伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2025年07月

映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み 2

 昨日の続きです。
 今、読み返してみても、映画「英国王のスピーチ」を題材にして、いくつかの視点を提示して、自分の体験を折り込み、話しています。僕にとって、それは、「語るべきことばと、語りたいことば」だったのだと思います。

  
映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み 2
                  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


  吃音の問題とは

 ローグが治療を引き受けるとき、「本人にやる気があれば治せる」と言います。吃音治療の要望に言語訓練はしましたが、これまでの経験から効果があるとは思ってなかっただろうと思います。治療の初期には80日以上連続して集中的に訓練を続けますが、まったく効果がありません。
 全く改善しないままに、最後の開戦スピーチの録音室に向かいます。スピーチ5分前まで、歌ったり、踊ったり、悪態を叫んだりして、必死で声を出す練習をしますが、うまくいかない。不安を抱きながら、スピーチをしますが、自分でも満足できる成功を収めます。なぜ成功したのか。ここに吃音の臨床の大きなヒントがあるのです。
 はじめのシーンで出てきた、口にビー玉を含んで話す治療は、紀元前300年代ギリシャのデモステネスが実際に訓練した方法で史実です。海岸の荒波に向かって大声を出す練習などで吃音を克服し、大雄弁家になったと言われています。彼は吃音を治すために過酷な訓練を続け、成功したと言われていますが、訓練の結果ではないと私は考えています。
 デモステネスも、ギリシアの国を守る責任感と、政治家として弁論をしなければならない役割と立場があった。それらがデモステネスのことばを変えたのであって、訓練がことばを変えたのではない。
 私も、21歳までかなりどもっていましたが、治すことを諦めて、どもりながら生きていこうと覚悟を決めて、日常生活に出ていきました。仕送りの全くない東京の大学生活を送るためのアルバイト、自分が創立したどもる人のセルフヘルプグループの発展のために必死に活動しました。その後、大阪教育大学の教員になり、人前で自分の考えを伝えなければならない立場に立ちました。
 グループの責任者として、大学の教員として、「語るべきことばと、語りたいことば」を話していく中で、私のことばは変わりました。
 デモステネスも、ジョージ6世も、私も、人前で話せるようになったのは、吃音治療の結果ではなく、自然に変わったのです。ローグが治せると言ったのは、吃音症状そのものではなくて、吃音不安、吃音恐怖だったのです。
 心の問題だと捉え、不安や恐怖ヘアプローチしたのです。
 ジョージ6世の話すことへの不安と恐怖は、映画全編に出ています。不安が頂点に達したのが、国王にならなければならないかもしれないと感じ始めた時です。

吃音への不安が頂点に達した時

 兄が、愛人と一緒にいる山荘に、弟夫婦を招待した時に、ヨーク公は、王としての仕事をしない兄に苦情を言います。その時兄は、「お前はスピーチの練習をしているそうだが、王位を奪おうと思っているのか」と、彼のどもる真似をします。とても仲のいい兄弟だったから、今まではあまりなかったことだろうと思いますが、その時に、怒りが込み上げても、兄に何も反論もできず、本当に悔しい思いをします。悔しい思いを、ローグのところに行ってぶちまけます。ローグが誘って散歩をするシーンです。
 「長男の国王が、離婚歴のある人間と結婚するつもりらしい。王室では、離婚経験者とは結婚できない」と話した時に、ローグが、「あなたが王になったらいい、立派な王になれる」と言います。すると、現実には兄が王の座にいるのに、王を侮辱するのかと怒ります。これは、兄が侮辱されたことへの怒りというよりも、国王になることへの不安が頂点に達したのだと思います。
 兄が本当にシンプソン夫人と結婚したら、王ではいられなくなる。となると、絶対になりたくなかった王に自分がならなくてはならない。国王になるとスピーチをしなければならない。不安が頂点に達する。ローグがいなければ本当は困るにもかかわらず、不安が恐怖になり、思わず「お前とのセラピーはおしまいだ」と決裂します。
 このシーンが、大きなポイントになっています。
 吃音そのものではなく、彼の不安と恐怖にこそアプローチをしなければならないと考えたローグのセラピーに対する考え方は、的を得て、とても素晴らしいと思います。
 異端の、卓越したスピーチセラピストであるローグは、1920年代にすでに、スピーチセラピーは大した効果はないことを知っていた。セラピーすべきは、吃音への不安と恐怖から、全てに自信をなくしている、心の問題だと見抜いたのです。

