伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

にんげんゆうゆう

本音

 時間が経っても、あのときのあの人の発言は忘れないということがあります。
 NHK番組「にんげんゆうゆう」のテレビカメラが入った大阪吃音教室、その日初めて参加した野村さんの、講座の最後の感想です。90分間の講座の空間、そこで交わされていた対話、どもる人の体験、それらが彼女に「吃音でもいいかなと思えてきました」という発言につながったのです。戦略ではない、本音として、「このままでいい」と思っている僕たちだからこそ、人を動かしたのだろうと思います。
 「どもっていてもいいんだよ」と言いながら、なんとかどもらずに音読できたらと思って、一生懸命音読練習している担当者がいるとしたら、敏感などもる子どもはその矛盾に気づき、見破ってしまうでしょうね。
 本音でそう思えるか、そこにかかっているのだと思います。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.4.20 NO.92 の巻頭言を紹介します。

  
本音
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「これまで、吃音にマイナスのイメージをもっていましたが、皆さんに会い、話を聞いて、吃音でもいいかなと、思えるようになりました」
 2000年、NHKの福祉番組『にんげんゆうゆう』で、若い女性がこう言っていたことを、番組を見られた方なら覚えている方も多いことだろう。あまりにも劇的な転換に「ヤラセ」ではないかと思われるのではと心配になったほどだ。
 NHKのテレビカメラが、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの、週一度のミーティング、大阪吃音教室に入った日、初めて参加した野村貴子さんが大阪吃音教室の終わりの感想として言ったことばだ。スタジオではこの発言を受けて話が続いた。

柿沼アナウンサー: 伊藤さん、あの人は、会に来てみんなの話を聞くうちに、まさに今考え方が変わったということなんですね?
伊藤: そうなんですね。あの大阪吃音教室そのものが、吃音と上手につき合うことを目指しているのでああいうことが起こるんですね。私たちが会を作った35年前までは、吃音は治さなければならない、治るはずだという考え方だったから、治したいとばかり思っていました。そういう中では、あのようなことは起こらなかったろうと思いますね。セルフヘルプグループの活動の中で、どもりは簡単には治るものではない、治療法もない、それでは「吃音とつき合う」しかないじゃないか、とおぼろげながら分かってきた。そのとき、吃音というのは、ひどくどもっていても平気な人と、ちょっとしかどもらないのにひどく悩む人がいる、上手につき合っている人とそうでない人がいるわけですよ。この教室に参加している人は、吃音を治そうとは考えず、吃音と上手につき合うことを学んでいる人たちだから、その人たちの話を聞いて、「ああ、こういうふうにつきあえば生きていけるのかと思った時に、吃音でもいいかなあと思えたのでしょうね。

