伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

どもる君へいま伝えたいこと

千葉吃音三昧の日 二日目 千葉県吃音学習会&相談会 2

 千葉県吃音学習会&相談会の続き、午後の部です。
 午後の部は、1時30分から始まりました。質問の順番がまだ全員回っていなかったので、続きからスタートしました。
 ことばの教室の担当者が、担当している子どもからの質問を預かってきてくれました。

学習・相談2 「僕は、伊藤さんの本を読んで、吃音は能力だと思うようになりました。伊藤さんは、本を作ったとき、どんなことを思いましたか? どんなことを思って、本を作ったのですか?」
 
質問してくれた子どもは、『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)を読んでくれたようです。僕は吃音に関して、何冊も本を書いていますが、これが一番書きたかった本だと思っています。小学2年生から21歳までの学童期、思春期が、本当に苦しくて辛かったからです。そのときの自分自身に向かって、叫びにも似た思いで書き切ったのだろうと思います。
 この質問には、こんなふうに答えました。

 「吃音を否定しないでほしい」が一番書きたかったことです。吃音があるとダメだと本人が思ってしまうと、吃音を隠し、話すことから逃げてしまう。そうすると、悪い生活習慣になってしまう。そうではなく、どもりながら、したいこと、すべきことをしていこうとすれば、吃音は人生の妨げではなく、むしろ、吃音が助けてくれることが多い。吃音を入り口に、いろんなことができる。僕はそうだった。吃音からいろんなことを学んだし、吃音に助けてもらった。だから、僕が本を作るとき、一番思ったことは、「吃音をかわいそうだと思わないでほしい」ということ、これに尽きます。

 もうひとり、担当者が、保護者とどう吃音の話をしていったらいいか、何かヒントがあればと質問しました。どう話を切り出し、どう展開していくか、ですが、ちょうど午後から参加した保護者がいたので、僕とのやりとりを直接見てもらうのが一番いいだろうと思い、担当者から保護者の方へ椅子をくるりと回し、保護者からの質問を受けることにしました。急に話をふられた保護者はびっくりし、「私は後でいいです。その担当者の話を先にどうぞ」と言われましたが、「保護者とどう話をすればいいかとの質問なので、これでいいのです」と返し、対話が進みました。

学習・相談4 保護者は、途中から涙ぐみながら、こんな話をしました。
 「小学校に入学前に療育センターで指導を受けていた。小学校に入学してことばの教室に行くことになった。センターでは、言語訓練しましょうと言われ、ことばの教室では吃音を受け入れましょうと言われ、方針が全く違うので、親として困ってしまう。親は分からないから、助けてほしいと思っているのに、専門家はみんな言うことが違う。
 息子がどもっているとき、ゆっくり聞いてあげよう、支えていこうと思う。でも、ずうっとつきあっていると、しんどくなる。何が言いたいのか分かることもあるけれど、最後まで聞かないといけないと思うから、聞いている。でも、時間がなくていらいらしたり、焦らしたりしてしまう自分がいる。表面では「あなたはあなたのままでいいよ」と言いながら、本音はスラスラしゃべってほしいと思っている。この私の本音は、きっと、息子にもバレているだろう。本心からそのままでいいよと思いたいのに、そうできない自分がいる」

 僕は、自分の両親の話をしました。僕の父親はどもる人でした。母親は、どもる父親を夫とした妻です。自分の子どもである僕がどもっていることに気づかないはずがありません。でも、何も言いませんでした。悩んでいたことは分かっていたはずなのに、いっさい吃音に触れることはありませんでした。それどころか、中2のとき、僕が治すための訓練をしているとき、「うるさい! そんなことしても、治りっこないのに」と言いました。そのときから、僕は、学校にも家庭にも居場所がなくなったのです。この話に、保護者は、「気にしないでほしいと思っていたのかもしれませんね」と言いました。そして、「両親にどうしてほしかったですか」と尋ねました。
 僕は、静かに「がんばっているねと思ってほしかった」と答えました。その後、いろんな所でこの話をして、両親が吃音について触れなかったこと、放っておいてくれたこと、しっかり悩ませてくれ、それでもなんとか立ち直っていくだろうと信じてくれたことは、ありがたいことだったと思うようになりました。僕は、心から両親に感謝しています。子どもはいろいろな経験をしながら成長していくだろうと思います。親にしてもらって、うれしかったことは、おいしい弁当を作ってくれたことや病気の時看病してくれたことです。つまり、普段の生活、食事や生活上の安全に気をつけること、それだけで十分です。親に愛されているという実感は、生きるエネルギーになります。親は子どもを愛しているだけでいい、僕はそう思います。目の前で子どもがどもると、心は揺れ動くでしょう。それは、当然のことです。そんな自分を否定せず、揺れ動いている自分を認めながら、それでも、子どもを信じていきましょう。子どもの話をしっかり聞いて、対話をすることしかありません。忙しくて、聞けないときは、「今は聞けないから、後で話してね」と言って待ってもらいましょう。待てる子どもになってほしいです。

 そんなやりとりをして、また、くるりと、担当者の方に向き直り、「幼児期に言語聴覚士に出会い、指導を受けている保護者と話すとき、これまでと違う方針にもっていくのは難しい。でも、自分の伝え方で、伝えていくしかない」と言いました。今、見てもらったのは、僕の伝え方です。ひとつの参考になればと思い、急遽、やりとりをしました。

学習・相談5 理解してもらえない場合もあるでしょう。でも、根気よく続けていくしかありません。

 ことばの教室では、どんなに環境が悪くても、自分は吃音とともに生きていくんだという覚悟をもつ子どもに育ててほしいと、僕は願っています。

 ほかにもたくさん質問が出て、終了の午後4時過ぎまで続きました。
 僕にとって、とても豊かな時間でした。真剣勝負の、おもしろい時間でした。一緒に場を作ってくれた参加者のみなさんに、感謝しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/15

《特集:親の体験・親の気持ち》 レジリエンスを育てる

 明日から、第7回ちば・吃音親子キャンプです。今日、千葉入りしました。
 改めて、早7回目か、と感慨深いものがあります。僕たちの仲間である千葉のことばの教室担当者の渡邉美穂さんが、滋賀のキャンプに長年参加してきて、千葉でも滋賀のキャンプのようなことがしたいなと思い、周到な準備をしてきて、7年前に始めました。僕は最初から講師として参加しています。ちばキャンプの文化が根づきつつあると思っています。

 さて、今日は、二人の親の体験を紹介します。最初の森田さんの息子の俊哉さんは、今、吃音親子サマーキャンプの常連スタッフです。忙しいスケジュールを調整して、必ず参加してくれます。もう一人は、『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んで、感想を送ってくださいました。こんな感想を読むと、本を書いてよかったなあと心から思います。

  
よくここまで
                         静岡県静岡市 森田政子

 息子俊哉は大学2年生、今年成人式を迎えました。そして今も現役のどもりです。
 私達が「吃音」と出会って13年が過ぎました。
 小学校1年生の7月、あと2〜3日で夏休みになるというある日、「…」口を開くのに声が出ないのです。その頃の私には吃音の知識はなく、ただただ驚き、担任の先生に連絡をしました。学校でも同じ症状が出ていました。疲れかな?と思い、夏休みの間に治るのではと思っていましたが、どんどんひどくなり、2学期が始まるときには名前も言えない、ブロックの状態でした。
 その後はチックや随伴動作が出たり、とにかくひどい吃音が続きました。話すことや発表が好きなので吃音も目立ちました。それからはきっと、他のどもる子どもと同じように自己紹介、朝の健康観察、音読、九九、と苦しみ、私も他のどもる子どもの母親と同じように、担任が変わる度に会いに行ったりと一通りのことはしました。母としてその程度のことしかできませんでした。
 いろんな先生がいました。
 「しゃべれなくてもパソコンがあるから大丈夫ですよ」
 「ことばの教室に行くのは本人のプライドが傷つきますよ」
 「(参観会で)お母さん、恥ずかしいでしょうから・・(手を挙げても指しませんよ)」等など。
 でも、比較的親身になってくれる先生が多かったのでしょうか。自腹で滋賀県で行われる、吃音親子サマーキャンプに参加してくれた先生もいました。
 ただ俊哉にとって居心地の良い学校ではなかったようで、中学校は学区外の中高一貫校を受験しました。もちろん面接はどもる子どもということで配慮していただきました。そして合格。
 入学2日目。「どもるって知っていて合格になったんだよ。中学の先生たちが選んでくれたんだよ」と言って見送りました。しかし自己紹介でつまずき、俊哉の希望で私は担任の先生の所へ行きました。伊藤伸二さんの本を持って。学年全体に吃音について話をしていただきました。それが最後でした。
 環境が変わり、友だちが変わりました。自転車も乗れないような子が、誘われてラグビー部に入りました。そのラグビー部が俊哉の中高6年間の居心地のよい居場所になりました。ラグビーは下手だけど一緒にいる友だちができ、可愛がってくれる先輩がいて「学校、楽しい」と初めて言ったのも中学生のときでした。小学生のときはいつも「どもり、大丈夫かな」と思っていたのが、中学生になり「ラグビー、ついていけるかな。ケガしてないかな」と変わりました。生活全般がラグビーになりました。それ以降、吃音親子サマーキャンが近づくと吃音について考えるくらいでした。
 その頃になると、不思議とどもりがひどくなると思っていましたが、今になってみると吃音を気にかけるからひどくなったように感じただけで、常に俊哉の吃音はかなりのレベルを保っていたのだと思います。サマーキャンプも無事卒業し、あこがれの大学でラグビーをするために東京で一人暮らしを始めました。
 上京する日、車で静岡駅まで送り、俊哉をおろし家に帰る途中、私は涙ってこんなに流れるんだと思うくらい泣きました。それは寂しさもありましたが、不安や心配でした。「自分の名前もうまく言えないのに、ひとりでやっていけるのかな。苦労するだろうな」などと考えてしまったからです。でも、俊哉はそんなことは気にせずマイペースに瓢々と一人暮らしを楽しんでいるようです。「心配するのが母親の仕事だから仕方ないね」と俊哉には言われています。
 昨年末、友人の父親の葬儀で、久しぶりに会ったラグビー部の友人に「俺にまでどもってどうする」と突っ込まれ照れ笑いをしていました。
 小学4年生のとき、静岡のわくわくキャンプで伊藤伸二さんと出会い、初めてどもる大人に会いました。伊藤さんに魅かれ「あと○ヶ月でサマキャン、伊藤さんに会える」と励みにし、一年分の元気をもらい、なんとか乗り越えてきました。
 そんな俊哉も20歳、とても頼もしくなりました。サマーキャンプなどで出会うどもる子どもの症状は、俊哉のどもりと比較してしまう私からみたら「どこが、どもるの」と思うくらいでした。でも吃音の問題は、症状ではなく隠れた部分なのだと思います。私が初めて聴いた伊藤さんの講演は氷山の一角の話でした。そのときはなんとなく頭でわかっただけでしたが、今は心から実感しています。
 俊哉の吃音症状は変わりませんが、吃音で悩むことはなくなりました。これから就職活動があります。またドキドキの日が始まりますが、俊哉は全く気にしていないようで「面接でお茶を出されたら飲むほうがいいのかな?」「コーヒー飲めないんだよな」などと言っています。さすがです。
 本当に長く辛い日がありました。でも良い出会いがありました。周りの人々に助けられました。吃音親子サマーキャンプで多くの人に出会い、楽しい体験をたくさんしました。俊哉のいろいろな姿を見ることができました。今はあの辛かった頃が良い思い出です。今苦しんでいる子も親もたくさんいると思います。でもきっとその苦しみは報われるし、思い出になる日がきます。
 ただ、どもる子ども本人の本当の心は私にはわかりません。でも俊哉の力を信じているし、もしひとりで乗り越えられなくて少しでも私の力を必要としてくれる時がきたら、母として受け止められるように準備万端にしていたいと思っています。そして、俊哉の吃音に悩み、生活の中心が俊哉になってしまい寂しい思いをしながらも、サマーキャンに一緒に参加したり、学校(高校まで同じなので)での様子を見守って支えてくれた姉・友梨奈にも感謝しています。一緒だったから、きっと乗り越えてこれたのだと思います。
 いつか、俊哉の子どもと親子3代で、友梨奈も一緒に吃音親子サマーキャンプに参加することが森田家の「予定」に入っています。サマーキャンプでお会いしたら、是非声をかけて下さい。

