伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

じか

「じか」であること 2

 竹内敏晴さんから、よく「じか」ということばを聞きました。竹内さん自身、いろんなところで「じか」ということばを使って、文章を書いておられます。この「じか」ということば、コロナ禍にあって対面での出会いがなかなか難しかったころ、その大切さを痛感しました。インターネットが普及し、オンラインでいろいろなことができて便利になりましたが、僕たちは、対面でのやりとり、「じか」であることを大切にしていきたいと思います。
 昨日のつづきです。竹内さんの娘さんであるゆいさんの小さい頃の話が出てきます。「スタタリング・ナウ」2004.5.18 NO.117 から紹介します。
                        
  
「じか」であること 2
                        演出家 竹内敏晴

3.子どもは「じか」の世界で生きている
 わたしの娘ゆいが、生れてまだ3か月くらいの頃、わたしはゆいをおなかにのせたままうとうとしていた。うつ伏せになったゆいはすやすや眠ったままわたしが息するたびにわたしのおなかの上でゆっくり上下している。突然わたしはぐいと衝き動かされた気がして目が覚めた。赤んぼがまっすぐわたしを見ている。手とも言えないような小っちゃな2本を懸命に突っぱって「あーあー」と叫ぶ。その声がずしんとわたしを打った。「この子、話しかけてる!」あわてたわたしがなんと答えたか、まったく覚えがない。おっぱいがほしい! でもない、お尻がぬれている! でもない。ただまっすぐに呼びかけている。ことば以前の声で。「じか」ということばを思うとき、真っ先にわたしのからだにうついてくるのは、この時のゆいの目、声、突っぱる手のゆらぎだ。
 毎晩かの女を寝かしつけるのがわたしの役目だ。初めはゆっくりした子守唄や童謡を歌っていた。だんだん短い昔話などをするようになった。ある晩話し始めたら、ゆいがウッウッと言う。なにか催促するような気配だ。ウタ? と聞くとまたなにか言う。なにかパァアンと聞こえる。パン? と尋ねるといやいやをする。ウーンと捻っているうちにふとなにかリズムらしいものに気がっいた。「バッタン……?」と眩いてみたら、ゆいはキャッキャッとはねた。「キリキリパッタン?」キャッキャッ。前の晩に話した「瓜子姫とあまのじゃく」の話かな? 幼い子にはむずかしすぎると思ったけどな、と半信半疑で話し始めていって、あっと思った。「キリキリパッタン」へ来るとゆいが廻らぬ舌でリズムを合わせて声張り上げる。これは昔話の中で瓜子姫が機を織る音の表現で、この後に「カランコカランコ」と梭の走る音が続く。この澄んだ音のくり返しをわたしは好きだったから話したのだが、こんなに幼い子が喜ぶとは思いもかけなかった。
 ところがまだ先があった。遠い山から山びこを返してきたあまのじゃくが、近づいて来る。戸を押し開けて入って来る。瓜子姫をつかまえて裸にして柿の木のてっぺんに縛りつけ、着物を着込んで瓜子姫になりすまし、さて機を織り出す。とたんに「ドッチャライバッチャライドッチャライバッチャライ」。ゆいは「あっ、あっ」と声をあげてはねる。澄んだ音のくり返しだけでなくて、この凄まじい音の変わり方がまたからだをゆさぶるほど面白いらしい。じかな、音のはずみ、からだのはずみ。
 ずっと大きくなってから、ゆいは「くまのお医者さん」の絵本が大好きになった。明日のお出かけを前にして熱を出したケンちゃんが「ぜったいびょうきじゃないんだから」と言い張って寝た夜に、くまのお医者さんがやってきてくれて、言うとおりにしてみたらすっかり直った、というお話である。(「ぼくびょうきじゃないよ」福音館書店)
 ドアの方でとんとんと音がする、とわたしが絵本を読んでゆく。「ぼく、ちゃんとねてるよ、おかあさん」とケンちゃんがどなる。まだ音がする。ケンちゃんはドアをあける―。ゆいが立って、襖をあける。絵本を持ったままずいとわたしが前に立ちはだかる。「そこには しろい おいしゃさんのふくを きた、おおきなくまが かばんを もって たっていました」とわたし。ゆいは、あっと言ったまま立っている。「おや まちがえたかな」とわたし。「ケンも あんまり びっくりしたので、またごほんと せきをしてしまいました」と読むと、ゆいが「ゴホン」「あれれ、きみもびょうきかい」するとゆいが、大威張りで「ちがうよ。びょうきじゃないよ」
 ゆいとわたしは毎日毎日くり返して、ゆいはケンちゃんになり、わたしはくまのお医者さんになった。洗面台へ行っては、「くませんせい」が大きな口をあけて教えてくれた「くましきうがい」を合唱しながら「うがい」をした。「ゴロゴロ ガラガラ ガラッパチ。ガラゴロ ガラゴロ ゴロッパチ。クチュクチュ ペッペの クマッパチ」お話を読み聞かせする、というより、ことばとお話が生まれてくる「場」に、二人一緒に生きたのだ。
 娘が10歳になった頃、わたしとつれあいはある日烈しい言い争いをした。つれあいは厳しいことば使いでどこまでもどこまでもわたしを問い詰める。わたしはと言えば、からだの内をのぞきこむようにしてなんとか一言を探し出す。言い争いはいつまでも果てしなく続いた。
 本を読んだりこちらを眺めたりしていたゆいが、突然、「わかんないなあ!」と言った。「そんなケンカしてなんになるのか、ちっともわかんないなあ」つれあいがきっとなって振りむいた。「どうして?」「それはこうでしょと言うのはいいけど、どうしてソーダネと言わなくちゃいけないの? ひとりはひとりでしょ?」しんとした。だいぶたってから、つれあいがずばりという調子で言った。「まっこと、その通り」ゆいはにこりとした。わたしは感嘆した。娘にも、つれあいにも。

