伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2025年08月

第34回吃音親子サマーキャンプ 1日目

 3月に飛び込んできた、荒神山自然の家食堂閉鎖のお知らせから始まった今年の吃音親子サマーキャンプ。最初のオリエンテーションでまた衝撃的な事実が明らかになりました。荒神山自然の家そのものの存続が危ぶまれているとのことでした。長く使わせてもらい、サマーキャンプと言えば荒神山、だったので、なんとも言えない寂しい気持ちになりました。敷地内にある小山、そこに一本すくっと立つクスノキ。以前、2日目の夕食は、その小山の下のクラフト棟で、みんなでカツカレーを食べました。
2025 荒神山全景 僕は、ここでのカツカレーの夕食風景が大好きでした。TBSのドキュメンタリー番組「報道の魂」が放送されたとき、何度もその光景が出てきました。そのときのDVDを何度も見ているせいか、その光景は頭の中にこびりついています。吃音ファミリーが集まり、わいわいがやがや話をしながら、カレーを食べる光景はなんともいえません。食堂のおじさんがほんまにこんなにたくさんいいの?と思うくらいカツを奮発してくれました。競い合っておかわりしていた若者たちがいました。余ったご飯でおにぎりを作っている人もいました。そんな他愛もない光景が、懐かしく思い出されます。
 コロナ以降、異常気象も影響して、蚊が大量発生し、クラフト棟で食事をとることができなくなり、残念に思っていました。

 初日、大阪のスタッフが僕の自宅まで来てくれて、荷物と僕たちを運んでくれます。
 最近は、先発隊が早く自然の家に着いて、資料や台本の製本、シーツの配布、お茶の用意など、してくれるようになりました。何の特別なお願いもしていないけれど、みんなそれぞれ動いてくれます。用意ができた頃に、河瀬駅を出発した送迎バスが到着します。砂利道を通って自然の家に到着した参加者やスタッフを迎えるのが、僕の最初の仕事です。懐かしい顔、初めての顔、少し緊張しながら、でもそれ以上にわくわくしながら、歩いてくるみんなを迎えました。
 そのような光景を何度も見ている、荒神山自然の家の所員の方が、オリエンテーションのとき、こんな話をしてくれました。
 「私は、吃音親子サマーキャンプのみなさんを迎えると、『おかえりなさい』と言いたくなります。他のグループと違って特別のようにいつも思ってきました。おじいちゃん(僕、伊藤伸二のことでしょう )のところに、全国から子どもたちがお盆休みに帰ってくる、そんな温かいものをいつも感じていました。みなさんと会えなくなるのは、私たちとしても寂しいです」
 この、オリエンテーションの後、スタッフ会議。初めて顔を合わせるスタッフがぐるりと輪をつくり、自己紹介をして、一日のプログラムを確認しました。初めての参加のスタッフも、細かい説明なしに、まずは体験してもらいます。それが3日間のスケジュールをこなしていけるのがとても不思議です。
 開会のつどいで、あいさつをし、参加者を紹介し、第34回吃音親子サマーキャンプが始まりました。
 出会いの広場は、毎年、千葉のことばの教室担当者の渡邉美穂さんが担当してくれます。まだ緊張が残る参加者の顔がいつの間にか和やかに、穏やかに変わっていきます。むちゃ振りかと思えるような表現の課題にも、グループごとに歌を歌い、振り付けをし、みんなの前で披露していました。すっかりリラックスしている参加者でした。
 夕食、この日の夕食だけは食堂から提供してもらえました。
 その後は、子どもは年代ごとに、親は4つのグループに分かれて、話し合いです。初参加の多い小学1・2年生グループも、それなりに話し合いをします。ここは、吃音親子サマーキャンプ、吃音について真剣に考える空間なのです。
 一日目の最終は、スタッフによる上演です。7月に2日間の合宿で、東京学芸大学准教授の渡辺貴裕さんから芝居のレッスンを受けた者が、今年はこんなお芝居だよと、みんなの前で上演します。実は、毎年スタッフとして参加しているけれど、今年はどうしても都合がつかず参加できないと言っていたスタッフが初日だけはなんとか参加できるようになったと言って、事前のレッスンにも参加し、初日に劇の上演に出演して、自然の家を後にしました。遠いところから、そこまでして参加してくれるのかと、本当にありがたくうれしく思いました。そういえば、以前、参加できないけれど芝居に使う小道具を作ったスタッフがわざわざそれだけを届けてくれて、神奈川県にとんぼ返りしたこともありました。吃音親子サマーキャンプへの「愛」がいっぱいのスタッフたちです。
 長い一日が終わり、午後9時過ぎからスタッフ会議をしました。ふりかえりをして、明日のプログラムの確認です。話し合いの場面の子どもの様子をみんなで共有しました。気になる子どもや保護者のことは、それぞれが心に留めていきます。手を出さすぎないよう、さりげなく気遣い、見守っていくサマキャンのスタッフたち、見事です。
 一日目の報告です。つづきます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/30

第34回吃音親子サマーキャンプ、無事、終了しました

 8月22・23・24日、滋賀県彦根市の荒神山自然の家で開催した第34回吃音親子サマーキャンプ、無事終わりました。参加者98名、それぞれに、おみやげを持って、来年の再会を約し、帰っていきました。いろいろなドラマが展開された3日間、少しずつ振り返っていきたいと思います。一番心配だった、食堂閉鎖による影響もなく、スムーズにプログラムが進んでいきました。スタッフひとりひとりの力の結集のおかげです。「チーム・サマキャン」、その安定した力強さを発揮してくれました。

 サマーキャンプの余韻に浸る間もなく、今、静岡に来ています。昨日から静岡入りしました。今日の午後から、静岡県言語・聴覚・発達障害教育研究会主催の静岡地区講習会が開かれます。そこに呼ばれていて、久しぶりに、静岡の通級指導教室等の先生方の前で話をします。ホットな、今年の「吃音の夏」の話題から話し始める予定です。
 7月末の親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会のこと、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会東京大会での吃音分科会のこと、そして、終わったばかりの吃音親子サマーキャンプのこと、話したいこと、伝えたいことがいっぱいです。資料もたくさん用意し、印刷してもらいました。今、僕から生まれてくることば、声を大切に、目の前の人に語りかけていこうと思っています。

 ということで、サマーキャンプの話は、この静岡の研修会が終わってからです。参加者から、スタッフから、参加しての感想が届き始めています。プログラムの最後、あわただしく終わったので、感想を書いてねと伝えられませんでした。しおりの最後のページにはお願いしていますが、みなさんからの感想は、僕たちへの力強い応援です。お待ちしています。

 それでは、今から会場に向かいます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/28

子どもの幸せにつながる吃音否定から吃音肯定の吃音臨床

 明日から、第34回吃音親子サマーキャンプです。千葉、東京、神奈川、埼玉などの関東から、新潟から、滋賀、三重、京都、兵庫など近畿から、長崎、鹿児島など九州から、2泊3日のサマーキャンプに人々が集まってきます。わくわくしながら、最後の準備をしています。

小児科 2012年 要項集_0001 今日は、2012年5月12・13日、東京の都市センターホテルで行われた、日本小児科医師会の第14回「子どもの心」研修会での講演を紹介します。吃音否定から吃音肯定へ、僕自身の体験、出会った多くの人や子どもたちの体験をもとに、一所懸命話したことを覚えています。2回に分けて、紹介します。

  
子どもの幸せにつながる吃音否定から吃音肯定の吃音臨床
                    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


はじめに
 小学2年生の秋まで、吃音を全く意識することなく、明るく活発で元気だった私は、学芸会でセリフのある役から外されたことで、吃音をマイナスに意識しました。強い劣等感をもって、苦しい学童期、思春期を生き、21歳の夏まで、吃音に支配された苦悩の人生を生きました。
 21歳の時、吃音治療機関で、治す努力をしても治らなかったために、治すことを諦め、どもる事実を認め、どもりながら生活する中で、私の吃音に対する考えも感情も大きく変化し、吃音の呪縛から解放されました。体験をもとに、「吃音否定」から「吃音肯定」の臨床を提案します。

吃音否定の吃音臨床とは
 どもることばを、吃音症状と名づけて治療する、吃音否定の臨床が続けられてきました。言い直しをさせず、そのままを聞きましょうのアドバイスは、吃音肯定に見えますが、その関わりで吃音を意識させなかったら、そのうち吃音が自然に消えるという、治ることを目指しています。
 親も、治らないと、学校で吃音を指摘され、笑われたり、からかわれ、時にはいじめに発展するのではないか、仕事や結婚に影響するのではないかとの将来への不安から、今のうちに治しておきたい、「吃音否定」が本音です。

吃音否定がなぜ問題か
 外科的な手術や、副作用のない薬物療法で吃音が治るのなら、吃音否定の立場の臨床でも、問題は少ないかもしれません。しかし、吃音は有効な治療法はなく、周りの関わりや言語訓練で改善されるは、希望的観測で、不確実なものです。治らない、治せない吃音に「治療・改善」の立場をとると、私が経験し、大勢の人々が辿ってきた苦悩の道を歩むことになる可能性があります。大勢の吃音に悩む人の人生を整理する中から、吃音そのものが人を悩ませるのではなく、「吃音否定」の感情や考えが、その人を悩ませ、行動にまで影響することが明確になりました。
 私は、生活の中でうまくいかなかったことやできないことをすべて吃音のせいにして、21歳まで苦悩の人生を送りました。「吃音さえなければ、私は幸せに生きられる」とどもる自分が認められず、「吃音を治したい」思いばかりが膨らみました。「吃音が治ったら何々しよう」と、自分のしたいこと、しなければならないことを諦めたり、引き延ばしたりしてきました。吃音を隠し、話す場面から逃げ、消極的になりました。吃音を否定し、吃音を治そう、改善しようと努力をすることが、ますます悩みを深めることに気づいたのです。強くマイナスに意識したものを、「まあ、どもってもいいか」と、どもる事実を認めることを、私は「ゼロの地点に立つ」と言いますが、この地点に立つまでにかなりのエネルギーが必要です。私は21歳、アメリカの吃音研究の第一人者、チャールズ・ヴァン・ライパーは30歳でした。

