
どもりと悩み
田中咲子(千葉県・中学1年生)
私がどもりに気づいたのは小学校2年生です。算数の授業で計算の答えをなかなか言えなかったときでした。でも、小学校では担任の先生も協力してくれたり、サポートしてくれたりしました。同じクラスの子も、私のことをからかったりする人はいませんでした。むしろ、私がどもったり、つっかかったりしてしまった場合は、一緒に言ってくれたりしました。すごくうれしかったです。
中学に入ると、人数も多くなり、初対面の人もたくさんいました。音読のときも、緊張のあまり、つまってしまいなかなか次のことばが出てこないことがありました。
ある日の国語の授業で音読をしているとき、私がことばにつまってしまいました。そのとき、先生が「じゃあ、次の人読んで」と言いました。そのとき私は悔しく、「どうして私だけことばが出ないんだろう」と思いました。先生にとばされ、席に座ったときは、みんなが私のことをどう思っているのか、すごく気になってしまい、不安になりました。なんとなく、視線を感じたりもしました。
今、私が不安に思っていることは二つあります。
一つは面接です。来年、私は受験生なので、つまったり、どもってしまったらどうすればいいんだろう…と思います。もし、つまったり、どもってしまったのが原因で受からなかったらと思うと、すごく不安になります。
二つ目は、将来です。私は最近、医者になりたいと思うようになりました。でも、つまったり、どもってしまっては、仕事がつとまらないのではないかと思ってしまいます。どもりなどが原因で将来の視野がせまくなるのは、悲しいです。
そう、思い始めて私はサマーキャンプに参加しようと決めました。3〜4年前から、このサマーキャンプのことは知っていましたが、どうしても行く勇気が出ませんでした。でも、私と同じように、どもりで悩んでいる人と、話ができることはなかなか体験できることではないので、今は来てよかったなと思います。同年代の人たちと、学校での出来事を話せたりするし、話すときもどもりを気にせず話せるのですごく気持ちが楽になります。いろいろな人とどもりについて話して、これからの人生に役立てていきたいです。また、私の弟もどもっているので、サマーキャンプでわかったことを弟にも教えてあげたいです。
私は、今まで、どもりを治したいと思っていました。でも、治すことだけがいいことではないと、サマーキャンプに参加してわかりました。伊藤伸二さんの「あなたはあなたのままでいい」ということばを聞いて、これからは、治すことだけにこだわらないで、どもりと向き合っていきたいです。
吃音児の姉として、援助者として
森田友梨奈(静岡県・短大1年生)
今回は7度目のサマキャンになりますが、今年は例年とは少し違った気持ちで参加しています。
私は今、地元の短期大学に通っていて、心や身体に障害を抱えた子どもの保育やそのような子どもを持つ保護者への相談援助の勉強をしています。昨年までのサマキャンに吃音をもつ弟の姉として参加してきた中で、弟が変わっていく姿を見てきたことはもちろんですが、それだけでなく他の多くの参加者やスタッフの方々、そして私と同じようにきょうだいとして参加している子たちに出会いました。私は参加した当初は弟のことばかり考えていたのですが、毎年参加を重ねていくたびに弟以外の吃音を持った子、スタッフや保護者の方々にも目を向けられるようになりました。
中でも高校生の話し合いに入れさせていただいたときは、弟からは聞けなかった話をたくさん聞くことができて、私にとって本当に良い機会となりました。しかしその一方で、どんなに彼らの話を聞いていても、私は吃音の本人ではないから、どうしたらいいのか、とかどう考えればいいのか、という上手くことばに表現できない悩みのような、戸惑いのような思いもありました。話の内容が深くなり、彼らが体験を共有すればするほど、私の心の中のモヤモヤが膨らんでいたような気もします。
けれど、保護者の方々も私と似たような思いをしているのではないかと、ふと考えたことがあります。自分の子どもが何に悩んでいるのか、学校での様子や将来のこと、親としてどうしたらいいのか、というように保護者も多くのことを抱えているのだと思うのです。
