2008年8月3日
代行バスでべてるの家へ 浦河は遠かった
8月1日、函館に入りました。40年近く前、大学生の時日本一周をして、その時の函館の夜景があまりにも美しく、いつかまた来たいと思っていました。札幌へはよく行くのですが、函館は日本一周いらい一度も足を踏み入れていません。夜景をとても楽しみに2泊函館でしたのですが、全くだめでした。
8月2日の函館まつりの「花火大会」は間近に花火が久しぶりにみることが出来てよかつたのですが、花火が終わったその足で函館山に行ったのですが、ロープウェーの乗り場で、何も見えませんよとの親切な窓口の人のことばに、断念しました。次の日があるからと潔く断念したのですが、次の日は大雨でした。函館まつりの行事は全て延期か中止です。もちろんその夜の函館山には登りませんでした。
この雨が翌日、私たちの旅に大きな影響を与えました。
函館を午後の2時頃にでて、浦河に向かう予定でしたが、「べてるの家」研修のツアーを組んで下さった、奈良の精神障害者の家族会のひとからケイタイに電話。昨夜の雨で土砂くずれで、列車は浦河へは不通になっていて、バスが代行運行する予定だというのです。一瞬本当に浦河までつけるだろうか心配になりましたが、先発隊の家族会の人たちがすでに、札幌を出発しているのですから、後はどうなっても行かなくちゃと函館を予定通りに出発しました。
結局静内までは、JRの列車。結構時間がかかります。静内からは代行バス。都会と違って真っ暗な道を、ひとつひとつの駅をまわってゆきます。無人の、これが駅なのかというような駅でも、ひとりはバスから降りる人がいました。乗り合わせた人がひとりひとりと減っていきます。何か心細いきもちになります。夜遅く到着するのではと予想していたのですが、鉄道と平行して道があったためか、予想外に、早くつきました。
あこがれの浦河へは、寂しいバスでの到着となりました。真っ暗の中で、ホテルまでの道を尋ねて歩き、ホテルに到着したとき、家族会の人たちとも出会え、土砂崩れの不通の中でも浦河はまっていてくれたのだと、ほっとすると、長旅のつかれがどっとでて、朝食も食べずに、出発の時間まで眠っていました。
長い間ブログ投稿できませんでしたが、次回「べてるの家」やその後の旅行記を書きます。 伊藤伸二
代行バスでべてるの家へ 浦河は遠かった
8月1日、函館に入りました。40年近く前、大学生の時日本一周をして、その時の函館の夜景があまりにも美しく、いつかまた来たいと思っていました。札幌へはよく行くのですが、函館は日本一周いらい一度も足を踏み入れていません。夜景をとても楽しみに2泊函館でしたのですが、全くだめでした。
8月2日の函館まつりの「花火大会」は間近に花火が久しぶりにみることが出来てよかつたのですが、花火が終わったその足で函館山に行ったのですが、ロープウェーの乗り場で、何も見えませんよとの親切な窓口の人のことばに、断念しました。次の日があるからと潔く断念したのですが、次の日は大雨でした。函館まつりの行事は全て延期か中止です。もちろんその夜の函館山には登りませんでした。
この雨が翌日、私たちの旅に大きな影響を与えました。
函館を午後の2時頃にでて、浦河に向かう予定でしたが、「べてるの家」研修のツアーを組んで下さった、奈良の精神障害者の家族会のひとからケイタイに電話。昨夜の雨で土砂くずれで、列車は浦河へは不通になっていて、バスが代行運行する予定だというのです。一瞬本当に浦河までつけるだろうか心配になりましたが、先発隊の家族会の人たちがすでに、札幌を出発しているのですから、後はどうなっても行かなくちゃと函館を予定通りに出発しました。
結局静内までは、JRの列車。結構時間がかかります。静内からは代行バス。都会と違って真っ暗な道を、ひとつひとつの駅をまわってゆきます。無人の、これが駅なのかというような駅でも、ひとりはバスから降りる人がいました。乗り合わせた人がひとりひとりと減っていきます。何か心細いきもちになります。夜遅く到着するのではと予想していたのですが、鉄道と平行して道があったためか、予想外に、早くつきました。
あこがれの浦河へは、寂しいバスでの到着となりました。真っ暗の中で、ホテルまでの道を尋ねて歩き、ホテルに到着したとき、家族会の人たちとも出会え、土砂崩れの不通の中でも浦河はまっていてくれたのだと、ほっとすると、長旅のつかれがどっとでて、朝食も食べずに、出発の時間まで眠っていました。
長い間ブログ投稿できませんでしたが、次回「べてるの家」やその後の旅行記を書きます。 伊藤伸二