伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2025年04月

「英国王のスピーチ」 アカデミー賞への道

英国王のスピーチDVD_0001 昨日、紹介した新聞記事に、僕の話をもとに記者が書いた文が載っていました。どもる人から見た「英国王のスピーチ」。いい作品だったと思います。アカデミー賞授賞式という華やかな場で飛び交う「吃音」ということば、心地よく響いていました。(「スタタリング・ナウ」2011.3.20 NO.199 より)

 
 「英国王のスピーチ」 アカデミー賞への道
                                伊藤伸二
試写会への招待
 2011年1月下旬、「英国王のスピーチ」の配給会社GAGAから、報道関係者の試写会に来て、コメントをしてほしいとの依頼があった。
 欧米ではすでに公開され、アカデミー賞の12部門にノミネートされている。また、国際吃音連盟に所属するグループでは絶賛され、大きな話題になっている。しかし、私は、これまで吃音をテーマにした映画には裏切られている。2000年、ベネチア映画祭で新人監督賞を受賞した「独立少年合唱団」もそうだ。欧米のグループが絶賛しても、考え方が違うので、同調できないかもしれない。期待はしつつも、不安を抱いての試写会だった。

2月4日、「英国王のスピーチ」の試写会
 配給会社の試写室では、新聞社、テレビ局などのマスコミ関係者15名ほどと、暗がりでメモをとりながら観ていた。吃音関係者として招かれた試写会は「独立少年合唱団」以来2回目だ。
 国王の父からスピーチができないことを激しく叱責され落ち込み、王位継承評議会のスピーチでどもり、その夜「私は王ではない」と泣き崩れる。
 あっという間の2時間だった。吃音に悩む人の心理や状況が見事に描かれている。映画そのものの完成度、吃音の視点からも、満足できるすばらしい映画だったことにまず、ほっとした。

新聞社の取材を受ける
 2月14日、GAGAの会議室で新聞社の取材を受けた。配給会社の人も同席し、3人で話は盛り上がった。同じ映画を観た人と映画について語り合ったのは初めての経験で、とても楽しかった。また、記者は、映画についてだけでなく、吃音についても的確に質問して下さり、私自身の吃音の悩みとそこからどうつきあい始めたか、吃音の治療の歴史や、映画に出てくる治療法などの解説をしていた。大阪教育大学出身だという配給会社の人が、楽しい吃音講義を受けているようだと言って下さった。この映画は、劣等感、劣等コンプレックス、家族の支え、人間としての誠実さ、スピーチセラピー、国王の座を投げ出した長男の心理分析など、さまざまな角度から話が膨らむ。とても豊かな世界をこの映画で話し合うことができる。取材というより、映画についての3人の語らいは、1時間30分を超えていた。一人で観て、「よかった」ではもったいない、たくさんの話し合いができると映画だと思った。

吃音の理解のために
 新聞社の取材を受ける当日、うれしい電話相談があった。ホームページを見て私の電話番号を知り、かけてくれた女子大生だ。就職試験の面接で困っている。その中で、親や友だちにいくら吃音の話をしても分かってもらえない。理解してもらうにはどうしたらいいかとの相談にもなった。その時、2月26日に公開されるこの映画を、家族や友だちと観ると、理解してくれるかもしれないよと話した。彼女は、この映画のことを知っていた。映画館の予告編で「英国王のスピーチ」を見て、必ず観に行こうと思い、インターネットでこの映画の検索をしていたところ、英国王のスピーチについて書いている私のブログを見つけ、そこから、日本吃音臨床研究会のページにたどり着き、そして、電話をしてきてくれたのだ。

キーワードは「対等」「誠実」
 2月21日、産経新聞の夕刊に私が取材を受けた内容が取り上げられた。「芸能エンタメ」の欄なので、もちろん、「英国王のスピーチ」の紹介なのだが、吃音に関する記事かと思うくらい、吃音を取り上げて下さっている。ありがたい紹介記事だ。おそらく、他の映画紹介記事とはかなり異質なものになっているだろう。長い時間私の話を聞いて下さり、単に映画の紹介ではない、吃音にかなり焦点をあてた記事になっている。その時に私が話したのが、「対等」「誠実」で、それを大きくタイトルにして紹介して下さった。

「英国王のスピーチ」日本公開の日
 2月26日(土)、この日、私は大阪産業創造館会議室にいた。岡本記念財団主催の「こころの健康セミナー」で、講獅の一人として100人ほどの前で講演をしていた。講演のタイトルは、「悩みの中から掴んだ、生きる力〜吃音は創造の病い」だ。冒頭、私は、「今日は、吃音のことが広く多くの人に理解してもらえる記念の日だ」と話し始めた。「英国王のスピーチ」の日本公開の日でもあったからだ。私の講演を聴きに来てくれていた、大阪スタタリングプロジェクトの仲間の多くは、そのまま、映画の上映館に向かった。大阪の人たちにとって、吃音デーだった。

吃音が世界に伝えられた日
 2月28日、アカデミー賞授賞式。
 私はかつて、映画少年、映画青年だった。1950年代から1960年代の洋画はほとんど観ている。吃音に深く悩んでいた時代、私にとって映画が唯一の友だった。映画好きの私も最近は忙しくなって、ほとんど映画館に行けなくなり、アカデミー賞にも関心がなくなりつつあった。そんな私の前に登場したのが、吃音をテーマにした「英国王のスピーチ」だった。アカデミー賞授賞式の中継を見るのも初めてだ。どきどきしながら見ていたが、ノミネートされた12部門のうち、まず賞をとったのが、脚本賞だった。

脚本賞 デヴィッド・サイドラー
 サイドラーは、ライターがスピーチするのは本当に恐ろしいことだと前置きし、父親が「君は、非常に年をとってから花が咲くだろうと常に言っていた」と話して会場を沸かせた。最高年齢受賞者だそうだ。スタッフへの感謝の後、もちろんユーモアだが、「私が投獄されないのは、エリザベス女王のおかげで感謝したい」と言った。セラピーのプロセスで、女王の父親、ジョージ6世に卑猥なことばを連発させるシーンがあったからだ。脚本家自身が吃音に悩んだ経験があったからこそ、吃音の苦悩を的確に表現していたのだ。だから、「吃音があり、吃音に悩んでもこのようなアカデミー賞受賞会場にまで来れた。アカデミーから吃音が評価された」とスピーチを締めくくった。

監督賞 トム・フーパー
 母親が、演劇版「英国王のスピーチ」の脚本朗読会に招かれ、帰宅するなり息子に「あなたの次の映画は、これにするべきよ」と電話があったそうだ。「母の言いつけを守ってよかった」とのエピソードを話した後、「吃音が、アガデミー賞の受賞会場という晴れの舞台に連れてきた」と話した。

主演男優賞 コリン・ファース
 受賞挨拶の冒頭、胸がどきどきしている表現を「ダンスをしているようだ」と、どもる人が晴れの舞台で挨拶することの緊張と喜びを表現していた。吃音ということばを使ったかどうかは聞き取れなかったが、どもる人が挨拶をしているような、緊張感が感じられた。
 そして、授賞式のトリ、作品賞にも選ばれた。
 胸をどきどきさせながら、授賞式の様子を見守った私は、主演男優賞、作品賞に「英国王のスピーチ」が決まったときには、思わず涙が出て、拍手をしていた。しかし、玄人ぶりたい映画評論家には、「英国王のスピーチ」はそれほど高く評価されていなかったようだ。
 アカデミー賞授賞式中継の2人の日本人ゲストである、映画ジャーナリストとプロデューサーが、監督賞と作品賞に「英国王のスピーチ」が選ばれたことが不満で残念でならないというような表現をした。二人は、「ソーシャル・ネットワーク」こそがアカデミー賞の監督賞・作品賞にふさわしいと思っていたようだ。ふたりのコメントはこうだ。
 『監督賞は、演出的な技術を問われるもので、作品が単にいいというだけではない。「英国王のスピーチ」は、平板な演出で、まさか監督賞はないと思っていたので、がっかりだ』
 『「英国王のスピーチ」を観た後、周りの人との会話は弾まなかったが、「ソーシャル・ネットワーク」はすごく会話が盛り上がった。保守的で淡泊なアカデミー賞であり、「作品賞」ではなく「大衆賞」のようだ。みんなが選んだ感じだ。映画関係の人が選んでいるのだから、作っている映画の裏側、演技の内容をもっと見極めて選んでほしい』

英国王のスピーチDVD_0002吃音が早口に圧勝
 翌日の朝日新聞は、「英国王のスピーチ」が選ばれたことをこう表現した。
 『一騎打ちとなった「ソーシャル・ネットワーク」は、脚本は通常の何倍もあり、機関銃のごとくしゃべりまくる。対照的なこの2本だが、似た部分もある。いずれも実在の人物の体験を元に、本人たちが触れられたくない「負」の部分をも堂々と描き切っている』
 中東情勢が緊迫し、とても不安定な、大変な時代だからこそ、奇をてらうわけでも、技術的でもなく、ただ「人間の弱さと、誠実さ」が際立つ映画が選ばれたことがうれしい。もちろん、吃音が正しく、まっとうに描かれていたからだが。
 アカデミー賞の授賞式という、吃音とは対局にあるような華やかな舞台で、吃音ということばを何度も聞くことができるのは、おそらく、最初で最後のことだろう。吃音が世界に認知され、今後語り続けられていくだろう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/30

英国王のスピーチ〜新聞記事より〜  キーワードは「対等」「誠実」

 アカデミー賞を授賞した映画「英国王のスピーチ」に関して、多くの新聞が取り上げていました。その中から2紙、紹介します。1紙の産経新聞では、僕が試写会後にインタビューを受けたものを参考に書かれています。もう1紙は、朝日新聞です。(「スタタリング・ナウ」2011.3.20 NO.199)

産経新聞 平成23年(2011年)2月21日月曜日 
  キーワードは「対等」「誠実」


英国王のスピーチ新聞_0001 今年のアカデミー賞で最多12部門にノミネートされた映画「英国王のスピーチ」(トム・フーパー監督)が公開される。吃音に悩む英国王ジョージ6世(コリン・ファース)がスピーチ矯正の専門家、ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)の助けで、真の王になるまでを綴る実話に基づいたドラマ。日本吃音臨床研究会会長で、大阪教育大学非常勤講師の伊藤伸二さんは「この映画は多くの人たちに勇気を与えると思います」と話した。(橋本奈実)

映画「英国王のスピーチ」
「吃音」自分に置き換え考えよう

 伊藤さん自身も幼いころから吃音に悩み、東京の矯正学校に通った。主人公がライオネルと出会うまでに行っていた治療法も経験。度胸をつけるため、授業で山の手線の車内で演説練習をしたことも。が、懸命な努力の末、「吃音を"克服"するのではなく、うまく"付き合う"」という考え方にシフトチェンジして光明が見えたという。
 そんな自身の経験から得たキーワードが、この映画には多く含まれているとも話す。
 まず「対等」。英国王に対して、矯正の専門家は対等な立場を望む。王と一般人というだけではなく、教師と生徒が同じ目線に立つことを意味する。
 「上の立場からのアドバイスではなく、一緒に悩み、苦しみ、歩んでくれることが大事なんです」
 それは家族も同様。映画でも夫のために必死で専門家を探すなど献身的に尽くす妻や、父を愛する娘たちが描かれている。
 そして「誠実」であること。ジョージ6世はスピーチが苦手でも、自分の立場から決して逃げない。「たとえ言葉に詰まっても、誠実な思いは必ず伝わる。相手の反応を恐れて言いたいことを言わずにいる方が、他人にも自分にも不誠実と気付いてほしい」と話す。
 伊藤さんによると、世界の人口の約1%が、吃音だという。公言している著名人も多く、作中、その中の1人は印象的に登場する。
 「英国王のことは知りませんでしたが、その登場人物が吃音であることは知っていたので、どんな風に出てくるのか、楽しみにしていました。とても好きな場面です」
 作品のテーマは吃音ではあるが、誰もが自分に置き換えられるとも。「だって弱点や劣等感を持たない人はいないでしょう? 自身はそれを個性のひとつととらえて付き合っていく勇気を、周囲はそのままでいいんだよ、と受け入れる愛情を持ってほしい」
 26日から、TOHOシネマズ梅田ほかで公開。