  『どもる君へ いま伝えたいこと』と出会って
                          広島県広島市 永田敬子

どもる君へ 表紙 新 この本に出会えたことを感謝せずにはいられません。どうしても伊藤伸二さんにお礼を伝えたくて、突然のことで失礼ですが、手紙を書きました。
 私には、7歳の男の子、5歳の女の子、2歳の女の子の3人の子どもがいます。
 7歳の息子がどもり始めたのは、3歳前でした。
 すぐに保健師さんに相談しましたが、「自然に治るので、言い直したりせず、気づかないフリをするように」と、アドバイスを受け、そのように過ごしました。
 幼稚園に入園しましたが、どもりが目立つときとそうでないときと波がありました。園の先生には、子育て相談などで、気になる都度、相談しましたが、皆一様で、「成長と共に治る」「気づかれないように過ごして」とのことで、気になりながら何もできないまま、月日が流れました。
 3歳でどもり始め、小学校入学するまでの間、私の両親からも主人の両親からも、「母親が厳しいからだ」「母親の本の読み方が早いからだ」「夫婦仲が悪いからだ」「第2子との間が近いからだ」「もっと子どものことを考えろ」
 散々言われ、とても傷つき、私は自分を責めるようになり、理解してくれない夫とよく口論になり、どもる息子へも腹が立つこともありました。
 長男が1歳になったとき、育児休暇が終わり、仕事復帰しなくてはならなくなりました。1歳半で次の子が生まれ、同時に夫が2ヶ月も海外出張になり、母子2人きりの生活が始まりました。日中、保育所での生活のため、帰宅すると母親べったりで家事ができず、常におんぶをしていました。安定期に入る前の長時間のおんぶで、流産しかけ、夜中の家事や慣れない部署で無理をし、私は肺炎になりました。入院が必要なのに、1歳になったばかりの息子を預けるところがなく、毎日、息子を連れて点滴に通いました。息子も風邪などで発熱が続き、職場でも復帰したばかりの病欠で、休みたいとの電話にも出てもらえないほど冷たくされ、毎日泣いて過ごしました。
 手を借りられるところが全くない。こんな不幸なことはないと思っていました。妊娠中の肺炎治療などで、医師からはお腹の子は流れるかもしれないと言われ、覚悟もしていました。
 そんな中でも、長男は、「本を読んで」「だっこして」「お腹すいた」「遊んで」と親に甘えてきます。要求してくるのが子どもの自然なことだとは頭では理解していても、当時、心身共にまいっており、余裕がなかったので、無視したり、ヒステリックに怒鳴ったり、拒絶したこともあります。全く恥ずかしく、情けなく、子どもの寝顔を見ては、自分を責めている全く笑顔のない母親でした。
 2ヶ月後、夫が海外から帰宅してからは、我慢していたものがどっと怒りとなり、夫を攻撃し、毎日のように夫婦ゲンカとなりました。
 それでも、あきらめていた子を出産し、新たな気持ちで育児を始めましたが、完壁主義の私は、赤ちゃんは静かに寝かせ、長男は外遊び。手作り料理とおやつ。絵本の読み聞かせ、トイレトレーニング。今思うと、到底無理なことをやっていたのです。赤ちゃんが寝ているときには、大きな声を出したり走ったり跳んだりする長男を叱っていました。
 下の子が1歳になって、少しペースがつかめてきました。そして、話し始めるようになり、どもり始めました。両方の両親から、「母親のせいだ」と言われ、思い当たることだらけの私はみじめでした。どもるのを耳にするたびに「私が悪い、私のせいだ」と責められているようでした。
 小学校入学。かなりどもりが目立ち、随伴症状が出てきました。私は、どもりを隠すことを考え、どもりというハンディをもつ息子には、他で自信をもってほしいと、たくさんの習い事もさせました。
 私と息子に転機がやってきました。担任の先生との出会いです。まだ若い先生ですが、以前、吃音について勉強する機会があったとかで、息子のどもりや随伴症状に気づいてくれ、「ことばの教室」のことや、どもりについて教えて下さいました。
 同じ条件でも吃音が出る子と出ない子がいる。親のせいだと思わないで、と。初めて、私だけのせいではないかもしれないと、ほんの少し救われました。現在、ことばの教室へ通級しています。
 長男のどもりは、「ぼく」と言うとき、「ぼ、ぼ、ぼく」となったり、首をふる随伴症状だったり、「…」と、出なかったり、いろんなものが混ざっています。音読であまりどもらず、計算カードではかなり悪戦しています。でも、長男はとても明るく活発で、誰とでもお友だちになれ、時間があれば外で年上の子とも遊び回り、教室でも発表もどもりながらどんどんしています。本人の性格もあるでしょうが、担任の先生に恵まれました。どんなにどもっても見守り、他の子と同じように発表もさせて下さる。本当にありがたいです。
 それでも、クラスや近所の子どもたちに「どうしてそんな話し方なん?」「普通に話して」と言われたり、からかわれたり、真似をされ、「やめて」と言っても止めず、悔しがり、傷つき、大泣きをしています。私が話を聞き、必要なときに担任に連絡をとり、対応してもらったりしています。
 「お母さんは100%味方、どうしても意地悪な子がいて、学校へ行けなかったら、転校も引っ越しもできるから、何でも話してよ」
「この子は吃音に負けない何かを持たせなくては。目立たないように何かできることを探さなくては」と、今まで以上に「吃音を治す」ことを考えていました。
 治療の本を読みまくり、ことばの教室の先生、担任の先生に治療法はないかと聞くたびに、「治療より、受け止め方ですよ」と言われてました。でも、このときはまだピンと来なかったのです。
 そんな中で伊藤さんの『どもる君へいま伝えたいこと』(解放出版社)に出会いました。やっと出会った。そう感じました。今まで手にしていた本とはまったく違う。何かスーッと心に入ってきたのです。
 私の今までの考え方自体が間違っていたと気づかせてもらいました。正直、まだ気づいたところ、方向がぼんやり見えかけてきたところで、理解できたかと言われると、少し不安ですが。ただ、早い段階で、息子が話すことをやめる前に、随伴症状を「その動作は目立つからやめた方がいいんじゃない」と言わずにすみました。コミュニケーションの一つのしゃべることはやめてほしくない。
 長男はとても話し好き。本を読むことも大好き。知ったことをお友だちや家族に説明するのも大好きなのをつぶしたくないです。
 『どもる君へいま伝えたいこと』を書いて下さり、本当にありがとうございました。この本に出会えたこと、本当に感謝しています。今なら担任の先生方が言って下さった「受け止め方次第」の意味が分かるように思います。
 息子に読んでやりました。読みながら涙があふれました。息子も「ボクの気持ちと同じ」と泣いています。親子で大泣きをします。悲しいとか、悔しいとかではなく、あー、分かってくれる人がいる、という自分が自分でいられる安心感のような、心が洗われるような、伊藤さんの温かなことばが私たちを包んでくれました。息子の涙は、私のものとは違うかもしれません。でも、一つだけ分かったことがあります。息子がどもりでよかった、とは思いません。でも、どもっていなかったら、こんなに細かく息子を観察したり、親子で話し合ったりしていなかったかもしれません。
 息子が小さいとき、十分に甘えさせてやれなかった私の未熟さ。母親であるまじき行為。悔やまれることは山ほどあります。やはり、これらがきっかけの一つになったと、今でも思っています。そうであっても、過去は変えられない。だからこそ、これからは、息子の迷いがあったとき、困ったとき、すぐに耳を傾けられる、そんな母親になりたいと思います。
 息子が何度も何度も「読んで」と言います。小学校1年生の息子にはまだ読めない漢字が出てくるので一人では読めません。そこで、我が家では『どもる君』を2冊購入しました。一冊は家族用にリビングの本棚へ。もう一冊は息子専用にです。息子専用には、全ての漢字に読み仮名を書こうと、今、取り組み中です。宇があまりに小さくて肩こりになってしまいました。(笑)でも、母として、やるべきことがあるのがとてもうれしいです。
 息子がこの本を開いて「少し心が軽くなった」と言っていました。
 突然のお便り、乱筆乱文、誠に失礼しました。お許し下さい。最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。今まで本と出会ってこんなに感激したことがなかったので、この本を出して下さった伊藤さんにどうしてもお礼が伝えたかったのです。本当に本当にありがとうございました。どうぞ、これからもお元気で私たちのように、悩み苦しんでいる友だちを支えて下さいませ。(2011年3月20日)  (了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/10/03

