伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2025年02月

第20回吃音親子サマーキャンプ〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜 3

サマキャン20回 写真 第20回吃音親子サマーキャンプの報告を紹介してきました。今日は、その最後です。サマーキャンプの2日目の午前中に作文教室があります。その作文教室で書いた作文と、サマーキャンプが終わった後に送られてきた感想を紹介します。「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 に掲載されたものです。

  
どもりと悩み
                     田中咲子(千葉県・中学1年生)

 私がどもりに気づいたのは小学校2年生です。算数の授業で計算の答えをなかなか言えなかったときでした。でも、小学校では担任の先生も協力してくれたり、サポートしてくれたりしました。同じクラスの子も、私のことをからかったりする人はいませんでした。むしろ、私がどもったり、つっかかったりしてしまった場合は、一緒に言ってくれたりしました。すごくうれしかったです。
 中学に入ると、人数も多くなり、初対面の人もたくさんいました。音読のときも、緊張のあまり、つまってしまいなかなか次のことばが出てこないことがありました。
 ある日の国語の授業で音読をしているとき、私がことばにつまってしまいました。そのとき、先生が「じゃあ、次の人読んで」と言いました。そのとき私は悔しく、「どうして私だけことばが出ないんだろう」と思いました。先生にとばされ、席に座ったときは、みんなが私のことをどう思っているのか、すごく気になってしまい、不安になりました。なんとなく、視線を感じたりもしました。
 今、私が不安に思っていることは二つあります。
 一つは面接です。来年、私は受験生なので、つまったり、どもってしまったらどうすればいいんだろう…と思います。もし、つまったり、どもってしまったのが原因で受からなかったらと思うと、すごく不安になります。
 二つ目は、将来です。私は最近、医者になりたいと思うようになりました。でも、つまったり、どもってしまっては、仕事がつとまらないのではないかと思ってしまいます。どもりなどが原因で将来の視野がせまくなるのは、悲しいです。
 そう、思い始めて私はサマーキャンプに参加しようと決めました。3〜4年前から、このサマーキャンプのことは知っていましたが、どうしても行く勇気が出ませんでした。でも、私と同じように、どもりで悩んでいる人と、話ができることはなかなか体験できることではないので、今は来てよかったなと思います。同年代の人たちと、学校での出来事を話せたりするし、話すときもどもりを気にせず話せるのですごく気持ちが楽になります。いろいろな人とどもりについて話して、これからの人生に役立てていきたいです。また、私の弟もどもっているので、サマーキャンプでわかったことを弟にも教えてあげたいです。
 私は、今まで、どもりを治したいと思っていました。でも、治すことだけがいいことではないと、サマーキャンプに参加してわかりました。伊藤伸二さんの「あなたはあなたのままでいい」ということばを聞いて、これからは、治すことだけにこだわらないで、どもりと向き合っていきたいです。

  吃音児の姉として、援助者として
                        森田友梨奈(静岡県・短大1年生)

 今回は7度目のサマキャンになりますが、今年は例年とは少し違った気持ちで参加しています。
 私は今、地元の短期大学に通っていて、心や身体に障害を抱えた子どもの保育やそのような子どもを持つ保護者への相談援助の勉強をしています。昨年までのサマキャンに吃音をもつ弟の姉として参加してきた中で、弟が変わっていく姿を見てきたことはもちろんですが、それだけでなく他の多くの参加者やスタッフの方々、そして私と同じようにきょうだいとして参加している子たちに出会いました。私は参加した当初は弟のことばかり考えていたのですが、毎年参加を重ねていくたびに弟以外の吃音を持った子、スタッフや保護者の方々にも目を向けられるようになりました。
 中でも高校生の話し合いに入れさせていただいたときは、弟からは聞けなかった話をたくさん聞くことができて、私にとって本当に良い機会となりました。しかしその一方で、どんなに彼らの話を聞いていても、私は吃音の本人ではないから、どうしたらいいのか、とかどう考えればいいのか、という上手くことばに表現できない悩みのような、戸惑いのような思いもありました。話の内容が深くなり、彼らが体験を共有すればするほど、私の心の中のモヤモヤが膨らんでいたような気もします。
 けれど、保護者の方々も私と似たような思いをしているのではないかと、ふと考えたことがあります。自分の子どもが何に悩んでいるのか、学校での様子や将来のこと、親としてどうしたらいいのか、というように保護者も多くのことを抱えているのだと思うのです。
 私はサマキャンでの経験がきっかけで、子どもたちだけに限らず、保護者の境遇も理解して支援ができるような仕事に就きたいと思うようになりました。昨夜の話し合いで親のグループに入れさせていただいたことは、私にとってすごくいい勉強になったと思っています。吃音だけに限らないのですが、様々な障害を抱えた子どもや保護者の方々がいて、悩んでいるのに誰にも言えずに孤立してしまっている人もいます。短大で相談援助の勉強をしていると、いつもサマキャンでの経験が脳裏に浮かびます。
 私にいろいろなことを考えさせてくれて、将来の道をつくってくれた大きなきっかけとなった7回のサマキャンに感謝して、来年は弟の卒業式に参加したいと今から楽しみにしているところです。

  自分の人生を生きるため
                   佐々木和子(島根県立松江ろう学校)

 吃音親子サマーキャンプ、20周年のセレモニーで、伊藤伸二さんからサマキャンに対する思いを聞かれた時、私は「サマキャンで出会う子どもたちの成長を見たいから」と答えた。
 しかしその後、それだけではない、何か大切なことを言い残したような気持ちになった。
 8年前、私は夫を亡くした。「どもることが和子さんのセールスポイントだ」と、私の劣等感の根源である吃音に価値があることを見出してくれた夫に支えられて、私は生きていくことができた。
 私を理解し、私の存在そのものを認めてくれた人生の同伴者を失った時、「私の人生も終わった」と絶望のどん底に突き落とされた。そんな時、伊藤さんが「吃音ショートコースに来てみないか」と声をかけてくれた。「旅に出れば、辛い現実を忘れることができるかもしれない」と、心が動いた。
 しかし、当時5歳の大輔を一人残して行くわけにもいかず、かといって子連れで勉強会に参加するのも憚られ、私は迷った。「大ちゃんも一緒においで」ということばに救われる思いを抱いて、親子二人、秋の近江路、栗東山荘に向かった。
 20数年ぶりに、私は大阪スタタリングプロジェクトの仲間と再会した。彼らは長い年月を飛び越えて、大学時代と同じように私をそして大輔までも仲間として受け入れてくれた。世間の常識にとらわれ、大輔の吃音を認めることに揺らいでいた私の前で、どもる仲間が、絶えず「今のままの大ちゃんでいい」と、自己肯定のシャワーを降り注いでくれた。彼らのまなざしの中に、私は、かつて夫が父親として大輔に送り続けていたまなざしと同じものを見た。どもり繋がりの仲間の絆の深さと優しさが心に沁みた。
 私が研修を受けている間、大輔は同じ部屋で溝口さんの隣に陣取り、絵を描いたり、紙飛行機を飛ばして遊んでいた。休憩時間になると「待ってました」とばかりに、付き合ってくれそうな大人を誘って野球に興じていた。
 1人の参加者として、私に頼ることなく他者と関わり、自分らしく伸び伸びと振る舞う大輔の姿を見て、「この子は吃音があっても大丈夫。今のままの大輔で生きていける」と安心することができた。そして、大輔を育てるのは私一人ではない、困ったことがあれば父親代わりになって助けてくれる仲間がいると思うことで、私は孤独から解放された。
 私自身にとっても、この合宿は、日常を離れ、自分の生き方を模索する時間になった。私が私のまま存在していいと認められる場で、仲間と共に学び、生活する中で、私がこの世に存在する意味は、どもる人として生きることにあるのかもしれないという気持ちになった。
 「吃音のことをもっと学び、社会に伝えていきたい」
 吃音ショートコースで、私は生きる目的を見つけた。この時から、吃音を学ぶことが私の生きる支え、人生の同伴者になった。私に吃音があったから、私はこんな素晴らしい仲間に囲まれ、生きるエネルギーを回復することができた。吃音が私を救ってくれた。
 私は仲間に会うために、また、吃音を学ぶために、吃音ショートコースと吃音親子サマーキャンプに出かけている。
 サマキャンの醍醐味は、吃音と格闘しながら魅力的な人間に成長していく子ども達の姿を目の当たりにできることだろう。彼らのまっすぐな姿は私に生きる勇気を与えてくれる。
 私は、自分の人生を生きるために、サマキャンに参加している。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/28

第20回吃音親子サマーキャンプ〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜 2

 昨日の続きです。「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 から、第20回吃音親子サマーキャンプの報告をしています。20回というのは、僕たちにとっても大きな節目だったらしく、集合写真を撮ったり、記念になるものをと考えて缶バッジを作ったりしました。子どもたちに伝えたいメッセージを刻んだ缶バッジです。このとき、僕は65歳。命の続く限り続けますと書いていますが、まさか、今年の34回まで続くとは思ってもいませんでした。たくさんの人の支えでここまで続けてこられたこと、感謝です。

  
第20回吃音親子サマーキャンプ
    〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜 2
                            報告 溝口稚佳子


20回記念の缶バッジ

 20回目を迎えた吃音親子サマーキャンプ。何か記念になるものをと考えて、缶バッジを作った。色とりどりの缶バッジ。そこに刻まれているのが、私たちが大切にしてきた、このことばである。
   あなたは一人ではない
   あなたはあなたのままでいい
   あなたには力がある
 これは、吃音親子サマーキャンプの合い言葉。私たちは、このメッセージを子どもたちに伝えたくて、サマキャンをしているといっていい。サマキャンのすべてに流れる大切なメッセージである。

〈あなたは一人ではない〉
 キャンプに参加するまで、どもるのは自分だけだと思っていた子どもは少なくない。学校の中でどもる子はいない。いつもどもるのは自分一人だと思っていた。誰にも自分の悩み・苦しみは分かってもらえないと思っていた。ところが、キャンプに来ると、こんなにたくさんのどもる子どもがいることにびっくりする。子どもだけでなく、どもる大人の人もいる。広い集会室に集まった参加者を見て、まずは、こんなに大勢の仲間がいるのかとびっくりし、そして、安心する。

