いつまでこの厳しい暑さが続くのだろうかと思っていましたが、一気に秋になったようで、朝晩は肌寒いくらいです。「吃音の夏」と僕たちが呼ぶ夏の大きなイベントを、今年は3年ぶりに開催しました。7月末、千葉市での「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」、8月、滋賀県彦根市荒神山での「吃音親子サマーキャンプ」、新型コロナウイルスが感染拡大していた時期で、どちらも開催をギリギリまで迷いましたが、参加希望者とスタッフの覚悟と熱意に背中を押され、開催しました。
 終わった今、開催できて本当によかったと思っています。その報告をしていたので、これまでの「スタタリング・ナウ」を紹介することがストップしていました。今日から、元に戻ります。今日は、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)の巻頭言を紹介します。
 この、ことば文学賞は、今年で25回目となりました。原稿募集はすでに締め切られていて、2022年10月8・9日、大阪で開催する、新・吃音ショートコースの場で、受賞発表の予定です。長く続いているこの取り組みの意義について書いています。
 僕は、今回紹介する、「ふだん記運動」の橋本義夫さんの物語が大好きで、書くことを人に勧めるときにはいつも紹介しています。

   
ことば文学賞
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 自分史を書くことがブームになって久しい。そのブームよりもかなり前の1957年頃。「ふだん記」運動として自分史を書くことをすすめていた人がいた。橋本義夫さんは、ご自身を重い吃音だといい、50歳から文章を書き始めた。

 『私は少年後期から、ひどいドモリになった。壮年期まで続き、自由にしゃべれたのは幼少時代と晩年だけであった。もしも人生の盛りにこの障害がなかったら、全く違った方向を歩み、「みんなの文章」などすすめなかったであろう。肝心な時に言語が鎖につながれ、その間にした仕事は、どれもみな捕囚の仕事だった。言語の自由がなかったが、せめて文章の自由でもと、指導者もなく、「50からの独学」に入った。
 言語障害の身になると、普通にしゃべれることは、どのくらいありがたいことかが分かる。文章もそうである。名文、美文そんなものどうでもよい。そんなもの一般人には書けない相談である。普通の生活に必要な言葉のように、当たり前のことを何でも記録できるという、そのことがもっとも大切であり、もっともありがたいことである』
   『だれもが書ける文章―自分史のすすめ―』橋本義夫 講談社現代新書 522

 橋本さんはかつて、文章というものは、名文、美文を標準にして書かなければならないと思いこんでいたために、劣等感、恥ずかしさなどが先立ち、書く気も起こらず、またとても書けるはずがないとあきらめ、メモ以外書かなかったと言う。
 「もう長く生きるわけではない。必要なことは書かなければ消えてしまう」
 50歳になり、ふとこう気づき、恥をかくつもりで書きはじめた。重い吃音のために、人とは交わらず、ひとりでこつこつと書く生活が続いた。
 毎日毎日書き続けた。人の喜びや悲しみのときにはつとめて書き、その当事者に贈った。さらに、自分の書くことで得た経験を周りの人に話すようにもなった。
 「不幸、失敗、困難、自責のことを書けば、誰も嘲るものはいない。自分の思うこと感じることをそのまま、自分の方法で書けばよい。私でさえも文章が書ける。書き始めたら繰り返せば誰でも書ける」
 橋本さんは、誰もが書ける文章作法を提唱し、日本全国に「みんなの文章」運動を巻き起こした。
 この運動によって、孤独な生活が一変した。「ふだん記」グループが全国に炎のように広がったのだった。70歳をすぎて、全国を駆け回り話す姿は、吃音のために、ことばが鎖につながれた人間の、最後の戦いであったのだろう。
 この呼びかけに応じて、私たちが自分史を書き始めて15年。大阪吃音教室では、年に数回、「文章教室」を開いて書くことに取り組んできた。
 自分を表現するひとつの手段として、書く習慣を持ちたかった。さらには、後に続く人のためにも書かなくてはならないと思った。
 この度私たちが、『ことば文学賞』を創設したのは、自分史を書こうと取り組み始めたときの熱気をもう一度取り戻したかったからだ。また、どもる人、どもらない人の別なく、幅広い多くの人々と、書くことを通して、吃音やことばについて考えたいと願ったからだ。
 私たちどもる人間は、ことばに苦しんできたと言いながら、ことばを大切にし、ことばについて深く考えてきたかと言えば、こころもとない。
 どもりに悩んだ私たち、人一倍ことばと格闘してきた私たちは、ことばについてもっと関心をもち、それを文章にしていきたいと改めて思う。
 橋本義夫さんの「ふだん記」運動に代わって、私たちの「ことばの文学賞」が発展していくことが、同じ吃音仲間である、橋本さんの遺志を継ぐことになるのだろう。(「スタタリング・ナウ」1998.8.15 NO.48)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/22