スキャットマン・ジョン
 私と親しかった世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンは52歳でした。吃音の悩みから逃げるために、アルコール依存、麻薬依存になります。これらは、自分の意思と、セルフヘルプグループの活動で回復したものの、吃音は自分の意思ではどうにもならずに悩みます。アメリカから逃げ、ヨーロッパに渡ってしばらくして、CDを出す話が出た時、悩みは深くなります。「ヒットしたら、テレビや雑誌のインタビューを受け、隠し、逃げてきた吃音がばれる。吃音が知られるのは嫌だ」とノイローゼになります。「ばれるのが怖いのなら、自分で公表したら」の妻のアドバイスで、CDのジャケットに、自分の吃音を公表しました。どもってもいいと覚悟ができたのです。
 吃音否定の52歳までの人生は、苦悩に満ちたものでしたが、吃音を肯定したことで、彼の人生はがらりと変わり、世界の人気者になりました。スキャットマン・ジョンと親しくなったのは、世界吃音連盟に対する「今後の音楽活動の印税を、吃音のために使って欲しい」との提案に、私が反対したからです。他の理事が「吃音治療のために」と主張するのに対し、私は「ジョンは吃音を認めて生きる覚悟ができたから今がある。吃音治療ではなく、人はいかに吃音を肯定して生きることができるかの研究に基金を使うべきだ」と主張しました。彼は「この提案を待っていたものだ」と、とても喜んでくれました。そのジョンは、がんのために57歳でなくなりました。「吃音否定」の50年近い人生、「吃音肯定」の5年の人生。一緒にいろいろと活動したかったと残念です。
 ヴァン・ライパーは、30歳の時、吃音否定のままでは生きられないと、絶望の中から、どもる自分を認め、言語病理学者になろうと決意します。二人とも、追い詰められて、吃音否定から吃音肯定へ大きく変わっていくのです。

ジョージ6世の開戦スピーチ
 アカデミー賞映画「英国王のスピーチ」でのジョージ6世は、5年間の吃音治療で改善したから、第二次世界大戦の開戦スピーチが成功したのではありません。治療は、全く効果がありません。スピーチ40分前のジョージ6世のあせりの様子で、よく分かります。8秒前、セラピストに「結果がどうであれ、君には感謝している」と伝えてスピーチに臨みます。どもったら、どもるだけのこと、国王として私は伝える責任があり、国民は聞く義務があると、どもる覚悟ができたためにスピーチができました。
 「どもる、だめな国王」から、「どもっても話すべきことは話す、責任感ある王」へと、自分が語る物語を変えたことによる成功でした。あの映画は、吃音治療の記録映画ではなく、「吃音否定」を「吃音肯定」の物語に変えた、ナラティヴ・アプローチになっていたと私は思います。
 「吃音否定」が長く続くと、「吃音肯定」への転換は難しいのです。幼児期から「吃音肯定」の物語を、親、臨床家、子ども本人が語る必要があるのです。

吃音肯定の吃音臨床とは
 吃音肯定の吃音臨床は、吃音が治ることを目指しません。吃音が治らずとも、吃音を否定しなければ、自分なりの豊かな幸せな人生を送ることができます。治すために吃音を肯定するではなく、最初から、吃音全肯定の立場に立った吃音臨床です。吃音治療の効果はないのに、吃音を治す前提の吃音臨床で、吃音否定のまま治らずに学童期、思春期、成人期を迎えれば、吃音は大きなマイナスの影響を与えます。臨床家が幼児吃音に取り組むのは、将来、吃音によるマイナスの影響を受けることを予防するためです。すでに影響が出ているのであれば、吃音そのものではなく、その影響に対して取り組むのです。
 臨床を必要としない人は大勢います。実際に指導を受ける子どもの数はごく少数で、ほとんどの子どもは、何の治療も指導も受けずに成長し、社会人となり、様々な仕事について豊かに生きています。吃音に深く悩む人は多いのですが、それ以上に、吃音にあまり悩まずに吃音と共に生きている人が多いのではないかと、私は考えています。
 吃音の発生率1パーセントが正しければ、日本では100万人以上のどもる人々がいることになりますが、ことばの教室などで指導を受けている子どもの数、どもる人のセルフヘルプグループに集まる人の数は、それほど多くはありません。
 「大人になったら治る」と言われるのは、幼児期にほとんどの吃音は消えるからではありません。大人になるにつれて、語彙数が増え、ことばの言い換えなどをしている場合が少なくありません。また、生活の中で、話すことから逃げないで話していく内に、吃音が自然に軽減したり、コントロールできるようになった人は大勢いますし、軽減せずとも吃音が問題とはならなくなる人は大勢います。
 これは、自然治癒力、免疫力のようなもので、私の言う「自己変化力」による、自然な変化です。かつて吃音に悩んだけれども、今は問題はなくなったという大人や子どもはたくさんいます。吃音も、吃音に対する考え方やとらえ方も、自然に変化していくのです。かつて、吃音発生率1パーセントが世界の共通認識でしたが、近年、発生率は5パーセントで有症率が1パーセントと言われるようになりました。そうすると、自然治癒は80パーセントになります。こうまでして、幼児の吃音の自然治癒をなぜ主張したいのかと思ってしまいます。幼児吃音の自然治癒率は40〜45パーセントだと最近は言われています。一方で、大人になっても、自然治癒に近い状態はあります。多くの人は、自己変化力があれば、自分の人生の中で変わっていくのです。
 吃音肯定の臨床とは、吃音を治そうとはせずに、この自己変化力に委ねることです。ただ何もしないで自己変化力に委ねるのではありません。病気の自然治癒、自己免疫力も、無茶苦茶な生活をしていれば、自然治癒力は働きません。治らない慢性病も、生活習慣を変えることで、自然治癒力は働きます。吃音も、吃音を隠す、話すことから逃げる生活習慣を変えないと、「自己変化力」は働きません。生活習慣を変える出発となるのが「吃音肯定」です。
 「吃音肯定」の臨床は、吃音が人生にマイナスの影響を及ぼさないように、親や教師、臨床家が取り組む臨床です。そのためにしなければならないことが、たくさんあります。吃音否定の臨床の問題点を明らかにし、吃音肯定の立場をとることの必要性を、吃音治療の歴史と私を含めてどもる人の人生を紹介しながら話します。

小児科 2012年 要項集_0002吃音治療の歴史
 アカデミー賞受賞映画、「英国王のスピーチ」の中で、1920年から30年代の吃音治療が紹介されていました。日本では1903年、東京の小石川で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の校長・伊沢修二が楽石社で吃音治療を開始しました。10年ほどで、数千人の人々が吃音治療を受けたとの報告があります。その後、民間吃音矯正所が日本中に作られ、現在の民間療法につながっています。
 世界の吃音治療の歴史は、吃音を否定し、「どもってはいけない」から始まりました。どんな不自然でも、どもらずに話す話し方を身につけ、それを定着させようとします。「わーたーしーはー」と極端にゆっくり言う、「わあーたしは」と音を伸ばし、歌うように話せば、ほとんどの人は、どもらずに話すことができます。しかし、不自然で日常生活の中では使えず、治療場面で話せてもそれを維持し、日常生活に汎化させることはきわめて難しい。それは、現在でも吃音治療の限界として誰もが認めています。
 1930年代、アメリカのアイオワ州立大学に、自分自身が吃音に深く悩んだ経験をもつ吃音研究者が集まりました。アメリカ言語病理学の基礎を作り、現在でも強い影響を与えているアイオワ学派の人たちです。ブリンゲルソン、ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパーは、どもらずに話す治療法を強く批判しました。それは、どもる不安や恐怖を強め、吃音を悪化させるとし、反対に、「どもりなさい」を提唱しました。ブリンゲルソンは、不安や、逃げたい場にあえて出ていき、わざと、意図的にどもろうという随意吃音を提唱しました。
 チャールズ・ヴァン・ライパーは、ひどくどもり、吃音では就職ができないと、30歳のとき、聾者を装って、農場で働きました。絶望の果てに故郷に帰ろうとした時に、一人の老人に出会います。車に乗せてもらって、「どこへ行くのか」と尋ねられてひどくどもり、老人に笑われて激怒します。老人は、「わしも若かった頃は、君のように力んでどもっていたが、今は力まなくなった」と、軽くどもって答えました。ライパーはその姿を見て、吃音を治すのではなく、どもり方を変えればいいのだと考え、言語病理学を学ぶためにアイオワ州立大学に入学します。 そこで、ブリンゲルソンから随意吃音を指導され、2年ほどして、人前で話せるようになり、大学の教員として働けると思うようになりました。随意吃音がチャールズ・ヴァン・ライパーに大きな効果があったので、ライパーの先輩の言語病理学者、ウェンデル・ジョンソンは、その大きな変化に驚き、随意吃音を練習しました。けれどもジョンソンの場合は、たちまち話せなくなるほどに悪化してしまいました。随意吃音はとても危険性の高い方法です。
 アイオワ学派の人たちは、随意吃音に代わって、楽にどもることを提唱しました。以来、「どもらずに流暢に話す派」と、「流暢に楽にどもる派」が激しく対立しました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/21

吃音の自然治癒率

 幼児の場合、放っておいたら自然に治る、昔から、吃音はそう言われてきました。実際、そんなふうに自然治癒したかのようにみえる人がいます。しかし、研究者によってかなりの差があり、自然治癒率にも、振り回されてきました。だから、僕たちは、治ったのなら治ったでいい、治らなくてもそれを認め、引き受けて生きていく覚悟をもちたいと考えているのです。
 2012年5月、小児科医の「心の研修会」で話した内容を紹介します。まず、巻頭言からです。(「スタタリング・ナウ」2012.12.18)12.18 NO.220

  
吃音の自然治癒率
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音が起きたときに一番大切なのは、「ゆっくり話してごらん」と注意したり、「ちゃんと話せるから大丈夫」と励ましたりしないこと。スムーズにことばが出たときに、「上手に話せたね」とほめるのもよくない。吃音や話すことに子どもの注意を向けさせ緊張させるからだ。そういうことに気をつければ、ほとんどはウソのようにスムーズに話すようになる。吃音はほとんどが、一過性のものでいつの間にか消えていく」(臨床心理学者)

 「吃音の半数は自然に治癒するが、自然に治るからと治療しないままでいると重症化することがあるので、幼児期から治療を始めた方がいい。自然治癒は1年以内に起こるので、それを過ぎたら専門家の治療を受けた方がいい」(吃音研究者)

 「家庭医学書なども、自然に治るので深刻に考えるべきではないとの見解があるが、自然治癒は1〜2割で、このような誤った認識が治療を難しくしているのは残念だ。幼児期から治療すれば、2〜3年かけて、小学1、2年で治療を打ち切ることができる場合が多い」(吃音研究者)

 「幼児期の特徴として、8割ほどが学齢期までに自然に、あるいは簡単な指導で治る。簡単な指導とは、子どものペースに合わせて間を空けて話し、よく聴き、言いたいことが言えるまで待ってあげる。質問は控えめに、うまく言えないときは、本人のことばをゆっくり繰り返す。吃音を注意することや、言い直しをさせてはいけない。それでも気になるときは、言語聴覚士のいる病院で診察を受けて下さい。ゆっくり動く動物のイメージに合わせて、ゆっくり話すが効果的」(言語聴覚士)

 これらは信頼できる大きな新聞社の記事だ。専門学校の学生にこの4種類の記事の全文を読ませて感想を聞くと、自然治癒率の数値のあまりの違いに驚く。ほとんどが一過性で消えるから、8割、5割、1〜2割と違う。これらの記事は、著名な臨床心理学者や吃音研究者など専門家のことばなのだ。心理学者以外は、幼児期の治療が大切だという点では一致している。