『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)出版にあたって

 雪の映像が流れる、4月にしてはとても寒い中、新年度が始まりました。
 子どもたちも、ひとつ学年が上がり、新しい気持ちで始業式を待っていることでしょう。僕は、21歳までは、新学期を迎えるこの時期が嫌いでした。自己紹介のことを考えると不安で、早春は苦い思い出しかありませんでした。吃音とともに生きる覚悟を決めてからは、新芽がふくらみ、花が咲き出す早春が好きになりました。

どもる君へ 表紙 新 「スタタリング・ナウ」2010.8.22 NO.192 の紹介を続けます。
 このワークブック出版にあたって、毎月のように集まり、合宿を重ねたことを先日書きました。
 このワークブックを、僕たちは、解放出版社からの、吃音に関する出版3部作だと位置づけています。『吃音と向きあう一問一答』、『どもる君へいま伝えたいこと』、『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』の3冊です。
 『吃音と向きあう一問一答』は、吃音に向き合う理論の整理のために書かれたものです。残念ながら、現在、この本は絶版となってしまいました。
 『どもる君へいま伝えたいこと』は、小学4年生からの子どもへ直接話しかけたもので、一問一答形式で書かれています。。
 『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』は、学童期の子どもと一緒に取り組むために書かれました。紙面の都合で、たくさんあるワーク、すべての実践は載せられませんでしたが、実践には実践者の名前が書いてあります。直接本人に連絡してもらってもいいし、日本吃音臨床研究会に問い合わせてもらっても構いません。お互いに、実践交流ができればうれしく思います。
 また、もし、講習会や研修会などが計画できるのであれば、連絡をください。直接交流できれることを願っているので、どんな小さな集まりでも出かけていきたいと思っています。
 出版にあたって、仲間のひとり、高木浩明さんが、ワークブックについての熱い思いを綴っています。「スタタリング・ナウ」2010.8.22 NO.192 より紹介します。

 
私たちの熱い思いが吃音ワークブックに
     吃音を生きる子どもに同行する教師の会 高木浩明(宇都宮市立雀宮中央小学校)

吃音ワークブック 表紙 『どもる君へいま伝えたいこと』(解放出版社)が完成し、次のステップとしてワークブックのプロジェクトがスタートしてちょうど2年となる。
 この夏、吃音ワークブックができあがった。その間、東京や大阪で幾度も合宿し、また吃音親子サマーキャンプや吃音ショートコースでは、ちょっとの時間を見つけては、話し合いを続けてきた。全員が一堂に集まって話し合う機会は持てなかったが、話し合いの材料となった原稿に加えて、話し合いの様子を文書に起こし、プロジェクトの仲間にメールで配信した。それらを読むことで、例えその場にいなくても、熱く真剣な話し合いの様子を感じ、同じ思いを共有することはできたと感じている。そして返信メールを通して、ひとりひとりの思いや考えを伝え合い、理解し合ってきた。まさに仲間と共に歩んできた2年間である。
 その第1回目の話し合いの記録を読み返すと、子ども中心主義、吃音を子どもから学ぶ、対等性や当事者性といった、このワークブックのキーワードになる考えが、次から次へと出てくる。どういうスタンスで子どもたちと向き合い、歩もうとしているか、そこで出てきた話はそのまま今の私たちが大切にしていることに繋がっている。
 これは、2年間の中で、私あるいは私たちが何も変わっていないということではない。
 『吃音者宣言』(伊藤伸二・たいまつ社)、アメリカ言語病理学者のメッセージである、『人間とコミュニケーション』(内須川洸他訳・NHK出版)から近年の吃音に関しての多くの本や資料を読み直し、何度も話し合いをし、実践を進めてきた。たくさんのどもる子どもたちや大人たちの声を聞き、吃音について学び、一緒に歩んできた。
 そのことで、2年前の話し合いで感じていたことに、より確信が持てるようになった。子どもたちと一緒に取り組めることの幅が広がり、一方で援助の前提となる哲学を再確認もした。「吃音を生きる」子どもたちにとって、私たちがことばの教室で実践していることがどんな意味を持っているのか、時間をかけて一緒に取り組みながら、感じ考えることができた。
 自分たちが歩もうとしている方向は変わっていないが、一つ一つの受け止め方が深くなった。成長したとは、ちょっと言い過ぎかもしれないが、バージョンアップしたことは確かだろう。
 そうした2年間の経緯の中で、当初、ワークブックやマニュアルといった考えに強いアレルギー反応を起こしていた私たちが、私たちらしいワークブックとして、今回のこの本を作ることができるようになったとも言える。「・・すべき」ではなく、ルポとして、私たちのやっていることをそのまま出そうとなったことも、転機となった。
 この本は、ワークを順番に一通りやれば何かが分かる、できるようになるといったパターンの本にはなっていない。ワークブックというイメージとはちょっと異なる趣になっているのかもしれないが、そこに、私たちが子どもたちとのダイレクトな関わりの中で、どんどん変化させながら進めている、毎日の実践があるとも言える。
 言い方を変えると、出たとこ勝負で、順序よく、予定通りとならない、毎日のバタバタぶりがそこのあるということだと言えるだろう。
 合宿のたびに姿を少しずつ変える「はじめに」の文章が物語るように、伊藤さんはもちろん、私たちも何度も何度も原稿を書き直してきた。それは一人では決してやらない、できない作業だった。先頭を走る伊藤さんの情熱に刺激され、励まされたことに加えて、仲間のことばや存在があるから、何度でもトライし、そして、みんなの思いや願いを書ききろうとしていた。その経験が今となっては一番貴重なものだったようにも思う。
 言い切ること、伝えきることの難しさと、大切さに、こうして出会うことができたことは、プロジェクトのメンバーとしてやってきた自分たちにとって、できあがったワークブックと共に、大きな財産になっている。ワークブックの何倍の厚さにもなる話し合いの資料や原稿が、そのことを物語っているように思う。
 熱い熱いワークブックだから、一人でも多くの人に手に取ってもらい、子どもたちとの実践に繋がっていくことが、私たちの願いだ。長野市での全国難聴・言語障害児教育研究協議会で、栃木県のことばの教室担当者の研修会で、この本にたくさんの人が興味を持ってくれた。私たちと同じような思いを持って、どもる子どもたちと向き合う、そんな仲間が全国に広がって欲しいと、そしてきっとそれは叶うと信じている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/01

特集『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)を読んで

どもる君へ 表紙 新 『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んだ方から感想をたくさんいただきました。その一部を紹介します。最後に、研修会で出会った静岡県の校長先生からいただいた「おたより」も紹介しています。

 どもる私たちへのメッセージ
                     藤岡千恵(大阪スタタリングプロジェクト)
 大阪吃音教室に通い始めて現在まで、数々の伊藤さんのメッセージに出会った。私の胸にスーッと染み入る、そのメッセージをいつもメモに書き留めていた。
 そのメッセージの多くが、この『どもる君へ、いま伝えたいこと』の中に、ぎっしり詰まっている。「あの時の伊藤さんのことばだ」と振り返るものも、いくつもあった。
 ここに書かれてあることは、大阪吃音教室に通い続けている私にとっては、特に目新しいメッセージでもないのだが、本をめくり、数々の温かいメッセージに出会うたびに勇気づけられた。
 この先も迷ったり、立ち止まったりした時の私の背中を優しく押してくれる一冊だと感じている。
 大阪吃音教室に来て「どもりについて」「自分について」「自分のどもりについて」の勉強をしているうちに、「どもりを治したい」という気持ちはだんだんと影を潜めたが、「どもりを受け入れたら、この先どもりで悩むことはなくなる」と、大きな勘違いをしていた。しかし、「どもるのはしょうがないよね」と苦笑いしたり、どもりについて真剣に話し合ったり、時には涙しながら話したりしている仲間たちの空間にいるうちに、時に悩みながら、「死ぬまで、どもりとつき合うんだな」という気持ちが生まれてきた。
 「どもるのはイヤだし、どもったら恥ずかしい」
 そういう気持ちをごまかさず、自分の感情と丁寧につき合い、素直に生きている人たちの姿を見ていて、知らず知らずのうちに私の中の気持ちも変わってきたようだった。
 自分の弱いところを認めることは、本当に勇気のいることだと思う。その勇気は、もしかしたら、悩んで苦しんで辛い思いをした人に与えられる特権のようなものかもしれないな、と思う。
 『どもる君へ』の中の小学生の作文を読んで、とても「うらやましい」と思った。
 10代または10代に満たないうちに、吃音親子サマーキャンプなどで、「どもり」についての考え方を変えてしまうような出会いを経験した子どもたちは、その後の生き方もそれまでとは違うものになるのだと思う。私も、子どもの頃から「どもりも自分の一部」だと感じられたら、どんなに楽だっただろう。
 うつむいて、全てをどもりのせいにして、いろんなことから逃げてあきらめて、孤独だった私の10代20代を振り返ると、どもる自分を生きている、または生きていこうとしている小学生や中学生の彼らが眩しくもある。
 それに、やはり「仲間」が大切なんだと、改めて感じさせられた。どもり方も、どもりの悩みも違うたくさんの仲間がいる。違うからこそ、話が深まるし、仲間からも学べる。
 私も、どもる仲間に出会えたことで変わってきたと感じている。そして、今、生きていて初めて心から「人生が楽しい」と思える。
 自分の格好悪いところや弱いところ、変えたいと思うところや好きなところを知り、試行錯誤しながらも生きている今の自分が好きだ。
 自分のどもりや、どもる仲間と、これからもずっとつき合っていきたいと思っている。
 「どもりについて・人生についての考え方」を広げてくれ、たくさんの仲間に出会わせてくれたことに感謝します。