 先だって、大阪吃音教室の一年間のスケジュールが終わって、この一年を振り返る日に、野村さんに、あの時からどう変わったかの質問がみんなから出された。
 『あのときのことばは、本当にそう感じたから言ったが、あれきりこの大阪吃音教室に来なかったら、今の私はないかも知れない。大阪吃音教室が楽しくて、毎回参加し、世話人にもなり、吃音ショートコースや吃音親子サマーキャンプなど、ほとんどの行事に参加した。その中で、この大阪の仲間は、戦略的ではなく、本音で、本気で、『どもってもいい』と思っていると思った。仮に、「吃音を受け入れよう」という一方で、「吃音を治そうとしたり、改善するために努力しよう」としていたら、私は変われたかどうか疑問だ。「どもってもいい」という考えやことばをシャワーのように浴びたから、そして、実際に行動して、そうだと実感できたから私は変われたのだ』
 野村さんはそう振り返った。
 この時、もう25年も前になるだろうか。ある吃音の専門家から言われたことばを思い出した。
 「君たちは狭い。吃音と共に生きるという考えは、間違っていないし、素晴らしいものだが、吃音を治すという考えも否定してはいけない。吃音を受け入れる方向と、少しでも吃音を軽くする方法を両立させればいい。頑なにならずにもっと幅広く考えられないか」
 このような指摘を受けたが、あれもこれもと取り組むエネルギーは私たちにはない。私たちは、私たちの信じる道を愚直に生きるしかできない。吃音を治す取り組みは一切しないで、「吃音のままのあなたでいい。どもってもいい」と、吃音と共に生きることだけに集中して取り組んで来た。それがどもる人や吃音を否定しない、自己肯定の道だと信じていたからだ。野村さんの体験はひとつの答えを出してくれていると私は思う。
 狭いと言われようと、頑なすぎると言われようと、私たちは、「どもってもいい」と主張していきたい。だからと言って、ことばに対して何も努力しないのではなく、吃音親子サマーキャンプで厳しく演劇に取り組んでいるように、表現としてのことばのレッスンには取り組んでいきたい。どもるどもらないのレベルを越えて、いわゆる吃音症状の消失や改善を目指さない『からだとことばのレッスン』だ。そうして周りを見てみると、吃音が治ることを諦めきれない人たちよりも、吃音を受け入れようと主張する私たちの方がむしろ、ことばにこだわり、「生きる上での声」を耕す『ことばのレッスン』に人一倍取り組んでいるのではないかと思う。
 どもってはいても、野村さんの声は大きく、力のあるものに変わってきた。そして表情も、涙ぐんで発言していたあの時とは別人のように輝いている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/11

NHK番組「にんげんゆうゆう」を偶然見て、その後、大阪吃音教室に参加した人の話

 たくさんの人に視聴いただいた「にんげんゆうゆう」。中には、この番組がきっかけで、大阪吃音教室に参加してくださった方もおられます。
 偶然というものは、あるのですね。たまたまテレビをつけたときに流れていたとか、テレビ欄を開いたときに目に入ったとか、そんな偶然の出会いが、これからの自分の生き方に大きく影響するということもあるようです。思い切って行動するということの大切さを思います。
 偶然「にんげんゆうゆう」を見て、大阪吃音教室に参加された方の感想を紹介します。

 
偶然見たテレビがきっかけで参加した大阪吃音教室
                              大島純子

 私自身が最近あるセルフヘルプグループに参加するようになって、今までの自分を振り返りながら思うことをことばにし、他者に共感してもらうことで、「なんだか気持ちが軽くなるなあ」という経験を少しずつですが、しています。
 「自分だけではない、自分が悪いのではない」と自分を肯定的にとらえる努力をしながら、コンプレックスをもつ自分を徐々に受け入れていっているといえるでしょうか。
 そんな時期に、NHK教育テレビでセルフヘルプ活動についてのリポートがあることを偶然見つけ、とても興味を持って見ました。
 大阪吃音教室では、どもりを持つ自分の体験を各々が皆の前でスピーチされていました。つっかえたりしながらもご自身を表現し、それを皆さんが共有し、時には考えを言い、和やかな印象を受けました。やはり同じ悩みを持つ仲間に共感してもらうということはいいことだなあと感じ、私も勇気を出して大阪吃音教室に参加しようと思いました。
 私もどもることにコンプレックスがあります。中学、高校時代には症状が結構目立っていたし、何より自分自身がどもることを非常に恐れていました。人づきあいが苦手というか、性格的なことやその他の要因はあったにせよ、人と喋ることにいつも緊張し、実際どもってしまうので余計に息苦しくなっていました。最近はその頃よりは目立たなくなっている(うまくごまかしているだけかもしれませんが)とはいえ、完全になくなったわけではなく、心のどこかでいつもどもる自分を恐れています。そしてうまく話せない瞬間には、なんともいたたまれない気持ちが襲ってきます。
 「うまくつきあっていくしかないのか」と思うようになった時、このグループにつながることができてよかったと思っています。どんなふうにどもりとつきあっていくかを一人で模索するより、同じ仲間のいるグループで見聞きしながら考えていく方が力づけられると思います。また、毎週のプログラムは、幅広いテーマを扱い、よりよい人間関係を作ったり、自分を成長させることに役立つ教室のようで、ちょっと期待もしています。参加して間もないですが、あせらずマイペースで、いろいろ吸収して前進したいと思っています。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/24