 2012年5月、東京都で開かれた、日本小児科医師会第14回「子どもの心」研修会で、吃音について話をしたとき、300人以上参加していた小児科医師の感想の中で、この自然治癒率についての感想が多かった。8割の自然治癒率を信じ、「放っておいたら自然に治るから、心配することはない」と言い続けてきたことへの反省があった。
 吃音関係者の中でも意見はさまざまなのだから、これは仕方がないことなのだが、なぜこの数字がこうも一人歩きしているのか不思議にもなる。
 先日、中学・高校の私学の教師の人権研修会で、ひとりの教師が私の講演への感想で、子育ての経験を話した。
 「私の長男はどもっていたが、自然にいつか消え、次男もそうだったので、今日の話を聞くまで、自分の子どものように、みんな自然に治るものだと思っていた。うちの子どもは、たまたま、45パーセントに入っただけなのですね」
 このように自然に消えた事実があるからなのだが、「ほとんどが一過性」とは言えない。一過性のものは、私から言わせれば「どもりもどき」で、本来吃音にカウントする必要のないものだろう。
 長年、発生率1パーセントと言われてきた時代、自然治癒は8割と言われていた。最近は、発生率5パーセントで有病率1パーセントと言われる。発生率と有病率の区別はなかったのが、かつての発生率が有病率になっている。この数字の変遷は何を意味するのだろうか。今現実、どもっている子どもの親にとって、これらの数字は何の意味も価値も、もたない。専門家の言う、いいかげんな数宇に踊らされるのは、もうやめにしたい。
 今回、小児科医師が、吃音に関心をもって下さったことがうれしかった。講演原稿を紹介する。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/20

吃音をテーマに生きるということ 2 〜2012年度第23回吃音親子サマーキャンプ報告〜

 第23回吃音親子サマーキャンプの報告をしています。一昨日は、報告者である掛田さんが自分のことを語っていました。スタッフは、お世話をする人ではなく、テーマを持って参加するひとりの参加者なのです。今日は、サマーキャンプで出会ったひとりの男の子Aくんの姿を追った報告から始まります。自分の子どもの頃と重ね合わせた、温かいまなざしが感じられます。また、話し合いの様子、最後にやってきた特別ゲストの話など、盛りだくさんの報告になっています。
 今年の第34回吃音親子サマーキャンプも目前です。どんなドラマが展開するのだろうと、ワクワクしています。(「スタタリング・ナウ」2012.11.20 NO.219)
       
吃音をテーマに生きるということ 2
  〜2012年度第23回吃音親子サマーキャンプ報告〜

       掛田力哉(大阪府立高槻支援学校教員・大阪スタタリングプロジェクト)
3.Aくんのこと
 スタッフ劇の披露も終わり、キャンプ初日のプログラムが全て終了した。自分たちの劇がどんなふうに子どもたちに映ったのか不安も残ったが、とにかくやりきった心地よい疲労感に包まれながら、部屋の見回りに出た。子どもたちはそろそろ寝る時間帯だが、各部屋からは子どもたちの元気な声が溢れている。どもる子どもたちのキャンプと初めて聞いた人は、もしかするとあまり話をしない、無口な子どもたちの集まりを想像するかも知れないが、実態は全くの逆である。
 子どもたちの部屋は常に大声の話し声と笑い声に満ち、あまり騒ぎすぎてスタッフに注意されることもある。「自分以外の子たちもみんな、どもっている」「自分は一人ではない」という環境は、初めてキャンプに来た子どもたちにとって一番の驚きであり、また喜びであるはずだ。初参加の子どもたちが安心して過ごし、話をしたり遊んだりしている姿が今年のキャンプでも多く見られた。
 一方で、そんな独特の雰囲気に戸惑ってしまう初参加の子どもも多くいる。自身の子ども時代を思い返すならば、それは想像に難くない。無力な自分も、他人のことも信じられなくなっていた少年時代の自分が、もしいきなり多くの子どもたちの集まるキャンプに連れて来られ、「同じ吃音の子どもたちなのだ」と言われたとしても、そこに飛び込むことなど恐らくできなかっただろう。
 目の前にいるキャンプの子どもたちにもまた、それぞれの思いがあり、それぞれの戸惑いがあるはずだ。見回りをしていると、やはり何となく所在無く過ごしている子どもたちの姿も見られる。昨年のキャンプで出会ったAくんもまた、部屋の片隅で一人時間の経っのを静かに待っているような少年の一人だった。私自身は、昨年、都合でキャンプ2日目の朝までしか参加できなかったのだが、同じ部屋に宿泊していたことで、Aくんと関わる機会を得た。話してみると、笑顔の素敵な、とても優しい雰囲気の少年だった。誘うと、同室の子どもたちとトランプ遊びなどを楽しむ姿も見せてくれた。しかし、彼がその後どんな経験をし、どんなことを感じながら過ごし、どんな思いで帰っていったのかを知ることはできなかった。
 しかし今年のキャンプ初日、「出会いの広場」の会場に座るAくんを見たとき、私は心から安堵し、昨年のサマキャンが彼にとって何らかの意味ある体験だったことを確信した。彼が再びここへ来ようと決心したことが、何よりもそれを証明することだからだ。そして、たまたま私は「生活グループ」がAくんと同じになり、劇活動や野外活動などを彼と一緒に過ごすことになった。
 2日目の午後、いよいよ劇の練習が始まった。初参加の子どもたちはもちろん、Aくんの顔もやはり緊張ぎみである。サマーキャンプの劇活動は、セリフを「上手く正しく」言うことを目指して行う一般的な演劇活動とは全く異なるものである。普段はあえて避け、遠ざけているかも知れぬ「声を出すこと」「ことばを通して思いを伝えること」「身体を思い切り動かしながら、表現すること」「誰かと共に何かをつくりあげること」…etcに劇活動を通して正面から取り組み、自分の声や身体、自分自身に気づいていくプロセスをとても大切にしている。
 従って、練習の開始はひたすらに体を動かしたり、遊んだりしながら、体をほぐし、声をほぐしていく。スタッフが次々と即興で編み出す表現あそびに興じながら子どもたちも大笑いし、体がほぐれていく様子が分かる。初参加の子どもの一人が「劇の練習って、結構楽しいなあ」と言ってくれると、スタッフとしても心強くなる。Aくんも、恥ずかしそうにしながらも、楽しんでくれている様子だ。
 そんな劇練習も中盤になると、いよいよ発表に向けて配役を決める段階となる。小学生たちを中心に次々と手が挙がり、順調に役が決まっていった。ところが、「父親」役を決める段になった時、希望者が誰も出ず、練習がしばし中断してしまった。小学生たちは皆ほぼ役が決まっており、残りは中高生だけという状況。スタッフの桑田さんが中高生を集め、状況を説明しながら、一人ひとりの思いを丁寧に聞き出そうとする。その時、Aくんと目が合った。Aくんの顔にふっとはにかむような笑顔が浮かぶ。次の瞬間、Aくんはこの父親役を引き受けてくれていた。この時Aくんの胸にどんな思いがあったのかは分からない。しかし、昨年部屋の片隅で様子を見ていた彼が、キャンプの主人公として、「自分のキャンプを生きよう」と決心した瞬間のように私には思えた。
 その後のAくんは、練習の合間になるとスタッフに「ここはこうした方が良いと思うのだが・・」と自分の考えを相談するほどに、彼らしい誠実さで練習に取り組んでくれた。
 サマーキャンプは、今の自分を少し変えるチャンスを作る1つの装置ではないだろうか。一歩を踏み出す背中を押してくれるのは、ある子どもにとっては共にキャンプに参加してくれた両親であり、ある子どもにとっては一緒に活動している、同じどもる子どもたちのがんばる姿であり、またある子どもにとっては、どもりながら自分の夢に向かって遭進する先輩たちのキラキラとした姿なのであろう。今年は仮にできなかったとしても、その次の年、また次の年に、チャンスが巡ってくる。少し変われた「手ごたえ」が、日常の生活に帰っていく勇気になり、己の吃音を見つめる「まなざし」に変わっていく。Aくんの姿は、それを教えてくれている気がした。

4.小さな巨人たち〜「話し合い」の記録〜
 サマーキャンプの柱の1つが、子どもどうしが、自分たちの吃音にっいて思うこと、考えることを互いに話し合う時間だ。吃音への思いを語るには、勇気がいる。できれば思い出したくない、人には聞かれたくない胸の内を語ることは、辛い作業だ。吃音の話をしようとすると、はぐらかそうとする子どももいる。しかし、そんな子どもたちが互いの心にそっと手をのばし、時にはぐっと近寄りながら、ことばを引き出しあっていく瞬間もある。
 今回私は小学校3年生のグループに入り、子どもたちの話し合いを聞くことができた。5人中4人が初参加という珍しいグループ。吃音のことをどのように話題にしていこうかと思案しながら始まった話し合いだったが、吃音をからかわれた経験を話し合うことをきっかけに、話し合いはどんどん深まっていった。冗談好きなメンバーが集まったせいかしばしば話は脱線したが、その明るさも、辛い話を口にするための、子どもたちの道具の1つなのかも知れない。そして後半、「あっ、分かった!」という1つの気づきが子どもたちの中に生まれる場面も見られた。小3グループの様子を抜粋して紹介する。

《1日目》
吃音をからかわれた経験について
A:そんなにはない。どうしてそんなしゃべり方するの?と聞かれたことはある。
B:「そんなしゃべり方、何でするん?」つて聞かれた。
D:バカにされた言い方とか。笑われたりとか。(授業中の)本読みの時とかは、静かにしなきゃいけないから誰も、何も言わない。休み時間に、遊んでいる時とかに言われる。
C:みんなではないが、4〜5人が言う。
D:僕は、クラスのみんなに吃音だって言ったから…。吃音はわざとやっているんじやないから、今そうやってちゃんと説明したから、今度笑ったりしたら殴ると言った。
C・B:僕は、お母さんに言ってもらった。
E:僕は、自分で言った。「つまるから、笑わないで下さい」って言った。休み時間に自分で言った。みんな分かってくれた。
A:自分は、言ったことはない。
D:言った方が、楽かもしれないけど…。
C:1年の時につまりだして、2年でお母さんが先生に言ってくれて。それから、つまるのを笑うのをやめてくれた。1年の時は、時々からかわれた。
B:1年の時はつまったけど、そんなに笑われなかった。けど、2年になってからだんだん笑われるようになってきて、お母さんに言ってもらった。お母さんが、その子に「しゃべりにくいから、そんなこと言わんといたってな」って言ってくれた。お母さんに(そう言ってと)頼んだ。
C:オレがお母さんに頼んで、お母さんが先生に言ってくれて、それでしゃべってくれた。
溝口:先生とは直接吃音のことしゃべったの?
C:しゃべったことはない。
D:前から、先生とかお母さんと相談していた。それで、「明日言おうね」と決めて、言った。ずっと言われてきたから、何とかやめてほしかった。
溝口:どうして、自分で言おうと思ったの?
E:もう笑ってほしくないから。自分の方が伝えやすいから。