〈あなたはあなたのままでいい〉
 サマキャンの柱の一つ、どもりについての話し合い。年齢別にグループを組む。大体6〜10人くらいの子どもたちである。そこに、ファシリテーターとして、どもる大人とことばの教室の担当者などの臨床家が入る。複数回参加している子どもたちは、どもることでからかわれたり、辛かったことを話していく。その経験を聞きながら、自分のことも話し始める。よく似た話には大いに共感できる。どもってからかわれたとき、どうするか。「なんでそんな話し方なの?」と聞かれたらどう答えたらいいか。みんなで対策を考えることもある。
 どもるから絶対できないと決めつけていたことをどもりながらしていることを聞かされると、すごいなあと思い、もしかしたら自分にもできるかもしれないと思えてくる。やってみようかなという気になってくる。自分を否定することが多かったけれど、みんなから、「これまでよくがんばってきたなあ」と認めてもらい、どもっていても大丈夫という安心感がわいてくる。私たちは、子どもの吃音を治そうとは思わない。そのままの、あなたのままでいい。キャンプには、子どもをそのまま肯定する場の雰囲気とプログラムがある。そしてどもりながら自分らしく豊かに生きるどもる成人とキャンプの卒業生が、メンターとして生きる姿を見せている。

〈あなたには力がある〉
 話し合いのほかにもう一つ、キャンプの大きな柱は、お芝居の取り組みだ。言い換えのできない、せりふ通りに言わなければならないお芝居。ときに、大きなプレッシャーとなる。でも、同じようにどもる子が、どもりながらせりふを言っているのを見ると、後には引けなくなる。仲間の支えで、芝居をやりきるという体験は大きい。自分には力があると気づく。
 そして、何よりも、どもって嫌なこと、苦しいことがありながら、今まで生きてきた力がある。

 まさにサマーキャンプは、3つのことを実感できる場なのだ。
 缶バッジは、600個作った。1年に1回のキャンプでは足りない、もっと会いたいと言った子がこれまでに何人もいた。そんなとき、この缶バッジがお守り代わりになってくれるかもしれない。不安なとき、どもって嫌な思いをしたときに、見てほしい。きっとサマキャンに参加したひとりひとりが応援していてくれる。3つのことばを繰り返しながら。

スタッフを代表して、ひとことずつ

東野晃之(大阪スタタリングプロジェクト会長)
 長いようだけど、あっという間だったと言う気がする。20年前というと僕は32歳だった。若かったなあと思う。また、今、参加している子どもたちが生まれる前からやっているんだなとも思った。このキャンプは、吃音親子サマーキャンプなので、子どもと親のためのキャンプだけど、僕が参加を続けるのは、スタッフのためのキャンプでもあるのかなと思っている。スタッフの感想で、サポートをするために参加したけれど、自分にとって、安らいだとか元気をもらったとかいう人が多い。僕にとってもそうだ。
 特に、僕には、どもる自分というのがずっとあるので、キャンプに参加することで、もう一度どもる自分を見つめ直すというか、自分と向き合う時間になっているのだと思っている。毎回、参加して、他のスタッフの人が言ったように、元気をもらって、また職場に帰っている。これからも参加できる限り、参加しますのでよろしくお願いします。

高瀬景子(千葉市立山王小学校ことばの教室)
 20回目のキャンプに参加できることを幸せだと思っています。参加したくとも今回どうしても参加できなかった人も知っていますし、以前、参加して、このキャンプが自分の宝物になっている人も知っています。
 私は、この荒神山でキャンプをするようになった最初の年に初めて参加しました。そのときは、ことばの教室の担当になって数年で、子どもたちとどうかかわったらいいか分からなくて、正直なところ、どもる子どもについて、まだ構えがあったと思います。その構えをどうしたらとれるかなと思って参加したけれど、笑いがいっぱい、感動がいっぱいで、いろんなものを教えてもらって、すごくうれしかった。何かしなきゃいけない、してあげなきゃいけないという気負いを落とせて、帰ることができた。今回で11回参加しました。
 20回の内、半分を超えて参加できていることも幸せで、宝物です。このキャンプには自分のために来ています。それが自分の中でどんどん大きなものになっています。ここでしか得られない、大きいものがあるキャンプだなと思っているので、来年も来ます。

渡邉美穂(千葉市立あやめ台小学校ことばの教室)
 楽しさだけじゃなくて、喜びがあるキャンプだという話がありました。いろんな話し合いやいろんなことをして自分なりにチャレンジして、自分なりにいろんな達成感を味わって、それらのものが喜びに変わっていくんだなと思っています。今年、出会いの広場を担当しました。キャンプが近づいてくると、みんなの気持ちをほぐす役なのに、こんなに緊張している私が担当できるのかと思っていました。でも、初日は全然緊張しませんでした。この場が、初めからリラックスしていて、初めから仲良くて、仲間なんだという安心感があったからかなあと思います。今も緊張しているけど、気持ち良く話せています。10回参加しているので、延べ1000人くらいの人に出会っていることになるのかなあ。その仲間に感謝し、その中にいる自分に喜びを感じています。

掛田力哉(高槻市立五領小学校支援学級)
 どもりのおかげで学校の先生になれて、どもりのおかげでこのキャンプで出会った人と結婚できて、どもりのおかげで子どもが生まれて、どもりのおかげでテレビにも出ました。
 私は弱い人間なんですけど、どもりが、ちょっとだけ私を強くしてくれるなと思っています。

掛田みちる(旧姓:横田)
 ちょっと姿を見せない間に、2人の子どもができました。卒業生のお母さんが話しているのを見て、私もその頃参加していたなあ、もう10年になるんだなあと思いました。みんなこの間、いろんな経験をして、いろんな思いを持ってきたんだろうなと思いました。私のように少し離れていても、すうっとその気持ちに寄れるところが、キャンプのいいところだと思いました。日常生活では、あまりどもりの話はしなくなっても、ここで出会ったことで、安心感のある生活ができていると思います。

渡辺貴裕(岐阜経済大学教育学部准教授)
 今回で、僕は10回目になります。竹内敏晴さんのレッスンに行っていて、当時はまだ学生でした。どもりでもないし、どもりのことを勉強しているわけでもないし、伊藤さんから「どもりのキャンプあるから、行ってみる」と声をかけられて、詳しい説明はなく、半ばだまされるようにして来てみて、そこでどんなキャンプかを知った。
 それから10年間、来続けています。昨日の晩も、なんで続けて来るのか考えてたんですけど、よく分からない。今、私は大学で先生をやっていて、どもりは専門ではないけれど、教育分野をしている。でも、たぶん、自分が全然違う仕事に就いていたとしても、このキャンプには続けて来ただろうと思います。ここで出会った子どものことと、親御さんとのやりとりのエピソードは、いっぱい出てきます。今回のキャンプだけでなく、これまでのキャンプで出会った子どものことでも、エピソードはいっぱい浮かんできます。
 初めて来たとき、涼君に出会っていて、翌年、お母さんから「渡辺さんのこと、よく言ってましたよ。今年も会うのを楽しみにしていましたよ」と言われて、僕としてはえっ、とあまり覚えていなかったのだけど、そうやって思ってくれている、こうした濃密な経験ができる、だから、僕は何の関係もないけれど、来ているのだろうなと思います。これからもよろしくお願いします。

伊藤伸二(日本吃音臨床研究会会長)
 スタッフの人、全員立って下さい。これだけの数の人が全国から来てくれるんです。南は鹿児島から、北は栃木から、自分自身がどもる人、ことばの教室の教師、言語聴覚士の専門家、また、吃音親子サマーキャンプの卒業生、またおもしろいことに、何のゆかりもない人が来ているという、とっても不思議な空間だと思います。僕は、このキャンプの場が、ひとりひとりの力が、子どもの力が、親の力が、醸し出して熟成してえも言われない空間を作り出していると思います。この人たちと、一緒にキャンプができることを幸せに思います。65歳になりました。僕の命の続く限り、キャンプを続けたいと思っています。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/27

第20回吃音親子サマーキャンプ〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜

 2009年8月28・29・30日(金・土・日)、滋賀県彦根市の荒神山自然の家で、第20回吃音親子サマーキャンプが行われました。このときの参加者は、どもる子ども42人、どもる子どもの保護者44人、きょうだい13人、ことばの教室の担当者やスピーチセラピストなどの臨床家が17人、通常学級や支援学級の担任、学生などが12人、どもる成人が12人、合計140人でした。
 初参加者が多く、本を読んで、インターネットで検索して、吃音ホットラインに電話をして、ことばの教室の担当者に紹介されて、など参加経路もさまざまでした。8月の最終週なので、学校によっては、すでに2学期が始まっているところもあるようでした。新型インフルエンザの影響のキャンセルも含めると、160人近い申し込みがあり、問い合わせも入れると170人を超えていたと、記録にあります。
「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 での報告を紹介します。

  
第20回吃音親子サマーキャンプ
    〜子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〜
                            報告 溝口稚佳子


キャンプは、事前レッスンから始まった

 キャンプの大きな柱のひとつはお芝居。
 演出家の竹内敏晴さんの脚本・演出・構成という贅沢なお芝居をずっと続けている。これまでの脚本を集めたら、かなりの数になり、脚本集として1冊の本ができそうである。
 芝居は、竹内さんが、スタッフに、事前合宿で、演出し、指導をする。スタッフがそれを憶えておき、キャンプの初日に、子どもたちの前で演じる。子どもたちは、それを見て、この役がおもしろい、あの役をしてみたいなと思う。
 今年のキャンプの芝居のための事前レッスンは、6月20・21日、大阪で行われた。
 6月初め、膀胱がんが発見された竹内さんは、体調が悪い中、脚本を作って下さった。脚本が届いたのは、合宿の2日前だった。今年の芝居は、宮沢賢治の「雪わたり」だ。事前レッスンには、全国から23人が集まった。夜だけ顔を見せてくれた人もいる。もしかしたら、今年が、竹内さんの事前レッスンを受けることができる最後かもしれない、そんな思いが私にはあった。
 「雪わたり」は楽しかった。キックキックトントン、キックキックトントンと、竹内さんの魔法にかかったかのように、スタッフのひとりひとりがこぎつねになって弾んでいる。竹内さんが、うれしそうに柔らかい笑顔でみつめていた。これまでずっとこのサマーキャンプを大切に考えて下さっていた竹内さん。これが最後のレッスンかもしれないとの思いはさらに広がり、これまでのたくさんの劇が思い出される。子どもたちにも、声を出すことの楽しさ、からだが弾むことの喜び、そして、仲問と共にひとつの芝居を作り上げていくおもしろさを味わってほしいと思った。