4.「まねる」こと
 ある母親から聞いた話である。
 4歳になる娘が、気がつくといつも同じ姿勢をしている。家でも幼稚園でも。栂指を口にくわえて、人指し指の腹でまつ毛をそうっと撫でている。もう一方の手ではおなかを押さえている。
 気になるので「そんな格好はやめなさい」と叱るとすぐにやめるのだが、いつのまにかまた戻っている。いくら言っても直らない。
 「どうしたらいいと思う?」とかの女は、一緒に竹内のレッスンに来ていた女友だちに相談した。相談された女性はしばらく考えていたが、
 「まねてみるね」と言って栂指をくわえた。人指し指でそうっとまっ毛をさわって、もう一方の手でおなかを押さえた。―しばらく経って、ぽつんと「ひとりぼっち」と言った。「えっ?」「とってもひとりぼっち」母親は胸を衝かれた、という。
 それじゃどうしたらいい?とすぐ対策を立てる、という問題ではない。治療や指導の対象として観察しようとするのではなく、まず、その子の身になってみて、その息づかいを感じ、その子の目で世界を見てみようとする、その姿勢が大切なのだと思う。わたしがただひとつ提案したい「方法」である。
 わたしに依頼されたテーマは「コミュニケーション能力を高めるための技術・実践例」というのだったが、考えてみるとわたしのやってきた「からだとことばのレッスン」は設定された目的のために技術を習得する方法ではない。自分自身への問いかけと、気づき―つまり新しく開かれた世界―への、出発のくり返しである。今わたしにわずかに見えること言えることは、人が「じか」であること、だけだ。(「スタタリング・ナウ」2004.5.18 NO.117)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/06