 子どものバイブル
                            安藤百枝(言語聴覚士)
 素晴らしい本ができました。子どもたちへのメッセージ、一つ一つのことばに伊藤さんの「思い」が詰まっていて、重さがずっしりと伝わってきます。身体の底からわき出ることばに子ども達は励まされ、勇気づけられることでしょう。
 質問もとても具体的で、その質問に心をこめてわかり易く丁寧に書かれているので、小学生の時にこの本に出合えた子ども達は幸せですね。
 私のどもる息子のことで悩み、あちこち相談に行った頃、このような本があれば、どんなに助かったことかと思います。
 ことばの教室の先生にとっても子ども達にとっても間違いなくバイブルです!!
 21才からの伊藤さんの43年の歩みはとても貴重なものですね。もちろん、21才までのつらい日々の積み重ねがあってのことですが…。
 吃音を持った生き方、吃音に対する気持ちは百人百色でしょうけど、伊藤さんの場合、吃音は充実した人生につながる「宝物」のように思えます。今後もますます磨きがかかる宝物です。
 ほんの少しですが、私もその宝物に触れることが出来て幸せに思います。

 多くの人に読み継がれていきますように
      牧口一二(ゆめ・風・10億円基金事務局長  NHK『きらっといきる』司会者)
 『どもる君へいま伝えたいこと』、若い人たちへのメッセージ、とても解りやすくて、伊藤さんの並々ならぬ執念さえ感じながら読みました。
 「なおる」ということへの願いは、足が動かない人生をやってきたボクでさえ想像できないほど強い欲求なんですね。ご本の中で竹内敏晴さんも少し触れておられますが。
 それだけに社会の一員として責任を感じます。とともに「なおる」と金儲けする人々が、それも少なからず存在することに心が痛みます。どうか、この本が悩める若者に、そして多くの市民に読み継がれていきますように。ボクは読んでほしい人にできるだけ紹介します。
 NHKの『きらっといきる』という番組に、10年間、司会者として出演しています。たくさんの病気や障害とともに生きる人を取り上げてきましたが、伊藤さんと長いつきあいがありながら、「吃音」を取り上げてこなかったことに今気づきました。担当ディレクターに提案しました。問い合わせがあったらよろしく。(2008.11.7 放送実現)

 ある小学校の校長先生からの、子どもたちへのメッセージ

 2007年10月、静岡県の言語障害研究会でお会いした小松洋校長。「子どもの頃、どもっていて、恥ずかしく辛いことがたくさんあったが、教師や友だちの励ましの温かさを今でも思い出す」と話して下さった。学生の頃に、私の著書『吃音者宣言』(たいまつ社)に出会い、それが大きなターニングポイントになり、今に至っているとも聞いた。
 2008年12月18日、小松校長が、終業式で子どもたちに話した内容を掲載した、便り「ふたごやま」を送って下さった。自らの体験をもとに、大切なことを子どもに伝えようとしている〈同志〉がいる、と思った。      〜便りの一部を紹介します〜(編集部)

 苦手なことに挑戦する勇気をありがとう
                        小松洋(掛川市立西郷小学校校長)
 表彰をされた人たちは、陸上に、習字に、工作にと自分らしさを発揮して賞状をもらうことができました。私は、みなさんの取り組みを見てきて、ここにいる西郷小学校の一人一人が自分ならではの色をかがやかせたと感じました。
 門のところで止まってくださった車の運転手さんに「ありがとうございました」と頭を下げて、気持ちの良いあいさつをする姿、「大変そうだったから」と友だちの荷物を持って学校まで来る姿、鉄棒や縄跳び、跳び箱の様々な技に挑戦する姿、また授業の中で思い切って発表する姿、イライラして友だちとケンカになった時「ごめんね」と謝ることができた姿もたくさん見られました。
 私は、そうしたみなさんの毎日の生活の中の「一歩」、自分の苦手なこと、うまくいかないことに挑戦する勇気を見ることができて、大いに励まされました。心よりありがとうと言いたいと思います。
 一人の友だちを紹介します。これは誰でしょう。
 (ざわざわする中で「校長先生」というつぶやき)
 その通りです。これは、私の小学校2年生か3年生のころの写真です。
 今から47年も前のものです。自分の小学生のころを振り返ってみると、自分はなんて意気地なしだったんだろうと思います。
 小学生の私は、発表や本読みが大の苦手だったのです。今もみなさんは、私が話の途中で言葉が止まってしまうのはどうしてなんだろうと思うことがあると思います。
 私は時々言葉につまってしまいます。「どもる」のです。難しい言葉で「吃音」と言います。私は小学校2年生のころからどもってしまう自分が嫌で嫌でたまりませんでした。友だちから笑われたり、からかわれたりもしました。ケンカになると、「やい、どもりのくせに」と言われたこともありました。授業中に順番に本を読んで、当てられても全然読めなくて泣いてしまいました。家では何回も練習して読めていても、みんなの前だとダメなんです。いつしか私は発表や本読みをまったくしない子になっていました。どもる自分が嫌で、ダメなやつだと思いこんでいたのです。「一歩」ふみ出す勇気がなかったのです。
 だから、今、みなさんが自分のできないことや苦手なことに勇気を持って「一歩」ふみ出し挑戦する姿に、すごいぞと励まされるのです。
 そんな意気地なしの自分が「一歩」ふみ出せたのは、中学3年生の時でした。私がどもっても笑わずに話を聞いてくれるクラスの仲間がいました。悩んでいる時、そっと背中を押してくれた先生や家族のおかげです。
 そしてどもってもいいんだ、どもりながら話す自分が私なんだと思えるようになったのは、20歳の時でした。
 誰にもうまくいかないこと、できないこと、苦手なことがあります。でもうまくいかない、苦手なことがある自分が自分なんだと思うことが大切なように思います。あなたはあなたのままでいい。あなたは一人ではない。あなたには力がある、のです。

 2年生の学級担任が「校長先生がみんなに伝えたかったことは何だろう」と問いかけた時に子どもたちが答えたものを紹介します。

○一人一人ちがうから、いつ自信がもてるか一人一人ちがうんだよ。
○失敗はあるよ。自転車もいっぱい練習したからできたよ。
○苦手なものも自信をもって練習してね。
○中学3年生の時、ことばにつまっても笑わなかった友だちがいた。クラスのみんなも言えない人を応援してね、と言いたかった。
○一人でも言えない人がいるなら、校長先生みたいに言えるようになってね。
○全校の子どもたちの中には、みんなの前で言えない子がいるかもしれないけれど、自信をもって、と言いたかった。
○自分のことを好きになって、と伝えたかった。
○私も教室でかさこじぞうを読んだとき、家では上手に読めたのに、うまく読めなかった。小さい声で読んだのは校長先生と同じだったよ。
○なかまのことを忘れちゃダメだよって。


 『どもる君へ いま伝えたいこと』は、今も読み継がれていて、ロングセラーです。ご希望の方は、アマゾンでも買えますが、僕からもお送りすることはできます。ニュースレター『スタタリング・ナウ』などいろんな資料を同封してお送りします。1,320円分の切手をお送りください。送料はこちらで負担します。
 〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526 伊藤伸二まで

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/01

『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)の書評紹介

 昨日は、大阪日日新聞と産経新聞の記事を紹介しました。今日は、全国ことばを育む会と福岡県言語聴覚士会の、各ニュースレターでの紹介文を紹介します。

☆NPO法人・全国ことばを育む会『ことば』NO.241 (2008.10.28)
  新刊紹介 『どもる君へいま伝えたいこと』 伊藤伸二著 解放出版社 1200円+税
             
どもる君へ 紹介記事3  ことば 小学校5年生から中学生に向けて、やさしく語りかける話し言葉で質問に答える形で書かれた本です。「どもり」という言葉を使っています。
 著者自らの経験に基づいて、どもりについての考え方、自分とのつきあい方、友だちとのつきあい方について述べながら、前向きな生き方を方向付けてくれています。読む人は安心と勇気を感じることでしょう。
 著者の伊藤伸二さんは、小学校2年生のとき吃音に強い劣等感を持ち、深く悩み、どもる人のセルプヘルプグループ・言友会を設立。大阪教育大学専任講師(言語障害児教育)を経て、現在伊藤伸二ことばの相談室主宰、言語聴覚士養成の専門学校5校で吃音の講義を担当されています。今年8月に千葉県ことばを育む会の保護者研修会では講師としてお話していただきました。
 目次から抜粋すると
Q3 どうして私はどもるようになったのですか。私が弱いからですか。
Q7 どもりを治す方法にどんなものがありますか。
Ql3 友だちがどもっている私をからかいます。今はまだからかうぐらいだけど、いじめにあったらと思うと不安です。
Q16 お母さんは話すことに自信がないなら、ほかのことで自信をつけなさいと言います。何をしたら自信がつきますか。
Q21 ことばの教室はどんなところですか。
Qは全部で22あります。
 伊藤さんは「どもるのも悩むのも弱いからじゃない」「弱いことは決して悪いことじゃない」と述べ、「弱さを自覚してる君はすてきだ」と応援のことばを書いています。
 どもることに劣等感を持ち、深く悩みながら治す努力を続け、その後、どもりながら自分のことばを話すことを選んで「思いはどもりながら言っても、相手に伝わる」と実感された伊藤さん。「どもりは自然に変わる。ぼくが出会った人のほとんどは、その人の自己変化力によって自然に変わっていた。」と自分の経験や関わってきたさまざまな人の例なども示し、「どもりが治らなくても、自分なりの人生を豊かに生きることができる。」「どもっても大丈夫、何の問題もない。」と力強く述べています。
 最後にあるメッセージ「君が幸せに生きるために」の中では「自分について知ること、どもりについて知ることは、幸せに生きるために必要なことなんだ」と述べ、どもる子どもが持つ長所・可能性を具体的に挙げています。
 どもることも含めてありのままの自分を認めること、その自分の存在そのものに価値を見い出すことに軸を置く考え方は、大人の私たちにも日常の様々なことの中で忘れがちな大切なことを思い出させてくれます。
 また、小学生の作文や大人が作った「どもりカルタ」、そして作家の重松清氏が書いた推薦文とメッセージ、演出家の竹内敏晴氏が書いた特別寄稿「自分の話し方を見つけるために」などを読んで、どもる人のさまざまな心情に寄り添うことができると思います。
 小中学生のみならず、多くの方に読んでいただきたい本です。(「ことば」編集部・藤原育子)           NPO法人・全国ことばを育む会『ことば』NO.241 (2008.10.28)