そしてキャンプが始まった

 20回という節目のキャンプ。長年、キャンプにかかわっているスタッフにとっては、いつもとは違う思い入れがあったが、キャンプはいつものようにスタートした。
 開会のつどい。集会室に集まった参加者を紹介する。名前を呼んでその場で立ってもらうが、家族がそれぞれ別の場所で立ち上がるのがおもしろい。複数回参加している人なら、知り合いがいて、1年ぶりに会えた友だちと同じ場所に座って、一緒に来た家族と離れるということもあるかもしれないが、初めての参加者の中にも、子どもは子ども同士で、親は親同士で座っている家族がいる。名前を呼びながら、いつもこの現象を不思議だなあと思う。全体がもう最初からファミリーになっているのだ。
 続いて、出会いの広場。参加者がリラックスし、これから始まるキャンプに向けてのウォーミングアップになるようなプログラムである。今回は、千葉の渡邉美穂さんと高瀬景子さんが担当して下さった。20回キャンプにふさわしい○×クイズ、4つの窓、グループつくり(誕生月ごとに、集まったり、生まれた日が同じ人や同じ名前の人が集まるなど)と続く。最後に、同じ部屋に宿泊する者が集まって、その部屋の名前をみんなで言うというエクササイズがあった。ちょっとした連帯感と大きな声を出せたらいいと考えていた担当者の期待をはるかに超えるパフォーマンスが次々と繰り広げられた。動きはダイナミックで、おもしろい。初参加者が多いのに、これだけ表現できるとは、キャンプのもつ不思議な力なのかもしれない。

キャンプ20回目を振り返る

 20回目に思う。なぜここまで続いてきたのだろうか。なぜ続けることができたのだろうか。仕事ではないし、義務感でもない。この空間が好きだから、ここに集う人たちが好きだから、ここに流れる雰囲気が好きだから、ここに来るとなんか元気になるから、長くスタッフとして参加し続けている人たちはよくそう言う。
 たとえば、渡辺貴裕さん。最初の出会いは、竹内敏晴さんの大阪でのレッスンだった。まだ学生だった渡辺さんは、教育学を学んでいた。いろいろなキャンプにいくつか参加している、演劇にも関心をもつ人だった。伊藤の「キャンプ、おもしろいで。だまされたと思って参加してみて」のことばにのって参加して、もう10回参加してくれている常連のスタッフだ。吃音とはまったく関係がない。大学の教員になってからもこのキャンプを大切に思ってスケジュールに入れてくれている。子どもたちと作り上げる芝居に欠かせない。芝居作りの裏舞台を、子どもたちの生の声を拾いながら解説してくれた一文は、「演劇と教育」にも載り、「スタタリング・ナウ」(2007.1.20NO.149)でも紹介した。子どもたちに注がれる目は鋭く、やさしい。

 たとえば、長尾政毅さん。キャンプの卒業生でもある。同じようにどもる友だちに会いたい、そしていろんなことを話してみたい。純粋な気持ちで参加した小学4年生。自分ひとりではなかった、みんな同じように困り、悩み、そして工夫しながら真剣に生きていた。自分のことを自分のことばで話すことの大切さを知り、他者の体験に耳を傾けることを良き先輩から学び、高校3年生でキャンプを卒業した。毎年の作文教室で、彼の書く作文は変化をしていく。受け入れて、どもっていても平気だと思っていたが、思春期に入り、できるなら治したいと思い、また、いやこのままで大丈夫と思う。この変化を私たちは当然のこととして受け止め、それでも彼の基本となるものは揺るぎないと、信じて待っていた。社会人になった彼は、仕事が忙しい中、深夜になってでもキャンプにかけつけてくれる。

 たとえば、大阪スタタリングプロジェクトのメンバー。自分たちが小学生の頃にこんなキャンプがあったらなあ。こうして親子で、または家族でキャンプに来る子どもたちがなんかうらやましい。成人のどもる人からよくこんな感想を聞く。親にも誰にもどもりのことを相談できずに子ども時代を過ごした人は少なくない。そんな人たちにとって、親子で参加することになっているこのサマキャンは、うらやましいような、あこがれの存在なのだ。
 自分の体験を語って、何かお説教じみたことを言いたいのではない。自分が子ども時代に戻って、考えてみることができる。言語化してこなかった自分の気持ちを追体験してみることができる。わざとではなく、自然にどもりながら話したり、聞いたりする。それは、今、どもって悩みのまっただ中にいる子どもたちに、そうして生きることができることを伝える一番いい方法なのだ。
 子どもたちと一緒に芝居を作り、山に登り、カレーを食べ、スポーツをする。子どもの頃にできなかったことを、つまり、学童期のやり直しをしているのかもしれない。
 親の話を聞く経験も貴重だ。自分の親に聞くことができなかった親の気持ち。こんなふうに思っていてくれたのか、と再発見することもできる。改めて親への感謝の気持ちもわいてくる。

サマキャン再発見

 改めてサマーキャンプの魅力を考える。おそらくキャンプ史上初めてだと思うが、伊藤が参加者に向かって、キャンプの特徴と効果として話したことばを拾ってみる。

〈楽しさを与えるキャンプではなく、子どもたち自身が喜びをつかみとるキャンプ〉

 一般的に、キャンプというと、子どもたちに楽しみをいっぱい与えようと考える。このキャンプも、第1回から4回くらいまでは、子どもたちは普段ストレスを抱えて生きているのだから、楽しいキャンプをしようと主張するスタッフがいた。楽しいだけのキャンプなら、ほかにもあるし、僕たちがするからには、ちょっと困難なことに向き合い、何かに挑戦し、自分でもできたんだという思いをつかみとるようなキャンプにしたい。発想が違うため、実行委員会はいつもけんか腰で議論が白熱した。5回目から、発想が違う人たちと分かれて、自分たちの思い通りのキャンプをし始めた。今、その頃とスケジュールは全く変わっていない。話し合いをし、芝居をする。子どもたちも辛いと思う。友だちとしゃべっているときは、元気がいいのに、劇のシナリオを見たら言いにくい音があって、そこでどもって、しゅんとなってしまう。でも、そこから一歩踏み出さないといけない。ハードなキャンプであるにもかかわらず、子どもたちは、楽しかったと言い、また来ると言ってくれた。やはり、楽しさは与えられるものではなくて、じわじわと実感できるものではないだろうか。

〈ひとりひとりが主役〉

 与える側、与えられる側がいない。世話をする側とされる側の明確な区別がない。参加者は皆それぞれ自分が楽しんでいる。つまり、全員が主役で参加している。誰ひとり傍観者がいないキャンプだ。

〈リピーターが多く、新しく参加する人とのバランスがいい〉

 10年連続という人もいるくらいで、リピーターが多い。しかし、リピーターばかりでは馴れ合いになってしまう。リピーターと新しい人のバランスがとってもいい。親のグループも、子どものグループも、先輩がいて、自分たちが味わってきたことを後の人につないでいく。初参加の人とリピーターの人のバランスがとてもいいことがこのキャンプの特徴だと思う。

〈サバイバルを学び、考え方や価値観を変えていくきっかけになる〉

 話し合いでは、困ったときにどうするか、など具体的な話をする。キャンプに参加している間は楽しくても、終わって家に帰って、日常生活に出ていくと、困難な場面は待ち受けている。それに自分で向き合って、サバイバルしていく力を身につけてほしい。僕はこうした、私はこうしたと、みんながアイデアを出し合いながら、生きる力、生き延びる力、サバイバルしていく力を身につけてほしい。ひとりで考えているとどうしても堂々巡りになる。話し合いの中で、自分とは違う体験、自分とは違う考え方や価値観に出会う。そうか、そんなふうに考える人がいるのか、と考え方を知ることができる。今までなんとかしてどもりを治したい治したいと思って、どもりさえ治れば自分の人生はバラ色だと思っていた人が、どもったままでもいいんやという考え方の人に出会う。そんな考え方の人に出会って、今まで治そう治そうとばかり思って、治さなければ自分の人生はないとまで思い詰めてきだけれど、自分の考えてきたことはいったい何だったんだろうと思う。どもっていては絶対だめだと考えていたけれど、どもりながらこんなことをしている人もいると知ることで価値観を変えるきっかけになる。いろんな考え方の人に出会って、自分の考え方を少し幅広くする。変えてみる。価値観を変えていくきっかけになる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/26

吃音親子サマーキャンプ20年

 2025年の今年、吃音親子サマーキャンプは、34回目を迎えます。日程と会場は決まっていますが、夏のことなので、まだ本格的な準備に入っているわけではありません。でも、メールでの問い合わせは、少ないですが、来ています。
サマキャン20回 写真 さて、今日は、吃音親子サマーキャンプ20年を特集している、「スタタリング・ナウ」2009.11.29 NO.183 を紹介します。このとき、集合写真を撮りました。サマーキャンプ史上、最初で最後の集合写真、奇跡の一枚です。その写真は、『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)の表紙を飾っています。本の表紙に写真を使う時も、ホームページで書籍の案内を掲載する時も、一人一人に紹介してもいいかどうかを尋ねました。全員が了解してくれたおかげで、今回も、奇跡の一枚の写真を紹介することができました。
 吃音親子サマーキャンプの第1回は、1990年でした。まさか20回も続くとは…と、当時思ったことを思い出します。それが今年は34回。すごいことだなと、自分でも感心してしまいます。まずは、巻頭言からです。