「じか」であること

 吃音はどう治すかではなく、どう生きるかだ、これは僕たちの活動の基本中の基本で、このことを一番大切に活動を続けてきました。伝えたいことはどもってでも伝えるし、どもりながらでも必要なことは伝えてきました。でも、同じどもるにしても、きちんと相手に届く声をもちたいし、相手に働きかけることばをもちたいと考えていました。
 「吃音を治す」ではなく、「吃音とつきあう」にしても、ことばへの取り組みはしたいと思い、単調でつまらないこれまでの言語訓練とは違うものを探していた時、「竹内敏晴・からだとことばのレッスン」に出会いました。竹内さんのレッスンに参加したり、竹内さんに来ていただいてレッスンを受けたりして、からだの中から声を出すことの気持ちよさ、声を出すことの喜び、楽しさを味わいました。その中で、1998年には、どもる人だけの劇団をつくり、竹内敏晴さんの演出で170名もの観衆の前での舞台に立ち、演じることのおもしろさも味わいました。
 竹内敏晴さんの大阪の定例レッスンの事務局も、竹内さんがお亡くなりになるまで、10年以上続けました。レッスンの場以外でも、竹内さんとはたくさんお話をしました。月に一度、第2土日の2日間、竹内さんとの贅沢な時間を過ごしたなあと、なつかしいです。
 竹内さんが書かれた文章と、春に行われた大阪のオープンレッスンについて紹介している「スタタリング・ナウ」2004.5.18 NO.117 を紹介します。

  
「じか」であること 1
                        演出家 竹内敏晴


1.養護学校にて
 ある時わたしは養護学校に人を訪ねて、重複障害児の部屋を通り抜けていった。
 四角い、大きなかごみたいな箱のそばを通った時わたしはふと中をのぞきこんだ。3歳か4歳にしか見えない女の子が箱の底に横たわっていた。ぱっちり開いた目がわたしをむかえた。
 わたしは顔を近づけた。かの女はまじまじとわたしを見て目を離さなかった。わたしはもう一度顔を近づけた。するとかの女の目がふっと笑った。わたしはおでこを寄せてかの女のおでこと軽くごっつんこをした。かの女がククッと声にならない声を立てた。わたしはうれしくなって、今度は鼻の先でかの女の鼻の先をそっと押した。かの女がクックッと笑った。少し離れて二人で見つめあっていて、またおでこを近づけた時、駆け寄ってくる足音がして「あらタケウ…」と呼んだ。わたしが顔を上げる前に「まあ、この子は!」とその声が叫んだ。「この子はゼッタイひとの目を見ない子なのに!」。わたしはびっくりして駆け寄ってきた教員を見、また少女を見た。少女はおだやかにかすかに笑みを浮かべじっとわたしを見ていた。
 どういうことなのだろう? 叫んだ人はこの子とふれあうことはなかったのだろうか?