☆福岡県言語聴覚士会ニューズレター 2008年10月1日発行
  お薦めの本「どもる君へ いま伝えたいこと」 伊藤伸二著
                        (序文:重松清、特別寄稿:竹内敏晴)
                      解放出版社、\1,200+税(10冊以上は\1,000)

どもる君へ 紹介記事4  福岡源吾聴覚士会ニュース 「伊藤伸二」氏というと、言友会の創設者、吃音者宣言、国際吃音者連盟の設立に尽力、現在は「日本吃音臨床研究会」を主催、吃音親子サマーキャンプ等々、多くのことばが思い浮かびます。吃音関係の本も多数書かれていますので、一冊くらい読まれたことはあるのではないでしょうか。ただ、伊藤氏の[どもりは治らない。そこから出発する。」といったことばに反発を覚える人も多いようです。
 私にとっては次の2つ点で決して無視できない存在であり、注目し続けていました。その一つは、私自身が吃音者であることからくる経験です。幼児期からどもり続け、民間の吃音矯正を受けたり、精神安定剤を飲まされたりしましたが、吃音が治ることはありませんでした。大きな転機は、中学生の時でした。福岡で初めてできたことばの教室の先生に何回か相談に乗ってもらい、最後に「君のどもりは治らないと思いなさい。治すのではなく、どもりを抱えながら生きていくこと、克服していくことを考えなさい。」と言われました。はじめは「治らない」ということばはショックでしたし、すぐに何かが変わったわけでもありません。大学に入った頃もまだ電話をかけることは怖くて怖くて、という状態でした。それでも、年を重ねるにつれて少しずつ、少しずつ変わっていきました。フッと気づくと自分がどもるということを忘れていることが多くなっていました。
 もう一つは、吃音幼児の環境調整の際、親御さんに最初に伝えていくことは、「ゆっくり話してごらん」「落ち着いて」「息を吸って」などと、何とか治そうとしてやることが逆に吃音を進展させ、悪循環を引き起こしてしまうということです。「治そう」とすることからは出発しません。私の場合は、最初から「吃音は治らない」と宣言することはしないのですが、「お子さんが少しでも生き生きできるようにしていきましょう。治るか治らないかは結果です。それで治らなかったとしても、私のように言語聴覚士にはなれますよ。」とお伝えしていきます。
 そうした私にとっては、単純に「治す」と言われる方がより抵抗があります。「治らない」と宣言することにもう一つ割り切れなさを覚えながらも、教えられることも多くありました。
 さて、この「どもる君へ」は、「小学校5年生から、中学生を頭に置いて」となっていますが、こども向けどころか、伊藤氏がこれまで「吃音」について考えてきたことのエッセンスが限られたページ数の中に凝縮されています。そして、何よりもわかりやすく丁寧に書かれています。
 「治らない」ということについては、「21歳の秋、ぼくは治すことをあきらめ、どもりと向き合い、どもりながら生きようと決めた。『どもっても、まあいいか』と、どもる事実を認める『ゼロの地点』に立った。小学2年生の秋、『どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの』とマイナスの意味づけをしたときから、ぼくの苦悩の人生が始まったのだから、プラスでもマイナスでもない、ゼロの地点に立つ必要があった。君も、ここが出発点だ。」と述べています。
 さらに、「自己変化力」「どもりは自然に変わる」ということについて、「自然なものだから、変わる程度も違い、なかにはぜんぜん変わらない人もいる。だけど、考え方や行動が変わり、どもりにあまり悩まなくなり、どもりの問題が小さくなれば変わったことだね。」とわかりやすく書かれています。
 「治らない」ということばを、「今あるがままの自分を認めること」といったことばにすれば受け入れやすいのかもしれません。しかし、吃音は治る、治すべきという強い圧力の中では、いったん「治らない」と思い定めることでしかゼロの地点に立てないという想いがあるのでしょう。そして、その地点に立つことで自己変化力が働き始める…。私は自分の胸にストンと落ちてくるものがありました。
 吃音関係では、昨年はバリー・ギターの「吃音の基礎と臨床 統合的アプローチ」が出版されました。しかし、伊藤氏が指摘するように、これは本当に新しいことなのか?「自己変化力」の観点から、もう一度謙虚に考えてみる必要があると思います。
 そうした意味を含めて、私たち言語聴覚士にとっても必読の一冊だと考えます。[久保健彦]
              福岡県言語聴覚士会ニューズレター 2008年10月1日発行


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/31

『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)が、新聞などで取り上げられ、紹介されました

 『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)が、いろいろな新聞に取り上げられました。その一部を紹介します。まず、大阪日日新聞。それまで全くつながりのなかった新聞社です。何がきっかけで紹介してくださることになったのか、全く思い出せません。もうひとつ、産経新聞の記事も紹介します。(「スタタリング・ナウ」2009.4.26 NO.176)

どもりと向き合えば変わる
「事実認め歩き始めて」
寝屋川の伊藤さん “体験の結晶”本に


どもる君へ 紹介記事1 大阪日日新聞 「わたし」と言いたいのに「わわわわたし」となったり、「・・・わ」と声が出ない。そんなどもりと一生をかけて向き合ってきた伊藤伸二さん(64歳)=寝屋川市打上高塚町=が当事者たちの悩みに答える「どもる君へいま伝えたいこと」を出版した。読み手に語りかける文体で「どもる事実を認めて歩き始めると君の『変わる力』が強く働き始める」とメッセージを送っている。

 伊藤さんは3歳ごろからどもりはじめ、小学2年の学芸会でせりふのある役から外されたのを機に悩みだす。どもりを否定的に考えて音読や発表ができなくなり、友だちとも距離を置くように。「将来への夢も希望ももてなかった」。
 どもりは20世紀初頭から、原因の調査や研究が盛んに行われるようになったが、いまだに未解明。100人に1人の割合で、2、3歳からどもりはじめるケースが多いが、中高生や社会人でもなる。
 伊藤さんの人生の転機は21歳の夏、「どもりは必ず治る」と宣伝する学校に行ったこと。同じように悩む300人と4ヶ月間訓練してもみんな一様に変化がなく「どもりは治らないと事実を認めることができた」。
 どもりと向き合い、「ともに生きよう」と決めてからは積極的に活動。吃音者の会や研究会などをつくって世界大会を開催、国際組織も設立した。どもっても相手に分かるように丁寧に話すことを心掛け、「気がつけば生活に支障はなくなっていた」という。伊藤さんは「変わった」。
 「どもる君へ」では、40年以上にわたる“体験の結晶”を一問一答形式で凝縮。小学5年から中学生向けに、同級生とのつきあい方や、どんな仕事に就けるかなど22の設問に答える。吃音者でもアナウンサーや教諭として活躍している人を紹介。当事者に自信をもつよう促す。
 伊藤さんは「どもりながら、したいこと、しなければならないことをやっていこう。自分の人生を大切にして少し努力すれば誰にでもできる」と呼びかけている。
A5版。96ページ。1,260円。(豊野宙磨)
2008年(平成20年)8月27日 水曜日 大阪日日新聞


仲間と出会い 逃げずに話して
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二さん
「どもっても大丈夫と伝えたい」


どもる君へ 紹介記事2  産経新聞 "どもる自分"と40年以上にわたって向き合ってきた日本吃音臨床研究会会長で、大阪教育大学非常勤講師の伊藤伸二さんがこのほど、小中学生とその親や教師に向けた『どもる君へ いま伝えたいこと』を出版した。治そうと思うあまり、豊かであるべき子供時代を見失っていった自身の体験をもとに、Q&A形式で「治らなくても、大丈夫」というメッセージを熱くつづる。
(服部素子)

 伊藤さんは、昭和19年生まれ。小学1年生までは、どもっても気にしない明るく元気な子供だった。しかし2年生の秋の学芸会で「セリフのある役はかわいそう」という担任教師の"配慮"により、クラスで一番成績のいい自分がやるものと自他ともに認めていた主役を外される。その日から、強い劣等感が生まれ、友人に話しかけることもできなくなったという。
 そんな伊藤さんに転機が訪れたのは21歳のとき。東京の言語訓練学校で、300人の吃音仲間と出会い、吃音は自分だけではないことを知ってホッとする半面、治そうと努力すればするほど、治らないという確信を抱くようになる。すると伊藤さんの心の中で、不安を持ちながらも、話すことから逃げないで、自分の言いたいことは話そうという気持ちが生まれた。
 伊藤さんのそんな自己紹介から始まる本書の特徴は、吃音は治らないというスタンスに立ちながらも、逃げないで話すことで"どもる自分"が自然に変わっていくことを具体的に伝えている点。
 なかでも象徴的なQ&Aが、治す方法にはどんなものがあるのかという質問に対する「原因がわかっていないから、誰もが治る薬や手術などの治療法はない」という答え。
 なめらかに話すことに価値をおくより、自分の内面の豊かさに目を向けてほしいと、続く。
 そのための第一歩として、伊藤さんがすすめるのは、仲間と出会うこと。本書には、仲間づくりの場として伊藤さんが19年間続けている「吃音親子サマーキャンプ」で子供たちから出た質問も取り上げられている。
 ちなみに、同キャンプは2泊3日で、参加した幼稚園児から高校3年生までの子供とその親、スタッフら「どもる君へいま伝えたいこと」の著者、伊藤伸二さん約140人全員が90分かけて作文を書き、その作文をもとに90分の話し合いを3回行い、さらに3日間かけて劇を作りあげて上演する。その体験を通して、子供も親も、自分は1人ではないことを知り「自分は自分のままでいい。どもる自分も価値ある人間だ」ということに気づいていくそうだ。
 この本を伊藤さんが書いたのは"治る情報"が氾濫することへの危機感からだという。
 「臨床研究の現場には、逃げずに話して吃音は治すべきもの、改善すべきものという前提がある。その根底にあるのは、吃音は悪いもので、劣ったものというイメージ。そうじゃないんだ、どもっても大丈夫ということを、この本を通して伝えたい」と思いを込める。
 また、吃音の子供や教師を主人公にした作品のある作家・重松清さんと、演出家・竹内敏晴さんが、吃音と自分らしく向き合うことについての一文を寄せている。解放出版社刊、1260円。
  平成20年(2008年)8月16日 土曜日 産経新聞