NHK番組「にんげんゆうゆう」のカメラが入った大阪吃音教室に初めて参加し、最後の感想で「吃音でもいいかな」と発言した人の話

 あまりにも劇的なしめくくりとなったあの日の大阪吃音教室。最後に初参加の感想を語った野村さんは、収録の翌週、大阪吃音教室に参加し、再度感想を求められ、「先週はああ言ったけれど、…やはり、できることならどもりたくない」と言います。正直な人です。自分の気持ちに正直な人だからこそ、その後、僕たちの仲間として活動を続けることができたのだと思います。

    
どもっていいかな…
                                 野村貴子

 私が吃音になったのは、中学2年の時です。でも、全く気にしていなかったので、困るようなことはありませんでした。
 しかし、就職活動の時、自分の大学名と名前が言いづらく、だんだんと気にするようになり、ひどくなっていきました。そして、吃音を治そうと決心し、話し方教室に1年間通いましたが、結局は治りませんでした。
 そんな時に、インターネットで大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)を知り、藁にもすがる思いで参加しました。
 第一印象にとても驚きました。なぜかというと皆さんとても明るかったからです。私は今まで吃音を隠そうと思っていましたし、恥だと思っていたからです。
 そして、なんとその日はNHKテレビ収録の日だというのです。一週、参加を遅らせばよかったとチラッと思いましたが、まあ私は映らないだろうと思っていました。でも、バッチリ映っていたので驚きました。その中で私は例会の最後に、初参加の感想を求められ、「吃音でも別にいいかなと思えた」と言いました。言い終わった後すぐに、とんでもないことを言ってしまったと思いましたが、でも本当のその時の気持ちです。単純に吃音でもいいかなと、その時は思えました。
 番組放映の次の日の大阪吃音教室で、あの時あのように言ったけれど今はどうですかと聞かれ、「やはり、できることならどもりたくない」と、収録の時言ったこととは少しちぐはぐなことを言いましたが、これも、その時の本当の気持ちです。
 このように揺れてはいますが、ひとつ私が確信を持って言えるのは、心の負担が軽くなったことです。どもる人は私の他にたくさんいて、堂々とどもっている。驚きと同時に安心感やうれしさを感じました。
 吃音を隠そうとして、辛い思いをされている方々がまだたくさんいると思います。その方々が大阪吃音教室のことを知り、参加されれば、私のように気持ちが楽になれるだろうと思います。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/23

NHK番組「にんげんゆうゆう」視聴者の感想

 「にんげんゆうゆう」をご覧いただいた方は大勢いらっしゃいました。番組の最後に、僕の自宅の電話番号である、吃音ホットライン:072-80-8244 が流れたのですが、相談の電話がたくさんかかってきました。1週間で200件はあったでしょうか。その後もしばらく反響は続きました。僕は自宅の住所も、電話番号も、そして顔写真もオープンにしています。その頃と比べて、今は、インターネットの世界は格段に広がり、いろいろな人が吃音に関しても発言しています。きれいに飾られた、見やすい画面に、たくさんの情報が発信されています。それを作った人がどんな人なのか、どんな考え方をもっている人なのか、その発言にどんな背景があるのか、それらを確かめてみる必要があるだろうと僕は思います。安易に、耳に優しい情報に惑わされないよう、気をつけたいものです。
 今日は、「にんげんゆうゆう」をご覧になったひとりのどもる子どもの母親の感想を紹介します。

