名古屋の言語聴覚士養成の専門学校の講義
6月26日、27日、28日
伊藤伸二は名古屋の言語聴覚士の養成の専門学校で「吃音」の講義をしてきました。
何年前から行き始めたのかは記憶がないのですが、10年は行っていると思います。 一年一年と学生の質が違い、とてもおもしろいです。
5年ほど前でしたか、私の「どもりはどう治すかではなく、どう生きるかの問題で、吃音を治すことにこだわらない支援が必要だ」と講義をすると、医療現場の言語聴覚士としては納得できないようで、最後まで反発していた学生がひとりいました。最終日の最後の振り返りの時間に、みんながおもしろく楽しかったし、共感したしたという意見を言う中で、ひとりその人がまだ納得できないという顔をしていたので、よく覚えているのです。
本音の所は分かりませんが、これまでたくさんの学生に出会っていますが、最後まで納得ができないという思いを持っていた人は、その人ひとりしか思い浮かびません。
私の講義は一方通行ではなく、常に指名し、話し合うスタイルです。毎日、その日のふりかえりを書いてもらい、翌日そのふりかえりにコメントします。だから、その人がどう理解しているか、かなり分かるのです。
これまでの経験ですと、講義が始まって、3時間ほどたつと、これはこれまで専門学校で受けてきた、評価方法や治療法を紹介すると他の講義とは違うという、とまどいの雰囲気がみられます。時間がたつにつれて興味をもって耳をかたむけてくれます。だいたい全講義の半分くらいすぎるころから、理解されていくようです。
私は必ず最初に言うことばがあります。
「私の考えはきわめて少数派の意見だ。日本の、世界の吃音臨床は、やはり吃音の症状の消失・改善に重きをおいている。これは私の意見なので、それをみなさんに押しつけるつもりはありません。こんな人間もいるんだと、こんな吃音臨床もあるのだと、あたまの片隅に置いてもらえればいい。選択肢がふえればいいなあと思っています」
最後の振り返りに、「なぜ、伊藤さんがいつまでも少数派でいるのか不思議だ」といってくれところをみると、間違いではなかつたと確信します。ひとりでも、治すことにこだわらない言語聴覚士が増えることをねがっているのです。
今年は、例年になく反応が最初からよかった。さまざまなグループに分かれての実習の話し合いも積極的でした。毎回の振り返りや、途中で課題として出したレポートも読み応えのあるものでした。そして、最終日の最終セッションは、ひとりひとりが感想をいいます。私にとって、3日間の努力がむくわれる、うれしい時間です。
幸せな気持ちになって、教室を去る時になって、学生が私にこれをどうぞと二つ折りの紙を手渡してくれました。それは、表紙に私のハンサムにしてくれての似顔絵を表紙に、クラス全員の私へのメッセージがかかれたものでした。思わず泣きそうになりました。拍手でおくられ、帰りの送迎の車のところにもみんなが集まって送ってくれました。
毎回毎回発言を頻繁に求められ。毎回ふりかえりを書かされているのに、改めて私への寄せ書きを書いてくれていたのです。ちょっと自慢しているようで恥ずかしいのですが、こんなコメントが書かれていました。少しだけ紹介します。
これは、私がということではなく、吃音を治すではなく、どう生きるかの提案は、弱さや、欠点といわれるものをもっている人だけではなく、全ての人の普遍的な人の生き方としての共感だろうと思います。何か問題があって、それを改善し。治すということならこんな共感は得られなかっただろうと思います。
「こんなに感銘を受けた授業ははじめてです。出会えた幸運に感謝します」
「この授業で学んだのは柔軟な考え方でした。吃音の情報が世の中にもと周知されるといいのにと思いました」
「吃音についてだけでなく、人生について、これから臨床家として、患者様と関わる際にひつようにこと、重要なことを学びました」
「素敵な話をたくさん聞けて、素直に感動しました。吃音親子サマーキャンプの子ども達の表情の変わり方がとても印象深く、私もお手伝いしたいと思いました」
その他、たくさんのコメント書かれていました。
ずいぶん長く、かなりのところで講義をしていますが、このような寄せ書きをいただいたのは初めての経験です。おそらく最初で最後だと思いましたので、紹介しました。
振り返りのなかには、このようなものもありました。
「これまでの専門学校の授業の中で、臨床家になることに不安をいだいていたのですが、早く「どもる子どもに会いたい」と不思議な思いになりました」
「衝撃的な3日間でした。吃音を治すことが、必ずしもその人の幸せにつながるわけではない。その人に合った、その人の幸せを幸せを共に探せるような援助で、その人が変われるというのは。とても素晴らしいことだと改めて実感しました。言語聴覚士として、その技法を習得することはもちろんですが、私も、伊藤伸二さんのように生涯学習として、人や自分が成長できるような、心理的アプローチを勉強していきたいと思います」
吃音についての私の思想、理論、方法論を真剣に聞いて下さる人の存在はなんとありがたいことでしょう。例年以上に幸せな気持ちで、すでに始まっている吃音親子サマーキャンプのためのお芝居の練習をする、竹内敏晴さんのレッスン合宿会場へと向かったのでした。 伊藤伸二