  吃音治療の歴史

ローグの時代の吃音治療

 1920年から1930年代当時の治療技法が発達していなかったからうまくいかなかったと皆さんは考えるかもしれませんが、映画に出てくる技法は、ビー玉を口に入れること以外は、全部現在でも使われているものばかりです。
 これまでたくさんの治療を受けながら、少しも改善しないために、ヨーク公本人は吃音治療をあきらめていますが、妻のエリザベスはあきらめません。探し回ってローグに行き着きます。彼女の強い希望で、仕方なく、ローグの治療室を訪れますが、「パーティ」と対等に呼ばれることに抵抗感もあり、気乗りはしません。「誰にも私の吃音は治せない」と言うヨーク公に、今でも使う、マスキングノイズを使います。
 「私はあなたが、全然どもらずにしゃべれることを証明してみせる」と1シリングの賭けをします。シェイクスピアの有名な「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の台詞を読ませますが、どもって読めません。そこで、ヘッドフォンをつけさせ読んでみなさいと言う。ヘッドホンから大音量の音楽が流れる中で読ませてレコードに録音します。
 「無駄だ、絶望的だ。この方法は私には向いていない」と去ろうとするとき、「録音は無料です。記念にお持ち下さい」とレコードを渡される。
 父親のクリスマス放送に立ち会ったとき、「お前も練習してみろ」と原稿を渡され、読んでみた。どもって全然読めずに落ち込んだ。そして、ひとりで、部屋で音楽を聴いていたとき、ふと、あのレコードのことを思い出し、聴いてみました。すると、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とどもらずに読んでいます。自分の耳には、音楽が聞こえているから、しゃべってる声は全然聴こえません。これがマスキングノイズです。びっくりして、ひょっとすると役に立っかもしれないと思い直して、ローグのもとを再び訪れ、治療が始まります。
 ローグは、治療として、音楽をヘッドフォンで聴かせる、腹式呼吸、からだや顎や舌などの筋肉をゆるめる、大声で発声する、ゆっくり間をとって話す、歌って話すなどを試みますが、驚くことに、それらは現在とまったく変わっていません。その後新たな治療法は何一つ生まれていないのです。しかし、ローグは、あの当時は異端であっても、現代にも十分通用する、吃音臨床に対する哲学をもっていました。
 ローグは、吃音の問題はことばにあるのではなく、心の治療こそが必要だと言います。あの当時も、いろいろな治療法をするセラピストがいたでしょうが、何の役にも立たないと、ローグ自身はわかっていたのでしょう。だから他のセラピストとは違う異端のセラピストだとの評価がされていたのです。これは、当時としてすごいことです。

アイオワ学派の治療

 1930年代に、吃音に悩んで、吃音を研究したいと考えた人たちが、アイオワ大学に集結しました。チャールズ・ヴァン・ライパー、ウェンデル・ジョンソンらです。
 彼らは、従来の「わーたーしーはー」という不自然であってもどもらない話し方を身につける、吃音をコントロールするセラピーは、どもることへの不安や恐れをかえって大きくすると批判しました。吃音の問題は、吃音症状だけにあるのではないとの考え方です。
 ウェンデル・ジョンソンは言語関係図で、ライパーは吃音方程式を作り、吃音は症状だけの問題ではないと強調しました。
 この二人よりも明確に言ったのが、アメリカの著名な言語病理学者、ジョゼフ・G・シーアンです。吃音は、随伴症状を含めて周りから見えていて、本人も意識しているのは、氷山のごく一部で水面上の小さな部分だ。本当の吃音の問題は、水面下に大きく隠れている。それは吃音を避けたり、どもると惨めになったり、不安になったり、恐怖に思ったり、そういう感情の問題だとする、吃音氷山説を主張しました。
 1970年、シーアンは、この考え方を、アメリカ言語財団の冊子「To The Stutterer」で発表しました。その冊子を、内須川洸筑波大学名誉教授と一緒に翻訳して出版したのが、『人間とコミュニケーション―吃音者のために』(日本放送出版協会)です。
 私が自分の体験を通してずっと考えてきたことなので、うれしくて、シーアンに手紙を書きました。とても共感し合え、新しい著書も送っていただきました。シーアンよりも丁寧に整理すると、行動、思考、感情はこうなります。
 行動は、吃音を隠し、話すことから逃げ、いろいろな場面で消極的になっていくことです。
 ジョージ6世は、吃音を隠し、話すことから逃げて、すごく非社交的な生活をしました。王室は社交の世界で、社交が大事な公務であるのに、彼はすごく引っ込み思案で、王室としては困った存在でした。エリザベスと結婚することで、社交の場は広がったようですが、人前に出るのをとても嫌っていました。ヨーク公は、どもりを隠し、話すことから逃げ、できたら話さないでおきたかったのです。だから国王なんかになりたくないと逃げ続けました。これが行動です。
 思考は、「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」。「どもっている人間が王などになるべきではない」。「どもってするスピーチは失敗だ」などという考え方です。「どもってスピーチすると、国民はこんな情けない国王を持って、不幸せだと思うに違いない」という考え方です。
 感情は、どもることへの不安、スピーチすることへの不安、恐怖です。どもった後の恥ずかしい、みっともないと思う気持ち。どもることで相手に迷惑をかけたと思うなどの罪悪感です。
シーアンは、これこそが吃音の問題なのだと主張しました。それなのに、アメリカ言語病理学は、1970年のシーアンのこの提案を吃音にどう生かすか、全く考えずに放置してきた。やっと最近、吃音評価と臨床のために「CALMSモデル」という多次元モデルが、何か新しいことのように出されました。
 けれど、それよりもはるか前にシーアンが言った方が、吃音の本質をついて、シンプルで臨床に使いやすいモデルを提案していたのです。シーアンは、水面下に隠れた大きな部分が、吃音の問題だと言ったわけですが、1920年代のローグがすでに考え、実際にやっていたのです。
 ローグの孫が、ローグの日記やセラピーの記録を、脚本家のサイドラーに提供したことで、吃音治療の真実が語られることになりました。サイドラーは、アカデミー賞の脚本賞をもらいましたが、思春期までかなり吃音に悩んでいました。また、子どもの頃に、ジョージ6世のスピーチを実際に聴いています。自身の体験と照らして、セラピー記録をもとに、当時の吃音治療を詳細に調査して脚本を書いていますので、「英国王のスピーチ」に出てくる吃音の治療場面は、正確で間違いないだろうと思います。
 そう考えると、この映画が誕生したのはいろいろな要素がからみあった奇跡のような気がします。