  
吃音親子サマーキャンプ20年
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


1990年の夏はとても暑かった。
 冷房のない民宿の暑さと、初めてのどもる子どもとのキャンプの熱気は、私の記憶の中で決して色あせることはない。あの場、あの空気、スタッフの熱い思い、琵琶湖の静かな湖面とともに。
 1965年、民間吃音矯正所・東京正生学院で、初めて同じようにどもる人とたくさん出会えたとき、「吃音に悩んでいるのは私だけではなかった」という、いいようのない安心感が広がった。そして、せき止められていたダムの水が、一気に川に流れ出すように、どもることの苦しみ、悲しみ、怒りなど、これまで押さえ込んでいた吃音への思いを話した。そして、それを「僕も同じだったよ」とうなずき、一所懸命聞いてくれる仲間と出会えた。
 あのときのうれしさ、喜びは、からだにしみていて、今でも、決して忘れることはない。
 「僕も、生きていていいんだ」
 こう心底思えるほどに、それまでの私は、どもりに傷つき、どもりに振り回され、孤独な、苦悩の学童期・思春期を送っていたのだった。
 1965年秋、私は11名の仲間とどもる人のセルフヘルプグループを作った。様々な活動を共にするたくさんのいい仲間と出会った。いろんな活動を力の限り続けた。そして、いつの間にか「どもりでよかった」とさえ思うようになった。
 セルフヘルプグループでたくさんのことを学び経験し、今は幸せだが、私の失われた学童期・思春期はもう戻ってこない。それがとても悔しい。今、どもっている子どもには、私のような、悔しい学童期・思春期を送ってほしくない。私が経験した安心感や喜びを子どもたちにも味わってほしい。そして、どもりながら、楽しい豊かな人生が送れることを知って欲しい。これがスタートだった。
 なぜ、20年も吃音親子サマーキャンプは続いたのだろう。仕事として、またその延長としてしているわけではない。誰かに命じられて、また、責任感で続けているのでもない。いつキャンプをやめても誰からも責められることはない。やめることができるから続いているのだともいえる。
 あの場が、あの場に流れている空気が、その場をつくりだしている人の輪が好きなのだ。
 あの場、あのときの笑顔、笑い声が好きなのだ。
 話し合いの中で苦しかったことを思い出し、ぽろぽろと涙を流す、うれしくて泣いてしまう、その涙をしっかりと受け止める静かさが好きなのだ。
 そのような場が好きだという人たちが集まってくることがうれしい。
 今年もスタッフが集まってくれるだろうか、あの人は来てくれるだろうか。私は毎年不安になる。そして、その人たちの参加申し込みが届くようになって、さあ、今年もやれるとほっとする。
 今年も40名ほどがスタッフとして集まって下さった。不思議に思う。遠くから交通費を使って、家族を説得し、さまざまな事情を乗り越えてスタッフとして参加して下さる人たち。そうだ、この人たちがいてくれたから、20年間続けることができたのだ。
 キャンプの終わりには、いつもスタッフに立ってもらう。子どもと親を囲むように立つ人たちに、本当にありがたいと思う。人間は一人では何もできない。ひとりひとりの力は小さくても、いい仲間が集まれば、大きな力になる。そして、こんなにいい空間を、知らず知らずのうちに、自分たちでも気づかないうちに作り出している。
 この仲間たちに感謝するとともに、今回は、特別の感慨深い思いがあった。私たちの心意気を感じとって、キャンプのために毎年脚本をつくり、演出指導をして下さった竹内敏晴さんの劇を上演する最後のキャンプになったからだ。
 6月初めにがんが発見されながら、脚本を完成させ、7月に劇のためのレッスンをして下さった。そして9月の初めに竹内さんは亡くなった。キャンプでは、竹内敏晴さんに感謝の気持ちを込めて、大きな拍手をしたのだった。竹内さんの役割を渡辺貴裕さんが継いで下さるのもうれしい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025//02/25

大阪スタタリングプロジェクト、年に一度の運営会議

2025.2   大阪運営会議1 2月22日土曜日、大阪吃音教室の例会会場である大阪ボランティア協会で、大阪スタタリングプロジェクトの運営会議が行われました。午前中は、機関紙「新生」の印刷・発送をし、午後は運営会議です。参加した運営委員は、体調不良による急なキャンセル1人を除いて16名。土曜日に仕事がある人もいて、終わってから駆けつけた人もいました。
 昨年までは、土曜日の午後・夜間、翌日曜日の午前を使っていましたが、それぞれに忙しい身なので、今年は土曜日だけで行おうということになりました。昔は、一泊して運営会議をしていたときもありました。
 はじめは、参加者の今年度の振り返りから。担当した講座の振り返り、参加した講座で印象に残っていること、プライベートな振り返り、以前は、このひとりひとりの振り返りだけで長い時間を使ったこともありました。このふりかえりの中で印象的なのは、それぞれが、誰かが言ったことをよく覚えていて、「そのときは、こうだった」「あのときのあの発言はよかった」と、その場を再現することです。オープンダイアローグで大切にしていることのひとつに、応答性がありますが、それが自然とできていることが印象的でした。
 大阪吃音教室は、日本吃音臨床研究会と協同で、いろいろなイベントをしているので、年間のイベントの日時や会場の確認もしました。2025年度の大枠が決まっていくことを実感しました。毎週金曜日の大阪吃音教室の講座の世話人を決め、機関紙「新生」の編集日や担当者の確認をし、いよいよ年間のスケジュールです。予め、会長の東野さんが、2025年の1年間の金曜日を拾い上げてカレンダーを作っておいてくれたので、それと今年度のスケジュール表を照らし合わせて、2025年度のスケジュールを作っていきました。講座名を変えたものもあります。担当者も、それぞれ立候補で決まっていきました。
2025.2  大阪運営会議2 また、新しい提案も出てきました。どもる人にとって、最大の課題は、就職です。これは、参加者みんなが経験していることです。その就職問題を、真正面から真剣に考えてほしいという願いが、提案者からは感じられました。どもるから、話すことの仕事に就いた方がいいだろうとか、エントリーシートに自分の吃音のことを書いた方がいいのか書かない方がいいのかとか、面接に臨む心構えとか、そもそもどんな仕事に就いた方がいいのかとか、障害者手帳を取得し、障害者枠で就職するという選択肢も現実にはあるようだが、果たしてそれが真にどもる人にとっていいことなのかとか、考える材料はたくさんあります。ひとりで考え、結論を出すのは大変です。そんなときに、みんなで一緒に考えていきたい、考える場を提供したいということなのです。そして、それは、年が明けて、2月、3月くらいに強化月間としてスケジュールに組んでいこうということになりました。
 真剣に、ときに大笑いをしながら、運営会議は進みました。参加しているひとりひとりにとって、この場、大阪吃音教室が大切な場なんだということが強く伝わってきました。このような仲間と共に活動できることの幸せを思いました。
 大阪吃音教室の2024年度は、3月21日まで、2025年度のスタートは、4月11日からです。
 どもる人、どもる子どもの保護者の方、どもる子どもにかかわっておられる方、吃音とは関係ないけれど声やことばについて考えたい人、どうぞご参加ください。詳しくは、ホームページで。そのホームページも仲間が改訂を繰り返して、より見やすく、内容も充実しています。ときどき、ホームページ、のぞいてみてください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/2/24

竹内敏晴さんを偲んで

 「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 に掲載の、竹内敏晴さんを悼む、社会学者の見田宗介さんと谷川俊太郎さん、おふたりのメッセージを紹介します。また、10年間、僕たちが事務局だった大阪の定例レッスンの参加者が集まって、「竹内敏晴さんを偲ぶ会」を行いました。同じ日、東京でも、東京の定例レッスンの参加者による偲ぶ会が開かれていました。


 
祝祭としての生命探求 竹内敏晴氏を悼む
                            見田宗介 社会学者

竹内 見田新聞記事 竹内敏晴は1925年の生まれ、吉本隆明や谷川雁、石牟礼道子たちの同世代者である。
わたしが竹内と初めて会った時、竹内は「ぶどうの会」という、木下順二を中心とする劇団の演出助手をしていた。一人一人の俳優をとても愛して、大切にする演出家という印象だった。
竹内は演出家であり、生涯にわたって演劇の人だった。けれども竹内の名が広く知られているのは、『ことばが劈かれるとき』をはじめ、言語論、身体論、教育論、思想論、近代社会論、などの領野を一気に貫通する、独自の具体的な人間論においてであった。とりわけ教育の世界に竹内の愛読者は多い。〈祝祭としての授業〉という竹内のキー・コンセプトは、多くの教育者たちに新鮮な視界を開いた。
 演出と人間学という竹内の二つの焦点は、どう関わっているのだろうか。小さい集まりの後の雑談みたいな時間に、竹内さんにとって最終、演出のための方法としての人間論なのか、人間論のための方法としての演出なのか、竹内さんの究極にめざすところは何か、と問うてみたことがある。
 「実は」と竹内は分厚い未発表の原稿の束を取り出してきた。表紙には力のこもった太い肉筆で、『演技者は詩人たりうるか』と書かれてあった。
 演技者は詩人たりうるか、という意表をつく表題にわたしが目をみはっていると、「詩人ということは、表現者とか創造者という方が分かりやすいかもしれないけれど」と言って、このような話をぽつりぽつりと語った。
 近代演劇では、俳優のからだは作者の創造と表現のための素材です。「どんな役でもこなせる」ということが、まあ、究極の理想です。けれども俳優自身のからだが、その存在の核の真実の噴出のように動き出すとき、まったく異質の感動が舞台に現出することがある。このある種原的な美学のようなものを、徹底して追求してみたい。いろんなからだたち、ゆがみをもち、ゆがみをはねかえそうとするからだたちが、作者のためでなく、脚本のためでなく、演出のためでもなくて、自分自身の存在の真実を解き放つことをとおして、そこで荘厳されればいい。荘厳とは仏教のことばの展開で、存在するもの(死者と生者)の尊厳と美しさとを、目に見えるような仕方で現出することである。こういう仕方で、俳優たちのからだが舞台の上で、生活者たちの存在が舞台の外で、花咲けばいいじゃないかと。
 竹内敏晴の仕事の独創の核は、この夢を実現する方法論の、おどろくべき現実性、具体性の内にこそあった。「竹内レッスン」の柱となるいくつかの技法、「砂浜」や「出会いのレッスン」、「仮面のレッスン」とその展開形はすべて、近代や前近代の「市民社会」や「共同体」の強いる幾重もの自己拘束、自己隠蔽の無意識の硬皮の層を、ていねいに解除してゆく装置として設定された。
 わたしが竹内と集中して関わったのは一年間だけなのだけれども、この短い時日の間にも、人間が〈真実〉である時にその身体の動きがどのように鮮烈なものでありうるかということの、生涯忘れることのできないシーンのいくつかと立ち会うことがあった。
 神のためでなく、国家のためでなく、経済成長のためでなく、人間の一人一人の有限の生が、他の有限の生たちと呼応することをとおして、現出する豊穣な時の持続を享受するという、人間の歴史の新しく未踏のステージのとば口に立って竹内敏晴は、ただ存在の〈真実〉を解き放つことをとおしてそこに生命の祝祭を現出してしまうという、単純な、けれど困難な、方法論をその生涯をかけて探求し、わたしたちの世界に残した。   2009年9月16日朝日新聞


  声 とどいていますか?
        竹内敏晴さんに

                    谷川俊太郎
あなたが行ってしまった
あなたの声と一緒に
あなたの眼差しと一緒に
あなたの手足と一緒に
あなたは行ってしまった

あなたは今どこにいるのか
あなたがどこにいようとも
今そこにいるあなたに向かって
私たちは呼びかける
声 とどいていますか?