☆映画「英国王のスピーチ」について語る伊藤伸二さん
伊藤伸二(いとう・しんじ)昭和19年奈良県生まれ。明治大学文学部、政治経済学部卒業。在学中に成人吃音者のセルフヘルプ・グループを設立。第1回吃音問題研究国際大会を大会会長として運営し、現40力国以上が加盟する国際吃音連盟の礎を作る。大阪教育大学特殊教育特別専攻科(言語障害児教育)を修了し、同大学専任講師を経て非常勤講師に。平成6年、日本吃音臨床研究会を設立。吃音親子サマーキャンプや相談会、専門雑誌発行などを行っている。


朝日新聞 2011年3月9日
  吃音 正面から真剣に

米アカデミー賞 4部門獲得「英国王のスピーチ」

英国王のスピーチ新聞_0002 先月発表された米アカデミー賞で、作品賞など主要4部門を獲得した「英国王のスピーチ」が公開中だ。吃音を克服していく英国王ジョージ6世の実話を、ケレンを排して丁寧に追った作品。主演男優賞のコリン・ファースと監督賞のトム・フーパーに、受賞前に開かれたベルリン映画祭で話を聞いた。(石飛徳樹)

主演ファース、監督フーパーに聞く
 ファース演じるジョージ6世は英国王の次男だが、吃音のために人前で話すことを苦手としていた。ある時、兄エドワード8世が恋のために王室を去り、ジョージに王位が回ってくる。彼は風変わりなセラピスト(ジェフリー・ラッシュ)に付いて吃音を治そうとするが、一朝一夕には行かない。その頃英国はナチスとの対立が決定的になりつつあった……。
 ファースは吃音の練習に約3週間かけたという。「これがなかなか本当らしく出来ない。誰かにレッスンを受けたりはしなかったが、吃音を理解するにあたって、脚本を書いたデビッド・サイドラーのアドバイスは参考になった。彼は自分自身が吃音で悩んだ経験があったんです」
 名優の中には、人前で話すことへの苦手意識を克服するため、演技の学校に通い始めた経験を持つ人が少なくない。「実は、私もかなり苦手です。インタビューに答える形ならいいけれど、一人でスピーチをするとなると、なかなか勇気が要る。しかし、これは誰もが感じることでしょう。お葬式に参列してスピーチをしなくてはいけないのなら、ひつぎに入っていた方がましだと考える人もいるらしいですからね」
 吃音というのはしばしば滑稽に描かれる。しかし、ファースの演技からは、それはかけらも感じられない。
 「滑稽に映るのは、ものごとを誤ってとらえているからです。つまり演技が下手だということ。私は吃音をやりすぎていないか、重苦しくなりすぎていないか、ということに気を使いました。かといって彼のつらさが十分伝わらないと意味がありませんし」
 フーパー監督もこう話す。
 「不思議なことに、吃音は笑われがちです。そのため、喜劇によく登場するけれど、正面から真剣に吃音を取り上げた作品はなかった。他人とのコミュニケーションについては誰もがある種の恐れを抱いている。だからこそ、コミュニケーションをうまく出来ない男の話が観客の心を打つのだと思います」


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/29

英国王のスピーチ〜81歳の誕生日に〜

81歳誕生日 今日は、4月28日。僕の81歳の誕生日です。よくぞここまで生きてきたというのが実感です。根拠なく63歳で「野垂れ死に」するという予測をはるかに超えて、今まで生きてきました。吃音に悩み、勉強もせず、逃げてばかりの生活をしていた僕が、今こうして、吃音とともに豊かに生きていることは、本当に奇跡のようです。大勢の人に助けられ、支えられて、ここまできました。本人の予想しない偶然のあまりにも幸運な出来事のおかげで、自分のもつ能力以上のことが実現してきたように思います。改めて、多くの皆様に心より感謝します。
 
 3月のはじめ、今年のアカデミー賞授賞式の様子をテレビで見ていました。子どもの頃から映画が大好きで、それも洋画が大好きだった僕にとって、あのアカデミー賞授賞式の独特の雰囲気はなんともいえず、心が躍る時間です。
 14年前のアカデミー賞授賞式、いつもよりずっとわくわくしながらテレビの前にいたことを思い出します。「英国王のスピーチ」が作品賞に輝いた瞬間、思わず大きな拍手をしていました。今日は、映画「英国王のスピーチ」の特集です。
 どもる人を主人公にした映画を作りたいという夢は、難しそうですが、この「英国王のスピーチ」がその代わりをしてくれそうです。「スタタリング・ナウ」2011.3.20 NO.199 より、まず巻頭言を紹介します。

  
英国王のスピーチ
                       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 どもる人を主人公にした、劇場映画をつくりたい。これは私の長年の夢だった。
 1965年、どもる人のセルフヘルプグループを設立するまでは、勉強も遊びもせず、将来への希望も夢もまったくもてなかった。小・中・高校時代で楽しい思い出は何ひとつない。私は、どもりと共に暗黒の学童期・思春期を送ったのだった。
 どもりを治すことを諦め、共に生きる覚悟を決めてから、私の人生は一変した。セルフヘルプグループの活動は、完全に抜け落ちていた学童期・思春期のやり直しだった。夢がないのがつらかった私は、「そんなこと、実現できるはずがない」と言われるたくさんの夢を仲間に話した。
  ・自分たちの自前の事務所をつくる
  ・会を日本全国各地につくっていく
  ・吃音の専門雑誌をつくる
  ・全国各地を巡回して相談会を開く
  ・世界で初めての世界大会を開催する
  ・吃音を生きる主人公の劇場映画をつくる
 会の創立当初、このような夢を語る私に、百にひとつしか本当のことを言わない「百一」や「大風呂敷」のあだ名がついた。これくらいのことをしないと、私の失った学童期・思春期をを取り戻せなかったのだ。世界大会の開催などは、誰ひとりまともには取り合ってくれなかったほどだ。
 しかし、これらの夢は、「劇場映画」だけを残して、すべてが実現している。
 吃音克服劇ではなく、吃音に悩みながら、仲間とともに誠実に生きる人を主人公にした映画。シナリオは、「若者たち」の脚本家で親しくしていただいていた山内久さんに具体的にお願いもしていた。監督は羽仁進さんにお願いしようと構想を立てていた。しかし、タイミングがあわずに、立ち切れになったまま、長い年月が過ぎた。この夢だけは、私はあきらめなくてはならないのか。
 「英国王のスピーチ」を配給会社の試写室で報道関係者15名ほどと観たとき、私は泣かなかった。普段私は、映画や小説を読んで、人目をはばからず泣く方だ。ジェームス・ディーンの「エデンの東」は30回ほど観たが、同じシーンで必ず泣いてしまう。「英国王のスピーチ」に心動かなかったわけではない。報道関係者用の試写会で、吃音関係者として適切なコメントをしなければならない、ひとつのシーンも見逃さないぞと集中していたからだろう。
 私の関心は、スピーチセラピストの言語訓練によって、英国王ジョージ6世の吃音が改善して感動的なスピーチをするような克服劇だったら、嫌だなあという一点にあった。期待と不安が交差していた。前評判は高く、アカデミー賞12部門にノミネートされている。前評判がいいのは、ハリウッド映画好みのサクセスストーリーになっているからではないかとの危惧もあった。
 しかし、映画は、ひとりではとてもできないスピーチをスピーチセラピストの援助でかろうじてやり遂げたという内容だった。試写会で観たときは、まずそのことにほっとした。変な映画ではなかった。これなら、吃音に関係する人々に紹介できる、そのことがまずうれしかった。
 2回目は、いつもの映画を観るときのリラックスした状態で、やはり何度か泣いた。映像の流れるままに身を任せた。試写会での批評家としての視点ではなく、ジョージ6世と同じように吃音に強い劣等感を持ち、かつて吃音に深く悩んできたひとりの人間として映画の中にいたからだ。
 冒頭の場面、マイクを前にして声が出ない。多くの国民が聞いているが、誰に話しかけるかという直接的な相手ではなく、ただ目に見えない存在に対して語りかけることは恐怖だ。私は、小学校5年生のとき、いたずらやからかいで無理矢理生徒会長への立候補のあいさつをさせられた。忘れていたあの光景が、ぼんやりと思い出された。
 「英国王のスピーチ」は、私の企画した映画よりスケールが大きい。私がつくる必要がなくなった。この映画を、私たちがつくったものととらえ、広く紹介し、多くの人と語り合おうと決めた。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/28

〈第9回静岡県親子わくわくキャンプ2010.10.30〜31〉どもりについて、みんなで語ろう 2

 昨日の続きです。解放出版社から出した『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』を子どもたちと読み合わせていく時間は、盛り上がりました。ひとつひとつ読むたびに、歓声があがり、子どもたちが自分の経験を語り始めます。それに反応すると、どんどん広がります。吃音を学ぶ時間は、先生が予め本を読んでおいて、それを子どもに教えるのではなく、子どもの経験を聞きながら、一緒に学んでいく時間です。それができるのも、吃音のもつ力といえるでしょう。