吃音治療に関するローグの基本的な考え

 ローグの吃音治療の考え方が明らかになるシーンがあります。戴冠式の準備の時です。
 医者や言語聴覚士の免許もなくて、吃音や臨床の研修の経験もないことが、王室の調査機関で分かり、宮殿でローグはヨーク公から責められます。大司教から、セラピストを変えるように言われるからです。一向に治療効果がないことへのいらだちもあって、資格のない人間が、どうして吃音治療をしているのか、お前は詐欺師だと、ローグを責めます。その時に彼が反論したことが、彼の臨床を物語っています。
 「言語障害専門」と看板を掲げるローグのもとに、様々な言語障害に悩む人が相談に来ます。ベトナム戦争のあと、帰還戦士が戦争後遺症から、自殺をしたり、さまざまな精神障害に悩まされます。心的外傷後ストレス障害やトラウマのことばが一般に知られるようになりましたが、それより前の第一次世界大戦で、人を殺し、友人が知人が死んでいくのを目の当たりに見た兵士たちが、戦争が終わった後、しゃべれなくなります。そのような兵士のセラピーの体験を語ります。
 「私は医者ではないが、芝居はそれなりにやった。パブで詩を読み、学校で話し方も教えた。戦争になり、前線から戻る兵士の中に、戦争神経症でしゃべれない人間がいた。誰かが私に言った。「彼らを治してやれ」と。運動や療法も必要だが、心の治療こそが大切だ。彼らの叫びに誰も耳を傾けない。私の役目は、彼らに自信をもたせ、"友が聞いている"と力づけることだ。あなたの場合と似ているだろう」
 「見事な弁明だが、詐欺師だ」
 「戦争で多くの経験を私は積んだ。成功は山ほどある。経験はたくさんしている。ドクターと自分で言ったことはない。詐欺師だというなら、私を監禁しろ」
 このやりとりで、ジョージ6世は、ローグが自分の話をよく聞き、真剣に向き合ってくれたことを思い出します。資格がなくても自分にとってはローグが必要だ。大司教の推薦するセラピストを、「これは私個人の問題だ」と断固拒否し、改めてローグをセラピストとして選びます。本当の信頼関係が確立した瞬間です。再びセラピーが始まります。(つづく)

 次回は、次の項目で話が続きます。
人は何によって変わるか
ナラティヴ・アプローチの実際
兄と弟の劣等感の葛藤
ジョージ6世のスピーチの成功要因


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/07

映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み

英国王のスピーチDVD_0001 映画「英国王のスピーチ」を観た人の感想はさまざまです。そして、ジョージ6世が開戦のスピーチができたのは、言語聴覚士による言語訓練が成功したからだというふうにみる人が少なくありません。僕の見方は、それらとは全く違います。吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた僕の視点を通して、「英国王のスピーチ」を解説してみましょう。
 「スタタリング・ナウ」2012.3.20 NO.211 より、紹介します。


  
映画「英国王のスピーチ」に学ぶ、吃音の取り組み
                    日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