あなたの書いた言葉は残っている
あなたの動く姿の記録も
あなたの叫ぶ声歌う声も
でもあなたは行ってしまった
私たちここに置き去りにして

だが声は生まれる
途絶えずに声は生まれる
ときに堪えきれない鳴咽のように
ときに幼子の笑いのように
あなたが無言で呼びかけるから

あなたは行ってしまった
行ってしまったのに あなたはいる
私たちひとりひとりのからだに
思い出よりも生々しくたくましく
あなたはいる 今ここに


《竹内敏晴さんを偲んで》

 10月18日(日)午後1時、10年間、竹内レッスンの会場だった大阪市天王寺区の應典院に、21名が集まった。ちょうどこの日は、東京・立川で、賢治の学校主催の「竹内敏晴さんを偲ぶ会」が開催されていた。偶然同じ日に、これまで竹内さんにレッスンを受けていた者が東京と大阪に集まったことになる。
 應典院のB研修室に、いっものように床にカーペットを敷き、丸くなって座る。今にも「息を入れて」という竹内さんの声が聞こえてきそうだった。集まった21人ひとりひとりが、竹内さんについて、竹内レッスンについて語ることから始まった。訃報に接したときの驚き、喪失感、存在の大きさ、今後のことなど、何を語ってもいい。次に、亡くなるときに身近にいた者から、竹内さんの最後の様子が話される。大好きだった、♪ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む♪の歌声に囲まれながら幕を下ろした竹内さんの姿が目に浮かぶ。大きな拍手をして火葬に送られたという。
 この應典院の集まりの時、上に紹介した谷川俊太郎さんの詩が配られた。立川での偲ぶ会に参加できない谷川さんが作り、贈られたものだ。
 1998年、私たちの吃音ショートコースの特別ゲストは、谷川さんと竹内さんだった。「こんなにしゃべったのは初めて」と竹内さんご自身が驚かれていた。谷川さんとの対談がなつかしい。

竹内敏晴さんの最新刊『「出会う」ということ』(藤原書店)、10月末発刊予定!!

「出会う」ということ 表紙 "人に出会う"とは何か? 
 社会的な・日常的な・表面的な付き合いよりもっと深いところで、「なま」で「じか」な"あなた"と出会いたい―。自分のからだの中で本当に動いているものを見つめながら、相手の存在を受け止めようとする「出会いのレッスン」の場から。
 "あなた"に出会うためのバイエル。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/23

大阪定例レッスンの旗揚げ講演会『日本語のレッスン―声と出会う・ことばが劈かれるとき』

 1999年2月11日、大阪市内の應典院で、4月から始まる竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」大阪定例レッスンの旗揚げ講演会が行われました。講演会のその日は、強い吹雪と雨が混じる悪天候でしたが、参加者は予想をはるかに超えて185名でした。その講演会に参加した川井田祥子さんの感想・報告を紹介します。川井田さんは、当時、すくーる・ほろんという、らくだ教材を使った自分で決めて学べる塾を主宰されていました。僕は、この講演会の2年前に、川井田さんのインタビューを受け、それ以来おつき合いさせていただいていました。
「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 に掲載されたものを紹介します。

  
私を丸ごと受けてめてくれる他者として
    ―竹内敏晴講演会に参加して―

                   川井田祥子  すくーる・ほろん主宰(当時)
                   (らくだ教材を使った自分で決めて学べる塾)

はじめに

 2月11日、應典院(大阪市天王寺区)で行われた、講演会『日本語のレッスン―声と出会う・ことばが劈かれるとき」(主催:應典院寺町倶楽部 協力:日本吃音臨床研究会)に参加しました。
 協力とある、日本吃音臨床研究会とは、2年前にインタビューの依頼をしたことがきっかけでお付き合いがありますが、「どもることを否定せず、ありのままの自分を受け入れること」をコンセプトに活動を続けておられます。
 そして、10年前に竹内敏晴さんと出会ったことによってさらに活動の幅が広がったと、機関紙などを拝見すると感じられます。たぶんそれは、言葉というものを通して(からだ)や(こころ)を見つめ直す、人間全体を捉えようとする竹内さんの考えに共鳴するものがあったからだと思います。
 この講演は、竹内さんの自身の体験にもとづく話を聴きながら、「ことばとは」「コミュニケーションとは?」などについて、改めて考えるきっかけになりました。そのあたりのことを書いてみようと思います。
 講演会当日に語られた内容の一部をご紹介します。

「ことばが届くと」とは?

 私は難聴で、子どもの頃はうまく言葉が話せませんでした。「おはよう」が「おあお」ぐらいにしか言えなかったのです。40代半ばになって、言語訓練をしているときに声がはっきりと出るようになりました。相手にじかに言葉が伝わっている感覚というのでしょうか、それまでの、相手との間に厚いガラスの壁があるような感じではなく、「じかに届いている」と初めて感じられたのです。
 それからは毎日がお祭りのようでした。たとえば私が「こんにちは」と言うと、瞬時に相手から反応が返ってくる。自分の話したことが相手に伝わっていることがわかる、そのうれしさ、「ああ言葉っていうのはこういうものか」と本当にうれしくて、何度も繰り返しあいさつをしていました。
 しかし、そのうちに変なことに気づいたのです。それは、自分以外の人はよく話せると思っていたのに、どうも違うらしいということです。たとえばAさんとBさんが話をしている。でも、よく聞いているとAさんはAさんで勝手に話し、BさんはBさんで勝手に話している。お互いのつながりがまったくない状態で話をしている。しかもその状況はよくあるようだと気づき本当にびっくりしました。
 ことばを話すことができるようになると、そんな変なことに気がっいてしまい(笑)、自分が一所懸命にあこがれていたことばとはいったい何なんだろう?」という疑問が浮かび、それから「話しかけのレッスン」を始めるようになったのです。

「情報伝達のことば」と「表現のことば」

 フランスの哲学者メルロ・ポンティという人は、ことばには2つの種類があると言っています。
 2種類とは私流に言うと、「情報伝達のことば」と「表現のことば」です。
 「情報伝達のことば」とは、ひとつひとつのことばの意味が社会的に確定しているもの、誰がどう組み合わせても通じるものです。
 一方の「表現のことば」とは、自分が感じていることをなんとかことばにしようとすること。たとえば生後3、4カ月の赤ん坊が「あー、あー」と話しかけてくるような、文章としてはきちんと成り立っていないけれど全身で話しかけてくる意味がわかるということばです。
 人間にとっての根源的な言葉とは「表現のことば」の方で、それが十分にできるかどうかが「人間が人間である」ことにつながるだろうと、私は思います。つまり、ことばというものは情報を伝達するためだけにあるのではなく、人と人とがつながることそのものとしてあるということ。それをもう一度見つめ直すことが、いまとても大切なことだと思うのです。
 ところが社会は、とくに現代社会は「情報伝達のことば」を早く身につけることを子どもたちにも要求します。そしてそれは、「早く社会に適応しなさい」という要求を押しつけていることだとも言えるでしょう。
 子ども自身は自分の体で感じたことをことばにしたいと思っているのに、周囲からそうでないことを要求される。「早く、早く」とせきたてられ、自分が何を感じているのか、どう表現しようかと考えている時間もない。
 自宅近くに住む小学4年生の男の子は吃音の症状が現れました。その子の場合は自分が自分であろうとすることと、他人からの要求に向かって自分を適応させようとする境目で苦しんでいたのだと思います。

「伝える」から「伝わる」へ

 人と人とがどうやって結びついていけばいいのかを一人ひとりが考え直す、そんな時代に私たちはいま立っているのだと思います。夫婦、親と子、学校で先生が生徒とどう接するか、「こうあるべきだ」という考え方をいったん手放し、「本当につながれるのか、つながれるとしたらどうすればいいのか」を問いかけられているのが現代でしょう。
 私は、自分のことばで自分を表現することができて初めて、社会的なことばを使いこなしていくことができるのだと考えます。つまり、自分が生み出したことばをつなぎ、社会で使いこなしていこうとすることができて初めて、他者とのことばのやりとりが十分にできるのだと思います。
 「表現のことば」が十分に使えないうちに「情報伝達のことば」ばかりを要求されてしまっては、自分自身のことばを見つけることができなくなってしまいます。うまく話せなくて感情的になり、泣いたりわめいたりすることでしか自分を表現できないという事態になるでしょう。
 「自分が生きる」のは「自分のことばによって生きる」のです。自分のことばをどう見つけ、他の人とどうつながっていけるのかということを、一人でも多くの人と一緒に考えていきたいと思っています。

おわりに

 竹内さんのお話を聴いた後、私なりにコミュニケーションについて考えてみました。
 最近、マスコミなどで取り上げられる教育改革にまつわる話には、「コミュニケーション能力」をめぐっての議論が活発に行われているようです。
 たとえば、2002年から実施される新学習指導要領では、教師が独自に授業内容を決められる「総合的な学習の時間」が導入されます。そして、「211世紀に向けて国際社会の中で通用するコミュニケーション能力を身につけること」を目的に、ディベートを授業の中に取り入れる試みが広がっているそうです。
 ディベートとは、あるテーマについて肯定側と否定側2つのグループに分かれ、一定の時間内で議論し合い、最後に勝敗の判定を下すというものです。
 けれど私は、コミュニケーションについてまで「評価」が持ち込まれることに疑問を感じるのです。自分を表現しようとすること、それを相手がどう受けとめるかは二人の間の問題であり、評価できるものではないと思うからです。また自分の考えを主張し勝ち負けを争うことがコミュニケーションではなく、話し合いを重ねてお互いの接点を見つけ、まったく別の意見を双方の歩みよりによって生み出そうとすることも必要なことではないでしょうか。
 一方、学級崩壊という問題が起こり、「ムカツク」「キレル」といったことばでしか自分の状態を表現しようとしない子どもたちについて、いろいろな論議が交わされています。子どもたちを問題視してどうにかしようとする前に、ことばにならないものや「表現のことば」を受けとめようとする存在として大人がどのように関われるかが今いちばん必要なことのように思います。
 「自分のことを丸ごと受けとめてくれる他者がいる」と感じられる、つたない言葉でもいいから自分を表現しようと思える、そんな存在でありたい。と同時に、ことばが自分のものになっているか、相手に届いているかを見つめ直す勇気や大切さを、改めて感じる時間でした。

『たけうち通信』第1号1999年4月10日より

 『たけうち通信』は、日本吃音臨床研究会が編集し、10年間発行し続けた。2009年9月、42号の最終号で、竹内敏晴さんと私たちを結ぶ役割を終えた。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/21