吃音をどう説明するか
溝口:「何でそんなしゃべり方なの?」って聞かれたら、みんなはどう説明しますか?
E:僕は無視するか…。
D:「こういう病気やから」と言う。
E:笑わせて、そのことを忘れさせたい。ギャグとかで。
C:言われるやんか。そしたら、話を変えていくねん。それで、最終的に笑わせる。
E:ことばを変えるの。話題を、変える。
B:僕は、「(何でか)わからへんねん」と答える。何でか本当にわからへんもん。「さて、どうしてでしょう?」とか逆に聞いてみるとか?(笑)
全員:それいい!「さて、どうしてでしょう?1番は…」とかクイズにしちゃう!(笑)そしたら、笑いになって、みんなもう忘れちゃう。
C:「何で」と何回もお母さんに聞いた。お母さんは「生まれつきやから」と答えた。
D:僕も同じ。それやったらしゃあないか…と思った。でも、何で自分がそうなったんかは、やっぱり分からん。知りたい。

《2日目》
友だちのこと
A:私は吃音だからあまり言えないけど、分かってくれる友だちがいる。その子は1年の時からずごく仲良しだったから、ずっと分かりあえて、自分で(吃音のことを)言ったら、その子は気にしないよって言ってくれた。(と作文に書いた。)
D:僕にもすごい仲良しの友だちがいる。○○くんとか。幼稚園の頃からずっと仲良し。どもってても、そのまま聞いてくれる。
C:○○とかが仲が良い。ほとんどの人は、ちゃんと聞いてくれる。
掛田:僕は、自分の吃音をずっと隠しつづけて、友だちも一人もいなかったから、みんなはとても素敵だし、すごいなと思う。ありのままでいられる友だちって、良いよね。

スタッフ劇の感想
B:すごいなあと思った。
D:一所懸命やっていると、どもっていることを隠せている。隠せているというか、どもっていることに気を引かれんと、劇(そのもの)の方に気を引かれる感じ。
A:どもっているのは、私だけじゃないと思った。

将来のことについて
B:サッカー選手になりたい。家族がサッカーが好きだから。
溝口:サッカーでも、声かけしたりするよね?そんな時は?
B:大人になったら、(吃音も)どうなっているか分からないし…。サッカーやっているときは、そんなにどもらない。インタビューとかがあるかも知れないけど、それは大人になってからだから。大人になっている時には、吃音も何とかなっているかも分からんし、治るかもしれへんし…。
E:パイロットは、しゃべりがいっぱいあるけど…、なりたい。
D:オレは、プロの将棋士。8位になったこともあるくらい、将棋は好き。
C:でも、「よろしくお願いします」とか「負けました」とか言わなあかん。
D:そう、「負けました」とか。だから、絶対負けたくない。強くなりたいねん(笑)。
A:自分は、洋服のデザイナーになりたい。どちらかというと、何かを作るのが好きだから。話をしなくても良いし・・。
D:でも、(デザインの)相談をするときとか話をしなくちゃいけないけど…、ちゃんと良い服を作っていれば良い。そうしたら、どもりは、関係なくなる。
掛田:なるほど。どもっていたら、できないとか、なれない仕事ってあると思う?
E:歌手!
A:でも、歌っているときに一回もどもったことないよ…。
E:そうか。じゃ、社長。会議でどもるから。社員もできひん。電話とかあるし。
B:どもってても、電話でしゃべったらええねん。
溝口:じゃあ、どもっていても、できない仕事はないってこと?
B:あっ、分かった!どもることが恥ずかしいとか、しゃべりたくないとか思う子にはできない仕事はあるけど、気にしなければ、どんなことでもできる!
C:それは、ここのキャンプに来たら分かるな!
溝口:それは、前からそう思ってた?
C:ううん、今、そう思いついた。
D:苦労はするけど、がんばれば、できる。
C:あの、ニュースとかでしゃべる…、アナウンサーとかは?
溝口:どもりのアナウンサーもいるんだよ。
E:学校の先生なんかも、難しいんちゃうの。
溝口:ここのキャンプのスタッフには、どもる先生、いっぱいいるよ。
掛田:歌手、俳優、落語家、アナウンサー…などなど、話をする仕事についている吃音の人はいっぱいいて、本(吃音ワークブック)にたくさん名前を紹介しているよ。
溝口:みんながどもるパイロットやサッカー選手、棋士、デザイナー…になって、またこのキャンプにゲストで来てくれたら、嬉しいなあ!

キャンプに来ての感想など
B:ここに来てよかったことは、どもっている人がいっぱいいて、安心できる。どもっている子と一緒にいて、野球やったり普段遊んでいる時もずっと楽しかった。
C:劇を見たりとか、いっぱいあったから楽しかった。見るのも楽しかった。(劇を)やるのは、わからんけど・・。来て良かった。
E:楽しかった。ごはんを食べるのが。遊びとか、野球とか楽しかった。
A:どもっているのは、私だけじゃないんだということが分かって、嬉しかった。
D:自分だけじゃなかったから、それを知って嬉しかった。それと、ここはごはんが本当においしいのが良かった!

 話し合い直後の昼食の時間、なぜか自然に同じテーブルに集まってくる3年生たち。食事のメニューについてあれやこれやと言いながら、話し合いの「余韻」を楽しんでいるようだ。もしかしたら、話し合いでは、ちょっぴり「背伸び」もしたのかも知れない。また日常に帰れば、辛い現実に落ち込むこともあるかも知れない。しかしそんな時こそ、普段考えたこともなかったような吃音への新たな視点に興奮し、自分たちの思いや「願い」を語り合った今日のこの話し合いのことを思い出してくれたら嬉しい。そして、また来年、その次の来年も、会おう。そしてまた思い切り夢や希望を、話し合おう。そんな事を考えながら、子どもたちを眺めていた。ふと目があった子が、ニコニコしながら「おいしーい!」と叫んだ。

5.変わるもの、変わらないもの〜キャンプの心〜
 宿泊所の2階には、参加者がいつでも飲めるように冷たいお茶が用意してある。これは宿舎が用意しているのではなく、スタッフの兵頭さんがこまめにお茶を沸かし、準備してくれているのである。今年は、そこに新見さんの姿もあった。二人が何度入れても、お茶はすぐになくなってしまう。それでも、兵頭さんと新見さんは、文句も言わず静かにお茶を足し続けていた。兵頭さんは、どもる子どもの親として参加し、子どもが参加しなくなっても参加し続けている。10年前もやはり同じ仕事をされていた。
 サマーキャンプは、こんな名物スタッフたちの静かな支えによって成り立っている。山登り、掃除、シーツ交換、出会いの広場…。それぞれの場にそれぞれの名物スタッフがいて、多少のメンバーの入れ替えもありながら、その仕事の心は丁寧に受け継がれて続いている。この「変わらない」スタッフたちの心が、サマーキャンプを貫く心そのものではないかと私は今年参加しながら改めて感じた。
 一方、変わっていくキャンプの風景もある。今年特に目をひいたのが、親たちによるキャンプ運営の姿である。キャンプ史上最多の参加人数となった今年のキャンプ、食事の準備や部屋の掃除チェック、作文の会場設営など、スタッフの人数だけではとても足りず、急きょ参加年数の多い親にも仕事を分担してもらった。おかげでどれも非常にスムーズに運び、今後のキャンプの新しい形が生まれた年になった。また、宿泊部屋では、毎年参加している父親たちが、時にスタッフ以上にこまめに初参加のお父さんたちに声をかけて、サポートしてくれていた。私などが言うのもおこがましいが、キャンプがいよいよ成熟してきた姿なのではないかと印象づけられた。キャンプは、これからも成長し続ける。

6.おわりに
 いよいよキャンプの終盤、「ふりかえり」の時間にスタッフの兵頭雅貴さんが紹介された。雅貴さんは、先に紹介したスタッフの兵頭さんの息子さんである。10年前、父の兵頭さんに連れられてよく大阪吃音教室に来ていた頃の雅貴さんは、ほっそりとして静かな印象の少年だったが、現在は筋骨隆々で逞しく、表情豊かでとても魅力的な青年になっていた。大学を卒業したら消防士になりたいとの夢をもっていたが、消防士は、緊急の無線連絡など、どもる人にとっては、ハードルが高いと一般的には考えてしまう。大阪吃音教室の先輩に相談したところ、「苦労するなら、好きな仕事でした方がいい」というアドバイスを受けて挑戦していた。大阪府の試験は落ちたものの、東京都の消防士の採用試験に合格し、もうすぐ消防学校に入る予定である。
 雅貴さんが、採用試験のエピソードを全員の前で報告してくれた。そして、自分の吃音のことを伝えた上で合格したこと、だからもし研修や仕事の中で自分の吃音のことをどうこう言われたとしても、自分は吃音についてちゃんと話した上で、採用したのは先方なのだから、誰にも文句は言わせない、ということをユーモアたっぷりに話してくれ、会場は爆笑の渦に包まれた。
 このしなやかな感性は、決して言語訓練室でのセラピーや発声練習によって、一朝一夕に培われるものではない。どもりに悩み、考え、苦しみながら生き抜いてきた彼の人生の中で、ゆっくりとゆっくりと育まれたものである。吃音を否定し、それを治さねばならぬと考える時、その悩みやこれまでの苦しい人生は、ただ憎むべき存在にしかならないであろう。しかし、その苦しみと向き合い、その意味を考えようするとき、それはかけがえのない苦しみとなり、かけがえのない悩みとなることを、サマーキャンプの参加者たちの姿は教えてくれる。
 吃音の苦しみは、それと誠実に向き合おうとするとき、出会いや喜び、勇気やチャレンジ、知恵や優しさ、どもるからこそ磨かれる表現力など、人生を豊かにしていくための様々な力を無限に生み出してくれることを、サマーキャンプの23年の歴史と、参加者たちの人生は教えてくれる。ひとりで悩んだり考えたりすることも大事だが、それだけではしんどい。そんな時、サマーキャンプで出会ったあの顔やこの顔、ちょっとがんばってやり遂げた自分自身のこと、誰かのことばを思い出すと、少し勇気が出る。
 サマーキャンプは、変わり続けていく私たちを、変わらず滋賀の荒神山で待っていて、見守ってくれる故郷のようなものだ。参加者たちを見送り、片づけを済ませたあと、来年もきっと帰ってくることを誓いながら、私も、"故郷"をあとにした。

第23回吃音親子サマーキャンプ参加者内訳
参加者151名
◇どもる子ども…51名
◇きょうだい…9名
◇保護者…54名 父親…19名  母親…35名
◇スタッフ…37名
  ことばの教室の教師や言語聴覚士…13名
  通常学級、支援学校、支援学級の教師…8名
  どもる人、サマーキャンプの卒業生…16名