<第9回静岡県親子わくわくキャンプ2010.10.30〜31>
  どもりについて、みんなで語ろう」 2


  吃音を治す方法
(『吃音ワークブック』を手渡され、それを、みんなの前の机の上に置く)
伊藤 はい、じゃあ今から、みんなに教えるよ。治すのにどんな方法があるかな。まず一つ目、〈不自然であっても極端にゆっくり話す〉。『みーなーさーんー、こーんーにーちーはー、おーはーよーごーざーいーまーすー。』こんな方法をやりたい人?
子ども はい。(一人だけ挙手)
子どもたち はははは。
伊藤 ちょっと、みんなでやってみようか。
子どもたち いやだよ。
伊藤 僕もこんな方法いややな。次は、〈語頭を長く引き延ばして発音する〉『わーたしはね、おーーかあさん』
子ども いやいやいやいや、絶対そんなんいやや。
伊藤 ときどきゆっくり言うのはいいのか。『みーなーさーんー』。
子どもたち はははは。
伊藤 食堂で、『てーんーどーんーくーだーさーいー』。
子ども 壊れてるみたい。
子ども 最初の方に言ったこと、忘れちゃうよ。
伊藤 相手が忘れるよね。それやったら、「こここコーヒー下さい」の方が、「コーヒーをーくーだーさーいー」よりいいやろ。次、いくぞ。
〈呼吸に問題があるので、呼吸練習をする〉これ言ったね。インターネットに載ってるけれど、これはダメだよ。
子ども じゃあ、何でその本に載ってるの。
伊藤 これは、これまでアメリカやヨーロッパなど世界中で、どんな治す方法が考えられてきたかということを書いている。
子ども えー、世界中、すごーい。
伊藤 次。〈舌の手術をする〉。
子どもたち えー。やだー。そんなの。(口々に)
伊藤 舌きり雀みたいに、ちょんとやれば?
子ども えー。こわーい。聞いただけで、寿命が縮む。
伊藤 〈電気ショックを与える〉
子どもたち うわーっ。えー。(大騒ぎ)
伊藤 (動作をつけながら)ダン!
子ども うわーっ。やだ。どもってる方がいい。
伊藤 次、〈催眠術をかける〉
子ども えーっ。そんなことで治るのなら、誰でもやってるよ。
伊藤 催眠術で、「あなたはどもりが治る、あなたはどもりが治る。もうどもらない、どもらない」とやるんや。
子ども そんなことやって治るのなら、みんなやってるはずだよ。
伊藤 はい次。<もう治った、もうどもらないと自分で言い聞かせる〉
子ども そんなの僕やったよ。でも効果ない。
伊藤 やったこと、あるの?
子ども やったことあるけど。効果ない。
子ども 「もうどもらない」というそのことば自体をどもってしまうから。
伊藤 「もう僕はどもらない」ということば自体にどもるわけだ。
子ども うん、どもっちゃう。
伊藤 ことばに出さなくて、自分の心の中で言ったらいい。
子ども それもやったけど、効果ない。
伊藤 〈飲み薬を飲む〉。
子どもたち えーっ。
伊藤 どもりを治す薬があって…
子ども それ、飲みたい。
子ども そんなのあったら、みんな治ってるよ。
伊藤 あったら、治ってるよね。
子ども 不思議なものだね。
子ども 人生は分からない。
伊藤 次。〈メトロノームに合わせて発音練習をする〉。
子ども 何、それ。でも、電気ショックよりましじゃん。
子ども 僕たち、人間なんだから、人間らしくどもろうよ。
伊藤 〈不安や恐れていることを恐くないとイメージトレーニングする〉。
子ども そんなん効果ないよ。
伊藤 〈断食する〉。
子ども それ、どういうこと?
伊藤 ご飯を食べないんだよ。
子ども えーっ。そんなん人生、終わるよ。
伊藤 〈おまじないやお祈りをする〉。
子ども なんだ、それ。やったけど、効果なし。
伊藤 どこでやったの?
子ども 神社で。
伊藤 神社で、「どもりが治りますように、どもりが治りますように」とお願いしたのか。
子ども 効果ない。
伊藤 それで治るなら、とっくの昔にみんな治ってるよな。
子ども うん。
伊藤 〈早ロことばの練習をする〉。
子ども 早口ことばだとどもっちゃう。何回やってもどもって言えない。
伊藤 早口ことばなんてしたらあかんで。次、〈はっきり発音をする練習する〉。
子ども まあ、ちょっとは、いいかも。
伊藤 よこやまだったら、よ・こ・や・まと言う。
子ども さっきと同じじゃん。
伊藤 〈気持ちを強くする〉精神力をきたえる。
子ども そんなことで治るのなら、みんなもう治ってるはずだよ。
伊藤 〈斉読法〉って知ってるか?
子ども 知らん。
伊藤 一緒に読んだらどもらないこと、ない?
子ども ああ、ある。
子ども 僕は、なんか効果あった。
伊藤 だから、効果があったのは、一緒に読んでくれる人がいたときで、それはずっと続かない。
子どもたち そうだ。そうだ。
子ども 僕、前、一人で朗読をすることになって、みんながリズムを合わせて、一緒に読んでくれるような感じにしたら、なんとかできた。
伊藤 そういう場面場面で一緒に読んでくれたりすることで、うまく読めることはあるけれど、それでどもりが治るということはない。
子ども そう。治らない。
伊藤 だから、これだけたくさん、アメリカでもフランスでもドイツでも、世界中で考えてきたけど、治りませんよということが言いたかった。これ、伊藤伸二の本なんやで。
子ども えっ、ほんとだ、ほんとだ。どおりで、変だと思ったんだよ。
子ども この本、家にあった。
子ども これは、世界中で考えたの。それを先生が書いたんだね。
伊藤 そう、世界中で考えたことはこれだけある。けれども、これだけ使っても全然治らなかったということが言いたいかったんや。
子ども ということは、舌の手術も本当にあったの?
伊藤 今でもやってるんだよ、アフリカで。
子ども えーっ。そんなあほな。
伊藤 電気ショックは、インドでやっているんだ。
子どもたち えーっ。
伊藤 インドの人が言ってんだけど、電気ショックでやったら、病気になったって。
子ども どもってた方がましじゃん。
子ども どもりって、癖だよ。
伊藤 どもりは、手術しても治らない。薬もない。今、どもりは癖だと言った子がいた。病気だと書いている子もいた。「よくしゃべれないとき、病気でしょと言われます」って。病気でしょと言われたとき、どうするの。
子ども 病気ではない。癖かもしれないし、違うかもしれない。
子ども 病気だったら、治るでしょ。でも、治らない病気もあるけど。
子ども うん、癌。脳卒中。
伊藤 治る病気もあるし、治らない病気もあるね。病気だという人もいるし、癖だという人もいるし、後、どんな言い方がある?
子ども 障害。アレルギー。
伊藤 アレルギー? いいねえ。
子ども よくない、よくない。
伊藤 なんで。
子ども アレルギーになったことない。
伊藤 アレルギーになったら、治らないやろ。
子ども 治らん。
子ども 僕の友だちが、アレルギー、治ったと言ってたよ。
伊藤 そうか。でも、ことばのアレルギーや。勝手に言ったらいいわけよ。病気でも、癖でも、障害と言ってもいいし。だって、僕の中にどもり菌が入って、
子ども 先生の本の中にどもり菌のこと、書いてあった。
伊藤 ははは。どもり菌が入って、僕をどもらせる。原因は全然分かっていないから、病気と言っても障害と言っても、癖でも個性、特徴でもいい。
子ども めっちゃ、多いやんか。
伊藤 これが、僕のしゃべり方の特徴や。なんか文句あるか。自分で好きなのを選べばいい。たくさんあるやろ、ええやろ。友だちが病気やと言ったら、そうや、これ、僕の病気なんやと言ったらいい。そうだよ、病気だよ。だから、からかったり、笑わないでやさしくしてくれよ、と言えばいい。これは、いいのかな。連発と難発も治せません。誰も治せません。皆さんは、これから、どもりながら生きていくのです。OK?
子どもたち (くちぐちに)OK。
子ども ノーノー。
伊藤 原因が分からん。電気ショックや舌を切るとか、いっぱいしたけど、治っていない。となると、治せないんや。治せないと分かったらどうする? 仕方がないと思わないかい? 
子ども 思う。仕方ない。
伊藤 それでもどうしても治したいと、100年も世界の吃音研究者が一生懸命やったんだけど、治せなかった。治らなかった。僕もいまだにどもっている。だから、どもりは治らないのに、治療法がないのに、治したいと言われても無理だろう。
子どもたち うん。うん。
伊藤 無理だよね。今のところまで、分かって、それでも、僕は治すという人、手を挙げて。
(誰も手を挙げない)
伊藤 いないのか。君たちは、えらい。だからもう、あきらめなさい。
子ども 将来、気楽に生きていく。
伊藤 どもっていても、落語、アナウンサー、映画俳優になったり、いっぱいおるのよ。
子ども 先生もいる。
伊藤 この本に、たくさん、どもりの有名人を書いた。ものすごい数、いるけどここに書いたのは、36人だけど。
子ども 伊藤先生も。
伊藤 僕なんか、有名人じゃないじゃん。ブルース・ウィリスって知ってるかい。
子ども あーっ。知らない、知らない。
伊藤 ダイハードっていうものすごくヒットした映画があって、ハリウッドの映画スター。その人はどもりなんだよ。
子ども えっ、マジ?
伊藤 マジだよ。それとか、みんな知らないだろうけど、マリリンモンローという女優も。
子ども そんなん、うそっ。
伊藤 マリリンモンローなんて、知ってるのか、知らないくせに、もういいかげんな反応するな。
子ども なんとなく、知ってる。
伊藤 昔の昔の人やで。
子ども そうそう。すっごく昔の人。
伊藤 それとか、首相に2人もいる。
子どもたち えっ、本当。
伊藤 日本の首相田中角栄は、子どものときからすごいどもりで、何かをしたとき、「おまえだろ!」と言われて、「…」と言えなくて、先生に殴られた。イギリスのチャーチルという首相もそう。たくさんどもりの人が、どもっていても、いろんな仕事に就いている。みんな、こういう仕事に就きたいということ、あるの?
子ども 水泳選手。
伊藤 水泳選手は、どもっていても泳げるわな。
子ども 海洋生物学者。
伊藤 すごい。学者にはなれる。学者にはどもりいっぱいいる。
子ども えっ、そうなん。
伊藤 江崎玲於奈という物理学でノーベル賞をもらった人もそう。もっとほかに何になりたい。
子ども サッカー選手。
伊藤 できるな。
子ども 車の開発チーム。
伊藤 いいね。研究者とか、開発者とか、そういう創造的な仕事に就いている人は、どもる人にいっぱいいる。僕の親しい人に桂文福という落語家がいるんだけど、どもるんやで。高座といって、お客さんがいて、落語をするところだけど、そこで、どもってる。どもりながら、落語をしている。話すことの多い仕事をしている人も多い。学校の先生にも、どもる人はいっぱいいる。どもる先生が困ることはどんなことか、分かる?
子ども 分からない。
伊藤 卒業式。
子どもたち あー。えー。
伊藤 君らも名前が言えない。卒業式のときに、言いにくい名前の子がいたときに、困るやろ。
子ども もしかして、校長先生がどもりだったら、やばい。
伊藤 校長先生でどもる人いっぱいいる。僕の親友も養護学校の校長やで。僕のところに、相談があったんだけど、どもるから、卒業式のある6年生を担当するのが嫌だった先生がいる。子どもに教えているときは、あんまりどもらないけど、卒業式のしーんとした中で、言いにくい名前の子がいる。どうしても言いにくい子がいて、どうしましょうという相談がよくある。そんな相談があったら、どうする?
子ども はー。すみませんと言う。
伊藤 名前を間違って、すみませんでは、あかんやろ。
子ども 言いにくい子は、パス。
伊藤 飛ばされたら子どもが嫌やろう。
子ども 教頭先生に任せる。
伊藤 今、いいこと言ったね。教頭先生に任せる。そういうふうにした先生が実際にいるよ。
子ども あっ、それ、便利、便利。
伊藤 みんながひょっとしたら就けないんじゃないかなと思っている仕事にたくさんの人が就いている。「合点していただけまでしょうか」。
子どもたち 合点、合点。合点、合点