安らぎを送りあうこと

竹内レッスン 春風社 表紙 1999年2月の旗揚げ講演から2ヶ月後の4月から、竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」の大阪定例レッスンが始まりました。大阪レッスンは、僕たち日本吃音臨床研究会が事務局になりました。定例レッスンは、大阪の他に東京と名古屋で行われていましたが、大阪の特徴として、どもる人の参加が多いことと、「たけうち通信」という名前の通信を季刊で発行していました。「たけうち通信」は、竹内さんの書き下ろしのエッセイ、レッスンの概要、レッスン参加者の感想、竹内さん関連のイベントの告知など、竹内さんに関するいろいろな情報が満載でした。『竹内レッスン―ライブ・アット大阪』(春風社)は、この「たけうち通信」掲載の竹内さんのエッセイを中心に構成されています。
 今日は、その「たけうち通信」の記念すべき第1号に掲載の、竹内さんのエッセイ「安らぎを送りあうこと」を紹介します。

安らぎを送りあうこと
                          竹内敏晴


ことばの歓び

 この春から、大阪で毎月レッスンをすることになりました。ということにすらすらと運んだのは、ここ十年近くになるけれど、どもりの人たちと年数回ずつレッスンしてきた、その熱意と楽しさの発展形ということになるからだろうと思う。特に昨年の秋に大勢集まった、『どもる人のための公開レッスンと上演』の、ひたむきさのほてりは今でもわたしに脈打っていて、レッスンのために近鉄電車に乗って三輪山の麓や室生の里あたりを巡って大阪へ近づいてゆくと、いつかからだがあったかくなって来る。
 ひっかからずに声が溢れ出て来るためには、まず舌や顎の力が抜けて息を深く吐けること。そのためにはからだ全体がいきいきとはずむこと。またそのためには、まず、からだの方々の、胸だの股関節だののこわばりに気づいて、これが弛んでいくこと、そのためには、と、レッスンはどんどん、言わば元へ元へ、からだの根源へと遡って行くのだが、さてその一つの段階がふっと越えられたとたんに、からだ全体がふわっとゆるんで、声がぽーんと跳び出して来る。それに立ち会い手をかす時の楽しさと言ったらない。
 どもりとかいわゆる言語障害の人に限ったことではない。先日ある町の、女性たち、と言うより母親たちの集まりに呼ばれた時に提案されたテーマは「言いたいことが言えない」だった。―もちろん親も子もふくめてのこととしてだが―話の途中で、まず声を聞かせてください、と童謡を歌ってもらったら、口をほとんど開けない人たちが一杯だったのに驚かされた。まず奥歯に小指をはさんでみて、口腔の内をひろげて、舌を前へ出して、さて一杯に息を吐いてみよう、とオハナシというよりレッスンが始まってしまったのだったが、この、歯を噛み締めている身構えがそもそも、からだの奥から流れ出て来る息を、ひいては「自分のことば」を、「噛み殺している」のではあるまいか?つまり、歯の間をあけて「息を吐くこと」は、自分を閉じている「身構え」をほどいてゆくことに違いないので、ここから出発しなくては「言いたいことを言う」ことには辿りつけまい。知的な理解や心理操作の範囲を越えた、からだの実践の問題がそこにはあるだろう。
 アメリカのフレデリック・ワイズマン監督がフランスの国立劇場を撮った、「コメディ・フランセーズ―演じられた愛」という映画がある。四時間に及ぶ大作だが実に面白かった。芝居の稽古の初めの段階から上演の有様までがちりばめられているのは演出者のわたしにとって力の入るシーンだったに違いないが、座員の選出から座員で構成される委員会の経営討議の模様、特に電機部門機械部門からかつらや小道具の人たちまで二十いくつという組合との交渉と協力、国家予算からの補助額の交渉に至るまで、フランスという、市民社会の先達における、いわば、俳優という市民たちの自立した団体運営のちからとでも呼ぶべきものを浮かび上らせて見せてくれたのが快い驚きだった。
 そのフィルムの一シーンに、初老の幹部女優が若い俳優とせりふを稽古する風景があった。一言二言言い直させてからかの女はこう言うのだ―ことばの一こと一こと、音の一つ一つを言いながら―「口の中で歓びを味わうのよ、歓びを!」これは世界最高水準の、音声言語表現の現場のことだ。しかしやっと一語を、ひっかからずに発することができるという段階でもやはり同じことが目指され、そして味わいうるはずだろう。どもりだけでなく、多くの人々にとって今、語ること、ことばで表現することは、苦しみとなりつつある。豊かに、一語一語を、一音一音を、口の中に歓びをひろげて語れるようになれたら素晴らしい、わたしも、あなたも。あらためて、レッスンに出発しよう。

野戦病院からエステティックまで
  あるいは、「からだほぐし」について


 毎月のレッスンに現れる人たちの、初めの声を聞いた時、そして特に、床に仰向けになって相手の人にからだをゆらしてもらい始めるのを見ている時、近頃のわたしはため息が出てしまうことがある。
 ―まるで野戦病院だなあ、こりゃひとりひとりが手負いの戦士に、いや時にはけものに見えて来る。目をつむって横になっているかれの手先をぶら下げてゆらゆらとゆすろうとすると、ごつんとひっかかる。肩甲骨の外側にかたまりができてるみたいだ。抱えおこしてふれてみようとすると背中がごわっごわっと硬い。かれはコンピューターの設計部門で働いている。
 ある女の人は胸を抱くようにそっと入ってきて部屋の隅に静かに横になっている。右を下にしたまま目をつむって身動きもしない。腰も痛む、胸が詰まって息ができない、足の裏まで痛い、と言う。なんでそんなになってまで働いているのと言えば、仕方ないでしょ、と喘ぐように呟く。かの女は養護学校の教員だ。
 かつてレッスンを始めた頃やってきた人たちは、昼間の労働で得たなん枚かのお札を握りしめて、日常生活ではあらわしようのなかった感情を爆発させ、未知の自分に出会い、表現を手探りするためにからだをぶつける時間へと没入していった。
 今来る人々にも同じ願いが秘められていることをわたしは感じ取らずにはいられないのだが、とりあえず、まずは、疲れ切ったからだが休みたい、楽になりたい、のびのびと息をしたい、と坤いている、と感じる。
 人にふれられるだけでイタイ!とわめくからだにてのひらをあて、息を合わせ、いつか仰向けになったからだを、ゆっくりゆらしながら波を送る。
 かつてはこのレッスンは「脱力」と名付けられ、後には「からだほぐし」と呼ばれた。演技者にとって舞台でコチンコチンになってしまうことは致命的だから、これは不可欠の訓練だったが、わたしはこれをただ「ゆらし」と呼び、ちょっとためらいながら「安らぎを送りあうこと」とも言う。
 勿論この変化の間には十数年の過程があるので、かいつまんで述べておくと
 ―「脱力」と呼ぶと、あ、力を抜かなきゃ、と意気ごんでしまう人が多くて、これではますます力が入ってしまう結果になる。「力を抜く」ことが、達成されるべき至上価値に祭り上げられたりもする。力を、意識して抜くことはできない。ただ重さを大地に、ひいては相手の手にゆだね切ることができた時が、結果として「脱力」になっているということに過ぎない。
 それにもっと弱ったことは、たとえ基礎訓練の場でいくらうまく脱力ができて舞台に立ったとたんカチカチになってしまうのは一こうに改まることがない。そこでわたしは、いつ自分に力が入って来るか、その瞬間に気づくこと、に重点を置くことにした。かなりの人は、自分のからだが固まっていることに気づいていない。それが自分の「自然」だと思い込んでいるので、緊張したまま固定してしまった自分のからだを見ると、あっけにとられる。だが、この自己知覚が研ぎ澄まされて来ると、人前に立ってぐっと肘が脇腹にくっ着き始めたとたん、ふっと気付く。そこで息を吐くと共に肩を落としていくことができる。
 社会人や学生へもレッスンが広まるにつれて、「からだほぐし」という呼び名もひろがっていったようだが、この名づけもわたしには初めからしっくりしなかった。「ほぐす」という行為は、もともとはもつれた糸を解いてゆくことだろうが、一般的には固まったものを振ったり叩いたり力まかせにばらばらにしてゆくイメージがある。しめって固まった小麦粉やセメントを崩して粉々にするイメージで、結局のところ乾いた小さい固体の集合体になる感じだ。実は名づけの問題ではなく、ゆすり方がそうなってしまうのだ。
 もっとからだの内に流れているものがめざめて来る感じを言い現したい、と思ってるところへ、若い学生たちが「ゆらし」と呼び始めた。これがいい、からだの内にゆらゆらと波を送るのだ、と。わたしは「ゆらし」に時間をかける。もはやただ肉体の緊張をほぐせばいい、のではない。からだの内にひろがる波に身をまかせてゆられているうちに眠ってしまう人もあるが、突然ふっと全身がゆるんで、息が深ぶかと流れ入って来て、あくびが続けざまに起こり、涙が止まらなくなり、からだが溶けてしまったようになることも多い。からだの知覚の変容が始まるのだ。ゆすられ終わって床に横たわっている時の感じをことばにしてみると、実に豊かで多彩で、浅いのも深いのもあるけれど、さし当たりわたしは「安らぎ」と呼ぶ。その感じは海のようにからだの内に、いや時には外へ地の果てまで、広がっている。とにかくこれが、他人の価値観に追いまわされることからの断絶であり、自分、というものの原点になりうる、と言っておいてもいいか。
 もっとも近頃やって来る若い人たちの中には、Tさんのホームページで、レッスンを受けてびっくりするほどキレイになった人のエピソードを見てやって来た、という人もある。わたしは十年以上前東京で研究所を開いていた当時、年度末の募集のキャッチフレーズに、「シバイをやってキレイになろう!」てのはどうだと言ってみんなを抱腹絶倒させたことを思い出した。イケルイケル、とか、ほんとだもんね、とわめくオチャッピイもたしかにいたのだが。
とにかく、新しく、未知の、からだへの問いかけと表現へのひろがりとへ、出発します。ゆっくりと、息を深く、歩いていきたいと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/20

竹内敏晴さん、ありがとうございました

 日本吃音臨床研究会が毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」の最新号である今月号は、先月号に続いて、昨年秋亡くなられた谷川俊太郎さんを特集しています。2000年、全国難聴・言語障害教育研究協議会協議会山形大会で、谷川さんと僕が記念対談をしたのですが、その対談の収録を、2号連続で紹介しました。
谷川俊太郎1 谷川さんとの出会いは、山形大会の2年前、僕たちの主催する吃音ショートコースというワークショップに、ゲストとして、竹内敏晴さんと谷川さんが来てくださったときでした。竹内さんと谷川さん、おふたりからたくさんのことばをいただきました。記念対談での谷川さんの、奥深いことばを懐かしく思い出していたところ、このブログで、竹内さんの特集をしている号を紹介する偶然が重なりました。「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 より、巻頭言を紹介します。