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/19

吃音をテーマに生きるということ〜2012年度 第23回吃音親子サマーキャンプ報告〜

 今日は、8月17日、1週間後の今日は、第34回吃音親子サマーキャンプの最終日で、今頃はすべてのプログラムが終わり、ほっとしている頃でしょう。
 サマーキャンプの会場の真正面に掲示している横断幕は、毎年、大阪吃音教室の徳田和史さんが手書きしたものです。徳田さんも、長くサマーキャンプのスタッフとして参加していたのですが、今は、横断幕を書くことで参加しています。僕たちは、徳田さんが心を込めて書いてくれた横断幕のもとで活動しているのです。
 2019年の吃音親子サマーキャンプのときに卒業して、結婚の承認になってほしいと申し出てくれた鈴木葵ちゃんも、今は参加していませんが、こんなメールを送ってくれました。「もうすぐキャンプですね。気持ちが熱くなる感じ、分かります。行きはしませんが、キャンプ期間になると、ソワソワします。今、作文の時間かなあって思ったりもします。吃音を通してつながりができていくのは素敵ですね。体調に気をつけて、キャンプ楽しんできてください」
 大勢の人が、いろいろなところでかかわってくれている吃音親子サマーキャンプ、人の温かさとつながりの強さを思います。
 今日は、第23回吃音親子サマーキャンプの報告です。明日に続きます。(「スタタリング・ナウ」2012.11.20 NO.219)

吃音をテーマに生きるということ
  〜2012年度第23回吃音親子サマーキャンプ報告〜

       掛田力哉(大阪府立高槻支援学校教員・大阪スタタリングプロジェクト) 

1.はじめに
 8月24日(金)から3日間、「第23回吃音親子サマーキャンプ」が行われた。キャンプの締めくくりは、初参加の親全員による「ふり返り」のことばである。その冒頭、一人の父親がことばを発しようとした瞬間、突如込み上げてくる自分の涙に驚いてひと時沈黙してしまった。父親はぐっとその涙をこらえながら「本当に来てよかった」と会揚の参加者を見回し、自分の子どもへ柔らかな眼差しを向けた。
 私はその姿にこそ、このキャンプの力、ひいては吃音の持つ大きな力を感じずにはいられなかった。それは、別の父親のこのことば「ここに来る前は、子どものためとばかり考えていた。しかし今感じるのは、他でもない自分自身の人生や生き方をふり返らせてもらう3日間であったということ」に凝縮されているように思われる。
 吃音は、ただそれを治療の対象と見なす医師や臨床家たちにとっては、「不自由な言語の症状」でしかないのであろう。しかし、このキャンプに集まる子どもたちや親たち、そこから巣立っていった若者たち、それを支えるスタッフたちの姿は、吃音が私たちの人生そのものに関わり、時にそれを大きく変えるほどの力をもった深く豊かなものであることを、私たちに教えてくれる。
 吃音は、どもる当事者にとってはもちろん、それに関わる多くの人たちにとって「人生のテーマ」となり得ることを、私は今年のキャンプに参加しながら改めて確信した。
 スタッフ事前合宿の様子や、これまでの私自身とサマーキャンプとの関わりなども含めながら、今年のサマーキャンプの様子を報告する。

2.スタッフの事前合宿より〜吃音親子サマーキャンプとの出会いから〜

 7月21日(土)、私は大阪市内の寺院にある合宿所に向かっていた。今年のキャンプで子どもたちが取り組む劇、「コニマーラのロバ」の見本を演じるため、私たちスタッフは1泊2日の合宿で台本を読み、役を何度も変えながらひたすらに劇の練習をしていくのだ。
 合宿所に到着すると、早速懐かしい顔がいくつも見えた。ドキドキしながらドアを開けると、何の違和感もなく温かく皆さんが出迎えてくれる。全国各地から集まった懐かしい人たちが笑顔で、やさしくことばをかけてくれる、この宝物のような時間。練習の間は、脚本・演出の渡辺貴裕さんの優しくも厳しい指導に時にピーンと張りつめた緊張の時間が流れる一方、ほとんどの時間は冗談話に花が咲いて、笑いの絶えることがない。合間には、伊藤さんのおならが「潤滑油」のように鳴り響き、みんなが慣れた顔でそれを受け流したり、笑顔で仰ぎ返したり。人を大事にする誠実さ、まじめさ、真剣さ、厳しさ、尽きることないユーモア…。ほぼ10年ぶりに参加したこの合宿の人たちが、以前と全く変わらなかったことに驚き、心から幸せな思いに満たされていた。そして、一人孤独に吃音に悩み苦しんでいた子ども時代には想像だにしなかった、この温かで朗らかな人たちとの出会いは、不思議なことに他でもない吃音がくれたものであることを、改めて思い返していた。
 10年前、書店で偶然に見つけた伊藤さんの本を読み、どうしてもその人に会いたいと願って大阪へ来てから、私の人生は大きく変わっていった。大阪教育大学特殊教育特別専攻科に入学し、思いもよらなかった教師への道を目指すことになった。また、伊藤さんに誘ってもらった大阪吃音教室に通うようになり、「論理療法」や「交流分析」など、これまで自身が「すべて吃音のせい」とばかり考えていた自分の人生の「うまくいかなさ」の原因が実はそうではないのではないかと気づかせてくれるたくさんの学びに出会った。
 また、どもるからこそ「話すこと」、「聴くこと」、「書くこと」、「伝えること」とはどういうことなのかと、人一倍誠実にことばやコミュニケーションについて考え、学んでいる大阪吃音教室の人たちとの出会いを通して、その場を繕うことばかりを考えていた不誠実な自身のコミュニケーション、ひいては生き方そのものに否応なく気づかされ、それらをひとつずつ見つめ直していくきっかけをもらっていった。そして、「できればどもりたくない」「恥ずかしい」という気持ちは否定せず、そんな思いを持ちながらも、やりたいこと、やるべきことをどもりながらやっていけるという大阪吃音教室の人たちの生き方は、何より「楽しく生きる」人生の基本を私に教えてくれた。
 そんな折、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加させてもらうことになった。自身の学びや経験を子どもたちに伝えられるチャンスとばかり意気揚々と出かけたが、現実は全く逆であり、私自身が子どもたちに教えられることばかりの3日間を過ごすことになった。話し合いでは、幼い子どもたちが、「本当はどもりたくない」、「恥ずかしい」、「バカにされて悔しい」と胸の内の苦しみを分かち合いながら、それでも自分たちの吃音を客観的に見つめ「どもることは本当に悪いことなんだろうか?」と自問する姿に心底驚かされた。
 そして特に衝撃を受けたのが、劇の発表である。暗黒のような子ども時代からずっと、セリフのある劇はもちろん、ダンスやスタンツ、歌や楽器など人前で行うあらゆる表現活動から逃げ続けていた私にとって、どもりながら生きいきと演じ、己の力を試している子どもたちの姿はただただまぶしく恰好良く、私はその子どもたちを前に、ことばを失うばかりだった。そして、声を出すこと、ことばを発すること、何かを思いきり表現すること、誰かに伝えること…は、本来この上なく楽しく、嬉しく、エキサイティングな営みであるのだという自明のことを、私は子どもたちにやっと思い出させてもらったのである。
 あれから10年、その後も何度かサマーキャンプのスタッフをさせてもらったが、やはり引っ込み思案の私は、心のどこかで「スタッフの見本としてする劇の役でセリフをもう少ししゃべってみたいな」とか、「劇の練習で、もう少し思うことを言ってみたいな」とか思うものの、「自分がしなくても、他にできる人がたくさんいるし…」と考えるとつい後ろにさがってしまっていた。
 しかし今年の事前合宿、私はなぜか無性に、あのキャンプの子どもたちのように、自分の力を試してみたい気持ちにかられた。「人まかせ」の生き方を、少し変えられるチャンスのようにも感じた。配役決めのとき、思い切って手を挙げ、初めてセリフの沢山ある役につくことになった。吃音がなければ出会えなかった温かい人たちに囲まれ、吃音がなければ決して挑戦することのなかったことに挑戦する。これこそが、正に吃音親子サマーキャンプなのではないか!。私もやっと子どもたちに少しは追いつけるだろうか。待ってろよ、子どもたち!。そんな思いで、私は1泊2日の合宿を駆け抜けていった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/17

小さな哲学者たち

 第34回吃音親子サマーキャンプが近づいてきました。会場の荒神山自然の家の食堂が閉鎖という思わぬアクシデントがありましたが、それを承知で参加を希望してくれた参加希望者とスタッフに心より感謝します。
 今日は、23回目となる吃音親子サマーキャンプの報告です。まず、巻頭言から紹介します。ここに出てくる教育ドキュメンタリー映画「小さな哲学者たち」は、僕にとって衝撃的だったけれど、でも、サマーキャンプで出会う子どもたちのことを考えると納得できる姿でもありました。今年も、どんな小さな哲学者たちに出会えるのか、とても楽しみです。(「スタタリング・ナウ」2012.11.20 NO.219)