  ともだちをつくる
伊藤 次、みんなから出された質問でたくさんあったのが「お友だちをたくさん作るにはどうしたらいいですか。友だちがあまりいないのだけど、どうしたらいいですか」。はい、この中で、友だちがいっぱいいる人?
子どもたち はーい。はーい。
伊藤 ああ、そう。あまりいない人は? 
子ども はい。2,3人でいい。
伊藤 あまりいないことに対して、どう思ってる?
子ども 平気。どうせ、高校に行ったりしたら、今までいた友だちも少なくなる。
伊藤 おもしろいこと言うね。どうせ別れる、か。彼が言ったように、2,3人でいいじゃん。何もたくさん友だちがいる必要はない。友だちがいなくて困っている人、手を挙げて。困っているなら、そのことを考えよう。どうしたら、友だちができるか。何かみんないいアイデアはないか?
子ども その子の好きそうな遊びをする。
子ども 友だちがいないという経験をしたことがなくて。みんなで遊んだりつき合ったりして、みんなが友だちという感じ。
伊藤 それはいいね。でも、彼が困っているから、何かいいアイデアはないかな?こうしたらいいのんじゃないというのはない?
子ども 話しかければいい。
伊藤 話しかけなきゃどうにもならんね。
子ども 一緒に帰る。
伊藤 話しかけるときに、どんなことを話しかけるんや。
子ども 挨拶。
子ども 放課後、一緒に遊ぼうとか。
伊藤 自分から声をかけないと友だちはできないな。向こうから声をかけてくれるのを待ってたらなかなかできないよな。で、声をかけるときにどもるから嫌なんだよな。
子ども だけど、どもることを分かってくれる人と友だちになったらいい。
伊藤 いいね。どもりを分かってくれる人とか、どもっても笑わない人に話しかけたらいいわけだ。笑うような、くだらない人間とはつき合わなかったらいい。みんなと友だちになろうというのは、無理だね。ちょっと難しいか、友だちにしゃべりかけるのは。今、何年生?
子ども 一年生。
伊藤 一年生か。友だちは、ひとりもいない?
子ども ひとりはいる。
伊藤 いいね。ひとりはいるって、いいね。そのお友だちとどうしているときがおもしろい?子ども 遊んでいるとき。
伊藤 その子となら、一緒に遊べるんだね。二人で遊んでいるとき、誰か来ない?
子ども 来るときもある。
伊藤 来るときもあれば、来ないときもある。二人で遊んでいたら、それでおもしろいんだね。じゃ、ひとりいるわけだ。それでもういいよね。
子ども うん、ひとりいたらいいよ。
子ども ひとりの方がいいよ。
伊藤 ひとりの方がいいと言っている人がいる。
子ども そうそう。
子ども でも、いい友だちなら、何人いても困らない。
伊藤 そりゃ、困らないよね。
子ども それはそうだね。
伊藤 みんなはどういう人間だったら、友だちになりたいと思う?
子ども どもりを分かってくれる人。
子ども どもっている人と友だちになったらいい。
伊藤 同じようにどもっている人と友だちになったらいいということやね。それは分かったけど、僕が聞きたいのは、みんながどういう人間になったら、相手が好きになってくれるかな、ということ。言ってること、分かる?自分がどういう人間だったら、相手が好きになってくれるか、友だちになってくれるか、考えたらいいね。
 1時間たったよ。もう終わりでいいかな。お友だちのことは、それでいいのかな。ひとつには、友だちはたくさん必要ない。ひとりでもふたりでもいたらそれでいい。そう考えよう。はい、終わりにします。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/27

〈第9回静岡県親子わくわくキャンプ2010.10.30〜31〉どもりについて、みんなで語ろう

 第9回静岡県親子わくわくキャンプでの、僕と子どもたちとの話し合いの様子を紹介します。
子どもたちは、全員で18人。話はあちこち飛びますが、子どもたちはみんな、集中していました。深刻な悩みの相談ではなく、なんとも楽しそうで、自由で、弾んだ話になりました。僕は、この子どもたちの輪の中にいることが幸せでした。今、読み返しても、あのときの様子がありありと思い浮かびます。そして、5、6人の子どものことは、なぜか鮮明に覚えています。いい思い出となりました。僕の33年間続けている吃音親子サマーキャンプは、学年ごとに小さなグループに分かれて話し合います。なので、このような大人数と僕ひとりで向き合うのは初めての経験でしたが、なんとかなるものだと思います。それもみんな、子どもの語る力だと思うのです。(「スタタリング・ナウ」 2011.2.20 NO.198 より)

<第9回静岡県親子わくわくキャンプ2010.10.30〜31>
  どもりについて、みんなで語ろう」


  治したい?
伊藤 ここはお話をするところです。遊ぶところではありません。はしゃいではいけません。OK? みんなの中で、こういうことを話してほしいとか、聞いてほしいとか、この紙10人書いてくれました。書いてくれた人の話を優先します。でも、話し合っていく中で、これはみんなと一緒に話したいとか、聞きたいことがあったら、出して下さい。じゃあ、簡単に答えられるところから、先にいきます。ちゃんと、全部の質問に答えるからね。さて、何からしようかな。一番簡単なことからしようか。
 「僕は連発と難発をもっています。一度にふたつとも治せますか」
 「僕は、連発と難発を持っています」って書いてあるけど連発ってどんなんや?
子ども おおおお、となる。
伊藤 そやな、ぼぼぼぼぼぼくは、れれれれ、これが連発やな。僕は連発と難発を持っています。難発って何や。
子ども さささ・・・、
伊藤 それは、散髪やんか。治したい? ねえ。どもり治したい人? 
(18人中14人が挙手)
伊藤 あれ、治らなくてもいいのか。
子ども 別にいい。
子ども 治す方法知ってるし。
伊藤 あれ、治らんでええんか。
子ども うん。
子どもたち えー。何でー。
伊藤 すごいねえ。それは、何でや?
子ども 別に。学校生活で、来週くらいに、学年の司会やるし、発表とかも1日3回はやってるし。
伊藤 すごーい。
子ども 僕だって、1日8回は発表する。
伊藤 8回も発表するの。すごいねえ。数えているのか。それで、そういうふうに発表するのに、どもっているけれども、別にいいの?
子ども みんな普通に聞いてくれる。気にしない。
伊藤 気にしないの?
子ども 気にしない。やりたいようにやる。でも治したいっていえば、治したい。
伊藤 治るんだったら治したいけども、別にまあいいかとも思っている。で、君は治したいとはあんまり思ってない?
子ども ぼく、全然、思っていない。
伊藤 全然だって。
子どもたち えー。すごーい。
伊藤 それは、何でや?
子ども だって僕、どもるのが自分だと思うから。
伊藤 なるほど。どもるのが自分だって思っているんだ。何歳ごろからどもってたの?
子ども 5歳ぐらい。
伊藤 5歳からどもっていて、今いくつ?
子ども 10歳。
伊藤 10歳ということは、5年間どもっているわけだ。5年間どもっている生活に、もう自分が慣れているのか。5年間ずっとどもっているから、もうこれが僕だと思っているんだね。
子ども はい。
伊藤 すごいよね。そう思えたらいいよね。
子どもたち うん。
子ども どもってても、自分がどもっていること、みんな知ってるから。
伊藤 知ってるよねえ。
子どもたち うん。
伊藤 隠せていると思う人? 今、みんなは自分のどもりを知っているからと言ったでしょ。でも、クラスの友だちは、僕のどもりのことを知らへんって思う子いる?
子ども 絶対知ってる。
伊藤 知ってるよね。ということは、友だちはみんな、自分のどもりを知ってるわけだ。
子ども 知ってる。
子ども うん。
子ども 転校して、新しい友だちは知らないけれど、あとは知ってる。
伊藤 新しい友だちは知らないけれど、前の友だちは知ってる。転校して、今どれくらいになるの?
子ども 1か月。
伊藤 じゃあ、そのうちばれるな。
子どもたち はははは。
伊藤 そのうちに、どもりがばれるなということやな。
子ども うん。

  笑われたらどうする
伊藤 みんながどもること知っているから、別にいいと思っているのか?
子ども たまに笑われる。ちょっと真似されるから。
子どもたち そう。そう。
伊藤 真似される。真似されて笑われたら、どうするの?
子ども 逃げる。
子ども やめてって言う。
子ども 無視する。
伊藤 そうか、無視するのか。無視する人?
子どもたち はーい。
伊藤 他には? 他にはどうする?
子ども 無視して、その場から逃げる。
伊藤 そういう場から逃げればいい。これ、すごく大事よね。真似されたり笑われたりするところにずっといたら、しんどいじゃん。その場から逃げて別のところに行ったらいい。
子ども やめてって言う。
子ども そうそう、でも、やめてくれない。
伊藤 やめてと言って、向こうがやめてくれないとき、どうする?
子ども 逃げる。
子ども もう一度言う。
伊藤 その笑ったという人、何人ぐらいいる?
子ども そりゃ、みんな。
伊藤 そうだけど、目の前にいる子は何人くらい。うーん。言い方が難しい。そりゃ、みんな笑うだろうけど、10人が10人、わあっと笑うんか。
子ども 違う。そういうことじゃない。
子ども 一人だけど。僕が話すと、かなりの人が笑う。
伊藤 はあ、じゃあ相手は一人の場合が多い?
子ども うん。
伊藤 一人か、二人ぐらいだったら、ちょっと捕まえて、『何で君、笑うの?』って、聞いてみたら?
子ども あー。まあ。
伊藤 どうして君、笑うの? 笑っておもしろいの? 笑って楽しいの? 何のつもりで笑うの?一回聞いてみたら。
子ども そうだね。そう言えばいいんだ。
伊藤 そう言えばいい。どうして君、笑うのって。それで、どういう可能性があるやろう。そういうふうに聞いたら。
子ども 無視されそう。
伊藤 けれど、これが、僕のしゃべり方だから、笑わないでくれって言う。ただ、笑わないでくれって言うよりも、まず一番最初の最階で、何で君は笑うんだ。笑う人間を調査・研究しようよ。
子どもたち おー、調査研究。調査研究か。
伊藤 こいつは、何で笑うんだろう。人が嫌がることを笑う人間って、どういう人かな。
子どもたち 悪い人。
伊藤 あまり良くないよな。そんな良くない人間のために、こちらが気分悪くなったりするの、損だと思わない?
子ども あー。だよね。
伊藤 こんなしょうもない人間に、何か言われて、うえーんと泣くと損じゃん。損するよなあ。それなら、そんなこと、無視してもいいし、やっつけてもいいし、いろんなやり方がある。なっ。
子ども うん。

  やっちゃだめ
伊藤 今の話は何の話から、始まったんだっけ。
子ども 治りますか、という話。そうだ。治さなくてもいいという子がおったんや。
子どもたち おった。おった。
伊藤 で、治りたいという子は、治せると思っているの?
子ども うーん。
伊藤 治す方法を知ってると言ったやん。
子ども うん、知ってる。
伊藤 おー、それちょっと教えてよ。
子どもたち おー。教えてー。
伊藤 教えてほしい、そりゃそうだよね。
子ども 腹式呼吸。
伊藤 おー。腹式呼吸か。
子ども 腹式呼吸?
伊藤 腹式呼吸。まずは、おなかで、息をするんや、はー、はー。
子ども よく分かりませんけど。
伊藤 これは、だめ。してはだめ。
子ども えっ。そうなの?
伊藤 だめ。こんな練習をしちゃだめ。
子ども そうそう。(ことばの教室の)先生に聞いた。
伊藤 こういう呼吸練習とか、腹式呼吸の練習をしたって、何の役にも立たない。そんな方法、誰に教えてもらったんや?
子ども いや、母ちゃんが、インターネットで見たって。
伊藤 それ見て、母ちゃんが、じゃあそれをやってみようって言ったの。
子ども じゃ、それって、変なホームページだ。
伊藤 そういうことやなあ。ホームページにもインチキな、詐欺がいっぱいある。
子ども 詐欺?
伊藤 詐欺、詐欺商法。インチキ商法がいっぱいあるやで。
子どもたち うあー。
子どもたち インターネット、こわー(恐い)。
伊藤 インターネット、怖いんやで。その中で、正しいのは伊藤伸二のホームページ。
子ども ハハハハ。伊藤伸二の?
伊藤 伊藤伸二のホームページ、見なかったの? いろんなホームページでは、腹式呼吸とか、いろんな治す方法が書いてあるけども、みんなだめ。やっちやだめ。
子どもたち えー。何でー。
伊藤 必要ないし、はーはー、こんなことやって、これだけ一所懸命がんばってるのに、なかなか治らへん。何でやろう。はー、はー、一所懸命やっても治らへん。
子ども どもる人は、声が小さい人だから。
伊藤 どもるということは、声が小さいことだから、息を吸って、こうやって話すというんか。息を吸っちゃだめー。
子どもたち えー。
伊藤 しゃべる時に、息を吸っちゃだめ。これを、みんな覚えとき。
子ども 息をしないで、しゃべれるの?
伊藤 はい、じゃ、今から息をしないでしゃべるぞ。こうしてしゃべって、息を吸わないで、しゃべって、しゃべって、またしゃべって、また息を吸っていないけどしゃべれる。吐ききったら…息は自然に入ってくる。だから、吸ったらあかん。息を吸おうとすると、胸と肩がつりあがって、力が入り、(はあはあ)僕ねー、(はあはあ)、こういうどもり方になってしまう。
子ども へん。いやだ。
伊藤 いやだろう。だから、息を吸わないで、空気を吸わないで、今ある息のままで、いきなり『こんにちはー…』としゃべる。そして、しゃべり切ったら、息は自然に入ってくる。インターネットにはいろんなことが書いてあるけど、信用したらあかんで。このこと、お母さんに、言っとくな。