竹内敏晴さん、ありがとうございました
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 1999年2月11日、竹内敏晴さんの大阪レッスンの旗揚げとなる講演会の日は、強い吹雪と雨が混じる悪天候だった。参加者は少ないだろうとの予想をはるかに超える185名の参加者に、この時代が竹内敏晴を求めているように感じられた。
 時、バブル崩壊後の不況の真っ只中。社会の閉塞感は人々に緊張を強いている。社会に、がんじがらめに絡め取られた、「からだと、こころと、ことば」が悲鳴を上げていた。吉本興業の陳腐な笑いに代表される、考えることを放棄した、明るく脳天気に生きているかに見える人にとって、竹内レッスンは必要がない。また、強気で、経済評論家の勝間和代を目指す人々や、いわゆる勝ち組にとっても、竹内レッスンは必要がない。自分なりの人生を生きたいと願いながら蹟いたり、生きづらさを強く感じている人。そして、その生きづらさがどこから来ているのか、自分でもつかめない人。しかし、真摯に人生を生きたいと願う人々が集まってきた。
 自分を変えたいと思っても、何を変えればいいのか、その糸口がつかめない。ことばによる説明や説得ではなく、自分自身のからだの実感を通して、他者との関係において、自分でそれに気づいていく。竹内レッスンはそんな場だった。
 吹雪の日から10年間、日本吃音臨床研究会が主催する大阪の定例竹内レッスンは、やすらぎと集中の場となり、大勢の人々が集まった。
 人が変わるには、まず自分に気づくことが必要だ。世間に対し、目の前の他者に対してもつ身構え、相手にあわせてしまうからだ。相手と近づくのではなく、相手を拒否する自分のからだとことば。多くの人々のレッスンに立ち会い、人が気づき、変わって行く現場に出会えたのは幸せだった。
 緊張を強いられる場では、人は自分に気づけないし、変われない。緊張せずに、安心していられる安全な場がまず必要だ。竹内レッスンでは、必ず二人組で、互いのからだを揺らし合い、やすらぐことから始める。心地よい、安心できる場には、常に大きな歌声と、大きな笑い声があった。
 一方、他人の目を意識する緊張の場で、自分を支え、からだとことばで表現する場も必要だ。大勢の観衆の前でひとり舞台に立つ芝居は、多くの人にとってたやすい課題ではない。「12人の怒れる男」「ゲド戦記」「銀河鉄道の夜」などをモチーフに、竹内さんが脚本、演出し、レッスンを重ねた数々の舞台で多くの人が輝いていた。それは、緊張ではなく、集中することを身につけた人々の表現だった。それは日常生活に生かされた。
 私が最初に出会った20年以上前の竹内さんは、精神的にも肉体的にも疲れておられるようで、レッスンも辛そうな時があった。だから、「いつ、竹内さんがレッスンできなくなるか分からないから、今の内に出会っておいた方がいいよ」が、冗談で竹内レッスンに周りの人を誘う私の常套句だった。しかし、いつしか、その常套句は使えなくなった。不思議なことに、年をとるにつれてますます元気になっていく。3年先のスケジュールを話題にする竹内さんに、少なくとも90歳までは現役でレッスンを続けて下さるだろうと、信じていた。
 6月初旬、竹内さんから、「膀胱がんが見つかったが、手術を受けず、現役でレッスンを続けたいので、どんな治療があるか選んでいる」と電話があった時も、不死鳥のようによみがえることを期待した。7月の大阪のレッスンは通常通り行ったものの、8月末の東京のオープンレッスンでは、車いすの姿で見守ったと聞く。
 9月7日、数人のレッスン生の歌う、竹内さんの大好きだった、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む…」の歌声と共に、84歳の生涯の幕を下ろした。
 出会いから20年以上。「私も聴覚・言語障害者だ」とおっしゃり、どもる私たちを仲間と考え、常に最優先でレッスンなどの計画に応じて下さった。おかげで、私たちは、たくさんの素晴らしい体験をし、たくさんのことばをいただいた。
 それらを伝えていくのが私たちの役割だ。
 これまで、多くの人に安らぎを与えてこられた竹内さん、今度はご自分がゆっくりとお休み下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/19

吃音の予期不安と恐れに対する対処の仕方 4

吃音にとって大切なテーマである、予期不安と恐れに対する対処について、大阪吃音教室の講座での話し合いを紹介してきました。今日はその最終で、参加者ひとりひとりの感想を紹介します。改めて読み返してみて、充実した講座だったなと思います。吃音は、それだけ、生きることを考えるテーマとなりうるということでしょう。僕たちが伝えたいのは、こっちの道もあるんだよということです。そして、その、こっちの道を、楽しく機嫌良く歩いていきたいと思います。
 「スタタリング・ナウ」2009.9.20 NO.181 に掲載の、2008年10月3日の大阪吃音教室の講座を紹介します。最後の感想です。

《大阪吃音教室2008.10.3》
吃音の予期不安と恐れに対する対処の仕方 4
                             担当:伊藤伸二


参加者の感想

U 自分は、会社の朝礼とかワードトレーニングが苦手で、そういうところでどもってしまって、しゃべれない。みんなは僕がどもるということは分かっている。でも、順番に言わされる。助け船はない。今日のことを聞いて、どもって当然だと思えるようになるかな。
伊藤 僕らは、もうどもってしまうだけでいいのよ。後は、周りの人の責任で、誰か助け船を出すか、あいつはもう挨拶をやめさせようとか考えてくれる。こちらはただどもってさえいればいい。そう考えたら、挨拶とか朝礼に命をかける必要はまったくないのであって、ほかの仕事でがんばればいい。