  
小さな哲学者たち
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 パリ郊外の幼稚園の、幼児クラスの担任パスカリーヌ先生は、月に数回「哲学」の授業をする。「愛」、「自由」「大人と子どもはどう違う」「友だち」「死」など、時々によって違うテーマを子どもたちに投げかけて対話をする。子どもたちのための哲学の授業という、世界的にも珍しい試みの様子を2年間にわたって記録した、教育ドキュメンタリー映画が「小さな哲学者たち」だ。
 最初は慣れていないために集中できなかった子どもたちが、大人でも難しいテーマを真剣に考え、ことばにしていく。授業の最後の日、「哲学の授業」が大好きになった子どもたちは、これから進級する小学校には、「哲学の授業」がないからつまらないと発言していた。この発言に、私は吃音親子サマーキャンプの子どもたちを重ねていた。
 今年23回目になる吃音親子サマーキャンプが始まった頃、楽しいキャンプを主張する言語聴覚士たちと、吃音の話し合いを重視する私たちと、常に対立していた。吃音について、自分のことばで吃音の物語を話せ、他者の吃音の物語を聞いて対話を続けたことが「吃音を生きる」出発となったことを経験している私たちは、吃音についての話し合いは譲れなかった。私たち単独で行うようになって、90分、120分、60分の話し合い、さらに90分の作文教室の時間に吃音と向き合う。話し合いが私たちのキャンプの一番の柱になった。
 その後、卒業式のために60分の話し合いをカットしたとき、「吃音の話し合いを一番楽しみに参加しているのに、時間が減るのは困る」と苦情を言ってきた子どもたちも多かった。子どもは、楽しい遊びの方を喜ぶだろうと思っている大人の感覚と、「哲学」でいろいろなテーマを語る楽しさを知った子どもたちの感覚の違いを思う。
 今年のキャンプも小学1年生は1年生なりに、高学年や中学生、高校生はその年代に応じて、吃音の様々な問題について語り合っていた。
 私は5、6年生の子どもの話し合いに加わったが、人の話を真剣に聞く姿が印象的だった。話し合いを子どもたちはこう振り返った。
・みんなの話を聞いて、考え方が変わった。
・話し合いができる仲間ができてよかった。
・どもるのが恥ずかしく恐かったが、どもってもいいと思えた。
・みんなのことを思い出して学校でもがんばる。
 その中のひとり、初参加の5年生の女の子がこんな作文を書いていた。
 「(略)…『英国王のスピーチ』を見てどもりを治してがんばっても結果は同じだったけれど、ジョージ6世は自分は自分やし、どもってもいいやという気持ちがあったから最後に話せたのだと思いました。一番最後は感動して泣きました」
 私は、大学や専門学校で、講義の前に、映画『英国王のスピーチ』の感想レポートを提出してもらっている。150ほどのレポートを読んだが、現職教員を含め、彼女のようなことを書いた人は誰ひとりいなかった。多くが、言語聴覚士・ローグのセラピーの成果で、開戦スピーチが成功したと考えていたからだ。まさに彼女は小さな哲学者だ。
 先だって、東山紀之主演の『英国王のスピーチ』の舞台を観た。吃音に悩んだ当事者、サイドラーの脚本を、監督と主演のコリンファースが誠実に徹底的に討議して生まれた映画と、吃音の理解が浅い脚本と演出、東山の演技で、ここまで別物になるのかと、あまりにも映画との違いに驚いた。
 舞台の東山は繰り返しの多い、表面的にはかなりどもるジョージ6世を演じた。そして、最後のスピーチは、ぺらぺらと演説のように流暢に話し、全くどもらない。コリンファースが、どもる真似ではなく、内面的な苦悩を表現して、ブロックのある、どもる人の「間」を上手に生かしながら、訥々と、誠実にスピーチしたのとはまるで違った。
 この舞台だけを観た人は、ジョージ6世の開戦スピーチは、言語訓練でこんなにも流暢に話せるようになるのかと映画以上に思ったことだろう。
 これでは、小さな哲学者が、感動して泣くこともなかっただろうと思う。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/16

新たな吃音臨床への招待 3 ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

 昨日のつづきです。2012年8月に行った第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の2日目の報告です。この日、昼食後の実践講座が圧巻でした。この吃音講習会の名前が「親、教師、言語聴覚士のための…」となっているのにふさわしい時間でした。参加するだけでもハードルが高いであろう臨床家のための講習会で、初めて参加して、突然、僕と公開の対話をしませんかと言われて、簡単には登壇できるものではありません。それを押して、登壇してくれた3人の保護者に敬意と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 保護者は、これまで聞いていた、あるいは信じていた、吃音に関する話とはまったく違う話を1日目に聞き、そうだったのか…と思いつつ、やはり治るものなら治してやりたいという親心が消えない、その正直な気持ちをすなおに、みんなの前で語ってくださいました。公開相談会となった、大勢の参加者の前でのやりとりを通して、保護者に変化が現れるのを、参加者が温かくそっと見守りました。そうして、会場の参加者が、登壇者を、そして、この時間を支えてくれました。
 すべてのプログラムが終わって、最後のティーチイン。通り一遍の感想とは全く違うひとりひとりの語りに、心を打たれた時間になりました。

新たな吃音臨床への招待 3
    ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
   坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

2日目シンポジウム(ミステリー・ツアー)

 前日のグループの話し合いの報告と、質問の時間。初日の伊藤さんの話を初めて聞いて、自分がそれまで依拠していた訓練や考え方との根本的な相違に混乱する、言語聴覚士からの戸惑いの声が紹介されたが、伊藤さんは吃音をコントロールするための言語訓練と吃音を認めることの両立は可能かの質問に、議論を繰り返した結果、両立はしないこと、世界のどもる人のほとんどはどもりながら手持ちの力で生きているという否定できない事実の中で、どもることに不本意なまま生きるのと、どもる覚悟を決め納得しながら生きるのとでは全然違うのではないかとコメントした。
 シンポジウムのメンバーはことばの教室の教員として奥村寿英さん、渡邉美穂さん、高木浩明さん、溝上茂樹さん、現在は通級指導教室担当の佐藤雅次さん、言語聴覚士として野原信さん、どもる子どもの親として私、坂本英樹、当事者としてNPO法人大阪スタタリングプロジェクト会長の東野晃之さんである。この企画は当初、それぞれが実践発表してから論議する予定だった。それを急遽変更し、シンポジスト個々の実践、提案の詳しい内容は事前資料に譲り、それを前提に吃音の臨床にとっての「語りの実践(ナラティヴ・プラクティス)」のもつ意味を伊藤さんを道案内役として語り合う、どこへたどり着くか分からない、ミステリー・ツアー、大喜利となった。
 ナラティヴ・アプローチはまず、問題と人を分け、問題そのものを外在化、目に見える形にして考察するところから始まる。東野さんは吃音に悩んでいた頃はその問題をどう整理したらいいのか、自分の中の否定的な思いをどう語ればいいのかがわからず、セルプヘルプグループに参加しても当初は話ができなかったと述懐し、問題を明らかにする、取り出すためには自分を分析する、語るための小道具が必要なのではないかと示唆した。
 ことばの教室の教員もその小道具を自らの実践の入り口に置いている。奥村さんは子どもに吃音について知っていること、わからないことを紙に書いてもらう学習活動を始め、高木さんの実践は積み木で言語関係図をつくることや吃音氷山を描くことを通じて、子どもが形、大きさ、重さを感じることができるだけでなく、それらが変化することまでの洞察を含んだものだ。渡邉さんは「どもりカルタ」が子どもが心身を働かせながらの自分の気持ちの確認になること、さらには自分自身のどもりカルタをつくることで表現する力、伝える力を身につけることができるとして、カルタを友だちに見せて自分のことを語る子どもの姿を紹介。人と人とを結びつけるどもりカルタの可能性を提示した。溝上さんの絵を書いている子どもといろいろ語るという話は、要項表紙のどもりキャラクター「もっちい」の絵に私たちの目を釘付けにした。どれも外在化の好例だ。
 ここで、会場の当事者からまだ語られていない物語を聞くという「聞く」は、AAなどのアノニマス(匿名性)のセルプヘルプグループの原則である「言いっ放し、聞きっ放し」の「聞く」とどう異なるのかとの質問が寄せられた。語りは語りと出会い、対話となることを要請する。教員、言語聴覚士も自己を語らなければ子どもとの対話は成立しない。伊藤さんはナラティヴ・アプローチでは相手に対する「好奇心に支えられた対等な語り合い」から、新たな物語が紡ぎだされるという意味で、「共著者」という考え方を紹介した。傾聴という受容的な聞き方との相違は明らかだろう。
 野原さんからは言語聴覚士として結果を性急に求めてしまう自分がいるとの話があったが、語りが熟成されるのを待つのも、ひとつのスキルである。聞き方を学ぶ、質問の仕方を修養することが語りを豊穣にするための要件なのである。これからその課題に取り組もうとして、伊藤さんは「ナラティヴ元年」を宣言する。
 当事者の発言がこのシンポジウムを構成した。当事者こそがその問題の専門家なのである。

実践講座「親の公開相談会を通して、親との関わりについて考える」
3名の保護者と伊藤・高木・渡邊さん

 昼休憩の時間は、第11回(2000年)の吃音親子サマーキャンプの記録を上映した。竹内敏晴さんが子どもたちにレッスンをしている映像は貴重なものだ。映像の中のかつての自分と対面した何人かの人に当時の思いを振り返ってもらった。
 公開相談会は、親として子どもとの関わりをどう考えるのか。教員、言語聴覚士にとっては保護者の思いをじっくり聞く経験になること、また保護者と対話をする伊藤さんの姿を話し方、聞き方のひとつの事例として参考になればとの思いからの企画である。前日のグループの話し合いで、「やはり子どもの吃音を治したい」との思いを持ち続けるお母さん、初めて参加したお母さん、吃音親子サマーキャンプ経験のあるお母さんの3人に、当日公開相談会にしてもいいかと提案し、それを受けて下さった3人にまず感謝したい。
 自己紹介を兼ねての子どもの話から始まった。小学1年の男の子をもつAさんはそのうちに治るだろうと思っていたのだが、学校医に「吃音はほっておいてはいけない」と促され、療育センターの言語聴覚士を訪ね、そこですべての生活場面で「わーたーしーはー」とゆっくり話すという統合的アプローチを指導された。しかし、毎日の生活の中でその話し方が維持できるはずもなく、治らないのはそのせいかとも考えてしまうという。この講習会では初めて聞く話ばかりで驚きと戸惑いの連続だったが、肩肘張って治そう、治そうと思わなくてもよいのかと少し楽になった。しかし、夫の吃音が小学4年の時に治ったので、その父親の子どもだから、治ることへの期待を捨てきれないと揺れ動いている気持ちを率直に話してくれた。
 Aさんは子どもにゆっくりと話しかけ、嫌がらなければ訓練もしたいとの考えがあることに、伊藤さんは子どもとのゆったりとした時間をもつことは大切だが、親の治るかもという期待は子どもを傷つけることになる、吃音に対する親の否定的な思いがちょっとした表情となり、子どもに罪悪感をもたせ、親の前で話すことを避けるようにさせてしまうのではないかと応じ、高木さんは幼い子どもでさえ親の思いは敏感に感じ取るものだと述べた。当事者で教員でもある佐々木和子さんもどもるのがつらいのではなく、治るという思いで見つめられること、治らないのはかわいそう、劣っていると思われることがつらかったという。治るはず、かわいそうというまなざしで傷つくのだと体験を語った。
 また、Aさんは「治らない」と言うことに子どもが傷つかないか心配だと話した時、たとえ傷ついたとしても、そこから手持ちの力で立ち直るのは成長のプロセスとして必要なことだろう。担うべき課題は子ども自身が担わなければならないのだろうと、まさに、ナラティヴ・アプローチ的な対話が展開していった。
 Bさんが語ってくれたのは吃音をサバイバルする話である。Bさんの家族は小学5年の男の子の吃音に関わるエピソードを笑い飛ばす日常を送っているという。ナラティヴ・アプローチではユーモアのセンスを大事にする。ユーモアはその状況を違った角度から見ることで生まれる高度なサバイバル・スキルであり、ドミナント・ストーリーの外に出ることを可能にするものだ。彼はスポーツに親しむ少年として成長しているが、母親としてはこれからの受験、就職、結婚までのことを思うと心配は尽きないから、今回参加したという。
 この話を受けて、Cさんがマイクを握った。二人のどもる子ども、中学3年の男子と小学4年の女の子のお母さんであるCさんは吃音親子サマーキャンプにも継続して参加し、吃音を通して子育てを見つめてきた保護者である。Cさんはどもり自体に対する否定的な意識はなかったが、からかいなどの二次的な問題は気になることとして考えてきた。Bさんと同様、得意なスポーツをもってほしいとの願いから彼に剣道を勧め、習わせたのだが、それは学校以外のつながりが彼の支えになることもあるとの思いからだ。中学に入ると親が提供した選択肢からではなく自分の好奇心、価値観からやりたいことを見つけてきた彼は音楽部に入り、居場所を拡げている。確実に自分をつくっている彼のことを輝きが出てきたと感じている。
 小学4年の女の子は兄の場合とは違う課題があるかもしれないが、時が来たら心配し、悩んでいこうと、そう考えられるようになったところに親としての成長を感じるとCさんは語る。
 親の成長ということに関して、渡邉さんは自分が人生を楽しむこと、その姿を見せることが子どもが人生を切り開いていく力につながる、何事かを為していく子どもの姿を信じようと親としての思いを語り、伊藤さんは障害や何らかの課題をもつ子どもの親として大切なことは何かと問いに、親自身が自分の人生を楽しむこと、子どものためにといって自分の人生を諦めないことだと答えた。社会の圧力、世間の目というドミナント・ストーリーを内面化し、子どもの犠牲になるとやがては我が子を恨むことになるかも知れない。それは子どもにとっても不幸なことだ。親の人生が拡がれば子どもの世界も拡がっていくのである。
 3人の子どもの年齢も、タイプも違う保護者の率直な生の声が対話を繰り返していく中で変化していく様子を聞けた、貴重な時間だった。