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/30

どもる君へ

 僕はこれまで、吃音に関する本をたくさん書いてきました。どの本も、一所懸命書きましたが、書き終わって、「この本が一番書きたかった本だった」と思ったのが、解放出版社から出したこの本『どもる君へ いま伝えたいこと』でした。小学校2年生から始まる吃音の苦悩の中で、ひとりでも、「どもりは治らない。そのままでいいじゃないか。どもりながらも君らしく生きていこう」と言ってくれる大人がいたら、僕はあんなにも深く悩むことはなかったのではないかと思います。今、悩みの中にいる、あの頃の僕と似た君へ、伝えたいことを書きました。
 「スタタリング・ナウ」2009.4.26 NO.176 の巻頭言を紹介します。三重県津市の中学校の同窓会のことが出てきます。その同窓会も、昨年で最後となりました。

どもる君へ 表紙 新
どもる君へ
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 私は今、大勢のいい仲間に恵まれ、自分のしたい仕事があり、とても幸せに生きている。
 今がどんなに幸せであっても、人は過去に戻りたいとふと思うことがあるのだろうか。私は、小学生、中学生、高校生時代に戻りたいと時々思うのだ。吃音に強い劣等感をもち、吃音も自分も大嫌いだった。周りの人は全て敵だと思い、友だちはなく、いい教師との出会いもなかった。
 どもるのが怖くて、いつもびくびくしていた私にとって、学校生活は楽しいものではなかった。一所懸命勉強するでもなく思いっきり遊ぶでもなく、不本意な生活を送っていた。そして、これも全てどもりのせいだと思っていた。どもりが治らなければ幸せに生きることはできないと考えていた。
 楽しい思い出は何一つ思い出せない、私は、あの時代になぜこうもこだわり続けるのか。どもらない人間として、楽しく生きたかったと考えているのではない。私が今、吃音親子サマーキャンプで出会う大勢の子ども達のように、吃音と向き合い、吃音について学び、どもる事実を認めて、どもりながら、自分のしたいこと、しなければならないことをする学童期・思春期を送りたかったと思うのだ。
 小学生、中学生、高校生、その時代特有の悩みもあるだろうが、その時代にしか味わえない喜び、楽しさがあっただろう。それらを味わうことなく生きた、学童期・思春期が悔しい。
 2009年2月22日、1959年度三重県津市立西橋内中学校卒業生の、第4回学年同窓会があった。みんなが楽しそうに中学校や小学校時代の思い出話に花を咲かせている姿を見聞きして、改めてその悔しさがよみがえってきた。
 中学の同窓会など行きたくなかった私が参加したのは、級友の強い勧めがあったからだ。
 1999年、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)の書評を「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)で見つけたN君が「あの伊藤が本を書いているぞ」と級友に知らせ、私を誘ってくれたのだ。その時、意を決して参加して以来、今回は2回目の参加だ。
 80名ほどの参加者の中で、前回に会った人を含めても話ができるのは数人ほどで、同じテーブルの人を、私は誰も覚えていなかった。
 前半が終わり、校歌をみんなで歌った後、突然幹事が、「ここに、全国的な規模で活躍している人がいるので紹介します。伊藤伸二君は吃音の専門家で、テレビに出たり、本もたくさん書いています。伊藤君にスピーチをしてもらいます」と壇上に私を招いてくれた。私を同窓会に誘ってくれたN君の突然の指名に驚いた。
 「こんにちは、伊藤伸二です。おそらく皆さんのほとんどは私のことは忘れていると思います。どもりで悩み、音読や発表ができずに強い劣等感をもっていました。人に話しかけることができずに、ひとりぼっちでした。…どもりに悩んだおかげで、大学の教員になり、講演や講義など人の前で話す仕事に就きました。あのころのことを思うと信じられない気持ちです。…」
 私の話をみんな真剣に、シーンとなって聞いてくれた。ひとりぼっちで、誰も私の存在など気にも留めてくれていないと思っていた、そんな目立たない人間に、みんなの前で、ひとりだけスピーチをする機会が与えられたことに、誇らしさと喜びを感じた。大きな拍手に包まれ壇上を降りた時、故郷に錦を飾ったような満足感が広がった。
 「どもりにそんなに悩んでいるとは知らなかった」「よく覚えているよ。話しかければよかった」「いい仕事をしているね」などと、たくさんの人から声をかけられた。友だちがいなかったというのは私の偽らざる実感だが、私はみんなから忘れ去られる存在ではなかったのだ。
 私のように、いつまでも悔いの残る学童期・思春期を、今、どもる子どもに、送って欲しくない。
 どもりながら幸せに生きるためにと、心を込めて『どもる君へ いま伝えたいこと』を書いた。
 半年も経たずに、第3版が増刷されたのは、多くの人が周りの人に勧めて下さったからだ。
 たくさんの子ども達に、私の思いを伝えたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/28

『どもる君へいま伝えたいこと』感想特集 2

どもる君へ いまつたえたいこと 表紙 昨日、『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んだ感想を、ひとり紹介しました。今日は、その続きです。
 『どもる君へいま伝えたいこと』は、小学校3年生くらいの子どもが手に取り、自分で読めるようにと、難しい漢字にはふりがなをつけました。でも、子ども向けと、限定しているわけではありません。どもる大人にも充分読んでいただけるものになっていると確信しています。そして、どもる子どもやどもる大人などの当事者だけでなく、どもる子どもとかかわることばの教室担当者や言語聴覚士の方にも、ぜひ、読んでいただきたいと思っています。

  
是非、どもる君に読んでほしい
                  堤野瑛一(大阪スタタリングプロジェクト)

 と言っても、この本が、ただちに君を、どもりの苦労や悩みのすべてから、開放してくれるわけではない。つまりこの本には、どもりの治し方やどもりを軽くする方法や、効果的な訓練法が書かれているわけでは決してない。むしろ、まず基本的なこととして、100年間研究がなされてきたにも関わらず、いまだにどもりの原因は分からず、効果的な治療法や訓練法はまったくないことが、はっきりと書かれている。
 それが本当のこと、事実なのだから仕方がない。でも、伊藤さんはこの本の一番最後に、その事実を認めて生きていくことは、"易しい道"だと書いている。つまり、どもりは訓練すれば改善するもの、改善すべきものとして、どもりが消えることを期待して生きてくことは、実はとても苦しく難しいことで、おそらく永遠に救われない。なぜなら、そういった期待の裏側には、どもりは悪いもの、どもっていてはいい人生は送れないといった、強い思いこみがあり、しかも、どもりは誰も治っていないのが事実なのだから、これは救われない。
 それよりも、伊藤さんは、どもりは治らない、どもるのが自分だと認めることを"ゼロの地点"と呼び、まずゼロの地点に立つことが、この先の豊かな人生への可能性を開くことであり、そうすることのほうが、ずっと易しい道だと言っている。
 ゼロの地点に立ったからといって、みんながただちに、何も悩まなくなるわけではない。どもる人間として生きていくのには、やはり、それなりの苦労があったり、悩みがあったりする。僕も今でもそうだ。だけど、ひとりぼっちで悩んでいるのは、とてもしんどい。
 そこで伊藤さんは、どもりの大先輩として、自分のこれまでの人生や体験をふり返り、君がこれから色々と苦労したり悩んだりしていくうえでの、すなわち生きていくうえでの、たくさんの豊かなヒントを、この本に書いてくれた。
 短い言葉でうまく説明するのは難しいけれど、同じ苦労したり悩んだりするのでも、上手な悩み方、意味のある悩み方というのがあると思う。伊藤さんが示してくれた、たくさんのヒントをたよりにすることで、ひとり暗闇のなかで悶々と悩むのではなく、君を前進させてくれるような、上手な悩み方ができるのではないかと思う。
 君がいつか本当に困りはてて、ひとりではどうしようもなくなったときに、この本を開けば、きっと何か大きなヒントが書かれてあると思う。
 それに実は、悩まなくてもすむことだって、たくさんある。もしも子どものころに、こんなことをちゃんと知っていれば、余計なことを悩まずにすんだのではないかと思えるようなことも、今知っておいたほうがいい知識として、この本は教えてくれる。
 僕はもう30歳に近い大人だけれど、それでも、この本を読んで元気になれたことが、たくさんあった。どもりであること、苦労すること、悩みながら生きていくことは、決して不幸なことではない、悩んできたことが、僕の人生に、どれだけ豊かないろどりを与えてくれて、僕を大きくさせてくれたことかと、思わせてくれる。
 まだまだこれからも、色々と悩んだり苦労することが、僕にもあるだろうけれど、それでも、この本に書かれてあることを思い出しながら、なんとかやっていけると思えるし、どもりでも生きていけると、元気にさせてくれる。
 この本のなかに、"自信"について書かれた箇所がある。伊藤さんは、他人と比較して得られるような相対的な自信ではなく、自分は自分でいいと思えるような、自分特有の絶対的な自信をもてることが、本当の自信だと書いている。
 僕はこうやって、文章を書くことが好きだけれど、決してプロの作家さんのような、巧みな文章が書けるわけではないし、特別上手でもない。それでも僕は、自分の文章にはとても自信がある。
 僕は大阪スタタリングプロジェクトが年に一度主催する「ことば文学賞」に、毎年応募しているけれど、べつに上手な文章を書くことにはこだわらずに、これまで悩んで必死に生きてきた人生をふり返り、自分固有の体験を、自分の体からしぼり出したことばで、ただ一生懸命に書いている。
 もしも、僕よりもどんなに上手に文章を書く人が、隣にいたとしても、その人と僕の文章を比較することに、一体何の意味があるだろう。上手とか下手とかを比べてみたところで、僕の文章は僕にしか書けない、僕固有の体験であり、他の人のものとは差し替えようがない、僕だけのことばだ。
 そうやって、僕はただ自分が一生懸命生きてきたことを、うそ偽りなく文章にして書いたら、2年も続けて最優秀賞をもらうことができた。そのことは、僕の大きな自信になっている。
 伊藤さんは本のなかに、「君は、悩む力をもっている」と書いている。「考える力をもっている」とも、「変わる力をもっている」とも…。
 もしも君が、どもりと向き合い生きていくなかで、一生懸命悩み、考え、そして、ほんの少しの勇気をもって少しずつ変わっていけば、君の人生は、きっと君だけの豊かな色彩をもったものになると思う。そうなれば必ず、そこから君特有の、他の誰とも比べようのない"自信"が生まれると思う。かけがえのない"君"に、気がつくと思う。
 この『どもる君へ、いま伝えたいこと』はきっと、そんな君の人生や、これからの僕自身にとっても、大きな手助けとなってくれる。