はじめに―当事者研究―

 映画『英国王のスピーチ』は、吃音の臨床に役立つ、大きな学びと教訓が詰まっています。
 主人公は、ジョージ5世の次男であるヨーク公、後のジョージ6世です。長男は社交性があり、流暢にしゃべり、聡明で国民にも人気があります。弟のヨーク公は、物心ついてから、どもらないでしゃべったことはないと本人が言うほどに、吃音に強い劣等感を持ち、悩んで生きてきました。
 この映画は、ローグというオーストラリア人の言語聴覚士と英国王の吃音治療の記録映画とも言えますが、社交的な長男と、引っ込み思案な次男の葛藤の話でもあります。
 国王は、クリスマスや、国にとって大事な時にスピーチするのが公務です。次男のヨーク公にも話さなければならない局面が出てきます。
 1925年の万国博覧会で、ヨーク公が挨拶で、「…」と、どもって言えません。
 「…」と息が漏れたり、間があったり、しゃべれない。そのスピーチを聞いている国民は、一斉に目をそらし、何が起こったのかと、怪誘な表情で顔を見合わせるところから、映画『英国王のスピーチ』がスタートします。
 この静岡キャンプに来る二週間前に、私たちの吃音ショートコースというワークショップがありました。テーマは「当事者研究」で、北海道の精神障害者のコミュニティ「べてるの家」の創設者で、ソーシャルワーカーの向谷地生良さんが講師として来て下さいました。べてるの家の実践は、精神医療の世界だけでなく、ひとつの社会的現象として様々な分野から注目されています。一人でする当事者研究もありますが、ひとりでは、堂々巡りになったり、ひとりよがりになる危険性があります。仲間や臨床家など、第三者と研究することが、より効果的です。
 小説でも映画でも、読者、観る人の数と同数の感想、受け止め方があります。王室に関心ある人、第二次世界大戦当時の歴史に関心ある人、家族のあり方に関心のある人で、「英国王のスピーチ」はさまざまな研究ができます。映画「英国王のスピーチ」で描かれたジョージ6世を、吃音に深く悩み、吃音に長年取り組んできた伊藤伸二という第三者の目を通して「研究」します。

  臨床家における対等性

ヨーク公を愛称「パーティ」と呼ぶ

 まず、セラピストとクライエントの関係です。
 ことばの教室の教師や言語聴覚士とどもる人、どもる子どもとの関係です。セラピーが成功した要因のひとつが、「対等性」です。
 私はこれまで、教育や、対人援助の仕事にかかわる人に、向き合う相手との「対等性」の重要性を言い続けてきました。特に、原因もわからず、治療法もない吃音は、一緒に悩み、試行錯誤を繰り返さざるを得ません。共に取り組むという意味で、対等性が何よりも重要です。
 ジョージ5世の次男、ヨーク公には、これまでにたくさんのセラピストが治療しますが、すべて失敗に終わります。そのために本人はあきらめ、もう吃音治療はしたくないと言います。しかし、妻のエリザベスはあきらめません。夫に内緒でいろいろと探し回り、新聞広告で見た「言語障害専門」という看板のある、ライオネル・ローグの治療室に来ます。
 「あらゆる医者がだめでした。本人は希望を失っています。人前で話す仕事なので、どうしても治したいのです」
 「それなら転職をしたらどうですか」
 「それは無理です。個人的なことは聞かずに治療してほしい、私のところに来てほしい」
 「だめです。私の治療室に通って下さい。治療に大切なのは、信頼と対等な立場です」
 エリザベスが、クライエントがヨーク公だと身分を明かしても、ローグはこれまでの態度を変えることなく、対等性にこだわります。ヨーク公と直接対面した時、ヨーク公が「ドクター」と呼ぶのを遮り、「ライオネル」と呼んでほしいと言い、ヨーク公を「殿下や公爵」ではなく、家族しか呼ばない愛称「パーティ」と呼ぶと宣言します。
 ヨーク公は、「対等だったらここに来ない、家族は誰も吃音を気にもとめない」と抵抗しますが、「私の城では私のルールに従っていただきます」と譲りません。イギリス人のセラピストなら、王室の人間に対等を主張することはありえません。オーストラリア人だからかもしれませんが、それにしても、あの時代としてはすごいことです。二人にとって、この対等な関係がとても大きな意味をもちました。