   
二度のテレビ体験
                           松尾ひろ子

 久しぶりに、中学校3年生になる息子とテレビを囲んだ。この日は、朝から自分がテレビに映るかもしれないと、とてもうれしそうであった。
 5年前、私は、当時小学校4年生になる息子の吃音に悩み、はじめて大阪吃音教室の両親のための相談会に参加した。その時も、『週刊ボランティア』という番組のNHKのカメラが入っていた。その時は、何とか吃音を治してやりたいことしか考えられず、息子の吃音をテレビの電波を通して公表することなどとても考えられなかった。
 今、こうして息子も映り、吃音を取り上げたテレビを二人で見て、吃音の話ができるなんてその時は想像すらできなかったことである。改めて自分自身の変容に驚いている。
 新聞のテレビ欄ではよく目にしていた『にんげんゆうゆう』ではあったが、実際に最後まで見たのは初めてであった。限られた時間の中で見事に『吃音』が語られていた。《吃音って何?》《吃音の人は何が困るの?》《セルフヘルプグループって何をするの?》そんな見る側が抱くであろう疑問に、具体的にわかりやすく説明されていた。また、大阪吃音教室の様子や親子サマーキャンプの紹介、そして吃音ホットラインが画面上に流れたことも、吃音理解に効果的であった。
 吃音でない人も、吃音の人も、また、どもる子どもを持つ親やそれに携わる人々が、それぞれの立場でそれぞれ得るものがあった貴重な番組ではなかったかと思う。
 その中の「話したい内容がある」「生活の質」が大切という点について、思いつくままに自分の子育てを振り返ってみたいと思う。
 まず、日常の生活の中で、子どもがどもってでも話したくなるような聞き手(母親)であっただろうかということである。どうしても、話の内容よりもことばがすらすら出るか、母音が出にくい、などの話し方がとても気になってしまい、子どもにとっては「聞いてもらった」「わかってもらえた」という実感は持てなかっただろうと思う。
 これは私自身の未熟さに起因するものであるが、子どもが今、伝えたい気持ちを話し方も含めて全部を受け止めてやるだけの心の余裕が持てなかったことも実感している。
 子どもが小さい時ほど不安が大きく、『何とか話させないと、話せなくなってしまうのではないか』というような強迫観念にも似た気持ちが働いていたと思う。
 今、思春期に入った息子は成長と共に口数も少なくなってきた。何を考えているのか不安になる時もあるが、話したいことがある時は嬉々として話すことがある。(話すというより、「今の僕の気持ちわかるやろ!なあなあお母さん」という感じである)
 私は、「ふーん」「そうなの」ぐらいの相づちぐらいしか打てないが、その時は手を休めテーブルに座り、その情景を想像しながら聞くように心がけている。息子がうれしい、悲しいといった感情を親にぶつけてくるのも、後僅かであろうと思うが、丁寧につき合っていきたいと思っている。
 どもる子どもの子育て(私は基本的には、特別な子育ては必要ないと思っているが)で配慮がいるとしたら、「いつでもあなたの話は聞けるよ」という心の余裕と、子どもがいくつになっても親として聞き上手になるための工夫や努力であると思う。
 番組が終わり、私は吃音という重いテーマにもかかわらず、さわやかな印象を感じていた。吃音を《贈り物》と言える伊藤さんの生きざまに脱帽しながら。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/22

桂文福さんとの出会い〜「にんげんゆうゆう」がご縁となって

 このブログにもよく登場する落語家の桂文福さん。出会いのきっかけは、今、紹介しているNHK番組「にんげんゆうゆう」でした。その番組を録画しておいて、旅から帰った文福さんに見せた息子さん。文福さんは、録画を見てすぐに僕に連絡をとってくださいました。そのときいただいたお便りを「スタタリング・ナウ」で紹介したいと依頼したところ、快諾いただきました。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)
 このときのお便りには、〈29年もこの世界でメシを食い〉とあります。番組は2000年6月だったので、それから22年経っています。文福さんは、51年間、落語家としてがんばってこられたことになります。2週間ほど前のブログで紹介しましたが、文福さんとの出会いに感謝し、これまでの文福さんのがんばりにエールを送るため、来月4月3日、天満繁昌亭での「古希おろしの会」に行ってきます。