どもりを認めたくない人

G どもりだけれど、それを認めたくないという友だちがいるんです。今日の話はどもる自分を認めるのが前提での不安や恐れへの対処でしたが、認めたくない人には、対処法はないんでしょうか。大阪吃音教室に誘っても来ない。どうにかして、連れてきたいと思うけど、来ないんです。
伊藤 どうしても、どもる事実を認めたくない人はいます。大阪吃音教室のようなセルフヘルプグループにも、サマーキャンプにも、吃音ショートコースにも行きたくないと言う人もいます。そんな人に私たちは何ができるだろうか。
N メッセージを発して、ただ待つだけですね。
G それしかないですかね。
M 『どもる君へいま伝えたいこと』を贈呈する。
G 私も今、それを考えていたんですけど。それを渡して、来るか来ないかはもう、その後の判断は任せるしかないと思っているんですけどね。
M すぐにじゃなくていいやん。
G でも、もう4、5年たっているんですけどね。
N 10年でも20年たっても、いいじゃん。
K 伊藤さんのことばで、僕が好きなのが、「とりあえず言い置く」です。とりあえず言って、待つしかない。
伊藤 とりあえず言い置いて、『どもる君へいま伝えたいこと』をプレゼントすることはできる。読むか読まないかは、その人の勝手でしょう。
V 私はどもることを認められないけれど、この吃音教室に来ている。
伊藤 どもりを認めたくない人も、それも人生でしょう。それでも、あなたはその人を無理矢理なんとかしようとしてるわけだ。僕は基本的にはおせっかいおばさんは好きなんですよ。やっぱりおせっかいはやいた方がいいと思う。あなたは、おせっかいをやいているわけよね、4、5年も。それでも嫌だと言うんだから、それはもうその人の人生でしょう。僕たちは、できたらどもりに悩むできるだけ多くの人の役に立ちたいなあとは思うけれど、それはこの場所に来てくれた人であったり、僕たちの発信する本やニュースレターを読んでくれる人であったりがひとつの条件だと思うんです。なんやこんなもんと言う人には何もできない。それは、もうあきらめなさい。
G 見捨てるってことですか。
伊藤 見捨てるって言っても、その人はそれでいいと言っているんだから仕方がない。その人の人生なんだから。その人はその人で、どもりを否定し、治したい治したいと思い続けて生きる人生を選んでいるわけだから。
H 交流分析で勉強してきたように、過去と他人は変えられないということでしょう。
伊藤 どもる人間のみんながみんな、明るく、楽しく、がんばろうぜ、と生きる人間ばかりじゃない。中には、うじうじ悩む人がいていい。明るく元気で溌剌な人もいていい。いろんな人がいて、ひとつの社会をつくっているのだから。
 アドラー心理学で言う目的論で言うと、どもりを利用して、ある意味、引きこもり、自分がみじめな生活をするということを選択している。どもりを認めたくないという人は、そこに何かの目的がある。その目的のために認めないんだから。
E その人が今、悩んで悩んで何もできない状態だったら困りますが、どうなんですか。
G それは違う。それなりにがんばっています。
E でしょう。だったら、いいじゃないですか。
G どもってどうしても声が出ないとき、手を振ってでも言えばいいけれど恥ずかしくてできないと言います。私は、聞くことしかできないから、そうやね、嫌やねえとか言って聞いている。
E それが言えることっていいですよ。
G そう思って、ずっとつきあっているけれど、それ以上に深まることがないのは寂しい。寂しいと思うのは、私の単なる欲でしかないけど。
L なんでそこで、Gさんが、その人に合わせて、「そうやね、恥ずかしいね」と言うのかな。「恥ずかしいことやないよ」と言ったらいいのに。Gさんは恥ずかしいと思っていないだろうに、一緒になって、恥ずかしいと言っていることが分からない。説得力がないやん。
G そうそうそう。そうなんですよ。
伊藤 さきほど、誰かが言ったように、その人はその人なりに生きているのだから、どもりを認めたくないと言っているけれど、現実的には認めて生きているわけですよ。ことばではどもりを認めると言っていないけれど、現実にどもりながら生きているということは、もうすでにどもりを認めて生きているということでしょ。反対に、私はどもることは認めていると言いながら、肝心のところでは、隠したり、逃げたりしている人は少なくない。何もことさらに、私はどもりを認めて生きていますと言わなくてもいい。自分なりの人生を生きていればそれで十分ですよ。また、仮に社会的に引きこもって生きていたとしても、それでしか生きられないのだから、仕方がない。一所懸命、その人にかかわり、できるだけのことを私たちはしたいけれど、最終的にはその人の人生です。そうとしか生きられない人生もある。他人がそれをとやかく言うことは必要ないんじゃないの。
 そういう生き方しかできないことを、仮にどもりという原因があると思っているかもしれないけれど、ある意味、どもりを口実に、どもりを理由にして引きこもっているという言い方もできる。だから、いいんだよ、人それぞれの人生があって。吃音を治したいと切実に思っている人が、この大阪吃音教室のようなところに来たらしんどいかもしれない。もちろん、私たちは、治したいと考えている人も、本人さえよければ、堂々と、私たちの吃音教室に参加したらいいと思っている。私たちは、自分たちの考えを決して強制したりしませんからね。まだまだ私は吃音に向き合っていない、認めていないと、小さくなることはない。何年かかってもきっと私たちの道筋に立ってくれると思う。だから、その人に参加して欲しいという思いはありますね。
T 今の話も含めて、まったくそのとおりやなあと思います。その人の最終判断で生きていくのであって、こういう生き方だけ正しくて、それを押しつけるというのは傲慢かなと思う。
伊藤 「とりあえず言い置く」ということも含めて、「こうした方が楽だよ」、「私たちはこうして生きてきたんだよ」と自分たちの体験を語り続けていくことは大切ですね。その僕たちの生き方を見てもらう。それを見て、そうだなと思う人もいるだろうし、嫌だなあと思う人もいるだろう。自由だ。自分たちの価値観を、生き方を、押しつけるのは傲慢ですよ。
O 紙に書いて見せるという話がありましたけど、調子が悪いとき、僕もしています。
J どもりの核心というものを改めて感じました。予期不安とかどもりに対する考えを、ひとつひとつみんなで確認できて、わかりやすかった。私も大阪吃音教室に入ってこれたのは、考えを強要しないというか、どんな考えでも、どんな私でもいいという所だったから、自然に入ってこれたんです。どんな状態の自分でもここにいていいんだなあというのを感じています。
伊藤 自分たちの考えていることをかみ砕いて、分析し、整理していくということは、仲間がいるからできることですね。自分ひとりではなかなか気づけないし、発見できない。確かに、吃音は吃音症状ではなく、氷山の海面下にある、吃音を隠したり、話すことから逃げたりする行動、恥ずかしいと思ったり、みじめと感じる感情が吃音の問題の核心であり、大変であり、取り扱いが難しいんだけど、順序立てて考えていけば、対処できることだ。
X どもりながら生きていくのは、そんなに恥ずかしいことではないんだなということが分かった。
伊藤 そういう生き方をしていると、周りに勇気を与えるかもしれないね。
Y ひどくどもったときには、人というものは、応援してくれる。ちょうど、高校時代、返事もできないくらいのとき、同級生が代返をしてくれた。
伊藤 応援してくれるような人間になろうよ。嫌な奴だったら、応援しないよ。吃音とは関係なく、他人に親切で、仲間を大切にして、人の役に立ったりしていたら、いい奴だなあということになって、困ったとき応援してくれるんじゃない。
S だんだんと生き方が楽になってきましたが、どもりがだんだんひどくなってきた。
伊藤 生き方が楽になったが、どもりがひどくなったというのは、老化ですよ。僕も以前よりよくどもるようになりました。でも、なんともないよね。
S それは、この大阪吃音教室に来て、ずっと吃音について考えているからだろうと思います。
U 勇気づけられたことがある。どもるという事実を認めるという前提を私は忘れていたんじゃないかなと思います。どこかで、どもりを隠したいというのがあったけれど、それを聞いて、前提を自分で認めていければ楽になると思います。
B 認めるということができれば、確かに楽になるんだけど、なかなか認められないんだけど。
伊藤 それも一つの生き方ですよ。ぜひ、棺桶に足をつっこむまで、認めない人生を歩んで下さい。
V 認めることを自分は認めていたつもりですけど、認め切れていなかったんだと思いました。
X 小さいときから、どもったら馬鹿にされると思っていた。負けず嫌いだから、誰一人として馬鹿にされたくないと思っていた。でも、馬鹿にされたくないと意地を張っているのに、人に分かってもらいたいという、矛盾している。だから、もう馬鹿にされてもいいかと思った。その方が友だちができるから。
伊藤 そうやなあ。馬鹿にされたっていいよねえ。
I どもりを認めるということはどういうことかなと考えていた。僕は、自分がどもるということは認めているつもりだけど、やっぱり話すときには、どもらないようにしゃべっているので、半分半分かなと思いました。
伊藤 いやいや、それで十分ですよ。僕なんかでもそうですよ。わざとどもることもないので、どもらないように、しゃべっているよ。
P 恐怖と不安を克服するには、どんなに吃音がひどくても前向きに考えたいと思いました。
伊藤 前向きに考えなくてもいいんやけどな。
Q 皆さんが強い、というか、特に年配の皆さんがキャリアを積まれて強くなられているなあと思いました。どもりを認めてそこからスタートする。ほんとにひどくどもったときにどうするかというときに、前向きな意見が出ていましたけれど、なかなかそこまでいくには大変やろうなと思って聞いていました。
伊藤 本当は全然大変じゃないんですよ。前向きとか、プラス思考とか、強くなくてもいい。全然強くなくてもできる。別のことばで言うと、自分の人生を大切にするということですよ。
D そのような生き方は、年齢が上がっていくと、できやすくなるんですか。
伊藤 反対です。年を経るに従って、難しくなります。だから、僕たちが吃音親子サマーキャンプをしているのは、小さい子どもの方がしやすいからです。小学生、中学生がびっくりするくらい変わります。それは、強いからではない。小さな子どもでも、自分の人生を大切にするからです。
I 自分の人生を大切にするというのがちょっとわからない。みんな普通に生きているというのではなくて、べつのものですか。
伊藤 いやいや、普通に生きているということが人生を大切にしているということですよ。際だって大変なことをしているのではなくて、普通に生きていればいい。普通って言い方は変だけどね。あなたはまだ2回目でしょ。2回目で分かってどうするんですか。僕たち、悩んで悩んでここまで来たのですから。まあ、できるだけ続けてここに来て下さい。
Z 僕は、仕事の配属で、来週から関東に行ってしまうんですが、配属先でうまくやっていけるかどうか心配だったんですけど、今日の話で、どもっていても仕事をがんばれば評価されるという話があって、よかった。
伊藤 それは確実です。だから、ほかの人以上にがんばろうよ。がんばろうと他人に言うのは基本的には嫌なんだけど、どもりがまったくハンディがないかというと、そうじゃない。ハンディがある分、ほかの人にないもの、つまり、仕事に対する一生懸命さ、誠実さ、努力が大事だと思う。
D ついつい、人と比較しがちだったけれど、それぞれ違うから、そのままでいいと思います。
伊藤 そうね、やっぱり比べるのはしんどいね。
L 私は長い間、日常生活では、どもりが分からないようにしゃべってきたので、予期不安が大きかったと思うんです。だから、私はこの大阪吃音教室に来てから、吃音を公表できるようになって、予期不安がまったくといっていいほどなくなった。すごく楽。公表してから、予期不安の字が小さい。
伊藤 そうですよね。普段あまりどもらない人ほど、どもりたくないから、どもるかもしれない、どもったら嫌だという予期不安が大きくなりますね。
L ばれたらどうしようと。
伊藤 今までばれてないんやからね。
L 吃音のコマーシャルをしながら、どもりを生きています。
伊藤 いいねえ。楽やねえ。
C どもりに限らず、恐怖とか予期不安というものは、みんないっぱいもっていると思う。先延ばしにするとしんどい。早くぶつかる方がいいなあと思いました。
M 恥ずかしいことって何だろうというのが、今回の吃音教室で印象に残っています。これからも考えていきたいです。
H 僕たちはどもりを認めるのではなくて、どもる事実を認めるんです。どもりを認めるとなると、どもりを受け入れるとなって、受け入れるのは難しい人もいる。どもっている現象の事実を認める意味の深さというか、広さというか、そんなものを感じました。感情、思考も広がりがあって、深さがあるんやなと思いました。
K いろんなことを考えさせられた講座でした。
E 教員をやっていて、肩肘はって、こうあらねばならない、こうあらねばならないと自分をしめつけていた。子どもにもこうしろと言って、お互いに苦しんできたなあと思いました。それを感じました。自然にしたいです。
伊藤 自然に生きるが一番ですね。
N どもりが治らないでよかったとつくづく思います。自分のどもりを含めて、どもりのことをネタに、こんなに長いこと話し合える。治るならこうはいかない。解決しない問題を持っていること、自分がそういう問題を持っていることのすばらしさを感じました。
伊藤 なるほどね。どもりを治す、改善するだったら、最近、どもらないね、調子はいいです、で終わりやもんね。話は深まらないし、自分の人生は何だとか考えない。ほんとに恥ずかしいことって何だろう。汚染米を売りつける農水省の役人の方がよっぽど恥ずかしい。
F 以前、悩んでいたときは、自分は、深く細かく考えることを避けていた。でも、深く細かく考えることって大事だなと思いました。
伊藤 言語訓練なんか必要ないけれど、考える習慣は大事。選択肢は何か。恥ずかしいとは何か。横に広がり、奥に深めることができる大阪吃音教室はいい。どもりは、とてもいいテーマだということでしょう。ということで、今日の大阪吃音教室は終わりです。お疲れ様でした。

 今日は、NHKが「きらっと生きる」の取材にカメラが入っています。ディレクターとカメラの方に感想をお聞きしましょう。
◇ひとりひとりの個性を大切にするということを大事にしたいと感じました。ひとりひとりを大切にする。私、正直今回この仕事をいただくまで、どもりということをまったく知らないで生きてきて、今日いろいろみなさんの話を聞いて、しっかりした気持ちを持っているんだなあと感心した。私の方がもっと考えて生きないといけないんじゃないかと自分を見つめ直すいい機会を与えていただきました。
◇皆さんが全員積極的に発言し、ことばに勢いがあります。自信を持っている人もいない人もいるけれど、話されることばに勢いがあり、説得力がありました。いい番組を作らせていただきます。

《編集部から》
 大阪吃音教室の映像は2008年11月7日、NHK教育テレビ「きらっと生きる」で放送されました。反響が大きく、第二弾が翌年2月に新しく製作され放送されました。スタジオ出演した4人の中の2人が再度出演し、さらに吃音の問題を深めることができました。その後、番組を見たという、沖縄や熊本、東京など、遠隔地からの参加がありました。

 活字にすると、固い話し合いが続いているような印象を受けるるでしょうが、大阪特有の「ツッコミ」や「ひやかし」「いちびり」があり、常に笑いにあふれています。その雰囲気をお伝えできないのは残念です。また、脱線していくおもしろい話も、紙面の都合でカットしました。
 吃音にとって、不安・恐怖は大きなテーマなので先月号と2回に分けて紹介しました。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/18
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