ナラティヴ・アプローチ

 対等の関係であることは、どんな臨床にも必要だと私は思いますが、それにいち早く気がついたのが、家族療法の分野です。家族療法の世界では近年、ナラティヴ・アプローチが注目を集めています。その中で言われるのが「対等性」です。なぜ対等性が言われるのでしょうか。
 ナラティヴとは、「物語」、「語り」の意味ですが、人はそれぞれ自分の物語を作ります。自分についての物語は、本人が誰よりも知っています。そのことへ敬意をもって、本人に教えてもらう、「無知」の姿勢を貫きます。ここに対等性が出てきます。
 本人が語る物語がネガティヴであれば、その物語に捉われて悩みます。ジョージ6世は、「どもりは劣ったもの、悪いもの、恥ずかしいもの」の物語を繰り返し語ります。その物語には伏線があります。弟はてんかんでした。その弟は世間から隠されて13歳でひっそりと亡くなります。弟の話は王室ではタブーです。その弟に優しかったのが、兄であるヨーク公です。
 彼はそこで、王室は自分の愛する弟を障害があるからといって隠すのだ、という物語に出会います。そして、王になるような人間は、吃音という言語障害をもっていては駄目だとする物語を強化していきます。
 世間一般も、同じように、どもる人間は王にふさわしくないという物語をもっています。自分が語る物語と、世間一般の物語によって、ヨーク公は、どもる人間は国王になるべきではないとの物語をもっています。ヨーク公は次男なので、長男が生きている限り、彼が国王になることはないのですが、吃音の国王は考えられないのです。
 この、自分を不幸にする物語に、新しい物語を、セラピストと一緒に作っていくのがナラティヴ・アプローチです。自分の否定的な物語の上に、肯定的な、自分がよりよく生きていくための物語を作っていく。「英国王のスピーチ」は、吃音治療の物語ではありますが、結果として、このナラティヴ・アプローチになっていたと私は思います。
 ヨーク公は、ヨーロッパ中から治療者を探し、治療を受け続けても結局改善しません。そして、賛否両論のある異端のセラピスト、ライオネル・ローグに出会うのです。
 ローグの献身的な、集中的な治療でも吃音は治りも、改善もしません。にもかかわらず、目標だった第二次世界大戦の国民に向けての開戦スピーチは成功するのです。吃音治療の結果ではなくて、ジョージ6世が自分の物語を変えていくことができた結果です。そのために「対等性」が意味をもちます。人に言えない悩みを話し、それに共感して聞いてくれる友達がいた。吃音に悩む人間にとって、治療者ではなく、友人が必要なのです。
 映画のラストに、ジョージ6世は、ローグを生涯の友として考えていたとあります。吃音が治れば、あるいはある程度改善されれば、それで治療者との関係が切れます。しかし、治らない、治せない吃音の場合は、この対等の友人であることが、何よりも必要だったのです。
 映画のエンディングにテロップが流れます。
 「1944年、ジョージ6世はローグに、騎士団の勲章の中で、君主個人への奉仕によって授与される唯一の、ロイヤル・ヴィクトリア勲章を授与した。戦時下のスピーチには毎回ローグが立ち会い、ジョージ6世は、侵略に対する抵抗運動のシンボルとなった。ローグとパーティは生涯にわたり、よき友であった」

セラピストも劣等感や弱点のある存在

 ローグがオロオロする場面があります。ヨーク公の時代、国王になる不安を爆発させ、ローグと決裂し、セラピーをやめてしまいます。その後、国王になってやはりローグが必要になり治療の再開を頼みに、妻が留守のはずの自宅に国王夫婦が尋ねた時です。その時、思いがけずにローグの妻が帰ってきます。妻に内緒でセラピーをしていたローグはあわてます。国王が、自分の家にいたら誰もが驚くでしょう。妻とエリザベスが出会ってしまい、話すのをドア越しに聞きながら、国王を紹介するタイミングでオロオロと困っているローグに「君は、随分臆病だな。さあ、行きたまえ」と、ドアを開けます。ジョージ6世はそこで初めて、ローグも、臆病な、気の弱い人間だと、自分に近いものを感じます。
 ローグが自分の弱さを見せたことで、ジョージ6世は、ピーンと背中を張ってドアを開けます。このシーンのコリンファースの演技は見事です。ここで、本当の意味で、対等を感じて信頼できたのだと思います。
 言語聴覚士の専門学校で講義をしていると、伊藤さんは吃音だからそんなことが言えるけれども、吃音の経験もない、経験の浅い人間にそんなことは言えないとよく言われます。人間、誰もが何がしかの挫折体験、喪失体験があります。受験の失敗、失恋、祖母の死などを経験して生きています。そのような誰もがもつ経験を十分に生きれば、吃音の経験のあるなしは関係がないと、学生には言います。弱いからこそ、劣等感があるからこそ、自覚してそれに向き合えば、セラピストとしていい仕事ができるだろうと思います。
 私は、死に直面する心臓病で二十日以上入院しました。そのつらい時に、活発で、はいはいと明るすぎる看護師さんよりも、「大丈夫?」とほほえんで声をかけてくれる優しい看護師さんの方にほっとしました。自分が弱って困っているときに、堂々と笑う豪快なカウンセラーに相談に行く気には私はなりません。
 自分には、大したことはできないけれども、せめてあなたの話だけはしっかり聴いて、一緒に泣くことならできそうかなあというような人のところに私は行きます。入院を三回経験した、弱った人間としては、そう思います。
 私は、福祉系の大学でソーシャルワーク演習を担当しています。そこでの対人援助者の講義や、教員の研修で、私はヘレン・ケラーとサリバンの話をよくします。
 奇跡とも言える教育が成功したのは、ヘレンがサリバン先生を信頼する前に、まずサリバン先生がヘレンを信頼したからです。ヘレンはきっと人間としてことばを獲得し、成長するという信頼があった。また、目も見えない耳も聴こえないで生きてきたヘレンへの尊敬があったと思います。
 ローグも、相手に対する尊敬と、この人はきっと変わる、いい国王になるという信頼があったから、それに応えてジョージ6世もローグを信頼したのです。変わるというのは、いわゆる一般的に思われているような「変わる」ではありません。吃音そのものではなく、彼の思考や行動や感情は変わると、信頼をもっていた。
 どもらずに堂々とスピーチすることが成功ではない。不安をもちながら、おどおどしながら、嫌だ嫌だと思いながら、そしてどもりながら、なんとかスピーチをやり遂げたことが成功です。

