伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

ゲシュタルトの祈り

ゲシュタルトセラピー〜第18回吃音ショートコース〜

 2012年秋の吃音ショートコースは、講師に倉戸ヨシヤさんをお迎えし、ゲシュタルトセラピーを体験しました。贅沢な時間でした。(「スタタリング・ナウ」2013.2.22 NO.222)

第18回吃音ショートコース 2012/11/22〜24
   ゲシュタルトセラピー

 倉戸ヨシヤさんの温かく気さくな人柄に委ね、朝から晩までまる一日かけての講習。いたる場面で、ゲシュタルトセラピーのキーワードである「今、ここ」が体現、喚起される、貴重で贅沢な時間であった。私にとって印象的だった模様を紹介したい。
                    報告:大阪スタタリングプロジェクト堤野瑛一

体、どんな状態ですか?

倉戸:今、自分がどんな顔をしているか、声をしているか分かりますか。私は今風邪をひいていて、少し違和感があります。自分の声ではないみたい。自分の体に注意を向けて点検してみて下さい。

参加者:体全体がだるい・顔がこわばっている・肩が凝っている・息が苦しい・腰が痛い・首が痛い・胃が重い・表情が固まっている・目が疲れている・瞼が重い

倉戸:きちんと言葉にして、自分を表現してみる、形にすることをお勧めします。
 自分の体の状態を対象化してください。僕は今、声の調子が悪く違和感があるので、その「声」に話しかけます。「お前、今日は調子が悪いなあ」と。今度は、「声」になったつもりで応答する。「そう言われたって、風邪気味で、予防もろくにしなかったお前が悪いんや」「でも、普段はもっとええ声やのに、しっかりしてくれよ」こんな具合に、会話を続ける。会話が収まる地点に到達できれば幸いです。了解がつく、和解がつく。「もうええわ」でも構わない。とにかく、会話が終わるまでやってみる。決着の着かない人は、「今日は決着が着かなかったが、今は休戦や。また話し合える時が来たら、話し合おう」と考えて下さい。
 どんな経験をなさいましたか?

参加者の感想:
 「楽になりました」
 「最初と少し変わりました」
 「体に血が巡ってきました」
 「気にしなくてもよくなった」
 「とても疲れていたことに気がつきました」
 「余計に肩が凝ってきました」

形にすること

倉戸:大切なのは、言語化して形にし、それに触れること。肩も首も足も声も、全部自分のもの。だけど一方で、いつでもどこかに他者がいる。たとえば、僕にとって伊藤さんは他者で僕の中の伊藤さん像。伊藤さんと会話をしているようで、実は僕の中の伊藤さんと会話をしている。だけど、目の前にいる伊藤さんと会話をしていると、自分の中の伊藤さんとの間にズレが生じることがある。このズレこそが他者。そういう時、そのズレもきちんと形にする。きちんと他者と出会わないといけない。コミュニケーションをとる。理解しようとする。それがピッタリ納得いくと、また次回気持ちよくお目にかかれるでしょ?
 ここは関西ですが、あえて言います。僕はジャイアンツファンです。僕のこと嫌いになったでしょ? 形にするということは、リスクを伴う。だけど、相手に自分のことを分かってもらうには、形にしないといけない。形にしなければ、前に進めない。他方、何でもかんでも形にしないと気が済まない人もいる。こういう人も、生きるのが大変。大切なのは、自分でその都度選択すること。

傷口を閉じる

倉戸:私は昔、小さな娘を亡くし、イメージワークの中で、何度もその子に謝った。現実には、その子は目を開けたことはなかったが、ワークの中では目を開けてくれた。すべては僕の心の中で起こったこと。辛い体験を、必ずしも乗り越えたり克服することはない。僕は「乗り越える」「克服」という言葉は嫌いだし、使わない。ずっとそのままで記念にとっておきたい思い出もある。でも、イメージワークで、日常生活に支障のない程度には回復させた。一時、ロジャーズの来談者中心療法の、受容、共感、傾聴のスタンスで、11年カウンセリングをしていたが、娘の死やいろんなことを体験して、そのスタンスは手放した。傷つき体験を傾聴するだけでは、傷口を開くだけ。開かれた傷口は、きちんと閉じなければならない。このことを、ゲシュタルトセラピーでは大切にします。