  自分で工夫してること
子ども 僕、自分の名前の最初の文宇の「か」が言いにくくて、健康観察っていうのがあって。
伊藤 はいはい、健康観察ね。
子ども 名前を言って、それで。
子ども えー、名前を言うの?
伊藤 名前を言うのか。先生が名前を呼んでくれて、はい元気ですと言うんじゃなくて、自分で名前を言うのか。
子ども はい。その時、どうしても最初が言えないので、『か』をとばして、
伊藤 『か』をとばして、うん。
子ども 『・ねこしょうたです』と名前を言うと、自然な流れで『か』が聞こえるような形になる。
伊藤 すごい。
子どもたち えーい、すごーい、すごーい。
伊藤 それで、ええやん。えらいねえ、自分で考えて工夫してたんだね。
子ども 僕も、『おはようございます』の『お』と『ざ』が出ないなら、とばして『はよう、何とか。』とか言ってる。
伊藤 おー、それ、いいやんか。『おはようございます』と一音一音、はっきり言わなきゃいけないことなんてない。挨拶ってさ、朝行って、おはよう言う時に、『おはようございます。』と一音一音、ちゃんと言ってもらわないとだめだと誰も思わんものね。『はようございます。』と言っても相手は「おはようございます」と言っていると思って通じるよな。『お』がなくてもいい。すごいねえ、これも自分で工夫してるんだあ。
子ども でも、治す方法ってあるの?
伊藤 治す方法はあるよ。『吃音ワークブック』、ちょっとここに持ってきて。治す方法を今から教えるからな。
子ども 前、伊藤さん、『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版)に書いてあったんだけど、どもりを治す学校とか通っていたんですよね。
伊藤 そうよ。僕はどもりを治す学校に通って、一生懸命がんばったけど、全然治らへんかった。
子ども 効果ないんだ。
子ども 俺っちの先生も、どもりだよ。
伊藤 え、学校の先生が。
子ども うちにもいる。
伊藤 えー、ここも、どもりやって、ふたりもおるんか。先生が、どもりやて。それ、ちゃんと分かるの?
子ども 先生がどもりなら、いいなあ。
子ども いいなあ、もう。いいなあ。
子ども 僕の先生は、子どもの頃は、どもりやったけど、今はしゃべれると言っていた。
伊藤 そうかあ。
子ども 僕の先生は今でもどもる。
伊藤 どもるの? で、ちゃんと君らに分かるの? どもってるのが分かるんか。
子ども うん。
子ども どもってる先生っていいな。
伊藤 先生がどもってるの、いいなあ。自分の学校の先生がどもっているって、いいよね。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/27

子どもとの話し合い

 今年の吃音親子サマーキャンプに関する問い合わせがいくつか入ってくるようになりました。日程と会場は決まっていますが、詳細はまだで、要項や申し込みについては、6月に入ってから、毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」紙上や、日本吃音臨床研究会のホームページでお知らせする予定です。
 僕は、吃音親子サマーキャンプのほかに、島根、静岡、岡山、群馬、千葉、沖縄などでの吃音キャンプに参加してきました。今日は、静岡のキャンプで子どもたちとの話し合いの様子を特集した「スタタリング・ナウ」を紹介します。子どもたちとの直接的な話し合いの様子は、ライブ感覚でお楽しみいただけると思います。まず、巻頭言からです。(「スタタリング・ナウ」 2011.2.20 NO.198 より)

  
子どもとの話し合い
                        日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 私は小学2年生秋から、21歳の夏まで、吃音にひとりで悩んできた。中学2年生の英語の研究授業時に、筆記テストはいいのに、そのリーディングは何だと、厳しく怒られた。その後、職員室に行き、「練習しなかったからではなく、どもるからなんです」と説明したとき、「分かった分かった、もういい」とけんもほろろに扱われた。
 高校2年の時、国語の朗読ができなくて、不登校になった。このままでは卒業できないと、昼間探しておいた国語の教師の自宅に行って、「僕はどもるため、音読できません。音読が怖くて学校に行けなくなっているので、僕だけ音読を免除して下さい」と頼んだ。その時も、英語の教師と同じだった。強い屈辱感を味わう見返りに、私は音読の恐怖から解放された。
 親にも、友だちにも話さなかった吃音の悩みを話したのは、この二人の教師だけだった。話したというよりは、それは抗議であり、要望であった。その反応に私は失望した。誰も私の吃音なんて分かってくれない。理解してくれない。他者は信じられない。もう誰にも話したくないと思った。
 21歳の夏に出会った、同じようにどもり、吃音に悩んでいる人の中で、これまで溜まっていた思いを全てはき出した。みんなは共感をもって聞いてくれた。人に話を聞いてもらう、喜び、うれしさ、安心は何にも代えられない宝だった。
 それから、45年、どもる人やどもる子ども、吃音に関心・興味をもって下さる人と、吃音について語り合うのは私にとって一番大好きな時間だ。
 子どもと吃音について話し合うのが難しいと言う人がいる。それは、このようなことを言えば、かえって意識させることになるのではないか、余計なことを言って子どもを傷つけたくないという、多くはその人の優しさ、善意からきているのだろうが、もう少し、子どもを信じてほしいと私は思う。大人が感じているほど子どもは弱い存在ではないのだから。
 どもる子どもと、人間として対等の立場で向き合い、吃音を決して否定せず、子どもの幸せを願ってのことであれば、基本的に何を言っても構わない。その話し合いの中で何が起こっても、それはマイナスのことにはならない。子どもの力を信じているから、私は、正直に、率直に、子どもに問いかけ、私が考えたこと、信じていること、経験したことを話す。その話を子どもがどう受け止めるかは、私にはどうすることもできない。子どもの力を信じて委ねるしかない。
 昨年9回目となった静岡県親子わくわくキャンプ。始めた頃にはなかった、子どもと私との話し合いのプログラムが定着した。毎回毎回いろんな話が出て、実におもしろい。吃音親子サマーキャンプや、島根、岡山、群馬などでのキャンプの興味深い話し合いは、私の記憶の中にあっても、まとまった記録はなく、残念に思っていたが、今回、親や子どもの了解を得て、ビデオが撮られた。
 ふたつのテーブルを一つにして、子ども達が、私に向かって身を乗り出して座っている。絶えず「エー」「ウソー」「そんなの」など子ども達の笑い声や歓声にあふれている。誰が吃音について話し合っていると思うだろうか。楽しそうな笑顔であふれているのだ。まるで、どこかに遊びに行くのを相談し、そこでの楽しい時間に思いを馳せているようだ。きっと、映像だけからだったらそう見えるだろう。
 マイナスに考えていた吃音についての話し合い、始まるまでは乗り気でなかった子どももいただろう。しかし、自分がマイナスのものと考えていた吃音が、笑いの中で話されている。参加した18人の子どもの中に、机を囲んだ輪から少し外れた所に、一言も発言しなかった女子がふたりいた。自ら話そうとしない人に話すよう促すことを、私はまずしない。聞くだけであっても、むしろ、発言する人よりも、より深く考えている場合は少なくない。話し合いが終わり、発言しなかった二人も「ああ、楽しかった」と戻ってきたそうだ。
 自分の真実に向き合うことは、辛いことでもあるが、実は喜びでもある。そういう場に立ち会えるのは私の喜びだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/25

【当事者研究】どもりを豊かさの糧にして 2

 昨日のつづきです。改めて読み返してみて、堤野さんの真摯な姿勢に敬意を表します。自分自身のことを、自分の吃音のことを、本当に真剣に考えつくした姿がそこにありました。このような人と対話することができること、僕にとって大きな喜びです。
 軽薄なことばが飛び交うことの多い現在、ことばのもつ重みを感じました。吃音には、それだけの力があるのだと思います。

【当事者研究】
  どもりを豊かさの糧にして 2

     〜堤野瑛一さんの場合〜

日時:2010/9/3
会場:應典院
担当:堤野瑛一・伊藤伸二

伊藤 僕の吃音の悩みの原点には、親との葛藤もありましたが、女性が大きく関わっていました。苦しみの出発点は、高校1年のときの「彼女の前でどもりたくない」というとらわれでした。21歳のときに、とらわれから抜け出せたのは、女性から愛されたという経験でした。
 吃音と女性との関係は、僕にとって切り離せないものです。堤野さんはこれまで、女性との関係はどうですか? 女性とはどんなものでしたか?

堤野 20代に入ってからは、ずいぶん変わってしまったのですが、10代のころの僕にとっては、女性は生きていく上で必要なものでした。それで、強く求めては振られ、苦しみ、また求めては振られ、の繰り返しでした。

伊藤 繰り返しということは、振られてもすぐに別の相手が現れるということですか?

堤野 僕はどちらかというと自分からアプローチする方だったので。
 吃音との関係で言えば、高校2年生のとき、辛い体験をしました。好きだった下級生の女の子がいたのですが、僕の友人が気をきかせて、放課後、僕とその彼女を、教室に二人きりにしました。僕は当時、女性に対してものすごい人見知りだったのですが、彼女も、決して自分から積極的に話すタイプではなく、無口でした。僕は、何か話をしなくてはと必死だったのですが、何か言い出そうとしても、どもって、何も話せませんでした。それから二人とも一言もことばを発しないまま一時間近く経ったところで、ようやく彼女が口を開いたのですが、それが、「もう帰ってもいい?」だったのです。そして彼女は教室を出て行きました。初めてどもりを心底憎んだ経験でした。
 20歳を過ぎてからは、自分のつき合う女性には吃音のことを打ち明けていました。でも、僕がどもることを否定的にとらえる人は、誰もいませんでした。恋愛において吃音は問題にならないと、今は思います。

伊藤 苦い経験がたくさんありながら、女性にアプローチし続けた原動力はなんだったのですか?

堤野 僕は母親との関係がずっと悪く、自覚的には、愛情飢餓でした。結局、愛情がほしかったのだと思います。自分の愛する人が自分を愛してくれることを、強く求めていました。

伊藤 たくさん失恋を経験したということは、結局もてたとことだと思うのですが、堤野さんはどうしてそんなに女性と縁があると思いますか?

堤野 よく分かりませんが、少なくとも昔と今とでは違うと思います。たとえば高校生のときは、芸大受験のために音楽室でよくピアノを練習していると、廊下に下級生の女生徒が群がっていたこともありました。受験に真剣だった僕はそういうことを迷惑に思ったのですが、そのころは、表面的なこと、見栄えとか、ただピアノが弾けるとかで興味を示してくれていたのだと思います。
 大人になれば、そんなことだけで異性に興味を示すことは少ないと思いますし、現在のことは、よく分かりません。

伊藤 自分の魅力がどこにあるか分からない?

堤野 はい。女性からアプローチされると、僕のことをよく知らないからではないのか、何かいいふうに誤解しているのではないかと思ってしまいます。今は昔のように、特別大きな劣等感があるわけではないですが、かといって、自分が特別魅力的だとも思わない。むしろ決してつきあいやすいタイプではないと思うし、趣味趣向にも偏りがあり、面白味に欠けるのではと思います。

伊藤 大きな劣等感が和らぎ、自己肯定感をもてるようになったのは、どうしてですか?