弱音を吐けること

 弱音を吐けることは、人間が生きていく上で大事なことだと思います。人に助けを求められる能力も大切です。「助けて」と言えるのは、自分の弱さを認めることでもあります。
 ヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。
 エリザベスが、ピーターパンの絵本を読んでいた時、「ピーターパンのように自由に飛んで行ける奴はいいなあ」と、ヨーク公が言ったあとで、娘二人からおとぎ話をせがまれます。そこで、ペンギンの真似をしますが、娘はさらに求めます。
 「では、ペンギンの話をしよう。魔女に魔法をかけられペンギンになったパパが、二人の姫に会うために、海を渡ってやっと宮殿にたどり着き、姫にキスをしてもらいました。姫にキスをしてもらって、ペンギンは何になりましたか?」
 娘に聞くと、娘たちはうれしそうに、「ハンサムな王子様!」と言います。すると、「アホウドリだよ」と言って、大きな翼を広げて、二人の姫をしっかりと抱きしめます。ペンギンのままでは愛する姫を抱けないが、大きな翼のあるアホウドリなら抱けるからです。
 このペンギンの話を娘に聞かせることで、自分の劣等感、惨めさを客観視して話したのだろうと思います。つい見逃しそうな場面ですが、自分の弱点とか愚かさを、ユーモア、自虐ネタのように使うのは、自分の弱さを認めていたからでしょう。
 また、戴冠式のニュース映像を家族で観ている時に、自分の映像が終わった後、ヒトラーが演説するシーンがでてきます。「この人、何を言っているの?」と聞く娘に、「何を言ってるか分からんが、演説はとてもうまそうだ」と言います。ヒットラーの演説はうまい、自分にはできないスピーチだと認める。これも大事なシーンだと思います。
 1936年12月12日、王位継承の評議会で、すごくどもってしゃべれませんでした。そしてその夜、もう自分は駄目だとエリザベスの胸で子どものように泣きじゃくります。クリスマス放送で不安がいっぱいになります。
 「クリスマスの放送が失敗に終わったら…。戴冠式の儀式…。こんなのは大きな間違いだ。私は王じゃない。海軍士官でしかない。国王なんかじゃない。すまない。情けないよ」
 「何を言うの…あなた…かわいそうに、私の大切な人。実はね、私があなたのプロポーズを二度も断ったのは、あなたを愛していなかったからじゃないの。王族の暮らしをするのが嫌で嫌で、がまんできなかったわ。あちこち訪問したり、公務をこなしたり、自分の生活なんかなくなってしまうから。でも、思ったの。ステキな吃音、幸せになれそうって」
 エリザベスは、どもりながら一所懸命話すヨーク公の姿に誠実さをみたのでしょう。あなたの吃音を聞いて、「Beautiful」と言う。そして、「素敵な吃音のこの人となら、私は幸せになれるかもしれないと思って結婚したのよ」と言う。とても素敵なシーンです。
 こういうふうに、自分の弱さを、妻にも娘にも、アホウドリという表現をしながら、自分なんか大した人間じゃないよと言う。家族に弱音を吐けるのはすごく大事なことです。
 人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。
 どもる子どもに対して、強くなれ、そんなことで逃げちゃだめ、泣いちゃだめ、と言うのではなくて、弱音が吐ける子どもに育ててほしい。困った時には困った、苦しい時には苦しい、助けてほしいと素直に言えるしなやかさが必要です。強くたくましく生きる必要はない。弱音を、家族にもセラピストにも話せたから、ローグとの臨床が成功したのだと思います。もしあの家族の、妻の、娘たちの支えがなかったら辛いです。そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/06

映画のもつ力

 小学2年生の秋から21歳まで、吃音を否定し、自分を否定していた僕を唯一救ってくれたのは、読書と映画でした。このことは、あちこちで書いたり話したりしています。その映画のもつ力について、「スタタリング・ナウ」2012.3.20 NO.211 の巻頭言で書いています。
 アカデミー賞を受賞した「英国王のスピーチ」は、心に残る映画になりました。第10回静岡親子わくわくキャンプのときに話したことをもとに特集したものです。