6月26日、27日、28日
伊藤伸二は名古屋の言語聴覚士の養成の専門学校で「吃音」の講義をしてきました。
何年前から行き始めたのかは記憶がないのですが、10年は行っていると思います。 一年一年と学生の質が違い、とてもおもしろいです。
5年ほど前でしたか、私の「どもりはどう治すかではなく、どう生きるかの問題で、吃音を治すことにこだわらない支援が必要だ」と講義をすると、医療現場の言語聴覚士としては納得できないようで、最後まで反発していた学生がひとりいました。最終日の最後の振り返りの時間に、みんながおもしろく楽しかったし、共感したしたという意見を言う中で、ひとりその人がまだ納得できないという顔をしていたので、よく覚えているのです。
本音の所は分かりませんが、これまでたくさんの学生に出会っていますが、最後まで納得ができないという思いを持っていた人は、その人ひとりしか思い浮かびません。
私の講義は一方通行ではなく、常に指名し、話し合うスタイルです。毎日、その日のふりかえりを書いてもらい、翌日そのふりかえりにコメントします。だから、その人がどう理解しているか、かなり分かるのです。
これまでの経験ですと、講義が始まって、3時間ほどたつと、これはこれまで専門学校で受けてきた、評価方法や治療法を紹介すると他の講義とは違うという、とまどいの雰囲気がみられます。時間がたつにつれて興味をもって耳をかたむけてくれます。だいたい全講義の半分くらいすぎるころから、理解されていくようです。
私は必ず最初に言うことばがあります。
「私の考えはきわめて少数派の意見だ。日本の、世界の吃音臨床は、やはり吃音の症状の消失・改善に重きをおいている。これは私の意見なので、それをみなさんに押しつけるつもりはありません。こんな人間もいるんだと、こんな吃音臨床もあるのだと、あたまの片隅に置いてもらえればいい。選択肢がふえればいいなあと思っています」
最後の振り返りに、「なぜ、伊藤さんがいつまでも少数派でいるのか不思議だ」といってくれところをみると、間違いではなかつたと確信します。ひとりでも、治すことにこだわらない言語聴覚士が増えることをねがっているのです。
今年は、例年になく反応が最初からよかった。さまざまなグループに分かれての実習の話し合いも積極的でした。毎回の振り返りや、途中で課題として出したレポートも読み応えのあるものでした。そして、最終日の最終セッションは、ひとりひとりが感想をいいます。私にとって、3日間の努力がむくわれる、うれしい時間です。
幸せな気持ちになって、教室を去る時になって、学生が私にこれをどうぞと二つ折りの紙を手渡してくれました。それは、表紙に私のハンサムにしてくれての似顔絵を表紙に、クラス全員の私へのメッセージがかかれたものでした。思わず泣きそうになりました。拍手でおくられ、帰りの送迎の車のところにもみんなが集まって送ってくれました。
毎回毎回発言を頻繁に求められ。毎回ふりかえりを書かされているのに、改めて私への寄せ書きを書いてくれていたのです。ちょっと自慢しているようで恥ずかしいのですが、こんなコメントが書かれていました。少しだけ紹介します。
これは、私がということではなく、吃音を治すではなく、どう生きるかの提案は、弱さや、欠点といわれるものをもっている人だけではなく、全ての人の普遍的な人の生き方としての共感だろうと思います。何か問題があって、それを改善し。治すということならこんな共感は得られなかっただろうと思います。
「こんなに感銘を受けた授業ははじめてです。出会えた幸運に感謝します」
「この授業で学んだのは柔軟な考え方でした。吃音の情報が世の中にもと周知されるといいのにと思いました」
「吃音についてだけでなく、人生について、これから臨床家として、患者様と関わる際にひつようにこと、重要なことを学びました」
「素敵な話をたくさん聞けて、素直に感動しました。吃音親子サマーキャンプの子ども達の表情の変わり方がとても印象深く、私もお手伝いしたいと思いました」
その他、たくさんのコメント書かれていました。
ずいぶん長く、かなりのところで講義をしていますが、このような寄せ書きをいただいたのは初めての経験です。おそらく最初で最後だと思いましたので、紹介しました。
振り返りのなかには、このようなものもありました。
「これまでの専門学校の授業の中で、臨床家になることに不安をいだいていたのですが、早く「どもる子どもに会いたい」と不思議な思いになりました」
「衝撃的な3日間でした。吃音を治すことが、必ずしもその人の幸せにつながるわけではない。その人に合った、その人の幸せを幸せを共に探せるような援助で、その人が変われるというのは。とても素晴らしいことだと改めて実感しました。言語聴覚士として、その技法を習得することはもちろんですが、私も、伊藤伸二さんのように生涯学習として、人や自分が成長できるような、心理的アプローチを勉強していきたいと思います」
吃音についての私の思想、理論、方法論を真剣に聞いて下さる人の存在はなんとありがたいことでしょう。例年以上に幸せな気持ちで、すでに始まっている吃音親子サマーキャンプのためのお芝居の練習をする、竹内敏晴さんのレッスン合宿会場へと向かったのでした。 伊藤伸二