
発表が終わってから、短い時間でしたが、感想を書いていただきました。書くことでまた違った新・吃音ショートコースが浮かび上がってきたようです。紹介します。
○久しぶりに吃音のことを深く考える機会でよかった。日本語のレッスンでは、以前、大阪吃音教室の日曜例会で1日かけてやった「竹内さんのレッスン」を思い出した。そのときも、言葉と体はつながっている?というようなことをいろいろ勉強したが、その後の日常生活であまり活かしきれてなかったと思う。やはり、勉強して実践してみたいことは、常に日頃から意識をしてやっていかないとダメだと感じた。今回、勉強した日本語のレッスンの中の、「一息で全部言う」「一音一拍」と、どもりそうになったときの対策として、「電話線を通して相手に届ける」「電話の向こうの空いてをイメージする」「相手に聞き返されたらチャンスと思い、ゆっくり話す」の話は、早速意識しながら実践していこうと思う。
○大阪吃音教室とは違い、全国、遠い所から参加される人がいる。この場で何かを確かめるかのように参加している人、自分の人生の何かと重ね、関連づけて話をする人、そんな姿に、私はインスパイアされる。いい刺激をもらって、また日常へと還っていこうと思うし、またこういう場に参加しようと思うのだ。
○在宅ワークになり、大阪吃音教室に参加できる機会がほとんどなくなったので、久しぶりに2日間、吃音についてゆっくり考えることができて有意義でした。幸せについて考えた中で、私は自己受容ができていることが幸せと感じました。今までどもりで悩むことばかりでしたが、大阪吃音教室に出会えて、自分自身を受け入れられるようになってよかったです。
○自分の人生の振り返りを発表させていただき、ありがとうございました。吃音を治すのでなく、吃音の子どもたちと共に生きようとする言語聴覚士が、ひとりでも増えるよう、みんなでがんばっていけるといいかなと思います。考え方を変えないといけないときは、勇気をもって、ふんばって、みんなで手を取り合って、変えなければいけないと思います。
○内容の濃いあっという間の2日間でした。要項にある「吃音哲学」というテーマがピンとこず、心理学的な難しい話をされるのだろうか、果たしてついていけるものだろうかと心配でしたが、杞憂に終わり、思い出に残る2日間となりました。日々、不登校のお母さん方と話し合ってきた、子どもの自己受容、自己肯定、その子を支えるお母さん方の自己受容、他者貢献とも相通ずるテーマでした。内容も、ぎりぎりの子どもたちを支援する人と伊藤さんの深い対談、情景の浮かぶことば文学賞の素晴らしい作品たち、ハピネスではない深い幸せのウェルビーイング、コロナ禍に入って以来の歌を歌ったり、台詞を言い回す体験、日々の困りごとへの対処法、他人は変わらないけれど、自分たちの物事へのとらえ方は変えるとができるという話、大阪吃音教室で受けたライフサイクル論など、こんなに時間が経つのが早く、惜しいと思ったことはありませんでした。
○今回の新・吃音ショートコースは、世界のこと、自分のこと、自分の身の周りで起こっていることを、ちゃんとことばで表現しよう、違うことばの持つ異なる意味、ニュアンスをちゃんと区別しようという内容のイベントでした。思い出せば、私が自分でものを考え始めた1970年代後半は、世界中で「ことばが世界を分節化する機能を疑おう」「ことばを使って考えるのをやめ、丸ごと世界を認識し直そう」という思想が提唱され、広まった時代でした。その後、時代が大きく移り変わり、ことばを大事にしない人があまりに増えて、社会の要路を独占する時代がきてしまい、今再び、一つひとつのことばを大切にするところから世界をやり直すしかないところに舞い戻っているのだと思います。
○2日目だけの参加でしたが、ことばの教室の実践報告や日本語のレッスンの体験、合理的配慮についての話など、たくさんの吃音の世界に触れることができ、楽しかったです。合理的配慮については、以前にも「ほどよいストレスは子どもの成長にとって大事」と聞いたことがありましたが、今、関わっている子どものことを考えながら聞くと、より腑に落ちました。ショートコースを皮切りに始まる吃音のイベント、これからどんな出会いがあるかとても楽しみにしています。
○今回が初めての参加でした。途中からしか参加できなかったため、一番惹かれたタイトル「幸せについて」のお話が聞けなかったことがとても心残りです。少年院の子どもたちの話を聞き、人はどのような形であれ、自分の嫌なことや好きなこと、その全てを通して成長していけるのだと思いました。ライフサイクル論はやり直しのきくものだということばを聞き、どんな紆余曲折を経ても良いんだと、安心する気持ちを感じたのと同時に、とても優しい学問だなあと思いました。
○自己決定権の尊重と幸せの話が2日間の中で一番印象的でした。祖父のケアのことや今、職場で関係している子どもたちのとのかかわりを思い出しながら話を聞いていました。何が目の前の人にとっての幸せなのかをこれからも考え続けながら、人とかかわっていきたいです。自由であることが幸せであるということを、子どもたちに伝えていきたいと思いました。
○印象に残ったのは、1日目の対談後の話し合いで、生徒は、話の内容よりも、その場や時間を覚えているとの意見が出たことでした。また、私も、吃音の相談を受けることがあり、後からもっとこう言えばよかった、ああ言えばよかったと反省することや、1回相談に来てその後来なくなると、対応が悪かったかなあと思っていたのですが、反省しなくていい、1回来てそれで落ち着いたんじゃないかというのを聞いてほっとしました。2日目のウェルビーイング、幸せについては、初めてじっくり考える機会でした。自己決定できる幸せを初めて考えました。どちらかと言えば、他者信頼、他者貢献の方を思っていましたが、フランクルの「最悪の場でも、心の自由は奪えない」を思い出し、自分で選べることの大切さを思いました。
○みんなのいろいろな話を聞いて考えることができた。幸せについては、吃音をもったまま生きることの意味を考えることになった。今後、例会のテーマとして活用できると思った。日常を離れ、じっくり自分をふりかえる時間はとても心地よく、いい時間を過ごすことができた。
○発表の広場での発表は、2回目でした。今回はとてもリラックスした気持ちで、浮かんだことはばを伝えていこうと、ポイントとなることだけ考えて話しました。子どもたちのことを伝えたいということだけが頭にありました。みなさんからもらったことばを整理して、子どもたちに伝えようと思います。幸せについて、みんなそれぞれの一番を聞くのがおもしろかったです。どれも大事だけど、今の私にとっての幸せを感じるものなのでしょう。ときどき、幸せチェックをしてみようと思います。ことば、日本語のレッスンも久しぶりに声を出したという感じで、気持ちがよかったです。体も声も、カチカチ、ガチガチなのが分かりました。気持ちよかったし、楽しかったです。
○対話の難しさについての対話は、去年の吃音親子サマーキャンプでの経験を改めてより深く考えるヒントをもらえたと思う。最近、吃音と自由ということを考えている。自由だということは、自己決定ができるということだと、つながった。幸せということを集中して考えることができ、良い時間だった。日本語のレッスンで大きい声を出そうとしたときに指摘された、体の力みは、普段自分では気がついていなかった。台詞を読む楽しさを感じたし、発表の広場で発表もでき、満足している。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/28