  
映画のもつ力
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 2011年10月22日、23日、第10回静岡県親子わくわくキャンプが行われた。
 10年前、静岡でも、どもる子どもと親のためのキャンプを開きたいから、協力してほしいと依頼を受けたときは、まさか、10年も続くとは思ってもいなかった。広い静岡県のあちこちから、ことばの教室の教師を中心にスタッフが集まる。仕事の延長の義務感でなく、どもる子どものためのキャンプをしたいからと集まってくる人たちだ。継続していくことに、頭が下がる。
 キャンプは午後から始まるが、午前中に、ことばの教室の教師、言語聴覚士などのスタッフの学習会を開くことが定例化している。キャンプ中、私は保護者への講演や懇談会が担当で、保護者と話す機会はあるが、スタッフである教師や言語聴覚士と話す機会がない。そこで、ことばの教室の教師、こども病院などの言語聴覚士のスタッフに吃音を正しく理解し、臨床の具体的方法も知ってもらいたいと思い、午前9時からの研修をお願いした。今年は40名ほどのスタッフが参加した。この講演会だけ聞いて下さる人もいる。
 昨年はことばのレッスンに絞り、からだをほぐし、日本語の発音発声の基本を説明し、童謡、唱歌を歌うなど、竹内敏晴さんから長年学んできたことを一緒に体験した。
 今年は映画「英国王のスピーチ」に学んで、吃音をどう理解し、吃音臨床や生き方にどう生かすかがテーマだった。「英国王のスピーチ」には、吃音臨床で大切なことがたくさん含まれていると、スタッフのひとりに話していたからだ。
 準備のために久しぶりにDVDを観て、改めて脚本家サイドラーの、吃音の当事者ならではの視点に敬服した。たくさんの資料を読み、調査した努力の跡がよくわかる。
 最初、英国王のスピーチだけをテーマに、2時間以上も、吃音の臨床に結びつけて話せるだろうか、無理かもしれないと思っていたのだが、話し始めると、どんどん広がっていき、時間が足りないくらいだった。話は、ジョージ6世の吃音当事者研究になった。
英国王のスピーチDVD_0001 当事者研究の基礎になる、ナラティヴ・アプローチの視点で話すと、あのジョージ6世の体験が読み解ける。認知行動療法をからめて話すと、今後の吃音臨床のあるべき姿が浮かびあがってきた。吃音臨床の記録映画だといえるくらいだ。
 ライオネル・ローグのジョージ6世への吃音セラピーは、もちろん、本人にはそのつもりはないが、いわゆる言語治療がほとんど役に立たなかった結果として、ナラティヴ・アプローチ、認知行動療法になっている。今回話をする中で、私の中で、確信がもてたのはおもしろかった。
 準備したのは、もう一度DVDを観て、気になった場面のセリフを少し書き留めることだけだった。話がどう展開していくか、予想がまったくつかない。すばらしい映画の力に身を委ねようと思った。事前にお願いしておいたので、ほとんどの人が、映画館かレンタルのビデオで観てくれている。だから、感想を聞いたり、質問したりしながら話をすすめていった。まさに、参加者みんなで事例研究をしているようで楽しかった。
 私は自分の講演や講義で、今日は良かったと満足できずに、あれを言い残した、これも言えなかったなどと反省することが多い。しかし、今回は話していて、気持ちよく、質疑応答のように話をすすめたせいか反応もよく、講演の後の感想もありがたいものだった。映画「英国王のスピーチ」がそうさせてくれたのだろう。
 仲間のテープ起こしでは、参加者の発言も多かったが、紙面の都合でカットした。映画「英国王のスピーチ」はレンタルショップでも好評だという。まだ観ていない人は是非観て欲しい。一度観た人も、この講演記録を読んで、こんな視点もあるのかと興味がもてたら、もう一度観ていただきたい。映画好きの私には、吃音に悩んだ思春期に私を救ってくれた、ジェームス・ディーンの「エデンの東」と同じくらい、大切な映画となった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/05

吃音親子サマーキャンプ、動画で見ることができます

荒神山 丘 今年、吃音親子サマーキャンプは、第34回目を迎えます。
 念願だった吃音親子サマーキャンプの紹介動画ができあがりました。
 紹介動画は、軽快な音楽とともに、吃音親子サマーキャンプのさまざまな場面が流れます。プログラムに沿って進むので、実際に参加しているような気分になるでしょう。
 参加しようかどうか迷っている人、参加したいけれど、どんなことをするのかちょっと不安に思っている人には、イメージしやすい内容になっています。また、これまでに参加した人には、懐かしさを感じていただけるかもしれません。
 ことばの教室担当者の方も、ぜひ、通ってきている子どもや保護者におすすめいただき、よかったらご自身もご参加ください。大歓迎です。

 今年の吃音親子サマーキャンプの案内要項と参加申込書がダウンロードできます。日本吃音臨床研究会のホームページのトップページ、ニュース&トピックスの、「第34回吃音親子サマーキャンプ開催します」をご覧ください。また、ご不明なことがありましたら、お気軽にお電話ください。(吃音ホットライン 072-820-8244)
 参加申し込み書が届き始め、いよいよ、夏本番。吃音親子サマーキャンプが近づいてきました。