ティーチイン「2日間をふりかえって」

 2日間、私たちは実によく語り、よく笑った。最後は輪になっての全員の感想の交換である。通常、研修会などの感想は、「勉強させていただきました」という形だけのものになるのだが、次々と語られたのは「楽しかった」、「この場にいることが心地よかった」の言葉だった。その中に、これまで誰にも言えなかったことを、今語らなければと決断した勇気ある自己開示があった。参加者全員でつくりあげたこの場を信頼してくれたからだろう。どもりというテーマがいろいろなところで生き難さを抱えている人とも出会えるものだということを教えてもらうことができた。感想の交換が、交感、交歓へと変化していく時間はこの場がナラティヴ的な空間であることの証明で、それは得がたい体験だった。(「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/14

新たな吃音臨床への招待 2

11年という年月を経て始まった吃音講習会のシリーズ2、今年は12回目となり、7月26・27日、千葉県柏市で開催しました。その報告は、日本吃音臨床研究会のブログや伊藤伸二のブログ、Facebookなどでしています。
 今、紹介しているのは、シリーズ2の第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会です。このときのゲストは、奈良女子大学名誉教授の浜田寿美男さん。講演のタイトル「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」は、僕たちと深く強く共感するものでした。
 浜田さんの講演と、この吃音講習会の顧問である牧野泰美さんが司会をしてくれた浜田さんと僕の対談など、吃音講習会1日目の報告です。(「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218)

新たな吃音臨床への招待 2
    ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
      坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

  講演「ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて―」
                   奈良女子大学名誉教授浜田寿美男さん

 発達心理学が専門である浜田さんは講演冒頭、先輩である岡本夏木さんの「なにか迷った時には少数派につきなさい」という言葉を私たちへのエールとして送ってくれた。多数派は流れに乗るだけで済むから思考停止に陥り、ドミナント・ストーリーにはまり込んでしまう。一方、少数派は常に自らの根拠を考え続ける必要があるので、物事を明らかに見ることができるとの意味であろう。
 浜田さんの考える場は、障害をもつといわれる子ども、とりわけ自閉症などの発達障害をもつ子どもたちとの関わりのなかにある。そのなかで形成された浜田さんの「発達観」は動物学者の日高敏隆氏の言い方を援用すると「すべての人間たちの生き方は、赤ちゃんも幼児も、子どももおとなも、なんらかの障害をもつものももたないものも、すべて等価であり、一つのパターンの論理のなかでは、そこに発達のものさしをもちこんで、その上下、遅速を論じることはできるかもしれないが、異なるパターンの論理(生きるかたち)に優劣はつけられない」(2007「障害と子どもたちの生きるかたち」岩波現代文庫)というものである。右肩上がりの発達観が主流のなかでは伊藤さんと同様、浜田さんも少数派といえるだろう。
 長らく勤めた福祉系の学科をもつ花園大学での学生との出会い、交流も浜田さんにとっての考える場であった。30年以上も前のこと、脳性まひの学生が入学してきたが、構音がはっきりしないことから友人の輪の中に入れずにいた。しかしある時、意を決して友人の輪に飛び込んだところ、1、2ヶ月もするとお互いの会話に何の問題もなくなった。学生が言語訓練をしたわけではない。はっきりしない発音のまま、友だちに何とか伝えようと手持ちの力をやり繰りし、友だちもまた聞き取ろうと努力するなかで、お互いの力が発揮された。友だちとの学生生活という場があって伝える力が育まれた。彼らの「人どうしの関係の網の目」が形成されたのである。力は生活のなかで使ってはじめて根を下ろす。しかし、学校的文脈では「力を身につけて将来に備えましょう」の言説が支配的である。浜田さんはそれを「錯覚」と表現する。私たちの社会を覆う大きなドミナント・ストーリーのことである。
 現在、大阪・高槻市在住の50歳を超えた、自閉症の症例の関西第1号と言われた人のエピソードも興味深い。彼が自閉症と判断された当時は小児科医も文献のうえでしか知らない時代だった。彼は地元の普通学校に通い、母親であるUさんは「高槻自閉症児親の会」のリーダーを長く務めた。地域と関わって生きてきた人たちだ。
 そのUさんがある時、浜田さんとの会話で「自閉症は治ってもらったら困る」と語った。自閉症が風邪のように薬を飲んで治るのなら、治ってもらってもいいが、どれだけ多くの親が次々と出てくる新薬開発という曖昧な情報や最新の理論や脳科学に基づいた療法に淡い期待を寄せ、その度に引きずり回されてきたことだろう。Uさんは自閉症は治るという次元のものではないと十分にわかったというのだ。しかし、これ以上の理由が治ったら困るという考え方の背景にはある。
 治るとの思いで子どもをあちこち引き回し、いろいろな療法、訓練に励むことは、いまのこの子のありのままを否定する、この子を差別することに等しいのではないかとUさんは語る。「生き方」というような自分で選べる観念的なものではない、その断念、諦めの中から家族や他者との、他者や環境との双方向的な関係の中から、かろうじてそうでしかありえないものとしての「生きるかたち」が織り成され、私たちはそれを選んでいく。この子のありのままを、変えようのない与えられた条件を引き受けて生きるとはそういうことである。
 自傷、他害行為のあった彼に噛まれた同級生の女の子は、あわてるUさんに「この子が噛むのは言葉みたいなもんだから」と言ったという。その小学校の同級生は彼とともに生きる場の中から、このようなスキルを身につけたのだろう。浜田さんは「発達障害バブル」という表現で、現在の特別支援教育のあり方に危機感を表明している。支援という名の排除や囲い込みが進めば、このような豊かなスキルを、互いに身につける機会を私たちは奪われることになってしまうだろう。
 浜田さんが語ることは伊藤さんが吃音について語る論理と同じものだ。親、教員、言語聴覚士がただ治したいという思いで接する時、それは子どものありのままを否定していることになる。「私は私のままでいい」という自己肯定、つまり吃音肯定から吃音とのつきあいが始まる。

対談「治す文化に対抗する力」浜田寿美男VS伊藤伸二
    司会 国立特別支援教育総合研究所 牧野泰美さん

 司会の牧野さんは特総研では言語障害教育の研究のかたわら教員研修を担当し、各地のことばの教室の教員との出会いを多くもつ人だ。冒頭、牧野さんはどもりが体質のようなものだと考えれば、改善ではなくどう引き受けるかの課題ではないか。しかし、親や教員や言語聴覚士はどもりに対して無力な自分であることが認められない、何かできる自分でありたいとの思いをもち、それが「治す」ということへ駆り立てているのではないかと指摘し、専門性や専門家のあり方が問われていると対談のフレームを提供した。
 浜田さんは私たちの人生に準備の時間はなく、次のステップをにらみながらいまを生きているのではないこと、手段を整えてから話すのではなく、その時の手持ちの力でしか話すことはできない、スキルではなく何を伝えようとするかが問題なのだとの主張を対談でも強調した。それはどもりながらも日常を丁寧に送る中で、いつか自然と「吃音は変化する」、しかし、その結果を目標にしてはならないという伊藤さんの考えと通じる。訓練室・治療室では確かに吃音のコントロールは可能だろう。しかし一歩外に出た日常の世界ではそれは何の効果もない。サバイバルする中で、生きる場の中でしか言葉は育まれない。だから、日常に出て行くことを促すことがことばの教室の教員や言語聴覚士の仕事なのではないか。
 伊藤さんは吃音を生活習慣病に例える。吃音を言い訳に日々の、ひいては人生の課題から逃げたりすれば、その症状は悪化するという。浜田さんも逃げたり、隠したりすることの弊害を指摘し、幼い頃、事故から右手の4本の指を失った女性の話を紹介した。不憫、かわいそうと思った母親は彼女を守るつもりで、世間の目に触れないようにと手編みの手袋をずっと与えたのだが、それはその手のありようを隠すべきもの、否定すべきものとして母親が裁いていた、差別していたことに他ならない。そして彼女自身もそのドミナント・ストーリー、価値観を内面化していった。学生時代、そのありように疑問を持ち、手袋を外した彼女は顔から火が出るような差恥を感じ、世間の目を意識したのだが、それは彼女自身の目であったのだ。この物語から彼女が出ることができたのは、卒業後勤めた通所授産施設で手に関して、遠慮なく質問されたり、触れられたりといういろいろな反応を受け、さらに母となって子どもの手を引いたり、引かれたりという中で、ありのままの自分として生きた日々を過ごしたことによる。
 伊藤さんは吃音をコントロールすることを教えられるということは、吃音に対しての否定的なメッセージになるという。隠し続けることがどれだけ生きづらいことか。専門家は当事者の苦しみに無知であることを自覚すべきだと浜田さんも言う。言語聴覚士や教員はドミナント・ストーリーの代表者としてではなく、いまここにいる子どもを支える専門家として存在して欲しい。そのためにもナラティヴ・アプローチでいう、「無知の姿勢」に立ち続け、子どもの声を丁寧に聞き、子どもの疑問にも正直に丁寧に答えて欲しい。たとえば、治したいというニーズをもつ子どもに対して、展望のない訓練や専門家自身は決してしない方法を示すのではなく、「私は治せない」となら言えるのではないか。そのうえで「楽に声を出す」ことなら一緒に取り組むことがあると提案できるはずだ。専門家として情報を提示したうえで子どもと向きあうこの対等の姿勢からは、きっと子どもとの間に対話が生まれることだろう。
 伊藤さんは吃音を意識させない方がよいというドミナント・ストーリーに対して、吃音の早期自覚教育を提唱する。真実を先送りにすることは専門家としての倫理にもとる。子どもとの最初の出会いを大切にして欲しい。誠実に向き合えば子どもの何かは変わることを信じて私たちは活動をしてきた。浜田さんも親や専門家が先回りして、子どもを現実から遠ざけること、皮膜の中で育てることを批判している。初めての出会いとは思えないほど二人の語りが共振した時間だった。