  何度でも読まれ、人生の友になる本
                  西田逸夫(大阪スタタリングプロジェクト)

 伊藤さんの近刊『どもる君へ、いま伝えたいこと』は、何度でも読まれ、人生の友になる本だ。
 「小学5年生から、中学生を頭において書いた」と、伊藤さんも「おわりに」で書く通り、全編、出来るだけ分かりやすいことば、分かりやすい言い回しが使われ、小学校高学年以上の漢字には振り仮名が振られている。小学生でも、吃音に深く悩み、正面から向き合おうとする子どもたちの中には、しっかりと考える力を持つ子どもが多い。本の大部分を読みこなしてくれるだろう。
 とは言え、中に書かれていることのレベルの高さ、考え方の深さは、決して分かりやすいだけのものではない。吃音に関する知識について、例えば治療法について、アメリカの最新の情報が盛り込まれている。吃音とともに生きることについて、大阪吃音教室の仲間で話し合っていることや、吃音ショートコースで全国の仲間と話し合っていることのうち、一番深いところが、惜しげもなく書き込まれている。
 言い換えれば、ことばの使い方、言い回しの選び方は配慮しているものの、伊藤さんは読者をまったく子ども扱いしていない。小学生に向け、中学生に向けて、真剣に、対等な人間として語りかけている。
 この本は、多くの子どもたちにとって、一度出会い、一度読み込めば、その後の人生で何度でも再読されるような本になるだろう。吃音を巡るさまざまな波をかぶる度、波を乗り越える都度、本の中のあちこちが、その子どもたちの胸に思い浮かぶだろう。

  変わっていく出発点になる本
           久保健彦(麻生リハビリテーション専門学校言語聴覚学科)

 『どもる君へいま伝えたいこと』は、子ども向けどころか、私にはこれまでの伊藤さんのご著書以上に出会えて良かった本となりました。これまでの伊藤さんの著作でも触れられてはいたのですが、この本では「自己変化力」「どもりは自然に変わる」ということが、丁寧にはっきりと書かれておりました。
 40年ほど前の中学生の頃、相談したことばの教室の先生に「君のどもりは治らないと思いなさい。治すのでばなく、どもりを抱えながら生きていくこと、克服していくことを考えなさい」と言われたのが自分が変わっていく出発点になった私にとっては、伊藤さんの「どもりは治らない。そこから出発する」といった主張は実感としてよく分かりました。しかし、これまでの著書では、「どもりは治らない」にだけ反応してしまう人が多かったように思います。
 「自然なものだから、変わる程度も違い、なかにはぜんぜん変わらない人もいる。だけど、考え方や行動が変わり、どもりにあまり悩まなくなり、どもりの問題が小さくなれば変わったことだね」ということばに、「そう、そうなんだよなあ。自分ではそこまで整理し切れていなかったなあ」と、頭と心にピタリとしたことばに出会った嬉しさとともに、言語聴覚士を養成する職にありながら、そこまで整理し切れていなかったことに自省の念を抱かされました。これは、幼児における環境調整などとも矛盾しません。せっかくの言語聴覚士の立場におりますので、宣伝させていただきます。(了 「スタタリング・ナウ」2008.8.24 NO.168)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/27

『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)、北海道新聞で紹介される

 『どもる君へ いま伝えたいこと』を発刊したとき、新聞がいくつか取り上げてくれました。今日は、その中でも、珍しい北海道新聞の記事を紹介します。なぜ、北海道新聞が取り上げてくれたかですが、2008年の夏、僕は北海道を旅行していて、友人を訪ねました。その友人は、大阪で教員をしていた人です。定年を機に、故郷の北海道に戻り、士別に移住していました。そこで、いろいろ話しているとき、僕が最近出版した本のことが話題になり、その友人が北海道新聞の記者を知っているということで、連絡をとってくれ、その記者の取材を受けて、記事を書いてもらいました。
 〈「ありのままの君で君は価値のある存在だ」とメッセージを送る伊藤さん〉と題した写真入りの記事でした。記事の文字データを紹介します。
 また、『どもる君へ いま伝えたいこと』の感想特集として、ひとりの感想を紹介します。つづきは、明日、紹介します。

  
吃音に悩む子供へ
                 大阪教育大講師 伊藤さん本出版
 日本吃音臨床研究会会長で、大阪教育大非常勤講師の伊藤伸二さん(大阪府在住)が、吃音の子供たちへのメッセージを、本「どもる君へいま伝えたいこと」にまとめた。
 伊藤さんは、小2のころから吃音に悩み、矯正のための教室にも通った。そこで仲間と出会い、ありのままの自分を受け入れ、積極的に人生を楽しむことで悩みを乗り越えた。現在は、電話相談や「吃音親子サマーキャンプ」を開催し、子供たちを支えている。
 本は、多く寄せられる質問に答える形になっている。「私のどもりは治りますか」との質問には、「どもりながら、楽しい人生を送っている人は、たくさんいるんだよ。(中略)『どもっても大丈夫、何の問題もない』と思えるようになればいいね」とアドバイスしている。
 伊藤さんは、「周囲に『いつか治る』と言われ、話題にしないようにしている親も多いが、この本が一緒に考えるきっかけになれば」と話している。

 A5判95ページ。購入希望者は1200円分の切手を同封し、伊藤さん(〒572・0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1の2の1526)へ申し込むとよい。問い合わせは、伊藤さん☎072・820・8244(ファクス兼用)へ。
                 北海道新聞 2008年(平成20年)8月11日(月曜日)


      『どもる君へいま伝えたいこと』感想特集

  
謙虚に生きることのすばらしさ
                    掛田力哉(大阪府立八尾支援学校所属)