吃音親子サマーキャンプの紹介動画
    https://youtu.be/7PIkR49YV3E

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/04

自分や吃音と向き合うことの大切さ 番外編

 いつの間にか7月に入りました。今年の半分が過ぎてしまったことになります。本当に早いですね。そして、あっという間に梅雨が終わり、この猛暑です。身体を労りながら、「吃音の夏」を楽しみたいと思います。
 前回で、渡邉美穂さんの実践発表が終わりました。ところが、「スタタリング・ナウ」2012.2.20 NO.210 には、おわりにの後に、もうひとつ章があります。
 僕は、これまで何度も、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会で、吃音の分科会のコーディネーターをしてきました。発表者が発表してよかったと思ってもらえるよう、しっかり発表原稿を読み、しっかり聞き、誠実に丁寧にコメントしてきたつもりです。
 今日、紹介する渡邉さんの「発表を終えて」にこめられた悔しさ、悲しさ、怒りは、どれほどのものだったか、僕にもよく似た経験があるので、分かります。その経験があったからこそ、それをバネにがんばれたとも言えますが。
 今年も各地でいろいろな研修会が開催されます。発表した人が一番得するよう、コーディネーターの役割は大きく、また、場を支える参加者のあり方も大切だなと思います。

  
自分や吃音と向き合うことの大切さ 番外編
         渡邉美穂(千葉市立あやめ台小学校ことばの教室)
発表を終えて

 9年前、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会(全難言協)大会で、同じ学校でことばの教室の担当を共にしていた高瀬景子さんと、どもる子どもたちのグループ学習や交流について実践報告をした。グループ学習や交流を始めたばかりで、迷いながら毎日数人の担当者同士でいろいろなことを話し合いながら行ってきた。吃音親子サマーキャンプに参加し始めた頃でもあり、いろいろな人との出会いを私たち自身も楽しいこと、嬉しいこととして捉え、子どもたちの出会いの場をことばの教室の中で工夫していこうと考えていた。
 9年前の発表も、開催地は北海道だった。『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)に高瀬さんが書いている、K君の変容について2人で熱く語った。しかし、コーディネーターが発表内容を批判的に捉えていた。自分の好きな電車についてどもりながらも話したいことを楽しそうに語るビデオのK君(6年生)の姿を見て、コーディネーターは、「こんなにどもっていて、ことばの教室を卒業させるの?今まで何をしてきたの!」と激しい口調で私たちにことばを投げかけてきた。私たちは、予期せぬことばに驚いた。そして、うまく説明できず、納得してもらうことができなかった。悔しかった。
 私たちが伝えたかったのは、どもる子どもたち同士の出会いや取り組みが、K君にとってよかったという事実だった。しかし、どもっている様子のことばかりを指摘して、K君が表情豊かに、大好きな電車について思いっきり語っていることには全くふれてくれなかった。でも、発表会が終わった時、私たちの発表を聞いていた参加者の何人かが感想や励ましのことばを書いたメモを渡しにきてくれた。「感想を言える雰囲気ではなかったので、一言よかったと言いたくて」このような内容がたくさん書かれていた。とても嬉しかった。そんな悲しい発表から9年たった。
 今度こそ、どもっているその様子だけに注目するような分科会の話し合いにだけはしたくないと思っていた。私の不安を打ち消すように、高瀬さんや、現在同じ学校の黒田明志さんが一緒に北海道に休暇をとって応援にきてくれた。また、分科会会場に伊藤伸二さんや島根県の宇野正一さんも来てくれた。私にとって何があっても助けてくれる心強い味方が前の方に席を陣取ってくれた。また、この提案をするために事務局といろいろと事前の連絡をとっていた。その方と北海道でやっと会えた時「私、9年前にあの分科会で提案を聞いていました。今回、北海道にリベンジに来たんですよね?」と驚くことばをかけてくれた。また「あの分科会の雰囲気は、その後の北海道の中でも話題だったんですよ。変な感じでしたよね」と言ってくれた。私たちの思いは、伝わっていたのだ。そして、その人が会場係として、そばにいてくれた。会場はアウェイではなく、ホームでの発表となり緊張しやすい私にとって、最高に話しやすい場となった。
 私の提案がどう受け取られるか不安だったが、子どもたちが自分や吃音と向き合っている事実を会場参加者もコーディネーターも理解してくれた。ある参加者は「『学習・どもりカルタ』を買って子どもたちと作っています。出来上がったらみせたいです」と言ってくれた。発売から一年、徐々にどもりカルタ仲間が増えてきている実感も得た。どもっても話したいことを話し、やりたいことを進んで行っている子どもたちに温かいことばもたくさんもらった。分科会は、楽しくて嬉しい時間となった。
 今回、全国大会で気持ちよく発表できたのは、この9年間の間にいろいろと学ぶことができたからだと思う。『吃音ワークブック』の出版に向けて合宿をし、夜通し吃音について語り合ったこと。「どもりカルタ」やいろいろなワークを通じて子どもたちが語ってくれたこと。どれも私にとって大事な時間となり、私の考えや思いを整理することができた。また、その意欲をかき立ててくれたのは、9年前の発表での悔しさからきたものかもしれない。どれも私にとって大事な通過点であったとやっと今思えるようになった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/07/03
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