは?
                     京都大学大学院教授 鯨岡峻
                     演出家       竹内敏晴


共に生きる

鯨岡 京都大学の鯨岡です。竹内さんとこうして直にお話できるのは大変な喜びです。
 伊藤さんから与えられた今日のテーマは、「生きる」ことと「コミュニケーション」です。これはすごく大きなテーマなので、対談形式でどのように進めていったらいいかとても迷ってしまいますが、せっかく竹内さんとお会いできたのですから、何とか話をつなげていければと思います。まず私から口火を切らせていただきます。
 「生きる」という問題を、「私」を主語に立てて「私が生きる」と言い始めますと、途端に議論が難しくなって、随分しんどい話になっていくなあという気がします。「私が生きる」という切り口よりも、私たちが「共に生きる」という切り口の方が接近しやすいのではないか。そもそも「生きる」ということは、この「私」が生きるという前に、皆が共に生きることではないか。皆が、という言い方はちょっとまずいですかね。少なくとも身近な人たちと言うべきでしょうけれども、まずは身近な人たちが「共に生きる」ということが基本にあって、むしろ「私が生きる」は、その後から出てくるテーマではないだろうかと思います。そういうところを考えて行けば、たぶんコミュニケーションの問題に話をつなげていけるのだろうと考えています。
 私たちはみな、思春期以降、「私は」「私は」と、「私」にこだわるところがすごく強かった時期があると思います。ところが「私」にこだわる意識が強くなりますと、当然、私の目の前の他者達も「私」に面と向かって対峙する関係になってきます。けれども、「私」というのはそんなに閉じているのでしょうか。「私は」「私は」とよく言いますが、「私」というのは円に描いてくくれるような閉じた「私」なんだろうか。確かに、私のこの身体は私のものであり、唯一無二のからだですが、では私はこのからだの中に閉じこめられた、閉じた存在なんだろうかと考えますと、どうも、そうじゃなさそうです。少なくとも私が研究しようと思っています赤ちゃんとそれを育てる人の関係は、そんな閉じた私とあなたという関係ではありません。
 私が、「私」というところに閉じていきますと、実は他者達も閉じてしまう。そういう閉じた私と閉じた他者が共に生きようとすると、「私とあなた」が分断されたままギシギシしながら生きているというような構図が生まれてくるんです。でも、普段、身近な私たちが共に生きている状態においては、「私」はそれほど閉じていない。「私」は結構、「あなた」(たち)に開かれている。私の方が他者たちに己(おのれ)を開いていくことができれば、他者達もおのずから開かれてくる。そこにコミュニケーションが生まれる素地があるのじゃないかなと思います。
 コミュニケーションと言うと、すぐにことばで何かの考えを伝え合うというように、「伝える」ということに重きを置いて理解しようとします。けれども、私はむしろ気持ちをつなげる、気持ちを分かち合うところにコミュニケーションの基本の形を見ようとします。自分が他者に開かれていくと、他者も開かれてくる。そこに気持ちのつながる瞬間が生まれるのですが、それがコミュニケーションの原点だと思います。つまり、気持ちをつなげあうということがコミュニケーションであり、それが私たちが「生きる」ということにおいて、究極、目指していることなのではないかと思うわけです。
 気持ちをつなぐというと、少し抽象的に聞こえるかもしれません。どんなふうにして気持ちをつなぐのかと言われるかもしれませんが、切り分けられた私と切り分けられたあなたとがよそよそしく向かい合って、対峙する関係のまま気持ちをつなごうとすると、とてもしんどい。向かい合った対峙する関係ではなくて、むしろあい並びの関係になると、実はいろんなところで気持ちと気持ちがつながれてくる。人はやはり一人では生きていけないんですね。誰かと共に生きていきたいという志向性を根本的に持っているんじゃないかと思います。
 私たちは表現することをすごく大事に考えていると思いますが、ここに谷川俊太郎さんと竹内さんの対談が掲載された、日本吃音臨床研究会の年報「スタタリング・ナウ」があります。その中で竹内さんは、聴くということが大事だと述べられています。人と人がつながれていくためには、自分がこう思うことを単に相手に伝えるだけでなく、むしろ相手が何を言おうとしているかを聴こうとする態度が必要です。
 聴こうとする態度の中に、自分を他者へと開いていく根本的な志向性が現れているんじゃないかなと思うわけです。そして、「私が生きる」ではなくて、周りの人と「共に生きる」という視点に立ってみますと、まずは人と共にその場にいようとする、そして、人のことを聴こうとする態度が重要だということが分かるだろうと思います。要するに、気持ちを相手に向けていくということですね。赤ちゃんとお母さんの関係を見ておりますと、お母さんは赤ちゃんを分かろうとして、実に一生懸命、赤ちゃんに気持ちを向けていく。だから赤ちゃんのことがわかる。そこで、赤ちゃんとお母さんの気持ちがつながれていく。私はそこに「共に生きる」ということの原点を見ようとします。
 気持ちをつなぐというところから「生きる」ということを考えてみると、たぶん、コミュニケーションというところにいくんじゃないか。そうすると、竹内さんとうまくお話が絡むのではないかと思って、今日はやってきました。