 『ぼくと同じで、人間は弱くて、失敗するものだ…。(中略)
 生きていくうえでの悲しみや苦しみは当然ある。それにちょっと距離をおいて、ユーモアで眺めて、困難や逆境を笑い飛ばせたらいいね…(Q17)』この文章を読んだとき、私は忘れかけていた大切なものをやっと取り戻したような不思議な安堵感に包まれ、一人電車の中で泣けてきました。「弱くて、ちっぽけな」ありのままの自分を見つめる「謙虚さ」こそが、しなやかに生きる人間の知恵であるという、この伊藤さんや大阪吃音教室の皆さんの考え方が大好きだったのに、私はすっかりそれを忘れたままに半年ほどを鬱々と過ごしていました。本を開くたび、一つの言葉、一つの文章に、忘れていた懐かしい「温もり」を感じ、その度、笑ったり涙がこぼれそうになったりしました。
 伊藤さんから一通の緊迫した雰囲気の手紙が届いたのは、今年の2月頃。手紙には、アメリカのバリー・ギター博士による吃音治療に関する本が翻訳されたこと、医療や教育の現場が一気にその流れに組み込まれはしないかという強い危機感などが書かれてありました。「今こそ、悩む子どもたちのために、本物の吃音の本が必要だ」という伊藤さんの思いに賛同した「ことばの教室」の教師たちが集まり、なぜか私もそこへ誘って頂いて『どもる君へ』(当初はもちろんこの書名も決まっていませんでしたが)の出版へ向けた話し合いが始まりました。ギター博士の論に対抗するためには、「吃音の治療」にっいてどう考えるのか、また「どもる私たちにとって、『言葉にこだわる』とは何を意味するのか」など、様々な根源的問いに対して、改めて自分たちの考えを明確にする必要がありました。 (Ql1)の「どもりが変わる」という事についても、「"変わる"と"治る"の違いをどう理解してもらうのか」など、激論が交わされました。そんな話を聞きながら、私が強く思ったのは、やはり「弱さも悩みも持ちながらも、吃音と上手につき合い、吃音と共に豊かな人生をゆっくりと歩み、歩もうとしている大阪吃音教室のみんなのことを、もっと知ってほしい」という事でした。
 この本が完成した一番の原動力は、大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプで吃音と向き合い、変わり、今も悩みながら成長し続けている、私たちどもる当事者の事実を「知っている」という伊藤さんの確固たる自信だと私は思います。アメリカ言語病理学のバリー・ギター博士は、きっとそんな吃音の当事者を知らないのです。
 そんなどもる人たちの姿を。吃音が、人生そのものを生きていく「テーマ」になることも。
 私は3月までの支援学校勤務から、4月、初めて小学校の担任になり、これまで経験したことのない苦しい毎日を送ってきました。教育の世界はシビアです。自分の言動の一つひとつ、授業内容、指導力、人間性等々が子どもからも教員からもすぐに評価され、はねかえってきます。悩んでいる間も、毎日授業はやってくるので、眠る間もないほどに準備や予習に追われます。顔もいつか引きつるようになりました。自分の弱さやダメさを痛感しながらも、「こんなはずじゃない」「自分はこんな嫌なことを言う先生よりももっと…」などといった、ひねくれた自尊心が胸にうずまき、益々自分を硬直させました。いつしか、子どもたちが自分から離れていっているように感じ始めました。否、離れようとしていたのは、自分の方かも知れません。どもりに悩み、閉じこもっていた頃の自分がよみがえったかのようでした。
 (Q14)の「私には友だちがいません」の項には、そんな私を優しく強く叱ってくれる言葉が溢れていました。『自分のことが大嫌いな子と友だちになりたいとは思わない』という言葉は、身勝手な劣等感に苛まれ、殻に閉じこもっていた私の姿を暴いているかのようでした。『人に好きになってもらうのは難しいけど、自分が人を好きになることはできる。相手のいいところを捜そう。そして、その子を好きになろう』とも、本は語りかけます。孤独の悲しさを痛いほど知っている吃音に悩む子どもたちに、伊藤のおじさんは「相手を変えることは難しいよ。でも、自分が変わることはできるんだよ」という事実を優しく、厳しく伝えるのです。私にも、胸に突き刺さる言葉でした。
 「教師」として子どもたちを「変えよう、変えよう」と焦り、一方では自分を認めようとしない同僚教員の言動に対して、一人傷つき胸の中で舌打ちばかりしていた自分。『君には、人の話をよく聞けるようになってほしい』『ちょっと勇気を出して』など、かつて様々な失敗を重ねたからこそ語られる伊藤さんの言葉が、人の中で、人と共に生きることに未だ四苦八苦している私の心に、ピリピリと沁みました。
 『君は、どもることで、ことばに自信がなくなったんだから、ことばにこだわるといい』(Q16)これも、かつて「ことばやコミュニケーションにこだわりたい」と教師を目指しながら、実際の日々の中では、早口で子どもをまくしたてていた自分には顔が赤くなるような一言でした。「声を豊かに」しながら、『スピードや効率ばかり求める世の中だから、世間の流れにまどわされることなく、どもるぼくたちは、話しやすい、少しだけゆっくりめの話し方を身につけ、スピード時代に対抗しようよ。(中略)特別の練習をしても意味がない。少し心がけるだけでいんだ。(中略)今は、スローライフが少しずつ見直されてきている。ぼくたちのスロースピーチが、世の中を穏やかにさせるかもしれない』という語りかけは、むしろ私には「悩み戸惑いながら、ゆっくり人生にこだわって」誠実に生きている大阪吃音教室の皆さんの「生き方」そのもののことを指しているように思われました。
 この本から私が一番感じたことは、「謙虚に生きることの素晴らしさ」です。ありのままの自分を受け入れ、自他に誠実に生きる「謙虚さ」は、かつて私のことを評してそう言ってくれた人が何人もいたにも関わらず、この何年か、私が最も失いかけていたものでした。今、この本に出会えたことが、本当にありがたいです。その出会いをくれたものは、他でもない吃音なのです。『新しいことへの挑戦には、失敗がつきものだ。(中略)壁を前にして立ち往生し、引き返してしまうと、何も始まらない。登ってもいいし、回り道をしてもいい。壁の向こうに進んでいこう。疲れたら休んでもいい。大きな失敗で落ち込んでも、立ち直ってまたもう一度歩み始めよう。きっと新しい道が見えてくる』(Ql9)この本は、私にとってのまさに「応援歌だ!」と思うようになっています。ほとんど何もできていないのに、巻末には小さく自分の名前まで載せて頂きました。苦しい最中に頂いた、伊藤さんのサイン入りの一冊は、私にとって半年間なんとか自分なりに奮闘してきたことへの「ごほうび」に思えました。
 本の完成披露パーティの翌日、「ことばの教室」の先生たちと一緒に、次の「教材づくり」に向けての話し合いがありました。話し合い終了後、他の「ことばの教室」の方たちは、研修会などで紹介するために、50冊、100冊と本を買っていきます。私には、そんなあてもないので、家族に送る分5冊を買いました。持って帰った翌日、ふと私は「職場に本を紹介してみようか」と思い立ちました。まだ、職場の人には自分の吃音のこともしっかりと伝えていません。子どもたちにもです。職員会議の最後、勇気を出して手をあげました。「1260円の所、今だと1000円」の紹介に、笑い声も起こりました。そして、何と4人の先生が、喜んで本を買ってくれたのです。私は、半年間、やはり大切な大切なことを見失いながら生きてきたんだと、痛感させられました。吃音は、私の大事な大事な一部であり、根幹なのに、吃音にすまないことをしたと感じました。吃音のことを、これから少しずつ子どもたちにも知らせていきたいと思っています。研究授業で、吃音のことを何か生かす方法はないかと、今から考え始めたりもしています。もちろん、語るだけでなく、もっともっと子どもたちの話を聞きたいと思っています。
「勇気をだして」「心を開き」、謙虚に素直に…。「どもるぼくへ」、頑張れ、がんばれ!
(「スタタリング・ナウ」2008.8.24 NO.168)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/26

『どもる君へ いま伝えたいこと』〜まえがき〜

どもる君へ いまつたえたいこと 表紙 僕が一番書きたかった本『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)の発刊のときのことを書いた巻頭言を紹介しました。今日は、その本の前書きをそのまま掲載します。今、困っている子どもへ向けて語りかけるように書きました。僕のこの思いが、会ったことのない誰かに、届きますようにと、願いを込めながら。

どもる君へ いま伝えたいこと〜まえがき〜

                     日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


 この本を手にとってくれた君、ありがとう。
 君がこの本を手にとって読み始めてくれたことが、ぼくはとてもうれしい。ぼくはこれまで10冊のどもりに関する本を書いているけれど、この本を書いているうちに、これが、ぼくが一番書きたかった本なんだと気がついたからだ。
 どもりは、「そんなことぐらい気にしないで」と周りから言われるほど単純で軽いことじゃない。
 どもりは、とても人間らしい悩みで、古くは紀元前のギリシャの時代から、どもる人の悩みは記録として残っている。また何人もの小説家が自分のどもりについて書いている。
 大昔からたくさんの人がどもりに悩み、どもりを治そうと、努力してきたことも伝わっている。どもりを研究する学問も、100年近い歴史があり、どもりを軽くしたり治そうと指導する臨床家といわれる人が世界中にたくさんいる。
 君がどもることで困り、悩むのは当たり前のことなんだ。ぼくなんか21歳まですごく悩んでいたし、世界的に活躍した有名な人で、30歳や50歳まで悩んでいた人がいる。君がひとりで考えるほど簡単なことではない。
 ぼくは深刻に悩んでいたとき、真剣にどもりに向き合ってこなかった。21歳の夏に、初めて同じようにどもる人と出会ってから、勉強し始めた。それから40年以上、どもりに取り組み、どもりについて考え続けてきた。
 どもる人の会や研究会をつくり、世界大会を初めて京都で開き、国際組織を作った。また、子どものための吃音親子サマーキャンプは今年で19年になる。世界のたくさんの人の体験が集まったことで、どもりとどのようにつきあえばいいか、ぼくなりに整理ができた。
 だから今、ぼくが40年以上考え、実際に行動して、失敗したこと、とてもよかったことを、君のようにどもることで困ったり、悩んでいる人に伝えたかったんだ。
 ぼくは今、たくさんの友だちがいて、自分の好きな仕事をし、充実した楽しい人生を送っている。今からみると、なぜあんなに悩んだのだろうと不思議なくらいだ。だけど、あんなに悩んだから今のぼくがある。悩んだことに意味があったんだ。
 自分の人生は良かったと思えた瞬間に、過去の苦しかったことは、オセロゲームの黒がぱたぱたと白に変わるように、大切な意味のある経験に変わる。
 ぼくが幸せに生きられるようになったのは、偶然の人との出会い、本やできごととの出会いのおかげだ。あのとき、あの出会いがなかったら、ぼくはまだ悩んでいたかもしれない。
 人や本やできごととの出会いはとても大きな意味をもつ。だから今、君と出会えたことが、とてもうれしい。
 誰も君の人生を代わりに生きてあげられない。君がどんなにつらくても、悩みの中から自分の力で自分の人生を見い出していくしかない。君とぼくとは違うけれど、ぼくの経験を伝えることで、少し、君の役に立てそうな気がする。
 子どもの頃に、どもりの正しい知識や考え方を教えてくれる人がいたら、違う学童期、思春期を送れただろうと思う。
 悩み方に上手下手と言うのは変だけれど、ぼくは逃げてばかりいたから、損な悩み方をしてきたと思う。人間は悩みながら生きていく。悩んでもいいけれど、悩みが君にとって意味のあるものになるために、君とどもりについて一緒に考えたい。
 ちょっと違った見方が君に広がればいいなあと思う。
 たくさん失敗してきた先輩として、「こんなことには気をつけてね」と書きたかった。少しでも参考になればうれしい。
 君にとって、内容が少し難しいところがあるかもしれない。その時は、家族や先生に手伝ってもらって読み進めてほしい。この本がきっかけで、君が周りの人にどもりについて話し、一緒に考えるきっかけになればいいね。
 質問は、吃音親子サマーキャンプや電話相談でよく受けることだ。そのほか、ぼくの仲間の小学校のことばの教室の先生が教室で子どもから受ける質問を出してくれた。
 君が質問したかったことがあればいいけどね。読んで疑問が出てきたり、違う質問があれば、メールでも手紙でも電話でもファックスでもいいから質問してほしい。
 この本の後ろに、ぼくの住所や電話番号、メールアドレスを書いておくから、困ったときはいつでも連絡してほしい。
 ちょっと先を歩いてきたどもる人間として、一緒に考えたい。ぼくはいつも君の味方だから。決してひとりで悩まないでね。(「スタタリング・ナウ」2008.8.24 NO.168)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/25
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