 
落語家の道に飛び込んで
                               桂文福

 暑中お見舞い申し上げます。我々は「笑中お見舞い」となりますが、お元気でご活躍のこと、心強く思います。
 私は落語家の桂文福と申します。先日、テレビを見せていただきました。仕事の旅に出ておりまして、帰ってきましたら、家族がビデオをとってくれていました。
 実は私も小さい頃から「どもり」でした。本名がノボルなのに「ドモル」と呼ばれたりしました。でも、相撲や柔道で身体を使って発散していましたのであまり気にはしませんでした。こんな私が「話芸」といわれる落語家になり、しかも29年もこの世界でメシを食い、弟子も数名かかえて、落語家を職業として家族を養っていけてること自体、時に不思議に感じます。
 私は落語どころか人前でしゃべるのも苦手で対人恐怖、赤面症でした。それだけに一人でしゃべって多くの方を笑わせ、泣かせ、感動させられる落語にものすごくあこがれ、聞くことが大好きでした。(もちろん、田舎なのでラジオ、テレビ等で…)
 でも、大阪に印刷製本工として出てきて、生の高座を聞くにつけ無我夢中でこの世界に飛び込みました。落語研究会出身者やクラスの人気者だった方は「プロで有名になる」「売れてもうける」「スターになる」等の野心がありますが、私は師匠桂文枝(当時、小文枝)に付かせてもらうことで「何とか人前でしゃべれるようになれる」との思いの入門でした。伊藤会長のお話で「立て板に水のごとくしゃべっても、話の中味がなければ…」あのことばは胸に残りました。
 私が普通にペラペラしゃべれていたら、今頃そつのない平凡な落語家になっていたでしょう。自分で言うのもなんですが、相撲甚句や河内音頭(東西600人近い落語界で唯一の河内音頭取り)や体験談(ふるさと和歌山の農村の話等)を生かしての新作落語でユニークな独特のムードの落語家になれたことは、吃音だったおかげと、今は感謝しています。
 皆でバラエティ的にしゃべりあいすると、おもろいギャグ、トンチが浮かんでもすぐことばに出なかったり、悔しいこともありました。でも、音頭やかえ唄などは即興でスラスラと文句が出てきて盛り上がります。あえて厳しい所へ、皆さん(田舎の親、きょうだい、親戚、会社の仲間、上司)の心配をふりきって飛び込んだのも自分の勝手な行動なので、苦労を乗り越えたとか、どもりで辛かったとかはあまり人には言いません。
 しかし、先日の番組を見せてもらい、仲間で取り組んでいる会合を見て、乱筆ながらペンをとりました。歩き方、しゃべり方、人それぞれの個性です。私も障害者の友だちがたくさんおりますが、お互いにええとこ、あかんとこを心から話し合っています。今後の貴会のご発展を仲間の一人としてお祈りしています。ご自愛下さい。

 いただいたお便りの、『スタタリング・ナウ』への掲載をお願いしたところ再度メッセージをいただきました。

 皆さんの心の通う会報の末筆をけがさせてもらえれば幸せです。私の文を読んで福を呼んでもらえば光栄です。会報をお送りいただき、それにしても皆さんの吃音への取り組み方、ひしひしと伝わってきて感動しました。ぜひ、ゆっくりお会いして、いろいろお話をさせてほしいです。笑いと涙のエピソード、ぎょうさんおまっせー。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/21

吃音でもいいかな〜NHKテレビ番組「にんげんゆうゆう」

 インターネットの世界で、吃音を検索すると、さまざまな情報が得られます。大事なのは、どの情報を選ぶか、です。何が、どもる人やどもる子どもを幸せにしてくれるか、僕は、それが大切な基準だと思います。
 今日紹介するのは、2000年に、スタジオ出演した「にんげんゆうゆう」の特集です。30分間の短い番組でしたが、「仲間がいるから乗り切れる」との大きなテーマのもと、柿沼アナウンサーの的確な問いと、ゲストとして登場した岡さんの話、そして大阪吃音教室の様子が流れ、充実した番組だったと思います。その特集号「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72の巻頭言から紹介します。初参加者の野村さんの最後のことばが光っていました。