堤野 これまでのいろいろな経験から、自分は大抵のことは一定のレベルでそれなりにこなせる、という自信を得たからです。それはもともと器用であるとか、能力があるということではなく、きちんとそれに向かって適切な努力をして、向上していけるという自信です。何々がしたいと言いながら、大した努力もせずに「できない」という人をたびたび見聞きする中で、僕はちゃんと努力ができるという自信はあります。

伊藤 堤野さんはピアノで大変努力をしたことは知っていますが、それ以外では、たとえばどんなことを努力してきましたか?

堤野 どもりを治そうと努力したことも一つです。この努力は直接的な形では実りませんでしたが、僕にとっては決して無駄な経験ではありません。僕はその努力体験があったから、今、どもる自分を認めることができています。
 あと、「あのころ勉強しておけばよかった」というような後悔はしません。知りたいと思ったら、何でも今から勉強します。恥ずかしながら、学生時代ろくに勉強しなかった僕は、大人になってから中学や高校の英語や数学を勉強し始めました。それに、凡庸ながら少しでも知的に高まりたいと思うので、時間の許す限り本もたくさん読みます。学習会や読書会にも出向きます。
 あとは、漠然としたことですが、なんでも決して鵜呑みにはせず、自分の目で確かめ、自分の頭で考えます。それに、ことばをとても大切にしています。ことばによる精緻な表現を怠らない、対話を怠らない姿勢です。これはどもりで苦しんできたことも影響していると思います。ことばに苦しんできたのだから、僕は決してことばをないがしろにしたくありません。これらは、ある意味強い意志を必要とする努力です。

伊藤 世間の価値観に決して左右されない。その結果、自分はたとえ少数派であってもOKということですね。僕の提起する吃音観も少数派で、共通ですね。
 中島義道さんという哲学者がいます。僕は1999年に『うるさい日本の私』(新潮社)を読んで、常に少数派の僕と、一緒の感性の人がいると、とてもうれしかったことを鮮明に覚えています。その後は熱心な読者ですが、堤野さんも彼の熱心な読者で、彼に手紙も書き、彼の主催する哲学塾にも出向いたと聞いています。堤野さんは中島さんのどんなところに共感したのですか?

堤野 なかなか簡潔には言えず、あまり具体的なことに踏み込むと長くなるので全部は言えませんが、大きくいえば、感受性に自分と重なるところがたくさんあり、しかもそういった感受性が少数派で、生きにくい思いをしてきたということです。物事の好悪や趣味趣向、道徳観が世間一般とずれていて、子どものころから「みんな」に馴染めず、たくさんの惨めな思いをした経験が似ています。
 中島さんは執拗に善人批判をしていますが、大変共感します。たとえば僕も両親には長い間苦しめられましたが、僕の両親は決していわゆる悪人ではなく、いたって常識的な「いい人」です。むしろその善良さゆえに僕は苦しんできたのです。

伊藤 中島さんは最近『善人ほど悪い奴はいない』(角川書店)という本も出しましたね。僕はさっそく読みました。

堤野 世の中で善いとされていることがいかに悪いかと思う感覚に多く共感していて、僕も、人の何気ない会話や行為を見聞きして、誰も腹が立たないところで腹が立つこともたびたびあります。そして人間嫌いになっていく。
 中島さんもどこかに「人間嫌いは人間好き」というようなことを書いていたと思うのですが、「人間嫌い」とは、本来人間が好きすぎる、関心がありすぎる人だと思います。人間に対する期待や理想が高いから、自分も含め、誰もその水準に達することができない現実を前にして、人間嫌いになっていく。それでもなお期待をやめられない、という具合です。しかも、自分はそのことでこんなにも悩むのに、多くの人は平気でいることを疎ましく思う…と。「人間嫌い」とは、決して人間に関心の低い人や、期待をあきらめた人のことではないと思います。

伊藤 ずいぶんとしんどい生き方だと思うのですが、堤野さんは、生きづらい生き方が嫌いではないのでしょうね。

堤野 嫌いではないというか、難なく楽々と生きていけてはならない、という思いがあります。いつも心が軽やかで生きやすいということは、感受性が鈍ってしまっているということで、何かをごまかしている気がします。僕はいつでも自分の感受性を研ぎすましておきたいと思っています。

伊藤 どもりで苦しかったことや嫌な思いをしてきたことは、たくさんあると思いますが、吃音でよかったこと、吃音によって成長できたことはありますか?

堤野 少数派体験、一般に言えることだと思うのですが、自分の傷つき体験を通じて、人は思わぬところで他人を傷つけてしまうものだ、ということに敏感になりました。だからといってことばを控えたり過度に慎重になることは決してないですが、それと無神経であることとは違います。自分がよかれと思ってやったことが相手を傷つけたり不快にさせているようなことは、往々にしてありえますが、そういった可能性に対して敏感になり、視野も広くなりました。

伊藤 堤野さんは、人を傷つけることにそれほど抵抗がないのでは? こんなことを言ったら相手は傷つくだろうと思っても、それを承知の上で発言をすることが、しばしばあるように思いますが。

堤野 たとえ相手が嫌な思いをすることが分かっていても、言わずにはおれないこともあります。でもそれは、決して相手を傷つけることが目的ではありませんし、ある意味相手を尊重し信頼しているからこそ言う、という面があります。

伊藤 「人を傷つけるべきではない」と思いすぎると、何も言えなくなりますね。堤野さんは、比較的そういうことができる人だと思います。

堤野 「誠実」ということをいつも考えます。相手を傷つけないことを最優先するのは、結局は相手に恨まれ自分が傷つくのが怖いという面が大きく、信念を曲げ嘘をつくことにもなります。現実の生活の中では、人は誠実を完徹することなんて出来ないとは思いますが、かといって誠実を放棄していいわけではないと思います。

伊藤 2009年、私たちの吃音ショートコースでアドラー心理学を学びました。その後、堤野さんは、アドラー心理学にも深い関心を示し、今年度、大阪吃音教室でアドラー心理学を担当しますが、どういうところに興味をもちましたか? 吃音で悩んできたこととのつながりは?

堤野 一つは「目的論」。原因ではなく目的に目を向けることですが、「吃音が原因で○○ができない」というのは嘘で、「○○をしないために吃音を理由にもちだす」というほうが真実であることは、往々にしてあります。人の反応が怖いから外に出られないのではなく、外に出ないために人を怖いものと見なすという方が本当であることは、自分がそうでしたから、体験からよく分かります。
 また、人と人はまったく対等であるべき、という根本原理に強く共感します。相手を対等だと見なせない、正確に言えば見なしたくない人はたくさんいます。「優しさ」とか「愛情」とかの美名のもとに、簡単に人の権利を踏みにじる人は多々います。多くの親は子を対等と見なさず、子どもの課題に平気で土足で踏み込み、あげくに「あなたのためを思ってやってあげたのに」と言います。僕は自分の親との関係、体験から、こういった暴力性を身にしみて知っています。これらは、さきほどの、世間で善いとされていることがいかに悪いか、という話にも通じています。そういった親は、一部の悪人などではなく、ごく普通に存在する「いい親」なのです。
 それに、「共同体感覚」。これは簡単には理解し尽くせない哲学的な広がりをもつテーマで興味深く、自分はここにいてもいいと思える自己肯定感や貢献感につながります。

伊藤 吃音のお陰で、さまざまなことに出会え、興味がもてたのだと思います。31歳の現時点でトータル的に見て、どもりでよかったと思いますか?

堤野 「どもりでよかった」とだけ言ってしまうと、何か軽い気がします。どもることには、度合いの差はあれ、今でもしんどさはつきまといますし、昔は、どもりを心底憎み、とことんすさんだ時期もありました。それを思い返すと、たとえば今、どもりの苦悩の真っただ中にいる人に向かって、「どもりはいいものだよ」なんて軽々しくは言えませんが、どもりだからこそ経験できたことが大きいことも確かです。仲間との出会いや、哲学やアドラー心理学などの学び、それらを通じての成長は、かけがえのないものです。吃音体験が、少しでも多くのことを吸収しよう、向上しようとするきっかけになったことは確かです。
 どもりのある人生は豊かな人生になりうると、今は本心から思いますが、放っておいてもそうなるわけではありません。よくあろう、よく生きようとする意志が必要で、そうでなければすさんだ生活にもなりうるし、貧相な人生にもなりえます。
 僕は、どもりを豊かさの糧にできると思っています。少なくとも今、「どもりでさえなければ…」などと考えることはありません。「受け入れる」と言ってしまうと語弊があり、僕は吃音それ自体を手放しに肯定するわけではありませんが、どもることで困り、ときには惨めな思いをすることも含めて、そういう「生」をまるごと受け入れています。困ったって、傷ついたって、どうにか生きていけるし、そういう人生をちゃんと生きようと思っています。ときには辛い問題が起きても、解決不可能な問題は起こりません。それらを糧に成長もしていけます。

伊藤 さて、僕の質問にていねいに、たくさん語っていただきました。ありがとうございました。ほかに言い残したことがあれば話して下さい。

堤野 今日は、ただ聞かれたことに正直に答えようと思って来ました。十分に話せました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/22

【当事者研究】どもりを豊かさの糧にして

 大阪吃音教室の定番講座に、「どもる人の当事者研究」があります。ひとりのどもる人にスポットを当て、僕との対話を通して、その人の人生に耳を傾けます。2010年9月、僕との対話の相手は、堤野さんでした。ことばを選びながら、真摯に答えてくれた堤野さんとの時間は、僕にとってすばらしい時間でした。今日と明日の2回に分けて、紹介します。(「スタタリング・ナウ」2011.1.22 NO.197 より)

【当事者研究】
  どもりを豊かさの糧にして

     〜堤野瑛一さんの場合〜

日時:2010/9/3
会場:應典院
担当:堤野瑛一・伊藤伸二

伊藤 31歳の若さで、自分の人生について公の場で話すのは勇気のいることです。「当事者研究」を引き受けてくれたことに感謝します。
 この5月の「東京ワークショップ」で、昔の堤野さんと同じように吃音に悩む若い音楽大学の学生に会いました。堤野さんが吃音のために大学を退学した体験を話しましたが、似たような体験なので参考になったと思います。
 この「当事者研究」の講座が、吃音に悩む人にとって、自分を考えるきっかけになればと願っています。吃音の当事者研究なので、吃音を主軸に、話題を展開しますが、他に話したいことがあれば、話して下さっても結構です。まず堤野さんから、吃音を通じて考えてきたこと、今現在考えていることを話して下さい。

堤野 僕も昔は、吃音が治らないと生きていけないと思っていました。どもりを治すか、首を吊って死ぬかの二者択一でした。今では、どもりであっても生きていけると思っていますが、でもそれは、決して何も悩まなくなったということではありません。今でもどもりでしんどい思いはしますし、逃げたいこともあるし、惨めな気持ちになることもあります。でも、結局はなんとかなっています。仕事をしてお金を得ることができ、人と関わることもできています。これから先も、少々苦しいことが起きても、その都度なんかとかしていけるだろう、絶体絶命なんてことはない、という思いがあります。

伊藤 悩みの真っ只中にいたころは、とてもそうは思えなかったと思うのですが、そう思えるようになったプロセスはどのようなものですか。

堤野 僕は高校2年生のときからどもり始めました。当初は、隠せるくらいの症状で、どもることを隠し続けていました。どもりそうになれば話すのをやめたり、言い換えたり。そして、どもりをごまかしたまま大学に進学したのですが、大学生活を送る中で、ごまかしきれなくなり、挫折し、20歳の時に、ピアノがしたくて苦労して入った芸術大学を中退しました。

伊藤 治らないと死ぬしかないとまで思い詰めたのはどうして?