深いところで、何かがつながる

竹内 竹内敏晴です。今のお話を伺っていて、大変、根本的なことをおっしゃったので、さて、どうお話したらいいか分かりませんが、初めにおっしゃった切り分けられた〈わたし〉と〈あなた〉でなく、共にその場にいる、ということから考え始めさせていただきましょう。
 〈わたし〉は〈からだ〉としてここにある、ということから、わたしは出発しますが、二人がここの場に一緒にいると、話をしてもしなくても、からだとからだとして、もうこの場にいることでつながりがあるわけです。私がAで、鯨岡さんがBとすると、一つの楕円形の中に、AとBがいる。切り分けられたそれぞれの個人でなく、一つの場にいるだけで、どんなに自分が孤立していると思っていてもつながりがある。こちらが動けば、関係が変わりますから、必ず、向こうが動く。向こうが動いたら、こちらも動かざるを得ない。一つの楕円が動くわけで、両方が開けば、楕円が大きくなったり、小さくなったりすることもありますが、そんなふうに、元々がつながっているのだととらえます。
 私の場合、ことばが不自由な人間でしたから、どこかで、ことばでつながりたいという気持ちが随分ありました。しかし、ことば以前にからだの触れ合いの方が大事だろうという気持ちも、元々非常に強いものがありました。今、鯨岡さんの母と子を例に話されたことを聞いてるうちに、私がことばをしゃべりはじめた頃を思い出しましたので、その話をしようと思います。
 しゃべり始めというよりも聞き始めですね。私は子どもの頃は難聴で、聞こえるときと聞こえないときがあって、そのためによくしゃべれなかった。十代に入り、全く聞こえなくなり、16歳の時に新薬が発明され、聞こえるようになりました。それまでは化膿性疾患に対する薬はなかったんです。学校の体操の時間、お天道様がたとえば左から照ってると、しまったと思っても授業中なので動くわけにはいかない。ずうっと照らされると、左耳が熱くなって、家へ帰ると必ず熱を出す。すると、のども耳も痛くて、飲むことも、食べることも、唾をのむこともできず、絶対安静で、何日か寝てる以外に方法がない。それが新薬のおかげで、16歳の時に、左の耳の耳垂れが止まった。音が聞こえてくると、ことばが分かるだろうと、皆さんは思うでしょうが、そうじゃない。この頃、ことばの教室の先生方にもそのことの理解があまりないことが分かったので、この間、ある研究会で初めてその話をしました。
 新薬の開発という条件のために、私のような場合は例外なんです。耳の場合は、それまで聞こえなかったものが手術で聞こえるようになるということはまれです。ところが、目では手術で見えるようになることがあるようです。その場合、目が光を感じられるようになっても、ここに鯨岡さんがいて、そこに本があるというように見えるわけじゃなくて、光の斑点が見えるだけなんです。あそこに白っぽい斑点があって、そこから茶色っぽい斑点があり、それがつながって、また光の斑点がたくさんある。それが、まとまって、一人の人間として見えてくるまでにはいろんなステップがいる。その解説みたいな文章を読んだときに、「ああ、音も同じだ」と思ったんです。いろんな音が入ってくるけれど、鳥の声か、足音か分からない。非常に単純化して言っていますが、鯨岡さんが「竹内さん」と呼び掛ける音が、他の音と違うことは分かるけれども、鯨岡さんから出てきた音とも、ほかの人の声とも分からない。鯨岡さんが私の肩を叩いて、「ねえ、ねえ、君」と言ったら、声と働きかけがつながって、「ああ、これが鯨岡さんの声なのか」とそこで発見できる。直に触れなくても、目の前で話すことでもいいですが、この触れ合いがあって、「はあ、これがこの人から出てくる音なのか」が初めて分かる。そういう触れ合いがないと、声だけで判別できるわけでは全くないわけです。
 人と人との触れ合いを、ことばのレベルで言いますと、皆さん方はそういう時期を幼児の頃に過ぎているので、お気づきにならないが、からだからからだへ触れてきたり、一緒に揺れる体験の時に声が出て、初めて、何かの意味が伝わり、ことばが意味を持ってくる。音ではなくて、これが人の声だと分かり、その人の感情の動きだか、こちらに対する働きかけだかが動いてくる。そういう触れあいの中で、初めて起こってくることが、鯨岡さんがおっしゃった母と子のつながりなんでしょう。私の場合には、皆さんが幼児の頃、自覚しないで通過されたところを10代の終わりになってから、全面的ではありませんが意識的に通過しました。意識で考えなきゃいけなかったために、非常に中途半端なものになったんだろうと思うんです。だから、ことばが成立してくる以前に、からだとからだが触れることがとても大事なんじゃないかと思うわけです。
 こういう話をしますと、どうしてもしゃべりたくなることが一つあります。それはマルチン・ブーバーのことです。彼は、ユダヤ人の哲学者ですが、自伝のようなものに、自分の幼児期のことを書いています。
 小さいときに、両親が別居して父方に行く。牧場をやっていたのか、お父さんは馬を飼っている。そこで暮らしてるうちに、一匹の馬と非常に仲良くなり、手から餌を食べるようになり、撫でたりして毎日一緒に遊んでいた。ところが、ある日、たてがみを撫でていて、「ああ、これはいい気持ちだなあ」と思ったんだそうです。その次の日から、馬は彼の手から餌を食べなくなった。今まで、自然につながっていた、つながってること自体の中で、二人とも生きてたのが、ああ、これは気持ちがいいなと思い、気持ちがいいために撫でるということになった途端に、そこでプツッと何かが切れた。自分にとって気持ちがいいから撫でることは、私に言わせると自分に閉じこもることなんです。だから、気持ちがいいと思った途端に、馬は自分の裏切りに気がついたんだろうか、というような意味のことをブーバーは書いている。
 これは立証はできないことだけれど、私は非常に良く分かる気がするんです。私たちは一人一人、別々だけれども、その中で、何かがつながる、コミュニケートする。わかり合うということの原点に戻ると、少年ブーバーと馬が、毎朝会っていた時のような関係。意識の層でいうと、いつもの私たちの生活の層が意識の上の方にあるとすれば、それよりずっと深いところの層で、そういうものが生きていて、そこで私たちはつながるんじゃないだろうかというようなことを考えるわけです。(「スタタリング・ナウ」2003.5.17 NO.105)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/19
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