1998年に書いた文章を紹介します。「ことば供養」、今、振り返っても、いいタイトルだと思います。吃音の深い悩みの中にいた頃、授業中答えが分かっているのに「分かりません」と答えたこと、どうしても伝えたいことだったのにどもるのが嫌さに言わなかったこと、たくさんあります。そのとき、僕から生まれ出ようとしていた、限りないことばの数々に「ごめんね」と謝りたい気分です。今、僕は、自分に対しても相手に対しても、僕から生まれ出ようとしていることばに対しても、誠実でありたいと考えています。

  
ことば供養
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 2月8日は針供養。女性が裁縫を休み、折れた針を集めて、豆腐やこんにゃくに刺し、川に流したり神社に納めて供養する。日本には針だけでなく、筆供養など様々な供養が伝統行事として残る。
 筆供養の様子が先だってテレビで紹介された時、私はふと、《ことば供養》がしたくなった。
 この一年、自分の中から出たがっていたことばを、無視し、軽視しなかったか。この一年についてのことばにも供養したいのだから、どもりに悩んでいた時は、おびただしい数のことばの供養をしなければならないことだろう。
 どもって話すのは嫌で恥ずかしく、どもるぐらいなら黙りたかった。どもるのが嫌さに、本当に言いたかったことばを他のことばに言い換えた。
 どもりに深刻に悩んでいた25歳ごろまで、私は私のことばをどれだけないがしろにしてきたことか。私の口から出たがっていたことばを沈黙の中に葬り去り、「分かりません」で、出かけていたことばを自分のからだの中に押し込んだ。その上、せっかく出て来たことばを、ただどもったということだけで恥じた。私はことばに謝りたい。
 私は、どもることばは醜く、人を聞き辛くさせ、説得力がなく、嘲笑されるだけのものだと思ってきた。だから、どもらずに話したいと、普通に話せるようになることばかりを追い求めてきた。
 長い間、虐げてきた私のどもりことばだが、今は、私のかけがえのない自分のものになりきっている。どもって喋ることが、かえって説得力をもつと言われたことさえある。今は、どもりが治りたいとは思わない。しかし、どもり方を磨きたいとは思う。
 昨夏、サンフランシスコでの国際吃音学会で、いいどもり方だなあとしみじみと聞けた吃音研究者と出会った。軽くリズミカルにどもる彼女の発表は、私の耳には大変心地よかった。すらすら流暢に発表する研究者は多く、どもらない人と彼女との比較がすぐにできたので、余計に強い印象となった。
 どもりながらも、臆することなく発表すること自体素晴らしいことだが、今回はそれを越えて、どもり方そのものが素晴らしいと思った。そのどもり方がその人の個性を作っていたのだ。
 こんなに素晴らしいと感じるどもり方の人に出会ったのは初めての経験だが、これまでもいいどもり方だと思った人がいなかったわけではない。13年前、福岡の能古島での吃音ワークショップで出会ったSさんは、いわゆる吃音検査法では重度吃音の分類に入るだろうが、にこにこ楽しそうに話す。派手にどもるが悪びれるところは全くない。どもることで周りを明るくさせている印象さえ受けた。
 四国で教師をしているKさんは、Sさんと違って楽しいというどもり方ではない。いわゆる難発で、ことばがなかなか出てこない。この、ブロックしてことばが出ない状態が、《間》として実に生きていた。思慮深い彼のパーソナリティと、訥々とした話し方がぴったりしていた。多く話す人ではないだけに、ひとこと出ることばに重みがあった。
 吃音親子サマーキャンプにずっと参加していたM君も同じようなどもり方だ。以前は声がなかなか出ないで苦しそうだったが、最近はふと力を抜いたどもり方が彼の個性を表し、キャンプ初参加の高校生が、彼の話し方を真似たいと言った。吃音そのものを治すことはできなくても、連発型のどもり、難発型のどもり、その症状に合った、自分の個性と結びついたどもり方を工夫し、どもり方を自分なりに磨くことはできるのではないか。
 どもらない人に近づこうとするのではなく、どもり方を磨くのは楽しいことではないか。何がなんでもと焦ることなく取り組める。そうすれば、「分かりません」でしのいだり、口をつぐんだり、言い換えをあまりせずに、今湧き出る自分のことばを大切にすることにつながっていくことだろう。
 あの時、頭に浮かんだのに言えなかった、言わなかったことば。全く別のことばに言い換えてしまったことば。私が葬り去った私のことばに合掌。(「スタタリング・ナウ」1998.1.17 NO.41)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/26