堤野 どもり始めた当初は、たまたま一時的なことで、そのうち自然に治るだろうと、意外と楽観的でした。でも、いつまでたっても治る兆しはなく、不安を抱えながら大学に入学したのですが、不安は的中しました。ある授業の自己紹介のとき、名前が出ませんでした。それが僕にとって、初めて人前でどもった経験でした。そして、周りからは笑い声やヒソヒソ声が聞こえてきて、耐えられないほどの恥辱を味わいました。
 そのことが本当にショックで、人前でどもることなど耐えられない、絶対にどもりを治したいと思いました。そして、どもる不安から、話すことが必要な場面を避けるようになりました。
 大学では担任の先生がいるわけではなく、事務手続きなども全部自分で事務局に行ってしなければならないのに、それもなかなかできなかった。大学生活でさえこんな状態なのに、将来、社会人としてやっていけるはずがないと思ったのです。

伊藤 自己紹介でどもったときのことを、もう少し詳しく聞かせて下さい。

堤野 ピアノの「演奏研究」という生徒数10人ほどの小規模な授業でした。初回の授業では自己紹介があると予想して、ずる休みをし、二回目のときに初受講しに行ったら、「君は先週休んだから」と、一人自己紹介を求められました。みんなが僕に注目しています。そこで、30秒くらい、声が出ずに力んでいたら、みんなは顔を見合わせ、ヒソヒソ声で笑い合っている感じでした。
 力んだすえ、やっとのことで名前が言えましたが、先生から、「もう少ししゃべってよ。好きな作曲家は?」と質問を受けました。好きな作曲家の名前がたくさん浮かぶのですが、どもって言葉にできずに、「いえ、特に…」とごまかしました。
 これは大変な屈辱でした。音楽が大好きでわざわざ芸大に勉強しにきているのに、好きな作曲家がいないわけがないし、音楽に対しても作曲家に対しても僕には溢れる思い入れがあり、それをぜひとも話したい。それなのに、声が出ずに不本意にごまかしました。「特に…」だなんて、周りからも変なやつと思われたに違いないと思ったし、一刻も早くその場から立ち去りたいと思いました。
 それ以来、その授業には出なくなりました。でも、それは必修科目なので、出なければ卒業できません。そこで、1年間休学をして、どもりを治すことに専念しようと思いました。

伊藤 大阪吃音教室には、大阪市立総合医療センターの言語聴覚士と一緒に参加しましたね。その時のことを僕はよく覚えていますが、総合医療センターに行ったのは、その頃ですか?

堤野 そのあたりの記憶は曖昧なのですが、医療センターには、大学入学の前後から通っていたと思います。初めて吃音教室に来たのが、大学休学後すぐであったことは覚えています。医療センターのセラピストからは、「どもりは治らない」と聞かされていたのですが、僕はどうしても納得できませんでした。どうにかすれば治るはずだ、と。

伊藤 「治るはずだ」と思った理由は?

堤野 僕は多くの人と違い、幼少からではなく、大きくなってからどもり始めた、ということが大きかった。子どもの頃からの吃音と自分の吃音は違うと思ったのです。ついこの間まで全然どもらなかったのだから、またもとに戻るはずだと。

伊藤 初めて吃音教室に来たときの感想は?

堤野 正直言って、ものすごく気分が悪くなりました。そのとき初めて、自分以外のどもる人を見たのですが、その姿を見るのには耐えがたいものがありました。どもっている人の姿が、醜く、無様に見え、自分も周りからはそう見えるのだと思いました。それに、どもりは辛いに決まっているのに、みんなの、「どもっても大丈夫」「どもっても前向きに生きていける」という趣旨の発言が飛び交うのを聞いて、「欺瞞だ」「無理にそう思い込もうとしているだけだ」と思いました。ただ慰め合っているだけの場だと思いました。

伊藤 「どもっても大丈夫」だなんて、普段の大阪吃音教室でそんな発言が飛び交うことはまったくないと思うけれど、そう感じたのかな。

堤野 今思えば、それはたまたまの文脈に応じての発言で、それほど全面的に強調されてはいなかったかもしれません。でも、そのときの僕には、そういったニュアンスの発言が刺激的すぎたので、拡大視されて印象に残っているのだと思います。

伊藤 吃音教室が、どもりを治そうとしているところではないと知っていたのに、来た理由は?

堤野 言語聴覚士の先生が強く勧め、一緒に行くというので、しぶしぶです。そこに足を踏み入れることは、自分をどもる人間だと認めてしまうことだと思ったし、本当は来たくありませんでした。
 一度きりの参加で、「ここにはもう二度と来ない」「絶対にどもりを治してやる」と決めました。僕には、何かをやると決めたら絶対に努力は惜しまない自信がありました。ピアノで大学を受験すると決めたときもそうでした。受験を決めるのが遅く、周りからも「今からでは合格は無理」と言われていたのに、僕は人一倍努力して合格しました。当時の僕は、努力して出来ないことなどないと思っていました。

伊藤 治すために、具体的にどんなことを?

堤野 家では毎日、本の朗読をしたり、いろいろな発声練習をしていました。そういった自主訓練と並行して、最初は、鍼に半年くらい通いました。そこの鍼は普通の刺す鍼ではなくて、「気」の力を利用した不思議な鍼だったのですが、「病院ではどうしようもなくなった人が行くところ」と聞いたので、どもりも治るかもしれないと思いました。
 そういった治療にかかる費用は高額なのですが、自分では払えないので親に出してもらっていました。決して快く出してくれていたわけではなく、「お前はほんまに金喰い虫や」などと言われ続け、苦い思いをしながらの治療でした。「どもりさえ治れば、働いて返すから」と言い続けていました。
 でも結局は、全然治りませんでした。期待が大きかった分、裏切られたとの思いが強かった。
 べつの鍼灸院にもいくつか通い、新大阪にあるキリスト教系の整体(宗教法人十字式健康普及会)にも通いました。そこでは、西洋医学では手に負えなくなった癌の症状でも改善した人がいると聞いたので、どもりも治るかもと思いました。
 吹田にある催眠療法にも通いました。そこにはかなり期待して行ったのですが、一向に治る気配はなく、高額なこともあり、ある程度のところで見切りをつけてやめました。今度こそ今度こそと思っていろいろなところに通い、どれも最低半年は続けて通ったのですが、どれも駄目でした。

伊藤 堤野さんがいろいろなところをさまよい歩いたのは、結局どのくらいの期間でしたか?

堤野 3年か4年くらいです。でも最終的にはあきらめました。最後に通ったのが新大阪の十字式で、そこをあきらめるころには、どもりは治療して治るものではないと、確信にいたるほどでした。

伊藤 不思議に思うのですが、それだけさまざまなところを渡り歩いていながら、鍼灸とか、僕が腰痛で行ったことのある十字式健康とかで、どもりを治すことを専門にしている吃音矯正所に行かなかったのはなぜですか?

堤野 吃音矯正所でする大体の内容は、スピーチセラピストの先生から聞いていました。発声練習とか、注意転換法を利用した練習とか、ゆっくり話す練習、腹式の練習など、要するに発話に直接アプローチする訓練です。それならわざわざ高額なお金を払って通わなくても、家で自分でできると考えていたのです。だから、家では出来ない鍼や整体、催眠などに通いながら、自宅では吃音矯正所でやるような言語訓練をしていました。

伊藤 治るという根拠もないのに、どうしてそんなところに通ったの?

堤野 どうしても治したいとの思いが断ち切れず、藁にもすがる思いだったんです。

伊藤 治療をあきらめたときの気持ちは、どんなふうでしたか?

堤野 あるときピタッとあきらめたわけではありません。どんな治療も効かない経験を重ねて、数年かかって、徐々に徐々に、あきらめの気持ちが広がっていきました。
 それに、治療に通う傍ら、人との関わりの中で、いろいろと気持ちに変化が起きました。たとえば、知り合いの劇団に音楽スタッフとして参加していた時期があったのですが、そんな人との関わりの中で、気を許せる人には、吃音のことを打ち明けていきました。そんな相手の前では、いつしか隠さずにどもってでも話すようになっていったのですが、どもるからといって人は僕を決して軽く見ることはないし、それどころか、どもっていても、自分を必要としてくれることがわかったし、相変わらず仕事も依頼してくれる。
 そういう経験を重ねるにつれて、どもりのままでも、社会人として仕事もしていけるかもしれないと思うようになっていきました。それに、治すことに固執することに疲れ果ててきたことも相まって、どもりが治ってから社会に出ていこう、という考えから、どもったままで社会に出ていこう、という考えに変わっていきました。

伊藤 そこで数年のブランクを経て、二度と行かないと決めた大阪吃音教室に再び行こうと思ったきっかけは?

堤野 そんなころ、ふと吃音教室のことを思い出していたんです。一度は「気分が悪い」「自分の行くところではない」と一蹴したはずなのに、「あそこには仲間がいる」と思うようになっていたのです。どもったまま生きていこうと思い始めてはいたし、少しずつ勇気も出てきていたのですが、でも、独りでは心細い、仲間がほしいと思いました。自分以外のどもる人が集まる場に行けば、今度は昔とは全然違った光景が開ける予感がしました。

伊藤 再び行こうと思ったとき、勇気がいったのではないですか? あいつ、前に一度だけ来たやつだ、なんて思われるかもしれないし。

堤野 そうですね。もう一度行ってみたいと思い始めてから実際に行くまでに、何ヶ月かかかりました。でも、たぶん誰も僕のことを覚えてはいないだろうと思っていました。

伊藤 数年ぶりの吃音教室はどんな感じだった?

堤野 戦友に会えたようで、嬉しかった。昔のように、他人のどもる姿も「醜い」なんて全然思いませんでした。みんな、ただどもっているだけで、全然普通じゃないかと。それに、昔は「どもり」ということばを聞くだけでも耳を塞ぎたいほどの気持ちだったのに、どもりのことを冗談にして笑えるまでに自分が変化していたことも体感し、驚きでした。人は変わるんだなと思いました。

伊藤 最初と、数年を経て二度目に来たときとで、みんなの見え方が全然違ったということですが、心境に、どういう違いがあったんですか?

堤野 初めて来たときは、僕は自分のどもりを認めることができずに、それを見るのがとても嫌で、蓋をしたかった。他人のどもる姿を見ることは、自分の見たくない恥部を強制的に見せられているようで、とても不快で惨めだったのです。でも、二度目に来たときには、僕はすでに、いろいろなことを通じて自分のどもりを見つめ、向き合うことを経験してきているので、他人のどもる姿を見ても平気でした。どもりに対して免疫、耐性が出来たというか。いつの間にか、僕は自分がどもりであることを認めたのです。

伊藤 堤野さんは、吃音以前に、チック症がありましたね。そのことで、親に「治せ」と言われ続けて、辛い思いをしてきたと話されていましたが。

堤野 はい、四六時中言われ続けていましたし、殴られもしましたし、延々と監視されているような状態で、しんどかったです。

伊藤 ご両親は、治るものと思っていたの?

堤野 僕がいくら、注意されたり治そうと思って治るものではないと言っても、「治す気がないからや!」と怒鳴られました。僕は、医学的な情報に頼らずとも、自分の状態だから、自分の意志でコントロールしきれるものではないということを分かっていたし、親にも分かってほしかった。でも、いくら説明しても駄目でした。親からすれば、しょせん「子どもの言うこと」だったのです。僕の両親は決して僕を対等には見ませんでした。

伊藤 そういったチックによる否定体験と、どもり始めたときに大学を辞めるほどの否定的行動をとったこととは、関係があると思いますか?

堤野 分からないけれど、チック体験が自己否定を助長したことはあると思います。今でこそ僕はだいぶん自己肯定的ですが、昔の僕は劣等感の塊でした。実は今でも、僕は写真を撮られるのが嫌いだし、今日の例会のように、みんなが自分の方を向いて座っているのも、苦手です。人からの注目が嫌いなのです。

伊藤 自分ではハンサムだと思っていないの?