2.ことばはコミュニケーションのための道具―ではない?
 コミュニケーションとはなにか? 原義にさかのぼれば、ラテン語で「共に、分かちあう」となるが、では、なにを「共に分かつ」のか?
 わたしは幼い頃耳が悪くことばが話せなかったから、他の人との断絶に苦しんだ。16歳でようやく右耳が聞こえ始めたが、40歳を過ぎても、声は内にこもってうまく話せなかった。それでも芝居の演出をやったのだが。
 ある日、ヨーロッパの前衛的な演劇人の発声訓練の文章を読んで、仲間と共に試みていた。突然頭蓋骨全体がピインと鳴り響いた。声が1本の光の柱のように噴き上がった。天井から壁から声がはね返ってくる。
 びっくりした目で見ている仲間の一人を呼んでみた。相手があっという顔になって息づかいが変わった。声がやってくる! わたしの体に滲みてくる。わたしのからだがはずんで、また声が出た。声が相手のからだにふれてゆくのが見える。わたしは喘いだ。声とは、話しことばとは、これほど「じか」になまなましく行ったり来たりするものなのか。
 わたしには毎日毎日お祭りだった。出会い頭に「おーい」と呼びかける。ぱっと相手が振り向く。「こんにちは」と言えば、声がすっと相手のからだに沈んでゆき、相手のからだがするすると動き出して、すうっと声がこっちへやって来る。呼びかける、とは、まわりの人やものがいっしょくたの混沌から、ひとりの「あなた」を呼び出すことなのだ、とわたしは知った。同時に、あなたと向かいあう「わたし」が現れ出る。
 世界は動いている、生きている―わたしはあっけにとられた。今まで自分は厚いガラスのケースに閉じこめられていたのだ、と気づいた。相手の姿は見えているが、声はそこからやってはこない。見えないスピーカーから空間を漂ってくる。呼びかける声もあてどなくひろがって、内容=情報だけは相手に伝わったらしいとガラス越しに見てとることはできる―。そのガラスの壁が吹っとんだ。風にさらされた「わたし」が立っていた。
 しばらく日にちが経って、わたしは奇妙なことに気がっいた。今までわたしは、会話とは向かいあう二人がキャッチボールのようにことばをやりとりしているものと思いこんでいた。が、どうも様子が違う。二人ともそれぞれ勝手なことを勝手な方向へ、代わりばんこにわめいたり眩いたりしているように見える。
 これでいいのだろうか? 人と人とがほんとに話しあうということは、どうすればいいのだろう? わたしはそれを確かめたいために「呼びかけ」「きく」レッスンを始め、やがて「ことば」を語る主体である「からだ」のあり方に立ち戻って考えるようになった。
 たとえば、「夕焼け小焼け」を、集った人々と一緒に歌ってみると、みんな直立不動、電信柱のように突っ立ってお互いのつながりもなく、か細い声でメロディを合わせている。
 「お手てつないでみな帰ろ」と歌詞にあるのに、なぜだれかに駆け寄って手を取って歩き出さないのだろう? 
 「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね/そうよ かあさんも ながいのよ」って、いったいだれがだれに話しかけてるのだろう? 呼びかけるものと「そうよ」と答えるものと二人組になってみたらどんな感じになる? 人と人とが顔見合わせ、手を差し出し、関係が変わってゆくと、一人ひとりの息づかいが、身ごなしが、柔らかくひろがってゆく。ことばの様相が動いてゆく。それは実に楽しい発見だった。
 しかし、数年経ったころ、わたしは立ちすくんでいた。人間にとって「ことば」とはなんなのか、わけが分からなくなっていた。
 わたしはことばがしゃべれなかったから、からだの奥にうごめいて形のはっきりしないイメージの切れ端を、なんとかことばに、文章に組み立てて、ひとさまに差し出し分かってもらいたいと必死になっていた。ところが、どうやら世間の人にとっては、「話す」とは、ありあまる備蓄から巧みに取り出した用語を並べ立てて自分を隠すための壁を立て回したり、自分に都合のいい方向に相手を誘い出す道筋を作り出したりする、つまり他人と距離をおき他人を操作する目くらましの術なのだ。ことばはコミュニケーションの道具だと? ウソつきやがれ! かくれみのじゃないか!
 哲学者メルロ=ポンティは、社会のルールを構成する、精密に組み立てられた、情報伝達のための言語と、今生まれ出てくる「なま」なことば、子どもが母に呼びかけたり、恋人への愛の告白や詩など、人のいのちの表現としてのことばとを区別する。かれは後者を第一次言語とし、それが使い古されて社会に定着した用語による前者を第二次言語と呼ぶのだが、これこそ百鬼夜行の壮麗な迷宮だ。それならさらに、とわたしは思う。うまくことばにならない、身悶えや呻き声や叫びなどを第0次言語と呼んでもいいだろう。子どもは(そしてことばの不自由なものも)もともとこの世界に棲んでいる。
 第0次の「からだ」、第一次の切れ切れのことば、をまるごと受けとめ感じ取ることをコミュニケーションと呼ぶならば、これは第二次の、組織立て技術化して訓練することのできる情報言語の場合とは別種のコミュニケーションと言うほかない。おそらく十全のコミュニケーションは、イエスが、送り出す使徒たちに言ったように、鳩のように柔和で、かつ蛇の如く慧く、ウソを見破れなければならないのだろう。
 社会=世間の言語は、人と人のかかわりでさえも情報の交換の範囲に押しこめる。相手に対して礼儀正しく修飾し偽装する「ウソ」のことばである。社会人はどうやってこれを捨てて、なまで「じか」な世界に入ることができるのだろうか。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/05
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