気づきに始まり気づきに終わる

倉戸:ゲシュタルトは、ドイツ語で「形にする」「全体」「つながり」「完結する・閉じる」という意味。全体というのは、理想の自分をもつことも、理想と現実のギャップに悩むことも、全部含めて自分だということ。理想の自分が本当の自分でも、現実の自分だけが本当の自分でもない。それまるまるが自分だ。完結する、閉じるというのは、ただ聴きっぱなしでは駄目で、傷口を開いたら、きちんと閉じなければならないということ。被災地では、カウンセラーが、ボランティアであちこちで人の話を聴いているが、閉じることをしない。聴きっぱなし。私たちは、きちんと完結すること、閉じることをする。ゲシュタルトセラピーの、気づきに始まり気づきに終わるプロセスこそが、人を活き活きさせる。こちらが一方的に教えてあげるのではない。私たち心理学者、カウンセラーは、クライアントがそのプロセスを経るための触媒の役割をします。化学で、物質が化学反応を起こすように、クライアント自身が、私たちに触れることで、自ら化学反応を起こしてくれる。こちらの価値観を押しっけて、決まった方向へ導くのではなく、僕なら僕と出会う人が、その出会いをきっかけに、自分で変わる。僕が、そういう触媒の役割を果たせたらいいなと思っています。

ゲシュタルトの詩

私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私がこの世に生を受けたのは、あなたの期待に応えるためではない。
あなたもこの世に生を受けたのは、私の期待に応えるためではない。
あなたはあなたであり、私は私である。
でも、もしも期せずして、お互いに出会ったなら、それは美しいことである。
出会えなかったとしたら、それは仕方のないことである。

倉戸:僕はこの詩に出会った時、衝撃を受けました。僕はクリスチャンの家庭で育ち、みんなとても仲が良かった。家族で結束して、外的から守っていた。だから僕には、人生は人のためにとか、一人は万人のためにという価値観が、長い間根づいていた。でもこの詩は真っ向から違う。
 僕の尊敬する先生も、論文の中で、こんな個人主義的、独りよがりな詩はないと書いていた。でも、よくよく考えてみると、僕は阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、支援活動をしていたけれど、人のためになんて思っていたら、とてもできない。自分がやりたいから、自分のできる範囲のことをする。それでも時々、自分は本当にこれがしたいのかなあと悩むこともある。だけど、それもこれも含めて、全部まるまる僕。これは詩で、こうしなさいとか、これをモットーに生きなさいとかではない。この詩は、パールズが研修医時代に、通っていたレストランのウェイトレスに宛てて、ナプキンに書き残した詩。その時彼がふと思いついた情緒的なものであって、理念とか思想とか、そういうものではない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/25

今、ここに生きる

 吃音とともに生きることを決めた僕の前には、たくさんの学びたい、学ぶべきことがありました。「吃音を治す・改善する」には、治療法しかありませんが、よりよく生きるためには、先輩が残してくれた大切な、哲学や心理療法や、精神医学、社会学がありました。吃音を否定的にとらえることで起こる行動、思考、感情に対して役立ちそうなことを探して、本を読み、ワークショップに出かけました。そのひとつが、ゲシュタルトセラピーでした。倉戸ヨシヤさんのワークショップに参加し、僕たちの2泊3日の吃音ショートコースというワークショップの講師として来ていただきました。その中で学んだ「ゲシュタルトの祈り」は、ずっと心に残っています。
 「スタタリング・ナウ」2013.2.22 NO.222 より、巻頭言を紹介します。