私はサマキャンでの経験がきっかけで、子どもたちだけに限らず、保護者の境遇も理解して支援ができるような仕事に就きたいと思うようになりました。昨夜の話し合いで親のグループに入れさせていただいたことは、私にとってすごくいい勉強になったと思っています。吃音だけに限らないのですが、様々な障害を抱えた子どもや保護者の方々がいて、悩んでいるのに誰にも言えずに孤立してしまっている人もいます。短大で相談援助の勉強をしていると、いつもサマキャンでの経験が脳裏に浮かびます。
私にいろいろなことを考えさせてくれて、将来の道をつくってくれた大きなきっかけとなった7回のサマキャンに感謝して、来年は弟の卒業式に参加したいと今から楽しみにしているところです。
自分の人生を生きるため
佐々木和子(島根県立松江ろう学校)
吃音親子サマーキャンプ、20周年のセレモニーで、伊藤伸二さんからサマキャンに対する思いを聞かれた時、私は「サマキャンで出会う子どもたちの成長を見たいから」と答えた。
しかしその後、それだけではない、何か大切なことを言い残したような気持ちになった。
8年前、私は夫を亡くした。「どもることが和子さんのセールスポイントだ」と、私の劣等感の根源である吃音に価値があることを見出してくれた夫に支えられて、私は生きていくことができた。
私を理解し、私の存在そのものを認めてくれた人生の同伴者を失った時、「私の人生も終わった」と絶望のどん底に突き落とされた。そんな時、伊藤さんが「吃音ショートコースに来てみないか」と声をかけてくれた。「旅に出れば、辛い現実を忘れることができるかもしれない」と、心が動いた。
しかし、当時5歳の大輔を一人残して行くわけにもいかず、かといって子連れで勉強会に参加するのも憚られ、私は迷った。「大ちゃんも一緒においで」ということばに救われる思いを抱いて、親子二人、秋の近江路、栗東山荘に向かった。
20数年ぶりに、私は大阪スタタリングプロジェクトの仲間と再会した。彼らは長い年月を飛び越えて、大学時代と同じように私をそして大輔までも仲間として受け入れてくれた。世間の常識にとらわれ、大輔の吃音を認めることに揺らいでいた私の前で、どもる仲間が、絶えず「今のままの大ちゃんでいい」と、自己肯定のシャワーを降り注いでくれた。彼らのまなざしの中に、私は、かつて夫が父親として大輔に送り続けていたまなざしと同じものを見た。どもり繋がりの仲間の絆の深さと優しさが心に沁みた。
私が研修を受けている間、大輔は同じ部屋で溝口さんの隣に陣取り、絵を描いたり、紙飛行機を飛ばして遊んでいた。休憩時間になると「待ってました」とばかりに、付き合ってくれそうな大人を誘って野球に興じていた。
1人の参加者として、私に頼ることなく他者と関わり、自分らしく伸び伸びと振る舞う大輔の姿を見て、「この子は吃音があっても大丈夫。今のままの大輔で生きていける」と安心することができた。そして、大輔を育てるのは私一人ではない、困ったことがあれば父親代わりになって助けてくれる仲間がいると思うことで、私は孤独から解放された。
私自身にとっても、この合宿は、日常を離れ、自分の生き方を模索する時間になった。私が私のまま存在していいと認められる場で、仲間と共に学び、生活する中で、私がこの世に存在する意味は、どもる人として生きることにあるのかもしれないという気持ちになった。
「吃音のことをもっと学び、社会に伝えていきたい」
吃音ショートコースで、私は生きる目的を見つけた。この時から、吃音を学ぶことが私の生きる支え、人生の同伴者になった。私に吃音があったから、私はこんな素晴らしい仲間に囲まれ、生きるエネルギーを回復することができた。吃音が私を救ってくれた。
私は仲間に会うために、また、吃音を学ぶために、吃音ショートコースと吃音親子サマーキャンプに出かけている。
サマキャンの醍醐味は、吃音と格闘しながら魅力的な人間に成長していく子ども達の姿を目の当たりにできることだろう。彼らのまっすぐな姿は私に生きる勇気を与えてくれる。
私は、自分の人生を生きるために、サマキャンに参加している。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/28