堤野 人から言われるので、平均以上なのだろうとは思っています。でも、チックの症状が人目に触れたり写真におさまることが嫌なのです。

伊藤 現在のチックの症状は、これまでと比べてどうなの? 吃音との相関関係はありますか?

堤野 一番ひどかったころに比べれば、今はだいぶ軽い状態ですが、なくなりはしません。吃音との関係は、自覚的には、ほとんどありません。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/21

「創造の病い」と吃音

 「吃音は、人生を考える、素晴らしいテーマとなり得る」、「人はそれぞれ人生のテーマを持っている。私たちにとって、それは吃音だ」、僕は、そんなことをよく言っていました。アドラー心理学と出会って、そう考えていたことが、「創造の病い」ということばとつながりました。僕は吃音に深く悩み、そこから自分の生き方を創造してきました。僕にとって、吃音はまさに「創造の病」だったのです。
 吃音が、悩むだけに終わらず、「創造の病い」になるには、どもる事実を認めて、自分の内面に向き合うことが必要なのです。「スタタリング・ナウ」2011.1.22 NO.197 より、まず巻頭言を紹介します。

 
 「創造の病い」と吃音
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 1965年、21歳の夏、私は必死で吃音を治す努力をしたが、治らなかった。その時、吃音を治すことが私の中心的な課題ではなく、自分の人生をいかに生きるかの方が大切なことだと気づいた。
 どもっている今は仮の人生で、どもりが治ってから本当の私の人生だと考えていたのを転換して、どもりながら自分の人生を生きようと決めた。
 その後、どもる人のセルフヘルプグループを設立し必死に活動した。また、貧しさゆえ、東京での大学生活の生活費を全て自分で稼がなければならないアルバイト生活の中で、話すことから逃げずに、どもりながら話していった。
 私は、少しずつ変わり、自分を生きる、吃音を生きることができるようになった。
 私は常に自分が直接に体験し、私のからだを通り、浸みてきたものだけを手がかりに、自分の体験を吟味し、ことばにしてきた。その中から、「吃音は、どう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」との確信を得て、「どもる事実を認め、自分の日常生活を、ていねいに、大切に生きよう」と、1970年頃から提案してきた。
 しかし、この提案は、「吃音は治療すべき、少なくとも改善すべきだ」とする人たちの反発や批判を浴び続けてきた。吃音と共に生きることは難しく、伊藤の提案は多くの人に役に立たないとの批判には、治療法がない中で、吃音を治そうとすることよりもはるかに易しいことで、決意しさえすればそれは誰にもできることだと反論してきた。
 その後、精神医学や社会心理学、臨床心理学など様々なことを学ぶと、私が考えたことは、私だけのことではなく、病気や障害、生きづらさを抱えた人、さらには、自分自身を生きようとする人々にとって、共通することが分かってきた。決して私のひとりよがりではなかったのだ。
無意識の発見 self この年末年始、アドラー心理学に関心をもっている私は、かねてから読みたかった、深層心理学者アンリ・エレンベルガーの『無意識の発見』(弘文堂)を読んだ。フロイド、ユング、アドラーを客観的立場から、それぞれを比較しての解説は面白かったが、私の心に一番響いたのが、「創造の病い」ということばだった。
 エレンベルガーは、深層心理学の歴史をたどり、フロイド、ユング、アドラー等の伝記などを詳細に検討していく中で、共通するものとして、「創造の病い」を挙げた。フロイドは中年期、強い神経症に悩み、ユングは統合失調症といえるような精神的な苦悩の中から自らを解放させていく。そのプロセスの中で、精神分析やユング心理学をつくりあげていった。また、アドラーは、子どもの頃のくる病という自分の器官劣等性体験を活用し、客観的な臨床体験の中から、劣等感の補償などの考えに到った。フロイド、ユングの深い悩みや体験が、「創造の病い」として、新しい心理学を創造する原動力になったとエレンベルガーは言う。
 吃音に悩み、吃音に向き合うことは、吃音が「創造の病い」といえるものになる可能性がある。事実、どもる人で芸術家、小説家、俳優など、クリエイティブな仕事をしている人は多く、吃音がきっかけになったという人は少なくない。
 私は吃音に深く悩み、そこから自分の生き方を創造してきた。私にとって、吃音はまさに「創造の病い」だったと深く納得したのだった。
 私が言ってきた、「吃音は、人生を考える、素晴らしいテーマとなり得る」は、「創造の病い」ということだったのだ。吃音が、悩むだけに終わらず、「創造の病い」になるには、そのように生きた人々の存在を知り、どもる事実を認めて、自分の内面に向き合うことが必要なのではないか。
 私たちは、自分自身のため、後に続く人への貢献の意味もあって「当事者研究」に取り組んできた。ユングは、自分の「創造の病い」をユング派の臨床家に経験させるものとして教育分析を提案したが、それに似たようなものが、私たちの「当事者研究」ではないだろうか。
 堤野瑛一さんが語った吃音人生は、吃音が、「創造の病い」である一例を示してくれている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/20

人それぞれの吃音人生〜一生、吃音とつき合うのならウジウジすまい〜

 「スタタリング・ナウ」2010.12.20 NO.196 に掲載の、第13回ことば文学賞の作品を紹介してきました。今日は、同じ号に掲載した山口県の岡本さんの体験を紹介します。この体験は、NPO法人全国ことばを育む会の元理事長の加藤碩さんが聞き手になって、岡本さんにインタビューをした形になっています。
親の会パンフレット表紙 加藤さんが理事長だったときに、NPO法人全国ことばを育む会から、両親指導の手引き書「吃音とともに豊かに生きる」のパンフレットを発行していただきました。「スタタリング・ナウ」も読んでくださっています。難聴の娘さんの子育ての中で考えられたことと、僕たちの吃音とのつきあい方に共通することが多く、親の会の全国大会や全難言協の全国大会でお会いすると、いつもいろいろお話をしてくださいます。

  
一生、吃音とつき合うのならウジウジすまい
                          岡本芳輝
                      山口県立宇部西高等学校教諭 社会科担当
                 (山口県小野田市・小野田小学校ことばの教室卒業生)

 岡本芳輝さん(35歳)は、いま山口県下関市にある下関商業高校の社会科の先生をしています。
小野田小学校のことばの教室に通級していました。
 お母さんの瑞穂さんは、山口県親の会の初期の頃からの熱心な役員で、私とも一緒に「ことばの教室」の充実のために、県教育委員会にも足を運びました。今も、もとめられると吃音児のお父さん、お母さんの勉強会で話をしていただいています。
 芳輝さんの人生観は、「たたかい」ということばに尽きるのですが、話していて「しゃべらないでよい職業はない。一生、吃音と付き合うのならウジウジせずに、やりたい教員になろう」という一言が強く印象に残りました。
 小野田市の自宅を訪ねて、お母さんとご一緒にお話をお聞きしました。
(聞き手・NPO法人全国ことばを育む会副理事長、加藤碩)

  自己紹介と本読みがもっとも苦手
加藤:ことばの教室とのかかわりについて話してください。
岡本:広島市で生まれて、幼児の時、母が教育相談に私を連れて行って、中島小学校の幼児教室に通いました。小学校の「ことばの教室」は山口県に転居した後、小野田市で週一回の通級でした。そのころは「どもりをなおそう」という思いが強かったので、自己紹介と本読みが、もっとも苦手でイヤでした。
加藤:吃音についての岡本さんの考えを聞かせてください。
岡本:ことばの教室の指導で、いちばん禁物なのは、「治療する」という考え方だと思います。この立場が子どもに押しつけられるのは、吃音児にとって苛酷です。よく先生の中には、「岡本君はゆっくり言えば、言えるのよ」などと言う人がいますが、大きなお世話だと思います。
「ことばの練習をしましょう」などとこどもに指導するのもタブーだと思います。

  どもりも個牲という考え方で
岡本:「どもるのもその人の個性なのだ」という自然な考え方が、子どもたちを伸ばすことになると思います。私も「治す」という気持ちから自分を解放して、自己紹介も「あいうえ岡本です」とサラリと言うようになりました。
加藤:そんな気持ちが自然になったのは、何時頃からですか。
岡本:安心、心安らかな気分になったのは、高校生の時でしょうか。そして自分の将来の職業の選択についても、「営業をやらなくて良い仕事として、教員になること」を真剣に考えるようになりました。
加藤:進路を決定する頃のことを少しくわしく話してください。
岡本:大学は東京で、文学部の地理学専攻です。高校時代の社会科の先生からいろいろ教えられたこと、旅行が好きで地図を見ているのがなにより好きだったことなどが地理学を選んだ動機です。大学を卒業する時に、何の準備もしないで一般企業の就職試験も受けて、どもりがひどく大失敗しました。その時は、やはり「吃音を治したい」と強く思いました。結局、大学院の地理学専攻科で学びなおして、二年目に山口県の高校の採用試験を受けて、合格しました。
加藤:不安や悩みはありませんでしたか。
岡本:正直言って、不安はありました。しかし、「不安だから教員になることをあきらめる」では解決にはならない。不安以上に教員への魅力がありましたね。結局こう考えたんですね。「しゃべらないでよい職業はない。一生涯、吃音とはいずれにしてもつきあわねばならない。それならやりたい教員の道を選ぼう」と。高校生達は、ほとんど私を気にしていません。ウジウジしないで、普通に授業も生徒との会話も進めていけば、不思議とどもらないですね。心の高ぶり、緊張感というのは誰しもありますから、その気持ちを自然に表わしてつきあっていけば、それでよいと今は思っています。
加藤:私の娘は難聴で、あなたと同い年ですが、「一生涯つきあっていく」という腹が固まって、障害を受け入れると「明るく、のびのびと生きていける」という点で、よく似ていると思いますよ。

  お母さんに不満をぶつけたことも
加藤:どんなお母さんでしたか。
岡本:そのとき、そのときにいろいろなことがありましたが、母は話しことばについては、私にそんなに干渉がましくしませんでした。むしろ私のほうが、不満や苛立ちの気持ちを母にぶつけたことのほうが多かったと思います。今では、ぶつけられる対象があったことを幸せに思い、母に感謝しています。
瑞穂:私は、芳輝の吃音については、ほとんど何も言わなかったと思います。普通につきあってきました。いまでも吃音児をもつお母さんやお父さんには、自分の子育ての頃のことをそのように話しています。息子は、真剣にたたかっていたのでしょうが、私が息子に代わるわけにもいきませんからね。
加藤:障害を持った子ども達や高校生への指導のことについて話してください。

  あきらめない人生をと激励
岡本:障害をかかえている生徒へのきめ細かな配慮や激励をとくに心がけています。片目が義眼の女生徒がいました。その生徒は、美容師になることが夢でしたが、片目が不自由であることから、自分の夢をあきらめかけていました。私は「片目が見えないからといってあきらめるの?」と粘り強く激励してきました。いまその女生徒は、高校を卒業した後、美容学校に入学して頑張っています。障害のあるなしにかかわらず、「どうせ僕はだめなんだ」と内へ内へとひきこもってしまう傾向が青年たちにあります。そういう状況にしないで自己肯定感をもてるようにしていくことが大切だと思います。
加藤:最後に、ことばの教室の「親の会」や先生方に一言。
岡本:こどもは一生懸命生きようとしています。たたかっているんです。その子ども達の一生懸命さを支援する立場、きめ細かく一人一人の実情に合わせて支援することが、親にも先生にも、もとめられていると思います。社会に出てから自分の良さを生かして「自分らしく」生きることができるように支援する「親の会」であってほしいと思います。


日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2025/04/19
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