グループでの話し合い

 対談後の夕食休憩の時間は、TBSテレビ報道局(当時)の斉藤道雄さんが伊藤さんたちやキャンプを取材した「報道の魂」(2005)を視聴した。
 初日最後のプログラムは参加者を6つのグループに分けての話し合いである。初日の講習を受けての率直な感想や疑問や子どもとの関わりの具体について出してもらった。話し合われたそれぞれの内容はこの紙面では割愛するが、このグループでの話し合いがあったからこそ、伊藤さんたちの投げかけたものが参加者の中で大きな渦となって、2日目昼からの実践講座に流れ込んでいくことになろうとは、誰も想像できなかった。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/13

新たな吃音臨床への招待

 吃音講習会という名の研修会は、2001年の夏、岐阜大学で開催されました。故水町俊郎・愛媛大学教授と、廣島忍・岐阜大学教授と僕の3人が始めたものです。
 2001年8月1日、この日、岐阜は国内の最高気温を記録しました。おまけに岐阜大学のエアコンが故障し、会場はサウナ状態。その中で繰り広げられた熱心な討議。まさに、暑い、熱い研修会でした。そのシリーズは、大阪、岐阜、島根と4回続き、水町さんがお亡くなりになって途切れてしまいました。
 それから11年後、吃音講習会が復活しました。吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会が主催するシリーズ2の幕開けでした。
 今日は、その講習会の報告を紹介します。シリーズ1は、臨床家のための吃音講習会でしたが、シリーズ2は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会とました。その名にふさわしい、それぞれの立場の人が対等に議論する濃い時間となりました。
 「スタタリング・ナウ」2012.10.22 NO.218 より、会の熱気をそのままに持ちながらの臨場感あふれる報告をお届けします。

  
新たな吃音臨床への招待
  ―「第1回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」

                2012年8月4・5日 千葉県教育会館
   坂本英樹(どもる子どもの親、教員、NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)

 吃音講習会は、北は青森から南は沖縄まで、事務局スタッフの予想を超える101名、ことばの教室の担当者58名、言語聴覚士20名、保護者6名、当事者10名、その他7名の申し込みがあった。盛りだくさんの講習会の報告は、私が講習会から受け取ったものの再構築だが、それが参加者各人の感じたこと、考えたことと共振し、新たな「語り」を生み出すための一助となれば幸いである。

なぜ、親、教師、言語聴覚士なのか

 言語関係図の提唱者、W・ジョンソンは「吃音問題には、それを構成するメンバーがいる」と、当事者の話し手、その言葉を聞く他者のもつ意識、本人の考え方も重要だと指摘した。今回、「親、教師、言語聴覚士のための」と題したのは、子どもの問題を構成するメンバーと、どもる子どもと向き合うとはどういうことかを一緒に考えたいとの思いからだ。また、この講習会の前身、2001年の「第1回臨床家のための吃音講習会」からの10年間で「吃音を生きることを大切にしたアプローチが少しずつ拡がる一方で、依然として吃音の改善が本人や保護者のニーズだと提案され、むしろ近年こうした流れが強まっている」との危機意識、問題意識を私たちが共有していたからでもある。
 本講習会を貫くキーワードはナラティヴ・アプローチである。ナラティヴ(Narrative=語り、物語)とは近年、人文・社会科学から医療、福祉の領域で注目されている。この考え方を導入することで、大阪吃音教室やことばの教室の実践をひとつの相の下に眺めることも可能となるだろう。この報告全体を通してこの考え方を明示したい。

基調提案「ナラティヴ・アプローチ的吃音臨床の提案」 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二さん

 21歳で民間の吃音矯正所・東京正生学院で言語訓練をした伊藤さんは、吃音が治らなかったが、人生の転機となる経験をした。ひとりで吃音に悩んでいた頃の伊藤さんの言葉は受け取り手のないモノローグ(独白)であったのだが、同じような悩み、体験をもつ人たちとの出会いの中で、ひとつの語りが次の語りを促しそれがさらに新たな語りを生み出していくというある意味祝祭的な場の中で、一緒に笑い泣き、共感してくれる他者の存在を発見した。自らの言葉が孤独なモノローグから他者とのダイアローグ(対話)へと変化することで悩みから解放されていくことを経験した。
 自分を語ること、他者の語りを聞くこと、その共振の中で新たな自己語りが、自分を語る物語が更新されていくというナラティヴ・アプローチの基本的な考え方を、ナラティヴという概念がこの世に提唱される以前に伊藤さんは、東京正生学院の日々の中で掴んだのだ。この経験が伊藤さんにどもりを治すことを諦めさせ、どもる人のセルプヘルプグループを設立させる力となり、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の実践に至る、その後の伊藤さんの必然の半生をもたらしたと言えるだろう。
 「語り」は今年で23回目を迎えた吃音親子サマーキャンプの性格を一言で表現する言葉でもある。参加する子どもの多くは話し合いを楽しみにしている。二泊三日の中で90分の話し合いが2回と90分の作文教室がある。作文も文字を記すという表出行為、原稿用紙という形で見つめなおすことができるという意味で外在化を伴う自己内対話と考えれば、語りに位置づけることができるだろう。特に初参加の子どもの多くにとっては自分以外のどもる子どもと出会うのも話すのも初めてという驚きの体験の中での話し合いである。
 伊藤さんが紹介したのは宮城県女川町の阿部莉菜さんのエピソード。キャンプ初参加の小学校6年当時、彼女は同級生からの激しいからかいから不登校になったのだが、話し合いを通して彼女の表情は変化したという。この変化を促したのは彼女の話に最上の聞き方で向き合った仲間の存在である。「つらいね、うん、わかる」というような共感的な聞き方だったら、彼女のつらさはその瞬間は解消されたかも知れないが、逆につらいという感情が強化されてしまっただろう。しかし、彼女の話を聞く仲間はロ々にいろいろな角度からの質問や自分の意見、対処の仕方を重ねて、阿部さんの語りを豊かにしていく。彼らの聞き方は阿部さんの中に眠る、まだ言語化されていない経験や考えを開いていった。その過程で阿部さんはどもりをからかわれてつらいという自分に染み付いた物語、それは自分を縛っているドミナント・ストーリーの外に出るきっかけを掴むことができたのだろう。吃音の悩みやそれへの対処の仕方もいろいろ、からかいやいじめへのアプローチの仕方もいろいろある。そういえばどもりながらでもやり通した発表があったというような記憶も甦ったに違いない。ドミナント・ストーリーでは捉えきれない豊かな経験をナラティヴ・アプローチではユニークな結果というが、彼女はその経験を語り合う中で発見し、新たな自己語りを紡ぎ出し、オルタナティヴ・ストーリーを語っていくきっかけを得た。彼女がキャンプを通して「もう、どもりを治したいとは思わない」という地平に立て、阿部さんは2学期から登校を始めた。
 キャンプでの話し合いや劇の練習を通して子どもたちは吃音の日常、苦労をサバイバルする選択肢を得ていく。どもりから逃げるのではなくサバイバルすること、そのための生の技法を学ぶためのキャンプ、べてるの家流にいうなら「苦労をとり戻す」ためのキャンプなのである。伊藤さんはどもる子どもは弱い存在ではない、子どもには自分自身を支える力があると言う。阿部さんのエピソードがそれを証明している。
 その後、阿部さんは2回キャンプに参加し、昨春高校進学を迎えるはずだったが、2011年3月11日の東日本大震災による大津波で、新しい制服に袖を通すことなく、お母さんと一緒に帰らぬ人となった。
 私の知る限り伊藤さんは昨年と今年のキャンプの始まりとこの基調提案で阿部さんの話を紹介している。死者を悼むとはそのひとり一人の固有の生と死の物語を語っていくことだ。津波にさらわれた人たちはその固有の死を生き残った人たちに伝えることができなかった、また生き残ったものもそれを知るすべがないために語ることができない。だとしたら、せめてその生を語ることが死を悼むことなのだと思う。
 伊藤さんが話した中から、もうひとり伊藤由貴さんのエピソードを紹介したい。小学校4年から高校までキャンプに参加した彼女の吃音は目立たないものだったが、大学2年から一転してよくどもるようになった。しかし彼女は接客のアルバイトをし、キャンプにもスタッフとして参加した。激しくどもる姿はかつての彼女を知るものにとっては驚きだったが、彼女自身はその事態を落ち着いて受け止めていたという。それは彼女が長いキヤンプ歴の中でシャワーのようにいろいろな語りを聞き、バラエティに富んだ職に就いているどもるスタッフと接してきた中で吃音を自分の人生にどう意味づけるのかの自己概念が形成され、どもりとともに生きる覚悟ができていたから、「吃音は変化する」という事実を楽観をもって受け止めることができていたからである。私たちはこれこそ、吃音肯定の臨床のエビデンス(根拠)だと考える。
 吃音が薬を2、3錠飲めば治るようなものだったら吃音を否定し、治す、改善するという発想もありえるだろうが、楽石社から100年、言語訓練、コントロール以上のものはないといっていい。しかし、たとえどれほどコントロールできたとしても明日もコントロールできるという保障はない。コントロールすればするほど、「次は大丈夫か?どもったらどうしよう」という予期不安は充進していく。コントロールすることで悩みは大きくなる可能性もあるのだ。「この世の中にどもっていけない場面などどこにもない」と伊藤さんは喝破する。吃音をもっている人の誰もが悩んでいるわけではない。どもりながら豊かに人生を生きている人はいっぱいいる。吃音を言い訳や理由にして人生の課題から「逃げる」ことこそが悩みを深くする、それは治そうとすることの副作用なのである。
 ナラティヴ・アプローチの観点からいうと、吃音と吃音からくる影響は別問題として考察する必要がある。吃音臨床の本質は言語関係図のZ軸、吃音氷山の海面下の部分へのアプローチなのだ。大阪吃音教室の取り組みの比重もここにある。しかしそれは私たちが言葉や声の問題に無関心であることを意味しない。竹内敏晴さんから学んだ日本語の発声の基本や声を出す楽しさは伝えたいと考えるが、それは言語訓練とはおよそ別のものだ。
 吃音を治すことを諦めたところから伊藤さんの人生は新しい展開を迎えた。諦めるとは明らかに見るということだ。では、専門家といわれる言語聴覚士や教員は100年以上の吃音臨床の何を明らかに見ているのだろうか。そして、どもる子どもに何を伝えるべきなのか。選択権、決定権は子どもにあると伊藤さんは言う。情報を独占することは相手を支配することにつながる。問われているのは専門家としての姿勢であり、倫理なのである。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/08/12
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