  
今、ここに生きる
                       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 ゲシュタルトセラピーは、私の好きなものの一つだ。吃音ショートコースに講師として来て下さり、久しぶりにお会いした倉戸ヨシヤさんとは、苦い思い出がある。
 20年以上も前のことだが、倉戸さんが私たちの集まりに講演に来て下さったことがある。倉戸さんの開口一番のことばが、「私は、以前、伊藤さんにつれなくしましてね」だった。
 私は「吃音を治す・改善する」はきっぱりと捨てていたが、吃音を否定的に捉えて悩むことで起こってくるマイナスの影響に対してのアプローチをずっと模索していた。役に立ちそうなものは、貧欲に学び、吸収したかった。
 私のゲシュタルトとの出会いは、随分前の、あるワークショップで知った、ゲシュタルトの哲学の九つ原則だった。

1 今に生きよ、過去や未来でなく現在に関心を持て。
2 ここに生きよ。眼の前にないものより、眼の前に存在するものを取り扱え。
3 想像することをやめよ。現実を体験せよ。
4 不必要な考えをやめよ。むしろ、直接味わったり見たりせよ。
5 操縦したり、説明したり、正当化したり、審判しないで、むしろ表現せよ。
6 快楽と同じように、不愉快さや苦痛を受け入れよ。
7 自分自身のもの以外のいかなる指図や指示を受け入れるな。偶像礼拝をしてはならない。
8 あなたの行動、感情、思考については完全に自分で責任をとれ。
9 今のまま、ありのままのあなたであることに徹せよ。

 吃音に深く悩んでいた21歳までの私に対してカツを入れてくれているような内容だったが、ゲシュタルトセラピーそのものがどこで体験できるかを知るにはしばらくかかった。身近にいた友人の紹介で、高野山のワークショップに参加した。
 その後何度も参加し、多くの人の人生の悩みに同席し、さらに学びたいと思っていた時、2年間メンバーを固定しての集中訓練の募集があり、申し込んだが、私は断られてしまった。
 私は当時、ほとんど自分が抱える問題はなくなっていたためワークを必要としない。いつもワークを支える外側にいるメンバーだった。加えて、吃音の問題に生かしたいと、ついメモをとっていた。その態度が、倉戸さんにとっては、常に第三者的な傍観者と映ったのだろう。
 私は、ワークこそしないが、傍観者でいたことはない。心は常に動かされ、ワークをした人と共にいた。ただ、吃音に生かしたいとの思いが強すぎ、感じるよりは、頭で学ぶ姿勢が強すぎたことは反省した。そのことを伝え、是非、メンバーに加えてほしいと、お願いの手紙を書いた。
 一度断られたものに、手紙を出してまで再度お願いするのは、よほど、今吃音に悩んでいる人に何らかの役に立つから体験したいという思いが強かったのだろう。その思いは伝わり、倉戸さんは一度断った私をメンバーに入れて下さったのだ。
 今回の吃音ショートコースで2人がワークをした。ひとりは、親との関係について、あとひとりは、自分の吃音との関わりについてだ。
 今回の報告で、エンプティチェアのワークを紹介しているが、残念ながら文字で伝わるのはごく一部だ。声の大きさが、姿勢が、からだがどんどん変わっていくのは、その場でいなければ分からない。終わった時のなんとも言えない、安堵した表情。「どもり様」が「どもりさん」に変わり、恨み辛みをぶつけていたのが「戦友」に変わる瞬間。私も彼女と共に今を生きていた。彼女がどもりを戦友と呼びかけたとき、私も泣いた。
 このような瞬間に立ち会ったとき、私はかって、メモをとったことがあった。その人の世界に、その人と共にいたら、とてもメモなどとれるものではない。傍観者ではないと、私は倉戸さんに手紙を書いたけれど、その自信が揺らいだ。倉戸さんが、つれなく当たったのも無理はない。
 25年の歳月を経て私はそのことに気づいた。
 二人とも胸に迫るワークだった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/09/24
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