吃音でもいいかな
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音に対しては、すごいマイナスのイメージをもっていたんですが、でも皆さんとお会いして、木村さんや横の人の話を聞いたとき、良いこともあるんやと、私も吃音ですけれども、吃音でもいいかなあと思えるようになりました」
 日本吃音臨床研究会と協力し合いながら、共に活動をする、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)のミーティングの様子が、NHKの教育テレビを通して全国に流れた。
 《仲間がいるから乗りきれる》というテーマで4日間セルフヘルプグループが取り上げられた。最終日『吃音』の、インサートVTRとして、大阪吃音教室が収録されたのだ。
 テレビ収録のために特別の吃音教室をしたのではない。年間スケジュールを変えることなく、また、気負う事なく、いつものごく普通の吃音教室が進行していた。その日のテーマは、「吃音体験を綴る」。秋の吃音ショートコースに関連づけて『吃音と人間関係』について体験を綴った。自らの体験を文章にしてまとめることは、大阪吃音教室が大切にしているプログラムのひとつだが、初めて参加した人がまず驚く。大きな声で朗読の練習をしたり、人前で話す訓練をしていると予想して参加した人は、40分ほど静かに皆が一斉に、原稿用紙に向かっている姿に戸惑うのだ。
 書いた文章を、書いたその人が読むことが多いが、時間の都合で、担当者が全員の文を一気に読み上げる場合もある。30人ほどの吃音体験を一気に知る、すごい時間になることもある。
 この日は、8人が自分で書いたものを読み上げ、それを聞き、感想を言い合ったり、自分の体験を語った。驚いたり、笑ったり、拍手が起こったり、一体感の出る時間だ。
 そして、これも恒例になっている、ミーティングの最後に、その日初めて参加した人が、参加しての印象や感想を話す。NHKテレビのカメラが入っていることを全く知らずに、その日初めて参加した女性が、時に涙ぐみながら、冒頭の感想を述べたのだった。
 「うおっ」という歓声と、拍手が起こった。
 番組の展開としては、あまりにも出来過ぎている。そう感じた人もいたのではないか。
 柿沼アナウンサーも驚き、私に問いかけた。
 「今の女性は吃音に対してマイナスのイメージを持っていたけれども、吃音でもいいかなと考え方が変わったのは、まさに、人の話を聞いているうちに考え方が変わったのですね?」
 このようなことはどうして起こるのか。
 吃音の辛さや苦しみを分かち合い、だから吃音を治そう、軽くするために努力しましょうというのでは、セルフヘルプグループは安上がりの吃音治療機関になってしまう。治療となると専門家の領域だ。専門家の援助を得なければならない。
 吃音と向き合い、治すのではなく、それと上手につきあうことを目指してこそ、セルフヘルプグループは大きな力を発揮する。大阪吃音教室はそのことに徹しているから、野村さんのような変化が起こるのだと言える。
 最後にどもりどもり読んだ木村一夫さんの文章に、参加者のみんなから思わず大きな拍手が起こった。「よかったね。そんなこともあるんだ」なんだかほっとして、うれしくなる。野村さんならずとも、「吃音でもまあいいか」と言ってしまいそうだ。

 ―私自身、結婚するまでは、「自分は一生ひとりかもしれない。結婚できない」と思っていました。ところが、実際には、私の吃音が私を結婚させるきっかけになりました。
 それは、友人の披露宴で一芸をしてお祝いのことばを話したときのことです。うまくしゃべれなかった私を見た披露宴の出席者の一人に「こいつはすなおで良い人間だ」と思ってくれた人がいました。その人の娘の結婚相手を探すとき、一番初めに思いついた相手、それが私だったそうです。
 『吃音はマイナス』と考えていた私にとって、人生の転機となる結婚に対し、逆にプラスに働いたことは、うれしいことのひとつです―


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/19
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